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ヘイトスピーチはなぜ生まれるか


新型コロナウイルス感染症と人権に関する座談会

 新型コロナウイルス感染症に関連して,依然として,不当な差別,偏見や,ヘイトスピーチ等の様々な人権問題が発生しています。このような差別,偏見や,ヘイトスピーチはなぜ生まれるのでしょうか。過日,「新型コロナウイルス感染症と人権に関する座談会」において,こうした問題が議論されました。
 まず,認知心理学では,細部を見ずに結論にジャンプするような認知プロセスがあることが紹介されました。新型コロナウイルスを「脅威」「危険」と認識し,「広めてはならない」という責任感が,恐れや憎悪感情を増大させ,ひいては排除行動やヘイトスピーチに発展したとも考えられます。では,何を恐れたかというと,その対象は,最初は訪日外国人,次に帰国者やクルーズ船等に派遣された人,そして市中感染が広がると,感染者を出した大学や企業に属する人,病院や感染リスクの高い職業が脅威の対象と認識され,緊急事態宣言後は県外ナンバーを危険視する動きもありました。国籍,職種,企業,県外ナンバーといったカテゴリーや属性だけで「危険」と判断してしまったように,人には,細部を見ずにラベルで判断してしまうような認知プロセスがあると考えられるとのことです。
 ヘイトスピーチも,細部を見ずにラベルで判断するというこのような認知プロセスが影響している面があると考えられます。
 また,「異」と「違」の違いについて次のような議論もありました。
 「異」は自分にとっての外部であり排除する対象となりますが,「違」は内部に存在するものです。例えば,「異物」が入ってくれば排除しようとしますが,腰に「違和感」があっても腰そのものを取り除こうとは思いません。
 かつて,異邦人,外国人は,ラテン語でホスティス(hostis)と表現し,自分たちのコミュニティの外部の人を指し,現在の英語のホスタイル(hostile,敵対的),ホスティリティー(hostility,敵意)の語源となっているとおり,異邦人,外国人は,敵であり排除すべきものでした。
 現在の日本においても,外国人を自分と異なる他者と考え,「異質なもの」として排除しようとヘイトスピーチが行われることがありますが,私たちが目指すのは,多様性のある社会,外国の人の文化の「違い」を認め合う社会であるとの議論がありました。
 「異質なもの」として排除するのではなく,「違い」を認め,分かり合える社会を目指し,「ヘイトスピーチ,許さない。」という意識を持つことが必要なのではないでしょうか。
 このような議論に興味を持たれたら,是非,「新型コロナウイルス感染症と人権に関する座談会」のウェブページをご覧ください。

「新型コロナウイルス感染症と人権に関する座談会」
http://www.jinken-library.jp/corona2020/(公益財団法人人権教育啓発推進センターのホームページにリンク)