法制審議会民法(債権関係)部会           第10回会議 議事録 第1 日 時  平成22年6月8日(火)  自 午後1時00分                       至 午後5時55分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事 (次のとおり)                議     事 ○鎌田部会長 それでは,定刻となりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会の第10回会議を開会いたします。   本日は,御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   それでは,お手元の資料について確認をしていただきます。 ○筒井幹事 事前送付資料としては,部会資料12−1及び12−2をお届けいたしました。これらの資料の内容は,後ほど関係官の菱川から説明いたします。   次に,本日は委員等提供資料として二点を机上に置かせていただきました。その一点目は,日本司法書士会連合会の「消費者の視点から見た論点の提示」です。これは四つの個別的な論点を取り上げて問題提起を頂いたものであり,その内容はお読みいただきたいと思います。それから,委員等提供資料の二点目ですが,消費者庁の西川関係官から「平成19年度消費者契約における不当条項研究会報告書」を御提出いただきました。次回の会議で不当条項の御審議を頂く際の参考という趣旨で,今回,御提出いただいたものと聞いております。 ○鎌田部会長 それでは,本日の審議に入りたいと存じます。   本日は,民法(債権関係)の改正に関する検討事項(7)について御審議いただく予定です。具体的な進行予定といたしましては,休憩前に部会資料12−1の「第3 意思表示」の「3 虚偽表示」までを御審議いただくことを予定いたしております。その後,休憩を挟みまして「第3 意思表示」の「4 錯誤」以降を御審議いただきたいと思います。   それでは,まず部会資料12−1の1ページから3ページまでの「第1 法律行為に関する通則」について御審議いただきます。事務当局に説明してもらいます。 ○菱川関係官 部会資料12−1と12−2の関係はこれまでと同様です。この場でも,基本的には主たる資料である12−1に沿って御議論いただきたいと考えております。また,各項目の冒頭におきましては「総論」という項目を設けるなどして,検討するに当たっての留意点等を検討事項としているところがございます。その趣旨は,留意すべき点について幅広く御議論いただくとともに,特にこの資料では取り上げられていない論点については,ここで御指摘いただきたいと思っております。   では,「第1 法律行為に関する通則」について,2以下に掲げました個別論点から説明いたします。   現行民法上,法律行為の意義についての一般的な規定はなく,法律行為という基本的な概念の意味が分かりにくいという問題が指摘されていることから,法律行為の意義を,条文上,明らかにすべきであるという考え方がありますので,「2 法律行為の効力」の「(1)法律行為の意義等の明文化」において御意見を頂きたいと考えております。ここでは関連論点として,法律行為の定義規定,分類規定の問題についても取り上げました。   次に,「(2)公序良俗違反の具体化(暴利行為の明文化)」ですが,民法第90条に関連し,いわゆる暴利行為,伝統的には他人の窮迫,軽率又は無経験に乗じて過大な利益を獲得する行為について,これまでの判例や学説の到達点を踏まえ,公序良俗違反の具体化として明文規定を設けるべきであるという考え方がありますので,このような規定を設けることの要否と規定する場合の具体的な規定の在り方について,御意見を頂きたいと考えております。ここの関連論点においては,暴利行為の伝統的な要件の見直しの問題について取り上げておりますので,併せて御議論いただきたいと考えております。また,「(3)「事項を目的とする」という文言の削除」ですが,民法第90条については「事項を目的とする」という文言を削除すべきであるという考え方がありますので,そのような方向で規定を設けることの是非について,御意見を頂きたいと考えております。   次に,「3 法令の規定と異なる意思表示」ですが,民法第91条は意思表示が任意規定に優先することを定めているところ,このような規定の必要性について異論は見られません。もっとも強行規定に反する法律行為が無効であることを明示的に規定する条文がないことなどから,学説上,その根拠に関する考え方に争いがあり,また,民法第91条については,その規定の形式から,私的自治の原則との関係で問題があることなどが指摘されています。これらの指摘を踏まえ,民法第91条について強行規定に反する法律行為の効力を,条文上,明確にすることなどの見直しをすべきであるという考え方がありますので,このような考え方について御議論いただきたいと考えております。   次に,「4 任意規定と異なる慣習がある場合」ですが,慣習と任意規定との優先関係の理解をめぐっては理論的な対立があるほか,民法第92条と法の適用にする通則法第3条との不整合という問題が指摘されており,この不整合について,立法的解決を図る方向で民法第92条及び関連規定の改正をすべきであるという考え方がありますが,他方で,そのような改正を否定する考え方も示されていることから,これらの考え方について御議論いただきたいと考えております。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明がありました部分のうち,まず,「1 総論」について御意見をお伺いしたいと思います。 ○山本(敬)幹事 まず,法律行為に関する通則全体について,最初に二点ほど申し上げたいことがあります。   一点目は,法律行為という概念ないしは制度はやはり維持すべきであって,それを定める場所は現在の民法総則がふさわしいということです。  法律行為という概念は,民法典が制定されてから1世紀余りたって,法律家の間では確立したものになっていますし,民法以外の領域でも,この概念を前提とした立法や解釈が行われています。実際,契約以外のものも含めて漏れなく規定しようとしますと,この法律行為という概念は非常によくできたものと言えます。したがって,法律行為という概念を廃止するのは,現実には考えにくいところだと思います。   そこで,もしこれを残すとしますと,それを規律する場所は,やはり現在の民法総則がふさわしいと思います。これは,もともと現在の民法典が採用しているパンデクテン・システムと法律行為制度が密接につながっているということもありますが,特に日本の民法典が採用しているパンデクテン・システムは,権利を基軸にしたシステムです。総則編も,権利の主体,権利の客体,権利の変動原因としての行為・時の経過という形で構成されています。法律行為に関する規定は,このシステムの中で,権利の変動原因としての人の行為に関する共通の基本原則を定めたものと位置付けられます。民法総則は,このような市民社会に妥当する共通の基本原則を定める場として位置付けることができますし,今後はむしろそのようなものとして維持すべきではないかと思います。法律行為に関する規定も,そのようなものとして総則に定めるべきだと思います。   二点目は,今お話ししたことと重なりますが,基本原則に当たるものはできる限り明確に分かるように明文化すべきであるということです。これは,この部会の一番最初に議論したことですが,今回民法を改正する場合の基本理念の一つは,市民社会の基本法としての民法を市民にとっても分かりやすいものにするというところに求められると思います。このような観点からしますと,基本原則に当たるものは,たとえ法律家にとっては当たり前過ぎるように思えるものであっても,やはり明確に分かるように定めていくことが求められると思います。  したがって,「2 法律行為の効力」についても,詳細版の2頁に挙げられておりますように,法律行為は,この法律その他の法令の規定に従い,意思表示に基づいて,その効力を生じるという基本原則を冒頭に定めるべきだと考えられます。   同じことは,「3 法令の規定と異なる意思表示」についても当てはまります。ここでも,私的自治の原則を基本原則として認めるのであれば,法律行為の当事者が法令と異なる意思を表示したときには,その意思によることを原則として定めた上で,その法令の規定が公序良俗に関するときは,その限りでないというように,何が原則であり,何が例外であるかということを明確に分かるように定めるべきだと思います。   さらに,「4 任意規定と異なる慣習がある場合」については,民法92条と法適用通則法3条の関係は従来から疑義のあるところですけれども,それをそのまま残してしまうのではなくて,やはり改正を要するのではないかと思います。現行法では,法律行為と任意規定・慣習の関係について,基本原則がどのようなものであるのか,明らかではない状態にあるわけです。これは,市民社会の基本法としての民法を市民にとっても分かりやすいものにするという考え方からしますと,ゆゆしき事態だと言うべきでしょう。   考え方の方向としては,詳細版15頁にありますように,より小さな社会単位で積み上げられた慣習があるときには,原則としてそれによる。ただし,その慣習が公序良俗に反するようなものである場合は,その限りではない。さらに,当事者が慣習と異なる意思を表示したと認められるときは,慣習はそれに劣後する。このように,基本原則を目に見える形で明確に定めるということが,取り分け法律行為の通則のように,法体系全体にかかわる部分では特に重要であり,必要であるということを申し上げたいと思います。 ○大村幹事 ただいまの山本幹事の意見に基本的には賛成です。ただ,一点だけ反対のところがありますので,それも含めて意見を述べさせていただきます。   まず,賛成の点です。法律行為という概念についてですけれども,法律行為という概念は我々がなじみ,親しんできた概念であり,様々な行為を説明するのに有用な概念だと思いますので,それを存置するということについては賛成したいと思います。それから,この法律行為に関する基本的なルールを明文化するということについても,必要なのではないかと考えます。それについても賛成いたします。   その上で,具体的な規定をどのように配置するかということについてですけれども,山本幹事は民法総則の存在意義について,お考えをお述べになりました。私も民法総則についての基本的な考え方,民法総則というのが民法の基本原理あるいは基本概念というものを定めるものであるという,そういうものとして位置付けるべきであるという点については賛成ですけれども,ただ,総則にどの程度まで詳しいルールを置くかということについては,なお,検討が必要なのではないかと思っております。法律行為に関する非常に原理性の高い規定は,総則に置かれるのがふさわしいと思いますけれども,契約の規律にかかわる具体的な規定,あるいは本日,後で議論するような意思能力以下の様々な規定をどのように配置するかということについては,規定の内容の問題と別に法典の編成の問題ということで,別途,御議論いただければ幸いです。 ○鎌田部会長 ほかに関連した御発言はございますでしょうか。   それでは,「2 法律行為の効力」から「4 任意規定と異なる慣習がある場合」までについて,御意見をお伺いいたします。御自由に御発言ください。 ○奈須野関係官 頂いている資料の2ページ目の「公序良俗違反の具体化(暴利行為の明文化)」のところでございます。頂いている資料で紹介されている判例でございますけれども,信義則や公序良俗違反,こういった部分の一般条項で保護される案件というのは,特殊な事例がほとんどでございます。ただ,実際の通常の取引というのは普通に行われているわけでございまして,裁判になっているような特殊な事例で適用された判例法理を拡大して,一般条項化するということは,裁判外の通常の取引においても,こういった判例法理が条文として参照されるということになるため,公序良俗違反が増加して,例外が原則化してしまうというおそれがあります。   そのようなことになりますと,契約の都度,交渉時において相手方の状態の確認あるいは交渉方法の適否など,契約が無効となってしまうリスクを検討するということが必要になってしまいますので,非常にコストが高まったり,あるいは取引の迅速性を阻害したり,あるいは自由な経済活動が萎縮するというような事態が想定されるわけでございます。したがいまして,ここで御提案されているような暴利行為を特に事業者間取引に適用するため,規定するということに反対であります。   通常の事業者間取引では,交渉ポジションの優位性を利用するのが通常であります。事業者間において交渉力の格差が全くないというのは,原則として存在しないわけであります。そのような中で,例えば暴利行為ということで高い金利を取るということであれば,特別の法律で規制されているというのが現状でございまして,ここで民法において新たに暴利行為として無効になるようなものというのが一体,現在,法律で記載されているもの以外に何があるのかということについては懸念を持っております。   例えばDIP・ファイナンスにおきましては,債務超過などの財務状態の悪い会社に対して,通常の融資よりも相手方に不利な条件で契約を締結するわけであります。あるいは信用力が低下した取引先に担保を追加的に請求したり,保証金を差し入れさせたりするということも一般的に行われています。これは外形的には相手方の困窮状態を利用すると,困窮状態を利用して利益を得るということにも見えるわけですけれども,このような取引が無効とされるというのは,経済実態に合わないと考えております。   一方で,中小企業保護,消費者保護という観点から,こういった交渉力の格差,情報の格差を不当に利用した取引について,何らかの規律を設けるということの必要性も是認されるわけでございます。そこで,こういった暴利行為について無効といった強い規範的効力を持つ規定ではなくて,例えば情報交渉力格差を利用して図利加害を内容とするような契約をしてはならないといった訓示的な規定を例えば総則の中に置くということを提案したいと思います。このような解釈指針の内容に反するものが無効として規範的効力を持つというのではなくて,個別の紛争の中でこのような条文が参照されて,判例が積み重なっていくということによって,消費者保護であるとか,中小企業保護であるとか,そういったものがなされるということを期待したいと思っております。   そこで,ちょっと長くなってすみませんけれども,どのようなものが保護されるべきかということにつきましても,ここで例示されているような例えば窮迫,窮迫というのはお金が足りないということだと思いますけれども,これは取引においては通常あるということでございますので,保護の必要性は低いと考えております。それから,軽率につきましてもプロ同士の取引でございますので,軽率についても保護する必要はないと考えております。   一方で,保護する必要があると考えられるのは無経験,これは恐らく知識の不足,情報の格差ということに近いと思いますけれども,情報の不足,知識の格差と,こういったものについては保護の必要性が高い。それから,大企業,中小企業の関係のように交渉力の格差,こちらについても保護の必要性が高いと考えております。したがいまして,情報の格差,交渉力の格差を利用して図利加害を内容とする契約をしてはならないと,このような訓示的な規定を設けるということで提案したいと思います。こちらのような内容であれば,経済産業省としては受け入れる用意がございます。 ○大島委員 今の奈須野関係官の発言に関連しまして,商工会議所に寄せられている相談の中には,中小企業の方々が取引先である大企業から不当な減額や支払い代金の遅延など,交渉力の格差を背景とした問題行為が多数寄せられております。交渉力の格差の是正に資するような規定を民法で定めることができればよいのではないかと思います。 ○岡田委員 私も消費者の立場で言いますと,公序良俗違反というのが明確ではないものですから,トラブルの解決の場面ではほとんど使えません。消費者関連業法の中で適合性の原則的規定があることはあるのですが,これも具体性に欠けて実際には使えません。今回の提案ではきめ細かに書いてあって,正にこれは消費者のレベルに合わせているかなと思いまして,こういう形ですと分かりやすいし,更に消費者関連法律でも具体的に入れられるのではないかと思います。 ○西川関係官 ただいまの岡田委員の御意見に賛成でございまして,消費者目線からの今回の民法改正ということから言えば,やはり公序良俗違反を具体化するということは,非常に意義のあることだと思っております。その際には消費者被害の場面における交渉力なり,情報量の格差の実態というのをきちんと踏まえた要件の見直しというのが望ましいと思います。   この要件の見直しをもうちょっと具体的に言えば,著しく過当といった利益の要件については利益率が普通であれば,それこそどんな販売手法でも問題がないとも受け取られかねないわけでございまして,そういう意味では,その要件は採用すべきではないのではないかと。そういう意味で,細かい話ですが,「暴利行為」というネーミング自体も非常にミスリーディングです。暴利でなければいいという意味に誤解されかねないので,法改正を仮に行う場合には,この辺の用語も変更していただいて,例えば状況の濫用とか,そういった用語に見直すということも御検討いただきたいと思っております。 ○鹿野幹事 私も,暴利行為について明文化するということについては,基本的には賛成でございます。従来から,判例・学説上,承認されてきた法理だと思いますし,明確性の観点からこれを明文化することは有益であろうと思います。次に,伝統的な暴利行為の要件を緩和するかどうかということについてですけれども,既に裁判例においても,必ずしも伝統的な要件で当てはまらないような場合についても,公序良俗違反で無効としたものが見られるようになってきておりまして,現代の取引社会に,伝統的な定義が合わなくなっているという面があるのではないかと思います。そういう意味で,柔軟化も含めて,無効とされる要件についての見直しを図るということにも賛成でございます。   ただ,一点,やはりそうはいっても,これは私的自治ないし契約自由の範囲を逸脱している行為をここで無効にするということだと思いますので,要件の立て方については,かなり慎重に検討されるべきだと思います。確かに伝統的な要件のほかに,従属状態,抑圧状態等を含めるということに意味があるとは思うのですが,従属状態,抑圧状態を利用して相手方に不利益な契約を締結させた場合に,それだけで無効になるということでは,余りにも要件が緩やか過ぎると感じます。伝統的な定式が崩れているとはいっても,法律行為の内容と行為態様とを総合して見ると著しく不当で,契約自由の範囲をもはや逸脱していると認められる場合に,その法律行為が無効とされてきたのだと思います。したがって,要件の見直しはされてよいと思うのですが,それが過度に緩やかになり過ぎないようにという点にも気を付けて検討されるべきだと思います。 ○高須幹事 今までの議論で,民法はどういう対象者を念頭に置いて適用関係を考えているのかを改めて考えさせられました。企業間の取引もあれば,あるいはそうでないものも,いろいろある。この法制審議会における議論の中でも,きっとそのこと自体を考えねばならない場面も出てくるとは思っております。そのように思っておりますが,弁護士をやらせていただいている,私どもの実感としては,やはり民法を使うときに企業間の取引だけに限定して民法を使っているという実感は殊更ありません。利息制限法もできました,消費者契約法もできました,そうはいってもやはり民法を使って,目の前に相談に来た人の紛争の解決を図っている,それが実感です。そこでは情報量の格差があったり,交渉力の格差がある。そういうケースは山ほどあって,恐らくあと何十年待っても,その間にどんなに特別法をつくっても,やはり民法を使って解決をするという構図は変わらないのではないかと思っております。   ですから,情報力の格差とか,交渉力の格差とか,そういうものがあれば民法の中で救うということを考えるというのは,言わば民法論の王道という言葉はちょっと不適切かもしれませんが,在るべき姿であって,そのために公序良俗の具体化とか,信義則の具体化とか,そういう問題は本来的には望ましいことではないかと考えております。そういう意味で暴利行為について名称をどうするかは別としても,既に判例が一定限度で認めてきたという状況でもございますので,要件について更に吟味する,効果について更に吟味するといたしましても,前向きに考えるということが大切だろうと,そのように思っております。 ○深山幹事 私も基本的には公序良俗規定を具体化する,明確化するということに賛成をしております。ただ,基本的には,既に指摘もされていますけれども,私的自治の原則の例外としての公序良俗違反による無効ということですから,あまり安易に公序良俗規定が適用されるのも,どちらが原則かということになってしまってよろしくないといえます。そういう意味では明確化する,具体化するとはいっても,直ちにハードルを下げるという意味ではなくて,予測可能性を高めるという意味で明確化,具体化するということだろうと思います。   もちろん,適用される場面が,消費者も含めていろいろな場面がありますから,要件を具体化するというのは難しいとは思うんですが,実務の実感としても公序良俗違反を主張して,裁判で勝ったという経験を持っている弁護士は少ないと思います。裁判所もなかなか認めてくれません。もっと言えば,公序良俗違反を主張するときは負けを覚悟で,最後に駄目もとで言うみたいな感覚もあろうかと思います。そのこと自体は,それが例外的な場合でなければ通るものではないという意味では,基本的に致し方ないのだろうと思っているんです。   ただ,そうはいってももう少し使いやすくというか,適用すべき場合に適用できるような具体的な指針があると,いよいよのときには裁判所も適用してくれるのかなと思います。そういう意味で具体化,明確化を考えていただければと思います。もう一点,先程,事業者間取引に関しては,訓示規定でよろしいのではないかという御意見,御提案がありました。言わんとする趣旨自体はごもっともな面もあるんですが,しかし,言わば伝家の宝刀としてめったに抜けるものではないにしても,伝家の宝刀として存在意義といいますか,効力を持つためには,やはり無効という効力が抜いたときにはあるということでないと,やはり訓示規定ではほとんど意味をなさないのではないかと,抜いてみたら竹光だったということでは,ほとんど使い物にならないと思いますので,ハードルを下げるかどうかは慎重にするにしても,やはり抜いたときには切れるという,無効という効果を付けておく必要があるのではないかなと思っております。 ○藤本関係官 要件の定め方についてでございます。まず,主観的要件として伝統的な要件,例えば知識の不足を追加するというような考え方があるということが示されているわけです。何人かの方が触れられていますように,一般的に事業者と消費者の間には商品役務に係る情報格差というものが存在いたします。そうすると,事業者と消費者との間の取引であるということをもって知識の不足ととらえられて,一般的に公序良俗の問題の対象となり得る,有効,無効の対象となり得るということになるのであれば,それは一つの懸念でございます。   次に,客観的な要件として,著しく過当な利益を獲得する行為というのが伝統的な要件とされているわけですが,これを不当な利益というようなものにしますと,やや量的に過当というものから,やや質的に不当というような判断を要するような,外延が不明確になるようなものになり,一般的に公序良俗の問題として,有効,無効の問題の対象とされ得るということになるという懸念がございます。先ほどの知識の不足というものと不当な利益というものを組み合わせますと,ますます外延が不明確になるということではなかろうかと思います。   奈須野関係官が指摘されたように,判例の蓄積を踏まえ,判例をそのまま条文化する場合であっても,それによって裁判所の要件認定がされやすくなるといったようなこともあろうかと思いますが,それに加えて,それを更に変更して外延が不明確ということになると,取引実務に萎縮効果を与えることとなるとの懸念があるのではないかと思いますので,慎重な検討が必要かと思います。 ○松本委員 二点申し上げたいのですが,一つは(2)のタイトルが「公序良俗違反の具体化」と書かれていながら,暴利行為しか取り上げられていないのはなぜかということです。公序良俗イコール暴利行為とはだれも考えていないと思うので,暴利行為以外の判例が認めてきた公序良俗違反類型の具体化というのは,ここでは検討課題になっていないのかということが一つです。   もう一つ,暴利行為について明文の規定を置くべきだという点については,従来,判例が認めてきたことを条文化すること自体は,特段,問題はないと思うわけですが,それでとどめていいのかというのが実は一番大きな問題になってくるだろうと思います。「不当な利得」とか「過大な利得」という利得要件を残すのがいいのか,利得要件の当てはまらないタイプの問題がとりわけ消費者取引でいっぱい出てきています。それに対応できる一般条項を置く必要があるのではないかと。   つまり,公序良俗という一番大きな一般的な条項の中から,暴利行為という法理が生まれてきた,あるいは公序良俗という概念を手掛かりにして,暴利行為という法理ができたと思うんですが,公序良俗あるいは暴利行為の法理を手掛かりにして,現代的な暴利行為と言われることもありますし,あるいは現代的な公序と言われることもありますが,利得に着眼するのではなくて,契約締結過程の不当性といった部分に着眼をして,法律行為を無効にするような一般法理があってもいいのではないか。端的に言えば,オランダの民法が認めているような状況の濫用というのをもっと正面から,一般条項として置くべきではないかと考えております。 ○野村委員 今,松本委員からも発言があったのですが,公序良俗違反の具体化ということについては,私も基本的にはいいと思います。ただ,明文化するのは,暴利行為に限られるのか,そのほかの類型についても考えるのかということが問題になると思います。もし,特にほかの類型についても明文化を考えるという場合には,それによって,公序良俗違反としてこれまで認められていたことの一部が制約されてしまうということはかえってまずいのではないかと考えます。オープンエンドといいますか,明文化されないものににも,公序良俗違反の規定が適用される余地が残るようなことを考えなくてはいけないのではないかと思っております。   それから,もう一つ,暴利行為については余り勉強していないのでよくわからないのですが,歴史的経緯についても考慮する必要があるのではないかと考えています。すなわち,ローマ法以来のラエシオ・エノルミス(laesio enormis)という制度があって,フランス民法には部分的にそれが存在しているのですが(l?sion),日本の現行の民法はそこをあえて落としたということで,その辺の理由が分かれば,そのことも考慮に入れた上で,その後の社会の変化とか,そのときの判断の是非とか,そういうことをも踏まえて考える必要もあるのではないかと思っております。 ○山本(敬)幹事 暴利行為に関する規定を明文化すべきであるという考え方を私も支持したいと思います。暴利行為で実際に問題とされているのは,契約に限りませんが,一方当事者が本来ならば望まないような,自分に不利な内容の法律行為を押し付けられる場面です。これは,その当事者がその法律行為をするかどうかを決める自由が侵害され,結果として財産や権利が自分の意思によらずに実質的に奪い取られてしまうことを意味します。意思決定過程に関する主観的要素と法律行為の内容に関する客観的要素は,どちらも,その内容への拘束を認めることが自分の財産の処分を自分で決めるという自由の侵害をもたらす点で,共通の基礎を持つと見ることができます。だからこそ,両要素を相関的に衡量して,つまり主観的要素と客観的要素のそれぞれ単独では法律行為の無効を認めるに足りる程度の侵害ではないときでも,他方の侵害の程度を考慮することによって,法律行為の無効を認めることも許されると考えられます。  そして,主観的要素と客観的要素を具体的にどう定めるかということも,このような考え方をふまえて決めるべきだと思います。例えば,先ほどから出ていますように,主観的要素としては,相手方の従属もしくは抑圧状態を利用した場合も,その法律行為をするかどうかについて自由な意思決定が害されることに変わりはありません。したがって,こうした要素もここに明示すべきだと思います。   客観的要素のほうにつきましても,主観的要素と客観的要素の相関的な衡量を認めるべきだとしますと,主観的要素が備わる程度が大きければ大きいほど,当事者が自由に決めたとは言いがたくなってきます。そのような場合は,著しく過当とまでは言えなくても,不当と言える程度の利益を取得することが内容とされていれば,無効としてよいと考えられます。これは,対価が不均衡であるという場合だけではなくて,例えば過量販売がそうですが,不相当に多量の物品を購入させる場合も,含めて考えるべきだと思います。   更に言いますと,そのような財産的な不利益を与えるという場合だけではなくて,先ほどから御指摘もありますように,相手方の権利を害するような場合,例えば転居させるとか,廃業させるような場合,あるいは裁判を受ける権利や立候補する権利などを放棄させるような契約もカバーできるように,客観的要素を整備しておくべきだと思います。その意味で,不利益だけではなく,権利に当たる要素も入れておくのが適当ではないかと思います。 ○山川幹事 労働契約も交渉力格差のある契約の類型の一つだと思いますので,特別法としての労働契約法があるとはいえ,このような条項の適用がある可能性もあると思いますので,条項を入れることは賛成です。ただ,先ほどから出ておりますような要件の問題で,特に主観的要素と客観的要素というのが伝統的な分け方であるとのことなんですが,実は何か主観的要素も更に二つに分けられるような気がしまして,当事者の困窮・従属・抑圧状態,思慮・経験・知識の不足というのは,そのこと自体は客観的な状況のようなことのように思います。   これに対して,検討委員会試案だと「利用して」とありまして,今回の整理だと「乗じて」とありますが,利用するとか乗じてという点で,言わば認識で足りるのかどうかという,主観的な,あるいは内心の問題が入っているような気がいたしまして,他方で,客観的要素と言われる不当な利益とか,給付の不均衡という要素も,そのこと自体は客観的な感じですけれども,そのような結果をあえて意図するとかいうことがあると,主観的なような感じもいたします。仮に不均衡状態の認識だけでということになりますと,鹿野幹事などの御意見がありましたように,客観的な不均衡状態が生ずることを認識した法律行為をすればすべて該当するというようなことになりかねないとすると,非常に広がり過ぎるような感じもありますので,主観的ないし客観的な要素の明確化ないし限定は,やはり必要かなと思っております。 ○木村委員 企業として実務をやっていく上で,公序良俗違反に係る条文の具体化は,予測可能性を高めるという意味において有り難い話であり,その方向性についてはよく分かります。ただ,もう一方で,この条文が現実社会において機能するケースが,一体,どれだけあるのか,要するに,現実に無効と判断される場面は極めてイレギュラーなのではないかという感じがしています。   非常に抑圧された状態で,本当だったら不利益を受けたくないのだけれども,了解せざるを得ないで契約を結んでしまったというような場面であれば,それは別の法律上のいろいろな手立て,強迫だとか,あるいはだまされたのだったら詐欺だとか,そういういろいろな仕組みが民法の中にもありますし,それ以外に消費者契約法の適用もあるわけです。そうすると,この一般条項が世の中でどれだけ機能するのか,救済できる場面があるのかというと,先ほど奈須野関係官が言われましたけれども,例外中の例外みたいな場面となるではないかという気がします。   そうであれば,具体化,一般ルール化して見せるようにすると,それを奇貨として悪用される場面というものが,相当出てくるのではないかという気がします。要件のハードルを安易に下げますと,紛争を引き起こすきっかけになりかねないということを懸念していまして,具体化する場合,それをどう具体化するのかが非常に重要なところで,この辺は相当慎重に吟味しなければいけないと思います。  また,暴利行為に係る伝統的要件について,「著しい」という要件を取ってしまっていいのではないかという議論もありますが,本当にそれでいいのかという疑問もございまして,相当,慎重な議論をお願いしたいということでございます。 ○岡本委員 前回に信義則について申し上げたのと似たような話ではあるんですけれども,公序良俗違反の中から本件のような暴利行為だけを取り上げて規律するといった場合に,それ以外の公序良俗が適用される場面について,かえって希薄化するというか,見えにくくなる,そういう弊害も一方ではあるのではないかと思っておりまして,そういった点についての配慮も必要だろうと思っております。仮に規定するといたしましても,いたずらに適用される範囲が拡大することがないように,要件を厳格にしていただきたいと考えております。 ○大村幹事 今までの皆様の御意見を伺って三点ほど意見ないし感想を申し述べたいと思います。   第一点は,括弧付きの暴利行為が適用される場面についてです。委員の方々の中で消費者取引ですとか,あるいは大企業と中小企業の取引のようなものを想定された方々は,適用の場面はあるであろうという御意見でありましたけれども,他方,企業間取引を想定して考えた場合には,適用される場面はほとんどないであろうし,また,逆に適用されては困るという御意見があったかと思います。   これはどちらもそうなのだろうと思います。暴利行為の規定を作ったとしても,通常の企業取引において,これが適用されるということはそれほどは考えられないのだろうとすると,この規定があっても,それによって取引が妨げられるということにはならないのだろうと思います。深山幹事がおっしゃったかもしれませんけれども,そんなところでこの規定を持ち出すようではもう負けだということは,これまでもそうでしたし,今後もそうなのではないかと思います。しかし,この規定が働く場面があるということは確かであります。働く場面があるということであれば,その場面で有効に使うることができるような規定をセットするということになるのではないかと思います。それ第一点です。   それから,第二点は松本委員をはじめ何人かの方がおっしゃった点ですけれども,公序良俗違反を具体化するというときに,ほかの類型はありはしないかということで,そのこと自体は検討されてもいいことなのではないかと思います。暴利行為というところから出発しておりますので,経済的に過大な利得ということが問題になっているわけですけれども,法律行為によって権利を不当に処分させられるというようなこと,あるいは侵害されるというようなことはございますので,そういうものも想定してルールを置くということは考えられるだろうと思います。ただ,そのときにそれらの別個に,ばらばらに規定していくのか,それとも暴利行為の規範の中に,それらも含み得るような形で立法していくのかというところは,立法上の選択肢として分かれるだろうと思って伺いました。これが第二点です。   それから,第三点はもともとの暴利行為の規定というのがどういうものであったかということについてです。伝統的にはどうかということに触れる御発言が続いたわけですが,大審院の大正9年5月1日という判決が持ち込んだ定式が伝統的な定式とされているわけですけれども,この資料等にも書かれているように,その定式がそのままで現在も通用しているわけではございませんので,一般論としてのみ残っている伝統的な定式から出発するというのではなくて,現在において望ましい規律の仕方を考えることが必要だろうと思います。その際に,これも何人かの委員から御発言があったところですが,いくつかの判断要素をどのように組み合わせていくかという点について,適切な仕組みをつくるという方向で考えていくということではないかと思います。 ○山野目幹事 今,大村幹事がおっしゃった三点のいずれにも賛成です。それで,簡単に一言のみ「著しい」という言葉の使用のことに関して,心配な部分を感じましたから申し上げさせていただきたいと考えます。客観的要素について,過当の利益が著しいものであることを要しないとする考え方の可能性が問題提起されていますが,そのことについて申し上げますと,法文を起草する際のこの種の文言の使用については,取り立てて注意を要する点があるのではないかと考えます。   「著しい」という言葉が添えられるかどうかにより,法制執務的には相当にニュアンスが異なってくる部分がございます。この「著しい」という言葉が添えられるということになりますと,その規定はかなり限定して適用されるべきであるという立法者のメッセージを表現するものになりかねません。それでいて,ハードルを上げるとか下げるとかいうことを何人かの方がおっしゃったのですが,ハードルが上がったのか下がったのかよく分からないまま,話の決着がついてしまったり,それから,予測可能性ということも論じられましたが,「著しい」を入れると予測可能性が上がるかというと,そういう保障もないわけでありまして,この言葉に逃げ込んで問題の処置をしていただくということについては,非常な危惧を抱くところがございます。 ○岡委員 今の「著しい」の言葉のところですが,弁護士会としては圧倒的多数が「著しい」要件は削ってほしい,削る案に賛成だという意見でございました。「著しい」が入るだけで,そこだけでネックになることもよくありますので,ほかの先生がおっしゃった利用だとか,乗じてだとか,そういうところについての工夫は必要だろうと思いますけれども,客観的な要素のところの「著しい」という文言については,弁護士会としては削除の方向に賛成でございます。 ○中井委員 ほとんど意見が出尽くしたようですが,弁護士会としては基本的にこれまでの判例や学説を具体化していく方向に賛成です。それ以外に松本委員若しくは大村幹事からの御発言がありましたけれども,利益のない場面で,本来,法律上の権利が行使できるのに,ある合意をすることによって,その法律上の権利の行使ができなくなるような場面,例えば,労働契約の場面で産前産後の休暇が一定の仕組みを作ることによって現実には取れないようにする合意であったり,組合からの契約,脱退の自由があるにもかかわらず,脱退の自由を事実上,制限するような合意について,公序というところで無効化しているかと思います。したがって,暴利行為ではない場面でのいわゆる公序良俗違反の具体化というのでしょうか,このあたりについて検討課題としては明記されていませんので,更に検討する必要があるのではないかと思います。 ○内田委員 裁判例の事実認識について,一言だけ補足をしたいと思います。先ほど木村委員から暴利行為が使われるなんていうのは極めて例外的な,特異な事例ではないかという御指摘があり,また,奈須野関係官からもその御意見の背後にはそういう認識があったのではないかと思います。ただ,最上級審判例については,適用事例が必ずしも多くないということは指摘されておりますが,下級審については,検索するとかなりの数の暴利行為に関する裁判例が出てきます。暴利行為が主張されている事例は非常に多くて,かなり頻繁に主張されている,また,それを認容して法律行為を無効とした裁判例も相当数あります。比較的最近では弁護士報酬についての合意を暴利行為として無効とするというようなものもあります。いろいろな事例がございますので,一般的なイメージとして持たれているような,例外的な法理というわけでは現実には必ずしもないということだけ指摘させていただきます。 ○鎌田部会長 暴利行為をめぐる論点はかなり明確になったと思いますが,それ以外の91条,92条に関連する御意見がございましたら,お出しいただければと思います。 ○岡田委員 強行規定については,条文上もろに強行規定と出てきていないものですから,すごく分かりにくいのが一つと,消費者関連ですと業法で禁止条項というのがありますが,業法の禁止条項と民法の強行規定との関係もよく分からないものですから,是非,条文の中で強行規定というのを具体的に書いていただきたいと思います。   それから,その前の「事項を目的とする」という公序良俗のこの文言も是非取っていただきたいと思います。消費者契約においては契約の目的というより,そこに至るまでの過程が重要なものですから,この文言は是非再検討願いたいと思います。 ○中田委員 強行規定と慣習について一つずつ申したいと思います。   強行規定についてのルール,明示的な規定を置くということに賛成です。また,法律行為は原則として有効であって,その例外として無効になるんだという規定を置くことにも賛成です。ただ,実際には具体的にどの規定が強行規定であって,どの規定が強行規定でないかということの見分け方が重要だという指摘もあります。もっとも,民法の中のすべての規定についてふるい分けをすることは困難ですし,仮にできたとしても,それを現時点で固定化することについては,将来の発展を縛るということにもなって,それも必ずしも適当ではないと思います。そうしますと,強行規定であることが明確なものと,任意規定であることが明確なものと,それぞれについて,ガイドラインなり,表現を工夫しながら,ある程度,実務に役に立つような具体的な基準を示すということも,併せて考えたらいいのではないかと思います。   次に慣習との関係ですけれども,現在の規定は極めて分かりにくいものです。民法92条と法適用通則法3条との関係の問題のほかに任意規定と慣習について申しますと,どちらが優先するかという話と,それから契約解釈の資料として慣習をどう考慮するのかという問題等もありまして,非常に分かりにくくなっております。資料の中で大正10年の大審院判決を引いておられますけれども,これは契約解釈についての判例だったと思いますが,この判例があるにしても,やはり現状は非常に分かりにくいので明確にしたほうがよいと思います。 ○筒井幹事 連合の新谷委員から,任意規定と異なる慣習がある場合について,事前に発言メモが提出されていますので,それを読み上げる形で紹介いたします。   検討事項(7)の「第1 法律行為に関する通則」「4 任意規定と異なる慣習がある場合(民法第92条)」では,慣習の効力について検討することとされている。労働組合としては,現場で混乱が生じないよう,現行条文を維持するか,改正する場合でも「結果の妥当性の確保」をお願いしたい,とのことです。   その理由を読み上げます。   まず,アの「労働関係における民法第92条をめぐる論点」ですが,労働関係においては,@労働者にとって有利でない就業規則の定め,及び,A労使慣行が,民法92条により,契約内容となるかが重要な論点である。   次に,イの「就業規則の効力」ですが,秋北バス事件の最高裁大法廷判決は,民法第92条を根拠に,内容の合理性を要件として就業規則の法的効力を肯定したが,その後に制定された労働契約法は,労働者に有利でない就業規則の法的効力を従来の判例法理よりも限定している。民法第92条の修正を契機とし,例えば,就業規則作成義務のない労働者10人未満の事業場で作成された規則類,及び,労基法と労働契約法所定の要件を充足しない「就業規則」に関して,「慣習による意思」を不要とする緩和された要件のもとで,「慣習」として,法的効力を肯定する解釈を招くのではないかと危惧している。   次に,ウの「労使慣行の効力」ですが,労使慣行は,労働者に有利なものもあるが不利なものもあるが,労働者の「慣習による意思」なしに効力が肯定されることを懸念している。   次に,エの「権利義務関係における合意原則」ですが,権利義務の内容は合意により設定・変更されるのが原則であり,労働関係においても同様である(労働契約法第1条)。「原則として,慣習と異なる任意規定があるか否かを問わず慣習があれば慣習に従い,例外として,当該慣習が公序良俗に反するとき及び当事者がその慣習と異なる意思を表示したと認められるときには,慣習の効力は認められないとする」として,現行条文中の「慣習による意思」を削除することは,合意原則を後退させる懸念がある。 ○岡委員 二点,申し上げます。   一点目は今の慣習のところで,弁護士会でも議論をいたしました。それで,一部には慣習が任意規定に優先するという意見もございましたけれども,どういう慣習が具体的に任意規定に違反するものとして想定されるんだという議論に至ると,なかなか具体例を出せる人がいませんでした。そういうところから,やはり意思を推定するという現行法の条文のほうがよいのではないか,あるいは現行法を変えるに足りる説得的な理由がないということで,弁護士会としては現行法の見直しをしない方向が多数意見でございました。ただ,今,申し上げたように,こういう慣習が任意法規に優先して,具体的にいいんだよという具体的な立法事実の説明があれば,また,意見が変わるかもしれませんが,弁護士会の議論では,そういうものが見当たりませんでした。その御報告でございます。   それから,2の(1)の関連論点のところでございますが,法律行為の形式的な定義規定を設けるべきか否かという論点についても,弁護士会で議論をいたしました。福岡弁護士会のほうからは,山本先生がおっしゃったように,分かりやすい規定を置くべきであるという積極的な意見も出ましたけれども,愛知県とか横浜のほうからは,本当にいいものができるのと,いろいろ考えて細かくなり過ぎて,余計,分かりにくくなるのではないかという意味での消極意見がかなり出されました。しかし,消極意見も今のように本当にいいものができるかという観点の消極意見ですので,是非,中間論点整理のときには前向きに置くとしたら,こういうものがいいという具体的な提案を出していただいて,それで議論したい,検討したいというのが弁護士会の方向性でございました。結論として両説があるけれども,是非,具体的案を中間論点で見せていただきたいという方向でございます。 ○松本委員 岡田委員がおっしゃった強行規定と任意規定のいずれかが分かるようにしてほしいという御意見に大変賛同するんです。今回,債権法を全面的に見直そうというわけですから,債権法に限ってでも,1条ごとに,これはどっちでしょうかねという議論をやってもいいのではないかと。つまり,今回の改正のねらいの一つは読んで分かる民法にしようということですが,現状だと読んでも分からないんですよね。知りたければ裁判をやってくださいという話で,ある意味で非常に不安定な状況があると思います。   少なくとも契約各則の部分ぐらいは仕分けをする必要があるだろうし,更に債権総論はかなり強行的な規定が多いような気がするのだけれども,結構,代位のところなんかは合意でもってどんどん処理されているところもありますから,その辺,現時点においてこうだというのが出せれば出すべきだろうし,これに反する合意は効力を有しないということをはっきり民法に書ければ大変分かりやすい。ただし,当事者がどういう関係かによって強行法規になったり,任意法規にもなったりするという理論をもし採るのであれば,今,言ったようなことはできないということになると思うんですが。特に典型契約におけるいろいろな条文の性質をどう見るのか,あるいは債権総論の規定の性質をどう見るのかというかなり大きな話かと思います。 ○大村幹事 今の松本委員あるいは先ほどの中田委員の御発言との関係で,強行規定に反する法律行為の効力に関する条文をどうするかということについて述べさせていただきます。従前,このことを直接定める規定はなかったわけですので,これを規定として置くということは,ルールの分かりやすさという点からは,結構なことなのではないかと思っております。91条との関係で置くということですけれども,規定の仕方としてはそれでも結構だろうと思います。従前は91条の反対解釈から導くのか,90条の勿論解釈で導くのかという議論がありましたけれども,規定をどこに置くにしても,どちらからでも説明は可能だろうと思います。それがまず第一点です。   それから,第二点は強行規定であるものを強行規定だと書くか書かないか,あるいは書けるか書けないかという問題についてです。中田委員の御発言の中には,明らかに任意規定だというものが一方にあるだろうし,他方で明らかに強行規定だというものはあるだろうけれども,その間で必ずしもどちらであるかが明らかでないものがあるというような含みがあると思って聞きました。松本委員の御発言もそのことを否定される御趣旨ではないのだろうと思います。書けるものならば,これは強行規定だと書いてもよいのではないかと,各則に個別に書いてもよいのではないかと思いますけれども,それにしても,すべての規定についてそう書けるかどうかという問題はあるだろうと思います。   現行民法の起草過程においても,強行規定に当たるものは全部書き出したらどうかということが一時,検討されたということが最近になってまた指摘されておりますけれども,最後のところでどうも無理だということになったのではないかと思います。ですから,できるかできないのかという問題はあるだろうと思いますそれから,明らかに強行規定だというものを書き出すことはできると思いますけれども,それによって残りが任意規定だという解釈が導かれるのは望ましいことではないので,そのあたりの工夫も必要なのではないかと思います。 ○中井委員 民法の規定を今のように強行規定と任意規定に切り分けをしていく方向性は,十分,検討できると思うのです。それに関連して弁護士会の中ででた議論ですが,取締法規に違反する合意は,直ちに私法上の効力に影響を及ぼさないという理由で簡単に有効とされている場面が多々あるが,取締法規であっても公序良俗に関する規定がありますから,強行規定として,それに反する合意は効力を持たないはずです。とすると,民法の定める規定については,個々に検討して書き出すことができますけれども,その他の取締法規,公法上の規律について一々定めることは不可能でしょうから,それをどのような形で民法上に取り込めるのか,包括的に定めることができるのか,同時に検討する必要があると思います。 ○木村委員 この91条の問題については,任意規定であることを明確に分かるようにしてもらいたいというのが我々使う側の要望です。ボアソナード民法の時代は,それぞれ条文に別段の意思表示がない限りとか,任意規定か否かが分かるように書いていたということも聞いているので,何らかの工夫で明確にできれば良いと感じています。   それから,素朴な疑問ですが,今の中井委員の話に通ずるのかもしれませんけれども,民法91条には,「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したとき」と規定されています。この法令中の法令という文言は,要するに私的自治の関係するような法令だけではなく,すべての法令の話をしているものと思います。そうであれば,世の中には法令遵守という言葉があるぐらいでございまして,一般の人から見ると法令は守ってしかるべき話であって,私人が私人同士で,これは守らず別のルールをつくってしまうという任意規定は,むしろ極めて限られた世界,法令という意味においてはですが,限られた世界の話なのではないかと考えます。そうすると,むしろ現在の条文の書き方のほうが原則と例外を示しているということで,すんなりいくのではないかと感じています。これは素朴な話にすぎないのですが。 ○沖野幹事 任意規定と強行規定に関しまして,強行規定についての一般的な規定を設けるのが適切であるという点には賛成をしたいと思いますし,また,個別の規定が任意規定であるか,強行規定であるかが極力明確になるのが望ましいというのも,一般論としてはそのとおりだと思います。それで,ただ,その切り分けが難しいということも確かでございまして,その点について一点,追加的に申し述べたいと思います。   任意規定か,強行規定かというときに,その規定内容と異なる意思表示や合意を許容するかどうかという点で考えると,任意規定か,強行規定か,画一的に二分されるようでございますけれども,仮に異なる合意ができるとしても,どこまでの異なる合意が許容されるのか,およそ一律に排除することが許されるのか,それとも合理的な代替措置をとるならば,排除することは許されるのかといった幅というものも,どうしても出てまいります。ですので,強行規定か,任意規定かということ自体を検討する際に,違う内容の合意を許容するかということとともに,許容する場合にもなお制約があるものとそうでないものがあって一律に考えられるものでもないということも,念頭に置く必要があるだろうと思います。 ○山川幹事 民法92条に関してでもよろしいでしょうか。先ほどの新谷委員の発言メモに関してですが,一つは就業規則について,例えば就業規則作成義務のない労働者10人未満の事業場で作成された就業規則ですが,これは労働契約法の適用があるという解釈も十分可能と思いますので,就業規則に関しては労働契約法の適用ないし類推適用の問題として,ある程度は対処できるかと思います。   他方で労使慣行について,これが民法92条を適用する場合ですが,ここは新谷委員の発言メモのように,労働者に有利なもの,不利なもの,双方がありまして,例えばですけれども,労働すべき時間に労働していないにもかかわらず,賃金を払うという慣行があったような場合,例えば入浴していても賃金を払うという慣行が現場では承認されていた場合で,現場の管理職は言わば黙認していたものの,本社はこれに賛成はしていなかったという事案が結構ありまして,そこでは同種の事実の反復のほかに,決定権限のある者が規範として承認していたというような要件を課している裁判例が,下級審ですがかなりあります。   そうしますと,こうした裁判例では,慣行によるべき意思があるという要件がかなり働いてきているような気がいたしまして,労働者に有利な場合と不利な場合と確かに両方あるのですけれども,労働関係におきましては,いずれもやや影響を受けるのかなと思います。それも労働契約法に特則をつくればよいかという別の次元の対応も考えられますけれども,いずれにしても,意思の推定を超えるというような案によりますと,いろいろ影響はあるのではないか,そういう印象を今のところ抱いております。 ○道垣内幹事 沖野幹事がおっしゃったことというのは,実は信託法の改正のとき,ないしは改正後に大きく問題となっている点でございます。例えば民法の中の委任契約に関しまして,受任者が善良な管理者の注意を負って,委任事務を処理しなければならないということを強行規定であると規定をしたとしたときに,それでは,善管注意義務を軽減する特約を置いたときにはどうなるのか,ということがまず問題です。それは委任契約でないというだけであって,当事者が別の趣旨の合意をしていたら,そのような合意内容をもつ契約として効力を有するということになりかねないわけですね。   信託法の場合には,例えば善管注意義務規定が強行規定であるということになりますと,信託であるが故に与えられている特殊な効果,例えば倒産隔離効が発生せず,民法の非典型契約にしかならないということになりますので,まだ,それは意味があるのですけれども,非典型契約一般で合意の効力一般を認めるという法制度をとったときに,ある規定を強行規定とするということの意味いかんは,かなり難しい問題であろうと思います。借地借家法とかがもちろん強行規定を決めているのは確かなんですが,それは賃貸借契約に該当するか否かという性質決定を外出しにして,その要件を定め,当該要件に該当するものについては,ある規定が強行規定となるとすること,つまり性質決定を恐らく規定の適用の前段階に持っていっている。だから強行規定とすることが技術的に可能になっているんだと思うんですね。   しかし,本当は実はそれだって常にそうできるかというのは微妙で,借地借家法に反する規定があったときに,賃貸借ではないというふうに言えばどうなるのかという問題は残ってくるような気がいたします。したがって,もちろん,強行規定と任意規定というものを分かりやすくして,例えば別段の定めがあるときにはこれによる,と書くと努めるということはよろしいのだろうと思いますけれども,そう実は簡単ではないと思うということを一点,申し上げておきたいと思います。 ○潮見幹事 別のところに戻って恐縮です。慣習の効力について発言させてください。   申し上げたいのは三点でして,一点目は,私も現行の民法92条のような形ではなくて,慣習があればその慣習に従うというルールを設けるべきであると感じているということです。その理由は,事務局で用意されたものとほぼ同じです。   二点目は,そういう慣習があれば慣習に従うというルールを基本的に採用した場合でも,やはり御懸念もありますから,これも事務局の資料のところには記載がありますが,公序良俗に反し,あるいは強行規定に違反する慣習は別だということは明確にルールにしていただきたいということです。   三点目は,慣習があればその慣習に従うということにしたら,一見するとどのような慣習でも,その慣習が優先するのではないかというようなことにもなりかねませんので,例えばヨーロッパ契約原則やウィーン国連動産売買条約でされているように,合意した慣習及び当事者間で確立した慣行とか,あるいは何かそれに代わるような形で限定を付すということも,少し御検討を頂ければと思います。 ○松本委員 沖野幹事の御指摘はかなり当たっていると思うんですが,もしそうだとすると,民法の91条をもう少し分かりやすく,強行規定に反する合意は無効だとかいうのを置いたとしても,あまり意味がないのではないか。つまり,ある合意が有効になるかならないかは,それに関連する民法の特定の条文と同じかどうか,どれだけ離れているか,あるいは当事者がどういう関係であったかといった様々な要素を考慮して,有効と認められる場合もあるし,無効とされる場合もあるということにすぎなくなってきて,強行規定だと言ったところで,そこから一義的に答えが出てこないということになるかと思います。そうすると,91条をちょっと衣直しするというようなものではなくて,もう少し別の一般条項を立てるというのが正しい措置かなという印象を持ちました。 ○中井委員 行きつ戻りつで大変申し訳ないのですが,慣習と任意規定のことです。岡委員,山川幹事,そして潮見幹事から御発言があったのですが,弁護士会としては,慣習が常に任意規定に優先するという考え方に不安があります。今,潮見幹事から回答があったのかもしれませんけれども,慣習というものの範囲,規範について,必ずしも明確性に欠けるのではないか,そこで,一定の制約を課すというか,限定することによって,その不安は払拭されるのかもしれませんけれども,第一の問題はその点です。   第二は,公序良俗に違反する慣習は,公序良俗が優先し,慣習の効力を認めないという考え方は分かりますが,公序良俗には違反しないけれども,不合理な慣習,必ずしも公正とは言えない慣習がある。これが任意規定に優先してしまうのが果たして妥当なのかという素朴な疑問があります。そうだとすると,慣習による意思というものを介在させたほうがより安定しないのかという考え方が弁護士会の意見として相対的に多かったように思います。ただし,大阪弁護士会は,慣習が任意規定に優先するという考え方に賛成という意見でした。 ○鎌田部会長 おおむね議論は出尽くしたような感じでございますので,今日,ちょうだいしました御意見を踏まえて,次のステップに進ませていただきたいと思いますが,公序良俗違反の具体化の中で,暴利行為以外のものが取り上げられていないという点につきましても,これまでの資料の作成と同じで,これまでに具体的に提案されたものに基づいて資料を作成しているわけでございまして,それ以外の新しい類型について,事務局で創設的に案をつくれと言われても,ちょっと困るところがございますので,御提案者の側で具体的な内容を御提示いただければ,今後の作業が進めやすくなると思いますので,よろしくお願いいたします。   続きまして,部会資料12−1の3ページ及び4ページの「第2 意思能力」について御審議いただきます。まず,事務当局に説明してもらいます。 ○菱川関係官 意思能力を欠く状態で行われた法律行為の効力が否定されるべきことは,判例・学説上,異論がないところですが,現行民法はその旨を明らかにする規定を置いておりません。この点については高齢化等の進む社会状況の下で,意思能力の有無をめぐる法的紛争が現実的にも少なくないことを踏まえ,新たに規定を設けるべきであるという考え方がありますので,「第2 意思能力」において規定を置くことの要否と,規定する場合の要件及び効果について御意見を頂きたいと考えております。また,関連論点として日常生活に関する行為についての特則の問題を取り上げました。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明がありました「第2 意思能力」の「1 要件」及び「2 効果」につきまして一括して御意見を伺いたいと思います。御自由に御発言ください。 ○岡委員 順番に沿って申し上げたいと思います。   まず,「事理を弁識する能力」と「法律行為をすることの意味を弁識する能力」の問題でございますが,弁護士会で話をしてよく分からない,もし質問に答えてくれるのであれば,回答いただきたいというのがございました。   二つあります。一つは「事理を弁識する能力」と「法律行為をすることの意味を弁識する能力」は違うのか,同じことの表現を変えただけなのか,そこについての意図といいますか,それを是非お伺いしたいというのが一点でございます。第2点は,「法律行為をすることの意味を弁識する能力」という言葉に変えた場合,売買をするときの意思無能力と贈与をするときの意思無能力で違ってくるのか。「事理を弁識する能力」という言葉だと,売買のときでも贈与のときでも遺言のときでも,何かフラットなイメージがするんですが,法律行為という言葉に変えると,その都度,その都度,難しい法律行為の場合にはハードルを高くするとか,そういう操作が可能になるように思うんですが,そのようなことを意図しているのかどうかについて御回答いただければと思います。   次に,意思能力を欠く状態になった原因に問題がある場合,これについてはすべての弁護士会が,こんなレアケースについて条文は不要ではないかという意見でした。日常生活に関する行為の特則については,圧倒的多数の弁護士会は反対,特則を設ける必要はないという意見でした。効果につきましては,無効のままでよいという意見が圧倒的に多くございました。日常生活の特則と効果については少数意見がございましたけれども,多数は特則は不要,行為は無効という意見でございました。 ○山本(敬)幹事 ここで私が発言すべきかどうかという問題はあるのですが,最初に御質問しておられました「事理を弁識する能力」と「法律行為をすることの意味を弁識する能力」の間にどのような違いがあるかという点について,私の理解しているところを申し上げたいと思います。   この点については,資料,取り分け詳細版の中にも少し触れられているところですけれども,そこに書かれていないことを付け加えますと,「事理を弁識する能力」というのは,もともと人の行為一般を想定して,そもそもそのような人の行為に当たるものをしたというために必要な能力は何かということを問うものだと考えられます。これによりますと,およそ人の行為に当たるものをしたというためには,大体何歳程度の知能が必要だったのか,5歳か6歳か7歳かというような形で,客観的・絶対的な基準が立てられることになってくると思います。  それに対して,意思能力で問題となっているのは,そのような行為一般でなくて,契約,それもいろいろなタイプのものがありますが,そうした様々な種類の法律行為を自らしたと言えるかどうかです。そこでは,そのような各種の法律行為ごとに,その種の法律行為を自らしたと言えるために必要な能力はどのようなものかいうことが問われることになります。実際,これまでの裁判例を見ましても,意思能力の基準は,行為の種類によって違ってくる可能性があることがうかがわれます。例えば,少額の借金をする場合と高額の借金をする場合,さらに担保として抵当権を設定する場合,あるいはもっと複雑な譲渡担保権を設定するような場合などなどで,そのような行為の意味を弁識する能力も違ってくる結果,意思能力の有無も違ってくるわけです。  このような要請を受け止めるためには,意思能力の意味は,「事理を弁識する能力」ではなくて,「法律行為をすることの意味を弁識する能力」という形で定めるのが望ましいのではないかというのが,私の理解です。 ○鹿野幹事 まず,意思能力に関する法理については,これも当然のことだとして従来から承認されてきたことでありますし,その当然の法理を明文化するということについては賛成です。その上で,意思能力の定義について,事理弁識能力と異なった概念を使うかどうかということについてですけれども,これについては,私も,山本幹事が今おっしゃったのと,基本的には同じような理解をしております。つまり,制限行為能力については「事理を弁識する能力」という文言が条文上用いられているのですが,これは行為能力の制限にかかわる審判をなす際の基準であって,その一般的な判断基準がここに設けられているのだろうと思います。   これに対して,意思能力については,当該具体的な法律行為との関連で,その法律行為の意味を理解する能力があったのかどうかということが問題にされるという点で,行為能力の場合と違いがあるのだと思います。つまり,意思能力は,問題となっている当該法律行為との関連で判断されるところの相対的な概念としてとらえることができるのではないかと私は考えてきましたし,実際,山本幹事も先ほどおっしゃいましたように,裁判例でもそのように,いかなる法律行為が問題となっているのかに照らして意思無能力による無効の主張の当否を判断していると見受けられるものが多々あると,理解してきました。ということで,これにつき,事理弁識能力という概念ではなく,ここに書かれておりますように,「法律行為をすることの意味を弁識する能力」という概念を用いるということについて,賛成でございます。   しかし他方,日常生活に関する行為の特則を設けるかどうかということについては,反対です。今申しました意思能力概念の相対性ということとも関わるかもしれませんが,制限行為能力者であっても,日常生活に関して例えばパンとか牛乳を買うという場合については,その行為の意味は理解できることも多いのではないかと思われ,したがってそのような行為について,意思無能力の故に無効とされることは少ないのではないかと思います。ですが,逆にそのような能力すら欠けているという場合については,これはもはや実質的な意味で意思表示があったとは言えないような場合ですから,その場合にはやはり無効の主張を認めるべきではないかと思います。   次に,効果についてですけれども,確かに従来から,意思無能力による無効は,意思能力を欠く状態で意思表示をした表意者の側だけが無効を主張できるという意味で,相対的な無効なのだと言われてきましたし,そのこと自体は私も支持したいと思います。しかし,それを理由にこの場合の効果を取消しにするということには反対です。取消しにすると,主張権者以外で別の意味合いが加わってきますし,特に,取消しにすると取消権の期間制限に服することになりますが,それは,意思能力を欠く状態において外形的に意思表示をしたところの表意者の保護を低下させることにつながると思います。また,先ほども申しましたように,これはそもそも実質的には意思表示に当たるものが存在しないような場面だろうと思いますので,このような期間制限にかけるべきではないと思います。このような理由から,取消しにすることには反対です。 ○岡田委員 意思能力に関しましては,やはり個々の法律行為に関しての意味を理解することであってほしいと思います。また日常生活に関する行為について先ほどパンを買うとかいうお話が出ましたが,毎日毎日の食料品を買うだけなのか,それ以外の日常生活に関する行為,例えば実際には布団だとか浄水器だとか,そういう契約のトラブルがとても多いのですが,そういうのは含まないのかによって,全然違ってくるかと思いますが,成年後見制の中で日常生活に関する行為については,被後見人も単独でできることになっていますが,現場では大変苦労されていると聞いています。また消費者問題でいいますと成年後見人が付く割合が大変少なく,明らかに付かなければいけないレベルなのに,一人で生活しているという人が多いものですから提案にあるように確定的に有効というのは是非やめていただきたいと思います。   また効果についてですが,相対的に無効ということは理論的には理解できるのですが,もともと契約自体が判断力がないことから成立していないものを無効ではなくて取消しにしてしまうというのは,どうしても私たちにはもう一つすとんと落ちません。やはり取消しにすることによっての弊害がこの場では浮かばないのですが起きるのではないかと不安がありますので,現状でいいのではないと思います。 ○深山幹事 意思能力をどう定義付けるかということ関連して,私自身の理解としては従来の「事理を弁識する能力」をイメージして,例えば一定の手続によって行為能力を制限する対象となるような,そういうときに想定される能力をイメージをして,勉強したような気がいたします。そのことと,一番最初に山本先生が御説明されたように,行為ごとにレベルの違う能力を問題にする場面というのは,これはこれであるんだと思うんですが,それをどうも同じ意思能力という言葉で説明をする,あるいは規律することにちょっと無理があるのではないかなと。   そういう意味でいうと,意思能力というのは事理を弁識するような一定の能力があるという,物事が分かるということを意思能力というのであれば,それとは別の概念で法律行為ごとに,それを理解する能力があったかなかったか,なかったにもかかわらず法律行為をした場合に,それを無効なり取消しなりという効果を与えるかどうかということをやはり分けて議論をしないとまずいのではないかなと思います。非常に複雑な,例えばデリバティブ取引といわれるような非常に複雑な契約,私もよく分からない部分が多いですが,そういう非常に専門的であったり,複雑な契約ということになると,私を含めてここにいらっしゃる先生の中にも,あるいは意思無能力と判定されるようなことにもなりはしないかと。意思能力という言葉を使われると,それは違うだろうと思うんですが,ただ,理解する能力がないのではないですかと言われれば,それはそうだという気がいたします。ですから,そこは行為ごとに,その行為を理解できるかどうかということを基準に法律効果を考えるという問題と,分けて考える必要があるのではないかと,こんな気がいたしております。 ○松本委員 今の深山幹事の御意見と同じようなことを私も言おうかなと思っていました。つまり,「法律行為をすることの意味を弁識する能力」という表現に置き換えて,かつ当該法律行為,あるいはこの特定の契約について深く理解をしていて,自由な意思判断ができることなどと言ってしまうと,一般的な意思能力という意味とはかなり違ってくるわけですね。そういうルールがあること自体は最近の様々な悪質商法,金融被害等の救済にとっては大変都合のいいことなので,そういうルールを作りましょうという提案を,一定の政策判断として入れるというのはあり得ると思います。ただし,意思能力という理論を借りた形で入れるのがいいのか,もう少しほかの法理,たとえば情報提供義務だとか,あるいは状況の濫用だとかで処理すべきものなのかという点は,議論する必要があると思うんですね。   そうしますと,あまり個別の当該法律行為の細かいところまで理解できていて,意味が分かっているという意味ではないところの意思能力という次元,もう少し前の段階で考えるとなると,事理弁識能力と言われていることと,どれぐらい違いが出てくるのか。金融取引であれば,これは一種のばくちだから損をすることもありますし,得をすることもありますよ,それでよろしいですか。はいと。このレベルでいいということであれば,そんな複雑なデリバティブの仕組み,メカニズムを分かっていなくても意思能力ありということなのでしょう。意思能力をあまり断片化することは適切な考えではないと思いますから,事理弁識能力をもう少し段階化するにしても,意思能力をもう少し大ざっぱなレベルにしておかないと,意図しない使われ方になるのではないかと思います。 ○藤本関係官 今まで議論されたものとはちょっと違う一般的な意思能力のほうの話になるかもしれませんが,一般的なあるいは通常の意思能力について具体的に問題となったり,争いとなるのは,ずっと意思能力が欠けた状態というよりも,意思表示などの行為をしたときに,一時的に意思能力が欠けていたかどうかということではないかと思われます。ところが,そういう意思表示を受けた側としますと,一時的にその人がそういう状態にあったかどうかというのは,なかなか判断が付かない面がありますので,取引の安全という観点という要素も含めて御検討いただければと思います。 ○潮見幹事 四点ほど申し上げさせていただきます。   一点目は,先ほどから問題になっている意思能力をどのような能力としてとらえるかにかかわることですが,私自身は法律行為をする能力でいいと思っているのですが,もしこれを事理弁識能力というような深山幹事がおっしゃったような形で仮に立てるのであれば,規定の位置がここでいいのかという問題も出てくるのではないかと思います。民法総則のところには行為能力の制度もありますので,規定の位置取りも含めて検討をすべきではないかと思っています。これが一点目です。   二点目は,先ほど意思能力の効果の話が出ておりましたが,無効ということをおっしゃっておられる委員の方々も,ここでの無効が絶対的無効であるという理解は恐らくされていないのではないかと思います。ただ,そのときに,結局,相対的無効か,取消しかといった場合に,基本的に無効と取消しという制度をどのように仕組むかというところにもかかわってくるわけで,また,無効と取消しはこれから議論されると思いますので,それを見てから判断してもいいのではないかと思っています。これが二点目です。   三点目は,今のところにかかわりますけれども,仮に意思能力を欠く者の行為を無効と考え,しかも相対的無効と考えた場合には,無効の主張権者というものをどのようにすべきかという問題があります。これも無効と取消しのところで問題になると思いますので,そのときにまた議論を詰めればいいことではないのかなと感じているところです。無効か取消しかというのは,一見すると,ある一定の哲学的な観点から何か効果が出てきそうだというようなイメージがあるのですが,結局は政策的な判断にかなりかかわってくるところもあろうと思いますので,ちょっと発言をさせていただきました。   それから,四点目は,日常生活に関する行為の特則の部分なのですが,一点だけ気になりますのは,検討委員会試案のコメントに付いていたと思いますが,日常の生活に関する行為を当事者を別として数々繰り返して行うといった場合に,日常生活に関する行為の特則という形でこの規定を設けたとき,もちろん,これは別の制度,ルールで対処するという可能性はあるのでしょうけれども,果たしてそういうのでいいのかということが,問題としては残っているのではないかと思います。その部分は,少し慎重に検討をされたほうがよいと思います。 ○村上委員 意思無能力の効果を取消しにするかという点に関してですが,仮に取消しとした場合には,取消権の行使の在り方について,もう少し具体的なシミュレーションをしておくことが望ましいのではないかと思います。例えば意思無能力の状態のままで取消権を行使するということは恐らくできないでしょうから,意思無能力の状態がそのままずっと続く場合にどうするのかという問題があります。また,遺言について意思無能力が問題とされているが,遺言者が取り消さないまま死亡した場合に,その取消権の行使はどうなるのだろうかという問題があります。例えば取消権は相続されるのか,相続人が複数いるときに,相続人の各自が取消権を行使できるのか,それとも共同でなければ行使できないのか,あるいは取消しの意思表示はだれに対してすることになるのかというような問題です。こういった問題についてシミュレーションした上で,それがだれにでも分かるよう明確にルール化できているかという観点から,なお検討が必要かと思います。 ○中田委員 私も意思無能力の効果についてなのですが,結論的には無効として,相対的無効であることは解釈にゆだねるということでよろしいのではないかと思います。これは潮見幹事がおっしゃったように哲学的な問題なのかどうか,よく分かりませんが,理論的な面と実際面と両方あると思います。  理論的な面としましては,そもそも私的自治とか意思自治とか,自己決定の前提としてやはり意思能力を想定することが自然ではないかということが一つです。   それから,錯誤との関係ですけれども,錯誤についてはこの後,議論されると思いますけれども,その効果を仮に取消しとするとしましても,だからといって,当然に意思無能力の効果を取消しにするということはないのではないかと思います。錯誤の効果を取消しにするというのは,例えば詐欺との接近ということなどが考慮されていると思いますけれども,それとは違うのではないか。外国法においても無能力者の意思表示を無効としつつ,錯誤の効果を取消しとするという制度もあるかと思います。また,既に出たところですけれども,暴利行為について取消しではなくて相対的無効に仮にするのだとしますと,相手方からの主張を認めないとしても,だからといって,当然に取消しということにはならないのではないかということもあります。   次に,実際的な面ですが,既に各委員,幹事から出たとおりでございますけれども,取消し構成は意思無能力者の保護に欠ける場合がどうしてもあるのではないかと思います。それは期間制限の問題もありますし,意思無能力者に法定代理人などの取消権者がいないといったときに,事実上,不利益を被ると思います。特に意思無能力者のした取引でも有効だとしますと,無能力者を食い物にする取引を誘発するおそれがあるのではないかということを懸念いたします。もちろん,そもそも意思無能力者のしたことが行為とは言えないのだというところで救済するということは可能だと思いますけれども,例えば不動産を売り渡すという契約書にサインさせられたというときに,そのサインがある契約書を前にして,そもそも行為がなかったということはなかなか言いにくいのではないかと思います。   それから,もう一つは家族法との関係でございます。これは先ほど村上委員がおっしゃったとおりでございまして,意思無能力者の遺言の取扱い,特に共同相続の場合にどうなるか。それから,もう一つは意思無能力者が生前に法律行為をして,その後,共同相続が起きたというときにどうなるかというような問題もありまして,結論的には強いて取消し構成をする必要はないのではないかと思います。 ○道垣内幹事 日常生活に関する行為の特則について,今まで大体反対論が多かったようなのですが,理由を聞かせていただければ有り難いなと思うのです。岡田委員がおっしゃったことは何か少し分かるような気がしまして,それというのは,成年後見制度が発動されている場合の9条ただし書それ自体にも問題があるとお考えでしょうが,成年後見人がついているという場合には,一定のコントロールをしているということが考えられるので,9条ただし書の規律でもよいかもしれないのに対して,成年後見の発動がされていないで,意思無能力状態にある場合にはそういうコントロールもないので,日常生活に関する行為というものに関して,特則を認めるのはよくないだろうということだろうと思って伺いました。これに対して,岡委員については,私は理由が何も分かりませんでした。鹿野幹事についてもそうです。そこで,どういう理由で現行法9条ただし書類似の規定が置かれるべきではないということにほぼ一致したのかということについて,是非,伺いたいと思います。   と申しますのは,成年後見のときに9条ただし書というのを作ったのは,結局,成年後見が発動されるような人だからといって日常生活から排除するのは妥当ではないということで,日常生活は少なくともできるようにしようということから始まったのだと思います。その判断がよいかどうかはひとまずおきますけれども,意思能力を欠くという状況にある人というのは,成年後見の対象となり得るわけであって,そうなると,9条ただし書というのは適用され得ることになります。そして,意思無能力に関する規律において9条ただし書のような条文がないということになりますと,成年後見が開始している人のした日常生活上の行為については9条ただし書によっては取り消せないけれども,意思無能力を証明すれば,無効なら無効の主張ができるということになりそうなのですが,そのあたりに関連して成年後見に関する9条ただし書自体のマイナス評価から出発している話なのか,ちょっと理由がよく分からないものですから,お聞かせいただければと思うんですが。 ○鎌田部会長 本格的に論争する必要はないので,もし,今,理由を出せればということで,お願いいたします。 ○岡委員 七つぐらいの弁護士会から意見が出てきて,理解するのが大変なんですが,今,読む限り,詳細版に書いてあるような不必要な商品を繰り返し売られるときにも,適用されてしまうというのを反対意見に書いているところもございます。それから,理論的にやはり意思能力がない状態の行為であれば,日常取引であっても無効とするのが筋ではないかという意見もありますし,成年後見が発動されれば,このような穴をあけてもいいけれども,発動されていない場合には無効で保護すべきではないかという意見がございました。 ○鹿野幹事 一つは,先ほども何人かの方が触れられましたように,外形上は日常生活に関すると見られるような行為が,不必要に繰り返し行わされて,それによってその弱い立場にある者が食い物にされるということがあってはならないということであります。また,日常生活に関する行為というものをどうとらえるかということにもよりますが,先ほど申しましたところの相対的な意思能力概念を前提にすれば,たとえ判断力が低下した者であっても,日常生活に関する行為ぐらいはその意味を理解する能力があると認められる場合が比較的多いのではないか,しかしそれさえも欠くような場合であるとすれば,それはそもそも実質的に私的自治がおよそ機能せず,意思表示と認められるようなものがない場合であろうから,その法律行為は無効とされるべきではないかということです。また,この点に関する反対の根底には,そもそも現在の制限行為能力の制度に対する疑問があります。今は,行為能力規定の批判をすべき場ではないのかもしれませんけれども,現在の9条の規定で果たしてうまくいっているのだろうかという疑問があるということも,付け加えさせていただきます。 ○高須幹事 意思無能力の行為の効果の話へまた戻らせていただいて恐縮ですが,今,村上委員,中田委員から言われたことの延長線でございまして,そういう意味では三人目の意見という意味で申し上げるのですが,頂いた詳細版の資料などでも意思無能力のところには高齢化等の進む社会状況という指摘があり,このことが大事だろうと思っています。いわゆる高齢化に伴って,痴呆等による意思無能力状態が継続化してくる御老人がいるという事態が,やはり考慮の中に入ってくるのだろうと思います。   そのようなときに一つの観点は,対第三者的なところでは消費者被害的な被害に遭う場合がありますよと。その部分に対する関係でどう考えるかがあって,それはよく議論されていると思うのですが,もうひとつの場面としては言わばお亡くなりになることを見越して,相続人間で先取りした形での遺産の取合いが始まると。この中で,今,中田委員からお話があったように,例えば二人兄弟で御長男が生前贈与を受けてしまう,あるいは売買という形で買ったことにしてしまうというような場合が確かにあり得るし,今後もそういうことは頻繁とまでは言いませんが,ある程度,出てくるのだろうと思うんですよね。   そのときに,そのまま,お亡くなりになってしまって,死亡後に相続人間,二人の兄弟の間で,その贈与とか売買は意思無能力という形で無効だという話が出てくる,あるいは,今回,もし意思無能力ということが取消しということになるのなら,取消しだという議論になると。そうすると,取消しの場合には共同相続した場合に二人で共有で相続した場合の取消権の行使をどうするのか。賃貸借契約の解除のような場合のように,もし管理行為だとすると過半数でやらねばならないというやや困った事態になりまして,そうすると二人しかいないのに過半数はあり得ませんというような形になるので,何か規定を設けるとか,考え方を変えるとかしなければならない。   そういうことがレアケースであれば,もちろん,そのときに特殊なこととして考えましょうでいいのでしょうけれども,高齢化社会の中で,まして少子化ですから,一人あるいは二人しか子供がいないなどというケースも幾らでも出てまいります。一人だったら問題になりませんから,二人兄弟のとき,問題になるというケースが間々あるということなので,やはりこの観点,今,両委員から御指摘があった相続あるいは家族法絡みの問題についてということも是非とも見越して,ここの部分は検討すべきだと私もそのように思っております。 ○山本(敬)幹事 私も,ここで問題提起だけをさせていただきたいと思います。潮見幹事が先ほど御指摘されたことと重なりますが,効果を無効とする場合に,相対的無効が想定されているようですが,仮にこれを相対的無効とした場合に,その後のルールがどうなるかということは,現在は解釈にゆだねられているところで,取り分け主張権者や期間制限に関しては,実際のところ,どうなるのかがはっきりしない状態になっていると思います。これを改正に当たってどうするのかということが,次の問題になってきます。   この点について,何らかの御提案をしていただくことになるのだろうと思いますので,それをお聞きした上で判断することになると思いますが,ただ,いずれにしても二重効問題がどうしても出てきます。特に成年被後見人の場合は,取消権に関しては現在の取消権のルールによるわけですけれども,それとは別に意思無能力を理由とする相対的無効が並行して認められることになりますと,この間の調整をどうするのかということは,やはり改正に当たって考えておくべき事柄ではないかと思います。無効・取消しの効果を扱うときかもしれませんが,その点も含めて御検討いただければと思います。 ○潮見幹事 ほぼ同じことを言いたかったので,一点だけ付け加えると,先ほどからのお話で相対的無効のほうがいいという委員の方々は,こぞって取消しとしたときの相続の問題を取り上げておっしゃっておられるところがあるように受け取ったのですが,同じ問題は無効構成を採っても起こることであって,相対的無効を採ったからといって,この部分の優位性が認められるというわけでは決してありません。さらに,相対的無効を議論するときに検討するのでしょうが,仮にここも相対的無効を採った場合には,先ほどの恐らく暴利行為のタイプのものも相対的無効になるでしょうし,そのような場合に果たして同じようなルールでこの問題を規律していいのかどうかということが必ず出てくるので,その際に,無効構成を支持をされる委員の方々には,是非御提案を聞かせていただければ有り難いところです。 ○松本委員 この問題を考えるときに,成年後見制度と意思無能力制度をどう関係させるのかという部分を少し考えておく必要があるのではないか。つまり,成年後見に早く移行すべきなんだけれども,時間的に間に合わない人を意思無能力という形で救済をするというつなぎの制度として考えるのか,それとも,鹿野委員がはっきりおっしゃっていたと思うんですが,現在の制度はかなり問題がある,特に日常生活に関する行為は問題があるんだという認識のもとに,意思無能力のほうをうんと拡張していく形で,制限行為能力との重畳適用も構わないとして,意思無能力でもっと処理しようという方向なのかという話ですね。そこをどちらで考えるかによって,効果にしろ,要件にしろ,少し違った位置付けが出てくるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 この問題についても,論点自体は明確になったと思いますので,恐縮ですが,次に進ませていただきます。部会資料12−1の4ページから11ページまでの「第3 意思表示」について御審議を頂きます。   「第3 意思表示」につきましては,大きく三つの塊に分けて御審議いただきたいと考えています。一つ目が「1 総論」から「3 虚偽表示」まで,資料12−1の4ページ及び5ページです。二つ目が「4 錯誤」から「6 意思表示に関する規定の拡充」まで,部会資料12−1の5ページから9ページまでです。三つ目が「7 意思表示の到達及び受領能力」,部会資料12−1の10ページ及び11ページです。   それでは,まず「1 総論」から「3 虚偽表示」までについて御審議いただきます。事務当局に説明してもらいます。 ○菱川関係官 「第3 意思表示」の2以降に掲げました個別論点,ここでは「2 心裡留保」と「3 虚偽表示」について説明いたします。   まず,「2 心裡留保」については,「(1)無効となる要件」においては,相手方が表意者の真意に気付いてくれることを期待している場合(非真意表示)と,表意者が相手方を誤信させる意図を持って自己の真意を秘匿する場合(狭義の心裡留保)とを区別する考え方に基づき,心裡留保により意思表示が無効となる要件を見直すべきであるという考え方がありますので,このような考え方について御議論いただきたいと考えております。また,「(2)第三者保護規定」においては,心裡留保についても虚偽表示と同様の第三者保護規定を設けるべきであるという考え方がありますので,そのような方向で規定を設けることの是非について御意見を頂ききたいと考えております。   次に,「3 虚偽表示」については,判例上,民法第94条第2項の類推適用法理が展開されており,その内容を条文化すべきであるという考え方がある一方,その要件や限界については明確に確立されていないとの指摘や,物権法全体に波及する重大な改正になるとの指摘もあるため,民法第94条第2項の類推適用法理を条文化すべきであるという考え方について,御議論いただきたいと考えております。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明がありました部分のうち,まず「第3 意思表示」の「1 総論」について御意見を伺います。 ○松岡委員 総論的なものとして,第三者保護規定の置き方について発言します。現行法の意思表示の規定には,第三者保護は個々の規定にしか置かれていません。今回,無効や取消しになる場合を増やすことになりますと,それだけに,第三者保護規定相互を対比して,違いをもたらす理屈は何なのかを明確化する必要が出てきます。そうすると,個別条文に第三者規定を置くのが唯一の方法ではなく,まとめて第三者保護規定を置いて,その中で相互の対比を明らかにすることも十分考えられますので,そういう規定の仕方についても御検討いただければと思います。 ○大村幹事 先ほど冒頭の法律行為のところでも申し述べたことの繰り返しですけれども,今回,意思表示のところで,今,松岡さんがおっしゃった第三者保護規定を追加するほかに,消費者契約法に由来する規定を追加するかどうかということが話題になるのでしょうが,そのうちのあるものは消費者契約を想定した規定ということになるかと思いますので,規定の内容につきましてはここで議論した上で,配置等をどうするかについては別途,また,御議論いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ほかに特に御発言がないようでしたら,個別の論点に移らせていただきますが,もちろん,その過程の中で総論的な課題についての御意見がございましたら,随時,お出しいただくということにさせていただきます。   「2 心裡留保」,それから「3 虚偽表示」については,一括して御意見をお伺いしたいと思います。御自由に御発言ください。 ○山本(敬)幹事 心裡留保について,意見を述べさせていただければと思います。具体的には,資料にありますように,非真意表示と狭義の心裡留保を区別する方向で改正する必要があるという意見です。  現在の93条は,もともとドイツ民法に由来する規定ですが,ドイツでは,非真意表示と狭義の心裡留保を明確に区別して規定しています。日本でも100年余り前に現在の93条を立法したときも,最初は,相手方を欺くような狭義の心裡留保を念頭に置いて,相手方が悪意である場合に限って無効としていたのですが,途中から冗談のような非真意表示を念頭に置いて,相手方が真意を知ることができた場合も無効とされることになりました。要するに,両者の区別をはっきり認識しないまま,非真意表示に妥当するルールを心裡留保一般について規定してしまったわけでして,立法上の過誤といっても過言ではないのではないかと思います。   狭義の心裡留保といいますのは,表意者が相手方を誤信させようとして,意図的に真意を秘匿する場合です。詳細版の24ページを見ますと,オークションで時間稼ぎをするためにといいますか,オークションを頓挫させるために,実際には支払うつもりのない価格を表示して,落札の意思表示をする場合が挙げられています。このような相手方を誤信させようとした表意者が,相手方に対して,本当は真意でないことをあなたは知ることができたのにそれを怠ったのだから,意思表示は無効だという主張ができるとするのは,やはり問題と言わざるをえません。このような場合に意思表示を無効としてよいのは,表意者が真意でないことを相手方が知っていた場合に限るべきです。   それに対して,非真意表示のほうは,冗談を言う場合というのがよく挙げられますが,現実の紛争では,相手方を誤信させようというのではなくて,むしろ相手方が自分の本心に気が付いてくれることを期待して意思表示を行う場合がしばしば問題になります。本心ではやめるつもりはないのだけれども,退職願を出してしまうというケースが,実際,よく紛争になっています。この場合は,表意者が真意でないことを相手方が知ることができた,その意味で,相手方の信頼が正当と言えないときは,現行法どおり,意思表示を無効としてよいと考えられます。   もう一言だけ付け加えますと,現行法の下でも,代理権濫用などがそうですけれども,93条が類推適用される場合があります。そのような類推適用の事例で実際に主として問題となるのは,相手方を誤信させようとして本心と異なる行為を行う場合です。代理権濫用は,正にそういう場合です。したがって,そのような93条の考え方が類推ないしは準用されるような問題への波及効果を考えますと,93条の側で非真意表示と狭義の心裡留保を区別しておくことに,実際にも大きな意味があると思います。 ○山野目幹事 心裡留保につきまして意見を述べさせていただきます。結論を一言で申し上げますと,ただいま山本敬三幹事がおっしゃった御提案の方向で,是非,改正をお考えいただきたいと考えるものであります。併せて山本敬三幹事からも示唆がありましたけれども,非真意表示と狭義の心裡留保を分けた上で,非真意表示の法理が現在担っている個別的労働関係の契約終了の場面での機能というものについて,その社会的機能について特段の注意喚起をしておく必要があるのではないかと感じます。   真摯な反省を表明するため,自発的に退職をする旨の意思表示がされた場合のその効力のようなものが安易に承認されてはいけないということは,今後も強調されていくべきでありまして,ここで示唆されている提案は,理論的な方向としてはごもっともなものであると考えますとともに,非真意表示についての現実社会における法理の機能というのは,それはそれでまた別な観点で重要なものであると思います。日本社会で,思ってもいないことをいろいろな事情で言わされることは,これからまた増えてくるのかもしれませんが,そのような場面でこの法理が担っている機能についても併せて留意を払った上で,見直しを進めていただきたいと感ずるものでございます。 ○山下委員 先ほど93条が類推適用される場合として代理権濫用という御指摘がございましたが,もう一つ,類推適用されるのが会社で取締役会の承認を受けないで法律行為をした場合ですが,それがここで分類されている非真意表示なのか,狭義の心裡留保なのか,かなり微妙なところがあるかと思います。心裡留保に関するルールの変更は思わぬところにも影響が及ぶかなと思いますので,御考慮のうちに入れておいていただければと思います。 ○松本委員 保証のところであるいは議論されたのかもしれないですが,日本社会において通常無償で頼まれる友人間とか,親族間における保証というのは,恐らく非真意表示のほうに近いのではないかなと思います。保証人として誤信させる意図を持っているのではなくて,これは形式的なものですよと言われて,保証人も債務者が破綻した場合に自分が責任を負うという意思もなく保証人になっていて,保証を受ける債権者の側も保証人の意思はそんなものだろうと分かっているケースが実は多いのではないかなと思うのですが,そういう理解でよろしいのでしょうかということです。これは保証のほうで別途,規定を置いたらいいのかもしれないけれども,こういうルールが法律行為に入ると,当然,保証はどうなんですかということが論点になるのだろうと思います。 ○中井委員 非真意表示と狭義の心裡留保をこのような形で区別して規定するのが適当ではないかと,先ほど山本敬三幹事,山野目幹事からお話がありましたけれども,弁護士会でこの議論をしたときに,正直に言ってよく分からない,この二つがそれほど明確に区別できるのだろうかという疑問を呈する意見が多くございました。今の山本幹事からの御発言をよく考えてみなければいけないのかもしれませんが,現段階ではこの区別についての疑念が先行して,あえて分けて規定することが適当なのかという多くの意見が出たことだけを御紹介させていただきます。 ○鎌田部会長 第三者保護規定関連については特に御異論はないと理解してよろしいでしょうか。   では,虚偽表示についての御意見をお伺いします。 ○岡委員 虚偽表示の類推適用法理の明確化については,弁護士会でも意見が分かれました。不動産登記にかなり集中はしていますけれども,これだけ判例が出ている以上,明確化すべきであるという意見がかなりありました。他方,詳細版にも書かれておりますが,物権法に大きな影響を与えるので,物権法のときにやるべきであるという意見でありますとか,本当にうまく書けるのかと,先ほどと同じような消極論を言う意見も強くございました。ただ,難しいのではないかとか,物権法に与える影響が大き過ぎるのではないかという懸念だけでございますので,書くとしたらこうなると,こういう書き方をすれば物権法のほうにも致命的な影響を与えないので,これだったらいいと思う案は是非作って,それを検討するべきであると思います。   それから,心裡留保のところで言葉が分かりにくいと。心裡留保という心の内の表示ということで,法律家は分かるかもしれないけれども,一般にはこの定義は変えるべきであるという強い意見がありました。非真意表示,そういう案もありましたけれども,これも極めて言いにくい。だったら,どういうのがいいんだと悩んでおるところですが,いい言葉も是非,弁護士会も考えますけれども,法務省でも考えていただきたいというのを付け加えておきます。 ○潮見幹事 虚偽表示のところでは,類推適用の話だけが資料の中に出ているのですが,先ほどの冒頭の松岡委員のお話にもかかわりますけれども,今回の案では第三者保護の要件,特に主観的要件をどのようにするのかという点について,様々な局面において,様々な枠組みを考えておられるように,あるいはそのようにする考え方はどうかという問題提起がされているように伺いました。そのことに関連して申し上げますと,虚偽表示の場面でも94条2項について,善意なのか,善意無過失なのかという議論がありますが,この部分に関しては判例法理と言われているところのいわゆる善意で足りるという枠組みで主観的な要件を考えるという立場を維持していただきたいと考えます。 ○山野目幹事 また,94条2項の類推解釈に戻って恐縮ですが,岡委員のほうから弁護士会の御意見のすう勢を御紹介いただきまして,よく理解することができました。それで,おっしゃるふうですと両論があるように聞こえました。にもかかわらず,最後のほうで,中間のステップでは,どちらかというと具体の案を出す方向に少し傾いておっしゃったようにも聞こえました。そこの真意を私が正確に理解していないかもしれませんが,自分の意見を申し上げますと,反対です。94条2項の類推解釈について,何か細かな規定の案を作ること自体,相当,困難だと思いますが,仮に作るときには物権変動法制全般を見直した上でなければ,安定感のあるルールを提案することができないと予想します。それは,諮問事項の範囲外のことであろうと思いますから,今般,それをすることについては相当慎重にお考えいただきたいと考えます。 ○深山幹事 今の94条2項の類推についての山野目先生の御発言とも共通する意識なのかもしれませんけれども,意思表示については虚偽表示という94条があるわけですが,類推というのは少なくとも意思表示以外の場面で,同じような外観法理的な場面を想定した話だと思うんです。そうなってくると,実務的には虚偽の登記がなされた場合なり,放置された場合の問題が圧倒的に多くて,それを専ら念頭に置くのであれば,正に物権の問題で,ここで議論すべきかということになるし,必ずしも登記に限らず,代理の問題との兼ね合いだとか,債権の準占有者の弁済なんかも視野に入れて,もうちょっと広目に外観法理一般の何か規定を設けるということなると,それはそれで一つ意味があるのかなと思うんですが,少なくとも意思表示のところに置く規定では多分なくなってきます。確かに94条を勉強するときには類推適用のことを併せて勉強してきたんですが,立法の議論としてはまず94条なり,94条2項をどう見直すかということをまずして,それと同じ発想で別の外観法理の規定を設けるかどうかというのは,やはり少し区別をしないといけない,94条2項をどう見直すかということとはちょっと質の違う問題を含んでいるのだと思います。せっかくの機会なので議論がもし許されるのであれば,したほうがいいと私は思うんですが,様々な問題に波及して,民法全体に及んでくるとなると,かえって中途半端な見直しをするのもよろしくないのかなと思います。   そういう意味では,事務局のほうで,ここでこの法理を具体化することをどう考えるかについて,どういう改正をイメージをしているのか,案とまでは申し上げませんけれども,例えばこういう規定を更に置くことはどうかというように具体化した何か例を挙げていただくと,考えやすいなと思いますので,そういうこともお願いしたいと思います。 ○松岡委員 94条2項の類推適用について,今の深山幹事の御指摘のとおり,確かにこれは意思表示の例外というよりも,もう少し一般化して権利外観法理的なものとして,規定を置くか,どう規定するかが,課題になると思います。そして,おそらく,どこで議論しても意見が分かれるところで,規定を置くこと自体の是非,判例法理をどう理解するか,判例法理を是認できるか,さらに,判例法理では意思外形対応型と意思外形非対応型がありますので,類型を分けて規定するか,表現をどうするか,規定の位置をどうするか,それから,先ほど御指摘があったように物権法の公信保護の問題との関係などが問題になります。こういう検討課題を挙げていきますと,確かに非常に難しい問題でありまして,簡単には条文案にできないのはよく分かっています。   ただ,一方で,94条2項の類推適用法理は,判例によって展開し,条文からはおよそ見えないのですが,非常に重要な法理です。それを条文化から外してしまうことには,問題があると思います。基準の設定が難しいことはそのとおりですが,幾ら事例が積み重なっても,微妙なところに一義的に明確に基準を設けることは,むしろおよそ不可能だと言ってもよいでしょう。全体をおおざっぱに申しますと権利の外観,それとも登記だけには限らない権利の外観を作出したことについて真の権利者に帰責性があり,その帰責性の程度と対応する形で信頼要件を善意にするか,善意無過失にするか,善意無重過失にするかは分かれますが,そういう帰責性と保護要件を対応させてバランスをとること自体については,大方の合意ないしは承認が得られているような気がします。その程度の緩やかな基準であっても,とにかく手掛かりとなる条文を置くことは重要だと思いますので,少なくともやはり検討はきちんとして欲しいと思います。 ○中井委員 先ほど山野目幹事から,弁護士会はどう考えているのかという御質問がありましたけれども,参考のために申し上げますと,今日の準備のために,札幌,東京,横浜,名古屋,大阪,福岡の各弁護士会の意見と,日弁連からは消費者保護委員会の意見,その他の個人意見が出ており,それを受けて出席させていただいています。その中で,今の94条2項の問題について大阪と福岡の各弁護士会は,これまでの判例法理が形成されているところについて,それなりに整理をした形で明文化,条文化していく方向を目指すべきではないかという意見です。それは今,松岡委員がおっしゃられたような各要素について,どのような形の規定振りになるかはともかくとして,明文化する方向で検討してもらいたいというものです。   ただ,深山幹事もおっしゃいましたけれども,それを意思表示のところで規定するのか,更に外観法理一般としてもう少し早い条文で規定するという考え方も十分あり得るのではないか。その点について更に検討を深めるべきだというのが大阪なり,福岡の意見です。 ○高須幹事 松岡委員の御発言にあったように,要するに判例法理でずっと構築されてきて,法学部でもロースクールでも重要な論点だといって教えているようなところについて,全く今回,検討ができないというようなことは,やはり残念なのかなというよう趣旨で,私も検討の価値はあると思っております。   それから,潮見幹事もおっしゃったように,第三者保護要件として整理していくというときに,この94条2項類推法理の場合の第三者保護の在り方というのは,とても大きな問題になっていると思うんですよね。判例が構築している外形非対応型のような場合に,通常,我々が目にする判例だと,94条2項と110条の法意に照らしと言ってみたり,平成18年に新しい判例が出て,ロースクールの学生にはこれは重要判例だと教えているんですが,それだと94条2項と110条の類推適用という言葉が出てきたりして,法意と類推適用はどこが違うんですかと言われても,答えられませんとしか言えないというような状況で,要するに混沌としているようなところもありまして,そういう意味では一回,みんなできちんと議論してみるということが大事ではないかと。様々な困難があることは,今,伺っていて分かってまいったのですが,まだ,あきらめないでもう少し検討してみたいという理解でございます。 ○内田委員 先ほど深山幹事から,一体,どういう案を想定して,この資料がつくられているのかという御質問がありました。恐らく松岡委員の御発言は,背後にその案があるのだと思いますけれども,いわゆる研究会試案の中で具体的な案が提案されています。それを基に,御検討いただきたいという問題提起をしたということでございます。 ○鎌田部会長 ほかによろしいですか。   よろしければ少し遅れましたけれども,ここで休憩を取らせていただきます。休憩の後に「錯誤」以下の議論を行いたいと思います。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,再開いたします。   部会資料12−1の5ページ,「4 錯誤」から9ページの「6 意思表示に関する規定の拡充」までについて御審議を頂きます。事務当局に説明してもらいます。 ○菱川関係官 意思表示に関する現行民法の規定については,制定以来の様々な判例法理の蓄積があります。「4 錯誤」の「(1)動機の錯誤」や「(2)要素の錯誤の明確化」については,それぞれ,これまでの判例の考え方に従って,条文上,その内容を明確化すべきであるという考え方がありますので,そのような方向で規定を設けることの是非について,御意見を頂きたいと考えております。   「(4)効果」については,原則として表意者以外の者が無効を主張することは許されないという判例法理が確立しており,このことを踏まえ,錯誤の効果について無効ではなく,取消しとすべきであるという考え方がありますので,そのような方向で規定を設けることの是非について,御意見を頂きたいと考えております。また,ここでは関連論点として,錯誤による表意者の損害賠償責任について取り上げました。   前後しますが,「(3)表意者に重大な過失があったとき」は,表意者に重大な過失があったときでも,錯誤による意思表示の無効を主張することができる場合を具体的に列挙して,条文上,明確にすべきであるという考え方について御議論いただきたいと考えております。   「5 詐欺又は強迫」については,まず,「(1)沈黙による詐欺」ですが,沈黙による詐欺の場合にも学説上,事情によっては民法第96条の詐欺に当たると解されており,また,判例にも信義則上,相手方に告知する義務がある事実を黙秘した場合には,沈黙も欺罔行為になり得るとしたものがあります。そこで,沈黙による詐欺について明文規定を設けるべきであるという考え方について,御議論いただきたいと考えております。   「(2)第三者による詐欺」は,第三者が詐欺を行った場合について,学説上,相手方がその事実を知っていたときのみならず,知ることができたときにも,表意者がその意思表示を取り消すことができるものと解すべきであるという考え方が有力であり,このことを条文上,明確にすべきであるという考え方があるので,そのような方向で規定を設けることの是非について,御意見を頂きたいと考えております。また,関連論点では詐欺をした第三者が代理人その他の相手方が責任を負うべきものである場合について取り上げました。   次に,「(3)第三者保護規定」ですが,詐欺については第三者保護規定として民法第96条第3項があるところ,第三者の保護要件として条文上は無過失が要求されておりませんが,学説上は善意のみならず,無過失まで要する見解が有力であり,このことを条文上,明確にすべきであるという考え方がありますので,このような考え方について御議論いただきたいと考えております。   「6 意思表示に関する規定の拡充」においては,社会・経済が変化し,取引が複雑化・多様化する中で,現在の民法上の意思表示に関する規定のみでは,取引の実情に十分に対処できない場合があるという指摘を踏まえ,意思表示に関する民法上の一般ルールについて,新しい類型の規定の要否について御議論いただきたいと考えております。なお,この注に記載しましたように,消費者契約に対象を限定した特別なルールを民法に設けることについての意見を取り上げるものではございません。ここでは,現代的な取引の実情等を踏まえた新しい類型の規定の要否と,規定する場合の具体的な規定の在り方について,御議論いただきたいと考えております。そこで,消費者契約に対象を限定しない一般ルールとして,民法に規定を設けるべきであるという具体的な考え方が提示されているものとして,「(1)不実告知」と「(2)不利益事実の不告知」を取り上げ,関連論点として第三者による不実告知及び第三者保護規定の問題を取り上げました。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明がありました部分のうち,まず,「4 錯誤」について御意見をお伺いしたいと思います。 ○西川関係官 錯誤の問題でございますが,まず,最初の「(1)動機の錯誤」,これはやはり動機の錯誤ということで,消費者が被害を被るという場面が大変,悪徳商法なども含め多いので,そういう意味では,ここの御提案の趣旨というのは,こういった動機の錯誤についても無効となる余地を認めるということで,非常に意義深いことと思っております。   それから,要素の錯誤を明確化するという話でございます。これについても明確化自体は大変結構なことかなと思います。ただ,ちょっと心配し過ぎかもしれませんが,もし,これを明確化した場合に,非常に固定的な解釈しか許されないような規定振りになってしまうと,消費者被害の救済を柔軟に行う妨げになりかねないということもありますので,明確化の際は,そういったこともきちんと認識した形で御検討をお願いしたいということでございます。   それから,「(3)表意者に重大な過失があったとき」ということですが,こういった無効主張をできる場合を明確化するということは,やはり消費者が情報量,思考力,そういったところで事業者に著しく劣位している,言ってみれば非常に勘違いしやすいのが消費者であるということを踏まえると,非常に意義深いことと思っております。   それから,あと,「(4)効果」ということですが,やはり先ほど前半の議論でもございましたが,「取り消し得る」というのと「無効」というのは違うと。取消しということであると,例えば期間制限といったような部分で意思表示をした人の保護というのが低下するので,そこは無効のままでいいのではないかという感じです。   それと,あと,錯誤による消費者の損害賠償責任ということですが,これについてはやはり消費者に無過失損害賠償責任というのを課すというのは,非常に酷ではないかと思っておりまして,そういう意味では,不法行為の一般原則ということで構わないのではないかと考えている次第でございます。 ○奈須野関係官 逆のことを申し上げて申し訳ないんですけれども,商取引におきましては大量の契約を迅速に処理しなければならない都合上,なるべく没個性的に処理したいというニーズがあるわけであります。そういう中で,詐欺,強迫のような一方に責めのある事由はともかくとして,そうでないケースにおいて無効になるというのは,なるべく避けたいと考えております。そこで,動機の錯誤が問題になるわけでございますけれども,事業者の取引におきましては,1対1の個人での取引とは異なりまして,多数の人が関与する中で一つの取引が行われているわけでございますので,現場の担当者の動機を頭をかち割って憶測するということは困難なわけであります。したがいまして,動機の錯誤を取り込むということには消極的であります。   ただ,判例におきまして動機が表示されて法律行為の内容となっていると,それが法律行為の要素に当たるという場合には適用があるということですので,その趣旨を立法するというのは検討の余地があるかと思いますけれども,その場合であっても,明示に表示されているというのはいいんですけれども,黙示に表示されているというのは若干,形容矛盾的なところがあって,これが果たして立法可能なのかと。仮に黙示に表示されたときにというような立法がなされた場合,取引にどのような影響があるのかと。黙示な表示ということですので,挙動を見て判断しなければいけないということになりますと,大量な取引を例えば面前でやらない,電話でやるとか,インターネットでやるとか,そういうときになったときに,果たして黙示の表示というのは何なんだと,こういう問題が生じるのではないかと考えます。   それから,もう一つ,「(3)表意者に重大な過失があったとき」というときなんですけれども,詳細版の資料での33ページの一番下の段落で,「さらに」のパラグラフで「相手方が表意者の錯誤を引き起こしたときは,それによるリスクは相手方が引き受けるべきであり,表意者に重大な過失があることを理由に表意者による無効の主張を制限するべきでない」という見解が,問題提起がされておりますけれども,これを許容いたしますと重過失のある表意者が,気が変わったからといって相手方の不実告知なり,あるいは不利益事実の不告知なりをあら探しして,錯誤を主張するということを許容することになりますので,こちらについては反対いたします。 ○山本(敬)幹事 錯誤についてはいろいろありますが,要件論に関して二点,指摘させていただきたいと思います。   まず,「(1)動機の錯誤」についてですが,現在の95条をそのままにするのではなくて,動機錯誤に関するルールを明文化すべきであるという考え方に賛成したいと思います。錯誤が実際に紛争になるケースの多くは,動機の錯誤のケースですので,そのような重要な問題に関するルールが民法典を見ても書かれていないという状態を今後も続けるのは,最初に言いました今回の改正の基本理念から見てやはり問題だろうと思います。   そうしますと,実際にどのような形で明文化すべきかということが次の問題になりますが,この点については,資料の4(1)にありますように,基本的には判例法理をもとに考えてよいと思います。ただ,それは判例法理が確立しているからというのではなく,やはりその内容がここで採用すべきルールとして適当だからというべきだと思います。といいますのは,この動機の錯誤で問題となるのは,法律行為をするかどうかを決めるに当たって重視した事実について思い違いをした,つまり認識を誤った場合に,その認識の誤りによるリスクをだれが負担すべきかという問題だと見ることができます。この事実に関する認識の誤りによるリスクというのは,本来,それぞれの当事者が負うべきリスクに当たると考えられます。少なくとも民法の原則としては,そのような事実について認識を誤らないように,自分できちんと調べる必要がある。それを怠れば,不利益は自分で甘受しなければならないのが原則だと言うべきでしょう。   そうしますと,ここでは,そのように本来表意者が負うべきリスクを相手方に転嫁できるのはどのような場合か,それはどのような理由から正当化されるかということが問題となります。学説の中には,相手方の信頼を問題にして,例えば動機が表示されていれば,あるいは表意者の錯誤を相手方が認識できたのであれば,その錯誤を理由に意思表示の効力を否定しても,相手方は思わぬ不利益を受けることにならないと主張する見解もありますが,表意者が動機を表示したり,あるいは表意者が錯誤に陥っていることを相手方が認識できたというだけで,どうして本来ならば表意者が負うべきリスクを相手方に転嫁することができるのか,それで果たして十分な説明になっているのかどうか,疑問が残ります。   むしろ,そのような事実に関する認識の誤りのリスクを相手方に転嫁するためには,それが相手方との間の合意の内容に取り込まれている必要があるのではないか。判例法理が,動機が表示されて法律行為の内容になったことを基準としているのは,このような考え方に基づくものと見ることができます。したがって,この意味で,判例法理を基に,動機錯誤に関するルールを明文化すべきではないかと考えられます。  そして,今言いましたような理解によりますと,その要件としては,その事実に関する認識が表示されたかどうかということよりも,それが法律行為の内容に取り込まれたとされたかどうかというのが決め手になるだろうと考えられます。実際,判例も,先ほど御指摘がありましたが,「表示」は黙示であってもよいとされていまして,現実に表示されたかどうかが常に重視されているわけではありません。方向としては,表示されたかどうかは要件とせずに,それが法律行為の内容になったことを端的に要件とすべきだと思います。   次の「(2)要素の錯誤の明確化」についても,ここに書かれているとおり,主観的因果性と客観的重要性を基準にするという判例の考え方をリステイトする形で明文化してよいと思います。ただ,これも,判例が確立しているからというよりは,その内容がここで採用すべきルールとして適当だからだと言うべきだと思います。  といいますのは,錯誤がなくても表意者が意思表示をしただろうという場合は,表意者を保護する必要はありません。錯誤がなければ表意者はその意思表示をしなかっただろうという場合に,初めて,表意者を保護する必要が出てきます。ただ,それだけでは,表意者さえ,その錯誤は重要だと考えるのであれば,意思表示の効力が否定されることになりまして,取引の安全や,相手方の信頼を著しく害することになります。そこで,錯誤を知っていれば,そのような意思表示をしないことが,取引通念に従って正当と認められる場合に限られる。これが,判例の基礎にある考え方だと思います。これは十分理解できますし,支持できます。そこで,この判例の考え方に従って明文化すべきだと考えるわけです。   このほか,(3)の「重大な過失があったとき」についても,意見はありますけれども,おおむね資料に書かれているとおりですので,特に付け加えることはありません。 ○野村委員 最初のところの動機の錯誤について,それを取り込むような規定にすべきであるという点は基本的に賛成です。ただ,今,山本幹事が言われたように判例理論というのは法律行為の内容になっているということが中心的な部分で,それが表示ということとほぼ同義に理解されているということではないかと思うのです。ところで,ここの表現なのですけれども,法律行為の内容となり,それが法律行為の要素に当たればということではなくて,むしろ,法律行為の内容になったときに,民法95条が適用されると考えていて,その先は95条の要件を満たしているかということを判断するというのが今の判例の理論ではないかと思います。ですから,ここの表現は,法律行為の内容となり,民法95条の適用があると修正する方が正確ではないかと思います。その先に法律行為の要素に当たれば無効になるというのが判例の論理ではないかと思うのです。   動機というのは千差万別なので,それを考慮するというのは,非常に広がり過ぎないかという懸念もあるのですが,これについては(2)の要素の錯誤をどこまで明確化するかということで処理されるのではないかと思います。ここでも,判例の理論がそのまま採用されていて,基本的にそれでよろしいと思うのですけれども,判例・通説の要素の錯誤に関する表現は,比較法的にいうと錯誤が決定的であったかどうかということだと思います。要素という言葉からすると,例えば錯誤が重要な事項に関しているというような表現で,その結果,一般人なら取引をしなかっただろうというところにつながっていくような表現が本当にはいいのではないかと個人的には思っております。   三番目の表意者の重大な過失については,表意者の過失とそれから相手方の認識可能性をどう組み合わせて主観的要件を考えるかという問題だと思うのです。相手方の認識可能性を出発点にするという学説もありますし,そこはもうちょっと議論が必要かなと思っています。私は表意者に過失があった場合には,錯誤の主張を認めない,つまり,無過失を要件にするというほうがいいのではないかと思っておりますが,それと併せて相手方の認識可能性も要求するということを考えております。それはもちろん,認識可能性の対象が何かという議論はありますが,共通の錯誤と言われているものを取り込むということのためには,認識可能性ということで処理すれば,うまくいくのではないかと個人的には考えております。   以上なのですけれども,一番最初のところで,先ほど黙示の表示というのは論理矛盾ではないかという発言がありましたが,この点もやはり共通錯誤ということを視野に入れて考えるということにすると,黙示の表示というのも表示に当たると考えたほうがいいのではないかと思っております。 ○岡田委員 錯誤の部分に関して,動機の錯誤というのが圧倒的に多いというのは,そのとおりだと思いますし,消費者契約でも正にそのとおりです。しかも,動機について相手方に表示するということは消費者にはその場面も乏しくかなり難しいことといえます。その結果救済されないことになります。今までは錯誤として認められなかった動機が契約の内容になるとか,ないしは,黙示の表示ですか,それであってもいいということですと,今よりはもっと使いやすくなるように思いますので,錯誤の動機の部分をより使いやすいように考えていただきたいと思います。 ○岡委員 最初の錯誤の要件のところで,「法律行為の内容になる」「合意の内容に含まれている」という案でございますが,弁護士会で議論したときにやはり意味がよく分からない,合意の内容になるというのがどういうことなのか分からないという意見が強くございました。平成元年に,不動産を財産分与したときに,分与したほうに譲渡所得税が掛かるということについての錯誤は,財産分与を無効とするという最高裁判例が出ておりますが,財産分与するという合意のときに,譲渡所得税は分与するほうは負担しないと,もらうほうが負担するんだよというのが「合意の内容になる」といえるのか,よく分からない。この言葉で,実務上,目的を達することができるのか疑問があります。   要素の錯誤の因果関係と重要性だけで,あと,野村先生がおっしゃった相手方の認識可能性というのも重要だろうと思っておりまして,従来の黙示的な表示をして相手方の認識可能性が生じて,その法律行為のかなり重要な部分なので,法律行為の内容になって錯誤無効をもたらすと,そういう判断の一つだと分かるんですが,この言葉,「合意の内容になる」「法律行為の内容になる」という言葉だけで今のようなことが表現できているかというと,弁護士の実務家から見て,この言葉ではまだ足りないのではないかと思います。では,どういう言葉がいいんだと言われると言葉に詰まるんですが,詳細版の31ページにあります「動機が明示あるいは黙示に表示されて法律行為の内容となり」と,この最高裁の言葉を使うと,表示の要素も入ってきて法律行為の内容ということで,重要性だとか,相手方の認識可能性の要件も入ってきて,無難な言葉になるのではないかという意見を持っております。それが第一点でございます。   第二点は,詳細版の33ページの表意者に重過失があった場合でも,相手方が表意者の錯誤を引き起こしたときは錯誤無効を主張できるとの点です。この点について奈須野関係官もおっしゃいましたけれども,意図的に引き起こした場合は全く問題ないと思うんですが,過失なく引き起こした場合,後で不実表示のところにもひっかかってきますけれども,相手方が過失なく錯誤を引き起こした場合にも,この規定の適用があっていいのかという問題意識がございます。先ほど松岡先生がおっしゃった権利者のほうの帰責事由と保護されるべき人の両方のバランスだと思いますので,過失なき引き起こしの場合にも適用されるのは問題ではないかと思います。 ○松本委員 錯誤の授業をやっていて一般に感じるのは,日本の錯誤というのは言わば表意者中心に考えている理論だという点で,これでいいのかということです。先ほど山本敬三幹事が動機の錯誤のところでは,錯誤によるリスクは表意者が負担するのであって,例外的な場合にそうでなくなるんだということで,それはこういう要件なんだとおっしゃったわけですが,その例外的な場合として,一つは私は先ほど野村委員がおっしゃったような認識可能性の問題,もう一つは相手方からの働き掛けという問題があると考えています。不実表示というのは動機の錯誤と非常に重複して出てくるわけで,それを故意にやれば詐欺になります。相手方が過失によって不実表示をした場合,それから,誤った情報提供をした相手方もそれが真実だと過失なく信じていて間違ったことを言った場合が大変多いわけですから,そういう表意者が自分勝手に誤ったのではなく,相手方からの働き掛けが原因となって誤った場合というのは,リスクを相手方に負わせてもいいのではないかということです。   それと同じように,相手方として表意者が錯誤に陥っていることが認識可能であって,かつ,それが非常に重要な内容であることを相手方もよく分かっているということであれば,相手方としてそこで表意者に確認するなりのワンクッションさえ置けば安定した取引ができるわけなので,それをしないで表意者が錯誤に陥っていることを利用して契約をするというのは,やはりアンフェアだと思うんですね。そして,動機の錯誤について言えることは,恐らく動機の錯誤ではないところの本来型の錯誤についても言えるのではないか。つまり,日本の現行法のような表意者の絶対保護,もちろん重過失のある場合は保護しないわけですが,というのが果たしていいのかどうか。相手方との関係で効力を考えていくというほうがいいのではないかと思います。そうすることによって動機の錯誤と,そうでない錯誤の統一的処理が一層やりやすくなるのではないかと思います。 ○鹿野幹事 基本的には,先ほど山本敬三幹事がおっしゃったことに賛成です。まず,第一に動機の錯誤について明文化すべきかという点についてですけれど,これも何人かの方から御意見がありましたとおり,この問題の重要性と,それ故従来から判例でも随分とこの動機の錯誤が取り上げられてきたという事実にかんがみますと,このルールを明文化して多少なりとも見通しをよくする意味は大きいと思い,明文化については賛成でございます。   次に,そのルールの内容についてですけれども,これも基本的には山本幹事がおっしゃったことに賛成です。錯誤については学説における判例の理解が随分分かれているところではありますが,私も従来から,相手に動機を表示するかどうかということが重要というわけではなくて,むしろ法律行為の中に取り込まれたと法的に評価できるかどうかということがポイントだと理解してきた次第です。動機の錯誤については,その動機が一方当事者の一方的な動機にとどまる限りにおいては,その動機の誤りのリスクを相手方に転嫁することはできず,それが法律行為の中に取り込まれたと評価できる場合に初めて,それが事実と食い違っていたことを理由に法律行為の効力を否定する可能性が認められるのではないかと考えます。   裁判例を見ましても,必ずしも動機を相手方に告げたかどうかというところが判断基準になっているわけではありません。一方的に動機をぺらぺらと相手にしゃべったとしても,後に,自分の動機が誤っていましたとしてそれを理由に無効を主張できるかというと,必ずしもそうではない。たとえ一方当事者にとってそれがいかに重要なことであったとしても,それが法律行為の中に取り込まれたと評価できない場合には,錯誤無効の主張は否定されると,そういうことだったのではないかと思います。条文化に際して,「法律行為の内容になった」という表現が最も適切かということについては,更に検討する必要があるかもしれませんが,内容的には,法律行為の中に取り込まれたという規範的な評価を通し,それを充たした場合に初めて錯誤無効の主張ができると,そういう要件にすべきだと思います。   最後に,要素との関係について,更に一言申し上げます。これも従来の判例についての理解がいろいろと分かれているところだと思いますが,先ほど申しましたように仮に法律行為の内容になったという要件を一方で立てるとしても,そのことと,要素性における主観的・客観的重要性とは,一応は切り離してとらえることができると思います。動機が法律行為の中に取り込まれたと評価される場合には,そのような主観的・客観的重要性が認められる場合が多いのかもしれませんけれども,それでもなお,異なる観点に基づく以上,これら二つを別立てで要件とすることは可能でしょうし,必要なのではないかと考えているところです。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。   効果の点については,先ほど西川関係官から少し取消しでは弱いという御意見がありましたけれども,ほかの御意見は特にございませんか。 ○林委員 話を戻すようですが,効果ではなく要件の点で一言申し上げます。動機の表示について無効主張を認める点については,山本幹事や鹿野幹事が言われた法律行為の内容として取り込まれているかどうかという説明のほうが理論的と思いますが,実務感覚からいうと,岡委員が言われたように,表示によって相手方に認識可能になっていることが問題であり,またそのために意思表示の形成過程の要素が無効,有効の判断要素とされていると思われます。表示という要件ではなく,法律行為の内容としてなったかで判断するとしますと,その程度にもよりますが,現在の我々が動機の表示によって無効となると判断するところと,ちょっとずれてくるような感じがします。   そういう意味からいうと,もちろん考え方や説明の仕方次第ではありますが,法律行為の内容とすると無効とする余地が狭くなってくるような感じがいたします。理論的にどう説明するかについてはもう少し考えてみたいと思いますし,パブリックコメントで裁判所の意見も聞いてみたいと思いますけれども,そのあたりは検討する際には御留意いただければと思います。 ○木村委員 動機の錯誤というのは分かりづらいところがありますので,その要件を明確化する趣旨は理解いたします。したがって,それを取り入れていくことについて議論をしていくのは,特に異論がないと考えております。   そして,表意者の重大な過失に係る部分についてですが,詳細版の33ページに記載されている,相手方が錯誤を引き起こしたときの扱いは,慎重に検討していく必要があるのではないかと考えています。特に信義則からくる契約締結上の説明義務を明文化するということとの兼ね合いで,説明義務不足を理由に錯誤が引き起こされたと主張されるケースが想定されるところであり,悪用されることにつながりかねないという部分がございます。明文化の検討というのは慎重にやっていく必要があるという意見が,我々の中では強かったという感じです。 ○岡委員 錯誤の効果のところでは,弁護士会としては無効説もありましたけれども,相対的無効及び取消しでもいいのではないかという意見が予想外に多くございました。   それから,錯誤で無効になった場合の,表意者に過失なき場合の表意者の損害賠償義務については,利益調整上,いいのではないかという意見が少しございましたけれども,やはり消費者の問題を考えると不法行為の要件で規律するのがよいというのが弁護士会の多数意見でございました。   それから,最後に第三者保護規定のところですが,善意無過失説がかなりの支持を得ておりました。ただ,個人的には今まで無効で,第三者にもすべて対抗できる,そういう絶対的な保護がこの規定であったところ,それがなくなってしまうことに危惧感を持っています。相対的無効あるいは取消し,あるいは善意無過失の第三者に対抗できない,すべてそうなってしまって本当に大丈夫かと思います。ある一定の局面については,やはり完全絶対無効があっていいのではないかという意見を持っております。ただ,事例としてどんな事例があるんだと言われても,なかなか思い浮かばないところでございますが,松岡先生がさっきおっしゃったような表意者と保護されるべき人のバランス問題ですので,どこかに決めなければいけないのでしょうけれども,善意無過失と決める場合でも,表意者の帰責と保護されるべき人のバランスで何か利益調整できるような条文を,是非,考えてみたいと思っております。 ○山本(敬)幹事 第三者保護規定についてですが,これはここだけの問題ではなくて,その他の無効・取消原因についても関係してくるところですけれども,ここで一括して意見を述べさせていただければと思います。   この第三者保護規定については,先ほど松岡委員からも御意見がありましたが,それぞれの無効・取消原因についてどのように定めるにしても,少なくとも全体として一貫した考え方にしたがって定めるべきだということは,特に強調しておきたいと思います。ここでは,表意者側の保護と第三者側の保護の調整が問題になるというのはそのとおりなのですが,それだけに,全体を通じた一貫した考え方がありませんと,アド・ホックな衡平判断に陥っていくことになってしまいかねません。立法のあり方としては,やはりきちんと説明のつく形で規定を定めるべきだと考えられます。   その際の考え方としては,まず,いわゆる表見法理に当たるものを基本原則として認めるべきではないかと思います。つまり,第三者保護規定が適用されますと,表意者は無効や取消原因があっても,権利を失うことになります。そのように表意者から権利を奪うためには,第三者側の信頼も正当なものであることが要求される。つまり,原則は,善意無過失が必要とされるべきだと考えられます。   問題は,そうした原則の上で,どのような場合にどのような理由からその例外を認めることが要請されるかです。この点については,詳細版の36ページ以下にも書かれていますように,心裡留保や虚偽表示のように,表意者が言わば故意に誤った表示をしたような場合は,そのような表意者が第三者に対して,自分のした表示を信じないように注意せよと要求できる,つまり第三者は注意を怠ったのだから,信頼が保護されなくても仕方がないという主張を認めるのは,やはりおかしいと考えられます。つまり,第三者が善意であれば,このような自ら故意に誤った表示をした者との関係では,保護されてしかるべきです。したがって,心裡留保と虚偽表示については,第三者の信頼保護要件は善意で足りる。それに対して,錯誤の場合を含めて,それ以外の場合は,原則に戻って,第三者が善意無過失であることが要求される。そういう方向で全体を整備すべきではないかと考えます。 ○松岡委員 全体のバランスについては,今,山本幹事がおっしゃいましたので,その点は同じ意見だとだけ申し上げます。ただ,そのバランスの取り方については,提示されている案とは若干違うバランスの取り方もあるのではないかという感じがいたします。心裡留保,虚偽表示の場合は,確かに故意に外観を作出したものであり,その者が第三者の過失を問題にするのはよろしくないというのは,正にそのとおりであります。   他方,詐欺の場合は詐欺に遭った被害者と第三者との関係でありますから,第三者に善意無過失まで必要だという点も肯定できるのですが,錯誤はその中間であります。確かに錯誤が,詐欺あるいは後で出てくる不実表示の場合と重ねて問題になることも少なくないというのはそのとおりでありますが,他方,まず当事者間において,錯誤は本来なら自らが負担すべきリスクを相手方に転嫁する形で,保護を拡張しているのですから,第三者との関係でまで同じことが言えるかにはやや問題があって,錯誤は,むしろ心裡留保ないしは虚偽表示に近い扱いをして,第三者の過失をもはや問題にすべきではないという判断もあり得ると思います。私自身,迷うところではありますが,その点はもう少し検討を深めた方がよろしいと思います。 ○中井委員 ほぼ出ましたので,二点だけ。   一点は,先ほど林委員からもありましたが,法律行為の内容になるという意味について。それが仮に相手方が了承し,合意内容に至るようなところまで要求しているとすれば,それは過重なのではないかという意見です。むしろ,相手方に対して表意者の動機が表示され,相手方が理解ないし認識できる状態で足りるのではないか。それも含めて法律行為の内容だとおっしゃっているのならいいのですが,それ以上のものを要求しているとすれば,問題ではないか。これは消費者保護委員会から出ている意見です。   もう一点は表意者に重大な過失があったときに,相手方がそれを引き起こしたという先ほどの木村委員の意見に対してですが,消費者保護委員会の意見としては,後に議論されるであろう不当表示とパラレルに考えるべきだという意見が強くございました。したがって,過失なくして不当表示があり,これにより錯誤に陥った場合,重過失があっても保護されるべきという意見です。 ○鎌田部会長 もしよろしければまた必要に応じて,この点に戻っていただいていいということを前提にして,「詐欺又は強迫」について御意見をお伺いしたいと思います。 ○大島委員 沈黙による詐欺について,規定を設ける方向性は理解できますし,個別の救済はなされるべきだと思います。ただし,商工会議所に寄せられた意見の中には,告げるべき事実という概念は不明確で広過ぎるとして,取引実務上,判断に迷ってしまうという声がございました。中小企業であっても告知義務を果たせるように,具体的で分かりやすい文言を検討していただければと思います。よろしくお願いします。 ○筒井幹事 連合の新谷委員から,沈黙による詐欺及び不実告知,不利益事実の不告知について,事前に発言メモが提出されておりますので,それを読み上げる形で紹介いたします。   検討事項(7)の「第3 意思表示」「5 詐欺又は強迫(民法第96条)」「(1) 沈黙による詐欺」では,沈黙による詐欺について明文規定を設けることを検討するとしている。また,検討事項(7)の「第3 意思表示」「6 意思表示に関する規定の拡充」では「(1)不実告知」「(2) 不利益事実の不告知」に関する規定を拡充することについて検討することとされている。確かに,「使用者や事業者」に情報提供義務や説明義務を課すことは意味があるものの,「使用者や事業者」のみならず,「労働者や消費者」にも対等に情報提供義務が課せられるとすれば,その影響を懸念している。契約当事者の力関係等の差異に配慮した片面的な条項でなく,法適用対象たる人的範囲を限定しない民法総則の中に一般原則を掲げるのであれば,「労働契約締結過程における応募者」を含め,その適用対象の在り方について配慮をお願いしたい,とのことです。   その理由を読み上げます。   まず,アの「モノ・カネを巡る契約とヒトの労働を巡る契約との相違」ですが,労働契約の対象である労働は,生身の人間が生み出すものであり,告知義務の内容は生身の人間と切り離すことができない。労働契約の応募者に説明義務・情報提供義務又は告知義務を課すのであれば,労働を生み出す生身の人間のプライバシーや思想信条の自由等の憲法上保障されている権利との調整が不可欠である。この点において,労働契約は,一般のモノやカネに関する契約とは性質が大きく異なる。   次に,イの「採用時の差別的取扱い禁止,及び,応募者の告知義務に関する法制の未整備」ですが,採用時の差別的取扱いに関しては,男女雇用機会均等法5条が性別にかかわりのない均等な機会の付与を定めるのみであり,法的効力のない厚生労働省の指針が存在するだけである。最高裁判例によれば,労働基準法第3条所定の信条を理由とする差別的取扱い禁止は,雇入れそのものを制約する規定ではなく(三菱樹脂事件),また,労働組合法7条1号本文前段の組合員であること等を理由とする不利益取扱い禁止は,特段の事情がない限り雇入れの拒否には適用されない(JR北海道事件)。採用時に考慮してよい事項は,情報・説明を求めてもよいことになるから,使用者が応募者に求め得る情報を限定する法律も存在していない現状にある。   次に,ウの「使用者による一方的労働契約終了」ですが,沈黙による詐欺の主張は,現行の民法の下でも可能であるが,明文規定を設けた場合には,使用者が,採用時の労働者の沈黙による詐欺を理由として,採用後に契約取消しをなすことによる紛争を誘発するおそれがある。現に三菱樹脂事件では,会社は,大学での生協役員歴についての採用面接時の沈黙が詐欺に該当すると主張している。   また,採用時の差別的取扱い禁止と告知義務の範囲を限定する法の整備をしないままに,不実告知・不利益事実の不告知による表意者保護の規定を設けた場合,使用者が労働者の意思に反して一方的に行う労働契約終了として,「解雇」に加えて,新たに「採用時の労働者の不実告知や不利益事実の不告知を理由とする取消し」が加わることになり,労働契約に重大な影響を及ぼすのではないかと懸念している。 ○岡本委員 沈黙による詐欺についてでございますけれども,沈黙による詐欺が詐欺の一つの類型であるということは特に異論はございませんで,むしろ,当然かなと思っているんですけれども,沈黙による詐欺をそれをまた取り上げて殊更規定する必要があるのか。ここについて疑問を持っております。不作為につきましても行為に含まれるということは,詐欺だけでなく,ほかの一般的なところでもある話でございまして,詐欺の規定があれば,それで足りるのではないか。特に沈黙による詐欺を取り出して規定する必要というのは,余りないのではないかと思っております。 ○野村委員 沈黙による詐欺という言葉なのですけれども,従来はどちらかというと相手が錯誤に陥っているのを知りながら,それを放置して修正しないという場合を考えていたのではないかと思うのですね。ここでの提案というか,整理はそこをもうちょっと狭く,積極的に告げないことによって錯誤に陥れさせるということで,そこまで広くない概念かなと思うのですけれども,これであれば,むしろ今の96条の解釈論でも賄えるのかなと思います。ですから,むしろ規定するとしたら,錯誤に陥っているのを知りながら,そのまま放置しておくということであれば規定する意味があるのですけれども,そこまで広げるというのもちょっと問題かなと思ってちゅうちょしています。その部分は恐らく説明義務というところで大体は処理されるのかなと考えられ,ここに書かなくてもよいのではないか,そういう意味で,そこまで広げなくてもいいのかなという個人的な考えもあります。 ○山川幹事 労働法の観点からですが,先ほどの新谷委員の発言メモと一定程度,共通の感想を抱いております。この問題は,いわゆる経歴詐称の問題等について議論されることが多くて,裁判例等でも信義則上の告知義務的な発想を用いている場合があります。ただ,その場合は取消しではなくて懲戒処分とか解雇という場面で問題になります。一定程度はそういった告知義務的な発想があるんですが,他方で,経歴の中身についてはかなり限定的でして,企業秩序に影響を及ぼすような経歴詐称に限るという形です。そうすると,この沈黙による詐欺や不実告知等が取消しの関係で規定されますと,場合によってはアンバランスになる可能性があるということが懸念されます。   このような問題は多分,二つの場合,そもそも告知を求めることが妥当でない場合と,それから,一定の妥当性はあるけれども,それが交渉力格差等によって必ずしも徹底できない場合があるような感じがいたします。しかし,これは例によって労働契約の都合だけで決まることではないと思いますので,もし仮に一般的な規定を置く場合でも,例えば告知すべき,あるいはしなかった事項の性質や契約の性質,あるいは当事者間の交渉力格差といった事情も考慮していただき,そういった方向で妥当な結果が導かれるようなことも御検討いただければと思います。 ○鎌田部会長 不実告知,不利益事実の不告知にも話が及んでおりますので,そちらのほうも含めて御意見をお出しいただけばと思います。 ○岡本委員 不実告知とそれから不利益事実の不告知,両方をまとめて申し上げますけれども,二点ございます。   まず,一点目ですけれども,例えば不実告知につきましてまず不実の告知がされたと,それによって表意者が誤認をしたと,それによって意思表示がされたというふうな流れを考えてみますと,確かに意思表示については問題があるということになるでしょうから,表意者を保護する規定を設けるということは,大変,理屈としてよく分かるところでございますけれども,表意者保護の規定の仕方についてなんですけれども,これを取消しということにするとなると,結果が重大だということがございまして,それから,解決の方法として,どうしてもオール・オア・ナッシングの解決の方法になってしまうということがございまして,かえって妥当ではないということが発生してくるのではないかと懸念しております。   確かに相手が消費者の場合には要保護性が高いということで,取消しによる救済というのも理解できるところではございますけれども,事業者間取引の場合,この場合は告知義務違反などによって損害賠償で解決して,必要に応じて過失相殺で割合的解決を図るという調整処理,これも考えられるところでございまして,現状でも行われているところではないかと思うんですけれども,これは取消しとしてしまって,100か0かという解決にすることが本当に妥当なのかどうか,取消しのような重大な結果を生じさせるのは詐欺とか錯誤とか,そういう一定程度,要件が厳しいものに限られてもいいのではないかといったことがございます。特に故意を要件としないということにするとすれば,ますます,そういったところが問題になってくるのではないかと思いまして,慎重な検討が必要だと考えます。   以上が一点目でございますけれども,二点目につきましては特に表意者が事業者である場合には,消費者である場合よりも相手方の言明の正しさについて,自ら確かめるべき一定の注意義務が認められることもあろうかと思われるんですけれども,そういう意味でも,消費者契約法の不実告知あるいは不利益事実の不告知のルールを事業者間取引にも一般化するといったことについては,慎重であってしかるべきではないかと考えます。 ○木村委員 不実告知と不利益事実の不告知についてですが,いわゆる消費者契約法の考え方を一般ルール化する,そういう必要性が本当にあるのかというところは,しっかり議論する必要があると思います。いわゆる不実告知をする側とされる側が共に事業者のような場合だとか,あるいは逆に不実表示する側が消費者で,不実表示される側が事業者であるようなときを想定すると,情報収集力,あるいは交渉能力のアンバランスを前提にした消費者契約法の考え方を,一般法である民法に導入して良いのか,こういうような規定を一般ルール化してしまう必要性があるのかといった点などが,余り理解できないと感じています。特に民法における詐欺の条文,事業者の場合は景表法,あるいは消費者契約法,そういったいろいろな条文・法律で,法的な対応が既になされてきている中で,更に一般ルール化する必要性が本当にあるのでしょうか。   また,今,岡本委員が言われたように,事業者間取引において,このようなものが一般ルール化されると,かえって取消権の濫用が起き,それに伴って取引の安定性が損なわれる,要するに悪用される可能性も十分に考えられます。したがって,必要性がないように考えられるものについては,一般ルール化することに反対です。 ○藤本関係官 やや関連してなのですが,事業者間のみならず,消費者が表意者となって事業者が表意者の相手方となるケースというのもあるのではないかと。例えば保険契約を結ぼうとする方が,本人は自覚していないものの実際に病気にかかっていたというようなケースがあるのではないか。そういう消費者保護上の問題がないかという観点からも検討が必要ではないか,一般法化するに当たっては,そういう観点からも検討が必要ではないかと思います。 ○西川関係官 不実告知なんですけれども,事業者間取引の場合でも,こういう消費者契約法に似た形の不実告知を理由とした保護規定が必要な場合があり得るかもしれない。それはそういうこともあるのかもしれないと思っております。そういう意味で,仮に一般ルール化するということであれば,何についての不実告知が対象になるかということについては,事業者間取引と事業者の消費者に対する取引との取引慣行の違いも踏まえ,当然,差はあり得ると思っております。   ただ,消費者が事業者に対して行う取引に関しては,先ほど藤本関係官から保険の話がございましたけれども,例えばそれ以外にも不動産とか中古品の売買なんかの場面で,やはり消費者が誤った事項を告知してしまうということは,当然,考えられるわけでございますが,他方,そういう場合,事業者というのは,その商品分野についてはプロなわけでして,プロとして必要なチェックというのは,当然,行ってしかるべきだと考えられますから,こういった消費者が事業者に対して行う取引の場合に広く取消しが認められるというのは,やはり適当ではないのだろうと思っております。そういう意味で,規定振りについては,十分な精査をしなければいけないなと感じている次第でございます。   それから,あと,不利益事実の不告知についてですけれども,不利益事実の不告知とか不実表示とかがどういう場合にそもそも成り立つのかということについては,やはり本当に何も言わないということだけで,こういったものに当たるんだというのはなかなか難しいだろうと思いますし,取引の安定性という観点からも,当たるとすべきではないと思います。けれども,ただ,先行する利益となることを告げるような行為,先行行為,これについてはやはり概念の緩和をしたほうがいいのではないかと思っている次第でございます。例えばですけれども,利益となることを直接にずばり告げるような場合だけではなくて,ほかの表示とか,あるいは勧誘の場の状況とか雰囲気とか,そういったものを総合的に考慮して,いわゆる先行行為に当たるものがあったと評価される余地を拡大することについては検討したほうがいいのではないかと思っている次第でございます。   それから,あと,すみません,これは法の中身の話ではないのですが,資料の8ページの下の「(注)」のところでございます。これについては,この法制審で是非,ここの注に書かれたような姿勢で議論が進んでいくということを望んでおります。やはり,今後,国民に密着した民法を作っていくというためには,不実告知とか,あるいは不当条項とか,いわゆる法の中身の議論こそが法制審だけでなく法制審の外でも充実して行われるということが必要なわけでございまして,そのため,この規定をどこの場所に置くかとか,こういった外形的な問題というのは,今,絶対に議論しなければいけない論点というわけではないと思いますので,こういった問題で議論が上滑りしていくというのは,やはり得策ではないのだろうなと思っております。   といいますのも,民法改正の議論の趣旨あるいは全体像というのが必ずしも消費者団体とか一般国民に広く知られている,理解されていると言える状況ではないというのがやはりあるわけでございます。そういう状況で議論が進んでいくと,規定の場所みたいな話は,ある意味,外形的で突っ込みやすい話なわけでございまして,そういう突っ込みやすい入口の論点ばかりに議論の重点が傾いてしまって,法の中身についての議論が十分にできないまま,無用の混乱が生じていくというのは,やはり避けるべきかと思っておりますので,ここの注にあるような形の議論の展開というのが望ましいのかなと思っております。 ○大村幹事 資料12−1の8ページの「(注)」のところですけれども,まず,実質から議論しようということについては全く賛成でございます。ただ,規定をどこに置くかということについては,この審議会の考え方について,後に議論したほうがいいのでないかと思っております。   それとの関係で,この「(注)」に関してですけれども,例えば消費者契約法第4条1項第2号と全く同一のルール,こういうものを設けるということについて取り上げるということではないということが書かれております。今回,消費者契約法の規定のうちのあるものを前提にして,それを一般化するというルールの当否が議論されていますが,他の規定についても,全く同一のルールを置くというのではなくて,拡張するという議論はあり得ると思います。その議論はどこで扱われるのかということについて,後で事務局からお答えいただければ有り難いと思います。これは質問です。   そのことと絡むのですけれども,今回,ここで出てきている消費者契約法を基にした不実告知と,それから不利益事実の不告知ですけれども,ここで問われているのは意思表示に関する民法上の一般ルールとして,こういうものを置くことの当否という形になっています。しかし,この中身を変えるということについても,やはり議論はあり得るのだろうと思います。この資料の趣旨はやや分かりにくいのですけれども,消費者契約法のルールをそのまま取りあえず前提にして,それで,それを単に一般ルールとして取り込むということの当否を聞いているということでしょうか。そうだとすると,例えば関連論点で挙げられていることは,関連論点というのは9ページですけれども,消費者契約法では第三者による不実告知は対象外だというのが前提で規定は作られていると思いますので,これをわざわざ論点として切り離す必要はないことですし,それから第三者保護規定も既にあるわけなので,第三者保護規定は置くというのがスタートラインになると思います。ところが,それは独立の論点として取り出されています。仮に,これを独立の論点として取り出すのならば,(2)にも関連すると思いますが,そちらについては特に何も書かれていません。若干不整合があるように思います。  他方,太文字で書かれているところは消費者契約法を基にした内容であるように見えるのですが,その中身についてはいろいろ議論はあり得るのだろうと思います。既に出たところで「利益となる旨を告げ」というところをどうするかというようなことがありましたけれども,次の行の9ページの(2)の3行目の「故意に告げなかったこと」というのも,いろいろ議論になる要件ですので,そこをどうするのかといった問題ですとか,あるいは不実告知のほうでいうと,「告げたこと」というような形になっていますけれども,「告げたこと」という書き方がいいのかどうかということがあると思いますが,この議論の中で何を前提として,何を動かそうということが,ここではどのように整理されているのかということについて,本論に入る前にお聞かせいただければと思います。これも質問です。 ○筒井幹事 今,御質問いただいた後者の問題といいますか,今回ここで何を議論しようとしているのかという点については,一般ルールとして規定を設けるかどうかという論点をここでは取り上げようとしております。その際に,現に消費者契約における特則として消費者契約法4条の規定があるわけですから,それを参照しながら,しかし,民法における一般ルールとして,どういうものがいいのかということを自由に御議論いただこうと考えております。ですから,消費者契約法のこの規定をどのように修正するのかという視点で,必ずしもすべての論点を整理してはおりませんが,しかし,現在,あるものとの比較で,民法において一般ルールとして規定をするのであれば,このような手直しがあった方がよいのではないかといった議論は,当然にこの場で行われるべきであろうし,そういう議論を何か排除するような考えは一切持っておりません。   また,前半でお尋ねがありました点ですけれども,消費者契約法の実体規定について,消費者契約の特則という形で民法に規定を置くことの当否に関しては,部会資料の「(注)」のところでは,御指摘がありましたように全く同一のルールということを書きましたけれども,これは飽くまでも例として全く同一ということを挙げただけでありまして,それ以外に,何らかの修正をしたものを消費者契約の特則として,しかし民法に規定を置くという考え方というのは,考え方としては当然あり得るのだろうとは思いますが,それはこの部会資料で取り上げているものではないということであります。   消費者契約法4条の規定の一部を消費者契約の特則のままで民法に統合するといった考え方が,立法提言として既に示されていることは,私としても承知しております。また,そのような規定を民法に置くことの当否は,それが民法典の在り方にかかわる重要な問題であるという指摘があることもまた,承知しております。しかし,他方で,ある規律をどの法典に収めるべきかという問題は,単なる法制上の整理の問題であるという見方もあるわけです。そういう観点から,事務局資料において,今後,この問題を取り上げるのか,取り上げないのかということについては,もう少し考えてみたいと思っております。   もっとも,事務局資料とは別に,本日の会議や,個別論点に関する検討の最後の方の機会に,部会メンバーからこの問題に関する意見が出され,この部会で議論がされることについてまで,何か不適当であるとは全く考えてはいないということであります。 ○道垣内幹事 関連しているつもりなのですが,一言申し上げます。今まで不実告知について出された意見というのは,一般的に不実告知という制度を置くということになると,いろいろ問題が生じる,つまり,本来ならば相手方の告知に対して信頼を寄せるべきではない専門家が,相手方に不実告知があったということを理由に,契約の意思表示につき取消しという効果を主張することになるとすると,それはおかしいのではないか。こういった話が出たと思うんですけれども,しかし,ここでの議論は,結局,故意に限定されている詐欺という制度,もちろん,強迫も故意でございますが,故意に限定されている詐欺とか強迫という制度のほかに,ある一定の人が故意以外で不実告知を行ったときに,契約の取消しという救済手段を相手方に与えるべき場合があるのではないか,という議論だと思うんですね。   実際,詳細版のほうの60から61ページのあたりに,各国等の制度の例が挙げられているわけです。例えばアメリカ契約法第2次リステイトメントというのが61ページに挙げられていますけれども,もちろん,一定の要件によって限定を付した上で,日本で言うような詐欺とか強迫に当たらない場合にも,相手方の救済というのを認めるべきときを規定をしています。私はここでの議論は,一定の要件限定をすることはあり得るべしということは一つの前提としながら,詐欺又は強迫という類型以外にも,情報提供の不実さないしは不告知を理由に,相手方に救済を与えるというべき場合があるのではないか,それをルールを規定すべきかどうかということだと思うのです。私は今,ここでどういう要件設定が妥当であるかということに対して,自信を持った提案をすることはできませんけれども,現状の詐欺又は強迫だけでは,やはり消費者契約法の適用領域以外あるいは同法の要件が具備された場合以外でも救われるべき場合なのに救われないというケースが多々あるのではないか,したがって,要件設定について,今後,各国法等を参考にしながら限定を付していくということは必要だろうけれども,検討すべきであろう,というわけであり,消費者契約法と同じような一般的な規定を置いてしまうと問題が生じるということを理由に,およそ不実告知制度というのを置くべきではないという結論を出すというのは,私は議論の仕方としてはおかしいのではないかと思います。 ○岡田委員 消費者契約法と対比されるのが特定商取引法で,いずれも不実告知,事実の不告知に関して同じような条文がありますが少々違いがあります。消費者契約法においては動機が不実告知等の対象になっていませんが,特定商取引法においては動機も対象になっています。また事実の不告知に関して消費者契約法では,利益になることを言った上で,不利益なことを言わない場合となっていますが,特定商取引法は利益に関して言う必要はなく,重要な事実に関して不利益事実を告知しないこととされています。このように現状では特定商取引法の方が消費者契約法よりも進んでいます。今後消費者契約法は改正されると思いますが,消費者契約法及び特定商取引法の不実告知等は,民法の過失責任の特別規定であることに意義があります。事実の不告知に関しては故意が求められていますが,これも民法とは同じではないように解釈しておりますので,消費者の情報や交渉力の格差をカバーしていると感じております。   ただ,情報や交渉力の格差は消費者だけの問題ではありません。不利益な契約でありながら法律的に消費者ではないことから取り消すことができない,救済されないという立場の方々も少なくありません。消費者センターには近年小企業とか零細企業という方々の相談が増えています。相談内容は訪問販売等の消費者相談と同じようなものですところが,消費者センターでそういう方々を救済することは容易ではありません。販売事業者等は消費者関連法規の適用がないことを分かってこれらの方々を勧誘しているわけですから,消費者センターの話を受け入れてくれない場合が多いのです。情報格差というものをベースにして,民法の中に一般ルールとしてこれらの規定を入るのは,必要ではないかと思います。もちろん大企業間の契約や完全な事業契約に関しては,当然,制限が必要かと思います。   それから,消費者契約に関して一般ルールに入れれば,それで消費者契約法は要らないとか,特定商取引法が要らないとかいうことではないと思います。消費者契約法とか特定商取引法の基本の部分つまりベースになる部分が民法に入ることによって,消費者契約法や特定商取引法は後退するのではなくむしろより消費者保護の手当てが厚くなることを期待したいと思います。ちなみに,今の形で一般ルールが入ってしまって困るというのは,金融商品関係で顧客カードというのがありますが,これは契約に際して事業者に書いてくれと言われて,事業者の勧誘を信じた消費者は契約することで利益を得たいと考えますから,事実と異なったことをそのカードに記入してしまうというのが現状だと聞きます。弁護士さん達は裁判等でかなり苦労しているというのですが,これが民法のルールになってしまうと,消費者が結局,不実告知をしたことになりますが,事業者が働き掛けたということで救済されるのであればいいのですけれども,そのような場合についても特別な配慮がされるかたちでの一般ルール化を検討願いたいと思います   加えてお願いしたいことは,消費者関連の法律が民法等の一般法と全く異なった特別な法律だという今までの形ではなく,基本となる考え方は一般ルールにもあり,プラスアルファで消費者を保護しなければいけない,救済しなければいけない,さらに悪質な商法から小企業や零細企業も救済されるべきであるという枠組みを考えていただきたいです。民法と消費者関連法が別だという考え方に関しては,私は違うのではないかと思えます。ただ,消費者関連法が今より後退することはないと念じております。 ○潮見幹事 少し前の話に戻るのかもしれませんけれども,私自身は事務局の資料で作られている消費者契約法上の規定を参照しつつ,一般ルールとして不実告知がされた場合の表意者を保護する規定を民法にも設けるべきであるという考え方に対しては,基本的に賛成です。また,その前のあたりに書いているような重要事項につき,事実と異なることを告げたことにより表意者がその事実を誤認して意思表示をしたという場合に,取消権を認めるべきであるというような考え方についても,基本的に賛成します。   ここでの問題というのは,基本的には自己決定のための情報収集だとか,あるいは自己決定のための基盤形成は,基本的に表意者が自らの責任で,自らのリスクで行うべきであるというもので,このことは出発点として異論がないところではなかろうかと思います。ただ,そういう情報収集だとか,あるいは自己決定基盤の形成のプロセスに相手方が介入してきたときに,そのときに相手方の介入の不当性をとらえて,どのような対処をするのかということが,ここでの問題ではなかろうかと思います。岡本委員のお話は,実はこの次に続いてくることでございまして,そういうときに,そうしたらどのような処理をするのかという問題が出てくるのでして,一方では損害賠償という形で問題を処理するというのが可能性としてはあろうかと思います。従前の議論というものは,その部分でかなりの展開をしてきていると。それから,もう一つの可能性がここで書かれていることでして,そもそもある一定の行為態様に基づく介入がされたときには,もはや表意者の自己決定というものは実は自己決定ではないのだということで,自己決定の効力自体を否定するというものです。ここでの取消権というのは専ら後者の問題としてとらえられるべきものです。   先ほどの道垣内幹事のお話にもありましたように,確かに,どのような場面で,どういう要件で取消し処理を認めるのかということを詰めなければいけない。これはそのとおりだと思いますが,そのときに事業者・消費者の取引と,事業者・事業者の取引とで自己決定自体がないというような評価がされる場面において質的に違いがあるのかと言われた場合に,この質的な違いはないと思います。   そのときに,ここでは,先ほどの8ページから9ページの資料のところに書かれている重要事項という形で一点,絞りをかけているし,それから,もう一つは,消費者がその事実を「誤認して意思表示をした」という形で絞りをかけている。これは詐欺や強迫のあたりで言われているパターンと全く同じでして,因果関係要件,つまり,このようなことがなければ自己決定はしなかったんだというメッセージが「誤認して」というところに含まれているものというように理解すべきではないかと思います。   先ほど一部の御発言の中で,相手方の確認義務のお話とかも出てまいりましたけれども,それは誤認のところでとらえられてきた問題ですから,ここで解釈ができないということであれば,詐欺だとか強迫の場面でも同じく解釈ができないということを言っているのも同然でして,そう考えますと,「誤認して」という部分を従前のような一般的に理解されている理解の下で考えていたならば,それほど変なルールにはなっていないと思うところです。   さきほど話が出た消費者が不実告知をしたような場合でも,事業者が「誤認して」意思決定をしたという因果関係要件で処理できますから,こういうルールを設けたことによって,消費者に逆に不利益になるようなルールが作り上げられてしまうという懸念はないと考えているところです。そのあたりも含めて,こういう一般法化ということのプラスの面というものも,是非,お考えおきいただければいいかと思います。要するに,この方向で私はやってほしいということでございます。 ○深山幹事 不実告知あるいは不利益利益の不告知に関して,ここで議論する意味合いについては,先ほど道垣内先生が申し上げたいことを簡潔明瞭に整理をしていただいたので,100%,これを引用させていただきたいと思いますが,その上で,その先について少し意見を申し上げます。詐欺や錯誤の既存の規律では足りないといいますか,それプラス,更に無効なり取消しなりを認める場面を想定するその要件はいかにというときに,やはりかなり絞られるべき問題なんだろうと思います。   つまり,詐欺との比較が一番分かりやすいかもしれませんが,故意に何か不実を告知すれば,それは詐欺の問題としてとらえられるわけですけれども,そうではない故意がない場合には,過失がある場合と過失すらない場合とが想定できるわけですが,基本的には過失ないし帰責性というものがある場合に,やはり絞りをかける必要があるのだろうと思います。不実を告知する場合には,もちろんケース・バイ・ケースなので,無過失の場合というのもあり得るかとは思いますが,過失が認められるケースのほうが一般的には多いのかなという気がします。   それに対して不利益事実の不告知については,これももちろんケース・バイ・ケースで過失が認められる場合というのはあるでしょうが,そう多くはないのだろうなと思います。先ほど来出ているビジネスの事業者対事業者の取引交渉の中で,不利益なことをあえて言わないというのは,ある意味で常識的なところで,そんなものを全部さらけ出したらビジネスにならないというようなことがあるわけです。しかし,これは言わなければいけないでしょうと,言わなかったことについて落ち度があるでしょうという評価が加えられる場合に限るならば,例外的に取消しというようなドラスチックな効果を認める余地を頭から否定する気はないんですが,かなりそこを意識すると,例外的な場合にしか適用されなくて,つまり,幅の狭い適用領域なのかなという気がします。さりとて全くそういう領域がないという気もしませんので,新たな規律を入れること自体については積極的に考えたいんですが,消費者契約法に,言葉は悪いですけれども,引きずられて同じような感覚で議論するのは,これはこれでよろしくない。   そのことによって,もちろん消費者契約の適用場面で消費者の保護が弱まるということになってももちろんいけないわけですが,民法一般のルールとしてはかなり現行の規律を拡張して取消し場面をつくるとしたら,慎重に検討して,要件を過失なり帰責性を意識した規律にすべきではないかと,こんなふうに考えております。 ○松本委員 消費者契約に関する判例から様々な法理ができてきています。また,消費者契約法の中に一定の法理が定められていますが,それらの中で民法,つまり,当事者がだれであるかを問わず,一般に適用されるルールとして一般法化してもおかしくないものがあれば,一般法化すべきであると私は思っています。ただ,その場合に消費者契約法という非常に不十分な内容の法律を基にして議論されると,非常にゆがんだ結果になると思います。むしろ,消費者契約法に,なぜこういう条文が置かれたのかというもう一つ前の段階にまでさかのぼって,その精神を民法に取り込むとすれば,どういう条文の立て方がいいのかという形で議論すべきだろうと考えます。   そうすると,消費者契約法でこういう条項が入った理由は何かというと,それは先ほど道垣内幹事がおっしゃったような詐欺と錯誤のすき間に落ち込んでいるところの消費者契約における消費者被害をどう救済するかに原点があったわけです。そして,不実告知あるいは不利益事実の不告知と言われていますが,これの基になった考え方は詳細版の60から61ページに書かれていることを比較していただければよく分かりますが,英米法の不実表示,misrepresentationという考え方にあります。これは英米法の一般ルールですが,それを取り込んでかなり限定をしたものが日本の消費者契約法の現行ルールなので,今の非常に限定されたものを一般法化するというのは,非常に不十分な形になると思います。   したがって,もう一度,さかのぼって,詐欺と錯誤の透き間をどうするんだというところからきちんと議論をして,その上で私が先ほど言いましたけれども,要素の錯誤については言わば錯誤者が一方的に保護されているという状況なのに,要素の錯誤以外で相手方からの働き掛けがあった場合について,従来の民法は詐欺という非常に限定的な場合を除いては保護しようとしなかった。こういうアンバランスがいいのかという問題と,不実表示の問題は密接に絡んでいると思います。詐欺,錯誤,不実告知というのは,言わば一連のものとして考えるべきだろうと思います。 ○山本(敬)幹事 不実告知に関して意見を述べさせていただければと思います。  まず,先ほど道垣内幹事及び潮見幹事からおっしゃっていただいたことに基本的に賛成なのですが,その上でさらに,不実告知による取消しをなぜ意思表示一般について規定すべきかという理由について一言付け加えておきたいと思います。これは,資料にも挙げられていますように,事実に関して相手方が不実の表示をすると,消費者でなくても誤認してしまう可能性が高い。したがって,事実に関する不実告知については,表意者を保護すべき必要性は一般的に存在するという理由が考えられるわけですが,更にもう一つ付け加えて言いますと,先ほど錯誤のところでも出ていたことですが,この場合は,相手方も自ら誤った事実を表示して,正にそれによって表意者の錯誤を引き起こしたわけですから,取り消されても仕方がないと言うことができます。   これは,実は,従来から錯誤に関して学説上言われていたことを基礎にしています。つまり,錯誤に関しては,特に動機の錯誤について,先ほどのように,どのような要件のもとに錯誤を考慮するか,争いがあったわけですが,いずれにしても,その錯誤を相手方が引き起こしたときは,錯誤の主張を認めるべきであるということが言われていました。なぜ錯誤に陥ったかというと,あなたがそのような錯誤を引き起こす原因を作ったのだから,無効にされても仕方がないでしょうと考えるわけです。そして,比較法的に見ましても,相手方が錯誤を引き起こした,ないしはその誘因を与えたときは,取消し等を認めるという考え方がよく見られます。   このように,誤った事実を表示して,それによって表意者の錯誤を引き起こした以上,それを理由に取り消されてもやむをえないという考え方は,単に消費者契約のみにあてはまることではなくて,広く民法一般に妥当する基本原則として認めてよいと考えられます。  このように考えますと,これを消費者契約に限る理由はありません。もちろん,特別な領域を限定して,例えば保険などがそうかもしれませんが,特に消費者等を保護すべき理由がある場合に,例外を認めることは考えられますが,消費者一般についてすべて例外だというところまで基礎付ける理由はないのではないかと思う次第です。   さらに,これも少し御指摘がありましたが,要件をどう立てるべきかという点については,潮見幹事がおっしゃったとおりなのですが,もう少し付け加えて言いますと,不実告知,というよりも,私は次の不利益事実の不告知とあわせて「不実表示」とまとめてよいと考えるのですが,この不実表示があったかどうかを判断する際には,やはりどのような場合に「表示した」と言えるかということが常に解釈問題として出てくるだろうと思います。この表示の解釈については,基本的には意思表示ないしは契約の解釈に関する準則が準用されるのではないかと思います。そうしますと,前にここでも少し検討した規範的解釈等に関するルールがここでも準用されてくる。つまり,当事者が当該事情の下において合理的に考えるならば理解したであろう意味にしたがって表示の意味が確定されることになると考えられます。   これによると,プロ同士の契約の場合と消費者契約の場合とでは,「合理的に考えるならば理解したであろう意味」が違ってくることもあり得ると考えられます。プロ同士の契約の場合は,表意者の表示を文字どおり受け止めてはいけなくて,プロならばこのような意味で理解するのが合理的であるという場合には,それに従った表示がされたと解釈することになると思います。消費者契約の場合についても,事業者の側には同じことが当てはまると思います。つまり,消費者の表示を文字どおり受け止めてはいけない。事業者としては,このような意味で理解するのが合理的だというところにしたがって解釈すべきではないかと思います。消費者の側は,事業者の表示を消費者ならばどのように理解するのが合理的かということにしたがって解釈されることになると考えられます。  いずれにしましても,このような解釈が避けられませんし,実際にこうした解釈が行われることになると思いますので,懸念されているような問題は現実には生じないのではないかと思う次第です。 ○山野目幹事 二点,意見を述べさせていただきます。   一点目は不実告知や不利益事実の不告知について,消費者契約であるという限定を設けないで,これを一般的に規定することに私としては賛成でございますが,これについては本日の御議論の中で,なぜそのようにする実際上の必要性があるのかという御指摘も頂いたところであります。事業者間契約の領域におきましても,岡田委員から御指摘があったように零細な事業者のことを考えますと,情報の格差がある場合が存在しますし,それから,消費者間の契約の場合におきましても,例えば中古住宅の売買のような場面を考えたときに,宅地建物取引業者がいったん取得して,在庫を消費者に売るというような場合であれば,現行法であっても消費者契約法が働いて,重要事項について不実告知を受けて,買い手である消費者が誤認をして契約をすれば取消権を行使することができますが,宅地建物取引業法で言う自ら売主の場合ではなくて,業者が仲介で入っているにすぎない場合については,消費者と消費者の契約になりまして,買主である消費者が,売主である消費者から事実と異なる事項を告知されて,誤認をして契約をしたという場合に詐欺や錯誤で救済されないと,現状においては救済が働かないことになりますが,このような解決の懸隔を設けることには合理性が感じられないわけでございまして,これはやはり消費者であっても,自ら不実を告知したということがあれば,取消しを受けてもやむを得ないという利益考量は,十分あり得るのであろうと考えるところでございます。   もう一点は,一般法化するときの取消権行使の要件でございますけれども,既に御指摘がありましたように,消費者が事業者に対してした意思表示のみならず,事業者間の契約又は消費者間の契約,取り分け更に事業者が消費者に対してした意思表示にも,不実告知による取消しの規定が形式論理として適用が可能となり,消費者の情報提供が不正確であったという理由により,事業者が自分のした意思表示を取り消すこともあり得るように映りますが,しかし,この点につきましては意思表示をする者が,誤った情報により抱いた信頼が妥当なものであったかどうかを問題とする見地を介在させて,新しくこれから導入される不実告知の法理が運用されるべきであると考えます。   具体的な手法としては,既に御指摘を頂いているところでありますが,現行法の中にも例えば意思表示をするについて,「通常」影響を及ぼすべき事項といったような,そういった限定の示唆があるわけでございます。現行法の「通常」という言葉は,今話題になっているのとは少し意味合いが違うでしょうけれども,そういうふうな限定文言を用いることを通じて,適切な法律運用を確保することは可能でありますし,また,道垣内幹事が指摘したように,アメリカ契約法の第2次ステイトメントに見られるような信頼の正当性といったような概念を正面から何らか工夫して,明示していくということもないものではないと思います。そういう工夫を重ねていくことによって,是非,この不実告知などの法理の一般法化というテーマは,チャレンジされていってよいテーマではないかと考える次第でございます。 ○奈須野関係官 経済産業省としては,これまで多くの方が述べられているとおり,不実告知,不利益事実の不告知について,一般法化するということに反対であります。ここから先は私の感想めいた話ではあるんですけれども,そもそも先ほどもちょっと触れたように,商取引というのは大量の契約を迅速に処理しなければいけないという事情があるわけで,そういう中で没個性的に契約を扱う以上,契約の内容に取り込まれていない事情に基づく取消しであるとか無効であるとか,そういうものはできるだけ減らしたいという本質的な動機があるわけでございます。そういう中で,今日の暴利行為であるとか,今回の不実告知,不利益事実の不告知であるとか,取消し,無効のカタログを増やすこと自身にそもそも産業界として,それほどの魅力を感じていないということではないのかなと感想として思います。   これに対して例外的な話だからいいではないかと,そういうのはあり得るだろうとか,あるいは要件の問題ではないかと。それは正にそのとおりだと私は思うんですけれども,そういう立法事実としての認識がない中で,関係者の理解を得ていくというのは,実際問題,私としては非常に困難を感じているというところでありまして,果たしてこの論点について,どの程度,突き詰めていくことが全体の債権法の改正のパッケージの中で,優先順位として必要であるかということについては,よく精査が必要ではないのかなと思います。   続いて,恐らく事務局としての本当の動機は,現代的な取引の実情を踏まえた新しい契約の規定の類型の要否ということだろうというのをお題としては認識しておりますので,反対ばかりしているのも何ですので,どういうものがあり得るかということを考えますと,表明保証みたいなものについては検討の余地があると思います。   例えば近年の商取引に起きましては,M&A絡みの取引であるとか,あるいはライセンス契約などでは,表明保証条項を用いることが一般的になっています。表明保証違反の効果については,その契約の目的となる取引が実行される前には契約の履行の前提条件となると。違反が判明した場合には解除要件になると。履行後においては表明保証違反を理由とする解除を認めないで,損害賠償で金銭的解決を図るというような合意になっているということで,このように無効であるとか,あるいは取消しであるとか,そういうカタログもいいんですけれども,このような実際の取引で行われているような契約類型についても,新たなカタログとして追加していただくということも検討いただきたいと思っております。 ○大島委員 今までの御意見と重複してしまうところもあると思いますが,実態を踏まえて意見を述べさせていただきます。東京商工会議所には,電話機や節電器などのリース契約に関する相談が多数寄せられております。相談者のほとんどは従業員5人以下の小規模事業者で,電話代が安くなるとか,電気代が下がるといった勧誘を受け,事業者名で契約したものの,相場より契約金額が高額な気がするので,解約したいというのが主な相談内容です。情報量や交渉力の格差によって,こうしたトラブルが発生しているのではないかと思われます。この問題は消費者対事業者といった人の属性に関係なく生じることでありますので,こうしたことも勘案していただきたいと思います。   なお,事業者間の問題についていえば,交渉上,不利益な情報は積極的に開示しないことが一般的な取引の実態であると思います。「意思決定に重大な影響を及ぼすもの」や「意思表示をするか否かの判断に,通常,影響を及ぼすべき事項」の範囲は,取引の内容や種類,取引する相手によっても異なり,判断が困難なケースもあるのではないかという意見がございました。企業がリスクを避けるために過剰反応し,取引の迅速性が阻害されるおそれもございますので,過度な負担にならないように,慎重な御検討を頂ければと思います。よろしくお願いします。 ○神作幹事 不実告知及び不利益事実の不告知の規律を民法に一般化する際の考え方について,最初に大村先生が御指摘された点ともかかわると思うのですけれども,私の理解では消費者契約法の4条等の当該規律は,飽くまでも勧誘規制の一環でありまして,勧誘をする際に不実告知等がなされる場合を規律の対象とするものであります。私のイメージでは,勧誘された場合ですとか,あるいはいわゆる練り上げ型というのでしょうか,例えば企業買収ですとか,株式のブロックの売買など当事者間において交渉やデューデリをしながら条件を詰めていくというような場合についても,消費者契約法4条と同様の規律を適用することには,違和感があります。   消費者か事業者かという点で,規律を分ける必要はないではないかという点については,私もある程度,同意できる部分はあるのですけれども,本来,消費者契約法における規律の目的と方法は,不適正な勧誘を規律するために勧誘規制の一環として導入された民事ルールであると思いますので,これを意思表示の形成過程一般の話にどこまで一般化できるのかという点については,更に慎重に議論をしていく必要があるように感じたところでございます。 ○岡委員 東弁とか福岡とか,横浜弁護士会の意見を踏まえて,意見を申し上げたいと思います。まず,現在の過失なき不実告知の場合でも取り消せるという,この不実告知のルールを一般法化することには反対でございます。その背景としまして,今の神作先生のお話に似ているのかどうかはちょっと自信がないんですが,弁護士から見ると,現在の過失がなくても不実告知をした場合に取り消されるというルールは,やはり事業者が「消費者」に対して行う取引,あるいは,事業者が「消費者に類する事業者」に対して行う取引,力関係に構造的な差がある場合のルールとしては,大賛成です。現在,ここで議論している不実告知のルールは,もし民法に規律しない場合でも消費者契約法に戻して,消費者契約法として実現すべき大変いい議論であるという受け止め方が弁護士会には強いです。   ただ,このルールを消費者が事業者に対して行う取引に持っていけるかというと,労働者と事業者,あるいは保険契約の解除に制限のあるような場合が多々あることに象徴されるように,過失なき不実告知であっても取り消すというルールを入れるのは,非常に警戒感,本当に大丈夫かという意見が大変強くございます。そういう意味では,かなり反対に近い意見でございます。   最後に,事業者間取引のところについては,弁護士会も意見が分かれております。先ほど来,学者の先生が言われているような不実の情報を引き起こした以上,過失がなくても,それは仕方ないではないかという意見にもっともだという声もある一方,やはりそれは少し厳し過ぎるのではないかと。過失なく表示した場合にも,事実と異なる原因を引き起こしたということだけで取り消せるというところまでいくのは,まだ,時期尚早ではないか。そういう意見が強くございます。   先ほどの表明保証の話にもつながりますが,「自分の知る限り,こういう事実である」という表示をする契約,表明保証の契約が多いと思いますが,その場合にまで不実告知,この取消しが及ぶとなると,それはやはり大変です。そうなると,事業者間取引には過失要件を持ち込むなり,あるいは過失なき不実表示の場合には取消しはしませんという別段の合意をすれば不実行為取消しがきかなくなるというルール,要するに任意法規化をすべきであるという意見が強いです。要するに,事業者間取引に,過失なき不実告知の取消ルールを取り込むことについては,相当,警戒感があるというのが現状でございます。 ○山下委員 本日の問題設定が消費者契約法の取消しの規定を一般法化するかどうかという,そういう問題設定なのですけれども,消費者契約法ができるときの事情を考えれば,これはやはり1条にあるように情報格差が非常に大きいということが当然の前提で,その中で,本来,あのときは事業者の情報提供義務というのを広く規定すべきだという議論が消費者サイドからあったのですけれども,それがなかなか政治的には難しくて,取消権のような形で規定が置かれるようになり,しかも不実表示と不利益事実の不告知とに限られたのですが,そういう規定を作るのでも,やはり情報力の格差というのが根源にあるから,そういう規定が正当化されるということだったんですね。   これを一般法化するということの可否が問題となっているのですが,本日はそういう一般法化をしていい場合が確かに世の中にはあることは間違いないだろうから,あとは要件でどう絞っていくかという議論が多々あったのですが,やはり要件論に入る前に,なぜこういう規定を一般法化するか。そこの理論的に根源のところの説明がまだ十分でないように感じた次第でございます。それが具体的に,岡委員が御指摘のような事業者間取引でどうかとか,消費者が事業者に対して行う取引でどうかと,そういうあたりの議論につながってくるのだろうと思うので,なぜやはりこういう規定を一般法化するかということの理論的な根拠の説明をもう少し深める必要があるのかなというのが,今日のところの感想でございます。 ○内田委員 不実告知といいますか,不実表示の一般的なルールを作ることに対して,特に事業者間取引を想定した場合に,おかしいのではないかという御疑問が非常に多いということは,従来からよく承知をしております。今日の議論でもそれが非常にうかがわれたわけですが,これに関して素朴な疑問があるものですから,発言させていただきたいと思います。奈須野関係官からも言及され,また,岡委員からも言及されたのですが,表明保証というのが企業間で使われています。特に最近,非常に多用されていて,M&Aとか,プロ同士の企業間の取引で使われるわけです。   私の理解が正確なのかどうか分かりませんが,この表明保証というのはもともともリプレゼンテーション・アンド・ワランティという英米法の概念で,純粋に英米法のコンテクストの中で出てきたものだと思いますが,それがなぜか日本で使われているわけです。このリプレゼンテーションというのは英米法ではミスリプレゼンテーションという法理が前提となっています。つまり,相手が契約をするかどうかに直結するようなことで,事実に反することを表示して契約させてしまった場合には契約を取り消されるという大原則があった上で,その場合のミスリプレゼンテーションが適用される対象が,契約をするかどうかに影響するような事実に限られますので,それだけではなくて,今,私が表明したことについては全部責任を負いますというふうに,それを拡張するためにリプレゼンテーションの合意を特にするのが表明保証の「表明」の意味なのだと思います。   このように,基になっているアメリカ法などでは,前提としてミスリプレゼンテーション,つまり不実表示の法理があるわけで,それを基にした表明保証を使っておられるビジネスの人たちが,前提となる不実表示の一般原則を導入することには反対されるというのは,どうしてなのかよく分からないところがあります。   もしかしたら,表示の中に少しでも事実に反することが含まれていたら,常に,契約を取り消せるとでもいうような,そんな法理であるかのように誤解をされている面があるのかもしれないと思いますが,アメリカ法で言われているような不実表示は要件が絞られていて,松本先生の翻訳で「重大な」と訳されています,マテリアルな不実表示でなければいけないという要件があって,相手が契約をするかどうかに直結するがい然性のある事実についての不実表示という絞りがかかっているわけです。そういう要件の絞りによって,それなりの対応はできる問題なのに,どうしてアメリカ法の大原則には反対で,その原則から派生した合意の部分は合理的な実務として受け入れるということになるのか,そこがよく分からないという感じがいたします。 ○岡委員 過失なき不実表示でも取り消されるんですか。弁護士で議論しているときは,過失があった場合はしようがない,故意があった場合もしようがない。しかし,過失なき不実表示の場合でも取り消されるのかというのが疑問として最も多くございました。 ○内田委員 それはアメリカ法の場合ですか。アメリカのリステイトメントには規定がたくさんありまして,先生の想定しておられるような意味での過失なき場合がどうかというのは,にわかにはお答えできませんけれども,そこは日本法でどう規定を作るかという観点から,独自に考えていけばいいのではないかと思います。アメリカの場合に,どういう場合にマテリアルな不実表示になるかということについては,リステイトメントの中で規定が置かれています。 ○奈須野関係官 内田先生の御質問にお答えすれば,結論として表明保証であっても,不実告知,不利益事実の不告知であっても同じではないかと,こういう御趣旨だと思うんですけれども,やはり現状,ここの問題提起が消費者契約法におけるルールを一般的に拡張していくという説明がなされているものですから,そのようなルートからここに至るというのは,ちょっと説得上,非常に困難であると,こういうことであります。 ○中井委員 岡委員から弁護士会の意見の紹介がございましたけれども,他方で例えば大阪弁護士会であるとか消費者保護委員会からの意見としては,先ほど来,研究者の皆さん,山本敬三委員らがおっしゃっている方向に,積極的に賛成する意見です。ただ,その中であっても,いわゆる逆適用の問題というのでしょうか,事業者から逆に取消しを言われる,消費者に対する逆適用の問題についての懸念,事業者間取引への適用の懸念等の表明があります。   そのときに出てくるのが故意,過失なくして不実表示したときにまで適用されることに対する懸念です。事業者対消費者以外の場面,事業者対事業者,消費者対事業者もそうですし,消費者対消費者もそうかもしれませんが,それらの場合に不実表示した側に何らかの主観的な要件として,過失等を踏まえることによって調整できないのか。また,消費者対事業者,これは保険契約等の場合ですが,消費者側から不実表示があったときの事業者側については,何らかの調査義務等を課すことによって,そこに過失があったときに初めて認められるというように,不実表示者側と表意者側に類型によって異なる主観的要件を入れることによって調整できないか。先ほどからの山本敬三委員らによれば,そこでの調整ではなくても,十分,弊害は除かれるという御説明でしたけれども,そのあたりについて実務のほうでは心配しています。   一般論として研究者のおっしゃっていることについては,十分,理解するという弁護士が多い中で,それであっても心配だという,それはこれが濫用される,すぐ取消しだという紛争が多発するのではないか,こういう問題を懸念する弁護士が非常に多いということが背景にあります。 ○沖野幹事 不実告知がなぜ取消し事由として認められるかという点ですけれども,もともと消費者契約法であるものを一般化できるかというのは,既存の手掛かりがあるので一般化できるかという問題の提起の仕方をしているんだと思います。けれども,これは松本委員もおっしゃり,道垣内幹事が御指摘になりましたように,そもそも一般的な意思表示の在り方としてどうかという問いであって,消費者契約法は現行法で既にあるので参考になるという,そういう問題提起なのだろうと思います。   そうして見たときに,不実表示の規定自体は,潮見幹事がおっしゃいましたように,誤認という形で意思表示のゆがみがある場合です。その意思表示のゆがみというのが情報の収集や分析,判断という,意思決定の基礎をなす情報についての不十全さの結果,ゆがみが出ているという場合です。その部分は基本的には各当事者が引き受けるべきところを相手方に転嫁できるのはどういう場合かという問題で,不実表示はその転嫁が認められる場面の一つであるといえます。なぜそういう転嫁ができるのかを考えますと,それは,相手方から提供された情報について,こういうものについてはそれを信じてよいという場合がある,それが消費者契約に限らずあるはずであるという,そういう前提なのだと思います。   ですから,相手方がそのような場面において不実を告知するとか,不実を表示するというのは,正にそういう信頼を裏切るような行為が相手方によってなされていて,それによって意思表示のゆがみが出ていると評価できる場面です。そしてそういう場面は,消費者契約に限らずあるだろうということであり,およそ何か不実のことを告げれば全部が不実表示として転嫁できるということではなくて,情報についてのそのようなリスク分担の在り方,その場面の切り分けを受けるのが,この不実告知あるいは不実表示の制度なのだろうと思います。   御懸念が示されたところですが,相手方から積極的に提供された情報に依拠してよいという場合が消費者契約以外においても存在し得るという点での理解は大きく違ってはいないように思います。むしろ,御懸念自体は,それが現在提示されたような形での定式化,あるいは消費者契約法の定式の下で,もともと消費者契約ということで構造的な情報格差を結実させる要件となっている,それを取り払って,残りの要件だけを持ってくる形での定式化に対して,そのような場面であるということが適切に表現されているのかということだと思います。ただ,それに対しましては既に要件の在り方としては,いろいろな工夫の余地があるとして示されたところですので,対応の余地は十分あるのではないかと思います。   ただ,他方で逆にいろいろな工夫の仕方が示されたということは,既に御指摘に表れたところでも,誤認の要件において受けられるという考え方もありましたし,あるいは不実表示自体の理解の仕方によっても吸収できるという考え方もありました。あるいは,更には契約を締結するか否かの判断に影響を及ぼすべき事項が「通常」どうであるかという,その「通常性」のところでその切り分けを持たせるという考え方もあれば,やはりより積極的にむしろ相手方の正当な信頼だとか,そういう要件を立てるべきだというふうに,様々な考え方が出された。そのように様々な考え方が出されるということは,逆に言うと,その問題がどこで受けられるのかがなおあいまいであるために,御懸念を生むような形になっているのではないかと考えられますから,正にそこは実務的な懸念を極力解消できるように要件化を考える,あるいは少なくとも明確な理解を打ち立てるようにするということで,対応すべき事項ではないかと思います。 ○藤本関係官 仮に入れるとした場合の要件の話です。詳細版の59ページにございますが,告知と不告知の区別をしないという見地から,不実表示という概念を設けるという提案があるということが記載されております。ただ,仮に表示といったものにすると,対象が意図したものよりも広がるおそれがあるのではないか。沖野幹事が言われたことと関連するようなことでありますが,例えば私どもの身近な例を挙げますと,有価証券届出書というものがございまして,それは金融商品取引法に基づいて作成され,公衆縦覧に付しております。虚偽記載というものに対しては,損害賠償責任,刑事罰,課徴金などというエンフォースメントの仕組みがございます。   仮にこうしたものが不実表示ということになると,社債発行などに係る意思表示が取り消されるのではないかとか,第三者による不実表示ということで,証券会社と投資家との間の有価証券の譲渡に係る意思表示が取り消されるのではないかとか,これは飽くまでも一例で,そうであってもいいとか,ないとかと,いろいろ議論があると思いますが,思ってもみないところに対象が広がっていくのではないかという懸念というのがあるのではないと思っています。したがって,こういう要件を定めるとしても,やはり難しいところがあるのではないかと思ったところです。   もう一点,部会資料を読んでいる感じでは,やはり不実告知あるいは不告知に該当するものについては取消しの対象になって,それに反する特約みたいなものを結ぶことはできないのではないかという印象を非常に強く受けておりまして,それは多分,意思表示のところで処理をしており,意思の合致があったかどうかという最初のところで処理をするものですから,そういう印象を持っております。今,いろいろお話を聞いたところでは,必ずしもそうでもないかもしれないという気もしますが,でも,他方でやはり意思の合致が重要だというのもあるかもしれませんので,そこの特約を結ぶことはできるのかどうかというところをはっきりさせると,実務界もやや安心感みたいなものが出るのではないかと思います。 ○高須幹事 「事業者」と「消費者」が飛び交いまして,多少,頭が混乱しているのですが,この問題について懸念ということを言い出したら,きりがないと思います。今まで民法では持っていなかった一つのこういう類型をつくった場合にどういう効果が起きるのか,やはり心配すればきりがないというところが多分にあると思うんですね。   ただ,一番最初に,こういう問題を民法に取り込むべきではないかというようなことが出てきたのは,大分前のことだと思うのですが,そのときには詐欺では救えない類型について,別な類型で救済を考えるということは率直に良いことではないかと,素朴にそう思った実感がございます。それを精緻化していく中で,いろいろな心配が出てきたというのが実情だとすれば,本質はむしろやはり前向きに考えるべきことであり,あとは懸念の部分をどうやって解決していくかだと,こういう方向で行くべきではないかと思っております。そういう意味で,様々な懸念が指摘される,これはこの問題についての議論が進んできたあかしだとは思うのですが,懸念の議論の方がたくさん出てくると何だか,本来,最初に実感した良いことだという点がかすんで見えてしまう気がしたものですから,改めてこの問題は私はやはり前向きに考えていくべきだと思っています。弁護士会の中にもいろいろな懸念があるのは事実なのですが,評価する向きもあるということを一言,お話ししておきたいと思います。 ○道垣内幹事 特約は駄目ですよね,当然。特約がよいということになると産業界が安心するそうですが,安心してもらっては困ると思います。ただ,そこは問題がありまして,不実告知の規定は適用されないという特約は恐らく考えられないのだと思うのですが,ある情報を提供する際に,それの正確性について担保しないと書いて情報提供するという場合というのが結構あるわけであって,それはもちろん故意であった場合に,問題はまた別に生じるかもしれませんけれども,十分な調査が行き届いてない情報について,あえて現在の段階の調査の結果として出すというときに,内容の正確性については担保しないという,そういう条項の効力がどこまで認められるかという問題はもちろんあるのだと思います。しかし,およそ本契約においては錯誤の規定は適用しませんとか,不実告知の規定は適用しませんとかいうのはあり得ないと私は思います。 ○山本(敬)幹事 今の点についてですが,基本的に道垣内幹事がおっしゃるとおりで,この規定を仮に設けるとすると,やはり意思表示に関する規定は強行規定であって,それを動かすことはできないのだろうと思います。その上で,今,示唆されましたように,一定の場合についてはそもそも表示が真実であることを担保しないということは,そもそもその表示は不実表示には当たらないと見る可能性が考えられます。つまり,この場合は,そもそもその事実が真実であると表示しているわけではないので,不実表示には当たらない。したがって,取消しの要件を満たさないと考えるわけです。  この表明保証条項に関しては,よく疑問が提起されますので,自分になりに他の可能性も考えてみたことはあるのですが,例えば,この規定自体は強行規定であって取消権は発生するのだけれども,取消権を放棄するのは権利者の自由だろう。それを事前に放棄することも全く不可能ではないかもしれない。もちろん,詐欺・強迫の場合ですと,そのような取消権を事前に放棄する特約は公序良俗に反すると考えられますが,錯誤や不実表示による取消権を事前に放棄する合意は,公序良俗に反するとまでは言えないと考える余地もあります。もちろん,消費者契約でそのような特約を定めますと,正に不当条項規制の問題で,これは無効だとされることになると思いますが,事業者間契約であれば,違った判断がされる可能性があるかもしれません。ただ,これは議論の余地のあるところですので,先ほどの不実表示に当たらないという構成の方が無難なのかもしれません。 ○中井委員 詐欺に戻るのですが一点,大阪弁護士会の意見を申し上げておきます。   資料の8ページのところの一番上に,第三者による詐欺の関連論点が挙げられていますが,この詳細版45ページには,第三者が代理人その他の相手方が責任を負うべきものである場合について記述があり,最初に代理人が含まれ,次が従業員その他と,こう続いているわけですけれども,もともとこの問題は第三者の範囲の問題というより,そもそも本人の範囲の問題ではないかという意見です。   つまり,会社の従業員が詐欺をしたというのは,正にそれは本人が詐欺をした場合です。判例でも生命保険の外務員が虚偽の表示をした場合,これは生命保険会社本人の詐欺で,第三者の詐欺の問題ではないのではないか。そうしますと,そういう従業員や支配人や,それ以外の媒介委託者等,相手方が責任を負うべき者である場合についても,第三者の詐欺として相手方が知っていた場合うんぬんの要件をかぶせていく,発展させていくという考え方が適当なのか。そうではなくて,本人の詐欺として処理していくべき事柄ではないか。ここの論点整理としては第三者の詐欺の中に含まれておりますけれども,方向性として本人の詐欺の問題として考えるべきではないかという指摘をさせていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 今の点は不実告知の関連論点にもかかわるところだと思いますし,第三者保護規定については特に御意見が出ておりませんでしたが,これらも含めて更に検討を続けさせていただくということで,最後に,部会資料12−1の10ページ及び11ページ,「7 意思表示の到達及び受領能力」について御審議いただきます。まず,事務当局に説明してもらいます。 ○菱川関係官 意思表示が到達したと言えるかという点については,実務上も重要な問題であるとの指摘があり,「7 意思表示の到達及び受領能力」では,意思表示の到達及び受領能力に関する問題を取り上げました。   まず,「(1)意思表示の効力発生時期」においては,到達についてできる限り,具体的な判断基準を明文化すべきであるという考え方について,御議論いただきたいと考えております。   「(2)意思表示の到達主義の適用対象」においては,民法第97条第1項の適用対象を条文上,明確にすべきであるという考え方がありますので,そのような方向で規定を設けることの是非について,御意見を頂きたいと考えております。   「(3)意思表示の受領が拒絶された場合」においては,相手方が意思表示の受領を拒絶するなどしたために,意思表示の到達の有無及びその時期について,裁判上,しばしば問題とされてきたとの指摘があり,この点について意思表示が相手方に通常,到達すべき方法でされた場合において,相手方が正当な理由なく到達のために必要な行為をせず,そのためにその意思表示が到達しなかった場合には,その意思表示の到達が擬制されるものとすべきであるという考え方が提示されていますので,このような考え方について御議論いただきたいと考えております。   これらに対し,「(4)意思能力を欠く状態となった後に到達し,又は受領した意思表示の効力」は,意思能力に関する基本的な規定を新たに設けることを前提として,意思能力を欠く状態に関連する意思表示の効力についての規定を設けるべきであるという考え方がありますので,意思能力に関する基本的な規定を新たに設けることを前提とした場合に,このような方向で規定を設けることの是非について,御意見を頂きたいと考えております。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明がありました部分について御意見をお伺いします。御自由に御発言ください。 ○高須幹事 「意思表示の受領が拒絶された場合」というところでございまして,これは実際上,よくというか,時折というべきかもしれませんが,あるところでございます。意思表示を重要視すると必ず到達をしなければならない。到達主義を前提とする限りは,何とか相手に到達させなければならないけれども,相手がそれをうまく回避してしまうというか,受け取らないようにするということがある。そういうところ,つまり,そもそも法律上の争いではないようなところで,当事者間で争っているみたいなことがあるということは,実務上,間々あります。   御指摘いただいた資料のような判例なども,そんなことも踏まえて認めようとしたり,認め損なったりとか,そういうような感じでよく分からなくなってしまうようなところがあると思います。そこで,正面からきちんと意思表示の受領を拒絶した場合はどうするという形での議論を行い,到達擬制制度のようなものを設けるというのは,分かりやすいという意味ではよろしいのだろうと思います。もちろん,それが拡張され過ぎてしまうとか,本来の到達の趣旨が全うされなくなるというようなことがあってはいけませんから,何でもいいというわけではありませんけれども,方向性としては,こういう制度をきちんとも設けるべきだろうと,そのように思っております。 ○鎌田部会長 これも,実務にはかなり影響の大きいことだろうと思いますが,実務界からの御意見は。 ○岡本委員 今,お話がありましたところと重複するようなところがございますけれども,7の(3)の受領が拒絶された場合の到達の擬制につきましては,こうした規律が明文化されることについて,賛成いたしたいと考えます。   それから,7の(1)の「意思表示の効力発生時期」についてですけれども,こちらも判断基準を明文化するという方向性については賛成いたしたいと考えております。明文化の内容につきましては,どういう基準が示されるかによるところでございますけれども,例えば受取人が不在で,不在配達通知を受けただけで表意者に返却されたといった場合であっても到達が認められる,そういった明文化を希望したいと考えております。 ○奈須野関係官 意思表示が到達したときの中に,受信設備に意思表示が着信した場合を含めると,メール到着が含まれることになり得るので,賛成できないというような意見が寄せられております。理由としては現在,企業でも個人でも多数のメールアドレスを持っていて,異動や転勤などで使用しなかったメールアドレスが放置されることが多いと。仮に受信設備に意思表示が到着した場合というのが到達とされますと,使用しなかったメールアドレスを常時,チェックするというような義務が課されるということになって,取引上,不都合が大きいということであります。 ○大村幹事 (4)の「意思能力を欠く状態になった後に」という件ですけれども,先ほど意思能力の概念に二つの筋があるのではないかというお話があったかと思います。これはどちらの意思能力概念に立っても,このような規定を設けるということは可能だと思いますけれども,どちらの筋に立っているのかということは明らかする必要があるのではないかと思いました。 ○深山幹事 一つ戻って(3)の受領拒絶の関係なんですけれども,既に意見があるように実務的には非常に関心があるし,重要な影響があるところだと思っていますが,どういう場合に到達したとみなすかという,その規律を考えるときに,一つは意思表示をした側がどこまで何をしたかという意思表示者側の行為態様の問題と,それから,受け取る側がどういう対応をしたかという両方からのアプローチがあって,配布資料の趣旨も両方が相関的に相まってということのように読めますが,両方からのアプローチが必要なのだろうと思うんです。   「拒絶した場合」という論点のタイトルのほうは,むしろ受け取る側の対応に着目したような項目になっていますが,どちらかというよりは,やはり相関関係なのかなと思うんです。今,メールの話も出ましたけれども,いろいろな意思表示の手段というか,対応があるので,やはりここではいろいろな場面を想定して,余り細かくすると分かりにくい民法になるかもしれませんけれども,意思表示者側の対応と受け取る側の対応をうまくリンクした要件立てといいますか,ルール作りが必要なのかなと思っております。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。   本日,予定をしていた議事は以上のとおりでございますが,更にほかに何か御発言はございますでしょうか。 ○中井委員 次回に約款,不当条項を取り上げるのか,次回の内容について確認させていただけないでしょうか。 ○鎌田部会長 次回の議事日程につきましては,事務局から御報告をさせていただきます。 ○筒井幹事 次回の議事日程ですが,次回会議は6月29日火曜日,午後1時から午後6時まで,場所は今回と同じ法務省20階第1会議室です。そして,次回の議題ですけれども,当初の予定では,ここで代理,無効及び取消し,それから条件及び期限を取り上げることにしておりましたので,その方向で資料の準備を進めております。それに加えて,前回の会議で積み残しとなりました約款の定義及び要件の部分,これについても併せて御議論いただく方向で準備したいと考えております。また,「無効及び取消し」について資料を準備する際に,いわゆる不当条項規制についても,そこで御議論いただけるように資料を準備したいと考えております。その結果,次回会議では,約款の要件についても議論されるし,それから不当条項についても次回の議題に入ってくるということになります。その上で,審議の進め方,順番などは,次回までにもう少し考えさせていただきたいと思っております。 ○鎌田部会長 本日は御協力いただきまして,予定をすべて消化させていただきましたけれども,次回の審議予定も,今,御紹介がありましたように,大変,中身が多くて,また,内容の濃いものとなっております。そこでも更に積み残しが出ないような形で審議を進めたいと思いますので,御協力をお願いいたします。 ○藤本関係官 次回のことですが,今回の部会資料の8ページの「(注)」とも関係するのですけれども,次回,対象として消費者契約というものについて,こういう規律になるとかということは,その議論の対象になる,あるいは約款又は消費者契約において,こういうものがあったときにはこういう効果になるとかといったことは,議論の対象になるものでしょうか。つまり,一般的に適用されるような規律というものをここで議論するのであって,対象が消費者契約というものについての議論は別に設けるのか,あるいはそれは消費者契約法に書いてある規律なので,別途,検討しますということなのか,ちょっと準備の都合があるものですから,どういうものでしょうか。 ○筒井幹事 その点ですが,次回会議でどの範囲のものを取り上げるかということについては,いましばらく検討させてください。その上で,問い合わせに対して早目に回答できるようにしたいと思います。 ○中井委員 そうしますと,8ページの「(注)」に書かれている,今回は取り上げるものではないとしたこの二つですけれども,これはもちろん,別の機会に取り上げるという意味の記載と理解してよろしいですね。いつかという日程は決まっていませんが。それとも,これはもう取り上げない,この部会の対象外という趣旨でしょうか。検討委員会の言葉で言うなら,消費者契約の対象とした特別なルールを民法に統合するという話が出てくるのか,出てこないのか。 ○松本委員 議論の順番としては,当事者を選ばない民法に規定するとすれば,どういうのがいいのかという議論をまずやる。今日はそれをやったわけですよね。その上で消費者契約における特則だとか,あるいは大企業と中小企業との契約における特則というのを置くべきとすればどういうのがあるのかということを,別途,次の段階で議論をする。更に消費者契約法をどうするのかというのは,もっと別の段階の議論になる。そういうふうに分けていかないと,大変,混乱すると思うんですね。ですから,約款をやるにしても,民法にストレートに規定するとすればどうなるのかというのをまずやっていただいたほうがいいと思いますが,それでも次回では足りないと思います。 ○筒井幹事 不当条項規制に関しては,必ずしも明確には区別しないで考えることになるだろうと思いますが,なお検討させてほしいということが,先ほど申し上げた趣旨であります。   また,中井委員から御質問がありましたのは,消費者契約法の規定を参照しながら民法の一般ルールとして何か規定を置くかどうかというのは,今回,議論したけれども,その対象にならなかった消費者契約法の他の規定に相当する規定を民法典の中に置くのかどうか,こういったことについては,別の機会に議論するということでよいのかというお尋ねだと思います。そのことは,大村幹事からの御質問に対して私がお答えしたつもりだったのですが,事務局からの部会資料の中で取り上げて,議論のテーマとするかどうかについては,いましばらく考えさせてほしいと申し上げました。つまり,そのことについては,別の機会に検討するともしないとも申し上げていないわけです。しかし,部会の場でそのような意見が出され,議論がされることまで否定しようとは思っていないということも,併せて申し上げたわけであります。 ○中井委員 分かりました。場合によっては弁護士会から問題提起するということも考えなければならないということですね。 ○鎌田部会長 そういうことでよろしくお願いいたします。   それでは,本日の審議はこれをもちまして終了させていただきます。   本日は,長時間にわたり,御熱心な御審議を賜りまして,誠にありがとうございました。 −了−