法制審議会民法(債権関係)部会           第30回会議 議事録 第1 日 時  平成23年7月26日(火)自 午後1時00分                      至 午後6時07分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事 (次のとおり)           議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会の第30回会議を開会いたします。   本日は,御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。     (関係官の自己紹介につき省略)   では,本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いいたします。 ○筒井幹事 事前送付資料として部会資料27「民法(債権関係)の改正に関する論点の検討(1)」をお届けいたしました。また,本日席上配布資料として部会資料28「中間試案を目指す第2ステージの審議(1巡目)の進め方について~補充分科会(仮称)の設置の提案~」を机上に置かせていただきました。   本日は,まず今後の審議の進め方などについて御議論いただくことを予定しており,その際に部会資料28についての説明を私からさせていただこうと思います。また,本日の後半では実質的な審議に入っていただこうと考えており,部会資料27はその際に関係官の笹井から説明させていただこうと思います。よろしくお願いいたします。   次に,委員等提供資料ですが,中井康之委員の御紹介で,大阪弁護士会「民法(債権法)改正の論点と実務〈下〉」を御提供いただいております。4月12日開催の第26回会議で「〈上〉」の御提供を頂いており,その後半部分に当たるものです。 ○鎌田部会長 それでは,本日の審議に入ります。   前回会議までで関係団体からのヒアリングを終了し,本日の会議から中間試案の取りまとめを目指す第2読会の審議に入りたいと思います。   初めに,第2読会の審議スケジュール及び審議方法について御議論いただこうと思います。   事務当局から説明してもらいます。 ○筒井幹事 本日から中間試案の取りまとめを目指す第2ステージの審議に入っていただくことになります。この部会の最初のステージ,第1ステージでは,中間的な論点整理をしていただきましたので,今後はその論点整理を踏まえて,個々の論点について改正が必要かどうか,必要であるとすればその具体的な改正内容をどうするか等を徐々に固めていくことになります。   中間的な論点整理については,現在パブリックコメントの期間中であり,この時期に次のステージの議論を開始することに対しては,疑問の声があり得るかもしれません。しかしながら,パブコメの意見の提出期限については,6月7日開催の第27回会議で御報告しましたように,この度の大震災の影響等により期限までの意見提出が困難であるとして,期限の延期を求める声が寄せられており,これに対しては個別の事情に応じて柔軟に対処することとしております。この関係で,パブコメの意見を集約して部会に報告することができるのは11月ころとなる見込みですが,それまでの間,部会の実質審議は全く行わないというのでは,この部会に託されている任務を十分に果たしているとは言えないと私は考えます。そこで,この部会の実質審議については,パブコメの結果報告を待たないで再開することとし,その代わりに11月ころ,パブコメの結果を報告する機会を持って,その際に,それまでに実質審議を行った論点項目についておさらいの会といいますか,補充的な議論をする機会を持つということとしてはどうかと考えております。   以上のことは第27回会議の際に報告したことの繰り返しですけれども,重要なことなので,冒頭で改めて確認をさせていただいた次第です。   続きまして,第2ステージのスケジュールについて御説明いたします。まず,中間試案の取りまとめを行う目標の時期についてです。この目標の時期としては再来年,平成25年2月を目途としてはどうかと考えております。今月から起算いたしますと1年8か月の審議期間ということになります。この数字のおよその根拠ですけれども,中間試案の取りまとめには最初のステージでの論点整理よりも審議時間が必要であろうと,より多くの審議時間が必要であろうと考えたからです。中間試案では,基本的に改正内容を具体的に書き込んでいくことになりますので,それぞれの論点についてできる限り一定の結論を固めていく必要があります。もちろん飽くまでも中間的な試案ですので,重要な論点について甲案,乙案の両論併記としたり,あるいは少数意見を別案として付記したりといった取りまとめの工夫は十分あり得るわけですけれども,しかし,それにしてもこれまで以上に会議の時間を確保していく必要があることは明らかであろうと思います。   第1ステージにおける個別論点についての実質的な審議期間は,1年間で論点を一巡する審議を行った後に3か月で論点整理をしておりますので,実質的には1年3か月であったと思います。それよりも時間が掛かるであろうという見立てで,平成25年2月目途という数字を提示させていただきました。その内訳としては,来年,平成24年9月を目途として様々な論点についての1巡目の議論を終えることを目標にしたいと考えております。現段階での仮の見通しですが,合計19回の会議で論点を一巡させることを想定しております。この1巡目の審議が終わった後,その後,恐らく重要論点についての2巡目の検討を挟んだ上で,その後に中間試案のたたき台をお示しすることになる可能性が高いとは思いますけれども,その点はまた追々御相談させていただこうと考えております。   以上が審議のスケジュールに関することです。   次に,第2ステージの審議の進め方について御説明いたします。   今後,充実した審議を進めていくためには,部会の会議での議論の仕方や部会資料の作り方などについても,様々な工夫が必要であろうと思います。それについては後ほど,実際の審議を進める中で御意見,御感想を伝えていただきたいと考えております。ここでは,まず,充実した審議のためには十分な会議時間の確保が必要であるという観点から,事務当局から提案したいことがあります。部会資料28,本日机上配布いたしました部会資料28に沿って説明いたします。   まず,この部会の会議の開催頻度などについてですけれども,この部会の会議は従前どおり原則として3週に1回のペースで開催することにしたいと思います。もちろん必要に応じて予備日を設定することはあり得るわけですけれども,原則としては3週に1回のペースで開催してはどうかと考えております。また,部会の会議では従前どおり全ての論点が審議対象であることにしたいと考えております。したがいまして,部会資料は従前どおり部会の各回の会議ごとに対象範囲の全ての論点を網羅したものを作成して事前送付いたします。これによって,関係団体においてバックアップ会議などを開いていただいているところでは,従前どおりバックアップ会議のほうも基本的に3週に1回のペースで開いていただければ足りるようにしたいと,そのように考えたわけです。   部会についてはそのようなペースで開催するといたしましても,それだけでは審議時間が不足することが予想されます。そこで,部会の審議時間内に全員で検討することが不可欠とは言えない論点などを対象として,補充的に審議を行う場として,部会の下に三つの補充分科会,これは仮称ですけれども,この補充分科会を設置してはどうかということを提案したいと思います。   御提案する補充分科会の具体的な内容ですが,まず,補充分科会のメンバーは部会の委員,幹事により構成する,つまり部分集合とすることを考えております。必要に応じて関係官も出席することにしてはどうかと思います。この補充分科会は原則としてそれぞれ三つの分科会ごとに9週に1回,トータルでは3週に1回になりますけれども,このペースで開催してはどうかと考えます。そして,三つの補充分科会には所掌事項の区別を設けないで,部会から振り分けられた個別論点について補充的に検討することとしてはどうかと考えます。また,補充分科会では個別論点に関する意思決定を行わないことにしてはどうかと思います。審議時間の不足を補うために補充的に議論を行う場であるという位置付けから,結論を決める会議ではないことを確認しておきたいと思います。   次に,この補充分科会で審議する論点の振り分けについてですけれども,部会の各回の会議において,当日の審議状況を踏まえて,補充分科会で取り扱うのが適当な論点の振り分けを行うこととしてはどうかと考えております。この補充分科会で取り扱うのが適当な論点としては,技術的,細目的で一般の関心が必ずしも高くないと言えるような論点が,まずは想定されると思います。例えば,第1ステージで比較的発言が少なかった論点として,飽くまで例えばですけれども,選択債権ですとか,申込みと承諾に関する様々な規定,あるいは懸賞広告,それから弁済の充当や弁済による代位に関する細かい規定などが例として挙げられるのではないかと思います。また,論点そのものは一般の関心が高いものであるけれども,主要部分が固まれば残りの部分の詰めには技術的な要素が強いと言えるような論点もあると思います。その例としては,これも飽くまで例えばですけれども,消滅時効の時効障害事由について,主要なところを議論していった後に技術的な詰めが残る,そういった論点が幾つか想定されるのではないかと思います。こういった論点が補充分科会に振り分けられることを想定しつつも,しかし,実際に何を補充分科会で取り扱うかは飽くまで各回の部会の会議で決めてはどうかというのが,ここでの提案であります。   次に,このような論点の振り分けは,手続的には,部会の委員,幹事の意見を聴いて部会長が決定することにしてはどうかと思います。その際,原案を示さずに自由に議論して決めるということも考えられるわけですが,部会資料の事前送付の段階で事務当局において補充分科会で取り扱うのが適当な論点の候補を考え,それを一応のたたき台として示すことも考えられると思っております。   そして,補充分科会に振り分けられた論点について三つの補充分科会のうちどの分科会が担当するかは,部会長が指定することにしてはどうかと考えております。   以上の他,補充分科会の開催状況は随時部会に報告することにしてはどうかと思います。開催状況といいますのは,開催日時や,審議した論点の項目などであります。   そして,議事録の作成,公表については,補充分科会は飽くまで公式の会議としてこの部会の下に設置するものですから,議事録の作成,公表についても部会と同様としてはどうかと考えております。   また,補充分科会における議論の内容については,これを踏まえた次の部会資料の作成を通じて部会に報告することとしてはどうかと思います。次の部会資料と申しますのは,その論点を扱う次の機会における部会資料という意味です。もっとも,特に必要があるときは補充分科会での議論の状況を速やかに部会に報告することがもちろん考えられると思っております。   さらに,この補充分科会のメンバーの人選につきましては,最終的には部会長に一任してはどうかと考えておりますけれども,補充分科会の設置についてこれから御議論いただく前提として一つの考え方を示してみたいと思います。   補充分科会で取り扱うことが想定される論点として,先ほど申しましたように技術的,細目的で一般の関心が必ずしも高くないものが考えられるといたしますと,これを議論するメンバーとしては民法の学者,裁判所,それに弁護士会の委員・幹事からそれぞれ1名ないし若干名に御参加いただくことが考えられると思います。それに法務省の事務当局を含めて,以上を固定メンバーとすることが考えられると思います。また,分科会長はある日の会議で取り扱う予定の論点によって,必要に応じて他の部会メンバーにも参加を要請することができるというルールにしてはいかがかと思います。   なお,分科会長には,民法学者である委員のうち,部会長とお二人の部会長代行を除いた方がちょうど3名いらっしゃいますので,その3名の委員に就任していただいてはどうかと,私どもの案としては考えているところであります。   以上のような補充分科会の設置という提案を含めまして,今後の審議の進め方について御議論いただければと考えております。   説明は以上です。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。ただいま説明がありましたように,中間試案の取りまとめ時期の目標について平成25年2月を目途とすることなどの説明がありました。それと併せまして,より充実した審議のための工夫として,補充分科会,仮称でございますが,補充分科会を設置するとの提案があったわけでございます。ただいまの説明や提案について御意見,御質問ございますでしょうか。   中井委員からはペーパーも出ているところですけれども,何か御発言ございますか。 ○中井委員 機会を与えられましたので,発言をさせていただきます。   中間論点整理についてパブコメがなされているが,その意見の集約がいまだなされていない段階で実質審議を開始することについて,先ほど筒井幹事から御説明がありました。確かにそのような配慮をした上で行うことについて私もやぶさかではございませんが,パブコメについての成果がこの11月ごろ集約されるのであれば,それについては十分フィードバックする形で改めてこの審議に反映されるよう是非ともお願いをしたいと思います。重ねて,これから中間試案の作成に進むということであればこそ,この第2読会の審議の内容,若しくはそこでの方向性の議論というのは極めて重要だろうと認識しております。したがって,そのために審議時間を含めて十分に取って,かつ国民各層の意見が反映できるような形で進めていただきたいとお願いを申し上げたいと思います。   そこにはいろいろ工夫が必要だろうと思います。その一つとして,目標を定めるということは大事なことだと私も認識しております。ただいまの御発言では,25年2月には中間試案の取りまとめをする。その前提として第1巡目の議論を24年9月まで19回の審議で終える予定とお聴きしました。正直19回の日程でこれだけの内容のものが十二分に議論できるかについては,まだまだ実際やってみないと分からないのかもしれませんけれども,疑問がないわけではございません。目標設定することの重要性は十分認識いたしますけれども,その審議の過程を常に検証しながら,1回当たりの審議が十分であったのか,議論が出てきておおむねの集約ができているのか,議論の分かれ目についてはきちっと認識できているのかというようなことを検証しながら,またその時々公表されるであろう議事録に対する国民各層の意見を十分しんしゃくしながら,スケジュールありきにこだわることなく審議の内容を充実させていただきたい。最初の部会審議に際して申し上げたことの繰り返しになりますが,第2読会を始めるに当たって改めてお願いを申し上げたいと思います。   加えて,今分科会というお話を伺いました。実際,分科会を設置する必要性について今の御説明を理解できないわけではありませんけれども,本来,法制審というのは委員と幹事から構成されて,それがそれぞれ研究者,実務家,そして各界から選任された者が合議体でもって議論することにやはり意味がある,ここにいる19人の委員と18人の幹事の皆さんが議論することによってよりよい民法ができるのではないかと信じております。そうだとすると,このメンバーでもって審議するのがやはり本筋であるということについては確認をした上で,なお今御指摘のありました技術的論点,細目的論点について一定程度分科会で審議することに,私としても具体的な内容,方法に配慮した上で行うことについて反対するものではありませんが,例えば関心が高くないから分科会に回すというのは適切ではないように思いますので,その論点の抽出については十分に慎重に部会皆さんの意見をお聴きして,適切に決定をしていただきたいと願うものです。   併せて,分科会では決定をしないということのようですから,どこかで部会に報告があるのかと思いますけれども,一旦は分科会に付するのが適当と思われた細目的若しくは技術的論点だとしても,分科会の中での議論を通じて必ずしもそれが細目的,技術的論点ではなくて重大な問題が含まれているということが認識される場合もあろうかと思います。そのような場合に,部会にフィードバックする何らかのルートを残しておく必要があるのではないか。それが第1巡目の審議の中で戻すのが適当なのか,それとも第1巡目が終わった段階の第2巡目の審議の中でフィードバックするのがいいのか,この辺りはまた方法論かもしれませんけれども,そのような配慮もお願いをしたい。   分科会メンバーについて今御説明があったことをメモした限りでは,研究者,裁判所,弁護士会,法務省の事務局,そして関係官が挙がりました。しかし,いわゆる一般ユーザーを代表されている5名が委員に選任されているわけですが,その位置付けがよく理解できませんでした。技術的若しくは細目的論点だから一般ユーザーの方々は分科会に参加しないという趣旨なのか。そうではないとすれば,そのような委員の方々からの御発言,議論への参加の機会をどのように確保されるのか,その辺りはもうちょっと補充して御説明を頂ければと思います。いずれにしろ分科会方式というのは通常の方法ではないのではないかと危惧するものですから,その中身について,少なくともこの民法(債権関係)部会で審議すると等しく評価されるような形に是非ともしていただきたいと重ねてお願いする次第です。 ○筒井幹事 ただいまの中井委員の御発言のうち,補充分科会の固定メンバーとならなかった方の分科会での審議への参加についてお尋ねがありました。そのことについては,分科会が設置された後に具体的に分科会に振り分けられた論点を審議するに当たって,分科会長が必要であると感じるテーマについては必要な方に出席を要請して参加していただくという形で,そこは臨機応変に柔軟に進めていってよいのではないかと思います。中井委員からはユーザー委員という表現で5名の委員の御紹介がありまして,その皆さんの議論への参加が重要であることは全くそのとおりだと思いますけれども,そのほかに,民法の研究者を固定メンバーとする関係で,テーマによっては商法の先生,あるいは手続法の先生にも御参加いただく必要がある場面が出てくるかもしれません。そういった場合にも分科会長の御判断で参加を求めるというそのルートを作っておき,それを積極的に活用していただくということが考えられるのではないかと思います。   もう一つは,そういった様々な方に参加を求めなければならない論点は,そもそも分科会で扱うのが適当なのかどうかという問題も逆にあるかもしれません。ですから,その振り分けを部会で相談して決めるという形を採るのが,分科会の運営上必要であり,適切ではないかと考えた次第です。 ○佐成委員 「ユーザー委員」ということで感想と意見を述べさせていただきます。   民法は経済取引のインフラですから,経済界としても当然全ての論点について高い関心を持っています。ただ,やはり論点ごとに程度の差もありまして,低いものから非常に高いものまでいろいろありますし,今事務局の方に御説明いただいたとおり,細目的な事項については我々もなかなか積極的な発言ができないような部分もございます。そういったところを学者の方々を中心に詰めていただくということについては基本的にはよろしいのではないかと思っております。実際,我々としては細目的な事項よりも最終的に論点がどのような形で成案になっていくかというところに主たる関心があります。もちろん議論をしていくとか,意見を述べるという形で審議過程に直接参加するということも大事だとは思うのですけれども,ほとんど異論のない細目的な事項についてまで審議にいちいち参加するということが,果たして効率的な審議という観点から考えて妥当かというと,必ずしもそうではないと感じております。特にこの部会は皆さんお忙しいメンバーの方ばかりですし,できるだけ審議時間を効率的に使いたいところなので,補充分科会というものを設置して,学者の方々を中心に細目的事項をきちっと詰めていただくということについては基本的に賛成でございます。   ただ,二つ確認したいことがございます。一つは,ここにも書いてある「補充分科会(仮称)の開催状況は,随時,部会に報告」となっていることについてですけれども,どの程度,どのタイミングで報告されるかということもやはり重要だと思います。議事録が正式に公表されるまで全く何も知らないという状態も,部会委員として参加している以上,いささか無責任な気もしますから,できるだけ分科会の議論の状況は部会のほうに報告していただきたいと思います。議事録を自分で読んで調べなさいというだけではなくて,概況だけでもできれば御説明いただいて,簡単な質疑程度はさせていただけると,後の議論にも資するのではないかというのが一つ目でございます。   それからもう一つは,これまで部会でのヒアリングのほか,各界からいろいろな意見が出ておりますが,特に実務界から反対意見や異論があるような論点については,事務局の御説明では補充分科会では取り上げないと理解しておりますけれども,万が一それに関わるような論点を取り上げることになった場合には,私になるのか誰になるか分かりませんけれども,基本的に経済界の「ユーザー委員」が出たいと希望する場合には,柔軟に参加を認めていただければ有り難いと思います。 ○筒井幹事 ありがとうございます。分科会で議論したことの部会へのフィードバックのやり方というのは大変重要な問題であろうと思います。ただ,それを最初から非常に厳格にルール化してしまいますと,それに要する事務的な負担も決して無視できないものになるように思います。そこで,最初の提案としましては,開催状況の随時の報告,つまり分科会が開催された日時,あるいは参加メンバーも書いたほうがいいのかもしれません。そして,そこで取り扱ったテーマ,論点項目,こういった概況を部会に随時お伝えして,そして議事録を通じていつでも御覧いただける状況にすることを最低限のこととしてやり,そして,その分科会での議論の結果を踏まえた次の部会資料の作成によって2巡目の審議,あるいは中間試案のたたき台の審議,これはまた部会の場に戻ってくるわけですので,そこで分科会で行われた議論を紹介しながら部会での次の議論をしていただくというのが,基本的には効率的ではないかと思っております。しかし,先ほども中井委員から御指摘がありましたように,分科会で行われた議論の結果として非常に重要な問題が明らかになったというときには,速やかに部会に報告することも,これもまた重要であろうと思っておりますし,佐成委員から御指摘がありましたような分科会の審議内容の概要を部会に報告することについても,問題意識は持った上で現実的に可能な範囲で検討していきたいと思っております。ただ,最初から全てをお約束するのは難しいという危惧を持っているということで御理解いただきたいと思います。 ○新谷委員 2点ありますが,関連しますので,補充分科会の件について,まず発言したいと思います。先ほど中井先生からも御発言がありましたが,私どもとしても,合議体としての意義というのはやはり重要だと思っています。補充分科会では,細目的,技術的な内容で一般の関心が必ずしも高くない論点を議論するということですけれども,補充分科会でどの論点が取り上げられ,そこでの論議がどのような取扱いとなるのかについては,当部会との連携をきちんと取っていただきたいと思います。   次に,先ほどの筒井幹事の御説明の中にありました今後の議論の進め方について,パブリックコメントとの関係で発言をしたいと思います。本日,部会資料27ということで資料を提出いただいたわけですけれども,本日の議論の扱いについては,以前事務局から,第二読会の本格論議にするのか,あるいは資料準備のためのプレ議論とするのかという論議があったと聴いております。先ほどの御説明からは,本日から第二読会が本格スタートするというように受け取ったわけですけれども,その場合,パブリックコメントとの関係でこれをどう整理をするのかという問題があると思います。私どもユーザーの委員は国民各層を代表してこの部会に参画をさせていただいているわけですが,パブリックコメントは国民に広く民法改正について周知をし,意見を聴くという趣旨で,行っておられると思います。一部有力な団体が11月まで提出期限を遅らせるという話は聞いておりますけれども,国民から広くパブリックコメントを受け付ける期間の締切りを8月1日とあらかじめ設定している中で,7月26日から2巡目の本格論議を開始するということについては,疑問を抱かざるを得ません。特にパブリックコメントでは,本日のテーマになっている論点はもちろん,議論の進め方なり手続についても意見が寄せられると思います。そういった議論の手続,進め方への意見も含めて,パブリックコメントで寄せられた意見についてどのように,またどの段階で,部会の中で反映させていくのかというところについて,事務局から回答いただきたいと思います。 ○筒井幹事 パブコメの期間中に実質的な審議を再開することにした理由の全般については冒頭での説明の繰り返しになるのですが,特に7月に開かれる本日の会議で実質的な内容を記載した部会資料をお配りし,意見をお伺いしたいと思いました理由を補足いたしますと,それは,新谷委員から御紹介がありましたように,我々としてもこの第2ステージの審議の進め方は試行錯誤になるであろうと思っておりまして,どんな資料の作り方をしたらより充実した審議をしていただけるのか,あるいは議論の仕方そのものについてもどんな工夫があり得るのかということについて,少しずつイメージを膨らませて改善していきたいと思っております。そのために,本日の会議後に夏休み期間があるわけですが,その期間が明けるのを待って審議を再開するのではなく,夏休み前にまずは審議を始めてみて,そこでの成果,議論の進め方についての御意見なり御感想なり,そういったものを受け止めながら更に工夫をして,秋以降の本格的な審議の再開に備えたいと考えております。そういうことから,本日の審議について,これを試みにというかどうかは言葉の問題だと思いますけれども,まずは実質的な審議を試みてみたい。その上で修正を図っていきたい。そういう趣旨で,本日の会議から実質的な審議をお願いした次第であります。   そして,パブコメとの関係では,繰り返しになりますけれども,一部の団体から意見提出期限の延期の要請があり,それを受け入れたということも紹介いたしましたが,そうでなくても寄せられた多数の意見を集約して部会に報告するには,事務作業に一定の時間が掛かります。それをただ待つというのは必ずしもこの審議会の在り方として適当ではないのではないか。実質として何が大事かといえば,寄せられた意見を部会に適切に報告し,それを実質的に踏まえた議論を行うことにあると思います。そのために,先ほど申し上げましたように11月に結果報告の機会を持ち,それに基づいてその時点で既に議論を終えている論点についてもおさらいの検討,補充的な検討の機会を持って,議論を深めていきたいと考えている次第です。もちろん寄せられた意見の中には個別論点の内容に関するものだけでなく審議の進行に関するもの,あるいはもっと総論的な事項への意見もあると思いますけれども,そういったものも含めて11月に結果報告をし,その上でそれらの意見をどのように受け止めるのかについては,この場でまた議論させていただきたいと考えております。 ○高須幹事 やや感想めいた意見を1点と,あと質問1点お願いしたいと思っております。   2読の審議日程のイメージとして,大体19回程度というイメージがあるんだろうと思いますが,確かに第1読会よりも長く掛かるだろう,ここは私も全面的に同じ意見でございます。問題は第1読会でも確か16回程度の会議と予備日があったと記憶しておりまして,それとの兼ね合いでいったときに,今回のおおむねのイメージで果たして十分なのかという思いがあります。債権者代位権と取消権を1回で議論するとか,あるいは消費貸借と賃貸借を1回で議論するやに聞いておりますが,そういうことで大丈夫なんだろうかと。やはりもう少し時間を掛けるということが事実上必要になるのではないか。パブコメに対しておさらいの機会を作っていただくというお話もありましたので,そういったものも含めるともう少し審議の日程が必要なのではないかということを考えております。   それから,質問のほうなんですが,分科会では意思決定はしないというような御説明が先ほどありまして,それは多分分科会の性質上そのほうがよろしいと思っているんですが,そうなりますと,部会のほうでは意思決定をするということがあり得るのかなと。私はこういう審議会に出させていただくのが初めてなものですから,試みにということで教えていただければと思うんですが,部会における決定のプロセスみたいなものが既に事実上の慣行のようなものとしてあるのか,それとも部会ごとに決めていくのか。もしお分かりのことがあれば教えていただきたいと思います。 ○筒井幹事 会議の回数についてまず触れていただきましたが,御指摘のように第1ステージでは一巡するのに必要な会議の回数として16回を想定し,それに予備日を二つ追加して,実際には計18回の会議で審議をしたことになります。第2ステージにおいては現在19回の会議で一巡するということを想定した計画を立てておりますけれども,審議時間が足りない部分については,今御提案している補充分科会によって議論を補充するという方法のほかに,やはり予備日を設定して会議時間を確保していくことも考えざるを得ないのではないかと思っております。この予備日としてどの程度の会議を追加していくのかについてはまた改めて御相談させていただきたいと考えております。   それから,会議の意思決定についてお尋ねがありました。これは部会としての意思決定にも様々な程度があるのかもしれません。意思決定という言葉を使いましたけれども,一定の確認にとどまるものもあるのかもしれません。しかし,これまでに行ってきたこの部会での意思決定としては,この4月に中間的な論点整理の取りまとめを行っておりますが,これは部会としての意思決定として取りまとめを行ったのだと思います。また,この第2ステージにおける中間試案の取りまとめについても,これは一つの意思決定として行うことになると思います。その決定の仕方については,基本的には部会内に異論がないことを確認して,全員の一致で進めていくこととしており,多数決での決定はできる限り避けるというのが,これまでの法制審議会における民事系の部会の慣例であったと私は認識しております。 ○能見委員 この補充分科会という方式でもって,ある意味での効率的な議論をしていくというのは,やむなくそういう方式を採るということだと思いますけれども,それと,全体で議論するというのが原則であるということの調和をどういうふうに取るかということに関して意見を述べたいと思います。私も補充分科会の方式でそれほど異論がない問題点について議論するということは,それなりに効率性を高めると思いますので,それ自体に反対するものではありません。しかし,先ほどから御議論がありましたように,できるだけ全員の委員や幹事が議論をその場にいるかのようにというのでしょうか,非常に早いタイミングで議論の状況が把握できることが重要だと思いますので,そういう意味では確定した議事録でなくても,途中の議事録でも送っていただけるとよいのではないかと思います。未確定の議事録をただ送ればいいだけですので,これを全員に送るということで,できるだけ全員が一体感を持って議論の状況を把握できるというのがいいのではないかと思います。   更に考えてみますと,民法の全ての問題について関心を持っている民法学者,あるいは民法学者という限定を付けるのは適当でないかもしれませんが,民法の細かいところにも関心があるという意味で民法学者というのですが,民法関係の委員・幹事も実はどれか一つの部会にしか入らないので,ほかの部会で行われることについては情報が入るのが遅れることになります。そういうことも考えますと,先ほどのようなことをして,情報を早く共有できるといいのではないかと思います。   それからもう一つは,この補充分科会では意思決定を行わないということですが,ではどういう議論をするのかということについてです。これはテーマごとに違うでしょうけれども,分科会で場合によっては幾つかの選択肢みたいなのが出るということは当然考えられます。その際に,議論に参加している人が少ないということもあって,もしかすると分科会の中には賛成者がいないが,しかし論理的には考えられるし,賛成者がいそうな選択肢というのがあり得ると思うのですが,そういうものもできるだけ広く拾っていただきたいと思います。補充分科会で議論されたことについては全体会で議事をフォローして,また分科会で議論されたことについて意見を言う機会があると思いますが,いつあるかというのはまたポイントですけれども,当然言う機会があると思いますので,その際に分科会では議論されなかった点についても全体会で議論ができるとは思います。けれども,選択肢というのは出て方向性が絞られますと,ある程度はその後の議論に影響がありますので,そこでできるだけ広めの選択肢をお願いしたいということを申し上げたいと思います。 ○松本委員 2点申し上げます。第1点は意見です。第2点は質問です。   まず意見のほうですが,平成25年2月までに中間試案というスケジュール観の問題です。中間論点整理というものが言わば既存の立法提案を全てぶち込んだものであって,大変幅広い,良く言えば意欲的,悪く言えば総花的な内容でした。語尾の感覚でコンセンサスの取れているものと取れていないものを分けているというのが事務局の整理だったわけですが,比較的方向性まで出ているもの,何々ではどうかというのと,何々の方向で検討してはどうかというのを合わせても恐らく全論点の1割から2割はないと思うんですね。1割から2割の間ぐらいだと思います。我々は第1ラウンドで18回議論をしたとおっしゃいました。それでようやく1割から2割の間のレベルの方向性が出てきたというもので,しかもそれらは余り難しくない,どちらかといえば確立した判例や学説をそのまま法制化しようというものだから余り難しい議論をしないでそうなったわけで,あとの8割,9割というのは全く法律を変えようというようなものも含む相当ハードなイシューがいっぱい残っているわけですから,その全ての論点についてある程度のコンセンサスまでいこうと思うと,私はあと10年は掛かると思います。今までの議論を延長すれば10年間。   もう一つ10年という根拠があるんです。それは,鎌田部会長と内田委員が改正検討委員会の基本方針についての対談をやっておられまして,そこで,検討委員会では今まで1,300時間以上の時間を掛けたんだとおっしゃっています。我々の審議会は1回5時間という大変異常な公序良俗に反する審議会でありますが,1,300時間を単純に5で割っても260回やらないと検討委員会のレベルには達しないわけです。検討委員会というのは少人数の比較的志を同じくする学者のみでやって,それでも1,300時間なわけで,この部会は学者でもいろいろな学者がいるし,実務家もいるし,そうでない方もいるわけだから,普通に考えれば1,300時間で終わるはずがないわけですね。今日で30回目ですから,1回5時間でようやく150時間に達したわけで,単純に考えてもまだ10倍残っているということになるので,どちらにしても25年の2月に中間試案というのはおよそ不可能だと思います。   したがって,私個人としては民法の債権法をブロックに分けて少しずつ議論をしてまとめていくというのが一番フィジビリティーが高いと思うんですが,そうではなくて25年の2月に一定のものを出すということでやるのであれば,これからの第2ラウンドの議論はいかに論点を落としていくかということに尽きるのではないかと思います。全ての論点を法律にできるレベルのかなりのコンセンサスまで持っていくのはおよそ不可能である。分野を絞って25年2月にするか,あるいは総花的な論点の中からコンセンサスのレベルの低いものをどんどん落としていくか,どちらかでないと難しいのではないかという印象を持っております。それが意見です。   それから,質問のほうですが,部会と補充分科会のやり取りの仕方でありまして,先ほどの筒井幹事の御説明では,場合によっては事務局のほうで検討事項の資料を整理するときに,この論点は分科会に回すという提案をするということでした。ということは,毎回の分科会の冒頭で討議資料の中からここの部分は分科会に回す,ここは部会で議論しましょうということをまず議論をして振り分けるというイメージだと理解してよろしいでしょうかということです。あるいは,一通り議論して,ここは大したことがないから,では補充分科会に回しましょうというイメージなのかどちらなのかということ。もし後者であれば重要な論点のほうが議論する時間が少なくなるというちょっと変な感じになりかねないなと思います。   それから,今度は戻ってくるほうですが,補充分科会の議論を踏まえて次の部会資料の作成の際にフィードバックするということで,先ほどの話だと来年の9月まで第2ラウンドの1巡目の議論をするということだから,それまでは補充分科会の議論は部会には上がってこないということになって,来年10月以降の第2ラウンドにおける第2巡目の議論のところでようやく補充分科会でこういう議論がありましたという整理がされて出てくると,こういうイメージでよろしいでしょうか。 ○筒井幹事 お尋ねがありました点のうち,まず分科会への論点の振り分けを部会の会議のどの時点で行うのか,つまり会議の冒頭で本日の審議対象のうち分科会に振り分けるものを決めてから議論を始めるのか,それとも後で決めるのかという点ですが,運用上の工夫なのでどちらもあり得るように現時点では考えております。私が先ほど事務当局から論点の振り分けの原案をお示しすることも考えたいと申し上げましたのは,まず議論を始めてみて,最終的に積み残しとなったところを対象として分科会に回すかどうかを最後に議論するという進め方は,必ずしも適当ではなく,もう少し見通しを持ちながら議論したほうがいいだろうと考えたからです。その上で,その原案に基づいて,部会の会議の冒頭で振り分けをしたほうがよいかもしれませんし,あるいはいろいろ御発言を準備されてきた委員・幹事もいらっしゃるでしょうから,原案を意識しながらとにかく議論を始めてみて,最終的に議論全体を振り返って判断したほうがよいのかもしれません。進め方は両方あり得るように思っておりますので,そこはいかがでしょうか。現時点では,実際に運用しながら工夫していくのがよいのかなと思っており,差し当たりは事務当局から候補を示して部会の会議を始めてみてはいかがかと思っております。   それから,分科会の議論のフィードバックに関しては,松本委員からお話がありましたように,基本形としては開催状況のみを報告し,それを手掛かりに議事録を見ていただくことが可能な状態を確保しておきまして,実際に部会の会議にフィードバックするのは次の中間試案のたたき台を議論する段階であったり,あるいは2巡目の重要論点についての審議をする段階であったり,時期的には平成24年9月以降になることを想定しております。それが適当ではないケースが出てきたときには,部会資料28にも書きましたように,特に必要があるときには速やかに部会に報告という形で,適切な議論のフィードバックを図ることでよいのではないかと考えております。 ○鎌田部会長 よろしいでしょうか。ほかに御意見いかがでしょうか。   審議スケジュールにつきましては,事務当局から説明がありましたように,中間試案の取りまとめ時期の目標は平成25年2月を目途とすると,こういう御提案があったわけで,目標を設定すること自体については,松本委員からその期間内で何ができるのかという点の御意見がございましたけれども,ある程度そういう目標は設定しなければいけないということを前提にしながら,しかしこの時期の目標を維持することを内容に優先させるようなことがないように十分な審議をするようにという御意見をちょうだいしたところであります。それは大変ごもっともなところでありますので,十分な配慮をしながらも,今の時点では一つの目標として平成25年2月を目途とするということで進めていきたいと思っておりますが,よろしいでしょうか。 (「異議なし」と呼ぶ者あり) ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それから,事務当局から御提案がありました補充分科会の設置につきましては,設置すること自体について強い異論はなかったように見受けておりますが,分科会を設置した場合にどういった項目を分科会の議論に付託するのか,これは基本的には部会での意思に基づいて付託すべき事項を決めていくし,一旦付託したものであってもやはり部会での審議が必要な場合にはまた戻ってくる。これを大前提にすることと,部会での審議状況ができるだけ迅速かつ的確に部会の審議に反映できるよう最大限の努力をすること。こういった御意見を頂いたところでございますけれども,当部会に三つの補充分科会を設置するということはお認めいただけますでしょうか。 (「異議なし」と呼ぶ者あり) ○鎌田部会長 ありがとうございました。   様々に御指摘いただきました点,取り分け審議の内容を充実させていく,パブコメの反映も含めてでございますけれども,そういった点については十分に配慮をした審議の進め方に努めていきたいと思っております。   補充分科会(仮称)とされておりますけれども,これを正式にどういう名称にするかということ,それから三つの分科会を設置させていただきますけれども,その所属メンバーの人選の基本原則につきましては先ほど事務当局から御説明がありましたけれども,具体的にどの方にどの分科会に入っていただくかということにつきましては,もし可能であれば部会長に御一任いただけますと幸いでございますが,よろしいでしょうか。 (「異議なし」と呼ぶ者あり) ○鎌田部会長 ありがとうございました。それでは,補充分科会の正式の名称及び各分科会に所属するメンバーの人選につきましては,できるだけ早い時期に内容を決めましてお知らせするようにいたしたいと思います。どうもありがとうございました。   それでは,これより実質審議に入ります。本日は部会資料27について御審議いただく予定です。具体的な進め方としましては,まず部会資料27の「第1 法律行為に関する通則」を御審議いただいて,それ以降審議できるところまで審議して休憩を取らせていただくということにしたいと思います。   それでは,まず部会資料27の「第1 法律行為に関する通則」の「1 法律行為の意義及び効力」のうち,「(1)法律行為の意義の明文化」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 部会資料27は,「民法(債権関係)の改正に関する中間的な論点整理」に従って,各論点について検討する材料を提供するものです。ゴシック部分で考えられる選択肢を示すとともに,補足説明では具体例を挙げるなどしてゴシック部分での提案の内容を理解いただけるように努め,また審議に当たっての参考となるよう,1読で提出された意見などについて考えられる問題点などを記載しました。また,1読ではゴシック部分のみの部会資料と補足説明を付した詳細版とを区別していましたが,今回からはゴシック部分の記載をシンプルにした関係で,この区別をやめて資料を一本化しております。資料の作成方法についての御説明は以上ですが,不十分な点もあると思いますので,今後の部会資料の作成の在り方についても御意見を頂ければと思います。   それでは,部会資料27の内容について御説明いたします。   「第1 法律行為に関する通則」「1 法律行為の意義及び効力」「(1)法律行為の意義の明文化」のアは,定義規定,分類規定を設けるかどうかという論点に関するものです。甲案は,「法律行為とは,契約,単独行為及び合同行為をいう。」との形式的な分類規定を設けることを提案するものであり,乙案は,法律行為の分類についての考え方が確立しているとは言えないことや,形式的な分類規定を設けたとしても,その実質的な内容は明らかにならないことから,定義規定,分類規定を設けないことを提案するものです。   次に,イは,法律行為の効力に関する規定を設けるかどうかという論点に関するものです。甲案は,法律行為が意思表示に基づいて効力を生ずる旨の規定を設けることを提案するものであり,乙案は規定を設けないことを提案するものです。当事者の意思が任意規定に優先する旨の規定や,契約自由の原則を定めた規定を置いた場合のそれらの規定との関係にも留意しながら御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。ただいま御説明のありました部分について御意見をお伺いしたいと思いますので,御自由に御発言ください。 ○岡委員 最初に,質問をさせていただきたいと思います。先ほど高須さんもおっしゃいましたけれども,私も,中間試案に向けての議論に参加するのは初めてでございますので,どういうスタンスというかどういう目的で議論を進めていったらいいのかを,今までの法制審の慣行等に従って御説明いただければ幸いでございます。   まず,できるだけ成案,一つの案をこの段階で作るべく甲論,乙論をして,一つの成案を目指すべくしっかり議論をして,それでまとまったら一つにすることがベストという考え方でしょうか。ただ,どうしても少数意見があれば別案として置くという筒井さんのお話もありましたが,一つの案にまとめるのが原則で,少数意見があれば別案にするのもやむを得ない。甲案,乙案という甲乙付け難い案がある場合には両論併記でやむを得ない。しかし一つにまとめることを原則として目指す議論をするんだというのがこの第2読会の意義なんでしょうか。そこをまずお伺いしたいです。 ○筒井幹事 抽象的には岡委員がおっしゃったとおりだと思います。できる限り一本化することを目指しつつ,しかし少数意見が残るもの,あるいは甲案,乙案というような両論併記にならざるを得ないものが出てくることは,ある程度やむを得ないということになろうかと思います。しかし,目指すべきは一本化であるというのは,全くそのとおりだろうと思います。 ○岡委員 そうだとしますと,部会資料27でしょっぱなから甲案,乙案,後のほうでは甲-1案というのが出てくるわけなんですが,これは法務省の事務局サイドでの事前議論では両論併記にならざるを得ないのではないかというある程度の価値判断が入っているんでしょうか。できれば今までの議論を踏まえて事務局サイドとしてはこの案で一本化できる可能性が高いという場合には推奨案というか,見たら分かるような資料を作っていただけると議論しやすいようにも思いました。 ○筒井幹事 貴重な御意見として承りたいと思いますが,そういった進め方に対しては,あるいは逆の御意見もあろうかと思います。現段階の資料で甲案,乙案と書いてあるのが直ちに中間試案でも甲案,乙案となることを想定したものだということでは全くないわけですので,議論の枝分かれがどこで生じているのかを意識しながら,それぞれの論拠を示しながら更に議論していただくというスタンスで,私どもは今回の資料を作りました。それについて今,岡委員からは,事務当局がどちらを推奨しているのかをはっきりさせたほうがいいのではないかという趣旨の御提案を頂き,そういう考え方もあり得るかもしれませんが,多くの論点についてそれは我々には荷が重いことでもありますので,基本はこのようにフラットにお示しして御意見を伺うことにしたいと思います。しかし,きっかけを作っていただきましたので,その点について皆さまの御意見を賜ることができれば大変有り難いと思っております。 ○中井委員 私は岡さんの意見とは異なりまして,今筒井さんが御説明になられたことだろうと思いますけれども,これまでの審議の経過を踏まえて,先ほどの松本委員の御発言によれば言いっぱなしの議論だったかもしれませんが,これらの議論を踏まえたところで出てきた意見を可能な限り客観的に,しかしコンパクトに整理していただいて,それも第三者的スタンスというんでしょうか,方向性のない形での提案,少なくとも甲,乙と対等な形で提示していただくのが好ましいのではないか。その上で部会議論を通じて方向性がまとまればそれを中間試案として取りまとめていく。この部会で意見が分かれるものについては,場合によっては落とすという決断も必要でしょうし,なお規定することが望ましい,しかし意見が分かれるのであれば中間試案の段階でなお甲案,乙案が残る,こういう形が好ましいのではないか。それであっても今回この検討事項の資料を拝見して,説明文書を読みますと,これは基本的に公平な見地からお書きいただいているとは思うものの,どうしても執筆者の主観が入るのか,どちらかを推奨するような雰囲気を醸し出している部分もないわけではない。これはこれでやむを得ないと思いながら我々は冷静に読ませていただきたいなと思っておりますので,そのような形で進めていただきたいと私は希望しております。 ○筒井幹事 ありがとうございます。今,中井委員の御発言の最後のほうで,事務当局の主観が入った記載という御指摘がありました。執筆者の主観が入った記載があるという御指摘は,そのとおりだと思います。部会資料の在り方としては,そもそもあらゆる意見を第三者的な立場から紹介することを基本とすべきかどうかについても,いろいろ意見があるかもしれませんが,仮にそれが基本であるとしても,我々も部会メンバーの一員として気付いたこと,特に今後条文化していく上で支障になるような問題点等に気付いたときはそれを積極的に発言していきたいですし,そのことを部会資料の中にも盛り込んでいこうと思います。その上で,資料の執筆者からの問題提起について,更に批判的に御検討いただくことを大いに期待したいと考えており,我々の意見を部会資料に盛り込むことが適当でないとは考えていないということを,念のため申し上げたいと思います。 ○中井委員 その点には異議ございません。 ○高須幹事 資料の利用の仕方の点で質問でございます。甲案,乙案というような形で事前配布資料を頂いて検討させていただく場合に,今回中間試案の作成という意味で,できるだけ方向性をということも意識しながらの議論となりますと,例えばなんですが,丙案がいいのではないかと,こういうふうな気持ちを持った場合に,例えば丙案を私どもは御検討いただきたいと思いますのようなものを事前にペーパーで作って配布の資料にしていただくというようなことも可能なのか,あるいはそれはさすがにしてはいけないということなのか,その辺をちょっとお聴かせいただければと思います。 ○筒井幹事 そのような提案をいただくことはもちろん構いませんし,むしろ高須幹事から御発言がありましたように事前にペーパーで御提出いただくというのは,一つの在るべき姿として大いに推奨されてよいのではないかと思います。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。中身につきましても御意見をお願いします。 ○岡委員 私の先ほどの意見は意見で,取りあえず事務局が出してくる甲案,乙案がどのようなものかというのをはっきりさせていただければ,注文を付けるまでの意見ではなく,中井さんと意見が対立しているわけではないことをここで申し上げておきます。   それで,中身にも少し入っていきますが,(1)のアのところで,日弁連の意見を多少踏まえた私個人の意見としては,この乙案の,分類規定を設けないものとするというのがいいとの意見を持っております。この甲案,乙案という表現なんですが,多数の意見が甲案ということになるのでしょうか。そのようなことを最初に決めておいていただければ,今後の議論がやりやすいと思います。甲案とか乙案の表現方法は,どんなふうに考えればよろしいんでしょうか。 ○筒井幹事 これは資料作成上の約束事ですけれども,私どもは甲案と乙案を並べるときに,甲案のほうが上位にあるという認識は持っておりません。どちらから説明を始めたほうが分かりやすいかということもありますので,常に甲案が優位にあり,乙案がそれに次ぐものであるという整理はしないほうがよいと思います。むしろ甲案と乙案の順序それ自体には意味がないことを約束事とさせていただき,甲案と乙案の順序を入れ替えるべきだという議論は,差し当たりはやめたほうがよいのではないかと考えております。いかがでしょうか。 ○岡委員 それはそれで結構ですが,部会でどちらが多数であった,多数と少数の区別がつくときにはどんなふうに中間試案に表現するのでしょうか。 ○筒井幹事 それはどちらが多数であったということをその会議の中でその時点の状況として確認しておくということは十分あり得ると思いますし,それで多数の意見と少数の意見というのがはっきり区別できるときには甲案,乙案ではない書き方を考えたらよいのではないかと思います。どのような言葉を使うのかはまだ考えておりませんけれども,本案と別案なのか,それとも本文は一つの案だけで,それに注を付けるというような書き方も過去の中間試案では例がありますので,そういった書き方の工夫というのはいろいろあると思います。 ○野村委員 中身なのですけれども,この問題は二つの問題と関わっていると思うのです。一つは基本原則,原理を成文化するのがいいのかどうかという問題で,これについてはある程度成文化したほうがいいと思いますが,余り自明のものについて,あるいは内容がそれほどないと思われるものについては,むしろ明文で書かなくてもいいのではないかと個人的には思っています。それからもう一つは,特にアについては,契約,単独行為,合同行為について別途定義規定を設けるのかどうかということと関わっているのだと思っています。これらの用語について,定義規定があるのであれば甲案も意味を持ってくると思うのですけれども,そちらのほうの定義がないとすれば,甲案が人に与えるメッセージとしての内容はそれほどないという気がしまして,そうすると結論としてはアについては乙案のほうがいいのかなと思っています。それから,イのほうについてもアに比べれば甲案の表現の中にも内容があると思いますけれども,この程度であればなくてもいいのかなというのが個人的な意見です。 ○大村幹事 今の野村委員の御発言のうち,アについては,契約,単独行為,あるいは合同行為について定義規定を置くかどうかという問題と関係するのではないかという御指摘に賛成です。私は,結論は甲案のように規定を置いたほうがよろしいと思いますけれども,現在の書き方ですと,契約,単独行為及び合同行為が挙がっており,補足説明のほうにもございますけれども,合同行為をどのように取り扱うのかという点で意見がまとまらないという可能性があろうかと思います。それに対しまして,契約とはかくかくしかじかの法律行為をいうという定義規定は比較的置きやすいだろうと思いますし,単独行為についても同様だろうと思います。そこまでを置いて,合同行為とか,あるいはほかの類型があり得るかどうかというのは白紙にするというのが,一致が得られやすく,かつ定義ないし分類規定を置くという目的にもかなうやり方かと思います。   今の話は技術的な話ですけれども,考え方としては,先ほど野村委員のほうから基本原則や定義規定については置いたほうがいいけれども,自明なものまで置く必要がないという御指摘があったかと思います。自明のものまで置く必要がないというのは正に御指摘のとおりですけれども,誰にとって自明なのかということについては考える必要があるのではないかと思います。法律行為とか契約,単独行為といったようなことについては,法律家にとってはある意味では自明のことでありますので,定義規定がなくてもやっていけるわけですけれども,新しい民法を見る人たちが,民法は新しくなったのに,法律行為ということについて依然として何も分からないということでいいのかと考えると,私はそれは大きな問題なのではないかと思います。 ○鎌田部会長 大村幹事の御発言は,甲案のような形で,契約と単独行為に関してだけの規定を置くというのが妥当であるという御提案と受け止めていいですか。 ○大村幹事 甲案をそのまま維持するということではなくて,契約,単独行為について定義規定を置くことによって法律行為との関係を明らかにするというのがよろしいのではないかと思います。 ○新谷委員 今の御発言にも関係いたしますけれども,イの法律行為の効力について自明の理を明文の規定を設けるということについて,反作用がどういうものとして出てくるのかということについて,労働の分野で少し懸念がございます。   一般に,交渉力や情報などで契約当事者間で格差のある労働契約における契約内容の解釈にあたっては,規範的解釈なり修正的解釈によって社会的弱者である労働者に対する不公正を是正するということが必要な場合があろうかと思います。   例えば,労働の分野で有名な最高裁判例で,短期雇用契約の反復更新の雇い止めに関して,2か月の期間の定めのある契約を反復更新していった事件で,最高裁東芝柳町工場事件がございます。この判決の中では,「原判決は,以上の事実関係からすれば,本件各労働契約においては,実質において当事者双方とも期間は一応2か月と定められているが,いずれかから格別の意思表示がなければ当然更新されるべき労働契約を締結する意思があったものと解するのが相当である」という判旨が示されており,規範的解釈が採られた例として挙げられます。   しかし,今回提案されております甲案のように「法律行為は法令の規定に従い意思表示に基づいてその効力を生ずる旨の規定を設けるものとする」としたり,部会資料27の2ページの下から3行目にあるように,「意思表示を要素として成立し,その意思表示の内容に従って効力を生ずる」というような記述が明文化された場合,裁判官が契約の文言や文理に捕らわれて契約を規範的に解釈するということに対して慎重になるのではないか,という懸念があります。裁判官の方々というのは我々が考えている以上に条文に忠実な実務運用をするのではないでしょうか。裁判実務に携わっておられる裁判官の方から見て,このような条文ができたときにどのような影響があると考えるのかお聴かせいただきたいと思います。 ○笹井関係官 イの甲案について事務当局としての考えを補足いたします。ここでいう「意思表示に基づいてその効力を生ずる」という規定を設けた場合,その意思表示の内容が何だったのか,意思表示の解釈という作業が前提として行われて,そこで確定された意思表示に従って効力を生ずることになります。したがって,規範的解釈等を排除するという趣旨ではないということを補足させていただきます。 ○永野委員 新谷委員の御質問の点についてですけれども,この改正提案については,私の経験に照らしても甲案,乙案,どちらの立場を採っても今やっている裁判実務に影響があるというふうには考えておりません。 ○山本(敬)幹事 この「法律行為の意義等の明文化」についてですけれども,結論としては,アについては乙案,イについては甲案でよいのではないかと思います。  まず,アの「法律行為の定義規定・分類規定」については,部会資料2ページで,先ほど御指摘もありましたように,合同行為の概念について問題が指摘されていますが,先ほど大村幹事はできるとおっしゃったのですけれども,契約や,取り分け単独行為についても,実際に定義規定を考えてみますと分かるのですが,正確な定義をすることは不可能ではないとしても,非常に分かりにくいものになってしまうと思います。それでは,何のために規定を置くのか分からなくなってしまいかねません。  むしろ,そのような定義を無理に定めるよりも,次のイにありますように,「法律行為の効力」が何に基づいて認められるのかという基本原則に当たるものを定めるほうが,法律行為はどのようなものかということをよりよく伝えることができると考えられます。そして,この法律行為の効力が何に基づいて認められるかという原則は,自明といえば自明なのかもしれませんが,私法全体を支える根本原則に当たるものですので,民法の基本的な考え方を誰が見ても分かるようにするという観点からは,やはり民法に明文で定めておくべきだと思います。したがって,イについては,乙案ではなく,甲案のほうを採用すべきだと思います。規定の内容についても,甲案に示されている内容で特に問題ないと思いますし,先ほどの御懸念の点は,笹井関係官が答えられたようなことになるのではないかと思います。   部会資料の3ページを見ますと,契約自由の原則やそれぞれの単独行為に関する個別規定との関係が不明瞭になるおそれが指摘されていますけれども,この1ページ目で提案されているのは,法律行為の効力が一体何に基づいて認められるのか,それは意思表示に基づいてであるという原則を定めることだと理解すれば,契約自由の原則や単独行為に関する規定との関係が不明瞭になることもないと思います。 ○能見委員 アの甲案,乙案につきましては,私は先ほど大村幹事が言われましたように,できれば甲案のようなものが置けるといいだろうと思っております。問題点は皆さん重々承知だと思いますけれども,やはり合同行為というところはなかなか定義がしにくいというところに難点があるわけですが,それはまた別途いろいろ工夫するとして,甲案のようなものができるといいのではないかと思います。その理由は,これもほかの委員がおっしゃいましたけれども,やはり今回の民法典というのが,最近のどの法律もそうなんですけれども厳密さを追求し,そういう意味で非常に難しい法律になっている。しかし,民法典というのはやはり市民が読んで分かるということが非常に重要で,そういう意味では特に民法典については普通の人が読んで分かるというような条文をできるだけ設けたほうがいいだろうと思っております。そういう観点から,できれば甲案をもうちょっと追求してみたいと思います。   イのところは,基本的には甲案でいいと思っているんですが,ただ,これも新谷委員が言われたことと少し関係するんですけれども,法律行為の解釈,あるいは契約の解釈でどういう立場を採るかということと少し関係してきて,契約みたいなものは複数の意思表示がぶつかってといいますか要素になっています。そのような構造を有する法律行為の解釈とは何なのか,どこに着眼して行うのかが問題となります。また,契約などの効力というのは意思表示そのものから出てくるわけではなくて,契約だったら契約という法律行為のところから法的な効力が出てくるわけで,意思表示というのは,法律行為,契約を有効にするための要素であり,同時に解釈の手掛かりでもあるんですが,そこで,法律行為において意思表示が持っている意味というのが,ちょっと表現なかなか難しいんですが,一つの考え方は直接的に意思表示と契約を直結させる考え方で,そういう立場を採ると,例えば二当事者間において主観的に解釈した意思表示というのが食い違っていると契約自体が成立しないという考え方があり得ます。そういう立場を甲案から直ちに導くというのは適当ではないんだろうと思います。甲案はもっとある意味でぼやっとしたもので,意思表示と無関係に法律行為の効果というのは決まりませんという程度のニュアンスが出せるといいと思うのですが,なかなかそれを適切に表現するのが難しいなと思っています。 ○道垣内幹事 結論からいうと山本敬三幹事がおっしゃることに全く賛成なんですけれども,私が発言した趣旨は,大村幹事のおっしゃった御意見がちょっと分かりにくかったものですから確認をさせていただきたいということなのです。つまり,大村幹事は,甲案のような「契約,単独行為及び合同行為をいう」旨の規定を設けることを前提とした上で,契約とは何か,単独行為とは何かということについてだけ下部規定を置くとおっしゃったのか,そもそも「法律行為とはうんぬんである」といった規定は設けないままに,「契約はこれこれの法律行為である」と「単独行為はこれこれの法律行為である」といった規定だけを設けるとおっしゃったのかが分からなくて,私は後者ではないか,と理解しました。これに対して,能見委員が前者のお考えであるということは先ほど明らかにされたと思いますが,大村幹事は後者ではないかと聴いたものですから,確認をさせていただければと思います。 ○大村幹事 私は,今の道垣内さんの分類でいうと後者のつもりで申し上げました。ついでなので更に申し上げますと,規定の置き方としては,イについては甲案に賛成ですけれども,これを先に置いて,意思表示に基づいて法律行為の効果が生ずることを示し,その後で,意思表示の個数に応じて契約と単独行為というのがあるということを書けばよろしいのではないかと思っております。厳密に定義するのは難しいと,山本敬三さんがおっしゃるのはそうだろうと思います。しかし,能見委員がおっしゃいましたけれども,ぎりぎりした形で厳密に定義するというのではなくて,基本的な考え方が分かるような規定として置けばよろしいのではないかと思っております。 ○中井委員 この点については先ほど永野委員がおっしゃられたように,裁判所若しくは弁護士サイドからすれば,研究者の皆さんのほうできれいに説明がつくなら基本的にその考え方に異論はない分野だと思います。その上で私としてはアの問題については定義が難しい,定義すると混乱する,逆作用があるのであれば,乙案を採っていただきたいし,それがすっきり説明できて国民にとって分かりやすいのであれば甲案を採っていただきたい。正にそこは書けるのか書けないのかということを実務的にお考えいただきたいと思います。   イにつきましては,現在の民法の条文を素直に見て,第5章の法律行為の最初の条文が90条で公序良俗に反する法律行為は無効とある。この始まり方については確かに非常に分かりにくい。とすれば,法律行為の一番最初に,その法律行為の効力が生じる根拠がこういうものだと,意思表示に基づくというような規定が最初にあって,にもかかわらず公序良俗に反するものは無効という方が少なくとも国民にとっては分かりやすいのではないか。だとすれば,甲案の定義の仕方に研究者の皆さんから見て問題がない表現,それが効果の根拠であると一致されるのであれば,弁護士会若しくは恐らく裁判所としても反対するものではないのではないかと思っています。   ちなみに,このような議論をしてここで仮に終わったら,最初の問題ですけれども,中間試案のときにどう書くのかなということが早速頭をよぎってしまうことを付言しておきます。 ○松岡委員 私自身はまだ意見を固めるに至っておらず,迷いがあるのですが,それとは別にもう一つ考えなければいけないのは,法律行為の定義を置くかどうかと併せて,意思表示の定義もやはり問題になると思います。意思表示という言葉の中身は,日常用語とは相当異なっており,一見分かりやすいようでいて正確な理解が難しいものですから,法律行為を定義するのであれば意思表示も定義しなければならないと思います。甲案について,今もいろいろ御指摘がありましたように,分かりやすい定義ができるかどうか,具体的に案を検討してみないと,抽象論では進みにくいと感じています。 ○松本委員 私は結論的には一番最初に野村委員がおっしゃったア,乙案,イ,乙案なんです。理由は,アに関しては単なる分類では余り意味がないだろうから,そうすると大村委員のおっしゃったような形で書ければ,そちらのほうがベターだと思うんですが,果たして書けるかということです。合同行為だけが取り上げられていますが,やはり契約,単独行為もきちんと書けないのではないかと,これは山本敬三幹事がおっしゃったことと同意見です。つまり,例えば契約というのは昔の教科書的にいえば相対立する二つの意思表示からなる法律行為とされています。これ定義ですかということで,これを言われてもよく分からないわけです。果たしてこれだけで全て終わるかというと恐らく終わらなくて,では駅前で待ち合わせをしましょうねという約束は法律行為ですかというと,それは法律行為とは普通は言わないわけですね。契約とは言わないわけで,そうすると,ある合意が契約になるかならないかということはもう一つ別のファクターが入ってくる。つまりそれに違反した場合には法的な救済が与えられるタイプの約束を含む何かが契約であり,法律行為だということになるんだと思うのです。これは非常に英米法的な発想なんですが,そういう実質的なところまで入れる定義が果たして書けるのかということで,意思表示と法律行為と,それから契約,単独行為,合同行為というカテゴリーの組合せだけだと教科書の分類を書いているだけであって,余り意味がないのではないかなということです。   それから,イに関しては,法令の規定に従いという部分がちょっと引っかかりまして,確かに要物契約についてはそれだけでは駄目だということは法令に書いてある。あるいは公序良俗に反するような意思表示は駄目だ,法律行為は駄目だということも法令の規定に書いてあるけれども,そういう例外がなければ意思表示に基づいて効力を生ずる旨の規定が現在の民法にあるかというとないんですよね。つまり,まずそういう趣旨の規定が入っているのであれば法令の規定に従いということでいいんでしょうが,そういう規定を入れなくて例外的な部分だけ法令の規定があるというような構成の民法においてこの定義だとちょっと混乱するのではないかと思います。そういう意味で乙案のほうがいいんだと。大原則として,法令に特段の規定がなければ意思表示に基づいてその効力を生ずるものであるという規定を入れるならこれでもいいんですが,それならその裏側のことを言う必要はなくなってくるのではないかなと思います。 ○岡田委員 私たちの立場からいえば,やはり法律行為,それから契約,効力,加えて意思表示,その辺が本当に分からない。ましてや一般の人には分からないだろうと思いますので,今までの意見を聞いていますといろいろ難しい問題がありそうですが,極力一般の人にも分かるような形に是非やっていただきたいと思います。今,相談員が出前講座などいろいろなところで講演するのですが,契約とは,法律行為とはと,その辺は法学書を参考にやっているのですが,受講者に対しては説得力がなくて苦労していますので,分かりやすい形にしていただきたいと思っています。 ○山野目幹事 内容のこともございますけれども,進行の仕方について感ずることがありますから,申し上げさせていただきます。   今このア及びイの議論をしたところですか,先ほどから岡委員,それから中井委員から,このような論議をしていってそれで一体どういうまとめになるのですかという御心配が繰り返し表明されているところであります。内容自体について,私はアについては乙案,イについては甲案が相当であると考えますけれども,このような議論をした上でのまとめ方に関して自分が感じているところを申し上げれば,冒頭に筒井幹事がおっしゃったように,中間試案として提示する際には一定のメリハリで本案と別案,あるいは,ある案を提示して注記というような形での提示にするよう,なるべく努めるべきものであるだろうと考えます。中間試案に対してパブリックコメントを書く側の負担ということも考えなければいけませんで,たくさんの論点を同じウエートで両論併記にされたのでは書く側が大変であると想像します。例えば,ここのアとイは完全な両論併記にするのではなくて,何らかのメリハリを付けて出すべき性質の論点だと感じます。そういう意味では,最終的にはどちらかを本案にし,他方を別案にするとか,どちらかの案を書いて注記を添えるとかいうふうな仕方に収れんさせていくべきだという意見を申し述べさせていただきたいと考えますけれども,それと同時に,今進行しているパブリックコメントがまだ結果が出ておりませんから,11月にその概要が上程される前に,例えば今日の審議で一つ一つの論点について,これは別案方式に決めたとか,注記方式に決めたとかまで言い切ってしまうのはいささか乱暴であろうという感じも同時にいたします。ですから,徐々に収れんしていくものであろうと考えますから,大体分布にこういうふうな感じが見受けられますね,というようなことを部会長からおっしゃっていただいたり,事務局のほうでテークノートをしていただいたりしながら,当面の11月までの審議を進めるのがよろしいと感じる次第でございます。 ○鹿野幹事 話が戻りますけれども,内容について意見を申し上げます。結論的には,私も,先ほど山本敬三幹事がおっしゃったのと同様,アについては乙案,イについては甲案を支持したいと思います。理由については,既に出されたところでもありますが,まず第一に,イの甲案については,その表現ぶりに関して多少工夫の余地はあるかもしれませんが,基本的に甲案を採ってこのような規定を置くことにより,定義規定という形ではないとしても,法律行為のエッセンスを伝えることができるのではないかと思うからです。つまり,法律行為は意思表示に基づくものであるという本質的な点と,それから,法律行為は法令の規定に従うという点です。この法令の規定に従うということには,一方で,法令による内容的な制限が加わり得るという意味も含まれるでしょうし,他方で,意思表示だけでは効力が発生しない場合もあり,法律行為の成立及び効力発生のために,どのような付加的な要件が必要なのかは法令に従うという意味も含まれるでしょう。それらを含めて,法令の規定に従うということもまた,法律行為という概念の基本に関わる点だと思いますので,それを示すことは非常に重要だと思います。このような基本的なところを民法の条文で明らかにするということに意味があるのだろうと思います。   次に,これに加えて,アの定義規定ないし分類規定を定めるかということについてですが,この点には消極的な意見です。既に指摘されておりますように,特にここに示された中でも合同行為という分類概念については,解釈論上も,果たしてこれが必要なのかどうか,仮に必要だとしてもどのように定義するのかということについて非常に議論があるところで,これを今直ちに決着させ,民法典の規定の中に明確に定めるということは難しいのではないかと思います。ですから,アについては,この規定を設けない案,つまり乙案に賛成でございます。もっとも,法律行為についてイの甲案のような規定だけを設けた場合には,ここにどのようなものが入るのかが分かりにくく,特に,契約は法律行為の代表的なものとしてこれに含まれ,あるいは単独行為も法律行為の一つなのだということが,この規定の上では明確になりません。そこで,法律行為という概念と契約あるいは単独行為などの概念との関連については,やはりどこかで明らかにする必要があると思います。これは恐らく大村幹事が先ほど指摘されたところとも関係すると思います。ただ,その関連付けについては,この資料アの定義規定のようなものとは違った形が考えられるのではないか,例えば契約との関連については,契約の冒頭規定の中で示すということも考えられるのではないかと思います。 ○松本委員 山野目幹事がおっしゃったこととの関係なんですが,中間論点整理のパブコメは,こういう案とこういう案とこういう案があるけれどもあなたはどう思うかという問い掛けは原則していません。方向性を出しているものについては恐らくそういう方向性で賛成だ,反対だという形の意見が返ってくると思いますから,これは大多数が賛成しているということは言えると思うんですが,そうでない場合,例えば本日の討議資料の冒頭の「法律行為の意義及び効力」に関しては,若干考え方が幾つか書いてあるけれども,このどれがいいと思うかということでは質問を投げ掛けていなくて,こういう論点があるので今後検討するのはどうかということです。そこから返ってきた回答の中からたまたま本来問われていないところのこの中のこの案で立法すべきだという回答だけを強引に引っ張ってきて,そういう意見が多かったというのは少しミスリーディングになるので,それはやめたほうがいいのではないかと思います。それなら地の文との関係で人によっていろいろなことを言っていると思います。 ○山野目幹事 松本委員から御注意を頂いたことはそのとおりでございまして,少し私が舌足らずな発言をしたかもしれませんけれども,先ほどの発言は,パブリックコメントの上程を待ち,そこから何かおいしそうな意見を拾って従来の審議の態度を変えようとかいうようなことを申し上げたのではなくて,パブリックコメントで出てくる様々な温度感を持った意見も一つのここでの調査審議の資料なのでありますから,私たちは謙虚になって,余り性急に方向性を一個一個決めるということはせず,なお慎重さを留保して進めたらよいのではないかということを一般的に申し上げたものでございます。 ○中田委員 内容のほうなんですけれども,法律行為の規定の部分の冒頭に法律行為に関する条文を置くということがやはりいいのではないかと思います。先に形式的なことを申しますと,資料の作り方ですが,第1,1の中に(1)と,公序良俗に関する(2),(3)がございますけれども,これは切り離したほうがいいのではないかという印象です。   それでどういう規定を置くかですけれども,まずイについては,私は甲案でいいと思います。法律行為の効力の根拠として法令と意思表示との両面がある,そのどちらを重視するかというのは,これは意見が分かれると思うんですけれども,両面があるということは示すということで意味があると思います。ただ,表現として意思表示に基づいてという,この「基づいて」の部分が分かりにくいと思います。これは先ほど能見委員がおっしゃったことに賛成いたします。それから,アにつきましては,合同行為についての規定を置くというのはやはり難しいし適当でもないのではないかと思います。合同行為についての言及をしないで甲案のようなものができればそれがいいとは思いますけれども,追求してみて無理だったら乙案でもしようがないかなと,そういう感じです。 ○内田委員 イについて,甲案がいいのではないかという御意見が何人かの委員,幹事から表明されました。その御趣旨は非常によく理解できるのですが,イの甲案の問題点として感じますのは,このあと法律行為について任意規定と異なる意思が表示された場合には,その意思表示のほうが優先するという規定が多分置かれるだろうと思います。現在の91条に相当する規定です。それから,契約自由の原則についての規定を置いてはどうかという提案もなされている。そうすると,契約については意思表示に基づいて効力が生ずるということはその後の規定で表現されますので,それとの関係でこのイの甲案がどういう意味を持つのかということが法制上問題となってくるであろう。本当に効力の根拠規定としての意味を持ち得るのかということが議論の対象になるだろうと思います。   それから,単独行為についても恐らく解除,取消しそれぞれについて効力の根拠規定が置かれることになるだろうと思われますので,それとの関係で甲案が独立の意味を持つのかということがやはり問題になる。分かりやすさという観点から甲案のような規定があると分かりやすいというのは非常によく分かるのですが,効力の根拠規定が重複するという点についてどう考えるかという点が少し気にかかるところです。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。おおむね御意見は出尽くしたように伺いました。できれば,どっちがより多いかではなくて,今議論しているのは性質上なかなか決め難いところがあるのでやむを得ないんですけれども,やはり中間試案では一本にまとまるということを目標にしていきたい。そのときに,何かうまい定義ができれば置いていくとしても,誰がその定義を考えるかということが常に残るわけですから,こういう表現でという形で提案していただかないと,宿題だけが次々と積み重ねられることになっていきますので,是非表現については具体的修正の提案を伴って御意見を出していただけるようにしていただきたいと思います。 ○松本委員 具体的提案ではなくて,今の関係でアについてもイについてもほかにどういう規定が置かれるのかによって変わってくるということは相当はっきりしたと思うんですね。アについても大村委員のように法律行為を定義するのではなくて,むしろ契約,単独行為,合同行為のほうを法律行為という言葉を使って定義しようという提案があるわけだから,そうすると甲,乙,丙案というか,あるいは討議資料の別のところでの提案が出ているということになるわけですから,そういう立体的なところがあると思います。それから,イに関しても内田委員がおっしゃったことは私が先ほど言ったことと基本的に同じだと思うので,意思表示のみに基づいて有効となる法律行為が原則なんだという規定が表から置かれるのであれば,裏から書くような規定は要らないということに恐らくなると私は思うので,そうすると,表から同趣旨のことを書く規定が置かれるのか置かれないかによって変わってくるわけです。表からの原則規定を置かなくても裏からのみの規定があるという状態では,私は,先ほど言いましたけれども法令の規定に従いという言葉に大変引っかかります。ということですから,ほかの条項がどうなるかによって変わってくるという論点が今後もいっぱい出てくる予感がしますので,それをどういうふうに収れんさせるかというのはなかなか難しい,つまりここでは決められない,ほかの個所での議論次第であるというところだと思います。 ○鎌田部会長 それは御指摘のとおりです。しかし,それをいつまでも決めないわけにはいかないので,ここでいえば,イについては御指摘のようにこの後に出てくる様々な原則についてどういう姿勢を取るのかということとの絡みがありますので,この場で例えばイについては甲案を既定の事実にして,これを前提にして以下のものを考えるというふうなわけにはいかないんだろうと思っております。この後なお,任意規定,強行規定の関係でありますとか,あるいは契約自由の原則その他の規定を設けるか否か,設けるとしてどのような内容にするかという議論が出てまいりますので,それとの関連を踏まえてもう一度ここのイについては検討するということにせざるを得ないと思っております。出された意見としては相対的に甲案を支持する意見が数多く出されたけれども,今御指摘があったような点,それからそういうことを考慮したら乙案のほうがよさそうだというような雰囲気の御意見もあったということで,次に進ませていただかなければいけないと思っております。   アについては,甲案をこのままで支持するという意見は相対的に少数だと伺っております。乙案を支持するという意見はある程度の数が存在している。そして,甲案の修正案といいますか丙案という形で,契約,単独行為についてのみ規定を設ける,この設け方は契約と単独行為の定義規定を置くのか,法律行為には契約と単独行為があるという形の規定にするのかというところについてはなお二通りぐらいの考え方があると思いますけれども,そういった意見が,私の伺った限りではやや少数ではあるけれども,そういった意見が存在したという整理にさせていただきます。そういった整理をずっと続けていくと中間論点整理と全然変わらないものが結論としてでき上がってしまうんですけれども,この部分は規定の性質上やむを得ないと思いますので,若干の留保を付けさせていただいて次に行きたいと思いますが,山本敬三幹事,どうぞ。 ○山本(敬)幹事 後で申し上げてもいいのですが,この段階で補足だけさせていただければと思います。内田委員からの御指摘についてですが,後で出てくる現在の民法91条との関係に関しては,この1ページ目の甲案を前提にしてもなお法令の規定と意思表示とが齟齬を来すような場合に,どちらをどう優先するのかということを定めたのが後ろの91条であるという位置付けができると思いますし,契約自由との関係については,契約自由の原則のほうをむしろどう定めるかということを考えないといけないという点では,松本委員がおっしゃるとおりかと思います。そのような意味で,整合的に定めていくことは不可能ではないということだけをここで指摘させておいていただきます。 ○鎌田部会長 それでは,恐縮ですけれども次に進ませていただきます。部会資料27の第1の1のうち「(2)公序良俗違反の具体化」及び「(3)「事項を目的とする」という文言の削除(民法第90条)」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「(2)公序良俗違反の具体化」は,暴利行為などに関する規定を設けるかどうかという論点に関するものです。暴利行為については,まずアに記載したように,規定を設けるかどうかが問題になります。イは,仮に規定を設ける場合の規定内容に関するものであり,甲-1案のように伝統的な判例の定式をそのまま条文にするか,近時の裁判例の動向などを踏まえて暴利行為の要件を見直すかが問題になります。暴利行為の要件の見直しについては様々な提案がありますので,特定の案をお示ししてはいませんが,検討されている要素を資料に上げておりますので,御審議いただきたいと思います。   ウでは,暴利行為以外に公序良俗違反の具体的な一類型として規定すべきものの有無を取り上げましたが,この点については仮に規定を置くことを支持される場合はある程度具体性のある御提案を頂きたいと思います。   (3)「事項を目的とする」という文言の削除(民法第90条)は,公序良俗の判断に当たって内容だけでなく法律行為が行われた過程その他の事情が考慮されることを明らかにするための文言の修正を提案するものであり,第10回会議においても特に異論のなかった論点です。 ○鎌田部会長 それでは,ただいまの御説明がありました部分について御意見をお伺いします。 ○高須幹事 公序良俗違反の具体化のところでございますが,暴利行為に関する判例法理を明文化するという甲案の方向性に賛成したいと思っております。やはり現実の裁判を行っておりますと,なかなか公序良俗という一般条項で御判断を頂くということは難しゅうございます。そういう意味で具体化,類型化,そういったことが実際の裁判の中で真に公序良俗違反という問題を取り上げるというためには必要なのだろうと,このように理解しております。暴利行為に関しては既に判例があるところでございますので,それをこの時点で明文化することに支障というものも少ないんだろうと,このように考えておる次第です。その場合の暴利行為の内容でございますが,確かに判例の御指摘が資料にもございますし,それが前提,基本にはなるのだとは思いますが,この判例自体が昭和9年5月1日というように大分古い判例でございまして,その後のやはり時代の変化といいますか,取引社会の,より現代化に伴う修正というのはこの時点で行うということはやはり大切ではないか。資料のゴシック体のところに書かれている(2)のイのところのこれに対し以下の部分についても前向きに検討すべきだろうと,このように考えております。 ○岡本委員 アの甲案,乙案につきましては,規定を設けないという乙案のほうに賛成したいと思います。第1読会のときに,公序良俗違反のような一般条項を具体化する規定を設けると,一般条項としての性格が見えにくくなるのではないかという意見を申し上げているところでございまして,これに対しましては今回の部会資料で,強行規定は公序良俗を具体化したものであって,強行規定は既に多数設けられているわけだから,そういう懸念はないのではないかといった反論を頂いているところでございますので,この点ちょっとふえんしたいと思うんですけれども,まず1点目ですけれども,公序良俗を具体化した規定が既にあるからといって,申し上げたような懸念がなくなるわけではないといったところが一つです。それから,2点目としましては,公序良俗を具体化する規定を設けることによりまして,解釈が言ってみれば拘束されてしまって柔軟な解釈を行いにくくなるのではないかといった懸念がございます。公序良俗のような一般条項については具体化されないところにむしろその存在価値があるのではないかといったことも言えるのではないかということです。特に部会資料27では,仮に暴利行為に関する規定を設ける場合に要件の規定をどうするかといったことについて幾つか案が示されているわけですけれども,こういった幾つかの案があるということ自体過不足ない規定を設けるといった観点からは,まだ判例,学説の蓄積が十分ではないといったことを示唆しているとも言えるのではないかと思われます。今の段階で明文化することで要件を固定化するということよりは,今後の判例,学説の発展を期待するといったことが望ましいのではないかと考えております。   それから,部会資料27では強行規定の例として幾つか挙げられておりますけれども,これらが全て公序良俗の具体化なのかといったところにも問題がないわけではないのではないかということです。強行規定が全て公序良俗の具体化なのかといったことにつきまして,次の90条と91条の関係にもつながるのではないかと思いますけれども,両方一元的に考える考え方でありますれば,強行規定は全て公序良俗の具体化であるといった考え方にも親和的なのかなと思うんですけれども,法律行為の適法性は91条で,公序良俗のほうは社会的妥当性の問題であるといったふうに分けて役割分担させて考える考え方,仮にこういった考え方をするとすると,必ずしもまた違ったところではないかと思われるところでございまして,この辺りの考え方をどういうふうに考えるのかということにも関係するのではないかと思います。   具体的に見ていきますと,例として挙げられている最初の担保責任を負わない旨の特約についての民法572条ですけれども,これにつきましては,私ちょっと調べたところでは信義則に基づく規定であるという説明が多いように思われました。信義則違反であって,かつ公序良俗違反両方だということなのかもしれないんですけれども,調べた限りでは信義則違反しか言わない説明が多いようでございまして,公序良俗を具体化した規定と言えるのかどうかという点についてちょっとよく分からなかったというところです。   それから,次に604条が挙げられておりますけれども,これは賃貸借の存続期間について一律に20年を超えることができないという規定でございますけれども,これは公序良俗違反の具体化というよりも多分に政策的な観点が入っている規定なのではないかなという気がいたしまして,実質的にも20年を超える賃貸借契約が一律に公序良俗違反なのかというと,かなり怪しいような気もいたします。   それから,最後にやむを得ない事由による雇用の解除の628条,それからやむを得ない事由による組合員の脱退の678条,これにつきましては確かに公序良俗を具体化した規定なのかなと思いますけれども,それぞれの条文で言っているところのやむを得ない事情というのは,それぞれ解除がやむを得ない,あるいは脱退がやむを得ないという事由をいうわけでございまして,解雇のほうについて労働基準法20条の特則があるといたしましても,そういったやむを得ない事由があっても解除あるいは脱退を許さない,そういう特約が効力を有さないというのは,ほとんどトートロジーのような規定ではないかと思われまして,その限りでは,つまりトートロジーにすぎないがためにかえって公序良俗の一般条項としての効果を見えにくくするという効果も一定程度限定的なのではないかと思います。それと,本件の暴利行為の明文化とはちょっと違うのではないかと思っております。   ちょっと長くなりましたけれども,以上です。 ○新谷委員 公序良俗違反の具体化について,暴利行為に関する規定を設けることが提起されておりますが,暴利行為が規定された場合の労働の分野への影響については,不当な労働契約によって使用者が不当な利益を得る場合,暴利行為に該当するとして無効となるということがあり得ると思います。また,暴利行為条項が,不当な労働契約の解釈に影響を与えたり,労働契約の内容について使用者に対する牽制の役割を果たすということも考えられます。   さらに,暴利行為に関する規定を設けることを前提に,伝統的な定式が挙げる暴利行為の要件を見直し,「従属状態」「信頼関係」「経験の不足」「知識の不足」等を利用するという主観的要素を付け加えるという考え方も提起されています。この考え方については,交渉力格差における労働契約の特質に近いものが反映されており,不当な内容の労働契約に対する圧力になり得ると考えられます。今後更に暴利行為の検討が深められることを期待しております。 ○道垣内幹事 岡本委員の御発言にある意味で賛成のところがあります。と申しますのは,この問題は公序良俗違反の具体化という話として論ずべき話なのかということなのです。つまり公序良俗という一般規定が90条で存在しているが,それは一般規定であって,ある種具体化を許さないものであるかもしれないという岡本委員の御発言は誠にもっともなんですが,他方で,はしごを外して誠に申し訳ないんですけれども,公序良俗の具体化としてではなく,いわゆる「暴利行為」の規定は必要なのではないかと思うのです。議論を混乱させている原因は幾つかありまして,まず,名前です。「暴利行為」と名前を付けることがどうかということでして,例えば,ここに書いてありますような困窮又は緊急の必要性に付け込んで,あるいは,従属状態に乗じて,著しく過当な利益を獲得する,というのは「暴利行為」なのかもしれませんけれども,「相手方の権利を著しく侵害する」ということになりますと,それはいわゆるかぎ括弧つきの「暴利行為」という言葉に当たるのかは問題です。その点を岡本委員は御指摘になっていると思います。次に,それを公序良俗の規定の具体化だという必要があるのか,という問題もあり,法律行為が有効であるための要件として,一般的な規定としての公序良俗規範というのはもちろん必要ですが,それは最後のとりでとしてあって,しかしながら意思表示に基づいてある一定の効果が発生するというふうな法律行為が有効であるための基本的な要件として,一方的な付け込み行為によって行われた場合には,それはそもそも法律行為として有効性を持たないのだという話は別の話として考えて規定すべきではないかと思います。だから,結論は規定すべきだというふうになるのですが,議論の仕方としてあえて公序良俗一類型,具体化だという必要はないのではないか。 ○中井委員 暴利行為についての弁護士会の意見はかなり一致をしております。少なくともアを具体的な規定として設けるかについては,現在の裁判実務を見ておりましても暴利行為を理由とする無効判例は数多くあります。したがって,これを明文化していくことに基本的に賛成です。そのとき,イ,具体的にどのような形で規定するかにつきましては,相手方の窮迫,軽率又は無経験という主観的事情と,著しく過当な利益という客観的事情,この二つが従来言われておりますけれども,最近の少なくとも裁判実務を見れば,この二つはかなり限定的過ぎると言わざるを得ないと思います。したがって,前者の主観的事情には,従属状態,抑圧状態,信頼関係,経験の不足,知識の不足等,適切な言葉をどう選択するかは更に検討するとしても,主観的事情の要件を緩やかに拡大するという方向に賛成です。加えて客観的な事情にいたしましても,これも裁判例に出ているものを見る限りにおいて,著しく過当な利益,この著しくというところが常に要件としているかというとそうではない。また,過当な利益,利益のほうだけかというと,相手方の権利を侵害する場合の例もあるということからすれば,客観的要件についても広げる,「著しく」を削除して過当な利益で足りる,又は相手方の権利を侵害する場合でも足りるという形で要件化を図るのが好ましいのではないかというのが基本的な意見です。これを具体化することによって何か弊害があるのかというと,実務からすれば,基準が明確になって,そのようなことをすれば無効になるのだということから,むしろ適正な契約社会が生まれる方向に前向きに機能するのではないかと,そういう規定と理解すべきではないかと考えています。   それから,ウについても,ここは弁護士会一般にそうだというところまで至っておりませんけれども,この資料の中では従前の審議の経過を反映して,状況の濫用というのと,公法上のいわゆる取締規定に反する法律行為の私法上の効力,この二つの問題を取り上げて論じていただいておりますけれども,更に次の点,これは時機に後れた主張と言われないようにお願いしたいと思いますけれども,脱法行為について検討をすべきではないか。時間のない中で,また論点を減らすべきだという意見もある中で,更に申し上げるのが適切かどうかはあるのですが,脱法行為についても検討する必要があるのではないかという意見です。具体的には,少なくとも他の法形式を利用することによって,いわゆる強行法規の適用を意図的に回避して,実質的にその規定に反するような合意が現に存在していますが,これらの合意は無効と解する実務が承認されています。倒産法の分野でも,倒産法の趣旨に反する合意を事前に結んでも,それは無効という例も多くあります。こういう事実上法の趣旨に反するような合意をした場合,それを容認するのは不適切と考えますので,例えば,「他の法形式を利用することにより,公の秩序又は善良な風俗に関する規定の適用を意図的に回避して,実質的に,公の秩序又は善良な風俗に関する規定に反する合意は無効とする」というように,文言の検討を更に重ねるとしても,今後の審議で御検討いただければと思っております。 ○山本(敬)幹事 先ほど道垣内幹事から苦心の御意見があったところを,少しはしごを外すような形になるかもしれませんけれども,やはり従来の裁判例を踏まえた新たな立法という意味でのプロセスから見ますと,どうしても「具体化」ということにならざるを得ないと思います。   その前提として,そもそも従来の公序良俗に関する判例法理をどう理解するかということを押さえておく必要がありますが,私が調べた限りでは,下級審判例を含めた判例法理の動向を全体として見ますと,伝統的な国家や社会の秩序の維持を図るというタイプのものと並んで,特にこの二,三十年ぐらいの間,権利や自由の保護を図るものが増えてきていることが指摘できます。具体的には,昔ながらの営業や職業の自由を害するような契約のケースのほかに,労働基本権や平等権といった憲法上の基本権を害するケースや,脱退の自由,さらには財産を実質的に侵奪するようなケース,あるいは望まない契約を押し付けるようなケースなどでも,公序良俗違反が問題にされるようになってきています。   暴利行為についても,古典的なケースは,高利契約や代物弁済予約などの過剰担保のケースでしたが,現在では,そういった相手方の窮迫状態を悪用するもののほか,優越的な地位を利用したり,相手方の知識や経験の不足を利用したりして不当に有利な契約をさせるというケースが目立つようになってきました。これは正に,本来ならばしなかったはずの法律行為を押し付ける場合でして,当事者がその法律行為をするかどうか決める自由を侵害して,結果として財産や権利をその当事者の意思によらずに実質的に奪い取ってしまうような法律行為を公序良俗違反として捉えているという点で,このような意味での暴利行為も,権利や自由を保護するために公序良俗を用いる類型の一つとして位置付けることができると思います。   このような状況を踏まえて,今,公序良俗違反を具体化する明文の規定を設けるとするならば,やはりこのような当事者が法律行為をするかどうかを決める自由を侵害して,結果として財産や権利をその当事者の意思によらずに実質的に奪い取るような場合に,法律行為を無効とすることができるような規定を設けることが求められていると考えられます。  その意味で,暴利行為に関する規定を明文化するとしても,甲-1案のように,戦前の大審院判例が示した定式化をそのまま定めるだけでは,このような現代的な要請に必ずしも応えたことにはならない。むしろ,先ほど中井委員もおっしゃいましたように,主観的要素として,少なくとも「従属状態」や「抑圧状態」,「経験の不足」や「知識の不足」を利用することを付け加える必要があると思います。客観的要素も,「過当な利益」ではなく,主観的要素と相関的に「不当な利益」の取得で足りるとすべきですし,更に「利益」に限らず,相手方の「権利」を害することを内容とする場合もきちんとカバーできるような形で定式化すべきだと思います。 ○永野委員 暴利行為に関する規定を設けることについては,現場の裁判官の間には事案に応じた柔軟な解決を阻害するおそれがあるのではないかという懸念が一部示されておりまして,そういう意味では乙案を支持する声が強うございます。私自身の経験に照らしても,このような懸念はもっともな面もあると思いますので,意見を述べさせていただきたいと思います。   既に委員の方々からの御発言もありましたように,暴利行為の分野では伝統的な判例の理論の枠組みに収まらない下級審の裁判例の展開が近時見られるところでありますので,そういう意味では,この分野はなお法が生成,発展している過程にあるのではないかと思っています。そうすると,この段階で別枠で暴利行為の具体化の部分を規定として取り出すよりは,民法90条の枠内に置いたままで判例の発展に委ね,その中で事案ごとの柔軟な解決を図っていくということも十分可能なのではないかなと思っているところであります。   この点,判例を法律に明文化するので状況は何も変わらないではないかという御意見もあるかと思います。ただ,実際に法を適用している立場に立ちますと,判例からかい離することと制定法からかい離することはやはり心理的なハードルというのはかなりの違いがございまして,その点を委員幹事の方々に御理解いただければと思います。今回の改正提案には,本項目に限らず,判例理論について明示するものが幾つかございますけれども,判例理論の中にもルールを定立しているものと,基本的な考え方を提示しているもの,あるいは考慮要素を挙げたにすぎないものなどもあると思います。この暴利行為の分野で実際に法を適用する立場から見ますと,民法90条という大きな要件設定の中で無効となる行為群の中の一部を類型的に指し示しているというような受け止め方でありまして,そういう意味では判例の理論自体がそれほど強い範疇的な拘束性を持っているものというふうには受け止めていないと言えるのではないでしょうか。これを一たび別枠の規定を設けて制定法にしますと,やはり範ちゅう的な拘束性を意識せざるを得なくなって,そういう意味では法の自由な発展形成というのを阻害することになるのではないかということが懸念されるところです。   それからもう一つ,従前の判例理論から更に現代型の暴利行為といったところまで取り込んだ上で規定を設けるべきではないかという御議論,提案がございますが,先ほどから申し上げておりますとおり,暴利行為に関しては,なお法が発展,生成する過程ではないかと思っていますし,かつ実際に事案を担当しておりますと,目の前に来る事案というのは実に千差万別であって,我々の想像力というのも限りがあるなというのは日々痛感しているところであります。そういう意味ではここで挙げられているような要件で,果たして将来にわたってうまく規律していくことができるのかどうか,あるいはこれを制定法という形で規律することによって,せっかく発展してきている法の発展を阻害することになりはしないかと,こういった辺りが懸念されるところであります。   繰り返しになりますけれども,我が国の裁判のルール形成機能についてどう見るかというのはいろいろと評価あると思いますが,90条の中ではそれなりに法創造してきているのではないかと思っておりまして,また暴利行為の分野については従来の枠に捕らわれないそういう展開が今見られつつあるところでありますので,もう少しその可能性に見ていただくというようなこともあるのではないかと思っています。そういう意味で慎重な御検討をお願いしたいと思います。 ○深山幹事 今の永野さんの発言に結論としては反論するような形になるのもしれませんが,公序良俗という一般条項をなくせという議論は多分ないと思いますので,(3)の「事項を目的とする」という部分を削除した上で,一般条項は今後も最後のとりでとして是非残していただきたいということを前提に,先ほど道垣内先生もおっしゃったように,それとは別のものとして,別枠として,無効となる事由として暴利行為と言われているものについて規定を置くべきだろうと考えております。従来はそういう規定がないので90条の解釈の中で正に生成,発展してきたものであって,もちろんこれは更に時代の変化や時間の経過によってまた別の発展の仕方をする余地はあるわけですが,これまで積み重ねられてきた多数の判例があり,その中からどのような要件を切り取ってくるかという作業は必要になりますが,少なくともこの何十年か百年かの間に積み重ねられてきて現在の判例法理がある程度形になっている部分だと思いますので,今日の到達点として別枠の条文化をすることに十分意味があるのではないかと思います。更にまた何十年かたったときに別の広がりになり,別の別枠ができるということはあり得るとしても,今はまだ時期尚早と言ってしまったら,永遠に完成することはないものを待っているようなことになってしまわないかと危惧します。実務家として弁護士も裁判官もいろいろな事案ごとに悩んでいい解決を図ってきた結果がこの暴利行為の法理だろうと思いますので,その先人の努力をやはり立法に当たって反映させるべきではないかと考える次第です。 ○松本委員 基本的に今の深山幹事の意見と同じような意見になると思います。暴利行為の中の甲-1案として書かれている部分は言わば古典的暴利行為で,これはこれで確立した考え方だろうと思いますから,これを条文に入れること自体は特に問題はないのではないか。ただ,暴利行為はこれしかないですよという形,暴利に関する公序良俗違反というのはこういう場合しかないですよという逆の作用が生じるとすれば,それはマイナスだと思いますが,取りあえずはこういう場合は無効だというのは入れていただく。問題は,ここでは書いてないけれども,甲-2案になるんでしょうかね,主観的あるいは客観的要件を緩和していく部分について,それをなお暴利行為と呼ぶのか,あるいは公序良俗の一つの類型としておくのがいいのかという点については私は余り賛成ではなくて,別枠説を採りたい。それは何かというと,ウのところに「例えば」として出ておりますが,状況の濫用が正にこれに当たっているわけで,現代型暴利行為と言われているもののかなりの部分は状況の濫用の法理と重なっております。それを暴利行為の枠に閉じ込めるのではなくて,暴利行為から外してしまったほうがもっと伸び伸びと発展ができると思いますので,公序良俗の具体化とか暴利行為の現代化というのではなくて,正面から状況の濫用法理を立法論として考えるべきだろうと。公序良俗といいますと無効になってしまうんですが,状況の濫用だと取消しという当事者の判断で契約あるいは意思表示がなかったことにしてもいいし,そのままでいいと思えば維持できるという選択肢を与えることができるので,そういう意味からも公序良俗の枠からは外したほうがいいのではないかと思います。 ○佐成委員 山本敬三幹事や中井委員などのお話を拝聴しておりまして,暴利行為自体についても,学界を含めて,いまだ法理・ルールが生成,発展の過程にあるのではないかという印象を持ちましたし,永野委員が発言されたとおり,裁判実務上もまだ生成,形成過程にあるのだという印象を強く持ったところです。  それと,今,松本委員がおっしゃった部分ですけれども,確かに「暴利行為」という概念からは外れた部分があると思われますので,分かりやすい民法という観点からは,その部分は別枠で議論すべきように感じます。  経済界として申し上げたいことは,暴利行為の明文化に関しては,濫用のおそれということを一番懸念しているということです。ですから,現時点でも経済界でいろいろ議論をしておりますと,確かに,ある行為が暴利行為に当たると裁判上判断されたときに,それが公序良俗違反で無効になるということや,甲-1のような定式が古典的になされているということについては,必ずしも異論があるわけではないのですけれども,ただこれらは飽くまで裁判上の話であります。裁判外に果たしてどのような影響があるのだろうか,実務運用にどのような影響があるのだろうかということを相当懸念しております。裁判所で個別具体的な事実をしんしゃくした上で,「暴利行為で無効」という結論を出される分には納得できるのですけれども,一般的に明文規定を置かれてしまうと,先ほど永野委員がおっしゃったように,裁判規範としての硬直性が,裁判官の判断に働くというだけではなくて,我々企業実務をしている者にとってもやはりいろいろな悪影響が考えられます。特にクレームのためのクレームをするとか,あるいはターゲットとされた企業に対する不当要求を基礎付けるための口実に使うとか,そういったことも考えられます。いずれにしても,今以上に濫用的な主張が繰り返されるようになりますと,どうしても事業活動への萎縮効果が生じるのではないかといった懸念を述べる実務家もいらっしゃいますから,現時点で暴利行為の明文化について積極的に賛成であるというところまではなかなか踏み切れないところがあります。今後,変わり得るかもしれませんが,現時点では(2)のアについては乙案ということで意見を出しておきたいと思います。そして,今の段階ではそのような意見が経済界には強いということだけ申し上げておきたいと思います。 ○大村幹事 皆さんの御発言の中に出てきた論点のうち2点だけを取り上げまして意見を述べさせていただきたいと存じます。   一つは規範の生成,発展ということに関わる点でございます。既に何人かの方が発言されているかと思いますけれども,暴利行為の最低線については多分コンセンサスがあるのではないかと思います。あとはどこまでをカバーする規定を置くかというところで意見が分かれるということでしょう。それはこの場で議論して,ある線で折り合うということでよろしいのではないかと思います。それで,そうした規定を置くと,それ以上の発展が阻害されるのではないかという御懸念についてですが,暴利行為の規定を置いている国の例を見ますと,一定の要件を設けているのに対して,やはりそれでは狭いのではないかという話が出てまいります。出てまいりますが,現に置かれている規定の解釈でそこを広げていこうという努力がされる。全ての国について存じませんけれども,複数の国で見られる現象ではないかと思います。それが妨げになっているのか,それとも規定があることによってそこまで行けているのかというのは評価が分かれるところだろうと思いますけれども,妨げにならないような形で,むしろ法発展を促す規定を置くということが考えられてよいのではないかと思います。   2番目の問題ですけれども,この規定をどう性格付けるかということについて二つの意見が出ていたかと思います。一つは,これは公序良俗違反の一類型として位置付けるという考え方でありますが,他方そうではなくて独立の類型であるという考え方もあろうかと思います。これも比較法的に見てバラエティーがあるところだろうと思います。それからまた,一つの国においても時代によって説明の仕方が変わっているということもあるのではないかと思います。そうしたことを勘案した上で,現在日本で立法するときにどうするのがいいかという観点に立ったときには,私は結論としては公序良俗違反と関連付けるのがよいのではないと思います。これまでにそうではない考え方を述べたこともあり,意見が定まらないように見えるかもしれませんが,立法論としてはそれがよろしいのではないかと思います。   その理由は二つありまして,これまでの判例の生成と整合的な説明がしやすいというのが一つだろうと思います。もう一つは,これが永野委員御心配の点でありましたけれども,公序良俗違反と関連付けられていれば,この規定に当たらないとしても,公序良俗違反の規定も併せて勘案することによって,場合によって無効を導くことができるということで,適切な法生成が裁判官によって図られるのではないかと期待するからであります。 ○鎌田部会長 大分予定時間を超過してきたので,手短にお願いします。 ○村上委員 暴利行為に関する規定を設けることによって無効と判断される範囲がぐっと広がるのかというと,恐らくそうではないだろうと思います。ただ,やはり現場で実際に民事裁判を担当している者の感覚からいいますと,暴利行為に当たるかどうかを判断する際に使う要素が条文として列挙されますと,どうしても列挙されている要素と列挙されていない要素との間の重みの違いというのは出てこざるを得ないと思われます。つまり,個別事案において,列挙されている要素よりも,列挙されていない要素がかなり重要で,後者の要素を踏まえると無効とするのが相当ではないかと考えた場合であっても,後者の要素によって無効という判断をするということについて,心理的な抵抗感が生じる可能性があるということをお考えいただければと思います。 ○松岡委員 今の点と大村幹事の指摘された2点目とも関係します。ここに何を要素として挙げるかは確かに非常に重要ではありますが,限定列挙の趣旨ではないのではないでしょうか。ある法律行為を公序良俗違反と評価するときの重要な要素として何が挙がるかということとは別に,その要素がないからといって公序良俗違反に当たらないということは別です。暴利行為は,公序良俗違反の一種の例示で,公序良俗違反という評価の手掛かりになると思います。先ほど大村幹事が御指摘になりましたが,暴利行為を公序良俗と切り離してしまいますと,暴利行為に当てはまらないと公序良俗違反にはならないという硬直的な判断が出てくるおそれがありますから,暴利行為はやはり公序良俗のある種の例示と捉えたほうが良いと思います。ほかに例えば状況の濫用など幾つかの規定の新設提案がありますが,それもまたそれぞれに別類型だとしますと,その類型間の違いないしは重なり具合をどう考えるのかが難問になってしまいます。これらはいずれも公序良俗違反による無効の例示であり,しかし重要な手掛かりを明示している例示であると捉えればいいのではないかと思います。私は以上の意味で甲案に賛成です。 ○道垣内幹事 目指すところに差異はございません。別枠だと考えたほうが公序良俗規定の解釈によって拡大できるというふうな感覚が正しいのか,それとも一類型であるとすることによって必要があれば拡大できると考えるかということでありまして,私は別枠だと考えたほうが,最後のとりでとしての公序良俗違反が働きやすいのではないかと判断をしたのみでございまして,それは私の感覚が必ずしも正しいとは限りませんので,特に固執するものではございません。 ○山川幹事 先ほど大村幹事の言われたような基本的な考え方に同感で,それを踏まえて,甲案,特に甲-1案という,ある程度限定されてはおりますけれども,あとは将来の判例法の発展に委ねるというようなことではいかがかと考えております。これは例えば従属状態にまで広げますと,従属状態であるということが労働関係その定義の中に組み込まれたりすることもありますので,やや拡張し過ぎといいますか,例えば7ページの資料にある,表意者に権利を放棄させる行為とか雇用契約を解除させる行為については,例えば不祥事が起きた際に退職金を放棄させるというような場合や,あるいは退職勧奨をするという場合も,要件について給付の不均衡も要らず,かつ従属状態で足りるとしますと,ほとんど常に無効になってしまうというおそれがないではありません。現行法上は,例えば権利放棄の意思表示が認定できないですとか,あるいは退職勧奨はやり方が社会通念上不相当な場合は不法行為になるといった形での救済が図られておりますので,例えば従属状態というところまで要件を拡張することにはやや懸念があります。   あと最後に,先ほど山本敬三幹事がおっしゃられた憲法の間接適用のようなことを可能にするような規定についても,もし書けるのでしたら,先ほどお話のあった脱退の自由を侵害する合意などが無効とされた判例がありますので,規定があればよいのではないかと思っております。 ○油布関係官 時間がないのはよく存じ上げておりますけれども,手短に申し上げます。   今,山川先生とか先ほど大村先生がおっしゃった方向に賛成したいと思います。公序良俗の一類型として暴利行為の,それも最低限のコンセンサスが現に得られているものについて書き込むというところが現実的で合理的なような気が私はいたします。現にビジネスをやっておられる方が「この暴利行為の規定がいろいろと広がると萎縮効果が生じる」と言っておられるのは決して無視できないと思います。「それは杞憂だよ」と一笑に付すことはできないだろうと。実は,暴利行為の明文化に反対するというのは非常に勇気の要ることで,余り声高に反対だとおっしゃらない方でも,相当心配はしておられると私は受け取っております。それで,ここの甲-1案のような,これは昭和9年の話なんですけれども,「これから漏れるものは一般条項としての公序良俗規定で拾うんだ」というそこさえはっきりするような条文の書き振りであれば,その点についての御懸念はかなり薄まるのではないかと思います。   それから,ちょっとつまらない各論ですが,昭和9年の判例の「窮迫」という言葉を具体化して,資料の3ページのところには「困窮又は緊急の必要」と書かれてありますが,恐らく窮迫の本質は困窮のほうにあるのであって,単に緊急の必要があるだけで困窮には至っていないと,つまり「緊急の必要はあるんだけれども,その必要が満たされなかったからといって困窮はしない」というようなものを拾う必要が本当にあるのかなという気はしております。「窮迫」が古い言葉であれば「困窮」という言葉に言い換えておけば,何かそれで足りるのではないかと。単なる「緊急の必要」というものまで無効という形で保護を与えるのはちょっといかがかなという気がいたしました。 ○大村幹事 直前の二人の方から私の意見に賛成という方向の意見を述べていただいたんですが,私自身が申し上げたのは,昭和9年の定式についてはコンセンサスがあるだろうから,そこをベースラインにして,あとどこまでいけるかということをこの場で話し合ったらいかがかということでして,個人的には昭和9年判決がいいとは思っておりません。 ○鎌田部会長 どうもありがとうございました。 ○中井委員 同じく一言でいえば,甲-1案のこの判例の要件のみを書くとすれば,それは不十分であるというのが弁護士会の意見ですので,補充しておきます。 ○鹿野幹事 結論から申しますと,私も暴利行為について規定を設けるべきだと思い,甲案に賛成です。その内容としては,甲-1案では狭過ぎ,これに加えてさらに,現に裁判例で認められてきたような要素をここに盛り込み,ある意味で要件を緩和するべきだと考えております。つまり,いわゆる現代的な暴利行為というものを視野に入れて,そのうちのどこまでにつきコンセンサスが得られるかということを更に詰めて検討していくべきだと思います。もっとも,考慮される要素を伝統的な定式より広げた場合に,その外枠をどのように設定するのかについても,同時に考えておく必要があると思います。資料にも書いてありますように,暴利行為に該当するか否かについては,従来から客観的な要件と主観的な要件を相関的に判断するということが行われてきましたし,今後も基本的にはそうだと思います。イメージを示すために数字を用いて申しますと,客観的要素も主観的要素も常に5以上であることが必要で5プラス5が10になるというではなくて,場合によっては,一方の要素は4だけれども,もう一方が7であるから,行為全体をみると著しく不当で暴利行為に該当すると認められるケースがあるのだろうと思いますし,従来もそのような判断がなされてきたのだと思います。そのように考えると,特に②の著しく過当という要件から「著しく」という文言を削るということにも,それなりに意味があるのだろうと思います。しかしその際,それぞれの要件とは別に,一方の要件プラス他方の要件の総和が,ある一定の水準を超えていて,全体としては著しく不当な行為だと認められるものであるいうことは,なお必要だと思いますし,そうでないと暴利行為が広がり過ぎるおそれが生じます。ですから,その意味で,それぞれの要件とは別に,外枠として全体に係る要件をうまく入れる必要があるのではないかと思います。 ○中原関係官 最初ですから余り恥をかくといけないのですけれども,要件を書くという場合に暴利行為というのをどのように定義するかというか位置付けるかというような問題があるかと思います。説明資料などを拝見しておりますと,例えば,「『知識の不足』を利用するとは,情報の格差を利用して不当な契約をさせることを言い」と書いてあり,甲-1案の説明のところにも相手方の権利を侵害する場合もこれに当たると書いてございます。こうだとしますと,これは権利を侵害するものは普通はいけないんだろうということで,いけないものはいけないと書くだけになってしまうような気がします。要件と効果を書くときはそれぞれが独立変数であるということだと思いますので,その書き方についてどこまで落とし込めるかというところについては十分な検討の必要があるのではないかと考えております。   それから,松本先生がおっしゃられたような別の類型で取消し的な類型を設けるということを仮に検討される場合には,後ろのほうにも出ておりますような取引の安全への配慮というようなことについても十分検討の俎上に乗せていただければと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。(2)のアにつきましては相対的に甲案を支持する意見が多いと承りました。しかしながら,乙案を支持する意見があり,その中で濫用のおそれというのは,こういうものに常につきまとうことなので,立法に当たってどこまでそういうものに対して配慮ができるかという一般的な問題に解消されるのかなと思いますが,併せて,やはりなお暴利行為に関する規律自体がなお生成,発展の途上にあるので,立法によって固定化することのデメリットというふうな点についての御指摘があったと承りました。それはイの問題についても関連することであって,甲案を採った場合に甲-1案についてはこの点が現に存在している法であるということについてはコンセンサスがあると思いますけれども,それを更に広げるときの要件要素をどのように拾い上げてくるかということを考えるときにも,先ほどの御指摘の部分を考慮しなければいけないと思いますけれども,なお前向きに検討すべきであるという御意見が多数であると受け止めました。それを考えていくときには,ウの問題での,例えば状況の濫用というふうなものとどういう関係に立つかということは検討しなければいけないと思います。ウにつきましては脱法行為というふうなものが具体的に提案されたと承りました。   (3)については特に御発言がなかったんですけれども,これはこれまでの中間的論点整理に向けての議論のときと同様に,特に異論はないという受け止め方でよろしいでしょうか。 ○大村幹事 結論として異論はございませんけれども,目的という言葉は民法を創られたときにはそれなりの意味を持っていたのではないかと思いますが,今日的な観点から見たときにこれを削除したほうがいいのではないかと思います。特に異論なくて削除したということだと,十分な検討がされていないような印象を与えるかもしれませんので,歴史的な由来は由来として踏まえた上で,現状に照らしての削除論が説かれていると申し上げましておきたいと思います。 ○沖野幹事 (3)についてと,もう一つ脱法行為についてそれぞれ一言申し上げたいと思います。(3)につきましては異論ありません。目的という言葉の使い方のほか,説明資料にもありますとおり現在公序良俗違反には様々なものが認められておりますので,その観点からも(3)については賛成です。それから,脱法行為ですけれども,脱法行為が無効であるということを明文化するということが一定の有用性を持つというのは中井委員御指摘のとおりだと思うのですけれども,脱法行為が常に無効であるのかには微妙な点があります。非典型担保のような場合どう考えるかということもあるかと思われますので,無効になるような脱法行為をうまく切り出せるかということを考えなければならず,どういう要件化ができるのかやや難しいという印象を持っておりまして,更に検討していくべき点があると思います。 ○岡委員 部会長のまとめについての確認なんですが,私の聞いた範囲ですと甲-1案プラスアルファのところで,濫用のおそれだとか硬直化のおそれを気にしながら,条文化を目指すのが,多数説のように感じました。そこで,検討委員会の案まで行くのか,その中間ぐらいの案でまとめるのか,その辺りを,第2読会のセカンドステージで検討していくと。そんなイメージと理解してよろしいんでしょうか。 ○鎌田部会長 はい。第2読会に向けて,それまでに何らかの形で整理ができれば,第2読会の議案の中に具体的提案を入れていくことになるかと思っています。 ○内田委員 状況の濫用とか脱法行為などの,暴利行為以外のものについて更に検討していくべきだという御意見がありましたけれども,それだけでは多分何の案も出てきませんので,是非具体的な御提案をまた後日でも頂ければと思います。 ○松本委員 枠の話でして,公序良俗という項目で出ているから,公序良俗の具体化として古典的暴利行為を条文化するか,あるいはそれを少し膨らませた現代型暴利行為を公序良俗の具体化として立法化するかという形で案が出ているわけだけれども,そうではないところの状況の濫用という形で,公序良俗と切り離した形での立法提案というのも丙案ぐらいとしてあるわけですよね。そうすると,パブコメにかけるのであればそれも並べるのが妥当だということになると思うのです。私は基本的に現代型暴利行為と言われているものはタイトルだけの問題であって,状況の濫用法理だといってもおかしくないと思っています。検討委員会の出している案に関しては,状況の濫用という言葉こそ使っていないけれども,実質的には状況の濫用だと思っていますから,そうすると,こういう法理を入れる場合に公序良俗違反の一類型として入れるのが適切か,それとも公序良俗とは別の,例えば状況の濫用という別の法理として入れるのが適切かという形の問題の立て方が十分あると思います。 ○鎌田部会長 それは,御趣旨は理解しているつもりですが,その中身について書いて御提案いただけると整理がしやすくなるので,御協力お願いしたい。 ○沖野幹事 先ほど脱法行為について更に検討していくべき点があると申し上げましたが,慎重に検討する必要があると控え目に申し上げたつもりで,脱法行為については例えば譲渡担保のような例も考えますと,なかなかうまく切り分けるのが難しいのではないかという考えを持っております。ですので,より洗練された具体的な文言を更に提案するつもりはありません。 ○鹿野幹事 状況の濫用に関して一言申し上げたいと思います。確かにここで暴利行為という名の下で議論されてきたことは,いわゆる古典的な意味での暴利行為,あるいは文字どおりの意味での暴利行為の枠は超えていると思いますし,したがって,これを暴利行為と呼ぶのが適切かどうか自体を考え直す必要があるとは思いますが,ここでは,その呼称の問題はひとまずおいておきます。状況の濫用に関して,90条の暴利行為,いわゆる括弧付きの暴利行為で規律するのか,それともその枠外の問題として,例えば取消しという効果を結び付けた形で規律するのがよいのかという問題提起が,松本委員からありました。別のものとしての取扱いも,一つの選択肢として考えられるとは思います。ただ,お聞きしていて,無効の効果を持つ暴利行為に入れるのか,それとも暴利行為には含まれずその枠外の別ものとして特別の取消し規定を置くのかのいずれか一方しか規律の方法がないのだろうかという点について,疑問も覚えました。つまり私は,状況の濫用型でも,ある一定の水準を超えたものについてはやはり公序良俗違反の一類型に該当する,だから無効の効果をもたらすというものもあってもよいと思いますし,ただそのことは,その水準に至らない場合についても,一定の要件の下で取消しができるという規定が別に置かれるという可能性を否定するものではないように思います。つまり,選択肢として,どちらか一方だけということには必ずしもならないように思い,その点について少し疑問を感じました。 ○佐成委員 一言だけです。部会長のおまとめで結構ですけれども,産業界として甲-1案にコンセンサスを持っているわけではなくて,飽くまでアの論点については明文化に反対であるということを前提に,そうは言いつつもプラスアルファも当然議論していきたい,生産的に議論していきたいという,そういう趣旨でございますので,御了解いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 分かりました。ただ,甲-1案に反対というのは,これまでの判例が全てけしからんと言っているのではなくて,立法化する,明文化することに反対という意味ですね。 ○佐成委員 そうですね。ですからそれを前提にお願いします。 ○鎌田部会長 すみません。当初予定していた時間から相当遅れておりますので,恐縮ですがここで休憩とさせてください。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,再開をさせていただきます。   部会資料27のうち8ページの「2 法令の規定と異なる意思表示(民法第91条)」から「4 任意規定と異なる慣習がある場合」までについて御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「2 法律の規定と異なる意思表示(民法第91条)」では,法律行為の領域では私的自治の原則が異論なく認められていることから,意思表示が法令の規定に優先することを原則とし,例外的に強行規定に反する場合には無効とすることを提案しています。また,強行規定には善良の風俗を具体化したものもあるとの指摘を踏まえ,公の秩序又は善良の風俗に関するという文言で強行規定性を表現することとしています。   「3 強行規定と任意規定の区別の明記」は,全ての規定について強行規定か任意規定かを条文上明らかにすることは現実的でないと考えられることから,その区別が明らかで今後の解釈の余地を残す必要がないものについて,強行規定か任意規定かを条文上明らかにすることを提案しています。どの規定についてこの区別を明記するかについては,個別の規定の箇所で御審議いただきたいと思います。   「4 任意規定と異なる慣習がある場合」では,慣習による旨の当事者の意思を要するかどうかが議論の分かれ目であり,これを原則として要しない甲案と,これを要件とする乙案の両案を記載しています。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま御説明のありました部分につきまして一括して御意見をお伺いします。 ○山本(敬)幹事 まず,法令の規定と異なる意思表示についてですが,これは先ほどの公序良俗の部分の(2)のウの部分,部会資料でいいますと7ページで取締法規の例が挙がっているところと関わりますので,その点について一言だけ指摘しておきたいと思います。   確かに,取締法規の問題については,前に第10回の会議のときに,公序良俗との関係で問題提起があったところですけれども,取り上げる場所としては,むしろ今問題になっている「法令の規定と異なる意思表示」のところで取り上げるほうが適当ではないかと思います。   部会資料によりますと,ここでは,「法律行為の当事者が法令の規定と異なる意思を表示したときはその意思に従って効果が生じるのが原則であり,例外的に,その規定が公の秩序又は善良の風俗に関するものであるときはその規定に反する部分は無効とする旨の規定を設けるものとしてはどうか」とされています。私はこの方向でよいと思いますが,取締法規もここでいう「法令の規定」の一つとして捉えられますので,これによりますと,原則として,取締法規に反する意思を表示したときも,その意思に従う。つまり,法律行為は有効であるけれども,その取締法規がここでいう「公の秩序又は善良の風俗」に関するものであるときは,例外的に無効になるということになります。そうしますと,取締法規の場合も,結局,その規定の趣旨がここでいう「公の秩序又は善良の風俗」に関するものに当たるのかどうか,当たるとして,どこまで「その規定に反する」と言えるのかという解釈問題に帰着することになりますし,それで特に問題はないのではないかと思います。   慣習についてもあるのですけれども,後で申し上げたほうがよろしいですか。 ○鎌田部会長 一括して御意見をお出しください。 ○山本(敬)幹事 では,4の「任意規定と異なる慣習がある場合」についてですけれども,結論としては,甲案を採用すべきだと思います。その理由は,私自身既に第10回会議のときに申し上げましたし,部会資料の13ページにもまとめられていますが,私的自治の考え方に求められると思います。つまり,「自分たちに関わる事柄は自分たちで決める」というのが私的自治の考え方だとしますと,ここにありますように,より小さな社会単位でそのような決定の積み重ねとして慣習が形成されているときは,慣習が法令の規定に優先する。ただし,その慣習が公序良俗に反するようなものである場合は,その限りでない。さらに,個々の当事者が慣習と異なる意思を表示したと認められるときは,正に自分たちに関わる事柄を自分たちで決めたわけですから,その意思が優先する。これが,現在の市民社会で妥当すべき基本原則だと考えられますので,それを民法に明文で定めることには大きな意味があると思います。  これに対して,乙案は,部会資料の13ページから14ページにかけて書いてあるのですが,一方当事者,あるいは一方当事者が所属する業界が採用している慣行を始めとして,不合理な慣習が任意規定に優先することを問題視しています。しかし,一方当事者ないしは一方当事者が属する業界が採用している慣行は,それだけでは双方の当事者に妥当する「慣習」には当たらないとされる可能性が高いと考えられますし,たとえ「慣習」とされる場合でも,その内容に問題があるときには,公序良俗によってスクリーニングが掛けられますので,懸念は当たらないと思います。したがって,先ほどのような民法の基本原則の考え方からしますと,やはり甲案のように定めるのが適当だということを申し上げたいと思います。 ○大島委員 3の強行規定と任意規定の区別の明記について意見を申し上げます。今回の民法の見直しにおいては,分かりやすい民法が目指されているものと認識しております。そういった観点から,強行規定と任意規定の区別を条文上明らかにすべきではないかと思います。法務情報や契約ノウハウが限られる中小企業にとって,解釈の余地があり,専門家や裁判所に判断を仰がなければ分からない条文ということでは,分かりやすさという観点からは改正の効果を損なうおそれがあり,不十分ではないかと思います。 ○内田委員 休憩前の暴利行為に関する岡本委員の御発言にもちょっと関連する発言なのですが,強行規定が全て公序良俗に関わるのかという御発言がありました。全く言葉の問題ですが,現行民法の用語法としては,強行規定のことを公の秩序に関する規定と呼んでいますので,現行民法は公序良俗の中の公序に関するものが強行規定であるという理解だと思います。今回の部会資料の中ではその強行規定の表現として,公の秩序又は善良の風俗というふうに両方挙げるということが提案されているのですが,現行法が強行規定を表現するときになぜ善良の風俗を挙げずに公の秩序だけに限っているのかということについては,起草過程を調べてもよく理由が分かりません。ただ,今の90条の起草過程の際に,梅謙次郎が良俗を入れることに強硬に反対をして,およそ公序にかかわらない良俗については,私的な領域なのだから,法が介入すべきでないとして良俗を落とせという主張をしたのですが,結局多数決で負けているのですね。その議論の影響があるいはあったのかもしれませんけれども,現行法はおよそ公序にかかわらず良俗にのみ関わる強行規定などないという前提で公の秩序に関する規定として強行規定を表現しているように思えます。そこで,善良の風俗を「又は」でつないで加えるということになりますと,その点の変更になりますので,それがいいかどうかということも議論の対象としていただければと思います。 ○鎌田部会長 今の点も含めて御意見ございましたらお出しいただければと思います。 ○大村幹事 今の点とも若干関連するのですけれども,内田委員の御説明ですと,この提案の中では,公の秩序又は善良の風俗に関するものが強行規定を指しているという御趣旨だったかと思います。それとの関連で,先ほど山本敬三幹事がおっしゃった点なんですけれども,取締規定違反の法律行為の効力の問題をここで扱うということにすると,それらの規定は強行規定であるか強行規定でないかという二分法に服するということになりはしまいかという懸念を抱きます。現在の運用では単なる取締規定でないという領域が従前よりずっと広がってきていると思いますけれども,直ちに全てが強行規定ということになるということでもないと思いますので,その辺をうまく勘案できるかどうかというところが気になっています。 ○岡崎幹事 4の任意規定と異なる慣習がある場合について一言申し上げたいと思います。   現在でも裁判実務の中で慣習につきまして当事者から主張されて争点となるような場合がございます。ところが,時に慣習の立証というのがなかなか難しいという事案もあるところでございます。甲案と乙案とを比べてみた場合に,甲案のほうはどちらかというと慣習の存在に大きな意味を認めるのに対し,乙案はそれに意思的な要素を介在させるというような趣旨かなと思われますけれども,立証という観点から眺めてみたときに,意思的要素を介在させることによりまして,本来認定困難な慣習の有無ですとか内容というものを,ある意味容易に認定することができるのではないかと思われまして,そういう観点からは乙案のほうが訴訟手続として幾分スムーズに流れるのではないかと考えております。 ○山野目幹事 ただいま岡崎幹事が話題にされた12ページの4の慣習の問題についてでございます。一つ前の山本敬三幹事の甲案を推す御意見を伺っていて,それを改めて伺うとなるほどというふうに私自身感じた部分もあるのですけれども,なお自分の受け止め方として甲案を推すことについて強い危惧を感ずる部分がございます。社会一般より小さい単位における決定の積み重ねとしての慣習の重視ないし尊重という趣旨から提示されている案ですけれども,それは見方によれば一種の肥大した部分社会論なのでありまして,なぜ民法の任意法規よりもそちらのほうが重い価値が置かれるのかということについては,なお理論的な面で考究を要する部分があると考えますし,加えて社会実態との関係で,日本の国の少なくとも現状における職場や地域の状況に鑑みたときに,公序良俗の要件によるコントロールのみに頼って,そのような慣習への位置付けを与えることについて,なお私は強い危惧を感ずる部分がございます。そのような観点から,今ここで現行92条を変更して甲案に赴くということについて心配を抱くものですから,その旨の意見を申し上げさせていただきます。 ○深山幹事 私も任意規定と慣習との関係についてなんですが,ちょっとこの議論の立て方といいますか問題提起の仕方自体にやや疑問があります。と言いますのは,まず正面から問題にしている任意規定と慣習との優劣関係,これについては確かに今山野目先生おっしゃったことはもっともと思いつつも,基本的には慣習を優先するということでもいいのかなと思いますが,ただ甲案,乙案を見ますと,それと当事者の意思との関係が関わっていて,本来当事者の意思が認定できるのであれば,慣習でもなく任意規定でもなく当事者の意思が原則として最優先されるのが筋で,もちろん公序良俗等に反する意思であればそういう観点から制約されることはありますけれども,優劣関係という意味でいえば,意思表示がはっきりしていればそれが最優先ということが当然の前提なんだと思います。任意規定による意思表示であれ慣習によるという意思表示であれ,それとも違う第三の内容であれ,意思表示がはっきりしている場合にはそれを原則優先すると考えると,ここでの議論というのは意思表示が認定できないような場合に限られてくるのかなと思われます。そうなると,論理的には甲案と一致するのかもしれないですけれども,慣習と任意規定と意思との関係性をもう少し分かりやすい形で明文を置く必要があるのではないかなと思いました。 ○中井委員 任意規定と異なる慣習のある場合についてですけれども,岡崎幹事,山野目幹事の意見に賛成で,結論として乙案に賛成したい。山本幹事がこの慣習というのを高く評価し,私的自治の思想に合致しているとおっしゃるわけですけれども,社会一般より小さい社会単位における決定の積み重ねとして形成された慣習なるものが,今日の日本社会において地域的にも業種的にも流動化している中で,特定の部分社会がそれほど明確に形成されて,その部分社会において何人が認めるような慣習なるものが果たしてどれほど存在するのかということについて私はよく理解できないところがあります。また,そういう意味では慣習があるとしてもそれほど明確なものではないと思っています。その中で,甲案であれば,慣習があれば慣習に従う,当事者の意思を介在させないで慣習に従うということは,今日の我々市民社会にとってはむしろ予想外の規定の適用があるのではないか,本当にきちっとした慣習があればそんなことはないのかもしれませんけれども,そこに疑義を持っているからそういう結論になるのかもしれませんが,意思を介在しないで適用を認めることについては危惧を感じます。そういう意味では岡崎幹事のおっしゃったことに賛成で,結論としては乙案のほうがいいのではないかと思っております。 ○山川幹事 主にこれまでの御意見と同感でありまして,第10回の会議のときにも申しましたけれども,労働関係の裁判例ではやはり意思的要素を介在させることが多いと思いますので,それを特に変更する必要性があるかどうか若干疑問があります。もう一つ理屈のことでお尋ねしたいんですけれども,もし立証責任の転換の問題として考えた場合,ある意味では法律効果の発生,変動,消滅という効果が慣習の主張,立証だけで発生することになって,当事者がそれと異なる意思を表示したことがそのような法律効果の変動の発生を阻害するような意味を持つことになるのかどうか。そうだとすると,慣習というものが,契約,法律行為や法令と同等に,法律関係の変動をもたらすものとして位置付けられることになるかどうか,この辺りちょっと専門でないのでお伺いしたいと思います。 ○鎌田部会長 今の点についてどなたか御発言ございますか。 ○笹井関係官 今の山川幹事に対する直接のお答えということになるかどうか分かりませんが,あと先ほどの深山幹事の問題提起とか,それから乙案を支持される御意見に対するこちらからの御質問ということになるのですけれども,深山幹事御指摘のように,慣習によるという当事者の意思表示があった場合にそれが一番優先するというのはそのとおりでして,92条が置かれているのは,そうではなく,はっきりした意思表示というものが認定できない場合にも慣習を取り入れるということに存在意義があると説明されてきたと思いますし,そういう理解の下で通則法との関係などが議論されてきたのだと思います。裁判例は,資料にも記載したように,実際には慣習による意思というものの立証を求めているわけではなくて,そういう意味では今の92条についての解釈はむしろ甲案のほうに近いのではないかと理解していたところです。そういう意味では,先ほど岡崎幹事から乙案のほうが裁判実務はスムーズに流れるのではないかという御指摘もありましたけれども,現状では裁判例は慣習による意思をかなり広く推定しているようですので,甲案でも今の状況と余り変わらないのではないかという気がいたします。   それから,山川幹事の先ほどの御質問ですけれども,今申し上げたような意味では,慣習の位置付けを変えるものではなく,今でもある問題だと思います。法律関係を変動させる慣習というのが今すぐには具体的にどういうものかイメージできないんですけれども,例えば履行場所であるとかそういったものについて慣習が法律行為を補充してきたということは今までもあることではないと思います。 ○村上委員 今,御指摘の判例ですけれども,そこにいう推定というのが一体どういう意味の推定なのかということに関わる問題なのではないだろうかという気もいたします。証明責任を転換させるという意味での推定なのか,それとも経験則による事実上の推認という意味での推定なのか,後者なのではないだろうかという気もいたしますので,そうしますと,要は取り巻くいろいろな状況に照らしてそういう意思があるものという推認ができるということを言っているだけの判例なのかもしれないとも思います。そういう意味では,その分析が必要ではないかとも思われます。   先ほどの岡崎幹事等の意見に多少重なる部分がありますけれども,やはり慣習があるかどうかということそのものを正面から取り上げて認定するというのは必ずしも容易ではない,かなり困難だろうと思います。意思の要素を介在させて判断するのであれば比較的容易に判断できると思いますけれども,慣習というものがそもそもそれほど明確なものではないことが多いと思いますので,当事者の意思の要素を介在させずに,慣習が認定できるかどうかの判断をしますと,当事者の納得がなかなか得られにくい判断になってしまう可能性が相当あるのではないか,意思の要素を介在させて判断するほうが国民の皆さんにとっても納得しやすい判断になる可能性が高くなるのではないかと思っています。 ○松本委員 慣習との関係では,今の村上委員の御指摘に賛成したいと思います。やはり意思と完全に切り離して慣習を優位にするというのは引っかかりを感じますので,ここでいう判例が言っている推定を事実上の推定というふうに理解をして,正に諸般の事情からそういう意思があると考えるのが適切な場合はそのようにするということで,特段問題はないだろうと思います。   もう1点は,91条との関係なんですが,強行規定,任意規定,あるいは公の秩序に関する規定という言葉で出てくるのは,基本的には契約内容との関係で無効になるかどうかという流れだと思うんです。つまり強行規定というのはこういう内容のものでなければ無効だとしている,あるいはこういう要件を備えていなければ無効だとしているという規定です。しかし三つ目の取締規定違反はどうかという議論をするときには,契約の内容に直接関わるものではないタイプの取締規定違反というのが論じられる場合が大変多い。特に消費者取引においては勧誘過程における様々な取締規定,言わば行為規範ですね,事業者に対してこういう行為をすることを義務付けているような規定が非常にたくさんあって,それに違反した勧誘によって締結された契約の効力を争うという場合が大変多いと思います。そうなると,ここで8ページの2の見出しで挙げられている法令の規定と異なる意思表示という概念では収まってこない問題が取締規定違反の中のかなり大きな部分として出てきております。取締規定違反の契約の,あるいは意思表示の効力という議論をするときには,公序良俗の並びでは捉えきれないような論点が出てきていると思いますから,ここで議論するときは取締規定一般を持ち込まないほうがいいのではないかなと思います。取締規定違反の勧誘等々によって締結された契約は取り消せるかどうか,無効かどうかというのは別の議論として立てたほうがいいのではないかと思います。 ○山本(敬)幹事 元に戻って慣習との関係についてなのですが,先ほども御指摘ありましたように,当事者が慣習による意思を有すると認められる場合は,当事者が自らの意思によって一定の規範を法律行為の内容に組み入れるという意思表示をしているわけですので,それは,そのとおりの効果は認められるという一般原則を確認しただけになると思います。それに対して,そのような当事者の意思が必ずしも明確ではないけれども,規範として慣習が確立しているときに,ではどうするのかということが問題となる場合は,何も規定を置きませんと,任意規定が優先するということになってしまう可能性が出てきますけれども,本当にそれでよいのかどうかということは,やはり問題として指摘しておきたいと思います。   感覚として慣習の立証が難しいということをおっしゃいましたけれども,そこでは,慣習があるかどうかが必ずしもはっきりしないが,それを適用したいという場面を想定しておられるように思いました。しかし,そうではなくて,「慣習」が明確にあると言える場合は,ではどうするのか。この点について,どうお考えかということを確認させていただければと思うのですが,いかがでしょうか。 ○岡崎幹事 先ほど申し上げたのはおっしゃるとおり慣習が明確でない場合が実務的にはそれなりにあるのではないかということを前提に申し上げているところでございまして,一定の規定を設ける以上は,確かに明確な場合も山本幹事がおっしゃるようにあり得るとは思われますが,一旦設けた規定については不明確な場合にも適用があるわけですから,やはり考慮するべき場面としては不明確な場合にどうかというところを考えるべきだと考えております。 ○山本(敬)幹事 やはり,ここで認められる「慣習」の意味の解釈の問題になるのだろうと思います。そして,明確な意味での規範としての「慣習」が認定できるのであれば,やはりそれが任意規定に劣後する理由はないのではないかというのが,私が先ほど申し上げた意見です。そこまで否定される強い御趣旨なのかどうかは,御意見をお伺いしていてもよく分からなかったところですので,お尋ねした次第です。 ○村上委員 明確な慣習があり,当事者も行為当時そのことを知っており,かつ当事者が行為当時当該慣習に従わない旨述べないときには,通常は当事者も慣習による意思を有するものという認定をすることになるのではないかと思います。 ○道垣内幹事 書生談義だと言われることを承知で申しますと,「慣習による意思」というのと,「こういうふうに法律関係がなるのだという意思」というのは,意思の内容が違うのではないかと思うのですが。と申しますのは,これは取立債務だよと当事者が考えていたというのが,仮にそれが当該業界の慣習であっても,それは慣習に従う意思なのではなくて,取立債務であるという意思であるというわけであって,慣習による意思を有すると認められる場合には慣習に従うという規定が,それ自体として意味があるとするならば,それは慣習というものの内容を必ずしも100%認識しているということを立証しなくても,慣習が存在して,かつそれに従うという意思があるということが言えれば慣習が適用されるとなるのではないかと思うのです。このような理解を前提としますと,慣習の内容がはっきりしないときに意思を介在させればうまく処理できる,という御発言は私には理解が困難でして,それは慣習の話をされているのではないように思います。慣習の認定より,当事者がこのときどう考えていたのか,具体的な法律関係の内容についてどう考えていたのかということを認定したほうが楽ですよねというわけで,それはそうでしょうが,それは慣習の話ではなくて,乙案であっても慣習の内容が明らかにならなければ適用の余地はないのだと思うのですが,そうではないんですか。 ○山川幹事 今の点に関しては,例えば就業規則について,今は立法的に解決されたんですけれども,最高裁判例で,労働条件については就業規則によるという事実である慣習が成立しているとしたものがありまして,就業規則の内容は何かということは最終的には分かったとしても,その中の細かい規定まで認識して会社に入ってくる人というのは余りいないものですから,要するに就業規則というもので労働条件は決まりますよということが慣習になっているということはあり得るかと思います。なお,先ほどの笹井関係官のお答えは,御質問でもあったみたいなので,今の点との関連では,意思表示の解釈,あるいは補充をするために慣習を使う場合と,それから先ほど御指摘のありましたような,別の法律行為の存在に関する当事者の意思を推定する--事実上であれ--ために慣習を使う場合の他に,先ほど御質問した,慣習自体が,それにより法律関係の変動をもたらす一個の要件事実になるかどうかという形で問題になる場合がある。このように一応三つ区別できるかなと素人ながら思っております。 ○岡崎幹事 先ほどの道垣内幹事の御質問ですけれども,確かに乙案でも慣習の存在について主張,立証することになるとは思われますけれども,こちらのほうは同時に意思的な要素が介在していることも主張,立証の対象になってきて,意思的要素から全く外れた独立の慣習の存否というものが攻撃防御の対象になるということが乙案ではないのではないかと思われます。そうすると,甲案で独立の慣習のみが取り上げられて,主張を立証するというような流れに比べると,乙案のほうがスムーズに流れるのではないかと,このように考えた次第です。 ○道垣内幹事 必ずしも納得できないけれども。 ○中田委員 岡崎幹事の御発言についてですけれども,乙案のほうがスムーズに流れるというのは意思を有するものと認められないので認定をしないと,そちらのほうなんでしょうか。それとも両方併せて慣習の効力を認めるということなのか。もし後者だとすると,道垣内幹事の御疑問に対してはもう少し御説明いただいたほうがいいのではないかと思います。 ○永野委員 甲案ですと,法律行為を行った当時は全く慣習の存在について両当事者が意識していないが,訴訟になった段階で後知恵で慣習の存在を主張した場合にどういうふうに認定していくのかという辺りが非常に難しくなるのではないかと思われます。例えば乙案ですと,その行為のときにその慣習の存在を認識していたのかどうか,どういうふうな形で認識していたのかといったことを詰めていくという作業になりますから,その中で,両当事者が慣習の存在を認識していたのであれば,この法律行為の中身についてはどういうふうに理解すべきか,評価すべきかという辺りを詰めていくことを手掛かりとして慣習に迫ることができると考えております。元々慣習の認定自体,裁判所においては非常に困難というのが実情です。例えば業界の中で慣習の立証が問題になる場合,一方の企業グループがある慣習の存在を立証するための陳述書を何通も出してきますが,相手方の企業グループから,そのような慣習はない,あるいは別の慣習があることについて,それの同数あるいはそれを上回るような陳述書が提出されることがあります。業界団体が存在していれば,その団体から回答が頂けそうですが,通常そのような団体は,企業の間の紛争に介入したくないと考えるため,どちらの主張する慣習が存在するのかということについて確定的な証拠と情報等を開示してくれないというのが実情です。こういう中で慣習の認定の作業を行うものですから,少なくとも行為のときに慣習の存在を両当事者が意識していたか,そういったものに意思的な要素を介在させるほうが事実認定が容易ですし,事後的に紛争が複雑化しないで済むのではないかという趣旨です。 ○道垣内幹事 一言だけ申しますと,それは慣習を認定しているのではなくて,意思を認定しているのですよね。つまり,一方はこういう慣習があると主張し,他方はこういう慣習があると言っていて,その内容が齟齬するため,どのような慣習が存在するかは分からない。しかし,一方が主張しているような内容に従うという意思が双方にあったという認定はできるので,それが法律行為の内容になるというだけの話であって,慣習の問題ではない処理の仕方なのではないかと私は思うのですが。 ○高須幹事 私もやはり何らかの形で慣習というものが考慮されるべきであり,それを常に乙案のように意思を介在としなければならないとなるとやや使い勝手が悪い場合があるのではないかなという思いを一方で持っております。他方では,山野目幹事から先ほど御指摘があったように,慣習があればそれに従いますよと無条件に言ってしまうことへのちゅうちょといいますか,一定の社会的な単位の中で必ずしも合理的と言えないような慣習が存在するときに,それがそのまま無条件に取り入れなければならないという形での法律を創ってしまうことにはやはり問題があるかもしれないという思いも持っています。その場合,公序良俗論だけでは必ずしも十分な歯止めにはならないのかもしれないと。そこで,全く議論がなかったのでちょっと勇気を持って申し上げるんですが,資料の14ページに書いてありますヨーロッパ契約法原則のくだりのところで,明示又は黙示にこうした慣習があればもちろんそうだけれども,それがないときでも一定の慣習なりがあって,それが不合理でないものについては認めてもいいのではないかと。甲案の一種の修正案といいますか制限案というんでしょうかね。そういった可能性については私は十分に合理性があるのではないかと,このように考えております。議論をややこしくしてしまったかもしれませんが,ちょっとそのようなことも検討すべきではないかと思っております。これが1点。   それと,もう1点いいですか,すみません。3の強行規定と任意規定の区別の明記の点なのですが,可能な限り行うべきだというのは賛成でございます。ただ,可能な限り行うのをどういうプロセスで行うのか,この審議会の中でどこまでそれが可能なのか,ルールだけを確認してどこかに委ねるみたいなことになると,実は結構問題が起きるのではないかという危惧を持っております。個人的な経験の話で恐縮でございますが,借地借家法の賃料の自動増額改定条項と増減額請求権との兼ね合いのときに,借地借家法上の賃料の増減額請求権が強行規定なのかどうか,これが定まらずに最高裁まで裁判をやった経験がございます。両者の区別は実はそれほど簡単ではないということがありますので,大事なことだと思うけれども,やるならとことんやらないと,中途半端にやろうとするとかえって誤解失敗を招くのではないかと,そういう心配を有しております。 ○中田委員 今,高須幹事のおっしゃった前半のほうなんですけれども,こちらでいくと多分意思的要素なく拘束する慣習としては乙案よりも明確なものが想定されることになるのではないかと思うんです。更にその外にあるものについては合意を根拠にして取り込むということを考えているのが甲修正案だと思いますが,この甲修正案を採ったときに裁判実務においてどのような影響があるのか,もし今お答えいただけるのであればお教えいただきたいと思います。 ○永野委員 恐らくらく慣習の存在が主張されて新たな争点になるという場合が非常に多くなってくるだろうと思います。甲修正案でなければ,任意規定で判断されると思われます。それから合理的な慣習に従うという甲修正案の場合は,合理性の有無についてどのような主張,立証を求めて,判断をしていくのか,合理性の基準というのはどの辺りに見ていくのかという点で,紛争自体の解決が複雑になり,紛争解決コストがかさむのではないかと予想しております。 ○鎌田部会長 ほかに御意見いかがでしょうか。 ○岡本委員 簡単に申し上げます。まず,法令の規定と異なる意思表示につきましては,先ほどの強行規定が全て公序良俗の具体化なのかどうかという点,先ほど御説明いただいて文理上とかからすればそういうことなんだろうと思いますけれども,そうではない考え方も全くないのかというのがちょっとよく分からないところでございまして,そういう問題はあるとは思うんですけれども,原則として意思表示が法令の規定に優先するという私的自治の原則を明文化する,これには賛成したいと考えます。   それから次に,強行規定と任意規定の区別の明記,これについては第1読会のときから申し上げておりましたけれども,できる限り区別を条文上明記するという考え方に賛成したいと考えます。   それから,任意規定と異なる慣習がある場合についてなんですけれども,部会資料27の14ページのところでは法の適用に関する通則法3条との関係については若干触れられてはいるんですけれども,商法1条2項との関係については特に触れられていなくて,商法1条2項との関係をどうするのかというのも一応論点にはなるのかなと思います。それだけです。 ○鎌田部会長 今の商法,通則法に関して何か特に意見をお持ちの方がいらっしゃれば御発言を頂いておきたいと思います。   それでは,これは残された検討課題ということで処理させていただきます。ほかにはよろしいでしょうか。   法令の規定と異なる意思表示に関しましては内田委員からの「又は善良の風俗」という語を付け加えることについての立法沿革的なことも含めた問題の提起ありましたけれども,これは追って検討させていただくということで,内容自体については御異論がなかったと思います。それから,3の強行規定と任意規定の区別の明記も,これもできるだけその区別を条文上明記しようという方向性自体には異論がない。ただし,実際どこまでそれができるのかというのはなかなか困難ではないかということで,仮にそれが十分できなかったときにどういう形で対処すればいいかというのはその段階で改めて考えさせていただくということになろうかと思います。任意規定と異なる慣習がある場合については,本日御発言を伺う限りでは,乙案支持の数のほうが相対的に多いけれども,なお乙案の実際上の運用と甲案との間にどれだけの違いがあるんだろうかということも含めて少し疑問が提起されてきたところです。どちらかに決まってしまったというわけでもまだ必ずしもない,なお継続して検討しなければいけない課題として残されているのかなという印象でございますけれども,そういう整理だと事務局の今後の仕事には少し迷惑でしょうか。よろしいですか。   それでは,先を急いで申し訳ございませんけれども,次に部会資料27のうち「第2 意思能力」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「第2 意思能力」「1 要件等」「(1)意思能力の定義」について,第10回会議では法律行為ごとに判断する考え方と,事理弁識能力と定義して一律に判断する考え方がありました。甲案は前者に対応する考え方,乙案は後者に対応する考え方ですが,このほか,引き続き解釈に委ねるという考え方もあり得,これが丙案です。   「(2)意思能力を欠く状態で行われた法律行為が有効と扱われる場合の有無」では,例えば意思能力の欠如は善意の相手方に対抗できないとの考え方や,意思能力を欠くことについて表意者に帰責性がある場合には意思能力の欠如を善意の相手方に対抗できないとの考え方の是非について御審議いただきたいと思います。   「2 日常生活に関する行為の特則」の甲案は,意思能力を欠く状態で行われた法律行為の効力について,民法第9条ただし書同様の特則を設けることを提案するものであり,乙案は特則を設けないことを提案するものです。この点については第10回会議でも意見が分かれたところですが,意思能力の意義なども踏まえて引き続き御審議いただきたいと思います。   「3 効果」の甲案は,現在の考え方と同様に無効とする案であり,乙案は取消しを提案するものです。第10回会議でも意見が分かれたところですが,取消し及び無効のそれぞれの守備範囲をどのように考えるか,制限行為能力者の行為の効果との均衡などにも留意しながら御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明されました部分のうち,まず「1 要件等」についての御意見をお伺いします。 ○大村幹事 意見というか前提となる甲案,乙案の立て付けについて伺います。特に乙案ですが,意思能力を事理を弁識する能力と定義する旨の規定を設けるものとするとあります。確かにこういう意見が出ていたので,これが書かれていること自体は結構かと思います。のただ,16ページで真ん中辺りにこれに関する説明があります。それを見ると,平成11年改正の経緯が書かれておりまして,そのときには事理弁識能力と意思能力とは異なるという立場に立っていたという御指摘がされています。これは乙案が意思能力と事理弁識能力を同視することに対して間接的に批判をされているのだろうと思います。それもそれで結構ですけれども,その下にさらに,「意思能力は,法律行為を行った結果を理解するに足る精神能力を指すものであるのに対し,意思能力があることを前提に,十分に自己の利害得失を認識して経済合理性にのっとった意思決定をするに足る能力が事理弁識能力であるとされている」とありますので,この説明によると,意思能力と事理弁識能力の関係はイコールではないとしても,意思能力の上に乗って事理弁識能力というのがあるということになろうと思います。他方で事理弁識能力というのが定型的なものを想定しているのだとすると,ここでの意思能力というものもやはり定型的なものを想定しているということになるのではないでしょうか。以上が質問です。仮にそうだとすると,乙案を採るかどうかはともかくとして,その前提として,乙案を修正するというか,より精密なものとして示しておこうと考えたときには,平成11年の考え方を生かすとすれば,意思能力を事理を弁識する能力と定義するのは問題かもしれないけれども,意思能力を事理を弁識する能力の前提となる何らかの能力だと捉える規定を置くことは考えられる。16ページの御批評を経た後での乙案の理解としては,このように考えたほうがよいような気がします。その辺についてちょっと御説明を伺いたいと思います。 ○笹井関係官 十分お答えできるかどうか分かりませんけれども,乙案は,事理弁識能力という言葉が今民法の7条などで用いられているので,それを持ってくるというお考えだったと思います。そのことと,それを一律に判断するということとが論理的に結び付くかどうか分かりませんけれども,第10回会議での意見は,事理弁識能力を一律に判断するという前提で議論されていたように思います。乙案意思能力が一律に判断されるということを前提にして,かつその能力を事理弁識能力と表現するということも含めてこの乙案として御紹介しているということです。大村先生の御指摘は,平成11年改正が意思能力というものを一律に判断しているかどうか,そういう考え方に立っているかという御質問でしたでしょうか。 ○大村幹事 平成11年の改正において,そこで言われている事理弁識能力は特定の法律行為を想定せずに,人に着目して判断する能力だと思いますので,定型化されて判断されているように思います。そして,この御説明を伺うと,ここでの事理弁識能力は意思能力があることを前提にしたものだということなので,そのときの意思能力というのもやはり定型的に判断されているということが含意されているように思います。そうだとすると,平成11年民法改正のよって立つ考え方に従っていくと,確かに御指摘のように事理弁識能力と意思能力の間には差があるのかもしれないけれども,しかし,いずれも定型的なものとして捉えているという方向になってくる。ここで言われているのは,二つの能力に差があることを乙案は十分に認識していないではないかという御批評だと思いますが,そうだとすれば,平成11年の考え方を踏まえて乙案を再編成する,そこのところを考慮に入れたような形で乙案を書き直すというのが選択肢としての乙案にふさわしい書き方になると思ったということです。 ○笹井関係官 そこはそのとおりだと思います。ただ,事理弁識能力という言葉が適切なのかということも含めて御議論いただきたいという趣旨で,多義的であるとかそういったことを記載したということでございます。 ○松本委員 今の大村幹事の御指摘をフォローすると,むしろこういう意思能力を事理弁識能力と同義とするか別のものとするかという立て方ではなくて,意思能力を状況に応じて違うものと定義するのか,それとも一律のものとして定義するのかというところをまず議論した上で,一律にするのであれば事理弁識能力と同じレベルなのか違うのかという議論をするのが生産的かと思います。 ○内田委員 ただいまの松本委員の御指摘のとおりだと思います。過去に提案されていたのがこういうものでしたので,一応甲案,乙案と並んでいますけれども,やはり議論の仕方としては,乙案の文言から少し離れて,考え方をまず議論したほうがいいというのはそのとおりだと思います。その考え方としては,最も古典的には民法上の意思能力というのはかなり画一的なミニマムな能力を考えていたと思います。いわゆる心神喪失という言葉で表現されていたものですね。ところが,その後だんだん学説が取引の類型に応じて要求される意思能力にも差があるのだということを言うようになり,その場合でもかなり低いところ,年齢としては7歳というような言い方がされたり,あるいは7歳から10歳と書かれている本もありますが,ある程度低いところで,しかし取引の類型によって差があるものを意思能力として考えていた時期がある。それに対して,この甲案は恐らくそれよりももう少し高いというか,行為能力の機能にかなり接近したところで判断基準を設けようとしているようにも読めると思います。必ずそう読まなければいけないということではないと思いますけれども,そういうふうに読める。そうすると,ミニマムの画一的なものと,行為の性質に応じて異なるやや低いものと,そしてもう少し高い経済合理的な判断能力があるかどうかというところで判断するものと,3段階ぐらいあるという感じがします。そこで,それをどう考えるかをまず議論して,その上でどう表現するかのワーディングを考えるというのが生産的なように思います。 ○岡崎幹事 実務では内田委員の分類でいくと最もミニマムなところをもって意思能力の有無を議論をしているのではないかという印象を持っています。諸外国の規律が今回の資料の後ろのほうに載っておりますが,それを見ても精神的な障害がある場合を意思能力の問題だというように定めている例が多いように感じるわけですけれども,これなども外国法のことはよく分かりませんけれども,ミニマムな能力をもって意思能力とみる考え方に整合的な定め方なのかなと感じるところでございます。甲案的なもう少し行為に即した能力を求めるというようなことになった場合の弊害ということを考えてみますと,どの程度の能力を求めるかにもよるのでしょうけれども,比較的ミニマムなところよりは高い能力を求めるとしますと,その行為の種類ですとか内容によって異なってきて,また行為者の経歴ですとか能力的なもの,知識,経験的なもの,こういったところも踏まえながら能力の判断をしていくことになるのではないかと思われます。そうすると,勢い訴訟という局面になったときにも紛争内容が複雑化してくることになると思いますし,そもそも訴訟になる前の取引の段階でも,当事者が,相手方がそのような能力があるのかを判断しなければならなくなり,取引の円滑な運用を妨げることになりはしないかというような懸念を持つところでございます。 ○大村幹事 私が申し上げたかったことは先ほど松本委員に整理していただいて,松本委員のおっしゃるように言えば短く済んだと思います。私がそこで確認したかったのは,今直前の御発言でもありましたけれども,最低限の意思能力というのはこれまでもあっただろうと思います。それはそれとして踏まえた上で,内田委員御指摘のように,意思能力を相対的に考えるという考え方もその後に出てきておりましたし,現在の裁判例を見ると,それを更に広げて意思無能力ということで処理する事例もあるだろうと思います。そうだとしたら,それを今新たに立法するのかどうかという,そういう問題として捉えるべきなのではないかと思います。この資料のどこかに事理弁識能力ということは多義的だという御指摘がありましたけれども,意思能力のほうが二義になっても構わないのではないか。ただ二つの意味で使うのならば二つの意味で使うのだということを明確にした上で,二つ目の意思能力をよりハードルの高いものとして設定するということは考えられる。どのくらいのハードルの高さかというのは,それはまたこの場で意見をすり合わせて考えるということになるのではないかと思います。 ○深山幹事 一読会のときに,私は,どちらかということではなくて二つの意味合いの異なる能力の議論なのではないかということを申し上げて,そのときは何の反応もなくて非常に寂しい思いをしたんですが,今日は正に私が考えていたように皆さん二つの意味合いについて御発言になっていて,大村先生もおっしゃったとおり,私はやはり二つ別物の議論なんだと思うんです。古典的な意思能力,事理弁識能力,これはそもそも意思というものの持つ法律行為における重要性に鑑みても,それすらないということであれば即無効という強い効果が結び付けられてしかるべき問題だと思います。それから現代的なといいますか,近年主張されている個々の法律行為に即応した能力ということを見ていくものについては,3の効果のところはまだ議論に入っていないのかもしれませんけれども,先走って言いますと,取消しという効果を結び付ける考え方もありますが,例えばそちらのほうの法律行為に応じた意思能力については,その効果は取消しとするという形で,全く別の制度,別の能力の概念として整理をするということもあっていいのではないかと思います。それぞれに意味がある規律なのではないかという気がいたします。 ○鹿野幹事 意思能力を二つに分けたほうがよいのではないかという御意見だったのですが,私はそれには疑問を感じます。制限行為能力は,対象者に定型的な保護を与えるという制度で,特定の具体的な法律行為を前提としないので,その基準は画一的なものにせざるを得ません。しかし,これに対して意思能力は,当該具体的な法律行為の効力を,その行為者の判断能力を理由に否定するかどうかという問題ですから,必ずしも画一的な基準を用いる必要はありません。むしろ,少なくとも私が認識する限りでは,従来から裁判所でも,画一的な基準による最低限の判断力だけを見ているのではなくて,具体的にどのような法律行為が問題となっているのか等も考慮に入れて判断してきたのではないかと思いますし,下級審の裁判例を観察すると,意思能力につきそのように相対的な判断をしていると見えるものが目につきます。先ほど,無効の効果をもたらすミニマムの画一的な能力基準と,一応は有効で取消しの効果を導き得るにすぎないような,個々の法律行為に即したもう少し高い能力基準というお話がありました。確かに,ミニマム基準については,その人がどういう法律行為をしてもそれは意思能力があるとは言えない,だから無効だというのは,分かりやすいとは思います。ただ,これはミニマムの能力をどの辺りに設定するかにもよるかもしれませんが,一方で,その画一的なミニマムの能力があればどういう法律行為でも一応は有効になるのかというと,そうではないと思います。例えば,日常的なものを買ったりする行為についてその法律行為の意味を認識することができる能力ぐらいは備えていて,その意味ではミニマムの能力は備えているけれども,金融商品の購入など多少複雑な取引をする場面では,当該法律行為の意味を認識することができないという場合があるのではないかと思いますし,その場合でも,当該法律行為の意味を理解する能力がない以上,無効とされるべきだと思います。ですから,結論的には,甲案に賛成ということになります。   ただ,甲案自体が,従来の意思能力より高い能力を有効性のために要求することになるのかというと,必ずしもそのような必然的な結び付きはないと思います。この点は効果との関係もあるのかもしれませんが,意思能力を欠くことが無効という効果をもたらすものだという前提で申しますと,甲案のような相対的な意思能力の考え方を採りながら,なお,その能力基準をかなり低いものに留めるということも考えられると思います。その上でさらに,より高い能力基準に関しては,例えば適合性的な考え方を取り入れた取消し規定などを一定の要件の下で別に設けるということも考えられるかもしれません。そうなってくると,二つのレベルでの判断力が問題とされるという点では深山幹事の御意見と似てくるのですが,私は,飽くまでも意思能力に関しては,意思能力の基準それ自体が,当該法律行為との関係で相対的に捉えられるべきだと考えますし,したがって甲案の方向での意思能力規定が検討されてよいのではないかと思います。 ○山本(敬)幹事 今の御意見に対する補足ということになるかもしれませんが,結論として甲案を支持したいと思います。この問題について,従来の裁判例を私が調べた限りでは,単にお金を借りだけの場合と,それに担保を設定する,しかも抵当権を設定する場合,更に第三者弁済をして,連帯保証人の求償権を担保するために譲渡担保権を設定するような場合では,問題となる法律行為に応じて,同じような知的能力を持つ人であっても,意思能力があるかどうかの判断が違ってきていることがうかがわれます。それを踏まえますと,先ほどから出ているような,およそ人の行為と言えるようなミニマムの能力がそこで問題となっているのではなくて,その法律行為をすることの意味が分かっているのかどうかが問われている。それならば,この甲案のように考えるべきではないかと思います。  ただ,これは,先ほど松本委員,あるいはその他の方が御指摘されたような,もう少し高いレベルの財産的な判断能力が問題になっているわけではないのだろうと思います。飽くまで,その法律行為をすると,結果としてどのようなことになるのかということが分かるだけの能力があるかどうかが問われている。その意味で,これは,意思能力に関する従来の理解から大きく逸脱するものではないと思います。 ○岡委員 第一東京弁護士会で議論した意見を御紹介申し上げます。まず,法律行為によってレベルが変わるという点は今の判例でも事理弁識能力でもそうなっているのではないかということで,法律行為によって変わっていいというのは大方の理解を得られました。その次のレベルのところでは,内田先生がおっしゃった真ん中の案,今山本先生もおっしゃったところかもしれませんが,精神上の障害といいますか,従来の考え方に近い狭いレベルで考えるべきであろうという意見が多数でした。その場合の表現として甲案の「法律行為をすることの意味」という言葉では非常に違和感を感じるとの声が強かったです。したがって,それほど深く考えたわけではないですが,その法律行為の事理を弁識する能力,論理矛盾があるかもしれませんが,相対的に考えていいけれども,甲案のような表現には違和感がある,非常に広がり過ぎるのではないかと,そういう意見が強うございました。 ○佐成委員 今までの議論をお聴きしていまして,経済界内部での議論なども踏まえて意見を述べたいと思います。鹿野幹事,あるいは山本敬三幹事から御指摘があったような,相対的に考える部分というのは,確かにそういうところで法律行為の効力が争われるということはあり得るとは思うわけですけれども,ただその相対的に考えるという部分については補足説明でも書かれているとおり「適合性の原則」という形で実務的には処理していることが多いと思います。特に先ほど鹿野幹事がおっしゃったような金融商品みたいなものについては,取り分けそういった実務運用がなされているものですから,それが今回の改正によって意思能力の欠如という形で抗弁が出るというのはかなり違和感があるとの意見が強くございました。基本的にはおよそ人の行為と考えられないようなものについて,古典的な意味での意思能力がないということについては,それをどう表現するかは別にして,それをどう表現するか自体もかなり問題だとは思うのですけれども,そこはいいとしても,更にその部分を超えて相対的に評価するような部分については,実務界としては異論があるということでございます。 ○鹿野幹事 先ほど,金融商品を例として挙げたので,もしかしたら誤解を招いたのかもしれませんが,私は飽くまで,同じ人であっても法律行為の意味を理解することができたかどうかの判断は法律行為によって異なり得るということを言うための一例としてそれを挙げたにすぎません。要するに,金融商品取引であれ,それ以外の法律行為であれ,行為者が当該法律行為の意味をおよそ理解できないということであれば,意思能力を欠くということでその法律行為の効力が否定されることになると思います。しかし,一応その法律行為の意味は分かっている場合でも,なお適合性の面で問題があるかということについては,更にその上の別のレベルの問題として生じ得ると思います。ですから,意思能力を相対的に判断するということは,意思能力が適合性のレベルと同じになるということを意味するわけではありません。むしろ私は,その二つはレベルが違うのではないかと考えているところです。 ○佐成委員 理論的にそのように区別できることは理解しているのですけれども,実際上本当にそういうふうな区別ができるのだろうか若干疑問があるということでございます。 ○松本委員 私は深山幹事の整理された二つ,意思能力と言っていることに二つあるのではないかというのに非常にシンパシーを感じます。この部会で主として論じられているのは法律行為に応じて異なってくるほうの能力を明文の規定で入れるか入れないかということだと思います。その場合に,法律行為をすることの意味を弁識する能力というと,これで機能するのかという感じがいたします。というのは,もう十数年前ですが友人の弁護士から,通貨スワップ,しかも日本と無関係な二カ国間の通貨スワップに勧誘をされて損をしたという人のケースで,鑑定意見書を書いてくれと頼まれたんです。二カ国間の通貨スワップなんていうのは,どうなればどうなるかはおよそ誰も分からないものなんです。それで私は,これは結局ばくちだという意見書を書きまして,どっちに張るかだと。となると,その法律行為をすることの意味として,これはばくちだということが分かれば意思能力があるのかというと,そんな問題ではないだろうと思います。意思能力という言葉でそういうのをカバーするというのはちょっと無理があるのではないかと。何か言葉を作るのであれば,当該取引をする能力とか,取引能力とかいうような言葉を別途作って,それは適合性に近くなるかもしれないんですけれども,そちらのほうが適切です。それを欠いている場合には取り消せるというふうに効果において無効とは違うようなものと結び付けるという形で,言わば先ほど公序良俗からどんどん派生していって,むしろ公序良俗とは別のルールではないかという話をしましたけれども,ここも意思能力という言葉を使っているけれども,本来の意思能力からは少し違ったケースを意思能力という言葉でカバーしているのだとすると,混乱を避けるためには別の用語を工夫して考えたほうがいいのではないかという印象です。 ○中井委員 岡委員から第一東京弁護士会の紹介ありましたけれども,他の弁護士会においても意思能力については相対的に考えるのが適当ではないか,最低限の同一の固定的な考え方というのは現在の判例からもかい離しているという意見です。そのレベルについては,先ほどの第二というのでしょうか,少なくとも当該法律行為の意味内容が理解できる最低限の能力,これを想定して考える。相対的だけれども,先ほどのいう第三のレベル,スワップ取引であるとか金融商品であれば,それらのものに対する理解能力を前提としたような意思能力を想定している意見はほとんどなかったと思います。それが,意思能力に満たないで行われた取引については原則無効と考えていくという後ほどの議論につながっていくのが多くの弁護士会の意見です。 ○鎌田部会長 甲案と乙案でどこが違っているのかの読み方も,この文章だけだといろいろな読み方ができるんですけれども,要するに法律行為の種類ごとに,あるいは類型ごとに要求される意思能力の高さというのは変わってき得るんだという考え方と,とにかく意思能力というのは一律にあるかないかで画一的に決められるという考え方,そこの対立が甲案と乙案にあり,またどれぐらいのレベルの判断能力を要求するかというのは,甲案を採るか乙案を採るかに関わりなく常にある問題だというふうな観点で見た場合に,これまでの御発言で相対的に多いのは,甲案であり,かつ,それほど適合性の原則に近づくような高い水準を要求するわけでないというのが多数の意見だと承りましたけれども,そういうことでよろしいでしょうか。   まだ(2)のほうについては御意見は特にありませんが……。 ○中井委員 この意思能力を欠く状態で行われた法律行為の効力が否定される場面,それが原則だけれども,一定の場合に相手方を保護する,こういう場面を考えてはどうかという考え方については反対です。先ほど申し上げましたような意思能力の程度を考えているわけですから,それにも満たない場合は原則効力がないと考えるのが筋で,本人自体には帰責事由がないわけですから,この場合に相手方を保護するのは行き過ぎであろうと考えています。また,その原因が自ら招く場合,酩酊であるとか薬物などが考えられるのかもしれませんけれども,そういう場合であっても,つまりここでいう重大な過失のある場合であっても,それによって制限するまでの理由はないであろうと思います。そういう場面は極めてまれであるでしょうし,通常であれば相手方もその状態であることが分かるはずですので,それを敢えてこういう場合を想定した規定を置く必要はないという考え方です。   また,続けて2についても申し上げておきますと,日常生活に関する行為の特則についても,このような特則は設けないという乙案に賛成です。それは日常生活に関する行為についても,先ほど言いましたように相対的に意思能力の程度を考えるとすれば,日常生活に関するものについては相当低いレベルで満足できるわけですので,それについて特段配慮する規定を置くまでもないという考え方に基づくものです。 ○鎌田部会長 それでは,まず(2)のほうについて,ただいま,こういった相手方の保護に関する規定は不要という御意見でしたけれども,これに関連していかがでしょうか。 ○岡本委員 表意者の帰責性によっては表意者が意思能力の欠如を相手方に主張することができない場合がある旨の規定を設けるべきであるという考え方,この部分について幾つか申し上げたいんですけれども,まず制限行為能力者の詐術については民法に規定がありますけれども,意思無能力者について同様の規定を置く必要がないかということが一つです。意思無能力者が詐術を用いることがそもそもあり得るのかということはあるのかもしれないんですけれども,仮に用いることがあり得るとすれば制限能力者と同じでもいいのかなというのが一つでございます。それから,次に制限行為能力者についても同じことが言えるのかもしれないんですけれども,表意者の帰責性について詐術だけで十分かという問題があるのではないかと。少なくとも意思能力を欠くに至ったことについて表意者に帰責性があるのであれば,相手方が表意者の意思無能力を知っていた場合は別にしまして,表意者は意思能力の欠如を相手方に主張することができないということにしてよいのではないかという意見がありました。   それからさらに,そのほかにも表意者の帰責性を問題とすべき場合があるのかどうかということにつきましては,既に意思無能力となった後にその本人の帰責性を問うというのは,これは難しいという考え方を採るにしましても,意思無能力者サイドの人間に帰責性がある場合,この場合に意思無能力の欠如を主張できないこととすべき場合があるのではないかという意見もございました。ただ,この意見につきましては意思無能力者サイドの人間に帰責性がある場合であっても,その人が意思能力の欠如を主張できないというのはいいにしても,意思無能力者本人が意思能力の欠如を主張できないということまでするのは行き過ぎではないかという意見もございまして,この点については統一意見があるわけではありませんということです。   総論的には,いずれにしても今後高齢者社会を迎えるに当たりまして,意思無能力者の保護と取引の安全,衝突する場面というのは増えてくると思われますので,妥当なバランスが図られるように慎重な議論が必要であるという意見がございました。 ○佐成委員 基本的には岡本委員と同じような趣旨でございますけれども,正常な判断能力がないときの行為の効力を否定・制限するというのはもちろん原則でありますけれども,ここで言われているように意思能力を欠くことについて,表意者に故意又は重大な過失があった場合については,相手方をやはり一定の範囲で保護しないと困るということでございます。先ほど中井委員から相手方も認識できるのではないかということでございましたけれども,泥酔状態にあって酒の臭いをぷんぷんさせているのであれば,もちろんそれは相手方も気を付けて,これはちょっと危ないなと思いますでしょうけれども,必ずしもそういう場合だけではなくて,認識できないようなことも十分あり得ます。この補足説明にも書かれてありますけれども,ほかの規定とのバランス,713条ただし書とのバランス,あるいは21条制限行為能力者の話でございますけれども,これらとのバランスから考えても意思無能力者だけを特別にこういう場合にまで保護するというのはかなりバランスを欠くのではないかという意見が経済界の中では強くございました。 ○鎌田部会長 本人以外に帰責性があるようなときについては,という御意見ですね。相手方が善意であれば全部救えということではない……。 ○佐成委員 そちらの立法提案のとおりということです。 ○鎌田部会長 善意の相手方に対抗できないという考え方までは採る必要はない。 ○佐成委員 そこまでは考えておりません。 ○鎌田部会長 帰責性がある場合にということですね。 ○佐成委員 帰責性がある場合のバランスを取りたいというのが経済界としての意向です。 ○鎌田部会長 ただ,詐術をろうするぐらいの能力があっても意思無能力と認定してもいいという前提ですか。 ○佐成委員 詐術を巡る,そういった議論までは内部ではしておりませんし,飽くまで規定のバランスということで申し上げただけですけれども,仮に詐術をするような能力があれば,そもそも意思能力の欠如ということがあり得るのかという点は疑問に感じている次第です。 ○村上委員 結局,意思無能力をどういうふうに定義するかということと切り離すことのできない問題なのだろうと思いますけれども,基本的には意思無能力というのはやはり心身の状態を踏まえた観念なのだろうと思いますので,先ほどからおっしゃっているようなミニマムというような言葉の当てはまる,非常に低いレベルの能力を前提にしている観念なのではないかと思います。そうしますと,法律行為によって多少変わるとしましても,おのずとその程度には限界があって,基本的にはそれほど高度なものとは到底言えない状態を指しているのだろうと思われます。これを前提としますと,相手方が善意であるからといってそれだけで保護するというのはいかがなものかと思います。また意思能力を欠くに至ったことについて故意又は重大な過失がある場合うんぬんというのも,理論的には全く理解できない話ではないかもしれませんけれども,そういう規定を設けないと適切な対処ができないような事例が実際に起こり得るのだろうかというところは疑問に思います。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。御発言だけでいくと,少なくとも善意の相手方に対抗できないという考え方は支持する意見はないけれども,本人に帰責性がある場合については可否同数ぐらいであるということでしょうか。 ○岡委員 帰責性については村上委員と同様規定するべきではないと考えます。 ○鎌田部会長 そこまで配慮しなくていいという意見が相対的には多いと理解させていただきます。   次の「2 日常生活に関する行為の特則」についての御意見はいかがでしょうか。先ほど既に中井委員からは御発言を頂いたところでございます。 ○山本(敬)幹事 中井委員への質問ですけれども,部会資料にも書かれていますように,成年後見について立法したときに,日常生活に関するものである場合については取り消せないと定めたこととの整合性,つまりノーマライゼーションの考え方との整合性についてはどうお考えになるのかということをお聞かせいただければと思います。 ○中井委員 意思能力を欠く状態である場合について行われたときには当然無効であっていいという考え方,基本的にはそういう理解です。 ○山本(敬)幹事 日常生活に関する行為についてまで制限行為能力を理由として取消しが認められると,危なくてそのような人を相手に日常生活に関する行為を相手方がしてくれないことになりかねない。そうなると,生活していくことができなくなるというのが趣旨ではないかと思います。そうしますと,制限行為能力者だけれども,意思無能力であったことを理由に無効だ,あるいは取り消すと言えるとなると,結局,懸念されていたのと同じことになってしまうのではないかということが部会資料でも指摘されていたところだと思います。その点については,どうお答えになるのでしょうかというのが元々の質問の趣旨でした。無効ないし取消しを選択できるとなると,結局相手方が萎縮してしまう。つまり,無効主張ないし取消しをされて,しかも自分が給付したものは現存する範囲でしか返ってこないけれども,対価は全部返さなければならないということになると,これはもうややこしいので,契約するのはやめておこうということになりはしないか。もちろん,本当にそうなるかどうかは別問題かもしれませんが,制度としてそうなってしまうのはまずいというのが立法趣旨だったはずですので,ここで意思無能力無効ないし取消しを認めてしまうと,その懸念はどうなるのだろうかということです。 ○道垣内幹事 先ほど意思無能力という概念を取引ごとに相対的に考えるということを前提とし,現行民法9条ただし書のような規定を意思無能力について設けるということになりますと,日用品の購入その他日常に関する行為の意味が分からないんだけれども,その法律行為が有効になるということですよね。それは私はおかしいのではないかと思います。成年被後見人についても,生活必要上,意思能力がない状態で日用品を購入した場合はどうなるかという議論はありますが,ただし書の適用には意思能力は必要だという説のほうが有力だと思いますし,認めるとしても,やはり生活上必要であるから認めようというところがあるのであって,意味が分からないのに有効だというのはどうかと思います。 ○松岡委員 山本敬三幹事の御質問に対する明確なお答えになるとは思えませんが,考えるところを申し上げます。制限行為能力の場合は能力が制限されている状態が続いていることを前提にしています。その場合には,確かに,日常生活についてこういう特則を入れないことには契約の相手方として常に相手にしてもらえないことが問題になります。これに対して,今問題にしている意思無能力の場合に想定しているのは,一時的な当該行為に限っての効力の問題です。そのような状態が続くようであれば制限行為能力の規定を適用すればよいので,単発的な意思無能力については,道垣内幹事がおっしゃったように,当該法律行為の意味も認識できていない場合にその拘束力を認めるのは,やはり理屈が立たないのではないかと思います。 ○道垣内幹事 私は9条ただし書に関しても意思能力がないときには適用されないと思います。 ○鹿野幹事 結論的には,私もこの特則は必要ないと思います。まず,一方では,先ほど申しました,意思能力を相対的に捉えるという考え方を前提とするなら,かなり判断能力が低い人であっても日用品等に関する当該行為については意思能力があったと認められる場合も多いのではないかと思いますし,そのときは,特別の規定を置くまでもなく無効の効果は生じません。他方,そのような日用品等に関する行為についても,およそ当該法律行為の意味が分からないという場合については,やはり法律行為の効力発生の前提を欠くということになるわけですから,その効力が否定されるべきだと思います。また,ノーマライゼーションとの関係ということについては,先ほど松岡委員がおっしゃった御意見につき,私もそのように考えます。さらに,制限行為能力の制度とこの意思能力規定との関係という点について申しますと,制限行為能力の制度というのは対象者についての一般的定型的な保護制度であり,たとえ制限行為能力者が9条ただし書により取消権は行使できない場合であっても,当該法律行為について意思無能力無効の要件を備えている場合については,無効主張ができるという関係であってよいと思います。最後に,もしこのような特則を設けた場合には,弊害が生ずるのではないかということも懸念されるところです。これは日常生活に関する行為という概念を具体的にどのように画するのかということにもよりますが,例えば日用品的な性質の物を,不必要に大量に買わせるというような類いの悪質商法が出てくることについても懸念されます。以上により,私は特則を設けるべきではないと思います。 ○鎌田部会長 反論は。 ○山本(敬)幹事 たくさんの方の御意見はそれぞれ理解できるのですけれども,何が問題かということを正確に踏まえた上で,結論出していただければと思います。一番クリティカルなのは,成年被後見人である人が意思無能力である場合だと思います。この場合に,成年被後見人として,行為能力の制限を理由として取り消すことは認めないでおきましょうというのが9条ただし書の趣旨だと思います。にもかかわらず,意思無能力で取り消せるとなると,結果的に,相手方から見れば,理由が何であれ取り消されてしまえば同じことになりますので,日常生活に関する行為については取り消されるかもしれないから,相手をするのはやめようということになりはしないか。その意味で,9条ただし書を置いた趣旨に反するような事態が生じてしまうおそれが出てくる。本当にそれでもよいのでしょうかという問題を踏まえて,いや,それでもよいのだという説明が本当についているのかということです。すみません,何度も。 ○佐成委員 今,山本敬三幹事が御説明された懸念が正に経済界の懸念でもあります。実際,この前のヒアリングでも,日本チェーンストア協会の方から,この論点についてノーマライゼーションを阻害するおそれがあるということが,具体的な形で指摘されていたかと思います。つまり,後見開始の審判によって行為能力を制限して成年被後見人になってしまった場合には,成年被後見人であることそれ自体で日常生活に関する取引が取り消されるわけではないですが,意思無能力で無効とされたり取り消されるという事態があり得ますから,当然それについて事業者側としても懸念して萎縮する,つまり取引を控えるといったことになりかねないということがやはり現実問題としてあり得ます。実際にヒアリングでもそういう意見が出ていたということだと思います。そういう意味で,特則を入れていただきたいというのが経済界としては強いということです。   それと,意思能力の定義によってこの辺は解消できるのではないか,要するに相対的に考えればいいのではないかという御意見もあるかもしれませんけれども,日常生活に関する特則に当たる場合をきちっと明文で規律しておかないと,解釈だけではやはり不明確性・不安定性というのが残るのではないかという懸念もございます。   それから,外形上一人で日常生活をしているように見える人が,取引を終了した後になって意思無能力で無効だということを認めてしまうのは,個々の事業者が困るという以上に,そもそも社会的に問題が大きいということです。つまり,先ほどの日本チェーンストア協会だけではございませんで,およそ現代社会では日常生活に関する取引というのは,毎日無差別・大量に行われ,誰彼を問うことなく,迅速に,スムーズに行われ,効率的に行われる状態になっています。このような状態というのはそれ自体,社会的に見ても一定程度保護していく必要性があるのではないかと思います。要するに,ノーマライゼーションの問題のほかにも,そういった社会的に見た取引の効率性の問題があるということです。   それと,確かに極端に意思能力が低くて一人で日常生活に関する行為ができないという場合を想定することは一応可能とは思うのですけれども,そのような人が実際上日常生活に関する行為自体を果たして本当にできるのか,そういう外形を持つような行為が本当にあり得るのかという疑問があります。意思能力の程度をどういうふうに考えるかの定義にもよりますけれども,その意味で,実際にこの特則が適用されるというのはそれほど多くはなくて,実害は生じないのではないかと,そういう意見もございました。   ということで,実務界としては日常生活の特則に当たるようなものは入れてほしいという意見が強かったということでございます。 ○中井委員 現実的に考えたとき,ここの日常生活に関する行為の特則の対象となる行為ですけれども,これは最低限の生活に必要不可欠な日常的な買い物とかそういうことを想定していますが,そうだとすれば,それを無効とするような場面は現実的にはほとんどないのではないか。山本敬三幹事が御懸念の相手方がいつ取り消されるかという心配があるではないかというけれども,日常生活に必要不可欠な行為をした人がそれを取り消すないし無効ということが果たしてどれだけ想定できるのかというところから考えれば,あえて特則が必要なのか。しかも,意思能力のレベルを低いところで押さえているとすれば,多くはそれをクリアした取引となるわけですから,その意味でも御指摘の懸念の場面というのはそれほど多くはないのではないか。逆にこれを否定して甲案のような特則を設けたときに想定される弊害として,例えば繰り返し日常的な買い物をする,それが極めて過大であるというような場面,そういうときこそ意思無能力者の保護が必要になる場面ですので,それが甲案であれば,場合によっては保護されないことがあり得る。そのような場合は,資料にもありますように,解釈で,それは日常生活に関する行為ではないというところで切れるのかもしれませんが,切れるか切れないかという争いが残らざるを得ないという点を考えると,意思能力のないときは無効という原則を維持するのがよろしいのではないかという判断です。一番クリティカルな部分についての反論となっていないことは承知いたしますが,そのように考えております。 ○鎌田部会長 この点については乙案を支持する意見は多いものの,民法の制限行為能力者の場合とのバランスやノーマライゼーションの問題等を考慮して,強く甲案を支持する意見もあったということですが,効果についての御意見も併せて伺うようにしたいと思います。 ○松本委員 取消しか無効かというのが主たる論点なのでしょうが,他方で121条の類推をするのかというのは,取消しの場合であればストレートに類推であろうし,無効の場合でもやはり意思無能力者の行った行為の無効についてはどうかという話が出てまいります。そうすると,先ほど議論のあった日用品ですか,日常生活に必要なものについてであれば,普通はそれはもう食べてしまっているとか使ってしまっていて,生活に必要なものだから,言わば現存利益はある。日常生活に必要なものなんだから,払ったお金を返してくださいという話には普通はならないので,日常生活に関する行為については取り消せると言おうが取り消せないと言おうが,普通にノーマルに消費している分には余り影響はないんではないかという気がいたします。ただ,買うだけでどんどん家にためているというようなケースの場合だけが少し別の評価が必要だろうし,一番心配なのは,スーパーに行って買うとか店頭で買うというのではなくて,訪問販売業者からどんどん売り込まれるというケースで,そこは一定法律でカバーしておく必要が特に高齢者の場合にはあるかなと思います。 ○中井委員 この効果についての弁護士会の意見として,大方のところはやはり甲案の無効とする考え方です。第1読会のときにも無効とすることに対していろいろ御批判はありましたけれども,やはり取消しとした場合については意思無能力者側からの取消しの意思表示があるまで有効となって,その間履行を強制される可能性もある。取消しの意思表示をしなければならない。そうだとすると表意者の保護に欠けるのではないかというのが一番根本のところにあります。また,そもそも論としてやはり意思能力を欠く法律行為というのは,原則法律効果を本人に帰属させることができないというのが基本的な考え方であるとすれば,やはりそれは無効が適当なのではないか。そのときの無効と主張できる者の範囲の問題とか,主張できる期間の問題についても御指摘を受けておりますけれども,無効の主張について,相手方は少なくとも主張ができないという定めを置くとしても,それ以外についての定めを置く必要はないと考えておりますし,主張できる期間につきましても,取消しであれば一定の期間があるけれども,無効だったらどうするかという問題についても,特段の定めを置く必要はないと考えております。意思無能力者制度と行為能力者制度との関係について,それぞれ異なった二つの制度があるという理解の下で考えていいのではないかと思います。 ○村上委員 他の裁判官の意見も聴いてみたところ,現実には成年後見に相当するにもかかわらず後見人がついていないという例も実際には多いのではないか,そういう場合に取消し構成ですと法定代理人がおりませんから取消しの意思表示ができないことになり,したがって有効であるということになると思われますが,本当にそれでいいのだろうかという意見がございました。補足説明を拝見しますと,仮に無効だとしても,実際の交渉等の場面で無効を主張する者がいないのだから同じことではないかという記載がありますけれども,そういう場合であっても法律上は無効なわけでして,取消しにいたしますと法律上は有効であるということになりますので,同じようなものだということにはならないと思います。   それから,以前この問題が部会で審議されたときに,共同相続の場合に取消権を誰が行使できるのかという問題があるということを申し上げました。それについて,補足説明で,これは現在でもある問題ではないか,例えば詐欺の場合など,今でもある問題であるという御指摘がございました。そのこと自体はそのとおりかと思いますけれども,詐欺の場合でなおかつ共同相続がされ,取消権の行使が問題になるという事案は極めてまれではないだろうかと思います。ところが,意思無能力については,訴訟上現実に遺言について意思無能力の主張があるケースはかなりございますので,この問題が出現する頻度が現在とは比較にならないほど大きくなりますので,仮に取消しの構成にするのであれば,誰が取消権を行使できるのかということを明確にしておくことは不可欠ではないか,分かりやすい民法にするという観点からしても不可欠のことではないかと思います。無効の場合であっても,相対的無効だと誰が無効を主張できるのかはっきりしないという趣旨の記載も補足説明にありますが,少なくとも,無効の場合,相続人であれば誰でも無効を主張できるということは,明らかではないかと思います。 ○松本委員 今の村上委員の御発言との関係ですが,そういうこともあるから私は深山幹事のおっしゃった2段階というのが分かりやすいのではないかなと思うわけです。つまり当該法律行為の内容に応じて意思能力というのが変わるんだと考え,不十分な場合は取り消し得るんだと考えると,取り消し得る行為をしてしまったという場合に,ではそれを取り消すための意思能力というのは当該難しい法律行為を行うに耐えるだけの意思能力と同じレベルなのかそれとも違うのかというのが当然問題になるわけですが,取消しだけであれば違っても構わないと思います。つまりミニマムの意思能力以上があれば本人として取り消せるんだと考えれば,今村上委員のおっしゃった部分はカバーできて,ミニマムの意思能力すらない場合は確かに本人からは取消しもできないから,そうするとそこは無効で救済するということが非常に合理的な結論になるのではないかと思いますが。 ○鎌田部会長 無効になるものと取り消せるものと2段階を常に設けておくということですか。 ○松本委員 そのほうがいろいろ柔軟で適切なのではないかと。つまり難しいレベルの法律行為をする能力と,法律行為をした後でしまったなと思って取り消すことができる能力が同じレベルだというのはちょっと私は理解できないところがあります。 ○鹿野幹事 この点は,意思能力の判定基準をどのくらいのレベルのものと想定するかにも関わると思います。先ほど私は,意思能力は相対的に判断されるべきだと申しましたが,同時に申し上げましたように,イメージとしては,相対的ではあるけれどもその行為との関係で必要とされるミニマムな能力ということでございまして,つまり,当該法律行為の意味をおよそ理解する能力がない状態でした。それを前提として考えますと,この場合については意思表示がその効力発生の基礎を欠くので,効果は無効ということでよろしいのではないかと思います。それから,先ほど村上委員もおっしゃいましたように,無効と取消しとでは,やはり現実的に意味合いが随分違ってくると思いますし,その点でも無効とするべきだと思います。 ○佐成委員 今,鹿野幹事がおっしゃったところですけれども,無効と取消しの法律上の効果が,取消しの場合は取り消されるまで有効であり,無効は最初から無効であるという違いがあるということは理論的にはよく分かります。けれども,ただ現実問題として,外形上は両方とも有効な法律行為がなされているわけです。要するに無効主張する人とか取消権者が現れるまではそういう事実状態が続いているわけですから,法理論的にはよく分かるのですけれども,実務から見ると,事実状態にそれほど差があるのかということが若干気になります。それからもう一つは,もし事実状態について取消しと無効との間にそれほど大きな差がないとすれば,期間制限とか,ここにも書かれてありますけれども,そういった法律効果面もある程度そろえるような議論をすべきではないかと,そういう気はしております。 ○山本(敬)幹事 私も同じでして,期間制限の問題,特に制限行為能力者であると同時に意思無能力であるという場合が一番クリティカルだと思いますけれども,そういう場合についても,取消しはできなくなったとしても,無効主張はいつまでもできるということで本当によいのか。それから,先ほど松本委員が問題提起されていましたけれども,不当利得の範囲の問題ですね。これについてどう考えるのかということなども考慮して,効果を無効としたままで本当にカバーできるのかということを考えておく必要があると思います。 ○鎌田部会長 それは取消しにしろという御主張だというふうに…… ○山本(敬)幹事 はい,そうです。これは,第10回会議のときにも申し上げたとおりです。 ○鎌田部会長 ほかには御意見ないでしょうか。 ○中田委員 この問題の対立がどこにあるのかがずっと分からなくて,今のお話を伺いながらも考えていたんですけれども,人に着目するのか法律行為に着目するのかということの何か違いがあるのかなという印象を持ちました。恐らく取消しを主張される方は意思表示の効力の問題としてこの問題を捉えて,その意思表示がなされた時点に着目するということになるのではないかと思います。今回の部会資料もどちらかというとそちらにシンパシーを持っておられるのかなと感じました。と申しますのは,取消し可能と無効との比較について22ページ辺りに記述がある部分と,それから錯誤の効果を取消しにした場合に生じる問題について41ページに記述がある部分と,それがほぼ同じなんですね。ということは,前提としてやはり意思能力の欠如というのを意思表示の問題として捉えるということで,これはもちろん一つの考え方だと思います。もう一方で,先ほど来,意思無能力者の保護というような形で,特に実務に即した御意見が出ているのですけれども,これは意思表示の問題とともに,当該意思能力を欠いている人をどう見るのかということも入っているのだと思います。そうだとすると,そちらについてはかなり政策的な判断も入ってくるのかなと思います。ただ,意思無能力者の保護とだけ言ってしまいますと,恐らく制度としてはうまくいかないので,それは今まで出てきた第1の論点,第2の論点いずれにも関わるのですけれども,当該具体的な法律行為を基準としながらも,しかし人の部分を完全に捨象しないということが何とかできないのかということが今模索していることではないかと思います。部会資料で外国の例を挙げていただいているんですけれども,そのほかヨーロッパ契約法原則にしても,ヨーロッパ私法共通参照枠草案にしても,それからユニドロワの2010年版にしても,いずれも能力の欠如については対象外としているのでありまして,しかも詐欺や錯誤とは別のところで取り扱っているわけです。それは恐らくやはりこの問題の難しさを考えているからかなと思います。今回の部会資料でも意思能力を意思表示とは別の項目で取り上げられているというのもそういうことを反映しているのかなと思います。   結論的には,意思能力の欠如については,錯誤とは区別して無効とするということでいいのではないかと思います。具体的な論点についての理由は既に出ておりますので,更に付け加える必要はないと思います。ただ,実際に検討していく上では小さな子供と,成年後見開始の審判がされていない成年の方,特に高齢者の方と,それから一時的に意思能力を失った人,多分三つぐらいのカテゴリーがあって,それぞれについて更に検討していく必要があるのかなと思います。 ○山野目幹事 今の中田委員の御意見についてですが,結論として甲案を支持するという部分に同調いたします。理由についてもかなり共感することができる部分もありますが,それは繰り返しません。1点少し私が感じたことを付け加えさせていただきますと,松本委員が御提案になったところの,効果が無効になるアングルの意思能力の意味の受け取り方と,取消しになるレベルの意思能力と常に二層で考えようというふうな方向の御提案を示唆なさったと受け止めましたけれども,私はそれを伺っていて,理論的に非常にエレガントなきれいな御提案であると感じたとともに,いささか複雑になり過ぎるのではないかなと考えざるを得ない部分があります。意思能力その1と,その上にその2があって,その上に更に適合性原則が想定するラインがあるということは,ここで議論しているような方々には分かるかもしれませんけれども,その三つの概念を説明して,裁判所にそれぞれの概念を適用して事案処理をしてください,というふうな規律にすることについては少し重いという感じがいたします。前の会議で深山幹事が二つの意味があるではないかと,認識の次元でおっしゃったことについては,私はそのとおりだと思いますが,認識で言われたことを実践的にも制度として二層に常にしようというところまで御主張になられると,もう少し考えてみたいという感想を抱きました。 ○内田委員 中田委員や山野目幹事のほか,無効と扱うという主張をされた方にちょっとお伺いします。中井委員は期間制限も不要であるとおっしゃったかと思うのですけれども,無効と扱うという御意見は,無効の主張権者は制限するが,期間制限はないという,そういう内容と理解してよろしいでしょうか。 ○中田委員 そこはまずどうするかということを決めてからになると思うんですけれども,主張権者の制限についていうと,相手方については否定するにもかかわらず第三者には認められるというのが何かおかしいのではないかという議論が当然出てくると思うんですね。そうすると,相手方の主張を封じる方法としては,信義則で封じたらいいというような学説もありますけれども,それでは不安定かもしれない。少なくとも相続人などについては一人だけでも主張できるということを維持しながら,相手方からの主張を封じるということを主張権者の規律の中で具体化することが必要かと思っています。   それから,期間制限について申しますと,それは現在でもある問題だと思うのですけれども,当該意思表示の当時,制限行為能力者であったということは,時間がたったとしても,これは簡単に証明できるわけですけれども,当時,意思無能力であったということは,ある程度時間がたつと証明が困難になって,したがって,現実には余り生じないのではないかと思います。そうすると,むしろ時間が非常にたったにもかかわらずあのときに意思無能力であったという証明ができたときには無効としてよいというのが多分現行法の考え方ではないかと思うのですけれども,それをどこまで動かすべきかということが期間制限の問題の本質かなと思っております。 ○鎌田部会長 御発言を伺う限り甲案のほうが多数でありますけれども,もちろん論点整理以前から乙案の強い主張もあるわけですし,御議論になりましたように無効にした場合の主張権者,主張期間などの論点が残ると……。 ○松本委員 ミニマムの低いレベルのほうの意思能力が欠如している場合は,私は意思能力の問題と考えるよりは,意思表示の不存在の問題と考えるほうがきれいなのではないかと思います。そうであれば,これはもう絶対無効であって,永遠に無効なんだろうと思います。そうではなくて,飽くまで意思表示としては存在するんだけれども,能力の面で瑕疵があるからということであれば取消しで一定の期間制限をするというのはおかしくはないのではないか。だから,意思表示の不存在という部分をもう少しきちんと議論したほうがいいのではないか。全くわけの分からないのにサインしてくださいと言われてサインしたら,それが契約書だったというような場合に,それは意思能力の問題ではなくて意思表示の不存在というより強固な保護を当事者には与えるべきだろうと思います。 ○中田委員 意思無能力の効果を取消しとした場合には,恐らく行為なり意思表示の不存在というところが次の論点になってくると思うんですが,それが果たして安定的かどうかということがよく分からないんです。特に書面に署名押印があるというときに,それを行為がなかったということはなかなか実際上は難しいのではないかなと思っておりまして,松本委員がおっしゃることはよく理解できるのですが,現実にそれがうまく機能するかどうかについてはやや危惧を持っております。 ○松本委員 行為はあるんですが,それは法律的な意味のある行為ではないから不存在の主張が許されるという意味です。 ○鎌田部会長 無効説を採る人と相通じている発想なんだろうと理解しています。ただ,主張権者の範囲,主張期間についての考え方は多様にあり得ると思いますし,行為無能力者が意思無能力状態で行った行為についてどう考えるかというふうな問題も提起されているところですので,無効説を採った場合には今申し上げたような点についての更に中身を詰めて考える必要があるだろうと考えます。そういう意味で,甲案が多数であるけれども,なお乙案と並走させて検討を続ける必要があるだろうと考えます。   6時が過ぎてしまって,まだあと最低でも2時間は掛かるだろうという分量が残っております。第1回から大量の積み残しを作るのは大変心苦しいですし,このペースでいくと最初にお話のありました予備日の設定というのもかなり早い段階で出てくるかもしれないと考えられますけれども,これ以上審議を続けても本日の予定の全部を終わりにすることは無理だと思いますので,本日の審議はここまでとさせていただきます。   最後に事務当局から次回議事日程等についての御連絡を頂ければと思います。 ○筒井幹事 次回の議事日程について御連絡いたします。次回会議は平成23年8月30日火曜日,午後1時から午後6時まで。場所は法務省地下1階大会議室となります。本日とは違う部屋になりますので,お間違えのないようにお願いいたします。   次回の議題,次回会議用に作成する部会資料で取り上げますテーマについては,部会資料27の続きで,意思表示についての詐欺,脅迫,その他残りの項目,それから無効及び取消し,代理。以上の範囲で部会資料を作成することを予定しております。よろしくお願いいたします。   それから,本日の会議で補充分科会の設置について御決定をいただきましたので,それが実際に動き出す前でありましても補充分科会に振り分けるべきテーマの選定を試みていく必要があると思います。そこで,次回会議からは何らかの形で事務当局から論点の振り分けの原案をお示しすることを考えたいと思います。 ○鎌田部会長 ますます皆さまの御負担が増えることになるかと思いますけれども,何とぞよろしく御協力のほどお願いいたします。本日は長時間にわたりまして御熱心な御討議を頂きまして本当にありがとうございました。 -了-