法制審議会民法(債権関係)部会           第31回会議 議事録 第1 日 時  平成23年8月30日(火)自 午後1時00分                      至 午後6時01分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事 (次のとおり)           議        事 ○鎌田部会長 それでは予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会第31回会議を開会いたします。   本日は,御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いします。 ○筒井幹事 事前送付資料として部会資料29をお届けいたしました。また本日は,前回の積み残しを御審議いただく関係で,配布済みの部会資料27も使わせていただきます。これらの資料の内容は,後ほど,関係官の笹井から説明いたします。   次に,席上配布資料ですが,まず,松岡久和委員から「権利外観規定の新設に関する意見」と題する書面,高須順一幹事から「意思表示の欠缺,瑕疵の場合の第三者保護規定のあり方について」と題する書面がそれぞれ提出されております。後ほどの審議の中で,それぞれ御説明していただこうと思います。   また,「分科会メンバー構成」という表題の1枚紙を配布しております。これについては,本日の会議の最後に鎌田部会長から説明がございます。   それから,配布資料ではありませんけれども,補充分科会への論点の振り分けに関する議事の進め方について,ここで一言,発言いたします。   補充分科会の設置につきまして前回の会議で御決定を頂きましたので,今回の会議からは,分科会で取り扱う具体的な論点項目の振り分けについて,必要に応じて決めていただく必要があります。この振り分けについての事務当局の原案は,事前に電子メールにてお伝えいたしましたが,本日以降の会議では,個々の論点について部会資料の説明をする際に,分科会で扱う論点の候補であると考えている旨を改めて摘示していきたいと考えております。もっとも,そのような摘示をした場合でありましても,その論点を部会の場で議論することを妨げる趣旨ではありませんので,部会の場では飽くまで自由に議論をしていただき,その上で,更に分科会でも補充的に審議するのが相当かどうかについて御判断をお願いしたいと考えております。 ○鎌田部会長 よろしいでしょうか。   本日は部会資料27の積み残し部分と,部会資料29について御審議いただく予定です。具体的には,まず部会資料27の「第3 意思表示」と,部会資料29の「第1 意思表示」のうち「1 詐欺及び強迫」を御審議いただき,午後3時10分ころをめどに適宜休憩を入れることを予定いたしております。休憩後,部会資料29の残りの部分を御審議いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。   それでは,まず部会資料27の「第3 意思表示」のうち「1 心裡留保」について御審議いただきたいと思います。   事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「第3 意思表示」「1 心裡留保」「(1)心裡留保の意思表示が無効となる要件」の甲案は,現在の民法第93条ただし書を維持した上で,その例外を設け,表意者が相手方を誤信させる意図を持っていた場合には,相手方に過失があった場合でも原則どおり心裡留保の意思表示を有効とすることを提案するものです。乙案は,このような例外を設けず,基本的に現在の民法第93条を維持するものです。丙案は,現在の民法第93条ただし書の要件を修正し,相手方の悪意又は重過失を要件とするものです。   「(2)第三者保護規定」では,第三者が保護される要件として,善意で足りるとする甲案と,善意に加えて無過失を要するとする乙案が考えられます。この点については,通謀虚偽表示の第三者保護規定の要件との均衡等にも留意しながら御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいまの御説明ありました部分につきまして御意見をお伺いいたします。御自由に御発言ください。 ○山本(敬)幹事 この心裡留保については,結論として,甲案を支持したいと思います。   現在の93条は,前にも申し上げましたけれども,元々ドイツ民法に由来する規定ですが,ドイツ民法を十分に理解せずに作られたという経緯があります。具体的には,立法過程の当初では,相手方を欺くような狭義の心裡留保を念頭に置いて,相手方が悪意である場合に限って無効としていたのですが,途中から,ドイツ民法に定められたもう一つの類型,つまり非真意表示を念頭に置いて,現在のように,相手方が真意を知ることができた場合も無効とするという規定が置かれることになりました。その結果,相手方を欺くような狭義の心裡留保の場合にまで,相手方の真意を知ることができれば,つまり相手方に過失があれば,意思表示は無効とされることになったわけです。しかし,相手方を欺こうとした者が,「自分は本当はそんな意思表示をするつもりはなかった。おまえは,この私の真意を知ることができた。つまり過失があるのだから,意思表示は無効だ。」と主張できるとするのは,やはり不当だと考えられます。   その意味で,現在の93条は,全体として見ますと,この相手方を欺こうとするタイプの心裡留保,分かりやすく言えば欺罔型の心裡留保について,規定を欠いている状態にあると考えられます。したがって,甲案のように,現在の規定を原則として残した上で,この欺罔型の心裡留保については,表意者の意思表示が真意と異なることを相手方が知ることができたとしても,原則どおり意思表示は有効とするという規定にすべきだと考えられます。その意味で,甲案を採用すべきだと思います。 ○鎌田部会長 この点に関連しまして,ほかに御意見があればお伺いします。 ○中原関係官 確認のため,基本的な質問で恐縮ですが,先ほど山本先生から,現在の93条は,狭義の心裡留保について規定を欠いているというお話がございましたが,部会資料24ページの狭義の心裡留保に当たるものとして記載されている事例における,「近隣のテナントにライバル店Cが出店を計画していることを知ったAが」という,このAですが,こういうときに,「真実は入居するつもりがないのに」と言えば,なるほど,それは心裡留保だねとなるのを想定することが現実的なのかどうか,この例が基本的な例だと理解させていただいてよいのかどうかまず質問させていただければと思います。 ○笹井関係官 部会資料に記載された例が適切かどうかと問われますと,私としては,今示されている立法提案等を私なりに理解して,事例としてこういったものが挙げられるのではないかというふうに理解をしたところでございます。ただ,こういう事案が現実的なものであるか,これが狭義の心裡留保と言われるもののうちの典型的なものであるかどうかについては,部会の委員,幹事の先生方のお知恵をお借りしたいと思います。 ○岡崎幹事 山本幹事の御意見についてですけれども,狭義の心裡留保と非真意表示の区別をするお立場ということで,大変きめの細かい分析がされていると思っております。ただし,実務上はどのような事実関係があれば狭義の心裡留保に該当するのかというような判断が時に困難な場合もあるのではないかなと考えております。   例えば,今の御質問のところとも関係するのですが,補足説明のところで非真意表示として挙げられている例も,物は言いようというところもあるのですが,退職する気もないのに,相手方に自発的に退職する気だと誤信をさせた例,あるいは相手方にギターが高額なものだと誤信をさせた例と言うこともできるわけで,そうすると,補足説明の説明とは逆に,この二つの例は,狭義の心裡留保の例であるとの整理もできると思われるわけです。こういうような観点からしますと,狭義の心裡留保に当たる場面というのが,これはケース・バイ・ケースで非常にきわどいものも出てくるのではないか,にもかかわらず,要件を明確に区別してもよいのかなどの辺りが懸念されるところではないかと考えます。 ○山本(敬)幹事 今御指摘いただいた点についてですが,これは,今回の部会資料を作成される際に事務局のほうで非常に工夫していただいた点ではないかと思います。つまり,ここでは,何もない限り,原則として,現在の心裡留保の規定をそのまま適用する。ただし,欺罔の意図が実際にあると言える場合は,その例外として,悪意の場合にのみ無効とするという構成になっています。前回私が発言したときには,狭義の心裡留保か非真意表示かで,それぞれルールが違うという説明をしたのですけれども,そうしますと,どちらなのか分からない場合はどうするかという問題が出てくるのに対して,今回の整理は,なるほどと思いました。原則は現行法のようにしておいて,特に欺罔の意図が確定される場合は例外としてこうするというようにしておけば,実際に問題となるようなケースはこれでカバーすることができるのではないかと思いました。 ○能見委員 今議論されていることと少し違うことなんですが,この前,これを議論したとき,私,やむを得ず欠席しておりまして,恐らくいろいろな議論がされた上でまとめられたものと思います。にもかかわらず,私の議論は,その前提を覆すといいますか,少し違う前提を採ることになる点,御容赦ください。   この心裡留保について,この規定は私としては分かりにくい規定だと思っておりまして,いろいろな意味で分かりにくいんですけれども,一つは,どういう場面で本当に心理留保が使われるかという観点からも分かりにくいし,効果という点でも現在の条文の規定振りは,本文で「表意者がその真意でないことを知ってしたときであっても,その効力を妨げられない」としていて,ただし書で相手方が悪意又は過失あるときに,これを無効にするという構造になっている,心裡留保はこの条文の本文があって初めて有効になるのか。そこら辺が本当にこれでいいのかということを前から疑問に思っておりました。   具体的に申しますと,これは判例でも,下級審だったと思いますが,男性が女性に別れ話をしたところ,女性がなかなか納得しないで,そこで結婚式も迫っていたので,かなり高額のお金を与えるということをその男性が約束したという事件があって,これが心裡留保の問題として扱われていたかと思います。そういう場面を考えたときに,これが心裡留保の類推適用ではない,本来的な適用場面かと思いますが,あの事件の結論の詳細は覚えていないんですけれども,確か判決は男性の約束を無効にしたんだと思いますが,93条ただし書で,相手方が表意者の真意を知ることができたということで無効にしたと思います。この事件でもそうだったと思いますが,男性といいますか,心裡留保で約束した人が半額ぐらい払うというようなこともあると思いますけれども,約束が無効だということになると,理論的には支払ったものをまた取り戻すという問題が出てきます。しかし,そこまで心裡留保をした者を保護する必要が本当にあるんだろうか。そういうふうに考えますと,現在の規定でいうと,心理留保は有効であることを大前提として,ただし書に当たるところも,本当は無効ではなくて,単に履行を拒絶できるぐらいにしておくことでいいのではないか。ちょうど自然債務と同じような考え方なんですが,そんなふうに心裡留保の規定というのを変えるというのはどうかと思います。それで分かりやすいと皆さんがお考えになるかどうかは分かりませんけれども,私としてはそのほうが分かりやすいと思っておりまして,そういう規定に改正するというのはどうだろうかというようなことを個人的には思っております。   ただ,現在,甲案,乙案という形である程度収れんしているときに,全く違う考え方を持ってくるのは適当ではないかもしれない。あるいは今のような考え方は既に議論された上で否定されたのかもしれませんけれども,私としては以前の会議で意見を述べる機会を失しましたので,この際私の考えているところを述べさせていただきました。 ○岡委員 弁護士会で議論したところを踏まえて申し上げますと,甲案についての賛成者はおりませんでした。今日,山本先生から欺罔型と言われて,その説明だと分かりやすいなという思いはしたんですが,なおかつ,そういう場合には少し違った規律が必要だということも理屈では分かるんですが,こういう事例が本当にあるんだろうか,認定も非常に難しいのではないか,そういうときのためにわざわざ規律を作る必要があるのか,そういう疑問から弁護士会の中では甲案は非常に不人気でございました。   乙案と丙案については,今のところまだ甲乙付け難い,そのうちのどちらかというのは,それぞれ賛成者がいて議論をしておると,そういうのが今の状況でございます。 ○潮見幹事 一言だけ発言させてもらいます。前回出ていないので,どういうことになったのかという細目はつまびらかではありませんけれども,私は甲案でいいと思っているところです。実際に民法の改正で,心裡留保が問題になる場合に,どういう規範を立てておくのが望ましいのかを考えれば,もちろん実際に適用されるかどうかというのは次の問題としてありますけれども,なるべく明確なルールを作っておいたほうがよいと思います。   それから,先ほどから狭義の心裡留保と非真意表示の区別がどうなるのかという議論が出ていましたが,補足説明を読んでいますと,そこのところは主張・立証責任の分配面でうまく仕組まれているという感じがしました。つまり,表意者が真意にあらざる意思表示をしたということと相手方に過失があったとの主張をしてきたとき,この過失の主張に対して相手方が表意者には欺罔の意図があったという形で抗弁を出すことによって問題を処理することができるという立て付けになっています。そして,欺罔の意図については,これは96条の詐欺のところでも出てきているわけですから,要件が曖昧だというようなことにもならないのではないかと思います。   問題は,甲案を採った場合に,狭義の心裡留保の場面でどういう文言で無効主張に対する抗弁をルール化するかというところに尽きるのではないかと思います。それが甲案に書いているような書き方でいいのかというのは,ワーディングのことですから,欺罔の意図ということがはっきりと出るような形でルール化をすれば,それで必要にして十分ではないかと思ったところです。 ○中田委員 今の潮見幹事の御指摘との関連なんですけれども,甲案によりますと,過失の主張に対して相手方が欺罔の意図を主張すると,こういう関係になるわけですね。つまり,過失と誤信させる意図とが別々の要件事実として振り分けられるという考え方だと思います。それに対して部会資料27の24ページの下から15行目ぐらいでしょうか,過失という規範的要素の中で欺罔の意図なんかも反映させるという考え方もあるというのがこの資料だと思います。そうすると,二つの考え方では,過失の概念が違ってくるのではないでしょうか。私もどっちにしたらいいか迷っているんですけれども,甲案を採る場合の問題点として,過失概念が欺罔の意図を除いたものになってしまって,やや判断しにくくならないかということが若干不安に思っておりますけれども,そこはいかがお考えでしょうか。 ○潮見幹事 確かに24ページのところに中田先生御指摘のことが書かれていますけれども,現行法の93条で言われている過失というものが,果たしてここに書かれているような内容で理解されているのかどうかというところについて,この補足説明に書いていることと,私が先ほど口頭で申し上げた理解というものが少しずれているところはあろうかと思います。そういう意味では,これは法務省のほうで検討していただいたらいいかと思うんですけれども,むしろ過失という表現を使うのが適切なのかという点で,ルール化のときに留意をすべきことではないかと思うところです。 ○村上委員 甲案につきましては,相手方を誤信させる意図というのがどのような内容の意図なのかということが,実はよく分からないのではないかという問題があるのだろうと思います。先ほども指摘がありましたように,退職届の例やギターの例につきましても,これは相手方を誤信させる意図でこういうことを言っているのではないかと考えることは十分可能なように思います。別の表現に変えるのでしたら,別の表現の御提案があったときに,その内容についてまた考えさせていただきますけれども,少なくとも相手方を誤信させる意図というのでは,それがどういう意図なのかという概念自体が不明確なように思いますので,御提案のありましたような,主張・立証責任の問題で処理していくことができるなどというようなものではないのではないかと思います。   それから,この論点については,いわゆる第三者保護規定を設けるかどうかという問題がございますが,第三者保護規定を設けるということになりますと,第三者の善意ないし過失の対象として真意と異なることのほか,相手方を誤信させる意図というのも含まれることになるのかならないのかという点の検討が必要になってくるだろうと思われます。このような問題も含めて,うまくきれいに整理できるのかどうかが,現時点ではよく分からないという気がいたします。   さらに,これも以前から御指摘がありますが,心裡留保の規定を類推適用するという形で処理している問題が幾つかございます。民法上だけではなく,民法以外の分野でもあるはずですから,そういった問題への波及を考えたときに,区別することが適当かということも検討しておく必要はあるんだろうと思います。 ○山本(敬)幹事 今の村上委員の御指摘に対しては,正に,従来ほかで類推適用として処理されてきたところに波及するがゆえに,この区別をすることに意味があると考えています。特に,後ろで出てくる代理権の濫用がすぐに93条の類推適用として思い浮かぶところだと思いますが,この場合は,本人側の人間である代理人が背信的意図を隠しながら代理人として行動することから93条を類推適用してきたわけですけれども,これは,正にここでいう狭義の心裡留保,つまりは欺罔型の心裡留保に当たると考えられますので,類推適用法理を明文化するときにも,それに合うような規律を設けるべきだと思います。   93条の文言としてどのように定めるのが望ましいかという点については,なお検討すればよいと思いますけれども,方向としては,欺罔型に当たるかどうかがポイントだと思います。その意味で,欺罔の意図,ないしはそれをもっとかみ砕いたような表現が検討に値するのではないかと思います。 ○鎌田部会長 意見の対立点は大体明確になってきたと思いますけれども,関連してほかの御発言ございますでしょうか。 ○永野委員 やはり重ねての話になりますけれども,欺罔の意図というのが必ずしもよく分かりません。明確な線引きができるのか,実際の事件というのはかなりグラデーションのあるものですから,欺罔の意図の有無というような分け方をした場合には,どちらの場合に該当するのか明確に判断できるのかという疑問があります。明確に判断できないとなると,第三者保護の問題も含めて紛争の解決のコストがかなり高くなってしまうと思われますが,そのことは,取引コストにも跳ね返ってくるわけで,そういったコストの存在を踏まえた上で提案にあるような形の改正をする実益が果たしてあるのかという辺りが問題になってくるのではないかと思っています。私の考えでは,実務に出てきている事案であれば,今の過失の判断の中で個別的に適切に解決できているので,どちらの心裡留保の土俵に上がることになるのかをあらかじめ分けないと,その土俵での審理に入っていけないというのは,実務処理という観点からいささか難しい面があるのではないかなという感じは持っております。 ○鎌田部会長 心裡留保に該当するような様々な類型の中で,相手方の過失をどう操作するかという問題は残りますけれども,過失まで問題にしなくていいではないかというふうなタイプのものがあり得るということ自体は一般的には認め…… ○永野委員 今の逆に言うと,過失まで問題にしなくてよい事案なのであれば,過失は認められないという形で適切に処理されているのではないかと思っています。 ○鎌田部会長 過失認定の操作で対応ができるという御趣旨ですね。 ○永野委員 はい。 ○山本(敬)幹事 今の御指摘は,裁判官の指摘としてはよく分かるのですけれども,過失の基準がそれで明確になるでしょうか。事案によって相当微妙な操作をして過失の有無が判断されていくというのは,事案を処理する側としてはよいのかもしれませんけれども,それで果たして基準が納得のいくような形で明確になるかというと,必ずしもそうではないのではないかと思います。むしろ,実際にやっていることがここで提案されているようなことだとしますと,少なくとも欺罔の意図がある場合については,過失の有無は問わないという形でルール化しておいて,そこでいう欺罔の意図の意味を実際の事案の中で更に具体化していくほうが立法の在り方としては適当ではないかと思うのですが,いかがでしょうか。 ○内田委員 欺罔の意図がある心裡留保というのは一体どういう場合なのかという疑問も提起されましたけれども,これはいい例かどうか分かりませんが,思い付いた例を申し上げますと,最近現実にあった事件で,空港から家に帰ってくるバスの中でゆったりと座りたい。バスが込んでいるのが嫌だというので,空港から都心に向かうバスについて一人の人間が大量に予約を入れて,全部席を埋めてしまって,自分が一人でゆったり乗って帰ってきたという事件が新聞で報道されていました。これは明らかに欺罔する意図があったのだと思います。これは予約といっても,それ自体で多分運送契約の申込みになっているのだと思うのです。しかし,発信のアドレスとかは変えるのかもしれませんけれども,ほぼ同じ時間帯に同じバスについて集中的に予約が入るというのは不自然であるということも新聞に書かれていまして,何か意図的にこういうことをしている人物がいるのではないかと気が付くということはあり得るのかもしれません。しかし,たとえそうであったとしても,こんな事例について知り得たかどうかを問題にする必要はないとして,契約を有効にして代金を取るということはあり得るのではないかと思います。これも一つの事例かなと思いました。 ○中原関係官 その場合は別に全部席を予約しているわけですから,単純に,乗ろうが乗るまいが払っていただくということだけの話ということではないのでしょうか。 ○内田委員 そういうふうに考えることはできるかと思いますが,元々一人の人間ですので,一つの予約を除いて運送契約を結ぶ意思はないわけで,相手が明らかにそれを知り得たということであれば無効であるという主張はあり得るのではないかと思うのです。しかし,その主張を認める必要はないということだと思います。 ○鎌田部会長 乗車する契約なのか,座席を確保する契約なのかというところでも違いは出てくるかもしれないですけれども。甲案を強く支持する意見と,甲案を取った場合の狭義の心裡留保とそうでない場合との区別が困難であるということを主たる理由として心裡留保の中に2種類のものを設けるということについては慎重な御意見が相当数表明されたということだと思います。この場で意見の一本化までいくことは難しいということで,甲案,乙案,丙案の問題については今のように整理させていただきます。能見委員からは,効果の点で無効とは違う考え方もあり得るのではないかという新たな御提案がありましたけれども,これは……。 ○能見委員 既にある程度は効果の問題も意識もされつつ議論されているようですので,私としては別に代替案として主張するということではなくて,私のような観点もあるということだけ述べておきたいと思います。実はもうちょっと言いますと,この心裡留保が適用される場面,今の甲案,乙案,丙案もそうですけれども,どうもいろいろなタイプの違うものが含まれていて,本当は幾つかに分解したほうがいいのではないかという気もするんですね,権利の濫用に本条を類推適用する場合も含めて。そういうこととも関連して,典型的な心裡留保は何かということ自体が余りはっきりしませんけれども,山本さんの狭義の心裡留保というのも,あるいは私が考えているのと少し違うかもしれないけれども,欺罔の意図というふうに言われると少し強過ぎたりして,何が中心的な心裡留保かよく分からない。いろいろ心裡留保というのは便利な規定であるせいか,その中身がはっきり分からないために便利なのかもしれませんけれども,いろいろなところに使われ過ぎていて,もうちょっと整理したほうがいいように思っています。そういうことと併せて考えてみると,心理留保の規定を根本的に見直し,心裡留保の効果という点でも,現在のただし書の場合に無効にするという必要はないのではないかというようなことを感じていたわけであります。   これもどこかで議論されたかもしれませんけれども,例のカフェー丸玉事件は自然債務で処理したわけですけれども,あの事件も心裡留保で解決することもできたんだろうと思いますし,そうすると,心理留保に自然債務的な処理を持ち込むということもおかしくはない。その効果,先ほど言いましたのは,払ったものまで取り戻す必要はないだろうということなんですが,心理留保は相手方悪意又は過失ある場合でも無効にする必要はなく,表意者に履行拒絶権だけ与えればいいのではないかと思うのです。これは自然債務的な考え方ですけれども,そういうの考え方を心理留保に持ち込むこともあり得るのかなと思いました。更に言うと,その後第三者が出てきたときの効果についてどう結び付けるかという問題も関連するし,何か心裡留保はもうちょっといろいろ難しい問題はたくさんあるのではないかということで発言させていただいたということです。 ○鎌田部会長 分かりました。   それでは,今,言及もありました第三者保護規定についての御意見も併せてお伺いいたします。 ○高須幹事 ここも実は狭義の心裡留保と非真意表示に分けるかどうかとも絡むんだろうとは思いますが,出発点としては,心裡留保の場合には,意思の欠缺を本人が知っているという部分では共通しているというところを考えると,本来的には,いわゆる帰責性というような観点から見たときには,錯誤の場合とは少し状況が違うんだろう。要するに,知っている上での発言だということでは,本人の帰責性がそれなりには認められる。そういう意味では,第三者保護規定との兼ね合いにおいても,必ずしも善意無過失を要求する必要はないのではないか,善意のみで足りるという場合もあるのではないかというふうに,まずスタンスとしては思います。   ただ,そこで先ほど来の議論の中での狭義の心裡留保,欺罔型の場合にはこの議論はぴたっと比較的当てはまると思うのですが,非真意表示のような場合,気が付いてくれるぐらいのやや軽率な部分で心裡留保したという場合まで第三者保護規定の無過失を外してしまっていいのかどうか,これはちょっと悩ましいところでありまして,仮に先ほどの議論のところを二つのタイプに分けるとすると,非真意表示に関しては無過失に関しても考える余地があるのかな。むしろそういう立場を採られる先生方はそこをどうお考えになっているんだろうかということを伺ってみたいと思っています。原則は第三者保護規定は善意のみでいいのではないかというのが一応の考えではあります。 ○鎌田部会長 甲案の支持者の方はどう考えているかという御質問ですけれども,山本敬三幹事,又は潮見幹事から。 ○山本(敬)幹事 これは心裡留保だけの問題ではなく,前からこの第三者保護規定に関してはできるだけ一貫した整合的な考え方によって規定すべきだとされてきたところですので,まとめて意見を申し上げたいと思います。  心裡留保に限らず一般的に,第三者保護規定については,やはり第三者の善意無過失を要求するのが基本になるのではないかと思います。ここでは,表意者から権利を奪うことを正当化する必要がありますので,第三者の信頼もそれを正当化するに足りるだけの理由があるものに限られる。つまり,原則として,善意無過失である必要があるというのが基本であると思います。  ただ,それが原則だとして,ではどのような場合に例外を認めるかというのが,次の問題となります。この点については,心裡留保,そして次の虚偽表示がそうですけれども,表意者が故意に誤った表示をした場合には,そのような知りつつわざと誤った表示をした表意者が第三者に対して,「自分のした意思表示を信じないように注意せよ。その注意を第三者は怠ったのだから,第三者の信頼は保護に値しない。」と主張できるとするのは,やはりおかしいと思います。つまり,心裡留保,そして虚偽表示に関しては,第三者は善意であれば,過失があったとしても保護されるという例外を認めてもよいと思います。   ここで,表意者側の帰責性が大きいか小さいかということを議論し出しますと,どんどん細かくなっていっていきますし,何よりどの程度の帰責性があればどうなるかということが決まらないと思います。その意味で,どのような場合に例外を認めるかという考え方として私が今申し上げたのは,「自ら故意に誤った表示をした者は,第三者に過失があることを理由として意思表示の無効を主張することは許されない」というべきものでして,そのような考え方を基礎にすれば,心裡留保と虚偽表示の場合については,第三者の保護要件は善意に限られるということが出てくると思います。 ○潮見幹事 私も基本的には山本敬三幹事が述べたことと同じように考えております。善意無過失という要件をいかに本人の表意者の利益と相手方の利益を調整しながら緩和していくのかというのがここで問題であって,そのときに高須幹事が言われたような配分の枠組みも私はあるとは思います。ただ,従来言われている心裡留保というものでは,先ほど乙案を支持する方々がたくさんいらっしゃったところからも推測はつくんですけれども,恐らく非真意表示というものを想定して,その上で非真意表示においてあるべき第三者の保護というものを考えたときにどのような主観的要件が望ましいのかという観点から議論していたのではないでしょうか。そのときに,非真意表示の第三者保護を善意要件で処理するのが双方の利益衡量上好ましいとの判断をしているということであるのならば,仮に甲案のように狭義の心裡留保と非真意表示とに分けたとしても,主観的要件でも分けて考えるというところまで踏み込む必要はないと考えておるところです。 ○鎌田部会長 ほかにこの点についての御意見ございますでしょうか。 ○松岡委員 一言だけ申し上げます。   甲案と乙案のいずれを採るかはなかなか微妙な問題で,私はまだ態度を決めかねていますが,第三者保護の規定の在り方は,先ほど山本敬三幹事がおっしゃったとおりで,基本は善意無過失が必要だが,過失を問題としないでよい場合もある,という整理ができます。それゆえ,甲案と乙案のいずれを採るかに関係なく,ここでは善意のみでよいという意見でございます。 ○鎌田部会長 今のところ,高須幹事の御意見もありますけれども,基本的に甲案でいいではないかという御意見が有力です。 ○高須幹事 私も決して無過失を必要とすべきと言っているわけではなくて,仮に最初の論点のところで二つに分けたときに,非真意表示のほうは無過失を要求するという考え方もあるのかしらと聞いただけですので,先生方の今教えていただいた内容で得心しておりますので,ここでは過失を議論する必要はないということで全く異存はございません。 ○中井委員 ほぼ出ていますけれども,弁護士会の意見は,ほとんどが甲案であったということだけ申し上げておきます。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいでしょうか。   それでは,第三者保護規定に関しましては,本日の御意見としては甲案を支持するという意見以外には特に表明をされていないということで,よろしければ,次に進ませていただきたいと思います。   次に,部会資料27の第3,「2 通謀虚偽表示」について御審議いただきます。   事務当局から説明をお願いいたします。 ○笹井関係官 「2 通謀虚偽表示」「(1)第三者保護要件」については,善意で足りるとする甲案と,善意に加えて無過失を要するとされる乙案が考えられます。   「(2)民法第94条第2項の類推適用法理の明文化」については,物権変動法制への影響にも留意しつつ,今後,検討を継続するかどうかを含めて御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分について御意見をお伺いします。御自由に御発言ください。 ○松岡委員 それでは,今の2点につきまとめて発言をさせていただきます。   1点目につきましては,先ほどの心裡留保の場合の第三者保護規定と同じ考え方を採って,故意に人を惑わす外観を作出しているという極めて帰責性の大きい通謀虚偽表示においては,第三者に無過失を要求する必要はないと考えております。   もう1点,民法94条2項の類推適用法理の明文化については,本日,文章を用意させていただきましたので,これを基に少し補足をして申し上げたいと思います。   具体的にどのような案を考えるかを示さないことにはなかなか検討が進まないのではないかと思い,文書のような四角で囲んだものを一つの案として提起させていただきました。   「はじめに」のところはお断りを申し上げているだけですので,省略させていただきます。提案要旨はここに書いたとおりで,94条2項の類推適用は,判例法理の中でも極めて重要な判例法理であり,権利外観法理として認識されていると思います。そういう権利外観法理の判例による発展が条文からはうかがい知れない状態よりも,大まかな趣旨でもいいから条文として示すほうが民法を国民一般に分かりやすいものとするという改正諮問の趣旨や方向には合致するように思われます。   権利外観法理の核心は後にも申し上げますが,一つは,94条の通謀要件を不要とするということ,もう一つは,権利外観の作出が故意による場合と,必ずしもそうではない場合では,帰責性の程度に違いがあって,それに対応して第三者の保護要件も単に善意で足りる例外的な扱いをするのか,それとも善意無過失まで必要とするのかが分岐する,すなわち,帰責事由と保護事由の衡量がされている点にあろうかと思います。それ以上に細部の類型を規定化することは実際極めて困難でありますし,個々の判例の判断にも,後で申し上げますように賛否両論の評価があることから,必ずしも適切とは思いません。むしろ限定の方向性を示した上で,具体的には判例・学説による今後の解釈運用に委ねる要件設定をするほうが望ましいと考えております。   先ほど笹井関係官からも御指摘がありましたが,従来の議論の中では,物権変動法制との関係で今回の改正作業で取り上げることは困難だという指摘があるのは重々知っております。ただ,この権利外観法理は,ほかならぬ民法総則の通謀虚偽表示の規定を手掛かりに発展をいたしておりまして,登記以外の権利外観についても実際に適用例があります。正に民法総則中に規定するにふさわしい一般法理ではないのかと思います。   御意見の中には,例えば,物権変動法制との関係では,更に権利取得者に登記具備を必要とするかどうかなどを考えるべきではないのかというものもあります。しかし,それは一般的な権利外観法理の特則として登記が関係する場合をどう考えるかという問題であり,むしろ特則の基礎として総則中に原則規定が置かれるべきだろうと思います。そうせずに,ここで問題を棚上げないし先送りにしますと,今度は物権法制を議論するときになって,一般原則がきちんと了解されていないのに,特則だけを設けることはできない,というふうに結局明文化が見送られることになるのではないか,と恐れております。   また,理念的な反対としては,権利外観法理というのは飽くまで無権利の法理,すなわち「何人も自己の要する以上の権利を他人に与えることはできない」という大原則の例外なので,例外を緩やかな形で規定することは,大原則が軽視されることにならないかという懸念があり,こういう御理解によれば,例外則である以上,権利外観規定には厳密な要件設定が必要だとお考えになるのだろうと思います。   しかし,水掛け論になってしまうかもしれませんが,判例による解釈適用のみに委ねて,例外則の基準すら明示されていない状態が続くことこそがむしろ大原則のなし崩し的な空洞化につながるおそれがあるのではないかという言い方も可能なのではないかと思います。   少し端折って次に進みます。部会資料27の31ページに紹介をされておりますように,94条2項の類推の場合には,単純な類推のほかに民法110条の法意を加味し,あるいは同条を類推適用して第三者に善意無過失を必要としているそれ以外の類型,すなわち意思外形非対応型と呼ばれる類型がございますし,最近では重過失の場合も同様に処理する判例も登場しています。こういうふうに類推適用の外延や類型がまだ確立していないために条文化は時期尚早で,自己外形作出型のみを規定するのは,判例法理全体をカバーできないため適切ではないとの御意見があります。   確かに私も一部のみを,つまり自己外形作出型のみを規定化するのは,やはり中途半端だろうと思います。ただ,最初に申し上げたように,判例法理は極めて大まかに申し上げますと,権利者自身が虚偽の外形を作出していなくても,すなわち,いわゆる意思外形非対応型であっても,権利を失うだけの帰責根拠があれば足りて,そのように帰責事由を緩めることとの関係で,第三者保護の原則に戻って,第三者の保護事由に無過失を追加したと理解できます。   そもそも類型は余り事細かに条文化する必要はなく,条文化しますと適用の限界や類型相互の関係がかえって明確ではないという難点が生じます。それを理由に規定化を断念して解釈運用の手掛かりが条文に表れない現状を維持するよりは,抽象的な方向性であっても,条文に明記をしてこれまでの判例を踏まえた解釈運用を今後の判例・学説に委ねるほうが少しでも規律の透明性や明確性が高まってよいと思います。ただ,民法改正研究会の案は「外形の存在に責めに帰すべき事由を有する」という定式を提案しておりますが,これには広がりに限定がなさ過ぎて危ないとの御指摘がございます。これはもっともな御批判と思いますので,それを考慮いたしまして,今回の提案のアンダーラインを引いたところは私個人の案でございますが,判例法理の展開が飽くまで通謀虚偽表示から出発し,それと同等の帰責性があることに限定されていると考えまして,類推適用には虚偽の外観作出に類比できる程度の帰責性が必要であり,その限界は運用に任せるという形で提案しております。   書面の最後の段落は,現在の判例自体について賛否両論がありますから,やはり余り固定化するのは望ましくない旨を蛇足的に申し上げているものです。読み上げは省略いたします。 ○鎌田部会長 中井委員からもペーパーが出ておりますので,御説明を頂いて,併せて議論の対象にしたいと思います。 ○中井委員 私の提案は,「虚偽表示の要件を満たさない場合であっても,自ら真実に反する権利の外形を作出した者は,その権利が存在しないことを善意の第三者に対抗することができず,真実に反する権利の外形の存在に責めに帰すべき事由を有する者は,その権利が存在しないことを善意無過失の第三者に対抗することができない」ものとしてはどうか,という意見です。弁護士会の意見が全く一致しているわけではありませんけれども,この94条2項の類推適用というのは,判例上といいますか,日常業務の中で多く現れている事案であることは間違いがない。それが条文として全くないというのは,不親切で,この機会に何らかの形で条文化に努力すべきであろうという基本的な考え方です。   私は,その他の条文についてもそうですけれども,細かな詳細化,類型化をすることについては,基本的にいかがなものかと思っております。したがって,ここの94条2項の類推適用を条文化するに当たっても,できるだけ要件を抽象化した形で条文化するのが好ましいと思っておりまして,そこで,参考にさせていただいたのは,民法改正研究会の案です。   ただ,松岡委員が「責めに帰すべき事由」のところを修正はされているんですけれども,この修正をされると,第一の場合,つまり自ら真実に反する権利の外観を作出したものと同視できるとすれば,それだけ重大な帰責性というか原因作出に関与していることになるので,善意と善意無過失のこの対応関係がそれでいいのかというふうに感じる面がございます。ここは詳細化の段階の問題かもしれませんのでそれ以上立ち入りません。   それから,私は,94条2項の類推適用の問題と併せてといいますか,更に権利外観一般法理について何らかの形で民法上表明すること,そのこと自体意義があるのではないかと思っています。ただ,この点は,前回の部会でも御指摘もありましたけれども,言うだけではだめで,言うとすれば,もっと具体化した案を出すべきですが,いまだ具体化したものはお示しできません。それでも,更に検討する価値があるのではないかと思っております。 ○山野目幹事 部会資料30ページの94条2項の類推適用法理の明文化について意見を述べさせていただきます。   ただいま松岡委員,中井委員が,積極の方向でそれぞれ詳細な理由づけを添えておっしゃられたことは,それら自体については十分に理解することが可能であると感じます。そのことを申し上げた上で,しかしながら,私からは,94条2項の類推適用法理の明文化をお考えになるに当たっては,是非とも,そのことは慎重であっていただきたいという意見を申し述べてさせていただきます。   事柄は,これから考えようとする民法の規律が十分に静的安全の保護,静的安全への配慮に拠って立っているものであるか,ということに関わるものであって,それだけに慎重に扱われることが必要であるというふうに感じます。   外形の存在について責めを負うというふうな言い方は,判例の取り扱ってきた解決の総合的な表現としては,確かにそうかもしれませんけれども,そのように抽象化してしまうことで,果たして適切な規律として法律の法文として仕上げていくことができるかということについては,疑問を感じます。それをまた改良しようとして,同視することができるとか,類比することができる,とかというふうな表現を用いることによって彫琢していくということは十分に考えられるところではありますが,しかし,同視といい,類比といっても,果たしてそれが法制上受け容れられる表現で,裁判実務上もそれを使いこなしていけるものかどうかということについては疑問が残りますし,その困難を克服していくことができるかということについても危惧を禁じ得ません。   今し方,正に94条2項の類推適用法理の明文化に積極的な意見をおっしゃったお二人の委員の間で,この類比ないし同視という表現についての見方が分かれたということについても十分御留意いただいた上で,慎重にお進めいただきたいというふうに切望するものでございます。 ○笹井関係官 山野目先生の御意見とはちょっと違うところですけれども,松岡先生,中井先生から出されたペーパーにつきまして少しお尋ねしたいことがございます。それは,松岡先生と中井先生から具体的な条文案が示されているところでございますけれども,意思表示に関する規定と位置付けることを予定されているのかどうかということです。というのは,民法第94条第2項は,通謀虚偽の意思表示をした場合に関する規定として「意思表示」の節に入っているわけですけれども,松岡先生,中井先生の条文案ですと,必ずしも意思表示関する規定というわけではないと思いますので,同じ節の中に入れることが適切であるかどうかということが問題になってくると思います。   不動産に関する裁判例は,これは必ずしも意思表示を信頼したということではなくて,登記という権利の外観を信頼した場合に関するものと考えられますので,松岡先生の提案要旨のところでは,通謀要件を不要とするという提案理由が述べられておりますけれども,そのことに加えてもう一つ,民法第94条第2項との断絶があるのではないかと思います。そのこととの関係で,意思表示のところに置くのかどうか,もし意思表示に関する規定ではないとすると,これを民法総則に置くべきなのかどうかということについて確認させていただきたいということです。   あと,そのことと関連するのかもしれませんけれども,「民法第94条の要件を満たさない場合でもあっても」という文言が要件上どういう意味を持ってくるのかということも併せて教えていただければと思います。 ○松岡委員 非常に難しい御質問です。この点を議論していた民法改正研究会でも,そもそもこの規定を飽くまで94条の意思表示の延長線上で発達してきたものであるから,意思表示の個所に置くべきだという意見と,今,笹井関係官が整理していただいたように,そもそもそれは意思表示とはもはや無縁な,正に権利外観という新しい法理として位置付けられるべきで,更に人によっては,むしろ物権法の世界に置くべきものだとの理解もございます。そのために置く場所として,94条に続けて置くという案と,全く独立させて権利外観という節を立ててそこに1か条だけ置くという案と,さらに,そもそも物権法に置くべきで,民法総則には置くべきではないという案の3案があり,どれも成り立ち得る意見だろうと思います。   今ここで御提案申し上げましたのは,その3案の中では,第1案と第2案の中間的な案になっております。権利外観という表題をつけるところで意思表示から少し離れていることを示しつつ,しかし,それは飽くまで94条2項の類推適用という形で発達してきた判例法理を条文の形で定着させるものと位置付け,独立した節に置くわけでも,物権法に置くわけでもなく,できれば94条の隣に置きたいというものです。   先ほどの「94条2項の要件を満たさない場合であっても」というのはどういう意味合いを持つのかという御質問に対してお答えしますと,要件としての意味合いはないと言わざるを得ず,94条の次にこの条文を置くことを表現するものです。 ○中井委員 私が,意見を二つに分けた理由が今の点と関係すると思うのですが。94条2項の類推適用をまずは条文化,明文化したいという考えをお示しした。そのときの位置付けとしては,確かに意思表示,法律行為のところに置くのが適当かどうかという問題がある。しかし,94条2項の類推適用として発展してきた歴史的経過を考えれば,普通にはその後ろに,松岡委員がおっしゃられたように,外観法理という名前を入れるかどうかはともかくとして,そこに置くのが素直であろう。これに対し,第一読会の議論の中で,山野目幹事からも御発言がありましたけれども,このような規定をここに置くことについては相当の疑義が示された。したがって,これが取り入れられない,ここで明文化が見送られたときのことを思いますと,更に,いわゆる一般外観法理についてこの場所ではなくてもっと総則的なところで明文化するということ自体は可能であろうと,そういうことで,この後半は予備的な申出であったわけです。しかし,一つの在り方としては,外観法理一般があって,その次に94条2項類推適用を具体化した条文があってもおかしくないと思っております。 ○鎌田部会長 適用範囲と言いますか,何を想定しているかということについてお伺いします。94条2項の類推適用法理の明文化ということなんですけれども,94条2項類推適用判例は,基本的には不動産に関連して展開してきたんですけれども,少なくとも御提案の文言からは,別に不動産であろうが,動産であろうが,債権であろうが,それは全部適用されるんだ,そういうふうに見えるんですけれども,その点はどうお考えなのか,中井委員,松岡委員それぞれ。 ○松岡委員 私は既に御説明申し上げたつもりであります。鎌田部会長がおっしゃるとおり,94条2項の類推適用の中心となったのは,確かに不動産に関する権利帰属の問題であります。ただ,必ずしもそれに尽きるものではないことを意識しておりますので,民法総則に置くとの提案になってございます。 ○鎌田部会長 例えば,動産の場合であっても,192条で即時取得を主張してもいいし,92条2項類推適用で善意による権利取得を主張しても,それは自由であると,そういうものとしてこういう制度を想定するということでしょうか。もちろん要件次第ですけれども。 ○松岡委員 今きちんと御質問の中身が頭に入っていないので,ひょっとしたらずれたお答えになるかもしれませんが,一般的に複数の制度があり,それぞれ要件が異なっている場合には,必ずしも常に請求権単純競合説に賛成というわけでもないのですけれども,特段の理由がなければ,要件を満たせば,どちらを主張することも可能であると考えております。  御指摘の例では,占有に与えられる推定を用いる192条の主張をする方が占有者には一般的には有利ですが,過失があると認定されそうな場合には,真の所有者に通謀虚偽表示に類する外観作出上の重い帰責性があることを主張・立証して,過失の要否を問題にしない外観法理を援用できて良いと思います。 ○中井委員 この規定を設けないというお考えをお持ちの方も,この法理自体が存在することは恐らく承認されていると思うのです。だとすると,この法理が民法の条文の中にどこにも出てこない,94条2項のところにも出てこないし,物権法にも総則にも出てこないということになるわけです。しかし,この民法改正の諮問段階からの議論ですけれども,民法が一般国民から見て分かりやすいようにしましょうというのが基本的にここで了解されているとすれば,一般に承認された,若しくは判例法上認められている法理について今後どのような機会に,どのような場面で条文化をしていくのか,若しくはそもそも条文化していかないのか,その辺りの基本的な方向性,お考えについてもし御教示いただければ有り難いのですが。 ○山野目幹事 2点申し上げさせていただきますが,一つは,具体の素材を扱う判例ないしは判例実務という観点から申し上げますと,ほかの問題でもそうだと思いますが,こと権利外観法理に関する問題については,現実社会にどのような事象があるか,ということを十分に立法の検討に際し把握した上で,それを明文化することが望ましいと考えられますところ,そのことについて自信を持つことができる状況になっているのであれば,中井委員がおっしゃるように,分かりやすい民法という見地からいって,それを明文化することにやぶさかであってはならないと思います。しかし,この問題に関しては,松岡委員のペーパーに正に御紹介いただいていますが,平成15年の事件や平成18年の事件は,あれはああいうものが起こる前から,多分こういうことがあるだろうということを書いていた概説書なり文献というのは見当たらないのでございまして,あのようものに接して初めて裁判所が悩んで,それぞれの事案について現実に,これらの15年と18年は微妙な判断をしたものでありますけれども,そのような判例上実務の中で,これからまたもう少し待って育てていかなければならないという未成熟な問題状況にあるというふうに,そこのところは人によって意見が分かれるかもしれませんけれども,私は感じておりまして,そういう状況の中で権利外観法理について立法することは危ないというふうな気持ちを抱いております。   もう一点添えますと,それとは別な観点ですが,現在の民法の中では,外形を前提として権利を取得した者の保護に関しては,94条2項の類推ではない別な観点から,例えば,32条1項後段,545条1項ただし書,909条ただし書のような規定がございます。権利外観の問題に触れるときには,そのような所々の規定との関係,必ずしも不動産物権変動法制だけではなくて,今申し上げたようなものまで目配りした上で総合的な法制上の体系的整合性を確保した上で初めて着手されるべきことであるというふうに感ずる部分もあるものでございますから,その点も申し添えさせていただきたいと考えます。 ○道垣内幹事 まず,権利外観法理というものの一般的な規定を置くということ自体に私は反対です。それぞれのシチュエーションでどのような要件の下で保護されるのかということは変わってきてしかるべきであって,およそ一般的な権利外観法理というものが民法上存在しているとは私自身は思っておりません。   その上で,笹井関係官がおっしゃったお話,さらには,鎌田部会長がおっしゃったお話に関係するのですけれども,そのような一般的な権利外観法理ではなくて,94条2項の類推適用法理を条文化することには異論はないのですが,そうなりますと,94条2項の類推適用法理というのは何であるのかということが問題になります。そして,それは不動産を中心にして発展してきたということからも明らかなように,一般的には,例えば,AさんとBさんとの間で所有権の移転がないにもかかわらず,AさんからBさんへの所有権の移転登記が行われて,Bさんが現在所有者の名義を有している。このときに,信頼の対象となるのは何なのかというと,Bが所有者であるという権利の外観ではなくて,A,B間で所有権の移転の意思表示がなされたことの意思表示の存在だろうと思います。だからこそ意思表示の規定のところにそれが存在しているのだろうと思います。   そう考えますと,今回,私が対案を出さないでおいて,松岡委員を批判するのは大変恐縮なのですけれども,松岡委員が今回出されたような「権利の外観を作出した者が権利の存在しないことを善意の第三者に対抗し得ない」といった形のルールを94条2項の類推適用の問題だとして捉えますと,正に鎌田部会長がおっしゃったように,それでは,動産に関してAが所有者であるときに,Bが占有を有しているというときに,これに当たるんですかという問題になり,即時取得は善意無過失なのに,なぜここは善意なんですかという問題が出てきてしまう気がするわけです。繰り返しになりますが,私は一般的な権利外観法理を規定するのは反対であるが,94条2項の類推適用法理は規定すべきであると思います。しかし,そのためには,意思表示が存在するという外観を信頼したというところで現在までのところの限界は画するべきであると思います。更にそれが類推適用され,ないしは拡大されてきて,意思表示の存在が背景にはないという事案ではあるけれども,事情によっては第三者を更に保護しなければならない場合が判例ないし学説によって将来的に発展してくるというのはあるかもしれないのですが,現在までの段階のところでは,およそ権利外観法理の一般規定のような形で94条2項の類推適用法理を条文化するということには賛成できません。 ○能見委員 これは,どういう基本的なスタンスを採るかということと関係しますので,まずその点について申し上げますと,私も山野目幹事ほどではないのかもしれないんですけれども,やはり静的な安全というものの保護は十分なされるということが重要だと考えております。判例では確かに取引の安全に配慮するという形でどんどん広げられてはきていますけれども,取引の安全の保護が少し広くなり過ぎているのではないか。特に不動産に関してはそれ自体非常に重要な権利ですので,そういう意味では静的な安全が十分図られることが重要で,そういう前提をとった上でどこまで類推適用の法理が条文化できるのかという観点で考えるのがいいのではないかと思っております。   仮に類推適用の法理を明文化するとしても,この点,道垣内さんと同じですけれども,やはり意思表示のところの規定として設けるということで,権利外観法理そのものをここで規定するという方針は採らないほうがいいだろう,それについてはもっと慎重で在るべきであるということです。   では,意思表示の規定として設けるとなると,どういう規定が可能なのかというのは,これはちょっと文言を後でまた詰めてもらえばいいことだと思いますが,基本的な考え方としてそういう方針を採るべきだろうと思います。   次に問題となるのは,これまた先ほどの基本原則との関連になってきますが,第三者を保護するときの要件が,私はこの松岡さんの善意無過失という要件のほうがいいだろうと思っているんですが,ここがやはり実質的には重要で,ここが余りむやみに広がってしまうのは適当ではない。権利外観の法理という観点から判例を見る説も有力ですが,94条2項の類推適用の法理が判例で展開はされている現状をにらみつつ,しかし,それがむやみに広がらないように,それなりに安全な道を採って規定を設けるというのがいいのではないかという感想を持っています。 ○鎌田部会長 今二つの問題が同時に議論の対象になっているかと思います。権利外観法理あるいは表見法理一般についての一般原則を規定するという案が一つと,それから94条2項類推適用に関する判例法理をリステートして,場合によってそれを拡張する余地も認めた上で提案としてここに置いていくという,この二つの提案がされているわけですけれども,表見法理一般,権利外観法理一般についての規定を置くことについては,全体としては消極の意見が多いように承っておりますけれども,この点についてほかに御意見があればお出しいただければと思います。よろしいですか。 ○神作幹事 権利外観法理あるいは94条2項の類推適用は,商事の場面でも使われることがございまして,意思表示に限らず一般的に権利外観という場合には,権利外観の存在自体に非常に客観性の高いものから低いものまでいろいろな状況があり得ます。すなわち,真の権利者の帰責性と相手方の要保護性という考慮要素のほかに,権利外観の存在自体の客観性をどのように評価するのか,という問題があり,以上の三つの関係が問題となると思います。したがいまして,もし権利外観法理をルール化するとしたら,そのような権利外観の客観性の程度についても考慮に入れてルールを作る必要があるのではないかと感じたところでございます。 ○鎌田部会長 分かりました。この点は中井委員も一般原則を作るということについて非常に強くこだわっていらっしゃるわけではないようにも承りましたけれども。 ○中井委員 素直に申し上げれば,まずは94条2項の類推適用の条文化ということを第一義的な位置付けとして申し上げております。これは実務に照らし,判例に照らしてという意味です。できなかったら次にというのは非常に難しいなという基本的な認識は持っておりますが,難しいと思いながら,しかし,そういう一般理論というのは,ほかにも適用する場面がたくさんあるので,そういうものを置けないのかと思っています。 ○鎌田部会長 次に,94条2項の類推適用を何らかの形で民法の中に定着させるとしたら,それはどういう形式になるのかということについてはかなり様々な御意見が出されているところでございますが,それでも現実にそういう判例が機能している以上,法律の中にそういうルールを置くべきであるという意見と,外延が不明確というのか,中身がまだそれほどかっちりと決まったわけではないから,今の段階では慎重に対処すべきであるという御意見が出されているように承っておりますけれども,この点については。 ○山本(敬)幹事 質問だけをさせていただきたいのですが,仮に松岡委員あるいは中井委員が御提案されているような形で類推適用法理を明文化した場合に,その次の問題ですけれども,将来,物権法を改正する機会を得たときに,そこで不動産取引ないし物権一般の取引について何らかの規定を明文化することになるのか,仮になるとして,それとこの94条2項の類推適用法理を明文化したものとの関係がどうなるかという将来の見通しも非常に重要だと思いますので,併せてお聴かせいただければと思います。 ○松岡委員 仮定的なかなり中長期的な話ですので,それほど確信ないし自信を持って申し上げることはできません。提出した書面の中で少し触れておりますけれども,こういう案を物権法制として規定すべきだという意見の中には,正面から公信力規定を認めたほうがいいという意見もありますし,さらには,対抗要件主義を維持するかどうかにも関わってくるのですが,対抗要件主義を維持するとしても,権利保護要件としての登記を取得していることが保護される信頼の要件であると考える方もいらっしゃいます。その辺りまだ様々な考え方があり得ると思うのですが,民法総則に置いた一般的な規定を更に物権変動法制や登記という特別な権利外観との関係でどういう特別規定とするかというふうに,私は現在,2段階で考えており,今御提案しているのは,その第1段階の原則規定でございます。 ○鎌田部会長 先ほどの神作幹事の御指摘にも関連するんですけれども,やはり94条2項類推適用法理というのが,登記に対する信頼というものが基礎にあるからこそ発展してきたんだというものとして捉えると,本来,商事のところにあるよりは,登記に関連するところにあるほうがふさわしいというふうな考え方も採れるんだろうというふうには思いますけどね。 ○潮見幹事 今の鎌田部会長の御発言ですと,94条2項の類推適用という枠組みで,先ほど道垣内幹事が言われた捉え方とはちょっと違った観点から94条2項の類推適用法理というものが捉えられているように思われます。つまり,不実の登記というものに対する信頼という枠組みで94条2項類推適用というものが捉えられているのであって,これに対して,道垣内幹事が言われたのは,外形を作り出した意思的な行為という面に注目をした信頼保護という枠組みで94条2項類推適用という問題を捉えるべきだという考え方ではなかったかと思います。こうした捉え方の微妙な違いを見ていますと,一口に94条2項の類推適用という枠組みでルールを作るといっても,それぞれにそれぞれのお考えがいろいろあって,必ずしも現在の段階で衆目の意見が一致しているのではないのではないかというところが気になりました。   それからもう一つ,これは先ほどの93条の信義則のところで,甲案に理解を示された方々にお尋ねしたいところがございます。その中で出された意見の中で,要件や効果が明確ではないルールというものを今回の改正で入れるのが果たして好ましいのか,そういうものが裁判規範として使えるのかというものがありました。そういう発言をされた方々は,ここで,先ほど松岡委員の発言の中にありましたが,要件・効果というものについてはなおこれは少し緩やかにしておくという観点から,基本ルールという形で権利外観のルールを立てて,民法規定に置くべきであるという方向に対して,それでよいというようにお考えなのかどうかというところを,お聴かせいただければと思います。 ○岡崎幹事 今の点についてですけれども,私の意見としては,山野目幹事の御意見に賛成しておりまして,したがって山野目幹事も既におっしゃっておられるところではございますが,94条2項の類推適用が訴訟上主張される事案というのは,千差万別でございまして,それを学説において幾つかの類型に分けて説明されているという状態と思っております。加えて,平成15年とか平成18年の判例の事案に見られますように,従前の学説の類型分けでは説明が十分つかない事例もあるわけでございまして,そのような場合には,判決の中でいろいろと工夫がされているというのが実務の現状だと考えております。   以上を踏まえまして,松岡委員の御提案を拝見しますと,松岡委員の御提案の第2項のところで一つ工夫がされておりまして,前項の場合と同視できるときはというような文言を使うことによって,かなり包括的に網を掛けることができるようになっていると思われます。ただし,この工夫について他方で懸念されるのは,判例や裁判例などからうかがわれる訴訟に出てくるような,あるいは日常の紛争で出てくるような94条2項の類推の事案全てを包含しようとすると,どうしてもその規定に抽象的あるいは曖昧な部分を残さざるを得ないことになるということでございます。そういう意味で,仮に94条2項類推適用について規定を設けるとすると,その要件が明確になるのかどうかというところは懸念があるところでございます。 ○鎌田部会長 潮見幹事の御発言の前半のほうに関して言えば,私,個人的には,道垣内幹事の考え方と全く同じ考え方をしているんです。ただし,そういった94条2項の基本構造の上で類推適用法理をなぜ拡張しながら使っているのかという実質的な背景については,やはりそれは一般的な外観に対する信頼とか,商事に対する信頼ではなくて,不動産登記に対する信頼というのは,これはもうほかの権利外観に対する信頼とは全く異質なものであるということがあり,かつ登記に公信力がないという法制度の下もとで,先ほどのような構成を使いながら,不動産の分野にだけ発展してきた法理というふうな,そういう捉え方をしているので,物権法の側で正面から登記に対する信頼をどう保護するかということが問題になってくるんだったら,そこでこの問題に対処すればいいという,そういう趣旨であります。 ○中田委員 今の御発言について1点だけ御確認なんですけれども,登記に対する信頼というときには,権利の帰属についての信頼なのか,物権変動についての信頼なのか,そこを。 ○鎌田部会長 現行法の下では,私は権利変動,その基にある意思表示に対する信頼という構成を採っているというふうに理解しています。今後どうするかという話ですと別の考え方もあり得ると思いますが,現行の物権変動理論と不動産登記制度を前提にしていく限りは,登記からうかがわれる権利帰属に対する信頼ではなくて,登記されている物権変動に対する信頼という構成を採るのが現在の物権法の下では適合的だろうと考えています。 ○高須幹事 94条2項の類推適用法理の明文化の問題でございますが,私どもは基本的には判例が非常に長い年月を掛けて,比較的きめの細かな類型的な判断を示してきたということは,やはり尊重されるべきだろうと,まず,そう思っております。したがって,ここでは,現在,どのような判例法理が形成されているのかということをないがしろにしてはならないと考えます。   ただ一方で,判例に引き続き任せればいいのかというところに関しては,やはり今回,民法の改正をしようということでございますから,この間,判例が作ってきた法理を明文化して,可能な部分においては条文を見れば分かるようにするという作業はやはり大事なことではないかと思います。94条2項類推法理は,安定,定着した法理ではないかと思っておりますので,外延が不明確な部分は,これからも判例によるいろいろな判断が必要になってくるんだろうと思いますけれども,ある程度,明確化された部分に関しては明文化するということはなされてもいいのではないかと思っております。   その限りにおいて,現在の判例法理が第三者保護規定の関係で善意のみで足りるとしているケースと,善意無過失を要求しているケースがある。条文上は110条という言葉を引き合いに出しながらということだとは思いますが,結論においてはそういう判断をしているという点は,やはり尊重されねばならなくて,今回の明文化に当たっても,そこが曖昧にならないようにきちんと書いていくべきではないか。書けるのかという疑問はあるのかもしれませんが,ただ,判例法理はこうなっていますよと通常,学生に教えているわけですから,学生に教えている内容が法律に書けないわけはないと思います。本日,条文案を用意しているわけでも何でもありませんけれども,みんなで知恵を出し合えば何とかなるのではないかと,このように思っております。 ○内田委員 94条2項の類推について議論がずっと続いていて,その前の論点の94条2項本体の第三者保護要件については,判例通説である甲案が当然の前提として議論が進行したように思いますが,もし類推の議論が一段落したのであれば,その点について一言疑問を申し上げたいと思います。   通謀虚偽表示というのは,道垣内幹事や,あるいは能見委員も御指摘されましたが,意思表示の規定であって,例えば,不動産を譲渡するという売買契約をしたという,その意思表示に対する信頼について第三者を保護するという規定であるわけです。ところが,過去の裁判例は,単に虚偽の売買契約の意思表示をしたということのみでもって第三者を保護するということはほとんどなくて,やはり売買に伴う,典型的には登記の移転という外観があって,それについて信頼した第三者を保護するという形で機能してきたように私は理解しています。純粋に売買の虚偽の意思表示のみを真実だと単純に思い込んだ善意の第三者が登場して,その第三者が保護されたというのであれば,正に善意を要件として保護していることになるのですが,現実の94条2項の機能としては,やはり売買に伴う一定の権利の外観が作られ,それに対する信頼を保護するという形ですので,それは善意と言いながら,実は単純な売買の意思表示だけではなく,権利者であるような信頼に値する外観に対する信頼を保護しているのではないか。これは善意というよりも,むしろ要件でいうと無過失ということも含まれていたのではないかと考えているわけです。   先ほど,心裡留保については善意でいいという議論が大勢であったわけですけれども,それとどこが違うんだという議論はもちろん論理的にはあると思うのです。しかし,心裡留保と比べて虚偽表示は,第三者が登場して裁判になる事例が圧倒的に多いわけで,そこで現実に果たしている機能というものを考えますと,やはり単に意思表示が虚偽であることを知らなかったというだけではなくて,権利の外観が信頼に値するものであったということが考慮できるような要件をきちんと書いたほうが裁判はやりやすくなるのではないかと私は思っていたのですが,この点についても御意見いただければと思います。 ○鎌田部会長 94条の類推適用法理につきましては,大体対立点がほぼ明確になってきましたので,判例をきちんとリステートして更に発展的に使えるようなものにすることができるかどうかという点についての検討は続けたいと思っています。   今,内田委員から御指摘のありました,本来の類推ではない,本来の94条2項の第三者保護要件についての御意見ですけれども,これについて関連した御発言があればお願いいたします。 ○潮見幹事 事務局のほうに御説明いただければそれで十分なお尋ねなのですが,29ページの補足説明の4,これは主観的要件についての主張・立証責任が問題にされている説明なのですが,私の記憶違いでなければ,一読の部会の中でこうした提案を支持する意見が委員の中から出ていたのかなというようなところがありまして,出てなければ,なぜこういう4のような説明が今回の資料で付け加えられたのかというのを説明していただけませんでしょうか。 ○鎌田部会長 29ページの。 ○潮見幹事 4に,善意の立証責任は第三者が負うとするのが一般的であるとあって,これは一般に先ほどの高須幹事のお話ではありませんが,大学なんかでも教えている考え方ですが,これに続く,「これに対し」以下の記述部分です。 ○笹井関係官 一読のときの資料に明示的に書かれたかどうか,今記憶が定かではないんですけれども,民法改正研究会試案がこのような案になっておりまして,主張立証責任の所在も条文の文言の書き方に関係してくる論点かと思いましたので,今回こういうふうに記載したということでございます。 ○鎌田部会長 よろしいですか。 ○潮見幹事 一読の中でこういう観点からの御発言というものがなかったものが,ここに出ているというのがどういう御趣旨なのか,何か法務省として特に考えがあってのことなのかなと思ったものですから。発言させてもらっただけです。 ○能見委員 先ほどの内田委員の御意見に対してですが,私は,基本的に今の内田委員の御意見に賛成,まだ十分詰めておりませんけれども,そういう考え方がよく理解できます。先ほど意思表示に基づく問題として94条2項を類推適用するというときに,一方で,虚偽表示に類推するような意思表示があって,判例は確かに登記という外観があって,その上で第三者を保護するわけですが,外観のほうを正面から独立の要件のほうに格上げしていくと,権利外観法理のほうに近づいてくるし,意思表示のほうを重視する,あるいはそちらも一つの重要な要件であるというふうに位置付けると,94条2項の類推適用という形でここに収めることができる。しかし,その上でこの第三者保護の要件を善意にするのか,善意無過失にするのかというところですが,権利の外観というのが,独立の要件になると善意でもいいのかもしれないけれども,そこは余り強く独立の要件までしないで第三者のほうの主観的な要件である無過失のところで受け止めるというのが内田委員の御意見だったと思いますけれども,そういうのに私としては賛成したいと思います。ただ,権利の外観というのが実際上独立の要件的に意識されるようになってしまうと,そうすると,先ほどの無過失の要件というのと重複するような感じもするし,そこら辺をどう考えたらいいかなというのがお話を伺っていて感じた点ですけれども,もし,この点を内田委員から何か御意見があればお聴かせください。 ○内田委員 今,能見委員がおっしゃっていただいたとおりでして,意思表示の規定として置かれていますので,そういう位置付けをきちんと踏まえて規定を置こうとすると,やはり第三者については,無過失要件の中で信頼に値する外観があったかどうかということも考慮するほうが整合的なのではないかと理解しています。 ○中田委員 今の内田委員の発想というのは過失の概念を割と広くして,そこに権利外観を取り込もうというアイデアだと思うのですが,反映させようという…… ○内田委員 外観一般ということではなくて,通謀虚偽表示についてこれまでの判例が機能してきた場面を要件の中で反映しようとすると,無過失を入れたほうがやりやすいのではないかというだけです。それ以上に何か外観法理一般について考えているということではありません。 ○中田委員 承知しました。ただ,その過失の概念に,その人に関するものだけではなくて,外の事情といいますか,相手方の事情も入れるということになりますと,先ほど心裡留保のところで出てきました,誤信させる意図でしたか,それを過失に取り込むのか,独立した要件とするのかというのとパラレルの問題が出てくるような気がするんですけれども,過失概念を割と柔軟に解してよいというお考えでしょうか。 ○内田委員 全く外の事情というのではなくて,これまで,94条2項の類推ではなく94条2項本体についての第三者保護の際に考慮されてきた要素として,第三者が信頼した外観が信頼に値するものであったかどうかという要素があったのではないかと理解をしているわけです。ところが条文には善意とあるので,判例は文言上は善意と言っていたけれども,実は,信頼に値する外観を信じていたかどうかということが考慮されていたのではないか。それを無過失という要件を加えることによって取り込めるのではないかということです。虚偽表示について第三者に無過失要件を加えるべきであるという議論をすると,調査義務を課すのかという批判を受けることがあるのですが,一般的に積極的な調査義務を課すということではなくて,やはり登記すら移っていない,ただ売買契約をしたとだけ言っているという場合は,普通ならば本当なのかと疑問に思うのではないか。その場合は少し調べる必要があるだろう。しかし,登記まで移っていれば,本当だと信じてもいいだろう。そこの考慮を要件の中に入れられるようにしてはどうか,ということです。 ○松岡委員 すみません,混乱させるような発言になるかもしれませんが,内田委員の過失の理解と少し異なりまして,私は,過失の前提として義務を問題にしている限り,やはり一定の調査は必要だということを間接的に述べていることになると思います。そして,無過失というと,あたかも非常に重い要件を課したように見えますが,それは注意義務の程度の問題と関係してきまして,通常の合理的な取引者であればどれほどの注意を払えばいいのかということを標準として考えれば,無過失と判断されることも少なくないでしょう。今,内田委員が触れられた登記すら見ていないとか,それから不動産の取引で現地をおよそ見分もしていない者には,正に保護すべき信頼がないわけで重過失があり,無過失を要件としなくても,重過失は悪意と同視しても構わないという解釈で十分に対応できるように思います。先ほど内田委員は,心裡留保の場合とは違うとおっしゃいましたが,先ほど山本敬三幹事からも御発言がありましたように,ここの意思表示関連の第三者保護規定の全体としての均衡を考える場合には,むしろ,故意に権利の外観を作出して第三者を惑わせた者が,なぜ,その第三者の僅かな不注意を理由に保護を否定することができるのかという問題として捉えるべきだと思います。そうすると,この場合に無過失を要求するのは,やはり他の第三者保護規定との均衡がとれないと感じます。 ○鎌田部会長 この点も甲案,乙案,この場で一本化できない状態で……山本敬三幹事,どうぞ。 ○山本(敬)幹事 本来の通謀虚偽表示の第三者保護要件について,甲案か乙案かという点については,今,松岡委員がおっしゃってくださいましたように,先ほどの心裡留保について述べた考え方からすると,必然的に甲案になるということは念のため申し上げておきたいと思います。そのほかでは,もう一点だけ,先ほど潮見幹事が指摘されていた29ページの4の立証責任について一言だけ付け加えておきたいのですけれども,よろしいでしょうか。   ここに書かれているのは,虚偽表示に関する旧民法ないしはフランス法の考え方ではないかと思います。つまり,旧民法やフランス法ですと,虚偽表示が問題となる場合に,外形的な行為と秘匿された行為という二つの行為があると考えて,外形的な行為も秘匿された行為もそれぞれ有効であることを前提とした上で,秘匿された行為は第三者に対しては対抗できない。対抗できるのは,第三者が悪意のときだけであるという考え方でできていますので,原則として対抗できない。対抗しようとすると,表意者の側が第三者の悪意を主張・立証しなければならないという仕組みで考えられることになます。  先ほど挙がっていた研究会の試案はこう考えているのかもしれませんけれども,現在の94条2項は,そうではなくて,虚偽表示は無効であるという原則を採用した上で,対外的な関係では,例外的に善意者を保護するという表見法理に基づく善意者保護を定めた規定になっていますし,94条2項の類推適用は正にその上に構築された法理にほかなりません。そうしますと,本来は無効であって,第三者は権利を取得できない。第三者が特に保護されるためには,善意である必要がある。だから,第三者が善意を主張・立証しなければならない。こういう仕組みになりますので,4の部分は,やはりここに書かれているようになるのではなくて,第三者の側が善意についての主張・立証責任を負うことになるということを付け加えさせていただきます。 ○内田委員 時間がないところ一言だけ。先ほど松岡委員から,93条の心裡留保とのバランスということを指摘されたのですが,93条については,先ほど私が苦し紛れの事例を挙げましたけれども,一体どういう場合が問題になるのか,想像するのに苦しむような論点であるのだろうと思います。しかし,虚偽表示というのはたくさん事例があって,執行逃れのような悪質なものもあれば,誰かを欺罔するなどという意図のない,親族間での一応形だけ贈与したことにして登記を移転するといったような事例まで様々な事例があって,そういう中で条文は機能してきたと思います。そういうことも含めると,必ずしもアンバランスということはないのではないかと思います。 ○鎌田部会長 第三者保護要件につきましては,伝統的な通説的見解は甲案で来たわけでありますけれども,今御指摘のように,乙案の考え方も主張されているということを……岡委員。 ○岡委員 一応弁護士会の意見の紹介と,内田先生に対する質問でございますが,弁護士会では,やはり甲案の支持がかなり多いわけですが,一部にやはり乙案の支持もございました。   内田先生の御意見の問題意識と同様の議論を弁護士会でもしています。信頼される第三者を絞り込む要件として何が適正かという議論はしておるところでございますが,内田先生の先ほどの御意見ですと,保護されるべき第三者は善意かつ重過失のない者という心裡留保の丙案みたいなような意見になるのでしょうか。 ○内田委員 単に無過失でいいと思います。 ○岡委員 無過失になるんですか。心裡留保では丙案があって,虚偽表示に丙案がないのは何かあるんでしょうか。そういう立法提案がないから書いていないだけですか。 ○中井委員 弁護士会の意見を整理しておきます。今,岡委員からありましたように,通謀虚偽表示に関しても,心裡留保と同様に,大方の意見では甲案で一致しています。内田委員のお話は,94条について詳細な判例等の分析の結果だろうと思いますが,弁護士会が一般的に理解してこのような結論を採っているのは,心裡留保なり虚偽表示なり錯誤なり詐欺なりという形で何らかの瑕疵のある意思表示がなされた結果を受けた後の第三者の保護の問題として,権利外観法理で一般的に善意無過失の原則からスタートするという先ほどの山本敬三幹事の御発言を前提にして,その例外をどう見るかということについて,やはり表意者の落ち度,帰責性のレベルというのは,心裡留保と虚偽表示,虚偽表示に比べて錯誤,錯誤に比べて詐欺,一番端っこには強迫があり,更に意思能力の欠けている場合がある。その差を全く無視してよろしいんですかというと,やはりそうではなくて,表意者の帰責性の重大性のあるものについては,例外になるだろう。その例外が虚偽表示であり心裡留保というところで,善意要件で足りる,こういう理解が弁護士会の中での一般的な意見です。それであっても,心裡留保は,従来の善意でいいのか,善意無重過失の丙案説もあったということを御紹介しておきたいと思います。そういう意味で,通謀虚偽表示のところにも丙案がないのか,ということです。 ○鎌田部会長 分かりました。多分,第三者保護規定の運用に当たって,過失の認定を通じて微妙な利害調整をしていこうというふうな考え方を採る場合には,余り重過失という概念は使わないということになるのではないかと思っております。ここでも,多分内田委員の御意見のような考え方でいくと,重過失にはなじみにくいのではないかなというふうには思います。   ほかにはよろしいでしょうか。   それでは,次々と検討の先送りの項目ばかりが増えるのは大変困るんですけれども,ここも論点の大勢は明確になったと思いますので,恐縮ですけれども,次に進ませていただきます。   次は,部会資料27の第3の「3 錯誤」に進みたいと思います。   事務当局から説明をしてもらいます。 ○笹井関係官 「3 錯誤」「(1)動機の錯誤に関する判例法理の明文化」については,第10回会議においても動機の錯誤に関する規定を設けることにおおむね異論はなかったところです。具体的な案として記載した甲案は,表意者の誤った認識が法律行為の内容になっているかどうかを基準とするものであり,乙案は,相手方の認識可能性を基準とするものです。乙案を採用する場合には,共通錯誤について無効を主張することができないという批判を踏まえ,共通錯誤を無効とする旨の独立の規定を設けることも考えられます。なお,甲案及び乙案のブラケットは,それぞれの代替案を示すものですので,このような代替案の当否についても御議論いただきたいと思います。   「(2)要素の錯誤の明確化」については,判例の考え方に従って要素の錯誤の意義を明らかにすることを提案するものです。この点について,第10回会議においてもおおむね異論がなかったところです。   「(3)表意者の重過失がある場合の無効主張の制限の例外」では,第10回会議において特に異論のなかった錯誤を相手方が知っているか,知らないことについて重過失がある場合,及び共通錯誤の場合には,表意者に重過失があっても無効を主張することができることを提案しています。これに加えて,相手方が表意者の錯誤を引き起こした場合の無効主張の可否についても御審議いただきたいと思います。   「(4)効果」については,第10回会議でも無効とするか取消しとするかについて意見が分かれたところです。この点については,取消し及び無効のそれぞれの守備範囲をどのように考えるか,詐欺による意思表示との均衡などにも留意しながら御審議いただきたいと思います。   「(5)錯誤者の損害賠償責任」については,錯誤者に無過失責任を負わせるという考え方もありますが,第10回会議では,これを支持する意見は少なく,学説上も,契約締結上の過失や不法行為責任に関する一般原則に委ねる考え方が有力であることから,特別な規定は設けないことを提案するものです。   「(6)第三者保護規定」については,第10回会議において規定を設けることにはおおむね異論がなかったところです。甲案は,学説上の多数説が理解する民法第96条第3項の要件と同じく,第三者が善意かつ無過失である場合に保護されることを提案するものであり,乙案は,自ら錯誤に陥った場合は第三者をより厚く保護すべきであるとして,第三者が善意であれば保護されることを提案するものです。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。それでは,ただいま説明のあった部分のうち,まず「(1)動機の錯誤に関する判例法理の明文化」について御意見をお伺いいたします。御自由に御発言ください。 ○岡委員 弁護士会では,甲案の支持がかなり多かったところでございます。甲案の中で括弧書きの代替案については,まだ意見が分かれているところではございますが,私個人の意見としましては,判例と同様に明示又は黙示の表示,この要件を入れた案のほうが実務的にはやりやすいと考えます。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○能見委員 これについても,私は第10回会議に出ていないので,半分,質問も兼ねているんですけれども,それは,法律行為の内容になるというのはどういう意味か,ということです。そういう場合にのみ動機の錯誤が考慮されるというのが甲案の立場ですけれども,この資料にも書いてありますように,動機が法律行為の内容になるということの意味が,ちょっと分かりにくい。判例理論は,本当にそういうことを意図しているのか。動機が法律行為の内容になって,例えば契約であれば,動機が契約の中身になっている,そういう場合にのみ,動機の錯誤が95条で考慮されるというのか。そこら辺が判例法理は必ずしも明らかではないのではないかという疑問を持っております。実は,いろいろなタイプの動機の錯誤があるので,それぞれのタイプについて本当は分けて考えなくてはいけないんですが,例えば,財産分与では課税されないと思って財産分与したけれども課税されたという事件が最高裁でありますけれども,課税されないというようなことが財産分与の条件として,契約の中に入れることは,両当事者がそのように合意すればできるかもしれませんけれども,判例は本当にそうなるというふうに考えているのか,そこら辺がよく分かりません。私の意見では,むしろその動機が相手方に分かるというところが重要で,それを表すために動機が法律行為の内容になるという言い方をするだけではないかというふうに私なんかは思うわけです。そうだとすると,甲案ではなくて乙案の立場のほうがいいのではないかという気がいたします。取りあえず以上が私の立場ですが,それから質問の部分は,法律行為の内容になるという点が必ずしも明確ではないという意見が10回の会議にあったそうですが,そのときに今私が挙げたような事例について,法律行為の内容になるということの意味について,どのような意見があったのかお聴きしたいと思います。 ○鎌田部会長 議論の内容の紹介というよりも,この場ででもその点についての御意見をお出しいただければと思います。 ○内田委員 全く私の個人的な見解ですけれども,能見先生が今挙げられた判例は,原審である高裁は,動機が表示されていない,また法律行為の内容になっていない。したがって,錯誤が認められないと言ったのですね。しかし,それと全く同じ事実を対象として,最高裁は黙示に動機が表示され,法律行為の内容になっていると判断をした。この事件を見て,この要件は本当に機能しているのだろうかという印象を私も受けました。あの事例では,離婚した夫が元の妻に対して財産分与をする際に,税金の負担は大丈夫かと相手を気遣う発言をしていたということが認定されている。つまり,税金は妻の側が払うということを前提に財産分与をしていることを元妻側は知っていたはずでしょうということが匂わされているわけで,ただ,要件として法律には何も書いていないものですから,判例は伝統的な枠組みを使っていますが,錯誤に陥っていたことを知っていた,あるいは知ることができたかどうか,実質はそちらで判断しているのではないかという印象を私も受けました。   この法律行為の内容になったという要件は,民法の起草直後に,起草者の一人である富井博士が,ドイツ民法で使われている意思表示の内容という言葉に示唆を受けた解釈論を提示し,それが判例に定着していったというものですけれども,ドイツ的な概念が日本で要件として本当に機能していたのかどうかということは検討に値するように思います。 ○鎌田部会長 ほかに関連して。 ○山本(敬)幹事 内容になったということがどのような意味を持つかということが以前議論されて,そのときに私も恐らくお答えをしたのではないかと思います。それと同じことになるかどうかは定かではありませんが,もう一度ふえんして申し上げますと,例えば,性質錯誤の例で言えば,目的物が一定の性質を持つという認識が法律行為の内容になることが,ここでいう法律行為の内容になることでして,要するに,その目的物を一定の性質を持つものとして売る,買うという契約がなされたというように解釈できるかどうかがここでの問題だと思います。例えば,この絵を本物として売買するということが約定されたことが,売買代金の額などから推認できるときには,法律行為の内容になったと言うことができるということではないかと思います。   このほか,理由の錯誤とか狭義の動機錯誤と言われるものの例で言いますと,例えば,不動産の売買契約をする際に,その不動産が財形融資の融資条件を満たしていると考えて資金計画を立てていたけれども,実際には融資条件を満たしていなかったというケースでは,要するに,その不動産が融資条件を満たしているものとして売る,買うという合意が当事者間でなされたと解釈できれば,「法律行為の内容」になったと言うことができるということです。   先ほど挙げられた例で言いましても,妻の側に課税されることが契約上予定されていたということが確定できれば,それがここでいう「法律行為の内容」になったということではないかと思います。そこで,表示して法律行為の内容になったことが必要だとしますと,明示的な表示が行われていないときに困ってしまって,黙示の表示があったという説明をせざるを得なくなるわけですが,決め手が「法律行為の内容」になるということであれば,表示の有無を問うことなく,当該契約で予定されていたということが確定できれば,錯誤の効果が認められる要件を満たしたと言って差し支えないと思います。 ○能見委員 私も幾つかの動機の錯誤の中で,特に性状の錯誤とか,物の性質に関する錯誤などは,これは動機が表示され,相手方がまたそれを了解しているときにはその性質が契約内容になるというふうに考えております。そういう場合があるということはもちろんいいわけですけれども,契約をする際の前提条件などでは,どう見ても契約内容になるという言い方をするのは不自然な場合というのがやはりあって,そういう場合でも,一定の条件の下で錯誤無効を認めるという道が開かれていたほうがいいのではないかと考えています。   更に言いますと,法律行為の内容になるということは,契約であれば両当事者が基本的にはその動機で示された内容について合意した,契約内容になったということになるわけですけれども,合意内容までならなくても,動機の錯誤はもう少し広く認めてもいい場合があるのではないかと思います。すなわち,それは一方の当事者が動機を表示していて,相手方が別にそれを契約内容にすることを了解するというところまではいかないけれども,表意者の意図を十分知っているという場合があり得て,それは契約内容にはならないわけですけれども,それでも,相手方が表意者の動機をよく知っているのであれば,動機の錯誤を認めていいという場合がある。こういう場合は,法律行為の内容になるという言い方をすると拾えないけれども,相手方の認識可能性という要件であれば拾えるという気がいたします。  判例は,動機の錯誤を95条の錯誤として意思表示を無効にする場合に,元々いろいろな表現をしており,法律行為の内容になるという言い方をしている判決ももちろんありますが,確か意思表示の内容になるという言い方をする判決もあったかと思います。後者の場合には,表意者の動機が意思表示という形で明確に表されているということを言おうとしているのであって,その相手方がその表示された動機を含めて契約内容になるというふうに合意しているわけではない。そういう意味では,表示された動機も契約内容まではなっていない。こういう場合にも,動機の錯誤を認めて意思表示を無効とする判決があるのではないかと思います。本当は自分できちんと調べてこなくちゃいけなかったんですが,判例の中には私が述べたような意味で動機の錯誤を認める判決もあると思いますので,動機が法律行為の内容になるという言い方は適切ではないということと,そしてそのような立場は狭過ぎるということの2点から,乙案のほうがいいんではないか思います。 ○鎌田部会長 ほかに御意見いかがでしょうか。 ○中井委員 弁護士会の意見は岡委員が伝えたとおりですけれども,少し別な考え方として今の能見委員の御発言にもあるように,弁護士会の中でも,この表示を大変重視する意見があります。ただ,それに対しては,表示をしさえすればいいのか,表示をして相手方が認識していれば,それで動機の錯誤が認められるとなれば,言ったもの勝ちとも言えるわけですから,それだけでリスクが転嫁されるのはやはり適当ではないのではないか。そうすると,表示された上で相手方がそれを了知して,何らかの形でそれが契約の前提となるような形でなければ,やはり動機の錯誤が認められないというのが筋ではないか。そういう意味で,契約の内容という表現はされているけれども,これに基づいて合意の拘束力として履行請求できるとかではなくて,それが締結した契約の前提となっている,お互い認識し同意をしているという状況であれば,そのリスクの転嫁が許されるのではないかという意見です。   そこで,それを前提に消費者保護委員会からの意見を御紹介しますと,それは,表示をすること自体が重要なので,表示をした上で何らかの合意,何らかの契約の前提としたことを要件とするけれども,主張・立証責任のところで,その動機が表示されて相手が認識できる状態であることをまず表意者が主張,立証し,それに対して相手方が,それが契約の内容若しくは前提になっていないということを主張立証する。つまり,動機が契約の内容となることについても要件とするけれども,主張立証責任の分配の中で段階的にできないかという意見です。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○山本(敬)幹事 少し言わずもがなのところはあるのですが,乙案の問題点は既に十分に認識されているところではあるとは思うのですけれども,もう一度だけ確認をしておきたいと思います。   性質錯誤の例でいいますと,売買契約の内容が当該当事者間では,「この物」を売る,買うという契約であると解釈せざるを得なかったという場合には,この物がどのような性質を持つかは,それぞれの当事者が負うべきリスクに属することになると思います。   ここで,甲案の考え方による場合には,「この物」としか契約はされていなくて,性質は契約の内容にならなかったわけですから,仮に動機錯誤が一方の当事者にあったとしても,錯誤の効果は主張できないことになります。   それに対して,乙案によりますと,そのような場合でも,一方の当事者がこれは本物だと考えていたことを契約の締結過程で相手方は認識することができたけれども,契約としては「この物」を売る,買うという契約がされたというときに,錯誤を認識することはできたわけですから,錯誤の効果,つまり無効ないし取消しの主張を認めてもよいことになります。しかし,そうしますと,何のために「この物」を売る,買うとしか契約しなかったのか,その契約の意味が失われることになるのではないか。特に,例えば「この物」を売る,買うということにするので,売買代金が非常に低く設定されていたという場合は,これを本物だと思って買う人間はリスクを取っているわけです。このような場合に,相手方が錯誤を認識できたというだけで,無効ないし取消しという効果を認めることができるとするのはやはり問題ではないかというのが甲案から乙案に対する批判として指摘されているところで,これに乙案はどう答えるのかということが問題だと思います。 ○内田委員 一言だけ,それに対する答えですけれども,同じような議論は比較法的に既になされていて,ユニドロワとかPECL,つまりヨーロッパ契約法原則では,乙案をベースにしながら,かつ相手を錯誤に陥った状態に放置するということが信義則に反するとか,公正な取引の基準に反するといった,もう少し客観的な要件を加えることによって絞りを掛けるということをしています。そういう立法例もありますので,乙案はこのままですと,山本幹事がおっしゃったとおりの問題点があると思いますので,更に絞りを掛けることが可能かどうかということは検討に値するのではないかと思います。 ○道垣内幹事 前提で分からないところがあるので伺わせていただきたいのですが,3の(1)で,動機の錯誤に関する判例法理の明文化が話題になっているわけですが,これは甲案にせよ,乙案にせよ,動機の錯誤の要件なんでしょうか。どういう意味かと申しますと,(2)のところに「法律行為の要素」という要件をどういうふうにして明確化するかという論点があるのですが,(1)に関して,動機の錯誤の規定を何らか置いたときに,その適用の前提となる要件は何なのでしょうか。質問の趣旨が,うまく言語化されていないので恐縮なのですが。 ○山本(敬)幹事 今の言語化されていないところをうまく言語化できるかどうかは自信がないのですけれども,これは乙案をもう少し明確にしないければならないという問題ともつながっていると思いますので,また別の指摘になるかもしれませんが,一言付け加えさせていただきたいと思います。甲案と乙案は,いずれも,何らかの錯誤ある場合は,次の「要素」に当たる要件が備わるときに,無効ないし取消しの効果が認められるという構造になっていると思います。   甲案は,元々これを提唱している考え方によりますと,表示錯誤と動機錯誤を区別して,表示錯誤の場合については,表示錯誤があれば,あとは「要素」の錯誤に相当する要件が備われば無効ないし取消しを認めるのに対して,動機錯誤については,ここにあるような「法律行為の内容」とされたということが付加的な要件になると考えられていると思います。   問題は乙案のほうでして,乙案を主張する従来の学説はどのようなものだったかといいますと,これは相手方の信頼保護を重視する立場ですので,相手方から見れば,動機錯誤であろうと,表示錯誤であろうと,外から見えにくいということに変わりありませんから,動機錯誤か表示錯誤かを区別せず,その両方を捉えることができるような広い意味で錯誤を捉える見解として提唱されてきたと思います。したがって,ここでは,乙案は,動機の錯誤だけについて特別な要件を主張するかのように書かれていますけれども,それではこの見解を正しく捉えたことにはなっていなくて,この見解によれば,動機錯誤か表示錯誤かに関わりなくこのような要件を課すという提案になると思います。   ただ,この考え方に対しては,動機錯誤についてはまだ何とかうまく説明できるかもしれないけれども,表示錯誤の場合はに,相手方に錯誤のの認識可能性があるときは,相手方には表示の客観的な意味に対する正当な信頼がないわけですから,表示錯誤については意思表示の解釈のレベルで,実は意思表示の意味を確定できないために,錯誤を問題とするまでもなく,意思表示が無効になるという問題があることが従来から指摘されています。その意味で,乙案については,表示錯誤についても同じように考えるとすれば,それで本当にうまく対応できるのかという問いが次に来ることになります。この点について議論するのであれば,その用意はありますけれども,取りあえずここではそこまで指摘しておきたいと思います。 ○鎌田部会長 道垣内幹事,よろしいですか。 ○道垣内幹事 もちろん結構なのですが,結局,議論が(2)と分離して可能なのかというのが先ほどから伺っていてよく分かりませんで,それぞれが念頭に置いている前提を山本敬三幹事が整理されたわけですが,若干違う前提があるような気がしましたものですから,一言発言させていただきました。 ○鎌田部会長 今の議論の中で,乙案は動機錯誤か表示行為の錯誤かの区別をせずにというか,むしろ動機の錯誤を積極的に一般の錯誤の中に取り込んでくるというような考え方ですから,いずれにしろ,動機の錯誤に関して何らかの立法的な対応をするというのは当然の前提になっているように思うんですけれども,その点については特に異論はないと理解してよろしいですね。その上で,規定の内容について,ここで甲案,乙案があるし,甲案の中でも表示をどれほど重視すべきかという点での対立はなお本日の御意見の中でもそれぞれの立場からの御発言があったように思いますので,これもこの状態で更に検討を深めるということにさせていただかざるを得ないと思います。 ○岡委員 乙案の発展の可能性があるという議論がありましたので,弁護士会で議論していたときの一つを御紹介します。   最高裁の平成14年7月11日のクレジット契約,空クレジットであることを知らないで保証した場合について,錯誤無効が認められたケースでございます。これは,実務家からすると非常にいい判例でございます。この判例のような事案につき,乙案のように認識可能性が要件だとされると,クレジット会社は空クレジットであることの認識可能性は恐らくないと思われますので,乙案だとこの判例が否定されるのではないかとの議論がありました。そういう意味で乙案に対する消極意見が強かったんだろうと思います。それについて内田先生の先ほどの信義則上放置することができないという,そういう要件が関わってくるとまた違う議論になるかもしれないと思いました。 ○鎌田部会長 それが空クレジットであるということまでの認識を要求するのか,きちんとしたクレジットが成立しているというかどうかというのは非常に重要な前提になっているということについての認識で足りるかというふうなことでも変わってくるのかもしれないんですけれども,御指摘の点も含めて少し検討させていただきます。   それでは,(2)(3)まで御意見を伺ったところで休憩とさせていただきます。   (2)(3)につきまして御意見をお伺いいたします。   まず,(2)については,特に御異論がないと思ってよろしいでしょうか。 ○岡委員 弁護士会としては,(2)については異論はございませんでした。 ○道垣内幹事 (2)の要件だけでどうやってここから動機の錯誤を排除するのですか。つまり,非常に主観的な動機の場合には合理性が欠けるかもしれませんけれども,例えば,先ほどから出ております本物かどうかという場合について考えますと,この定式をそのまま使うと,それはその要素の錯誤であるということにもなりかねないように思うのですが,そうはならないんですか。 ○鎌田部会長 動機の錯誤に関しては(1)と(2)の両要件を充足して初めて無効になる,あるいは取り消すことができる。 ○道垣内幹事 そうすると,どこかに,動機の錯誤というものの定義があるということですか。 ○鎌田部会長 ということになりますか。 ○能見委員 道垣内幹事の質問に対して答えるというわけではありませんが,私も気になっている点があって,それは何かというと,恐らく従来は動機の錯誤というのは,法律行為の要素の錯誤ではない,動機はそもそも法律行為の内容ではないという前提できていたので,この法律行為の要素の錯誤とは何かというところで動機の錯誤が排除され,動機の錯誤については特別な法理があった。仮に法律行為の内容になれば動機を考慮するというのが判例だということであれば,そういう判例法理ができてきたということだと思うんですが,ここから先,道垣内さんの質問とは違うのかもしれませんけれども,ただ,判例法理で動機がまた法律行為の内容になるという言い方をしてくると,従来の法律行為の要素の錯誤と言われていたものと,動機の錯誤というのが全く区別ができなくなってくる。動機も結局法律行為の中に入ってくるので,そういう意味では完全に一本化されてしまうという。動機の錯誤を定義することさえ意味がなくなる。そういう問題があるのかなという気がしております。私は,先ほど述べたように,動機の錯誤については法律行為の内容にならなくても考慮される場合があるという,少し違った意見を持っているんですけれども,いずれにせよ,そういうことがこの要素の錯誤という要件としては関係する問題があるのかなということです。   それから,先ほどの動機の錯誤について一言言おうと思って,当然のことだから言う必要はないと思って言わなかったんですけれども,動機の錯誤で一方的に表示されたものであったものであるにもかかわらず,動機の錯誤として取り上げられて無効という効果を結び付けると,相手方が害される。そこで,相手方の認識可能性といった要件で相手方との利害調整を処理するわけですけれども,それだけでは足りないという意見に対しては,動機の錯誤であっても,法律行為の要素という言い方はしないかもしれませんけれども,要素の錯誤性というのか,錯誤の重要性,あるいは因果関係の問題,そういう意味での要素性というのは動機の錯誤にもかぶってくるので,何でもかんでも全ての動機が動機の錯誤として入ってくるわけではないということだけ付け加えておきたいと思います。道垣内さんの質問に対する答えには全然なっていないのかもしれませんけど。 ○松本委員 今の能見委員の御発言と,それからもう一つ前の,岡委員が最後におっしゃった最高裁の空クレジットの判決の位置付けなんですが,岡委員は,動機の錯誤の問題だと整理されたようにお聴きしたんですけれども,あれは空クレジットかそうではないのか,つまり本当に物が動いて購入資金の融資をされているのか,それとも空であって,実質的には単なる運転資金を貸し付けているにすぎないのかが問題になっています。最高裁の判決は,物販の保証人になっているのか,運転資金の融資の保証人になっているのかというのは,動機の錯誤の問題ではなくて,要素の錯誤の問題だから,錯誤無効が認められるという構造だと私は理解しています。ですから,能見委員がおっしゃったように動機の錯誤なのか,それとも要素の錯誤なのか,正にどちらに位置付けるかの面がかなりあるのではないかと思います。   契約の内容になっているというのは曖昧な表現なので,結論として錯誤を認めたければそういう言い回しをするだけにすぎなくて,実質的な判断基準にはなっていないのではないかと思います。 ○潮見幹事 先ほどの能見委員の発言があって,その前の道垣内幹事の質問があったので,それと先ほどのもうちょっと前の山本敬三幹事の御発言と全部くっつけて,感触を申し上げさせていただきたいと思います。   正に道垣内幹事が指摘されたような問題があるから,先ほどの(1)の動機の錯誤のところで甲案を採った場合にどうなるのか,乙案を採った場合にどうなるのか,特に乙案を採った場合に,果たして表示錯誤も含めて,錯誤の問題と要素性の問題を分離して考えることが果たして適切なのかといった問題が出てくるのではないかと思います。   つまり,甲案を採った場合には,まず錯誤要件の下で,動機が法律行為の内容になっているかどうかという部分で問題を処理し,そして,その次に,それが要素に該当するような錯誤か,それとも要素には当たらない錯誤なのか,つまり法律行為の内容にはなっているけれども,要素とは言えない錯誤ではないかという判断が出てきます。だから,甲案の場合には仕分けは比較的クリアになるんです。   他方,乙案を採った場合には,表示と,それからそれに対する相手方の認識可能性が要件となり,そして,認識可能性については規範的に考えているんだと思いますけれども,この認識可能性を考慮する中で要素性が,しかも,(2)でいうところの規範的な点も含めて考えられており,その結果,要素性の判断と動機錯誤・表示錯誤の要保護性とが一括して判断されるという構造になっているのではないでしょうか。能見委員の示された枠組みというのは,こうした理解に乗っかっていけば,採るか採らないかは別として説明はつきます。そういう意味では,この要素の定義というものは,仮にこれでいいとしても,逆に今のことが甲案を採るのか,乙案を採るのかという,その錯誤自体をどういう枠組みで捉えていくのかにかなり影響するのではないかと思いますし,その部分をしっかりと議論していかなければいけないのではないかと思います。   それからもう一つ,直前に松本委員が言われた点ですが,確かに,結果的に契約の内容になると見るかどうかというところで最終的な落とし所は考えているのかもしれませんけれども,しかし,やはり契約の内容が何かという部分をまず確定して,その部分について錯誤の成否というものを考えていく。それから,契約の内容,法律行為の内容になっていないという形ではじき飛ばされた部分についてなお錯誤無効,あるいは錯誤取消しという可能性を考えていくのかという手順は,どちらの立場を採るにしても,押さえておかなければいけないのではないかと思いました。 ○山本(敬)幹事 混乱に拍車を掛けるだけのおそれもあるのですけれども,甲案による場合に関して言いますと,錯誤の意味がまず問題になって,それが表示錯誤か動機錯誤かに振り分けられることになります。表示錯誤は,意思表示に対応する意思がない場合である。例えば,1億円で買うというつもりで1億1,000万円を買うという表示をしてしまった場合は,1億1,000万円という意思表示に対応した意思がないので,表示錯誤に当たる。しかし,この物を買うという契約をして,この物を買うという意思があるという場合には,表示錯誤はない。しかし,この物の性質についてきっとこうだろうと考えたところ,現実にはそうではなかったという場合は,動機錯誤に当たる。このように,まず,表示に対応した意思があるかないかで,ない場合が表示錯誤,ある場合で,かつ事実についての思い違いをしている場合が動機錯誤というように振り分けられた上で,表示錯誤については,直ちに次の要素の判断へ行くのに対して,動機錯誤については,法律行為の内容になったという要件が付け加わって,その上で次の要素の判断へ行くことになるわけです。  これに対して,乙案の場合は,恐らくいろいろあるのだろうと思います。認識可能性の要件と要素の要件を全部包括的に,広い意味での要素性の中で判断するという考え方もありますし,そうではなくて,認識可能性要件は認識可能性要件として立てて,その上で要素性の判断をするという立場もあるところで,これは論者によって分かれるだろうと思います。ですので,乙案と一口に言っても,そこをどう考えるかということをきちんと整理しませんと,立法する際には,混乱が生じるかもしれません。   いずれにせよ,動機錯誤か表示錯誤かという仕分けで考えると,まだ整理は付くのですけれども,法律行為の要素の錯誤か,要素でない錯誤か,要素でないけれども動機の錯誤も入るというように考えていくと,この二つの要件の区別が流動的になってくるように思います。 ○鎌田部会長 乙案でも錯誤の重要性と相手方保護要件という,その二つの側面を持っているということは共通ですね。 ○山本(敬)幹事 本来はそうなのだろうと思います。ただ,論者によっては,両者を融合的に考える場合もあるようです。 ○鎌田部会長 ということで,要素の錯誤を「要素の錯誤」という語によるよりも,現在の判例の中で定式化されているような表現で立法提案をしていくという方向については,基本的には御賛同いただいていると,異論はないというふうに理解させていただきました。   「(3)重過失がある場合の無効主張の制限」,95条のただし書でありますけれども,それの例外規定を設けてはどうかという,こういう提案についての御意見を頂ければと思います。 ○岡本委員 ここで当事者双方が同一錯誤に陥っている場合についての提案がされておりますけれども,この点についてまず2点申し上げたいんですけれども,1点目は,共通錯誤は表示錯誤の場合をどう考えるのかということでございまして,部会資料27の38ページにもこの点は触れられておりますけれども,契約解釈について,当事者意思が一致しているときは,それに従って解釈すれば足りるんだと,そういうふうに考えれば,錯誤の問題ではそもそもなくなると,これは先ほど山本敬三幹事がおっしゃっていたことと重なるところかとは思うんですけれども,このことはそのとおりだと思うんですけれども,それが②の提案では,表現としてちょっと読み取れないのではないかというふうな気がいたしまして,契約の解釈については別な立場もあるので,こういう表現になっているんだということなのかもしれないですけれども,そういたしますと,いずれの立場を採るのかということを決めた上で検討しないとうまくいかないところがあるのではないかなというふうな気がいたします。   2点目ですけれども,重過失があっても常に錯誤の主張をすることができるということでいいのか,その点の疑問もあるのではないか。例えば,個人がその所有する土地を不動産業者に売却して,双方とも建物が建つ土地だと思っていたんだけれども,実は公法上の規制があって,建物は建たない土地だったといった場合,この場合,共通錯誤で,かつ不動産業者に重過失があるということになろうかと思いますけれども,そういった場合に,不動産業者の錯誤の主張を認めていいかというと,ちょっとちゅうちょされるような気もいたします。そうしますと,共通錯誤だからといって,それだけで表意者の無重過失要件をなくしていいのかといったところについては,ほかに考慮すべき要素もあるのではないかという気がします。   それから,次に③の相手方が表意者の錯誤を引き起こした場合に,表意者に重過失があっても錯誤は主張することができるという考え方についてですけれども,こちらにつきましても,まず引き起こしたという要件が必ずしも明確ではないのではないか。単にあれなければこれなしという関係があれば足りるということなのか,それとも何らかの評価が含まれるのか,そういった点もよく分からないように思います。   それから,この引き起こしたというのをどう解釈するかにもよるのかもしれないんですけれども,相手方の行為が表意者の錯誤の原因になっている場合であっても,通常はそういった錯誤は生じないような行為であるのに,表意者の重過失によって表意者が錯誤に陥った場合,こういった場合などでは表意者を保護すべきではない場合も中にはあるのではないかといったところです。   仮にこれらについて規定を設けるとした場合には,単に共通錯誤であるか,あるいは相手方によって錯誤が引き起こされたかどうかということだけではなくて,表意者を保護すべき場合を過不足なく切り出して限定できているのかといったことについて慎重な検討を要するのではないかと思います。仮にそれが困難であるとすると,場合によっては解釈によられたほうがいいということにもなろうかと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○佐成委員 岡本委員が御発言されたうちの③については,私どもの中でも同様の理由で疑問を呈する意見がございました。   それと,①につきましても,相手方が知っている場合については異論はなかったのですけれども,知らなかったことについて相手方に重過失がある場合については,バランスを欠くのではないかという意見がございましたので,御紹介させていただきます。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○岡委員 弁護士会では,①,②,③の順番で消極意見といいますか否定意見が多うございました。   ①については,例外とすることにそう大きな反発はございませんでした。   ②についても,相半ばする感じでございますけれども,この38ページの相場より将来鉄道の駅ができるといううわさを安易に信じ,両方が信じていた場合,この場合に,売主Bもうわさを信じて,うわさを信じた相手に売った場合,後でひっくり返すべきと,そこまで言い切れるのか。過失なくうわさを信じて売った人であれば,それは例外として無効にすべきというほどでもないという意見も強うございました。その根底には,過失なく信じていた人について,後でひっくり返るのは行き過ぎではないかという意見があるんだろうと思います。   ③については,先ほどの岡本さんと同じような意見でございまして,引き起こしたという要件がどこまで含むのか,特に過失なく引き起こした場合,その過失なく引き起こした人まで後でひっくり返るのかと,それについての危惧が多いように感じました。 ○山本(敬)幹事 今の点のうちの,まず②の当事者双方が同一の錯誤に陥っている場合がどのような場合に起こり得るかという点については,最初のほうに御指摘がありましたように,表示錯誤の場合は,確かに意思表示の解釈のレベルで解決がつくことが多いだろうと思います。したがって,この要件が問題になるのは,実際上は動機錯誤の場合がほとんどになるのではないかというのは,恐らく御指摘のとおりだろうと思います。しかし,だからといってこの規定が意味を失うわけではないということは,付け加えておきたいと思います。   ③の相手方が表意者の錯誤を引き起こした場合ですが,これも表示錯誤でどのようなケースが起こり得るかというと,同じようなところがあるのですが,例えばある言葉の意味について思い違いをしたというケースで,その思い違いが通常はあり得ないようなものだけれども,どうしてそのような思い違いをしたかというと,相手方が,この言葉の意味はこういう意味だと言ったからだというようなケースが考えられるかもしれません。この場合に,確かに表意者に重過失はあるけれども,なぜそんな思い違いをしたかというと,相手方がそのような表示をしたからであって,こういう場合は,重過失があっても錯誤無効の主張ないしは取消しを認める必要があるということができるかもしれません。   それに対して,動機錯誤に関して,どのようなケースが起こり得るかというのは,いろいろあり過ぎてなかなか良い例が挙げにくいのですが,例えば,AからB,BからCと転売するケースで,物の性質についてAがBに一定の説明をした。Bにとっては,Aは長年の取引先で,この説明は通常信じるに足りる。その意味で,過失があるとは言えないという判断ができる可能性がある。そして,Bが,同じ説明をCに対してした。ところが,Cにとっては,一定の事情があって,この物がそのような性質を備えているかどうかについて,そのまま信じてしまったけれども,客観的には重過失があると判断される場合があり得る。このような場合に,Cは,重過失があるので錯誤無効ないし取消しの主張はできないかというと,Cがそのような錯誤に陥ったのは,BがCに対して,この物は一定の性質を備えているという説明をしたからなのだから,そのようなBとの関係では,やはり錯誤無効ないし取消しの主張を認めてよい。このようなケースが問題になるのだろうと思います。   動機錯誤については,一番最初の(1)で甲案を採るか,乙案を採るかで差は出る可能性があるのですが,甲案を採用する場合は,この物が一定の性質を備えることが法律行為の内容になったと評価できて初めて,次の重過失判断に進むわけですので,ここでは物の性質についてが法律行為の内容になったという評価ができることが前提となります。これは,その物が一定の性質を備えていないというリスクを,先ほどの例でいいますと,表意者であるCではなくてBが負うということ,つまり売主側が負うことを意味するわけでして,このような場合は,Cに重過失があるとしても,BがそのCの錯誤を引き起こしたのだから,錯誤無効ないし取消しの主張をBが否定できるのはおかしいのではないかというのがこの③の提案の趣旨だと思います。   少しくどくなりましたけれども,そしてまた,既にこれまでにも出ていたことだと思いますけれども,趣旨をもう一度明らかにしますと,以上のとおりです。 ○松本委員 今の山本委員の説明の,相手方が他方の重過失ある錯誤を引き起こしたという事例が,錯誤で処理すべき事例なのかという点でちょっと疑問があります。一つは,表示の錯誤を一方が他方に対して引き起こしたという例として,間違った意味を教えたという場合を挙げられました。Aという言葉の意味は,実はBなんだと言ったから,相手方が,では,Aでお願いしますと言った。それなら,単純にBで契約の成立を認めればいいではないかという気がするんです。もう一つの性質の錯誤の場合のほうも,売り手の側が実はそうではないのに,これはこういう品質の物なんですといって,買い手側がそれを重過失があったとしても信じて,では,その品質のそのものを下さいと言ったなら,その品質の物として契約が成立したと考えて,あとは単純な債務不履行で処理をすればいいのではないかと思います。債務不履行よりも先に契約の成否が問題なんだという理屈でいけば,錯誤の議論というのはあり得るのかもしれないけれども,買い手側からみれば,債務不履行でやるほうが普通は有利だと思うので,そういう対応をするのではないかと思いますから,余り実益のある議論だとは思えないのです。 ○山本(敬)幹事 表示錯誤のケースについて,意思表示の解釈レベルで解決される可能性が高いということは,先ほど②について申し上げましたけれども,③の場合についても,松本委員がおっしゃいましたように,一般的にはそのとおりだろうと思います。その意味では,表示錯誤の場合にこれが使われるのは,レアケースなのかもしれませんが,もう一点の方は問題です。つまり,動機錯誤の場合について,その性質が法律行為の内容になったと評価できるときは,これは契約内容になったのだから,契約責任の問題として処理すればよいではないかという御指摘だったと思いますが,そうしますと,先ほどの(1)の場合については,少なくとも性質錯誤については全て契約責任の問題にすべきであり,動機錯誤に基づく無効ないしは取消しを一切認める必要はないという主張につながっていく可能性があります。そのような立場があり得るということは認めますが,従来の裁判例は,正に95条に従ってこのような要件の下で動機錯誤に基づく無効主張を認めてきたわけです。それを変える必要はないのではないか。ですから,問題はそこから先で,動機錯誤による無効の主張ないし取消しは可能である。と同時に,契約内容になったと評価できるのであれば,契約不適合ですので,現行法でいうと瑕疵担保ないしは債務不履行責任が更に問題になってくる。この両者をどちらも認めてよい,つまり選択的に当事者はどちらか一方を選べるのか,それともどちらか一方しか認められないと考えるかというのは次の問題としてあり得るところで,選択的に認めてよいのではないかというのが先ほどの私の発言の前提にあります。 ○中井委員 ③について,弁護士会でも必ずしも意見が一致しているわけではありませんが,相手方が表意者の錯誤を引き起こした場合について,表意者に重過失があっても錯誤主張を認めるべきだという強い意見がございます。それは,「引き起こした場合」の範囲については御指摘のように,どのような場合がこれに該当するのかどうかはともかく,この後議論されることになるのかもしれませんけれども,不実表示との関係で,少なくとも相手方が誤った情報提供をして,その結果,表意者が意思表示をした,そのような場合に,相手方に過失がなくても,それを引き起こした以上は,重過失があっても錯誤主張を認めていいのではないかという意見です。客観的事実と異なる何らかの誤った情報を相手方が提供したわけですから,そこに過失が認められないとしても,落ち度があって,その相手方の落ち度をどうして表意者側が負担しなければならないのかというところから,③についても錯誤主張を認めるべきであるとしてこの原案に賛成するわけです。 ○鎌田部会長 先ほど来のお話でいくと,①は比較的認められやすくて,②については少し,特別な場合についての考慮が必要であって,③についてはちょっと意見が分かれている。これも「引き起こした」という表現で何をイメージするかの違いにも関係するんだろうと思いますので,この辺のところをもうちょっと検討する必要があると同時に,不実表示であるとか,あるいは場合によっては詐欺なんかとも重なってきますので,その辺との調整をどういうふうにするかが問題になると思います。 ○沖野幹事 今の③についてもう一つ,重過失の捉え方という点もあり,錯誤以外のところでも,過失というものをどうやって捉えていくかということがあります。この③に関しても,相手方が引き起こした,すなわち,相手方から誤信をさせるような情報提供があったという場合に,それを信じたことが重過失に当たるというのは信じてはいけなかったのではないかという話にもなるわけで,ここでも過失の概念をどう捉えるかということがあると思いますので,その点も加えていただければと思います。 ○鎌田部会長 そういう点では,③については更にもうちょっと詰めて検討すべき点があるということで引き取らせていただきたいと思います。   ここで恐縮ですけれども休憩を取らせていただきます。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,再開をさせていただきます。   続きまして,「3 錯誤」の「(4)効果」から「(6)第三者保護規定」までを御審議いただきます。御自由に御発言ください。   まず,効果についてはいかがでしょうか。 ○中井委員 弁護士会の意見は,効果について,見解が分かれていますが,余りこだわらない意見が強くなりつつあります。つまり,取消し構成でもいいのではないかという意見です。それでも別に構わないのではないかという消極的意見と言ってもいいのかもしれません。その理由としては,意思無能力については,弁護士会として,無効を維持する考え方が強く出ておりますけれども,基本的には錯誤の場合は落ち度があるから,意思無能力との比較において保護の程度は低くてよい。他方で詐欺のことを考えた場合は,相手方から欺罔行為を受け,誤信に基づいて意思表示をしている,そういう詐欺に遭った人との比較においても無効を維持する必要があるのか,だとすると,取消しでいいのではないか。また,錯誤に陥った表意者から取消しないし無効を主張できればいいということから考えれば,無効を維持することについて,こだわらない意見が強くなりつつあるというのが現状です。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。 ○岡委員 状況はそういうことなんですが,私どもと同世代以上の50代以上の人間を中心に,やはり無効のほうがいいんではないかという意見が根強うございました。この部会資料の41ページに書いてある取消権者あるいは無効を主張する人がいない場合についての記述について,今一つ納得できない,本当にそうなのか,やはり無効であれば,隣のおじさんが言うわけにはいかないんでしょうけれども,放っておくと有効になってしまうところを無効ということで救える場合がやはりあるのではないか。その具体的事例を示してみよと言われると,なかなか出てこないところが弱みではあるのですが,主張権者を誰にするとか,主張期間を制限するとか,いろいろな制限はやむを得ないかもしれませんが,最後はやはり取消しでは原則有効になって,保護が弱まるのではないかという声が50代以上を中心に多いということを御報告させていただきます。 ○鎌田部会長 ほかに御意見いかがでしょうか。 ○沖野幹事 御指摘のあった41ページの取消権者がいない場合の不利益についてです。この取消権者がいない場合の不利益としてどういうことを想定したらよいかです。意思無能力の場合ですと,本人が意思無能力ですので,本人自身が取消しを行うことは期待できず,ほかに代理人等もいないという場合が想定され,その場合にどうするのかという問題があるのですけれども,錯誤の場合は,本人には意思能力があるという前提だと思われます。また,意思無能力に該当するかについては他者から見て判断能力が備わっているか,行為時にどうであったかは常時どうであるかをも手掛かりに判断もでき他者も主張しやすいと思われるのですが,錯誤に陥ったかどうかというのは,本人が主観的にどういう認識を持っていたかということにかかってくるので,表意者以外の者の主張のしやすさという点でも違いがあるように思われ,意思無能力の場合と同じように取消権者がいない場合の表意者の不利益というのを考えにくいようにも思われます。ですから,どういった場面を想定して考えたらよいかについてヒントを与えていただければ,より議論しやすいのではないかと思います。 ○鎌田部会長 その点について,どなたか御発言ございますか。   それでは,ほかの点でも結構ですけれども,今の無効,取消し,いずれにするかという点についての御意見がありましたら,ほかにお出しいただければ。 ○岡田委員 単純に消費者のほうは,やはり無効であってほしいと思っています。取消しとなると,それなりに行動を起こすなり意思表示しなければいけないという点で現在無効ということで保護されているものが,取消しということになると後退するのではないかというのが私の周りの意見です。ただし私自身は相対的無効という点で迷っています。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。無効を主張する場合については,主張権者や主張期間についてどうするかという議論が前からあるんですけれども,その辺のところについて岡委員,何か御議論ございますでしょうか。 ○岡委員 主張するもの,あるいは期間について一定の制限が無効の場合でもあり得るというのは何となく理解ができていると思います。残るのは,先ほどの箇所でありますとか,相続になって誰が主張しなければいけない,多数決が必要ではないか,取消しの意思表示が相手に届かなければいけないのではないか,その辺のところが無効の場合に比べて現実の場面で意思表示が届かないとか,多数決が採れないとかという面で不利益が生ずるのではないかと,そういう議論が中心でございます。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。ここの論点については大分これまでに議論をしてきたところではありますが,従来はどちらかというと取消し説がやや有力であったというふうに理解していますけれども,この段階ではまだ取消し説に一本化はされていないということだろうと思います。   錯誤者の損害賠償責任や第三者保護規定につきましても御意見があればお伺いをしたいと思います。   錯誤者の損害賠償責任につきましては,不法行為責任に関する一般規定に委ねるというのは,逆に言えば,これについての特別な規定は設けないという提案でございますけれども,この点について御意見があればお伺いしたい。 ○中井委員 弁護士会としては,この提案どおり一般規定に委ねるものという考え方に賛成が圧倒的に多かったという状況です。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。この点については特に異論がないという処理でよろしいでしょうか。 ○松岡委員 異論というわけではないのですけれども,後で出てくる不実表示との関係で,錯誤者に無過失の損害賠償責任を認めないと判断することがどう影響するのかがよく分かりません。両者は無関係だという考え方もあるのですが,ある意味で連続しているところがあって,不実表示については積極的に過失がなくても取消しを認めてもいいのではないかという案が強かったように思うので,それとの関係は少し意識しておく必要があると思います。今ここでこの点についての意見を出す用意は私にはございませんので,不実表示の議論のところであるいはどなたかが少しこの点を意識して御発言いただければと思います。 ○鎌田部会長 不実表示との関連について何か御意見が今ありますでしょうか。これも決着はつかないで不実表示まで置いておくということになりますか。 ○松本委員 不実表示のほうではなくて,本来の錯誤で取消しなり無効を主張した側の相手方に対する損害賠償の話です。相手方が錯誤の原因を作っているような場合には,恐らく全然損害賠償の話は出てこないだろうと思うんですが,そうではなくて,表意者が一方的に自分の落ち度で錯誤に陥って,それで錯誤だからということで契約を取り消すなり無効を主張して,相手方に迷惑を掛ける。相手方が,認識可能であれば保護する必要はないではないか。表意者が錯誤に陥っていることがよく分かっていて,あるいは認識可能で意思表示の相手方になっているのであれば,取り消されたとしても保護する必要はないというのは理屈としては十分合理性があるんですが,そのどちらでもない。表意者の相手方が錯誤の原因を作ったわけでもないし,錯誤の認識可能性もない。しかし,表意者の錯誤が典型的な要素の錯誤であって,重過失とまでは言わないけれども,明らかに何か誤りがあって,無効なり取消しなりで相手方に迷惑を掛けているという場合に,本当に全く相手方を保護しなくていいのか。不法行為の要件としての過失の認定ができればそれで賠償責任だということになるのかもしれないので,一方的に錯誤に陥った場合は過失があるんだと,不法行為としての過失があるんだというふうに言い切れればそれでいいのかもしれないけれども,そこまで言い切れないような場合に,一定の信頼利益的な保護を与えるという判断は十分あり得るのではないかと思います。日本の錯誤法は,意思主義の権化のようなところがあって,相手方の行為態様に一切無関係に錯誤無効を認めてきたことから今のような結論になっているわけですが,そういう利益衡量が果たして適切なのかという点については若干疑問を感じております。 ○鎌田部会長 それは無過失責任を負わせるべきだということですか。 ○松本委員 負わせてもいいのではないかなと。つまり,相手方の対応が一切無関係の場合ということですが。 ○中井委員 弁護士会の意見としては,相手方に全く関係のない錯誤であれ,錯誤という制度自体が,表意者保護の制度であるから,無効ないし取消しを認める,しかし,損害賠償義務は無過失で負わなければならない,とする考え方は一致して反対であろうと思われます。それは錯誤という制度を認めた趣旨に反するからということなのかと思います。 ○能見委員 この項目が議論されたときの議論をよく承知していないんですけれども,これが仮にドイツみたいな国で問題となると,錯誤取消しをしたことで相手方は確かに損害を被るんですけれども,不法行為の要件は恐らく満たさないのではないかと思うんです。財産的な損失というか損失はあるんですけれども,権利侵害の要件を満たさないので,不法行為ではカバーできない。ただ,日本は,これはいろいろ意見はありますけれども,709条,過失が前提になりますけれども,709条の下で財産的な損失だけが生じたという場合も,被侵害利益といいますか,法的に保護に値する利益の侵害があったということで,保護することが日本の不法行為上はできますので,そういう意味ではここに規定がなくても,過失が要件になりますけれども,709条で対応できる。そういうことがあるので,私としては結論としてこういうことは,ここに規定を設けなくていいんではないかと思います。設けると,やはり不法行為法との関係だとか,あるいは錯誤そのもので,錯誤については先ほど松本委員がいろいろ整理されたように,果たしてどういう場合に損害賠償を認めたらいいかということ自体が非常に難しくなるので,結論としては,こういうものは置かなくていいのではないかと思います。 ○潮見幹事 ドイツ法の議論も出ていますけれども,基本的にドイツ法の規定というのは,飽くまでも錯誤に限ったわけではなくて,比較法資料のところにも引用されておりますように,広く信頼を供与するような行動を取り,それによって相手方が何らかの意思決定をしたような局面での一種の信頼供与責任的なものとして無過失損害賠償というものが設けられているものです。そのような基本的な考え方に乗って我が国の民法典で損害賠償の規定を仕組んでいくのかどうかというところの態度決定次第だと思います。そういう意味では,私も能見委員ほかの方々と同じように,ここでそのような新たな観点に基づく損害賠償のルールというものを果たして設けてよいのかという点にかなりの疑問を感じるところです。   さらに,設けるのであれば,今申し上げましたように,ドイツ法のような考え方を仮にベースにするのであれば,事は錯誤に限ったことではありませんから,その辺りのところまで意識をしてルール化をしなければいけないと思います。個人的にはこういうルール化には反対というか,むしろ原案に賛成というところです。 ○松本委員 別に私もそれほどこだわっているわけではなくて,不法行為の問題として処理ができるということであれば,それで十分結構なんですが,こういう主張をすることの背景には,日本の錯誤法は,いわゆる一方的な錯誤について表意者を保護し過ぎているのではないかという問題意識があります。つまり相手方の態様と全く無関係に錯誤者を保護するという立場を日本法は採っているわけで,そのスタンスについての根本的な疑問があるということです。相手方がどうかによってもう少し錯誤を分けてもいいのではないかという考えが背景にあるからです。別に立法論として今どうこうではありませんが。 ○鎌田部会長 でも,松本委員はここでまだ決めないほうがいいということですよね,要は。 ○松本委員 いや,不法行為で全く問題がないんだということであれば,別に結構です。私は不法行為ではカバーし切れない部分があるのではないかという気がしたから,取消しは認めるかわりに若干のバランスを取るという形の解決はあってもいいのかなということなんですが,不法行為で全く問題ないということであれば,全然こだわりません。 ○山野目幹事 今ここでしている作業は,やがては中間試案のようなドキュメントにまとめていくことを常に念頭に置きながらしているものと思いますが,今の議題の(5)につきまして,いろいろ御意見ないし疑義をお出しいただいてはいるとしても,部会資料の「ものとしてはどうか」という問い掛けに対して,引き続き検討することがよい,という御意見は,いったいいかなる方向をお述べになっているものなのでしょうか。それでは中間試案のドキュメントにはならないのでありまして,これに何かおっしゃる方は,これと違う案をお出しになって,それとの関係でいろいろ注記をつけたり,各案併記にしたりすることを提案なさるべきものであろろうというふうに感じます。そうでないのであるとすれば,どうか,という問い掛けに対して,そのようにしよう,というふうな会議の方向になっていくことがよろしいものであると考えます。内容の議論としも私は伺っていて,松本委員がおっしゃった問題は確かに検討しなければいけない問題ですが,今,御自身の御発言でも御示唆がありましたように,恐らく日本法の場合には709条で処理することができる場面であろうと考えますし,松岡委員が御注意になったことは,ごもっともなことであると同時に,この提案自体をどうのというのではなくて,不実表示の議論をするときに,特に信頼の正当性のような問題を議論するときに,ここでの解決との整合性を忘れないで引き続き議論してください,という御注意をおっしゃったものであって,別にここに何か注記とか別案をつけなければいけない話ではないであろうというふうに聞こえました。 ○鎌田部会長 ということで,この問題は,以後,不法行為責任に関する一般規定に委ねるということで項目としてはこれ以降取り上げなくするということでよろしいですか。不実表示その他のところでまた新たに議論が出てきて,こことの関連をもう一度審議しなければいけないというときに,それを拒むことではありませんけれども,そういった取扱いにさせていただければと思います。   よろしいでしょうか,松本委員も。 ○松本委員 私は不実表示はそもそも相手方が不実の表示によって働き掛けて錯誤に陥らせているわけだから,当然,取り消したとしても損害賠償の問題なんかは起こらないというふうに整理をしております。 ○鎌田部会長 それでは,次に第三者保護規定についての御意見をお伺いします。 ○高須幹事 第三者保護規定,甲案と乙案があるところでございますが,私としては,やはりこの錯誤の場合と詐欺の場合を比較の上同列に論じて,善意無過失という形でここは考えたらよろしいのではないかと思います。先般来,心裡留保,虚偽表示のところでも出ておりますように,原則は第三者の信頼というのは,信頼に値するものでなければならないわけだから,善意無過失が本来だ。その中から例外的に無過失を必要としないものが出てくるという部分があるということを考えたときに,通謀虚偽表示や心裡留保のような場合と錯誤の場合はやはり少し違うのかな。確かに勝手に錯誤に陥ってという部分はあるのかもしれませんが,それでもやはり本来の原則どおりの善意無過失を要求して,第三者にその要件を課してもいいのではないかと,そのように思っております。 ○鎌田部会長 ほかに御意見いかがでしょうか。   従来は,錯誤の場合には第三者保護規定というのはなかったわけですけれども,これを設けるということ自体には特に異論はない。そして,第三者の主観的要件に関して甲案,乙案がある。ただいまは甲案支持の御意見を頂いたところですけれども,ほかにはいかがでしょうか。 ○岡委員 高須さんの意見は弁護士会の大多数の意見でございますので,一言付け加えます。 ○鎌田部会長 ほかに御意見いかがでしょうか。   本日の審議では,甲案を支持する意見のみがあるということで引き取らせていただきます。 ○高須幹事 一応そういうことでよろしければという前提なんですが,第三者保護規定のところの参考資料の44ページになりますか,4というところで立証責任の問題が出てまいります。心裡留保,虚偽表示,錯誤ときているところで,各所でこの種の解説があるわけです。頂いた資料を見ますと,詐欺のところでは余り強調されていないようでございますので,ここが一番最後になりそうなものですから,ここで立証責任の問題について一言,善意無過失を仮に前提とした場合でも,幾つかの考え方があるのではないかということの意見を述べさせていただきたいのですが,よろしゅうございましょうか。   本日,私の名前で配布させていただきました意見の要旨のところでございます。2ページ目以下からが本文ですが,これは長うございますから,とても本文を読んでおることはできませんので,1ページ目に要旨という形で申し上げたいことをまとめさせていただいております。趣旨は,出発点ですが,今日既に皆様の議論の中から確認いただいておるのかなと思いますが,やはり本来,無効とか取消しというものに関しては,第三者に対してもその趣旨は貫かれるべきである。これがまず出発点なんだろうと考えます。   先ほど来,フランス法ではこうだというような議論も教えていただいたのですが,現時点での考え方としては,無効,取消しに関しては第三者に対してもそれがまず貫かれるべきだ。したがって,第三者保護規定というのはその例外をなすんだから,善意無過失というのが本則になる。ここまでは既に今日のお話の中で出てきた。私もそこまでは全く異論はないというか同意見です。その上で,訴訟の場において,善意無過失の立証責任ということを考えた場合に,今の議論から単純に善意無過失を第三者がどちらも立証しなければならないのかどうか,この点はやはり少し別次元の話かもしれないと考えています。   それなら,民事訴訟の話ではないですかと言ってしまうと,ここで議論する必要がなくなるのですが,実はやはり訴訟の場においても実体法としての民法がどのような規定振り,条文を設けているかによって主張・立証責任というのは決定されていくということが現在は行われており,そのことを少し書かせていただいたんですが,法律要件分類説などという形で,こういう規定があるから善意の立証は第三者が負うんだとか,無過失の立証も第三者が負うんだというような考え方を基本的には採る。ただ,現在の民法は,古い民法でございますから,要件事実論とか主張・立証責任の分配論とか,そういったことを意識する以前に作られた民法だというような問題があって,条文を見ただけでは分からない部分がいっぱいありますね。したがって,そこは条文の解釈を通じて決定していきましょう,こういうような考え方で今,実務は運用されているというのが通説的な理解だと思います。そのことが,いわゆる修正された法律要件分類説などという言葉で表されているのだろうと思いますが,このような観点から現在は運用はしておるんだと思いますが,今回,民法を改正するのであれば,そんな修正をしなくても済む民法にしたほうがいいのではないかと,全ての部分がそのようにできるとは決して思っておりませんし,条文をこう書けば訴訟はこうなってうまくいくというほど単純なものではないということも,私も実務家でございますから,それなりには理解しておるつもりなのですが,ただ,やはり条文どおり主張・立証責任を考えるのはよろしくないから,こうしましょうねと言われているような議論のところは,少しずつ今回の民法改正の中でも取り込んでいって,議論の中で検討して民法の条文の書き振りというものを考えていってもいいのではないか,このように考えましたときに,この要件事実を意識した民法改正というものを行うということは重要ではないかということを考えておるところでございます。その場合には,立証の公平とか,制度趣旨といったものが,どういう規定振りをするかにとって極めて大きなポイントになると理解しております。   従前,立証の困難という言葉で説明される場合もあるのですが,困難というだけで議論をしますと,立場によって,これは困難だからというのは意見が分かれますので,利害を背負ったほうがそういうことを言うという危険性もございますので,やはり公平という言葉で理解すべきだと思います。そして,公平ということを考えたとき,もう一つのポイントである制度趣旨とは基本的には変わらないのだろう,同じような問題なんだろうというふうに理解しています。この点は文献にも書かれておるのですが,そのような観点からここでも考えていきたい。そうなりますと,頂いた検討資料では,善意無過失を第三者側が立証するという見解と,それでは第三者の保護にならないから,悪意有過失を表意者側が主張するという二つの考え方があるというふうな御指摘を頂いておるのですが,今のような観点から考えた場合には,原則は無効,取消しというのは,やはり第三者にも貫かれるべきだという観点に立つと,そのことを前提にする限りは,やはり一旦はまず第三者に対して無効だということを確認した上で,ただ,いわゆる信じるものは救われるという法理が例外として出てきて,善意の第三者,つまり善意性の立証を第三者が行えば例外規定として有効になる,取消しとか無効は善意の第三者に対抗できないという余地が出てくる。しかし,その場合でも,表意者側が今度は,あなたは過失があったではないですか,あなたの信ずれば救われるという例外に対しては,信じたかもしれないけれども,その信じたものは保護に値する信頼でなければならなかったんですよという次のまた例外法理が出てきて,それは表意者側が,第三者の有過失を主張,立証するということで解決していくという,頂いた資料には載っておらないわけですけれども,このような3番目の解決肢もあるのではないか。善意と有過失の主張・立証責任を区分するという考え方があり得るのではないかということを検討していただきたいと思っての意見でございます。これは現行の112条の代理権消滅後の表見代理に関しては,現にそのような規定振りを設けておるわけでございまして,必ずしも理論的にあり得ないとか,あるいは前例がないということではないと思いますので,善意と無過失の問題は全て同列に論じるべきなのかどうか,あるいは区分することが可能なのではないか,飽くまで主張・立証責任のレベルの問題ではありますけれども,御検討いただければと,あるいは改正作業の中で御反映いただければと思う次第でございます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。今の御意見に対して,関連する御発言は何かございますか。 ○能見委員 証明責任等については私もよく分かりませんけれども,これは後でむしろ無効とか取消し一般のところで議論したほうがいいのかもしれませんが,無効だととにかく第三者に対する関係でも効力がないというのが前提で,そういう前提の下で第三者が保護されるためには,基本的に第三者のほうに証明責任がある,そういう構造なわけですが,一般論だけ申し上げますけれども,場合によっては,無効といっても幾つか違うタイプの無効というのがあり得て,無効であるから誰でも主張できるにしても,無効を第三者に対して主張するところまで強い無効ではないというんでしょうか,無効の言わば相対的無効という表現を使うと,またいろいろな概念が入り込むので使いにくいんですけれども,取消しと無効の中間的なものかもしれませんね,そういう実体的なレベルでの少し弱い無効というのもあり得るかもしれない。そういう立場を採ると,証明責任というのはまた違った立場があり得るので,錯誤は錯誤でこれで結構ですけれども,どこかでもしかしたらそういうものを含めて全体的に全てを見直してみるということも必要なのかもしれないという感想を持ちました。 ○山本(敬)幹事 高須幹事の御意見に関しては,総論としては私も賛成したいと思います。つまり,新たに民法を制定するに当たっては,正に規定を整備し直す機会を与えられているわけですから,要件事実ないしは主張・立証責任を考慮した条文の構成をできる限り,整備すべきであるという御主張は全くそのとおりであって,その方向でよく考える必要があると思います。   その際に,基本的にどのように考えるべきかといいますと,やはり民法をどう規定すべきかが問題となっているわけですので,民法の趣旨からして規定の編成はこう在るべきだということが中心に置かれるべきだろうと思いますし,これまでもそのような形で議論をしてきたのではないかと思います。ただ,その上で,恐らく御発言はこのような趣旨かと思いましたけれども,その民法の趣旨が許容する範囲内で立証の公平を図るべき場合があるとするならば,一定の範囲で,立証責任の転換と言うかどうかは別として,そのようなことも考えてよいのではないかということかと思います。こうした基本的な方針については,そのとおりで,この点を意識ししながら規定を整備していくべきではないかと思います。   その上で,第三者保護規定の在り方については,規定の趣旨が先ほどから出ていましたように,基本的には効果が無効,取消しですので,表意者に権利がある。つまり,売買等をした場合は,目的物の所有権などの権利が表意者にあるはずであって,ここで無効,取消しの効果を否定しようとすると,第三者の側に信頼があるだけではなくて,正当な信頼が要求されるべきだというのが原則である。これが先ほどから出てきた考え方であって,この考え方が民法という実体法の趣旨だとしますと,第三者に善意だけではなく,無過失まで原則として要求すべきですし,証明責任もそれに従って第三者が負うべきだと思います。ここで,そうではなくて,第三者側は善意の主張・立証だけで足り,表意者側が第三者の過失を証明しなければならないとしますと,この基本原則から転換をすることになります。それが立証の公平という観点から要請されるのであれば,それもあり得るかと思うわけですが,問題は,そうしますと,そこでいう立証の公平の中身というのでしょうか,なぜこのような原則に対する例外にあたるような証明責任の分配をすべきだと考えるのかです。その説明がうまくつくのであれば,御提案のような形でもよいと思うのですが,そのような説明をもう一歩していただけるでしょうか。代理権の消滅の場合には,それなりの理由はあるとは思うのですけれども,この意思表示の場合の第三者保護規定についてなぜそうか,なぜ第三者は善意で足りると考えるべきかという理由をお聴かせいただければ有り難いと思います。 ○高須幹事 十分な答えにはならないのかもしれないのですが,第三者保護規定に関しての在り方というのは,民法自体が第三者保護規定を設けるという,その趣旨自体がそもそもあるのではないか。つまり無効,取消しというのは,本来,第三者に対してだって無効,取消しの効果は貫かれるべきですよ。これが一方での原則,趣旨でもあるけれども,同時に民法は取引の安全も図るんですよということを念頭に置いて,このような規定をも受けている。そうすると,取引の安全を図るという規定の趣旨からすれば,その立証責任は,本来はそれほど第三者側に負わせてはいけないよねという説明もあるのではないか。従来,悪意有過失の立証責任は表意者側に課すべきではないかという議論をされる御意見の中にはそういったことが念頭にあったのではないかと思っておりまして,そこで,私としては,そこまではさすがに踏み切れないのではないですか。やはりそれは基本的には善意だということに関しては,第三者側に主張,立証をお願いするのは最低限の要請ではないか。幾ら第三者保護規定を設けるにしても,そこは譲れないのではないでしょうか。ただ,過失に関しては善意とは異なる,また次の問題ではないか,私としては,そこは,要するに,正当な信頼でなければならないという部分はもう一段階,分解できるのではないか。信頼があれば救われるというのが一つあり,その上で,でも,その信頼は正当でないとだめなんだよねという切り返しがあるのではないかというふうに一応思ってはおるのですが。 ○山本(敬)幹事 非常に大きな問題を御指摘されていて,ここだけではなく,ほかにも様々に出てくるものとの整合性をどのように保つかという問題につながっているのだろうと思います。網羅的には到底私も分かりませんけれども,一つのあり得る考え方は,同じく第三者ないしは取引安全の保護を図るものであったとしても,客観的な外形があること,例えば登記等の公示がある,あるいは制度として認められるような公示がある,そのほか客観的,制度的に相当程度明確な形になった外形がある場合については,善意で足りるという判断はあり得ると思います。そのような定型性のないものについては,善意だけで足りるというのでは,権利者の権利が簡単に奪われることになってしまう。無過失まで必要であるというのが原則ではないかと思います。   そうしますと,意思表示に関わる第三者保護規定について,第三者は善意で足りるとするのは,ここでは客観的,制度的な外形があることは必ずしも前提とされていないと考えられますので,それとは別の考え方から正当化する必要が出てくるように思います。なかなか難しいのですけれども,その辺りまで考えておきませんと,主張・立証責任の分配は,民法の中で規定しようとするときには,難しいのではないかと思いました。 ○鎌田部会長 ほかに関連する……中井委員,どうぞ。 ○中井委員 民法上の要件として,例えば詐欺について第三者保護について善意無過失と定まった。では,その立証責任を考えたときはどうなるのか,無過失を第三者が立証する,私はいかなる注意義務違反もありませんでした,いかなる過失もありませんでした,表意者が詐欺にあい,表意者が錯誤に陥っていることを知らないことについて,全く私は落ち度がありませんでした。この全く落ち度がありませんでしたというのは,実務的に,ありとあらゆる注意義務違反についてなかったということの証明が現実的になされているわけではなくて,私は知りませんでした,そのたときに次に表意者側から,あなたは事実A,B,Cを知っていた,だからこうすべきだった,若しくはこういうところをやれば分かっていたはずでしょうという主張が,つまり過失を主張する側から出てくる,これが実務的なやり取りとしては極めて素直であろう。この点弁護士会で特に議論したわけではありませんけれども,高須さんの整理の仕方は,実務上のやり取りを考えれば,民法上の要件として善意無過失を要求したとき,それを誰が立証責任を負うかについては,第三者側は善意を立証し,表意者側が,過失を立証するという構造は,分かりやすいですね。 ○鎌田部会長 分かりました。新しい御提案でありますし,ここだけにとどまらない第三者保護規定全体にわたっての御提案でもございますので,今後継続してこの問題については検討させていただくということにさせていただきます。   それ以外の点ではいかがでしょうか。   それでは,この部分につきましての御意見は一応伺ったということにさせていただきます。   続きまして,部会資料29の「第1 意思表示」のうち,「1 詐欺及び強迫」について御審議いただきます。事務当局から説明をしてもらいます。 ○笹井関係官 部会資料29,「第1 意思表示」「1 詐欺及び強迫」「(1)沈黙による詐欺」では,不作為という行為対応によって人を欺罔したと評価できる場合が対象となるわけですから,民法第96条の詐欺に関する規定が設けられていれば足りると考え,沈黙による詐欺に関する規定を設けないことを提案しています。   「(2)第三者による詐欺」については,まず,本文アにおいて,有力な見解に従い,相手方が第三者による詐欺を知っていた場合だけではなく,知ることができた場合にも,表意者は意思表示を取り消すことができるとすることを提案しています。   次に,本文イは,相手方と一定の関係にある者が欺罔行為をした場合には,相手方の主観的事情にかかわらず意思表示を取り消すことができることとするかどうかという問題を取り上げるものです。   甲案は,このような規定を設けることを提案するものですが,これを採る場合には,どのような範囲のものにこの規定が適用されることになるのか,明確で,かつ過不足のない規定を設けることができるかどうかが問題になります。その範囲を明確にすることが困難であるとすると,この点については引き続き解釈に委ねることも考えられます。   乙案は,解釈に委ねることとして,特段の規定を設けない考え方です。   「(3)第三者保護規定」では,有力な見解に従い,第三者が保護されるには,善意に加えて無過失が必要であることを条文上明記することを提案しています。第三者保護規定については,心裡留保や通謀虚偽表示などに関する第三者保護規定を含め,意思表示の効力が否定される場合の第三者保護規定の全体のバランスを考える必要があり,これを補充分科会において議論することも考えられますが,その可否についても御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございます。   それでは,ただいま説明のありました部分について一括して御意見をお伺いします。 ○中井委員 沈黙による詐欺について意見を申し上げたいと思います。検討資料では,沈黙の詐欺については規定を設けないこととしてはどうかという御提案になっていますが,この点については,是非更に検討を続けてはどうかという提案をさせていただきたいと思います。沈黙による詐欺というものが成立することについては,恐らく争いがない。そうだとすれば,沈黙していても詐欺が成立する,ということを民法上も明文化することが好ましいのではないかというのがまず基本にあるわけです。ただ,この検討資料にもありますように,①,②,③と,どのような場合に告知義務が負うのか,沈黙による詐欺による行為の具体的内容はどうか,欺罔行為の内容などが問題とされているのは御指摘のとおりで,必ずしもこれが現段階で意見の一致をみているわけではないのかもしれません。しかし,だからといって明文を設けないのか,果たしてそれでよいのかという疑問があるわけです。つまり,今回の立法の将来のあり姿が私はよく分かっていないのですが,詐欺に関する規定は今,強迫を除けば「詐欺による意思表示は取り消すことができる」,この1行なんですね。では,この詐欺って何ですかということはどこにも書いていないし,その中身,二重の故意であるとか,何ら規定はない。提案のないことからすれば,この詐欺による意思表示は取り消すことができるという,この条文自体は改正を予定されていないのではないか。それを考え,沈黙の詐欺を仮に承認したとき,確かに要件論などについていろいろな問題点があるとしても,沈黙であっても詐欺に該当するということ自体を民法に書き入れて,沈黙の詐欺の具体的な要件については,解釈に委ねる。それは現在,詐欺による意思表示はこれを取り消すことができるというときの詐欺の内容を具体的な解釈の問題としているのとどこが違うのか,という辺りがよく理解できないことに起因しているのかもしれません。   さらに,資料で検討委員会試案が挙げられております。「信義誠実の原則により提供すべきであった情報を提供しないこと,又はその情報について信義誠実の原則によりすべきであった説明をしないことにより,故意に表意者を錯誤に陥らせ,又は表意者の錯誤を故意に利用して,表意者に意思表示をさせたときも,詐欺による意思表示があったものとする」という具体的提案があるわけです。仮にこの提案がここで合意ができたとして,これを条文化するとしたときに,「詐欺による意思表示は取り消すことができる」という条文を触るんでしょうか,それともやはりそれは触らなくて,詐欺の中身,二重の故意について,従来の理解されているところも明文化しない。そうすると,極めてアンバランスな二つの条文が並ぶことになりますが,それを想定しているのか。仮にそうではないとすれば選択肢は二つでして,一つは,「詐欺による意思表示は取り消すことができる」という条文を具体化する,学説や判例で形成されていることをより具体化して分かりやすく書き込む,そのレベルは検討委員会試案と同程度とするのか。もう一つは,そうではなくて,「詐欺による意思表示は取り消すことができる」という次に,「沈黙による詐欺も同様とする」とか「告知すべきことを告知しない詐欺による意思表示も,取り消すことができる」などの条文を設けるのか,沈黙による詐欺の具体的中身は,検討委員会試案のような要件論で合意できたとしても,法文としては,俳句パターンになるのか,この辺りが見えません。今回の御提案は,沈黙の詐欺による具体的要件が必ずしも明確ではない,意見の一致を見ないから,それでは,条文化するのは適切ではない,見送る,ということですが,それでよいのか。沈黙による詐欺が成立すること自体に争いがないのであれば,黙っていても詐欺になるんですよということを民法上明確化することがなぜいけないのか,理解ができないところがあって,意見を申し述べた次第です。 ○新谷委員 沈黙による詐欺について,労働分野での懸念という観点から「規定を設けない」という提案に賛成いたします。   第10回の部会のときにも発言いたしましたが,労働契約は,その対象である労働は生身の人間が生み出すものであり,生身の人間と切り離すことができないという点で,告知義務が想定している典型的な契約である一般のモノやカネを巡る契約とは,決定的にその性質が異なります。学生が就職活動に取り組む場面などに,労働契約の応募者に説明義務・情報提供義務又は告知義務を課すのであれば,労働を生み出す生身の人間のプライバシーであるとか,思想・信条の自由等の人格権との調整が不可欠となって参ります。沈黙の詐欺について明文の規定を設けた場合,採用時に労働者が沈黙していたために誤認してしまったとして,使用者が採用後に契約を取り消してしまう,などという紛争を誘発するという懸念がございます。   また,沈黙による詐欺については,信義則による告知義務の範囲を画定するのは困難であると考えます。契約当事者の力関係の差異に配慮した片面的な条項を設けるのであれば別ですけれども,民法総則の中に一般原則として掲げることについては,「規定を設けない」という提案を,是非維持していただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○深山幹事 私も沈黙による詐欺をあえて明文化する必要はないのではないかと考えております。もちろん詐欺の態様として,沈黙であっても詐欺になることがあるということ自体は,これは多分余り異論のないところで,そもそも沈黙による詐欺という概念自体がそれは詐欺だということを言っているわけです。問題になるとしたら,どういう沈黙が詐欺になるのかということでしかなくて,それは個別具体的事案に応じて解釈なり事実認定をしていくべきことであって,条文として,詐欺による意思表示を取消すことができるということ以上に,沈黙による詐欺というものを加えることによって,詐欺の概念といいますか,詐欺か否かということの判断が,むしろ曖昧になる,判断しにくくなるのではないかという気がします。もう少し実務的に言えば,沈黙による詐欺という主張が現行法下以上に軽く主張されて紛争性を高めるということも懸念されるという意味は,現行法で解釈している中で,不作為であっても詐欺と評価される場合があるということで足り,それ以上に何らかの明文化をする必要はないのではないかと考えております。 ○岡本委員 規定を設けないという原案に賛成したいと思います。理由については,第一読会のときに申し上げたとおりですので,詳しくは繰り返しませんけれども,不作為が行為に当たるというのは詐欺の場合以外でも通常あり得ることで,わざわざ規定するまでもないという,そういうところが骨子でございますけれども,基本的には3ページの3のところに書いてある,そういった理由とほぼ同じです。 ○山本(敬)幹事 私は,やはり沈黙による詐欺については規定を設ける方向で考えるべきだと思います。理由といいますか,申し上げたい点は2点あります。   一つは,先ほどからも出ていますが,今回の改正の基本方針との関係がどのように説明できるかということです。部会資料を見ていますと,沈黙による詐欺が「告知義務がある事実を告知しない不作為が欺罔行為として評価できる場合に認められる」ことを明らかにするのであれば,現行法でも説明が可能であって,わざわざ規定を設ける必要はないということが言われています。そして,何人かの方々の御意見もそれと同じ方向に属するのではないかと思います。ただ,これは中井委員がおっしゃっているとおりなのですが,現在の96条1項は「詐欺による意思表示」は取り消すことはできると書いているだけで,これで,告げるべき事実を告げないことで表意者を錯誤に陥らせたり,表意者の錯誤を利用して意思表示をさせることも「詐欺」に当たることは,法律の専門家でない限り,分からないのではないかと思います。その程度のことは分かるではないかと言い出しますと,ほかの多くの箇所でも,明文化する必要について問題になりそうですが,やはり改正の基本方針は,そうではなくて,できる限り民法典を分かりやすく見通しのよいものにしようということだと思います。そうしますと,沈黙による詐欺についても,コンセンサスが得られる限り,その限度で明文化するということになると思います。   ですので,基本的には中井委員がおっしゃったような方向で考えてよいのではないかと思いますが,ただ,もう一点だけ更に付け加えておきたいことがあります。といいますのは,最終的に規定を設ける場合にについて,その内容についてコンセンサスが得られるかどうかはもちろん次の問題なのですけれども,告知義務が認められるべき要件については,やはりもう少し検討してみてよいのではないかと思います。   私自身は,「信義誠実の原則により告げるべきであったことを告げないこと」と定めるだけでも十分に規定として意味があると思いますけれども,更に考え方としては,どのような場合にが「信義誠実の原則により告げるべきであったこと」に当たるかというものを幾つか 例示することも考えてもよいのではないかと思います。   例えば,生命,身体,財産その他の表意者の権利を害するおそれのある事柄は,信義誠実の原則により必ず告げなければならないということについては,コンセンサスが得られるのではないかと思いますし,あるいは後ろの比較法のところでも御紹介がありますように,最近のフランスの改正草案でも見られるところですけれども,契約の種類や当事者の地位から,表意者が相手方を信頼するのが正当と認められる場合は,その意思表示をするかどうかを判断するために必要な情報は告げるべき義務があると定めるような提案もありますし,それに対応した事柄を例示として挙げることも検討してよいのではないかと思います。  やはりこの21世紀に民法を改正しようというのであれば,簡単に明文化を見送るのではなく,そのような可能性を含めてもう一歩立ち入った議論をすべきではないのか。その意味でも,沈黙による詐欺について明文化するという案を改めて支持しておきたいと思います。 ○青山関係官 今の山本先生のお話を聴いてごもっともだと思った一方で,新谷委員の御意見も聴いて思うのは,告知義務というものがきちんと整理できるかというのがやはり難しいなということです。先ほど新谷委員が言われた労働者,労働契約の場合の労働者の人格権との関係,また,個人情報保護という問題もありますので,それとの調整をどう図るかという問題があり,一方で信義則上必要な告知義務というのはあって,多分,その瀬戸際みたいなもので,いつもぎりぎり難しい判断を迫られる。今度の資料もそれが難しいからやめようという御提案かと思ってほっとしたところもあったのですけれども。例えば,労働行政上も,労働者を採用するに当たって,適性や能力に関係ないことを聞くなと指導しているほどなのです。そういうこともあって,この点は非常に慎重に検討すべきだと思いました。 ○山本(敬)幹事 今の点についてですけれども,御懸念になっているような事柄は,信義誠実の原則により告げるべき事柄に当たらないと判断されるべきものであって,そのような方向で解釈していけば対処できると思います。   少し疑問に思いますのは,これは中井委員もおっしゃっていますが,現行法の下でも96条1項の解釈として,沈黙による詐欺が認められる。それは,信義誠実の原則により告げるべき事実を告げなかったときであるというのが,書いてはいませんけれども,現行法なのです。ですから,現行法の下でも,今おっしゃっているような問題はあるわけです。したがって,沈黙による詐欺による取消しが認められる可能性は現在でもあるわけであって,取消しが認められないとすれば,それは信義誠実の原則により告げるべき事実に当たらないからだと考えられますし,むしろそのような考え方を明確にすれば足りるはずですので,いずれにしても,先ほどのような懸念があるから明文化すべきではないということには結びつかないと思う次第です。 ○内田委員 先ほどの中井委員の御発言に触発されて少し意見を述べさせていただきたいと思います。原案というか部会資料に,詐欺についての判例のリステートになるような提案が出されていないというのは,別にそういう案を作らないという確固たる法務省のスタンスを表しているわけではなくて,これまで特にそういう提案が余り議論されていなかったということだと思います。その上でですが,現在,詐欺の要件としては,部会資料に書いてありますけれども,いわゆる二重の故意が必要であると言われていた。それを前提に考えますと,沈黙による詐欺というのが,この96条の詐欺についての判例理論でもって全部処理できるのかどうかというと,多少疑問があるように思います。消費者契約法に書かれている不利益事実の不告知のように,故意にある事実を告げないことによって相手を誤信させて契約をさせるという場合,告げないという不作為はありますけれども,しかし,相手を欺罔する故意を持っていますので,従来の詐欺の要件にうまく当てはまって処理できると思います。しかし,沈黙による詐欺の中には,欺罔による故意はないのだけれども,相手が勝手に錯誤に陥っている。その錯誤に陥っていることを知って,それは自分にとって有利なので,それを利用して契約するという場合もあります。これは欺罔の故意,つまりだますという故意は最初はないわけです。しかし,相手が錯誤に陥っているのを利用するという故意をもって契約をする。それが常に詐欺になるかというと,常にはならない。やはり相手の錯誤を正してやる,告知義務といいますか,そういう正してやるべき信義則上の義務がある場合に初めて詐欺と評価されるのだろうと思います。この部分は従来の詐欺の要件論だけではすぐには出てこないように思いますので,ここをカバーするためには,やはりきちんと書く必要があるという議論はあり得ると思います。もし沈黙による詐欺を明文化するという話になればということですけれども,今のような点も検討する必要があるかなと思います。 ○笹井関係官 先ほど,山本敬三先生から,今回の改正についての大きな目的と言いますか,方針との関係をどのように説明するのかという問題提起がございましたので,その点について少し補足させていただきたいと思います。   確かに,明文に書かれていないけれどもコンセンサスが得られているルールをできるだけ書き込んでいくということが今回の改正の大きな目的になっているということについてはそのとおりであろうかと思います。そうだとすると,沈黙による詐欺についてのルールをなぜ書かないのかということが問題になってくるわけですけれども,これは事務局の統一見解ではなく私の個人的な考え方ということですが,ルールを書き込むときに,信義則しかないというところで,ある特定の場面で働くルールを書いていくということには意味があると思います。ただ,沈黙による詐欺につきましては,民法第96条第1項という規定が既にございますし,これに加えて更に沈黙による詐欺についてのルールを書き込む場合には,やはりそこに,民法第96条第1項にとどまらない何かプラスアルファの情報を付け加えることができるかできないかというところが一つのポイントになってくるのではないかと考えました。   部会資料の補足説明1の①から③のように書きましたように,沈黙による詐欺においては,通常の詐欺に比べて幾つか問題になる点があると思うのですけれども,こういったものについてプラスアルファの情報を条文上明記していくことができるとすれば,それは沈黙による詐欺に関するルールを明文化することにも十分な意味があるのかなと思うのですけれども,これらの点について,今,コンセンサスを得て条文化できるような情報がないのではないか,単に沈黙による詐欺を取り消すことができるという抽象的な文言だけになってしまうのであれば,民法第96条第1項があれば足りるのではないかというように考えた次第です。 ○松本委員 内田委員が先ほどおっしゃった,沈黙の詐欺が伝統的な詐欺の二段の故意で押さえられないタイプがあるという点,つまり相手方の誤解,錯誤につけ込んで契約を取るというタイプは伝統的な二段の故意の一段目の故意が欠けているのではないか,そこに特殊性があるんだということですが,例えば,A,B,Cときちんと説明しなければならないことのうち,Bをわざと省いて誤解に陥らせるというのは,そのBについては確かに沈黙をすることによって詐欺に陥らせると言えるかもしれない。本来,A,B,Cと言わなければならないことをA,Cとだけ言うのは,別に沈黙だけではなくて,トータルとして見れば,そこに積極的な欺罔行為があると見られますが,そうではないところの相手方が一方的に誤解をしているということを知ってそれにつけ込むというタイプは確かに詐欺では押さえにくいのではないか。   これは,前から言っています状況の濫用ではないかと思うんです。債権法改正の基本方針だと,公序良俗の現代型暴利行為というんですか,現代型の公序良俗違反,「当事者の思慮,経験,若しくは知識の不足等を利用して」というタイプに収まるので,結局,一段目の故意のないタイプをあえて沈黙による詐欺と名づけて96条のほうに取り込まなくても,別の受け皿を用意すれば,それはそれでカバーできるだろう。他方で,A,B,Cと全部言わなければならない部分のBを故意に飛ばして誤解させた場合は,沈黙が一部入っているけれども,本来型の詐欺でやれば問題はないのではないかと思います。 ○潮見幹事 部会資料29の補足説明の冒頭の部分,当事者が表意者に対して信義則上告知すべき事実を告げない場合にも詐欺が成立することについては,判例,学説上おおむね異論なく承認されているという,この部分についての認識の違いがあるのではないかと感じました。つまり,信義則上の告知義務があり,その違反があり,それに故意に違反したというような場合には,こういう形で詐欺が成立するという共通認識があるのであれば,このことを条文に書き込むことに対して躊躇すべきではないというように考えます。   ただ,岡本委員ほかの発言,新谷委員の発言までを含めて考えたときに,沈黙による詐欺の規定を設けないのがよいとお考えの方々は,信義則上告知すべき事実を告げない場合にも詐欺が成立するというような抽象的な形での法理が判例法理として確立しているのかということそのものに対する疑問をお持ちではないのでしょうか。逆に言えば,ここに示されているような判例法理というものがないとお感じの方々が沈黙による詐欺についてお持ちの認識をも最大公約数的に反映させるような形で条文にすることが可能なのかどうかを検討する意味はあるのではないかと思います。つまり,ある限定をして,その限定をした部分での何らかの定義ができないかということです。笹井発言には,そこまで検討されて,ちょっと難しいかなという感触も含められていたのかもしれませんけれども,ただ,判例法理に関する認識の部分が補足説明にも,あるいは規定を設けないことにしてよいとおっしゃる方々の中にも少し見えにくい部分がございましたからちょっと発言させていただいたところです。 ○岡本委員 少なくとも私としては,2ページの補足説明の1の第一文の部分,ここに特に異論があるというわけではございません。 ○潮見幹事 そうであればなぜ規定を設けないほうがいいというふうにお感じになられるのでしょうか。 ○岡本委員 先ほど申し上げたように,不作為であっても,その行為として認められることはほかにもいろいろあるので,現行の規定でも十分読み込めるのではないかということです。 ○潮見幹事 その1点というふうに理解してよろしいですか。 ○岡本委員 そうですね。あとは,更に細かく言うとすると,3ページの3のところにあるような,規定することもなかなか難しいんではないかというところも次の理由としては…… ○潮見幹事 1のところに書かれている一般法理というものがあることを認めているにもかかわらず,規定を設けるべきではないという意味が私には分からない。 ○岡本委員 先ほどの笹井関係官のお話でもありましたけれども,プラスアルファの情報が加えられるのであれば分かりやすくなるというのはあるのかもしれないですけれども,信義則という一般原則を持ってくることで果たしてどれだけ分かりやすくなるのかというところの疑問があります。 ○鎌田部会長 この点については継続して……沖野幹事,どうぞ。 ○沖野幹事 タイミングが悪くて申し訳ありません。   沈黙による詐欺について規定するかどうか,その意義についてです。私は,従前から,96条は,詐欺による意思表示は取り消すことができるという,現行の1項の大本の規定自体も非常に不親切な規定であると考えております。詐欺というのは日常用語でもあるものですからイメージが湧き得るとはいえ,法律用語として詐欺というものはどういうものか,教科書などを見ますと比較的固定した概念説明があり,伝統的にそう考えられていると説明されているのですが,条文の文言には現れておらず,その点の不親切さというのがいつも気になっております。詐欺を定義できればよいのですが,沈黙による詐欺についての規定を置くことの意義として,告知義務があるような不作為類型,欺罔する積極的な行為をしている場合に限られるわけではなくそれ以外の不作為的なものもあることを明確にするという点があります。これのほか,例えば,資料の2ページに出されている検討委員会試案に示されたような形で沈黙による詐欺の場合を示すことで元々の詐欺による意思表示というものがどういうものであるのか,行為類型であるとか,既に錯誤に陥っている状態を強化したり,利用したり,それに乗じたりということを故意にやるというようなことも含むとかいった,詐欺による意思表示自体の内容を明らかにする手掛かりもこれで示しているという意味で,96条1項にいう詐欺とはというような本来的な定義を置かずして手掛かりを与えるという意義もあると考えます。私自身は規定を設けてはどうかという考えを持っているものですから,規定を置く意義としてそういう面も考えられるのではないかということを補足させていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 引き続き検討ということにせざるを得ないと思うんですけれども,これまで御指摘ありましたように,沈黙による詐欺についてだけすごく詳しい規定を置いて,本則のほうは現在の96条1項のままというのは,何か非常にバランスが悪いし,沈黙による詐欺も詐欺であるというのはトートロジーでしかないわけですので,元々の原則型についての規定を充実させる。その中で作為,不作為両方入るんだというふうにするだけでも足りるのかもしれません。他方で,山本敬三幹事の御発言では,むしろ告知義務の内容をもっと細かく規定しろというふうなことでしたけれども,それは詐欺の要件として規定するのか,情報提供義務その他のところで規定していて,それに反した場合の効果として詐欺になり得るという形でやってくるのかというのでも随分規定の意味は違ってくると思います。多分,作為型と不作為型とをバランスよく条文にすることは大変難しいというのが事務当局のこれまでの御判断だと思いますので,可能であれば,こういった形での規定の仕方をすれば,作為型,不作為型両方併せて今よりもずっと親切な規定ができるという形での御提案が頂ければ,更に議論を進める上で事務当局としても助かるのではないかと思います。よろしくお願いします。 ○松本委員 沈黙の詐欺の明文規定化が債権法改正の基本方針の中に書かれているから我々は議論しているわけですが,他方で,その一つ前の不実表示についての提案を見ると,故意の不告知はもう要らない,不実表示一本でいいんだという提案をされているので,それとのバランスがちょっと合わないのではないのかという気もするんです。もちろん今の消費者契約法の4条2項というのは,ちょっと分かりにくい書き方なので,あれは整理する必要があるんですけれども,故意の不告知という要件を書かなくても,不実表示の要件は十分満たしているんだというのは,正にそのとおりなのです。それでいけば,詐欺についても,沈黙の詐欺といいますが,何も言わないこと自体が問題ではなくて,言わないこと,隠したことの逆の効果といいますか,そういう事実がないかように思わせて,動機付けて契約をさせるというところに意味があるわけなのです。黙っていること自体ではなくて,黙っていることによって逆のことを認識をさせるという点に問題があるんだとすれば,トータルに見れば積極的に故意に不実の表示をしているということになるわけです。他方,消費者契約法の不実の告知は,故意も過失も要らない不実表示であると整理ができる。両者の間には過失による不実表示というものがあるわけです。このように考えて,詐欺と不実表示について同じような規定振りをすべきだとすると,一方についてのみ沈黙の場合の特則を置くというのは,ちょっとバランスが合わないという気がします。 ○鎌田部会長 分かりました。それらの点も含めて継続して検討させていただきます。   第三者詐欺についてはいかがでしょうか。 ○鹿野幹事 結論から言いますと,第三者による詐欺のアについては,これに賛成です。それから,イについては,甲案と乙案が置かれていますけれども,私としては,甲案のほうに,つまり規定を設けるという案に賛成したいと思います。つまり,イのほうは,表意者が相手方の代理人等の詐欺によって意思表示をした場合についての問題ですけれども,まず,そもそも代理人の詐欺については,従来から,明文はないものの解釈上,本人が詐欺をした場合と法的に同視するということが認められてきたと思います。しかし,本人の詐欺と同視されるのが,代理人の詐欺だけに限られるべきかというと,そうではないと思います。現在,消費者契約法の5条に,これに関連する規定,つまり事業者の代理人または媒介受託者等が不実告知等を行った場合においては,事業者本人が不実告知等を行った場合と同様に,消費者は取消権を行使することができるという旨の規定が置かれています。これは,消費者契約だからということでは必ずしもなく,同規定の根底には,相手方本人が直接不適切な勧誘行為を行った場合だけではなく,相手方本人の行為と同視できるような立場にある他者が不適切な勧誘行為を行った場合においても,それによる不利益は相手方が負うべきだという考え方があるのではないかと思います。消費者契約法で直接対象とされているのは不実告知その他,同法4条で定められた不適切な勧誘行為ですけれども,民法の詐欺についても,その基本的な考え方は妥当するものと思います。そうだとすると,ここに民法の規定として,そのような考え方を明らかにすべきだと思います。規定を置くとした場合に,より具体的にどのような形で規定を置くべきかですが,資料では甲案の中でも二通りの考え方が示されております。つまり,一つには,例えばということで代理人,代表者,支配人等々を列挙するという考え方,それからもう一つには,より抽象的に,その行為につき相手方が責任を負うべき者というふうに規定するという考え方が掲げられているのですが,私としましては,この二つをドッキングさせて規定するのがよいと思います。要するに,基本的な考え方は,その行為につき相手方が責任を負うべき者ということで,これは置いたほうがよいと思うのですが,このような抽象的な規定だけを置くと,いかなるものがこれに入るのかということが条文上は分かりにくく,見通しのよい民法ということを考えた場合には問題が残ります。そこで,典型的にこれに該当すると考えられるような者,代理人とか代表者,あるいは媒介受託者等を例示として掲げ,そして,その行為につき相手方が責任を負うべき者というような形でこれを規定するということがよろしいのではないかと考えます。 ○岡田委員 私も鹿野幹事と同じなんですけれども,第三者の場合はアで,問題はイなんですが,この場合,やはり甲案を是非私たちの立場からすれば入れていただきたい。その場合に,列記するのか,それとも,その行為につき相手方がうんぬんということで,今,鹿野幹事からは,両方ドッキングしたという形なんですけれども,そうしていただいて分かりやすければ一番いいと思いますけれども,ここでその行為につき相手方が責任を負うべき者というのが大変私たちからすると悩ましくて,それをこちらが立証しなければいけなくなるのではないかなと思うと,実際に勧誘だとか何かした連中と本人との間がどういう契約かとか何かその辺のことはこちらから分かりませんので,やはり列記した上で,列記するとどうしても漏れが出てくるので,その漏れをまたカバーするような形で甲案を設定していただければなと思います。 ○山下委員 甲案でよろしいかと思いますが,先ほど消費者契約法5条の規定が鹿野幹事から引用されていましたけれども,消費者契約法5条では,代理とか媒介の委託を多段階で行う場合も含むというふうになっておりますのに対して,甲案では,媒介について,相手方本人から契約締結について媒介をすることの委託を受けたものと本人からというのが特に明示してありますが,やはり現代の仲介というのは多段階で行われることも多いので,消費者契約法のような規定を置くことも必要ではないかと考えております。 ○山野目幹事 イの甲案のところにおいて,細かな例が列挙されているものと包括的な規定のタイプと両方を示唆いただいているところですが,少し危惧を抱く部分があるものですから申し上げさせていただきます。   代理人がした欺罔行為について取消可能性を開くことは,現在の学説解釈上も認められていますし,挙がっているもので代表者,支配人,従業員などは,恐らく解釈上もそれに準じて取り扱うことが可能であるというふうにも思いますけれども,この例示の最後の,媒介の委託を受けた者に関して言うならば,消費者契約法5条の場合には,御存じのとおり,飽くまでも事業者と消費者との契約であるという前提で機能する規定でありまして,しかも,事業者から媒介の委託を受けた者のした行動について,事業者が一定の不利益を受けるという規定ですが,ここでこれが部会資料のような仕方で一般化されますと,例えば,宅地建物取引業における媒介で,売り手になる人も,買い手になる人も消費者であるというときに,間に入った媒介の宅地建物取引業者を必ずしも消費者である売り手ないし買い手は十分にコントロールすることができないような場合もあるものでありまして,その人のした行為について売り手本人ないし買い手本人の欺罔行為と同視して法律関係が処理されるということは少し心配であると感じます。しかも,宅地建物取引業の世界で両手の媒介と言われるように,両方から媒介の委託を受けるような場合については,法律関係がどうなるのかといったような疑義を招く部分がございますから,代理人に関して甲案のような規定を設けることについては,さほど心配はいたしませんけれども,どこまで広がっていくのかということについては,広がり具合について危惧する部分があるということを申し上げさせていただきたいと考えます。 ○中井委員 今の山野目幹事の意見にも関連するのですが,その前提として,かねて申し上げていますように,ここは第三者による詐欺として整理されています。アについては異存はありません。しかし,イについては,本来第三者による詐欺と整理されるべきものではなく,本人の詐欺と認められる場合はどういう場合なのだということではないかと思います。ですから,96条2項の問題としてそもそも取り上げること自体疑問で,96条1項の問題,本人の詐欺の範囲の問題で,したがって,当然に相手方本人の主観は問題とならない,こういうふうになるんだろうと思います。   そこで,代表者,支配人,従業員というのは,会社そのものですから本人,従業員がやって,社長が知っている,知らんという問題ではない。代理人についても,本人の詐欺として整理されている。私もこの四つ,代理人,代表者,支配人,従業員については,本人の詐欺として認められる場合であると考えてよい。その上で,懸念を持っているのは,山野目幹事がおっしゃられた,相手方本人から契約締結への媒介をすることの委託を受けたものについて,これを例示することについてです。これは本人,会社でいうなら会社,個人なら本人がコントロールできる範囲の人だからこそ相手方本人の詐欺としてその責任を負うわけですけれども,この委託を受けたものに,例えば,個人が不動産仲介業者に委託をして,仲介業者のしたことについて,そのまま適応されるとなれば問題ではないか。相手方本人のコントロール可能性があるとか,相手方本人が責めを負うべき場合と同じことかもしれませんけれども,仲介業者のしたことについてきちっとコントロールができるような,そういう何らかの要件がなければならないのではないか,ということは申し上げておきたいと思います。 ○鎌田部会長 行為についてコントロール可能性がなければ…… ○中井委員 当たらない。 ○鎌田部会長 となると,詐欺による利得は全部もらっていいと。 ○中井委員 相手方本人による詐欺には当たらない。それは,正に第三者の詐欺の問題として考えることになる。そういう場合は,本人のコントロールの及ばない第三者なわけですから,本来的な第三者の詐欺として規律すればいい。 ○鹿野幹事 私自身は,今の基準の問題については,コントロール可能性ということとは違う要素もあるように思います。ただ,確かに,今,山野目幹事及び中井委員がおっしゃったように,媒介受託者に関しましては,色々な事例を考えると,相手方との関係に多様性があるといいましょうか,本当にその受託者の行為につき相手方が責任を負うべきような場合と,必ずしもそうではない場合とが存在するように思います。私は先ほど,例示と一般的な考え方とを結合させたような形の規定を置くのがよいのではないかと申し上げましたし,その意見には変わりありません。けれども,その場合に例示列挙する具体的な内容としては,常に相手方と同視できるような例,つまり相手方本人が詐欺を行ったのと同じように詐欺を受けた表意者に取消しを認めてもよいというような例のみをくくり出して掲げておいて,ただ,その例示されたものに限るわけではなく事情によっては他も含まれ得るという意味で,基本的な考え方を示す抽象的な文言も置くということがよいかもしれません。受託者については,今の御指摘を受けて,限定を付した形であれこれを例示として明確にすることができないかどうかについて更に考えてみたいと思います。なお,その行為につき相手方が責任を負うべき者という表現がベストなのかどうかについてはまだ検討の余地があるかもしれませんが,いずれにしても基本的な考え方を示す文言は必要だと思います。 ○鎌田部会長 「その行為につき相手方が責任を負うべき者」という表現がいいかどうかという問題もあると思うんですけれども,基本的な考え方,何が根拠になって本人が責任を負うのかというところが明確にならないと解釈基準にならないような気がするんですけれども。 ○潮見幹事 中井委員がこういう意味でおっしゃっているとすれば,私は,中井先生の御意見に賛成したいと思います。この第三者による詐欺ということで書かれているアとイは異質なことを書いている。アは,正に文字どおり固有の第三者による詐欺の問題である。イに書かれているのは,表意者に対して一定の行動を起こした相手方側の人がいて,その相手方側にいる人の行動が,その場合に相手方本人の行動と同質のものというように評価することができる場合には,相手方の知不知に関係なく表意者は当該欺罔による意思表示を取り消すことができるというルールとして仕組むべきだ。その場合に,仕組み方として,このような甲案に書かれているような広い人的範囲の捉え方で相手方側の人間というものを一網打尽にするのは適切ではない。むしろ,その場面では代理だとか,それに相当するような関係に限定をした形で問題を捉えるべきではないかという御趣旨でしょうか。そうであれば,私はそれに賛成したいと思います。 ○深山幹事 今の潮見先生の話と同じことになるのかもしれないのですが,イで掲げられている代理人,代表者,支配人,従業員のところは,中井先生御指摘のとおり,それは本人の詐欺の延長線上の問題といいますか,カテゴリーとしては本人の詐欺の解釈の範囲の問題であって,そのようなものとして明文化するということはあってもいいと考えます。そう考えますと,詐欺の態様について沈黙というか不作為の場合の明文化について,先ほどはそこだけ規定するのは反対だということを申し上げましたが,その後,部会長のほうで,そもそも詐欺の内容をもう少し具体化する中で,作為,不作為を取り込んだ表現の規定を設けたらというような御説明があって,そういうことであれば,それはまたごもっともだなと思いましたし,ここの人的な範囲についても,詐欺の規定を具体化するというか,もう少し分かりやすく新設にする中で,詐欺の態様や人的範囲を具体化するということはあってしかるべきなのかなと思います。そういう意味で,現行法の96条1項の具体化の中で今の上から四つ目までのところは例示的にであれ取り上げる必要もあるし,それは有意義だと思うんです。もっとも,ここでは第三者による詐欺についての規定を現行法よりも更に何か分かりやすくするかということが提案されているわけで,そうだとしたら,先ほどの媒介,仲介業者なども含めて,そこを何か規定するかどうかというのはまた別の問題だと思うんです。アのところで,知ることができたことを加えるというのは,それはそれでよろしいかと思うんですが,イのところで出てくる媒介のような人に限るのかどうか,あるいはその行為につき相手方が責任を負うべき者というような立場の人に,ここでいう第三者を限るのかどうかということは,果たしてその必要があるのかなという気がいたします。先ほどコントロール可能かどうかというようなことも議論が出ましたけれども,そのような基準であれ,第三者による詐欺によるというところの第三者を一定の立場の人に限るのがいいのかどうか,現実的には何も関係ない見ず知らずの第三者が登場するということはないのでしょうが,要件として,第三者を限定するのがいいのかどうかというのは別の問題です。そこは余り限定する必要がなくて,そういう意味では具体化する必要もないのではないかと考えています。 ○山本(敬)幹事 少し整理をし直さないといけなくなったかもしれませんが,少なくとも第三者による詐欺については,現行法に規定がありますし,そして,その現行法の要件については,アのように「知ることができたとき」も付け加える。そうしますと,悪意ないしは過失の要件で取消しの可否を決めるということで対応できる。第三者の範囲をそこで更に広げたり絞ったりする必要はないのではないかという感じがしました。   その上で元へ戻ってですけれども,潮見幹事がおっしゃったことではあるのですが,相手方がその行為について責任を負うべき者かどうかという基準が立てられている趣旨は,そのような相手方がその行為について責任を負うべき者がした行為は相手方が自らしたのと同視されても仕方がないというところにあるのだと思います。自分がしたのと同視されるからこそ,相手方がその事実を知っていたかどうかにかかわりなく,取消しが認められる。   したがって,規定の書き方としては,代理人,代表者,支配人等々と限定的に列挙するのではなくて,「その行為につき相手方が責任を負うべき者」と規定すべきだと思います。媒介に当たるものについても,例示するのではなくて,飽くまでも「その行為につき相手方が責任を負うべき者」に当たるかどうかとして判断していけばよいのではないかと思います。   ついでに言いますと,「その行為につき相手方が責任を負うべき者」という書き方が分かりにくい指摘に対しては,最近の比較法の状況を見ても,ヨーロッパ契約法などが正に「その行為につき責任を負う第三者」というような定め方をしています。日本語としてこれでよいかどうかという問題は更にあるかもしれませんが,考え方としては,このような方向でよいのではないかと思います。 ○中原関係官 今の山本先生の指摘で,相手方が責任を負うべき者と書けばいいのかというのが,Aというものについて責任を負うべき人については,Bということについても責任を負いなさいというようなインプリケーションがある書き振りであれば書く意味があるような気がしますが,責任を負うべき者は責任を負いなさいと書くのは,先ほどの部会長の別の論点における御指摘と同じように,単純にトートロジーを述べているだけで,何ら具体化したことにはならないのではないかと思います。かといって,具体化したときに,代理人というのも,表見代理が成立するような者の範囲がどこまで限定されるのかというようなところも,いずれにせよ明確化しなければいけないという問題は出てくると思いますが,相手方が責任を負うべき者と書けば済むという問題では全然ないだろうと思います。 ○中井委員 繰り返しになりますが,イについて取り上げられていることは,私は本人による詐欺として位置付けるべきだということを申し上げたかったわけです。本人の詐欺と位置付けることのできる範囲は基本的に本人と同視できるような人なわけですけれども,それは具体的に代理人,代表者,支配人,従業員は当然のことだということです。問題は,次の相手方本人から媒介を受けた者,こういう人は本人と同視できるような場合もあるだろうし,できない場合もあるだろう。それは鹿野幹事もおっしゃったとおりで,その一つの基準として,先ほどコントロール可能性ということを申し上げたわけです。そして,アは第三者による詐欺における第三者の話で,この第三者について私は何らかのコントロール可能性とかで制限を加えようとか,範囲を変えようという意図で発言したものではありません。先ほど,深山幹事の発言の中にはそういう理解が含まれているように危惧したものですから,説明を追加させていただきました。 ○鎌田部会長 これはアがいわゆる第三者詐欺の問題であって,イはそれとは別の問題であるということは,事務当局としても意識しています。従来このテーマの下で語られてきた課題であるのでここに入れているのであって,法的にはむしろどこまでを本人の行為と見ることができるかという,そういう問題であるということは事務当局としても認識しているところであります。 ○山本(敬)幹事 鹿野幹事が本来言われたことであろう事柄なのですけれども,コントロール可能性は,確かに一つの基準にはなるだろうと思いますけれども,これと「相手方が責任を負うべき者」が同じだと見るのは,やはり問題です。もし同じだと見ますと,特に法定代理人の場合をどう考えるかということが問題になってくる可能性があると思います。基準は一つでなく,複数かもしれないという意味も含めて,「相手方が責任を負うべき者」という基準が立てられているのだろうと思います。 ○潮見幹事 時間がないので申し訳ありません,1点だけ。誰の発言とも矛盾することではないと思いますけれども,その行為につき相手方が責任を負うべき者という言葉,これは後でまた出てくるのかもしれませんが,交渉補助者の関係で損害賠償責任が問題になる場面もありますので,条文化する方向に進むということであれば,少し文言に工夫をしていただければと思います。 ○山下委員 具体例に挙がった媒介の範囲がこのままだと広過ぎるのではないかという点は先生方がおっしゃるとおりかと思います。そうすると,あと並んでいる代理人,代表者,支配人,従業員のうち,代理人は使用人でない他の企業組織的な者も入ってくるかと思いますが,その後の,代表者,支配人,従業員というのは一つの法人の中の者に少し限られてきます。しかし,こういう規定を及ぼしていいタイプの媒介を行う独立の事業者もあるのかと思いますので,多段階の委託がある場合も含める余地があるように具体的な規定振りを今後御検討いただければいいのかなという気がいたしました。 ○岡崎幹事 今までの御議論を伺っていての感想めいたものに過ぎませんが,この場面では明文で範囲を規定することは非常に難しいとの感想を持ちました。列挙するにしても,網羅的に列挙するのはなかなか難しく,他方で,包括的な文言として,その行為につき相手方が責任を負うべき者という,先ほど中原関係官がおっしゃられたように,トートロジーになってしまう。この辺りを明確にできないのであれば,条文化することは難しいのではないかなとの印象を持っております。 ○鎌田部会長 御意見は大体伺えたと思いますので,それを踏まえて更に事務当局としての検討を続けさせていただきます。   第三者保護規定についてはいかがでしょうか。現在の96条3項の善意を善意無過失に改めるという提案でございます。特に異論がないというふうに……高須幹事,どうぞ。 ○高須幹事 異論がないということだけなんですが,元々詐欺の場合は善意無過失を保護すべきだと思っておりますから,それに改めていただいたほうが分かりやすいと思います。 ○岡委員 弁護士会の意見として,善意無過失が多数説でございました。やはり詐欺,錯誤と心裡留保,通謀虚偽表示,それは分けるべきであるという問題意識が強かったんだろうと思います。 ○鎌田部会長 ほかには御意見は特にないですか。   私は個人的には善意説にも相応の根拠があるような気がしているんですけれども,ここは異論がないということで意見がほぼ一致したという処理にさせていただきます。   6時まであと間がありませんけれども,この項目以外に少し議論すべき点がありますので,大量に積み残しを作ってしまったことが大変悔やまれるんではありますけれども,部会資料に関する議論はここまでとさせていただきます。   その上で,先ほどの第三者保護規定を善意から善意無過失にということについては異論がなかったんですけれども,事務当局からの御説明の中で,第三者保護規定については,分科会で御検討を頂いてはどうかという提案になったところですけれども,それはもう分科会に下ろしてよろしいでしょうか。 ○笹井関係官 第三者保護規定につきましては,詐欺だけではなくて,心裡留保,虚偽表示,錯誤などでも問題になりますので,これら全体のバランスを見て均衡が取れているかどうかについて改めて検討する必要があるのかどうか。今までの中でもう既にこれでいいということであれば,特に分科会で議論していただく必要もないかと思いますけれども。 ○松岡委員 そういう意味でしょうか。分科会に何を委託するか自体が,これから議論されるべきものですけれども,私は,各種の第三者保護規定について均衡を考えて配置するのは当然だが,第三者保護規定をまとめて規律するのか,あるいは無効・取消し原因毎に個別に規定するのかはやや技術的な問題でありますので,そういうことを分科会に検討するよう委託するという御趣旨かと理解しておりました。 ○鎌田部会長 今の点は形式的にどうするかの問題ですけれども,笹井さんの説明でいくと,同時に実体的な内容についての相互のバランスについても点検をしてもらいたいと,その二つの点が含まれているということですね。 ○笹井関係官 配置の点も含めてということでございます。 ○鎌田部会長 よろしいでしょうか,そういうことで。 ○中井委員 第三者保護規定についてのみのお話のようですけれども,個別に,善意なのか,善意無過失なのかということのバランスについて更に検証することについて結構かと思いますが,ここで相当程度議論したことを踏まえてということだろうと思います。   その次の配置の問題について,これは松岡委員からの,一つのところにまとめて規定したほうが分かりやすいのではないかという御提案を受けての検討かと思いますが,弁護士会の多くの意見は,個別の条文ごとにそれぞれ規定したほうが分かりやすいのではないかというものでしたので,念のため申し上げしておきます。 ○鎌田部会長 分かりました。ただいまの御意見も踏まえて分科会での検討課題とさせていただきます。   本日大量に積み残しを作ってしまいましたけれども,その積み残しの議事につきましては,次回の冒頭で引き続き審議することにいたします。   次に,分科会の設置に関する報告事項でございます。   前回の会議におきまして,補充分科会の設置について御決定を頂いた上で,その正式名称及び人選については,私に御一任を頂きました。この点についての検討結果を御報告させていただきます。   まず,正式名称ですけれども,三つの分科会をそれぞれ第1分科会,第2分科会,第3分科会と呼ぶこととさせていただきます。これまで「補充分科会」というふうに言ってまいりましたけれども,補充という語をあえて分科会の名前に残さなくてもいいだろうというふうなことでございます。   次に,各分科会の分科会長につきましては,中田委員,松岡委員,松本委員にお務めいただこうと思っております。御担当いただく分科会につきましては,機械的で申し訳ありませんが,五十音順で,中田委員に第1分科会,松岡委員に第2分科会,松本委員に第3分科会をそれぞれお願いすることといたします。各分科会に所属するその他の固定メンバーにつきましては,諸般の事情を考慮した結果,お手元にお配りしている分科会メンバー構成に記載のとおりとさせていただこうと思います。各分科会長を初め分科会の固定メンバーになっていただく委員,幹事の皆様には,これまで以上の御負担をお掛けすることになりますけれども,どうぞよろしくお願いいたします。   なお,各分科会の開催日程につきましては,別途事務当局から連絡してもらうことといたします。   私からの報告は以上でございますが,何か御質問等ございますでしょうか。よろしいですか。   ないようでしたら,最後に次回の次回の議事日程等について事務当局から説明をしてもらいます。 ○中井委員 補充分科会の論点候補については,今日は議論しないということでしょうか。若しくはどの段階で議論をするのかという質問になるのかもしれませんが。 ○筒井幹事 分科会に振り分ける論点について,今日の進め方のモデルを改めて御説明いたしますと,事前送付した部会資料のうち分科会に振り分ける論点の候補についての事務当局の原案は,部会メンバーには事前に電子メールでお伝えいたしましたが,その上で,個別論点についての部会資料の説明の際に改めてこの論点は分科会に振り分けてはどうかという説明を差し上げて,議論をしていただいたつもりです。ただ,本日の議事の中では意思表示の第三者保護規定の部分だけがその候補に該当していますので,やや分かりにくかったかも知れませんが,その点のみについて先ほど部会長から確認があったということです。   本日は取りあえずこのようなモデルに従って進めてみたわけですが,中井委員から御指摘がありましたのは,あらかじめ議事の冒頭で分科会に振り分けるものを相談するような進め方もあるのではないかという含意がありましたでしょうか。 ○中井委員 論点の検討(2)の第1から第3までの中で分科会の論点候補が出たものですから,どういう考えでこういう論点を選んだのかというお話があるのかと思ったものですから質問したわけです。進め方については,今おっしゃられたように,個別に進んだところで確認をして分科会に振り分けるという考え方でいいかと思います。ただ,この論点候補を見て,論点の選び方について意見交換するのも意義のあることかと思ったものですから申し上げた次第です。 ○鎌田部会長 私どもとしましては,分科会というのも全く新しい試みでありますし,基本的には部会の審議を中心に行って,部会の中で一つ一つの項目について,これは分科会で処理していいだろうと決めていただくという形で進めていきたいというふうに基本的に考えてきたわけであります。したがって,最初の段階では特に,この部会の審議をしている中で,これは分科会でもいいだろうというふうなことを順次議論の中で決めていっていただくことから始めたほうがよくて,あらかじめこれは分科会に下ろしますというふうな原案を提示してしまうのはもうちょっと部会の審議を進める中で,分科会の役割についても大体のコンセンサスができてくれば,そういうことができていくかと思いますけれども,今の段階では最も慎重な形で提案させていただきました。ただし,先のほうに全く見通しがないといろいろな議論のどこに力点を置いてやっていくかというふうな事前の準備の御都合もおありでしょうし,また,分科会に下ろすことについての,今,中井委員が言われていましたように,分科会に下ろすことについての基本的な考え方についても御意見を伺うためには,事前に大まかな腹案を御提示申し上げて,それに基づいてお考えを頂いておいた上で,個々の論点についてここから分科会へ下ろしていくというような形で取りあえずは進めていけたらということで,本日議案の対象になった中では,分科会に下ろす候補は第三者保護規定の問題だけではございますけれども,それ以降のものについても御参考として提示をさせていただくようにしたと,そういう次第でございます。 ○中井委員 今,部会長がおっしゃられた当面の進め方については基本的に賛成ですので,その当面がずっと続くことがむしろ好ましいのかなと思っております。 ○鎌田部会長 では,事務当局から次回の日程についてお知らせいただきます。 ○筒井幹事 次回の日程について御連絡いたします。   次回の会議は,9月20日,午後1時から午後6時まで,場所は法務省20階第1会議室です。従来と同じ20階第1会議室のほうに次回は戻ります。   次回の議題ですが,本日の積み残し部分が相当ありますけれども,新たな部会資料,次回会議用の部会資料としては,条件及び期限,期間の計算,消滅時効,そして債権の目的といった範囲で部会資料を準備し,お届けする予定です。大量の積み残しが出ていることについて私も大いに危惧を持ってはおりますが,今後は,分科会に適したテーマも徐々に増えてくるのではないかという,やや楽観的な見通しも持っておりますので,審議の充実のために分科会をどのように活用していくのかということも含めて,今後またおいおい御相談させていただきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。 ○鎌田部会長 大変進行がまずくて大量の積み残しを作ってしまいましたこと,重ねておわび申し上げます。ただ,前回,今回とやはり法律行為の最も中心的な部分についての御議論でしたので,十分議論を尽くしていただくことにも大きな意味があったと考えております。とはいえ,これだけ積み残しを作りますと,予備日に開催をせざるを得ないということがほぼ決まりつつあるかと思いますけれども,よろしくお願いいたします。次回以降はもうちょっと円滑に進められるように努めたいと思います。どうも大変長い時間の審議をしておきながら十分に進行できなかったことについて重ねておわび申し上げます。   本日の審議はこれで終了とさせていただきます。御熱心な御議論を賜りましてありがとうございました。 -了-