法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会           第5回会議 議事録 第1 日 時  平成23年11月29日(火)   自 午後 1時21分                          至 午後 5時03分 第2 場 所  東京高等検察庁第2会議室 第3 議 題  時代に即した新たな刑事司法制度の在り方について 第4 議 事  (次のとおり)                議     事 ○吉川幹事 ただいまから法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会の第5回会議を開催いたします。 ○本田部会長 皆様,大変お忙しい中,御出席をいただきまして誠にありがとうございます。   まず,前回の視察前にも御紹介させていただきましたが,警察庁における異動に伴いまして金髙雅仁氏がこの部会の委員を退任され,新たに警察庁刑事局長に就任された舟本馨さんが委員に任命されましたので,改めて御紹介をさせていただきます。   舟本委員,一言お願いいたします。 ○舟本委員 金髙前局長の後任としまして,警察庁刑事局長を拝命いたしました舟本でございます。どうぞよろしくお願いいたします。   この度の法制審議会特別部会の諮問内容は,正に警察捜査の在り方,そして,治安の問題に深く関わる事柄でございますので,警察の立場から率直にいろいろと意見を申し述べさせていただきたいと存じます。   部会長始め委員の皆様方,幹事の皆様方,どうぞよろしくお願い申し上げます。 ○本田部会長 ありがとうございました。   それでは,本日の配布資料につきまして,事務局から説明をお願いいたします。 ○吉川幹事 配布資料について御説明いたします。本日は,ヒアリングの際の補助資料を2点お配りさせていただいております。1点は,「ヒアリング対象者御略歴」と題する表紙が付されたものですが,これは本日のヒアリングでお話いただく5名の方の御略歴等をまとめたものです。2点目は,「ヒアリング関係資料」と題する表紙が付されたものです。これはこれからヒアリングを行っていただきます渡辺氏,稲川氏,中山氏,假谷氏から提出のあった,ヒアリングの際のレジュメ又は参考資料です。また,假谷氏からの御要望により,第2回会議において大久保委員がお配りになった資料も合わせてつづっております。ヒアリングの際に適宜御参照いただければと存じます。 ○本田部会長 ありがとうございました。   それでは,本日の議事でございますヒアリングに移らせていただきたいと思います。御案内のとおり,本日は渡辺耕治さん,弘中惇一郎さん,稲川龍也さん,中山信一さん,假谷実さんの合計5名の方から順にヒアリングを行うこととしております。   ヒアリングの実施方法ですが,まず15分から20分程度お話を頂いた上で,質疑応答を行いたいと思います。ヒアリングの時間は,お話を伺う時間と質疑応答の時間を含めまして,お一人40分間程度とさせていただきたいと思います。   本日のヒアリングの模様については,基本的に報道機関の方々にも公開する形で実施したいと考えております。ただ,香川県警の渡辺耕治さんのヒアリングにつきましては,より具体的な捜査の実情についてお話しすることが今後の議論で有益との観点から,具体的事件の捜査状況に立ち入ってお話がなされる御予定ということでございますので,その内容を公開しますと,関係者の名誉なりプライバシー等々を害する可能性があると考えられるところでございます。したがいまして,渡辺さんのヒアリングにつきましては,非公開で実施したいと考えておりますが,いかがでしょうか。           (「異議なし」の声あり) ○本田部会長 ありがとうございました。   それでは,御異論がないようですので,渡辺さんのヒアリングについては非公開で実施することにしたいと思います。   それでは,ヒアリングの準備をいたしますので,少々お待ちください。           (渡辺氏 入室) ○本田部会長 それでは始めさせていただきます。   渡辺さん,本日はお忙しい中,当特別部会に御出席いただきまして,誠にありがとうございます。本日は,警察官として事件捜査に従事された御経験等を基にお話を伺いたいと存じますので,よろしくお願いいたします。 ○渡辺氏 よろしくお願いします。御紹介にあずかりました渡辺です。この度は,このような席にお呼びいただきまして非常に光栄に思っております。   私は昭和55年に香川県警察官を拝命いたしました。その後,昭和63年から刑事警察に身を置いております。主には強行事件,いわゆる殺人,強盗,強姦,誘拐,そういう重要凶悪事件を専門にやってまいりました。警部補時代の8年間は,県警本部の特捜係長といたしまして,主には重要犯罪の被疑者の取調べを行っております。その後,警部に昇任しましてからは,一線の刑事課長を4署ほど歴任しまして,全般的な捜査指揮を勉強し,また,県警本部の強行犯担当補佐時代には,県下の重要事件の捜査指揮と取調べ全般に当たっております。現在は,捜査第一課におきまして,広域捜査官として,県下で起きます重要事件の捜査指揮・管理,また,刑事の教養等を行っております。   本日は,私が強行犯担当補佐時代に取り扱った事件を題材にお話をさせていただきます。 (引き続き,渡辺氏から,具体的事件の事案の概要,捜査状況,取調べの状況等について説明がなされた。) ○渡辺氏 今のが事件の概要であります。続きまして,取調べについて,一部私見も交えてお話しさせていただきます。取調べは,「真相究明」において必要不可欠な捜査手法,真実の究明には絶対欠かすことのできない捜査手法の一つだと思っております。その有用性につきましては非常に高いものがありまして,その手技・手法につきましては明確な説明ができない,言わば下町の工場で手作業でやる職人さんの技が一番と,そういうふうな系統のものではないかなと考えております。   また,捜査手法のうち,最良かつ合理的で重要な手法が取調べです。真実の自白は証拠の王様です。結局は被疑者のためにあるのが取調べです。客観的な証拠だけで起訴して全てをやってしまいますと,真実とは非常に異なる場合があります。被疑者に主観的な部分も含めて全てを語ってもらって,一つ一つ事件を再現して考えていくということが取調べです。   ですから,「取調べ」というのは,言葉が適切かどうか分かりませんけれども,「真実の説明」というふうな言葉に置き換えていただいても結構かと思います。また,問いただすということは非常に大事なことと考えております。間違ってはいけないので,被疑者の方からきちっと話を聞く。   それから,取調べと録音・録画でありますけれども,基本的には非常にマイナスに働くと私は考えます。先ほど御説明した事件もそうなんですけれども,真摯に前を向いて真剣に刑事と話をする,そういう状態にならなければ真実はなかなか語ってくれません。その真実の中には,被害者の方が聞くに耐えないような言葉とか,被疑者の恥部の部分とか,いろいろな話が出てきます。もしカメラが入ればカメラに被疑者は語ってしまいます。そうなってしまいますと,演出とか演技とか,どうしても構えてしまう部分がありまして,本当の取調べの状況は録音・録画では得られない。そこには作為的な演出された「取調べらしきもの」が映ってしまう。それを幾ら検証しても本当の取調べを検証することにはならないと私は考えます。   また,反省している姿をわざと録音・録画させるという被疑者もおります。先般も連続強盗強姦事件の録音・録画をやりましたけれども,全く事実行為について反省しておりませんでした。けれども,録音・録画をすると,調書を読みながら目頭を押さえたり反省したふりをしておりました。やめろというわけにもいきませんしね。このように録音・録画を逆手に取る被疑者も必ず出てきます。そういうことを続ければ必ず刑事警察は瓦解するのではないかと私は考えます。だから,取調べの過程に「虚偽・演出」が介在してはならないんです。これから適正な自己管理と捜査管理が必要ではないかと思います。   続きまして,これも一部,私の私見になりますけれども,取調べの分類と自白との関係,これはいろいろな分類ができますが,大まかな分類で3分類できると考えております。   一つ目が事件判断のために自白が急務である取調べ。これは主には逮捕に至る証拠がそろわない,容疑者の自供に基づいて裏付けをして,秘密の暴露等々を語ってもらって事件を判断する,その容疑者が犯人かどうか,犯人性も含めて判断するという場合の取調べです。これは濃密な人間関係を構築するいとまもない,早急な取調べが必要,自供が必要という場合が主ではないかと思います。例えば,誘拐事件で犯人を逮捕したとします。共犯を逮捕して,被害者はもう一方の者がかくまっているという場合に,悠長なことを言っている時間は全くありません。厳しい追及をやってでも被害者の身の安全を確保するということが大事ではないかと思います。   続きまして,主には逮捕後核心部分等を追及する取調べ。これが一番多い取調べの分類というか,一番多い取調べの例ではないかと思います。逮捕後に一定の勾留期間を掛けまして,被疑者と捜査官の間にある程度の人間関係を構築し,反省とか諦めとか後悔とか打算とか様々なことが複合的になって被疑者が自供していくというパターンです。否認事件で自白に転じるとか,実行行為の詳細を聞くとか,共犯関係について追及するとか,また余罪の捜査とかいうところが,逮捕後の核心部分を追及する取調べではないかと思います。   3番目がカウンセリング的な取調べ。これが本来の自供の姿だと思います。被疑者が自己の犯罪事実を悔い改めて,全面的に認めて自白を任意にしていくという姿ですね。これは捜査官と被疑者の間に人間的な人格的形成がなされて初めて可能になると思います。   以前,殺人の共犯を調べたことがありまして,1か月ぐらい調べましたけれども,全く晴々とした顔にならないわけです。通常,事件を全面自供すれば人間は顔が変わるんですけれども,その被疑者は全く変わらない。それで,「どうしたことか,まだ何かあるのか。」と聞きましたところ,もう1件,他県での殺人事件を自供しました。   そのときの言葉が「背中が冷たかった。」と,どういう意味かと言ったら,殺した相手を背中におぶって,首吊り自殺に見せ掛けたんですけれども,失禁したその背中が冷たかったんだというのが第一声でした。それが1か月間,私は毎日その被疑者と顔合わせをし,身の上話から始まって子どものこととかいろいろな話をしました。そういう人間関係ができて初めて語ってくれたと今は思っています。   なお,完全に被疑者が自供しておりましても,録音・録画を実施する旨を告げた途端に「刑事さんはわしを信用しておらんのやな。ここまで恥をさらして話したのにまだ録音・録画するのか。」と言う被疑者も今までにはおりました。   続きまして,取調べの留意点について御説明いたします。これも私の私見が大分含まれておりますけれども,当然,取調べをする上では,事件全体のことを掌握する。これは,証拠品を含めて事件を完全に腹の中に入れておかなければ,取調べはできないということです。被疑者の境遇を熟知すること,いやしくも取り調べるのでありますから,相手の境遇等について熟知しておかなければ駄目だろうと思います。重要凶悪事件になればなるほど必要かと思います。   それから,シミュレーションの徹底。これは言葉が適切かどうか分かりませんけれども,取調べは高度な頭脳の戦いだと思います。様々なシミュレーションを考えておかなければ取調べは当然できない。   それから,環境整備と服装。取り調べるのでありますから,服装とかきちっとした環境を整えるというのは言うまでもありません。   それから,真剣な態度と冷静な判断。真剣な態度で臨むに当たって,言動には注意すべきです。冷静さを欠いた言葉は暴言でしかありません。もっとも,丁寧な言葉に終始するというようなことではございませんで,追及するときには大きな声にならざるを得ないときもあろうかと思います。   最後に証拠の示し方とタイミングですけれども,今までは刑事さんは手持ちの証拠を被疑者に示さないで「これは,どうなんだ。」とか「何かないか。」というような取調べが主たる取調べだったと思います。けれども,今は適正な証拠は早く示して,早く犯人性を判断するというのも大事ではないかと私は考えて今もやっております。   これまで取調べにつきましていろいろ説明させていただきましたけれども,現在の捜査においても取調べは最も重要で,デリケートで,密室での親密性が必要なもの。他に代替的な手法がないものというふうに考えております。これまで以上に自己管理,適正捜査を心掛けながら,捜査に邁進するつもりでありますので,どうぞ御理解をよろしくお願いいたします。 ○本田部会長 ありがとうございました。   それでは,ただいまのお話につきまして御質問等ございましたら,お願いいたします。 ○安岡委員 本日は遠いところをお越しいただきまして,どうもありがとうございます。今,御説明くださった事件のことなのですが,被疑者の取調べの中で,後に公判で証拠とする目的で作られた調書というのは,どの場面で何通ぐらい作られましたか。 ○渡辺氏 (具体的事件における供述調書の作成状況について説明がなされた。) ○安岡委員 質問がやや抽象的になって答えにくいかもしれませんけれども,パワーポイントでも書いていらっしゃる「真相の究明」について伺います。犯罪捜査規範の第2条には事案の真相を明らかにして事件を解決するということになっておりますけれども,渡辺さんは事案の「真相」とはどういうものだと考えて捜査に当たっておられるのでしょうか。   事案の真相という範囲では,過去にあった犯罪事実を隅から隅まで明らかにするという考え方もありましょうし,それから,後に裁判で犯人を処罰するという目的で捜査をなさるわけですから,確かにこの被疑者が犯罪を行った真犯人であるという限りでの真相という考え方もありましょうし,それから,裁判で有罪が取れるという限りでの真相ということ。いろいろな考え方があると思うのですけれども,渡辺さんは事案の真相というのをどういうふうに考えていらっしゃいますか。 ○渡辺氏 非常に答えづらい質問でございますけれども,私は,事件が起きて時間が経過すればするほど証拠も散逸していきますし,現行犯というのはその一瞬限りで事件は腐敗していくというふうに考えております。「真相の究明」というのは,一番最初のオリジナルの事件をいかにしてそこに近付けて解明していくのか。それはいわゆる証拠関係をたくさんそろえるとか,客観的な証拠をきちっとそろえ,それを符合させていくということと同時に,被疑者,容疑者から何があったのか真実を語ってもらって,それを再現していく,主観的な部分を含めて再現していくものだと思います。   特に主観的な部分につきましては,犯人しか知り得ない部分がたくさんあります。客観的な証拠は殺人を示しておりましても,本当は傷害致死の場合もあります。こういうところを見逃していけば真実の究明にはならない。ですから,本当にあったことを,証拠を踏まえて主観的な部分を精査して,オリジナルを再現するというのが,真実の究明ではないかと私は考えております。 ○井上委員 今日はどうもありがとうございました。先ほど取調べには分類すると3種類あるとおっしゃいましたが,そのうち一番最初のいまだ逮捕するだけの証拠が十分ないという場合ですけれども,今まで扱ってこられた事件の中で,取調べを行ったものの,これは事件として立たない,容疑がないというふうに判断して引き返すといった経験はおありでしょうか。あるとして,どういう場合にそういう判断が付くのか,全て自白までいったということなのか,引き返したことはあるかどうか,あるとして,そのきっかけは何なのかということです。 ○渡辺氏 引き返した事例はございます。先般も,特異家出人と言いまして,何も家出する理由がなくていなくなった女性がいまして,最終的には関係者がその女性を殺害していると踏みまして,捜査体制をとってその容疑者の取調べをしました。けれども,話を聞けば,ここへこういうふうに行ったんだと,このときはこういうアリバイがあるんだとか,外から捜査しても分からない部分を本人が語ってくれまして,「これは失踪事件の方が強い」と判断しました。まだ継続捜査にはしておりますけれども,容疑性が薄くなったなというようなことで,「引き下がる」という言葉が適当かどうか分かりませんけれども,継続捜査にしている事件もあります。 ○後藤委員 (具体的事件の捜査手法について質問がなされた。) ○渡辺氏 (具体的事件の捜査手法について説明がなされた。) ○村木委員 今日は大変ありがとうございました。事実関係で一つ教えていただきたいことと,後は一般論で教えていただきたいのですが。事実関係では,今回の事件で,裁判になってから,取調べをされたことと,裁判での被告人の主張が変わってしまったりとか,あるいは,取調べの時に出てこなかったようなこと,そういったものがあったかどうかというのを教えていただきたいと思います。 ○渡辺氏 (具体的事件における被告人の供述状況等について説明がなされた。) ○村木委員 ありがとうございます。これは一般論で,先ほど取調べの留意点で七つぐらい挙げておられて,これが本当にどの取調官も守っておられたら変な調書はできないだろうなと思いながら伺ったのですが,実際問題としてえん罪が起こっているという状況を考えたときに,現場におられてそういうのが起こるのは何が原因なのか,この中の何が欠けていることが多いのかということを,個人のお考えで結構なのですけれども,教えていただけますか。 ○渡辺氏 非常に難しい御質問ですけれども,自供だけに頼ったり,客観証拠だけに頼るというようなことは危ないかも分かりません。全てが符合して真実の方を向くということが大事かと思います。   これも何年か前にあった殺人事件なのですけれども,車のトランクの中から尿反応が出たり,また被害者の髪の毛らしきものが出たり,被害者の死体遺棄現場で付いていた土とトランクの中の土が一緒だとか,様々な客観証拠が寄ってくるわけです。けれども,精査していったら段々客観証拠が逃げていくわけです。逃げていくというのは,その土はどこにでもある土だということや他の証拠品も結局は犯人性の判断には不十分であることなどが判明したということです。   証拠が集まらずに,最初から証拠が落ちる事件は非常に危険だと思います。それと,容疑者若しくは被疑者の方から主観的な部分も含めてきちっと説明してもらって,それが証拠と符合するということを常に考えていかなければ駄目だと思います。 ○大久保委員 現場の苦労が伝わる御報告,どうもありがとうございました。言葉の端々に被害者の立場も考えて早く事件解決をということがとても伝わってきましたので,有り難く思いました。私自身も,録音・録画が始まりますと,真実を話せない被疑者もありますし,また,その中で虚偽の供述等をしまして,それが残っていると,後で被害者はそのことが気になってなかなか被害を回復できないという点があるという辺りで,とても心配する部分がありますので,現場のお話をお聞きしまして,なるほどと感じました。   もう一つ,それに合わせまして,ちょっと話は広くなるかもしれませんけれども,私自身は,現在の刑事司法の中では被害者の視点が抜け落ちていると思うのですね。ですから,今回の事件の方たちもたくさんのありとあらゆる二次被害も受け続けていらっしゃるのだと思いますので,もっと被害者の権利を尊重するように刑事司法を改正するべき時にきていると考えますけれども,捜査の第一線で活動していらっしゃいまして,この点につきましてどのように感じていらっしゃいますでしょうか。教えていただければと思います。 ○渡辺氏 「取り調べる」という言葉が適切かどうか分かりませんけれども,この取調べというのは被害者の糾問権を代表するものだと私は考えております。現在,被害者支援につきましては,経済的な支援とか精神的な支援につきましては国の方も挙げて行っておりますけれども,直接的な糾問権についてはまだ法的には何もなされていない。若干,裁判で意見陳述はありますけれども,そこが非常にもどかしい部分ではあると思います。   私は,手練手管を使って言い訳を繰り返し逃げている被疑者を追及しない,厳しく正しく追及しないというのは被害者に対して非常に失礼なことだと思います。取調べ室の中でいつも思っていることは,これを被害者の方,亡くなった方が見てなるほどと思ってくれるような取調べをしているつもりです。人を殺して逃げる被疑者に対して「君,本当はどうなんだ。」とか,「本当はやったのか。」とか,そういうふうなきれい事ではなかなか犯人は自供はいたしません。ですから,法改正につきましては,私の口から申し上げるべきものではございませんけれども,取調べをもっと精鋭化して被害者の御意向を酌めるようにしたらどうかと考えます。 ○佐藤委員 大変生々しいお話,ありがとうございました。ところで,今日こうしてこの問題が議論されているゆえんというのは,過去に必ずしも適切な取調べによらずして,真実と異なる自供なるものが得られて,それによって無罪の者が有罪になったり,ないしは仮に有罪であったとしても衝撃を受けるということが現実に起きたということがあって,録音・録画を含めて取調べの在り方について議論が行われているというのが経緯なわけですけれども,このことについて自らは真相解明のために適切な取調べを実施してきているという自負を持っている渡辺さんとして,こういうことについてどう感想を持っておられるか,主観的な感想で結構ですので,聞かせていただきたい。 ○渡辺氏 富山の氷見事件とか足利事件とか様々警察が反省すべき点はあったと思います。日々行われます何万件,また年間何百万件,適正な取調べを行っている中の失敗,これについては本当に真摯に反省しなければならない。そういうことが二度と起きないようにこれからもっと取調べを科学的に崇高なものに,「崇高なものに」という言葉が適切かどうか分かりませんけれども,科学的にもっと研ぎ澄まされたものにしていくべきでないかと考えております。 ○本田部会長 御質問も尽きないようでございますけれども,あとの予定もございますので,渡辺さんからのヒアリングはこれで終わらせていただきます。   渡辺さん,どうもありがとうございました。 ○渡辺氏 ありがとうございました。           (渡辺氏 退室) ○本田部会長 渡辺さんのヒアリングが終わりましたので,次からは公開ということにさせていただきたいと思います。   それでは,続きまして,弘中さんの準備をよろしくお願いいたします。           (弘中氏 入室) ○本田部会長 それでは,始めさせていただきます。   弘中さん,本日は当部会にお越しいただきまして,本当にありがとうございます。本日は刑事事件の弁護人をお務めになられた御経験を基にお話を伺いたいと存じますので,よろしくお願いいたします。 ○弘中氏 弘中でございます。私も長く刑事事件の弁護人を務めてまいりましたので,本日は人質司法という問題を中心にしまして,考えていることを申し上げたいと思っております。   今回の審議会の諮問事項につきましては,可視化と並んで,取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直しと,それに伴う法整備の在り方というふうに伺っております。そして,取調べの可視化につきましては,最近の録音・録画技術の進歩に伴いまして,いろいろな議論が各レベルでされているということでありますけれども,今回のテーマであります供述調書中心主義ということを見直すためには,可視化とともに,以前から指摘されております人質司法という問題の実態に目を向けるということが重要であると思っております。   人質司法とは何かということでありますが,まず捜査当局がその気になれば被疑者の逮捕,勾留が極めて簡単に行われる。また,再逮捕あるいは勾留の延長ということにつきましても,同様に簡単に行われ得るという問題であります。逮捕・勾留の要件といたしましては,法律では罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由であるとか,あるいは,逃亡を疑うに足りる相当な理由ということで,「相当な理由」という言葉を付けているわけでありますけれども,実務ではこれはかなり緩く解されております。その結果としまして,同様の理由で起訴後におきましても,否認事件につきましては保釈を得ることが極めて困難であるという実態がございます。   その結果として,たとえ軽微な事案であっても否認している限りは長期間の身柄拘束が一般であると,こういう事態が起こっております。しかも,そういった否認事件で勾留をつけた場合には,同時に接見禁止にされることが少なくありません。その結果,被告人,被疑者としては,家族あるいは友人から隔離されて,非常に不安な,あるいは時に絶望的な心理状態に追い込まれるということでございます。しかも,こういった状況を前提にしまして,捜査官が期待する供述,つまり全面的な自白,あるいは,時には検察官の方で作ったストーリーに合致する供述をしない限り,この身柄拘束が何十日,あるいは時に何百日も続くのであります。   同時に,そうなるぞということをほのめかしながら取調べが行われるというのが実態であります。要するに,人質と言われるゆえんでありますけれども,被疑者としては自分自身の体が人質として取られていまして,身柄を解放してもらうためには,身代金として捜査官が望むような調書,すなわち全面的な自白調書にサインをすると,これが要求されるという実態であります。何十日,何百日の身柄拘束が続くということになれば,その間の精神的あるいは肉体的な負担が大変なものであるということは当然でありますが,同時に,これはその後の社会生活にも大きな影響を与えます。例えば,勤め人であれば勤め先を首になるとか,あるいは,自営業者であれば商売が成り立たなくなるというふうなことにもなるのがむしろ普通でありまして,その結果,本人だけではなくて,家族や従業員も含めて,後日,仮に無罪ということになっても,回復ができない重大な損害を被るということになるわけであります。これが人質司法の問題であります。   刑事裁判で完全なえん罪であることが証明された厚労省の村木厚子さん,当審議会の委員でもいらっしゃいますけれども,そういった完全無罪のケースでも,平成21年6月14日に逮捕されて,最終的に身柄が解放されたのは保釈の認められた11月24日で,合計165日間も身柄が拘束されました。後に,問題点として若干他のケースも触れますけれども,同じく無罪判決を得たいわゆる薬害エイズ事件の安倍英医師の場合,80歳という高齢で心臓病を患っていると,こういう体でありましたけれども,57日間も勾留されて,著しく健康を損なうという結果になりました。あるいは,衆議院議員であった鈴木宗男さんの場合には,無罪であるということを主張し続けたために,実に437日間も勾留される結果となったのであります。何百日ということは決して抽象的な話ではなくて実際あるわけでございます。   ところで,村木さんの話に戻りたいと思いますが,勾留がついた直後に,取調べの担当の検察官は「私の仕事はあなたの供述を変えることです。」ということを宣告したのであります。つまり,取調べを通じて村木さんの説明,話にじっくり耳を傾けようというのではなくて,否認している村木さんの態度を改めさせて自白調書にサインさせると,これが自分の仕事であるということを冒頭に宣告されたのであります。   村木さんはそれでも否認を貫いたわけですが,そうしたところ,主任検察官の前田恒彦検察官,この方は後に証拠改ざん事件で大変有名になった方ですけれども,保釈請求に対して,意見書にわざわざ冒頭のところを手書きで,「村木厚子に対する保釈請求は絶対に不相当であり,速やかに却下すべきである。」ということを書いた長文の意見書を出しまして,結果としてこの剣幕に押された裁判所は保釈を認めませんでした。その後,3度目の保釈で得られた保釈許可決定に対しても,検察官は準抗告をして決定を覆し,その結果として,先ほど申し上げましたように,最終的に11月24日まで身柄拘束が続きました。   このケースで検察官が一貫して問題視したのは,村木さんが否認を貫いている,無罪を主張していると,このことでありました。村木さんの場合には,そういう長期の勾留であっても,たまたま家族や友人の強いサポートがあって,また公務員という比較的身分が保障されていることがあったために,身柄を解放してもらうのと引換えに虚偽の自白調書にサインをするということをせずに済んだわけであります。しかし,こういったサポートあるいは身分保障がない場合には,いかに明確に無実の事件であっても涙を飲んで虚偽自白に応ずる,有罪とされるということはあるのであります。   この村木さんの事件で,対象的に同じ事件で共犯者とされた障害者団体の幹部に対しては,起訴直後に僅か100万円の保釈金で保釈されました。これは検察官が積極的にその程度で保釈していいという意見書を提出したためであります。同様に,もう一人の障害者団体の代表,あるいは,厚労省の元係長という方々も,起訴直後に保釈されました。これは彼らが全面的に自白をしていて,検察官が保釈に反対しないという態度を取ったためであります。   ところで,この元係長さんは,村木さんの事件で最重要証人でもあったわけですけれども,御自分の人質司法の状況を,当時,被疑者ノートという形で克明に記録しておりました。これは後に証拠として提出されましたので,私どももそれを詳しく見ることができたわけですが,例えばこのノートの中に,この方は最初別件で逮捕されたわけですが,最初に身柄を拘束されて間もない時期にこういうことを書いています。「段々外堀から埋められている感じ。逮捕された私から村木さんの関与の供述が得られれば検察のパズルは完成か。今後,私の供述を待たず,厚労省職員の証言をもって村木に自白を迫るのか。仮にそうなったら孤立している私はどうなるのか。全体の流れに乗った方が有利なのか迷っている。いつまでも違った方向を見ていると勾留期間が長期化しそうで怖い。しかし,村木の関与は思い出せない。どうしたらいいのか。」,こういうことを書いております。   この元係長は,最初の逮捕の段階では村木さんについて関与を認める供述をしなかったわけですが,別件の起訴後に再逮捕されました。その再逮捕された時点での冒頭の時点ではこのノートにこう書いております。「思い出せるものならとっくに思い出しているという怒りにも似た感情が湧いてくるがじっと我慢している。覚えていないものを思い出せというのはつらい。気が狂いそうになる。私はどうなるのだろうか。」と書いております。そして,その3日後のノートには,「もう無駄な抵抗はしないでおこうと思う。早くここから出たい。まともにものを考える状態ではない。また逮捕されて20日間拘置になったら困る。とにかく疲れた。」,こういうふうに書いています。そして,この直後の時点で彼は内容虚偽の自白調書にサインをするようになったわけであります。そして,二つ目の事件の起訴寸前のノート,つまり最後の段階であります保釈寸前でありますが,「保釈という甘い餌の誘惑に負けてしまった。」と書いているのであります。   元係長を偽の自白に追い込んだのは,今申し上げました経過からお分かりのとおり,再逮捕ということでありました。20日間の身柄拘束での取調べには何とか気力を振り絞って耐えることはできても,また逮捕されてゼロから身柄拘束が始まるという状況に追い込まれた場合のつらさは大変なものであります。再逮捕は一度で済むとは限りません,何回も続くかもしれないのです。その上,否認を続けていれば保釈も認められない可能性が高いのであります。人質司法というものの実態がどういうものかということは,この元係長の被疑者ノートに凝縮しているというふうに言えます。   少し別の事件について触れますが,安倍英氏,薬害エイズの事件で問題になった方です。この方の容疑は業務上過失致死でございましたので,その場合の問題点というのは,安倍医師は直接治療をしたものではありませんから,診療指導行為が当時の医療水準に照らして適切であったかどうかが問題になる事件でありました。後日,裁判で争点になったのも,患者に対して非加熱血液製剤を投与した時点で,HIVというウイルスについてどの程度のことが当時分かっていたか。あるいは,当時の血友病治療の在り方が専門家の間では一般にどういうふうに考えられていたか,こういう医療水準の問題あるいは医学的な知見の問題でありました。こういう問題でありますから,捜査官とすれば専門家に尋ねるとか,あるいは,当時の医学文献や医学的な資料を点検するということが必要でありまして,被疑者を勾留して自白を迫るということは,こういった事件では本来必要ないはずでありました。それにもかかわらず,検察官は,逮捕した安部医師に対してウイルス学について不勉強だったことを自白しろ,あるいは謝罪しろと,こういうふうな調書にサインを求め続けたのであります。   安倍医師は獄中で「獄中記」というものを毎日日記としてつけておりました。その中ではこう言っております。「エイズの発症数が自分の理解よりも多かったことを認識するべく,本の読み方が悪かったことを認めろ,あるいは,クリオは自分の経験よりももっと便利だった,クリオはウェットもドライもほぼ同じ程度のものと思っていたことが間違いであったことを認めろということを迫られた。それに対して,私は直接診療に従事できなかったので,薬物を変えると,それを実行するということを考える時間的思考の余裕はなかったと答えたところ,謝罪しないのかと言って叱られた。」と,こういうことを書いているのであります。   ついでに申し上げますと,この事件で検察官はひそかにアメリカ合衆国及びフランスに渡りまして,アメリカのギャロ博士あるいはフランス・パスツール研究所のシヌシ博士というエイズウイルスを発見した,言わばエイズについての世界の最高峰の学者の嘱託尋問を行ったのであります。しかし,その内容は検察官の期待に反して臨床医が当時エイズウイルスの危険を察知するなどということができたはずがないという,つまり安倍医師の無罪を裏付けるものでありました。このために検察官はこの証拠を隠滅しました。つまり,嘱託尋問調書を開示もせずに隠し続けたのであります。   検察官がこういった問題で老齢の安倍医師を,80歳を超える心臓病を患っている医師を身柄拘束したということは関係者に大きなショックを与えました。実際に問題になった亡くなった患者さんの治療をしたのは帝京大学の医学部附属病院で,安倍医師の下で働いていた教授,医師でありました。この人は,自分に火の粉が掛かってくるのを恐れて,完全に検察官に迎合する姿勢を取るようになりました。事実に反する多数の供述調書の作成に応じましたし,法廷では検察側証人として7回も出頭して,あらゆる問題に検察官の要求するとおりの証言をすることになりました。   その内容は,このドクターも血友病の医者ですから,ウイルスの専門家ではないにもかかわらず,エイズウイルスを発見した米国のギャロ,あるいは,フランスのモンタニエといった専門家をしのいで,世界で誰よりも早く自分や安倍医師はエイズウイルスの危険性に気付いていたとか,あるいは,実際にはその後,専門家の研究の積み重ねで少しずつ分かっていったエイズウイルスの性質を,自分たちは全て初めから分かっていたというふうなことにまで及ぶものでありまして,余りにも荒唐無稽なために裁判所からは全く信用されないという結果になりました。このことは,自分の方に火の粉が掛かってきて身柄拘束されるかもしれない,安倍医師と同様に逮捕されるかもしれないということを恐れれば,何でもしゃべる,何でもいうことを聞くということの見本とも言うべきものであります。無理矢理に人質を取るという捜査のやり方は,本人だけではなくて関係者に対して大変な脅威,衝撃を与えて,その結果としてどんな調書でも作る。内容虚偽であってもサインをするということにつながるのであります。   こういうふうに身柄拘束をちらつかせて自白を迫るというのは,被疑者・被告本人の場合だけではないのであります。事件の関係者であるとか,あるいは,将来証人として出ていただくべき人に対して,あえて共犯の疑いありとして被疑者として呼びつけて,身柄拘束の危険をちらつかせて調書を取るということはごく一般的に行われております。村木さんの事件でも,厚労省の職員たちはみんな被疑者として東京から大阪地検まで呼び付けられました。そして,被疑者扱いですから,村木さんの関与を否定するのであれば逆に自分が逮捕されるかもしれないと,こういうふうにおびえながら調書の作成に応ずる結果となったのであります。実際サインを渋った職員に対して,「では2~3日泊まっていくか。」と,こういうふうに逮捕を匂わせて威迫を行ったケースもありました。   また,この事件で最重要証人の一人でありました村木さんの上司の厚労省の元部長につきましては,この事件と何の関係もない,つまり呼び出して調べているのと何の関係もない件で,この人が業者から金品を受領していたと,これを調べ上げて調書をわざわざ作ったわけです。これによって,もし検察官の意に沿わない対応をすれば自分は別の収賄罪で逮捕されるかもしれないと,こういう恐怖を与えながら取調べを行ったのであります。そして,一旦逮捕されてしまえば,人質司法の現状の中でどういうひどいことになるかということは誰でも容易に分かることでありますから,関係者に対してこういう方法の取調べをすれば,捜査官に迎合して勘弁してもらいたいというふうに考えることになるのは当然の結果であります。   もう一つだけ例を申し上げます。鈴木宗男氏のケースであります。幾つかの事件がありますけれども,政治資金規正法違反という事件がありました。その事件の共犯者という名目で,検察官は一人の60歳代の事務員,Aさんという人を逮捕したのであります。これは単なる事務職員でありますから,初めから立件の予定はありませんでした。しかも,その事務職員は逮捕直前の時期にがんで入院して手術を受けて,放射線治療を受けている最中でありました。このため,勾留されて取調べを受けているときも,大変体調が悪かった。そういう中で無理矢理に自白調書を作っていったのであります。   Aさんは公判には出廷して証言することができましたが,そこでは「何を答えたか覚えていない,言われるままにした,早く出たい一心でした。違いますと言っても,こうですと押し付けられて,もう逆らわないで「はい。」という感じで,とにかく出たい一心だったものですから。」と,こういうふうに証言したわけであります。実際,Aさんはこの証言後間もなく,逮捕から数えて1年たった時期にがんが悪化して死亡しております。こういう闘病中の事務員であっても,これを逮捕してしまったということは,被疑者である鈴木さんにとっては大変な衝撃でありました。これは大変な威迫でもありまして,鈴木さんとしては,一時はその事務員を助けるために虚偽の自白をするしかないというふうに考えるところまで追い込まれたのであります。   今,3件ほど例を申し上げましたけれども,憲法38条が自白の強要を禁止していることは言うまでもないことでありますが,この意味につきましても,単に直接の脅迫とか,肉体的な拷問というだけではなくて,偽計による心理的な強制,具体的には共犯者が既に自白をしているかのようにだまして心理的に追い込むということもこの趣旨に反するということは最高裁の判決で明らかにされているところであります。したがいまして,自白調書にサインしない限りは,何十日,何百日と身柄拘束を続けるということをほのめかして取調べをするということが,憲法38条の趣旨に反するということも明らかだと思われます。同様に,立件する予定もないのに,関係者をわざわざ被疑者というふうに銘打って取り調べて,捜査官に迎合しなければ逮捕されるかもしれないという恐怖心を与えながら取調べをするということも,憲法38条の趣旨に反すると考えるものであります。   ところで,こういったことについての捜査官の言い分,つまり身柄拘束の継続を必要とするという捜査官の言い分は罪証隠滅の危険というところに集約されます。実際には捜査官は逮捕に伴って,あるいは,逮捕に先立って捜索を実施して,あらゆる物証を手元に収めます。また,あらゆる関係者を呼びつけて取調べをして膨大な調書を作ります。それにもかかわらず,なお被告人による関係者への働き掛け,その可能性があるということを重大視しているのであります。弁護人が保釈条件として関係者への接触禁止を条件として決めればそれで足りるのではないかと言っても,検察官は「しかし,それをひそかに破るかもしれない。」ということを問題にするのであります。   例えば,村木さんの事件でそういうことをこちらが申し上げたところ,検察官は,準抗告意見書の中で「今後いかなる証人尋問請求が行われるか明らかでない状況において,関係者との接触禁止に関する的確な保釈条件を定めることはできない。」あるいは,「本件においては,有形無形の圧力によって関係者の供述を容易に覆すこともできる状況にあるから,被告人が保釈されれば,なりふり構わず関係者に働き掛けて罪証隠滅に及ぶことは必定である。」,こういうことを意見書でおっしゃったのであります。こういう言い方をして,接触禁止で保釈を認めてほしいということに対する猛反対をしたのであります。   しかし,仮に検察官に対してしゃべったのが真実であった場合,つまり検察官調書の内容が真実であった場合に,証人がなお法廷でそれに反して偽証までして被告人に有利な証言をするということはめったにあることではないと思われます。しかも,仮にそういったことがあった場合には,検察官としては刑事訴訟法321条1項2号によって調書の提出が可能でありますし,場合によっては偽証罪として追及することも可能であります。それにもかかわらず抽象的・観念的な危険というものを持ち出して身柄拘束を続けようということ。つまり,自白調書に応じない,否認をしている被疑者・被告人については徹底的に追い詰める,こういう態度は明らかに自白強要の意味を持つと言わざるを得ないと思います。   要するに二つのポイントがありまして,検察官の方は罪証隠滅のことを重視し,それを限りなくゼロにしようとするわけですが,他方で人質司法による自白の強要の問題ということが当然あるわけです。確かに自白の強要をなくすために,人質司法をなくすということになれば,検察官が心配しているとおり罪証隠滅の可能性は若干増えるかもしれません。しかし,この罪証隠滅と自白の強要の二つのいずれを重視すべきかということはおのずから明らかであります。自白強要の禁止ということは憲法上の要請であります。罪証隠滅の危険をゼロにするために人質司法を続けるということが許されていいとは思われません。それにもかかわらず,このような人質司法が通用しているということは,結局のところ実務上逮捕勾留が実に簡単に認められる,また,否認をしている限りは,これを罪証隠滅のおそれと結び付けて,容易に保釈は認められないという実務の現状にあると思われます。ひいてはそういった運用を可能にしている現在の刑事訴訟法の規定に原因があると思われます。   そこで,最後に,この人質司法をなくすために立法的な提案をいたしたいと思います。第一は保釈においては否認若しくは黙秘をもって罪証隠滅のおそれと結び付けてはならないと,罪証隠滅のおそれと結び付けることの禁止規定を明文で規定するべきであります。この理由につきましては,今,申し上げたところでございます。   もう一つ,第二の方法として,罪証隠滅の防止の方策としては特定人との接触禁止で足りるということを原則とするということであります。これについても明文で規定する必要がございます。先ほど述べたように,検察官が村木さんの事件でおっしゃったような,捜査官として把握もしていないような人物との接触まで問題にするということは行き過ぎであって,防御権の侵害であるというふうに考えます。今,申し上げた二つの点は,直接的な法律として刑事訴訟法の89条4号に関するものでありますけれども,当然,このことは90条の裁量保釈の指針ともされるべきと考えます。   以上で私の意見を終わります。どうも御静聴ありがとうございました。 ○本田部会長 ありがとうございました。それでは,質疑に入りたいと思います。 ○岩井委員 未決勾留の問題点について御説明いただきありがとうございました。ただ,これを防止するときには保釈の要件というものを改正することで解消できるものなのでしょうか。そして,取調べの可視化ということを実現すればこのことは防げるものなのでしょうか。どういうふうにお考えになりますか。 ○弘中氏 冒頭申し上げましたとおり,可視化の問題とこの人質司法の問題は矛盾するものではなくて,両方進めなくてはいけない問題だというふうに私は考えております。したがって,保釈条件を明文の規定によって良くしていくと。つまり,保釈を権利化するということは重要でありますけれども,それだけで問題が解決するとは思っていません。可視化ということは取調べの実態・実情を変えていくことでありますから,身柄拘束は元々なくなって,早く保釈になっても,その間,勾留中の20日間の取調べということはあるわけですから,20日間の取調べについては可視化は必要であると思っております。ただ,それと並んで,否認を続けていると20日過ぎても,つまり起訴された後もずっと身柄拘束が続くぞということは自白強要になるものですから,それをやっておかないと可視化だけでは不十分だと私は思っています。 ○酒巻委員 今日はありがとうございました。「人質司法」という言葉を中心に御説明があったのですが,この言葉は,先生御承知のとおり弁護士の先生方が,日本の刑事司法における身柄拘束の状況について批判をされるキャッチフレーズとして常にお使いになっている言葉です。本日の先生のお話は,刑事訴訟法上の身体拘束処分,すなわち逮捕・勾留,勾留の延長,それから,被告人勾留の間の保釈が認められにくいという状況を,捜査機関が利用しているという観点から強調されていましたけれども,法律上最終的に勾留を認めたり,勾留延長を認めたり,保釈を認めたり認めなかったりするのは,全て刑事訴訟法上,公平中立な立場にある裁判官が判断しているわけです。   ですから,先生のお話は,別の見方をすると身体拘束処分の要否を決定している裁判官に対して批判的な御発言であるとも思えるのですけれども,その辺りの先生のお考えをお聴きしたいと思います。もう一点,この数年間,この4~5年だと思いますけれども,数字の上では明らかに勾留請求却下率あるいは保釈率は上がっていますね。ですから,今日,先生がお話になった個別具体的な事案,これは全てホワイトカラー犯罪であると思いますけれども,比較的法定刑の重い重大事犯をも含めた刑事司法全体については,少なくともこの数年間,裁判官の判断,特に身体拘束処分の要件である罪証隠滅のおそれに関する判断について,私はかなり本来の適切な方向に変化しているようにも思っているのです。その辺のところの御意見はいかがでしょうか。 ○弘中氏 私も四十一,二年ぐらい弁護士をやっていますが,実は弁護士になった当時,つまり40年ぐらい前は今よりももっと勾留率は低かったし,それこそ勾留に対する準抗告も随分通りましたし,保釈は否認事件でも起訴直後からどんどん通ったという記憶があります。その後段々悪くなって,それがいろいろな批判もあって最近は少し良くなっているということは実感しております。しかし,もっと長い尺度で見るとまだまだ不十分だと思っています。   そうなったのはいろいろと原因があるのだろうと思うのですけれども,一つは,検察官の方に引っ張られて罪証隠滅というようなことを,確かに幾つかの事件があったことはあると思うのですけれども,裁判所の方が検察官の意見を重視することがずっと続いたのではないかと思っています。したがって,裁判官に責任がないのかというと,もちろん勾留を決め,逮捕状を出すのも,保釈を決めるのも裁判所ですから,裁判所が非常に大きな責任があると思っていますが,そこには,今,委員がおっしゃったように徐々に最近良くなっているということではなく,もっと加速度的に良くするためには立法的な問題が必要ではないかと思っています。   ただ,おっしゃられるとおり,私のは一部の特殊なホワイトカラーの犯罪ではないかと言われると,確かに私が実際やれている事件はそうたくさんないものですから,いわゆる一般刑事事件と言いますか,市中で行っている刑事事件については事実良くなっているのかもしれないけれども,せめて昔並みにするにはここで何か思い切った手を打たないと,裁判所というのは様子を見ながら少しずつはいってもなかなか一気に改善しないのではないかと。こういうことからあえてそういった立法的な提案をさせていただいたわけでございます。 ○大久保委員 貴重なお話,どうもありがとうございました。先ほど先生がお話くださったことにつきまして,立法提案をなさったというお話でしたので,私はその反対側にいる被害者という立場から,もし先生でしたらどのような立法提案をしていただけるのかということでの質問をさせていただきたいと思います。   実は被害者は刑事司法上の権利が少ないということで,刑事司法そのものから二次被害を受けているということをいつも感じております。少ない権利の中でも被害者は裁判に関わりまして,自分なりに何かその中で役割を果たすことができたということを感じ取ることができれば,精一杯に関われたと,一生懸命やったではないか,大変な状況にある自分なのにというような思いを持てますと精神的に回復をすることができるわけですね。ですから,このような被害者の現状とか,あるいは精神的な回復を考えた場合,弘中先生でしたら,どのような立法提案を考えていただけるものかということを是非お伺いしたいと思いまして,失礼かと思いましたが,質問させていただきました。よろしくお願いいたします。 ○弘中氏 私も事件によって被害者側と言いますか,具体的には交通事故で子どもさんが亡くなったケースで,是非厳罰に処してほしいという嘆願書を山のように集めて,検察官に被害者のためにこれを是非証拠採用するようにしてほしいと言ったのですが,結果的には,大分前の話ですけれども,採用されなかったことがありました。そういった被害者の思いはよく分かるのですが,抽象的な立法的提案と言われますと,今いろいろな形でいろいろな局面で少し立法されてきていますので,どういう問題にということに絞らないと,私もその問題を中心に特に勉強しておりませんので,なかなか申し上げにくいのですが。   ただ一点だけ,むしろお気持ちに反するかもしれませんけれども,私は逆のこともちょっと考えておりまして。というのは,具体的には私はロス疑惑の三浦さんの事件の弁護人でもあったわけですが,本人が自分は犯人ではないと,犯人性を争っている事件のときに,被害者はどうしたらいいかと,被害者の方をその裁判所に出すべきかどうかということについて,私は大変疑問に感じているところがありまして。つまり,情状が問題になるケースであれば,被害者は実際にどう考えてどういう意見を持っているかということは,そこでも反映することが必要だと思うのですけれども,犯人性自体が争われていて,しかも,そこを論理的に詰めていかなくてはいけないというケースの場合に,当該被告人との関係で果たして被害者と言えるかどうかということが問題になっているときに,被害者の方を出していいのかということについて私は疑問を持っています。ですから,どういう問題を立法するにせよ,そういった情状で問題になっているのか,あるいは,犯人性が問題になっているときまで被害者が登場するべきなのかということについて,ちょっと考えなくてはいけないのではないかということを私は常に考えております。 ○大久保委員 私が今質問させていただきましたのは,明らかに犯人が決まっていて,そこに実際の被害者や遺族がいるという場合,それでも被害者のいろいろなそのときに必要な情報を十分得るということが現状ではできるわけでもありませんし,いろいろな発言をしたい時,参加制度等はできましたけれども,まだまだ不十分ですし,国選弁護人の費用もまだ狭まれておりますので,誰でもが使えるわけではありませんし,様々な場面で制度はできても被害者がまだそれを十分に履行できるような状況には改善されていないわけですね。そういう辺りのところをお伺いしたいと思ったのですが。 ○弘中氏 それについては,私はごく概括的にしか知識がないものですから。私は一応いろいろな形で被害者が参加できる,あるいは,発言したり,情報を得る仕組みがある程度そろってきたのではないかと。だから,むしろそれをどうやって充実させるかとか,きめ細かくしていくかということは必要だと思っていますけれども,根本的にもっと新しいものを今すぐ作らなくてはいけないというふうに私は思っていません。 ○後藤委員 やや抽象的な問いになってしまいますけれども,もしお考えがあればお聞かせいただきたいと思います。確かに捜査官が自白を欲しいと考えているという状況はあると思います。その一つの理由として,少なくとも捜査官の意識としては,自白がないと起訴がしにくいという意識があるのだと思います。それに対して,自白がなくても起訴していいではないかという言い方をするとすると,被告人の立場から見ると,今よりやや証拠が少なくても起訴される可能性が生じるわけですね。そのことが全体として見たときに良い方向になるのか,それともそれによって危ない起訴が増えるからよくないという評価になるのかについて,先生の御意見があれば伺いたいのですが。 ○弘中氏 可視化もそういう面はあると思うのですが,全て制度改善,新しくやってみるということは何から何までうまくということはないと思うのですね。必ずやってみなければ分からないいろいろな新しいものが出てくると思います。それから,事件も,先ほどホワイトカラーの事件と言われましたけれども,そういうケースともうちょっと違うタイプの事件で,いわゆる殺人とか強盗などとは違うのだと思いますが,抽象的にいろいろな危険を考えてもしょうがないのではないかと。   現実に今の裁判では,先ほども幾つか例を申し上げましたけれども,身柄拘束を利用して自白に追い込むというごとき弊害が私は目に余っていると思うのです。ですから,少なくともそこを相当程度緩めた上で,それがどちらにいくか。例えば裁判官が証拠に基づかずに少ない証拠で推認に推認を重ねて判断していいというのは,これまた別の問題があっていけないと思うのです。しかし,それを恐れていると何も進まないわけですから,今,目に余るところをとにかく思い切って直していって,そこから先で問題が起こったらそこで考えるしかないのではないかと私は思っています。 ○安岡委員 全く違う観点からの質問になりますが,2点質問したいと思います。一つは,今,村木さんの事件でお話になりました厚労省の関係者の方を,被疑者として任意で大阪に呼び出して,逮捕の可能性で威迫して調書にサインさせたということがありましたが,そのお話でいきますと,現在取調べの可視化というのは被疑者に範囲が限られているような議論になっているように思えるのですが,むしろ参考人ないしは任意の段階での取調べに非常に問題が生じるおそれが大きいのではないかと思うのですが,可視化の範囲ということについてどのような意見をお持ちでしょうか。   もう1点は,弘中さんのお話の中に全然出てこなかったことなのですが,裁判員裁判も幾つか受任されていると思いますが,裁判員裁判の実例の中で,検察官調書,警察官調書が証拠として採用されて法廷で読み上げられたときの裁判員の方たちの調書に書かれている内容の理解度はどのようなものであろうかということ。それから,その調書がどのようにして作られているかを裁判員の方は御承知なのかどうか。これは,評議の場にいらっしゃらないわけだから分からないかもしれませんけれども,法廷で見ていらして,どのような受け止めを裁判員の方はしているかをお聞きしたいと思います。 ○弘中氏 今の二つの点はかなり密接なのですが,ちょっとお断りしておかなくてはいけないのは,私は裁判員裁判をやっていないものですから。拒否するわけではなくて,そういう事件をたまたま受任していませんので,それをやっていないという前提でお答えいたしますけれども,最初の参考人と可視化の関係については時間があったらお話ししようと思っていたのですが,任意の取調べ,特に参考人などのときにはいわゆる自己可視化と言いますか,調べられる側が録音機を持ち込むことを妨害してはならないということをきちんと決めるべきだと思います。任意の取調べですから,持ち物検査をするということは許されないはずであります。   調べられる側というのは,警察,検察に呼び出されて,しかも非常に重要なことを,あるいは,自分とすればどう言っていいか分からないことをあれこれ聞かれて調書を作るわけですから,せめてもの自己防衛として録音機を持ち込むことは認められてしかるべきだと思います。近時,小沢さんの秘書裁判でたまたま録音したものがあって,それが裁判所の証拠決定では少なくとも大きな影響を与えたわけでありますが,ああいったやり取りを見ていると,録音機を持ち込んでの自己可視化ということが極めて現実的であり,かつ,必要ではないかと思っております。何も勾留されている方と同じような取調室に入れて録音・録画するということに限定して考える必要はないと思っています。   それから,後者の問題は,先ほど申し上げたように私自身は裁判員裁判をやった経験がないものですから,分かりませんけれども,特に今申し上げたような録音ではっきりしたような調書の作成過程,つまり,検察官あるいは警察官が文章を先に作っていって,あるいは,話をしたことを解釈してまとめていくというものが調書であるというところを御理解いただかなくてはいけないのだろうなという意識は持っていますけれども,現実の経験がないのでそれ以上申し上げることはできません。 ○本田部会長 それではまだ御質問尽きないところかと思いますが,この後の予定もございますので,弘中さんへのヒアリングはこれで終わらせていただきたいと思います。   弘中さん,本日はどうもありがとうございました。 ○弘中氏 どうもありがとうございました。           (弘中氏 退室) ○本田部会長 それでは,続きまして稲川さんのヒアリングの準備を進めていただきたいと思います。           (稲川氏 入室) ○本田部会長 それでは,始めさせていただきます。   稲川さん,本日は,大変お忙しい中御出席いただきまして,誠にありがとうございます。本日は,検事として事件捜査等に従事されました御経験を基にお話を伺いたいと思いますので,よろしくお願いいたします。 ○稲川氏 私は,現在,最高検察庁裁判員公判部に所属する検察官の稲川と申します。本日は,この特別部会で意見を発表する機会を与えていただき,本当にありがとうございます。私は,現在29年目の検事生活を送っていますが,その大部分を捜査・公判の現場で過ごしております。また,最近は裁判員裁判や取調べの録音・録画を主に担当しておりまして,本日はそういった私のこれまでの経験から,主として裁判員裁判事件のような比較的重大事件における捜査・公判の課題についてお話させていただきたいと思っております。3枚のレジュメをお手元に配布しておりますので,このレジュメに従って説明していきます。   まず最初に,「科学的捜査,客観的証拠による真相解明の限界 取調べによる自白の必要性」ということについてお話しします。捜査現場でも客観的な証拠の収集に全力を尽くすというのは,そのとおりでございまして,実際,犯人検挙につながっているケースも多々あります。   最近の例で言いますと,例えば強盗殺人事件の現場近くにあった防犯ビデオから犯人像が映って,そのビデオをたどっていって犯人特定に至った事件。あるいは,十数年前の,我々は「コールドケース」と呼んでいますけれども,過去の古い現場にあったDNA鑑定対象資料から最新のDNA型データベースの検索をした結果,殺人事件,強姦事件の犯人が検挙された,これは全国的に見るとかなり数が多い事例もあります。しかし,その一方で残念ながらそういった痕跡の「こ」の字もなく,犯人の目星さえつかずに重要未検挙になっている事件も一定程度ございます。   そういったことはどうしてかということをちょっと説明させていただきますと,まず犯行現場には一般の方が想像するほど証拠は残っていないというのが現実です。指紋について言えば,対象可能な特徴点が12点以上ないと検出されない形になっております。そういう意味で,いっぱい付いているようだけれども,対象可能指紋が現場から出てくる確率が低いという現実があります。   もう一つは足跡,これもあるようできちんとした形の足跡が出てくるケースが比較的少ない。DNA型対象資料に関してもぴたっとDNA型が出てくるような資料が少ない。防犯カメラは設置されてない場合もありますし,設置されていても画像としてほとんど使えないケースも多いということです。さらに,指紋にしても,DNA型対象資料にしても,現場に存在はしても犯人特定に結び付かないというケースが非常にございます。   ここに書いたように,まず一点目は指紋が現場にあってもそれだけでは犯人特定になりません。犯行の機会に付いた指紋かどうかということが最大の問題で,それは指紋にしてもDNA型対象資料にしてもその物自体は語ってくれませんので,どうしてもそういった限界があります。現に重大な裁判員裁判事件で,指紋もDNA型鑑定資料も現場にあったにもかかわらず無罪になった事例があります。   また,DNA型鑑定資料というのは非常に重要な客観資料なのですが,データベースに限界がありまして,せっかく良い材料なのに現場で使いにくい,まだ効果を発揮していない。例えば,日本の成人全ての指紋やDNA型をデータベースに登録すれば,かなりの重要未検挙事件は解決されるかもしれません。しかし,現実には無理です。実際に,最近起きた連続強姦事件などでも,DNA型鑑定資料さえあればその後の連続強姦事件は避けられたという事例が,ごく最近私が体験した事件でも2件続けてあります。そういう意味で証拠はあっても犯人特定に結び付くには限界があります。また,足跡とか防犯カメラというのは一定の価値はあるのですけれども,鑑定の結果は大概矛盾しないという程度でございまして,矛盾しないというのは犯人特定との関係でいうと逮捕状すら取れないというレベルです。   今お話ししたのが犯人と結び付く関係で限界があるということですけれども,それ以外にも限界はあり,客観証拠だけでは動機とか犯行に至る経緯,共犯者間の共謀の内容・役割が分かりません。端的に言うと,上位者に対する突き上げ捜査は客観証拠からはなかなか無理です。そういった問題があることから,結局,現場では聞き込みなども含めたいろいろな捜査をやって,容疑者の任意の取調べを行い,自白や共犯者の関与に関する供述を得た上で,本人や共犯者を逮捕するケースが多いというのが現状です。   そして,逮捕後であっても,動機や共犯者間の共謀内容や役割,余罪を含む事件の全貌解明のためには,取調べによりこれらの点を解明して供述を得る必要があります。むしろ客観証拠というのは,こういう供述を得た後,それを裏付けるという意味では非常に役に立っていまして,言い方を変えますと,証拠物とか客観証拠というのは非常に中立的なものですので,関係者の供述があって初めて証拠の本来の価値が出てくる,そういうものだということをどうか御理解ください。   次に2枚目にいきます。これは私の個人的な意見で,タイトルは大胆にいきましたが,「全面可視化は,凶悪犯罪者や組織の背後にいる真の犯罪者を野放しにする危険性がある。」ということです。これは5年前から録音・録画を担当して検証していた時からの私の持論でして,これからなぜこう言えるかという二つの背景と,二つの自分の体験談についてお話ししたいと思います。ここで言う「全面可視化」というのは,日弁連が言っている,例えば殺人事件で言えば任意の段階からの全ての被疑者としての調べの可視化という意味でございます。   まず一つ目の背景は,今,1枚目のレジュメで述べた科学的捜査の限界に加えて,通信あるいは会話の傍受,刑事免責,司法取引,おとり捜査など,取調べにより自白を得る以外の十分な真相解明手段を持っていない今の刑事司法の現状があります。   もう一つ,2点目で理解していただきたいのは,重大犯罪事件の逮捕基準のハードルが非常に高いという現実です。これは,ここにも書きましたように,一つは99%の有罪率を背景として,あるいは,それの根拠になっているのかもしれませんけれども,検察官の起訴基準が非常に高い,有罪を得る見込みがあるかどうかという基準で起訴するかどうかを決めているということです。   それに加えて,特に重大事件の場合には,警察の方では捜査一課で特別捜査本部というのを立てますが,検察庁にはそれに対応して事件を担当する本部係検事という検事がいまして,その検事と捜査一課長辺りで逮捕前の協議をやるというのが実務上の恒例となっております。そういったところで,検察官から見ればえん罪防止という意味を込めて証拠を徹底的に見て,そこで問題事件をスクリーニングする,そういう機能を果たしています。   御承知のとおり,日本ではこの手の事件で逮捕すれば,必ずマスコミその他で犯人扱いされますし,仮に起訴もできなかった,無罪になったといったら,捜査官が非難を受けますし,国家賠償の対象にもなる。そういう実情を踏まえてこういう制度を採っているわけです。その結果,逮捕基準が非常に高くなっている,これをまず背景として御理解ください。   その上で,私の体験を二つお話しします。まず一つは,平成20年3月に法務省が公表した最初の取調べの録音・録画の検証についてです。これは私自身が取りまとめたもので,そのときに全面可視化の弊害等に関し,録音・録画を行った170件の事件の担当検察官を対象にアンケートを行ったのですが,その中で,ここで書いたように88%に当たる115人の検察官から「それはすべきではない。」との回答がありました。その理由は様々でしたが,この中の8人の検察官から,仮に全面可視化を当該事件でやったらどうなったかという質問に対する回答がありました。結論としては自白が得られなかった,自白が得られなければ,先ほど言ったような高い逮捕基準があったものですから,逮捕もできない,ほとんどの人がこの人が犯人だと思いながらも,結局その凶悪犯罪者を野放しにするしかなかった,こういう回答が得られました。   抽象的に言われても分からないと思いますので,今日は一つだけ,どんな事例があったかということを紹介したいと思います。ここに「ある殺人事件」と書いたものですけれども,きっかけは沖縄の離島のサトウキビ畑で,その畑の持ち主の女性が頭部や顔面を斧で殴打されて殺害され,その死体が発見されました。近くの親戚がその遺体を発見して警察に通報するということで捜査が開始されて,犯行現場の位置と死体の状況から見て物取りではない,性犯罪関係でもないだろうと。そういう犯行の可能性から見ると,離島ですから,限られてくるわけで,隣に住んでいるおじさんが一番怪しいということになりまして,警察は翌日から任意で呼んで調べ始めました。   それと同時に,その男の人が持っていた斧三つの任意提出を受けました。ところが,血痕の付着を調べるルミノール反応をやってみたら3本とも出ないんですね。調べに関しても,その男は,非常に頑固で偏屈,言葉も島の方言で非常になまりが強くて,耳も悪い。取調べに対しては,畑仕事をやっていたけれども,そのような事件は全く知らないと。その上に,被害者を散々罵倒して,天罰が当たったんだというようなことを言って喜んでいる,こういう状況の調べだったんですね。4日間警察が調べても全然こう着状態だと。その間,犯行現場あるいは遺体に関していろいろ捜査したんですけれども,犯人に結び付く物証はない。島の住民の聞き込み捜査,旅行客の滞在の有無やアリバイなど,やるべき捜査はやったのですけれども,客観的な捜査からは犯人に結び付くものが出てこなかった。いろいろやって消していくと,結局この人しか残らないという状況まできたのですが。   そして,ポリグラフ検査もやったのですが,反応がなかった。逆に,ルミノール反応が出ないということと,ポリグラフ検査の結果がマイナスになったことで,そのままでは逮捕状も取れないという状況にありました。ちょっと困ってしまって,警察としてはもっとコミュニケーションの取れる島の元警察官を呼ぼうということになって,刑事畑とは違うところに行っていた警察官を呼んで,どんなことを言われても耐えろ,じっくり島の言葉で彼の言い分を聞いてやってくれ,言いたいだけ言わせていいから,その中で雑談しながら人間関係を作ってくれと,そういう調べに切り換えたわけです。2日間この方法を採ったら,3日目にその男が「自分が斧で殺した。」という自白をしました。そして,提出した斧で殺害したというので,三つの斧とも金具の部分と柄の部分が複雑に止まっているんですけれども,彼の承諾を受けて分解したんですね。それを一本一本丁寧にやったら,その一本の斧から血痕が出まして,それが被害者の血液型と一致した。それで初めて本人の話は本当だということで逮捕して,最終的にずっと自白を維持して起訴することができた。   この事件は18日目か19日目だったかに録音・録画をしました。私もそれを見て担当検事とも話したんですけれども,本人が録音・録画されることを非常に嫌がっていて,何でこのようなことをさせるのだと。結論として,最初からこんなカメラが入っていたら自分はしゃべらないと本人も言っていましたし,警察官が言うには彼の言い分をそのままビデオに残すというのは,被害者の遺族のことを考えたら耐えられないと,やっぱり話を止めてしまうだろうと。そうすると彼は頑として黙秘か,あるいはがみがみ言うかどちらかで,まともな調べはできなかったのではないか。そういう意味では,この事件においては,少なくとも可視化したら彼は任意でしゃべらない,しゃべらなければ逮捕もできない,だから,誰もがこの人が犯人だと思いつつ結局手出しできない,それが現状です。   私が言いたいのは,170件のうち,現行犯を除く死亡事件は50件ぐらいですので,そういう凶悪事件の中で8件,1割強についてこういう報告があったということです。これは結構それなりの重みがあるのではないかと思います。自分は,これまで裁判員裁判の対象事件を500件ぐらい,自分でやったか,決裁をやっていますけれども,自分のこれまでの経験にも合致するぐらいの割合です。それがまず1点目の経験です。   2点目に関しては,自分で直接体験した事案についてお話します。今の殺人事件は任意段階での可視化の弊害を問題にしていますけれども,これから話す幾つかの事件は,逮捕後勾留中の取調べにおいても全面可視化は弊害があるということに関連して,幾つかの経験談を話したいと思います。最初はオウム事件です。私は平成7年5月から翌年の3月まで11か月間,オウム事件の捜査に関与しました。主に教団幹部のBという被告人を担当していました。本日のテーマの関係で結論だけ言いますと,仮に勾留中に可視化が全面的に義務付けられたとすれば,B被告人は公判同様黙秘したままで絶対に自白しなかったと私は断言できます。そして,B被告人が自白しなければ,少なくとも教団が行ったCさんの殺人事件,松本サリン事件,あるいは,大阪のDさんに対する殺人事件以降のVXガス絡みの事件は,多分解明できず,あるいは,著しく捜査が混乱しただろうということが言えます。   なぜそう言えるのかということが大事なのですけれども,後でよく分かりましたのは,B被告人というのは麻原の教義を理解する,あるいは,それを理解しようとする人にはものをしゃべるのですけれども,オウムの教義を真っ向から否定する人に対しては黙秘で貫く。公判でそういうことを誰も理解してくれなかったから黙秘を貫いたと,こういうことです。そういうB被告人から自白を得るためには彼の世界,つまりオウムの教義の世界に飛び込まなくてはならないわけですね。飛び込む覚悟をするためには,可視化された取調べの中では私自身ができなかった,こういう理由で先ほどのような結論になったわけです。   それだけでは分かりにくいものですから,もう少し具体的に話しますと,まず最初にB被告人も尊敬していた宗教学者の本を読んだり,その人に実際に会って話を聞いて,オウムのベースになっているチベット密教の考え方とか修業方法を私自身学びました。そして,その学者から「オウムの幹部を調べるのだったら,麻原の説法集である『タントラヴァジラヤーナ』を読まないと多分調べにならないと思いますよ。」というアドバイスを受けて,かなりの本を読んだ上でそれらを一応全部読んで,15日目ぐらいの調べ辺りから調べ室にはその教義書だけ入れると。立会いも抜きで,警察にいつも調べに行っていて,夜の6時から9時ぐらいまで3時間,毎日そういう調べをやるのですけれども,立会いも入れずに,ノートやメモも入れずに,教義だけを教わるという姿勢に切り換えたわけですね。   そうすると,向こうも今まで黙秘だったのが急に興味を持って,知りたいのだったら教えましょうということで,一からオウムの教義を教えてくれて,そのうちにその調べ室の中で「クンダリンヨーガ」と呼んでいましたけれども,呼吸法とか座禅とかヨーガの技法も教えてくれて,調べだかヨーガの修行なのか全然分からないようなことが延々と十何日続いているうちに,私自身,本当に現実なのですけれども,夢の中に曼陀羅が出てきたり,空中歩行とか転生先の夢が出るようになって,それを彼に告げると「これはこういうことだ。」という意味付けをする。こんなことを20日間やったわけですね。結局,同僚からも女房からも「おかしいんじゃないの,何やっているの。」ということを言われる。ただし,その間少しずつ彼は自分の教義,ポアというのはどういう意味かと。そういう中で,例えば坂本弁護士事件は,今どの世界に転生したか,そして死体がどのような状況になっているか,なぜそうなのか,このような話から話を始めて,彼は元々死刑なんか全然怖くないですし,全て話したかったと思うのですね。結局,一番最初の殺人事件から含めて全部きれいに話したと,こういう経過でした。   結局,言いたいことは何かと言うと,このとき私自身調べだか修行だか分からないようなことをやりたくなかった。でも,B被告人の場合,多分そうしなければ絶対に話さないのではないかなと確信を持ったものですから,やってみたわけですね。結果的にうまくいきましたけれども,このようにうまくいく保証は全然ないわけです。B被告人に限らず否認や黙秘している凶悪重大犯罪者から自白を得るためには,相手の世界に入っていく必要があって,そのためには相手の懐に飛び込む覚悟と自分をさらけ出す覚悟,これがなかったら絶対に自白させられない。真相解明というのはそういうもので中途半端では決してできない。全面可視化というのは,そういう意味で取調官の覚悟,決意というものを打ち消してしまう弊害があるということを御理解いただければと思っています。   次に,自分の体験のもう一つですけれども,突き上げ捜査に及ぼす影響という観点です。私は過去に小倉,福岡で暴力係を3年もやりましたし,特捜部の6年間でかなり会社ぐるみの犯罪をやっていますが,そういう中でいわゆる実行行為者の身柄を担当します。多分,組織犯罪的なものを合わせると二,三十やっていると思います。その中から上位者の関与を自白させた経験もあります。最初は自分の実行行為さえ否認している人に対して,先ほど言ったような働き掛けをしながら,段々心を開いて少しずつしゃべっていくと。自分のことは,最終的には供述するようになると。   そこから更に上位者のことというのはものすごくハードルが高いのですね。その中で,「ここだけの話です。」とか,「弁護士さんにも絶対言わないでください。」,あるいは,「これを言うと殺されます。」とか,「これを言うと自分は今までの社会的地位か名誉が全部失われます。」,こういう世界で話すのですけれども,とにかく調書はやめてくれと。我々としてもそういう内部の極めて重要な情報というのは,そこから証拠物を読む上でもポイントになりますし,新しい捜索場所をそこから見付ける,あるいは,関係者を調べる上でも,そういう情報を知っているのと知ってないのとでは全然違ってくるわけですね。そういうところから事件を横とか縦に延ばしていく,これが組織犯罪の捜査の鉄則というふうに私は理解しております。   ところが,全面可視化をやってしまうと,勾留期間中であってもそういう情報が絶対に得られなくなる。そうすると,組織犯罪の解明に不可欠な内部の情報が得られない。だから,突き上げ捜査は駄目だというのが,私のこれまでの体験で,むしろこういうところの適正化とか,供述の信用性というのは可視化で担保するのではなくて,後でお話ししますけれども,裁判所の証人尋問で事前にやるという方向で担保したらいいのではないかというのが私の結論です。若干予定している時間を超えてしまいますが,今までが一番言いたかったところでして,結論から言って,代替案なしで全面可視化をすれば一定程度の凶悪犯人が野放しとなり,組織犯罪の上位者は処罰されないことを覚悟する必要がありますよというのが,私の結論です。   もう一枚の紙はごく簡単にいきます。まず,最近の検察における取調べの実情です。これは皆さんがびっくりするぐらい変わったと私自身思っています。特に調書至上主義からの脱却,取調べの録音・録画の拡大・徹底,真相解明と被疑者の人権の調和の徹底という三つのポイントを現場でもかなり実践しているようでして,数年前まで検察官をやっていた人から見ると,これほど変わったんだというぐらい変わりつつあります。   課題なのですけれども,ここに書きましたが,現場の検事から問題だと言われていることは,協力者とか参考人の確保が非常に難しくなったと。これは捜査段階もそうですし,特に警察も苦労していると。公判も特に裁判員裁判が非常に多く入ってきまして,2か月先ぐらいに期日が決まるのですけれども,それが固定されてなかなか変更が利かないということで,被害者とか参考人の日程調整に非常に苦労するケースが増えてきた。いずれにしても,無関心層といいますか,関わり合いを避ける関係者が多くなってきたということや,制度上そういう人たちをきちっと確保する手段がないということもあって,現場ではこの点非常に苦労しているということです。   2点目は,私が以前から感じていて,最近特に強く感じていることは,正直者が損をしてうそをついたものが損をしない現実というのが問題ではないかと思っています。幾つか原因があるのですけれども,簡単に結論だけ言いますと,まず最近,否認事件,特に捜査段階では,裁判員裁判事件などで言えば黙秘,署名拒否,録音・録画拒否と,「三点セット」と呼んでいますけれども,こういうケースが非常に増えてきている。   去年,東京地検の特別公判部というところで,こういう重大事件をやっているところの捜査,公判に携わっていましたが,3分の1ぐらいは被疑者がこんな感じです。中には,最初否認で,検事の前の弁解録取で泣きながら自白して,その様子を全部録音・録画で撮った事件。それが翌日,弁護士さんが来て,弁護士さんから何と言われたかは分かりませんが,そこから署名拒否に変わって,公判では犯人ではないということで無罪を主張して,裁判員裁判をやっている途中で,ビデオと検察官の証人尋問をやった後,やっぱり自分は犯人でしたとまたひっくり返した,こういう事例も起きている。   これぐらい日常的になっているというのが特徴で,それに呼応して証人の負担が非常に大きくなってきている。これは元々裁判員裁判で以前に比べてマスコミ等から見た扱いが大きくて,プライバシーの侵害が増えてきたということと,先ほど言った期日の問題,あるいは,共犯事件で否認しているのが何人かいると,みんなバラバラに裁判員裁判をやるんですね。そうすると,認めている人がどの法廷にも行かなくてはならない,そういう不合理性が出てきまして,証人の負担が非常に重くなってきているというのが一点目。   2点目は我々の問題なのですが,そういう現状を見ると,自白している末端関与者でも逮捕して起訴せざるを得ない実情がある。これはなぜかというと,否認している主犯者のためにどうしても重要な証人になるものですから,それを逮捕・起訴しないと,検察官と逮捕・起訴しないという取引をしたと,それで虚偽の証言をしたということを言われかねないものですから,そういう形で起訴するから何とか量刑で勘弁してやりたいみたいな。それは言いませんよ,気持ちの中でそうやらざるを得ない。もう一つは,自白してもうそが明白で量刑上さほど差異がない実情もある。こういう観点から正直者が損をしてうそをついた者は損をしないというのがかなり広がりつつあるというのが現場の検察官が多く言っていることです。   結論からいうと,こういう問題に対応するために,私は大きく二つ,制度が何とかならないかと考えています。一つは黙秘権の実質的な制限という発想です。もう一つは,証人尋問と刑事免責をもう少し徹底してほしい。   黙秘権の制限の問題はいろいろ問題あると思いますが,一番はっきりしているのは,一般的な制限というのは非常に問題があって,これはやるべきではないと思っています。イギリスの刑事司法公共安全法の34条,35条のような一般的制限はやめて,この法律の36条,37条のように,誰が見ても自分の弁解をすべきだし,弁解ができるというような客観的状況,例えば強盗事件の盗品を手に持っている,犯行現場にいて被害者が死んでいる,服に血も付いている,そういうときに「あなた,これはこういう状況だから疑われていますよ,何か言うことありますか。言わないと不利になりますよ。」というような告知を受けた。それでも黙秘しているというような場合に,それを公判で不利益に扱ってなぜ悪いのだと。イギリスでは堂々とそういう法律になっていますけれども,こういうのは日本でも入れたらどうなのかなと。黙秘権が一人歩きして絶対化するというのは,少し危険な状況になっているという認識があります。   似たような趣旨で,今度は黙秘権とは違うのですけれども,自白時期に応じて一定程度の刑を減軽する,あるいは,否認の場合は刑を重くするという,量刑のガイドラインがないかなと。あるいは,否認事件の中で薬物事件がものすごく増えていますが,無罪率が非常に高くて,このままいくと日本は薬物密輸者にとっては天国みたいになって,いろいろな弁解をすると無罪がどんどん出るということになるとまずいのではないかなと。そういう観点で黙秘権の裏返しなのですけれども,薬物事件について,立証責任の転換,イギリスの薬物乱用法の28条だったと思いますけれども,検察官としては規制薬物だということを立証すれば,相手方が規制薬物であることを知らなかったということを反証しなければならない,こういう制度はどうだろうかと思います。   刑事免責の方はいろいろ考え方があると思いますので,個別的な意見はありませんが,以上のようなことを現場で考えております。以上が私の報告でございます。 ○本田部会長 ありがとうございました。   それでは,今の話に対する御質問等ありましたら,お願いいたします。 ○周防委員 どうもありがとうございました。今まで警察・検察の取調べには,長い歴史の中で積み重ねてきたものがあって,より良い方向でという歴史はあったのだと思います。ただ,それは飽くまで取調べが録音・録画されるという状況のない中で積み上げてきたものですよね。今ここで録音・録画されたときに,そういった取調べが通用しないから,いろいろな不都合が起きている。逆にいうと,録音・録画することで更に良い取調べの方法がないのかと,そういう探し方というのはどの程度されているのでしょうか。 ○稲川氏 先ほど説明したかった調書至上主義からの脱却というところとも関係するのですけれども,我々の取調べというのは,真相解明のために相手の弁解をきちんと聞いた上で突くべきところは突くと,それを淡々とやればいい。そして,追及した結果だけを調書に取ればいい,これが本来の取調べであり調書作成だったはずなのですね。ところが,どこかで調書が優先してしまって結果としての調書が一人歩きする,そういう事態になったのではないか。ところが,録音・録画をやることによって,特に初期の段階からやると,本人の生の供述がそのまま出るわけですね。明らかに調書と違うというのが分かってしまうものですから,決裁官用か自分用か知りませんけれども,読んで格好良い調書みたいなものはもう通用しないというのがこれをやるだけですごくよく分かるなと思います。   今のような裁量的であってもほとんど全過程やるとか,初期の段階の初期供述を記録するということだけでもそこはチェックできます。今,決裁官がかなり負担なのですけれども,皆さん少なくとも調書ではなくてビデオを見ながら決裁をやっています。特に知的障害を持っている人の事件を処理する上では,初期の段階にどんなことを言っているかというのは非常に重要でして,そういう意味では,取調べも,当たり前のことなのですけれども,聞くべきポイントを絞って,その人から何を聞くかと,証拠を全部頭に入れた上で弁解を聞いていくと,こういう調べにならざるを得ないし,それは本来在るべき調べなのではないかなと考えております。 ○安岡委員 2点伺いたいのですが,まず1点目はちょっと抽象的な質問になりますが,レジュメの最初にも書いてある真相解明ということですね。真相解明,あるいは,実体的真実主義というときの実体的真実ということなのですが,捜査で解明する真相,実体的真実ですね,これを稲川さんはどのように規定していらっしゃるのでしょうか。稲川さん個人のお考えでも結構ですし,自分はこう考えるけれども,周りの検察官の同僚はこういう考え方が多いようだというようなことでも結構です。これが1点目です。   それからもう一つ,先ほど弘中弁護士にもお伺いしたのですが,裁判員裁判で調書が証拠採用されたときの,裁判員の方たちの受け止めというか,その調書の内容についての理解というのはどの程度されているだろうかと。裁判員裁判が始まるので検察庁で調書を短く短くということを随分やられていて,私も新聞社にいた時代に調書の内容を変えていかなければいけないということで取材をしましたけれども,それでも法廷で読み上げた調書の内容を一般の方が理解するのは非常に難しいのではないかと私は思うのですが,法廷で立会いされていて裁判員の理解度というのはどの程度だとみておられますか。   理解度という中には,私が見るところでは調書の異様な一人称独白体,私はこれを「宇能鴻一郎文体」と呼んでいるのですが,裁判員の方は実際に被告人の言葉を録取しているものがこの調書だとお考えになるのではないかと思うのですね。最近の調書では途中のポイントのところで問答形式を入れたりして工夫もされているようなのですけれども,調書の出来方,作り方というところも含めて,裁判員の方が証拠としての調書をどの程度理解しているだろうかというのを,法廷から見た感想,感覚をお聞かせください。 ○稲川氏 まず1点目ですけれども,非常に難しい質問なのですが,私自身は絶対的真実は神のみぞ知る世界なのだろうなと。実体的真実というのは,訴訟手続の中で限られた人的・物的資源,あるいは,時間的制約の中で可能な範囲で真相を解明してという姿勢を示すのであって,何が実体的真実かというものではないのではないかなと,こんなイメージを考えています。我々が目指すのは,裁判員裁判であっても他の事件であっても,最終的に公判において犯人かどうかということを含めて適正な処罰をしてもらう。その適正な処罰をしてもらう前提として必要なのは公訴事実という罪体,犯罪事実に関する事実と,その事件を特徴付ける重要な情状ということだと思うのですね。そういったことが捜査の中で全体として,今言ったような限られた時間的制約や人的資源の中で解明しようとする姿勢を実体的真実というのではないかなというふうに理解しています。   2点目の問題は,これも難しい問題でして,調書の在り方あるいは作成の仕方に対していろいろ議論はあるかと思うのですが,日本の警察官なり検察官の調べというのは非常に長いものですから,一つ何か言って答えて一つ言って答えてという形ではないので,一問一答式になじまないのだと思うのですね。そういう中で被害者が言ったこと,被疑者が言ったことを検察官がいろいろな観点できちんと確認して,より真実に近いものかどうかを本人に確かめながら作ったものを,本人にも確認しながら一つの文章にしていくと,こういう過程で検察官調書というのはできてきたのだと思うのですね。ですから,それが裁判員から見て分かりにくいのだったら何らかの直す努力は必要でしょうし,短ければいいというものでもないだろうということで,そういうのを現場で努力しながらやっています。   裁判員裁判でどう評価されているかというのは,裁判官の方もいっぱいいて,自分でも体験していると思いますが,我々は評議とか何かで余り聞けないものですから,その辺は分かりにくいです。ただ,結果として,出てきているアンケートでは,最近,自白事件で検察官の立証は分かりにくいというのが増えていることもありますし,私自身が直接聞いたり,あるいは,報告が最高検に上がっている中で,必ずしも調書が分かりにくいとは思わないと,むしろ証人尋問をやったらぐちゃぐちゃになって分かりにくいと,この辺もいろいろあって,全体がどういう傾向でどうかというのはちょっと私も答えにくいなと思います。   ただ一つ言えるのは,私自身何回か聞いて分かりにくいなと思ったのは,共犯事件で共犯者のいきさつが長い調書を延々と,40分ぐらいの調書を3回ぐらい朗読されると,これは私でも聞いていられないなというのがありました。ですから,立証に必要な部分に絞ってどのぐらいやるかということとか,あるいは,これも裁判官によっては駄目だという人もいるのですけれども,パワーポイントで出してポイント,ポイントを説明しながら朗読していくとか。そういう読み方の工夫とか,あるいは,2人の人が別々にやっていくとか,被害女性の話には女性検事が朗読するとか。現場ではそれなりに工夫してやっているようです。 ○椎橋委員 貴重な経験談をありがとうございました。確認のような質問なのですけれども,御報告の最後に法整備の必要性を言われましたけれども,黙秘権の実質的な制限,不利益推認とか,自白と否認に対する量刑上の区別あるいは配慮というか,それから,薬物事案での立証責任の転換,こういったものについては今の状態で入れるべきだという御主張でしょうか。私の聞いた限りでは,これらの制度を入れても組織犯罪とかその他一定の重大・困難な事件については,やはり全過程の録音・録画というのはなじまないのではないかと伺いました。録音・録画は今,一部の事件で試行されていますし,徐々に拡大されていますけれども,今のような試行の状況の中で必要なのか。それとも,全過程の録音・録画に広げた場合にこういった法整備が必要なのか,その辺りのところを確認のような形で質問させていただきたいと思います。 ○稲川氏 今日3枚レジュメを用意いたしましたが,最初の2枚目がほぼ一貫したもので,義務的全面可視化というのはどうかというテーマで私の結論を示したものです。最後の部分は若干これと離れまして,どちらかというと,裁判員裁判をこの5年間ぐらい見ていまして,その中で出てきた傾向から見て,可視化の問題とは切り離し,本当にこのままでいいのかなという問題意識から出たものです。かつ,これは私の個人的な意見と言えば意見ですけれども,最近,現場の多くの検察官からそういう声も結構聞こえてきていることをとりあえず御紹介したという程度でありまして,今直ちにこうしなければとんでもないことになるということではなくて,この場における一つの問題提起という位置付けでございます。 ○佐藤委員 そうしますと,可視化にも一定の効果がある,しかし可視化すると適正な真実発見を可能とする取調べに支障がある。こういうときに稲川さんの判断としては,可視化すべき取調べとすべきでない取調べの基準といいますか,要件といいますか,その辺りについてはどういうお考えですか。 ○稲川氏 私自身の基準は個人的にはあるのですけれども,関係者がいるもので非常に難しい質問ですけれども,個人的な意見を言ってもいいだろうということで答えますと,一定の条件を幾つか考えると,身柄事件で重要な事件,特に今やっているような裁判員裁判とか,やってみて気付いたのは知的障害というのは本当にやるべきだなと。これは非常に問題があるなと感じていまして,知的障害等でコミュニケーション能力が問題ある事件というのは基本的にやるべきだろうなと考えています。   あと,どの事件にまで広げていくかというのはここで議論していただければなと思います。段階としては,身柄手続を採った後がいいのではないかと。後は,一律に全部の調べの全過程の録音・録画を義務化しなければ何とかなるかなというのが私の個人的な意見です。 ○後藤委員 素朴な質問になるかと思いますが,検察官は起訴するときに,先ほどおっしゃったように,有罪判決が取れるという自信がないと起訴しない傾向があると思います。そして,先ほどのお話では,起訴ができるという見込みがないと逮捕状の請求もしないということだったと思います。そうすると逮捕状の請求をするときには,既にかなり証拠はそろっているということになりそうですね。 ○稲川氏 正確に言いますと,今言ったような本部事件という凶悪重大事件で犯人性に問題があるような事件に関して,今そういうことをやっているという言い方で,全ての事件という意味ではございません。 ○後藤委員 そうですか。そのような事件に限るとしても,単純に考えると逮捕した段階ですぐ起訴しようと思えばできるぐらいの証拠は集まっているということにならないですか。 ○稲川氏 そういうことでもなくて,まず犯人かどうかという認定を我々が間違いなくできるかどうかということと,確実に起訴できるかどうかということと,確実に有罪を取れるかという三つの段階がありまして,少なくとも本部事件というのは犯人性が分からないということで,警察も捜査本部を設置して協議するという事件なものですから,検察の立場からすると,一人のえん罪者も出してはいけないと,しかし真犯人だったらきちんと逮捕して処罰しなければならない,こういう観点から,本当に犯人かどうかに関し,警察がそれまで集めた証拠を徹底的に吟味して,積極消極の両方から見ても,やはり犯人なのだろうという心証を持てることが必要です。   それから,どういう捜査ができて,どういう捜査がマイナス証拠をプラスにできるのかということを考えて,それが可能であってかつプラスにいきそうだという見込みがあれば逮捕する。あるいは,調べをして本人の弁解を聞かないと分からないという場合には,弁解を聞いた上で逮捕しようかと,こういう話を常にやるわけですね。ですから,確実に起訴できないと逮捕もできないという話ではなくて,起訴の際には有罪を得る見込みというのがありますけれども,それに準じた形で,もちろんそれよりは低いレベルですけれども,逮捕の際にもそれぐらいきちんとした証拠がないと,逮捕を控えるような運用をしていますよと,こういう趣旨で説明したのですが。 ○本田部会長 それでは,まだ御質問はあろうかと思いますけれども,後もございますので,稲川さんからのヒアリングは以上で終わらせていただきたいと思います。   稲川さん,どうも本日はありがとうございました。           (稲川氏 退室) ○本田部会長 それでは,ここで休憩を取りたいと思います。よろしくお願いします。           (休    憩) ○本田部会長 それでは,再開させていただきます。   中山さんのヒアリングの準備をお願いいたします。           (中山氏 入室) ○本田部会長 中山さん,本日は,大変お忙しい中御出席いただきまして,誠にありがとうございます。本日は,鹿児島県警及び鹿児島地検の捜査を受けられました際の御経験などを基にお話を伺いたいと思いますので,よろしくお願いいたします。 ○中山氏 皆さん,こんにちは。まず初めに,お配りした資料は,私たちが提起した国家賠償請求訴訟において提出した資料ですので,一つ御理解いただきたいと思います。   鹿児島県志布志から参りました中山信一でございます。鹿児島県議会議員選挙にまつわる事件で13人が無罪となりました,いわゆる志布志事件の元被告人の一人であります。私は,2003年4月に行われた鹿児島県議会選挙に立候補し,当選後間もなく一度の取調べもないまま,何の根拠もない容疑を掛けられ,同年6月4日早朝いきなり妻と共に逮捕されました。それから私は395日,妻が273日もの長期にわたり身体拘束を受けました。   私と妻が連行された後,大変大掛かりな家宅捜査が行われました。総勢100人の警察官でありましたが,現場の警察官は何を押収していいのか分からない状況だったそうです。でたらめな捜査のせいで不当にも起訴され,刑事裁判の被告人にさらされました。裁判も約4年間と長期に及び,全く無駄な時間とお金とエネルギーを費やすことになりました。幸いにも全員無罪を勝ち取ることができましたが,この事件には司法のあらゆる問題が絡んでおり,一刻も早く是正しなければならないと考えております。たくさんの泣き寝入りした他の例も推察されますが,正に私たちの事案においても紙一重だったのではないでしょうか。   さて,私は若いころから農業関係に従事してまいりました。消費者あってのものづくりという原点を忘れず,真面目に一生懸命取り組んでまいりました。私はいわゆるJAと一体となった農政に疑問を抱きつつ,独自の取組で農産物の販売を推進し実績も挙げました。そんな私が政治を目指したのは行政の在り方に疑問を持ったからでした。自民党独占の地元現職議員は喜ぶはずもなく,JAと一体となった選挙戦を展開してまいりました。私はこれ以上ないくらいのクリーンな草の根運動をしたと今では自負しております。たくさんの仲間が手弁当で心を一つにして戦ってくれました。   この事件の端緒から捜査の指揮を取った班長が他の候補の親友であったことも後に裁判で明らかになりました。私は司法行政までこれほどいい加減なものなのか疑問を持つようになりました。これほどねじ曲がった司法ではいけないと思います。今のこの司法行政のままでは全くない事件も事件に仕立ててしまうことができると思います。なぜなら,県警と地検が一度暴走すれば誰も止められない仕組みになっているからです。不当に勾留し自白を何がなんでも取ろうとするやり方は本当にひどいと思います。   代用監獄の問題も深刻ですが,誘導尋問や切り違い尋問など違法な取調べにより私もうその自白をしそうになりました。私は逮捕当初,その捜査班長から「とにかく容疑を認めろ,責任を取れ。」の一点張りで,容疑事実についての具体的なことは一度も聞かれることもありませんでした。そして,一緒に逮捕された妻が容疑を認めたとうそを言われまして,一方の妻は私が認めたと言われたそうです。私を精神的に追い詰め,ただひたすら自白の獲得に走ったのだと思います。そのような長時間の取調べが長期にわたり,不当な扱いがなされたことにより,無罪判決より現在までの影響は大変甚大であります。   私は逮捕後6か月間もの間,接見を禁止され,弁護人以外とは話せない状態にさらされました。裁判官は検察官の言いなりのように見えました。全くびっくりしました。かねてから取引のある銀行においても家宅捜査により通帳と印鑑が押収されたため,会社の現預金すら引き出すこともままならなくなったそうです。そこまでするかと思いました。残された家族は会社倒産の危機にまで陥りました。このような不当な捜査は確実な証拠がないからこそ徹底した身柄拘束をしたのではないでしょうか。証拠隠滅のおそれがあると言ってはプライバシーを侵害し,後戻りできない状態になったのではないでしょうか。   本来の警察官のチェック機能は全く働かず,逆に不当捜査に上塗りをしていったのだと思います。その結果,このような全くでたらめの事件を作り上げ,警察も検察も誰一人責任を取らないし,真相究明もできていません。このような状態では司法改革は前に進まないと思います。私は今まずやらなければならないのは無条件の取調べの全過程の全面可視化だと思います。それさえあればこのような無駄な事件は起きなかったと思います。それから,世界的にも非難を浴びております代用監獄制度も廃止すべきだと思います。私自身も苦しめられた釈放の運用については,検察官の意向ばかり気にせず,弁護人の意見もよく聞いて裁判官が適正に判断するように改善しなければならないと思います。   私は合計で9回保釈申請し,証拠隠滅のおそれありの一点のみで8回却下され,不当に勾留され続けました。あの状況でどうやってありもしない証拠が隠滅できるのでしょうか。制度疲労も甚だしく改善してほしいと思います。そして,我々裁判に疎い人に対しても自由に弁護人のアドバイスを受けられるようにしてほしいと思います。この事件は国家権力とそれを後押しするようなマスコミ権力によるところもあると思います。私は当初まるで犯罪者のように報道され扱われました。この点についても大変問題だと思います。   最後になりますが,国の行政にしても政治にしてもそうですが,責任を取る仕組みにしてほしいと思います。あれだけたくさんの人々を苦しめて,無罪になったにもかかわらず,いまだに事件は捜査し切れなかったと言っています。責任を取れない人はいい加減にしか仕事をしてないと思います。真相究明が長期化すればするほど,責任を取らなければならない人にとっては都合がよく,事件が風化していってしまいます。この事件が風化することのないように,また,二度とこのような事件が起こらないように,しっかりと改革への議論をお願いいたしまして,私の意見といたします。ありがとうございました。 ○本田部会長 ありがとうございました。それでは,御質問がありましたら,お願いいたします。 ○後藤委員 今日はありがとうございます。ここに資料として配られているのは受けられた取調べの一覧表というふうに理解してよろしいですか。 ○中山氏 はい,そうです。 ○後藤委員 かなり多数回にわたって長時間調べられているわけですけれども,その取調べの中身はどうだったでしょうか。先ほどいわゆる切り違い尋問的なものがあったと伺ったのですけれども,これだけの長い取調べの間にどんなやり取りがされていたのかをもう少し話していただけますか。 ○中山氏 これはとにかく相手が認めているということで認めなさい,そして,責任を取れという一点張りで,事件のことは一切話さないのです。そこで,保釈申請にしても9回出して1回目は裁判所が出さなかったのですけれども,2回目からは裁判所は全部出して,高裁で却下されているんです。これもすぐ最高裁は返事をしないといけない,文書だけで処理していると思うのです。それが私の事件では裁判官が,珍しいと思うのですが,現場まで行って,その後でいろいろ原因が分かったのだと思いますが,その辺りが本当にあったかのように。   私は警察のボランティアを長年してきました。警察を信じ切っていました。警察,検察,裁判というのは本当に信じ切っていました。私が最初の調べで言われたことは,その班長に言った言葉が,「お前はこのような仕事をしていたのか。」と言って。そしたら「お前は殺すぞ。」と。「殺せ。」と言って。そしたら「自分で死ね。」と。裁判でもそれが出てきますが,そういうひどいやり方で。うちの妻が認めたという件も,「認めて,そんな人とは別れろ。」と言ったということで,本当にひどい調べ方で。私がそのときに言ったことが「うちの家内のお父さんが63で脳梗塞で倒れて,うちの家内も高血圧症を持っています。そのことで,これはもうとんでもない,取り返しのつかないことをした。それでは認めますよ。」ということで,警察の調べでは認めました。   そして,検察の調べは昼からでしたので,「うそはつけませんので,今日はやめにしてください。」ということで,明日にしたのがよかったんです。弁護士が昼から来て,「うちのが認めましたか。」と言ったら,「いいや,認めませんでしたよ。頑張っていますよ。」と言われたので,そのまま検察官には報告をして,事件の解決の道になったと思います。   それから,マスコミのことなのですけれども,いかにも私がやったように民間,NHKまででした,2度頭上から上着をかぶせたものだから,私は2回取り除きました。そしたら,両方から私の両腕を押さえて,頭から上着をかぶせた状態で,いかにもやったようにして報道しました。そういうことで民間も報道した後に無罪になっても,何の謝罪もありません。警察と検察と一体となった報道だったと思います。 ○村木委員 ありがとうございました。大変だったことは想像できて,今日お話を伺えて本当に良かったと思います。報道でしか知らないのですが,志布志の事件,関係者はたくさんいらっしゃって,随分事実と違う調書にサインをさせられた方がたくさんいらっしゃったのではないかと思うのです,関係者の方々で。普通,実際に取調べを受けてみないと,事実と違う調書にサインをしてしまうというのは普通の方は分からないと思うのですね。お分かりになる範囲で,こういうことがあって本当のことではなくてもサインをしてしまうという状況について,少し解説をしていただけたらというのが一つです。   それから,もう一つだけ。警察の取調べと検察の取調べとありますから,検察官は普通は警察の取調べをチェックしてくださるのだろうと思うのですが,検察と警察の両方の取調べを受けられて,検察官の取調べというのが警察と全く同じだったのか,どこか違っているところがあったのか,真相究明のために検察官は別の工夫をしてくれたのか,そうではなかったのかという辺り,感じておられることがあったら教えていただきたいのですが。 ○中山氏 警察,検察も全く一緒の取組で進んでまいったと思います。その証拠に,地方の警察,村木さんのことも私もいろいろ勉強させていただいて全く一緒のような事件だったと思いますが,最初から事件の解明をして,私が事件の説明をしなさいと言ったら,二つの法律でこれを止めていると思います。一つは警察が適正に捜査しました。そして,二つ目のあれはプライバシーを間に挟んで説明ができない。私もこの事件は警察の犯罪だということで,今,笠原鹿児島県警本部長にも言っていて,謝罪もしませんが。それだったら,きちんと条件の説明をしてくださいよと言っても,地検は一つも説明してくれません。そういうことで,私の事件の最初の始まりが,10人ぐらい入ったけれども,この事件はないですよと言った警察の方は全部飛ばされて,2回目の人が言いなりになって動いた事件がこの事件です。それを全く止められなかったというのが裁判官まで一緒になったということですよね。   村木さんのは早く済んだけれども,私のは6月で丸9年になりますが,国賠を起こしているけれども,前に一つも進みません。裁判所からの書類も出し惜しみしたり,検察官の調書も,調書はきましたけれども,本当に上塗りして,9年もたてば皆さん忘れるのではないですか,そういうことでとにかく風化させようということが一番だろうと思います。 ○本田部会長 それでは,御質問,よろしいですか。   それでは,これで中山さんからのヒアリングは終わらせていただきたいと思います。   中山さん,本日はどうもありがとうございました。 ○中山氏 こういう機会を与えていただいて。日本を再生していただきたいと思いますので,委員の皆さん一つよろしくお願いいたします。           (中山氏 退室) ○本田部会長 それでは,続きまして,假谷さんのヒアリングの準備を進めてください。           (假谷氏 入室) ○本田部会長 それでは,始めさせていただきます。   假谷さん,本日は,大変お忙しい中御出席いただきまして,どうもありがとうございました。本日は,犯罪の被害に遭われた方のお立場からのお話を頂きたいと思いますので,よろしくお願いいたします。 ○假谷氏 御紹介いただきました假谷と申します。当部会にお招きいただきましてありがとうございます。私自身の犯罪被害の体験と全国犯罪被害者の会の幹事としての活動の経験から,この場において報告と意見を述べさせていただきたいと思っております。皆様方の御審議の参考にしていただければ幸いと存じております。それでは,お手元にレジュメを配っていただいているかと思いますが,それに基づきましてお話をさせていただきます。   まず,犯罪被害者の求めるものということで1番に掲げておりますが,最初の○にありますように,「真実を解明し,犯人を適正に処罰すること」であります。この中では,刑事司法への被害者の参加などが手法としてあるのかなと思っております。この10年間で大分刑事司法への被害者の参加というのは認められてきているかと思いますが,まだ不十分と思われるところがあるということでございます。   それからもう一つは,「被害から回復する」ということです。経済的な補償などがあります。そこの基本的な考え方として,経済的な補償というところについては,犯罪が社会から必然的に生ずる以上,その被害は被害者だけが負担すべきではなく,国や社会全体で負担すべきとの考えに基づいているものと考えております。   次のところは○にはなっていますけれども,上の二つと並列ではないものかなと思います。「刑事司法は犯罪被害者のためにもある」と考えておりまして,あすの会の主張によって,平成16年,犯罪被害者等基本法に書かれました。しかし,まだ徹底していないという状況にあると思っております。ちょっと表現の問題もありますが,「仇討ち禁止」という代償であると被害者としては考えているところです。この犯罪被害者等基本法に基づいて,翌平成17年に犯罪被害者等基本計画というものが作られて,その中に五つの重点課題が掲げられておりまして,そのうちの一つとして,今般の部会の審議事項となるでありましょう,刑事手続への関与拡充への取組というのが出されておりますので,御審議いただければ幸いでございます。   2番,刑事司法の現状についてというところです。(1)で,「オウム事件の捜査・公判を通じた体験から」ということです。一つはオウムの関与が疑われながら一連の事件を防げなかったというところでありまして,一つは坂本弁護士の事件でなぜ追及できなかったのだろうかというところが疑問に思っておりました。警察の持つ捜査手法の限界であり,また,ちょっと表現が不適切かもしれませんが,「及び腰」と書かせていただいたのは,宗教法人が相手だったからなかなか踏み込むことができなかったのではないかと私たち家族は思っております。新聞報道等でも,オウムのバッチが現場に落ちていたにもかかわらず,それ以後の捜査が踏み込めなかったのではないかと。もしそこで捜査に入っていれば,その後の事件は起こらなかったのではないかと考えている次第でございます。   それから,オウム事件については特に物証が乏しいということでありまして,真相解明の多くを被疑者の供述に依拠せざるを得ないという特殊な事件ではなかったかと思いますけれども,これについても,警察の持つ捜査手法の限界とか,また取調べの重要性というのが私たちとしては考えているところです。   次が,刑事訴訟法に係るところでございますが,公訴は検察官が行うということへの疑問ということで提起させていただいております。真実解明に対する被害者としての思いでありまして,父假谷清志の死亡に関しては,最大でも逮捕監禁致死という罪状での起訴であったということでありますが,なぜ殺意が立証できなかったのかというところについて,私たち遺族としては疑問を持っているところでございます。そのため,その後,民事訴訟を提起して,彼らの中に殺意,未必の故意でも構わないのですけれども,そういうものがあったのかなかったのかというのを追及したところであります。   この点に関して,あすの会の中でもいろいろと話があります。その下の※に書かせていただいていますが,現実問題としては殺人の立証の手間を省くため殺人を致死にして起訴することが多いと聞いております。あすの会としては,この場合,被害者が殺人の訴因の追加を裁判所に求める権利を主張していましたが,それは認められなかったということです。被害者と検察官の意見交換をすることは許されておりますけれども,例えば,私たちの事件であれば殺人罪を追加する権利が今後必要ではないかと考えております。   それから,もう一つ※がありますが,これも刑事訴訟法に書いてあることで,「犯罪の嫌疑があり訴訟条件が備わっていても,犯人の性格・境遇,犯罪の軽重・情状・犯罪後の状況より訴追を必要としないときは,公訴を提起しないことができる。」ということであります。   次のページをお願いします。実際の事件,公判手続等の中において被疑者等への直接の質問ができなかったということであります。現在は被害者の参加制度というもので質問することが認められているところでありますけれども,当時の刑事裁判では認められなかったと。現状は一部は認められているのですけれども,まだ不十分だという認識を持っております。例えば,証人尋問についてですが,情状,しかも情状の弾劾についてだけ反対尋問ができるという厳格な制限があるということで,被告人は証人に対して無制限に質問できるのに比べて,被害者の権利が制限される合理的な根拠はないと。証人の負担が重くなるというお話ですが,証人は宣誓しており,なぜ負担か重くなるのか分からないというのが私たち被害者の考えです。事実関係,情状について参加人に反対尋問をさせていただきたいと思っております。   それから,私自身が受刑者に対して何回か面会を行っております。それの背景としては,真実を解明したいと,法廷の中で直接の質問ができなかったということから,受刑者,東京拘置所等で直接面会をして,その真意を問いただしたいという思いから面会をしております。ただ,事件から長い年月が経過して受刑者の記憶が薄れているということも現実でありまして,長い間,受刑者自体が「私はやっていない。」と思い込めば,それがそういうふうな事実だという思い込みになり,すらすらと証言をするにしても,それが仮にうそだとしても流ちょうな言葉でしゃべる可能性は否定できないと感じております。   また,民事訴訟を提起し,その法廷に出廷させ追及したというところですが,先ほどちょっと申し上げましたように,民事訴訟を起こしたけれども,その中でも出廷に応じない被疑者もいましたし,訴訟自体を無視した被疑者が多かったというのが現状でありまして,真実の追及というのはなかなかハードルが高いと感じております。   (2)番でありますが,「全国犯罪被害者の会の幹事として」ということで,大久保委員の資料を参考にさせていただきたいと思っておりまして,第2回のときに大久保委員の方からいろいろ御説明があったかと思いますけれども,そこに書かれている内容というのは,正に被害者が感じている疑問に思っていることがつづられていると思っておりますので,皆様方におかれましても,改めてその内容について御覧になっていただいて御検討いただければと思っております。   特に大久保委員の資料の重要なところは,2ページ目の3番,4番のところで,被害者の遺族が心身の回復や社会復帰等に望むことであり,また,刑事司法に思うことが幾つもつづられておりまして,これは我々被害者が感じているところを正確につづられていると思いますので,こちらについての御対応,また御審議をお願いしたいと思います。   その中で,私の方から申し上げたい点を三つほど掲げております。私のレジュメの方に戻っていただきたいと思います。まず,「被疑者(加害者)の保護と被害者の冷遇」というところで,この差が大きいということを身をもって感じたところであります。特に税金の使い方としては,詳細な数字は年々変わっておりますけれども,おおむね被疑者(加害者)に対して100とした場合,被害者は1という,100対1ぐらいな関係にあるということで,いかに被疑者,加害者の方が税金が投与されているかということであろうかと思います。その税金は当然,被害者である私たちも納めているということで,被害者としてはとてもやるせない気持ちを持っているところです。   次に,「関係者の言動や法整備の不備による2次被害」というところです。これも大久保委員の資料の中に掲げてありますけれども,ポイントとして幾つかあると思います。一つは,公判で被告人は好き勝手な発言をしているということで,それを聞いている被害者はその場にいるのがつらい。真実を追及したいと思っていても,法廷にさえも足を運びにくくなってしまうという現状があります。そこは黙秘権というのはあるかもしれませんけれども,被害者としては,被告人が黙秘する,又は,うそを付くことがそのまま許されてしまうということは不条理ではないかと考えております。   また,その後,精神的,経済的,肉体的,事務的な負担が続いてまいります。それについては,次の3番目の○の「被害者の状況」というところで御説明します。これは時間の経過によってどういうことが被害者の身に振り掛かってきているかということでございますが,まず事件直後はとても混乱しています。特に家族が殺された場合などは,現実の直面というところで何で死んだのかという部分ですね。事実を知る前にまず目の前に自分の家族が息絶えて死んでいるという現実を目の当たりにするわけでありまして,そういったダメージはすごく大きいものだと思います。   それと同時に,なぜかメディアがすぐに駆け付けてきて,家にも入れない状況にある被害者がいるというふうにも聞いております。こういった対応についてもかなり神経をすり減らすという状況にあるということです   その後,捜査への協力ということで,取調べに応じることになります。ただ,この取調べについても,私自身の経験では,父の事件直後に警察署に行きまして同じことを3回聞かれました。ですから,父が夕方の4時半ごろに拉致されまして,私が駆け付けた6時には第1回目の調書で,3回目が終わったときは夜中になっていました。そういうところでの被害者の負担の軽減を図っていただければと思っております。   その後は生活がやはり乱れます。経済的な負担,治療費の支払,職を失う場合もございます。それから,精神的な負担,風評被害ですね,隣近所からとか誰からともなく聞こえてくるということ。それから,肉体的な負担,当然,負傷した家族の介護というところ,お金では代え難いものというところも肉体的な負担となってきます。それから,事務的な負担というのも,公的機関へのもろもろの届出とか手続があろうかと思います。   その後,公判への協力ということで,証人として法廷に出廷するなど,そういうことをやるわけですけれども,ここは真実を知りたいということ,それから,犯人を適正に処罰していただきたいという気持ちから捜査への協力,公判への協力を行っているというふうに考えております。最終的には,真実を追及したいと思っておりますけれども,中には諦めるところもどうしても出てくるということでございます。   次,3番ですが,「今後,刑事司法について」どういうことを望むかということを書かせていただいています。まず(1)として,これが本質的なところでありますが,被害者も事件の当事者の一人でありますので,被害者の視点を十分に意識して制度設計をしていただきたい。その下に書いてありますが,刑事司法は被害者のためにもあります。そうでなければ被害者も捜査・公判への協力はできないものだと。被害を受けた上に公の秩序維持の協力だけでは耐えられないということでございます。   次のページでありますが,被害者としては真相解明というのが求める大きなポイントになっております。それができるような捜査をお願いしたいということです。真犯人を逮捕するためには,まず客観的な証拠収集が重要であり,より物的証拠を収集できるようにすべきである。手段としては通信傍受とか,おとり捜査の拡大ということを提案させていただきます。   次,物証が十分に残っていない事件もあり,また,物証だけでは分からないことも多く,十分かつ適正な取調べが必要ということです。それを是非お願いしたいと思います。   それから,取調べの可視化ということがテーマに挙げられていると思いますが,それについては,ビデオが回っている中では被疑者の方は都合の悪い真実は話さないというのは当然のことではないかと思っております。したがいまして,可視化の導入に当たっては真相解明が後退しないような制度・仕組み作りをお願いしたいと思います。   (3)として,犯人が真実を供述する制度です。いろいろ手法があるかと思いますけれども,捜査や公判において被疑者や被告人がうそをついたりして逃げるのではなく,より真実を語らせることができる制度とすべきであると。この点については,例えば被告人にも偽証罪を適用する,又は司法取引の合法化。取引というと聞こえが悪いということでありましたら,用語を変えるところですが,こういうことによって真実の追及ということをお願いしたいと思っております。   (4)として,私人起訴制度ということを挙げさせていただいております。先ほどの現状のように,公訴は検察官のみが行うということ,不起訴・起訴も検察官が決めるということについては納得がいかないところですので,私人でも起訴ができるような制度を御検討いただきたいということです。不起訴(起訴猶予)の場合には真実が解明されない可能性がある。被害者に情報が提供されない可能性がある。これは現実に起こっていることでありますので,この点について十分御配慮をお願いしたいと思っております。   それから,この刑事司法の制度とは直接には結び付かないと思いますが,被害者への支援ということを是非御検討いただければと思っております。これは刑事司法だけではなく他の制度設計とも連動した形になろうかと思いますので,この場で述べさせていただきます。先ほどありましたように,被害の直後からいろいろなダメージを受ける,いろいろな手続をやらなければならないという状況にありますので,それについての支援をお願いしたいと思っております。具体的には,被害直後からのケア体制の整備,それから,経済的な補償,支援制度の充実,被害者参加制度の拡充,事件に関する情報提供等々あります。この辺につきましても,先ほど申し上げましたように,犯罪被害者等基本計画の中で少しずつ具体的な方策が採られているところでありますが,まだ十分でないところもありますので,更なる御検討をお願いしたいと思っております。   最後に,刑事確定記録閲覧謄写の制限の撤廃というところであります。これについては被告人の住所,例えば,トラックの運転手さんだったら雇い主である会社側の住所とか,そういう部分が黒塗りで出てきてしまうので,民事訴訟を起こすときに障害になるということがありますので,公の裁判によって確定しているものであるので,そういった制限は撤廃していただきたいということであります。   私の方からのペーパーに基づく説明は以上でありますが,口頭で少しお話をさせていただければと思っております。これは飽くまで私としての見解であります。   本件の諮問の経緯等を読ませていただきましたが,この辺は皆様御存じかと思いますが,私としては,大阪地検における一連の事態の発生から検察の再生という提言がなされているところからスタートしていると理解しております。いろいろな物事においてもそうなのですけれども,法律にしても制度にしても形は作ることはある程度のところはできるのかなと。いわゆる皆さんに御審議していただく中で,幾ら良い制度を作っても,最終的に運用する人の資質が重要になるのではないかなと私は考えております。つまり,第2回の会議の中であった委員の方からの御報告を読ませていただきました。数字的に見ても現在の日本の取調べは事件の真相解明に役立っているという数字が出ているのではないかと思っています。   したがいまして,今の制度の問題,今回の一連の問題というのは,人の資質による面が大きいかなと私は思っておりますので,制度設計だけではなくて,それを運用する人の部分についても御審議いただければ有り難いなと思っております。取調べの可視化により被疑者への暴行やえん罪を防げる反面,真相解明が難しくなるという,相反する論点を取りまとめる皆さんの御苦労は目に浮かぶようでありまして,本質的な審議を心よりお願い申し上げて,私からの意見とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。 ○井上委員 本日はありがとうございました。いろいろ示唆に富むお話だったと思うのですが,1点だけ質問させていただきます。レジュメの一番最後の紙の「犯人が真実を供述する制度」というところで,司法取引というのを例に挙げられておりますが,取引をするとすると被告人側に対して軽い刑にするとか,幾つかある罪のうちの一部を落としてしまうといった持ち掛けをする必要があるわけですけれども,そういったことは被害者の方から見てどういうふうに見えるのでしょうか。また,どんなに重大な事件であっても司法取引ということを被害者の立場から容認できるのでしょうか。アメリカなどでは非常に重大な事件,死刑相当事件などでは,被害者の方々のことをおもんぱかって司法取引の対象外にするというような運用もなされている地域もあるのですが,その辺について御意見をお伺いしたいと思います。 ○假谷氏 確かにバランスの問題があるかなと認識しておりまして,正直,私の考えとしましては,真実の解明を優先させたいと思っております。刑罰についてはある意味では社会の秩序維持とかいう視点での今の日本の制度でありますから,言葉が悪くて申し訳ありませんけれども,私は裁判所の判決については余り関心を持っていない。死刑になろうが,無期懲役になろうが,懲役10年になろうが,それは私たちではなくて公的な裁判所が下した判断であるということであります。ですから,それに対して私たちは淡々と受け止めようと考えております。したがいまして,本当に知りたいのは真実だということを,今の私たち,うちの家族は思っているということでございます。 ○大久保委員 今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。話を聞かせていただきまして,被害者は皆さん共通の思いを持っているということをまた一段と受け止めさせていただきました。そういう中で,犯罪を受けた被害者は事件直後は混乱状態にありますので,人に相談するというような発想さえも浮かんでこないのが被害者の実情だと思うわけですね。ですから,被害者を支援するところが,直接被害者の元に出向いて必要な情報を与えたり,必要なところへ一緒に行ったりというような被害者支援ということが,被害者の回復にとりましても大変大きな重要な意味合いを持つと考えておりますけれども,假谷さんは,こちらの問題提起のペーパーにも書いてはありますけれども,具体的に何かお考えの内容がありましたら,教えていただけますでしょうか。 ○假谷氏 体験として,まず何をしたらいいのかというのが全く分からないのと,誰を信じていいのか分からないという状況になるのですね。そうなると,私たちが一番信じられるのは警察の方なのですね。事件が起こってまず警察の方が来て,そこで一つ安心するというのが正直なところです。例えば,支援の部分について,NPOとかの組織があったとしても,それが信頼できる組織であるということが国民に広く行き渡るまではなかなか難しいかなと。そうしますと,最初の段階は,いわゆる国民の皆さんが信頼している警察を窓口にして,又は,警察の紹介で支援組織を犯罪被害者に紹介するという,そういう流れが現状としては有効かなと考えております。当然のことながら,支援というのは非常に重要でありますし,支援というものを国の制度として明確に作り上げていただくということは私たちの願いでもあります。お答えになっていますか。 ○大久保委員 もう一つ。警察は捜査の段階,裁判が始まれば今度は検察庁とか裁判所になりますが,諸外国ではそこにもしっかりとした被害者支援の専任担当者がおりますので,日本もそうなればいいということをいつも思っていますが,その点についてはいかがでしょうか。 ○假谷氏 今,申し上げたのは,最初の出会いは警察の助けというか警察の紹介でと,そこからはずっと組織というものがフォローしていただく,ケアをしていただくというような仕組み作りが有効ではないかなと考えております。 ○本田部会長 他に御質問ございませんか。   それでは,假谷様からのヒアリングはこれで終わらせていただきます。   假谷さん,本日は本当にありがとうございました。 ○假谷氏 こちらこそありがとうございました。いろいろと発言させていただきましたが,皆さんの御審議をよろしくお願いいたします。           (假谷氏 退室) ○本田部会長 それでは,本日のヒアリングは以上でございます。   予定した事項は全て終了いたしましたので,これにて本日の議事を終了したいと思います。   なお,本日の会議のうち,渡辺さんのヒアリング内容につきましては,事務局におきまして公表して差し支えない形で議事録を作成したいと思います。また,その他の方のヒアリング内容につきましても,今一度精査させていただきまして,公表に適さない内容が仮にありましたら,期日外にその取扱いについてお諮りさせていただきたいと思いますが,よろしいでしょうか。           (「異議なし」の声あり) ○本田部会長 それでは,次回からは予定どおり論点整理に入っていくこととしたいと思います。次回の日程は1月18日午後1時30分を予定しております。また,場所は本日と同じ東京高検第2会議室にお集まりいただきます。   それでは,本日,大変長時間でございましたけれども,これで閉会いたします。どうもありがとうございました。 -了-