法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会           第6回会議 議事録 第1 日 時  平成24年1月18日(水)    自 午後 1時36分                          至 午後 3時43分 第2 場 所  東京高等検察庁第2会議室 第3 議 題  時代に即した新たな刑事司法制度の在り方について 第4 議 事  (次のとおり)                議     事 ○吉川幹事 それでは,ただいまから法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会の第6回会議を開催いたします。 ○本田部会長 本日は皆様,大変お忙しい中,御出席いただきまして誠にありがとうございます。   まず,法務省における異動に伴いまして,甲斐行夫氏がこの部会の幹事を退任されまして,新たに法務省大臣官房審議官に就任されました岩尾信行氏が幹事に任命されましたので,御紹介させていただきます。 (本田部会長により,岩尾幹事の紹介がなされた。) ○本田部会長 本日は予定どおり,当部会で検討すべき事項につきまして論点整理を行いたいと思います。   まず,本日の配布資料について御説明を頂きたいと思います。 ○吉川幹事 それでは配布資料を説明いたします。   お手元にお配りしております,資料番号21の「第2回会議における意見要旨」と題する資料は,当部会の第2回会議において,委員の方々からの発言がありました,検討すべき論点に関する意見をまとめたものです。便宜的に項目分けをしており,1ページ目に「1 刑事司法制度全体について」,2ページ目に「2 捜査全般について」,3ページ目に「3 取調べ・供述調書について」,6ページ目に「4 公判について」,7ページ目に「5 その他」として記載しております。適宜,御参照いただければと存じます。   また,本日は,神津委員と安岡委員から,発言の際の補助資料としてペーパーの御提示がございましたので,委員提出資料として配布させていただきました。   配布資料の説明は以上です。 ○本田部会長 それでは論点整理に入るに当たりまして,その進行について,私から提案をさせていただきたいと思います。   全体のスケジュールから申しますと,論点整理の議論自体は今回と次回,つまり第7回までで終えたいと考えております。具体的には,今回は各委員・幹事の皆様から刑事司法に対する現状認識やこれまでの視察・ヒアリングの結果等を踏まえつつ,論点とすべき事項やその検討順序等について,自由に御意見を述べていただくことにしたいと思います。   そして次回,第7回は,今日述べられました御意見を踏まえて更に御意見を頂き,第8回の会議の冒頭では論点整理を終えまして,その論点整理に沿って,実質的な議論に入っていきたいと考えています。   論点整理につきましては,このような進行を考えておりますが,よろしいでしょうか。           (「異議なし」の声あり) ○本田部会長 それでは御異論がないようですので,そのようなスケジュールで進行させていただきたいと思います。   それでは,論点整理に関する議論を始めたいと思います。今回は第2回と違いまして,委員・幹事の皆様から適宜挙手を頂いて御意見を述べていただくというやり方にさせていただきたいと思います。ただ,当部会の議論におきまして,法律の専門家以外の方の視点も非常に重要であろうと考えておりますので,まずはいわゆる法曹実務家や研究者以外の委員の方から積極的に御発言いただければ幸いです。   それでは,御発言を希望される方は挙手をお願いいたします。 ○松木委員 今までヒアリングや視察等,いろいろな機会を頂きまして,刑事司法制度を考えるときには,個別の論点には随分いろいろなものがあるんだなということが大分理解ができてきたと感じております。   一方で,こういった個別の論点を議論していくということももちろん必要であろうと思いますが,これらの個別の論点を議論する前提として,まず最初に,在るべき望ましい刑事司法制度の在り方といったものについての総論的な議論をきちんとすべきではないかと思います。こういった議論を前提として,全体のバランスを考慮しながら個別の論点を検討していくというのがいいのではないかと考えております。   この総論的な議論との関連で,私個人としては,えん罪防止というのは極めて重要な論点だとは思いますが,刑事司法制度全般ということを考えていくときに,余りこのえん罪防止ということに焦点を置いて大きな制度を考えていくというのは,ちょっと違和感を覚えるところであります。刑事司法制度の大きな目的は,犯罪事実を明らかにして刑罰法令を適正に適用し,犯罪に厳しく対処することによって,治安・秩序の維持を図り,企業を含む一般の人々にとって安全・安心な社会を維持・発展させていくということにあるのではないかと私は考えています。その意味からしますと,えん罪の問題というのは,ある意味で,刑事司法本来の目的を追求する上での病理現象といいますか,副作用のようなものだと思います。もちろん,このような副作用,病理現象を抑える必要はあると思いますが,この副作用や病理現象を抑えることを中心にして議論をしてしまう,考えてしまうと,刑事司法制度本来の目的からすると,過剰な制度だとか,ある意味,偏った制度ができてしまうというようなことを恐れるところであります。私自身はこういうふうに考えておりますが,こういった刑事司法本来の目的についての委員の方々の認識というのは,どの程度共有されているのか,違った意見の方ももちろんおられると思いますので,こういった総論的な議論というものを行う必要があるのではないかと思っております。   それから,今までのヒアリング等でも出てきたところだと思いますが,我が国の刑事司法においては,ある事件が起こると,一般国民も含めて,その事案の真相解明というものをきちんとしていかないと納得しないというようなところがあるのではないかと感じております。こういった背景・経緯を含めての幅広い事案の解明ということは,これは確かに望ましいことだとは思いますが,一方,事案の真相解明に期待をし過ぎると,刑事司法制度そのものに過度の負担を強いることになるというような面もあるのではないかと思います。これは,どういった証拠によって,その真相解明が図られるべきなのかということに関連するのであろうと思いますが,動機,背景,経緯を含む幅広い事案の解明が求められれば求められるほど,捜査関係者としては自白が重要ということに傾いていってしまっているということもあるのではないかと思います。したがいまして,在るべき刑事司法制度として,真相解明というものについてはどこまでの機能を果たすべきなのかという点についても議論していく必要があるのではないかと思います。   それから,これと関連しますけれども,客観的証拠をどの程度重視するのかという点も議論する必要があると思います。証拠には,客観的証拠,第三者の供述,被疑者の自白といったものがあって,それぞれに長所というか価値がある反面,それぞれの問題もあると理解しております。そして,捜査関係者の方々からは,客観的証拠による立証にも限界があるという指摘もなされておりますし,一方,当部会でも客観的証拠をより重視すべきであるという御指摘もなされています。客観的証拠の役割をどのように考えるのか,こういった証拠のどれをどのように重視していくのかといったことによって,刑事司法制度全体の姿も変わってくるとも思われますので,この点も総論的な一つの論点として議論すべきではないかと思います。   それから,これに関連する個別の論点としては,今,社会が非常に大きく変化していることから,客観的証拠と言われるものをどのような方法で収集できるのかといったことについても,これは被疑者や第三者の権利侵害の程度とのバランスの問題もあると思いますが,えん罪防止にもつながる方策でもあり,議論すべき論点ではないかと考えております。   それから,もう一点としては,個別の論点になるかと思いますが,捜査関係者の方々の方を縛ったり監視したりするだけではなくて,捜査機関が適切な機能を果たせるようにするための新たな方策にどのようなものがあり得るかといった点についても議論が必要だと思います。具体的には,無理な取調べが行われることなく真相解明が適切に行われるようにするための新たな方策としてどのようなものが考えられるのかということについて議論すべきだと思います。例えば,独禁法のリニエンシー制度のように,量刑の減免が受けられるということをインセンティブとして自白や捜査協力が得られるといったような制度を一般的に導入することについて検討すべきだと思います。また,米国の司法取引のような検察官と被疑者の利益を代弁する弁護人とが協議して事件の処分等に関する当事者なりの一定の合意の形成を認めるような制度を導入することについても,こういう制度が日本の風土・文化の中でどういうふうになるのかという点も含めて,真剣に検討すべきではないかと考えております。   それから,これは前にも申し上げさせていただきましたが,こういった個別の論点等について議論する際には,犯罪一般ということではなくて,犯罪類型ごとに異なった制度・方策を導入すべきではないかといったような観点で議論をすることも必要ではないかと考えております。  ○大久保委員 私自身,「第2回会議における意見要旨」を見せていただきまして,被害者に関する内容がいずれも一番最後の「その他」の中に記入されていたということで,現在の刑事司法における被害者の立ち位置というものが大変象徴的に示されているのではないかなと思いましたので,是非今からお話しいたします三つのことを検討すべき論点として取り上げていただきたいと思います。   まず一つは,公判において,被告人から真実の供述が得られやすくするための方策として,被告人の虚偽の供述に対する制裁措置の導入と,もちろん被告人に黙秘権は保障されてはいますけれども,黙秘した場合に不利益事実の推認をすることを許すような制度の導入が必要だと思います。イギリスには,そのような制度があるということを聞いております。   二つ目は,司法妨害行為に対する制裁措置といたしまして,被疑者による証拠隠滅等の可罰化,参考人の虚偽供述に対する制裁措置の導入,証人買収罪の新設,虚偽の捜査協力に対する制裁措置の導入などが必要だと思います。最後の点は,先ほど松木委員の方からもお話がありました,刑の減免制度ですとか,あるいは司法取引等との関係でも必要になることだと思います。   三つ目は,被害者が支援を受けられるような制度を刑事法に入れることです。理由は,被害者や遺族は,刑事司法での二次被害を被りながら,それでも,なぜそういうことになったのか,なぜ命を奪われなければいけなかったのかというような真実を知りたい,あるいは加害者を適切に罰してほしいという一念で,刑事手続に協力しています。しかし,現状では,被疑者・被告人が虚偽の供述をしても,証拠物を隠滅しても,証人を買収しても,何ら制裁がないため,これらの行為を防ぐのは難しく,そのことが真実の解明を困難にしているのだと思います。被害者は,法廷でうそを言うと偽証罪に問われますが,被告人は,法廷で言い逃れをしたり,あるいは被害者に責任転嫁をしても,何の制裁も受けません。このような現行の制度は,やはり到底納得できるものではありません。もちろん,被告人には人権はありますけれども,でもだからといって,うそを言ってよいという権利はないはずだと思います。また,被告人が明らかに真実を知っていると思われるような事柄について取調べや公判で黙秘した場合も,真相の解明が妨げられますので,厳正に対処することが重要だと思っています。被害者は,事件の真実を知ることができなければ,回復の第一歩を踏み出せず,社会復帰もできません。更に被害直後から支援を受けられる仕組みがあれば,被害者なりに適切に刑事司法に関わることができ,そして自分なりの役割を果たせたと思えるので,司法を恨んだり,関係者を恨んだりせずに,人間としての尊厳を取り戻して,再び希望を持って生きていくことができるようになります。そのような点からも,是非被害者にももう一度社会で希望を持って生きていくことができるような制度の検討をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。 ○安岡委員 委員提出資料ということで,お配りいただいた資料の後ろから2枚が,今から私が述べることを紙にまとめたものです。   その前に一つ,審議の進め方に関する意見ですが,通常の法制審の審議でないスピードアップした審議をお願いしたいということです。その理由は,一つは,この会議でアジェンダになっていることについては,今回の部会と同じように法曹三者ないし法律の専門家以外の一般の国民という立場の方も議論に加わった司法制度改革審議会,それから,直接的に今回の部会の前段の議論になっています検察の在り方検討会議,これらの会議でそれぞれ議論をして意見書がまとまっていますので,当部会の前段の議論はそこで行われているということにして,それを引き継いだ形で審議を進めれば審議が促進できるのではないかということが一点です。それともう一つは,この場での審議においては,一面で,裁判員制度を十全に機能させるために,手続法・実体法を変えていく,整備するという視点が必要だと思います。そして,既に裁判員裁判が始まって3年になりますが,その基盤となる手続法・実体法が,裁判員制度がうまく機能する上でやや不都合な部分があるのではないかと思いますので,既に片方はこぎ出しているわけですから,その整備というものは急を要するものです。この二つの理由から,スピードアップした審議をお願いしたいと思います。   それでは,このペーパーに基づいて意見を述べさせていただきます。私は新聞記者出身で,このペーパーは,刑事司法あるいは刑事事件を取材して,その時々に感じていた,どうもここはおかしいのではないかという点であるとか,こういうところは直していかなければいけないのではないかと感じたものを6点にまとめたものです。「3つの解放」では,おかしな点,あるいは改めるべきではないかと思える点を三つの項目にまとめました。それから「3つの衡平」は,それを改める方向,こういう方向で改めるべきではないかというものを三つの項目に整理してみたものです。   若干修辞的な誇張はありますが,言いたいことは1枚目の紙で尽きています。まず「3つの解放」の最初の「Kからの解放」です。このKはカフカの小説の『審判』の主人公で,委員でいらっしゃる周防監督の映画「それでもボクはやっていない」の主人公も確か金子徹平さんで,これもKさんであるわけなんですけれども,市民は,刑事司法を見つめるときにヨーゼフ・Kのような心境になるということです。このKがどういう目に遭うかというと,「訴訟手続きが一般に知らされていないだけでなく,被告にも秘密にされている」,これは小説の本文からの引用なんですけれども,このように秘密にされている審判によって,「犬のように」処刑され,「恥辱だけがいきのびる」で終わるわけです。私は,幸いにして今まで経験はないんですけれども,村木委員のように刑事手続にいきなり放り込まれたらと想像すると,全く自分はヨーゼフ・Kのようであるかと思えるわけであります。何でそうなるかというと,法律が非常に難解であり,読んでも分からないからです。私も初めて事件取材をするときに刑事訴訟法を読まなければいけないということで読んだんですけれども,実際の手続に結び付かない。読んでも分からないし,それから実際に捜査で行われている運用から条文がかけ離れていて,仮に法律を読み解いたとしても,そのとおりの運用が行われていないので,さっぱり何も分からない仕組みで行われているという印象を持ちました。つまり,市民からすれば,刑事手続というのは公開された手続ではあるんですけれども,実態は法曹三者のみが知る不文律によって行われている秘儀のようなものであります。そこに,現に今,国民は3年前から裁判員としてその営みに判断主体として参加しているわけなので,これは,カフカが生きていたら早速小説にしたのではないかと思えるような不条理な状況だと感じるわけであります。   それから「お白州からの解放」です。捜査機関や刑事法廷を取材するたびに,お白州は見たことがないので分からないのですが,映画等で見るお白州の匂いが残っていると感じたものです。明治に入って,お白州裁きをやめて,今のような法律に基づいた裁判に転換していったわけですが,明治初年に始まったばかりの刑事裁判を題材に黙阿弥が書いた世話物歌舞伎があります。そこに出てくる司法官が民尾諭,糺直道,白部明という名前で,作者が言わんとするところは名前で明らかだと思います。丁度その頃,拷訊廃止の太政官布告を出すために議論が行われていました。拷訊とは,拷問によって白状させる,自白を取ることで,それが認められていたわけです。それをやめるという布告を出すかどうかの検討をしていたときに,それに反対する議論が当然あったわけですが,そこで行われていた議論と,現行の可視化反対論,捜査機関や法務省側から出される可視化の反対論とが全くうり二つであるのです。細かくは述べませんけれども,うり二つの議論が行われていることに驚くとともに,いまだに取り調べられる者はお白州から解放されていないんだという思いがしたものです。   それから,先ほど松木委員からも触れられましたが,「全き真相解明からの解放」ということです。この「全き真相解明」と「全き」を付けたのは,真相解明というのは必要なんですけれども,ではその真相とは何なのかが問題だろうということです。我々マスコミは,捜査機関は事件の真相を解明せよとよく書きます。国民が捜査機関や刑事裁判に対して真相の解明を期待する,その期待の形成には,ですから,マスコミにも責任があるわけですが,国民が期待すると,これは松木委員も御指摘のとおり,捜査機関にあっては真相解明が強迫観念となって,真相を知るのは被疑者,犯人であるということで,とにかく供述を取るということになる。また,裁判所にあっては,法廷ではうそを言っていても恐らく取調べでは本当のことを言っているだろうという仮定の下に,供述調書に偏重した公判になることがある。こういったことが実際に起きていたのではないかと思います。それから,それが一歩進んで,真相解明に藉口して,厳しい取調べをして無理やりに自白させることも起きていたのではなかろうかと思います。司法の場での真相解明には,どうしても限界があるわけですし,私が書きました「全き真相解明」,歴史的事実の再現というようなことが,刑訴法で言っている真相解明かといえば,少なくとも法曹三者の方たちにはそういうものではないとする了解はあるのだろうと思います。ところが,国民の方はそうではなくて,刑事司法で明かそうとしている真相というのは,歴史的事実の再現,提出資料に書きました言葉では「関与者の主観を含めた過去の出来事の現前」を期待しているわけなので,実は司法の場での真相解明とはこういうものだとはっきり国民に分かるように,国民がふだん使っている言葉で条文を書き換える必要があるのではないかと思います。この真相解明というのは,裁判員に選ばれた一般国民にとっても非常に大きな負担になっていると私は感じております。ですから,真相解明という言葉の意味について,法曹三者の皆様が考えていらっしゃるふうには国民は受け止めていないんだというところを是非御理解いただいて,刑事司法を真相解明から解放し,同時に,国民を真相解明にまつわる誤解から解放していただきたいと思います。   それから「3つの衡平」は,これはもう説明の必要もないかもしれません。ただ,括弧書きで書きました「裁判員制度との整合度によって衡平度を量る」は,これはやや意を尽くさない文章だと我ながら思います。これはどういうことかというと,例えば,1項目目に挙げました「条文と運用の衡平」について言えば,甚だしき場合は条文上の原則と例外が逆転している実態は実務家の皆さんも認めておられる部分があるわけで,それだったら逆転しているように条文を書き換えて,現行,運用で原則的に行われているものをきちんと原則であるとし,例外的に行われる部分は例外であるような規定に変えればいいではないかとも考えられます。そうすれば,条文と運用は衡平するわけですけれども,裁判員制度をうまく機能させるという視点から見たときにはどうだろうかとなると,原則と例外が運用によって逆転しているところは,逆に,原則は原則,例外は例外として運用されるような形に条文を書き改める方が裁判員制度を機能させる観点からは正しい考え方だろうと思います。そういう意味でこの括弧書きを書き加えています。   それから「Xと新捜査手法の衡平」もやや意を尽くしていない見出しでありますけれども,ここで言いたかったのは,先ほど申し上げたこの部会の前段になる議論の司法制度改革審議会,それから検察の在り方検討会議等では,取調べの全過程を可視化する代わりに現在法制化されていない新しい捜査手法を導入するという発想で,可視化の反対給付として新捜査手法を導入する議論になっているようですが,これはどうもおかしいのではないかということです。可視化は価値中立的な制度だと思います。可視化をすれば,その可視化をした場面で作成した供述調書は真正が保証されるわけで,そうしますと,証明力は今よりも格段に上がるわけです。それから,訴追側からすれば,今までのように取調べの検事さんを証人に呼んだりとか,そういう面倒な手続なしに,調書を従前にも増した証拠価値のある,証明力のある証拠として使えるようになるわけで,言ってみれば,訴追側の力を増す働きもするのではないかと思います。そうすると,取調べ中心の捜査,それから調書頼りの公判は一向に改まらないのではないかと思います。むしろ,従前にも増して調書頼り,取調べ頼りの刑事司法になるのではないか,そんな危惧もあるわけです。その場合に何をしたらいいのかというと,調書の証拠能力を極力減殺することです。これは,韓国で取り入れている制度のようですし,それからにわか勉強ですけれども,大正の刑訴法では,調書は原則として証拠能力がない,捜査当局の調書については証拠能力がない規定になっていたとも聞いておりますので,調書の証拠能力を極力減殺することはやってできないことではないと思います。   それから,「当事者の武器の衡平」は読んでいただければと思いますが,この中では,先ほど大久保委員から御指摘のありました,法廷で主に被告人にうそを言わせないための措置を忘れずに入れる必要があるだろうと思います。ここに書いてある「被告人のウソを破る牙」とは,皆さん御案内でしょうけれども,平野龍一氏の有名な論文の中にある言葉から拝借したものでありまして,裁判官,今の時代ですと裁判官と裁判員が心証を形成できるように法廷での弁論を活性化させるために「被告人のウソを破る牙」というものが必要だとの意味で,その言葉を拝借して使っております。   提出資料の2枚目は例えば,ヨーゼフ・Kの状態から我々市民を解放していただくには,刑訴法を読んで分かる構成にしてほしい,条文自体も分かりやすくしてほしい,それから,大原則が書かれていないので,それもきちんと書いていただきたい,といった具合に,「3つの解放」「3つの衡平」合わせて六つそれぞれについて,その実現のために具体的に議論すればいい項目というんでしょうか,課題はこういうものが考えられるというのを書き挙げてあります。 ○神津委員 委員提出資料として配布されていますペーパーを御参照いただきたいと思います。自分の頭の中も整理したいということでメモを作ってみたところです。表現,ワーディングなどについては,こなれていないものも多々あると思いますが御容赦いただきたいと思います。   まず,論点整理の骨格ということで,追求されなければならないことが大きく二つあるのではないかと思っています。一つは人権の尊重でありまして,また,いま一つは治安の確保ということであります。いずれも国民が安全かつ平穏に暮らしていくための必須条件であると考えます。したがって,この二つはどちらも全うされなければならないものであり,どちらかが軽視されるようなことがあってはならないと思います。したがって,この両者の確保が同時には成り立たないような状況は克服されなければならないと考えます。そのための方策を打ち立てるということが,この部会の使命なのではないかと考えたところであります。   まず人権の尊重についてですが,この部会が立ち上げられるきっかけとなった事柄として,取調べの過程における問題が数々のえん罪を生んでしまったという事実があると思います。これらの事例を振り返ってみますと,二つの観点で人権が損なわれる側面があったのではないかと思います。一つは,取調べにおいて供述の任意性をゆがめるような取扱いです。また,いま一つは,推定無罪原則の不徹底ということなのではないかと思います。これらの問題を解消していくことが不可欠ではないかと思います。   それぞれについて更に申し上げたいのですが,供述の任意性をゆがめる取扱いについては,具体的な事例をそ上に上げて,問題点を抽出して一般論化し,これらの予防策を打ち立てることが必要だと思います。その予防策におきまして,透明性と説明責任を高めることが不可欠あると考えます。その一つとして,録音・録画の義務化は極めて有効であり,それが不適切であるとする事情があるとするならば,それらを具体的に列挙し,海外の状況も参照しながら実証的に精査の上,解決策を追求すべきではないかと考えるところであります。   それから推定無罪原則についてですが,そもそもの推定無罪原則を是とするならば,あえてこういう言い方をした上でなんですけれども,数々のこれまでのえん罪の事例は明らかにこれを逸脱しているのではないかと思います。まずはそもそもの推定無罪原則の意味,意義,そしてあえて是非から認識を共有していくことが必要なのではないかと考えます。   次に,もう一つの柱としての治安の確保でありますけれども,えん罪が生まれた背景として,治安の確保を至上命題とするそれぞれの組織が,その目的に向かってばく進する余り,ひたすら犯人検挙と有罪確定だけを追求する結果に陥ってしまったことがうかがわれると思います。取り分け,自白偏重との指摘に象徴されますように,取調官の職人的スキルに依拠した姿が,これらのケースではかえって災いとなっているのではないかと思います。これらの点を克服していくための対処が必要であると思います。   その対処として二つありますが,一つは「職人的スキルについて」ということで,勝手にこういう表現をさせていただいていますが,ここで言う職人的スキルということについては,例えば,取調官の人間性を発揮することで被疑者の情に迫り,真実を明るみに出すような技術・技能のことを言うということで,こういう言葉を使わせてもらいました。しかし,この職人的スキルは諸刃の剣の性格を持つと思います。十分な力がないにもかかわらず,十分な力を有する場合と同様の形で取調べを行えば,そこに過誤が生じるのではないかということです。括弧書きで書いていますが,言わばものづくり産業の品質問題と同様だと思います。これはどういう意味かというと,例えば,私どもの労働組合の中に造船,船を作っていく組合員がおるわけですが,御承知の方々もいらっしゃると思いますが,船の丸い部分,たわみですね,これを作るのは全て手作業でやっておるということでありまして,機械でどんと作ると,プレスで作るとかいうことでは全くないということでありまして,これも典型的な職人技で,手作業で鉄板に熱を加えてたわみを作るわけであります。そういった技術・技能を持っているのは,全体の中でも相当に限られた組合員,職場の人でありまして,そういう方というのはそれなりの高い評価も得ながら,そして先輩から後輩に技術・技能も伝承されながら,そういった仕事を専門に行っているということであります。ここで括弧書きで言わんとしているのは,したがって,それは高い技術・技能を持っているからこそ,しっかりした設計どおりのたわみができるのであって,それができなければ,その船もまっすぐ進まないとか,ひどい場合は沈んでしまうとか,こういうことが,理論上,理屈の上ではあり得ると。もちろんそんな作り方はしていないわけでありますけれども,ということです。また,捜査官は法の制限の下で権力を行使する職業だということで,当たり前のことでありますが,このことが忘れられてはならないと思います。今日の状況において,このような職人的スキルをどのように評価するかは,議論すべきだと思います。また,このような取調べの在り方を堅持していくとすれば,改めて,その力を再構築をし,そして継承していくための方策が必要なのではないか,不可欠ではないかということであります。   それから,もう一つの柱は捜査手法の向上でありまして,今日の科学技術の発展に鑑みながら,捜査手法の一層の充実を図るとともに,それらの適法性の検討と,それらの適用力を高めるソフト面の充実が不可欠ではないかと考えます。 ○村木委員 私からは,まずこれから議論するに当たって,是非お願いしたい基本的スタンスのようなものを三つ申し上げたいと思います。   一つは,取調べとか,特に供述調書,そういったものに依存してきた刑事司法に対する信頼が損なわれているということがこの議論の出発点にあったということを是非直視していただきたいということです。   それから二つ目は,やはり考え方としてはえん罪はあってはいけないことだと思っております。これまでの議論でも,少し違和感があるのは,多くの事件を扱っているのだから少数のえん罪の発生は仕方がない,あるいはえん罪防止と真相究明というのは相反するものだというような,そういうふうに感じられるような議論が,御発言があったことです。えん罪というのは,もちろん無実の人を罰するわけですから非常に悪いわけですが,それだけではなくて,真犯人を取り逃がしている,その上に,真犯人が捕まったよという間違った情報を世の中に流して,間違った安心を与えて油断をさせてしまうということですから,本当に二重,三重に問題があることで,治安維持にとっては最も悪いことだと思います。そういう意味では,えん罪防止と真相究明が相反するかのような議論はしないでいただきたいということが二つ目です。   それから三つ目ですが,人間のやることには必ず間違いが起こり得るし,人間というのは易きにつきやすい,それから先ほどから何人かの方から全き真相究明,真相解明という話がありましたが,そのこととの関連で言っても,人間には限界がある,それを前提にした制度作りというのを議論していただけたらと思っております。   基本スタンスについては,以上の三つが私からのお願いでございます。   具体的に議論していただきたい事項なんですが,真相究明とか公正な裁判を目指していく中で,それが行われていない幾つかの原因というのは,私自身の狭い経験,あるいは視察やヒアリングの結果を考えると,やはり単純に三つぐらいかなと思っております。   一つは,事実と異なる供述調書というのが余りにも簡単に作れてしまう,そして,それを事後的に検証できないという今の仕組みです。これが一つ目。それから二つ目は,客観証拠を始めとする様々な証拠,取り分け被告人側に有利な証拠が隠されてしまいやすいということです。それから三つ目ですが,否認をすると,自分の場合もそうですが,長期間勾留をされて,保釈もなかなか認められない,そういう中で,無実を主張するという本来当たり前の権利が阻害されている,それができなくなっている人が実はたくさんいるのではないかということです。この三つというのは非常に問題だと思っておりまして,是非これらの解消のための議論をしていただきたいと思っております。   具体的に,項目として六つだけ,今思い付くところを挙げさせていただきたいと思います。   議論していただきたいことの一つ目ですが,供述調書に過度に依存しない捜査・公判の在り方について抜本的な議論を,要するに調書に頼るんだけれども可視化をするということではなくて,調書に頼り過ぎないための抜本的な議論を是非していただきたいと思っています。ここにいらっしゃるメンバーの御本なども読ませていただいて,供述調書中心というのは非常に日本の特殊な制度だということを知りました。その意味で海外の調書のスタイルですとか分量ですとか,使われ方のルールなど,国際比較の資料も是非出していただけたらと思っております。   それから二つ目ですが,そうは言っても,これからも調書を使うということが残るのであれば,それが適正に作成されたものであるということについての挙証責任を,調書を作る検察が負う仕組みを最低限は作っていただきたいということでございます。その意味で取調べの録音・録画というのは,全ての取調べにおいて実施するということが大原則ではないかと思っております。全過程,全事件,参考人も含めるということを少なくとも議論の出発点にしていただきたいと思います。その上で例外を考えるのであれば,例外の議論をしていただきたいということです。   三つ目ですが,客観証拠等を得られやすくする新たな捜査手法等については積極的に幅広く議論することについては賛成でございます。   四つ目は,そうは言っても現状では実は客観証拠等を得られている場合も多いわけで,それがきちんと使われること,そのための方法というのは是非議論していただきたいと思います。特に被告人側に有利な証拠が無視されやすい,あるいは弁護側に適正に公開をされないという問題の解決策は,まずきちんと議論していただきたいということです。   それから五つ目ですが,身柄の拘束というのは,基本的人権の最大の制約でございますので,これについてのルールの明確化,適正化,明文化,これは是非御議論を頂きたいと思います。   それから六つ目,これはそれまでの文脈とは違いますが,私の仕事柄もありまして,是非知的障害等のハンデのある方の取調べについては,福祉や医療の専門家が関われる仕組みについて,この中でも御議論を頂ければ大変有り難いと思っております。   以上について,国民に分かりやすい,私のような素人にも分かる議論をしていただきたいと思います。できるだけデータを示して議論をしていただければと思っております。例えば重大な事件とか,例えば過度の負担というのは,土地勘のない人間についてはなかなか直感で分かりにくいものでございます。具体的に論拠,データを示しての議論を是非お願いしたいと思います。   また,専門家の方々の御議論を聴いた上で,もっと議論してほしいテーマも出てくるかもしれませんので,そのときは追加的に意見を出させていただきますが,以上でございます。 ○周防委員 今,皆さんのお話を聴いていて,かなりほっとした部分がありました。正直に申し上げますと,今回までの部会の中で私がすごく印象に残っているのは警察関係者の方の発言で,日本の治安は世界的に考えてもとてもすばらしいと,トップクラスであると,そういった治安を維持してきた取調べ,刑事司法について,今求められているような改革をすることで,今までのやり方というのが通用しなくなり治安は悪くなるけれども,それでもいいのかというような脅しを受けているような気がしていて,そういうことにひるまないように自分を勇気づけようと思っていたので,今まで御発言なさってくださった方のお話を聴いていると,私ほど過剰に警察関係者の方の発言にひるんでいないんだなと思って,ちょっとほっとしました。   ほぼ,私も発言しようと思っていたことが皆さんのお話の中で,私よりもきれいに整理された形で論点を挙げられましたので,私は第2回で自分が発言したことについて今までの部会を通して,ヒアリングや視察を通して感じたことを少し述べさせてもらいます。   私は,第2回の会議において,自分の中にある問題意識として,まず第一番目に調書裁判,調書に過度に依存した裁判について,やはり疑問があると申し上げました。それで二番目に人質司法。「それでもボクはやっていない」という映画を作る中で,やはりいろいろな取材をした中で,要するに自白をしなければ釈放することはできないよ,勾留は続くよというような形の,特に軽微な事件についてもどうして勾留の必要があるのか分からないような事件においてもそういった方法が取られて,いわゆる自白,場合によってはやってもいないことを認めさせようとするような形の捜査手法があって,この人質司法ということについて非常に疑問を持ちました。三つ目は証拠開示ですね。これも今までの委員の皆様がおっしゃっていましたが,なぜ証拠が隠されるのかというのは,これは普通に生活している人にとっては本当に素朴な疑問です。私が映画を作るときのシナリオにもはっきり書きましたが,「証拠って全部見られないんだ」という驚きは,普通に日本で生活している多くの人が疑問に思う点だと思います。証拠が隠される理由について,私自身が納得できるような理由というのはありませんでした。   そこで,この三点なんですが,この三点がどういうようなつながりを持っているかというと,取調べの目的が「自白獲得」にあるということだと思います。なぜそうなるのかというと,事件の真相は真犯人の自白以外に知り得ない,と考えているからです。捜査当局にとっては「自白」が全てなのです。裁判もそうでした。また,今まで委員の方が皆さんおっしゃっていましたが,真相の解明というもの,検察官御自身も真相の究明,解明ということを挙げられると思いますが,この真相の解明,究明ということをどのレベルで言っているかというと,法律家と普通の市民の間では大きな差があると思います。要するに裁判をやれば,全てが明らかになると,「出るとこ出ようぜ」という言葉に代表されるように,裁判に出れば全てが明らかになると多くの人は考えているわけですね。実はそうならないことは,今委員の方がおっしゃっていたお話を聴いても分かるように,実際の本当の意味での真相の究明はできないという,その諦めというか,人間としての限界を認める謙虚さ,そういった謙虚さを持つべきであると考えます。真相の究明というのは求めるべきものですけれども,その限界をも知るべきです。   真犯人の自白以外,真相の究明をすることはできないという,自白がなければ真実が明らかにならないんだという警察や検察の考え方。その結果,取調べの目標は自白を獲得することになります。   自白を獲得するために,被疑者を長く勾留する。ここで人質司法という問題が出てくるわけです。長期の身柄拘束によって長時間の取調べを行い,被疑者を追い込む,それで自白をさせる。今度,その自白を獲得したら,その自白に任意性と信用性を認められるような調書を作り上げる。一人称独白体の調書をもって,要するに,それが被疑者が述べた真実であるという形の調書を作り,今度はその調書を基に裁判を進めようとする。裁判で,その調書を維持するために,今度は不必要な証拠,つまり,これは検察側にとって不必要な証拠ですが,無罪方向にも取られかねない証拠や自白の信用性を疑わせる証拠などは排除する。訴追側にとって有利な証拠のみを開示して,あとの証拠は隠す。よく全面的証拠開示については,プライバシーの侵害や無駄な証拠調べの時間ということで拒否をされているようですけれども,そういう形で調書裁判も人質司法も証拠開示の問題も,真相究明は自白しかないという,その固定観念によって生まれてきているのかなというのが私の今の感想です。   そして,密室での取調べによる自白獲得が,しばしば「虚偽自白」を生んできたことは多くの事件で明らかになっています。   堀川惠子さんが書かれた『裁かれた命』という,NHKでドキュメンタリーも作られましたが,その本の中で知ったことですが,被告人の弁護をなさった元裁判官の小林健治弁護士が,今から二十数年前ですが,日本弁護士連合会人権擁護委員会が編集した『誤判を語る』という中で以下のようなことを言っています。少し長いんですけれども,二十数年前にやはりこういうことを,元裁判官で弁護士をやっている方がこういうことを言っているということで,私にもすごく響くものがあったので読ませていただきます。「捜査官に対する被告人の自供,自白というもの,これが私の日本の刑事裁判の悲劇だと思います。警察,検察の調書では有罪方向に自供,自白させている。しかし,警察や検事の取調べというのは取調官と被疑者,被告人しかいない密室作業なのです。そして傾向として,有罪を指向する調書を作る。それともう一つの検事,警察調書の欠点は,要領調書ということです。要領調書というのは,一旦ずうっと聞いてそれを警察官や検事が頭で整理して問い,答えを抜いて,一項,二項とまとめて書いていくわけです。まとめとしての検事等の主観が入っている場合が多い。裁判所の尋問調書は,ご案内のとおり全部問答式です。だから問いと答えが逆になることはありません。」中略。「ところが検事などの場合は,問いと答えが逆に録取されている場合があります。こうじゃないかと言って,ああそうですと言った場合に,こうこうこうですよと被告人から言ったと書かれます。それは心証をとる上においてかなり差があると思います。それから検事調書は,有罪への指向と悪性を強調する面があります。被告人がしばしば『検事に述べたことは大筋において違いはありません。だけども判事さん,それは味つけが違いますよ』と。『私はね,こんなにはっきり悪意を持ってやった事件じゃありませんよ』という弁解が随分ある。裁判官として酌み取ってやるべきだと思います。」これはおよそ二十年以上も前に小林弁護士が指摘したわけで,やはり日本の裁判の中では,密室で取られた調書,それも一人称独白体で書かれた調書というものが,要するに,単なる検事の作文が,裁判をずっと支配してきたんだ,そういうことを改めて感じました。   ほぼ,論点の整理という点では,今まで御発言なさった委員の方がおっしゃっていることの中にかなり多くのことが具体的にあったと思いますので,私としては感想めいたことになりましたが,以上,今までの部会で私が感じた点ということで,今日はそういう感想を述べるということで終わりたいと思います。 ○本田部会長 ありがとうございました。一般有識者の方々からかなり意見を頂きましたので,これからは研究者や実務家の方からも御意見を伺いたいと思います。 ○小坂井幹事 取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直すというのがこの部会のミッションだと認識しております。必ずしも今まで出てこなかった論点として,論点整理の機会ですので,まず公判段階の手続二分論のようなことについて,ちょっと言及させていただきたいと思います。   今までもお話は出ているんですけれども,今日までの日本の刑事司法実務というのは,弁護士的な実務感覚から言いますと,捜査が実際上ほぼ第一審として存在している。そこで有罪無罪が決まる。99.9%の有罪率で,おおむね第一審の裁判というのは推移しているわけですから,捜査段階で決まってくるというところがあるわけですね。捜査にはそれだけの比重がある。しかも,そこで真相解明ということが言われるわけですけれども,更に取調べの比重が高くなって,これは結果的に言われるのかもしれませんけれども,その人の改善更生機能までも取調べの中に機能として取り込んでいこうとするような実態がある。これが現実だと思います。そうすると,この第一審というのは,ほぼ事後審化してきてしまって-事後審というのは本来,控訴審に使われている言葉なんですけれども-,そういうような実態を弁護実務の実践を通すと感じざるを得ないところがあるわけですね。   そうしますと,そのことと論理必然的かどうかは議論が当然あり得ると思いますが,公判段階の在り方も,やはり抜本的な制度改革をする必要がある。そのときに,要するに罪責認定手続と量刑手続,これを今捜査で一挙にやってしまっているというところがあるわけですけれども,まずは公判できっちりと罪責認定手続と量刑手続を分ける手続は,これは制度導入すべき段階に来ているのではないか。既に運用面ではそういう二段階審理をしていらっしゃる裁判官が現にいらっしゃって,私もそういう弁護実践の経験をしたことがありますけれども,それはやはり非常にメリハリの効いた手続になる。まず罪責認定手続が純粋に訴因,つまり起訴状に書かれていることがあったのか,なかったのかをきっちり決める手続をやって,その上で,いわゆる量刑手続をする。そういうメリハリの効いた手続をすることによって,論理必然的かどうかは議論があると思いますけれども,恐らくは,罪責認定手続の後に,それこそ調査手続か何かをかませることになれば,ある意味ではドラスティックに捜査段階でも変わってくるところ,取調べ段階もドラスティックに変わってくるところがあろうかと思います。いずれにしましても,公判をそういう形で縦の時系列の手続を二分することによって,捜査あるいは取調べの機能というものが当然変化してくる側面もあるだろう。ですから,まずその手続の二分論というのは論点として少なくとも考慮していただいて,この部会で議論していただくに値するテーマではないかと思っています。   同時に,私の言葉で言いますと,縦の手続二分と同時に,横の二分と言いますか,先ほど安岡委員のペーパーの中に少し書いてあったと思いますけれども,いわゆる有罪答弁制度,アレインメント制度,若しくはそれに類似する制度,こういうものを導入する,少なくともそのことをこの部会で論点として議論する必要があるのではないかと思っています。   非常に高名な裁判官や元裁判官のいらっしゃる中で,こういう言い方をすると恐縮なんですけれども,99.9%有罪になりますと,どうしても,少し迷えば,有罪の方が誤る危険が少ないかなと,こういう悪循環があるわけです。こういうものを断ち切るときに,やはり訴因そのもの,つまり起訴状に書いてあることに争いのある事件と争いのない事件は,公判の冒頭できっちり分けるという手続が要るのではないのかなと思っています。もちろん有罪答弁制度については,いわゆる実体的真実とかい離するんだとか,いろいろな議論はあるわけですけれども,ただ,弁護実践を通して,この間,公判前整理手続というのをずっとやってきておりますので,いわゆる重たい事件でもそういうのをやってきています。そうすると,そこでいわゆる被告人側,弁護人側も訴因に争いのある事件,起訴状に書いてあることに争いがある事件と争いのない事件というのが見えてくるというところも当然あるわけです。今はある意味ではそういう公判の冒頭段階できっちり分けるということが可能になってきているのではないかなという感想を持っています。ですので,これも是非本部会の論点にしていただければなと思っています。   併せて捜査段階の論点ということでは,屋上屋を架すことになって大変恐縮なんですけれども,やはり取調べの任意段階も含めた全過程の録画・録音を捜査機関に義務付ける制度を実現する。このことが,捜査における最優先の課題であって,制度改革だと思っています。理由はもう既に諮問の中自体に書いてあると思うんですけれども,現在の我が国の実務における事実認定システムというのは,これはやはり過度に取調べ及び供述調書に依存している。「過度に依存して」というのは今までも出ている議論なので,ちょっと重なった議論をするようで恐縮なんですけれども,もちろん量的な問題だけではなくて質的な意味があると思うんですね。今の事実認定システムは弁護人の側からと言いますか,あるいは客観的に見てもそうだと思うんですけれども,市民の側から見られてもそうだと思うんですが,事実認定の誤りが必然的に生じるシステムだと思うんですね。えん罪の定義はともかくとしましても,えん罪と言われるものが次々と発生するシステムです。これはこうやって議論している最中も発生している可能性が極めて高いです。   なぜならば,これは調書作成過程というのをあえて分析的に言えば,三つぐらいの局面に分かれると思うんですが,一つは供述証拠そのものの問題,それともう一つは供述録取という場面の問題,それと三番目に供述録取書を作成する,調書を作成するという三段階ぐらいに誤りが含まれる可能性があると思うからです。供述という場面でまず言いますと,供述証拠というのは,法廷証言であれば,反対当事者から反対尋問を受けて,つまりその人が体験したこと,認識したこと,それを記憶を正確に保持しているかどうかを経て,最後に供述する,表現するという場面,それぞれの過程のプロセスを反対尋問でチェックすることによって供述証拠というのは証拠価値があるんだと,法廷証言はそういうふうに言われているわけです。が,取調べにおける供述というのはそういうチェックを受けていません。原供述者は受けません。もちろん取調官は努力されているかもしれませんが,取調官は一人で検察官の役,法廷における公判立会検事の役をやり,弁護人の役をやり,それから事実認定者の役をやっているわけです。これではそういう供述過程のチェックができないのです。そこに誤りがまず生じます。   次に供述録取という場面ですね。これはもう今までに出ていることの繰り返しで恐縮ですけれども,供述録取ですから,供述をそのまま取っていただければ,正にテープレコーダーならテープレコーダーでとっていただければいいわけです。けれども,今はそうはなっていません。そういうことを取調官はしなくて情報を取捨選択されます。あるいは意図的でなくても,必ず聞いたことをメモしていくときに情報量は落ちるわけです。ですからここに過誤が含まれます。   最後に,それを調書に作る場面,これが今までも出ていますように,もしかすれば一番の問題かもしれないわけですけれども,この段階で作文があるわけですね。ここには捜査官の方もいらっしゃるので,これは礼を失した言い方になったら大変恐縮だけれども,必然的に作文が混入するシステムです。例えば,Aさんの調書で,「私は何月何日にこれこれこうしました」と調書上は書いてあるんですが,この「私」はAさんではないんですよね,取調官が書くんです。これはこういう言い方をしたら恐縮かもしれないけれども,私はイタコ調書と呼んでおりまして,つまり憑依するわけです。その方に憑依してなり代わって「私は」と書くんですね。これは必ず過誤が含まれます。実はそういうシステムをずっと日本の刑事司法実務はやってきたわけですね。戦後憲法の下でも六十数年間やってきました。先ほども出ましたけれども,大正刑訴法,明治刑訴法の下では予審判事の作る尋問調書以外は証拠能力は基本的にはないんだという条文になってはいたけれども,やはり聴き取り書きといいますか,聴取書というものができまして,結局それは事実認定の要に供してよいということになってきて,一人称独白形式でずっと残ってきました。もしかしたら,それは明治・江戸時代まで遡るかもしれないんですが,そういった議論はさておきまして,取りあえずそういう一人称独白形式の作文調書によって事実を認定するというシステムが延々と続いてきた。そういうわけで,だからこそ,今現にそういうえん罪と言われるものが続々と発覚している状況がある。これは密接不可分の関係にあると思います。   私は,やはり,正に検察の在り方検討会議で一定の結論が出されて,この部会が設置された経緯に鑑みましても,この可視化問題は,全過程の可視化,任意段階も含め,あるいは参考人も含め,もちろんこれは法律上の根拠についてはいろいろな議論が,参考人と被疑者で分かれ得るかもしれませんけれども,いずれにしても,「全過程」が最優先課題だということです。真っ先に議論して,本来は,決着をまずつけるべき問題だと認識しております。 ○本田部会長 ここで休憩を入れさせていただきたいと思います。           (休     憩) ○本田部会長 それでは時間になりましたので再開したいと思います。できるだけ活発な御意見をお願いいたしたいと思います。 ○後藤委員 最初のときにも,私の問題意識をお話しさせていただきました。その後,ヒアリングや視察などを経ましても,基本的には私の問題意識は余り変わりませんでした。そのため多くは繰り返しになりますけれども,要点だけもう一度申し上げたいと思います。   今までの各委員のお話にも出ていますように,密室での取調べと調書に依存した現状を改善して,もっと透明度を高めるということが,現在,一番明白な課題ではないかと思います。そうしますと,いわゆる取調べの可視化と言われるような取調べの過程を後から検証できるようにする,外から検証できるようにすることが,まず第一の課題になります。その方法としては,録音・録画とか弁護人の立会いといったことも視野に入ってくると思います。それから,録音・録画については,これも既に意見が出ていますように,参考人も含めて考えるべきだと思います。   さらに,取調べというもの自体を見直す必要があるのではないかと思います。刑事裁判の過程で人から話を聴く,情報を聴くということはどうしても必要なことです。しかし,それをするときに,実は二つの全く異なる目的意識というのがあり得ます。一つは,この人が何を語れるのかをなるべく客観的にバイアスを掛けないで聴く,客観的に情報を集めるという聴き方です。それに対してもう一つは,既に仮説があって,その仮説に合うような証拠を集めるという目的で供述を得ようとするという聴き方があります。法廷での証人尋問は典型的にそういうものとして行われていると思います。   日本の今の捜査過程での取調べは,これらの異なる二つの目的を明確に区別しないで,混然としたままやっていて,しかも実際には,特に検察官の調べの最後の方になると,法廷での主尋問に代わるものとして調書を作ろうとする傾向,つまり仮説立証のための供述採取という傾向が非常に強くなっているように思います。しかし,捜査段階ではまずは,もっと客観的に,この人が何を語れるのかを確かめる聴き方が重要なので,そのことをもっと自覚的に追求することが必要だと思います。そのような聴き取りのための方法は,例えば,外国ではいろいろと研究されています。そういうものを取り入れることを考えてもよいのではないかと思います。   このように考えると,条文が使っている「取調べ」という呼び方自体がどうでしょうか。やや間違ったイメージを与えるものになっていないか。現在は,被害者を含めて参考人から捜査官が聴くのも全て「取調べ」と呼ばれているわけですけれども,それが言葉遣いとしても適切なのか,もう少し違った言葉に変えていくことも視野に入れてよいのではないかと思います。   供述調書に依存しないために,もう一つ大事なのは,いわゆる伝聞例外の規定の運用,そして条文自体ですね。調書をどういう場合に使えるかという,その条件をもっと厳しく考えていく。そのために法律を変えることも必要ではないか。   それから,勾留などの未決拘禁が,供述をさせるための手段とされることがないようにするための見直しが必要ではないかと思います。そのためには,いろいろなことがあり得ますけれども,例えば,勾留質問に弁護人が立ち会うというようなことも取り入れていく必要があるのではないかと思います。ただ,そこまで考えていくと,これは取調べへの立会いとも関係しますけれども,現在の被疑者の国選弁護制度がこのままでよいかという問題もあると思います。安岡委員のペーパーの中にその拡大という項目が出ています。2004年の改正で被疑者に国選弁護制度が入ったことは非常に大きな前進だったと,私も思います。ただ,現在は勾留段階で初めて認められることになっていますので,それが遅すぎるのではないか。身体拘束と同時に国選弁護人を請求できるような制度を考えてもよいのではないかと思います。   それから,既に多くの方が御指摘になっている,新しい捜査方法と言われるようなものについて議論することに対して,私は反対はしません。ただ,そのときに,二つのことを注意すべきだと思います。一つは,これは安岡委員の御発言にもありましたけれども,それがいわゆる取調べの可視化の代償といいますか,交換条件としてそれを取り入れるという考え方は適切ではないだろうということです。そのような取引関係にあるものではないと思います。それからもう一つは,外国にあって日本にない制度を取り入れるべきかどうかを議論するときには,今の日本で現実にどういうことが行われているのかをよく見て議論する必要があると思います。例えば,イギリスで,黙秘という態度から不利益の推認ができるのに,日本ではそれを認めていないという議論があります。しかし,本当にそうなのか。日本の実務は,イギリスで言われているような不利益推認を本当にしていないのかというところからよく見て議論する,考える必要があると思います。 ○川出幹事 これまでに既に出ているものもありますが,本部会で検討すべき論点としてどういうことが考えられるかということについて,二つ申し上げたいと思います。   一つ目は,今,後藤委員が最後に言われた新たな捜査手段の導入に関してです。諮問では,取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方見直しということが求められておりますので,それにより,取調べにより獲得された供述によって犯罪事実を立証する度合いというのは下がることにならざるを得ないだろうと思います。他方で,刑事手続には,犯罪事実の解明の機能が求められています。先ほど御指摘がありましたように,真相の解明というとその中身が問題になりますが,少なくとも犯罪事実自体の解明が必要なことは誰しも否定しないところだと思います。そうだとしますと,この犯罪事実の解明という刑事手続の機能を下げてもよいのだということを正面から認めるのでない限りは,取調べに代わる証拠の獲得手段を検討しないのは,やはりバランスを欠くということになるだろうと思います。   その手段として,一つは客観的な証拠の獲得手段,収集手段が考えられます。もっとも,前回のヒアリングの中で渡辺捜査官や稲川検事からは,具体的な事例を踏まえて,やはり客観的な証拠があっても,被疑者の供述がなければ事実を解明するのは難しい事案があるという指摘がなされていたところです。ですから,それを踏まえますと,やはり従来のような形での取調べに代わる供述獲得手段の導入も検討する必要があると思います。この諮問の前提となっております検察の在り方検討会議の議論,あるいは提言などを見ましても,無理な自白獲得につながるような現在の取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直しが求められているわけでして,供述の獲得ですとか,それによる立証自体が疑問視されているというわけではないと思いますから,今のような取調べに代わる供述の獲得方法を考えるということは,決して諮問の趣旨に反するものではないと思います。   具体的には,第3回の部会で国外調査結果報告書が配布されましたけれども,その中にありますように,例えば,自白や共犯者の関与に関する供述をした場合に,量刑上の恩典を与えるという明文規定を設けることで,自発的な供述を誘引するような制度ですとか,あるいは先ほど出ておりました司法取引の導入などについて検討すべきだと思います。   それからもう一点ですが,司法取引との関係で,アメリカでは自己の罪を認める形での司法取引というのは,先ほど小坂井幹事から出ておりました有罪答弁制度と一体のものとして運用されているようです。この司法取引と有罪答弁というのは,論理必然的につながるものではないですが,しかし,これは事件処理に関して当事者の主体的地位を認めるという点では共通の基盤を有しているものです。また,そのことをおきましても,小坂井幹事からありましたように争いのない事件と争いのある事件で手続を区別すべきではないかということは,かねてより問題とされてきたところです。それをどういう目的から主張するかというのはそれぞれですが,やはり新時代の刑事手続を検討するという本部会の課題からしますと,この有罪答弁制度も含めまして,争いのない事件を簡易迅速に処理する手続,新たな手続の在り方というのも一つの検討対象とすべきではないかと考えます。 ○岩井委員 この部会で議論するべきことは,捜査や公判の体制について,どのような改革をしていくかということに絞られているのかなと思われますが,先ほど小坂井幹事からも手続二分制度の提言がございましたように,今の量刑資料は公判における証拠に頼っているわけですね。被告人の生育史に関する資料なども供述調書から取られるということが多くて,そういうところが,捜査の体制において取調べにかなり時間が割かれるということにもつながっているのかなと思うわけです。   そして,未決勾留の期間が非常に長いということは,犯罪者の適切な処遇を行うという意味でも,大変な悪影響を与えるわけですね。ですから,できれば本当に公判の手続を二分して,有罪・無罪の立証をきちんと適切に客観的な証拠で行い,できるだけ未決勾留の期間を短縮するというような手段を取るとともに,適切な処遇のための量刑資料を得るために,判決前調査制度なども導入し,量刑の手続を適切に行うというシステムも考察していただければ非常に有り難いと考えております。 ○酒巻委員 私は,個別具体の論点というよりも,検討全体の進め方に関わることについて申し上げたいと思います。個別の論点については,既に皆さんから重要なものが出ていると思います。   刑事司法制度というのは,システムとして生き物のように動いておりますので,やはりその全体がそもそも何を果たすべきなのか,どういう目的で設計されているのかという事柄について,一度やはり総論的な議論をすべきだと思います。特に事案の解明あるいは真相の解明については,周防委員がおっしゃったように,一般の皆様が思い期待している内容と,我々法律の専門家が想定している内容がかなりずれていると思います。その結果として,本来刑事司法制度が果たすべき役割を超えて,余りにも多くのものを期待され過ぎ,過剰な負担を抱えているのではないかという側面もあるように思われますので,事案の解明,真相の解明という刑事手続の目的が具体的にどういうものであるべきかという大きな話についても,やはり総論的に議論を行うべきであろうと思います。   それから,個別の論点につきましては,日本にないものについては外国の制度が参考にはなりますけれども,それが,アメリカならアメリカ,イギリスならイギリス,ドイツならドイツの,それぞれの全体のシステムの中で生きて動いておりますので,その動き方にまで十分留意して検討を加える必要があると思います。   もう一点,先ほどもお話がありましたとおり,現在の日本の捜査と刑事裁判,捜査と第一審の公判との関係には,諸外国に比して際立った特色がある。日本の検察官の起訴の基準は,十分証拠を集めこれを法律家として精査検討して有罪判決が得られる高度な見込みがなければ起訴しない,そういう運用をしておりますので,結果として有罪率が99%になるというのはある意味で当然なわけです。しかし,このような起訴の基準自体が,比較法的に見ると,異常とまでは言いませんが,かなり特殊な運用になっています。先ほど有罪答弁であるとか,公判の手続を大きく分けて考えるですとか,あるいは公判手続を罪責認定と量刑とに分類するというお話が出ましたけれども,更により大きな問題として,そもそもこれまでの日本の捜査と公判の関係それ自体が果たして今のままでいいのかどうかという問題も,総論的な議論として一度考えてみる必要があるのではないかと思います。確かに,徹底した捜査と証拠の精査が行われ,ほぼ有罪で間違いないと検察官が考えた人だけが起訴される結果として,疑わしいけれども有罪とまでは直ちに言えない人が刑事被告人の立場に追い込まれるという事態が避けられている面があります。一方で,多くの文明諸国では,本来有罪か無罪か決める場は裁判だろうというのが常識ですから,これに比べて日本の場合は,余りにも刑事司法過程の前半部分に荷重が掛かり過ぎているのではないかと思います。そういう現状をどう考えるのかという大きな話も,やはり議論しておく必要があると思います。 ○井上委員 取り上げるべき論点と私が考える事項については,既に第2回の会議で発言し,配布されている意見要旨に反映されていますので,再度繰り返すことはいたしません。また,各委員・幹事からの御発言には,かなり意見にわたる部分もありましたが,その中身について一々コメントしていますと,実質的な議論になってしまいますので,それぞれの論点についての議論の中で,私としての意見を申し上げることにしたいと思います。ここでは,論点整理の仕方とその後の議論について配慮すべきではないかという点についてだけ簡単に意見を申し述べたいと思います。   一つは,今回の諮問は時代に即した新たな刑事司法制度の構築ということですから,取りようによっては何でもここに絡んでき得るというところがありますし,また,委員,幹事それぞれに思いがあるものですから,非常に幅広く多種多様なものがここに入ってくるかもしれませんが,他方,我々の時間というのは無限ではないわけですし,また,いろいろな手を拡げ過ぎると議論が拡散してしまって,肝心の部分が結実していかないおそれもあります。したがって,やはりここでは,皆さん共有されている今回の中心的な問題点にできるだけ絞って論点整理をし,順序だって議論をしていくべきではないかと思います。   二つ目は,せっかく非法律家の有識者の方々が加わっておられますので,法技術的な論点だけではなく,その背景あるいは基礎にある理念的なものについても議論をしていただければと思います。例えば,既に何人かの方が真相の解明について触れられましたが,この問題は,個々の事件の真相,真実は何だろうかということを解明するというだけではなく,社会の関心を集めるような難しい事件が起こると,その真相がどういうものだったのかということの解明を刑事司法に求める傾向が強すぎて,それが制度全体にとって不健全な圧迫になっているのではないかという思いをするところがあります。その点について,一般の方々がどのように思っておられるのかということを議論していただければと思います。真相の解明には当然限界がありますが,他方,刑事司法も国民の意思に基づいて,その付託と期待に応えて動かしていかなければなりませんので,真相解明の要請を無視する,そんなことはどうでもよいというわけにはいかないところがあるのです。そのような点についても議論をし,なかなか結論を出せるというものではないと思いますが,できる限りその辺の問題意識を共有すると同時に,この議論は公開されていますので,そういう議論がマスコミの方々を介して外に発信されるということによって,国民的な議論のきっかけにもしていただきたいと思います。   また,司法取引や有罪答弁ということが出ていましたが,先ほどの委員・幹事の発言はやや法律論に近いような議論でしたけれども,これはある意味で,刑事司法の見方が変わり得るような問題であり,これまでの刑事司法は,真相と言うかどうかは別として,客観的な事実に基づいて,それに合った処置をするということを基本的な理念として構築されてきていますが,司法取引,あるいは有罪答弁ということになると,民事訴訟でいう弁論主義的ないし当事者処分主義な面も入ってくるので,その辺を国民の皆さんがどのように受け取るかということについて,広い視点で議論していただきたいと思います。   三つ目は,刑事司法に関する争点をめぐる議論は,ともすると不正確な情報に基づいて,しかも主義主張,あるいは情念や思い,そういうものが絡まったものとなりがちであり,そうなると非常に上滑りな,あるいは混乱した議論になってしまうおそれがあります。しかし,一国の司法制度の在り方を左右し得る検討である以上,前提となる既存の制度とその運用の状況について正確な理解を持ち,それを踏まえて議論していくということが必要だと思います。これは外国法制についても同じで,後藤委員は外国の制度を安易に持ってくるのではなく,日本でどうなっているかということも正確に見定めないといけないとおっしゃったのですが,逆も真なりで,外国でこうなっていると比較的安易に援用されたりすることがありますけれども,酒巻委員が言われたように,それぞれの国の大きな仕組みの中の一つですので,そういう全体の中での位置付けを理解するとともに,実態としてどうなっているのかということも正確に踏まえて議論しないと,地に足のついたものにならないと思います。 ○神幹事 重複を少しするかもしれませんけれども,今回我々に課せられているのは,取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直して,制度としての取調べの可視化についての検討を行うというのが諮問にも表れているんですが,それ以外の問題については,先ほど来,総論的な議論が必要ではないかということが言われています。今までのヒアリングや御意見を伺っていると,立場の違いによって取調べに関する認識が大きく違っているように感じられました。そうだとすると,まず取調べとは一体何なのかということを,例えば,先ほどの人権保障だとか治安維持だとか,真相解明といった,そういう問題と絡めて,どういう意味付けと機能があって,これが本当はどういう在り方が望ましいのか,この辺は多分,後藤委員が先ほど話されたような形で諸外国の取調べの機能とか,そういったものを参考にしながら,一度議論した上で,そこに問題があるとするならば,そこから具体的な形で各論的な問題がいろいろ出てくるのではないかと考えています。   例えば,勾留が今,多用されていまして,起訴前保釈も認められていません。しかも,これまでも捜査機関による密室の取調べが行われているし,このような被疑者には取調べ受忍義務があるとされ,取調室からの退室が許されないとされており,さらには,欧米諸国や韓国,台湾などで認められている弁護人取調べ立会権もありません。このような取調べが是認できるかどうか,こういった取調べが今,日本で行われているという前提に立った場合,取調べの全過程の録音・録画を含む可視化の問題だけではなくて,取調べの意味と機能をまず議論して,そこから現れてくる勾留・保釈の在り方,この勾留が取調べに利用されているのではないかといった問題とか,それをできるだけ制約的に考えるにはどうしたらいいのかとか,それから取調べ受忍義務は本当にあるのかないのかということとか,あるいは弁護人の立会権の付与の問題,取調べの時間規制の問題,さらには,供述調書について伝聞法則を徹底して,証拠の採否を厳格化していくべきかどうかということが論点として現れてくるのではないかと思っております。   また,その他の項目として,証拠開示の問題については,各委員の方が述べられておりますのであえて申しませんけれども,これもやはり是非テーマに取り上げるべきことだと考えております。   さらに,これは今まで全く議論がないのですが,検察官の控訴権というものが無制限で本当にいいのかどうかというようなことも少し議論の対象になるのではないかと考えています。例えば,甲山事件のように,検察官控訴が繰り返されて,無罪の判決が確定するまで25年掛かったという事件だとか,まだこれはこれからの問題ですが,名張事件とか東電OL殺害事件などのように,一審で無罪判決を受けながら控訴審でそれが覆されて有罪とされて,日弁連などはえん罪だということで支援をし,再審で争っている事件も少なくありません。少なくとも一審で合理的な疑いが生じているとして無罪とされた事件に対する検察官控訴は,この者を処罰する危険性が大きいし,このような検察官上訴は迅速な裁判を受ける権利を侵害するものとも言えるのではないかと考えます。その理論的根拠としては,二重の危険の法理とか,いろいろなものが述べられておりますが,必ずしも最高裁判例はそうなっていませんけれども,少なくとも無罪判決に至るまで被告人に負担を負わせたという事実は,十分に一個の危険と評価し得るとも考えることもできるので,無罪判決に対する事実誤認を理由とする検察官の控訴は二重の危険の法理の趣旨から言っても,認めるべきではないという考え方があろうかと思います。取り分け,裁判員裁判が導入されて,国民参加が今なされております。国民の健全な社会常識が反映されているはずの裁判員裁判で無罪判決がされた場合に,これを全く裁判体を異にする職業裁判官だけで構成される高等裁判所に控訴審で争えるということがあっていいのかどうかということは,裁判員裁判の制度の意義にも関わる問題であろうと思います。そういう意味でも,検察官は無罪判決に関しては控訴することは認めない,さらには,これは政策的な観点からですが,量刑不当を理由とする控訴も認めないという考え方があってもいいのでないかと考えています。これも一つのテーマにしていただきたいと考えております。 ○井上委員 質問をしてもよろしいですか。神幹事,今,最後におっしゃった点は,裁判員裁判の対象事件に限ってという趣旨では必ずしもないということですか。 ○神幹事 そうですね。 ○井上委員 その点について少しだけ申し上げると,もちろん安岡委員がおっしゃったように,裁判員裁判がもうすぐ施行後3年を迎えますが,裁判員裁判では特に重大な事件が対象事件とされており,現実に多くの事件が扱われていますので,今回の刑事司法制度の改革も,裁判員裁判を視野に入れて行わなければならないということはそのとおりだと思います。しかし,問題がこんがらがるといけないので,裁判員裁判に特有の問題については,この部会ではなく,裁判員制度の3年後見直しの中で検討が行われるはずですので,整理し,切り離して考えるべきだと思います。 ○本田部会長 御意見ございませんか。   本日の議論については,要旨を整理いたしまして,第7回の会議にお出ししたいと思います。そこでも議論していただき,先ほど申し上げたように第7回でほぼ論点整理に関する議論を終え,第8回から具体的な内容について審議できるという方向に持っていきたいと思いますので,よろしく御協力をお願いいたします。   まだ時間もありますので,更に御意見のある方はどうぞ御発言ください。 ○舟本委員 先ほどの川出幹事の話と実質的には同じことになるのかもしれませんが,現場では,現に今の治安水準を保つために,警察官,刑事が必死の努力をしているわけでありまして,正に捜査の実務を扱っている立場としましては,取調べの可視化について議論するのであれば,是非その取調べの可視化と新たな捜査手法の導入,これらを是非パッケージとして議論していただきたいと思います。議論の方法なり議論の射程ということになるのかもしれませんが,この二つを切り離して,取りあえず取調べの可視化の問題だけが先行していくとなったときに,そこに万が一でも治安の間隙というのが生じるということがあってはならないと思っておりますので,それをよろしくお願いしたいと思います。 ○島根幹事 今それぞれの御発言を伺いまして,もちろんこういう場で議論が始まっておりますので,現状にいろいろな問題があるという前提で当然議論をしていくことになるわけですが,当然制度を変えていくということになりますと,いろいろな影響が,いろいろな場面場面で出てくると思います。その辺の影響というものを多角的に捉えさせていただきまして,メリットを最大限に,デメリットを最小限にというような形での議論をこれからさせていただければと思います。 ○露木幹事 これまで,供述証拠の獲得手段として司法取引などについて議論すべきとの御発言がありましたが,客観的証拠の収集獲得手段についても是非議論していただきたいと思います。   来週,九州福岡の視察が入っております。その場でも県警の方に来ていただけるということでございますので,担当の方からも説明があると思いますけれども,昨日,九州北部で建設業者の方が拳銃で撃たれて重傷を負うという事件が発生しております。こちらの方でも報道されておりましたけれども,昨年の秋にも同じく九州北部で建設業者の方が撃たれて,この方は亡くなってしまったという事案が発生したり,ここ2,3年,九州を中心にそういう事件が非常に多発しているという状況にございます。これらの事件が全て暴力団による犯罪かどうかということはもちろんはっきりしない面もありますが,残念ながら,おととしは十数件,昨年は30件近く発砲事件が発生しており,そのうち検挙できているものはたった1件だけという状況でございます。   そういった中で,せっかくこの新時代の刑事司法制度特別部会が立ち上がっておりますし,客観的証拠の重要性についても御議論がございましたので,是非,通信傍受でありますとか,あるいは室内の会話の傍受の在り方など,新たな捜査手法についても是非御議論していただきたいと思います ○宮﨑委員 代替的捜査手法については,なかなか提示が頂けないということで,今まで過ごしてきた経過があるのですが,そうすると次回ぐらいに満を持して提案をされるというように受け止めていいんでしょうか。 ○露木幹事 論点整理という段階だと伺っておりますので,取りあえず議論の対象として,一つ私どもの希望を申し上げたということでございます。 ○本田部会長 それではよろしいですか。   次回の日程ですが,2月17日午後1時半,場所は法務省20階の第1会議室ということですので,よろしくお願いします。   それでは本日はこれで閉会としたいと思います。どうもありがとうございました。 -了-