法制審議会民法(債権関係)部会           第38回会議 議事録 第1 日 時  平成23年12月20日(火)自 午後1時00分                       至 午後6時20分 第2 場 所  東京地方検察庁会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事 (次のとおり)           議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会の第38回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いします。 ○筒井幹事 本日の会議用に配布する新たな部会資料はございません。部会資料の作成作業が遅れており,申し訳ありません。本日の会議では,積み残しとなっている既に配布済みの部会資料34を使わせていただきます。この資料につきましては後ほど関係官の新井から説明をいたします。この他,「不動産売買契約の標準契約書式のあり方に関する報告と提言」と題する書面の抜粋を机上に配布しております。これは山野目章夫幹事の御提供によるものです。後ほど審議の中で御紹介いただけるものと思います。 ○鎌田部会長 本日は部会資料34について御審議いただきます。具体的な進め方といたしましては,まず,部会資料34の第1から第3の「1 債務不履行解除の要件としての不履行態様等に関する規定の整序(民法第541条から第543条まで)」までについて御審議いただき,適宜,休憩を入れることを予定しています。休憩後,部会資料34の第3の「2 「債務者の責めに帰すべき事由」の要否」以降について御審議いただきたいと思います。   まず,部会資料34の「第1 債務不履行による損害賠償」の「1 損害賠償の範囲(民法第416条)」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○新井関係官 それでは,御説明いたします。   部会資料34の「第1 債務不履行による損害賠償」の「1 損害賠償の範囲(民法第416条)」につきまして,「(1)損害賠償の範囲に関する規定の在り方」では,債務不履行による損害賠償の範囲について規定する現行民法第416条の見直しの要否につき,問題提起しております。甲案は通常損害と特別損害とを区別し,特別損害につき,予見の対象を「事情」とする現行民法第416条の枠組みを踏襲しつつ,論理的に不足していると見られる文言を補うなどして分かりやすくすることを提案しております。一方,乙案は通常損害と特別損害の区別をしないで,予見可能であった損害を賠償の範囲に含める旨を規定することを提案しております。甲案と乙案の違いは,通常損害と特別損害という区別を維持するか否かと,予見の対象を「事情」とするか「損害」とするかにありますが,もちろん,補足説明にも記載しましたとおり,通常損害と特別損害の区別を維持しつつ,予見の対象を「損害」とする乙案の別案のような考え方もあり得るところです。   「(2)予見の主体及び時期等」では,現行民法第416条では明確でない予見の主体と時期等を明文化することを提案しております。アの甲案は主体を債務者とし,予見の時期は不履行時とするもので,判例がこの立場であるとされております。一方,乙案は契約締結時のリスク分配を尊重する観点から,主体を契約の両当事者とし,予見の時期を契約締結時とする考え方です。イでは,仮に乙案を採用する場合に,契約締結後不履行時までの間に予見可能となった事情ないし損害をどのように取り扱うかにつき,問題提起しております。乙-1案はこの点につき,特段の規定を設けないとの提案です。一方,乙-2案は債務者が損害回避のための合理的な措置を取らなかったという条件付きで,契約締結後に予見可能となった事情ないし損害を考慮する旨の規定を設けるとの提案です。   「(3)故意・重過失による債務不履行における損害賠償の範囲の特則の要否」では,故意・重過失による債務不履行につき,予見可能性等による賠償範囲を限定をせずに,全ての損害を賠償の対象とするとの規定を設けないことを提案しています。   「(4)損害額の算定基準時の原則規定及び損害額の算定ルールについて」では,アで物の引渡債務における填補賠償の損害額の算定基準時に関する規定を設けないことを提案しております。イでは損害賠償の額の算定に関する大綱的規定を設けるとの提案を取り上げています。   これらの論点のうち,「(4)損害額の算定基準時の原則規定及び損害額の算定ルールについて」では,賠償額の算定に関する規定につき,規定を新設することの可否は最終的に部会で決定することを前提に,本文のイで提案している大綱的規定その他の何らかの規定を仮に設ける場合の具体的な在り方等につき,分科会で補充的に検討することが考えられますので,この点について分科会で検討することの可否についても御審議いただければと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ただいま説明がありました部分のうち,まず,「(1)損害賠償の範囲に関する規定の在り方」及び「(2)予見の主体及び時期等」について御意見をお伺いいたします。御自由に御発言ください。 ○佐成委員 (1)のところで二点,申し上げたいと思います。   一点目は経済界内部での議論状況でございますが,この点に関しては通常損害と特別損害という現行のワーディングといいますか,概念といいますか,そういったものが比較的分かりやすいということで,できれば継続したほうがいいのではないかという意見が出ていたということでございます。   二点目でございますけれども,前回,山野目幹事から「震える手」という御発言があり,私ももう少し慎重にこの点を考えたほうがいいのかなと思いました。そこで,甲案,乙案と,ただいきなり飛び付くのもどうかと思いまして,そもそも416条の沿革的な部分について,もう一回,認識を深めようかなと思いまして,御発言させていただきたいと思います。   沿革的には,皆さん御承知でございますけれども,英国の古い判例でありますハドレー対バクセンデール事件に遡るルールだと言われていると思います。古い割にはいまだに欧米のルールの基礎にある考え方ではないかと思われまして,やはり一度は具体的な中身をこの部会においても検討しておく必要があるのではないかと思いまして,お話をさせていただきたいということです。   英米法の契約法に関するケースブックなんかを見ますと,必ずこの判例は紹介されていますが,ただ,どちらかというと予見可能性というところ,フォアシーアビリティという項目で掲げられているかと思いますし,私もそれで勉強しましたけれども,具体的な内容を見ると,それほど単純ではないのではないかということでございます。事案は既に皆さん御承知だと思うのですけれども,製粉工場で製粉用機械のシャフトが壊れてしまったと。それで,新しいシャフトを作らなくてはいけないということになり,グリニッジでしたか,遠くに離れたところに折れたシャフトを見本として届けて,新しいシャフトをシャフト製造業者に作ってもらうと,そういったことが喫緊の課題になって,運送業者にシャフトを届けてもらったというような事案だったかと思います。   その製粉業者は,運送業者に絶対に何月何日までに折れたシャフトを必ず届けてくれと頼んで,運送業者も分かりました,絶対,その日までに届けますというような約束をして契約が成立したと。ところが何らかの事情で予定どおりに届かず,工場の操業が停止してしまって多額の損害が発生したという事案だと思います。運送業者は折れたシャフトを絶対に時間どおりに届けると約束したかと思うのですが,折れたシャフトが製粉工場の操業にとって不可欠であって,しかも,替えの用意も無いと,予備が無いというような,そういったことを知る由もなかったということで,通常の安い運賃でこの運送を引き受けたという事案だったと思います。   確かに,操業に不可欠なシャフトが期日どおりに届かないと,それ以降の操業が停止してしまうということ,そして,それによって,多くの損害が発生するであろうということは通常あり得る話であります。前回も債務不履行に基づく損害賠償の帰責事由に関しても申し上げたんですけれども,損害賠償の考え方として,英米法のエクスペクテーションインタレスト,つまり,約束が守られていたならば得られたであろう債権者側の経済的地位を作り出すということが原則であると考えますと,操業停止の損害も賠償範囲に入ると考えるのが原則のように思われます。   しかし,それでは僅かな運賃で荷物,この事案では折れたシャフトを引き受けた運送業者にとって余りに過酷だということで,シャフトの延着が操業停止に至るという特別の事情,つまり,判決では「スペシャルサーカムスタンシズ」となっておりますけれども,を運送業者が予見し,また,予見できた場合には,そこまでの損害を賠償範囲に含めることはできるが,そこまで予見できなかったのであれば,含めることはできないとして,損害賠償の範囲を制限したというのが,この判決の中身であると思います。この判決の解釈の仕方はいろいろあると思うのですが,現行法416条というのはよく見ますと,やはり,この判決をそっくりそのまま条文化したものだということはよく言われる話だと思うのですね。   つまり,第1項ではまず約束が守られていたなら,通常は得られたであろう経済的状態を作り出すために,不履行から通常生ずるであろう損害を賠償すべきであるという,そういう原則が述べられていて,続いて第2項でただしということで,その中に特別の事情によって生じた損害が含まれていた場合には,その損害を賠償範囲に含めるためには,予見可能性が必要ですよと,そういうふうな条文になっているということで,仮にこれが最も淵源的な部分だとすれば,やはり淵源に沿うような条文にできていると思います。これを現代的にこれから直していかなければいけないのかもしれないのですけれども,まず,そこが出発点かなと思いました。   それで,これは現在の実務の具体的な流れにも割と即していると感じております。つまり,まず第一段として債権者のほうで自分に生じた損害を全て主張立証していくわけですね。これは実務でもそうやっていると思います。それで,約束が守られたならば得られたであろう経済状態にしてほしいと,そういうことを求めます。続いて,第二段として債務者側から債権者の損害の中には通常の場合には生じない特別の事情によって生じたものが含まれているではないかという反論をします。これは抗弁事由として主張するかどうかは分かりませんけれども,その点については争いがあるんだと思うんですけれども,いずれにしても,そのような反論をします。そうすると,今度は債権者のほうで第三段として,いや,それは債務者も予見できるものであると再反論するという流れになると思います。   そういうことで処理をしていくというのが,実務の一般的な流れではないかなと思いますので,確かに現行の416条というのは補足説明にも書かれておりますとおり,不法行為にも適用されると判例でされていたり,相当因果関係といったようなものと解釈されたりするという経緯はありますけれども,今回の改正でまずこの点を契約法固有の条文であるということを明確にしておくことによって,そういった現行条文における不明確さが一定程度,クリアになるのではないかと思います。その上で,無用な字句を余り挿入しないで,ほぼ,そのままに維持しておくということも考えられるのではないかと思います。ですから,甲案,乙案というと,どちらかというと甲案に近い考え方だと思うのですけれども,要するに言いたいことは,余り無用な字句を入れることに対しては若干,疑問があるということでございます。   ですから,私としては契約法の条文であって,不法行為法とはまた別であるというところを明確にした上で,現行条文を可能な限り維持して,必要な字句はもちろん分かりやすさという観点で入れることは大事かと思うのですけれども,できるだけ現行条文のままでいっても,いいのではないかなという意見を述べさせていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○道垣内幹事 佐成委員の御発言に対して,賛成,反対ということではなくて,弁護士の先生方の実務というものについて伺いたいのです。今の佐成委員の御説明ですと,「通常損害」というのが上位概念で,「通常損害」の中に「特別損害」があるという御説明だったように思うのですけれども,現在,実務上はそのような立証過程になっているのでしょうか。つまり,全ての損害について賠償を請求するという形で請求すれば,相手方のほうで,ある特定の損害について,「それは特別事情による損害」であると言わなければ,賠償対象から外れていかないのでしょうか。言い換えれば,416条1項は全部の損害について語っていて,第2項である一定の損害を削るというふうな仕組みになっているという理解に基づいて進められているのでしょうか。私は,第1項で認められる範囲に,第2項の適用によって,前項では入らない損害が賠償範囲に付け加えられていくと理解していたのですけれども,実務はどうなっているのかについて,お教えいただければ有り難いのですが。 ○鎌田部会長 裁判所からお話しいただいたほうがいいのではないでしょうか。 ○岡崎幹事 道垣内幹事のおっしゃるような考え方が恐らく理論的には正しいと思います。つまり,通常損害があって,それとは別の項目として特別損害があって,それぞれごとにその要件が決まっているということですね。ただ,実際に損害論についての主張立証が行われるときはどうかというと,佐成委員のおっしゃるような主張立証になるのではないでしょうか。 損害を請求する側にしてみたら,通常損害と特別損害のどちらに該当することになってもいいわけで,自分の損害の主張としては総額はこうだと主張して,実はその中に特別損害が紛れ込んでいるとなると,相手方がその指摘をする,これに対して更に請求される側が賠償されるべき範囲に入ることを主張する,こういう佐成委員のような流れになるのではないかなと考えております。 ○能見委員 実務ということではないんですけれども,ただいまの,佐成委員の御発言,それから,道垣内幹事の御発言で私も感じていたことを申し上げます。現行法のように通常損害と特別損害の二つのカテゴリーがあるときに,両者の関係がどういう関係なのかというのが一つのポイントで,通常損害というのがあって,それに付け加えるような形で特別損害というのがあるというのが一般的な理解ですけれども,仮にそういう理解だとしても,全体を統合する損害賠償の範囲についての考え方というのは何なのかというときに,また,二つと言いますか,幾つか考え方があるんだろうと思うんですね。   一つは,これは乙案に近くなるわけですが,本来,全てが予見可能性の範囲内の損害ということで統合できる,予見可能性のある損害を賠償するという考え方です。ただ,既に議論が出ていることですけれども,通常損害については通常,予見可能性があるので,その予見可能性の部分が言わば証明不要で擬制されているという考え方を採るというものです。これに対して,通常損害というのは予見可能性とは関係がなく,通常だということだけで賠償対象になる。通常損害がいわば独立の類型になる。こういう考え方もありえます。そのどちらかよいのかという問題が理論的な問題として関係しているんだろうと思います。   私は,通常損害と特別損害というのをカテゴリーとして設けるということ自体はいいんですけれども,通常損害というのは予見可能性が通常あるというタイプの損害と位置付けた上で,両者のカテゴリーを使うというのがよろしいのではないかと思います。そういう考え方を基礎に据えておきませんと,通常損害というところが何か独り歩きして,予見可能性と全く関係ないような場合にも,これは通常だからということで賠償の対象となり,損害の範囲が不当に拡大する危険があります。以上のような意味で,両者の関係をどう捉えるかということが,今,お二人の議論の背後にあるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 他に。 ○潮見幹事 結論は能見委員がおっしゃったところに比較的近いのですが,直前にお二人の発言があったものですから,少しだけ発言させてください。通常損害と特別損害という二つの区分というのが実務と理論のどっちもそうなんですけれども,意味を持っているのかというと意外にそうではない。   まず,通常損害とは予見可能な損害あるいは予見すべき損害という意味で理解されるものなのかどうなのか。新版注釈民法の10の2で書いたつもりですが,沿革をベースとすればと言いますか,いろいろ議論はあります。   梅謙次郎は予見可能な損害あるいは予見すべき損害という意味で,通常というものを捉えていたようです。これは中田委員もお書きになっていたと思います。しかし,ハドレー事件まで遡っていったら,果たしてそこで通常イコール予見と考えていたのかというのは,いろいろな意見はあろうと思います。ただ,個人的にはその上で,通常損害というもので考えられているものは予見可能なあるいは予見すべき損害であるというところで考えるのが,出発点としては望ましいのではないかと思います。   ややこしいのは特別損害のほうでして,裁判例もずっと最近のものまで当たってみたのですけれども,理解の仕方はばらばらです。事情の予見なのか,損害の予見なのかという初歩的なところもそうなんですけれども,それ以外の部分でも,特別事情によって生じた通常損害なのか,それとも,特別事情による全損害なのか,通常損害との関係は一体どうなるのかというところが,意外にはっきりしていません。その意味では,通常,特別という枠組みが本当に我が国でこれから先,妥当し得る概念なのかを考えたとき,首をかしげるところがないわけではございません。実務で使いやすいというのは,この前,帰責事由のところで申し上げましたように,これも読み人によっていろいろな意味を盛り込むことができますから,その意味で使いやすいのかもしれないと思います。   その上で,私の意見を申し上げます。佐成委員がおっしゃった契約に固有な条文にしておくという点については,私も同意見でます。能見委員がおっしゃられたことにも,この文脈の中で賛成したいと思います。ただ,その上で,予見可能性という概念を中核として契約に固有のルールを組み立ててよいのかどうか,迷うところがあります。   むしろ,ここで問題になっているのは,契約の下で考慮したときに,債務者の負担とされるべき損害が賠償されるべきなのだという部分ではないでしょうか。それを予見可能性というタームで表現し尽くすことができるかという点について,疑問を抱くところがあるのです。特に前回の415条のところでの議論で,契約の趣旨だとか,契約の解釈だとかという点について,委員・幹事の間で意見がばらばらと分かれているところもありまして,そこまで含めて考えると,予見というところを使っていいのかという部分は,これはワーディングのことかもしれませんけれども,詰めていく必要があると思っています。 ○中井委員 弁護士会は,通常損害と特別損害という従来の考え方を用いて規律するのがいいという意見です。予見可能性に関する先ほどの能見委員の御発言ですけれども,通常損害については,その点について立証するまでもなく,通常,本来的に予見すべきであった範囲の損害として捉えているのではないかと思っております。そして,それを超える損害が特別損害,通常損害の中に入らないものが特別損害で,特別の事情に基づいて通常発生する損害なのかはともかくとして,通常損害を超える損害という形で認識されているのではないか。   その特別損害の範囲については,この後の予見の主体と予見の時期と関連するのかもしれませんし,今の潮見幹事の御発言にもつながるのかもしれませんけれども,予見可能なものであれば,債務者が予見可能であったもの全てについて,債務者が賠償すべきという考え方については,行き過ぎの場面があるのではないか,そこについて何らかの制約があってしかるべきではないかと考えています。先ほど佐成委員のおっしゃられた事案のようなものでも,仮に事前に債権者が債務者に対して,しかるべき事情を全てつまびらかにすることによって,予見可能性の範囲が格段に広がって損害が著しく大きくなるというのは,債務者に余りにも酷であろうと思いますので,そこは何らかの形で限定される法理が必要なのではないかと思います。   次の(2)ですけれども,弁護士会の意見は圧倒的多数が現在,判例,通説と言われている,債務者を基準にして,かつ基準時は債務不履行時とするという考え方に賛成しているようです。しかし,私は今,申し上げたような点から考えると,本当にそれでいいんだろうか,債務者が債務不履行時に予見し,若しくは予見可能であったとすれば,つまり,契約締結してから債務不履行時までに知り得た,債権者から教えられた事情に基づいて,予見できる全てがその範囲に入るというのは酷過ぎるのではないか。弁護士会では余り支持を得られていなかったのですけれども,(2)の予見の主体及び時期等については,イの,乙-2案的な考え方を取り入れる必要があるのではないかと思っております。   そこで,契約時において債務者が予見していた,ここは債権者ではなくて債務者が予見し,また,予見可能であったものは契約時に覚悟しているものですから,それは損害賠償の範囲としていいだろう。ところが契約を締結してから債務不履行時までに生じた何らかの事情を知った,そのことによって予見すべきだったと言われるものについて,その全部を賠償の範囲とすることについては疑問があり,何らかの制約原理が必要ではないか。   前回の不能,帰責事由に関しては,契約の趣旨・目的と一般的・客観的な制約原理として社会通念を示したのですが,ここでは損害に関しては公平という言葉,契約の趣旨・目的若しくは公平に照らして,債務者の負担とするのが相当な損害について,賠償の範囲を限る,そのような何らかの原理が必要ではないかと思っております。 ○中田委員 潮見幹事の問題意識に共感をしております。まず,予見可能性だけで足りるのか,それ以外の何らかの要素が必要なのかということなんですけれども,現在の判例などを見ていますと,やはり予見可能性以外の何らかの基準を必要としているのではないかと思います。それを例えば,先ほど能見委員は消極的に解されましたけれども,通常性の基準で織り込んでいるものもあると思います。最近ですと,損害の回避減少措置を取らなかったということを通常性の基準で織り込んでいるものですとか,あるいは考えられますのは,不法な利益について予見可能ではあるけれども,賠償させるべきかどうか,というような問題があって,そういった規範的な判断が必要な部分がどうしても出てくると思います。ただ,通常性という要件がそれでいいかどうかというと,能見委員のおっしゃるように不当に広がってしまうおそれもあるかもしれない。そうだとすると,何かもう少し実質的な基準が必要になるということで,それで,今回の御提案が出ているのだと理解しております。   御提案について(1)の乙案というのは,そういう意味で十分あり得る方向だと考えているのですけれども,問題となりますのは,予見可能性の対象となる損害の単位といいますか,大きさというか,それが曖昧だという点があると思います。どのレベルで損害を捉えるかによって,予見可能性といっても,随分,違ってくるわけでありまして,そこの認識が共有されていないと議論が錯綜するのではないかと思います。ですから,乙案を採るとすると,損害の単位といいますか,大きさについても詰めていく必要があると思っております。   それから,(2)の予見の主体や時期については,乙-2案と乙案の別案というのとの組合せもあるかなとは考えておりますが,これはいろいろな組合せがあると思います。ただ,一つワーディングの問題なんですけれども,合理的な措置という言葉が乙-2案で出てまいりますけれども,この合理的という言葉がややミスリーディングなのではないか。と申しますのは,それは経済合理人を想定しているかのようで,それについての抵抗感を抱かれる,あるいは懸念を持たれるという向きがあるのではないかと思います。ですから,いい言葉かどうか分かりませんけれども,相当な措置とか,何か他の言葉に替えて,やや翻訳的な言葉かもしれない合理的というのを,もう少し受け入れやすい言葉にするということも考えられるかと思います。 ○山本(敬)幹事 幾つかあるのですけれども,長くなるといけませんので,まず,(1)の点についてのみ意見を述べたいと思います。今の中田委員の御指摘とも関係するのですけれども,予見の対象を現行法のように「事情」とするか,「損害」とすべきかという点について,私は,結論としては「損害」としても別に構わないと思っています。  ただ,このように予見の対象を「事情」とするか,「損害」とするかという問いは,そもそも「事情」と「損害」が区別がされるという前提に立っていると思うのですけれども,しばしばこの両者は区別できないという問題があります。   と言いますのは,伝統的な差額説を採れば別なのですが,「損害」を事実として捉えますと,事情に当たる事実が「損害」の中に取り込まれる可能性がありますので,両者が一体化する場合が出てきます。例えば,具体的な転売による不利益は,債権者が目的物を転売したという「事情」や,転売契約の中で違約金の約定を定めたという「事情」によって特定されますので,そうした「事情」が,転売による逸失利益や転売契約の不履行による損失といった「損害」の中に取り込まれることになります。この場合は,予見の対象を「損害」と見ても,特に違いはありませんし,問題もないことになります。   もちろん,そのようにして理解された「損害」には組み込まれない「事情」が意味を持つように見える場合も考えられます。例えば,先ほど佐成委員が挙げられた例がそうなのかもしれませんが,何か事件や事故があって,目的物の価格が騰貴したために,逸失利益や目的物の調達費用という「損害」が影響を受ける場合が,それに当たります。  ただ,この場合でも,逸失利益や目的物の調達費用という抽象的なものが「損害」だとしますと,それが予見可能であれば,あとは算定の問題で,そこで事件や事故があったことが予見できたかどうかが意味を持つかもしれないけれども,それは飽くまでも算定の基準の問題だと考えれば,いずれにしても,賠償範囲の問題としては,「損害」の予見可能性で足りるということができます。  しかし,そうではなく,そのような事件や事故によって目的物の価格が騰貴した結果生じる具体的な逸失利益や具体的な目的物の調達費用が「損害」だと考えますと,そのような事件や事故という「事情」を予見できたかどうかが問題だと考えることもできます。ただ,その場合でも,そのような事件や事故という「事情」によって騰貴した価格が得られなかった,あるいはそのように騰貴した価格で目的物を調達せざるを得なかったということが「損害」なのですから,そのような「事情」を含めた「損害」が予見可能かどうかが問題になりますので,結論に違いはないと考えられます。   少し分かりにくいお話になったかもしれませんが,要するに,「損害」を事実として捉えると,「事情」と「損害」は区別されない場合もある。区別できる場合でも,「損害」を具体的な「事情」を組み込んだものとして捉えると,そのような「損害」を予見可能性の対象とすれば,結論に違いはない。こういう理由から,結論として,予見の対象は「損害」としても別に構わないのではないかと考える次第です。 ○能見委員 先ほどから予見可能性でいいかどうかという点について,そこまで議論が至っていませんでしたので,先ほど私は言及しなかったんですけれども,仮に予見の主体を債権者,債務者の双方だとしても,予見で本当にいいのかというところに一つの問題があるのだろうと思います。恐らく潮見幹事の御意見はそういうことだったと思うのですけれども,ハドレー・バクセンデール・ルール自体は余りはっきりしていませんけれども,その後のいろいろな議論でも,あそこで問題となっているのは単なる予見ではなくて,契約当事者がそこまで契約の責任として了解したかどうか,英語ではコンテンプレーションという言葉を使っていると思いますが,そう理解すべきだとされているようであります。   例えば売買契約であれ,あるいは運送契約でも何でもいいのですけれども,契約を締結した後,先ほど中井委員が言われたように,その後からどんどんいろいろな事情が分かってくるというときに,すなわち契約締結後に予見可能性が発生したということで,その損害を賠償対象にしていいのかどうかというと,それはやはり問題ではないか。一番の問題は,債権者のほうで,おまえが履行してくれないとこういう損害が生じるのだと言って,後からどんどん新しい事情を告げていくと,それによって債務者のほうの予見可能性が生じ,損害賠償の範囲が拡大するということでよいのかというと,そうではなくて,やはり契約の時点で,この契約を締結すればどのぐらいの責任が生じるだろうかというのを契約当事者は了解して契約に入るのだと考えると,予見可能性というだけではない何かプラスアルファが必要であると思います。   ただ,このプラスαをなかなか言葉ではうまく表せないので,そういう意味では予見の主体及び時期のところの問題としては甲案を原則とし,両契約の当事者を予見の主体とし,時期も契約締結時とするのがよいと思います。ただ,乙-2案のようなのが全くあり得ないのかというと,これを完全に排除するのもどうかという気がしますので,私もこれを残していいと思いますけれども,中田さんが言われたような合理的な措置ということであると,これまた,かなり広がってしまう可能性がありますので,相当な措置,もうちょっと何かいい言葉があるといいのですけれども,少し絞りを掛けるような表現で乙-2案を併せて採用するというのはどうかと思います。 ○鹿野幹事 まず,(1)について申し上げます。先ほど最初に能見委員がおっしゃったことと共通するのかもしれませんけれども,これについては,私は,基本的に予見可能性が基準になるのだけれども,ただ,通常損害であれば当然,予見可能性があるとみなされるので,具体的に予見可能性が問題とされるのは特別損害だ,ということで整理することができるのではないかと思います。その点で,この資料でいうと3ページの真ん中辺りに書いてある乙案の別案を支持したいと思います。   次に,(2)の予見の主体及び時期等についてでございます。資料の4ページから5ページにかけて書いてありますように,私も,契約によるリスク分配を重視すべきであると考え,したがって基本的には契約締結時の認識可能性をまずは基準にするという考え方を採るべきだと思います。ただ,そうすると,それが直ちに,両当事者の予見可能性を問題にすべきだということにつながるのかについては,私は疑問を持っており,むしろ債務者の予見可能性で足りるのではないかと思っております。第1ラウンドにおいても,私は,乙案の別案を基本にして,それに乙-2案を組み合わせるという考え方を支持する旨を申し上げましたけれども,その点は今も変わりません。   ただ,この点につき,ここで少し補足させていただきたいと思います。第1ラウンドにおいて,私は,消費者契約の例を挙げました。つまり,消費者契約において事業者は予見可能であったけれども,消費者は予見可能ではなかったという場合を例に挙げまして,事業者が予見可能であったにもかかわらず,消費者が予見可能でなかったということを理由に事業者がその賠償をしなくてよいとすることは疑問だ,という発言をさせていただいたと思います。   しかし,その後,改めて考えてみますと,それは消費者契約に特有の問題ではないのではないかと思い至りました。これは,契約締結時のリスク分配というものをどのように捉えるのかということに掛かってくるように思われます。思うに,契約締結時のリスク分配と言っても,ここで通常問題となるのは,具体的なリスク分配合意が当事者間でなされているということではありません。むしろそのような具体的合意がない場合に,契約締結時の当事者の認識等に照らして,リスクを債務者がどの範囲で負担すべき趣旨であったと評価できるのかという規範的な評価がここで問題となっているのだと思います。   そして,債務者にとって当該損害が予見可能であったのに,それでも債務者が当該契約を締結したという場合には,基本的に,その予見可能な範囲で債務者がリスクを負担すべきだという規範的な評価が可能なのではないかと思われるわけです。そのように考えますと,第1ラウンドでは,端的に不都合な事例として消費者契約を挙げさせていただきましたけれども,消費者契約だけ特別視すればよいということではなくて,一般的な考え方としまして,両当事者の予見可能性を問題とするのではなく,債務者の予見可能性を問題にすれば足りると思います。そして更に,契約時の予見可能性をまずは問題とするとしても,それだけを問題とすればよいということではなくて,先ほど申しましたように乙-2のような考え方,つまり,契約締結後に予見可能となった事情による損害についても,債務者がその損害回避のための措置を取るべきであったのに取らなかったというような場合については,賠償の範囲に含まれるということを加えるべきだと思います。   更に申しますと,基本的には予見可能性に着目して基準を作ることができると思うのですけれども,先ほど来,中井委員を初めとして何人かの方がおっしゃったように,契約の趣旨によっては,たとえ予見可能性があったとしても,そこまでのリスクを引き受けるべきだったとは言えないということがあるかもしれないと思います。その点で,中井委員の416条2項の御提案は,恐らく予見可能性と契約の趣旨が並列するような規定をお考えなのでしょうけれども,まず予見可能性を基準として枠をくくり,その上で,例外として契約の趣旨・目的に照らして相当でない場合については,そこから除外するというような形も一つ考えられるのではないかと思いました。 ○潮見幹事 今,鹿野幹事の発言が出たので,中井委員も含めてお二人にお尋ねしたいことが一点あります。先ほど申し上げたように,私自身は通常損害,特別損害という枠組みというのが果たしていいのかということについて疑問を持っております。その意味で確認なのですが,仮に乙案の別案を採った場合に何を基準に通常生ずべき損害と特別の損害を区別されるのかということと,それから,通常損害というものは何によって決まるのか,どう決まっていくのかというところをちょっとお教えいただけないでしょうか。   もう一つ言えば,私自身は,先ほども申し上げたように,損害賠償の範囲については契約の場面固有のルールをここに設けておくべきであるし,それは明確にすべきである。佐成委員と同意見である。また,そこでは基本的に言語表現はいろいろ検討していただければと思いますけれども,当該契約の下で,それを債務者が負担すべきであったかどうかという観点から基本ルールを立てるべきであると考えます。その上で,(2)のほうに入っていきますけれども,(2)のイのところの乙-2案的なルールをその上でもう一つ置いておくというのでも,一つの考え方としてはあるのではないかと思っているところです。だから,先ほどのように(1)の乙の別案とか,あるいは中井委員の言う通常損害,それから特別損害という,ここの区分とかが若干気になりましたものですから発言させてもらいました。 ○中井委員 今の質問にお答えする前に,弁護士会は先ほど申し上げましたように,(1)については甲案,(2)についてはアについて甲案,したがって,イについては検討しないという意見です。私自身は,鹿野幹事の意見とほぼ一緒でして,(1)については資料3ページの真ん中にある乙案の別案がいいのではないか,また,(2)については5ページの下のほうにあります,乙案の別案を採用した上で乙-2案を採用する。ただ,乙-2案の表現の仕方については,損害を回避するための合理的な措置を取らなかったという,この言い回しについては疑問を持っております。   それを前提にして,先ほど潮見幹事の御質問に対して答えになっているのか分かりませんが,通常損害という限りにおいては一定の契約があって,そこで合意された債務,それが不履行になれば,特段,立証を要することなく当然に,常識的に認められる損害という一般的感覚を持って申し上げている。だから,そこで予見可能性ルールを使うにしても,当然に予見可能性があるものだと認められる範囲のものという理解をしています。特別損害についてはそういう範囲を超えるものです。したがって,それについては具体的にこういう事情があったから予見できた,具体的な何らかの予見すべき事情をやはり主張立証しなければ,通常損害を超える部分の損害については賠償の対象にはならないと,考えているわけです。   その上で,制約原理として契約後の事情等に関しては一定の制約が必要だという,その原理については,契約の趣旨・目的及び公平に照らして,債務者の負担とするのが相当という損害,こういうくくりがあるだろうと思います。具体的ではないんですけれども,そういう公平,契約の趣旨に照らして負担すべき損害の範囲が決まるのではないか。最終的には裁判所にお決めいただくことになりますが,そのように考えております。 ○鹿野幹事 潮見幹事がおっしゃったように,通常損害,特別損害といっても明確な基準があるのか,きれいに分けられるのかと言われると,確かに不明確な点が残るとは思います。現に従来の裁判例においても,同じような問題について,ある裁判例では通常損害の枠で処理しているように見え,別の裁判例では特別損害の枠で処理しているように見えるということもあったように思われます。   そのように不明確さが残るということは認識しているつもりなのですけれども,それでも,この枠組みを残すことには意味があると思います。確かに,いずれにしても契約時における契約当事者の予見可能性,私の考えでは債務者の予見可能性が問題になり,最終的には契約に照らしてということが問題となるという点ではこの二つは連続線上にあると言えそうです。それでも,やや一般的な形で,これは通常生ずるので予見可能性があるのは当然だと見られるようなものをくくり出して,通常損害とし,そのように当然とは言えないため,具体的に当該契約当事者についての予見可能性を問題とすべき場合を特別損害とする,そのような切り分けはできるのではないかと思います。おっしゃるとおり,不明確さが残るということについては否定しませんが。 ○村上委員 (1)についてですけれども,損害賠償請求訴訟において幾つかの損害項目の主張がある場合に,ある項目については,当事者に,特段,詳しく主張立証していただくまでもない,賠償の範囲に入るのかどうかについての詳細な審理等をするまでもない,当然,これは賠償の範囲に入るということで法律家なら全員の感覚が共通するというものがあると思います。他方,この項目は賠償の範囲に入るだろうか,よく考えてみないといけないというものもあるわけでして,そういうことを考えますと,特別損害と通常損害の区別というのは維持していただくほうが,安定的な運用をしやすいのではないだろうかという気がいたします。   それから,(2)についてですけれども,乙案についてもそれなりの根拠はあろうかと思いますけれども,しかし,契約締結後の事情について,およそ一切,考慮に入れないというのはいかがなものだろうかと思います。その点,乙-2案ではそういう問題がある程度は解消されているのだろうとは思います。しかし,乙-2案につきましては,契約締結後の事情に対して合理的な措置を取らないといけないという要件を掛けるということになりますが,そうすると,契約締結前のものについては同じ要件を掛けなくてもいいのだろうかというところが,よく分からない気がいたします。また,甲案を採らないで,乙案を採用しながら,乙-2案を採用するということが果たして理論的に一貫しているのかどうかもよく分かりませんし,実際問題として,甲案と乙-2案で具体的にどう違うのかというのがもう一つ理解できないという気持ちを持っております。 ○松本委員 (1)のほうは発言が大変しにくいんです。なぜかなと考えますとやはり概念が分からないというか,人によって恐らく損害とか事情で考えていることが違うのではないか。これは何人かの方がおっしゃっていました。特に中田委員は損害のレベルの話をおっしゃっていましたけれども,そこをはっきりさせないで,一般的に日本語としての損害だ,事情だ,特別だ,通常だという議論をしてもすごく空虚な感じがいたします。実りを持たせるためにはもう少し具体的なケースを出して,ここで言うところの損害,事情とはこれなんだという議論をしてもらうと発言できるんですが,現状だと空中戦のような感じで大変発言がしにくい。どんなワーディングでも,結局,同じ結論になるのだったら,どちらでもいいかなという気もするんですが,言葉によって違う結果が出る可能性もあるわけなので,そうなると厳密に想定している事案を出していただいて議論をやらないと,まとまらないのだろうと思います。   (2)のほうはもう少し発言しやすい感じがしまして,私は基本的には契約の両当事者が契約締結のときに予見し得た事情というのを基本に考えるのが,契約の損害賠償としては原則だろうと思います。ただ,それだけでいいのかと言われると,場合によっては債務者のみが予見可能であったというような場合に,債務者に損害賠償の責任を負わせてもいいというケースがあるかもしれないと思います。ただ,どういう場合がそれに当たるのかというのかを決めて,それをどうワーディングするのかというのは,相当,難しい作業になるのではないかと思います。原則は契約締結時の両当事者の予見だけれども,しかし,例外はあり得るだろうと思います。   乙-2案ということで(2)のアの例外が挙がっているんですが,二つほどの点で引っ掛かるんです。それは債権者の側が,事情がこう変わってきたので私の損害はこんなに増えますということを債務者に通知すれば,突然,債務者の損害回避義務がそれ以前よりもうんと重くなってくるというか,その分の損害の賠償を自動的にしなければならなくなるという点で大変疑問なところがあります。また,損害回避のための合理的な措置あるいは相当な措置というのも,損害回避義務が発生することを前提にして,その義務の内容をこのレベル,あのレベルと考えましょうと読めるわけですが,後で告げられたことによって新たに分かった事情がそもそも損害回避義務の対象になるのか,ならないのかというところがまず問題になるのではないかと思います。すなわち,新たに判明した事情あるいは新たに債権者から告げられた事情に基づいて予見可能となった損害を回避することが,契約の趣旨からいって相当と評価される場合であれば,恐らく損害賠償の範囲に入るだろうということになると思います。   そして,遡って(2)のアの話も,原則は契約締結時における両当事者の予見だと思いますけれども,そのときに債務者のみが予見可能な事情があったとすると,ある一定の状況下においては,その分の損害も確かに賠償範囲に入ってもいいケースがあると思います。これまた,ワーディングで絞らなければならないわけですが,そのことを契約締結時に債権者に告げていたとすれば,債権者がどういう反応をしただろうかというところ辺りを基本にして考えればいいのではないか。契約締結時において債権者は予見しておらず,債務者だけが予見していたような損害発生の事情がもしあったのだとすれば,ひょっとすると,それは情報提供義務,助言義務といった債務者の義務の内容になるのかもしれないと思われます。したがって,債務者がその事情を告げていなかったんだとすれば,その分,債務者に賠償させてもよいという話につながりやすいのではないかと思います。 ○山本(敬)幹事 幾つかあるのですが,少し戻りますけれども,先ほどの通常と特別の区別ができるか,できるとしてどのようにして区別するのかという点について,意見を述べさせていただければと思います。  この点について,先ほど鹿野幹事は,定型的な契約の趣旨から見て,このような損害は生ずると想定される場合を通常損害と呼び,必ずしも定型的にそのような損害が出てくるわけではないけれども,特別な当該契約の趣旨からすると予見可能である場合は特別損害であり,予見可能性があれば賠償範囲に入るという説明をされたのではないかと思います。   しかし,もしそうであるとするならば,いずれにしても契約の趣旨から見て予見可能かどうかのみが問題になっているわけですので,あえて区別しないといけない理由が私にはまだよく分かりません。  そして,先ほどから出ていることではあるのですけれども,予見可能かどうかという問題設定をするからこそ,予見の時期がいつかという問題が立てられることになるわけですが,潮見幹事がおっしゃっているのは,予見可能性というよりは,債権者にそのような損失を生じさせないという負担といいますか,リスクの引受けを債務者が当該契約によって行っているかどうかということが,賠償範囲を確定する決め手になるということです。このように考えますと,予見可能な時期というよりは,当該契約の解釈によって,どこまで債務者がリスクを引き受けたのかによって,賠償範囲が決まってくるという物の見方になるのではないかと思います。それが,潮見幹事がおっしゃっていることの私なりの理解なのですが,それでよいかどうかです。   それから,中井委員が御自身の見解をおっしゃっておられましたので,(2)の「予見の主体及び時期等」についてアの甲案を積極的に支持される方の御意見が余りこの場では出ていないようですが,実際にはおられると思いますので,質問をさせていただければと思う点が一つあります。  先ほども出ていましたように,例えば転売の利益で言いますと,売買契約をした時点では目的物を転売することが予定されていなかったけれども,契約の締結後,履行期までの間に,債権者が当該目的物を転売することを債務者に告げたという場合には,不履行時にはこの事情が予見可能になっていますので,転売による逸失利益や転売先に対して負担する損害賠償は賠償範囲に入ってくるというのが,甲案の考え方ではないかと思います。これは,乙案からしますと,契約で引き受けてもいないのに,なぜ賠償を認めるのかという批判があるところだと思います。それに対して,甲案は,不履行時には,自分が履行しないと,債権者にこれだけの損害が生じることを知っていた,ないしは知ることができたのだから,そこまでの損害を賠償させられても仕方がないという説明をすることになるのだろうと思います。   ただ,そうしますと,先ほどのケースで,履行期の時点でも,買主が転売していることは分からなかった。しかし,何らかの理由から,売主は履行期に目的物を引き渡さなかった。そこで,買主が,「早く履行せよ。そうでないと,既に転売契約を締結しているので,転売先との関係で損失が生じる。」ということを売主に告げた。しかし,売主はそれでも履行しないという場合は,売主は,買主にそのような損害が生じることを知っていながら債務を履行しないという点では,先ほどの場合と変わりません。そうしますと,先ほどと同じ考え方からすれば,この場合も賠償が認められておかしくないように思います。   そうすると,甲案は,なぜ不履行時,つまり履行期の予見可能性を基準とするのか。これについてはどう説明するかという疑問が出てくるわけですが,この点についてお聞かせいただければと思います。   それから,乙-2案の考え方を支持するというのが何人もの方から出ていましたけれども,合理的というか,公平というかはともかくとして,それを一体,どのような基準によって判断するのかという点については,必ずしも説明がないように思います。締結時に予見可能であった,ないしは引き受けていないけれども,賠償の範囲に含めるとするならば,契約の趣旨から直ちには出てこないはずです。とすると,これはどのような基準によって判断するのか。あるいは,潮見幹事はこうではないかと思うのですが,予見可能な時期はいつかという問題ではなく,契約によって引き受けられているかどうかが基準なのだから,損害回避の措置が当該契約からどこまで要請されるか,それに従って判断するという説明をするのか,それとも違うのか。  幾つかの質問を同時にしてしまいましたけれども,以上についてお聞かせいただければと思います。 ○鎌田部会長 関連して。 ○鹿野幹事 今の山本幹事の御発言の中に,恐らく私に対する質問も含まれていたと思いますので,その限りで発言をさせていただきたいと思います。まず,第一点は(1)について,結局,契約の趣旨等が基準になるのであれば,通常損害,特別損害を区別する必要はないのではないか,そういう御発言ないし御質問だったと思います。確かに,この二つは一貫した考え方に基づくものと思います。しかし,村上委員も先ほどおっしゃったように,定型的に捉えられるものと,より具体的に契約に即して更に検討する必要があるものとがあるだろうと思います。そうであるなら,思考経済という観点からも,一応,それを区別するということがよろしいのではないかと思います。   確かに境界線上の問題については,どこで区別をするのかが問題となり得るとは思います。その点については,先ほど申しましたように,明確に境界線が引けるのかというと,そうではないところがあるかもしれません。それでもなお,定型化されるものと,そうとは言えないものとを一応は分けることができるとすると,そのような区別はなお残したほうがよいと考えた次第です。   それから,(2)については,直接,私に当てた質問であったかどうかは分かりませんけれども,一言申し上げたいと思います。先ほど,潮見幹事はこういうお考えかと山本幹事がまとめられたのですが,基本的に,私も,そこでまとめられたところにかなり似た考え方を持っております。要するに,なぜ契約締結時を基準にするかというと,契約締結の際に当該契約においてどこまでのリスクを債務者が負担したのか,あるいはすべきものと評価されるのかというところが基準となると考えたからです。   ただ,それを「引き受けた損害」とすると,結局,前回の議論にも出てきましたように,全て契約の解釈に委ねてしまうことになり,それでよいのかという問題が出てきます。それでは基準が無いに等しいというか,かなり不明確な状態のまま残すということになるでしょう。一方,予見可能であったものについては,一般的には,そのような規範的な解釈において,リスクを引き受けた,あるいは引き受けるべきであったということができるのではないかと考えられます。そうすると,予見可能性を,まず,出発点における一つの基準として用いることができるのではないか,そのように考えていた次第です。   それから,そのような基本的な考え方を採りながら,乙-2をこれにつなげるのがよいのかということについても一言申し上げます。私は,ここに出てくる合理的な措置というのは,飽くまでも契約の趣旨からして取るべきだと評価される措置ということであり,それを取ったかどうかが問題とされるべきものと思います。当初の予見可能性が無かったとしても,その後に明らかになった事情が出てきたときに,契約の趣旨からいって,それに対して何らかの対処をすべきだという事態は出てき得ると思います。したがって,契約締結後の事情が乙-2のような形で入ることについては,最初に申した基本的な考え方と矛盾するものではないと私自身は考えました。 ○鎌田部会長 先ほどの山本敬三幹事の質問に答える形の御発言があれば,まず,それを伺って,その後で能見委員にお願いします。 ○佐成委員 別に私自身が(2)で甲案を支持しているというわけではないのですけれども,そして,経済界の中が甲案を支持しているというわけでも必ずしもなくて,理論的には恐らく乙案が比較的支持されているのだとは思うのですが,ただ,実際上,現行の裁判実務が甲案で動いているということはかなり重いという受け止めはしていますので,まず,本当にそれを覆していいのかというのが一つあると思います。   それを前置きとして,山本敬三幹事の甲案への御質問に関してでございますけれども,今,思い付いただけなので間違っているかもしれないのですけれども,履行期をやはり考えるべきかなと思っております。というのは,先の論点になります(4)のイの論点ですけれども,大綱的な基準を置くというのがありまして,私は何度もエクスペクテーションインタレストということを言っておりますけれども,正にこのエクスペクテーションインタレストというのは,履行期における債権者の経済的地位を履行があったならば得られたであろう状態にするということなので,恐らく契約締結の後で明らかになった事情も含めて,ひとまずは全部の事情を含めて考えていかないことにはそういう状態を充分に想定することにならないと思います。ただ,それをすると損害賠償の範囲が著しく拡大してしまうので,まず一つは特別事情というもので外すということだと思います。   更にそれだけではなくて,最初に分かっていたのだったら,最初からそのことを伝えておけば良かったのに,それをしないとか,あるいは債権者が後から自分の事情だけを債務者に一方的に伝えて,損害が増殖するのを放置しているとか,そういうようなことは信義則上,やはり問題になるので,恐らく裁判実務ではその辺も斟酌した上で,総合的に債権者・債務者の事後的な判断,行動ということも踏まえた上で,賠償範囲を制限したり,拡大しているのではないかと思われます。理論的一貫性から考えると確かに乙案が優れていると思うのですけれども,甲案を支持するとすれば,信義則か何かで具体的妥当性のある賠償範囲まで制限していくことをセットで考える,とりわけ,債権者側の履行期に至るまでの事情で,リスクをただ一方的に伝えるだけで自分で何もしなかったとか,そういうような事情があれば,そこは債権者のリスク軽減努力の不十分さ等も斟酌することになっていくのではないかという気がしたものですから,一言,申し上げました。 ○能見委員 関連はしていることですけれども,先ほどから少し議論が堂々巡りしていますので,余り繰り返しはしたくないと思いますけれども,先ほど松本委員からの発言で乙-2案というのですか,4ページの,山本敬三幹事も乙案を採って乙-2案というのは論理的な整合性があるのかということを問題にされましたけれども,私も基本的には債務者と言いますか,(2)でもって乙案を採って契約締結時の予見というものを問題にする以上は,本来,乙-2案というのは論理的にはおかしいけれども,例外的に広げているという形で理解すべきものだと思っております。   では,なぜ広がるのか。いろいろな説明の仕方はあるのかもしれませんけれども,ここでは契約締結時に一応,両契約当事者の負担,それから,期待も本来,やはり契約締結時の期待であって,履行期の期待では私はないと思いますが,この時点で確定するけれども,新たにある種の義務違反,追加的に認められるような義務違反がある場合には,限定的ではありますけれども,乙-2案でもって,賠償範囲を拡大することがあるというような理解をするのがいいのではないかと思います。   具体的にどんな場合がそれに当たるのかというのは,私も十分に考えておりませんけれども,一方では,そういう回避措置を債務者としては取るべきだったという規範的な判断があり,かつ債務者としては余計な追加的な費用を掛けないでも,回避措置が取れるというような場合が恐らく典型的な場合であろうと思います。しかし,逆に言えば,回避措置を取るために更に追加的な費用が掛かるのだということになると,やはり契約時に契約当事者が契約をすることで負担すること覚悟した範囲を超えることになりますので,そこまでは乙-2案では広がらないと,そのように限定的に理解すべきだと思いますが,このような理解の下で,どうワーディングするかというのが次の問題としてあるのだろうと思います。   それから,これが本来,私が言いたかったことなのですが,通常損害と特別損害については,私は,賠償されるべき損害の範囲を予見可能性ないし本来はコンテンプレーションというか,了解というか,そういう形で統合して考えるべきだと思います。けれども,通常損害という言葉を使っても悪くはないという気がします。   例えば判例などで,仮にこういう損害は通常損害であると,不履行の場合の売買価格であるとか,あるいはちょっと問題があるかもしれませんが,商人間で転々売買することが通常であるような商人間では転売利益なども,通常損害と考えていいと思いますけれども,仮にこういうものが通常損害だと判例である程度,基準が確立しますと,そうすると,その後は裁判において当事者がこれは通常損害であると主張し,裁判所としても通常損害であると判断するときには,それ以上の判断をしないでその損害が賠償範囲に入ってくるというような形で,それ以上に個別に一々予見可能性を調べなくてもいい。特に,両当事者の予見可能性を問題とすると,それを一々,毎回毎回,裁判所としては判断しなければならないというは結構大変なので,そういうことを省略するものとして,通常損害というのがあってもいいのではないかという気がいたします。 ○中田委員 二点あります。   一つは,通常損害というときの通常の意味を,区別して議論すべき必要があるということです。通常の事情と特別の事情というときの通常というのは,特別でないというだけだと思うんですけれども,通常の事情又は特別の事情から通常生ずべき損害というのが別にあるわけでして,それを区別しませんで通常損害といったときには,どっちを意味しているのかというのを分けておく必要があるということです。   それから,もう一つは(2)について乙案を採りながら乙-2案を採るのは,整合的ではないのではないかという問題提起なんですけれども,にもかかわらず,乙-1案については懸念を持つ方々が多い。これはなぜかというと,恐らく契約解釈によって全てが契約によって決まっている,あるいは契約に還元し得るということについての,それで大丈夫かな,あるいはそれに犠牲が伴わないだろうか,契約解釈に過重な負担を掛けてしまうのではないかという,そういう疑念があるのだろうと思います。そこで,契約後の身勝手な行為とか,信義則に反するような行為というのをどうやって取り込むかということが課題になっていると思います。   ただ,乙-2案を採ったとしても,先ほど山本幹事が潮見幹事のお考えを解釈すれば,こうなるのではないかということをおっしゃったんですが,それは正に山本幹事のお考えも,そのように構成することができるのではないか。つまり,乙-2によって具体的に決めておいて,それを契約に還元するという立場から説明することもできるでしょうし,二元的な立場からも説明することができるということで,どの立場からも説明できるという具体的な規律というのが模索されるべきではないかと思います。 ○潮見幹事 一言だけ発言します。   当初から申し上げていますように,普通,一般に賠償されるべき損害というものの範囲は,予見可能性によって決まると言われることがあるのですが,そこにおける予見可能性というのは極めて規範的なものです。しかも,そういうことを言っている保護範囲論の人たち,平井宜雄教授,川井健教授,それから私もそうだと思いますけれども,その人たちは予見可能性と言っている言葉の中で,当該契約によって債務者のほうに分配された損害,リスクというものは一体何なのかということを捉えようとしているのです。したがって,そこに契約の解釈というものが,非常に重要な意味を持って結び付いていくことになるのです。私の基本にしている考え方です。   そう考えますと,先ほどから,二度,三度,繰り返していますように,ここでの基本的なルールは何なのかと言ったら,当該契約の下で,あるいは当該契約に照らせば,債務者が負担すべきであった損害というものが賠償されるべきであるというものではないでしょうか。その損害というものが一体何なのかは,もちろん,中田委員がおっしゃられたようにいろいろな捉え方があるので,損害という言葉でいいのかも含めて,考えなければいけないかもしれませんけれども,基本的にはそうであろうと思っております。   そのように見た場合には,先ほど乙-2案というものがありましたが,こういうルールでなくても説明はできると思っているのです。と申しますのは,契約締結の後にある事情が生じ,契約の時点では認識できなかったけれども,それを債務者が知ることになったとき,そのような債務者が,その状況下において当該契約に照らせば,その契約の下でどのような行動をすべきであったのか,損害回避行動を取るべきであったのかという観点から問題が捉えられることになると思います。こう考えると,村上委員の発言にもございましたが,契約締結時の問題と契約締結後に認識可能になった状態との間に,実はそれほど径庭はないと思います。   ただ,ここから先は中田委員がおっしゃられたのと同じ意味かと思うのですが,先ほどの能見委員の御発言にございましたように,乙-2案の方向で賠償の範囲を広げるという捉え方もあり得ると思います。乙-2案のような規定が明確に無い場合に,ここまで賠償範囲に入ってくるのかという点が若干,不透明になってくるおそれがないではないからです。私たちのような立場からすると無くてもいいものが,別の立場の人から見ると無くては困るようなことになるというわけです。そうであれば,結局,同じことを考えているのであれば,乙-2案のようなものも置いておくことによって構わないかなと思います。もちろん,文言表現は誤解のないような形でまとめるべきでしょう。 ○岡委員 四点,申し上げます。実務家の立場からの発言です。   まず,予見可能性という言葉,判断基準に非常な不安を持っております。現実問題として債務不履行が起きた場合にどんな損害が生じるかということを検討しない契約はかなり多うございます。仮想事例ですが,二,三か月間,さびが出ないような樹脂を屋外フェンス用に売りました。そうしたところ,かなり強い台風が何度も来て,さびが出てしまいました。  それについて屋外のフェンスですから見てくれの問題だけですので,多少の賠償金は損害になるでしょうが,買主のほうが,さびが出るような品物はもう使えないと,今までメッキした全製品を取り替えると言って,1,000万円ぐらいの売買なのに,1億ぐらいの金を掛けて再メッキを全部してしまったとします。その再メッキの費用まで損害になるでしょうか。村上委員のおっしゃったような感覚が実務家の感覚で,さびが出て迷惑を掛けた分は通常損害であり問題はない。ただ,在庫品まで全部,取り替えるような損害が本件の債務不履行の損害かと言われると,これはちょっと問題で真剣に考えなければいかんなというように,2つに分けて考えます。   そのような契約のときも,さびが出るなんて契約当時には,売主も買主も考えていません。さびが出ないような製品を自信を持って売っていますので,しかも1,000万ぐらいの商品ですから,さびが出たらどうしましょうねとか,買主はどうするんだろうななんていうことは全然考えないで契約をしております。そういう現実問題として契約締結時に損害あるいは損害の額の予見をしない例が圧倒的に多い場合に,基準として予見可能性というのが決定的になって本当にいいんだろうかという疑問が最初にあります。   予見可能性というのは能見先生の論文にもありましたけれども,予見の対象が極めて抽象的なレベルのものから具体的なレベルのものまでかなり幅がありますので,それに対して予見可能性基準が機能するのかというおそれを持っております。今日,聞いて,大分,クリアになったんですが,告知されたら予見可能であったことになってしまうではないかという不安もありますし,中田先生がおっしゃったような不当なものでも予見可能だったということになってしまうではないか,そういうもろもろの不安がありますので,予見可能基準,予見義務基準が正面にどんと出てくると,実務家としては不安を持っているというのがあると思います。これが一番目でございます。   二番目に,通常という言葉に弁護士会として非常に賛成が多いわけでございますが,その場合には,最初に能見先生がおっしゃったように予見可能イコール通常ではなく,予見可能性以外に公平観念だとか,相当因果関係で,ここまでが相当だろうという,何か,そういう予見可能以外の観念を忍び込ませて,通常というのを使っているんだろうと思います。そこに安心感がある。なおかつ判例の積み重ねがありますので,鹿野先生は不明確だとおっしゃいましたけれども,何となく実務家としては通常性というので判断できる自信を持っているところがございます。また,日本人の感覚として,これが通常だと裁判所から言われると,なるほどと言って,安心感というか,諦めると思います。これに対し「おまえ,予見可能だっただろう。」と言われると,「そんなことは全然考えていませんでした,その当時は。」と不満を持つ者が多いと思います。そういう意味で,納得感も「通常」という言葉にあるのではないか。そういうところから,弁護士会としては通常の言葉に対する支持が強いのだろうと思います。   三番目に,弁護士会としては(1)で甲案支持なんですが,部会資料の3ページに書いてある乙案の別案,これは弁護士から見ると,何か甲案の別案で,事情を抜いてすっきりさせただけではないかというふうな理解をしておりまして,乙案の別案だと言われると何か身を引くところがあるんですが,通常と特別を残して事情を抜くという案については,結構な支持があるように思います。理論的に間違いだったら,是非,御指摘いただきたいと思いますが,三番目はそういうことでございます。   四番目に,先ほど申し上げた予見可能性あるいは予見義務に対する不安というのが相当ございまして,特別事情のところに出てくる予見の概念に対して,何か制限すべきではないかという意見です。今日,聞いておりまして能見先生の了解,コンテンプレーションという,それは予見よりも取っ付きやすいなという思いがいたしますし,中田先生のおっしゃった不当なものは予見と言わないんだと言う見解には共感します。特別事情と予見というのを組み合わせたところでも,今日,お話に出たような制約する何か,中井先生の表現では公平というのが出てきておりましたけれども,何かやはり制約すべきものを是非,設けていただきたいというのが四番目でございます。 ○松本委員 今の予見という言葉との関係なんですが,債権者から契約締結段階で言われた事情,告げられた事情というのは予見可能どころか,債務者が知っている事情という話になりますよね。そういうものが全て損害賠償の範囲に組み込まれるのかというと,必ずしもそうではないのではないかと思うんです。例えば先ほどのハドレー事件のような例でシャフト一本で営業している工場があったとして,壊れたから注文した際に,いついつまでに届かなければ,うちはこれだけ損害が出るんですよと言われただけで,工場が操業ストップすることによる逸失利益の賠償まで引き受けたということに自動的になるのかというと,恐らくならないでしょう。   正に契約内容として,そういうリスクを引き受けたということが,きちんと読み取れるぐらいの合意があるということでないと,予見可能どころか,告げられたから知っているというだけで賠償範囲になるんだとすると,不当なケースが相当多くなるのではないか。予見可能というのでも不当な場合が出てくる可能性があるかもしれないけれども,一方的に告げられた場合のほうが不当な結果になる可能性が大きいのではないかと思いますから,予見可能という言葉だけで果たして決めていいのか,あるいは債権者側の損害回避義務というような感じで,本来は賠償範囲からカットすべき損害ということになるのかもしれないですね。   工場がシャフト一本で操業しているなんていうのは,リスク管理上もあり得ないことで,予備のシャフトを何本か用意してやっているべきなのであって,全部,壊れるまで次のシャフトを発注しないというのはおかしいというほうが普通のビジネス感覚なんだとすると,単純に1日,部品の到達が遅れたことによる損害というのが一体何なのか,よく分からないんですけれども,ごく少額しか請求できないというほうが普通でしょう。 ○鎌田部会長 御意見は大体お伺いして,対立点あるいは今後,検討を要すべき点も,ほぼ明らかになったと思いますので,次の話題に移らせて……。 ○山本(敬)幹事 今まで出ていない点を一つだけ補足させていただきます。(2)のほうですけれども,(2)の甲案か,乙案かという問題とは次元が違う問題なのかもしれませんが,問題提起だけはしておきたいと思います。  と言いますのは,債務不履行の場合の損害賠償といいますと,厳密に言えば,二つの種類があると考えられます。一つは,契約が履行されたのと同じ状態にするための損害賠償で,もう一つは,契約が締結される前の原状を回復するための損害賠償とでもいうべきものです。   前者のほうは,すぐに思い付くのは逸失利益の賠償ですが,例えば目的物の価値や,瑕疵がある場合は,その瑕疵による目的物の減価額,あるいは代替物の調達費用や瑕疵の修補費用といったものも,契約を実現されたのと同じ状態を実現するための損害賠償に入ってくると考えられます。  それに対して,後者のほうの契約が締結される前の原状を回復するための損害賠償に戻すとしては,例えば契約費用や,履行のために要した費用,要するに無駄になった費用の賠償などが考えられます。  ここには,甲案と乙案が示されているのですが,どちらも,前者の契約が履行されたのと同じ状態を実現するための損害賠償を念頭に置いているようにも見えます。それに対して,後者の,契約が締結される前の原状を回復するための損害賠償は,ここに含まれるのか,含まれないのか,含めるべきではないのか,含めるべきなのかという点について確認をしたいと思うのですが,どなたかからお答えが頂けるでしょうか。 ○内田委員 それは大綱的規定というところで議論しようと考えていました。通常は,ドイツ法の影響を受けた日本の学界の言葉で言う履行利益の賠償が原則で,一定の場合には信頼利益になるという理解なのかと思います。それを民法のルールの中にどこまで書き込むかは,もちろん,立法論上の課題になるだろうと思います。   ついでに,最初のほうで佐成委員から言及がありました期待利益ですけれども,これはハドレー事件や,あるいは日本民法の通常損害の説明には使えない概念だろうと思います。と申しますのは,日本民法ができた後にアメリカで,ドイツ法の影響を受けて提唱された概念だからです。   アメリカでは期待利益は信頼利益に対する概念として使われていて,ドイツでは履行利益,信頼利益という概念が使われている。ただ,アメリカの期待利益とドイツの履行利益の概念が全く同じかというと,信頼利益の捉え方が微妙に違うために,同じではないのではないかという議論もあるところで,その意味で外国の概念を使う際には注意を要するだろうと思います。いずれにせよ,契約が履行された状態を実現するのか,契約締結前の状態に戻すのかは,損害賠償の原則との関係で何らかの形で明らかにする余地はあるかもしれません。そういう意味で,山本敬三幹事の御指摘は重要だと思います。 ○佐成委員 今の内田委員の御指摘を踏まえて,一応,どういう趣旨で申し上げたかということを申し上げます。確かにハドレー対バクセンデール事件自体に,エクスペクテーションインタレストへの言及があるとか,そういう趣旨のことを言ったわけではございません。後ほど(4)で正にエクスペクテーションインタレスト,要するにアメリカのリステートメントのコントラクト・セカンドをそのまま入れようとしているように見えたものですから,それとうまく整合性が取れているのではないかということを指摘したかったのです。つまり,古い判決の中でそれを読み込めるのではないか,整合性を取れる形で一緒に考えられるのではないかという趣旨で,関連付けて申し上げたということです。要するに,そう理解することによって(4)も統一的に理解できるのではないかという趣旨で申し上げたので,ハドレー対バクセンデール事件のときにこれがあったとか,そういう趣旨で申し上げたわけではないということが一つございます。   それから,もう一つ,後ほど(4)のイのところで申し上げようと思ったんですけれども,アメリカ法では確かに山本敬三幹事がおっしゃるとおり,エクスペクテーションインタレストの他にもう一つ,それとは逆に,元に戻すということがあって,しかも,これにもリライアンスインタレストとレスティチューションインタレストという二つがあるということです。つまり,前者,エクスペクテーションインタレストのほうは,もし契約が履行されたらばという仮定の下で得られるであろう債権者の経済状態を実現させるということですけれども,後者,リライアンスインタレストとレスティチューションインタレストに関しては,それぞれ両方とも,逆に,元に戻すということを志向しています。ただ,それぞれで元に戻す当事者が違うということです。つまり,元に戻すのがリライアンスインタレストに関しては債権者であり,債権者を元の状態に戻すということですが,レスティチューションインタレストに関しては債務者を元の状態に戻すことで,不当な利益,例えば対価を取得してしまった場合に,それを吐き出させるというような形でレスティチュートするんだということなのです。確かにドイツ法で言われる履行利益と信頼利益とかもあるとは思いますが,アメリカ法の概念はそういった概念とはちょっと離れるもので,この辺が議論の中で非常に混乱しておりまして,しかもドイツ法の相当因果関係論とか,更にいろいろな議論が混在していて,我々実務家もよく分からないところです。けれども,仮に(4)イのところで,大綱的な規定を設けるとするのであれば,やはり,その辺も統一的に考えないと,アメリカ法の一部分だけ,リステートメントの一部分だけを条文化するというのは,何か不整合な感じがしましたので,一応,その辺も視野に入れて議論すべきではないかという趣旨で申し上げました。 ○潮見幹事 意見を言うというよりも,ここで今の問題を議論されるのか,それとも(4)で,それによって言いたいことをそっちに回そうと思っていたので。 ○山本(敬)幹事 (4)は算定という位置付けになっているのですが,純粋に算定の問題なのか,その前提として損害をどう捉えるかという問題なのかという点に関して,私自身は,損害をどう見るかがまずは明らかにされないと,算定の基準は考えられないのではないかと考えましたので,取りあえず,ここで申し上げました。もちろん,理論的にどう整理するかという点については,議論のあるところかもしれません。 ○潮見幹事 私は(4)のところで今のことを発言しようと思って待っていたんですけれども,佐成委員の発言も出ましたので,後で申し上げます。 ○山本(敬)幹事 申し訳ありませんでした。 ○内田委員 学者の頭の中には,賠償額の算定の問題と損害の範囲の問題という区別が入っているので,理論的にはここでやるべき問題ではないかという御趣旨はよく分かるのですが,算定のところまでいって,振り返って大綱的な規準という議論をしたほうがいいのではないかという気がいたします。 ○鎌田部会長 という御提案に従います。当初の目論見からすると既に1時間以上遅れておりますが,既に説明済みの範囲内でもなお(3)と(4)の課題が残っておりますので,「(3)故意・重過失による債務不履行における損害賠償の範囲の特則の要否」及び「(4)損害額の算定基準時の原則規定及び損害額の算定ルールについて」について,御意見をお伺いします。御自由に御発言ください。   では,(3)について,こうした規定を設けないものとしてはどうかという提案なんですけれども,これについて,やはり設けたほうがよいという御意見がありましたら,お出しいただければと思います。 ○松岡委員 必ずしも積極的に(3)の規定を設けたほうがいいという自信があって申し上げるわけではありませんが,先ほど松本委員が御発言になったように,そもそも両当事者が契約時に何を判断したかを基準とするとの考え方からすると,契約後の事情は飽くまで例外的に考慮されるにとどまります。義務が契約後にどのようにして発生するかをどう考えるかにもよりますので,先ほどの乙-2の変型のルールになるのかもしれませんが,(3)のような考え方も必ずしも捨て難いと思います。そういうふうな理解は間違っているのでしょうか。 ○鎌田部会長 (2)のアで乙案を採った場合にはという,そういう前提ですか。 ○松岡委員 はい,そういう前提です。 ○中田委員 (3)のような規定自体は,十分,あり得る考え方だとは思います。国際的にもそのような考え方を取り入れたものがあると思いますので,検討の対象にはなると思うんですが,ただ,余り選択肢を広げてしまいますと,かえって議論が集約しにくいので,取りあえず,これは外しておいて残りで考えようというのが今回の御提案ではないのかと理解しております。 ○潮見幹事 私も中田委員と同意見です。特にこういう場面における重過失というのは一体何なのかというところについて,かなり慎重にやらないといけない。その上に債務不履行の故意というのは一体何を対象として,どのようなものをイメージしているのかということの捉え方次第では,私たちが規定を設けるべきだと考えた際に想定していたのとは違うイメージで受け取られるおそれもあるのではないかと思います。特に民法は一般法で,ある特定の取引類型に特化されたわけではないので,更に慎重にやるべきではないのかなと思っております。 ○岡委員 弁護士会は大多数は「設けない」で賛成ですが,消費者委員会のほうから詐欺的な商法の場合にはこのような規定が必要な場合もあると思うと。ただ,民法に一般論として書くことまでは主張しないけれども,民法に消費者概念を入れるとすれば,消費者に対する詐欺的商法の場合についての規定,あるいはそういう解釈ができるような工夫をしていただきたいという要請がございました。 ○松本委員 どうも何についての故意かというのが分かりにくいです。消費者問題でよく出てくるのは最初から履行するつもりがないのに契約を勧誘するという話だから,不履行の意図でもって契約を締結するという故意であれば,たっぷり賠償させてもいいかなという気がします,不法行為とほとんど一緒だから。だけれども,履行できるのに履行期に履行しないというのは,全て基本的には故意ですよね。履行遅滞は原則として全て故意だということになると,何か少し広がり過ぎるという感じがします。故意の対象によっては賠償額をたくさん認めてもいいかなと思いますが,一般に債務不履行の故意というのがそもそも何かというのがよく分からないままでこれを定めるのは,問題があるだろうと思います。 ○野村委員 手段債務のような場合,例えば医療契約のような場合には,重過失も問題になり得るのかなと思います。ただ,お医者さんの感覚では,どちらかというと過失が少ないときに,なぜこんなにたくさんの賠償をさせられるのかという感覚が強くて,むしろ,ここで考えているように全損害を賠償させるというのは,かえってどこまでいくのか,よく分からなくて,明文で書くのは避けたほうがいいのかなと思います。 ○鎌田部会長 よろしいでしょうか。大多数は規定無しでよいという意見であったと理解させていただきます。   次に,先ほどから持ち越しになっております(4)について御意見を頂きます。(4)もアとイがございますけれども,まず,アの引渡債務の不履行に関する填補賠償の損害額の算定基準時,不履行といっても不能型あるいは解除型の場合ということになると思いますけれども,これに関する規定は設けなくてよいのではないかというのが原案です。この点についての御意見はございますでしょうか。   では,これは設けなくていいというのが大多数である,あるいは特に異論は無かったものとさせていただきます。 ○佐成委員 結論はそれでよろしいと思います。実際,補足説明も拝見しましたし,それから,内部で議論した中でも,やはり設ける必要はないのではないかという議論が大勢であったかと思います。ただ,若干,先ほどもちらっと言いましたけれども,もし,イの論点でこういった考え方を取った場合に,その場合の基準時をどう考えるかというところにも関係付けて,例えば本来の履行期でどういう状態なのかということを基準にするというのも一つの考え方かなとは思います。それがマックスで,そこから何か減じていくとか,そういったことも一応,考えられるのかなとは思ったのですけれども,それは全く思い付きという状態なので,ここで提案するようなレベルの議論ではございませんが,一応,それだけコメントさせていただきたいと思います。ここでは,先ほど述べた結論でオーケーということでお願いしたいと思います。 ○岡委員 多数は賛成でございますが,有力単位会一つが填補賠償における損害額の算定基準について,請求権が発生した時点とする旨の判例法理もあるように解されるので,そのような規定を設けるほうが望ましいという意見でした。 ○潮見幹事 今の発言がありましたもので,一言だけ申し上げます。請求権が発生した時点が基準時だという議論を私は余り知りません。それは積極的理由にはならないと思います。結果的には,私はアについては多数の方々と同じように,ここは規定を設けないほうがいいのではないかと思っております。物の引渡債務についての基準時がどうかという判例法理自体,そういうものがあるのかということについて,私自身は疑問を持っているからです。また,判例法理だと言われているものも基本的には売買目的物の価格が異常に上がったというような場面を想定したものであって,それをどこまで一般化することができるのかというのも,かなり疑問があります。その意味では,アについては設けないということで,是非,お願いしたいと思います。 ○鎌田部会長 請求権発生時というのは引渡請求権,損害賠償請求権の発生時という意味……。 ○岡委員 はい。 ○鎌田部会長 損害賠償請求権発生時ということだと思いますが。 ○潮見幹事 本来の履行請求権が填補賠償請求権に転化した時点では。 ○鎌田部会長 そうです。その時点で賠償額も定まる。 ○潮見幹事 この時点を選ぶべきであるという考え方があるということでしょうかね。 ○鎌田部会長 では,アについては御指摘のような見解も示されているけれども,この部会の委員・幹事の間では填補賠償算定基準時に関する規定は設ける必要はないと,こういうことで,一応,一致したと受け止めさせていただきます。   イの「損害賠償額の算定に関する大綱的規定」に関連して,御意見を頂ければと思います。 ○佐成委員 イに関して経済界の内部で議論したところですけれども,この規定を設けることについては余り賛同する意見はございませんでした。私はこれをいろいろ盛んに引用しておりますけれども,経済界の中では余り規定自体の評判がよくなかったということを申し添えておきます。 ○潮見幹事 大綱的規定ということであれば,イのところには先ほどの山本敬三幹事が言われたように,債務不履行の場合の一方の方向での損害賠償しか書かれていません。債務不履行による損害賠償というものについては,現在のところ多くの方々が考えているところによると,前向きの履行利益型の,債権の価値を実現するという方向での損害賠償と,それから,契約が無かった状態への原状回復という方向での清算型の損害賠償という,言わば前向きと後ろ向きの二つの方向での損害賠償というものがあると理解されているではないでしょうか。   後者については,債務不履行と相当因果関係のある損害だというような観点で,賠償が認められているというようなことがあろうかと思います。そういう意味で,こういう債務不履行の賠償の方向性ということで,正,逆の両方があるということが仮によいということであるならば,両方とも書いておくべきではなかろうかと思います。   そういうときに一方だけを書くと,他方は認められないのではなかろうかということにもなりかねませんので,そこは考えてみられてはいかがかなという感じがするということです。もちろん,清算型の原状回復型の損害賠償をどう理論的に基礎付けていくのかというのは,少しまだ難しい問題はあろうかと思いますから,分科会辺りでもんでいただければいいとも思います。   もう一点だけ補足すれば,先ほど佐成委員の発言にも少し出ていましたし,あるいは内田委員の御発言にもございましたが,仮にこういう形で大綱的な規定を置く場合でも,履行利益という言葉と信頼利益という言葉は使わないほうがいいと思います。特に信頼利益という言葉について非常に多義的ですので,やめたほうがいいのと思います。それから,原状回復的利益というのも,佐成委員が御発言になられた意味も私は把握はしておりますけれども,他方で,最近は西武鉄道事件とかで問題になっていますような,有価証券報告書の虚偽記載等で言われている原状回復的損害賠償というものは,若干,佐成委員が御発言になられたものとは少し意味合いが違いますので,その辺りも踏まえ,こういう言葉は使わないほうがいいのかなと思います。   参考までにこれも申し上げますと,学者委員には常識なのでしょうが,補足資料の70ページに,ドイツの2001年改正で入った284条という条文があります。もちろん,この規定自体がいいとかというわけではありません。具体的にこの中身が,要件がこれでいいのかと言われると,本当にこれでいいのかと思うところも若干ありますけれども,しかし,こういう方向での賠償というものがあり得るという形で規定が置かれたこと,そして,もし,日本でもこのような方向での賠償が認められるべきであるというのならば,この種の規定は積極的に設ける方向で考えてみたほうがいいのではないかと思う次第です。 ○佐成委員 関連して発言させていただきます。潮見幹事がおっしゃったところには全く同感でございます。それでですが,先ほどから私がわざわざ英語をそのまま使っているのは,そういう訳でございまして,例えば「リライアンス」というと「信頼」とか,「エクスペクテーション」というと「期待」と訳されると,非常に混乱を生じるだろうということで,アメリカのリステートメントで書かれている意味での「エクスペクテーション」,「リライアンス」,「レスティテューション」という意味であって,別に「原状回復」とか,そういった意図で申し上げているのではないということです。その点を今,潮見幹事から御指摘いただいたと思います。いずれにしても,とりわけリステートメントで言えば344条ですか,そちらのことを皆さん,おっしゃっていたかと思うので,そこも補充分科会で議論される際には参考にされたらいいかなということを申し上げたいと思います。併せてリステートメントであれば347条が,アメリカ法における一般的な損害賠償の基準を定めていると思いますので,344条類似の概念をもし日本法に入れるのであれば,そことの整合性を取る必要があるのではないかと思います。おいしいところだけを取って組み合わせると,変なことにならないかという心配がありますので,そこら辺の整合性を取っていただければと思います。この点,私に何か定見があるわけではございませんが,一言,申し上げたいと思います。 ○鎌田部会長 他に。 ○松本委員 今までの議論は,医療過誤だとか安全配慮義務違反だとかいった,いわゆる拡大損害型をあまり念頭に置いていない議論だったという感じがします。前向き,後ろ向きというのは拡大損害を考えていないわけで,言わば横向きの損害というのか,そういうカタログを作るのがいいのかどうかも併せて議論する必要があるのではないかと思います。損害賠償にはこんなタイプがあります,前向き,後ろ向き,横向きと三つありますということを注意喚起するような条文を置いたほうがいいということであれば,置いてもいいでしょうということなんですが,いかがなんでしょうかね。教科書的な叙述に近くなるわけですが,それでもいいということであれば,別に害はないでしょうからいいと思いますが,アメリカ法で言うところの三つタイプの損害賠償にはどれも入らないですよね,今の拡大損害は。 ○鎌田部会長 そこを念入りにやっていくと,損害の種類という問題も出てきそうですね。積極損害,消極損害,精神的損害はどうかとか,全部,きちんと書くというふうなことを想定するのかどうか……。 ○松本委員 一部だけ挙げると,他のタイプの損害賠償は日本民法は認めないかのような反対解釈になるリスクだけが残るのであれば,こんな事柄は教科書にお任せしましょうというほうがいいかもしれないですね。 ○中井委員 弁護士会ですけれども,この点について意見が出た範囲内ではほとんどが設ける必要はないという意見でした。ただ一つ,得べかりし利益については当然入るのだから,それを明示したらどうかという意見はありました。 ○鎌田部会長 これも,少しここに書いてあることだけでは,賛成とも反対とも決め難いということもあり,また,かつ,潮見幹事からも,もう少し諸外国の立法も見て,分科会で補充的にどのような規定内容が考えられるかということを検討してもらってはというふうな御提案もありましたので,分科会で少し御検討いただいた上で,それを見て部会で最終的にどうするかを決めていただくというのではいかがでしょうか。ということでよろしいでしょうか。では,そのように取り扱わせていただきます。   次に,「第1 債務不履行による損害賠償」の「2 過失相殺(民法第418条)」及び「3 損益相殺(民法第419条)」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○新井関係官 それでは,御説明いたします。   「2 過失相殺(民法第418条)」の「(1)要件」では,アにおいて債務不履行による損害賠償に関し,損害の発生や拡大につき,債権者に過失があった場合にも過失相殺ができるという,異論が無いとされている考え方を明文化することを提案しています。イでは「過失」という文言につき,例えば,「契約の趣旨及び信義則に照らして,損害の発生又は拡大を防止するために債権者が講ずるべきであったと評価される合理的な措置を講じなかったとき」などと,より具体的な文言に改めるとの提案を取り上げております。もちろん,本文に記載したものは,飽くまで過失をより具体的な文言に置き換える場合の文言のイメージにすぎず,具体的に条文化する際の適切な文言の在り方については,更に検討をする必要があると考えられます。ウでは,ア及びイに関連して,債権者が損害の発生又は拡大の防止のために要した費用を,合理的な範囲内で債務者に請求することができる旨の規定を設けるとの提案を取り上げております。   「(2)効果」では,本文の第1パラグラフで,債務不履行による損害賠償に関し,過失相殺をするか否かを裁判官の裁量に委ねる旨の規定を設けることを提案しています。第2パラグラフでは,過失相殺の効果として,甲案では賠償額の減額のみならず全額免除も可能であるとする現行法を維持することを提案する一方,乙案では賠償額の減額のみを規定することを提案しています。   続きまして,「3 損益相殺」では,裁判実務上異論なく認められている損益相殺を明文化することを提案するとともに,補足説明では損益相殺の対象となる利益をより具体的に条文上明記することの要否についても問題提起しております。   これらの論点のうち,「2 過失相殺」,「(1)要件」については「過失」という文言の変更の要否は最終的には部会で決定することを前提に,仮に変更する場合における具体的な文言の在り方等につき,分科会で補充的に検討することが考えられます。また,「3 損益相殺」も具体的な規定の在り方等につき,分科会で補充的に検討することが考えられます。これらの論点を分科会で補充的に検討することの可否についても御審議いただければと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分について御意見をお伺いいたします。御自由に御発言ください。 ○佐藤関係官 一点,コメント申し上げます。(1)要件のイのところでございます。御説明にもございましたとおり,要件イのかぎ括弧で書かれている部分にある,合理的な措置を講じなかったときという文言は,一つの案ということでございましたが,若干,懸念とするところを申し上げますと,合理的な措置であったか否かを,どの時点で判断するのか,ということでございます。   例えば,担保権を,いつ,実行するのか。不動産価格が上限変動しましたときに,一番価格が上がっているときに実行すると,債務者にとっては一番都合が良くなります。あるいは,金融の世界におきましては,取引所に有価証券の売買を委託するような場合がございます。取引所の証券市場の売買は,非常に多数のものを機械的に処理いたしますので,一旦,売買の委託をしたものの,実際は決済をできなかった,例えば,お客さんが有価証券の買い注文をしたものの,代金を払えなかったような場合。そのときに,証券会社は,一旦注文に出したポジションを解消するために,反対売買をすることがございます。   反対売買をするタイミングですが,反対売買が売りであれば,一番高いときに売れば債務者にとっては都合が良く,逆に買いであれば,一番安いときに買ったほうが債務者にとって都合が良いわけですが,ただ,それは神のみぞ知ることでございまして,どの時点での反対売買が合理的であったかということは,事後的には分かるわけですけれども,当事者にとっては,措置を実際に講じた時点で見て,合理的な措置を講じたか否かを判断することが適当と思われます。また,合理的という言葉が果たして適当なのか,あるいは相当というような文言とするのか,その辺りも含めた上で,事後的に完全たる経済合理人が判断して合理的な措置を講じたか否かということではなしに,措置を講ずるときに通常人が判断できるような合理的な措置を講じたか否か,というような書き方にしていただきたく,その点,コメントを申し上げさせていただきます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○中井委員 (1)について,弁護士会の意見は,アは,損害の発生や拡大についても拡大する方向に基本的に賛成です。  イについては,損害軽減義務,これは特定の場面での損害軽減義務のみが取り上げられて指摘されていますけれども,現実の実務における過失相殺のときに考慮されるべき事情は,もっと広いだろうと。もちろん,こういう債権者が講ずべきであったのに,それをしなかったというような場面ももちろん考慮されるわけで,資料11ページの例えば(3)に様々なことが書かれていますけれども,場合によっては債権者の素因なども考慮されて,公平な負担が決められている実務があるわけです。ここで債権者の損害軽減義務が殊更取り上げられることについては,違和感を持っています。そういう意味で,現在,使われている債権者の過失というのは,実際は相当幅広い要素を含んでおり,そういう幅広い要素を含む言葉として,これを維持していいのではないか思います。   ウについては,ここで特段に費用についてのみ取り上げる必要があるのか。これは損害賠償の範囲の問題として処理すれば足りるのであって,ここであえて取り上げる必要はないというのが多くの弁護士会の意見でした。   私はそれを踏まえてでもあるんですけれども,債権者の過失という言葉については,それだけでは不十分で,そこを広げる提案として債権者の過失その他債権者側,側を入れるかどうかは問題ですが,債権者側の事情が寄与したときというように,その対象を広げてはどうか。   そして,(2)の論点は,現実に賠償義務があるにもかかわらず,全部免責の場面というのは実質上,想定し難いという観点から,弁護士会は意見が分かれておりますけれども,乙案でいいのではないかと思います。私としては,ここでも契約の趣旨と目的と併せて,損害については公平という観念を必要とするところから,最終的に裁判所が損害賠償額を定めるということで,「債務の不履行若しくはそれに基づく損害の発生又は拡大に関して,債権者の過失その他債権者側の事情が寄与したときは,裁判所は,契約の趣旨・目的及び当事者間の公平を考慮して,損害賠償の額を定める」,こういう形がいいのではないかと考えております。 ○道垣内幹事 過失相殺の(1)のイの話と,補足説明に書いてある12ページの4のところに書いてある事柄との関係につき,私には若干,疑問なところがあります。と申しますのは,4のところに書いてありますのは,日弁連に当部会でプレゼンテーションをやっていただいたときにも出てきた見解でございますけれども,詐欺的商法などがあったときに,被害者にも欲を出した過失がある,あるいは安易に説明を信じたという過失があるという形で過失相殺される場合があるが,4のところでは,それが妥当かどうかはともかく,いろいろな事案があるのだから,殊更にそのような事例につき全く過失相殺ができない場合と位置付けるのではなくて,解釈に委ねようという形で書かれているのだろうと思います。   しかるに,(1)のイのところで「過失」という曖昧な言葉がここに急に出てくるのはどうかと私も思いますけれども,「契約の趣旨及び信義則に照らして,損害の発生又は拡大を防止するために債権者が講ずるべきであったと評価される合理的な措置を講じなかったとき」という要件によるとき,さらには,アのところにあります「債務不履行の発生について債権者に過失があった場合」を別の類型として含めるとしましても,そのような文言に改めたとき,補足説明の4のところに書いてある,安直に説明を信じたといった場合については,どの類型に当たり得るという認識の下で作られているのでしょうか。   私は実は何か定見があって申しているわけではございません。債務不履行の過失相殺というのは本当によく分からないところがありまして,私が授業中によく出す例は,自動車にエアバッグが装備されており,エアバッグがきちんと作動していれば,当該交通事故において運転者は一切の被害を受けなかったと仮定するとき,運転者が自損事故,勝手に壁にぶつかって,しかし,エアバッグが開かないでけがをしてしまったというものなのです。このときに「ぶつかった」ということに運転者の過失はあるわけですが,これが債務不履行の過失相殺における過失なのかというのがよく分かりません。と申しますのは,エアバッグはぶつかったときに運転者を保護するものであるわけでして,ぶつかったときに,運転者には過失があると言われたら,エアバッグは意味が無いではないかという感じもします。   ところが,いろいろな人に相談をいたしましても,誰も私の見解には賛成してくれないのでして,過失相殺はあるだろうと皆さんはおっしゃいます。結論はそれでもかまわないのかもしれませんが,そのとき,債権者の「過失」はどこにあるのだろうか,債務不履行の発生とか,損害の発生とか,損害の拡大とかのどこのあるんだろうというのがよく分かりません。私は個人的にはエアバッグの事例においては過失相殺なし,詐欺的商法も過失相殺なしだと思いますので,類型化して,そういうものが入りにくくするというのは賛成なのですが,もし入るということを前提にするならば,余り類型化をすることは妥当ではないのではないのかもしれませんし,もし類型化をしてきちんと書くのであれば,シチュエーションを全て包摂できるような類型化が必要だと思います。ただ,以上の発言は,単に私の無理解に基づいているのかもしれませんので,例えば4というのは何に当たるというのが前提になって,これまで議論してきたのかを,どなたかお教えいただけませんか。 ○松本委員 私は4に関してはきちんとルール化すべきだと以前から主張しております。その理由は,損害発生あるいは事故の発生の原因がそれぞれが独立しており,それらが競合的に原因発生に寄与している,拡大に寄与していると評価できる場合は,その割合に応じて賠償額を分担する,過失相殺するというのは合理的なんだけれども,先行行為があって,それによって被害者が引きずりこまれるというタイプで,だましのテクニックに引っ掛かるあんたが悪いというのでは,そもそもだますという先行行為がなければだまされるということは出てこないわけだからです。逆に消費者のほうが勝手な判断の下に,業者の窓口に行って買ってしまうというケースもあるわけですが,これは事業者の側に,そういう場合でもどれぐらい説明義務があるのかという話で法律論の受け皿はあるわけですが,そうではなくて一方的に勧誘をされて,うそをつかれてだまされて,なぜだまされるあなたのほうが愚かだから賠償額を減額すると言われなくてはならないんだということです。   これは,暴漢に投げられて骨折した場合に,お前は柔道を知らなかったから骨折したんだ,受け身をやれば骨折しなかったんだと言われるようなものなので,ちょっと不当だと思うんですね。つまり,独立した原因か,それとも,そうではなくて,先行行為によって誘発された結果なのかというのが区別のメルクマールになるだろうと思いますから,エアバッグと運転のミスというのは,確かにエアバッグというのは,他車からぶつけられた場合に自分に落ち度がなくても開かないと駄目で,また自分に落ち度があっても開かないと駄目なので,そして,どちらにも落ち度がないのに勝手に開いたら駄目ということなので,そういう意味では,エアバッグの例を悪徳商法の例と比べるのは少し不適切かと思います。 ○潮見幹事 4のところに話が集中しているので,一点だけ申し上げますと,そもそも規定を設けるにしても,少し慎重にやっていただきたいと思います。故意行為と過失相殺の話は債務不履行では余り言われないんですけれども,不法行為のところでいわゆる取引的な不法行為だとか,あるいはけんかの事例とか,いろいろなパターンがあって,故意行為だからということで過失相殺が一切認められないというようなことで果たしてよいのかという議論は1993年代辺りからずっとあるわけですから,その辺りを見極めてから判断しても遅くはないと思います。   それが4についてですが,過失というのは確かに便利な言葉かもしれません,特に過失相殺の場面ではそうです。ただ,過失という言葉を使いながら,実際に弁護士の先生方がいろいろな場面でおっしゃっておられるように,実はそこで本来の意味の過失とは違うというような事柄もされているというのも事実だと思います。   そのときに二つ問題があって,一つは,だから,過失という言葉をそのまま使ったらいいのかということです。厳密な意味での過失よりも実際の実務の運用が広いということであれば,過失に代わる適切な言葉で置き換える努力も必要なのではないかというような感じがいたします。さらに,本来の意味の過失の部分も,この前からずっと議論が出ていますように,飽くまでも当該契約に照らした契約の下で債権者に期待できる合理的な行動,あるいは債権者がなすべき合理的な行動は一体何なのかという観点から,本来の意味の過失というものが考えられているわけですから,できれば,そういう方向が分かるようなことにするべきではないのかと思います。   もう一つは,先ほどの中井委員の御発言について思ったところですけれども,「その他債権者側の事情が寄与したときは」という「事情が寄与」というのはマジックワードであり,かつ読み方によってはものすごく広くなる可能性があるわけで,安全配慮義務なんていうのもこの中に入ってくるのは十分前提ですけれども,そうなると,果たしてこのような債権者側の事情という言葉を果たしてここで使っていいのかというところについて,若干,疑義を感じます。   その上でのことですが,前回の415条のところで現在の責めに帰すべき事由という言葉をより適切な言葉で,より適切に表現することはできないのかという観点から,分科会で議論していただくことになりましたが,これと同じように,ここの過失相殺における過失も現在の実務の運用にも妙な不都合を生じないような形で,かつ理論的に見ても何らかの説明ができるような形で,何かいい言葉がないのかというのを検討していただければと思います。また,従来,余り議論されていないのですが,415条に言うところの責めに帰すべき事由,責めに帰することのできない事由という言葉と,過失相殺のところで言われる418条で問題となっている債権者の過失という言葉とが一体,どういう関係にあるのかという点も,少し微妙な問題もあるのですが,整理をして文言化すればいいのではないかと思っております。最後は感想ですけれども,分科会に対するお願いを含めて申し上げさせていただきました。 ○佐成委員 (1)のところですけれども,今,潮見幹事もおっしゃっていたとおり,文言については,経済界では過失という言葉自体には,それほどこだわりは無いように見受けられるということが一つございます。それから,もう一つは先ほどの折れたシャフトのケースなんかは,特別事情ということで損害賠償から切りましたけれども,場合によっては過失相殺という処理も考えられる,要するにあれは操業に不可欠なシャフトを一本しか持っていない,そんな状態でリスクを全部,運送業者に負担させるということ自体が,契約において損害を公平に分担させるという趣旨から考えると問題が出てくるだろうと思います。   ですから,恐らく特別事情で切るという考え方とか,あるいは過失相殺で処理するというのは,ある意味では当事者間に損害を公平に分担させるという,機能としては非常に共通の面があるので,そこら辺,文言を拡大すれば,重なる部分が出てくるのかなという気がします。つまり,先ほどの製粉工場の操業停止は特別な事情で予見がないので賠償範囲から除くという処理をしたわけですが,そうではなくて,こちらはそんなに大切な要となるシャフトを一本しか持っていないでおいて,それに伴う操業リスクを全部,相手に負担させるのはおかしいではないかということで過失相殺という形で処理するということも一つ考えられると思います。要するに先ほども申し上げましたが,何か債権者側の事情なんていうことが入ってくると,恐らくそういうような形の処理にもなってくるかなという感想を持ちました。 ○中井委員 実務の感覚からすると,過失相殺が使われる場面は非常に広いことは間違いがないと思うんです。先ほど松本委員がおっしゃった点,使ってはならない場面にも使われているという面では広すぎるのかもしれませんけれども,それが現実に具体的な注意義務違反,契約関係にあるものの具体的な何らかの注意があって,その義務違反のみが捉えられて,損害額が算定されているかというと,決してそうではないと思います。債務不履行によって,債権者側に何ら落ち度がなくて発生する損害が,仮に通常損害なり,特別損害なり,予見可能性で範囲を画されたとしても,何らかの形で債権者側がその発生なり,拡大に関与するなり,積極的な何らかの貢献をしているとすれば,損害の公平な分担という見地から,ある意味で裁判所が裁量的に減額しているというのが実務ではないか。   先ほど事情が寄与したということは,極めて抽象的だという御指摘があって,そのことは正にそのとおりだと認識しておりながら,そう書いたわけです。先ほどからこれを類型化するという御発言もあったんですけれども,一定,詳細化・類型化したからといって,どこまで具体的なものになるだろうか。それは所詮,無理であり,困難ではないか。結局はここでは契約の趣旨・目的,また,公平というキーワードに基づいて最終的には調整・判断せざるを得ないのではないか,こう考えています。 ○山本(敬)幹事 確認のための質問なのですが,過失という言葉にしても,そして,(1)のイの提案にしても,債権者側に,なすべきことをしなければならない,ないしは,してはいけないことをしてはならないというような規範的な要請を立てて,その違反がある場合に減額等を認めるという仕組みになっているのに対して,今の中井委員の御提案及び御説明は,必ずしもそのような規範的な要請に違反したからというだけではなくて,「事情が寄与した」というのは,我々からしますと寄与度のようなものを観念させるのですが,そういった評価的な寄与度のようなものを考慮して,減額を認めることを積極的に正面から認めるべきであるという御趣旨と理解してよろしいわけですか。 ○中井委員 私の認識としては義務違反の場合はもちろんそうですけれども,それに限らないのではないかということをここで表現していますので,そういう意味では積極的に表したという理解です。 ○松本委員 細かいワーディングは分科会で補充的に検討と言われているので,ちょっと確認したいんですが,今の中井委員の御意見だと,いわゆる素因減額と言われているタイプの類推適用も,ここで正面から受けようという趣旨のように聞こえるわけですが,過失相殺の過失という言葉で広げられる範囲で広げるというのか,それとも類推適用として判例で処理されているものも,この1か条で全部カバーできるぐらいまでの文言にしようとするのかで,ワーディングが相当変わってくると思います。分科会に具体的な文言の在り方について下ろす前に,ここで射程を絞っていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 そこが一番重要なポイントだと思っているんですが,絞り切れるかどうかは別にして。 ○松本委員 絞れなければ……。 ○鎌田部会長 絞れなければ二通りの案を検討していただくことになります。絞るか,絞らないかは部会で決めるべきことだと思いますので,今日,それが決まれば,決まった内容で分科会にお願いをするし,本日の部会で絞り切れなければ両様に対応することをお願いせざるを得ないと思っていますが,中井委員の場合には先ほどの御発言の中でも,そういう素因減責のようなものも含む形の規定を作るべきであるという,こういうお考えでいらっしゃいましたね。 ○中井委員 決して無限定ではないのですけれども,一定,それは入れざるを得ないだろうという認識をしているものですから。 ○山野目幹事 二点,申し上げます。   一点目は,今,中井委員から御提言のあったことについては,結論としては私も分科会で補充的に議論していただくことでよろしいと考えますが,一点,気になることといたしまして,722条2項の文言について関連規定整備をする必要が出てくるのではないか,それをしないと非常に不自然な事態になるのではないかということを少し心配いたしますから,そのことも分科会において併せて御留意いただければよいと考えます。取り分け,中井委員が何回かの御発言で御示唆になったように,損害の社会的な公平な分担という発想の下に事情というようなことをおっしゃいますと,それはむしろ722条2項をステージにして形成されてきた事柄なのでありまして,418条の文言のみをいじって,722条2項がそのままになるということについての問題性というものはあるであろうと感じますから,そこが少し心配になってまいりましたので御留意いただければと思います。   それから,もう一点は詐欺的な商法のような形で起こる消費者被害に係る事案について,過失相殺の従来法理が不適切に運用されてきたのではないかという問題提起については,潮見幹事から御注意がありましたように,故意の債務不履行という概念で議論するのは適当でないと考えますが,同時に松本委員が御指摘になったように,先行行為によって惹起された事態というふうな要件のくくり方で問題を受け止めるのであれば,なお何か規律を考える余地はあるのではないかということも感じますから,これは分科会事項ではないと思いますが,引き続き問題意識としては留意をしていただきたいと感ずるものでございます。 ○潮見幹事 中井委員の御発言を受けてのことですが,公平ということで果たして限定機能が働いているのか,前回の415条で申し上げたことと同じですけれども,評価者に対する白紙委任ではないのか。しかも,不法行為ならまだしも,契約の下での債務不履行を理由とする損害賠償が問題となっている場面で,契約の場面で果たしてそのような契約を離れた形での公平というものが制度の根拠として働くというのはいかがなものかというような感じがいたします。   併せて,先ほどの山本敬三幹事の話を言葉を換えて言いますと,契約を基本に据えて,しかし,義務とは言い切れないけれども,債権者の負担とするのが相当であるというような事柄であれば,契約に照らして減額の対象とすることができるという枠組みではなぜいけないのかというところが若干,気になったところです。   もちろん,この議論はいずれ追ってまた出てくるのかと思います。民法の536条2項の辺りにも少し絡んでくるかと思いますので,なお少し先の議論も踏まえながら考えていったほうがいいと思います。 ○中井委員 一点だけ,ここで公平と申し上げたのが契約の趣旨・目的と全く分かれたところに,別に存在する公平ということではなくて,結局,契約一本の中ではなくて,その中にどう読み込むかという意味での公平ということです。前回,申し上げました契約の趣旨と社会通念との間で二項対立的に考えるのではなくて,契約の趣旨を基本としながらも,そこに客観的規範を読み込む,ここでは損害の負担をさせるに当たって契約の趣旨の中に公平を読み込む,こういう理解を一応はしているので,限定は掛かると思っているのですが。 ○岡委員 短く。第一東京弁護士会のある委員の発言でございますが,損害軽減義務の観点の言葉がここに出ておりますが,最高裁の判例によれば,その考えで通常損害を限定しておりますので,一度のことで二回引かれるようにならないように,何らかの注意をしてほしいという発言がございまして,損害軽減義務と通常損害,損害軽減義務と過失相殺,それをうまく整理していただきたいと思います。 ○青山関係官 簡潔に。先ほどから素因をどう取り込むかどうかという議論がされていますが,11ページの補足説明,下から2行目に,不法行為の例として過労自殺の場合の,結果的には労働者の性格の素因については過失相殺を認めなかった事例を挙げていただいているのですけれども,実はこういう労働災害の場合というのは,不法行為として争われる場合もあり,他方で安全配慮義務違反という債務不履行構成の場合も結構あって,いずれの場合でも過失相殺については同じように処理されているように聞いています。特に身体への加害行為などという世界になると,本当に不法行為の問題と債務不履行とで過失相殺の問題を別に考えられるのか,私も知見がなくて自信がないですが,両者を切り離せるのかという意見が他の先生の御意見にもありましたが,気になりましたので関連を御議論いただければ有り難いかと思います。 ○鎌田部会長 分科会長にとってはまだ不十分かもしれませんけれども,これまでの議論を踏まえて分科会におきまして過失相殺の過失という語をより分かりやすい,かつは明確なものにするにはどのような表現があり得るかということの御検討をお願いしたいと思います。それ以外の過失相殺の要件の(1)のアについては,明記することに賛成という御意見のみ頂戴しましたけれども,他にはよろしいですか。 ○中田委員 結論はそれでよろしいんですけれども,過失の概念を詰めていくという作業をするのでしたらば,損害の発生と損害の拡大とは,理論的にはやや違う問題が含まれているということは,意識した上で御検討いただければと思います。 ○鎌田部会長 それから,ウに関しましては,特にこういうことを取り上げる必要はないのではないかという弁護士会の中での多数意見の御紹介がありましたけれども,他に御意見はございますでしょうか。よろしいですか。   効果の点につきましては,弁護士会の乙案支持という御意見を紹介いただきました。過失相殺の効果については,前段と後段の二つの問題提起があります。前段について,中井委員は,裁判所の裁量に委ねるという趣旨の御意見を述べられていますが,必ず過失相殺をしなければいけないという意味で「裁判所は,……損害賠償の額を定める」とされているのではないですよね。 ○中井委員 効果については裁判所の裁量に委ねる点については賛成をいたします。「定めることができる」です。弁護士会の意見は乙案に全部固まっているわけではなく,甲案支持もありますが……。 ○鎌田部会長 乙案が多数。 ○中井委員 はい,多数ということで,私は乙案に基づいて整理したということです。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   裁判所の裁量に委ねるという点について,何か別の意見はございますでしょうか。 ○畑幹事 表現だけの問題なのかもしれないのですが,裁判所の裁量に委ねるというと,同じ状況で過失相殺をしてもいいし,しなくてもいいということを意味するようにも見えるのですが,恐らくここで考えられていることはそういうことではなくて,減額をすべきでない場合もあるという趣旨だと思いますので,裁量と言ってしまうのは表現としてはどうかなという気もいたします。 ○道垣内幹事 過失相殺に基づいて賠償額を減額するのは,裁判所だけなのでしょうか。というのは,例えば1億円の損害が生じて,それが損害賠償の範囲に一応含まれるときに,4割の過失相殺がなされて6,000万円であるとしますと,例えば遅延損害金は幾らについて発生するのかというと,6,000万円について発生するのではないかという気がするのですが,そうすると,それは裁判所が裁量によって定めているのではなくて,損害賠償として認められる額が6,000万円しか発生しないということではないかという気がするのですが。 ○山野目幹事 道垣内幹事の問題はさておくといたしまして,私も畑幹事と似たような感覚を抱いたところがありまして,裁判所の裁量に委ねられるという,この表現について少し心配を抱きました。ここまで踏み込んで書いていただくと,過失相殺の訴訟法上の性質がどうかといったような難解複雑な議論を引き起こすのではないかと危惧します。もう少し簡明に,裁判所が,現行は,「定める」と規律を表現しているところを,裁判所が「定めることができる」というふうな規律表現に改めるということについては,私は良いと考えますし,大方も御異論はないのではないかと想像するものでございます。 ○鎌田部会長 ここに書いてあることもそういう趣旨ですので,そこは誤解のないような形の表現にしたいと思います。 ○道垣内幹事 無視されましたが,大方に異論がないと整理されるのは嫌なので,一応異論を出しておこうと思います。裁判所が定めるという文言は私はおかしいと思います。 ○潮見幹事 先ほど弁護士会からの意見で,岡委員がおっしゃったことに関わるんですけれども,道垣内幹事がおっしゃられたことは意味があって,損害賠償の範囲を考えるときに,損害軽減義務というようなものを考慮に入れていくべきだという見方があろうかと思います。最高裁の先般の判例法理というものは,そうしたものを考慮に入れて,債権者の損害というものを確定するとしたものです。そして,損害の確定のところでは,裁量というものは働かないというのが一般の考え方ではなかろうかと思います。   もちろん,平井宜雄教授のような考え方を採ったら,違った説明にはなりますけれども,他方,そうは言いながら,この問題を過失相殺の問題であると言った途端に,裁判所の裁量によって決まるということになるというのはバランスが取れているのか,気になります。もちろん,実体法の理論として,ここまでは損害あるいは損害要件の問題であり,ここから先は過失相殺の領域であるということが,きちんと区別できるのであればよいのですが,なかなか,そうは言い切れない部分もあります。別にだからといって,盾突くつもりはありませんが,損害賠償範囲の問題と損害軽減義務の問題との交錯という問題もあるのだということは認識した上で,立案をしたほうがよいのではないかと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それから,過失相殺の「(2)効果」の後段の甲案,乙案については,中井委員から,弁護士会の多数意見に基づいて,乙案に基づく提案をしていただいているところですけれども,甲案支持の御意見は,ここではないと理解してよろしいでしょうか。 ○沖野幹事 甲案支持ということではないのですが,説明に関しまして御留意いただきたいことがあります。前半と後半の両方に関わることですけれども,私自身は最終的には現在の不法行為と同じような条文の形でよろしいのではないかと考えております。現行法においても,元々の規定の趣旨や経緯,実質的に債務不履行の過失相殺と不法行為の過失相殺とで考慮する事情の相違という話はありますけれども,どのくらい本当に違うのか,文言の違いがどこまでのことを生んでいるのかという点からすると,実は余り違いはないという指摘もございますし,それから,両方の競合事例もあることからすると,統一的な文言のほうがよろしいのではないかと一般的には考えており,その観点から,どちらに合わせるかといえば,乙案がよいのではないかと思っております。   ただ,乙案によるということが,例えば額を非常に小さく,限りなく免責に近いような額というのは実質は全部免除になるからできない,ということまで含んで,そのような余地は全くないのであるという決断までして,乙案にするということなのかというのは,ややためらわれます。確かに,不法行為との平仄,それから,もしも本当に免責するようなものであれば,これは実は損害自体の額の決定の問題ですとか,あるいはそもそも帰責事由ある債務不履行と言えるのかという他の要件のところではねられるのではないかということがあるのですけれども,裁判例なども全てが公にされているわけでもありませんので,実際,事例を前にしたときに,これはひどいというような場合があるのかないのかがはっきりとは分からないところです。そうしますと,ここの決め打ちは必ずしもしないで,乙案という形にできないものかと思っております。 ○鎌田部会長 分かりました。 ○岡田委員 先ほど来悪徳商法というのが出てきていますが,過失相殺のところで,最も多いのが金融商品に関しての裁判で,過去に株をやっていたとか,そういうことだけで過失が相殺されてしまうというのが弁護士さんたちの悩みだと聞いています。その辺から言うと,甲案のほうが過失分が少なくなるないしは免除になるということも期待できるのでしょうか ○鎌田部会長 逆になってしまう。確かに債務不履行ですが,過失相殺で業者の責任が免除されて,消費者は1円も取れませんということになる可能性があります。 ○岡田委員 1円も取れません。間違いました。そうすると乙案のほうがいいということですね。 ○鎌田部会長 まだ,ましかもしれない。 ○岡田委員 そうですか。では,私の考え違いでした。すみません。 ○鎌田部会長 他によろしいですか。 ○中原関係官 沖野先生がおっしゃられたことと関連しているのかなとも思うのですけれども,乙案として書いたら免除というのはできないと論理的に読めるか,ということがあるかと思いまして,その価値判断自体は御議論いただいたとおりでよろしいかと思うのですけれども,乙案と書いた上で,ロジカルにというよりはエンピリカルにほとんどの場合全額免除ということはあり得ないよということなのではないかとも思いました。結論や価値判断自体はそれほど,異論を申し上げるような立場にはないんですけれども,そう解すべきではないかなと思いました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。次に,損益相殺につきましてはいかがでしょうか。御意見が余り出ておりませんが。 ○中井委員 弁護士会は,損益相殺を明文化することに賛成という意見です。ただ,問題は利益の範囲について,複数の単位会から心配ないし懸念が出ております。単純に利益としてしまいますと,やはり相当広い概念になり過ぎて,広がり過ぎるのではないかというのが実質的な懸念かと思います。   そこで,資料14頁で御指摘されている,判例等を踏まえてですけれども,一つの提案として申し上げておけば,債務の不履行と同一の原因に基づき,債権者が利益を得たときというような何らかの限定がやはり必要ではないかと,思います。   具体的には,「債務の不履行と同一の原因に基づき債権者が利益を得たときは,裁判所は,これを控除して損害賠償の額を定める」というものです。ただ,この表現については弁護士会で協議した結果ではございませんので,念のため。 ○鎌田部会長 他に。 ○深山幹事 損益相殺について何らかの規定を設ける,明文化すること自体については私も賛成ですが,今も御発言があったように,利益をどう捉えるか,また,控除すべきという部分をどう規定するかについて,先ほどの過失相殺のところでも過失相殺することができるという趣旨で規定を置くという意見が多かったと思うんですが,ここでも損益相殺をどの範囲でするか,しないかということについて,やはり少し柔軟性を持たせた表現にすべきであり,必ずしなければいけないとかいうことになると硬直に過ぎるのではないかと思います。   利益の捉え方とも関係すると思うのですが,一方で利益があっても,その利益を得るために他方で別の負担をしていたりする場合に,どこまで控除するのかというようなことを個別具体的に考えていかないと,妥当な結論に至らないだろうと思います。先ほどの過失相殺の過失と同じように,なかなか具体的に基準を書きにくいところなので,やや抽象的な規定にならざるを得ないと思うのですが,「控除することができる」というような言い回しも含めて,多少,柔軟性を持たせておく必要があるのではないかという気がいたします。 ○鎌田部会長 そこはどうですかね。同一の原因に基づいて同一の性質の利益があったときに,しかし,損益相殺はしないことにしますというのも,これは裁量的にやっていいことなんですかね。 ○中田委員 ただいまの同一の原因と同一の性質ということについては,最高裁の判決にも出ていましたが,そこでは損益相殺的な調整が図られていたと思います。つまり,損益相殺と損益相殺的な調整というのと2種類があるわけですね。その両者を含むのか,狭義の損益相殺だけにするのか,ここは検討する必要があると思いますので,分科会で御検討いただければと思います。 ○山川幹事 今,中田委員もおっしゃられたことですが,これまで御発言のあった同一の原因という表現だけですと,損害の性質というものが考慮から外れる場合がありまして,労働災害の場合では例えば労働基準法の84条,それから,労災保険法の12条の4で例えば休業とか逸失利益と慰謝料というのは性質が異なるため調整の対象にならないということです。それを示すための表現は,「同一の事由」ということで,多分,原因というだけですと,異なる事由の損害であっても同じ原因ということになってしまいますので,もし規定を設ける場合は,その辺りも御留意いただければと思います。 ○潮見幹事 損益相殺的調整はちょっと置いておいてということですが,損益相殺というものを裁量的にやるかどうかという部分は,この制度自体をどう捉えるのかに掛かっていると思います。従来,諸外国で損益相殺ということを独立の条文にして置いていないところでは,損益相殺は損害というものをどのように確定していくのかという枠組みの中の議論だと捉えられていた節があります。また,日本の場合には,損益相殺というものが,ある時期から差額説と結び付けられて,差額説を正当化するために使われていたという沿革があります。し,仮に損害あるいは損害計算という観点から損益相殺の問題を捉えていくということになった場合には,ここに裁量だとか,何らかの規範的な価値判断というものが新たに入ってくるということはあり得ないということになりましょう。   それに対して,ある要件を満たした場合に,その利益を控除して,賠償される額を決めるべきかどうかというところで,損害の確定の場面とは異質な規範的な価値判断が働くのだと考えた場合には,また,違った考え方が出てくるでしょうし,更にそこでの規範的な価値判断を裁判官の裁量に委ねるかどうかというところになると,更に一歩の飛躍があり,そこまで今回の改正でやるのか,あるいはそれが現在の少なくとも判例とか学説とかが言っているようなところと平仄が合うのかについて,若干,気になるところがあります。   ただ,先ほど損益相殺的調整というのはちょっと置いてと申し上げましたのは,損益相殺的調整が問題になる場合,特に重複填補が問題になる場面では,単に損害とは何だというところの確定問題には限らない問題が出てきますから,どの重複する部分をどれだけ引くかというところが正に裁量とは違う意味で規範的評価の対象となってきます。そこで,もし,仮に損益相殺的調整ということをルール化するのであれば,何らかの措置を採っておいたほうがいいのではないかと思います。DCFR等がいろいろ工夫もしているところもありますから,参考になるかと思います。 ○岡崎幹事 損益相殺的な調整に関してですが,社会保険給付等がある場合の控除については,判例上,控除の適否又は要否について,支給される給付ごとに給付の制度の趣旨ですとか目的,あるいは代位規定が存在するかどうかなどといった調整規定の有無などの要素を検討して,判断がされていると思われます。これまでの判例は,あらゆる場合について,網羅的に判断しているわけではないというのが現在の状況ではないか,損益相殺的な調整がされるものもあるでしょうし,それをしないものもあるのではないかと思います。そうすると,それをうまく網羅的に条文でカバーできるのかどうかといったところが若干,懸念されるところでございまして,何らかの規定を設けるとした場合には,そうした要件の定め方をどうするかというところが一つ課題になってくるかなと思っております。引き続き分科会等で検討の対象になるかと思います。 ○鎌田部会長 他に御意見はいかがでしょうか。 ○神作幹事 損益相殺について会社法の観点から議論されておりますのは,例えば取締役がカルテルを結んで,それが独禁法に違反する一方,当該カルテルによって会社が何らかの利益を得ているような場合に損益相殺の主張が許されるかどうかという点です。当該カルテルについて法令違反に基づく任務懈怠により取締役が会社に対し損害賠償責任を負う場合,会社に利益があったことを当該取締役が主張して損益相殺をすることは許されないと解する見解が有力であると理解しています。すなわち,違法なカルテルにより幾ら会社に利益があることが明確であっても,反社会的な行為に基づき損害賠償責任を負ったようなシチュエーションで損益相殺をすることは許されないと考えるのが一般的ではないかと思います。したがいまして,もし,損益相殺を必ずしなければならないというルールになるようでしたらば,会社法の一般的な解釈との調整についても御配慮いただければと存じます。 ○鎌田部会長 他にはいかがでしょうか。   損益相殺につきましても,特に利益という語の明確化,損益相殺の対象となる利益の明確化と言っていいのかもしれませんが,この点を中心にして具体的な規定をどう書き表すことができるかという部分については,分科会で補充的に検討していただきたいと思います。その際,中田委員からの御注意もありましたけれども,固有の意味での損益相殺というのは,私の感覚では損害額の算定の問題であって,損益相殺的調整というのは,ある意味で過失相殺と並ぶような損害額の調整の問題で,そのどちらを対象とする規定なのか,あるいは両方をカバーできる規定を置こうとするのか。そこのところも含めて分科会で御検討を頂ければと思います。   ということで,少し遅くなりましたけれども,休憩を取らせていただければと思います。よろしいでしょうか。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,再開をさせていただきます。   部会資料34の「第1 債務不履行による損害賠償」のうち,「4 金銭債務の特則(民法第419条)」及び「5 債務不履行責任の免責条項の効力を制限する規定の要否」について御審議いただきます。事務当局から説明をお願いいたします。 ○新井関係官 それでは,御説明いたします。   「4 金銭債務の特則(民法第419条)」では,「(1)要件の特則:不可抗力免責について」において,金銭債務の履行遅滞責任につき,不可抗力でも免責されないとしている民法第419条第3項を見直すことの要否を取り上げています。甲案は現行法の規律を維持する提案です。乙案は,例えば不可抗力といった債務不履行の一般原則よりも限定された事由を免責事由として規定する提案です。丙案は,債務不履行の一般原則により免責を認めるとの提案です。   「(2)効果の特則」では,金銭債務の履行遅滞につき,利息超過損害の賠償を認める規定を設けることの要否を取り上げています。甲案は現行法の規律を維持する提案です。一方,乙案は利息超過損害の賠償が認められるか否かを債務不履行の一般原則により決するものとする提案です。もちろん,債務不履行の一般原則よりも限定された要件の下で,利息超過損害の賠償を認めるとの考え方もあり得るところであり,補足説明においては乙案の別案として取り上げております。   「5 債務不履行責任の免責条項の効力を制限する規定の要否」では,債務不履行の免責条項の効力を一定の場合に制限する旨の規定を設けるとの提案を取り上げています。   これらの論点のうち,「4 金銭債務の特則(民法第419条)」,「(1)要件の特則:不可抗力免責について」は,金銭債務の履行遅滞責任につき,免責を認めることの可否については最終的に部会で決定することを前提に,仮に免責を認める場合の具体的な規定の在り方等について,分科会で補充的に検討することが考えられますので,この点についても御審議いただければと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分につきまして,御意見をお伺いいたします。 ○大島委員 「(1)要件の特則:不可抗力免責について」でございますが,商工会議所には東日本大震災発生時の事例を基に,金銭は手元に準備してあったのに,決済システムが天災によるシステム障害で利用できなかったために,送金できなかった場合について免責される余地があるとの意見がございました。乙案の意義も踏まえて民法第419条第3項を削除する方向で検討を進めてはいかがかと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   他に御意見はいかがでしょうか。 ○高須幹事 今の同じ金銭債務の特則の(1)のところでございますが,弁護士会の中でも今回の会議に向けての検討作業の中では,乙案に対して非常に親和的というか,乙案がいいのという意見が強く出されております。やはり,これもある程度,大震災の影響というのもあって,一切,免責を認めないのかと言われると,そうではないという意見が強くなりまして,乙案を支持ということが非常に,今,弁護士会の中では有力でございます。 ○鎌田部会長 他にいかがでしょうか。 ○岡本委員 4の(1)につきまして,金銭債務の不履行にも免責があり得るという考え方は理解できないではないんですけれども,丙案まで行くことには慎重意見が大勢でございまして,甲又は乙の支持が多いという状況です。 ○能見委員 私も大震災というのがきっかけというわけでは必ずしもありませんけれども,金銭債務の不履行ないし遅滞によって生じる損害の利率について考えておく必要があると思います。法定利率も今は高いのでちょっと問題かもしれませんけれども,法定利率による損害については免責を認めないというのはあり得る考え方なのではないかと思います。   元々,この規定ができたときも,仮に不可抗力でもって債務者が債権者に支払うことができない状態があっても,返済すべき金額については,債務者にある種の不当利得が生じるので,その分は賠償という形ではありますが,やはり払わなくてはいけないのではないかという考え方が一つの根拠になっています。そういう考え方からすると,法定利率の範囲内での損害については不可抗力免責も認めない。しかし,実際には遅延損害についてかなり高率の利率を合意している場合がありますので,これについては不可抗力による不履行の場合には免責するということがあり得るのではないかと思います。 ○村上委員 訴訟を担当しておりますと,金銭債務の支払はできませんと言われる方に日常的にお目にかかります。そういう方に理由をお尋ねしますと,いろいろなことを皆さんはおっしゃいます。失業してしまったからお金が払えない,取引先が倒産してしまったからお金が払えない,そんな理由をおっしゃる方が非常に多いように感じます。他にも,家族が病気で入院したからとか,盗難に遭ったとか,あるいは火事で全財産を失ったとか,いろいろな理由があり得ると思います。そういう方には,例えばどこかからお金を借りてくるということはできないのでしょうかとお尋ねすることもございますが,貸してくれるような人はいませんという返事が返ってくるのが通常です。   こういう状況になった方が,例えば不可抗力の場合は免責されるというような条文を読んだとしますと,正に自分はそういう状況にあると感じるのではないでしょうか。そういう状況だというだけでは不可抗力とは言わないのですよと説明すること自体は可能かと思いますが,そういう状況にある方が,だって,自分はどうやってもお金の払いようがないのだから,これは不可抗力ではないのですかと思う,あるいはそうおっしゃる方は多分いらっしゃるだろうと思います。   先ほどから大震災の例が出されておりますけれども,そういう状況を念頭に置いて免責される場合があり得るという条文を作るのであれば,「不可抗力」という言葉ではなくて,他の表現を考えてはいかがかと思っております。つまり,「不可抗力」という言葉で,想定されているケースを表現できているか,言葉として適切かどうかということは,なお,検討の余地があるのではないだろうかと思うということです。 ○松本委員 16ページの2の真ん中の辺り,先ほどの大震災絡みのことで,洪水や地震のために,準備した金銭をもって支払をすることができなかった場合には,免責されるとの学説があると書いてあって,先ほども例えば決済システムが止まった結果として送金できないというような例が挙がっています。それはよく分かるんですが,現金を用意して家に置いておいたところ,流されてしまったというような場合にどうなるんですかということです。この学説を言っておられる方がここにいらっしゃらなければ意味がないんだけれども,決済のために用意したお金を洪水で流されたという場合に,債務が危険負担のように消えてしまうということは多分ないと思うんですが,ひょっとしたら考えておられるのか,あるいは遅延賠償がかなりの期間,免責されるというようなイメージなのかというところ辺り。決済システムであれば回復したらすぐ払えますというだけの話なんですが,用意したお金が流されたというのだと。 ○鎌田部会長 それは駄目でしょう。 ○松本委員 駄目でしょうというのは,一切,免責されない,遅延賠償も払わなければならないということですか。 ○能見委員 私はそういうことを主張しているわけではありませんけれども,今の例では金銭を用意していたのが流されたといっても,金銭債務は不能にならないというルールが適用されるので,本来の給付義務はそのまま残る。したがって,問題は遅滞の状態が生じて遅延損害の賠償についての免責を認めるかどうかですけれども,決済システムの障害だけでなく,洪水で流されたような場合には,場合によってはそういうのも不可抗力に中に入れる余地はあるのだろうと思いますね。 ○野村委員 これは効果のほうとも関わっているところもあると思うのですね。効果のほうで利息より超える損害の賠償を認めるということになれば,やはり不可抗力は考えざるを得ないのではないかと思います。切り離して考える部分もありますけれども,効果のほうとも関連しているのではないかと思いまして,一言申し上げました。 ○佐成委員 経済界の中で議論したときには,今,野村委員がおっしゃったとおり,やはり(1)と(2)でバランスが取れているという面もあるということでした。ただ,だから,どちらがいいということでは全くなくて,甲案ならこちらも甲だし,こちらが乙・丙なら(2)が乙と,そのような組合せが一つ考えられるということでございます。ただ,どちらがいいという点については経済界では賛否が分かれておりまして,どちらもあり得るという見解でございます。 ○能見委員 今の問題が出てきたので,もう一回,明確にしておきたいと点がありますけれども,金銭債務の不履行によって生じる損害というのは,大きく分けると3種類があって,一つは法定利率によって算定される遅延損害です。あるいは約定利率によって損害額を定めるという場合もそれに含めてもいいのかもしれませんが,先ほど言いましたのは,もう一つは金銭債務不履行の場合の遅延損害金として高率で,約定利率の倍ぐらいの損害金を約定しているという場合,それから,3つ目は,利率で定まる損害ではなく,例えば,債務不履行で債務者がお金を返してくれなかったので,債権者の営業が資金不足でうまくいかなくなって営業に関して損害を被ったとかいうような損害です。この三つを分けて考えるのがいいのではないかと思います。最初の法定利率ないしそれに類するものは不可抗力であっても免責を認めない。他方,3つ目の利息超過損害については,これをそもそも金銭債務の不履行の場合に賠償の対象として認めるか否かが問題ですが,これを認めるのであれば,ここでは普通の債務不履行と同じように考えているので,その原則を当てはめる。従って,不可抗力の場合には免責される。それから,両者のちょうど中間にある,先ほどの2つめの高率の遅延損害金みたいなものをどうするかが問題ですが,もうちょっと検討する必要はありますけれども,現在の私の意見では,ここは不可抗力ないし限定された事由による免責というのを認める余地があるのではないかと思います。 ○道垣内幹事 村上委員がおっしゃったこと,及び松本委員と鎌田部会長がお話をされたことと関係するんですけれども,不可抗力による金銭債務の不履行というときに二通りの場合があると思います。つまり,金銭を取得できないという場合と,履行方法が途絶されてしまったという場合です。そして,前者については,一般論としては免責事由として認めにくいだろうと思います。   そうなりますと,通常,予定される履行方法が利用できない状態になったことが問題になります。そのときは,仮に不可抗力のみを免責事由として規定する場合も,何について不可抗力による障害が起こったのかということを書かなければならないだろうという気がします。それでこそ,村上委員のおっしゃった,取引先がつぶれてしまったから仕方がないという言い訳を排斥するということができるようになるのではないかと思います。   もっとも,更に考えますと,例えば金銭債務であるとしましても,通常,ある一定の銀行振込の方法で履行することが予定されているときに,当該銀行がコンピュータの故障によって振込ができない状態になったということになりますと,私はこれは契約の解釈によっても対処できる問題ではないかとも思います。したがって,不可抗力の免責事由というのを絶対に入れなければならないとは必ずしも思わないのでして,かつ,入れなければ絶対に免責されないのか,遅延利息の発生というものが防げないのかというと,そうではないような気もいたします。ただ,仮に不可抗力を免責事由とする場合も,何についての不可抗力なのかということを書くべきではないかと思います。 ○中田委員 能見委員に御確認したいのですけれども,先ほど3類型があるとおっしゃった最初の法定利率によるものと,二番目の遅延損害金というものの区別がよく理解できなかったんですが。 ○能見委員 遅延損害金で約定利率とは違って,遅滞した場合には何%と定める賠償額の予定の一種だと思いますけれども,そういうのを一応想定していました。 ○鎌田部会長 不可抗力免責を認めたとしても,例えば決済システムが全部壊れたというと,弁済はできないけれども,債務者の手元にはお金があるので,極端に言えば,それが定期預金になっていて,そのまま要するに弁済しないでいいから積んでおくと,債務者のところには利息が発生する。これはある意味,清算しなければいけない。それを,運用利息でなくて,一応,そういう場合の調整は法定利息となっているのだから,法定利息分は常に支払えと,そういうふうなお考えですね。 ○能見委員 そういうことです。 ○潮見幹事 (1)については,甲案と丙案はある程度,なぜこういう立場が成り立つのかという説明は,賛否は分かれるとしてもできると思うんです。他方,乙案については,なぜ債務不履行の一般原則より限定された事由という免責事由が出てくるのかという点の説明が必要だと思います。もちろん,感覚的にはこれが免責事由にふさわしいというのだったら,それは感覚に任せて言っているだけであって,実際に条文にする場合に説明がなかなかしんどいかなと思います。まして,不可抗力ということになったら,前回の高須幹事のメモにもございましたけれども,そこの不可抗力とここの不可抗力とは一体何なのか,それから,道垣内幹事がおっしゃったような問題もありますので,こんなに簡単にいくのかという感じがいたします。その意味では,乙案は採れない。   甲案と丙案なのですが,甲案の場合には,利息超過損害というものを認めるか,認めないかというところに若干,関係しそうです。むしろ,利息超過損害というものを入れた場合には,甲案をそこまで含めて認めるというのはちょっと難しいかなという感じがいたします。しかし,逆に利息損害に限った場合,一切の免責を認めないということで説明が付くのか。先ほどの道垣内発言の一部だけを切り取って申し上げることになるかもしれませんけれども,契約に照らして考えれば判断できるということであるのならば,丙案でもよいのではないかと思っています。   丙案では,債務者が免責ということを申し立てて,それがあたかも通るような方向に変わるのだという印象をお持ちの委員の先生方は多かろうと思いますし,それが実際の実務の状況ではなかろうかという懸念も承知はしております。しかし,丙案の基本的な考え方を金銭債務の場合に展開すれば,金銭が手に入らないということが契約の趣旨に照らして免責に相当する事由だと言えるかと言われたら,そうは普通は言えないという感じもいたします。乙案がいいというのが弁護士会の意見だと耳にしたところがございますので,どういう理由で甲案でも丙案でもない,乙案のような限定された免責事由が出てくるのかという御説明を頂ければ有り難いと思います。 ○山本(敬)幹事 答える立場にはないのですけれども,こういうことではないかという指摘をさせていただければと思います。  私自身は,乙案と丙案の間には実際には違いがないのではないかと理解していました。と言いますのは,債務不履行の一般原則がどのようなものかという点については,前回,議論のあったところですけれども,例えば,「債務の不履行が,契約その他の債務の発生原因に照らして,債務者の負担に帰せられない事由によって生じたとき」は,損害賠償責任は認められないということが一般原則だとしますと,金銭債務の場合は,金銭債務の発生原因に照らして「債務者の負担に帰せられない事由」というもののハードルが高くなるのだろうと思います。実際には,今,出ている例のような場合にしか,「債務者の負担に帰せられない事由」とは言えないことになるのではないのかと思います。   その意味では,乙案は,実は,このような債務不履行の一般原則を金銭債務について具体化しているだけではないのか。そうすると,乙案と丙案の間には実際には違いがないのではないかと,私は理解していました。ですので,規定がなくても同じことだと思いますし,しかし,誤解が生じないように金銭債務について一般原則を具体化すると,このような形になるというものが示せるのであれば,それでもよいのかもしれないと思います。しかし,私が今,言ったのとは違う考え方で乙案を主張されている方もおられるだろうと思いますので,その場合は,潮見幹事の御指摘にお答えいただければと思います。 ○鎌田部会長 乙案を採って不可抗力の場合には一切,何も支払わなくてよくなると,利息相当分もという意味なんですけれども。 ○山本(敬)幹事 それは立場が分かれるのではないでしょうか。 ○鎌田部会長 他にはいかがですか。結局,甲案,乙案,丙案,それぞれに支持の意見があったということになりましょうか。 ○内田委員 潮見幹事の御意見と似ているのかと思うのですが,現実の債務には金銭債務に限りなく近い非金銭債務があるわけですね。金銭というのは極限の種類物であって,極めて調達が容易な種類物である。しかし,今日では,それに極めて近い債権債務はあるわけで,それと区別して,なぜ,金銭債務だけ特則を置くのかという説明がやはりきちんと付く必要があるように思います。他の債務については一般原則があって,社会通念上の不能とか,いろいろな免責の要件があり,金銭債務に限りなく近いものについては,免責される場合というのは極めて限定的なのだろうと思うのです。ところがそれとは別に金銭債務だけを切り出すと,金銭債務以外のものはもう少し広く免責されるというメッセージを送ってしまうように思います。ですから,そこの説明がきちんと付かないと,明文化はリスクがあるという印象を受けます。 ○能見委員 繰り返しになるかもしれませんけれども,やはり問題は現在の419条の第3項というのを残すかどうかということなんだろうと思いますが,それも残さないで全て一般原則でいきましょうというのは,もちろん,あり得る選択肢だと思いますけれども,同時に恐らく賠償の範囲についても,一般原則を適用して,法定利率とか約定利率による損害に限定しないというのが,一つの極の考え方ですね。他方で,419条の第3項のようなものを残すというのは,賠償の範囲を限定する,金銭債務の場合には当事者が主張すれば賠償範囲がどんどん広がるということを一応押さえるという代わりに,しかし,3項がセットになっていて,不可抗力による免責を認めない。どちらを選択するのかという問題です。私も先ほど乙案というのがあり得るとは言いましたけれども,積極的に乙案に賛成するわけではなくて,甲案と丙案というものをセットにするというのもあり得るだろうと思います。 ○中井委員 弁護士会の意見を申し上げておきますと,要件の特則については,先ほど高須幹事からありましたように乙案が圧倒的に多い結論です。そして,(2)の効果の特則については,ほぼ甲案でした。   弁護士会の考え方は,それでは矛盾するではないかというのが潮見幹事の意見であろうかと思いますけれども,弁護士会は(1)について甲案,(2)についても甲案,実はこれを基本としているのだろうと思います。(2)のほうの甲案,つまり,利息超過損害の賠償を認めないというほうから申し上げますと,17ページにも判例がそのように解している根拠を指摘されておりますけれども,弁護士会の多くの意見も,金銭について仮に債務不履行による損害賠償を認めると,債務者に極めて過大な,過酷な結果を及ぼすのではないかという懸念,つまり,お金を払わなかったから,手形の決済ができなくなって,会社がつぶれた,それによって莫大な損害を被った,そういうことまで損害賠償の範囲に入る可能性があることへの懸念です。そういう理由から基本的には(2)で甲案を採って,そのバランス免責を認めないのではないかと思います。   にもかかわらず,(1)について乙案で意見の一致を見た理由は,震災を前にして,究極の種類物と先ほど内田委員はおっしゃったのでしょうか,正にそういうものですから,本来であれば免責を認めないという考え方が素直であるのだけれども,震災という現実を見たときに,金銭といえども,一定,限られた場面で不可抗力免責を認める場面があるのではないかという意見が支持を集めた。   今,御議論を聞いていて,更にそこから生じる問題点を詰めたのかと問われると,必ずしも十分詰められていなかったのかもしれないという気持ちがしております。ただ,金銭ですから不可抗力があっても,不可抗力が解消するまでの間,遅滞の責めを負わないだけであって,本来的な金銭支払債務が免責されることはあり得ないと理解をしています。つまり,例えば大震災であれ,コンピュータが壊れた場合であれ,コンピュータが回復したときに支払可能になるでしょうし,震災であれば,期間を限定するのはどれぐらいが適当かは非常に難しい問題かもしれませんが,一定期間,遅延に基づく損害賠償はないけれども,一定期間で社会基盤整備が完了したら払えるとすれば,そこから遅滞の責めに負うとか,そういうことではないか。   それはぎりぎり不可抗力の場面だろう。それを更に広げるという考え方ではない。ただ,先ほどの山本敬三幹事のお話を聞いて,なるほど,一般則からいっても,金銭に限っては免責される場面というのは不可抗力に限るという説明も,確かに可能だとは思いました。弁護士会の意見が出た経過は,それが理論的な説明がどうかはともかくとして,以上のとおりだと理解をしております。 ○潮見幹事 一番最後に中井委員がおっしゃったことですが,仮に乙案を丙案の延長線上で考えた場合に,果たしてそれが不可抗力という言葉で表現し得るものなのか,すべきものなのかというのは,ちょっと話が違うのではないかという感じがいたします。むしろ,より適切に表現できる言葉を使うべきではなかろうかとも思います。しかし,それが丙案で書かれているものと違った形で表現できるのか,私には理解できません。   特に御発言の中で最後におっしゃられた一時的履行障害の話は,別に金銭債務に限らず,他の場面でも出てくることです。御発言では,例えば契約の目的物だとか,契約の内容だとか,あるいは契約を取り巻く環境だとか,そうしたものを考慮に入れて免責の可否というものが判断されるのではないかというニュアンスがありましたが,そうであれば,丙案的に考えた上で,金銭の特質を生かす形の何らかの表現振りができるのであれば,別に特別ルールを設けるのは構わないとは思っておりますから,工夫されるのはいいのではないかと思います。   ただ,(2)で気になったんですが,利息超過損害の賠償を認めた場合には,債務者に過酷なことになると言われますが,これも債務不履行の前回の415条で帰責事由という言葉を変えたら,無過失責任あるいは絶対責任になってしまうという批判と全く同じで,批判として私は成り立たないと思います。つまり,仮に乙案を採った場合でも債務不履行の一般原則によるというルールは保持するというものですから,一般ルールにより,当該契約の下で債務者が負担すべき損害とは一体何なのかということを考慮に入れていくことになっていきますから,決して債務者に過酷になるということにはならないし,なるべきではないし,そのような解釈が債務不履行の一般原則からは出てこないと思います。   ついでに申し上げますと,弁護士会の意見の中で特に消費者信用などのような場合に,債務者が消費者の場合,借主が債務者の場合に,特に貸金業者からの請求に対して,乙案のような考え方を採った場合には,莫大な損害の賠償を求められることにはなりはしないかという懸念が示されているかと思います。しかし,それも債務不履行の一般原則というところで考えた場合には,貸金業者というものは貸倒れのリスクも考慮に入れた形で,実際の自分の経営リスクというものを判断していると考えると,乙案を採った場合にも,御懸念になっているような債務者が過酷な負担を負うことにはならないと思っております。 ○中井委員 今の潮見幹事の御発言ですが,債務不履行の一般原則を適用しても過酷な結果を生まないのではないかと。それは,法律を正しく適用すればそうだという御意見で仮に正しいとしても,実務を行う者としての懸念は,仮に金銭債務について不履行が生じた,それによって損害賠償が法定金利若しくは約定金利を超えて請求できると,こういうルールとして一般化されたときに起こり得る紛争,その多様性を考えたときに,それは社会的なコストアップになるのではないかという実際的な懸念を有しています。先ほど言いましたように,そのお金が入ってこなかったら手形決済ができない,それがために何らかの事態が起こった,だから賠償せよ,というようにつながりかねない。その懸念が避けられないということです。 ○山本(敬)幹事 (2)のほうについて,よろしいでしょうか。先ほど申し上げたこととつながる面はあるのですが,今のような御意見はあるのですけれども,やはり金銭債務だからといって,賠償範囲について債務不履行の一般原則そのものが排除されるべき理由はないのではないかと思います。特に,金銭の交付を内容とした契約で,その金銭を交付しないと債権者に利用利益以上の損害が生じることが予見可能であって,しかも債権者にそのような損害を生じさせないようにするというリスクを債務者が引き受けたと見ることができる場合は,どうしてその損害の賠償が否定されなければならないのでしょうか。金銭債務の場合は,そこまでのリスクを債務者が引き受けたと見ることができる場合が少ないだけであって,そのようなリスクの引受けがあると評価ができる場合に,なぜ賠償が排除されなければならないのか。説明は難しいのではないかと思います。   その意味では,(2)については,基本的には乙案のように1項を削除して,債務不履行の一般原則によるものとするとしてよいと思うのですが,ただ,乙案をこのまま規定するのは問題もあります。と言いますのは,1項を削除して何も定めませんと,金銭債務の不履行の場合に,金銭の利用利益に当たるものが当然に賠償範囲に入ること,そして,その損害の算定は法定利率によって行われることが規定の上では見えなくなってしまいます。これはやはり問題で,その点について疑義が残らないようにするためには,他の立法例等にもありますように,原則として,金銭債務の履行期から実際に履行されるまでの間の遅延利息は賠償請求できること,それは法定利率によって算定されることを規定した上で,それ以上の損害については,一般原則によって賠償請求できるというような形で定める必要があるのではないかと思います。 ○中井委員 しつこくなるのかもしれませんけれども,潮見幹事も山本幹事もこの金銭債務の特則自体が理論的におかしいと,こういう御主張だろうと思います。そうだとしても,素朴に今の民法419条ができて100年以上,今まで運用されてきて,特段,これを変えなければならないという実務からの要請は,私はないと理解しているんです。   この規定が不当だと,利息超過損害は認めるべきだという積極的な経済界なり,何らかの金銭債務不履行を受けた権利者の方が,これでは不当な結果を生んでいる,実態としてはこうだ,だから,これは改めて,具体的に発生した損害について賠償を認めるべきだと,こう広く意見が聞こえてきているなら,私もその辺を理論的にもそうかと,実務上の要請もあるのかということで賛成することにやぶさかではありません。しかし,少なくとも弁護士会の中では,ほぼ一致して甲案ということは,そういう要請がない。むしろ,乙案に対する懸念が圧倒的なわけです。これは,民法改正において,どういう立場を採るのかということにも関連するのかもしれませんけれども,ここは本当に変える必要のあることなんでしょうか,変えるだけの立法事実があるんでしょうか。理論的に不整合であったとしても,ここは困ってなければ,このままでいいのではないかと,こういう考え方は採れないのでしょうか。 ○岡崎幹事 裁判所の中でも,今の中井委員の御意見に賛成する意見が多いと認識しております。本来,金銭というのは借入れが可能なものでございまして,利息相当額の損害のみを認めておけば足りるのではないかと考えます。もちろん,利息相当額を超える損害が発生するような事案が存在することは,否定できないところでございますが,普通の,利息相当額の損害のみ認めれば足りる事案においてまで,一つ一つ賠償範囲をめぐって紛争になりかねないという中井委員の御意見はもっともではないか,そういう意味で,利息相当損害額を超えても賠償されるということを明記することは,紛争を惹起するようなことになりかねないのではないかと,こういうような懸念も背景にはあると考えております。仮に何らかの規定を設けるとした場合に,非常に多種多様な利息超過損害が考えられる中で,それをどの限度で認めるのか,どこまでは認められないのか,これをきっちり書き切るというのも,また,これも非常に難しいという技術的な問題もあるのではないかと考えているところでございます。 ○岡本委員 (2)のところでございます。先ほど山本敬三幹事のほうから御説明がありまして,理屈としては大変よく分かるんですけれども,どちらかというと,理屈の上での話というよりも実際問題といたしまして,乙案を採った場合には賠償範囲が争点になって争いが長期化する不利益,これを無視することはできないと考えておりまして,この点は中井委員のお話に賛成でございます。利息超過損害の賠償は認めないという考え方につきましては,画一的な処理ができるということで争いの長期化の防止,これに一役買っていると考えておりまして,私どもとしては,これを維持する甲案に賛成ということです。 ○潮見幹事 紛争長期化のコスト・不利益というものは金銭債務に限ったことではありません。それ以外の債務不履行の場合にはどうなんだというところについては,考えなければいけないのではないかと思います。   それから,中井委員がおっしゃった部分に関わるんですけれども,本当に実務にそういう声がないのかというところに対する疑問を私は持っています。と申しますのは,例えば金銭債務の不履行があった場合に,前々回の会議で,利息債権あるいは利息の話が出たときに金銭を得て事業活動を行うときに,その事業活動ができなかったことによる不利益というものの賠償が問題になっているという局面は実際にあり,それから,下級審の判決もあり,その下級審の判決に対する判例批評などで,そのようなものを賠償として認めるべきであるという意見があることを承知しております。   そういう意味では,単に金銭債務の不履行があった場合に,それを利息損害というものに限った形で賠償を認めて,それで実務が全てうまくいくのかということになると,そこの部分については疑問があります。また,学説の中では利息損害に限らないという考え方が有力なのは一体なぜなのか,単に理論だけのことなのかということをお考えおきいただければと思います。   もう一つ,前々回の議論で出てきた利息の箇所で変動利率を採用するという形で立法方針が決定された場合に,それでも弁護士会は(2)のほうで甲案をお採りになるというおつもりなのでしょうか。中井委員のお考えはこの前,聞かせていただきました。そこでは3%か,何%かの固定利率で処理をすればいいというような発想だったと思いましたけれども,果たして弁護士会はそのときにどうお考えになるのかというのが気になりました。   乙案については,先ほどちょっと言葉が滑ったんですが,私も山本敬三幹事がおっしゃったような形で,例えばドイツだとかEUだとかにあるように利息損害の賠償を認めたうえで,それを超える損害についても主張立証に成功すれば,そして,それが債務不履行の一般原則によって賠償可能であると判断されるならば賠償を認めてよいというルールにするのが一番望ましいのではないかと思っております。   変動利率と利息超過損害の賠償の可否の点についてだけ,弁護士会の御意見を聴かせていただければ有り難いところです。 ○松本委員 17ページの補足説明の1のところで,甲案を支持する根拠として,①,②,③と挙がっているわけですが,①の部分,つまり金銭の用途はいろいろあるから,どれだけ損害が大きくなるか分からないという部分は,先ほど議論した通常損害,特別損害という枠組みで考えれば,思わない用途に使うつもりでいた場合を含めて何でもかんでも全損害という話には恐らくなってこないと思うのです。したがって,①で書かれていることは余り考慮する必要はないのではないかと思います。   他方で,②,③は確かに一理あって,先ほど私がちょっと発言しました代金支払用のお金を現金で用意していたんだけれども,津波で流されてしまったという場合に,それでも利息は払わなければならないんだ,なぜならお金なんだから,どこからでも調達できるでしょうというロジックでいくのであれば,ここの17ページの1の②,③は正にそのとおりなのであって,お金なんだからあるところから入ってこなくても,別のところから調達すればいいでしょうというだけの話になってしまう可能性が大きいです。そういう意味では,②,③はそれなりに説得力があって,先ほど議論した問題とセットで動かさない限りは,ちょっと動かすのは難しいのではないかと思います。   それでは,そもそも法定利息以上の賠償が取れないだろうかというと,金融機関が特定の目的のために融資をするという契約はたくさんあるわけです。そして融資交渉をしている途中で,突然,交渉を打ち切ったという場合の損害賠償,いわゆるレンダーライアビリティの一環として,融資交渉の中途挫折に関してもかなりの判例があります。それでは,融資契約が締結された。ところが融資しなかった。その結果,手形が落ちなかったとかいう場合はどうか。それでも法定利息だけなんですかというと,そうではないのではないかと思うんですが,その辺はいかがなんでしょうか。実際に裁判をやっても法定利息以上は認めてもらえないんでしょうか。6%以上はもらえないんでしょうか。そうではないと思うんですが。 ○中田委員 今の点なんですけれども,二つの方法があると思います。つまり,債務不履行ではなくて不法行為だと構成して認めるという方法と,貸付をする債務は金銭債務ではないんだと債務の性質を変えるという方法とあると思うんです。しかし,むしろ,端的に債務不履行責任を認めていいのではないかというのが,学説の議論としては相当あるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 他にはよろしいですか。 ○高須幹事 今の議論ではなくて残っている5のところ,18ページ以下のところの免責条項の効力の問題でございますが,御指摘いただいているように不当条項規制との関係で,不当条項規制の中に置いて全くそれで支障がないようであれば,二重に書くことはないわけですから,それはやはり不当条項規制との兼ね合いでどうするか,全体の立ち位置を決めればいいと。ただ,その書き振りがリストを設けない場合にもこの条項だけは,これを作るというような書き方になっているんですが,そこはもう少し検討する必要があると思います。不当条項規制のリストを仮に設けるとしても,適用の範囲についてもまだ議論がこれから続くと思いますが,例えば不当条項規制を全ての契約取引に適用するのではなくて,特定の契約取引に適用するというような場合,つまり,リストに漏れとは言わないけれども,対象に限定がある場合,そのような場合にも免責条項に関してはある程度,広く一般的に検討すべき問題ではないかと思っております。   債務不履行責任についてやはり前回来,議論しておりますように契約という観点から考え直していくようなときには,免責条項の問題については,広くワンセットで取り扱うべきだという意見が弁護士会の中でも強うございますので,今日のこの御指摘の資料の方向性で基本的には異論はないのですが,不当条項規制を将来,設けなかった場合,あるいはその適用範囲に制限が設けられるような場合については,この問題については更に検討する必要があるのではないかと,このようなことをお願いできればと思っております。   ただ,その場合に反論として,どのような取引にも認めるという話になると,取引類型によっては免責条項が合理性を持つ場合があるわけだから,むやみに制限するというのは妥当性を書きますよという批判も出てくると思うのですが,そこは参考資料にも御指摘いただいているように,ユニドロワなどでも何でも駄目だと言っているわけではなくて,著しく不公正でしたかね,一定の要件を持って絞りを掛けているわけでございますから,絞りを掛けるということで,その代わり,適用範囲に変に限定を設けないと,こういう方向性が一般的な民法としては座りがいいのではないかと,このように思っております。 ○松岡委員 すみません,先ほどの金銭債務の問題にもう一遍戻ります。私自身,まだ,迷いがありまして,どちらに向くべきか決めかねています。理論的には潮見幹事や山本幹事がおっしゃるとおりですが,先ほど潮見幹事が,金銭債務の不履行についても一般原則によるとしても,紛争長期化のコストは金銭債務だけに特徴的なものないとおっしゃった点は,やや疑問です。少なくとも今までは裁判所の扱いは,おそらく金銭債務の不履行については法定利率若しくは約定利率に限ることを前提に運用されてきましたので,これを切り替えることになりますと,金銭債務はあらゆる契約で対価となる最も多く生じる債務ですから,社会的な影響力はやはり無視できません。そういう点で,なお迷っております。   それから,更に技術的に詰めていただくべきことに関係すると思いますが,金銭債務については基本的には法定利率に限定しつつ,特段の事情があるときには,それを超える損害の賠償を認める,という規律が民法全体にかなりあります。647条は,受任者の金銭の消費についてのそのような趣旨の特別責任で,701条で事務管理にも準用されており,同じような規定が873条の後見人の監督の責任の規定です。さらに704条も同様の規定であると理解できると私は思っています。金銭債務の不履行についての一般的な規定を改めて不要としますと,こうした条文についての調整を図る必要もある,ということを申し上げておきたいと思います。   そして,更に申し上げますと,現在,例えば弁護士費用の賠償は,不法行為に基づく損害賠償については認められますが,債務不履行については基本的には認められません。なぜならば,契約で違約金等を定めることで対応できますから,一般的にそこまで認めるのは適当ではないからです。せいぜい不法行為のような性格を持つ例えば安全配慮義務違反等について例外的に認めるとなっているように思います。しかし,これは必ずしも十分な区別ではございません。よく考えますと,不法行為に基づく損害賠償も,加害者が素直に責任を求めて直ちに払えば,あえて弁護士費用などは必要にならなかったわけで,要するに損害賠償債務は,本当は損害賠償債務の不履行による損害賠償だと言えなくもないわけです。債務不履行責任一般についてどこまで損害賠償を認めるか次第で,直ちに弁護士費用の賠償まで入ってくることにはならないと思いますし,弁護士費用の賠償の問題は訴訟費用の敗訴者負担とも絡んで,簡単には片付く話ではないと思います。しかし,金銭債務の不履行について,一般原則どおりとすることによって,そういう弁護士費用の賠償についても影響が出ないのかが,若干,気になるところでございます。 ○山野目幹事 4の論点について分科会との関係で提案が一つ,それから,5の論点について意見がございます。   4の論点についてでございますが,4(2)の論点につきまして,しばらく前の中井委員の御発言で,理論的にはともかく,立法事実がないではないかという御指摘を受け止めて,反面において山本敬三幹事のほうから乙案を採る場合にも419条1項を削除して,あと,何も書かないということは支障が起こるという御意見もあって,この二つの意見を受け止めたときに,仮に乙案を採る場合になされるべき処置については,少し技術的,細目的な検討が必要であるというふうな予感を抱きますし,また,それが適切にできれば中井委員の御意見と山本敬三幹事が下さったヒントを踏まえて,何か新しい規律を構想することもできるであろうと感じます。潮見幹事が御示唆になったように,ひょっとすると419条2項の証明すべき損害と,それを要しない損害をうまく切り分けていくということも,あり得るのではないかと思います。そこで,意見ですが,分科会のほうが(1)の要件のみ検討の委ねられても,少し議論をしにくい面もあるであろうと感じますから,(2)のほうについて,今,申し上げた点も含めて分科会で補充的に議論していただくのがよいのではないかと考えるものでございます。以上,4についてです。   それから,5についてでございますが,高須幹事から御意見がありましたとおり,この議論は不当条項規制でリストを作るかどうかという問題と関連しておりますが,議論の進め方といたしましては,リストを作るかどうか自体はまた後の機会に議論があると思います。その議論の進め方についても,初めからリストを作ると決め付けるというよりは,こうした局面ごとに出てきた論点を積み上げていって,ある局面でリストになるというふうな議論の進め方もあり得るものと思われますから,是非,この5の論点につきましては一定の要件というものの絞り方について検討を要しますが,ここで御示唆になっているような規定を設けるという方向で検討を続けていくのがよろしいのではないかと考えます。 ○岡本委員 5の部分なんですけれども,前から申し上げていることとちょっと重複はしますけれども,民法90条の具体化ということでしたらば,民法90条があれば足りると思いますし,元々民法90条は一般条項として常に適用されるものですから,債務不履行による損害賠償責任を免除する契約条項について,特に具体化する規定を置く必要もないのではないかと思います。元々民法90条のような一般条項は要件化になじまないというところがあると思いますし,他のところでも申し上げておりますけれども,一定の場合について具体化する規定を置きますと,一般条項としての性格が見えにくくなるのではないかという懸念もあるものですから,提案のような規定を設けることには反対して,民法90条に委ねるのがよいと考えております。 ○佐成委員 私も基本的には,今,岡本委員がおっしゃったところには少なからず賛同しているところなのですが,必ずしも議論自体を否定するような趣旨ではございません。ただ,補足説明の一番最後のところに書いてある,事業者間の契約においては,当事者双方の利害調整を契約全体の中で行っているものが少なくないのであって,そのうちの一つの条項のみに着目して不当性を論ずるというのは不適切ではないかということは経済界一般でも言われている話なものですから,そこを充分踏まえて慎重に議論していただくということであれば差し支えないと思います。 ○山本(敬)幹事 5の免責条項については,私自身は不当条項規制の中で対応すべきだと考えていますけれども,仮に不当条項規制についてまとまった規定をしないということになればという前提で意見を述べたいと思います。あるいは,そこで不当条項規制を定めるにしても,そこでどう定めるかという点に関する意見としても申し上げたいと思います。   債務不履行の免責条項については,御承知のように,従来から,債務者に故意がある場合でも免責されるという条項は,公序良俗に反し無効だというのが確立した考え方ですし,更に,債務者に重過失がある場合でも免責されるとする条項も,同じように無効だと考えるのが現在では一般的ではないかと思います。  もちろん,これをそのまま明文化することも考えられはしますけれども,これらの免責条項がどうして無効とされるかと言いますと,債務者が債務を負っておきながら,故意に債務を履行しなくても免責されるとすれば,債務を負った意味がない。重過失でも免責されるというのも,僅かな注意すらしなくても免責されるとするなら,やはり債務を負った意味がない。そういう趣旨によるのではないかと考えられます。   そうしますと,例えば売買契約で,目的物に瑕疵があっても免責されるという条項でも,瑕疵が重大で,その対価でその目的物を買った意味がおよそないような場合は,たとえ事業者間契約であったとしても,無効になるのではないかと思います。  したがって,方向としては,どう定めるかという文言よりは考え方としてはですけれども,一定の対価で一定の債務を負う場合に,その趣旨を実質的に失わせるような条項は,無効とするというような規定を定めることが考えられます。例えば,その免責条項が「債務者が当該債務を負った意味を失わせるとき」は,無効にする。そして,その具体化として,先ほどのような免責条項は無効とするというような考え方で対応することが考えられるところです。 ○中井委員 5については,今の山本敬三幹事の意見に賛成をいたします。それにとどめます。   もう一度,4の(2)に戻りまして,先ほど潮見幹事から投げ掛けられたことに対して,応答を弁護士会としていないので。まず,私の立場は前の法定金利のところで申し上げましたけれども,基本的には運用金利よりは調達金利を考えて,現在の5%でも決して高くないと考えております。今回の補足説明17ページでも出ていますけれども,金銭は相当利息を支払えば取得できる,その趣旨は調達金利を念頭に置いているのではないか。それが利息相当額となって,その範囲の賠償にとどめるという案につながっていると理解をしているわけです。  弁護士会は,変動金利制を採ることに賛成しているところが多いと申し上げました。恐らくそれに対してどう考えるんだと。弁護士会は変動制ということについては,経済情勢の変動に応じて,場合によっては何らかの指標を設けて,それによって法定金利を変動させることについては,ある程度の理解をしたということです。しかし,そのときの金利水準をどうするかということについては,前に言いましたように例えば銀行間金利,国債金利等を指標にして,その数字をそのまま使うと考えている人はまずいなくて,そこに何%を乗せるのかはともかくとして加算をする。その加算の意味するところには,私の理解するところでは調達金利的な要素も踏まえて加算されている。そこで,6か月か,1年か,2年かは分かりませんけれども,変動制を採っているだけですので,変動制を採ったからといって,利息超過損害を認めるという方向に,弁護士会の意見は決してならないと理解しておりますし,そのこと自体で矛盾するとも思っていません。   それから,潮見幹事が,金銭を債務不履行一般原則に委ねた場合の私の懸念に対して,それは他の債務不履行でも一緒ではないか,コスト的には同じではないかとおっしゃられたわけです。しかし,実務感覚としては現在,裁判所の訴訟事件のうち,金銭の支払を求めるものが圧倒的割合を占めるのではないか。そのときに常に債務不履行に基づく損害賠償額として,つまり,今では訴状送達の日から若しくは債務不履行時から5%ないし6%で請求しているものが全て個々の事案ごとに損害の範囲について議論になり得るということ自体,紛争コストがかさんで無視できないものではないかと思います。物の引渡請求等と比べればその損害の広がりは圧倒的に違うわけですから,その点は無視できないと思っています。   更に潮見幹事の御意見を聴いて,この金銭債務不履行に基づく一般原則を適用した場合であっても,証明を要しない損害として約定金利若しくは法定金利を考え,証明を要する損害として,それを超えた予見可能性のある損害を考えるのかと思います。そのおっしゃることは先ほどの通常損害と特別損害の区分けに関する議論でいうならば,前者が私の理解するところの通常損害で,後者が私の理解するところの特別損害で,金銭債務については,そういう意味では,通常損害のみを認めて特別損害は認めないという割り切りをしているということかと思います。その割り切りは理論的に説明できないかもしれませんけれども,先ほど申し上げたことから,合理性があるのではないかと思う次第です。   加えて,松本委員から金銭を貸すと約束していたのに,金銭が不履行されたときの損害賠償も法定金利ないし約定金利でいいのかという御質問だったかと思います。それについても私の結論としては,それでよいと言わざるを得ないんですが,もし御心配があるのなら約定金利といいますか,消費貸借契約の中で特段の合意をすべきだということになるだろうと思います。その理由ですけれども,売買,請負,役務提供,その他何でも金銭支払請求になるわけですけれども,そのときに債務者,支払う側が通常,想像するであろう金銭債務の不履行による損害賠償に,債権者側がその資金を何に使うかということなどは,想定外だろうと思うんです。だからこそ,金利相当額の損害賠償で通常は収まる。ところが金銭を貸し付けるというのは,借りるほうは借りたお金で何か事業をするなり,機械を買うなり,家を建てるなりをする。それが債務不履行で交付されなかったとすれば,特別な手当てが必要なのかもしれませんが,そのことをもって債務不履行一般について一般原則でよいというのは,少し場面が違うのではないか。仮にその場面を考えるなら,先ほど松岡委員からも御示唆がありましたけれども,各契約類型に応じて別途,考慮すべきこととして処理するかということではないかと思います。 ○松本委員 中井委員のおっしゃったことを私も意図して先ほどの発言をさせていただいたわけで,金銭債務一般についてという話ではなくて,金融機関が顧客と交渉して,こういう用途のためにいついつお金が要るんだから貸してくれと言って,融資の話合いがまとまったにもかかわらず,その融資をしなかったことによって例えば手形が落ちなかったとか,取引先に決済できなかったとかいうことによる損害,つまり,言わば契約の中に既にビルトインされた内容であれば,当然,債務不履行としてカバーしてもいいのではないかという趣旨です。そうでないような場合,一般的な代金債権について取立てに行って,あなたが私にこれを払ってくれなければ,私がこっちを払えなくなって,したがって,大変なことになるんだと告げられたからといって,それで急に予見可能性が出て,賠償範囲が大きくなるということはあり得ないのだろうと思います。最初の契約の中に組み込まれているような金銭支払の用途との関係があって初めて,そのリスクは債務者が引き受けていると評価できることになると思います。 ○高須幹事 すみません,4と5が行ったり来たりで申し訳ないんですが,5の免責条項のところ,先ほど幾つかまた御意見を頂きましたので,少し私どもの弁護士会の意見なども紹介したいと思います。御指摘がありましたように不当条項のほうから考える,不当条項アプローチというような言い方を仮にさせていただくとすると,公序良俗の具体化という観点が前面に出てまいりまして,その在り方をどうしたらいいかという議論の中で検討すべきことになっていくと思うんですが,実は弁護士会の中には,ここについてはやはり債務不履行法理との関係でむしろ考えるべきではないか,損害賠償法理との関係で考えるべきではないかという意見が比較的多うございまして,ここの論点については規定を設けることに前向き,賛成という意見がかなりの多数ということになっております。   その中でも,横浜弁護士会の意見などでは,この帰責の根拠の問題と免責条項の問題というのは表裏一体だと,つまり,先般来,議論していますように契約というようなことを損害賠償帰責事由の中身として考えていった場合には,今,山本先生から御指摘があったわけですけれども,それを無にするような約定というのは,そもそも認められないのではないかというところで,数ある不当条項のリストの候補のようなものの中でも,ここはむしろ債務不履行法理と直結しているのではないかと,こういう御意見を頂いておりますので,そういう意味では,私も同じ意見なんですが,この論点を切り出して前向きに考えるということはあり得るのではないかと思っております。   その限りで,今,佐成委員からも御指摘があったように,事業者間契約などで一部,ここだけを指摘されるのはいかがなものかということがあるというのは,確かにそのとおりだと思いますので,そこはやはり契約の目的とか,そういったものの観点から考える,ユニドロワもそういう表現を使った上で,著しく不公正かどうかという要件を設けているわけですから,日本の民法でどういう規定の仕方にするか,もちろん,表現はこれから考えていけばいいと思いますけれども,そういう配慮を忘れないということを前提に,規定を設けるということがやはり妥当ではないかと,このように考えておる次第です。 ○鎌田部会長 規定の具体的な中身を提案していただけると助かるんですけれども。 ○高須幹事 来年の頭までに考えてまいります。 ○野村委員 5番の問題なのですけれども,今日の最初にあった賠償されるべき賠償の範囲について,当事者間で自由に決められるということに仮になるとすると,これと免責条項と,それから,この先に議論される420条とは密接に関連していると思うのです。現在の日本の民法は420条のところだけがかなり突出した規定になっているのですけれども,ある程度,バランスを取った立法が必要なのはないかと思います。あるところでかなり細かく契約の自由を制限しているときに,他のところでは自由だというと少しバランスが悪いなと思いました。 ○鎌田部会長 「4 金銭債務の特則(民法第419条)」の「(1)要件の特則:不可抗力免責について」に関しましては,甲,乙,丙,いずれの案についても支持の意見があるわけでございますが,甲案は現行法の維持であり,丙案は単純に言えば419条3項の削除ということでございますけれども,丙案も単純削除でいいのかと,あるいはそれと効果との関係をどうすべきなのかというふうなことも御意見のあったところであります。乙案に関して言えば,債務不履行の一般原則より限定された事由を例えば不可抗力のみを免責事由とするという,この提案だけでは中身がいかにも不十分でありますので,乙案については少なくとも具体的な規定の在り方について,分科会で補充的に検討していただかなければいけない。そして,場合によっては丙案を採った場合の事後処理とか,現行法で言えば,効果に当たる部分について,これも並べて単純削除でいいのかどうかというふうな問題についても,申し訳ありませんけれども,分科会のほうで補充的に議論をしていただきたいと思います。   (2)につきましては,甲案を支持する意見も強く述べられ,また,乙案的な意見も強く述べられていたところですので,引き続き検討を続けさせていただければと思います。山野目幹事の提案も,(1)がどうなるかによって(2)が変わってくると,そういう意味であると思います。フランス法的に,日本法で言えば第419条に第4項があって,特段の事情がある場合にはというふうな規定がくっつくという考え方もないわけではないだろうと思いますけれども,(1)の要件のほうの変動に合わせて(2)の効果の部分について,どのような検討が必要かということ,これも分科会のほうで御検討いただきたいと思います。   「5 債務不履行責任の免責条項の効力を制限する規定の要否」につきましては,引き続き反対の意見と強い支持の意見と両方があったところで,引き続き検討していきたいのですけれども,一方では不当条項規制の中で,どこまでこの趣旨を盛り込めるかということもありますけれども,不当条項規制のリストができる,できないにかかわらず,こういった条項をこことの関連で設けるべきであるという御主張もあるわけでございます。不当条項規制の検討のときには少なくとももう一度議論が出てくると思いますけれども,具体的な御提案内容を提示していただかないと,これ以上の議論が進めにくいと思いますので,よろしくお願いいたします。   残り時間が少なくなってまいりましたが,まだ,当初の目標よりもはるかに手前におりますので,恐縮ですけれども,もう一項目,進みたいと思います。部会資料34の「第2 賠償額の予定(民法第420条,第421条)」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○新井関係官 それでは,御説明いたします。   「第2 賠償額の予定(民法第420条,第421条)」では,アにおいて民法第420条第1項後段を削除することを提案しております。イでは予定された賠償額が実際に生じた損害額と比較して不当に過大であった場合に,甲案として裁判所が賠償額を合理的な金額まで減額できる旨の規定を設けることを提案しております。乙案は,この点につき特段の規定を設けず,公序良俗(民法第90条)等の一般条項に委ねることを提案しております。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分について御意見をお伺いいたします。 ○大島委員 イについででございますが,甲案を採用する場合は不当にという概念と公序良俗違反がどのように異なるのか,違いを明確にしておかなければ,国民や企業が混乱するのではないかと思います。賠償額が契約金額の何倍以上なら不当に過大となるかは定量的には表せず,不当性は契約の内容によって異なってくるものと思われます。商工会議所には結局のところ,公序良俗という規範概念から判断せざるを得ないのではないかという意見がありました。   規定の置き方については,不当で過大であった場合に,裁判所が賠償額を減額できる片面規定ではなく,増額することもできる両面規定としなければ,バランスが取れないのではないかという意見がありました。部会資料では不当に過小であった場合については,不当条項規制の問題として議論してはどうかとの提案があり,理解できないわけではございません。しかし,契約実務では損害賠償限度額が設定されることが多く,その場合でも故意・重過失がある場合には,当該損害賠償額限定条項の適用外とする実務も定着しているところでございます。こうした契約実態を踏まえ,規定を設ける場合には慎重な御検討を頂きたいと思います。 ○岡本委員 第2のアにつきましては,削除することに特に異論はございません。イのほうについては特段の規定を設けない乙案に賛成したいと思うんですけれども,理由につきましては先ほどの第1の5で申し上げたのと同じです。 ○佐成委員 アの論点については一読でも私は慎重論を述べたかと思いますが,現在でも慎重論で考えておりまして,単純削除については反対でございます。現行条文であっても公序良俗違反あるいは強行法規違反の契約条項,ここで言えば賠償額の予定の条項が無効であるということは明白でありますから,裁判所が無効な契約条項を前提に,何か判決を下すということはおよそ考えられないものですから,この条項があったとしても,弊害は生じないと思います。確かに,起草者はそういう解釈ではなくて,常に額の増減はできないというのが当初の立法趣旨だったかとは思うのですが,そうではなくて,この条文を純粋に見た限りで言えば,公序良俗違反の場合には,裁判所は強制できないのは当たり前の話なのですね。   ただ,ここの補足説明を見ますと,そうは言ってもこういう規定があると,裁判所が公序良俗違反で無効にするのを慎重にするという方向に強く働くのではないかという懸念が指摘されています。確かにそれももっともなのですけれども,裁判所が,当事者が諸般の事情を考慮して,当該契約において,これが妥当だという賠償額を自主的に決めことそれ自体を充分尊重するというのは,ある意味では妥当な方向性であって,それを裁判所のフリーハンドで駄目だというのもどうなのかなという気がいたします。つまり,当事者が諸般の事情を考慮して,きちっと合意したのであれば,私的自治の尊重ということから考えても,裁判所はそれなりに尊重して謙抑的な姿勢を取るということはある意味では正しいあり方ではないかと思います。   ただ,万一,賠償額の予定について本来は無効にすべきものを無効にできないとか,そういった懸念が本当にあるのだとすれば,アについては,賠償額の予定について公序良俗違反等の一般条項による規制があり得ることを明確にする,つまり当たり前のことではありますが,万一のことに備えて,公序良俗違反等の一般条項による規制があり得るという当たり前のことをきちっと条文に入れ込めば,それなりに生きてくるのではないかと考えております。   つまり,例えばですけれども,現行条文に「90条,91条に該当する場合を除き」とか,そういった文言を付加的に入れれば,自明のことだとは思うのですけれども,入れることによって裁判所は賠償額の予定が公序良俗違反であれば,当然,無効にして適用しないということが明確になりますから,御懸念といいますか,ここで立法提案の趣旨になっている過度に慎重にさせているという部分は払拭されるのではないかと思います。むしろ,単純に削除してイの条項みたいなものを入れてしまいますと,公序良俗違反や強行規定違反でなくても,裁判所には契約改定のフリーハンドがあるとも読めてしまう危険性がありますので,やはりここはそういったような形で手当てしていただいて,実害が生じないのであれば,それでよろしいのではないかと思います。   そういうことで,たとえ潜在的ではあっても,常に実損害の主張立証が必要だなんていうことになりますと,無用に争点が増えてしまうということも考えられますし,現行条文に若干の修正を加えるだけの方が単純削除よりもよろしいのではないかと思います。ですから,今日の冒頭にも申し上げましたけれども,この部分についても,あっさりと単純削除とするというのではなくて,立法に当たっての「震える手」と言いますか,そういった慎重な姿勢で臨んでいただきたいというのが私の意見でございます。 ○山本(敬)幹事 十分に手が震えているかどうか不安もありますが,賠償額の予定のうち,アの論点は私自身は賛成でして,イの論点のうち,特に効果論についてのみ指摘させていただければと思います。  前の第19回会議のときにも申し上げたのですが,これはやはり一部無効に関する原則と整合的に定める必要があると思います。法律行為に含まれる特定の条項の一部に無効原因がある場合のその条項の効力については,9月にこの部会でも議論しましたけれども,規定を設けるという案として,その条項のうち,無効原因がある部分のみが無効になるのが原則であって,例外として,その条項の性質から,他の部分の効力を維持することが相当でないとき,あるいは,当該条項が約款の一部であるとき,消費者契約の一部であるときを規定するかどうかについて,検討するとされていました。   仮にそのような形で条項の一部無効について規定するとしますと,過大な賠償額が定められた場合も,過大である限度で無効にするのが,原則になるはずです。これは,原則として,無効事由に当たる部分をその限度で無効にすれば,それで問題はない。契約をできる限り尊重するという考え方からも,そうすることが要請されるという考慮によります。  そうしますと,イの甲案で,「裁判所が賠償額を[合理的な金額まで]減額できる」とされているのは,二つの点で問題があると思います。   一つは,ここでは内容の当否が問題になっているわけですから,内容が不当であれば,その条項はその限りで当然に無効になるはずです。裁判所が減額するかどうかを裁量で決められるというものではないと思います。したがって,裁判所が賠償額を「減額できる」という定め方ではなく,「効力を生じない」という形で規定すべきだと思います。   もう一つは,どの限度で「効力を生じない」かということですけれども,前の部会のときに申し上げたように,「合理的な額」では,趣旨がはっきりしないと思います。先ほどの一部無効の考え方からしますと,やはり「不当とされる限度」とか,「過大とされる限度」で効力を生じないという形で定めることになると思います。  ただ,今日は詳しく申し上げませんが,約款の一部である場合,消費者契約の一部である場合には,全部無効を原則とすべきだと思いますけれども,そういった場合を除く一般原則としては,今,申し上げたような形になるのではないかと思います。 ○岡田委員 消費者は,いつもこの420条の第1項の後段で泣かされてきたと言えます。消費者契約のほうで手当てはされていますが,事業者が賠償額を予定してきた場合に,それが適切かどうかというのは,消費者契約法だけでは明確になりません。そういう点では,アは賛成で,イに関しては甲案と思ったのですが,今,山本さんの話を聴いていますと,そういう解釈ができるのであれば,必ずしも甲案賛成にしなくてもいいのかなと。ただ,乙案に関して反対したいと思います。 ○筒井幹事 本日は御欠席の安永委員から事前に発言メモが提出されておりますので,読み上げます。   「第2 賠償額の予定」についてのアの提起について,賛成いたします。労働基準法第16条は賠償予定を禁止していますが,この条文が適用されるのは労働基準法の適用される労働者のみに限定されています。個人に直接雇用されている家事使用人については,労働基準法が適用されず,しかも封建的な身分関係が持ち込まれやすく,使用者が家事使用人に対して損害賠償予約等の不当条項を強いる危険があります。これを防止するため,民法で賠償額の予定について合理的な範囲で制限を加える必要があると考えます。   次にイについてですが,甲案を支持いたします。予定していた賠償額が実損害額と比較して不当に過大である場合には,裁判所が賠償額を減額できる旨の規定を設けるべきと考えます。この規定が設けられない場合には,民法1条2項の信義則又は同条3項の権利濫用で処理することになりますが,裁判所は減額に関する明確な条文が存在している場合と比較して,これらの一般条項を発動して減額することには慎重になりがちなのではないでしょうか。「予定された賠償額が不当に過大であった場合の規律」については,裁判所が減額できる旨の規定を明確に定めたほうがよいと考えます。以上の理由から,裁判所が賠償額を合理的な範囲まで減額できるとする甲案が望ましいと考えます。 ○中井委員 弁護士会の意見を申し上げておきます。アにつきましては削除することに賛成という意見がほとんどでした。イについては,一部,乙案もありますが,多くは甲案に賛成です。甲案でも基本的には私も先ほどの山本敬三幹事の発言に賛成です。弁護士会の多くも,甲案の別案の中でも不当に過大な部分を無効とする案に賛成する意見が多くございました。理由は省略させていただきます。私案としては,「予定された賠償額が実際の損害額と比べて不当に過大であるときは,過大な部分を無効とする」とした上で,考慮要素として何を書くかということですが,「契約の趣旨・目的及び公平に照らして」というものを考えております。まとめますと,「契約の趣旨・目的及び公平に照らして,予定された賠償額が実際の損害額と比べて不当に過大であるときは,過大な部分を無効とする。」というものです。ここは更に検討したいと思っております。   付け加えて,今回の提案では,結局,不当に過小であった場合については,本文としては取り上げられていません。弁護士会もここは意見が分かれておりますけれども,東京弁護士会の大西英敏弁護士からパブコメの結果を整理した資料を頂いております。パブコメの結果として,賠償額の予定について不当に過大であった場合,42の意見のうち29が賛成,つまり,何らか減額するなり,不当なりという方向の意見に賛成。賠償額が不当に過小だったものについても,44の意見のうち25が賛成ということで,いずれも賛成意見が多かったにもかかわらず,ここに入れられていないわけです。不当条項規制との関係については考えなければいけないと思っておりますけれども,ここについては,仮に著しく過小,それが不当であると評価される場合については,当該予定された賠償額を超える部分について,やはり請求を妨げられないという形で規定していくのが適当ではないかと私自身は考えております。具体的な私案として,「契約の趣旨・目的及び公平に照らして,予定された賠償額が実際の損害額と比べて不当に過少である場合には,予定された賠償額を超える請求を妨げられない。」というものを考えております。まだ弁護士会として意見が統一されているわけではありませんが,申し添えておきます。   なお,今,パブコメの結果についてここで御紹介したわけですけれども,実は前回の議論の辺りから弁護士会のバックアップ会議で,パブコメの結果について概要をまとめていただくようにお願いをして,手元にその傾向を持っております。できるかどうか,ですけれども,パブコメの結果が公表されているにもかかわらず,事務局サイドが作っていただく検討事項の補足説明の中に,その辺りの記載の整理がないわけです。これは我々委員ないし幹事が自ら一生懸命,パブコメの結果を見て,勉強してここに臨むというのが一つの在り方かもしれませんが,可能であれば,その辺りの情報がその都度の審議のときに出てくると,大変有り難い,そういう気持ちがありますので,併せて申し添えさせていただきます。 ○筒井幹事 ただいま御指摘がありましたパブコメの結果について,部会資料の作成上それを明示的に紹介するという御要望については,御要望として承っておきたいと思いますが,あらゆる論点についてその作業をするというのは,作業量が著しく重くなってしまいます。もちろん,それぞれの資料作成担当者は,全てのパブコメに目を通しておりますので,それを十分に把握した上で資料の作成作業をしておるわけですが,それを部会資料の中に明示的に書き込むかどうかについては,それぞれの論点に応じて必要かつ可能な範囲でということで,承っておきたいと思います。 ○内田委員 補足ですが,前にそのことをここで議論した際に,道垣内幹事からだったかと思いますが,パブコメの意見は貴重だけれども,パブコメ以外にも実際に論文とか,様々な形で意見が出ていて,どうしてパブコメだけを特別扱いして部会資料に書くのかという御意見がありました。私はそれはもっともな御指摘であると思いましたので,パブコメだけを書くのがいいのかどうか,迷うところもあります。   それから,中井委員から42分の29とか,44分の25という数字も挙げていただいたのですが,パブコメは賛成か反対かという形で聞いたものではありませんので,集計をして,どちらが多いということには余り意味がないという前提だったと思います。数の大小が問題になるなら,自分も意見を言いたかったという方もたくさんおられると思いますので,今回のパブコメについて,数を問題とすることが適当なのかどうかも気に掛かるところです。 ○深山幹事 中身の議論に戻って,第2の賠償額の予定について,既に同趣旨の発言があるので簡潔に申し上げますが,アの点については私も削除することに賛成をしたいと思います。公序良俗との関係で先ほど佐成委員からは当たり前だという指摘がありましたけれども,元々の立法趣旨なり,沿革等に照らして考えると,今でこそ当たり前であっても,旧来はそうではなかったのではないかということもありますし,条文としてこういうものがあると,一般国民にとって公序良俗規定と420条との優劣と言いますか,適用関係が必ずしも分かりにくいという意味でも,削除したらどうかという気がいたします。   イのところについては,これも既に御発言がありましたように,甲案,乙案というよりも,むしろ,先ほど山本敬三先生がおっしゃったように,条項として無効になるという意味では,その条項が言わば全体として効力がなくなって一般原則に戻る,一般の債務不履行の賠償責任の問題になるというのが原則なのではないかという気がいたします。   もう一点,これも指摘があった過小な定めがあった場合について申し上げます。今回の資料ではゴシック体の提案部分から落ちておりますが,アのところで増減することができないという規定を削除するということは,増減することができないわけではないということをメッセージとして発するわけで,そこでは増と減と両方の側面があろうかと思います。もちろん,過大な場合と過小な場合とでは状況が違うということは御指摘のあるとおりですけれども,しかし,過大の規定についての規律を設けるのであれば,過小の規定についての規律も検討すべきだろうと思います。   これは,先ほどの第1の5の債務不履行責任の免責条項との関係もあって,免責ではないものの債務不履行責任を制限する条項ということを考えれば,正に同じ問題になってくるので,賠償額の予定の規律の中で議論して規律を設けるのがいいのか,あるいは免責条項の延長線上で制限条項についてどう考えるのか議論するということでもよろしいかと思うのですが,いずれにしろ,不当条項規制についてどういう規定ができるにせよ,それとは別にこの問題を取り上げた規律が必要なのではないかと思います。   もう一点,補足しますと,やはり契約上の債務不履行があったときに,損害賠償責任というのは,ある意味で最終的に当事者間のバランスを取る最後の手段であり,そこで最終的に調整することによって合理的な解決を図るための制度だという気がしますので,先ほど山本敬三先生がおっしゃったように,債務を負担したことを無にするようなことを許すべきではないという観点から言っても,正に最終的な調整手段である損害賠償責任について,免責あるいは著しい制限というものは厳しく制約をするということを,一般条項の具体化と捉えてもいいと思いますが,明記すべきではないか,そのことに意義があるのではないかと考える次第です。 ○高須幹事 手短に,大部分は,今,深山幹事からお話しいただいたこととかぶっていますので,簡単に話しますが,私もアのところは削除でよろしいと思っております。佐成委員のほうからも,これまでの間の解釈に至った経緯を全て書けば,先ほどのような表現になるのではないかという御指摘も頂いておりますが,損害賠償の額を予定することはできると書けば,それは本来は拘束力があるということが前提ですから,それを増減できないと書いてしまうから更に90条の適用があると書かねばならなくなるので,むしろ,シンプルに削除ということでよろしいのかなと思っております。   それから,イのところは甲案,乙案のところは基本的には甲案なのですが,やはり23ページに出ている甲案の別案という先ほど来,山本先生から御指摘を頂いているような裁判所の増減の何か差配ではなくて,本来,民法的には一部無効ではないかという考え方のほうが親しみやすいのかなというイメージを持ちました。   それが一点で,もう一点はパブリックコメントの扱いなんですが,パブリックという名前が付いておりますので,もちろん,それだけが唯一の意見ではなし,それを必ず参照しなければならないということでもないと思うんですが,やはり原稿料ももらわずに書いていただいた人たちのことを考えますと,我々はそれに対しては一定の敬意は払うべきではないかと。幾ら法律の論文の原稿料が安くてもやはり有償でございますから,有償と無償のところには決定的な違いがあるのではないかと思っておりますので,これからも敬意だけは忘れないでいきたいなと思っております。 ○道垣内幹事 敬意を払うべきことは認めますが,大学の紀要は全て無償ですので,有償だからではありませんね。 ○高須幹事 失礼しました,申し訳ありませんでした。 ○鎌田部会長 その点はまたいろいろ議論があると思いますけれども,有償,無償は別にしても,パブリックコメントに寄せられた意見は,直接,この部会に宛てられたものであるという点では,他のものとは少し違う性格を持っていることは確かだと思います。ただし,今回のものは論点整理に関するパブリックコメントであって,中身についての意見を網羅的に出していただくことをお願いしたわけではないという点で,特に数的な処理にはなじみにくい要素があるという点も御理解いただいて,パブリックコメントに寄せられた意見の中身をどう今後の部会資料に取り込むかと,こういうところでの工夫で対応することを原則とさせていただければと思っております。 ○能見委員 何点かあるんですが,第1は,公序良俗と420条との理論的な関係みたいなものですけれども,私の理解は仮に賠償額の予定を定めても,これも合意ですから公序良俗違反の要件を満たしていれば本来は無効なのだろうと思います。ただ,賠償額の予定というのが単に過大だからという意味では,公序良俗違反にならないし,そういう意味では減額ができないのだと。それが420条の本来の意味ではないかと思います。   したがって,現在,問題となっているのは公序良俗論自体が少し変容しているので,そうした新しい公序良俗論によると,それを適用すればいいというだけの問題なのかもしれませんが,伝統的な公序良俗論から比べると,少し要件を緩和して減額をしていくというところに,賠償額予定の問題があるのだろうと思います。要件が緩和されている部分というのは,不当に過大,損害賠償額と比較して不当に過大ということですが,そこで合意されている額が余りにも過大であるというときには,厳密には公序良俗違反とは簡単には言えないかもしれないけれども,減額をしたらどうかというのがアの考え方なのではないかと私としては理解しております。理解の仕方はどうであれ,アについてはそういう意味で賛成であります。   効果の点も今の理論的な問題と関連させますと,本来,公序良俗違反であれば条項全体が無効になるべきところ減額という形でもって介入するということに意味があるというだと思います。どこまでが減額されることになるのかということについては,先ほどからいろいろな議論がありますが,私も実際の損害額にまで減額されるのではなく,不当に過大な部分というものが無効になって,不当に過大とまでは言えないという額に減額されるというのがいいのではないかと思います。   それから,今までで出ていない論点として,賠償予定額が過大であるという場合の他にも減額事由として考えるべきものがあるのではないかということです。以前にももしかしたら,この会議で申し上げたことがあるかもしれませんが,一つは過失相殺です。過失相殺が認められるような場合であるために,本来の損害賠償であれば減額されるという場合であるとすると,賠償額の予定もそれと同様に考えてよいのではないかということです。   もう一つはちょっと微妙なんですが,債務不履行があると賠償額の予定条項が発動されて,そこの額が賠償額とされるわけですけれども,例えば一部の不履行とか,あるいは継続的な契約なんかではもっといろいろな複雑なのが出てくると思いますが,既に一部履行があったとか,そんなような場合について減額する余地がないのかどうかというものも,併せてどこかで検討していただけるとよろしいのではないかと思います。 ○松本委員 山本敬三幹事の発言と大体同じようなことになるんですけれども,すなわち,420条も不当条項規制の一環として整理をするほうがいいのではないかと。そうであれば,420条は合意によって賠償額をあらかじめ定めておくことができる,終わり,で済んでしまうだろうと。   もし,そういう不当条項規制に関する規定を置かないということであれば,ここで処理せざるを得ないわけですが,その場合に裁判所が賠償額を減額できるということは,言ってみれば,借地借家法の地代家賃の増減額請求権の行使に近いような構成になるわけです。前提として,契約締結当初は相当であった家賃,損害賠償額の予定が現在では不当だ,だから,裁判所に変更してもらいましょうというロジックでいくと,裁判所による改定という話になるわけですが,ここで言う賠償額の予定が不当に過大という話は,最初から公序良俗違反等で無効なのか,つまり,債務不履行が起こる前から,合意の段階から,これは不当だ,過大だ,無効だという話なのか,それとも,実際に債務不履行が起こって実際の損害額をはじいてみると,過大だという話になってくるのか,一体,どちらなのかということです。無効なんだ,あるいは一部無効なんだというロジックは,何となく最初から無効という感じがするんですね。他方,後になって蓋を開けてみたら過大で無効というのは,最初から無効というのと何か違うのではないかと思うのです。最初から無効というロジックでいくのであれば,これは正に不当条項規制の話になってくると思います。   では,本当に最初から不当なのか,それとも実際に債務不履行が起こるまで,この額が妥当か,不当かが判断できないようなタイプのものなのかという点が最後に残ると思うんですが,そこで先ほどの損害賠償の範囲の話で出てくるところの予見可能性とか通常損害,特別損害とリンクさせて考えて,賠償額の予定というものは,それなりに双方が予見可能であったところの損害をややアバウトにではあるけれども,金額的に評価したものだと解すると,ロジック的には最初から過大だという問題になるのではないかと思います。 ○佐成委員 一言だけですけれども,先ほど深山幹事が私の発言趣旨を誤解された発言をされていたのですけれども,その後,高須幹事が適切に私の発言趣旨を理解された上で,要するに,それでもなおそこは「できる」と書くだけで十分ではないかという御示唆をされたのだと思います。ただ,私としては,賠償額の予定に関しては,飽くまで従前どおり,裁判所により慎重な態度で臨んでいただきたいということでございます。明確化の観点から,限定的な文言,90条とか91条とか,あるいは,今,能見委員がおっしゃったような論点もあろうかと思うのですけれども,そういう形での何らかの手当てを現行条文に施すにしろ,なんとか現行条文を生かせないかなと思います。前回,一読のときに申し上げたのは起草者意思を中心に申し上げたわけですけれども,今回は,むしろ現行条文を何とか生かせないだろうかという趣旨でございます。以上,それだけ補足させていただきます。 ○岡崎幹事 裁判所の中での意見としては,アの420条1項後段を削除するということに対しては,慎重な意見が多かったと思います。賠償額の予定をする当事者の意思として,その一つの大きな動機としては,後の紛争を予防するというような趣旨が入っているのではないかと思われます。そのような趣旨で賠償額の予定をしておきながら,後に実際の損害額がどれだけであるかということを確定して,予定された賠償額とのかい離がどのくらいあるか,また,その周辺の事情として,どのようなことが生じているのかということを一つ一つ審理の俎上に上げていくということが,果たして紛争の解決という観点から見ていいのかどうかという観点からの問題意識と考えております。先ほど来,佐成委員等から出ておりますけれども,420条1項後段を残したところで,90条の公序良俗違反の規制は掛かるわけで,その限度で,言ってみれば謙抑的に裁判所が介入するというような規制をしておくのがいいのではないかと考えておるところでございます。 ○鹿野幹事 まず,アのところについては,これを削除するということに賛成でございます。確かに当事者が損害賠償額の予定等を定めるという場合は,当事者なりの考えがあってということだと思いますし,少なくとも対等な当事者間であれば,それが基本的に尊重されるというところから出発するのだと思います。けれども,対等な当事者の場合だけとは限りませんし,このような定めも,諸事情を考慮して公序良俗の規定により無効とされることがあり得るということについては,従来から解釈上認められてきたことだと思います。   当事者の定めた条項をまずは尊重すべきだということは,賠償額の予定だけではなく,他のところでも一般に妥当するところであり,同時に,それに公序的な観点からの限界があるということも,一般に認められてきたわけです。そうであれば,ここだけに増減することができないという規定を置くことは不必要かつ不当ではないかと思います。確かに,訴訟になった場合には,裁判所によりそれなりに判断されるのかもしれません。しかし,先ほど岡田委員が恐らくおっしゃられようとしたことだと思いますが,訴訟より前の段階でどうにか解決しようとしたときには,やはり420条のこの文言があることが,事実上影響しているのではないかと思います。つまり,仮にそれが過大であったとしても,契約条項として書かれている以上,どうしようもない,それに従わざるを得ないと考えてあきらめてしまう,そういうことがこの条文があるために起こり易くなっているのではないかと思いますし,そのような事態の不当性を考えると,これは削除したほうがよいと思います。   次に,イについてですけれども,この点は,山本幹事がおっしゃったことと多くは一致すると思いますけれども,私は,基本的には甲案の別案といいましょうか,要するに不当に過大な部分は無効となることについて規定を設けるという考えを支持したいと思います。ただ,これをこの位置の条文の中に設けるのか,それとも不当条項の一連の規定の中に設けるのかということについては,検討の余地があると思いますし,また,不当に過大という表現でよいのかということについては,更に考える必要があるかもしれません。ですが,考え方としては,不当に過大な部分について無効ということが原則で,それを明文化するということでよろしいのではないかと思います。   それから,裁判所が減額をすることができるという表現について申し上げます。既に何人かの委員・幹事から御指摘があったように,裁判所が減額できると表現すると,本来は有効なのだけれども裁判所によって初めて削ってもらえるというような意味に捉えられかねないので,避けた方がよいと思います。そして,場所はともかく,これを一種の不当条項として置くということがよいと思います。アで現行の文言を削除するという場合,あとは,従来どおり民法90条等により無効になるだけとすることも考えられるでしょうが,過大な定めがあった場合について,必ずしも全部無効を原則とすべきではなく,一部無効にするという考え方が支持されるのであれば,それを言葉の上でも適切に表現するべきだろうと思います。   さらに,一つ細かなところで恐縮なのですけれども,中井委員に対して質問があります。額が過小のときについては,予定された賠償額を超える請求は妨げられないという案を先ほど提示されたのですが,それは,そのような条項がなかったなら通常のルールに従って賠償請求できるはずの損害額全部を請求できるという御趣旨ですか。となると,過大なときについては,言わば過大な部分だけが無効になるということになるけれども,過小なときについては,その取扱いが違うということになりそうですが,そのようなお考えなのでしょうか。恐らく,全部無効の場合には一般原則に従って損害賠償請求ができるにすぎないということなのでしょうけれども,一部無効というのは,必ずしもそうではなくて,過大あるいは過小の部分についてだけ修正が加わるというような,そういうイメージなのかと私は考えておりました。その点について御趣旨を伺いたいと思います。   最後に,もう一つだけ申し上げたいと思います。資料22ページの下のほうの(2)の辺りに書いてあるところで,要するに,過大,過小ということが何に照らして判断されるのかという点ですが,これについては,先ほど能見委員がおっしゃったように,過失相殺なども考慮の上,本来であれば法律上賠償請求できる額というのが,まずは基準となるという点はそうだと思います。しかし,それだけではなくて,このページの下から10行目辺りに書いてありますように,さらに当事者の属性とか,あるいは当該条項が定められた経緯等のような事情を考慮して判断されるべきものだと思います。ですから,それらも含み得るような形での不当条項規制の規定が設けられればと考えているところです。   一点だけは,中井委員に対する質問でした。 ○鎌田部会長 中井委員に質問に答えてもらう前に,確認ですが,鹿野幹事としては過大なときには過大部分の一部無効,過小の部分には過小なところまで制限した部分の一部無効と,その表裏ともに一部無効で考えるということですか。 ○鹿野幹事 そういう考え方があるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 だとしたら,過大のときだけの規定をここに置くというのはおかしいということになりますね,逆に言えば。先ほど深山幹事からは,これをワンセットにしろという話もあったので,一部無効説でいくとどうなるのかというところにも関心があったので,お伺いした次第です。 ○中井委員 過小な場合についても一部無効の立場に立った表現のつもりだったのですが,予定されて賠償額を超える部分,つまり,それ以上は請求できませんねという部分について,それ以上も請求できますよ,だからこそ,そこの部分は無効です。逆に言えば,合意された額までについては立証なくして請求できる,そういう意味では,その部分,100の損害のうち20と合意した,20については当然に請求できる,損害額の立証も要らない。20を超える部分については無効ですから,実損害額があれば請求できる。その表現として,予定された賠償額を超える請求もできますよという趣旨でした。それを一部無効と呼ぶかどうかは別として。 ○潮見幹事 過小な場合の中井提案は全部無効型の処理でしょうし,これでもいいかなと思います。その上で,発言します。   イについては今日の多数意見に賛成ということだけ申し上げます。次に,過小な賠償額の予定条項ですが,前にも何回か言ったと思いますが,減免責条項との関係を意識しておくべきです。鹿野幹事がおっしゃりかけたところにも一部,つながっているのではないかと思います。言いたいことは二つありまして,一つは,規定を設けることは考えてみたらいいという前提ですが,減免責条項が不当となる場合の要件と,過小な賠償額の予定条項が不当だとされる場合の要件については,平仄を合わせるべきではないか。これが一つです。   それから,もう一つは,減免責条項が不当と判断された場合には,当該条項は全部無効という形でここでの議論は進んでいると思います。全部無効ということになった場合には,任意規定が適用されることになりますが,この処理と,過小な賠償額予定条項が不当な場合の処理も平仄を合わせるべきではないでしょうか。そうなると,後者の場合も全部無効であって,それで,民法の一般ルールが適用され,それによって賠償額が決せられるというのが一貫するのではないでしょうか。そう考えた場合には,中井委員がここで書かれている表現がその方向であれば,それでもいいのかなというようにも思いました。少なくとも裁判所が増額を認めるという枠組みではいけないということは共通していると思いますけれども,だから,その部分に関して,それでいいのかなと思うからです。ただ,そうなると,過大な場合と過小な場合で若干違った考慮が必要になってくるので,それは分科会のほうで可能性を探っていただければと思います。   それから,もう一つ,本当にささいなことですけれども,421条ですけれども,420条で過大とか過小とか,この場合の一部無効だの何だのという処理をした場合に,421以上を放っておいていいのか,単なる準用でよいのかというのが若干気になります。含むところはお分かりになっていただけると思いますので,これ以上は言いません。 ○道垣内幹事 まず,アに関しては削除で賛成なのですが,イの「実際に生じた損害額」という概念について,必ずしもここで一致した理解の下に論じられていないような気がするのです。というのは,現行法でいうと,「実際に生じた損害額」全てが賠償対象となるわけではなく,416条で制限されているわけですね。それを前提とするとき,「不当に過大」であるかどうかというのを決めるに当たって,416条で制限された範囲との関係で考えるのか,それとも,現実に生じた因果関係のある全損害との関係で考えるのかいう問題が残っているような気がいたしまして,私は,現行法でいえば416条の制限を超えて実損害を賠償させるために,通常,認められるよりも多額の賠償の予定をするというのは十分に合理的であって,それは制約されるべきではないと思います。そうしますと,ここまで,「実際に生じた損害額」という言葉が,損害賠償額の予定がなければ請求できる額といった理解で議論されてきた気がするのですが,それは必ずしもそうとは限らないのではないかと思います。  二番目に,イの論点ですが,私は乙案,つまり,規定しないという意見に賛成です。損害賠償額の予定が過小であった場合の議論が,今,行われましたが,過小の場合には全部無効になって,現行法でいうと416条の範囲で請求できるという潮見幹事の見解は非常に一貫していて,過大の場合と違う考え方に立っているのだということを明示され,問題をきちんと把握されているんだと思うのですが,しかし,損害賠償額を少なくしようとした当事者の意思は,本当にそこで考慮に値しないのかというと,私は値しないわけではないだろうと思います。そうすると,損害賠償額の予定額が過小の場合,当該予定約定がなければ認められる額よりも,少な目の額に合理的に調整するということは,十分にあり得るのではないかという気がいたします。そういうことを考えますと,私は,公序良俗規範なり,何なりに任せる外ないのではないかという気がしているわけです。   三番目に一言だけなのですが,420条3項というのはそのままなのでしょうか。違約罰というのは,何かよく分からないままなのですが。もっとも,この点は,定見はございません。指摘だけしておきます。 ○松本委員 潮見幹事が421条はこのままでいいんですかねとおっしゃったので,慌てて見たら,やはりこのままではよくないのではないかという気がしまして,何となく損害賠償のところだけの代物弁済予約の変型のような感じがするんですよね。そうしますと,代物弁済予約についてはかなりきちんと介入する法理が確立しているわけですから,420条と少なくとも同じレベルで,言わば過大な部分については清算義務を負わせるというような方向にすべきではないかと思います。債務不履行の部分だけだから,代物弁済予約であれば,本来の債務プラス利息とか延滞利息も全部込みでということになるのでしょうけれども,420条は本来の債務は多分,ここに入らないんでしょうかね。というところで,ちょっと違うといえば違いますが,似たようなところがあるかと思います。 ○岡委員 二点,申し上げたいと思います。   一点は,債務不履行の現場というのは債務者にとっても未体験の異常事態で,いろいろな努力をして,間違ったり,いいことを発見したりする場面です。債権者のほうも債務不履行の事態を受けて,いろいろな未体験のいろいろなことが生じてドラマが生じた,非常にバラエティのある現場になる実感を持っております。それからいきますと,先ほどの松本先生の元から無効であったというよりは,損害金の約定がこのドラマ,この個別事案については適用違憲というか,この事案について適用するのは一部無効ではないか,そういう適用のされ方をイメージしております。それが一点目です。   二点目については,先ほど潮見先生がおっしゃった全部無効的な考え方というのについては,道垣内先生と同じように過小な合意あるいは過大な合意をしたことも一つの要素として,その事案に適切な結論を導く,そんな実感を持っております。 ○鎌田部会長 まだ御意見があろうかと思いますけれども,時間の関係でこの程度にしたいと思いますが,特にこの際,発言をしておきたいということがございましたらどうぞ。よろしいですか。   大量に積み残しを作ってしまいまして,誠に申し訳ございません。本日,積み残した議事は次回冒頭で引き続き審議することにいたします。   次に分科会についての報告を申し上げます。本日の審議において幾つかの論点について分科会で補充的に審議することにされましたが,債務不履行による損害賠償に関する論点につきましては,恐縮ですけれども,第3分科会で審議していただくことといたします。松本分科会長を初め,関係の委員・幹事の皆様にはよろしくお願いいたします。   最後に,次回の議事日程等について事務当局から説明してもらいます。 ○筒井幹事 次回会議は来年になります。平成24年1月17日,火曜日,午後1時から午後6時まで,場所は本日と同じ法務省20階第1会議室です。次回の議題は,ただいま部会長からお話がありましたように,本日の積み残し部分のほか,新たに送付する部会資料35,債権者代位権と詐害行為取消権を予定しております。   それから,第3分科会第1回会議について御案内いたします。来週12月27日,火曜日,第3分科会の第1回会議が開催されます。時間は午後1時から午後6時まで,場所は法務省20階第1会議室でございます。議題は,条件・期限,期間の計算,法定利率,選択債権,履行請求権の限界,債務不履行による損害賠償などのうち分科会で補充的に審議することとされたものであります。本日の会議において第3分科会で審議するとされたものも,審議対象に含まれることになります。この会議につきましては,固定メンバー以外の委員・幹事で,岡本委員,山下委員,神作幹事,それから関係省庁,関係部局の関係官から出席する旨の連絡を承っております。それ以外に出席を希望される部会メンバーがいらっしゃいましたら,事務当局へ事前に御連絡をくださいますよう,よろしくお願いいたします。 ○鎌田部会長 部会資料34のページ数だけでいきますと,半分も終わっていないというところでございますので,大分,全体のスケジュールが遅れるようなことになりますけれども,その点はむしろ中身の議論を充実させることを優先させるということで,やむを得ないかとは思っておりますが,今後の全体日程との関係もございますので,是非とも,よろしく今後の進行に御協力いただければと思います。   それでは,本日の審議はこれをもちまして終了とさせていただきます。どうも長時間にわたり,熱心な御審議を賜りまして,ありがとうございました。 -了-