法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会           第8回会議 議事録 第1 日 時  平成24年3月16日(金)   自 午後 1時31分                         至 午後 4時55分 第2 場 所  東京高等検察庁第2会議室 第3 議 題  時代に即した新たな刑事司法制度の在り方について 第4 議 事  (次のとおり)           議        事 ○吉川幹事 ただいまから法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会の第8回会議を開催いたします。 ○本田部会長 皆様,大変お忙しいところ御出席いただきまして誠にありがとうございます。   本日の議事は,お手元の議事次第のとおり,配布資料の説明の後,論点整理の内容を御説明いたします。また,先月,国家公安委員会委員長主催の「捜査手法,取調べの高度化を図るための研究会」の最終報告が公表されました。これは今後の調査審議を行う上で有益であると考えておりますので,その内容を説明していただきたいと考えております。その上で,実質的な議論に入り,まずは,時代に即した新たな刑事司法制度の在り方に関する総論的な議論を行うこととしたいと思います。   それでは,早速,配布資料について説明をお願いします。 ○吉川幹事 それでは,配布資料について御説明します。   まず,資料26の「論点整理」と題する資料は,これまでの御意見を踏まえ,部会長において当部会で議論すべき論点を整理した結果を記載したものです。後ほど内容の説明がございます。   資料27の「第2回・第6回・第7回会議における意見要旨」は,資料22として前回お配りした「第2回・第6回会議における意見要旨」に,第7回会議で述べられた御意見を盛り込み,資料26の論点整理の項目に対応させた形で改めて整理したものです。適宜御参照を頂ければと存じます。   資料28-1及び2は,国家公安委員会委員長主催の「捜査手法,取調べの高度化を図るための研究会の最終報告」及びその概要版であって,後ほど内容の説明がございます。   配布資料の説明は以上です。 ○本田部会長 まず,前回までの論点整理に関する議論を踏まえまして,当部会において議論すべき論点を私なりに整理いたしましたので,その内容について御説明したいと思います。   前回までの論点整理の議論に当たりましては,委員・幹事の皆さんから,個々の具体的論点についても幅広く御意見を頂きました。もっとも,それら具体的論点を当部会で取り上げるべきか否か,あるいはその重要度等についてあえて意見や討議というものは求めませんでした。これは今回の諮問の趣旨に照らし,まずは刑事司法制度全体を見渡して,自由に論点についての御意見を頂きたいとの観点,そして,論点としての当否についての議論で時間を費やすのではなく,早期に実質的な議論に入るべきだろうということでそうさせていただいたわけです。そのため,論点整理におきましては,個々の具体的論点を細かく並べるのではなく,皆さんの御意見をある程度大ぐくりに整理するのが適切であり,これを踏まえて議論を開始すべきであると考えた次第です。その結果が,お手元の資料26の「論点整理」と題するペーパーであり,大きく7項目に論点を整理して,それぞれに小項目を設けました。すなわち,大項目といたしましては,まず,総論として,「時代に即した新たな刑事司法制度の在り方」,各論として,「供述証拠の収集の在り方」,「客観的証拠の収集の在り方」,「公判段階の手続の在り方」,「捜査・公判段階を通じての手続の在り方」,「刑事実体法の在り方」,そして,「その他」という7項目でございます。資料27の意見要旨もこの項目に沿って御意見を改めて整理しておりますので,今後の審議の御参考にしていただければと思います。論点整理の詳しい内容につきましては,事務当局から説明してもらいたいと思います。 ○吉川幹事 それでは,「論点整理」と題するペーパーに沿って,若干の御説明をさせていただきます。   まず,大項目1は,「時代に即した新たな刑事司法制度の在り方(総論)」です。新たな刑事司法制度を構築するという諮問の趣旨からしますと,個別制度の議論に入る前提として,まず,どのような刑事司法制度を目指すのかという総論的な議論をすることが重要と考えられ,その旨の御意見も多数あったことから,冒頭で議論すべき論点としてこの項目を設けました。   そして,総論的議論に関しては,刑事司法の目的をどのように考えるべきか,真相の解明とはどのようなものであるべきかを議論すべきとの御意見などがありました。このような議論は新たな刑事司法制度を検討する上での大きな視点として重要と考えられますので,1点目の小項目として,「刑事司法が果たすべき役割」を設けました。   また,今後の刑事司法について,より一層公判を充実させるべきとの御意見がありましたが,それとともに捜査の機能を減退させるべきではないという趣旨の御意見もありました。捜査と公判のそれぞれの役割を大局的に議論しておくことは,今後,具体的論点を議論するに当たって重要と考えられますので,2点目の小項目として,「捜査と公判がそれぞれ担うべき役割」を設けました。   さらに,供述証拠と客観的証拠をそれぞれどのように重視するべきかなど,事実認定の在り方について,総論的に議論しておくべきであるとの御意見がありました。このような議論は,取調べや供述調書に過度に依存しない制度を検討するための視点という意味でも重要と考えられますので,3点目の小項目として,「事実認定の在り方(供述証拠と客観的証拠の機能)」を設けました。   大項目2は,「供述証拠の収集の在り方」です。これまでの議論の中では,捜査段階における供述証拠の収集,取り分け,取調べの在り方に関する検討事項について,多くの御意見がありました。特に取調べの録音・録画制度の在り方については,御意見が多数にわたっていますし,諮問内容にも指摘されている重要な事項ですので,1点目の小項目として「取調べの録音・録画制度の在り方」を設けました。   また,取調べの録音・録画制度以外にも,取調べの在り方に関しては,取調べの方法を改める,あるいは,より規制すべきであるとの御意見,被疑者や参考人から,捜査協力を得られる仕組みを検討するべきであるとの御意見,また,供述調書自体の在り方を検討すべきであるとの御意見などもありました。こうした御意見を踏まえ,2点目の小項目として,「その他取調べ及び供述調書の在り方」を設けました。   そして,取調べ以外の方法による供述証拠の収集に関しても,取引的手法を用いた新たな仕組みの導入を検討すべきであるなどの様々な御意見がありましたので,3点目の小項目として「取調べ以外の方法による供述証拠の収集の在り方」を設けました。   大項目3は,「客観的証拠の収集の在り方」です。客観的証拠の収集に関しては,社会の変化に対応するとの観点,真犯人でない人が検挙・処罰されることを防ぐとの観点,取調べや供述調書への依存度を下げるとの観点などから,検討事項として様々な御意見がありました。そしてその中には,制度面のみならず,運用面に関するものもありました。こうした御意見を踏まえ,小項目として,「客観的証拠の収集を可能とするための諸方策」を設けました。   大項目4は,「公判段階の手続の在り方」です。公判に関する検討事項としては,まず争いのない事件について,より簡易・迅速に処理できる制度の導入を検討すべきであるとの御意見などがありました。これは事実認定の在り方に深く関連する問題と言えますので,1点目の小項目として,「自白事件と否認事件との手続上の区別」を設けました。   さらに,公判に関する検討事項としては,証拠開示制度の在り方,証拠採否の在り方,事実審理と量刑審理の関係など,公判準備や公判審理に関する御意見のほか,公判における証言・供述の真実性を担保できるような制度,方策を検討すべきだという御意見もありました。こうした御意見を踏まえ,2点目の小項目として,「公判準備及び公判審理の在り方」を設け,3点目の小項目として,「公判において真実の証言・供述を得られやすくするための諸方策」を設けました。   大項目5は,「捜査・公判段階を通じての手続の在り方」です。刑事手続は,大別すれば捜査段階と公判段階に分かれますが,これまでの議論の中では,捜査・公判を通じての検討事項についても御意見がありました。これらの検討事項としては,身柄拘束や国選弁護制度の在り方など,被疑者・被告人に関するものと,犯罪被害者への支援・配慮や証人保護の在り方など,犯罪被害者・証人に関するものがありました。こうした御意見を踏まえ,1点目の小項目として,「被疑者・被告人の身柄拘束と国選弁護の在り方」を設け,2点目の小項目として,「犯罪被害者・証人等の支援・保護の在り方」を設けました。   大項目6は,「刑事実体法の在り方」です。刑事司法制度の在り方は,手続法のみならず,実体法からも検討する必要があり,諮問においても,「刑事の実体法及び手続法の整備の在り方」とされていますので,この項目を設けた次第です。そして,これに関しては犯罪の成立要件等に関する御意見や司法作用を妨げる行為への対処方策に関する御意見などがありました。こうした御意見を踏まえ,小項目として「新たな刑事手続に相応する刑事実体法の在り方」を設けました。   そして,これら大項目1から6に含まれるもの以外については,大項目7として「その他」を設けております。   論点整理の内容についての御説明は以上でございます。 ○本田部会長 お手元の論点整理のペーパーは,今,説明されました考えに基づいて整理したものでございまして,各論点に関しましては,このペーパーに記載した順番で議論していくことを考えております。また,先に述べましたように,この論点整理は,個々の具体的論点を細かく記載したものではありませんが,議論を進めていく中で,重点的に取り上げるべき事項と,それ以外の事項が定まってくるものと考えております。   このような整理で御理解いただきたいと思いますが,よろしいでしょうか。 (「異議なし」と言う者あり) ○本田部会長 それでは,御異論がないようですので,当部会で議論する論点はこのペーパーにあるとおりとさせていただき,ここに記載された順に従って,議論を進めたいと思います。なお,議論を進めていくスケジュールに関してですが,当面は,本日の第8回から第12回までの5期日をもちまして,全論点を一通り議論したいと考えております。その理由でございますが,多くの委員から,刑事司法制度は様々な制度が連関して成り立つものであるから,全体のバランスを考慮しながら,個別の制度を検討しなければならないとの御意見を頂きました。私としましても,こうした御意見は大変説得的であるというふうに考えており,そのような観点から制度を検討するためには早期に全論点を一通り議論することが必要ではないかと考えた次第でございます。また,仮に個々の論点を一つ一つ結論が出るまで議論し,結論が出ない限り次に進めないということにしますと,結果として非常に議論が非効率的なものになってしまうことが懸念されるところでもございます。   このような理由から,本日の第8回から第12回までの5期日をもちまして,全論点を一通り議論したいと考えておりますが,よろしいでしょうか。 (「異議なし」と言う者あり) ○本田部会長 それでは,御異論がないようですので,今お話ししたスケジュールで議論を進めたいと思います。   次に,「捜査手法,取調べの高度化を図るための研究会」の最終報告の内容につきまして,警察庁の島根幹事から御説明をお願いいたします。 ○島根幹事 それでは,この度公表されました,「捜査手法,取調べの高度化を図るための研究会の最終報告」につきまして,資料28-1の報告書の本体と,研究会の事務局を務めさせていただきました警察庁においてその内容を要約した,資料28-2のいわゆるポンチ絵とに基づいて御説明をさせていただきます。   まず,最終報告の全体像について,御説明をいたします。最初に資料28-1の報告書本体1ページの「はじめに」を御覧いただきたく存じます。第1段落に記載がございますが,研究会は,警察の取調べの在り方が厳しく問われる無罪事件等が続き,警察捜査に対する国民の信頼が大きく揺らいでいるという認識の下,治安水準を落とすことなく,取調べの可視化を実現するために,おおむね2年程度を掛けて幅広い観点から検討を行うということを目的として発足したものであります。研究会のメンバーにつきましては,この報告書の末尾に別添1として添付されているとおり,12名の委員から構成されました。そして,その議論の概要,どういう項目を議論したかということが次の別添2にございますが,平成22年2月の第1回会議以降,平成24年2月までに23回の会議を開催し,その検討結果が最終報告として取りまとめられたということになります。   それでは,最終報告の要旨を御紹介させていただきます。報告書本体と資料28-2のポンチ絵とを相互に参照しながら御説明をさせていただきます。   最終報告は,資料28-2の上段の「第1 我が国の将来の警察捜査の在り方に係る基本的ビジョン」,これがいわゆる総論部分です。そして,左側の「第2 取調べの可視化及び高度化」,右側の「第3 捜査手法の高度化」という,大きく2つの柱から構成されております。   資料28-2の上段を御覧ください。総論につきましては,一つ目と二つ目の丸にありますとおり,警察捜査に対する国民の信頼が揺らいでいることを踏まえ,取調べの可視化を実現することを目指すとする一方で,刑事司法全体を視野に入れて検討する必要があるとされております。これは本研究会を立ち上げました当時の国家公安委員会委員長の問題意識,お考えを受けたものでございます。   そして,三つ目の丸のとおり,我が国では,捜査手法が限られている中で,取調べが重要な機能,役割を果たしてきたとされておりますが,他方で,取調べを含む捜査の在り方を正面から問うべき時期に来ているとされております。   そして,四つ目の丸,これは報告書本体ですと6ページから7ページになりますが,総論におけるまとめとして,適正手続の保障の下で,虚偽自白及び「えん罪」の根絶に向けて,最大限かつ不断の努力をしつつ,事案の真相を解明することによって,犯人を的確に検挙・処罰し,治安の維持にも貢献するという,現在の我が国の刑事司法制度の基本的な性格は,時代の変化を考慮しながらも,将来においても維持していくことが望ましいとされております。   それでは,続きまして資料28-2の左側,取調べの可視化及び高度化に参ります。   この取調べの可視化につきましては,大きく二つ,一つは「制度の在り方」,もう一つは「取調べの録音・録画の当面の方向性」,これは現在警察で実施しております試行の今後の在り方について,それぞれ議論をされております。   初めにお断りしておきますが,報告書本体の「はじめに」にも「幾多の議論を経ても,なお意見の一致を見なかった論点については,率直にその旨を記すこととした」とありますが,委員の意見及びその理由等に具体的に記述されていると思われますので,その詳細については本文を御覧いただければと存じます。   それでは,以上を踏まえまして,まず,制度としての可視化の在り方を検討するに際して,まず取調べの機能・役割についての議論が行われました。ここでは,報告書本体の10ページから13ページにわたりますが,その結論部分を述べますと,取調べ以外の捜査手法によって,取調べの真相解明機能を完全に代替することは非常に困難とされており,取調べの機能・役割を基本的には維持しつつも,その適正確保のための取組が不可欠とされております。   また,取調べの可視化の目的をどう捉えるかということでありますが,これは最終報告の14ページになりますけれども,まずは,取調べの状況を客観的に記録し,公判で供述の任意性・信用性等をめぐる争いが生じた場合に,その客観的な記録による的確な判断を可能とすることであり,ひいては虚偽自白及び「えん罪」の防止に資するとされております。   以上の点につきましては,委員によってアクセントの置き方などで個々的な違いはあると思われますけれども,研究会としておおむね認識が共有されたのではないかと理解しております。   しかしながら,可視化によって,取調べの機能を阻害するかどうかという議論につきましては,委員の間で意見の隔たりが大きかったと考えております。その中身につきましては,報告書本体の13ページから14ページの上段になりますが,録音・録画による効果,それから,録音・録画により生じ得る懸念・弊害というものがそれぞれ記載されております。これにつきまして,総体としてどう評価するかということで委員の間での意見の違いということになったのかなと考えております。   そして,制度設計に係る論点につきまして,具体的には16ページ,録音・録画の対象範囲をどうするのかということについて,それから,次の17ページの具体的な対象とする犯罪をどう考えるかという問題,それから,次の18ページ,身柄拘束の被疑者に限るのかどうかといった問題,それから,19ページの取調べを行う場所,さらには,自白の有無,自白事件・否認事件,それについてどう考えるかということ,そしてさらに20ページになりますが,録音・録画の対象とすべき場面,具体的に言いますと,取調べの全過程を録音・録画するかどうかといった,こういった制度的な問題につきましては,多くの点で両論併記と,それぞれの意見とその根拠を記載していると,こういう形になったものと理解しております。   同じように,そういった録音・録画の実施をどのように確保するのかというのが次の21ページ以降にあり,被疑者側からの請求があった場合をどうするかとか,あるいは供述調書の証拠能力との関係をどのように考えるか,さらにはそうやって作られた録音・録画記録の視聴等の在り方をどう考えるか,こういった点についても意見が分かれたというところでございます。   こういった制度的な面の議論を踏まえつつ,次の23ページですが,取調べの録音・録画の当面の方向性ということにつきましては,取調べの可視化の在り方について更に検討を進めるには,現在の警察の試行の内容は十分とは言えないため,これを拡大すべきという点ではおおむね意見の一致が見られたところであります。ここも具体的には二つございまして,一つは「裁判員裁判の対象事件に係る試行の在り方」に関し,これは可視化の目的に照らして広く試行を実施することを基本として,自白事件に限らず,また,様々な場面を対象に試行を実施すべきとされております。それから,二つ目,「知的障害を有する被疑者に係る試行の在り方」,これは現在警察では行っていませんが,これにつきまして罪種を限定せずに試行を開始し,可能な限り広く録音・録画を実施すべきとされたところであります。   続きまして,25ページ以降になりますが,「取調べの高度化」という部分でございます。ここは取調べ技術について高度化を図らなければいけないだろうということで,総論としては全ての警察官が一定レベル以上の取調べ技術を共有できるような仕組みを構築していくことが望ましいとされております。これも諸外国のいろいろな例などを参考にして体系的な研修等を講じるべきという御意見だったと理解しております。   続きまして,「捜査手法の高度化」の関係でございます。報告書本体では28ページ以降になります。研究会では,取調べ及び供述調書への過度の依存から脱却し,科学技術の発展等にも対応するとともに,犯人性の適正な判断や「えん罪」を防止するという観点からも,客観証拠による的確な立証を可能とする捜査手法を速やかに導入する必要があるという理解に基づき,主に報告書本体では29ページ以降,ポンチ絵では右側に,12ほどメニューを紹介させていただいたものがありますが,これらについて議論がなされたということです。   ただ,これも28ページの最後になお書きで書いてありますが,この研究会の設置目的に照らし,検討の基本的な方向性のみを示すこととしたとされているところです。大きな項目としては,DNA型データベースの拡充,それから,通信傍受の拡大といったような問題,それから,これはどちらかというと公判段階の話になるかもしれませんが,量刑減免制度,王冠証人制度,司法取引,刑事免責と,こういったものについて議論が行われましたが,ある程度方向性がまとまったもの,そこまで行かず,研究会における議論を整理するにとどめられたものなど,いろいろなものがあると理解しております。   以上が最終報告の要旨ですが,今,申し上げましたエッセンスが,報告書本体の39ページになります。この第2パラのところでまず取調べの可視化に関して,第3パラで取調べの高度化に関して,そして第4パラで捜査手法の高度化に関してと,それぞれ総括的な記載がされているところでございます。   なお,本研究会の主催者である国家公安委員会委員長におきましては,去る2月27日,法務大臣と会見され,この最終報告について説明をいたしまして,今後,引き続き連携して協議を進めさせていただきたいと,そのような申入れをしたということも併せて御紹介をさせていただければと存じます。 ○本田部会長 ありがとうございました。それでは,ただいまの資料,あるいは御説明につきまして御質問がある方は挙手をお願いいたしたいと思います。 ○小坂井幹事 私はこの研究会の委員の一人でもございましたので,最終報告自体にいろいろ物を申し上げ始めると,天に唾することになりかねないので,今日質問したいのは,28-2の方の概要版に関してです。このA3の右下に※印でクレジットが打たれており,先ほど島根幹事からの方も御説明があったように,これ自体はその研究会で別に承認を得た上で作成されたものではないということの御確認をしたいのがまず第1です。   それを踏まえた上で,この概要版だけをぱっと見ますと,これは私の目が悪いのかどうかの問題はありますが,「我が国の将来の警察捜査の在り方に係る基本的ビジョン」という総論の下に,「取調べの可視化及び高度化」と「捜査手法の高度化」がこういう形で並列的にあって,ともするとどうも,何となくセットになっているかのような,そういう印象をちょっと受けてしまいかねないということがあります。島根幹事御自身は非常にニュートラルでフェアな御説明をされたとは思うんです。けれども,最終報告書の見解,あるいは最終報告書に書かれている文章自体は,少なくとも取調べの可視化ないし高度化と捜査手法の高度化をリンクするといいますか,パッケージにするといいますか,そういう論調ではない。というのが私の認識なんです。そこはそれで間違いないでしょうかというのが一つ目の質問です。   もう一個だけ,ちょっと細かいことになるかもしれませんが,先ほど島根幹事は正確に言われたと思うんですけれども,この取調べの可視化及び高度化の中で,録音・録画の実施の確保の辺りで,二つ目の丸になりますが,このA3の方の文章では,「録音・録画と被疑者の供述調書の証拠能力との関係や録音・録画記録の視聴,使用等の在り方については,慎重な検討が必要」と,こういう一文でくくってあるんです。が,これは本文の22ページを見ていただいたら分かるんですけれども,証拠能力の関係については,これは意見が分かれたんだというのが正確です。他方,視聴や使用等の問題については慎重な検討が必要ということで,こういう一つの文章になっていると思いますが,このA3の紙だけを見た人は,証拠能力についても慎重な検討が必要という結論かなと,こう読まれかねないので,これはちょっと訂正していただいた方がむしろ正しいのではないのかなと,こういう意見ないし質問でございます。 ○島根幹事 今の小坂井幹事からの御質問,意見についてですけれども,このA3の概要自体は,資料の右下にも書かせていただいたとおり,事務局の責任において作成した資料だということで御理解いただければと思います。   それから,先ほどの可視化の問題と捜査手法の高度化のリンクというか,セットというか,そこについての議論も実際にいろいろと研究会ではなされたということは,事実,そのとおりでございまして,そこの捉え方も多分,いろいろあると思いますけれども,先ほどこの研究会の設置の趣旨でも申し上げましたとおり,治安水準を落とすことになるとの懸念も踏まえて,治安水準を落とすことなく可視化を実現するためにどうあるべきかということを具体論としてやっていこうということだったので,こういった柱立てにはさせていただいておりまして,それぞれの委員がそれぞれの御意見をお持ちだということは,そのとおりだろうと承知をいたしております。 ○本田部会長 小坂井幹事,よろしいですか。 ○小坂井幹事 はい。証拠能力の関係をきっちり訂正していただければ,それで私の方は結構です。 ○北川幹事 最終報告書の本体の17ページにある文章,そしてそれ以下のところについてお伺いしたいと思います。本報告書の中では,可視化の問題について,警察における取調べの特性にも十分に留意した上で,録音・録画の対象範囲を検討しなければならないということで,最初に16,17ページにおいて,基本的な考え方ということで,検察の場合と比べた場合の警察における取調べの特性から見て,可視化の問題にどう取り組むべきなのかというような検討がされており,そこでもちょっと意見の一致が見なかったというくくりになっていて,次にそうした議論を踏まえつつ項目ごとに検討するということで,具体的に録音・録画の対象範囲の個別検討に移られていっているということなんですけれども,この個別の検討の中で,この警察における取調べの特性に配慮しつつ,その特性が検察と異なるところなんだということを意識して読まなければいけない部分,あるいは議論の中でそうしたところが項目ごとに出てきた部分というのを,あえて指摘する部分があれば教えていただければと思います。 ○島根幹事 ここも実は委員によって,ひょっとすると意見の違いはあろうかとは思いますけれども,私の理解としては,最初の基本的な考え方というところで述べたのは,ここはもちろん全体が制度論を意識しての議論なんですけれども,やはり警察の捜査,検察の捜査という,それぞれの実態というのはやっぱりよく考えて議論はした方が意義も高いのではないかということで,そこのところの議論がまずされたと理解しております。   ただ,制度ということで考えれば,直接そこが大きく変わってくるということでは必ずしもなくて,ちょっと議論が前に戻ってしまいますけれども,13ページで述べた,先ほどの録音・録画の効果,それから,特にこの生じ得る懸念・弊害というところの,その重みというか意味合いをどういうふうに考えるかというところで,警察捜査と検察捜査の違いが,そもそもあるのかどうか,あるとして,それをどう考えるかというところが議論の内容だったのかなというように理解しております。もしその辺,何か小坂井幹事から補足がございましたらばお願いいたします。 ○小坂井幹事 先ほどの17ページで言いますと,確かに北川幹事から御指摘があったように,正に初期供述を扱うからこそ,逆の意味で慎重に可視化が必要だという見解と,そうではなくて,そういう非常にまだまだ定まっていない状況での供述については可視化は余りなじまないという見解とが,私の感覚では,もし違っていれば事務局の方で言っていただいたらいいと思いますけれども,委員はほぼ二分された意見だったというのが私の理解でございます。 ○後藤委員 本文の6ページから7ページにかけて,将来の在り方についての基本的な考え方を述べられている部分がありますね。ここの文脈が私には読み取りにくかったのです。6ページの一番下のところから,「現在の我が国の刑事司法制度の基本的な性格は,維持していくことが望ましい。」と書かれています。この基本的な性格の中に,取調べによる真相解明機能に大きな期待をするという要素は入っているのですか,それとも入っていないのですか。 ○島根幹事 ここもかなり大きなポイントの一つだろうと考えておりますので,私も余り出過ぎないようにお答えしたいと思います。ここで書いている刑事司法制度の基本的な性格というところは,議論の大きな流れとして,刑訴法1条のところをどう考えるかというところで,真相の解明とそれから適正手続を両立させるということを前提にして,もちろんいろんな問題点があるということは各先生,それぞれおっしゃった中で,こういった結論として文章としてはなったということです。先ほどおっしゃった,取調べにどれくらいのものを期待するかということは,完全に取調べというものを他のもので代替するということは難しいだろうという認識まではありますが,それ以上については,多分,各委員によって異なってくるのだろうと私は理解しております。 ○岩井委員 「捜査手法の高度化」のところで,かなり多くの項目が挙げられているわけですけれども,この順番は,これから導入するのが望ましいことの順番として挙げられているのでしょうか。 ○島根幹事 結論のみを申し上げますと,そういった順序付けはございません。 ○岩井委員 でも,何となく微妙にDNA型データベースの拡充のところでは,今は規則で取り入れられているのを法制化すべきであるというふうな,割合肯定的な論調で書かれていて,最後の方の司法取引などはかなり検討を要するというふうな文言でくくられておりますので,何か,やはり警察の方の研究会では,これはどうしても入れたいというふうな意味合いというものはなかったでしょうか。 ○島根幹事 研究会において,こういう順序でやった一つの理由は,DNAにしろ,通信傍受にしろ,こちらは今,ある意味では既に始まっている制度なんですね。それを,今を前提にしてどういうふうに考えていくかというのが割と議論もしやすかったということもあるでしょうし,それから,司法取引とか刑事免責というのは,これはかねてからいろいろなところで議論もされていて,先ほどもちょっと御紹介する際に申し上げましたが,かなり公判段階に関係する話でもあろうということで,紹介の順序もこういうようになったということでありまして,それ以上の順位付けとか,そういうことは特段ないと考えていただきたいと思います。 ○井上委員 報告書の29ページに「DNA型データベースの拡充」ということが記載されていますが,これが発表された直後に,新聞で,警察庁として対象犯罪の範囲を拡大することにしたとの記事を読みました。この報告書の記述を見ますと,抜本的に拡充することを目指すべきであり,それに伴って,いろんな点について検討すべきだとなっていますが,その新聞記事が正確なのかどうかということと,この報告書に基づいた検討の結果がその新聞記事のような措置に結び付いたというのでは多分ないと思うのですが,その点について確認させていただきたいと思います。 ○島根幹事 多分,御指摘の新聞というのは,対象罪種の拡大というように書いてあったものではないかと思いますが,正確に言いますと,現在も別に対象罪種そのものを絞っているということではなくて,捜査上の必要があるときには被疑者からDNAを取ることがあるということです。ただ,その中でそういう必要性を判断するポイントとして,余罪とか,あるいは重要な何か他の事件に関与している可能性が高いとか,そういうことで必要性を判断しろということを今示しているので,必ずしも罪種そのものを広げるということを直ちに予定しているものではないということで御理解いただければと思います。 ○井上委員 それとは別に,この報告書の提言に基づいて検討をなさるということですか。 ○島根幹事 はい。報告書の本文には抜本的拡充の中身というか,インフラの充実を始めとするとありますけれども,やはりこの鑑定を当然正確にやらなければいけないということで,鑑定の要員でありますとか,それから,その適した場所,当然ながらその鑑定の機材,そういったものも非常に重要だということで,ここはインフラの充実ということが特出しされているというような形だと御理解いただければと思います。 ○本田部会長 それでは,この後の議事もございますので,ここで質疑応答は終わりたいと思います。もし何かございましたら,別途お尋ねしていただければと思います。   それでは,「時代に即した新たな刑事司法制度の在り方(総論)」に関する議論に入ることにいたします。   ここで議論の進め方に関しまして,2点ほどお願いしたいと思います。1点目は,具体的な議論の方法についてですが,今回も,委員・幹事の皆様から適宜挙手をして御意見を述べていただきたいと思います。また,今後はこれまでと違いまして,充実した調査審議を行うという観点から,それぞれの御発言に対し,随時御意見や御質問等をしていただくということで,活発な議論をお願いいたしたいと思います。   2点目ですが,前回,村木委員からも御指摘がありましたように,2001年以降,裁判員制度の導入を始めとした司法制度改革が行われてきておりますが,当部会におきましても,その改革の経緯や内容等も踏まえて議論することが求められていると思います。そこで,委員・幹事の皆さんにおかれましては,今後,総論あるいは各論の議論をしていくに当たり,司法制度改革の経緯や内容,あるいはそれにより生じた変化等をも意識して御発言いただければ大変有り難いと思いますので,よろしくお願いいたします。   それでは,一つ目の小項目であります,「刑事司法が果たすべき役割」の議論を始めたいと思います。   刑事司法制度の目的は,刑事訴訟法第1条にありますとおり,「公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ,事案の真相を明らかにし,刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現すること」とされておりますが,今後もこの目的を維持すべきか否かということについてまず御意見を頂きたいと思います。特に,真相の解明について,具体的にどのようなものであるべきかといった問題提起もございましたので,この点についても併せて御意見を頂きたいと思います。   それでは,御発言を希望される委員・幹事の方,挙手をお願いしたいと思います。 ○安岡委員 総論の総論というような性格の意見と,それから総論の各論というような意見を3点ばかり申し述べます。   まず,総論の総論は刑事司法制度の在り方を議論する目的はどこにあるのだろうかということであります。それは結論から言いますと,刑事司法制度の在り方を条文に表したいということであります。今の刑事訴訟法は,法曹三者,それから,主に司法警察職員をユーザーとして想定し,この人たちに分かればよいとして作られ,使われてきた法律であります。ここを根本的に改める必要があるというのが私の意見です。罪を犯した,又は犯罪嫌疑を掛けられた,若しくは犯罪被害を受けたなどによって,刑事司法の対象,刑事手続の中に放り込まれた市民,また,裁判員になる一般国民が理解できる法律にしなければならないと思います。一気には無理だと承知していますし,全部全部そういうふうに変えなければいけないということでもないとは思いますが,いずれにしてもそういう方向に変えていかなければならないと思います。刑事司法制度の在り方,目的,役割ということ,それから,刑事手続の大原則を一般国民が用いる言葉,一般国民が了解できる言葉を用いて条文化することが,国民に理解できる法律にする第一歩であり,欠かせない一歩だと考えます。   以下,総論の各論として3点意見を述べます。   まず,第1の点は,今申し上げた刑事司法制度の在り方を明文化というか条文化するということになりますと,現行の刑事訴訟法の第1条を再検討しなければならないことは言うまでもないと思います。それで,第1条にある「事案の真相を明らかにし」を削除するなり,文言を変えるべきだと以前述べましたが,同じ趣旨で若干付け加えさせていただきます。   この2月13日に最高裁の第一小法廷で,裁判員裁判の無罪判決を支持し,控訴審の逆転有罪判決を破棄する判決が言い渡されたのは皆さん御承知のとおりと思います。この判決の中で,刑事裁判官出身である白木勇判事が補足意見を書かれています。以下,その一節を引用いたします。「裁判員裁判においては,ある程度の幅を持った事実認定」,これは判決文では「認定」と書かれていますが,文脈上,この認定というのは事実認定と読み取れます。それで,「幅を持った事実認定,量刑が許容されるべきことになるのであり,そのことの了解なしには裁判員制度は成り立たないのではなかろうか。」と,以上が引用でございます。   つまり,刑事司法手続で認定する事実,真相というものですが,これはある程度幅のあるものにならざるを得ないという指摘であります。これは,我々一般国民が刑訴法1条の事案の真相を明らかにするという言葉から受け取る意味と大きな隔たりがあります。この隔たりを解消しなければ,一般国民は刑事司法の役割について,誤解したまま裁判員として刑事司法に直接参加することになる。ここは何としても隔たりを解消しておかなければいけないと思います。   2番目が,刑事司法の目的・役割を専ら治安の維持に置くのはおかしいのではないかという意見でございます。これは,刑訴法の1条にあります,公共の福祉という言葉をそのままイコール「公共の秩序」イコール「法秩序」イコール「治安」と理解し,犯人必罰を刑事司法の目的とする言説であり,よくこれは見聞きするところであります。言葉を変えれば,「天網恢恢疎にして漏らさず」という姿を刑事司法の理想の姿とする考えと言えるだろうと私は思います。この考えに従いますと,被疑者・被告人は,我々一般の国民がいつ何時そういう立場に立たされるか分からないわけですけれども,被疑者・被告人は司法官憲によって邪正を糺される客体でしかない。被疑者・被告人が被る自由の剥奪といった権利の侵襲,それから,極端な場合ですと,えん罪が発生する。これも刑事司法の目的達成のための社会的コスト,つまり,極小化を目指すのだけれども,不可避のものだと,そういった権利の侵襲であるとか,極端な場合のえん罪の発生は,社会的コストだと観念されるのではなかろうかと思います。この犯人必罰主義というものは,刑事司法の感銘力という言葉を使うようですが,平たく言えば,悪いことをすれば,警察に捕まって,裁判で罰を受けると。したがって,悪いことはすまいというふうに思い知らせる力という意味だと解していますけれども,この感銘力を法秩序,すなわち治安を維持する無形の強制力と考え,犯人必罰がなければ秩序が乱れ,治安は悪化するという考えに至る。犯人必罰には,当然ながら犯人を検挙し,有罪判決を得なければ実現しませんので,次のような言説が生まれると私は理解しています。それは,検挙率が下がれば犯罪は増えると,無罪率が上がれば治安は悪化するというような言説であります。この二つの命題に私は疑問を呈したいと考えます。   まず,検挙率が下がれば犯罪は増えるという言説でありますが,私は若いころ,今はありませんけれども,警視庁の防犯部,今は生活安全部となっているんでしょうか,この防犯部というのを取材担当していたときがあったのですが,そのときに,防犯部長さんがしばしば「検挙に勝る防犯なし」とおっしゃっていました。その当時は全くそのとおりだろうと思っていましたけれども,ここ十数年間の犯罪情勢の激しい変化を見て,「検挙に勝る防犯なし」,つまり検挙率が下がれば犯罪は増えるということは本当なのかなと疑問を抱くようになりました。前回,警察庁の幹事の方から,犯罪情勢の紹介がありましたが,平成14年をピークとして,それまでの5,6年の間に犯罪認知件数,警察が認知した犯罪が激増し,その後,同じぐらいのスピードで認知件数が激減しているとのことでした。この理由について,法社会学者であるとか,犯罪学者の間で様々な分析が行われて,そもそも,この認知件数を犯罪件数と同一視してよいのかと,全く一緒のものではないのは明らかなんですけれども,その認知件数の推移が,犯罪発生の推移と一致するのかという,根本的な議論もありますけれども,ここでは認知件数を犯罪件数と見なして,この間御紹介のあった,犯罪統計の水準等を見てみたいと思います。この認知件数は先ほど申し上げた平成14年にピークに達しているわけですけれども,減少局面に入って2年目の平成16年以降,検挙件数,事件の解決と置き換えてよいと思いますが,この検挙件数は漸次低落して,現在,戦後最低の水準になっています。検挙率の方は,認知件数の方がもっと激しく減少しているので,分母が小さくなる結果,平成18年から31%強ぐらいの水準で横ばっています。しかし,この31%という数字は相当低い。認知件数が同程度の年を探しますと,昭和50年代後半ぐらいなんですけれども,その当時の検挙率は60%あります。検挙率の低下は著しいと言えると思います。にもかかわらず,平成18年以降も認知件数は減少を続けている。こういうことから,少なくともこの平成15年以降の犯罪情勢を見ますと,検挙率が下がれば犯罪が増えると,それから,日本の高い検挙率が犯罪を抑えている,よい治安をもたらしているというのは妥当しないと考えるわけであります。   それから,無罪率が上がれば治安が悪化するという言説も聞きます。無罪率が上がるとすると,二つのケースが大雑把に言って考えられると思います。一つは,検察が現在はもう120%有罪の確信を持ったものしか起訴していない,残りは不起訴にしているというふうに承知しておりますけれども,この起訴基準を,基準というものがあるかどうかは別にして,もう少し,100%有罪を取れるかどうかやや不安なケースも不起訴にせずに,起訴し,裁判所の判断を仰いだ結果,無罪が増えることは考えられる。それから,もう一つの場合は,同じ基準で起訴するけれども,裁判所の方の有罪認定のハードルが上がって,結果として,同じ基準で起訴しているんだけれども無罪が増えてしまうと,この二つの場合が考えられると思います。前者の場合は,感銘力ということで考えますと,不起訴になるよりも,裁判に掛けられる方がはるかに感銘力が強いわけですから,その結果,無罪になったからといって,感銘力が弱まることはないのではないかと,むしろ不起訴にしてもらった方が楽なわけですから,裁判に掛けられた結果,無罪になったといって,感銘力が弱まりはしないのではないかと思います。それから,後者の場合。これはもう言うまでもなく,無罪になった被告人が実は本当の犯人だったのであれば,感銘力は弱められる。しかし,裁判で無罪になったということは,被告人が罪を犯していないと認められたということですから,こうした場合に,これほど無罪率を上げてもらったのでは治安が悪化してしまうと主張するのは,罪を犯したと検察が認定し,起訴したものをそうやたらに無罪にされたのでは治安が悪化すると言っているのに等しくなるのではないでしょうか。これは裁判の否定にもつながりかねない。というわけで,無罪率が上がれば治安が悪化するというのもどんなものでしょうかと思う次第です。   さらに,犯人必罰主義といいますか,刑事司法の目的を専ら法秩序の維持,治安の維持にあると観念しますと,もう一つ重大な不都合が生じると思います。それは,犯罪被害者の居り場所が刑事司法の中に見出せなくなるということです。被害者の権利を刑事司法の中に確立する運動をずっと主導されてこられた岡村勲弁護士が批判してやまなかった最高裁判決があるのは皆さん御承知だと思います。これは平成2年2月20日の第三小法廷の判決ですが,以下引用しますと,「犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は,国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって,犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではない」中略「被害者又は告訴人が捜査又は公訴の提起によって受ける利益は,捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず,法律上保護された利益ではないというべきである。」となっております。しかし,今,岡村弁護士が主導したこの運動が実を結んで,犯罪被害者等基本法が施行され,犯罪被害者支援は今や,国の重要な施策の一つになっているわけであります。それから,それに伴って,刑事訴訟法が改正され,被害者が刑事法廷に参加できるようになっている。そうした現在の情勢を考えますと,先ほど引用した判決で規定している,刑事司法の目的が国家,社会の秩序維持にあるというところは修正を迫られているのではないかと私は考えます。   以上のような次第で,刑事訴訟法の1条で公共の福祉と書かれた刑事司法の目的の一つ,これを「法秩序」イコール「治安」と狭く捉えることなく,もっと広く「正義の実現」,あるいは「国民の正義感の充足」とか,もっと端的に「犯罪により損なわれた国民の権利・利益の修復,回復」というところまで拡張して解釈すべきではないか,それに応じて,「公共の福祉」を別の文言に改めるべきではなかろうかと考えます。正義の実現ということを目的にはっきりさせれば,捜査,それから公判も正義にかなう方法でなければならないということで,違法あるいは不適正な捜査をせいちゆう(せいちゆうけ)する効果も期待できるのではなかろうかと考えます。   それから,長くなりまして恐縮ですが,最後の3番目です。論点整理の三つ目の丸の「供述証拠と客観的証拠の機能」という問題をなお,今日議論しなければならないことを見て,私は,江戸時代以来続いていると言われる自白獲得中心の思考が日本の刑事司法の骨絡みになっていると痛感します。刑事訴訟法施行四半世紀の特集を組んだ法律雑誌の『ジュリスト』,1974年の新年号中に,横川敏雄判事・東京高裁判事,この方は刑事裁判官で,旧刑訴法の時代からずっと裁判実務に携わっておられた方です。この方が「刑事訴訟法が軌道に乗るまで」という論文を寄せていらっしゃいます。その一節を引用しますと,「旧刑事訴訟法以来の自白偏重の風は根強く,客観的状況,客観的証拠の軽視と将来の課題として解決されるべき問題は少なくない」と書いておられます。私事にわたって恐縮ですけれども,この1974年の春に日本経済新聞社に入って記者の仕事を始めました。それ以来,馬齢を重ねて,今御覧のとおり白頭の翁と成り果てて昨年,定年で退職いたしました。それだけの長い年月を経て,なおこの問題を将来の課題として,今現在,この場で議論しなければならないとは,極めて妙な感じがいたします。供述証拠の証拠能力というのでしょうか,これを相当強く規制して,客観証拠を重視せざるを得ない捜査・公判にするためには,相当思い切った措置を講じないと,この骨絡みのしゆくあ(しゆくあり)は癒せないと思います。 ○本田部会長 ちょっと分かりにくかったのですが,いわゆる公共の福祉にしても,解釈論を改めるべきだということなのか,それとも,文言を分かりやすいように直してくれということなのか,あるいは,刑事訴訟法の目的,いわゆる公共の福祉と個人の人権保障とを全うしつつ事案の真相を明らかにするということ,それ自体がおかしいとおっしゃっているのか,ちょっと分からなかったのですが。 ○安岡委員「公共の福祉」を専ら「法秩序」イコール「治安」と解釈するのはおかしいということで,そういうふうに解釈できないような言葉を持ってきてもらう,ないしは,1条を変えるとしたときに,「公共の福祉」という言葉の中で,「法秩序の維持」,「治安の維持」だけが目的であるというふうに読めないように変えるべきだということです。 ○酒巻委員 安岡委員が一番最初におっしゃったことの意味がよく分からなかったのでお尋ねします。部会長の問題設定は,「事案の真相」の意味内容が何であろうかをまずここで議論しようというお話だったと思います。安岡委員はこの事案の真相という文言を削除せよというふうにおっしゃったように思うんですけれども,御意見としてはそれでよろしいのですか。 ○安岡委員 事案の真相というと,我々は,過去の事実の再現というか,歴史的事実の再現というか,そういうものだと考えてしまうわけなのです。ところが,皆様,法曹三者ないしは,研究者の方の間には,刑訴法1条で言う事案の真相とは必ずしもそういう歴史的な事実の再現ということではないということで共通認識ができているのではないかと,いろいろな論文等を読むと,そう私は思います。   それから,そういった歴史的事実の再現と,関与しているものの内心の動きまでを含めた完全な再現ということは,これは絶対に無理だと私は思いますが,事案の真相といって,我々一般の国民が受け取るときには,そういう歴史的な事実の再現というところだと考えてしまうと思います。したがって,ここの事案の真相の解明が,刑事手続の目的であるということを思い切ってなくしてしまうか,あるいは,ここで言う事案の真相とは,歴史的な事実の再現ということではないとはっきりするような,そういう言葉に変えるべきではないかと,こういうことです。 ○酒巻委員 分かりました。それでは,文言を削除するかどうかは別にして,私の考えるところの刑事訴訟法の「事案の真相」の解明の意味,あるいは解明の程度について考えているところを申し上げます。真相解明という言葉は,確かに日常用語としては安岡委員がお気にされたようなイメージを持っているかも知れません。しかし,つまるところこれは,法1条の目的である刑罰法令を適用実現する,そういう法律の目的達成に必要かつ十分な内容・程度の事実の確定という意味であって,これに尽きるというべきだろうと考えております。そして,多くの法律家もこの点については共通認識があるだろうと思っております。   それでは,そういう真相解明というのは具体的に何であるかというと,2つありまして,第1は,刑罰法令の定める犯罪事実,例えば殺人罪が分かりやすいですから例を挙げますと,人を殺害したという殺人の具体的な事実が証拠によって証明できるかどうか,そして,起訴された被告人がその犯人であるかどうかを明らかにするということです。それから,第2に,もし被告人が真犯人であるのが確実であるならば,その人に対して,その犯行や責任に応じた的確な刑を量定するのに必要十分な事実,殺人の例で言いますと,計画的な保険金目的の殺人なのか,あるいは偶発的な犯行なのかといったような,刑を決めるのに重要な事実を確定すること,この点に尽きるというのが刑事訴訟法の本来想定していることだろうと考えられます。他方,裁判でこの点を解明することは,今殺人を例に挙げましたけれども,どんなに軽い事件でも,重い事件でも,その軽重を問わず,また,被告人にとっても犯罪の被害者にとっても,さらに,一般国民にとっても,公正であるべき刑事司法の果たすべき役割・機能として,不可欠の事柄であろうと思います。そういう事柄をどういう言語表現で表示するかはともかく,現在の刑事訴訟法は,正に,刑罰法令の適用実現という目的のために必要不可欠な事案の真相の解明,これを求めているということだろうと思います。起訴された犯罪事実の具体的状況ですとか,手段,方法,結果,それから,これに密接に関連した,刑を決めるのに必要な限度での犯行の動機・目的,あるいは犯人が犯行後にどういう行動をしたかとか,反省しているかどうかといったような事柄に係る事実の解明を図った上で,刑罰法令を具体的に適用実現するのが刑事司法の最も本来的な中核的な目的であると思います。この点を完全に放棄してしまうのは,やはり適切なことではないだろうと思います。   ただ,他方で,これは正に安岡委員がお気にされていたところですけれども,このような本来の目的を超えた役割を刑事司法に期待することは,-もし仮に一般国民,あるいは国民の多数がそのような期待を持っていたとしても-,それは賢明なことではないと私は考えております。例えば,刑罰法令,刑法が処罰を求めてはいない社会的責任の追及ですとか,あるいは,刑の決定には不可欠とは言えない事柄は,刑事裁判の場に持ち込まれるべきではないと考えております。仮に,現在の一般国民,あるいは一般国民の期待するものと称してマスコミの求めているものが,例えば被告人の心の闇の解明ですとか,あるいは犯罪事象の社会的原因の解明であったりしても,そのような事柄を解明するのは法制度としての刑事司法制度の役割ではないということを明確に意識して,今後の議論を進めていくべきであろうと思っております。   先ほどの部会長の御発言,それから,前回の最後だったと思いますけれども,村木委員から,裁判員制度の導入が刑事司法にどのように影響したかというお尋ねもございましたので,その点に関して触れたいと思います。この事案の真相解明という事柄について言いますと,今,私が述べたような本来の意味を超えて,ある意味で戦後60年,裁判員制度導入までの間に徐々に蓄積されてきたことですけれども,事実についての,ある意味で無目的な,常軌を逸した精密指向というものが,かなり進んでいた部分があったように思います。例えば,AとBが殴り合いをして,Aが先に手を出したのは明らかだけれども,では,右の手で殴ったのか左の手で殴ったのか,あるいは,4回目はどっちで殴ったのかという,そういう細かなところまで徹底的に解明するのが事案の真相解明だというような,私に言わせれば誤解がものすごく進んでいました。それが裁判員制度が導入されて,現在,もう3年になりますけれども,少なくともプロの法律家の間では,やはり先ほどの犯罪事実を認定し,かつ,もし真犯人であるならば,刑を決めるのに必要十分な事実を解明する,その限度で解明すれば刑事司法の本来的目的が達成されるんだという意識が非常に鮮明になり,少なくとも法曹三者の間では,そういう事実を公判に顕出して,裁判員の方に明確に分かっていただく,刑を決めるのもそれで十分であると,そういう動きが非常に顕著に,ある意味でこれは画期的な変化が起こっているのが現状だというのが私の認識でございます。そういう意味でも,裁判員制度の導入は,日本の刑事訴訟法,あるいは刑事裁判というものが持っていたはずの本来的な機能を,目的に即して的確に果たすのに,より良い方向に変わる触媒になったというふうに専門家としては理解しております。 ○井上委員 刑訴法1条の関連なのですけれども,酒巻委員が言われたことは,中核ないし究極としてそういうところを目指すというのはそのとおりだと思いますが,公判の段階と捜査の段階では,究明すべき事実の範囲ないし幅とか深度とかがおのずから違ってきまして,捜査の段階でも最終的には酒巻委員が言われたようなところに絞り込んで,それを公判に出し,弁護側の反証も踏まえた上で,裁判所に正しい事実を認定してもらうというのが目的であることは間違いないのですけれども,捜査の最初の段階というのは,犯罪かどうかも含めて何も分からないことが多い。そこから,かなり幅広く事実を調べて絞り込んでいきますので,おのずから究明しようとする幅や深度が違ってくるのではないかと思います。   もちろん安岡委員が言われたように,真実というか,歴史的実在としての事実,しかも人間の内面まで含んだ真実といったものを,完全に解明しろ言われても,そんなことはできっこないということは誰でも分かっている。ただ,刑訴法1条に真相の解明という字句が入ったのは,その経緯を以前に松尾先生などと制定過程の資料により研究したときの記憶によれば,当時は,アメリカに倣って当事者主義が入ってくるのだけれども,アメリカ的な当事者主義の最も極みは,前に私が申し上げた当事者処分主義,両当事者双方がそれで良いと言えば,それが事実だということで処分をしてしまう。言わば形式的真実であるわけだが,刑事司法においてはそれでは不適切であり,やはり本当の意味での真実,客観的に正しい事実に基づいて司法が行われなければならない,という考え方が多くの人にあって,その文言が入れられた,ということであったように思います。   このような真実というか正しい事実に対する希求というものは多かれ少なかれ,どの国の刑事司法でも見られることでありまして,例えばアメリカなどでも,人権保障や適正手続ということが強調されると同時に,やはり正しい事実の認定というか,トゥルースという言葉を使っている場合もあれば,トゥルー・ファクツという言葉を使っている場合もありますが,希求する一つの目標として必ず挙げられているのです。そういう意味で,「真相」という言葉を使うかどうかは別として,それを削除するというのは適切でないと思います。   もう一つ,ついでに申し上げると,この間の最高裁の判例の白木補足意見の読み方は,ちょっと違うのではないかと思います。白木意見で「幅」と言っているのは,一審判決は裁判員が参加して下した判断なので,それをできるだけ尊重すべきであり,酒巻委員が言われたような簡潔にして要を得た事実認定,その要点が間違いなく認定されていればよく,論理則や経験則に照らして不合理と認められる場合以外は,証拠の評価やそこからの推論に違いがあっても,控訴審として介入すべきではない。そういう意味での幅であり,またもう一つ,量刑については,文字通りの幅であって,著しく不当と認められる程度でないという意味で許容され得る範囲のことを意味しているのだと思います。そういう裁判員裁判による一審を尊重すべきだということに主眼があるものであって,安岡委員が言われたような趣旨のものではないと,私は思います。   さらに,必罰主義というのが,あたかも多くの人が共有する考え方であるように言われたのですけれども,それが刑事司法の専らの目的であるというようなことは,少なくとも今の時代では誰も考えていない。真犯人を必ず摘発し処罰すべきということもあるけれども,無実の人を処罰してはいけないという,いわゆる消極的実体的真実主義といわれる側面や,人権の保護ということとのバランスを考えているわけで,そこのところはちょっと前提が違うのではないかというふうに感じました。取りあえずは,これくらいにしておきます。 ○大久保委員 専門家の方たちのいろいろな真摯な意見交換をお聞きした後で,素人である私が発言をするということは何かとても気後れしてしまいますけれども,是非この新しい時代の刑事司法を考える特別部会の論点として議論していただきたいということがございますので,発言させていただきます。   まず,刑事司法の果たす役割ですけれども,先ほど安岡委員のお話の中にも出てまいりましたが,平成16年12月に犯罪被害者等基本法が成立しまして,1年後の12月に閣議決定された第1次犯罪被害者等基本計画には,「刑事司法は社会の秩序の維持を図るという目的に加え,『事件の当事者』である犯罪被害者の権利利益の回復に重要な意義を有することも認識されており,その手続が進められるべきものである。このような意味においても,『刑事司法は犯罪被害者のためにもある』と言うこともできよう。」と,このように指摘されています。これまでにもこの部会で指摘されましたように,被害者に対する保護・支援の拡充が必要ですので,今後の議論においても,また,被疑者の取調べや新たな捜査手法などを検討する際にも,新たな制度の下でも,その被害者の権利・利益が十分に保護・尊重されるべきであるということを,是非念頭に置いていただきたいと思います。   2つ目は,今,真相解明はどこに視点を当てるべきかというようなお話がございましたけれども,国民の多くは,あるいは被害者も,刑事司法では事案の全容が解明されて,真犯人にはその罪に応じた罰が科せられるのは当然だと考えております。その手段として,全容を明らかにする,供述を得るためにも,必要な場合には,真犯人に対する厳しい追及を行うということもまた当然のことだと期待をしております。特に凶悪な重大事件と言われるような事案や,あるいは社会的地位のある人の事件においては,そうした期待もなお大きいのが一般的だと思います。真相を解明するために取調べへの過度の依存といいますか,行き過ぎは当然改める必要はありますけれども,国民の期待に応えるためには,被害者の保護・利益のためにも,真相解明のためには犯人に対する厳しい取調べというような要素も,それはまた不可欠なものではないかと思います。   また,捜査と公判がそれぞれ担うべき役割,それはもちろん,それぞれ目的ですとか,役割を持っているということは理解はできますけれども,被害者や参考人にとりましては,捜査と公判のこの二段階で刑事手続への協力を求められるということは,とても大きな負担になります。真相解明のためにはもちろんやむを得ないところだとは思いますけれども,その負担を軽減するための方策,あるいはプライバシーの侵害を防止するための方策を更に検討するべきだと思います。これは刑事司法が果たす役割にも関連することなんですけれども,報復のおそれがある組織犯罪の事案では,捜査に協力をして,真実を供述した上,その組織関係者が傍聴する公判で証言をするということは大変困難ですとか,あるいは負担が伴うことと思います。今年の1月に北九州市を視察した際,報復を恐れた証人が証言を拒否したという資料も読ませていただきました。また,小倉北警察署で暴力団対策の話を聞いたとき,捜査員の方がこうおっしゃったんですね。「持っている武器で戦うしかない。」,このようにおっしゃいました。私はその言葉の中に,不十分な現行制度だけれども,社会正義のために自分たちは命懸けで仕事をしているという,そういう壮絶な決意が伝わってきて,とても深い感銘を受けました。でも,それと同時に,このような多大な負担を現場に押し付けているということは,一市民としてとても無責任なのではないか,そのようなことも強く思いました。それと,捜査に協力をした人に対して,その保護をする制度もないということにも,とても衝撃を受けました。社会の安全・安心を託している現場の声を生かさなければ,私は刑事司法の目的は果たせないとも痛感いたしました。捜査に協力した人や被害者といいますのは,その事件に遭遇するまでは普通の市民生活を送ってきた普通の人です。普通の社会生活を送ってきた人たちというのは,社会の治安は一人一人が意識して行動することが基本だと考えて,一市民として自分たちにできることをして,次の世代の人たちが安心して暮らせる,安全な社会を贈りたいと考え,願って,様々な面で積極的に協力をしてくれるようになれる人たちでもあるわけです。刑事司法の目的を達するためには,私はこのような協力者や被害者を支援する制度が重要であるということが改めて分かった,今回の視察でもありましたので,ちょっと併せてお話をさせていただきました。   また,犯罪被害者等基本法の基本計画の中には,「犯罪被害者等に信頼されない刑事司法は国民全体から信頼されないという指摘もなされている」,このようにも書かれています。先ほど最高裁の,捜査などは被害者のためではないというような判例もあるというお話もございましたけれども,新しい法律というのは,その時代を反映したものだというように考えますので,正に時代に即した新しい時代の刑事司法を考える特別部会としましても,このようなことは,この総論の中で考え,議論すべき基本的な考え方なのではないかと思いましたので,発言をさせていただきました。 ○本田部会長 ありがとうございました。取りあえず一回ここで休憩を取って,その後にまた再開させていただきたいと思います。よろしくお願いします。 (休    憩) ○本田部会長 それでは,再開させていただきます。   これまで一つ目の「刑事司法が果たすべき役割」という小項目について議論してまいりましたが,今までの御発言の中でも,「捜査と公判がそれぞれ担うべき役割」なり,また,供述証拠の問題など「事実認定の在り方」についてお触れになっている方もおられますので,これからは,この後の二つの小項目につきましても併せて御意見を伺いたいと思います。もちろん,「刑事司法が果たすべき役割」については非常に大事でございますので,それも併せて御意見をお願いしたいと思います。 ○神津委員 何人かの委員の方の御意見を伺いながら,少しそれに絡めてといいますか,私なりに思ったことを申し上げます。   まずは,安岡委員が分かりやすさ,一般国民に理解できる法律とすべきというのは全くそのとおりだと思っておりまして,大賛成です。というのは,例えば真相の解明ということのテーマ一つ取ってみても,かなりそのこと自体は奥深いものであって,一般的に国民の立場で真相の解明ということを問われれば,そんなもの,それはそれに尽きるんだとしか言いようがないと思うんです。ただ,この法律の中で,まず一番最初にそれが据えられているということと,それが波及している事柄というのはこれだけのことがあるんだということを考えると,酒巻委員のおっしゃられるように,具体的に,では本当の意味で必要なことというのは何なのかということをきちんと表現するということは極めて重要なことだなと思いました。   そのことのみならず,やっぱり一般的に国民が思っていることと,実際にこの部会で取り上げて改善をしていくべきということとの思いとの,ある意味ギャップがあるんだろうと思っています。だけれども,埋められないギャップではあり得ないというふうに思っていまして,例えば,少し分かりやすいといいますか,卑近なことを取り上げて申し上げますと,いわゆるテレビドラマで犯罪ものといいますか,犯人が一体誰なのだろうという推理ものみたいなものですと,いろいろ調べて,犯人はこの人だとして逮捕されると,「めでたし,めでたし」で大体終わる,というのがテレビドラマの場合,多いわけです。捜査と公判の在り方にも関わるのかどうか分かりませんが,国民は,要するに犯人が捕まれば,「ああ,もうこれはよかったな。」というふうにずっと思ってきているんですね。そのこと自体,先ほど申し上げた本来追求されるべき事柄とのギャップというのがあるのではないかなと,こんなふうに思っています。   それと,ちょっとまた別の観点を加えてなんですけれども,警察の方々というのは,ちょっとばくっとした言い方で御勘弁いただきたいのですが,時々こんな問題があるというのは新聞にも出ます。ただ,それは本当に一握りの方々であって,大層の警察の方は大変に強い義務感を持って,事に当たっておられると,こういうふうに思うんですね。そのことが,往々にして,ちょっとこれも言い方にそつがあって申し訳ありませんけれども,真相解明のためであれば,何をやってもよいというようなふうに取られかねないようなことが起きてしまったというのが,一つの問題を生じてきたということがあるのではないのかなというふうに思います。とにかく,ある意味で犯人を検挙すれば,国民に安心を与えられる。だから,これは動機としては,極めてまともな動機であっても,結果において,「真相の解明」という一言だけであると,そこにとにかくもう突進をして,何をやってもよいというふうにやっているのではないか,というふうに思われることが生じてしまっているということではないかなと思います。   それと,この部会で直接テーマに挙がっているわけではないんですけれども,私がちょっとかねがね疑問に思っていることがありまして,実際に犯人というか,被疑者が確保されて,取調べがされて,その取調べのいわゆる捜査情報,それが結構新聞にぼろぼろ出てくるんですね。あれは一体どうしてなのかなと,漏らす人がいるから漏れているんでしょうけれども,さっき申し上げた国民の意識の中で,これはこの人が犯人だなというふうに心証が形成されているといいますか,そのことがまた,この一連の,今,私が申し上げたような事柄に拍車を掛けているのではないのかなというふうに思います。   それと,先ほど警察の方(ほう)の研究会の御報告があって,両論があったということでしたので,あえてそこでは申し上げなかったんですけれども,この部会での議論の進め方の中で,最初の段階で私も申し上げたんですが,録音・録画を進める公正な手続ということを人権の擁護という観点をきちんと据えながらやっていくということと,そのことによって治安の確保のレベルが落ちるというような,そういうセット論というのが,この研究会の中でもそのことを前提にいろいろ議論が始まったということなんですけれども,私にはこの二つはやっぱりリンクということではなくて,それぞれ追求されるべき事柄ではないかなと思いますので,今ほど申し述べたこととの関わりもあるのではないのかなと思ったものですから,ちょっとその点も追加して述べさせていただきました。 ○後藤委員 真相解明の話題と捜査と公判の関係について,一つずつ意見を申し述べたいと思います。   実際の刑事手続が,誰かの刑事責任を追及しようと思って始まることは否定できません。そして,責任を追及されそうになれば,人はそれを隠そうと反応するのは自然です。実際の憲法は黙秘権という形で,ある意味で隠すことを権利とさえ認めているわけです。そう考えると,本当に真相の解明を目指すのであれば,刑事手続という方法によることが,かえってその妨げになる可能性もあると思います。これは皮肉に聞こえるかもしれないけれども,そういう覚めた見方をして,いちばん大事な目的にふさわしい手段を使い分けるという選択も必要ではないかと思います。   それから,私は,安岡委員のおっしゃったことの全てにすぐ賛成できるわけではないですけれども,国民にとって分かりやすい法律にするべきだというのは非常に重要な観点ではないかと感じました。   続いて,捜査と公判の関係に入ってもよろしいですか。これは非常に大きな論点なので,一言では難しいですけれども,あえて一言で言うと,今までは捜査の方に比重がかかり過ぎていたのではないか,もう少し公判の重要性が復権する必要があるのではないかと私は思います。皆様,御存じと思いますけれども,日本の検察庁には起訴は非常に慎重にしなければいけない,必ず有罪になるという確信がないと起訴してはいけないという,建前があります。それは条文になっているわけではないけれど,ほぼ公式の方針として,そういう考え方が,語られています。これはもちろん目標であって,常にそれが守られているわけではなく,守られない場合も当然あります。しかし,目標としてはそういう原則が語られています。その結果,現実的に起訴された事件は非常に高い確率で有罪判決になっている。そのことが,無罪判決を非常に特殊な現象にさせているわけです。そのため,検察官が起訴するときにどうしても確実な証拠が欲しいと考える。それで,厳しい取調べをしてでも,自白で固めたいという気持ちが出てくる。それが,何とかして自白を取ろうという,自白重視の姿勢の一つの原因になっているのではないか。もう一つの悪い影響は,起訴した以上,必ず有罪にしなければいけないという意識ができてしまう。そのために,途中で方針を変えるとか,裁判所,あるいは裁判員が無罪だというのならそれでいい,検察官としてはやるべきことをやったので,それで無罪と言われたらそれでいいのだというような割り切りをすることが難しくなります。そのために,検察官が過大な責任を背負い込む構造になっているのではないでしょうか。これをもう少し緩和して,本来の裁判所の責任と判断に委ねるという方向にシフトする必要があるのではないかと思います。もちろんこれは証拠がなくてもどんどん起訴しろという意味ではありません。起訴されるということは,被告人となる人に負担を課すわけですから,それは慎重にしなければいけないのはそのとおりです。しかし,起訴するためにどうしても自白をさせなければいけないというような考え方は取らない方がよいし,また,起訴されたものは必ず有罪にならなければいけないというような思い込みもしない方がよいのではないかと思います。 ○周防委員 まず最初に,安岡委員のおっしゃったことは私も非常によく分かります。気持ちとして。正に酒巻委員や井上委員がおっしゃっていただいたことが分かりやすく国民に伝わるのなら,今は絶対に伝わっていないので,酒巻委員は裁判員制度によってそれが広く理解されるようになってきているという実感をお持ちだというふうにおっしゃっていただきましたが,本当にそうならうれしいことなんですけれども,私が感じるところでは,酒巻委員や井上委員がおっしゃったことを多くの人が理解しているとは到底思えないです。   ですから,そんな誤解を与えるような書き方をしているんだったら削除してしまえという気持ちは非常によく分かる。それが一つ,安岡委員のおっしゃったことに対する僕の感じ方なので,これは広くやっぱり,そういった誤解を生まないような条文にすべきであると考えます。   その条文の下に,やはり警察と検察は,真相を究明するには真犯人に事実を語ってもらう以外,真相の究明はあり得ないんだという形でやはり無理な取調べをしている。ですが,もちろん,警察官や検察官は自分たちが言っている事案の真相というのがきっと,国民に対しては本当の意味での真相という意味で,「真相を分かりたいでしょう,だからこうしているんですよ」と言い,でも,それは法律的な意味で言えば,さっき酒巻委員がおっしゃったようなことで言っている真相なんだというふうに居直ることもできる。非常に場面場面によって,その真相という意味を都合よく使い分けているのではないのか,それでますます議論がかみ合わないことに,こういう場でもなっていくのではないのかと,多分,法律の専門家でない人間にとっては,この真相の究明というのが非常にやっかいな言葉になっています。   あと,後藤委員がおっしゃった,起訴の基準ですよね。絶対に有罪であるという確信を持たなければ起訴をしないと一応なっているんですけれども,もっと平たく言うと,これは侮辱するかもしれませんが,起訴すれば絶対に有罪になる調書ができたら起訴をする。それが現実だというふうに僕は理解しています。たまたま真犯人を起訴する機会が多いので,そうやって批判されることも少ないんですが,これが明らかになっているえん罪を見ていくと,やはりその取調べ段階の無理というものが明らかにえん罪の原因になっていることは明白ですので,起訴の基準というのは,ではあっさり起訴すればいいのかという居直りとも取れない突き付け方をされますが,そういう問題ではなくて,やはり検察官の手持ち証拠,明らかになった事実,それをもって,検察官として合理的に,これは有罪であるという確信を持ったら起訴をすればいいわけです。今ですと,要するに起訴されたことの負担,それが重いから,なるべく検察官の段階で起訴するかしないかを判断している,そこが日本の良いところなんだという言い方がありますが,起訴を少し保留して,その間にむちゃくちゃな取調べをする,その被疑者の不利益と,起訴される不利益とどっちが多いんだといったら,今は僕はむちゃくちゃな取調べを受ける不利益の方が大きいのではないか,だったら,ある程度のレベルで,有罪の確信を検察官が抱くのだとしたら,その段階で起訴をすればいい。後の追及は公判廷でなされるべきだと,そういうふうに考えます。 ○村木委員 現役の学者の先生に分かりやすく解説をしていただいて,今日大変勉強になっております。   刑事司法が果たす役割というときに,前回も申し上げましたけれども,無実の者を処罰しないということも含めての真相解明ということについては,私自身もやはり強い期待を持っています。ただ,そこには幾つかのやっぱり留保が付くなというふうに思います。火曜日,水曜日,裁判員裁判を傍聴させていただきまして,大変勉強になりました。裁判を見たことで,一つは,真相解明というのは,法曹三者とか,あるいは裁判員を含めて国民も加わって初めて実現をするものなのだという印象を強く持ちました。いろんな角度から質問が行く,事案に対して光が当たることで,捜査の段階では分からなかったものが見えてくるというのを裁判を見ていて非常に強く感じました。今までどうしても捜査段階でそれを全て実現しなければいけないという責任を,関係者に我々国民やマスコミが過大な期待を掛けてきた,そういう我々の側の責任もあるのかなというふうに思いました。それから,裁判を,人間が人を裁くというその現場を見て,やはり酒巻委員が言われたように,本当に法令を適用するに当たって必要かつ十分な範囲でしか真相解明というのはできない。それ以上のことをやるというのはやはりおごりになるのではないかなという印象を強く持ちました。   特にこれは私自身,まだ勉強していないので,先生方にいろいろ教えていただきたいと思いますが,特に内心にまで立ち入るということが本当に必要なことなのか,必要不可欠の部分があるとしたら,それはどこまでなのかというのはまた是非教えていただきたいと思いました。自分が取調べを受けてみて非常に印象深かった点なんですが,一生懸命検事さんが調書に私の気持ちを代弁して書こうとする。調書にそういうことが書かれるんですが,出来上がってみると,私の人格と全く違う人間が調書の中に浮かび上がってくる。ここまで,こうやることは何の意味があるんだろうと,私が裁判で自分の言葉で言う部分についてはいいんですが,一体こういうことをやる意義とか,意味とか,やり方とか,正しいのだろうかと,非常に疑問に思いました。そういったところの限界もきちんと整理をすべきではないかというふうに思っています。   それから,捜査と公判との関係に関して言うと,捜査機関だけが非常に大きな権限を持っているということを頭に入れて,今回の議論をしていただきたいなと思っています。体を拘束して取調べができるとか,家宅捜索ができるとか,物を押収できるとか,非常に大きな権限を持っていらっしゃる。その捜査機関,検察が公判になれば,一方の当事者になるということです。自分が裁判を闘った中で,何で相手は大きな組織で,あたかもそれと対等な関係であるかのように私が被告人側で個人で闘うという形になっているんだろうと,大変不思議な感じがしました。捜査,公判という非常に大事な二つの段階において,捜査機関,検察が違う役割を,二重の役割を持っているということについて,是非そこを考慮に入れた議論をこの後,各論のところでしていただきたい。例えば証拠の開示の問題等々ですが,そういった検察側,弁護側がきちんと対等に対峙をできる仕組みというのを考えていただきたいなというふうに思っています。   それから,事実認定の在り方のところについて,申し上げたいと思います。今回,ずっとこの審議会に出させていただいて,ヒアリング等々をした中で非常に印象に残ったお言葉がありました。警察官の方だったと思うんですが,捜査が正しい方向に向かっているときは,供述証拠と客観証拠がだんだん一つにまとまっていく,それが間違った方向に行っているときは,手からそれがどんどんこぼれ落ちていく,という表現を現役の警察官の方がされたと思います。取調べの重要性を否定したり,あっさりやれとか乱暴にやれとかということでは全くないんですが,客観証拠がないままに供述に頼っていくことの危険性というのは,その警察官の方の言葉でも非常に裏付けられたのではないかなと思っています。   それから,もう一つ,供述の重要性を認めるとしても,それと供述調書は全く違うものだというふうに自分の経験上,思います。およそかけ離れたものであることが多いと思っています。そういう意味では,供述が大事だとしても,供述調書は非常に危険だということを前提にして議論をしていただきたいと思います。周防委員が今言われた,起訴すれば有罪にできるという調書が出来上がったときに起訴をするんだというのは,被告,被疑者になった私の立場としては非常に実感に合っている言葉でございました。 ○岩井委員 安岡委員が検挙率について示された御見解について,私は違う見解を持っています。   非常に認知件数がばっと上がった時期があって,そのときには刑法犯の検挙率が下がっています。ですから,認知件数と検挙率というのが反比例しているように犯罪白書の犯罪の発生状況から見えるわけですよね。でも,あれは結局,検挙率が下がると犯罪が増えるというのではなくて,認知件数が増えると検挙率が落ちざるを得ないということを示すのだというふうに思われます。私はいつも刑事政策の観点で犯罪白書を見ていますので,そういうふうに理解できると思っています。ずっと戦後,認知件数が増えてきましたのは窃盗の増加で,窃盗というのは検挙率が非常に低い罪種ですから,検挙率がずっと落ちざるを得なかったというところがあって,ずっとこのところ認知件数が下がっていますのは,非常に窃盗の発生件数,認知件数がずっと落ちているということが,その原因となっているわけです。非常に認知件数が上がったときというのは,器物損壊が非常に増えているわけで,やはり社会情勢の急激な変化で,自動販売機などの損壊などという重大な器物損壊が増えてきて,認知件数が増えざるを得なかったということです。また,そういう器物損壊というのは非常に検挙率が低い,1割いかないような犯罪ですので,そういうところできっと検挙率が落ちざるを得なかったのではないかなと思っています。ですから,私は今,犯罪白書を持っていませんし,警察の方からむしろきちんと説明されることがいいのかなと思いますが,そういうふうに検挙率の低下については理解しているわけです。それで,普通は犯罪というと思い浮かべます殺人については,大体検挙率が95%というものがずっと維持されてきているわけで,そんなに増減なく来ているわけですよね。ですから,犯罪を一生懸命検挙すると犯罪が増えるとかという,そういうことは余りないのではないかと思っています。それと,もう一つ,1条に犯罪必罰の意味が込められているというふうにおっしゃいましたけれども,やはり起訴便宜主義の条文が後ろの方にはあるわけで,今はもう有罪者,刑の確定者の数はずっと下がっている状況ですよね。無理に起訴しているというのではなくて,起訴便宜主義の中に犯罪が軽微であるときは起訴しない,不起訴の基準の中に,犯罪軽微というのがありますので,やはり軽微事案が起訴されないという,そういうところが,有罪の判決を受ける,刑罰を受ける人たちがずっと下がってきているという,そういう状況を示しているのだろうと思っております。ちょっとそこのところが気になったものですから,申し上げました。 ○植村委員 今日は遅参いたしまして,申し訳ございませんでした。前半部分の議論を聴いていない上での発言なので,恐縮しておりますが,若干の発言をさせていただきます。   私は第2回会議におきまして,供述調書に過度に依存した捜査・公判の見直しとの関係で,特に裁判員制度におきましては,証人調べを基本とした審理を実現すべきではないか,裁判所は,全体としてそのような審理を目指す方向にあるんですと,そういう趣旨の発言をさせていただきました。それをふえん(ふえん向)しながらお話をさせていただくんですが,まず,本日の議題が,時代に即した新たな刑事司法制度の在り方ということですが,この時代に即したというのは,私ども裁判所として,裁判員制度の運用の責任を持っているものとしては,やっぱり裁判員制度との関係を抜きにして考えるということはあり得ないと考えています。   裁判員裁判が始まる前の刑事裁判につきましては,これも御議論が既に出ておりましたけれども,法廷に多くの供述調書,その他の書証が提出されまして,裁判官は閉廷後,裁判官室で調書を読み込んで心証を取っているのではないか,これは調書裁判ではないかと,こういう言い方をされることもあったわけでございます。   裁判員裁判では,裁判員の方々が閉廷後,評議室に戻って,提出された調書を読み込むなどということはあり得ないわけでございます。それで,準備段階で法曹三者で考えてきたのは,裁判員裁判で初めて刑事裁判に参加される,しかも,法律の専門家でない方々,そういう裁判員の方々にも分かりやすい審理をやろうと,標語的に言うと,これは「目で見て耳で聴いて分かる審理」と言っていたわけですけれども,具体的には証人や被告人が法廷で述べたことを中心に心証を取っていただこうと,こういうことであったわけであります。   法律家の方では,これは固い言葉では「公判中心主義」とか,供述の内容を供述調書という間接的な形で知っていただくのではなくて,正に裁判員の面前で証人に語ってもらうということでございますので,「直接主義」という言葉遣いをしております。裁判員裁判の施行準備の段階では,直接主義,公判中心主義,これに基づいた裁判をやっていかないといけないと,こういう方向であったわけであります。   村木委員も裁判員裁判を御覧になったということなので,どんな裁判だったか非常に私も関心がございますけれども,それはさておき,施行後の状況を見ますと,自白事件ではやっぱり供述調書に依存する審理が多くて,調書中心に裁判が残念ながら行われてきたという実態にあったように思われます。その影響もあるのではないかと私どもは考えているんですが,裁判員の皆さんに終わった後,アンケート調査をさせていただいておるんですが,そのアンケート調査の結果を見ても,自白事件について,審理が理解しやすかったという方の割合が21年,22年,23年とだんだんデータが悪くなってきているという,こういう現象も実はございました。そこで,前にも申し上げたことなので,繰り返しになって恐縮ですが,やっぱり裁判所としては原点に立ち返って,当初考えてきたように,調書中心の裁判を改めて,人証あるいは被告人の供述,法廷での供述を中心に裁判を進めることはできないだろうかと。自白事件においても,これまでのやり方ですと,検察官が請求した供述調書に弁護人が証拠にしてもいいですよという意見を述べますと,法廷ではその調書が朗読されて,それで心証を取ると。朗読といっても,実際には裁判官裁判時代は,必ずしも全部が全部,朗読されることはなくて,裁判官室に戻って読み込む,こういったこともあったので,調書裁判ということを言われてきたわけです。ただ,仮に調書が朗読されたとしても裁判員はなかなかそれでは心証が取れないのではないかというふうに思うわけであります。やっぱり法廷で,一問一答でやり取りが行われる方が,はるかに心証は取りやすいのではないか。質問者の方がどうですかと言って,それに対してお答えになる,足りなければまた質問者の方で重ねて聞いていくという形で,本当に証人なら証人,被告人なら被告人が何を言いたいのかを,調書という形ではなくて,生の供述という形で法廷に出していく。その方がずっと分かりやすいのではないか,こういうことであります。   供述調書ですと,朗読されるとそれでおしまいになってしまうわけですけれども,証人尋問であれば,更にこんな点を確認して真意を確かめたいということであれば,裁判員の方もおやりになれるわけでありまして,そういうことで,本当に供述者が言いたいことを捕まえていこうということでございます。生の証人とのやり取りを通じて,裁判員に生き生きとした心証を取ってもらいたい。それがうまくいけば,そんなに裁判官がいろんなことを説明しなくても,十分,法廷で心証を取っていただいて,当事者の御意見を論告,弁論という形でお聴きになれば,事案の争点もよく分かって,評議も非常に充実したものになるのではないかと,こういう思いでございます。   ただ,これは裁判員裁判のことで申し上げましたけれども,実は前回,当部会で配布されました参考資料の中でも,学者の先生方が触れられているとおりでありまして,戦後制定された日本の刑事訴訟法の姿から見ますと,本来,日本の刑訴法が予定していた審理というのはそういう審理だっただろうということでございまして,それがどうして裁判官裁判時代のようなものになったのかにつきましては,裁判所も含めて,法曹三者それぞれに責任があるようには思っております。   当部会の委員幹事の皆さんが傍聴され,あるいは傍聴される予定の事件というのは自白事件と伺っておりますが,いずれも調書の朗読だけではなくて,検察官が申請された証人の取調べがあるというふうに伺っております。当事者,弁護人や検察官の御協力を頂いて,御覧いただく事件ではそのような審理が実現できたものというふうに聞いておるわけでございますが,是非傍聴されたときに,生の証言で聴かれてどうだったのか,なかなか仮定するのが難しいんですけれども,供述調書の朗読だったら心証の取り方というのはどうだったのか,というのを考えていただければと思います。   ただ,傍聴していただく事件はそうなんでございますが,裁判所全体で見ますと,やはり自白事件では,供述調書の朗読ではなくて,証人尋問によって心証を取っていただく審理というのはいまだ少数だろうと思います。調書中心の審理の方が多いだろうと思います。そういう事件では,生の声が聴けるのは被告人だけになってしまいます。あとは被害者にしろ,犯行に至る経緯についてよく知っている関係者にしろ,供述調書の朗読という形で法廷に供述が出るということになる。その意味で,まだまだこれからやるべきことは多いだろうと思っております。   ただ,誤解なきように付け加えておきますと,どのような方でも被害者を法廷に呼び出すべきだということを言っているわけではございませんで,例えば,性犯罪の被害者の方々などにつきましては,2次被害の問題がございます。そういったことにつきましては,気を遣っていかなければならないわけでありますが,裁判員制度を今後とも定着させていくためには,供述調書に依存した審理ではなくて,被害者や関係者に証人として法廷に出てもらいまして,その証言を通じて,裁判員が生き生きとした心証を取れるような審理を実現していきたいというふうに考えております。ちょっと大項目1の三つの丸との関係は曖昧でございますが,裁判員制度の関係で申しますと,時代に即した在り方というのはそういうものではないかと思っておりますので,申し上げました。 ○安岡委員 先ほど岩井委員からおっしゃられた点につき,私の発言が舌足らずで伝わっていなかったと思うんで一言。私は,検挙件数と検挙率と犯罪発生数,認知件数が簡単に言えば相関してはいないのではないかということを申し上げたんです。ですから,この下がっている平成14年に至るまでの間には,認知件数が急増して検挙率が落ちていると,ここのところはそれは検挙率が落ちれば,治安は悪化します,犯罪件数は増えますよというふうに映ると,そこは私は触れていません。そこではなくてその後の平成14年以降の急減している局面で検挙率は向上していないのではないか,むしろ検挙件数で見れば落ちているということを言って,それでつまり,検挙率が落ちると治安は悪化しますよという言説に対して,それはちょっとおかしいのではないかということを申し上げたのです。 ○佐藤委員 いよいよ議論が核心に入ってきたという感じがいたしますので,私は二つの意見と一つの提案を,この際,申し上げたいと思います。   意見の方は,私は,先ほど来,議論になっておりますところの犯罪の認知件数が急増した,そのときの長官でありまして,責任極めて大ということでございますし,そのことに関しては,また機会を改めてお話をすることがあろうかと思いますので,今日はそれを避けたいと思います。   それから,これから申し上げることは,警察におりましたとき,二十数年,犯罪の捜査指揮をやってきたということと,先般,弁護士登録をして刑事弁護をやりまして,両方の経験を拙いものながらやらせていただいたという立場も加味して,発言をさせていただこうと思っています。   まず,二つの意見のうちの一つ目でありますけれども,安岡委員が発言されたことは,大変,一石を投じられた,そういう意味合いがあって,本日の議論が深まっているきっかけを作られただろうと思って,拝聴いたしました。ただ,この「事案の真相を明らかにし」というのは,正に捜査機関が捜査をしている核心でありまして,これがもしなくなったら,捜査は一体どっちへ向かうのか。この刑事訴訟法の規定がなくなるということは,我々刑事訴訟法の規定に基づいて権限を行使するという立場でありますから,ここから削除されるということは,捜査機関の捜査はいずれへ漂流するかという問題を惹起する,そういう性格のことではなかろうかと思います。   それで,この「真相を明らかにする」ということでありますけれども,そのためには事実を集積していかなければならない。ところが,この事実の収集というのは意外に難しく,そう簡単に集積されるものでもない。また,仮に集積されたといたしましても,事実ではあるけれども本当にそれは事実かという評価,これはもう優れて哲学的問題かもしれませんけれども,これに指揮官としては常に悩むわけであります。したがって,証拠の評価の判断に悩み,そして十分な証拠が集まったとは言えない段階でどう捜査を進めていくかという中で,捜査機関としての責務と国民の期待と,それから,被疑者の人権というものを考えて,捜査方針を決するという決断を行っていくわけですが,この判断の難しさというのは恐らく裁判における事実認定においても同様であろうと推測します。したがいまして,とにかく,この第1条の「事案の真相を明らかにし」というのは,捜査,公訴の提起,そして裁判の共通する大前提であろうと思いますので,一言申し上げた次第であります。   それから,二つ目の,刑事訴訟法の規定が非常に分かりづらい,これは私もそう思います。かねてから疑問を感ずることが少なからずございます。したがって,これはいずれ議論が煮詰まった段階で,刑事訴訟法をどのように再構築するかということがテーマになれば,その際に意見を申し上げたいと思います。   それで,提案の一つでありますけれども,これは部会長にも是非お願いをいたしたいと思うことであります。この部会長が冒頭に言われた議論の出発点としての本日のテーマに深く関わることだと思いますので,申し上げる次第ですが,この「えん罪」という言葉であります。これは確か第3回でしたか,酒巻委員が疑問を呈せられたように記憶しておりますけれども,そのまま回が推移してきたというように記憶いたしておりますけれども,この「えん罪」という言葉については,留意すべきことが少なからずあるなと思います。   この「えん罪」につきましては,国会議員の質問主意書に対して閣議決定された最新の答弁を拝聴いたしますと,政府は閣議決定の上,このように答弁をいたしております。「『えん罪』という用語は,真犯人ではない者に対する有罪判決が確定するなどの事態を念頭に置き,被疑者の取調べ状況を録音・録画の方法により記録する制度の目的に関し,いやしくも真犯人ではない者に対する有罪判決が確定するなどの事態を生むことがないようにすることの重要性を表すために用いたものであって,政府としては,過去の個別具体的な事件について,それが『えん罪』に当たるか否かをお答えすることは困難である。」と答えているわけです。それで,私が思いますのは,この審議会も政府に置かれている機関の一つでありますから,政府がこのように答弁している以上,この「えん罪」という言葉は,先ほどの報告書でもかぎ括弧付きで表現されておりますけれども,少なくともここで用いるのであれば,その内容を明確にして用いるべきであろうと思うわけであります。恐らく「えん罪」という言葉で表現されようとしていることは,無罪になった事件のうちのある特定のもの,これを指しているんだろうと思います。しかしそれは,使っておられる方によって,かなり意味内容を違えて表現,用いられているというように,この会における発言についても,私はそう受け止めました。捜査の実態から言いますと,明らかに人違いをした,そのまま公訴が提起されて裁判になったというケースも過去には例外ですけれどもありました。そういうものもありましょうし,捜査の過程,あるいは裁判の過程で,あるいは判決が確定した後で真犯人が現れて,被疑者・被告人が真犯人ではなかったということが明らかになるケースもありましょうし,あるいは,真犯人は明らかではないけれども,当該被告人あるいは判決が確定した者が犯人だとは到底言えないということが,そのときあるいはその後に明らかな証拠によって示されることもありましょうし,あるいは証拠が不十分なゆえに無罪となったというものもありましょうし,どれを「えん罪」として表現されているのかということを明らかにして議論をしていかなければ,この審議会のテーマを論ずるに当たっては不適当ではないかと思います。   したがって,最低限,「えん罪」という言葉の意味内容については,ここで議論する場合にはこういう意味で使いましょうという合意を形成していただきたいと思います。でき得るならば,冒頭に申し上げました政府の答弁書のことを鑑みますと,別の用語を使うのが適当ではないかと思いますけれども,仮にかぎ括弧付きで「えん罪」という言葉を使っていくといたしましたら,今申し上げましたように,せめて内容は,共通の認識を抱けるような具体的な定義をした上で,議論の前提として用いていくべきであろうと思います。この場でそれをやるのは大変難しかろうと思いますので,是非部会長の御配慮によって,事務局の御支援を頂いて,もしそのように定義できるならば,していただきたい。もしできないならば,私はこの言葉は用いるべきではないのではないかと思いますので,この辺りを御議論いただければと,そういう提案でございます。 ○本田部会長 ありがとうございました。大変難しい御提案を頂きました。今の「えん罪」という言葉は,佐藤委員が分類されたように色々な解釈ができると思いますので,できるだけ,その意味について共通の認識を持てるようにしていく必要が確かにあろうかと思います。特に今後の各論の議論をしていくに当たって,その言葉から来る印象で皆さんのイメージが違ってきて,具体論の中でまとまらなくなるかもしれないということでの御提案だと思いますので,検討をさせていただきたいと思います。 ○小野委員 刑事司法の役割ということで,これは常識的なことかもしれませんが,罪を犯した者を適正な手続で適正に処分する,それと同時に,罪を犯していない者については,適正な手続で早期に解放する,あるいは,正しく無罪なら無罪とすると,こういうことであることについては余り異論がないのかと思いますけれども,これまで誤った裁判や誤った捜査が現に起きている。それはやはり適正さを担保する仕組みが十分ではなかったのではないだろうかと思います。この特別部会が設置されたことの目的の一つも,やはりそういった誤った裁判,誤った捜査がなぜ起きて,それをどうすれば解決できるのかということを議論する場であろうと私は理解します。その適正さを担保する仕組みが十分ではなかった,あるいは十分に機能していない,捜査や公判が客観的に検証される仕組みが足りない,ここに今の刑事司法の問題があるのではないかなと思っているわけです。その具体的な仕組み,各論で議論されることになると思いますけれども,大きな刑事司法の目的がそこで阻害されているということが,現在私たちが直面している最も重要な課題なんだろうと思っています。先ほど来,出ております,真相の解明ということについても,もちろん本当の真実は神のみぞ知る,あるいは本人のみぞ知るということですから,この捜査手続の中で,あるいは訴訟手続の中で,神のみぞ知る真実が解明できるはずがないことはもちろんそのとおりだと思います。そういう意味では,当事者主義的な真相に近付く,当事者主義的な事実を目指す,こういうことになるんだろうと思います。そういった限界があるということは,こういう刑事司法に関わる者だけではなく,広く全ての市民,国民が,訴訟の手続の中での真相には限界があるんだということをよく分かっていただくしかないと思います。その上で,この捜査や公判が行われていくんだという,こういう刑事司法の目的について,大方の理解を得る努力を我々もしなくてはいけないのではないのかなと,このようなことが,これからの各論の課題の中で意識をされながら議論をされていくことが望ましいのではないかなと私自身は考えております。 ○川端委員 今まで刑事訴訟法専門の学者の方々から御発言がございましたが,私は,実体刑法の立場から刑事裁判の在り方という点に関連して意見を述べさせていただきたいと思います。   今,小野委員からも御発言がございましたように,刑事裁判が目的としているのが真相の解明にあることはそのとおりなのですが,ここで言う真相というのは,飽くまでも刑法が予定している犯罪事実とそれに対して課せられるべき責任を明らかにするための事実に限定されるのであります。その意味においては,実体法の観点からは,刑事訴訟法は刑事実体法を実現するための手続法であるという共通の認識があります。事案の真相という点につきまして,いろいろ御意見がございましたが,これはある意味で国民一般が持っている認識と私たち法律家が持っている認識とがかなり食い違っていると考えられます。その点に関して,先ほど村木委員が裁判に対する「過度の期待」というお言葉で表現されておりましたが,私も正にそうだと思います。刑事裁判で認定すべき必要な事実は,犯罪事実に限定されるわけであります。それについてできるだけ事実を明らかにしていくのであり,証拠を集めてそれを明白にしていくことが正に「真相の解明」であります。それとの関連で,「公共の福祉」という観点からいろいろな要請のバランスを図っていくのでありまして,その際,「適正な手続」が必要になってくるわけですし,社会にとっても被害者に対してどのように対応すべきかという極めて重要な問題が出てまいります。そこで公共の福祉という観点から調整が図られることになるのであります。「真相」という言葉は確かに非常に哲学的な側面があるわけですが,私たちがここで議論しているのは,飽くまで「事案の真相」でございまして,刑事手続における刑事裁判として追及しているものですから,それ以上のことを期待してはいけないというのを共通認識を持つ必要があると思います。もし国民一般がそれを誤解しているのであれば,その観点から,これを改めていくべきであると思います。裁判は証拠で明らかになった事実に基づいて,刑事裁判であれば,一定の刑事罰を科すのか科さないのか,民事であれば,権利義務関係があるのかないのかだけを判断するものです。それが裁判の役割であると思います。それにどういう歴史的な背景,心理学的な背景,社会学的な背景があるかというのは,それぞれの分野の専門家が明らかにしていくことでありまして,それは歴史学・心理学や社会学などの役割であると考えた方が,裁判に対する「過度の期待」を持たずに,あるいは幻想を持たずに済むと思います。小野委員は先ほど「限界」があるという形で御発言なさいましたが,私も正にそうだと思うのです。   今,現代の社会における刑事裁判の在り方をここで議論しているわけですが,その場合にもそのことが当然の前提にならなければ,結局,いろいろな言葉が飛び交っていくだけで,中身がますます複雑化するのではないだろうかと考えております。そこで,刑事訴訟法の1条の「事案の真相」の解明というのを,そのまま残さないと,刑事裁判制度の意義が明確でなくなると考えております。先ほど佐藤委員がおっしゃったように,その点について,権限規定が刑事訴訟法にあって,それとの関連で,被疑者・被告人の権利規定もあるわけですから,これらを全体的な観点からバランスよく考えていった方がいいのではないかと思います。今日は総論の議論をするということですので,議論の出発点に関して意見を述べさせていただきました。 ○但木委員 今の川端委員の意見に全面的に賛成です。この会議が公開されていて,メディアの人たちがこれを聴いていてくれるということは非常に大事なことで,刑事裁判が担っている荷物の限界ということを,はっきり確定しなければいけないと思います。正に,犯人を処罰し,その犯人であるかどうかを区別し,犯人であった場合には,適正な科刑を実現する,そのための真相の解明だ,ということが限定付けられていることははっきりしていると思います。   ただ,真相の解明の方ですが,第1条というのは目的規定で,実現規定ではないんです。「目的とする」という言葉がこの条文の締めになっていると思うんですが,この目的なしに捜査をやれというのは,それはむちゃくちゃではないか。つまり,真相というものと全く関係なく捜査をやれということはできないので,真相を解明することを目的として最大限の努力をするというのが捜査なので,言葉が分かりにくいかどうか,言語的に文章がこれでいいかどうかではなくて,捜査の目的というのは,犯人であるのかないのかを含めて,その真実は何かということを,真相を解明するために捜査するのであって,その目的はなくてもいいのではないかと言われると,それでは捜査はできませんということになるような気がいたします。   それから,捜査と公判の関係ですが,この刑訴は,公判中心主義なんです。新刑訴というのは,はるか昔から公判中心主義でできている。ただ,実際には違う発達の仕方をしたから,今日,大問題になっているのだろうと思っております。元々捜査と公判の目的というのは,全然違うんです。捜査というのは,本当に幅広い範囲で初めから始めるんです。つまり,例えば強盗殺人事件が起きたときに,これは流しの犯行なのか,怨恨による殺人なのかというところから,まるで違うことを想定して,あらゆる情報を得てくるわけですね。その中から真相の解明に役立つものは何かを見付ける作業があるわけです。ですから,非常に広い範囲で,情報を集めているのです。それから,反対証拠がもちろん出てきますから,反対証拠と違う証拠とを突き合わせながら,それでは,そのどちらが正しいのかは,どこの証拠を見れば分かるのか,ということで次の段階に移っていく,それが捜査です。   公判では,証言が違ったから公判をやめて,今度は全然違う人を連れてきて,そこの補充捜査をやって,ということはしません。昔はもちろん日本でも裁判所が一番最初に捜査をやったという時代が戦前にあるわけですけれども,今,捜査というのはもう裁判所はやらないわけです。裁判所の機能というのは,ある限界の中でやる。その限界というのは誰が画しているかといえば,検察官が自分の肩に全部挙証責任を負って,「これでやります」として訴訟を起こしているわけです。そういう意味では,検察官の立証が失敗すれば,無罪になっていいわけです。それで,弁護人が別の証拠を持ってきて,裁判官の前で検察官と弁護人が争って,そして裁判官から見れば有罪であるという確信,正に確信です。それを得たときに有罪であり,それ以外は無罪という判断をするわけです。そこでも真相の解明は行われているわけですが,真相の解明の在り方というのは,捜査段階の真相の解明の在り方とは全く違う方法と全く違う枠組みで行われています。   それで,この裁判が適正に行われるためには,この捜査段階で十分な捜査が行われて,しかも裁判に提出される証拠が真実のものでなければいけない。それは特に裁判員裁判が始まっている以上,公判廷に出される証拠は人証であろうと,供述調書であろうと,客観的証拠であろうと,その真実性は担保されたものでなければならないというふうに,今はもうなってきているんだろうと思っております。   例えば,321条1項2号書面という,検察官の検面調書を公判廷に出すことができる規定があるわけです。この規定では,特に信用すべき情況で作成されたものであることを立証しなければいけないとなっていて,それを立証するためには公判廷で大いに証人尋問が行われなければならない。そして,裁判官が見て,「これは検察官の調書に特に信用すべき情況がある」と判断したときに初めて証拠能力を付与される,そういう作りになっているわけです。ところが,現実には,調書はかなり積極方向で採用されてきた。それが,調書裁判と言われる一つの原因を成してきたように思うわけであります。   私は,先ほども言いましたけれども,裁判に出される証拠は真実でなければならないという意味においては,次回に予定されている取調べの録音・録画の問題も,その中の一つの有力な問題,つまり,どうやって検察官や警察官の調書の任意性を担保するかという問題だろうと思っております。しかし,裁判員,つまり国民が国民の目で見て有罪か無罪かを判断できるようなクリアな証拠というものを裁判所に出していかなければならない時代になったんだ,というふうに思うべきではないかと思っております。   いろんなことを申し上げましたが,私は,少なくとも,安岡委員を含めて,真相と離れたところで裁判とか捜査が行われてもいいぞとは誰も思っておられないと思います。それから,刑事訴訟法が専ら特定の人間を処罰するために,つまり特定の人間が真実の犯人であるか否かを別にして,特定の人間を処罰するために作用するような法律として出来上がったものでないということについても,皆さんは同じような意見をお持ちだろうと思います。   それで,今までの我が刑事訴訟法がたどってきた歴史をやっぱり転換せざるを得ないのは,一つは,社会が非常に成熟してきて,国民が裁判における権力行使についても,きちっと検証すべきであるという雰囲気ができたことと,それから,裁判員制度というものができて,我々がやってきたことは必ずしも国民に分かりやすい刑事手続とはいえなかったという反省の下に,そういう新しい時代にふさわしいものを探していこうという作業が始まるんだろうと思っております。 ○周防委員 質問です。但木委員と佐藤委員のおっしゃる事案の真相というか,真実というのはどのレベルでおっしゃっているのか,もう既に今の二人のお話を聴いて,僕は分からなくなったんですけれども,どのレベルでおっしゃっているんですか。酒巻委員と井上委員のお話を聴いて非常に納得ができたんですけれども,あのレベルで真実とおっしゃっているのか,それとも,捜査の段階の真実は違うということをおっしゃっているんですか。 ○但木委員 いやいや,捜査の段階も,裁判の段階も,真相に迫ろうとするのは同じです。ただ,手法は全く違います。 ○井上委員 私の名前が出ましたので発言させていただきますが,私は酒巻委員とはやや違うことを申し上げたはずです。公判での解明されるべき事実,あるいは真相というのは正に酒巻委員がおっしゃったとおりなのですけれども,捜査の段階では,但木委員がおっしゃったように,いろんな事件がありますので一概には言えませんけれども,何が起こったのかも分からない,犯罪かどうかも分からず,その疑いがあるにとどまるといった状態から始めて,いろいろ事実を明らかにしていくのであり,だから,明らかにすべき範囲ないし幅や深度が違う…… ○周防委員 それは事実を明らかにする。 ○井上委員 存在した事実のことです。 ○周防委員 そうですよね。それは真実ではないですよね。 ○井上委員 いや,但木委員がおっしゃったように,それは明らかにしようと求めていることであって,そこでは飽くまで真実は何なのか,実際に起こったことは何なのかを一生懸命努力して解明しようとするわけで,限界があることは無論みんな分かっているけれども,可能な限り明らかにする。そうして明らかにされたところを基にして,刑事事件として成り立つのかどうか,そのうちのどこを裁判所に持ち出していくのか,持ち出せるのかを判断していくということなので,究明すべき事実の範囲ないし幅や深度が違うということだと思うのです。それとちょっとごちゃごちゃになっているところがあるように思えるのですが,刑罰法令の適用の前提となる犯罪事実の幅と詳密さという問題だけではなく,その認定の根拠となる事実,つまり,間接事実の積み重ねであったり,あるいは証言の信用性を評価するために事実を照らし合わせなければいけない,そういう事実もあって,それらを明らかにする必要もあるわけですが,それらを含めると,究明の範囲や深度は相当なものになる。その辺まで視野に入れて議論する必要があり,その意味で,手続の段階で目標としている真相というもの幅が違ってくるというのは但木委員がおっしゃったとおりだと思うのです。神のみが知り得る真実というのは,我々には知り得ないわけですけれども,人間の知り得る範囲で,しかも与えられている権限の限りで,できる限り明らかにし,これが真実だというふうに確信したところに基づいて,処分なり裁判なりを行うべきだということ,その点については,皆さんが言っておられることはそれほど違いがないのではないかと思うのですよ。そのことと,国民一般が何か刑事司法本来の役割を超えて真実なるものの全容を完全に明らかにしてほしい,人の心の中のことまで含めて明らかにしてほしいと願っていることとは,恐らく違っているということだと思います。 ○周防委員 ただ,国民一般ではない,今,僕が,ここで話を聴いていて,佐藤委員が捜査段階でおっしゃる事案の真相という意味と,今,但木委員がおっしゃっていた事案の真相という意味と,今,井上委員がおっしゃったことと,もう分からないです。 ○井上委員 そうですか。私は実質的に違っていないと思ったのですけれども。 ○周防委員 意味がよく分からないです。そうおっしゃられているというときの意味が。まず,事実という言葉は分かるんですけれども,そこに真実というのが並行して入ってきた時点で,もう既に分からない。 ○井上委員 私が使っている「真実」というのは正しい事実ということです。あるいは,実在した事実,客観的な事実といっても良いと思います。 ○周防委員 それは分かるんです。それだったら,それで統一すればいいのではないのか。そこに真実という言葉が入るから,分かりにくくなる。事実を明らかにしていくことしかないではないですか。 ○但木委員 そうです。それはそうです。 ○周防委員 それを積み重ねることが大事なんです。だから,事実を使えばいいということを言っているんです。 ○本田部会長 申し訳ないけれども,一般の人は,周防委員がおっしゃるように,事実,真実という言葉を分けて使っていないと思いますよ。 ○周防委員 それは違いますよ。ドキュメンタリーというのは,よく真実を表すと言いますけれども,あれは事実を積み重ねていくしかないんです。それが真実かどうかは,それを見た人の心の中にあるだけ。だから,そういうものを条文の中で使っているから,安岡委員が,そんなのだったらそれは捨てろというのはそういう意味だと僕は思います。誤解を生む言葉だと。 ○井上委員 周防委員のおっしゃる「真実」というのも,やはり周防委員流の使い方なのですよ。 ○周防委員 だから,そういう曖昧なものはやめましょうと,分かりやすくしましょうということを言っているんです。 ○本田部会長 分かりやすくすることは,非常に大事なことだと思います。ただ,真相という言葉の意味が分かりにくいので,それを事実に直すということですけれども,1条で言っている,人権の保障を全うしつつ,真相を解明する,これは事実の解明でもいいですけれども,要するに,「真実は何なんだ」ということは,やはり一生懸命捜査によって調べて,なおかつ捜査だけではいけないから最終的に公判で判断するという,私はあの1条の目的というのは,さほど見解の相違はないのかな,と感じているんですけれども。 ○周防委員 そのさほどということが,これだけ大勢の人が集まって,議論をする場になっているわけですよね。その事実はやっぱりちゃんと認めておかないといけないと思います。立派な刑事訴訟法があるのに,それが全然実現されていないというのは,ちょっと勉強すれば,大した勉強をしていなくても分かるわけですよ。刑事訴訟法が悪いわけではないんですよ。 ○井上委員 周防委員,それは言い過ぎで,断定に過ぎます。そういうことを今おっしゃられたら議論にならないので,ちょっと言い過ぎだと思います。 ○安岡委員 私が,「事案の真相を明らかにし」を削除したらどうだと言ったのは,別に激語を発して一石を投じるという狙いだけではなくて,ここの1条のところは「基本的人権の保障とを全うしつつ,刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現することを目的とする。」というふうに「事案の真相を明らかにし」がなくても,「刑罰法令を適正かつ迅速」の「適正」というところで,事実に基づかないものを罰して,罪を犯していない者を罰してはいけないし,それから,罪を犯したとはっきりしているものは処罰を受けなければいけないということで,「事案の真相」はなくてもいいし,それから,これがないからといって,捜査が漂流してしまうというのは,どうもちょっと私には理解できない。その「刑罰法令を適正に適用」というところで,十分事実の解明と事実を積み重ねていくことを目的にして,捜査も公判もするんだということにできるのではないかなと思います。決して乱暴なことを言って,ちょっと議論を巻き起こす材料にしたつもりではないです。 ○龍岡委員 今の議論は非常に興味深いというか大事なことであって,刑訴法1条の解釈をできるだけ分かりやすくするということについては,私も工夫する必要があるだろうと思います。私は,この真相というのは,多少価値的な表現であって,捜査・公判で大事なのは,要するに,事実を明らかにするということであると思います。裁判の場合ですと,「刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現する」ことが目的になる。その前提として,やはり事実がどうであるかを確定しなければならない。それがここで言う真相の解明ということにつながっていくのではないかと思います。この点はもう皆さんが議論されましたので,これ以上申し上げません。   そこで,「事実認定の在り方」の中の,「供述証拠と客観的証拠の機能」について触れさせていただこうと思います。できるだけ供述証拠に頼らない捜査・公判というのは,これは理想だろうと思います。しかし,客観的証拠や情況証拠による認定が可能であれば問題はないわけですけれども,これだけでは,例えば主観的意図とか,犯人の同一性,その他,事実認定が非常に困難なケースがあるのも,現実だろうと思います。そのような場合に,任意性及び信用性のある自白・供述があれば,それを証拠として使うことは許されるべきであって,これが制限されなければならないということはないと思います。証拠としての価値というのは供述証拠であれ,客観的証拠であれ,その信用性のいかんに懸かっているわけであって,その種類によって排除するということではないと思います。   要は自白に頼り過ぎるということの問題ですから,自白・供述が無理なく適正な取調べによって得られるものでなければならないということだろうと思うんです。適正な取調べによって,真実性・信用性のある供述・自白を得ることができるとすれば,それを証拠として使うことは問題ないのではないか,ただ,問題は適正に,かつ,できるだけ真実に即した供述を得るための努力をしていかなければならないということではないかと思うんです。得てして,自白を取ろうとする余り,無理な取調べをしたという例があるわけですから,それを極力少なくしていくためにはどうしたらいいかということを検討していかなければならない。そのためのいろいろな手法が考えられなければならない,新しい方法も必要だろうと,そういうことでこれから議論をしていかなければならないと思います。   私は客観的証拠,情況証拠を収集するために最大限の努力をしていくことが必要だと思いますが,適正な取調べによる供述証拠を獲得するための努力も一方でやっぱり続けていくべきではないかと思います。これに関していろいろ申し上げたい点がありますけれども,それは各論の中でということで,今日は,時間の関係もありますので,この程度にとどめさせていただきます。 ○舟本委員 捜査と公判がそれぞれ担う役割ということで,2点だけ申し上げたいと思います。捜査をしている立場からの意見ということでありますけれども,一つは,捜査と公判の関連性ということですが,これはもう当たり前のことなんですけれども,充実した公判が行われるためには,やはり豊富な資料に基づくことが大前提であるはずです。であるならば,捜査というのは公判の前段階に位置付けられているものですので,おのずと我々の捜査も充実したものでなければならないと思います。そういうことで,充実した公判であるためには,充実した捜査であるべし,という気持ちをいつも持って事に当たっておりまして,また,今後もそういうことは制度として保たれるべきであると思います。   それから,2点目ですが,捜査独自の機能ということも軽視すべきではないと思います。先ほど,安岡委員の方から「検挙に勝る防犯なし」という格言を昔聞いたけれども,あれについては非常に疑問に思い始めました,というようなお話も頂きましたが,確かに,それに勝る防犯なしというのは,イコールかどうかというのは,私も長年やっていまして,思うところもあります。しかし,少なくとも捜査によって,犯罪を予防するというか,犯罪を抑止する機能は,これは間違いなくあるわけなんですね。具体的に捜査の現場でやっていまして,例えば同一犯による性犯罪,あるいはひったくりというのが起こります。そのときには,捜査力を集中してでも,とにかく早期に犯人を検挙するということで全力を尽くすのですが,それは,やはり,捜査の機能の中に,次なる事件を防ぐということがあるので,早期に犯人を検挙するという,そういう動作,活動を行うわけですね。そうした意味で,捜査には被害の拡大を予防する機能もある,これは決して軽視すべきではないと考えております。 ○露木幹事 私も,捜査と公判の役割について,意見を申し上げたいと思います。   先ほど植村委員が,現行刑事訴訟法は既に公判中心主義を採っているとおっしゃっておられました。私ももちろんそのとおりだと思っております。ただ,そのことが,捜査はあっさりとしたものでいいとか,取調べも簡単でいいということにはつながらないと思います。今,舟本委員からもその旨指摘がございましたけれども,私の担当している暴力団犯罪捜査について,一つ分かりやすい例を申し上げますと,暴力団の組員がバイクを盗もうとしている現場で取り押さえられて現行犯逮捕されたという,そういうケースを考えますと,現行犯で逮捕されているんだし,バイクを盗んで,物もそこにある。これはもう犯人性もはっきりしているんだし,取調べなんてあっさりしたものでいいでしょうというふうに考えるかというと,実際にはそういうものではないということなんです。当然,その犯行の動機というものを解明しないといけない。単に遊興のためにそのバイクを盗んだのか,あるいは組織的にバイクをその組がいろんな組員に盗ませて,転売をして儲けるためにやっているのか。あるいは,企業テロを実行するための交通手段として,それを組として,その組員に盗ませたのか。そういったことを解明しなければならないわけです。それは本人の刑事責任の軽重を決するという意味でももちろん大切な要素ではありますけれども,組織犯罪対策として,もし企業テロの実行に使われるためであるということであれば,その組織について,私どもは重大な関心を持たなければならない。こういう要素があるわけでございまして,事案の真相については,いろいろな議論がございましたけれども,私が申し上げた要素というのは,現行刑事訴訟法のこの事案の真相の解明というところに挙がるかどうかはともかく,実際の犯罪捜査が担っている重要な機能であるというふうに私どもは認識しております。 ○酒巻委員 先ほどは,捜査と公判との関係についての問題意識をお話しできなかったので,簡単にお話しさせていただきたいと思います。   以前に私が提起した問題でもあり,先ほど後藤委員からもほぼ同趣旨のことを言っていただいたんですが,これから私が申すことは,ある意味で当然だと思われるものの,一般国民の方にとっては違和感のあることかもしれないので,是非どこかで議論していただければと考え一言申したいと思います。   今,警察関係の方あるいは検察,すなわち捜査機関あるいは刑事訴追に関わる方々の真相の解明のイメージと,それから最終的に裁判の場で求められる真相の解明のイメージがずれているということが浮かんできた。少なくとも今の日本の検察官の起訴の運用が非常に厳格なために,現実には,起訴された人はほとんど有罪になっている。これがずっと積み重なってきているので,一般の方々からは,単純化すると,起訴されたら普通は有罪なんだと見えると思います。このため,今度はごくまれに無罪判決が出ると,非常に変なことが起きた,無罪判決が出たということは捜査に問題があったからだ,ということで,捜査機関や検察官が批判されるというような場面が時々あります。しかし,裁判をやって無罪が出たらおかしいというのであれば,一体何のために裁判をやっているのか分からんということになるわけで,ちょっと引いて考えますと,このような反応はいささか奇妙なことではないかと私は思っています。   どうしてこういうことになるかというと,やはり,捜査の部分こそが事実を解明する刑事司法の中核なんだ,刑事裁判の場は,捜査の結果が間違っていないかどうかを後からチェックする,再確認の場でよろしいのだと,極端に言うと,そういう考え方がどうもあるように思うんです。しかし,それで本当によろしいんですかというのは,やはり,この場での議論の全体の中で考えていただきたいと思っています。   もし今までの日本の刑事司法の在り方を暗黙のうちに支えているものとして,そういう考え方があったのだとすれば,全然別の考え方だってあり得るのではないかということを申し上げたい。例えば,欧米諸国の刑事裁判を私が全部詳しく知っているわけではありませんが,一般化すれば,欧米諸国では,公判,刑事裁判の場こそが事実を解明する中心の場であるというのが通念ではないかと思います。捜査段階では,できる限り,将来の公判に備えて,犯罪事実,犯人かどうか,それから,刑にとって必要不可欠な事実,これに関する証拠を集めたら,まずは起訴をして,後の判断を裁判所という公開の法廷に委ねる,最終的な判断は裁判所に行ってもらうんだというのが,一般的な欧米諸国の刑事裁判あるいは刑事司法についての考え方だろうと思うんです。その方が,公開の法廷で行われる審理によって,有罪,無罪の決着が付くため,一層公正である,そういう考え方も十分成り立つ。   しかし,この先が考えていただきたいところなんですけれども,もしこういう考え方に立つ場合には,公判の結果,無罪判決が出るということは全然異常なことではなく,むしろ刑事司法制度が正常に作動した結果なんだということになりましょうし,それが積み重なれば,もしかすると,今よりもっとたくさん無罪判決が出るわけです。しかし,世間一般も起訴されたらほぼ有罪だという,そういう通念は薄らいでいくだろうと思います。ただ,この先,もちろんそういう方式を採ると,後から見たら結果的に無罪になる人が,今よりたくさん起訴されるかもしれないという事象が間違いなく増えます。そのことについて,一般の方々がどう見るのか,これを社会が許容するのかどうかというのが,また大きな問題としてあると思います。私はどうすべきかとは言えませんが,そういう問題につながる話であると思います。起訴は飽くまで裁判所に対して最終的な有罪,無罪の判断を求めるための処分にすぎないんだ,有罪か無罪かは,結局,裁判が済んで初めて分かるんだ,そこで認定された事実こそが事案の真相であって,客観的に検証できるのもそのことにすぎない,そういうことを,社会一般に御理解いただくのが私は筋だと思っているのです。ただ,もしかすると無罪判決になるかもしれない人が,今よりも多数起訴されるような事象が起こっても,それでいいと皆さんが思うのかという大きな問題があるのであり,そのことをどこかに意識して議論を進めていただけばというのが希望でございます。 ○島根幹事 今の酒巻委員の御発言の関係でなんですが,公判で正に有罪,無罪をきちんと明らかにするべきだという,その御意見はおっしゃるとおりだと思います。元々刑訴法においては,例えば逮捕のときの嫌疑と,それから起訴するときの嫌疑,それから,有罪,無罪になるかという嫌疑の程度では,恐らく違うんだろうと思います。   ただ,捜査機関として,我々は,捜査を尽くす,捜査を尽くして送致するという努力をしているわけですが,その求められるレベルというのが何なのか。「あっさりした捜査」と呼ばれる場合も,多分その範囲ではきちんとした捜査を当然尽くして頑張っているんだろうと思われますが,そのレベルを決めるものが一体何なのかというところが実は一つ,大きな問題なのかなと感じております。   それから,「供述証拠と客観的証拠の機能」ということで,一つだけ申し上げたいと思います。客観証拠を軽視しているのではないかということで,もう数十年前から変わっていないという御批判もありましたけれども,確かに,私どもの捜査の中で,供述に引きずられて客観的証拠の評価を誤ったというものが結果として出てきていることは反省しなければならないだろうということはそのとおりだと思っております。けれども,先ほどもありましたが,要するに供述と客観的証拠というのはやはりあいまって考えなければいけないんだろうということは申し上げたいと思います。一番典型的な例で,よく殺人事件で指紋とかDNAが大事だといわれますが,それは当然そのとおりですけれども,現実には,例えば,殺人事件では,被疑者と被害者の関係は肉親関係だというのがすごく多いわけです。そうだとすれば,当然,現場に指紋とかDNAがあるのはある意味では当たり前ということになります。また,現場に指紋があっても,凶器に指紋が付いていなければ,何で付いていないんだということを,きちんとした証拠と,取調べによる供述ということで合わせていかなければいけない,その辺は十分踏まえていく必要があるんだろうと考えております。 ○椎橋委員 先ほどから事案の真相の解明ということが問題になっておりますが,これは刑事訴訟法の第1条に規定されております目的規定でありますから,その目的規定の中に,この事案の真相の解明ということがあっても,私は全くおかしくないと思います。真相の解明は究極の概念でありますから,可能な限り真相に近付いていく,可能な限りの正しい,あるいは正確な,客観的な事実を確定するということだと思います。それを刑訴法の1条に規定するということはおかしくないと思います。もちろん,事実の認定は証拠によるわけですから,証拠を収集して,その証拠に基づいてのみ真相に迫るということになります。   ところで,刑事裁判を運営していく上では,様々な機関があります。真相への迫り方はその関係機関によって違うと思います。捜査機関,検察,それから警察は,刑訴法に多数の規定があって,証拠を収集する権限が与えられておりますので,やはり,事実を確定する上で,真相解明のために大きな権限が与えられていて,そのように期待もされているのだと思います。もちろん,捜査機関の権限行使は法の定め,適正手続に従って行使されなければなりません。   それから,弁護人は弁護人で,やはり真相への迫り方というものがあると思います。最終的には,裁判所が,検察官が主張した事実について,合理的な疑いを超えるまで証拠によって証明されているかどうかという基準で判断して,その判断の結果が正しい事実,これを真相と言ってもいいのだろうと思います。ですから,関係機関がそれぞれの立場から事実は何かということを最大限努力して,真相に迫る。それによって,出てきた結果,これが言ってみれば真相だと言っていいのではないかと考えます。 ○大野委員 先ほど植村委員から,当部会において時代に即した新たな刑事司法制度の在り方を考えるに当たっては,これまで3年間近くにわたって積み重ねられてきた裁判員制度の運用の実態を抜きにして議論することができないという趣旨の御発言がありましたけれども,私としても全く同じ意見を持っています。裁判員制度が施行されるに当たりまして,検察官として,裁判員の方たちに,いかに分かりやすく,かつ,迅速的確に主張立証を行うかということを考え,いろいろ議論・検討をしてきたところです。   そのことを前提にした上で,今度は捜査と公判の在り方というレベルで物事を考えていきますと,これまで起訴した裁判員裁判対象事件については,いずれも,被疑者あるいは関係者の取調べを含めて捜査段階で徹底した証拠収集を行い,事案の真相を明らかにした上で,検察官として公判で有罪が獲得できる高度の見込みがあると確信を持てたときに初めて起訴するという取扱いをしてきたわけです。   その意味で,先ほど周防委員や村木委員から,検察官というのは被疑者の供述調書が取れれば,あるいは取ったときに起訴するのではないかとの御発言がありましたが,決してそのようなことはなく,否認事件であっても随分起訴しているわけです。今後,新しい刑事司法制度を考えるに当たっても,このように徹底した捜査を行って真相を明らかにする,事実関係を解明するということは,決してゆるがせにはできないと考えています。真相を明らかにした上で,収集した証拠をどのように裁判員の方たちに分かりやすいように法廷に顕出するかということは別に考える必要がありますが,捜査を徹底しなければいけないということ自体はゆるがせにできないと思います。それは,正に真犯人ではない者は起訴の対象から除外する,真犯人こそ起訴するというスクリーニングの役割を検察官が果たしていることによって,起訴・不起訴についての適正な処理がなされ,今の有罪率が維持されているものと考えているからです。 ○本田部会長 時間も参りましたので,一応ここで刑事司法制度の在り方に関する総論的な議論を終わらせていただきたいと思います。いずれにしましても,刑事司法制度が何のためにあるのか,何を目指すのかということは,今後,各論を議論する上で大事なことであろうと思います。今日,「真相」という言葉などについて,いろいろと御議論がありましたが,事実の究明については,ちゃんとやらなければいけないということも,皆さんおっしゃっていただいたと思います。いずれにしましても,今後,具体的な論点を検討するに当たっては,刑事司法制度の目的を常に念頭に置きながら,それぞれのテーマについて御議論をいただきたいと思います。   次回は,大項目2番目の「供述証拠の収集の在り方」に関する議論を行いたいと思います。この大項目には,「取調べの録音・録画制度の在り方」,「その他取調べ及び供述調書の在り方」,「取調べ以外の方法による供述証拠の収集の在り方」の,三つの小項目を設けておりますが,これらの論点を順次議論してまいりたいと思います。具体的な議事次第につきましては,また更に検討させていただいた上で,事務当局を通じて皆さんの方にも御連絡させていただきたいと思います。   なお,本日の会議につきましては,特に公表に適さない内容に当たるものはないというふうに思っておりますので,発言者名を明らかにした議事録を公表することとしたいと思います。   次回の日程は4月17日午後1時30分を予定しております。場所は,本日と違いまして,法務省20階の第1会議室にお集まりいただきたいと思います。   本日はどうもありがとうございました。 -了-