法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会           第10回会議議事録 第1 日 時  平成24年5月24日(木)   自 午後 1時31分                         至 午後 5時00分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  時代に即した新たな刑事司法制度の在り方について 第4 議 事  (次のとおり)           議        事 ○吉川幹事 それでは,ただいまから法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会の第10回会議を開催いたします。 ○本田部会長 皆様,本日も大変お忙しい中,御出席をいただきまして誠にありがとうございます。   本日の議事は,お手元の議事次第のとおり,配布資料の説明の後,前回に引き続きまして,論点大項目2の「供述証拠の収集の在り方」に関する議論を行い,その後に大項目3の「客観的証拠の収集の在り方」に関する議論を行うこととしたいと思います。   本日の配布資料について御説明いたします。まず,資料29の「第9回会議の概要」は,前回の議論の概要をまとめたものであり,今後更に議論を深めていく際に,その一助となるよう作成したものです。その他の資料につきましては,事務局から説明させていただきます。 ○吉川幹事 配布資料について御説明いたします。   資料30の「各国における被疑者の供述調書等」と題する資料は,我が国及び諸外国において,捜査段階で述べられた被疑者の供述がどのような形で証拠とされるかなどを整理したものです。また,これに併せまして,参考資料としてお配りしているのは,諸外国で実際に作成された供述調書等の写しであり,事件等が特定されないようマスキング措置を施した上でお配りしています。これらの内容については,後ほど,「供述調書の在り方」の議論に際して説明があります。   資料31-1の「供述等の誘因となり得る制度・仕組みの在り方」と題する資料と資料31-2の「諸外国における法制度一覧」と題する資料は,「司法取引」など諸外国における供述等の誘因となり得る制度を,類型ごとに整理したものです。これらの内容については,後ほど,「取調べ以外の方法による供述証拠の収集の在り方」の議論に際して説明があります。   資料32-1の「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の概要」と題する資料,資料32-2の「法施行~平成23年の通信傍受実施状況」と題する資料,資料32-3の「諸外国における通信傍受制度」と題する資料は,我が国及び諸外国の通信傍受制度について整理したものです。これらの内容については,後ほど,「客観的証拠の収集の在り方」の議論に際して説明があります。   また,本日も,議事進行の便宜のために,「進行イメージ」をお配りしています。これは,前回の「進行イメージ」に引き続いて作成したものですが,若干の変更事項と追加事項がありますので,御説明いたします。   前回の「進行イメージ」においては,論点2の「2 その他取調べ及び供述調書の在り方」の「(1)その他取調べの在り方」に,「○ 被疑者の供述等を得られやすくするための仕組み」という事項を記載しておりました。もっとも,論点整理における委員・幹事の方々の御意見を踏まえると,そこでの議論と「3 取調べ以外の方法による供述証拠の収集の在り方」の「(1)司法取引,刑事免責」における議論とは,内容が関連又は重複することが予想され,これらを併せて御議論いただいた方が円滑な議論に資すると考えられました。そのため,今回の「進行イメージ」では,3の(1)に括弧書きで付したように,「被疑者の供述等を得られやすくする仕組み」についても,3の(1)に移して記載いたしました。   次に,論点3の「客観的証拠の収集の在り方」については,論点整理における委員・幹事の方々の御意見を踏まえ,総論から各論へと議論を進めるのが適切と考え,まず,「(1)客観的証拠の機能等」という総論的な事項を記載した上で,「(2)通信傍受その他客観的証拠の収集を可能とするための諸方策」という各論的な事項を記載いたしました。   最後に,本日御欠席の委員のうち,安岡委員と村木委員から,本日の議論に関し,御意見を記載されたメモの御送付がありましたので,席上に配布させていただきました。ここでその内容を読み上げることはいたしませんが,それぞれの事項の御議論の際に御参照いただければと存じます。   配布資料の説明は以上です。 ○本田部会長 参考資料としてお配りいたしました「各国における供述調書等の写し」と題する資料は,広く公開しないことを前提に各国から提供を受けたものですので,飽くまでも御議論いただく上の参考として,委員・幹事の皆様にお配りするにとどめ,ホームページ等での公開はしないこととしたいと思いますので,よろしくお願いいたします。   それでは議論に入りたいと思います。   本日は,「進行イメージ」に沿い,論点2の「1 取調べの録音・録画制度の在り方」の「(4)法的効果等」についての御議論をいただきたいと思います。それに先立ちまして,前回の議論に関して,委員・幹事の方で何か補足的に意見を述べたいという方はいらっしゃいますか。   特に御意見がないようですので,次の「(4)法的効果等」についての議論に入りたいと思います。   ここでは,録音・録画を実施しなかった場合に,その取調べにおいて得られた供述の証拠能力をどう考えるか,また,録音・録画した記録媒体を証拠として使用することについてどう考えるか,その他取調べの録音・録画制度に関する事項について御議論をいただきたいと思います。   これらの点について,まずは事務局から,法務省,日本弁護士連合会,国家公安委員会委員長主催の研究会におきますこれまでの検討結果を説明させていただきます。 ○保坂幹事 御説明いたします。   録音・録画をしない取調べにおける供述調書の証拠能力について,法務省勉強会の取りまとめにおきましては,取調べの録音・録画制度の在り方として,一定の場合に捜査機関に録音・録画を直接的に義務付ける方法のほかにも,録音・録画を,捜査段階における自白を公判で証拠として用いようとする場合の立証方法の一つ,あるいは証拠能力の要件として規定することにより,言わば間接的な形で捜査機関に録音・録画の実施を促す仕組みもあり得るとした上で,録音・録画を供述調書等の証拠能力との関係でどのように位置付けるかにつきましては,録音・録画の義務付けの在り方や,録音・録画の対象とすべき取調べの範囲の在り方等とも密接に関連する問題であるため,今後,法制審議会において,これらに関連する問題と併せて,専門的な検討が行われる必要があるとされております。   この取りまとめに対する日本弁護士連合会の意見書におきましては,取調べの録画を制度化し,原則として全過程の録画を義務付けるべきとする観点からは,実効性を確保するため,少なくとも,録画がなされていない取調べにおいて作成された供述調書については,やむを得ない事由がない限り,証拠能力がないことが推定されるといった規定を設けるべきであるとされております。   そして,国家公安委員会委員長主催の研究会の最終報告におきましては,録音・録画と被疑者の供述調書の証拠能力との関係について,少なくとも録音・録画が行われなかった場合には原則としてその証拠能力を認めないこととするべきであるとする意見があった一方,自白法則及び違法収集証拠排除法則という刑事訴訟法の一般原則の考え方を大きく逸脱するものであるなどの意見もあり,慎重な検討が必要であるとされております。 ○本田部会長 今の事務局からの説明に対しまして,小坂井幹事あるいは島根幹事,何か補足することはございますか。 ○小坂井幹事 日弁連の意見書に書かれている5行ほどの文章について,ちょっと分かりにくいところがあろうかと思いますので補足させていただきます。中ほどの「少なくとも」という修辞は,「証拠能力がないことが推定される」に掛かる趣旨で書いてあります。その意見書の前の方に書いてあるように,日弁連は全過程の録画を義務付けるという立場ですので,これは一部でも欠けば証拠能力がなくなるという趣旨の文章として御理解ください。 ○本田部会長 それでは,以上の説明を踏まえまして,「(4)法的効果等」に関しての御議論をお願いいたしたいと思います。ここでは,録音・録画を実施しなかった場合の証拠能力の問題のほか,録音・録画媒体の利用の在り方やその他の事項についても,併せて御議論いただきたいと思います。   それでは,御発言を希望される方は挙手をお願いいたします。 ○井上委員 小坂井幹事にお伺いしますが,日弁連の意見ですと,録音・録画を実施しなかったものについては証拠能力がないことと「推定される」とされていますが,これは,任意性がないと推定するという趣旨ですか,それとも,他の意味で証拠能力がないと推定するということですか。 ○小坂井幹事 ここは実は詰め切っていません。証拠能力の問題としては,任意性の問題もあり得るし,供述録取というレベルでの何らかのチェックもあり得るし,法的関連性という問題もあり得るやもしれない。ですので,実は任意性の立証が不十分であるということの推定のみに限定するかどうかは,まだ詰め切れておりません。 ○井上委員 論拠がはっきりしないのに結論だけ先行して提案なさっているわけですか。 ○小坂井幹事 それは全過程が義務化だという前提になればそうなるであろうと,こういうことです。はっきりしないと言われると困るんですけれども,幾つかの要素はあり得るという議論が現にされているということです。 ○井上委員 論拠がどこにあるのかによって,どこに規定を置くのかが違ってき得ると思うのです。   意見を言わせていただきますと,任意性がないことの推定ということですとおかしなことになります。元々,「任意性に疑いのある自白」は証拠能力がないとされており,任意性についての挙証責任は検察官にあるはずです。ところが,推定するということは任意性についての挙証責任を転換するということを意味するわけなので,いささか奇妙なことになるのではないかということです。   しかも,録音・録画を義務付けるにしても例外の余地はあり得ることを認められているので,例えば,被疑者本人が拒否した場合,あるいは録音・録画をすることが不適切な場合などを例外とするとしたとしますと,そのような例外に当たり録音・録画がなされなかった場合も,任意性は証拠能力の要件ですから,それを立証しないといけないのですけれども,その場合は録音・録画以外の他の手段での立証を許すわけですね。ですから,いずれにしろ任意性が証拠能力の要件である以上は,ほかの形での立証を許すことになるわけですから,推定するといった規定を置く意味は余りなく,一般法則の解釈によれば足りるというような気がします。考えられるもう一つの在り方は,任意性の立証手段を録音・録画に限定するというものですが,この場合も,やはり,例外に当たる場合には任意性の立証が不要ということにはならないので,同じことになると思います。   もう一つの在り方は,取調べそのものの規制方法として義務付けるというもので,これはあり得る。例えば,現行法でも,供述拒否権を取調べの前に告知しなければならないことになっていますが,これは,取調べ段階での規制になっているわけです。もちろん,それに違反した場合は後でその取調べにより得られた供述の証拠能力に影響し得るのですけれども,証拠能力を否定する理屈としては違法収集証拠の考え方になると思うわけですが,違法収集証拠としては,重大な違法があったときに証拠能力が否定されるというのが比較的一般的な考え方なので,そのような考え方と果たして整合するのかどうかを詰めて考えてみなければならないのではないかと思うのです。そして,もしそちらの方向でいくとすると,裁判員裁判との絡みで任意性あるいは信用性についての立証を分かりやすくするために録音・録画を行うべきだという議論とは意味合いがずれてくる,という問題もあるように思います。   現段階で私としてどれがいいという意見を持っているわけではないのですけれども,以上のようなことを検討していく必要があるので,何らかの規定を設けるという提案をされるのであれば,論拠についてもしっかり詰めた上で提案していただきたいと思います。なお,関連性という点からそのような規定を説明するのは,更に難しいだろうと思います。 ○小坂井幹事 井上委員の御質問あるいは御意見を理解できていない部分もあろうかと思いますけれども,違法収集証拠で排除するという意見が片方で根強くあることは事実です。我々の内部の議論の中でもそうです。その場合には,井上委員のおっしゃったこととの連関で言えば,私ども不勉強ですけれども,つまり相対的概念ではなくて,供述に関しては違法があれば,義務違反があれば,直ちに排除できるという見解があることは事実だと思われます。ですので,基本的にそういう考えで証拠能力はないという発想を採っているわけです。そこはまだきっちり会内の統一意見とまでは言えませんけれども,そういう見解が一方で有力に唱えられているということです。   それと,推定の場合の反証と言いつつ元々の立証責任は全然いじらないんだというお話があったわけですけれども,やむを得ない事由がない限りという言葉の前に,日弁連の方で設定しているのは,機械が故障している場合とか,そういう物理的な支障のことを述べておりまして,やむを得ない事由というのはそういう場合に限定している。ですので,井上委員の言っていることと直ちに答えがかみ合っているかどうか分かりませんが,イメージとしてはそういうイメージであって,井上委員がおっしゃったケースとはちょっと違うのかなという感じがします。   それと,元々の任意性の立証責任の問題ですけれども,これは学説的にどうかという議論と弁護士的な実務感覚とのずれが生じているかもしれないです。正に実務の実情がどういう形態で今まで進んできたのか,そういった場合に,この場面で全過程を録音・録画していなければ,例えば,任意性の問題だとした場合,一部が欠けていれば任意性の立証は不十分なんですと,これは推定という言葉が適切かどうか相当議論があると思いますけれども,そういう発想を持つこと自体は必ずしもおかしくないのではないか。取りあえずのところはそう思っております。もう少し詰めたいとは思います。 ○井上委員 2番目に言われた点は,機械の故障の場合でも例外は例外ですから,他の方法で任意性の立証を行う必要があることには変わりがないのですよ。 ○酒巻委員 井上委員の御発言に関連して申しますと,単にルール違反があれば,ほぼ網羅的に証拠が排除されるという考え方には数々の問題があるという点で,私も井上委員の御意見に賛成です。   結論として,録音・録画というのは二つ目的があって,一つは,取調べの適正を担保するという同時的あるいは事前の規制,もう一つは,それによって任意性・信用性を事後的にもチェックできると,こういうことですけれども,そういうルールを遵守させるためにはいろいろな方策があるわけで,違反があると直ちに証拠排除という結論になるのは単純に過ぎると思います。   それから,条文が要求しているのは飽くまで供述の任意性ですから,録音がされていないということと,そこでしゃべられたことが自由な意思決定に基づいて任意になされたものであるかどうかということとは,関連性は非常に薄いですね。ですから,条文を作れば何でもできるというわけではなくて,合理的な関連性や理由がある条文であれば納得できますけれども,事前の規制ルールである録音・録画と,取調べによって得られた供述が任意になされたものであるかというのは,私は非常に遠い関連性しかないと思いますので,やはり理屈として不十分なのではないかと考えます。むしろ,ルールというのは様々な事態に対応できるように考えた方がいい。   現に,井上委員が触れられた刑事訴訟法198条2項は,取調べの任意性を担保するための事前規制としての供述拒否権をあらかじめ告知すべき旨の規定ですが,この告知がなされないということは滅多にありませんけれども,告知がなされなかったときどうなるかは法解釈に委ねられているわけですから,刑訴の中に事前規制のルールを作るとしても,その違反を,証拠排除という非常に単純な,そしてドラスティックなサンクションと結び付けるだけで,後のことは考えないというのは,制度設計として適切でないと思います。 ○後藤委員 酒巻委員は,取調べを録音・録画しないことと供述に任意性がないことは,必ずしも結び付かないという御意見ですけれども,私は必ずしもそうではないと思います。録音・録画していなかったから全て不任意な,強制された自白であるという推定は,事実の認識としてはできないでしょう。けれども,取調べの録音・録画が,自白の任意性を担保する,あるいは無理な取調べを防止する機能を持っていて,そのために制度化するのだとすれば,それに従わなかった場合の効果として,供述について任意性の立証があったとは認めないという制度を採ることは,不合理ではないと思います。 ○舟本委員 今の録音・録画しなかった場合の証拠能力の関係で,私は,実態面から児童虐待事件を例に採りながら考えを述べさせていただきたいと思います。   児童虐待事件というのは,御案内のとおり家庭の中で起こる犯罪でありまして,また往々にして被害児童というのは,自ら被害を訴えることがなかなかできない場合が多いわけであります。そうした中で,状況的にこれは虐待だという事実が認められましても,実際に虐待をしているのが男なのか女なのか,あるいは2人で虐待をしているのか,現実問題,こういったことについても真の供述がなければなかなか立件が難しいわけですが,一方で,こうした児童虐待事案,家庭内における犯罪というのは,お互いがお互いをかばったりですとか,特に女が男に対する暴力におびえたりとか,事前に口裏合わせをしたりということなどで,誰が虐待をしているのかという加害者の特定が非常に難しいケースが少なからずありまして,中には加害者の特定ができないというケースもあります。   そのため,取調べでそうした真実を引き出すことが重要なのですが,カメラが回っている状況を想定しますと,被疑者といいますか,取調べを受ける側がカメラの向こうの相手方を意識するということが,どうしても懸念されるところでありまして,我々としては,そうした心の呪縛を解いて真相を供述してもらうことが難しくなるのではないかということを,これまでの経験則上実感しているところであります。   やはりこうした児童虐待事件というのは,実務では,取調べを受ける者の心の呪縛を解いて本当のことを供述させるためには,カメラが回っていない場面,カメラの向こうの相手方を意識しないでもよいという状況での取調べも,現実問題必要であると考えておりますので,一律に全部,全面録音・録画する,そしてそういう録音・録画をしていない場合の供述の証拠能力は一律ないということになれば,こうした児童虐待事案の立件というのは,現実問題なかなか困難であると思うわけであります。   そうした意味で,実態面からしましても,録音・録画されていないということで直ちに証拠能力を認めないとする考え方は,我々としては消極,反対という気持ちでおります。   なお,これは御参考ですけれども,平成23年中,1年間で児童虐待事件の検挙人員は409人でありまして,児童虐待によって被害を受けた被害児童の数は398人です。そのうち残念ながら亡くなった児童は39人という現状であります。 ○小坂井幹事 今,舟本委員がおっしゃったことは,それは原則をどうするかという議論の場合に,例外として何を考えるかという議論になってくるのではないかという感想を持ちました。   それで,先ほど酒巻委員がおっしゃったことなんですけれども,正に今の取調べ状況で任意性の問題との関連性の問題をおっしゃったわけですけれども,これは今の調書の記載の,正に任意性とは何ぞやという議論に遡っていくと思うんです。そうした場合,我々の少なくとも弁護実践的な立場から言いますと,以前も申し上げたことがあるんですが,調書の記載というのは正確に供述を録取したものではない。これは私は,恐らくは捜査機関の方々との間でもおおむね共通認識ができつつあるのではないかと思うんです。それを作文調書と言うのは言い過ぎだとか,いろいろあるかもしれませんが,少なくとも本人がしゃべったまま書かれていないというレベルで言いますと,これはそうではないんだということは,ほぼ,各種の事件がある中で,現在的な段階では共通認識になってきているのではないかと思うんです。   ですから,今までの任意性判断の基準の中でどうするかという問題とともに,今後の制度設計の中で,全過程をきっちりクリアな検証可能状態にしておかないと,それはイコール実態的にも疑義が生じるんですよという制度設計はそれほどおかしくないのではないかと私としては思っております。 ○周防委員 質問させていただきたいんですが,今まで何の可視化もされていない調書の任意性立証というのを,検察官の方は具体的にどういうふうにされてきたんですか。 ○上冨幹事 これも事案によってもちろん様々です。現在,御承知のように,取調べの一部について録音・録画がなされている場合に,その録音・録画の記録媒体を再生するということは当然行われているわけですけれども,それ以外にどのようなことをしていたかと言いますと,例えば,取調官が証人として取調べ状況を証言する。それから,それ以前の話として,その取調べを受けて任意性を争っている被告人自身から取調べ状況について被告人質問という形で話を聞く。あるいは,取調べがいつどのように行われていたかということが分かる取調べ状況報告書という書類などがありますので,そういった外形的な事実。あるいは,取調べの結果作成された供述調書そのものの内容。このような様々な証拠を裁判所に見ていただいて,御判断いただくというのが実務であったように思います。 ○周防委員 そういうもので任意性の立証ができたと判断された裁判官は多々いらっしゃいますが,実際に取材を通じて私が感じたことを申し上げれば,そんなことで立証されていると判断する裁判官がおかしいとしか見えてこなかったので,そのための録音・録画ではないかとずっと思っていました。法律的な整合性その他,専門的なことは分かりませんが,今お伺いした今までの立証方法というものは,何ら正当でも公平でも公正でもない,本当に不合理な認定の仕方だとしか思えないので,正に取調べの録音・録画というものが供述の任意性の立証に欠かせないものであると思っています。あたかも,そういうものがなくても今までもきちんと供述の任意性の立証ができてきたというふうにおっしゃるのであれば,そもそもこんなところで録音・録画の話をしなくてもいいのではないかと,そういうふうに素直に感じています。 ○小野委員 上冨幹事の方から立証の中身についてお話がありましたが,弁護人の受け止めている立証の在り方についてちょっと触れておきたいと思いますが,もちろん供述調書に書かれている内容がその他の証拠との整合性とか,そういったようなことも判断材料にはされていますけれども,最も大きな要素とされていると弁護人が感じているのは,当事者の言い分ですね。これが被疑者の調べであれば,被疑者は法廷で,こういう調べがありましたということを,「具体的にこういうことを言われました。」とか,「これを認めないとお前は保釈で出られないぞと言われました。」とか,「耳元で大きな声で怒鳴りつけられました。」とか,そういうことを説明するわけです。そうすると,それが警察の調べであれば警察官が,検察の調べであれば検察官が,法廷に証人として出てきます。そこで,これまでのほとんどの事件でどういうふうな説明がされたかというと,真っ向からそれを否定する話が捜査官から出てくるわけで,「この人はこれこれこういう場面でこういうことを言いながら,涙を流してこういうふうに話し始めたのです。」というような類いのお話をするわけです。それはとても具体的に,「取調室の中でのやり取りはこうでした。」と,「本人がこう言う,私はこういうふうにそこをこう言って,ああ言って。」というような,そういうやり取りがそこであったかのごとく再現をされる。こういうやり取りがあって,ほとんどの場合には裁判所は,それならばこの調書を採用しましょうというように,これまでされてきたわけです。   結局,我々弁護人の立場からすると,完全な水掛け論であり,同じ場面のことについて180度違う内容が説明されるというのが実情であるわけです。最終的には軍配は捜査官側に上がってきたというのがこれまでの実務の実態だったわけです。   そこで,そういうことが任意性の立証としてこれまでは済まされてきたと,そういう取扱いになっていたというところで,結局のところ,水掛け論が結果的に捜査側への軍配として判断されてきたようなことではどうにもならない。つまり,そこにいたのは当事者だけですからどうにもならないわけです。だから,客観的な資料がなければ話にならないでしょうということになって,録音・録画が必要なんだと,こういうことになってきたわけです。   現在の任意性の立証というのは今のようなやり方ですから,そういう任意性の立証で足りるというふうにされてきたものを,それでは足りないので,録音・録画がなければ任意性立証としては全然果たしていませんよという仕組みを作ること。その録音・録画というものがなければ任意性立証は足りないんだということで,その調書を証拠として採用しないと,こういう仕組みを作ることを求めているわけです。   その条文の体裁とか作り方については,もちろんこれから詰めていくことになると思いますが,ここで問題となっている肝はそこにあるわけで,これでは任意性立証はできていないではないか,あるいは特に信用すべき情況が証明できていないではないかということのための録音・録画であるということで,話としてはそんなに難しい話ではないだろうなと考えています。 ○井上委員 誤解があるようですので,ちょっと申し上げたいのですけれども,録音・録画を,どの範囲か,どの程度かは別として,何らかの形で義務付けるという方向は,否定していないのです。今論じているのは,それをどういう形で実効的に担保していくのかという話なのであり,周防委員が御発言されたように,これまではなかなか難しい状況があった,また,小野委員が御発言されたような状況もあったということは承知しており,録音・録画がそれを解消するための非常に有用な手段であるということは間違いないと私も思います。   ただ,弁護士会の方でも,機械的な故障に限るということを言われましたけれども,例外の余地を認めているわけですし,小坂井幹事や後藤委員の御意見でも,録音・録画がなければ絶対的に証拠能力なしということではなく,任意性が否定される方向に行くということですから,例外に当たる場合はもちろん,原則の場合も,録音・録画以外の手段により任意性を立証するという余地があることは認めざるを得ないはずなので,規定の仕方は非常に難しいということを申し上げているのです。そこのところをきちんと理屈を詰めて考えておかないといけないわけで,基本法令の改正ですので,勢いだけで作ってしまうと,非常に困ることになるということを申し上げているのです。   もう一つ,小坂井幹事は,今の調書が正確な記録でないということは共通の認識だということを前提として,調書の記録の正確性を録音・録画によって確かめるんだとおっしゃいましたが,そうであるとすると,任意性以前の問題であり,正確な記録であるかどうかを録音・録画で確かめて,なお調書を証拠として採用すると考えておられるのかということになります。これは後の問題とも絡むのですけれども,そのように正確に録取されていることが確認されるならば,録音・録画自体をそのまま実質的証拠として用いるということでも良いように思われるのですが,日弁連の御主張ではそうではないので,言っておられることがどうも整合しないところがあります。その辺,まだ会内で意見が分かれているという御説明では最早不十分で,具体的な提案をされて基本法令の改正に結び付けようとされているわけですから,理論的に十分詰めて,整合性のある考え方によって提示していただきたいと思います。 ○椎橋委員 アメリカではミランダ法理というのがございまして,警察官が逮捕した被疑者の取調べをする場合には,黙秘権の告知,弁護権の告知,また,資力がない場合には国選弁護人が選任できるという告知,そして,弁護人には取調べへの立会権があるという告知をした上でなければ,取調べによって得た自白には任意性がないと推定されると,こういう原則がございます。黙秘権等は被疑者の権利であって,その権利の告知が怠られたので,その後に取られた供述は任意性がないと推定されると,これは私は相当理由があると思うんですけれども,録音・録画を義務付けて,その録音・録画が怠られたので任意性がないと推定するというのは,この推定に合理性があるかどうかということを考えますと,権利があるのに告知を怠ったのとは大分違うのではないかという感じがいたします。   また,録音・録画を欠いた供述には証拠能力がないという考えですが,証拠能力がないということは重大な結果を招来するということですから,取調べによって得た供述に任意性があるかどうかというのは供述の自由と深く関係するわけですけれども,録音を怠ったことと証拠能力がないということとの結び付きに合理性があるかどうかを考えなければなりません。一般に証拠排除というと,基本的権利の侵害とか重大な違法があるという場合に証拠排除に結び付くのですけれども,録音を怠ったことが,基本権侵害と同じように考えられるか,重大な違法と言えるかどうか,さらには,供述の自由をそれだけで否定したと言えるかどうかいうことになると,実態を考えてみて,録音・録画を怠ったことを証拠排除という結論に結び付けるのが合理的かどうかという問題が,なお残るような感じがいたします。   それから,自白とか供述証拠は客観的な状況だけで判断するのは難しい場合があるだろうと思います。客観的状況に加えて,自白の,あるいは供述の内容と総合して証拠能力を判断するというのが一般の立場,多くの立場だと思うんですけれども,そのことを考えると,録音を怠ったということだけで証拠排除ということに直結させるのは,何か実態とも合わないし,合理性も今一つ欠けるのではないか。   小野委員が言われたことは,今までの任意性の立証に,任意性の要件をプラスアルファするという意味であるなら分かるのですけれども,それ以前の構造的な問題があるのかなということで,お話しさせていただきました。 ○小坂井幹事 今の椎橋委員が言われたことは,結局実態に関する認識の問題だと思うんです。小野委員の言われたことに補足するような形になって,非常に大ざっぱで乱暴な言い方で恐縮なんですけれども,弁護実践上の感覚で言えば,それこそ十数年前までは,被疑者が殴る,蹴るされれば,それがはっきりすれば任意性は飛びました。けれども,そうでない限り任意性は飛ばなかったです,正直申し上げて。それが弁護活動上の認識です。それがここ十数年の間には,もしかするとそこまでいかないケース,誤導ケース,強度の誘導,利益誘導,そういったものでも任意性のところに引っ掛かって却下するケースが,従来に比べれば増えてきたのかなというのがおおむねの実態ではないのかなと思うんです。   ですから,そこで問題になっているのは,任意性とはそもそも何かという問題で,それについても,裁判例自体が相当の動きを時代の中で示しているということと,もう一つは任意性の立証という問題に結局はなってくるかと思うんです。   それで,何を申し上げたいかというと,椎橋委員のおっしゃっていることは,権利論に結び付くんだという話で,そこはまた議論がいろいろ分かれてこようかと思うんですけれども,今言われていることは,検察官によって任意性が立証できたか否か,どちらかよく分からなかったらそれは却下する方向にしましょうということです。今まで,分からないにもかかわらず,こう言ったら恐縮なんだけれども,分からなくても,まず被告人の方が違うことを言っているんだろうという形で供述調書を採用してきたトレンドがあったわけです。が,それが今は潮目として変わりつつあることは事実なので,この際,はっきりするためには録音・録画だと,こういうように理解しています。   それで,井上委員がおっしゃったこととつながるんですが,記録媒体の使い方なんですけれども,必ずしも日弁連は,これは割れていると言うとまたクレームが付くかもしれませんが,別に実質証拠が駄目だということに決まっているわけでも何でもないんです。そもそも2006年に最高検が一部録画を始められたときに,これは任意性立証のためなんですよと,あるいは信用性にも使うかもしれないけれども,そういうくくりで始められたわけです。そういう枠組みの中で,実質証拠にはしませんという枠組みで,今まで試行といいますか,流れてきた経緯がありました。そういった中で,私は一度はこの部会でたたき台にしていただきたいと思うんですけれども,何もその制度構想に賛成しているわけではありませんけれども,今まで一番まとまった制度構想論があるとすれば,吉丸眞さんの「録音・録画記録制度について」の制度構想論があると思うんです。その中で吉丸さんが,取調べの場面をいきなり実質証拠にすると,拒否反応等々強いのではないかという配慮の下に,実質証拠は取りあえず導入時には制限する方向でどうかという制度構想案を出されたことは事実です。これに関しては一つの議論の対象にすべきだと思うんです。   それで,井上委員のおっしゃることは私は非常によく分かって,将来的には,あるいは最終的には,録音・録画記録媒体ができれば,何もその横で一々作文している必要はないわけですから,最後は録音・録画記録媒体が実質証拠あるいはその反訳文が実質証拠,反訳文の要約文が実質証拠というふうに,それは必然的になるような気が私としてはしているんです。   しかし,今直ちに,私が先ほどから作文調書と申し上げている調書を捜査機関が捨てるかと言えば,そんな情勢には全然ないわけです。そうだとすれば,少なくとも導入時は,調書を実質証拠としてやってください,それに対して,録音・録画記録媒体は調書の正確性ないし任意性・信用性をチェックするものとしてありますよという位置付けにすること自体は,制度構想としておかしくないし,何も屋上屋を架す立証手段を捜査機関の方に与える必要もないのです。   それと更に言えば,最初の頃若干議論しましたけれども,今,ああいう2画面になっているわけですね。誰が決めたか分からないんです,何で2画面なのか。あれが適正な映し方なのかどうか,まだある意味できっちりと検証されているとは言えないんです,ずっと数年間あれでやっているんですけれども。やはりそれはきっちりと,それこそ供述心理学者に聞くなり,いろいろな側面から見て,あれが本当にバイアスの掛からない映し方なのかどうかを検証する必要が絶対にあると思います。そういうのをしないうちに,いきなり実質証拠で流れていくことについては,危惧の念を持ってもいいのではないか。   例えば,最近私が見た事案でしたら,私の依頼者である被疑者が,恐らく取調官の発問に対して全く意に沿わない答えをした場面があったんです。あれは取調官の背中しか映っていませんから,背中が固まっていらっしゃるのは見ていて分かるんです。けれども,それ以上のものが読めないわけです。両方きちんと見れていれば,その取調べの実態というものが明確にフェアに分かるわけで,今のアングルでいいかどうか検討の余地もあったりするように思います。ですので,そのような検討の余地があるうちから余り実質証拠にすることを自明の前提にする必要は何もないのではないか。制度の立ち上げ段階では,調書を捨てない以上はそういう段階論を踏んでもいいのではないかという構想だと思うんです。 ○小野委員 今,弁護士の中で割れている場合ではないと言われましたが,現実にはいろいろな意見があって,いろいろな議論がまだ行われている段階であるというのは,残念ながらそのとおりなんですが,今の実質証拠という問題も,本来はもちろん公判廷で証人なり被告人なりが話をして,公判中心主義といいますか,直接主義といいますか,そこで語られることによって判断してもらうというのが当然のことであって,そこでの証拠が本来の裁判の証拠なんだろうと,このように考えているわけです。   捜査段階での取調べというのは,現状は,もちろん弁護人の立会いもありませんし,何もないところで,身体を拘束された状態の中でずっと行われているものでありまして,そういうところで話された中身,それが言わば前倒しに,それそのもので裁判でも判断するんだというようなことが本当にいいのか,証拠としてそういう在り方でいいのかということは,相当問題があるだろうと思われますので,そこのところは違うものではないかと考えます。   ただ,逆に言えば,現在はそういう取調べで作られた供述調書が証拠になるという仕組みになっていますから,そこのところをどうするのかということは,また改めて検討しておかなくてはいけないことだろうと。つまり,今のような形で実際に捜査段階でしゃべられている生の言葉と,それを基に作られた録取書としてできている調書と,その調書の方が証拠となるということ自体が今のままでいいのか。本来は例外的な証拠の扱いであったはずが,原則と例外が逆転してしまったような取扱いになってしまっているということも含めて,そこが問題なんだろうと。ですから,一概に,そこで生の声で語られたから,直ちにそれが実質証拠なんだというふうに考えていいのかということは,とても議論があるところです。 ○井上委員 小野委員の言われることはやや理解に苦しむところがあります。直接主義,口頭主義の原則の下に,公判廷で被告人が供述をし,その供述に問題がなければそれで良く,調書などを出してくる必要はないわけで,それがベストであるということはもちろんです。ところが,被告人がそのように供述をしない,あるいはそれに問題があるということも少なからずあり,そういう場合に調書が出てくるわけです。そして,そのようなときに,その調書に録取されている供述が任意性のあるものかどうか,あるいはその信用性をチェックする必要があるので,今までのおっしゃるような水掛け論的なことに代わって録音・録画という方法を用いようということなのですが,では,その録音・録画により任意性が立証できた場合にどうなるのかということ,そこからは調書を使うということを弁護士会の提案では言っておられるわけです。しかし,調書が使われるということは,公判外で供述した,小坂井幹事の御言葉では,必ずしも正確でない記録が実質証拠として使われるということなのです。それと比べて正確だというように皆さんが認められる録音・録画には,語られていることだけではなく,供述するときの表情や態度,声のトーン等々も記録されていて分かるわけで,公判廷で供述するのを見聞きしているのにかなり近くなる。それなのに,それを実質証拠にしていけないという理由ないし論拠はどこにあるのかということを申しているのです。大本の供述調書あるいは公判外の供述は全く使わないということを前提にするのならば,その供述の録音・録画についても実質証拠として使う余地はないというのが筋でしょうけれども,調書は実質証拠として使えることを認めながら,それよりは正確だと言っておられる録音・録画は使えないというのは理屈にならないでしょう。   それと,小坂井幹事は,立ち上がりの段階なので限定的に用いていくということを言われたのですけれども,現行法でも証拠能力があるものなのですよ。最高裁の判例も高裁の判例もそのことを当然の前提にしています。御提案は,したがって,証拠能力を制限する規定をわざわざ置けということになるわけですが,そうするためには,それを正当化し得るだけの根拠が必要だと思うのですが,それは何なのかということになると思うのです。言及された吉丸さんの論文は,任意性のところで水掛け論的な状況があるから,せめてまずその限りで録音・録画を入れたらどうかと提案されただけのことだと思います。なので今はそのように録音・録画記録媒体を公判に入れることを前提とした上で,それを実質証拠として使うことを禁止ないし制限する正当な理由があるかが問われているわけなのですよ。現行法で可能なことを禁止ないし制限するには,特別の正当な理由が示される必要があり,それがない限り,そういう規定は設けるべきではないし,設けることはできないと思うのです。それが基本法令の在り方だと思います。   また,小坂井幹事は,映す角度でバイアスが生じると言われますけれども,それだったら,任意性とか信用性に関する補助証拠としても問題があることになるので,それを言われるんだったら,問題ないような映し方を提案するべきです。録音・録画を進めようとする以上は,そこに問題があるならそれを改善するような提案をしていくべきで,それが筋だと思うのです。 ○大野委員 録音・録画の媒体の利用の在り方ということで,検察官の立場から申し上げたいと思います。   これまでも折に触れて申し上げましたが,現在,検察庁において積極的に録音・録画の試行に取り組んでいるところです。元々,録音・録画の試行というのは,供述調書の任意性の立証という観点からスタートしたものですけれども,録音・録画の実施目的がどのようなものであったとしても,一たび取調べ状況が録音・録画されれば,その記録媒体は,被疑者の供述内容についての正確で客観的な記録でありますし,供述内容に加えて,被疑者の表情や供述態度等も記録されている点で,立証上価値の高い証拠になり得るものだと考えます。   現行の刑事訴訟法上も,この録音・録画媒体に記録された供述内容を犯罪事実の立証に用いることが何ら制限されるものではないと理解しておりますし,このような価値の高い証拠の利用の在り方をあえて限定する合理的な理由はないと考えているところです。   また,実際に,例えば,録音・録画媒体以外の形では捜査段階の供述が証拠化されない場合が現実にあります。調書が取れない,だけど録音・録画媒体はある,こういうものがあります。それを公判審理の場面で被疑者の捜査段階における供述内容として立証しようという場合には,録音・録画記録媒体の取調べによらざるを得ないということが起こり得ることであり,これを実質証拠として用いることは必要かつ有用だと考えるところです。 ○小野委員 究極的に,録音・録画の媒体が実質証拠になり得るかというと,それはなるんでしょうね。だけれども,もしそうだとすると,その生の言葉,生の話があって,今現在供述調書というものがある。そうすると,飽くまで供述調書というのは,言ってみれば生のものに比べれば二次的なものですから,その証拠の取扱いをどうするのかということがきちっと議論されなければいけないだろうと思います。それ抜きに,こちらは実質証拠だからこれがいいんだと,また調書もこれはこれであるんだというようなことになってしまうのはおかしいわけで,そうだとすると,今の供述調書の在り方をどうするのかということが根本的に考えられないと,そういうふうにすんなりいかないのではないか,そういう意味で申し上げているわけです。 ○井上委員 おっしゃっていることがよく分からなくて,どうも二つのことを混同されているのではないでしょうか。最初に言われたことは,公判廷で供述することを専らの証拠とすべきであり,公判廷外の供述を記録したものを使うのは問題があるという御趣旨のように聞こえたのですが,そのことと,公判外の供述を記録したものを実質証拠として使うことを認める場合に,それが調書なのか,録音・録画なのかという問題とは別の話であり,後者の点では,どちらか一方でなければならないという理由はないと思います。つまり,調書に任意性・信用性があれば,それを使うことが可能であることを前提にして,その場合に,録音・録画自体を同様に使うこともできるというだけのことであり,その場合,どちらを使うのかは,第一次的には,証拠請求する者の判断だと思いますが,最終的には,裁判所の判断になる。つまり,特に裁判員裁判などにおいて,再生に何時間も掛かるものを全部再生して,証拠調べするのが良いのか,それとも調書の朗読によるのが良いのか,分かりやすく集中的な審理とするためにどちらが良いのかという選択になる。もちろんそこで弁護人も意見を言うことができる。言い換えれば,録音・録画媒体は,立証のための選択肢の一つであり,それ以上のものではないということです。   だから,今申し上げているのは,それについてあえて証拠能力を否定する理由はないということにすぎないのです。 ○小川委員 実質証拠として利用するかどうかは,取調べ過程の録音・録画という問題からいくと,やや派生的な話かなとは思いますけれども,理屈はともかくとして,こういう取調べ過程の録音・録画のDVDといった記録を法廷で実質証拠として利用するという運用というのが,裁判の実務を担当していまして,私にはどうもすっきりこないです。一体どういう訴訟の場面でそういうものが実質証拠として必要になってくるのか,あるいはそれを実質証拠として使うことが適当という具体的な場合が,私にはなかなかイメージがしにくい。いずれにしても捜査官や検察官が供述録取調書をお作りにならないなんてことはないでしょうし,それは長時間の調べを訴訟の維持に必要な範囲で簡潔にまとめられてお作りになるでしょうし,場合によっては,問答体でお作りになる場合もあるでしょうし,供述書を本人が自分で直接書いて,足りないところは供述録取書を作るというようなこともあるかもしれません。そういうことはいろいろと工夫いただくんでしょうけれども,一体どういう場面で録音・録画媒体を実質証拠として利用することがあるのかを,私は具体的な場面としてイメージしにくいということを申し上げておきたいと思います。 ○井上委員 実際に録音・録画が使われる場面を考えてみますと,任意性・信用性が争われた場合です。しかも裁判員裁判ですと,それは裁判員のいる公判廷で再生するということが想定されているわけです。その場合に,供述の過程だとか,経過だとか,供述の模様だとか,それは録音・録画から心証を取ってもらうけれども,供述の内容はそこから取ってはいけない。それは調書に書かれているところから取らなければならない。そのように裁判員に求めることが不自然ではないのか,無理なことを押し付けることにならないか考えてみていただきたい。いずれにしろ法廷で録音・録画を再生する場面がある限り,その再生されたところから話している内容が真実であるのかどうかを判断する材料として使ってなぜ悪いのか,私にはそちらの方が分かりません。   恐らく小川委員の頭の中では,供述の過程が録音・録画されて,それが弁護人に開示されていれば,公判で争われることは減っていき,録音・録画が再生される場合もなくなっていくということをお考えなのかもしれませんが,そうなればそうなったでいいわけです。   しかし,両当事者の意見が分かれ,公判で判断してもらおうということになった場合には,公判廷で録音・録画を再生せざるを得ないでしょう。その場合に,その再生された内容の使い方を限定するというのは,今申したように,非常に不自然だし,法律家でない国民にとって無理なことを強いることになってしまうので,そういうことにならないようにするというだけのことなのです。だから,あえて制限するという理由はないということを申し上げているわけです。 ○露木幹事 先ほどの小川委員の御指摘で,録音・録画をしたときにも供述調書を引き続き作成するのであろうというお話がありました。これは私ども決して与するものではありませんけれども,仮に全ての事件について全過程の取調べの状況を録音・録画しなければならないという義務付けがされたとしますと,前回,舟本委員からも発言がありましたけれども,相当のコスト,コストというのはお金だけではなくて,人手が掛かるということになります。取調べに取調官と機械の動作状況を監視するという補助官を必ず付けなければならないであろうということが考えられます。そうしますと,録音・録画記録があるにもかかわらず,更に供述調書まで作成しなければならない,作成する人手を更に捻出して調書を作成しなければならないという運用を私どもが維持しなければならないのか,あるいは維持することができるのかという点について,私は個人的には疑問を抱いておりまして,そもそもそこまで警察官を充てる体制が当方にないのではないかということも考えないと,録音・録画記録媒体の取扱いの問題については,なかなか決められないという実情があるのではないかと思います。   それからもう一つ,証拠能力の点,遡って恐縮ですけれども,行政機関の職員に法令上の義務履行を強制するための手段として,今,証拠能力というテーマですので,証拠能力ありやなしやという議論になっているわけですけれども,私も内閣法制局で5年ほど法律案をいろいろ審査してまいりましたけれども,通常,義務履行確保手段というのは,行政機関の職員の場合には,懲戒処分というもので担保するというのが一般的だろうと思います。ですので,取調べの録音・録画を義務付ける,その履行を確保するためであるという趣旨で,それをどう実現するのかという観点であれば,何も証拠能力の問題に結び付けて議論することはなくて,一般の義務履行確保手段というものも選択肢に入れて検討するというのが本来の筋ではないかとも思います。   ただ,私どもは飽くまで全過程の義務化ということに関しては反対という立場ですので,私から申し上げるのは変なんですけれども,参考までに申し上げておきます。 ○大野委員 小川委員が先ほどお話しなさった件に関して,私から先ほど,録音・録画媒体以外の形では捜査段階の供述が証拠化されていない場合があると申し上げましたが,具体的に申し上げますと,被疑者の捜査段階の供述というのは,例えば,当初自白していた者がずっと一貫して自白するわけではありません。自白から否認に転じる場合もあるわけです。自白した段階では録音・録画がなされていてその記録媒体があるけれども,その後,自白調書を取ろうと思ったら被疑者が否認あるいは黙秘に転じることは現実にはあり得るわけでして,そういうことも考えられるということを1点だけ申し上げておきたいと思います。 ○本田部会長 まだ御意見もあろうかと思いますが,時間の都合もありますので,法的効果等についての議論をひとまず終えまして,「取調べの録音・録画制度の在り方」に関する一巡目の御議論をひとまずここまでとさせていただきたいと思います。   次に,二つ目の項目の「その他取調べ及び供述調書の在り方」についての議論に入らせていただきたいと思います。   まず,その一つ目の「(1)その他取調べの在り方」のうち,「取調べへの弁護人の立会い,取調べについての制限の可否」について御議論いただきたいと思いますので,この点に関しまして御意見・御発言のある方はよろしくお願いいたします。 ○神幹事 前々回の部会の総論的な議論の中で,村木委員は,捜査においては,捜査機関が被疑者の身体を拘束して取調べができるとか,家宅捜索ができるとか,物を押収できるという非常に大きな権限を持っている。その捜査機関が公判という形になると突然一方の当事者になる。相手の検察は大きな組織であるのに,被告人はあたかもそれと対等な関係であるかのような形で,個人で戦うということが大変不思議な気がしましたということを述べられています。その上で,検察がこのように二重の役割を持っていることを考慮に入れた議論をここで各論でしていただきたい。検察側,弁護側がきちんと対等にたいじ(たいじを)できるような仕組みを考えていただきたいということを述べられました。   私は,この指摘は,自らの体験を踏まえて述べられている点で極めて重い発言だと理解しております。また同時に,的を射ている内容ではないかという感じで,無視はできない発言だろうと考えています。このように思うのは,日本においては,現行の刑事訴訟法の公判手続では,当事者主義的な訴訟構造を採っているのに対して,捜査手続では,被疑者は専ら取調べの客体として扱われ,当事者主義的な配慮が全くなされていない。かつ,その取調べも糺問的・追及的に行われているところに問題があったのではないかというふうに考えます。   すなわち,被疑者は一旦身体を拘束されれば,捜査機関の取調べを拒否することができず,任意に取調室を退去することもできないというのが日本の現在の捜査現場の運用であります。しかも,日本においては,逮捕・勾留という身柄拘束が多くの事件でなされており,その被疑者には捜査段階での保釈制度やこれに類似した制度もありません。このように,日本の捜査は,被疑者を社会から隔離して孤立させ,取調室という個室で弁護人の立会いもなく,何時間も捜査官の取調べを受けさせることによって,捜査機関の見立てに合ったような自白供述を得る方向で行われてきたと言っても過言ではないと思います。こうした取調べにはどこかに無理が生じ,任意性のない供述や虚偽供述が生まれる素地が元々内在していたのではないかと考えているのであります。   私は,このような伝統的な糺問的・追及的な取調べ手法は,供述調書が捜査にいかに有用なものであっても,無実の者を罰することがあってはいけないという観点から,根本的に見直す必要があると考えます。   そのために,例えば検察側,弁護側がきちっと対等にたいじ(たいじた)できる仕組み,あるいは武器対等の原則をこの中に作ることによって可能になるのではないかと思うのであります。そのためには,取調べの在り方との関連で,幾つかの新しい制度の導入を考えてみる必要があるのではないかと考えています。   一つ目は,捜査・公判を通じてではありますが,無罪推定の原則を明記すべきであろうと思います。   二つ目として,これは後の論点ですので要点のみ述べます。逮捕・勾留を例外とする身体不拘束の原則を明文化することによって,被疑者の取調べについても任意捜査の原則を確立する必要があるのではないかと思います。   三つ目は,被疑者には取調べ受忍義務がないことを明文化すべきと考えます。憲法は黙秘権を保障している以上,被疑者には取調べを受忍する義務はないはずであり,学説上もこれを否定する見解が通説であると理解しております。しかし,捜査の現場では,被疑者に取調べを拒む権利を認めず,長時間にわたり糺問的な取調べが行われ,その結果,罪を犯していない人の身体を拘束し,処罰するという重大な不正義もまま生み出してきました。逮捕・勾留などの身体拘束は罪証隠滅のおそれや逃亡のおそれがあるときに認められるものであり,その目的からいっても,身体を拘束されていることを理由に被疑者の取調べに受忍義務があるとする考え方は是正されるべきではないかと考えます。また,このような取調べは,糺問的・追及的に行われるべきではなく,欧米で行われているピースアプローチのような心理学などの科学的な知見に基づく方法で行われるように転換されるべきと考えます。   四つ目に,仮にこのような取調べ受忍義務否定の原則が確立できない場合には,少なくとも長時間の取調べによって被疑者を疲弊させ,困惑させるような取調べを回避する意味で,制度的に取調べの時間規制や取調べの中断ができるようにすることが必要であると考えます。   五つ目ですが,捜査段階において被疑者を単なる捜査の客体と見るだけではなく,より捜査機関と対等にたいじ(たいじ目)できるような形で弁護制度を作るということが必要と思われます。そのための方策として,圧倒的な権力を有する捜査機関側に対し,個人の被告人が,言わばプロとアマチュアの関係にあるということを考え,アマチュアにはプロの相談者が不可欠であるので,弁護人を取調べに立ち会わせる権利が不可欠ではないかと考えます。欧米はもちろんのこと,韓国や台湾でもこのような権利は保障されています。この弁護人の取調べ立会権が保障されることによって,取調べはこれまで以上に公明正大な形になることが可能になります。これを普遍化するためには,国選弁護制度を更に拡充する必要があるということも付け加えておきたいと思います。   こういった制度を盛り込むことによって,被疑者の立場をもう少し捜査段階において当事者的にすることができないのかということを,ここで考えていただく必要があるのではないかと思っている次第です。 ○大久保委員 私は,取調べに弁護人の立会いを認めるということには絶対反対です。加害者には弁護人が付いた途端に,それまで罪を認めていた加害者が自分には罪がないということを平然と言い出したり,被害者が悪いからこういうことになったんだと,まるで被害者に責任があるというような虚偽の供述をし出すということを,私自身の息子の事件で嫌というほど体験いたしました。   また,これは私自身が裁判員裁判を傍聴したときの体験なんですけれども,被告人が証言台に立っているとき,こうおっしゃったんです。「これは本当のことを言っていいんですよね。」と弁護人の方を振り向いて発言したので,それは今まで違うことを弁護人の指示によって言っていたのではないかということを,私自身はそのとき感じました。   被害者支援センターでも,同様の体験をした被害者の人たちから,弁護人への怒りですとか苦情の相談電話が毎日のように今でも入ってきます。もし取調べの場面に弁護人が立ち会っていたとしたら,捜査官が必要な質問をして,そして時には説得や追及をしようとしても,弁護人がこれを遮ったり,被疑者に対して黙秘するように助言をするということも考えられると思います。被疑者・被告人も,弁護人の助言を受けなければ自ら供述をするということもなくなってくるのではないでしょうか。   このような取調べといいますのは,取調べの有り様を根本的に変えてしまい,取調べで被疑者・被告人から本当のことについての供述を得ることができなくなるのではないかと思います。そのような状況になってしまったら,一体どのようにその事案を解明していくのでしょうか。   事件の真相は,被疑者・被告人から語ってもらわなければ本当のことは分かりませんし,分からなければ,客観的な証拠と合わせるということも難しいことになってくるのではないでしょうか。そうしますと,被害者や遺族は本当のことを知りたいのに,知ることもできないまま,更に苦しみ続けることになってしまいます。   社会の治安を良くするためには,犯罪者の再犯防止が大切だと思いますし,再犯防止のためには,犯罪者自身が本当のことを話して,罪に向き合って反省をする,そういうことが欠かせないと思います。もし弁護人立会いということになると,罪に向き合って反省をする機会を,もしかしたら犯罪者から奪うことにもなりかねないということも,やはり知っておかなければいけないことだと思います。   あえて過去のという言い方をさせていただきますが,過去には,国対弱い立場の被告人という構造の中では通用したことでも,今は被告人の対極には,その被害に遭った当事者である被害者がいるということの考え方が一般社会では当然のことになっています。このような現状の中で,犯罪者の権利だけを強調するような刑事司法というのは,被害者はもちろん,国民の理解も得ることはできないと思います。   いずれにしましても,刑事司法が被害者や国民にとってより良い正義にかなうと感じられるものでなければ,国民の信頼も得られないと思います。それでもどうしても弁護人の立会いということであれば,被害者である私は,弁護人の接見にも捜査官が立ち会うようなシステムにしなければフェアではないと日頃から感じております。 ○神津委員 先ほど来,任意性の確保ということについて御議論がありましたけれども,そのこととの関係も含めて申し上げたいんですけれども,先ほど椎橋委員の方からミランダルールについて触れられました。黙秘権から立会権に至る幾つかの権利について告知が必ずなされなければならない。そのことによって米国の場合は任意性を確保しているということであったと思います。そういったことを考えると,まずとにかく任意性を確保するという観点において,立会権を告知する,そして,そのことを権利として明らかにするということは,非常に重要なことではないかと思います。   私自身は,録音・録画も任意性の確保に極めて有用ではないかと思いますが,いろいろな例外,いろいろな制限,そういった御議論もあります。そういった中では,まず任意性の確保ということで言えば,弁護人の立会権を認めるということは極めて重要ではないかと思います。 ○酒巻委員 神幹事の弁護人の立会権についての質問ですが,弁護士である神幹事にお伺いします。   まず,立会権という言葉について,やはり言葉は正確に使わないといけないので,これが権利だということになると,弁護人がそこにいないと取調べはできなくなるんでしょうね。取調べに弁護人が立ち会う権利,もちろん被疑者が放棄すればいいんでしょうけれども,基本的には弁護人がいらっしゃらないと取調べはできないと,そういう設計になりますか,というのが質問の1。   それから質問の2は,立ち会った弁護士さんは,どういうことをそこでなされるのか。具体的にどのようなことを考えておられるのか。その辺はお詰めになっているだろうと思うのでお伺いします。   ついでに,ミランダルールの話も出ましたけれども,アメリカでは,任意性の確保と言っておりますけれども,弁護士さんがやってきますと,まずしゃべるな,お前には黙秘権があるというふうにアドバイスいたしまして,そこから,被疑者はしゃべらなくなりますので,要するに取調べはできなくなる,そういう動きになっているのが普通です。 ○神幹事 一つ目ですが,本来的に言えば,弁護人が立ち会わない場合については取調べをしないという形,取調べはできないという言い方が正しいんだろうと思います。私はそういう方向でやっていくべきではないかと考えております。それがまず1点です。 ○酒巻委員 そうすると,日本中で常時山のように取調べは行われているんですけれども,そこに立ち会うべき弁護士さんの数は現在足りているとお思いですか。 ○神幹事 全ての事件といっても,そこは弁護人がそれなりに,全て認めていて客観的証拠のある事件にまで全部立ち会わなければならないというものではないと思うんです。そこは弁護人と被疑者が話をして,場合によっては立ち会わないということはあり得ることだと思います。   それから,どのような形の立会いの仕方をするのかということなんですが,基本的には,ただ立ち会っていればいいということでは全然意味がないわけでして,被疑者がいろいろな形でアドバイスを求めてきたときには弁護人がそれに答えて相談に応じてあげるというのが一つあるだろうし,捜査官の取調べの仕方に問題があれば,それについて捜査官に対してそれをやめろという制止をすることもあるだろうし,場合によっては,質問の意味が分からなければ,その質問について立ち入って質問するという程度のことはできるのではないかと考えます。 ○酒巻委員 了解しました。つまり,ちょうど公判期日における弁護人の被告人に対するアドバイスと同じようなことをお考えだということですね。分かりました。ありがとうございました。 ○青木委員 私の方は,実際にやっていない人が取調べの場面に置かれたときのことを考えて発言させていただくんですけれども,取調べが可視化されているとしましても,取調べあるいは身体拘束そのものというのが,被疑者になった人にとっては非常な圧力なわけです。そういう状態で,今の実務では取調べの受忍義務はあるとされていますから,言わば取調べを強制されて,そこから逃れたいために,やってもいないことをやったと言わされてしまうということが起こり得るわけです。そういうことについては防がなければいけないと思うんです。   その防ぐ方法として,一つは取調べが強制されるんだろうかと。今,いろいろと規則などで何時間とか,あるいはきちんと食事は取れるようにとかというふうにはやっていると思いますけれども,そうは言っても人間の集中能力にも限界があるわけですし,その人その人の体調などもその日によって違うわけですし,今ここで取調べから逃れたいと思ったときに逃れられる状況,つまり,私は今取調べを受けたくありませんと言ったらそれが通るような状況が必要なのではないかというのが一つです。   それと,村木委員のメモの中にありますけれども,取調べに弁護人が立ち会うことについて意見を聞きたいということとか,取調べの開始に当たって説明を受けたいとか,いろいろお書きになっていますけれども,そういう立場に置かれた人は,自分はこれからどうなるんだろうかと,今ここでしゃべらされたり,あるいはしゃべるのを拒否したりするということについて,どういうふうにしたらいいんだろうか,あるいはこれからどうなっていくんだろうかということについて,非常に弱い立場にあるわけです。そういう人が弁護人と相談をしたいというときに,隣に弁護人がいれば相談できるんでしょうけれども,いないと。先ほど申し上げましたように,取調べが中断できて,とにかく弁護人と相談してから取調べを受けたいと言ってできるのであれば,それも一つの方法だろうと思いますし,あるいは弁護人が立ち会って,その立会いの仕方についても,先ほどの権利かどうかという問題は置いておいて,立ち会ってそこにいるというだけでも,全く意味のないことではないと思うんです。その後どういうふうな対応をしていくのか,どんな取調べが行われているのかということについて,弁護士がその場で全て把握しているということは,その後の対応を考えるに当たっても非常に重要でしょうから,必ずしもそこで何らかの介入をするというところまでいかないとしても,場合によって弁護人がそこに立ち会っているということは意味があることなんだろうと思います。   まだ,私自身としては,どういう制度がいいかということを詰め切れてはいないのですが,いずれにしても,今の実務で行われている,身体を拘束されている人は取調べの受忍義務があってそこから逃れられないという,逃れる手段がないというんでしょうか,そこについて何らかの形でメスを入れるということが必要なのではないかと考えています。 ○島根幹事 今,弁護士委員の方々から,取調べ受忍義務自体の否定というお話までありましたけれども,私どもの考えとして,最初に弁護人の立会いの関係ですが,仮に立ち会った場合に,その弁護人に何らかの義務を掛けるということは恐らくできないのではないか,何を言いたいかといいますと,取調べを,全て透明にしろというお話ならばまた別ですけれども,いろいろな捜査の手法とか,そもそもある事実についてどういうところから情報を取ってきたかというようなことなど,オープンにできないことは絶対にあると私どもは考えております。そういうものが弁護人の立会いにより,個別事件にとどまらず,場合によってはいろいろなところで影響が出てくるおそれがあるのではないか,これは取調べの現在の機能,意味合いというものを根本的に変えてしまうおそれがあるということが一つございます。   それから,弁護人のアドバイスということで言いますと,これは弁護士会の皆様の御努力ということでしょうけれども,接見の回数が最近非常に増えてきているのは御案内のとおりでして,もちろん接見指定の在り方そのものの考え方も随分変わってきているのだろうと思いますけれども,そういう意味でのアドバイスということは十分担保できるのではないかということで,取調べへの弁護人の立会いそのものについては,消極というか,反対ということで考えております。   それから,取調べの時間の制限の問題ですけれども,これも内部的な規則ではないかと言われるかもしれませんけれども,志布志事件,氷見事件等の反省ということから,取調べ時間の管理の厳格化ということを現在やっております。時間そのものを何時までと決めているわけではありませんけれども,当然ながら管理をきちんとしております。取調官,その上司も含めて,取調べ時間が長くなった場合にどういう問題が出てくるか,それは任意性の否定という効果もあり得るわけですから,そういったところはかなり私どもも意識して努めておるところですので,一律に法律上の制限というような形はなじまないのではないかと考えております。 ○佐藤委員 この問題は観念論でやっていてもしようがないなと思うので,私も非常に印象深い経験だったんですけれども,この会議の前提となりました検察の在り方検討会議でしたか,その会議で韓国に皆さんで視察に行った際に,韓国の弁護士会,日弁連に相当する組織へ行きました。その際に,韓国でやっている弁護人の立会いの実態について説明を受けて驚いたんですけれども,説明をされた弁護士が,私はこの制度は反対だと,こういう意味のことを言われたんです。   それで,どういうことですかということで質問があったんですが,その際の答えが,これは金持ちの被疑者のための制度ですと。取調べ時間中ずっと弁護士が立ち会うということになれば弁護士としての業が成り立たないと。したがって,その費用は相当の額の費用を報酬として得なければやっていけないと。そういうことを私選で払うことのできる被疑者は非常に少ない。したがって,結果として裕福な人のための制度になりかねないということに,やっていて気が付いてきたということで,この制度は現実的ではないという説明があったと思います。   これを聞いたときに,こういう制度を作るときには,物事は観念でやり合っていてもしようがないなと,実際に被疑者の立場,弁護士の立場,捜査機関あるいは司法,そういうところの実際の運用がどうなるかということを念頭に置きながら考えるべき,そういう性格のものだなということを痛感したわけです。   それで,私の考えは,国選弁護をやってみて,何度も接見に行き,今紹介がありましたように,今,接見に行きますとすぐ会わせてくれまして,接見時間も1時間ぐらいは十分使って接見をするのですけれども,「弁護士さん,調べに全部立ち会ってくれ。」と言われたら,私はちょっとできないですね,実際の話。そうすると誰か他の人に代わってもらわなければならない。それで弁護士が立ち会わなければ取調べができないということであれば,裁判に掛けることもできないんでしょうから現実的ではないということになったときに,例えば国選事件だったとき,今は選任されるのは基本的に1人ですから,そうすると国選事件としてすら弁護活動というのは徹底しないだろうと思います。   そういうこともろもろ,日本の現状,韓国での実際の経験を考えると,立会権,それから立ち会わなければ調べができない,そういう制度を作った途端に,これは動かなくなるなと思いました。   ただ,被疑者・被告人の権利をいかに保障していくかという,そういう観点,姿勢は大事でしょうから,それを検討することは必要だと思いますけれども,今申し上げたようなことも是非勘案して議論を進めていただければと思います。 ○井上委員 神幹事の示されたメニューは,かつてどこかで読んだ教科書の理想型を全部並べておられる観がありましたけれども,その中で立会いの問題について,神幹事は全事件ではない,被疑者が罪を認めている事件は除くと言われましたが,認めるかどうかという当初の取調べ自体が,弁護サイドからすると非常に重要なのではないのですか。そうだとすると,結局認める事件でも,あるところまでは立ち会わざるを得ないのであり,そういった事件も含めると,膨大な数の事件になることは否定し難いが,対応できるかというのが一つの現実論だと思います。   さらに,実際の効果として,立会権という形で規定をした場合に,その権利が有効に放棄されない限り,弁護人の立会いが得られないと取調べは一切できなくなる上,私はアメリカのことくらいしか十分に存じないのですけれども,アメリカの場合,弁護人が付いたら,先ほど酒巻委員が言われたように,弁護人立会いの形で取調べが行われることが実際にどれだけあるのかといいますと,ほとんどないというのが実態ではないかと思います。とにかく自己負罪拒否特権がありますので,弁護人が無能でない限り,「自分のいないところでは絶対しゃべるな。」と被疑者にアドバイスし,また捜査機関にもそう申し入れる。そうすると,捜査機関としては,取調べはほとんど諦めざるを得なくなるわけですが,どこで決着が付くかというと,その後,検察官と弁護人の間で交渉ないし司法取引がなされて,例えば,検察官において一等軽い罪に落として起訴するとか軽い刑を勧告するという合意が両者の間でできたら,そこで初めて被疑者の方は罪を認め有罪答弁をする,そういった進行になることが多いのです。そういうのが我が国として望ましい在り方といえるのかどうなのか,突き詰めると,そういう決断を迫られることがいくらでもあるわけです。取調べがほとんどできなくなってしまうとか,取調べの質が変わってしまうということを覚悟せざるを得ない問題であり,そういう選択をするのか,それとも,別の方策で取調べの適正さを担保していくのか,そういうことだと思います。   ですから,絶対的にこれしかあり得ないということはなく,いろいろな方策の組合せもあり得るわけで,そういうふうに考えていかなければ現実的ではないように思われます。   もう一つ付言しますと,身柄不拘束の原則を明示すべきだと言われたのですけれども,我が国の場合,全体として見ると,他の国に比べ,被疑者が身柄拘束される割合は非常に低いのです。恐らく,検挙人員のうち逮捕されるのは30%ちょっとだったと思います。もちろん,重大な罪の事件ほど身柄拘束率は上がりますけれども,諸外国,特にアメリカなどでは,ほぼ被疑者のほとんどが逮捕されるところから一連の手続が始まり,保釈などで徐々に比較的重い事件では6~7割が釈放されていくという経過をたどるという好対照な在り方です。そのような我が国の実情を前提にした場合,身柄不拘束の原則といったものをわざわざ法律に書かなければならないものかどうか,そういった視点からの検討も必要だと思います。   このように,教科書的なメニューを羅列するより,もっと現実に必要でインパクトのあるところに絞って議論した方が良いのではないかと思います。 ○宮﨑委員 私も余りインパクトがない意見かと思いますが,録音・録画を直接そのまま証拠に出すという制度は,弁護士立会いもない取調べ状況をそのまま録音・録画したものを法廷に出してくるわけです。裁判員裁判でも,我々は裁判員に予断偏見を与えないように,例えば,ネクタイを締めてもらおうとか,上着を着てもらおうとか,予断偏見を与えないために必要な措置を採り,しかもその横には弁護人がいて発言についてアドバイスをすると,こういう環境で審理をしているわけです。録音・録画が行われる取調べ状況は,ネクタイも締めていないし,もし立会権がなければ弁護士のアドバイスも行われない。勾留で疲れ果て,目は落ちくぼんで,何とか早く出たいと,こういうような形相でいるのに,一方,取調官はおいしいものを食べて元気に取調べをすると,これは見た目は明らかに,何となくこいつは悪い奴だと,こういう印象を与えかねないわけです。そういう取調べ場面をそのまま法廷に出すのであれば,やはり少なくとも弁護人の立会いが必要不可欠ではないか。このような制度と併せて実質証拠の問題は検討しなければならないと思います。   それから,二つ目が,取調べ時間の問題があると思います。取調べ時間を制約する仕組みとして,島根幹事によれば,国家公安委員会規則や訓令等によって取調べ時間の制限をしているとのことです。確かに,国家公安委員会規則では1日8時間という制限を課してはいるものの,署長の承認があれば延長できるわけです。取調べの可視化が行われましても,やはり録音・録画されない事件あるいは録画の対象とされない参考人の取調べ等々あるわけで,任意捜査も含めますと,取調べ時間が余りに長時間化することによる弊害は重大で,連日の任意調べで虚偽自白をした,志布志事件などもそうですけれども,そういう実例は枚挙にいとまがないと考えます。   国連の拷問禁止委員会からは,取調べ時間が長過ぎるということと,それに対する制裁がないということの改善について日本政府に対する勧告があったわけであります。こういうことを考えますと,日本の取調べの時間をもっと制約するという運用あるいは規則が必要なのではないか。しかもそれについては,制裁を含んだ規則が必要ではないかと考えます。   こうして取調べ時間が短くなれば,佐藤委員が弁護士立会いは,現実にはとてもできないとおっしゃっておられましたけれども,時間さえ短くすれば,弁護士立会権もきちっと充実したものができるのではないか,そのような取調べに,本部会の議論を契機として改善していくべきではないかと考える次第です。 ○後藤委員 取調べへの弁護人の立会いについて,先ほど神幹事から外国の状況について言及がありました。私の理解でも,EU諸国はほとんどこれを認めるようになったし,アメリカ,イギリスなど,いわゆる英米法諸国でも一般的に認めています。日本の周りでは韓国も台湾も認めています。そうして見ると,これを一切認めていない日本の今の制度が,国際的に見てかなり特殊なものになりつつあることは,認めざるを得ないと思います。それだけ特殊なルールを合理的だと説明できるような,日本に特殊な事情があるのだろうかという観点からの検討も必要ではないかと思います。 ○小坂井幹事 立会いの問題で1点,言っておきたいことがあるんですけれども,この部会では,根本的な変革を目指す部分と,異論がなくてすぐできる部分はやるという方向も打ち出す必要があるのではないかと思うんです。勾留質問の立会い,これは恐らくそう異論はない,分かりませんけれども,ないのではないかと思うんです。これは正に当人にとっては身体拘束が続くかどうかの非常に重要な局面であって,弁護人の援助・助言が正に必要な場面ですし,勾留質問する側でもそのことによって何か影響が生じる,弁護人の立会いで取調べにいろいろな影響があるという話が先ほどありましたけれども,そういう場面ではないように思われますので,これはまず異論のないことではないかと思うので,制度化を心掛けるべきではないかと思います。   それで,取調べの立会いの一般論なんですが,私自身もずっと,在宅調べなんかで立会いを要求しても,今まで認められたことは一度もございません。参考人取調べは代理人として認められることがあります。現に最近は増えてきているような気がするんですけれども,何が言いたいかというと,もちろん被疑者の場合は違うんだというふうに思いますけれども,井上委員がおっしゃったみたいに,果たしてアメリカのとおりに日本がなるのかどうか,これは厳密な意味で分からないので,立会いに関しても,今,後藤委員が言われたこととも関連しますけれども,もうそろそろきっちり,試行スケジュールをそれなりに立てていただいていい時期に来ているのではないか。   立会いに関しては,確かに幾つかの機能があって,まず監視機能ですね。これは単純に言えば人間カメラみたいなものですけれども,そういうレベルです。これはリアルタイムのチェックだということになるので,そういう意味で全過程録音・録画が事後的な全面検証になることとは,重なりつつもずれるところがあると思うんですが,そういう機能がある。一番大事なのが次の段階で,助言・援助機能だと思うんですが,これは取調べの場面であるか,あるいは一旦中断してもらって接見室でやるのか,それは制度の組み方はいろいろあると思います。更にそれが進んでくると,取調べに介入する,異議申し立てする,あるいは意見陳述すると,こういう幾つかの層があると思うんです。日本型の刑事司法でどれかのレベルだったらなじむということがあり得るかもしれないので,私は試行を試みるべき時期に来ているのではないかということを申し上げておきたいです。   それと,司法取引の話が若干出ましたけれども,恐らく被疑者が何らかの処分を迫られるような制度,迫られるような場面になれば,この場面は必ず弁護人の立会いが必要です。ここは忘れてほしくないなと思っております。 ○大野委員 弁護人の立会いということについて,何人かの弁護士の方が御発言されたので,検察官の立場から意見を申し上げたいと思います。被疑者の取調べに弁護人の立会いを認めた場合,弁護人が取調べに介入して取調官の質問を遮るとか,取調べの最中に被疑者に対して,例えば個々の質問に黙秘するよう助言することが可能になると考えられます。こういう中で,事実関係を否認している被疑者の弁護人としては,不利益な供述が応答としてなされる可能性がある質問がなされた場合には,被疑者に対して黙秘するよう助言することとなると予想されます。そうしますと,必要な説得・追及を通じて被疑者からありのままの供述を得ることなど期待できませんし,弁護人の助言によって被疑者が質問の一部又は全部に対して黙秘する中で,被疑者の供述が真実であるのか判断することも困難となって,取調べというのは現在の姿を全く変えることになるだろうと思います。   我が国では,現状として,日本人の国民性からか,大部分の被疑者は取調べに応じて何らかの供述をすることが多いわけですけれども,それによって被疑者の供述が真実かどうかを判断し,捜査段階における言わばスクリーニング機能を働かせることが可能となっています。   ところが,このような過程がなくなり,弁護人が立ち会う場合には取調べをそれ以上行うことを諦めるとすると,例えば,被疑者の供述以外の証拠によっては被疑者の関与が不確かであるけれども,被疑者から弁解等が得られれば,その信用性の判断を踏まえて起訴するかどうか適切な判断ができるような場合にも,被疑者から供述を得られないままひとまず被疑者を訴追しておくとの運用ともなりかねません。一定の嫌疑があればそういう運用をするということも考えられないわけではないという意味です。また,取調べの機能が喪失することに代えて,極めて大掛かりな捜査手法の整備あるいは処分権主義的な刑事司法への全面的な転換も併せて必要となり得るのではないかとも考えるところです。   外国の例も出されましたけれども,この部会で新たな刑事司法制度を現在と対比してどの程度変容させるものとするかということは,正に全体的な刑事司法のイメージの中で,その位置付けを決めていくべき問題と思っており,新しい刑事司法制度においても,取調べの機能が喪失してよいということにはならないと考えるところです。 ○本田部会長 まだ御意見はいろいろとあろうと思いますけれども,時間もございますので,取りあえず「(1)その他取調べの在り方」に関しては,ここまでにさせていただきたいと思います。   なお,時間もありますので,これから休憩を取らせていただきまして,休憩後に「(2)供述調書の在り方」から始めたいと思いますので,よろしくお願いします。           (休    憩) ○吉川幹事 それでは,再開させていただきます。   松木委員が所用により御退席をされました。なお,松木委員におかれましては,当初より途中退席も見込まれていたということで,御発言内容についてあらかじめメモを作成されて,事務当局の方にお預けいただいておりましたので,村木委員,安岡委員と同様に席上配布をさせていただきました。御参照いただきたく存じます。 ○本田部会長 それでは,引き続きまして,「(2)供述調書の在り方」についての議論に入らせていただきたいと思います。   この点に関しましては,諸外国では,捜査段階で述べられた被疑者の供述がどのような形で証拠とされるかなどについて参考にしつつ御議論いただきたいと思いますので,まずは事務当局から,本日お配りいたしました各国における供述調書等に関する資料を説明してもらいたいと思います。よろしくお願いします。 ○保坂幹事 それでは御説明いたします。   各国の被疑者の供述調書等について,当方で把握した内容です。資料30を御覧いただければと思います。各国の被疑者の取調べにおける作成書面,その際の供述録取方法,供述調書等の公判における取扱いについてまとめたものです。そのほか,参考資料として各国の供述調書等のサンプルを配布させていただいておりますが,取扱いには御留意願いたいと思っております。   まず,日本について御説明いたします。   作成書面については,刑訴法上,被疑者の供述は,これを調書に録取することができるとされておりまして,供述調書は,被疑者に閲覧させ,又は読み聞かせ,被疑者が誤りがないと申し立てたときは,これに署名押印することを求めることができるとされております。   供述の録取方法については,犯罪捜査規範や検察での通達等によりまして,原則として物語式で作成し,必要があるときは問答式で作成するということとされております。   公判における取扱いについては,検察官と被告人が証拠とすることに同意した場合は,作成時の情況を考慮して相当と認めるときに証拠とすることができるとされております。また,そのほか,供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするとき,又は特に信用すべき情況の下でなされたときは証拠とすることができるが,被告人に不利益な事実の承認を内容とする供述調書は,任意にされたものでない疑いがあると認めるときは,証拠とすることができないとされております。   次に,アメリカ(連邦)について御説明いたします。   作成書面については,供述調書作成についての法令上の規定はないようであり,実際,供述調書が作成されるということはほとんどなく,多くの場合,報告書が作成されているようです。報告書には,被疑者による内容確認や署名は必要とされておりません。   供述の録取方法については,報告書には供述の概要が記載されるほか,供述者の供述以外の証拠から判明した事実が記載されることもあるようです。   公判における取扱いについては,報告書は伝聞証拠であるため証拠として許容されないとされております。なお,被疑者が取調べにおいて捜査官にした供述については,捜査官が公判で証言する場合には非伝聞証拠として扱われるため,捜査官の公判証言で立証することが可能であり,報告書はその証言に当たっての記憶喚起に用いられているようです。   なお,参考資料1は,アメリカの報告書の一例です。   イギリスについて御説明いたします。   作成書面について,取調べについては,正確な記録が作成されなければならないとされておりまして,供述調書が作成されることはほとんどございませんで,否認事件や重大事案の場合には,取調べ状況を録音したテープを基にして,ROTI(Record Of Taped Interview)と呼ばれる取調べ記録ですとか,反訳書面が作成されるようです。そのほか,事件を問わず,SDN(Short Descriptive Note)と呼ばれる書面が作成されるようです。いずれについても,ROTI,反訳書面,SDNについては,被疑者による内容確認や署名は必要とされておりません。   供述の録取方法については,ROTIや反訳書面は問答式で作成され,SDNは供述のポイントだけが記載されるようです。なお,ROTIにおきましては,犯罪事実と直接関係しないようなやり取りなどは要約文で記載されるということになっているようです。   公判における取扱いについては,これらの供述を記録した書面,つまり,ROTIですとか反訳書面,SDNあるいは例外的には供述調書は,いずれも争点との関連性があり,強制等により獲得されたものでないことが証明された場合には,証拠とすることができるとされております。   なお,参考資料2-1はROTIの例,参考資料2-2はSDNの例です。   次に,フランスについて御説明いたします。   作成書面については,司法警察員・司法巡査の取調べや予審判事の尋問における供述について,供述調書を作成するとされております。供述調書は,供述人が閲読した上,署名するということになっております。   供述録取方法ですが,犯罪事実の関係は問答式で作成されるようですが,身上関係については物語式で作成されることもあるようです。なお,問答式におきましても,必ずしも一言一句そのまま録取するものではないようです。   公判における取扱いについては,供述調書そのものは証拠とされませんが,裁判官が公判廷で供述調書を読み上げたときには,その内容が事実認定に用いられるということになっているようです。   なお,参考資料3がフランスの警察官の調書の一例です。   次に,ドイツについて御説明いたします。   作成書面については,裁判官の尋問,すなわち捜査段階で検察官からの請求等により裁判官が被疑者に対する尋問を行う場合や,検察官自身が取調べを行う場合には,刑訴法上,供述調書を作成するということにされており,警察官の取調べについても,判例上,同じく供述調書を作成することとされているようです。供述調書は,被疑者が読み聞かせられ閲読した上で署名することになっております。   供述録取方法としましては,問答式と物語式の併用というのが最も多いようです。   公判での取扱いについては,供述調書のうち,裁判官の調書については,自白の証拠調べ等を目的として朗読することができるとされており,この場合,朗読された供述は,犯罪事実を認定するための証拠となるとされております。検察官や警察官の調書については,被告人がその内容となっている自白を翻した場合に,調書を読み上げてその内容を被告人に確認することがあるようです。   なお,参考資料4がドイツの警察官調書の一例です。   次に,韓国について御説明いたします。   作成書面については,検事及び司法警察官による取調べにおける被疑者の陳述は,供述調書に記載しなければならないとされており,供述調書は,被疑者に閲覧させ,又は読み聞かせ,被疑者が誤記がないことを陳述したときは,被疑者に署名又は記名捺印させるとされております。   供述の録取方法については,供述調書は問答式で作成されるようですが,必ずしもやり取りを一言一句そのまま記載するものではなく,適宜要約して録取するようです。   公判での取扱いについては,検事及び被告人が証拠とすることができる旨を同意した書類又は物は,真正なものと認めたときは,証拠とすることができるとされております。それ以外にも,検事調書については,適法な手続・方式により作成され,供述内容と同一の内容が記載されていることが被告人の供述又は映像録画物その他の客観的方法により認められ,供述が特に信用できる状態下でなされたことが証明された場合に,証拠とされ得るとされております。警察官調書については,適法な手続・方式により作成され,被告人又は弁護人がその内容を認めた場合に,証拠とされ得るとされております。被告人の陳述が,任意にされたものでないものは,証拠とすることができないということにもなっております。   なお,参考資料5は韓国の検事調書,これは被疑者でなく参考人ですが,その一例です。   被疑者の供述調書等についての御説明は以上ですが,参考人の供述についてどのような書面が作成されるのか,いかなる方法で供述を録取するのかについては,イギリスを除く各国では被疑者の供述の場合と同様のようです。どのような場合に参考人の供述調書が公判で証拠として用いられるのかについては,各国ごとに取扱いは様々です。なお,イギリスにおきましては,取調べにおける参考人の供述については,通常,物語式の供述調書が作成されるようです。 ○本田部会長 それでは,ただいまの御説明等も踏まえまして,供述調書の在り方に関しまして御発言を希望される方は,よろしくお願いいたします。 ○後藤委員 私の論点は,主として被告人以外の者の供述調書に関わるのですが,最初にそれを申し上げてもよろしいでしょうか。 ○本田部会長 結構です。 ○後藤委員 私の関心は,検察官の面前供述を記録した調書の扱いにあります。法律家の方はよく御存じですけれども,現行法には伝聞証拠禁止原則という法則があります。これは,人の供述を証拠にするときには法廷で証言してもらうのが原則で,法廷の外で得られた供述は使えないという原則です。ただし,法廷での供述が得られないような特別な事情があるときには,伝聞例外として供述を記録した調書などが使える仕組みになっています。検察官が取った被告人以外の者の調書については,刑事訴訟法321条1項2号がその要件を定めています。この2号は,他の書面に比べて検察官の取った調書をかなり優遇している,つまり緩やかな条件で証拠能力を認めています。   まず前段では,法廷での供述が得られないときには,ほぼ無条件で証拠として利用ができるとしています。検察官以外の調書の場合,例えば警察官の取った調書の場合は,特に信用すべき情況で得られた供述でなければならないという条件があるのに対して,検察官調書についてはそれが要求されていません。立法者としては,検察官は客観的に真実を探求して正しい供述を取ってくれるだろう,だから信用性があると推定できる,という考え方に立っていたものと想像できます。   しかし,実際の検察官の役割は当事者的なものなので,事件について自分の見立てに沿った供述を調書化しようとするのは,ごく自然な流れです。検察官がする取調べにもいろいろな段階がありますが,特に捜査の最後の方になってくると,検察官の作る調書は,言わば法廷での主尋問に代わる中身のものになっていきます。それは検察官の見立てが正しければ正しい供述になるけれども,見立てが間違っていれば間違った供述になります。村木委員が起訴されたいわゆる郵便不正事件にもその明らかな例が見えます。そもそも当事者である検察官がそうやってまとめた供述記録について,特に信用すべき情況があると推定すること自体に合理性があるのかどうか,深刻な問題として考えるべきではないかと思います。   もしそのような調書の供述に信用すべき情況があると一般的に推定できると考えるとすると,それは結局のところ,検察官の見立ては正しいだろうという推定を一般的にしていることを意味しないでしょうか。それはそもそも無罪推定の原則と合致しているかという問題があるように,私は思います。   それから,2号の後段は,検察官に対して語ったことと法廷で語った趣旨とが重要な点で矛盾する場合に,検察官に語ったことの方が信用できるという特別な事情があれば,それを証拠として採用するというものです。弁護士たちは,これについて,本来は特別な事情があるときに限って例外的にしか採用できないはずなのに,請求されるとほとんど認められている,つまり実際の運用では原則と例外が逆転しているという不満をしばしば述べます。   しかし,私は,そういう運用になってしまうのにはある種必然性があるのではないかと思います。というのは,まず前段の方で一般的に検察官の取った調書の供述は信用できると推定しているわけです。そうすると,後段の方でもまずその推定から出発するので,検察官に対する供述の方が法廷での供述より信用できる情況があるとされる場合が多くなるのは,必然的な流れのように思えるわけです。   そうすると,そもそもこの条文の前段と後段は論理的に整合しているのか,思想的に一貫していないように私は思います。これを根本的に見直す必要があるのではないでしょうか。   その代わりに,例えば,検察官からの第1回公判期日前の証人尋問請求の要件をもう少し広げることによって,裁判官面前供述を残す可能性を広げる方が合理的ではないかというのが私の意見です。 ○井上委員 今,後藤委員が出された御意見は,従前からいわゆる2号書面,検察官面前調書について,一部の学説などからの同号の規定に対する批判的な見方を基にしているのだろうと思うのですが,2号前段についての後藤委員の論理は,ある特定の断定を出発点として,しかも私から見ればかなり飛躍のある組立てになっており,論理的に果たしてそのとおりになるのか,検討が必要だと思います。   2号後段については,後藤委員の言われるように,優遇されているとも言えるのですが,1号の方を出発点として見ると,裁判官面前調書についても,公判廷で証人が,前に供述していたこととは違ったことを言ったといった場合に無条件で証拠とすることが認められており,これはそういう場面で前の供述を使う必要があるから認められているわけですね。それと同じような必要は,裁判官面前調書以外の形で前の供述が記録されている場合にも生じ得て,理論的には検察官の下で前の供述がなされた場合にすら限らないかもしれない,その中で検察官の下でなされた供述だけに限って,しかも裁判官の場合よりは厳しい条件の下で,使用を許したものという見方もできなくはない。ですから,一方の見方だけで決めつけることはできないのではないか。1号と同じような使い方をする必要性がないというのならともかく,必要性があることを前提にするならば,まずは,証拠としての使用のもう一つの条件である信用性の情況的保障の方について,現行の要件で十分なのかどうかという議論をするのが筋ではないかと思うのです。   そこのところについても,後藤委員の御意見ですと,前段についてと同様の断定を恐らく暗黙の前提としているので,要件自体ないしその運用が緩やかに過ぎるということなのでしょうが,そういった見方に対しては裁判所の方々には異論があるのではないかと思います。条文を見ていただくと分かるように,単に検察官の下での供述が特に信用すべき情況でなされたということではなく,公判廷での供述と比較して信用すべき情況ということなのです。そして,その要件の認定の仕方については,刑事裁判官であった方などが詳しく説明されていますが,公判廷での供述について,他の証拠や他の証人の供述とそご(そごべ)しているとか供述態度等から見て信用性がかなり怪しい場合に,それと比べて前の供述に相対的な特信性の保障があるかどうか,そういう判断をする。その結果として,証拠能力が認められてきたということであり,事実として,特信性が肯定されることが多かったため,弁護士さんの方から見れば,特信性の判断が緩過ぎるということになるのでしょうけれども,その点について検証を要するところがあり,直ちに後藤委員の言われるほど断定ができるものかは疑問です。   しかも,そこを問題にするならば,まずは,その要件の在り方ないしその運用を改めることを提案なさるのが筋であり,直ちに後段の規定自体を撤廃しろというのは極端すぎるように思います。 ○後藤委員 井上委員の御指摘に答えて1点だけ申しますと,必要性があるだけでは法律は伝聞例外を認めていないわけですね。例えば司法警察員が取った調書に比べると,かなり緩やかな条件で検察官の調書は伝聞例外を認めているわけです。そのことの問題を私は言っているわけです。 ○井上委員 私の申したのは,裁判官面前調書について証拠能力を認めていることからすると,自己矛盾供述の場合などに前の供述を証拠とする必要性があることが前提になっているはずで,そのことを前提に,検察官面前調書,あるいは理論的には,警察官ないし第三者の下での供述録取書ということもあり得ると思いますけれども,それらのどれについてどれだけの信用性の情況的保障というのがあれば伝聞例外として認めることが適切なのか,立法に当たってはそういう判断になるのであり,そのことからすると,2号の規定が緩いというのなら,その要件のどこがどうおかしくて,それをどう変えればいいのかという議論をまずするべきだろうということです。 ○小坂井幹事 理論的なお話が続いていて,私は非常に実感的なことを申し上げて恐縮なんですけれども,弁護的立場から言いますと,特信性で却下させるというのは,それは任意性よりもずっと難しい,ハードルが高いというのが従来の正に実感だと思います。最近,確かに若干変わってきている要素はないわけではないと思いますが,後藤委員は非常に理論的なところからおっしゃったんですけれども,こういう言い方をすると恐縮だけれども,今現在,検察官調書に対する制度的な類型的信頼感というものは,率直に申し上げてそれは落ちているわけですね。極端に落ちている状態です。今,正にそのことを起源としてこの特別部会が設置されたという要素が明らかにあって,供述調書に過度に依存する刑事司法を変えようというんです。ですから,当然,321条の1項2号なんてと言うと怒られますけれども,それは変えるんだ,あるいは削除するんだという方向性をこの部会として打ち出すべきではないか。私は,更に言えば,322条もいじる必要があると思います。   結局ここでは,「供述調書の在り方」という表題になっておりますけれども,先ほど露木幹事のおっしゃっていることは,360度回転して私と一致しているわけですが,つまり供述調書の廃絶の仕方を考えるべきです。もちろん全くなくなるかどうかは別問題ですが,供述調書というのは極めて質の良くない証拠であることが明らかになっているんですから,むしろ,在り方そのもので,ここをこういじる,ああいじるという議論も当然必要だと思いますけれども,むしろ廃絶することを考える。その場合には,先ほど井上委員がおっしゃったみたいに,それは録音・録画記録媒体,可視化記録媒体が最終的には取って代わるであろうという道筋を立てるのが筋ではないかと思っております。 ○周防委員 素人からの感想なんですけれども,調書裁判からの脱却を言うのでしたら,僕も2号書面については,いろいろな本を読む度に,なぜ,どうしてという,僕にとってはその合理性はやはりよく分からない。このことについてどういう調書の在り方がいいかと考えるよりも,これをなくすという方向を打ち立てないと,いつまでたっても調書裁判からの脱却なんかできないだろうと,そういうふうに僕は直感的にというか,正にこれこそなくしてほしいと真っ先に思った,調書裁判の最も嫌な面だというのが僕の感想です。 ○上冨幹事 供述調書をどういう要件の下に公判に顕出できるかという問題は,公判段階での供述と異なる供述が存在する場合に,それを公判に顕出する必要性がどれだけあるかという問題と当然密接に絡む問題だろうと思います。   先ほど井上委員がおっしゃいましたけれども,例えば321条について,1号で裁判官の面前における供述を録取した書面について,必要な場合には公判で使う場合があるということを認めている制度があって,今後,捜査段階での供述内容を公判に顕出する必要性がもし残るのであれば,同時にその問題は,公判における真実の供述をどうやって得るのかという制度の組み方と関連して議論した方がいいと考えられるように思います。   今後,いずれにしましても,次の次ぐらいの論点として,公判における審理の在り方の中で,公判で真実の供述をどう得るかということについても御議論がなされると思いますので,その点との関連も含めて,捜査段階の供述内容の顕出の在り方について議論をするという視点もあった方がいいのかなと思いましたので,付け加えさせていただきます。 ○本田部会長 あと御意見ございませんか。   それでは,「2 その他取調べ及び供述調書の在り方」に関する一巡目の議論はひとまずここまでとさせていただきます。   次に,「3 取調べ以外の方法による供述証拠の収集の在り方」について議論に入らせていただきたいと思います。この点につきましては,まず内容の関連性を重視することといたしまして,お手元の「進行イメージ」のとおり,司法取引,刑事免責に加えまして,項目の名前とは若干そご(そごに)することになりますけれども,取調べにおいて被疑者の供述等を得られやすくするための仕組みにつきましても,併せて御議論いただきたいと思います。   なお,これらの制度や仕組みは我が国では導入されていないと指摘されておりますので,諸外国の制度等を参考にしつつ御議論いただくのが有益と考えられます。そこで,まずは事務当局から,本日お配りしました諸外国の制度に関する資料を説明させていただきます。 ○吉川幹事 それでは御説明いたします。   まず,資料31-1を御覧ください。これは司法取引,刑事免責,それから取調べにおいて被疑者の供述等を得られやすくするための仕組みに関連して,主な諸外国で導入されている制度の概要を記載したものです。この資料に記載のとおり,これらに関連する制度は,大別して三つの類型に分けることができるように思われますので,各類型ごとに御説明いたします。   まず一つ目の類型は,実体法的な規定です。これは,自白,有罪答弁あるいは捜査協力により事案の解明に貢献した場合などに,刑を減軽し,又は免除する,そのための根拠となる規定が,刑法などの実体法だとか量刑ガイドラインと呼ばれるものに規定されているものです。具体例としては,アメリカやイギリスの量刑ガイドラインのほか,イタリアやフランスの改悛者制度,ドイツの王冠証人制度と呼ばれるものがございます。   そこで,資料31-2の各国別の記載を御覧ください。例えば,イギリスの一番上の部分を御覧いただきますと,イギリスでは,「有罪答弁による刑の減軽」という名称の量刑ガイドラインによって,有罪答弁をした被告人に拘禁刑を言い渡すに当たり,その他の加減要素を考慮して導かれた刑に関して,有罪を認める意思を明らかにした時期に応じて,原則としてそれぞれ刑の3分の1,4分の1又は10分の1の減軽を付与することとされております。   また,イタリアの一番上の部分を御覧いただきますと,同国の改悛者制度におきましては,概要を申し上げますと,一定の組織的犯罪等について,犯罪組織を離脱して,違法行為の発生の防止や犯罪行為の行為者の特定だとか逮捕のために決定的な証拠の収集に関して協力した場合に,その刑が減軽され得ることとされております。   なお,イタリアにおいては,この改悛者制度の適用に当たり,改悛者となる意思の有無等を確認するために,取調べとは別の手続として,捜査を目的とする対話という手続が設けられております。   このような実体法的な規定は,自白,有罪答弁,捜査協力により刑が減免され得ることを法律上明記することによって,被疑者等に供述等の誘因を与えるものとなるものと考えられております。   なお,実際にその規定を適用して刑の減軽や免除の恩恵・恩典を付与するかどうかは,基本的に裁判所の判断に委ねられることとなります。   資料31-1にお戻りください。二つ目の類型は,協議や合意と呼ぶべき手続的な規定です。これは,検察官と弁護人又は被疑者・被告人の間,あるいは裁判所を含めた三者間などにおいて協議を行って,被疑者・被告人側においては自白,有罪答弁又は捜査協力をすること,検察官側においては当該事件を不起訴とすること,あるいは特定の求刑をすることなどについて合意できるとする制度です。   具体的には,アメリカの司法取引やドイツの合意制度,イタリアの「当事者の請求による刑の適用」という制度などがございます。   再び資料31-2の方に戻っていただいて,アメリカの欄の中段を御覧いただきますと,アメリカの司法取引に関しての記載がございます。この司法取引は,原則として検察官と弁護人の間において,答弁合意,あるいは,非公式免責や不訴追の合意ができることとされております。   このうち答弁合意とは,被告人が有罪答弁等をするに当たって,検察官が,一つ目として他の訴因の撤回を申し立てること,二つ目として特定の求刑を行い,又は被告人が求める刑に反対しないこと,三つ目として特定の刑が当該事案の適正な処理である旨合意することなどを内容とする合意ができることとされております。   また,非公式免責や不訴追の合意とは,検察官においては,捜査協力を得るに当たって,その供述をその者の不利益に用いないとの事実上の免責を付与して,又はその者を訴追しない旨の合意をすることができるとするものです。   次に,ドイツの欄の中段を御覧いただきますと,ドイツでは,裁判所を含めた三者による合意制度があって,この合意においては,被告人の自白が構成要素として含まれなければならないとされています。そして,裁判所において,合意の有無に応じた量刑の上限と下限を示すことができることとされております。   なお,ここには記載しておりませんが,自白して合意することによる刑の減軽の程度は,20%から30%とするのが適切との指摘もなされているところです。   このように,アメリカとドイツでは,協議あるいは合意の主体に裁判所が入るか入らないかなど異なっているところがありますが,その背景としては,アメリカにおいては当事者主義が採られているのに対して,ドイツでは職権主義の下,裁判所が真実解明義務を負うとされていることも影響しているものと考えられます。   いずれにせよ,このような協議や合意の制度は,その制度の在り方にもよりますが,被疑者・被告人の側からすると,最初に述べた実体法的な規定による刑の減免の類型よりも,供述等をすることによる恩典についての明確な保障を得ることができますので,より明確な誘因を付与する制度と言うことができるのではないかと思われます。   なお,フランスに「有罪に関する事前承認のための出頭手続」というのがございますが,これは,被疑者が起訴されるべき犯罪について有罪性を自認したときには,検察官において,弁護人立会いの下で一定の軽微な刑を提案することができて,それを被疑者側が受け入れたときは,簡易・迅速な処理がなされることとされているものです。この制度は,他国の協議や合意にも類似しますけれども,比較的軽微な事件の簡易・迅速な処理を目的とした手続とも評価することができるように思われましたので,括弧付けで記載をいたしました。   再び資料31-1にお戻りください。三つ目の類型は,刑事免責の付与と呼ぶべき手続的な規定です。これは,裁判所等の言わば一方的な行為によって,捜査協力をした者に対して訴追免責や使用免責というものを付与することができるとする制度です。この訴追免責というのは,その供述に係る事件について,その者を起訴しない保障を与えるものであって,使用免責というのは,その者の供述をその者の刑事手続において不利に使用しないという限りの保障を与えるものを言います。このような刑事免責制度はアメリカやイギリスに見られるものです。   資料31-2ですが,アメリカの欄の下の方を御覧いただきますと,アメリカの刑事免責制度では,連邦裁判所などは,自己負罪拒否特権を根拠として証人が証言を拒んだ場合に,証言命令を発することができて,命令により強制された証言などについては,先ほど申し上げた使用免責が付与されることとされています。   また,イギリスの欄の中段の①,②に記載しておりますが,イギリスでは,指定検察官は,捜査又は訴追のため,書面で免責通知を付与して,証拠の使用制限を保障することができるとされております。   以上,三つの類型に分けて御説明しましたが,資料31-2にあるとおり,主な諸外国においては,これら3類型の全部又は少なくとも一部が導入されています。これらの3類型は,それぞれ別の制度・仕組みとして成り立ち得ると考えられますが,例えばアメリカにおいては,量刑ガイドラインが,司法取引の過程で,取引の言わば材料として機能していたり,また,正式な刑事免責制度のほかに,司法取引の過程で,検察官が事実上の免責を保障する非公式免責ということも行われているなど,実際に機能する上では相互に関連するものも少なくないと思われるところです。 ○本田部会長 ただいまの説明を踏まえながら,司法取引,刑事免責,取調べにおいて被疑者の供述等を得られやすくするための仕組み等に関しまして,御発言がございましたらよろしくお願いいたします。 ○酒巻委員 内容についてではなくて,私,学者なので,どうしても翻訳語が非常に気になるので,はっきりさせていただければいいことなんですが,「司法取引」という言葉がこれまでも多用されており,この資料でもアメリカについては「司法取引」という日本語が用いられています。しかし,これは審議会の資料なので,できる限り正確を期した方がいいと思います。他の国については,例えばドイツの「王冠証人」などは変な日本語ですけれども,原語がそのまま正確に訳されていると思います。これに対して,「司法取引」に対応するアメリカ語は私はないのではないかと思うんです。   確かに「司法」という言葉は,日本語でもマスコミなんか非常に緩やかな意味,例えば,裁判所や司法権の意味ではなく,広く「刑事司法過程」の意で使われています。恐らく「司法取引」という言葉は,余り深く考えずに,最初はマスメディアで使われた術語ではないかと思われますが,中身は,裁判所ではなく検察と被告人・弁護人との間の答弁についての合意と非公式の免責不訴追合意ということで,これには対応するアメリカ語があります。そこで,「司法取引」というのがそういういい加減な日本語だということは確認した上で,しかしかなり広く使われていますので,こういう意味内容だという了解の上で使うんだったら,僕は学者ですけれども許します。本来の「司法(ジュディシャル)」すなわち裁判官も最後は関与しますけれども,基本はネゴシエーションやバーゲインであり,しかも当事者がネゴシエーションして,最後に裁判官が公証人みたいにお墨付きを与えるという,そんな感じですので,これを「司法取引」と言うと,僕が裁判官だったら余りいい気持ちはしない。対応するアメリカ語は多分ないのではないですか。 ○吉川幹事 ありがとうございます。おっしゃるとおり,基本的に「合意」などと申すべきところでしたが,今,酒巻委員もおっしゃったとおり,一般的に「司法取引」という言葉が使われておりますので,この場において分かりやすい表現ということで使ったものですが,正確でないという御指摘を踏まえまして,そのようなものとして御理解いただきながら,御議論いただければと存じます。 ○井上委員 「司法取引」という語順ではないのですけれども,「取引司法」という言葉はアメリカなどでもあり,bargain justiceと言うんですけれども,その場合のジャスティスは,酒巻委員が言われたようなジュディシャル,つまり,裁判所ないし裁判による,あるいは関するという意味ではなく,「刑事司法」という場合のような広い意味での司法を意味するのです。より日常的には,答弁取引(plea bargaining)という言葉がありますが,我々のこれからの検討は,有罪答弁制度の導入ということを当然の前提にしているわけではありませんし,また取引的な方策も答弁取引に限られるわけではなく,その言葉はふさわしくないため,より幅広くカバーするものとして,便宜上,この言葉を使っただけだと思います。その程度に理解しておいて,具体的な制度を検討していくに当たっては,中身で表現すればいいのではないかと思います。 ○山口委員 内容に関連して発言させていただきたいと思います。   資料31-1の最初の1というところで,「実体法的な規定」と書かれておりますので,実体法的な観点から私の意見を述べさせていただきたいと思います。   ここでは,供述等の誘因となり得る制度として刑の減免を提示するというような考え方が書かれているわけですが,こういう考え方が,そもそも我が国の実体法の現在の考え方と相容れないということになりますと,こういうものを導入するためには大幅な考え方の変更が必要になります。   しかしながら,必ずしもそうでもないということを申し上げたいということです。つまり,専門家の方々には申し上げるまでもございませんし,一般の方々にもよく知られている自首という制度がございます。自首をいたしますと刑の減免ということがございますし,それから刑法上の犯罪について見ましても,偽証罪,虚偽告訴罪につきましては,自白をいたしますと,これもまた刑の減免という制度が認められております。この趣旨をどう理解するのかということにつきましては,いろいろあろうかと思いまして,自白するということ自体が責任非難を減少させるというような考え方もあろうかと思いますし,さらにそれだけではなくて,刑事司法のコストを削減する,あるいは誤って無実の人間が処罰されるというリスクをなくすというような刑事司法に関わる政策的な要請から,このようなものが認められているということも考えられるところです。したがって,このような言わばインセンティブを与えて,無理な取調べをすることなく供述をしてもらう,自白する,あるいは捜査協力にわたるような供述をしてもらうというのは,制度として十分に検討に値するものだろうと考えております。   しかしながら,その際には,弊害と言いましょうか,そういうものが全く懸念されないわけでもございません。例えば,虚偽の自白をするとか,無実の者を引き込んでくるというようなことが懸念されないではありません。   しかしながら,そのようなところにつきましては,どのような制度設計をしていくのかという問題でありまして,そのような形で解決することが可能かどうかということを十分に検討できるのではないか。   先ほど拝見しましたところ,ドイツ,イタリアでは,虚偽の協力に対する制裁というのも書かれております。したがって,刑の減免を求めて虚偽の捜査協力にわたるような供述をした,しかしながらそれは嘘であったというようなことが判明した場合には,それに対して制裁をするということも考え得ることかと思います。そういうことについて十分に検討した上で,このような制度を取り入れるということは十分考慮に値するものと考えております。 ○椎橋委員 先ほど諸外国の,司法取引や類似の制度について御説明がありましたけれども,アメリカなどでも,被告人が有罪答弁をすると事実認定が省略されて,直ちに量刑手続に移るということで,事件が効率的に処理されて財源も節約され,また,被告人も起訴事実よりも1等ないしは2等減じた軽い刑が科せられるということで,関係者全てに有利だということで,事件の80%ないし90%が有罪答弁制度によって処理されると言われております。その事件処理の前提として検察官と被告人(弁護人)との取引(協議)があります。   ただ,関係者全員に有利だというのも若干落とし穴がありまして,裁判で争おうと思っている人にとってはどうか。限界的な(争えば無罪になる可能性のある)事件の被告人についてはそうでない部分もあるとの見解もあります。ところで,例えば,ある事件で検察官が懲役5年で有罪答弁をしないかという提案をしましたが,被告人がそれを拒否して陪審裁判を受ける権利を選択して行使して,その結果有罪になったのですが,そのときに言い渡された刑が終身刑であったという事件が実際にあるわけです。懲役5年と終身刑ということになると非常に大きな開きがございます。その背景には,有罪答弁で処理しないで正式な陪審裁判を選択した場合に科され得る重い刑というもの,そういうリスクを覚悟して裁判を受ける権利を行使しなければいけない。また,極端な例としては,有罪答弁をした後,その州では刑法典にない罪名で有罪答弁をしたということが判明したと,これは極めて極端な例ですけれども,そういうこともなかったわけではない。こういう弊害を防ぐために,アメリカの多くの法域では,その有罪答弁が任意にされたものであること,弁護人が付いていたかどうか,それから,事実の裏付けがあったかどうかを裁判官が確認する,こういう制度が採られております。   それから,関連して,ゲーム理論で言う「囚人のジレンマ」という話がありますけれども,正確には「共犯関係にある被疑者のジレンマ」というふうに言った方がいいと思うんですけれども,いろいろな前提があるんですけれども,簡単に申し上げますと,銀行強盗した2人の共犯者がいますが,被疑者の自白がないと有罪にできない,するのが難しいという状況です。そういう中でその2人はどういう行動を取るか。2人が自白すれば2人とも5年の懲役が科される。一方が自白して他方が否認する場合は,否認した方は無罪になる可能性はあるのですが,有罪になった場合には,否認した方の人は8年の懲役判決を受ける。それから,両方とも否認をしたという場合は,両方とも無罪になる可能性がある。しかし,結局2人はどういう行動を取るかというと,両方とも相手を信用せずに自分の利益を考えた結果,自白して5年の刑を受けると,こういう行動を取るということであり,この理論によると,共犯者のそういうジレンマがあるということだそうです。   この話を読みますと,アメリカの司法制度の背景には,有罪答弁制度のプレッシャーというか,そういうものの存在が想起されてしまうのです。   ところが,我が国の場合には,アメリカのようなそういうプレッシャーというものは少ないと言うことができますし,いろいろなことを考えながら制度設計を工夫すれば,もし録音・録画ということによって取調べ機能が落ちて,十分に捜査ができないという事態に陥るということであれば,それに代わるものとして,あるいはその他の捜査手法との関連もありますけれども,一つの捜査手法として考え得る方法ではないかと思います。 ○龍岡委員 前にこの関連で発言しておりますので,少し付け加えさせていただきます。   この問題については,今,山口委員や椎橋委員から御指摘があったわけですけれども,今の刑事司法の事情から言いますと,裁判員裁判を円滑に運用していくためにも,刑事司法全体の負担をできるだけ軽減し,刑事司法を効率的に運用することも考えなければならないと思います。そういう観点から,司法取引,アレインメント制度あるいは刑事免責といいますか,言葉の定義の問題はあるでしょうけれども,こういった制度を取り入れていくことも考えられるのではないかと思います。   ただ,これらの制度については国民性の問題もありますし,椎橋委員の御指摘にもありましたようないろいろな問題がある。それぞれの制度について利害得失を十分考えて,手続的にしっかりしたものにしなければ,危険性もあると思いますが,手続的にしっかりしたものにすることができるのであれば,採用の可能性はあるのではないか。この段階で十分検討してみることにはそれなりのメリットがあるのではないだろうかと思います。これらの制度の採用は,真相解明や情状の面などの刑の点にも影響があると思いますが,それとともに,司法全体の運用をできるだけ効率的に,簡単なもの,問題のないものはそれなりの手続で済ませ,本当に時間を掛け,丁寧にやらなければならないものについて力を注ぎ,司法全体の負担を調整していくという意味でも,これらの制度を検討する意義があるのではないかと思います。   元裁判官の立場からこのようなことを特に申し上げるのは,いささか適当でないのかもしれませんけれども,そういう見方もあり得るということを申し上げておきたいと思います。 ○但木委員 今度の改革は,司法改革のベースの上に立っているんだろうと思うんです。何がかなり変わったのかと言えば,弁護士の数が増えていくことと,被疑者段階で国選弁護人が付くということが非常に大きなベースとなって変化したわけです。遺憾ながら正直言えば,弁護士の実力,マンパワーが十分あるのかということについては,絶対ありますとは言わないけれども,明らかに大きな流れはそちらの方向に行っているわけです。   そうすると,刑事手続の中で,今まで役に立ってきてはいるけれどもそれほど重視されてこなかった弁護士の方々を,こういう刑事手続の中でどうやって活躍していただくのかということがベーシックにはあるんだろうと思います。だから,あらゆる制度の改革にしても何にしても,弁護士さんたちがどのように働くのかということがかなり大きな問題として,全体に横たわっていると思います。   ただ,今は過渡期ですからいろいろなことがあるので,仕方がないなとは思いつつ,例えば,被疑者が自白してしまうことが弁護士にとって非常に不利だという感じ方をされている弁護士も大分おられて,しかし,自律的に被疑者が自分から自白したい,あるいは被害者の人に謝りたい,自分の人生をこれからやり直したい,そういう意思が自律的に生じている場合に,弁護士さんがそれを封じて黙秘しろと言うのは,僕は全然正しくないと思うんです。それは刑事司法の機能そのものとしておかしい。弁護士が本来果たすべき役割が,そういう役割なんだというふうに考えるのはおかしいのではないかと思います。   私は,捜査段階でも,あるいは公判段階でも,真実が維持されるということが非常に大事だと考えています。捜査官側が間違った見通しを持って,お前,この筋だなと言ってそれを押し付けるなんていうのはとんでもないことだと。それは誠にとんでもない。だけども,逆に真実,自分がやりました,そして自分は反省したい,自分は人生をやり直したいと思う人を止めるのも,大いに間違いであると私は思っています。やはり,人というものがどのように変わっていくのかということが,刑事手続の中で欠くことのできない要素としてあり得るわけです。   先ほど,諸外国のいろいろな制度が紹介されました。そのような諸外国の制度も参考にしつつ検討すべきことは,真実を法廷に出すためにどういう制度を作ったらいいのかということだろうという気がします。そして,大事なことは,今まで弁護人がいない中で被疑者の調べが行われてきたわけです。あるいは,「お前,罰金にするから自白した方がいいぞ。」とか,言ったとか言わないというのが多いからそういうふうになる。それは,弁護人がいない被疑者がずっと担いできた大きな荷物なんです。それを今,弁護士である弁護人が被疑者段階で付くようになった。これは非常に大きな進歩であって,逆に言えば弁護士の責任は非常に重い。つまりこの被疑者の運命を弁護士が引き受けるわけですから,その引き受けた弁護士が被疑者にどういう態度を取らせるかは,弁護士にかなり係る部分が大きくなったということです。それは,弁護士がよくよく,これからの刑事裁判というものはどういうふうにやっていくべきか,もう一度,権力対非権力という考え方だけではなくて,もっと大きなバランスを持って考えてもらいたい。刑事手続には,一方では,たくさんの被害者の人たちがいて,その人たちのために犯人を検挙して,それを罰しなければいけないという一つの任務がある。しかし,もう一方では,むこ(むこ,)の民を絶対に罰してはいけないという使命がある。その両方をどうやったら両立できるかということだと思います。   そういう意味で,これからの司法というのは,弁護士さんたちの活躍の場はたくさんあると思うんです。そういう意味で,アレインメントの制度も考えたらいいし,自白したら褒美を上げますという制度も,それはきたん(きたんそ)なく考えたらいいと思うんです。そういうことがいいと思えば,大胆に次の時代を展望して,それでやりましょうというのは全然構わない。   それから,アレインメントの制度にしても,それによって司法全体の荷物がうんと軽くなるわけです。そういうことだって非常に大事だし,アレインメントの制度に乗ってくれた被疑者・被告人に対しては,あなたのそういう貢献についてはそれなりに評価しましょうと,それは僕はあり得ることだという思いがいたします。   それから,刑事免責の問題なんかも,例えば組織犯罪などで,子分が親分のことを言うのは非常に辛いし,まして組織離脱だと命まで懸かってくるというので,それはそれでそのとおりだと思うんですが,そういう場合に,子分が自白を始めたとき,警察でそういう自白をし始めたと,そうした場合にどうしようかということで,警察官が検事に対して起訴前の証人尋問をやってくれという請求をやって,それで検事が裁判所に起訴前手続の請求をして,直ちに尋問をやってもらうというような制度を考えたっていいと思う。   頭を柔らかくして次の時代をどうするか。次の時代にふさわしい,過度に取調べあるいは調書に依存しない裁判というのを目指しているわけですから,刑事司法の問題をトータルに考えながら制度を検討していくべきだと私は思っております。 ○小野委員 刑事免責という仕組みと有罪答弁という仕組みと分けて考えておく必要があるとは思います。我々が実務で非常に苦慮する一つのケースでは,共犯事件の場合に,ある共犯者が引込み供述をするということがあり得ることです。そこは刑事免責の仕組みと密接に関連してくることがあって,先ほど御紹介いただいた外国の例などで,虚偽の供述に対する制裁などもあるというようにはなっていますけれども,現実にそういう共犯供述があったときに,それは虚偽なのか,どちらが虚偽なのかを判断するということは,なかなか難しいと思います。そのため,そういう制裁制度だけで解決するわけでもないだろうと思いますし,そういう意味では,その仕組みは慎重に検討する必要があるだろうと思っています。頭から反対しているということではありませんけれども,それなりの制度設計というか,それなりの仕組みが必要なんだろうと。   他方で,有罪答弁については,取調べの過程で弁護人がそこにいて,そして実際に,これはこれでいいんだというような仕組みとして大いにあり得るだろうと。それをどのように設計していくかということももちろんあるわけですけれども,今の刑事裁判は,「被告人は認めている。弁護人もそれでいいと言っている。後は情状である。」ということが,実際にはほとんどの部分を占めていることは間違いないわけで,それらの事件の解決の仕方の一つとして,有罪答弁制度によるということが考えられるわけです。その条件は幾つかあるんでしょうけれども,それも十分に考えられることで,具体的な制度設計として作っていく,弁護士会全体でそのことをきちんと議論したというわけでもないんですけれども,個人的にはそういった仕組みは大いにあってよろしいのではないかと考えています。その意味では,最初に言った刑事免責の問題とまた別に,きちっと区分けして考えていく必要があるかなと,そういうふうに思っています。 ○大久保委員 私自身は,生命・身体犯の犯罪者のように,被害者がいる悪質な犯罪者に対して司法取引が使われるということには反対です。もちろん,犯罪被害者のみならず,一般国民の立場から考えましても,犯人が自分が犯した犯罪の捜査に関する重要な情報を捜査側に供述したということで罪が軽くなるという制度自体,やはり理不尽で容認はできないことだと思います。また,犯人との取引によって,事件の効率的な解決が優先されて,真相解明や犯人の適切な処罰などがおろそかになったりするということがあるのであれば,事件の真相を知って適切な処罰を求めるのが被害者ですので,それは到底納得できません。   被害者は,起きた事実を全て知りたいと考えていますし,全て知ることができなければ,被害回復のための最初のスタートラインにも立てないんです。そのスタートラインに立つということもかなわないということであれば,捜査機関,ひいては国に対する不信の念と,犯罪者に対する憎しみがどんどん増大されていってしまいまして,被害者自身の苦悩は一生続くままになってしまいます。   被害者は刑事司法に期待をしているからこそ,辛い事情聴取に応じて,裁判にも参加をしています。それなのに,取引という形で犯人の処罰を軽くするなどという手法が使われるということには納得ができないわけです。   犯罪者は,司法取引に応じれば罪が軽くなると分かっていれば,司法取引ができるまで供述をしないということも出てくるのではないでしょうか。また,凶悪な犯罪者であっても,司法取引によって罪が減じられるとなれば,悪質な犯罪の防止が困難になったり,治安が悪化するという懸念も出てくるのではないでしょうか。国民や被害者が刑事司法に求めることというのは,事件の全容解明と犯人に対する適切な処罰です。その適切な対応結果の積み重ねが社会正義の発展につながって,そして一般市民が安心して暮らせる安全な社会が構築されることにつながるのだと思っています。   ただ,当部会の第5回会議のヒアリングに出席くださいましたオウム事件の假谷さんのように,司法取引をしてでも真相に迫りたいと考える被害者の方,あるいは未解決事件となっていて情報が全く入らない被害者の方たちというのは,本当に藁にもすがる気持ちで,どのような情報でもとにかく手に入れたいと考えている方もたくさんいらっしゃいますので,そういう方に対しては,捜査官との十分な連携の下,その被害者の方の実情に応じて,弾力的に運用する制度があってもよいのではないかということも考えます。   そのため,このような制度の検討に当たっては,対象となる犯罪をどうするのか,あるいはどのような場合に刑が軽くなるのか,刑を軽くするとしてもどこまで許容されるのか,例えば死刑が終身刑までとなれば,それは到底,間違ったことだと思いますので,具体的な手続をどのようにするのかなどということをしっかりと議論していくということが,この問題の場合は大変必要なことだと考えております。 ○井上委員 今,大久保委員が言われたこととも関連するんですけれども,事務局が説明された誘因となり得る三つの制度は,それぞれ性質が違うものだと思います。   そのうち3番目の刑事免責は,訴追機関ないし裁判所の一方的行為で供述者の自己負罪拒否特権を消滅させることにより,供述義務を負わせて供述させるという制度であり,それ自体としては取引的要素を含まないものです。そして,先ほど小野委員が言われた虚偽の供述のおそれを防ぐという点で申しますと,刑事免責にもいわゆる行為免責ないし訴追免責と使用免責の2種類があるが,現在アメリカなどでは,圧倒的多数の州の制度は使用免責になっています。供述したことはその供述者本人の不利な証拠としては使えない,あるいはその供述内容を手掛かりにして得られた他の証拠も使わないという意味での免責ですので,本当のことを供述すればするほど本人には利益になりますので,本当のことを供述させるインセンティブが大きい。これに対し,行為免責ないし訴追免責ですと,供述内容の詳細さや真偽のいかんにかかわらず,供述した事件についてはトータルに免責するというものなので,嘘を言ったり曖昧な供述に終始しても供述者の利益になるため,真実性が高く有用な供述を得るという点で逆効果になるおそれが大きいのです。ですから,刑事免責制度を取り入れるとすると,使用免責型のものとするのと,虚偽の供述をした場合にきちんとした制裁を科す仕組みにするということで,考えていく必要があると思います。   もっとも,この刑事免責という方法は,組織犯罪などでも実効性という意味では限られるかもしれません。組織の中でしゃべったら殺されるかもしれないという場合などには,むしろ供述拒否により制裁を科せられても殺されるよりましだと思う人が多いかもしれませんので。そのように限界はあるのですけれども,一定の有用な働きをすることは間違いないでしょう。   1番目の実体法的な方策は,有用な供述をしたことを酌量して有利に取り扱ってあげるというもので,それ自体としては取引的要素を必ずしも含まないもので,大久保委員が指摘されたような面もあるのですけれども,その程度は比較的小さい。   一番問題なのは2番目の取引であり,これに属するものの中にも,自分の罪について告白するのと引き換えに,一定の有利な扱いをしてあげるといういわゆる自己負罪型のものと,他の共犯者とか組織上位の者などについて有用な供述をしたり,情報を提供することと引き換えに有利な取扱いをしてあげるという,いわゆる捜査協力型のものと2種類ありますけれども,自己負罪型については,正に大久保委員が言われたような問題が出てきますので,どのような犯罪についてもそのような方策を認めても良いのか,適切なのかについて真剣な検討が必要とされるだろうと思います。   さらに全体にわたって,大久保委員が言われたことは重要な点で,対象犯罪の範囲について,被害者ないし国民感情という点からも,検討しなければならないでしょう。   もう一つの視点として,今,裁判員裁判では,量刑についても国民の感覚を反映させるという趣旨から,自白事件も対象にして,動き出しているわけですが,有罪答弁制度をそういう事件にも取り入れるとなりますと全部落ちてしまう。負担が軽くなるのは確かですけれども,裁判員制度の趣旨から見てそれで良いのかという視点からの検討も必要になると思うのです。   この種の方法については,さらに真実性の担保をどうするかも検討を要する点でして,それが過度になると,負担を軽減するということがほとんど無意味になっていまいますが,全く不要とすると,当事者処分主義になってしまいますので,それで良いのかどうか,特にそういうことが国民に受け入れてもらえるのかを考えなければならないでしょう。   最後に,弁護士会の方々も指摘されていることですけれども,これらの方策を取り入れる場合には,手続的担保をきちっとやる必要があります。取引についての手続をきちっと整備し,弁護人の助言を受けた上で理性的な選択をすることを可能にするということが必要になってくるだろうということです。   そういった課題を詰めて議論していくことが必要で,抽象的,一般的な議論で終始するのでは生産的でないと思います。 ○露木幹事 出尽くした感もあるので,重複するかもしれませんけれども,いわゆる司法取引ですとか刑事免責について,警察の立場から幾つか問題提起をさせていただきたいと思います。   一つ目は,大久保委員から正に御指摘のあったとおりですので,この場に香川県警の捜査員も来て,切々と,私たちは被害者のために捜査をしているというふうに申しておりましたけれども,被害者が納得できないような処理になってしまうという制度については,現場の捜査員の士気にも関わるのではないかということを私どもは危惧をしております。   二つ目は,これも大久保委員からお話がございましたけれども,制度設計の在り方とも関わるかと思いますけれども,ごね得のような事態が生じてしまうと,捜査にも支障が生ずるのではないかという点です。特に私の担当している暴力団のように,何回も捕まってくるという者は,事件慣れといいますか,捜査慣れをしていますので,ここまで頑張ればまけてもらえるというような打算が働いて,なかなか取調べに応じないとか,結果的には刑事処分をうまく科すことができないというようなことになるのは,避けなければならないと思っております。   三つ目は,井上委員からも少し御指摘がありましたけれども,供述者なり協力者の安全をどこまで確保できるのかという点であります。暴力団については,しゃべったら殺されるかもしれないということは想像しやすいことだと思いますけれども,例えば贈収賄とか選挙違反についても,私どもが実際に捜査でよく直面することとして,会社の担当者が自分は贈賄をしたということを供述すると,当然会社そのものが様々なペナルティを受けるわけです。本人が単に免責を受ければそれでいいということではなくて,会社自身が銀行から取引を止められてしまうとか,公共事業から締め出されてしまうとか,そういった別の,刑事的な制裁だけではない,他の制裁もありますので,刑事的な処分だけを免除すればしゃべりやすくなるかというと,そうでもありませんし,あるいは地域のコミュニティ社会で生きていけなくなると。選挙違反などの場合,特にあるんですけれども,そういう場合に,その人をどういうふうに処遇するのかということも考えないといけないと思います。そういう意味の広い安全対策ということになりますけれども,様々論点があるのではないかと思っております。 ○周防委員 付け加えるというか,一つ忘れてはならないのは,本日の村木委員のメモの「3 取調べ以外の方法による供述調書の収集の在り方」の最後の方に書かれていますけれども,私もこれをかなり実感として持っています。今,実際の取調べの中で様々な「利益誘導」,「取引」が事実上行われているのではないかという疑いは多々あります。少なくとも軽微な事件においては,人質司法の名の下に,認めてしまえば出してやるというような形の利益誘導というのは実際あるわけで,村木委員が心配しているように,こうした密室でルールがないまま,多分,警察関係者や検察関係者はそんなことないとおっしゃるかもしれませんが,ある程度の取引というものが密室の取調べの中で行われているのではないかという疑いがあるわけですから,制度化を考えて,きちんとルール作りをするということをここで一度考えた方がいいかなと。正に村木委員のメモの繰り返しになるかもしれませんが,私もそこを付け加えておきたいと思います。 ○佐藤委員 今のテーマに限局されないんですけれども,先ほど小野委員が言われたことと関わりがあって申し上げたいと思うんです。   今日議論されたいろいろなテーマ,新しい供述証拠の収集の在り方も含めて,調書の利用の在り方でありますとか,録画の義務付けをどの範囲までするかとか,2号書面の扱いをどうするか,ないしは2号の規定そのものをどうするかというようなもろもろの議論に共通に関わってくることですので,是非事務局に調べていただいて,皆さん共通の認識を持っていただくように配意をお願いしたいということであります。   それは何かといいますと,先ほど小野委員が言われたことそのものなんですが,現実の日本の刑事裁判は圧倒的に調書は同意されていると思うんです。自白事件が圧倒的ですし,調書は弁護人がほとんど同意をするということで公判は進んでいる。したがって,公判の回数は,実質審理はせいぜい2回ないし3回やれば多い方ではないかと思うのです。そういう裁判実態があるということをまず共通に持つべきではないかということを思いますので,法務省で把握されているだけで自白事件の比率,それから同意・不同意の関係である程度数字をつかむことができるだろうと思いますので,その実態。それから裁判の実質審理の回数,それから裁判員裁判になってそれがどう変化したか,この辺りも含めて参考の資料,数字を是非提供いただきたい。次回で結構ですので。それを前提にして,そういう知識を持った上で議論を進めていくべきではないかと思いますので,どうぞよろしく御配意方お願いいたしたいと思います。 ○本田部会長 ただいまのお申出については,検討させていただきたいと思います。 ○川出幹事 ここに挙げられている制度を導入すべきかどうかを今後議論するに当たって検討すべき具体的な点について,これまでの議論でほぼ出てきていると思いますが,幾つか付け加えさせていただきたいと思います。   第1に,司法取引については,何を取引ないし合意の対象とするのかという点を考える必要があると思います。配付資料を見ましても,例えば,アメリカとドイツでは,同じく合意による手続といっても,合意できる事項が異なっていまして,これは,そもそも取引ないし合意によって処理できる対象についての考え方の違いに由来するものだと思います。この点は,司法取引を日本に制度として導入する場合に,それが,従来,刑事手続の基本的な原則とされてきたものと適合するかどうかということにも関わってきますので,その許容性という観点からも,検討されるべき問題であろうと思います。   第2は,取引ないし合意に裁判所がどのように関与すべきかです。先ほど,アメリカでは裁判官は合意に関与しないのに対して,ドイツでは裁判所が合意に関与するという御説明がありましたが,アメリカの場合,連邦は確かにそうなのですが,州によっては合意に裁判官が関与するところもあるようです。その意味で,一律に,当事者主義だから裁判所は関与せず,職権主義だから関与するということではなく,関与を認めることと認めないことのそれぞれの功罪を考えた上で決定されるべきことだと思いますので,この点も,日本にこうした制度を導入するとした場合には,検討すべき課題の一つになるだろうと思います。   最後に,これは既に関連する御発言もあったことですけれども,司法取引の形を取るにしろ,実体法上刑の減免規定の形を取るにしろ,例えば,自己の罪を認めた場合に,刑を軽くするという場合,そうでない場合との刑の格差をどのくらい認めるかという問題です。供述を誘因するためには格差をつけることが不可欠ですが,そこに限界はないのかということです。これは,そのような格差をつけることが実体法上正当化できるかということと同時に,合意ないし自白が任意になされることを担保できるのかという手続法上の問題にも関わってきますので,その幅を制限する明文規定を置くべきかどうかを含めて検討する必要があると思います。 ○後藤委員 自分の罪を認めるような取引について,私の考えていることを申し上げます。取引によって罪を認めることが,各関与者にとっていずれも利益をもたらすとすれば,それはおのずと生じるでしょう。つまり法律が認めたから取引ができるのではなくて,おのずと生じるものであって,現に日本ではそういう処理は行われていると思います。既に御指摘があったように,多くの事件は自白事件として処理されています。その自白事件の処理は,突き放して客観的に見れば取引的な要素を含んでいることを否定できないように思います。だから,私は取引はいけないという建前論は余り現実的ではないと考えます。   ただし,取引を顕在化させたときに,もしかすると,取引に応じない人は非常に重い刑罰を受けるということが起きるかもしれません。これは,先ほど椎橋委員の御指摘にもあったところです。一方で,例えば取調べの可視化などによって自白追及が制約される。裁判員事件だと結構無罪判決が出たりして,結果の予測が難しいということになってくると,検察官にとっては有罪判決を確保するために,取引をしてでも被告人に罪を認めてほしいと感じる動機が強くなってくる可能性があります。そうすると,取引に応じさせるために,逆に,妥協しないで争って結局有罪になった被告人に対して重い刑を科す,取引材料を確保するために争って有罪になったら重い刑を科すことによって,争ったらこうなるんだぞという形を作るようなことがあり得ます。私は,現にアメリカでは,そういう傾向がかなり強く現れているように思います。やり方によっては日本でもそういうことが起こり得るかもしれません。それは刑事政策として合理的ではないので,権利行使して争った人がそのために重く処罰されるような結果は避けたいと思います。   どうやったらそれが避けられるかは,課題です。私にもどうしたらよいという名案があるわけではないです。井上委員もおっしゃったように,罪種を限定するようなことも一つの方策になり得るかもしれないと思います。 ○宇藤幹事 時間も限られておりますので一言だけということですけれども,先ほどから,刑事免責やいわゆる「司法取引」等に関わる制度といっても,様々に特性があるとの指摘がありました。その中で,何のために供述を得るのかというところがもう一つの議論としてあり得ると思います。本部会でのこれまでの議論も,大きく分けると,公判で使用できる供述証拠の獲得と,捜査段階での手掛かりとしての供述の獲得に関するものがあります。今回の話についても,供述を証拠としてどう取り扱うかということを意識しているのか,それとも必ずしも証拠として用いられないが,より効率的な捜査のための供述を得るということを念頭に置くのかということにより,どのような制度を選択し,作り込むかというところが異なってきます。そのため,これらの点を常に意識しておく必要性があるだろうと思います。 ○本田部会長 まだ御意見はあろうかと思いますが,そろそろ閉会の時間になりましたので,本日はここまでとさせていただきたいと思います。   本日は,論点2はここでひとまず終わりといたしまして,次回は「論点3 客観的証拠の収集の在り方」と「論点4 公判段階の手続の在り方」に関する議論を行いたいと思います。具体的な議事次第につきましては,更に検討させていただき,事務当局を通じて追って連絡いたします。   なお,本日の議論につきましても,次の期日までに私の方で概要をまとめてお示しさせていただきたいと思います。   これにて本日の議事を終了いたしたいと思います。   なお,本日の会議につきましては,特に公表に適さない内容に当たるものはなかったと思われますので,発言者名を明らかにした議事録を公表することにさせていただきたいと思います。   次回の日程は6月29日金曜日,午後1時30分を予定しております。場所は本日と同じ法務省20階第1会議室にお集まり願います。   それでは,これで本日は閉会いたします。どうもありがとうございました。 -了-