法制審議会民法(債権関係)部会 第3分科会           第4回会議 議事録 第1 日 時  平成24年7月10日(火)自 午後1時04分                      至 午後6時08分 第2 場 所  東京地方検察庁会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事 (次のとおり)           議        事 ○松本分科会長 それでは,定刻を2,3分超過しておりますが,法制審議会民法(債権関係)部会第3分科会の第4回会議を開会いたします。   本日は,御多忙の中を御出席いただき,誠にありがとうございます。   本日は,第3分科会の固定メンバーのほかに,岡正晶委員は2時頃に御到着の予定ですが,中井康之委員,三上徹委員,山本敬三幹事が出席されておられます。   では,本日の会議の配布資料の確認を事務当局からお願いをいたします。 ○筒井幹事 本日の会議用の資料として,分科会資料6を机上に配布させていただきました。この資料の内容は,後ほど関係官の笹井から,該当部分の審議の際に説明をいたします。それから,中井康之委員の御紹介で,大阪弁護士会民法改正問題特別委員会有志の方々から「債権譲渡禁止特約及び将来債権譲渡についての条文提案」と題する書面を御提出いただいております。 ○松本分科会長 本日は,部会資料37及び41掲載の論点のうち,分科会で審議することとされたものについて御審議を頂く予定です。具体的には,まず,部会資料37掲載の各論点及び部会資料41掲載の各論点のうち,「第1 契約に関する基本原則等」の中の「4 債権債務関係における信義則の具体化」を御審議いただき,15時25分頃を目途に適宜,休憩を入れることを予定しております。休憩後,残りの論点について御審議いただきたいと思います。   それでは,まず,部会資料37の「第1 債権譲渡」の「2 対抗要件制度」のうち,「(3)債務者の行為準則の整備」について御審議を頂きたいと思います。事務当局から御説明をお願いいたします。 ○松尾関係官 部会資料37の19ページを御覧ください。この論点については,第45回会議で審議がされました。   まず,ア,イにつきましては,これに賛成する意見がありました。また,イにつきましては賛成する御意見のほかに,イの提案に加えて,同時到達の場合以外にも供託原因を拡張することを検討すべきであるとの意見がありました。ウにつきましては,規定を設けることに賛成する意見がありましたが,これに対して弁済を受けた譲受人の負担を考慮すべきであるとの指摘がありました。 ○松本分科会長 ありがとうございました。   それでは,ただいま御説明されました点につきまして,どうぞ御自由に御発言をください。 ○高須幹事 趣旨の確認なのですが,イのところ,今,出ました供託のところでございまして,同時に到達した場合について供託をというようなことが一つ想定されると思うんですが,いわゆる先後が不明な場合,先後が不明で結果的にいずれに払っていいか分からない場合について,従来は債権者を確知することができないということで,供託が実務上,認められると思っておるんですが,その取扱いを前提とした上で,今回,同時到達のみ規定を設けるという意味なのか,それとも先後を決することのできない場合をも対象として,供託できるという趣旨で明文を置こうという意味なのか,御趣旨を明確にしていただければと思います。 ○松尾関係官 資料の前提としましては,先後不明の場合については現在と同様に債権者不確知を原因とする供託を認めつつ,さらに,同時到達の場合には現在,供託が認められていないので,この場合についての規定を別途設けてはどうかということでございます。 ○高須幹事 分かりました。ありがとうございました。   口火を切らせていただくという趣旨で発言させていただきますが,アのところに関しては部会でも弁護士の委員・幹事から説明がありましたように,基本的には弁護士会は賛成という立場です。ただ,アの点は,結局,どのような考え方で第三者対抗要件を定めるかいうことに関連していますので,ここでは必ずしも具体的な規律ではないものですから,抽象的に賛成ということだと思っておりまして,本日もそのような意見でございます。   イのところについては,先ほど質問させていただいたわけですが,ここは私個人の意見でございますけれども,基本的には現在の実務では,同時に到達した場合については判例法理がいずれかに払うべきであると,支払を拒むことはできないと,こういう判例法理でございますから,供託はできないというのが現在の取扱いである,御指摘のとおりだと思いますが,それを改めて供託を認めたほうが好ましい,この場合には混乱状態の中で,債務者がいずれに払っていいかをちゅうちょするという場面が相当あると思っていますので,ここで規定を設け,供託を認めるということには賛成でございます。それ以外の先後不明の場合等についても,供託をさせるべきだと思ってはおるんですが,それは従来の供託実務でも認められておるということですから,必ずしも立法的手当をしなくてもよいということでございますから,そこは強い意見はなくて,いずれにしても供託ができる方向であればよろしいのだろうと,このように思っております。   それから,ウのところに関しましては,弁護士会は基本的には甲案のほうが強いわけでございまして,先般の部会での議論の中でも,結局,按分の額の償還ということについて,それをしなければならない譲受人の負担ということが一つ問題になるとは思ってはおるわけですが,基本的には債権者の平等というようなことを考えたときに,甲案でよろしいのではないかと,私も負担ということを考えたときに,根拠というものをどうするかのことで迷っておるところではありますけれども,やはり,甲案でいいのかなと思っております。 ○鎌田委員 細かいことで恐縮ですけれども,今の話に関連するんですけれども,アの②のような規定ができると,先後を決定することができない場合であっても,債権者不確知にならないので,供託は現在の考え方でいくと許されないということになりそうですから,イは,ア②のうち同時到達の場合に限るというのではなくて,アの②が採用されたのならば,ア②の場合にはとしたほうが論理的には整合性があるように思います。 ○高須幹事 今の鎌田先生の御指摘はそのとおりだと思います。従来の判例法理自体が平成5年の判例だったと思うのですが,先後不明の場合も同時到達と同様の取扱いをするということにした。そこで,もしかすると,その段階で供託ができなくなる余地があったとは思うのですが,ただ,供託実務はその後も供託を認めているということで,やや中途半端な処理をしておるのだろうと思います。そういう意味では,より明確な形で整理するということはあってもいいというか,分かりやすいという意味では,そのほうがよろしいかと思います。 ○松本分科会長 分かりやすくするということの趣旨は,先ほど出ているような先後不明の場合についてもイと同様にするということですね。 ○高須幹事 そのほうが供託できるという趣旨が,明確になるのではないかと思いましたということでございます。 ○深山幹事 趣旨や考え方は高須先生や鎌田先生と全く同じであり,分かりやすさというのは債務者の立場で分かりやすいということだろうと思います。そのこと自体も大事なんですが,実務的な感覚で申し上げると,供託実務というのは必ずしも安定的で統一的ではないという認識を持っています。というのは,個々のケースあるいは個々の法務局の判断によって,不確知という問題一般についてもそうですし,特に到達の先後の判断について,必ずしも統一的な扱いはなされていないのではないかと感じています。   そういう意味で,これは理屈の問題というよりは実務の運用の問題として,やや供託実務に混乱が見られるように思います。それを立法によって解消するという意味合いが非常に大きいのではないかと思いますので,そういう観点からも,②の場合,同時到達の意味合いを広く解釈すれば同じことですが,単純に同時到達であることが明らかである場合以外も含めて,どちらが優先するか決し難い場合に供託できる道を一定の要件の下に認めるという規律が望ましいのではないかと考えております。 ○松本分科会長 鎌田委員の御指摘との関係で,イの文言が「上記ア②のうち,複数の譲受人が同時に第三者対抗要件を具備した場合には」と書いてあるんですが,アの②は「先後を決することができない場合は」なので,部会資料の前提は先後を決することができない場合の中に,明確に同時に具備した場合も含まれるという論理構造になっているのでしょうか。つまり,アの②のほうが広くて,イはその中の一部であると読めるわけですが。 ○松尾関係官 今,分科会長がおっしゃったことは,結局,第三者対抗要件をどのように見直すかという問題と関係すると考えております。要するに,今回の部会資料で提案した登記優先ルールのような考え方が採用され,登記の先後で優劣を決するのであれば,論理的には先後不明ということはあり得なくて,他方,同時到達ということはあり得るということになると思います。そういう意味では,そういう場合にはアの②の「先後を決することができない場合」と,イで新たに供託することができるようになる場合とは同じになるのではないかと考えておりました。   他方で,現在の対抗要件制度が維持されるのであれば,松本分科会長がおっしゃられたとおり,アの②の「先後を決することができない場合」の中の一つとして,同時到達の場合が含まれることになると考えておりました。その場合には,鎌田部会長からの御指摘について,更に考えなければならないと思います。 ○松本分科会長 今までの議論では,イについてア②の中から更に限定しないほうがいいという御意見が複数から出されたと思いますから,ア②に該当する場合については,供託できるものとするという案の支持者がかなりいらっしゃるということかと思います。ウについては高須幹事が甲案を支持だと御発言されましたが,この点についてほかの委員・幹事の皆さんは,御意見はございませんか。 ○沖野幹事 遅参をいたしまして,高須先生の御意見をきちんと確認しておらず,申し訳ないのですが,ウの甲案によった場合に,その他の債権の譲受人や差押債権者がどれだけいて,債権額が幾らあるかというのは一気に分かるとはもちろん限らないわけですけれども,そうしますと,一旦,請求に応じて按分した後,また,別の者から請求があったときは,それに対して改めて払うとともに,一旦払い過ぎた分を取り戻してくると,そういう規律をウの甲案では考えられており,それを含めて御賛成というお考えなのでしょうか。そういうものだと非常にややこしくなるので,割り切って何の規定も設けないというほうがよろしくないかと考えておるものですから,その観点から伺いたいと思います。 ○高須幹事 全ての債権者が倒産手続のような形で規律ができないということは,従来から指摘されているとおりで,その場合に,今,沖野先生から御指摘のように常にやり直すということになると,確かに相当の負担が伴うなという実感は持っておるんです。その意味では,甲案を徹底することは難しいのかなと。   ただ,一方で,実際の事件の中において,五月雨的に次から次と出てくるというケースがどれだけあるのかなということは,実感としては,そう多くはないような気がしておりまして,そういう意味では,全く何の規律もしないよりは甲案の規律をして,今のように次の者が出てきた場合に,何らかの形で対応は取らねばならないとは思っておるのですが,その必要性と,それから,今,先生から御指摘いただいた弊害というか,大変な負担が付いて回るという部分は,それほど大きなことにはならないのではないかという,余り根拠がなくて申し訳ありませんが,そういう実感を持っておりまして甲案と申し上げた次第です。やや中途半端な,理論的には詰めていない言い方で申し訳ないと思っておるんですが,私としてはともかく甲案で処理をして,今のように際限なく再分配が続くみたいな事態が生じた場合は,何らかの形で遮断する法理を考えていくしかないと思っております。十分な答えになっていないかもしれませんが,そのように考えております。 ○中井委員 ウの問題については,部会のときに弁護士会の意見として甲案支持と申し上げたところ,確か中田委員から,今の沖野幹事と同じ意見が出たかと思います。そこで,中田委員,沖野幹事がどうお考えなのかですが,上記ア②の場合における譲受人間の権利については,実体法的には債権額按分に帰属するという考え方に賛成されるのか,賛成されないのかをまず確認させていただきたい。賛成するとした場合に,甲案であれば確かに最初は二人と思っていて二人で分けたところ,実は三つ同時到達だったときにどうするのかという問題提起だと思いますが,甲案のように償還しなければならないと書いてしまうから,そういう問題が生じるので,仮に実体的には債権按分だということを御承認いただけるのであれば,ここの規定ぶりとしては実体的には債権按分だという規律のみ書くことによって解決できないのか。二人と思った人たちは二人で分けるでしょうし,二人で分けた後,三人だということが分かれば実体的に三人ですから,その三人の間で調整すればよろしい。二人が返すのか,一人が返すのかは実体的権利関係の帰属によって決まる,このように考えることはできないか。つまり,甲案のように「償還しなければならない」と書くのではなくて,債権者は債権額に応じてその権利を取得する,若しくは帰属しているということを確認する,そのようなことは考えられないのでしょうか。 ○沖野幹事 二つの点を申し上げます。一つは甲案の考え方によりつつ,債権者の帰属や権利関係を書き,それを実現するのにどうするかは,その解釈に委ねるということなのですが,実体的にどのように書くのか。帰属すると書いてしまいますと,そもそも債務者に対して全額請求をできないのではないかということにもなりかねません。債務者に対しては全額請求できるという地位はそのまま保持した上で,そうすると,結局,内部求償割合ということにならないでしょうか。規定のイメージを十分つかめていないのは,私の理解不足のせいかもしれません。   もう一つの点ですけれども,確かに実体関係として複数の権利者が全額請求ができて,しかも,1回,取ってしまえば債務者としては免れるというのを例えば一種の連帯債権あるいは不真正連帯債権と考えるとすると,その後の求償の問題というのが考えられるのではないかと思います。それは実体的に両者が全額請求できる権利があるということが前提で,しかし,債権は総額が決まっていてということからすると,一旦,一人の人が取ってしまえば分けるべきだというような法律関係であると考えるのは,自然は自然だとは思うのですが,しかし,取ってしまうと,もはや終わりだという考え方もできるのではないかと思います。供託がされて最高裁のケースのように判決で割合も明らかになっていて,あとは供託金の還付請求権をどちらが取るかという問題だという形で明らかになっているのであれば,それはまだ後の問題が出ないのかもしれませんが,後々に更に再分配といった分からない法律関係を抱え込むよりは,所詮,判決等を経て権利関係が明らかにならない限り,あるいは供託金の還付というような形になっていない限りは,かつ債権者間に特に特段の共通の団体性などもないような場合であれば,それ以上は取れない。それを分けようとするなら,むしろ,別の制度でその弁済を受けたこと自体を否定してくるような制度によらざるを得ないという割り切りもできるのではないかと考えているんですけれども。お答えになっていないのかもしれません。 ○松本分科会長 乙案の立場というのは,ある譲受人または差押債権者が弁済を受ければ,それで,その債権関係はおしまいということで,他の譲受人または差押債権者は何の権利もなくなってしまうという趣旨なのか,それとも乙案はそこまでは言わなくて,判例が甲案の立場を採るのなら,お採りくださいという立場なのか,どちらなんでしょうか。積極的に甲案を否定するルールという意味での乙案なのか,そうではなくてオープンで,甲案でも構いませんという乙案なのか。 ○松尾関係官 私は,乙案を採用するということは,解釈に委ねるという意味だと理解をしております。 ○松本分科会長 つまり,現在の状態をそのまま維持していくと。ただ,沖野幹事の先ほどの御説明の中には,もう少し積極的な乙案の支持が。 ○沖野幹事 おっしゃるとおりですけれども,私自身もむしろ乙案自体の理解としては,松尾関係官がおっしゃったように,規定を置かなければ,解釈に委ねられるということになるのだろうと考えております。玉虫色の解決ではあるとは思いますけれども,なおどうなるのかという解釈は残るということで,ですので,その点の理解は同じつもりです。ただ,個人的に私自身はどう考えているかというと,終わりと,基本的には取ってしまえば終わりということでいいのではないかという考え方を採っているということです。 ○中井委員 供託の場面だけを考えて,この提案どおりだとすれば同時送達のときのみとなります。同時送達のとき,いずれに払ってもよいと一方にあり,他方で供託してもよく,供託した場合については最高裁の判決があるから,その債権額按分となる。だとすれば,供託できるにもかかわらず,供託せずに一方当事者に払ったときの実体的関係について,共通の理解が得られるのであれば,決めるべきではないか。沖野幹事の話によれば,供託のときは按分だけれども,一方当事者に払えば一方当事者が取り切りなのか,それとも,供託の場合と同じような形で按分するのかは解釈に委ねると,こうおっしゃったわけですね。 ○沖野幹事 乙案の下ではそうなりますね。 ○中井委員 でも,そうすることは供託すれば按分だけれども,供託しなければ規律がなく放置していいのか疑問を持ちます。弁護士会として甲案に賛成したのは,判例の供託した場合の債権額按分というのは供託の場合に限らず,適用されるべきという理解で,それが共通認識になるべき原則ではないかと考えるからです。 ○高須幹事 やや共通するところなのですが,債権譲渡の場面,いわゆる正常型の債権譲渡が増えてきたということはもちろんあるとは思うんですが,しかし,まだまだ,社会の実態の中にはイレギュラーのケースでの債権譲渡がなされているという実態があります。このとき,執拗な取立てという動きが出てくるというのはまだまだかなりあるのだろうと思いますし,やがてはこのようなケースがなくなるはずだと楽観することもできないのではないかと思っています。そうしますと,債権譲渡が競合したような場合で,特に同時送達だった場合に先に受領してしまった人が結局は全部を取得し得るみたいな余地を残しますと,ただでさえ混乱している場面において,その混乱に拍車を掛けるのではないかという気がしております。供託してしまえば債務者はその混乱から逃れられるということはあるのですけれども,全てが全て,供託という形を取れるかどうかも心配の面もございますので,ここは早い者勝ち式の原理を導入しないほうがよろしいのではないか。   先ほど沖野先生から御質問いただいた問題点で,解決はまだ何もできていないわけなのですが,さりとて,早く回収してしまえば,それでよしというようなルールを法的にも容認するようなことは,一定の場面においては危険なことがあるのではないかと,そのようなことを考えました。その意味で甲案を基に何か工夫をして,さっきの再分配の問題については,何らかの解決ができないかどうかということのほうが,よろしいのではないかと思っております。 ○沖野幹事 幾つか伺いたい点があります。一つはウの甲案を採るということは,一体,権利者が誰か,全く手掛かりのない債権者が自分は対抗要件も備えたということで普通に権利行使をしたところ,後から償還請求を受けて,しかも,その範囲がどこかは全く不明のままであるという地位の中で,分配の負担あるいは取り戻してくるという,そういう負担を全て負わされるということですよね。しかも,それが連鎖する可能性がある。それを封じるということになると,なぜ,そこで封じられるのかという問題も出そうです。一方で債務者についてはそうはしないわけですよね。つまり,債務者に対しては誰もが全額請求できて,しかも最も情報がいっているのは債務者です。どういう対抗要件を備えた人がどこにいるかということについては,現行法の下での債務者をインフォメーションセンターとする制度が維持されるのであれば。そうであれば,債務者の下で分配するほうがよろしいようにも思われるんですけれども,それが,しかし,否定されるのはなぜでしょうか。債務者の資力不足,債権の回収の取りはぐれの可能性があるので,いち早く一人について権利行使をさせて確保させる必要があるからなのでしょうか。それとも,債務者に分配機能までを期待すべきではないが,供託所なら別であるということでしょうか。もし,そうだとすると,債務者には期待できないのに債権者であれば期待できるのは,どうしてなのでしょうか。  もう一つは話が飛びますが,詐害行為取消権との関係で,詐害行為取消しで要件の立て方次第ですけれども,弁済についても取消しが可能であるとしたときに,受益者たる債権者は按分弁済をそこでも請求できるようになるのか,それは全く違う問題でしょうか。要件次第かもしれませんけれども,基本的には債権者平等の確保であるとすれば,共通する点があって,そこでも按分弁済といったことにならないでしょうか。按分弁済について,債権者がほかに誰かいるかも分からない中で手続もなく,分配機能を求めることはできないという考え方に立つならば,そこでは,そのように考えられながら,ここでは違うということは,どのように理由付けられるのでしょうか。 ○中井委員 深入りするのがいいのか分からないんですけれども,詐害行為取消の場合をおっしゃったんですね。 ○沖野幹事 最後の点はそうです。 ○中井委員 詐害行為取消しにおける取消債権者と債権譲受人とを同列に考えること自体,何か論理が飛んでいるなと,そういう印象を受けました。   全額弁済を認めるということについては,基本的には債務者に責めを負わせるというか,負担を重くすることは適当でないというところから,いずれかに払ったら,それでいいという従来の考え方は支持できるのではないか。そのときに,先に回収した人は同時送達だと言ってくる人がいれば,二人であれば単純に債権額が同額であれば半分返せばいい。半分返した後に第三の同額の債権者が同時送達であることが分かったときに,それは工夫の仕方であって,取戻しをした上で33ずつ払うのか,50と50に対して17ずつ請求できるのか,そこは組立て次第ですから,それほど問題が深刻になるということはないのではないか,受け取った中から吐き出すだけの問題で,受け取った人の倒産リスクは,後から出てきた人が負うという限度の問題ではないかと思います。   要はその返し方というよりは,私はその前提で同時送達の場合だけを考えたときに,譲受債権者は基本的に債権額按分なのか,供託の場合だけなのか,そこについてまず議論をして,それで,供託の場合に限らず,按分でいいのではないかと考えたときに,どういう手立てを設けるか,償還と書くのか,債権額按分ということを確認するにとどめるのか。それはやり方だと思いますけれども,ルールとしてそこははっきりしておいたほうがいいのではないかというのが,私の意見です。 ○山野目幹事 細かなことですが,中井委員のお考えをもう少し理解したいことから,1点のみ教えていただきたいのですが,部会のときの中田委員の指摘,本日の沖野幹事の指摘,つまり債権者の数というか,法律関係の全貌が分からないことから来る困難ということに対する対応として中井委員が何回か,償還しなければならないという規定ではなくて,按分ですよと書けばいいとおっしゃいました。按分ですよと書く法文のイメージというものが私はイメージができませんが,そこを確認のために教えていただけますか。   沖野幹事がおっしゃったように帰属すると書き込んでしまうと,元々は債務者に対して全額請求することができるという規律の安定性も損なうことになりますから,帰属するとは書くことができないと考えます。そうすると,結局,按分という言葉のみが踊っているというか,言い方が変であるというか,失礼ですけれども,何か,そういうふうにしか聞こえませんが,そこをもう少し今後の検討に資する意味でもおっしゃっていただいたほうがよろしいのではないかと感じます。 ○中井委員 具体的規定ぶりを考えて発言したわけではありません。実体的にそうあるのがより適切ではないかというところを基本にいたしました。書けないと言われてしまえば,また,考えなければいけないと思います。 ○松本分科会長 沖野幹事の発言の中で,連帯債権と考えればという御指摘がありましたが,正に連帯債権であって連帯債権者相互間の持分というのか,内部的な割合が人数の均分になるというイメージでしょうか。 ○中井委員 結論はそうです,同じイメージです。 ○深山幹事 連帯債権と明確に位置付けるかどうかというのは,慎重に考えたほうがいいのかもしれませんけれども,今,分科会長がおっしゃったように,連帯債権に関して内部的な権利割合を規律するということが多数当事者のところでは議論されていますので,それと同じようなイメージで規定が設けられないことはないのではないかと思います。「償還しなければならない」というのは,確かにワーディングとしてどうかなと思いますので,そこは「償還することができる」とし,もっと端的にその他の譲受人に対して,あるいは差押債権者に対して,債権額で按分した権利割合を主張することができるという趣旨の規律を条文化することは,技術的には可能なような気がいたします。 ○三上委員 2点,確認の意味でお伺いしたいんですけれども,一つは甲案のような考え方を置くとしたときに,第三債務者は誰と誰とが競合していたとか,誰に払ったという情報を,後から遅れてやってきた譲受人に情報提供する義務があるのかないのか。そんな義務は第三債務者に負わせられないとすると,それを結局調べて追求しにいくというのも全て債権者の責任というか,負担になるということでよいのかどうか。それは一つの割り切りです。   それから,もう1点は最初に行って払ってもらえた債権者は,もし全くほかに同順位で競合する者がいないと思ったときでも,後から請求されたときには連帯債権の求償債権者に,半分はあなたの権利ではなかったという形で払わされるのか,善意の不当利得にはならないのか,その辺はどう考えた上での按分規定なのかというのも,確認しておきたいと思います。 ○山本(敬)幹事 三上委員の御指摘の前半部分についてですけれども,例えばほかの債権譲受人が債務の履行請求をしてくるわけですので,それを拒否しようとすると,弁済したということを言わないといけませんから,情報提供ではなくて,自分自身が弁済を拒否するためには,一定のことを言わないといけなくなるのではないでしょうか。 ○三上委員 それは,例えば弁済した相手の名前とか連絡先も含めてという趣旨でしょうか。 ○山本(敬)幹事 連絡先はともかく,誰に弁済したかということまでは言わないと,弁済の事実を立証したことにならないのではないでしょうか。 ○松本分科会長 恐らく,その場合には誰にだけではなくて,対抗要件を先に取得した誰に弁済をしたということですね。 ○山本(敬)幹事 どのような規定が設けられるかによりますけれども,少なくとも,この規定に従ってしかるべき債権者に弁済したということは,言わないと駄目だと思います。 ○内田委員 一応,一通り,御議論も出ましたので,このくらいで十分だと思いますけれども,沖野さんの御意見は,その前提として,同時到達者が後から後から出てくるというようなことが想定されていたように思います。 ○沖野幹事 後に判明するという場面の可能性です。 ○内田委員 ええ。ただ,実際にそんなことがあるのかが疑問で,裁判のことはよく分かりませんので,実務家の先生に御教授いただければと思いますが,自分も同時到達だから自分に払えというような債権者が出てきた場合には,当然,債務者に話を聞くのではないですかね。そこで,どれだけ同時到達がありましたということは,証拠として出てくるのではないのかという気がするのです。後から債務者が小出しに情報を出すという,そういうことが本当にあるのかどうか。もちろん,対抗要件は債務者への通知だけではないので,登記もありますけれども,一応,全部,裁判で調べるのではないのかという素朴な感じを抱きました。 ○沖野幹事 前提としては訴訟になって裁判になったときにはということですか。裁判外でいろいろな交渉の中でということではなく,訴訟になれば,あるいは訴訟でくるでしょうということでしょうか。 ○内田委員 裁判ではそうではないかということですが,ただ,裁判外でも当然,債務者に尋ねないと分からないわけですから,尋ねるときに一つだけ尋ねるということはなくて,ほかに同時到達があるかということは聞くのだろうと思います。債務者が自分は小出しにしか情報を出しませんという態度を取れば別ですけれども,債務者がどこまで情報を開示する義務があるかという三上委員の御指摘は,非常に重要な点で,こんな問題に債務者を巻き込む制度がいいのかという根本に関わるとは思うのですが,現行法は債務者は全部正直に出すという前提に立っていますので,債務者がそうやって出せば裁判外であっても,後から後から出てくるということはないのではないかと思うのです。 ○深山幹事 実際には債務者が小出しにするというよりは,債務者は正に自分は誰に払えば自分の責務を終えられるのかという利害を持っていて,例えば二つも三つも債権譲渡通知が来たときには,そのうちの一人から請求されたときに,こっちからも来ているんです,あっちからも来ているんですとアピールすると思います。あなたに払えば全て免責されるのなら安心して払えるけれども,ほかから文句を言われたら困るので払えませんと,こういう事態に陥るわけです。ですから,小出しにするというよりはむしろ積極的に,債務者は,あなただけが債権者と称しているわけではないんだということを各債権者に言っていくというのが多分,一番よくある実態だと思うんです。   あらかじめ債権譲渡通知を内容証明郵便の用紙で作成し,そこにサインさせておいて,お金を貸し付けるようなケースで,返済できなくなると,一斉に債権譲渡通知が発せられるというようなことがあるわけですけれども,それは五月雨的に来るというよりは,債権者は債権者でいち早く債権譲渡通知を出しますので,ある日,一斉に来るわけですね。理屈の上ではもちろん五月雨的もあり得るんですが,実務的に多いのはそういう事態で,わっとある日,同時に内容証明郵便が来る,債務者としては早く自分が免責されるために解決をしたいと,こういう中で情報を小出しにするというよりは積極的に自ら開示するということなのではないでしょうか。 ○松本分科会長 今回の提案で,供託できる場合がもし広がるのだとすると,債務者としては供託をするという選択肢と,特定の債権者に全額弁済するという選択肢があり得るわけです。その順序を決めるという提案はないわけだから,どちらでも構わないということになる。それで中井委員がおっしゃったように供託をすると最終的には按分になるのに,そうでない方向にいくと最初に取った人が全額を取れるというのは,不公平ではないかという意見が出てくるわけですが,もう一つ,供託をしないで全額を特定の債権者に弁済するという場合に,競合する債権者がいる,同時到達が複数あるということを言った上で弁済をするという選択肢と,黙って弁済をするという選択肢とが考えられるわけです。今の深山幹事の御発言は,普通はほかにも債権者がたくさんいるんだということを明かすのが普通だということですが,万一,黙っている場合にどうなるのか。   事情を言えば債権者側も分かるわけだから,取りあえず全額もらっても,後でほかの債権者から按分配当の要求が来れば応じなければならないということが甲案を採った場合には分かるわけですが,黙って全額弁済するという行動を取る債務者がいた場合には,蓋を開けてみないと分からない。後で別の債権者が債務の履行を請求してきて,そこで既に誰々さんに弁済しましたという抗弁が出されて,それではということで不当利得でしょうか,先に弁済を受けた債権者に請求が行くということで,その後,何本かそういう請求がなされることになる可能性がある。   そういう意味での債務者の行為規範はここでは決めていないわけですね。供託できる場合は供託しなければならないとすれば,すごく分かりやすいわけですが,そうではなくて弁済しても構わない,黙って弁済しても構わないと。債務者はどうすべきかということは決めないでこういうオープンな形にすると,確かに弁済を受けた債権者が,後で煩雑な対応を迫られることになるかもしれないですが,その点は,全額弁済を受けるのが元々正当ではないんだという価値判断に立てば,その負担に甘んじるべきだということになるんだと思います。その辺り,供託する場合とそうでない場合とで,最終的な財貨の帰属が異なっても構わないんだということであれば,最初に頑張った人が全額をもらうということでもいいのではないかということでしょうが,いかがでしょうか。 ○三上委員 極論ですけれども,一番明確なのは差押えと同じように譲渡通知が競合すれば義務供託にすることです。差押えが競合するのと譲渡通知が競合する場面とどちらが多いのかは私も分かりませんが,普通の一般の市井の人も含めて,法律上は差押えが競合すると供託義務が発生するわけです。それと同じにするか,もし,それが厳しいということであれば,深山幹事がおっしゃったように,同時送達だけではなくて,差押えの権利供託のように,譲渡が競合して,先後はある程度明確だけれども,後のほうが譲受人があれこれ主張しだすと法律を知らない人はどっちに払ってよいのかよく分からないという人のために,譲渡通知があった場合にも権利供託を認めるというのも一つの考え方ではないかと思います。   競合する部分は,私は供託所で分配してもらえば平等で,それ以外の場合には先ほどおっしゃったように,悪意,善意の不当利得で調整というのも一つの考え方かと考えておりますが,私ども自身は余り利害関係のある立場ではないので,意見だけです。 ○沖野幹事 思い付きの域を出ないのですけれども,もし,そういうことであれば,むしろ,債務者が按分して払うという規律にし,しかし,債務者は供託もできるということにしましたら,債務者としては,一体,どれが債権額か分からないということであれば供託を選ぶわけで,そうでなければ,どの通知が来ているなど一番分かっているのは債務者ですので,その下で按分して払うとするほうが簡明ではないのかと。   それは,今までの規律を変えてしまうことになりますけれども,現行法の規律はそのような規定や手当はなく,供託も狭いというものでしたのでその前提が変わるなら別の考え方はできないでしょうか。制度としては実質的には供託を義務付けるに近いですけれども,なお債務者がここは二人だけですからということであれば,そこで按分してしまうということも考えられますし,債務者にとっての負担の懸念がありますが,それなら供託をすればいいですし,かつ,先ほどの話ですと実務的には債務者としても全部出すということであるならば,データも分かっているし,それぞれの権利者についても来ているのはこれだけですと示せますから,そのような考え方はどうでしょうか。 ○鎌田委員 元々,按分帰属を否定したのは,沖野幹事が前におっしゃられたように,債務者に事実上の配当機関としての責任を負わせることは,妥当でないという配慮だったと思うんです。供託義務を負わせるというときも,本当に同時到達,複数通知到達で対抗要件による解決ができないという前提が分かった上でやるのならいいんですけれども,例えば銀行なんかでも各取扱店舗に宛てて通知が来るということのようで,弁済してしまった後で,実はほかのところにも通知が来ていて,先後不明と言わざるを得ないとなると,供託義務違反の責任が債務者に掛かってきますね。   だから,債務者に一切,そういう配当手続を取る,あるいは供託義務に違反するリスクを負わせないようにしようというのが,この不真正連帯債権型の根本にある考え方なんだと思うんです。不真正連帯債権型で考えたときに,その後の事後処理をどうするかということが,現在では供託したときには按分するという考え方が採られています。それも供託されているときには,おっしゃられたように,裁判所あるいは場合によって供託所の中で,つまり,債務者ではないところである程度,適正な配分ができるから,それでいいんだということだと思います。その延長線上でいくと,債権者にも事実上の配当手続の責任を負わせるべきでないということにもなるんですけれども,逆に中井委員がおっしゃられたように供託のときに按分できるというなら,実体法上,何か内部的な権利割合があると考えないと,それができないんだから,内部的な権利割合を実現する方向で任意弁済のときにも考えるべきだということにもなる。どちらのほうを重視して一貫性を保つか,両方あり得ると思うんです。   それで,解釈論的に考えたときに,連帯債権関係のときに内部的な権利割合があるかというと,場合によって全部違うのではないかと思うんです。例えば私が事実上の連帯債権だと思っている抵当不動産の毀損の例について,一部の学説を除いては,抵当権者も所有者も損害賠償請求できる。これは連帯債権と考えざるを得ないんだけれども,これは按分とか何とかではなくて,権利調整の問題については,按分とは違う考え方を採らざるを得ないんだろうと思うのです。  また,この場合,学説の中では不当利得とかで調整すべきだと,実質的に考えている説が多いと思うんですけれども,論理的に本当に不当利得が成立するかというと,多分,不当利得にはならないんだと思うので,この場合にはどうなるのかという実体法上の原則を定めておいたほうが適切です。それでは早い者勝ちか,按分かというと,私はどっちかというと按分のほうがいいと思っています。あと,手続の面倒臭さは,最初に通知が来たと信じた弁済は準占有者に対する弁済なのだろうと思うので,既に利得を受けた人と弁済を受けられなかった人とでそれぞれ半々でとか,三人になっていれば3分の1ずつとか,何か,そういうふうな形で,やむを得ないけれども,それはやってもらう。それが実際に出てくる可能性は,この制度全体の運用を危うくするほど大きくはないし,第三債務者にそのリスクを負わせるよりは,まだ軽い形になるのではないかなというふうに思います。 ○松本分科会長 それでは,アの点については基本的にここに書かれているような内容で,ただ,②に関しては沖野幹事から債務者にもう少し義務を負わせたらどうかというような意見もございました。イについてはアの②のうちの一部にのみ設けるよりは,全体に設けたほうがいいという感じの意見が強かったと思います。ウについては,甲案,乙案の両方がございますが,やや甲案のほうが支持者は多かったかと思います。   それでは,続きまして3の「抗弁の切断」のうちの「(2)債権譲渡と相殺の抗弁」について御審議を頂きたいと思います。事務当局から御説明をお願いいたします。 ○松尾関係官 部会資料37の50ページを御覧ください。この論点につきましては第45回会議で審議がされました。   まず,甲案につきまして,具体的にどのような場合に相殺ができることになるのか具体例を明らかにすべきであるとの御意見があり,これに対しては請負代金の報酬債権とメンテナンス契約上の損害賠償請求権との相殺などが例として挙げられました。また,譲渡禁止特約の効力を制限するのであれば,甲案の考え方を採ることが必要であるとの意見がありました。以上のほか,乙案の考え方を支持する御意見などがありました。 ○松本分科会長 それでは,ただいまの論点についてどうぞ意見を交換したいと思いますので,御自由に御発言ください。 ○三上委員 では,私のほうから本会議の繰り返しで恐縮ですけれども,抗弁切断の基準時をどこで判断するかによって甲と乙の違いといいますか,相殺できる範囲がかなり変わってくるという気がしておりまして,譲渡時点を基準とする考え方と,実際に将来債権なら将来債権の発生時を基準とする考え方の二つの考え方があると思うんですが,後者の考え方を採るのであれば,乙案と甲案はそれほど大きく変わらないかもしれないので,この点から述べさせていただきます。   甲案の弱点は,「一体的に決済されることが予定された取引」という曖昧な概念が入ってくるということです。金融機関は債権譲渡を受ける立場のほうが多いので,余り抗弁が多すぎても困るし,基本的には預金債権の譲渡禁止特約の効力が弱まるのが一番困るという立場なんですが,それを外れて考えますと,債権譲渡と差押えの場合とで,基本的には同じ無制限説で考えるとすると,甲案の中で抗弁切断の基準時を債権発生時に求めて,かつ停止条件付自働債権が,原因が譲渡前既に発生したのは全部対象になるということであれば,「一体的に決済される・・」というような曖昧な概念の導入なしで乙案との違いはほとんどなくなり,かつ,差押えの場合とかなりパラレルな議論ができるのではないかと考えている次第でございます。よって,基準時を明らかにした上で議論でしたほうが早いのではないかと思いまして,もう一度,意見を言わせていただきました。 ○松本分科会長 基準時のほうを先にきちんと議論すべきだ,そうすれば,後の議論がやりやすくなるという御指摘ですね。 ○三上委員 はい。 ○松本分科会長 甲案を読む限りでは,基準時後に発生する債権というような書きぶりをしているから,債権譲渡時を基準時にしているのが甲案という感じになりますね。 ○三上委員 「一体的に決済される」というのは基準日以降ですけれども,①の発生原因が既に存在した場合などを考えると,乙案が本当にそのときに現に発生していた債権だけに限るということであれば,随分と変わってきますけれども,もし,乙案のほうに①まで入るという解釈で,かつ①には停止条件付きも入るということであれば,②の部分だけが変わってくるというイメージで私は申し上げましたので,債権譲渡時が基準時になるのだったら甲案は成り立たないとは考えていませんでした。 ○松本分科会長 債権発生時を基準時とするのであれば,基準時後に発生するということはあり得ない。 ○高須幹事 今の三上委員の御趣旨は,将来債権譲渡のことを念頭に置いてお話しされたのではないかと。将来債権譲渡の場合には,債権譲渡自体を先にして対抗要件を備えた上で,日々,後日,債権が発生してくるということがあるので,それで,そのときに仮に発生時説を採った場合には,その段階を基準時とすればある程度,反対債権も見えていたりするから,余り差がなくなるのではないかと。それが判例等でよく出てくる,譲渡のときにいろいろなことを考えて処理するという話になると,大分,先に発生する債権の抗弁をその段階で切断してしまうことになるので,甲案と乙案は大分変わってくるのではないかと。そういう意味で,主に将来債権譲渡のことで念頭に置いたときに,基準時をどう考えるかに意味があるのではないかという御指摘かと思ったんですが。 ○松本分科会長 私が言っているのはもうちょっと単純な話で,抗弁切断の基準時に債務者が譲渡人に対して有していた既発生の債権だけでなく,抗弁切断の基準時後に発生又は取得する債権であっても,債務者の相殺の期待を保護すべき場合についてはという甲案の書きぶりは,発生を基準時にしていないからであって,ということは,譲渡時を基準時にするのが甲案ではないかなという理解なんですが。 ○高須幹事 今の甲案の2行目のところの抗弁切断の基準時後に発生する債権というのは,債務者が譲渡人に対して取得することになる,つまり,相殺する自働債権のことではないかと思っているんですが,それで,むしろ,2行目の抗弁切断の基準時を譲渡時に求めるのか,将来債権譲渡のときに発生時に求めるのか,これは二つの考え方があり得るのではないかと。債権発生時は後ですから,そこにすると,その後に発生する債権といってもたかが知れているという議論につながって,甲案と乙案の差は余りなくなるのではないかという三上委員の御指摘だったのかなと思ったのですが。 ○松本分科会長 失礼しました。私の誤解で2行目は反対債権のほうでした。 ○中井委員 先ほど,将来債権譲渡の話が先に出たんですが,その議論は後にして,単純債権譲渡を前提にまず議論をしたほうがいいであろうと。そこで,まず,抗弁切断の基準時について,部会資料もそうだと理解していますけれども,譲渡時という言葉の中に,具体的には第三者対抗要件具備時と,債務者対抗要件若しくは権利行使要件具備時があるとすれば,債務者対抗要件具備時を基準とすべきであるというのを確認したい。   その上で,甲案については債務者対抗要件具備後に反対債権が発生する場合であっても,反対債権との相殺を認めようという考え方ですから,乙案よりはかなり反対債権の幅が広い。そのかなりという部分について検証するために,先に乙案の「反対債権を取得していた場合に限り」という,この「取得」の意味ですけれども,既に発生している場合で弁済期が到来している,到来していないという弁済期先後の問題,それに停止条件付債権について,条件が成就すればいいだけの状態かどうか,さらに,将来の請求権的なものもあるのかもしれませんが,この「取得」という言葉と,甲案における「①抗弁切断の基準時に債権の発生原因が既に存在していた場合」,ここの書きぶりを若干変えているわけですけれども,これを仮に同じものだとすれば,①と取得しているということが同じであれば,その限りで一致するはず。   これが意図的に書きぶりを変えているということは,取得しているというのが従来の制限説,無制限説の弁済期の前後を念頭に置いているとすれば,乙案の取得している場合のほうが狭い。そのように考えていいのかどうか。その上で,甲案において更に広いのが②の「一体的に決済されることが予定されている」ということだろうと思います。   そう整理した上で,甲案の②については広すぎるのではないかというのが弁護士会の意見です。確かに特定の分野でないわけではない。前回も具体例がありましたけれども,それをどのように考えるかですけれども,果たしてそこまで広げていいのかということには,かなり慎重な意見が多いのが実情です。   次に,①について,乙案の「取得」と概念が同じであれば,この限りにおいて乙案とそれほど変わらないのではないか。そう考えたときに,債権譲渡における相殺できる範囲の問題と,511条の差押えを受けたときに第三債務者の取得する反対債権の相殺できる範囲を,改めて確認をしておく必要があるのではないかと思います。従来,511条のほうでは無制限説といっても,既に債権が発生していて弁済期の前後を意識した議論しかなされていないのではないか。   そこで,停止条件付債権について,511条の下で第三債務者は停止条件が将来,成就したときに差押債権と相殺できるのかという問題に対して,必ずしも正面から答えていないのではないか,そことの整合性をどう考えるのか。差押えの場合は,停止条件付きは含まないとした場合に,ここの乙案は停止条件付きを含むのか。ニュアンスとしては,債務者対抗要件具備時に停止条件付きであれ,将来発生する債権を債務者が持っていれば,その相殺期待は保護しようというニュアンスが感じられますので,そうすれば,乙案は差押えの場合よりも広いのか,それとも同じなのか,ここも確認をしたい。   更に言うと倒産手続が開始した場合,現在,破産法の中では,これは沖野幹事に教えていただきたいと思いますけれども,停止条件付債権であれ,将来債権であれ,相殺を認める旨の規定が設けられている。それとの整合性をどう考えるのか。そういうことを考えていくと,ここはもう一度振り返ってですけれども,差押えの場面と債権譲渡の場面と倒産手続が開始した場面について,少し横に見て整理しておく必要があるのではないかと感じた次第です。 ○松本分科会長 事務当局のほうとして,乙案の反対債権を取得していたという概念について停止条件付きが入るのかどうか,いかがですか。 ○松尾関係官 乙案は中井委員が先ほど御指摘されたとおり,従来のいわゆる無制限説を意識して書いたものですので,停止条件付債権を乙案の中に含めるということを考えていたわけではありません。   御指摘のとおり,511条の解釈をめぐって同じような問題が指摘されていると思いますので,確かにそことの並びを考えていただかなければいけないと思います。その際には,今の部会資料の乙案の文言だけだと確かに停止条件付債権が入らないかもしれないですけれども,そのことをもって,甲案と乙案のいずれがよいかという御議論をしていただくよりは,中身としてどういう規律が適切かということについて,まずは甲案と乙案の文言から離れて御議論いただいて,最後にその内容をどういう言葉が表すとよいかということを議論したほうがよいと中井委員からの御指摘を受けて考えました。 ○中井委員 差押えの場合と同じなのかというと,債権譲渡の場面は譲渡人が生きている場合で,差押えの場合は,債務者は何らかの危機時期に至っている場面が多いのではないか。そのときに,反対債権で相殺できる範囲が同じでなければならないと考えるべきか,私は,そうでなくてもいいと思っています。債権譲渡の場面は譲渡人も普通に通常の営業活動を行っていることが多いとすれば,甲案で書いている債権の発生原因が既に存在しているという言葉で表現できる反対債権を取得している場合は,相殺を認めてもいいのではないかという意見を持っております。 ○三上委員 先ほどの中井委員の,差押えの場面は債務者の信用が悪化している場面なのでより相殺の期待を保護する場面が多いかもしれないが,債権譲渡の場合にはそこまで保護する必要はないのではないかという御意見はごもっともだと思うんですが,逆に債権者の立場からいきますと,差押えの場合にはそういう状況があるからこそ,期限の利益を喪失させていつでも相殺に持って行ける,しかし,債権譲渡の場合には必ずしも期限の利益を喪失させてすぐに相殺してしまうというわけには行かないから,債権譲渡禁止特約の重要性が増してくると,こういう関係にあります。今回の提案は債権譲渡禁止特約の有効性の範囲を制限していくといいますか,その方向との裏腹の関係で,譲渡の場合の反対債権の相殺の期待を保護しようというところで出てきた議論だと思います。そういう意味で,ここだけ取り出すと中井委員のおっしゃることもごもっともなのですが,実務的には中井委員がおっしゃった場面での相殺権の期待を持っていた人間の対応方針は,債権譲渡禁止特約を付けることだったということですから,それがなくなるという代償という意味では,無制限説に近いことは必要ではないかと思います。   ただし,期限の利益を喪失させられるかどうかというのは別問題ですから,余りに自働債権の期限が先なのであれば,その間に取立訴訟を起こされて負ければ払わざるを得ないと思いますし,譲渡人がぴんぴんしているのに,相殺を主張することなく徒に債務不履行を続けるということが相殺権濫用に当たる「不誠実な債務者」場面も,差押えの場合よりは大きくなるだろうという気がしております。その違いはありますが,差押えと債権譲渡の両方の基本的な考え方は,私は無制限説でいいのではないかと考えております。 ○高須幹事 今回,甲案というのが提示されている背景というのは,今,三上委員から御指摘があったようなことだと思っておるんですが,もう1点,気になっておりますのは,債権譲渡取引の安全というか,債権を譲り受ける人間のほうが相殺で処理されずに,権利を行使できるという余地をどこまで図らねばならないのかという点です。   債務者の相殺の期待をより保護するということになれば,債権の譲受人のほうは相殺処理をされてしまうということの危険が増えるわけですので,その辺りのことの調整は,むしろ債権譲渡禁止特約を外すということによって正当化されるのかどうか,あるいは異議なき承諾みたいなことで対応するという趣旨なのか,すみません,全然,自分の意見が整理されていなくて申し訳ないんですが,要は言いたいことは,従来は債権譲渡に関して相殺と違う点は債権取引の安全ということを考えて,相殺とは違う発想をしてもいいのではないかといった面があったと思うんですが,そのことは今回,債権譲渡禁止特約を外すことによって,むしろ,全然考慮しなくなるのかどうか,ここは気にはなるところだとは思っておりまして,甲案にまでいってしまうのがいいのかどうか,若干の疑問を持っておるということでございます。すみません,意見が固まっていなくて申し訳ないのですが,そういうところでございます。 ○中井委員 債権譲渡禁止特約との関係で確認的に申し上げておくと,債権譲渡禁止特約を最終どのようにするか,固まったわけではありませんが,仮に債権譲渡禁止特約があっても,譲渡人との債権譲渡契約は有効だという考え方を採ったとしても,大阪弁護士会有志案もそうですけれども,譲渡人に対しては抗弁を主張できるわけですから,相対効を採ることから直ちに反対債権の相殺の範囲を広げるべき甲案を設けなければならないということに直接,関係しないと思うんです。   つまり,債権譲渡禁止特約があって,第三者対抗要件が備わっても,債務者対抗要件が備わっても,大阪案であればなお債務者は譲渡人に弁済できる限りにおいては,反対債権の抗弁,相殺を主張できるという規律を設けることに賛成しておりますので,甲案的に広げる規律を設けなくても,債務者は相殺できると理解をしています。だから,相対効を採ることと直接,甲案は結び付いていないと理解をしていますが,それは誤解でしょうか。 ○高須幹事 部会資料の52ページのところの2のところの出だしのところから,そのような趣旨を含んでおるのかなと理解したのですが,今の52ページの2のところで,譲渡禁止特約を第三者に対抗することが一切できないものとする方向で見直すという考え方が提案されていて,この考え方を採用すると,これまで譲渡禁止特約で保護されてきた相殺の期待を別の方法で保護しなければならないので,無制限説と言われていた考え方よりも,広く主張することができるようにすべきだというような考え方があるというようなことで理解をしたつもりでおったんですが,そうではないのかどうかだけ,もし,違っていれば全然発想が違ったことになるのでおわびしますが。 ○松尾関係官 最終的にはここで御議論いただくべきことではあると思いますが,部会資料の趣旨は,中井委員がおっしゃったとおりで,譲渡禁止特約を第三者に対抗することができないとした場合に,つまり,相対的効力案を採用するかどうかとは別の問題として,第三者との関係では自由に譲渡することができるが,当事者間で特約違反となるという考え方を採った場合に,従来保護されてきた相殺の期待を保護する考え方として,甲案のような考え方を採ることがあり得るのではないかという提案をしたということです。 ○内田委員 先ほど中井委員がおっしゃった点は,大阪弁護士会のようないわゆる相対的効力案を採ると,債務者は元の債権者に弁済すれば免責されるので,譲受人に対する相殺の対抗の問題を議論する必要はないというのはそのとおりなのですが,ただ,元の債権者に弁済すれば免責されるという地位が外れる場合がありますよね。何を基準として外すかというのはまだ議論の余地があると思いますが,差押えの場合とか倒産手続とか,あるいは催告にもかかわらず弁済していないとか,いろいろあり得て,そうすると,譲受人に弁済しなければいけない場合が出てくるわけですが,そのときに元々持っていた相殺の期待は保護すべきだというのがこの甲案の発想なのだと思います。そういう意味では関連しているのではないかと思います。   あと,高須幹事から債権譲渡と差押えとの対比で,債権譲渡の場合にはこれまで譲受人の取引の安全ということが言われていたではないかということで,その意味で,むしろ制限説のほうが支持があったという御指摘がありましたけれども,今は取引の安全についてもう少し細かく議論するようになっていて,実際に実務の調査をしてみると,双務契約で継続的に取引をしている人からの債権を譲り受けるという場合には,かなりリスクがあるということは当然見込んでいるといいます。本当に額面どおりの債権を期待して譲り受けようと思ったら,そういうリスクのない単発の貸金債権で,抗弁なんか付いていなさそうなものを取るというのが実務であるように思えます。そうなると,取引の安全というのも類型に応じて考えていく必要があって,双務契約で継続的に取引しているような場面についてはある程度,相殺の期待を保護しても取引の安全を害するということにはならないのではないか。そういうことで甲案があるのだと思います。   ただ,甲案は表現が「関連して一体的に決済される」となっていて,こういう新しい表現を使うと,直ちにそれに対していろいろな違和感が表明されて批判が出てくるのです。しかし,この言葉にこだわる必要は余りなくて,特に①の債権の発生原因が既に存在していた場合というのをかなり柔軟に考える考え方が中井委員などから出ていますけれども,それは実質同じことで,言葉でどう表現するかはともかく,今までよりも相殺できる範囲を広げるということです。原因が潜在的にであれ,既にあるという場合については相殺を認めていいのではないか,そういう発想を表現しようとしたということで,たまたま比較法的に使われている言葉をここで書いているだけです。この表現にこだわる必要はありませんので,発想としては,いわゆる無制限説よりは広く解するという立場なのだと思います。 ○山野目幹事 ここの部会資料の(2)で,債権譲渡と相殺の抗弁という形で議論されている問題との関係で申し上げますと,今まで御議論があったように甲案が提唱される動機,背景が十分にありますし,それ自体として魅力のあるものであると感じますとともに,甲案が裁判実務上,コントロール可能な概念によって成立可能なものになるかということについて,若干の危惧,戸惑いを感ずる部分があります。そういうふうなことを考えますと,乙案を基調として問題を考えるということを始めるのが,穏当なのではないかと感ずる部分がございます。   乙案それ自体の理解について,若干の御議論がありましたけれども,私の理解しているところでは,抗弁切断の基準時というものは基本的に対債務者対抗要件,債権の権利行使要件が備わった時であり,現行法でいうと468条2項の通知がされた時を基本に考えるのが普通でありましょうし,それから,反対債権を取得していたときの取得という概念は,現行511条が用いている取得の概念と,特別の事情がない限りは同じに理解して,受け止めることがよろしいと思うところであります。   ただし,そう申し上げた上で,しかし,甲案のような発想をなお顧みて,検討していかなければならない要素があるであろうということを今日の御議論で感じたのは,中井委員がおっしゃったこと,つまり反対債権を取得していたというのは,停止条件付債権を取得していた場合も含むのかどうか,差押えの場合も含めてはっきりせよという御議論があったわけで,それについては恐らく債権に期限が付いていたとしても,その期限を考慮しないで取得していればよいというのが乙案や現行511条の理解ですから,債権の弁済をいつ求めることができるのかという意味での期限と並びで理解される附款である条件が付いていたとしても,そのような条件付きの債権であっても,基準時前に取得していれば取得していたということになるものであろうと考えます。   そこまではそうなのではないかと思いますが,私自身,よく理解し切っていないのは,債権の弁済を請求することができるかどうかについて附款で条件が付いている場合と,債権の発生そのものについて,その根拠となっている法律行為について附款が付いていて条件に係らしめられている場合とは,恐らく概念的には厳密に言うと区別されるべき必要があるのではないかと感じます。   そういうものも含めて視野に入れ,かつ,そういう場合であっても反対債権として,それを用いてする相殺が許容可能であるというふうな利益考量に立つとしますと,ただいま内田委員から御示唆があったように,甲案の中の取り分け①の発想との間に連続性が生じてくるということになりましょうから,今後,仮に乙案を基調として検討していくべきであるとしても,甲案の中の①との関係を意識しながら,申し上げたように停止条件がどこに付せられているものとして精密に理解するべきなのかという問題も勘案して,引き続き,甲案と乙案の両方をにらみながら,得られる新しい適切な規律の提案というのを考えていかなければならないのではないかと感じます。ここまで,この問題について結論を出し切っているものではありませんが,自分なりの見方を述べておいたほうがよいと思いましたから申し上げました。   それからあと,若干,脱線というか,飛躍なのかもしれませんが,甲案の②の発想はこのままでは裁判実務上,運用が可能な概念にならないと思いますし,しかし,また反対に内田委員がおっしゃったように,だからといって,発想として切り捨てるのはよくないということも,そのとおりであると思いますとともに,ここの議論からは離れますが,いわゆる民事交互計算の問題があります。商法が現在,定めている交互計算を本当にあのまま,商法のところに置いておきっぱなしにしてよいのかという問題を,どこかでは考えなければいけないのではないかと私は感じておりまして,その検討をするときに甲案の②で示唆されているような取引需要というか,相殺需要をなお視野に入れて考えていく必要があるし,また,そのことが可能なのではないかと感じます。   最後に申し上げたところは,自分なりにもう少し考えてみたいと思っている途上でマイクを握ってしまっている部分がありますから,整理され切っていませんけれども,しかし,引き続き事務当局に御検討いただくときに,どこかで視野に置いていただきたいという気持ちで,言わないよりは言ったほうがよいのではないかと思いましたから,発言させていただきました。 ○松本分科会長 ちょうど将来債権の話に移ってきましたから,基準時以降に発生する債権についても相殺を認めるべきかどうかという,甲案の中の一部の考え方についても御意見を頂きたいと思います。 ○三上委員 山野目幹事に確認なんですけれども,乙案で,抗弁切断の基準時を対抗要件の具備時だとすると,将来債権についても,例えば今,対抗要件を備えると,今,既に取得している反対債権しか相殺に供せない。そうすると,例えば将来にわたって債権が譲渡されて,それに対する反対債権が発生することが想定されていても,全て相殺できないことになるんだという御意見でよろしいでしょうか。 ○山野目幹事 今日,冒頭から三上委員が今の問題局面に強い関心をお持ちになっていらっしゃることは理解いたします。私が申し上げたことは,将来債権というよりも既発生の債権を通常に念頭に置いたときに,乙案の理解とその展開を考えると,先ほどのようになるのが普通の論理であろうということでした。その上で,しかし,それで将来債権を視野に入れたときに解決として不適切な問題が起きるものであるとするならば,将来債権について別の規律を考案するとか,甲案の①ないし②についてその考え方を受け止める何か別の規律を考えていただくという議論を,今分科会長が仕切られたように,これから議論していくものであろうと考えております。 ○三上委員 ありがとうございました。私が最初に申し上げたのは,甲案で②を設けるのであれば,乙案で基準時を将来債権発生時にずらすほうが,統一的に無制限説で考えられるのではないかと思い,私も甲案の②のような曖昧な文言が入ってくるということに関しては,多少,危機感も持っておりますので,また一方で,交互計算のようなものを民法に持ってくるということも,今,交互計算が使われていない事情を考えると,使いにくいという事情があるからだろうと思いますので,そう考えると,そういう新たな規定を設けるよりは,抗弁切断の基準時の操作で解決できないのかなという意味で申し上げた次第でございます。 ○中井委員 既発生の場合について,もう一度,発言をしておきたいんですけれども,弁護士会も多くはそうですし,私もそうですが,基本的には乙案を基準に考えていくべきであると思います。その上で,基本的には山野目幹事がおっしゃられたのと恐らく同じ考えでして,反対債権を取得したという,この取得についてどのように考えていくのかを整理をすることによって,甲案の①についてはおおむねカバーできる共通の理解に至るのではないかと思っております。仮にそのとき,511条も同じにするかどうかについては,私はなお留保しておきますけれども,一つの考え方としては,分かりやすさからすれば同じほうがいいのではないか,まだお見えではありませんが,岡委員の意見もそうだったと思いますので,その限りで山野目幹事の意見と共通しているのかと思います。   その上で,将来債権譲渡について早い段階で債務者対抗要件が具備された,その後に反対債権が発生したときに,その反対債権と将来発生する債権と相殺ができないという規律はおかしいように思いますので,その限りで三上委員の考え方に賛成です。そうだとするとどう考えるかですけれども,将来債権譲渡については多くの場合は第三者対抗要件のみが先行して具備されて,債務者対抗要件が備えられるのは結構遅い場面であることが通常,多いのではないかと思います。それも将来発生してから債務者対抗要件が具備される例が多い。登記型ではほとんどがそうだろうと思います。   そうすると,債務者対抗要件を抗弁切断の基準時にするという一般理論は,将来債権の場合も多くの場合はそれほど問題がないのではないか。ただ,第三者対抗要件と同時に債務者対抗要件も早期に取ることもあり得る。そのときはいまだ未発生の債権についても具備できると考えるならば,発生時という三上さんの考え方は十分あり得るのではないか。つまり,未発生の将来債権については,発生時若しくは債務者対抗要件具備時のいずれか遅いときを基準時とすれば,乙案を採っても,それほど問題はないのではないかと思っております。 ○松本分科会長 私が先ほどの誤解発言をしたこととの関係で,将来債権というのは反対債権が将来発生すると私は理解したんですが,将来債権譲渡の話ですか。三上委員が主張されているのは,債権譲渡がされたんだけれども,将来発生する反対債権でもって相殺したいという期待を銀行は持っている。それを確保するために債権譲渡禁止特約を入れていたのに,それができなくなったから,代わりに将来発生する反対債権でもっても相殺できるようにしてほしいという趣旨だと理解したんですが,そうではなかったのですか。 ○三上委員 銀行の預金債権は譲渡禁止特約うんぬんの例外になることを希望しておりますことを繰り返した上で,その前提での机上の設例ですけれども,例えばどこそこ銀行の何支店にある預金を将来にわたって全部譲渡しますという通知がやってきたと。しかし,その相手には将来,貸金債権とかほかの債権が発生するかもしれないという場合を想定しておりましたので,今ある預金を売られて将来発生する貸金と相殺したいというわけではなく,将来,貸金が発生したときに,その時点以降の預金との相殺を主に念頭に置いております。 ○松本分科会長 ということは,将来の不確定の預金債権を今,譲渡するということに対して,将来発生する債権でもって相殺したいと。 ○三上委員 銀行の例で言いましたが,別に賃料債権でも売掛債権でも何でも構わないんですが,あなたに対して私が持つであろう売掛債権を今後5年分全部譲渡しましたという通知がやってきたと。しかし,自分も相手先に対して売掛債権を将来取得する可能性があるというときに,将来,その債権を取得したときに,そのときに私が負っている反対債権と相殺したい,それを確保したいというのが私の考えていた場面です。 ○山野目幹事 三上委員に整理していただいたところで,そうであるとしますと,先ほどの中井委員がされた整理に対して,三上委員がどうお感じになるかということをお尋ねしてみたく感じます。つまり,中井委員の御指摘の繰り返しですが,実務上,言われているサイレントな債権譲渡の方式の場合には,たとえ将来債権譲渡がされる場合であっても,対第三者対抗要件を備える時期と,債務者に対する通常でいえば通知をして債務者対抗要件を備えている時期は,時期的に離れることが普通であるというところに特徴があるものですから,そうすると,第三者対抗要件ではなくて債務者対抗要件の備わった時が抗弁切断時であると考えたとしても,蓋然性としては,そんなに多くの場合には不都合が生じないのではないかとおっしゃったものであって,私は,それはそのとおりであると感じます。   多分,そうだろうと思ったから,先ほど私は少し前の発言で乙案でいこうということを考えたときの抗弁切断の基準時というものは,対抗要件具備時という言葉にだけリアクションを頂いてしまうのは困るのであって,対抗要件とのみ言うと第三者対抗要件か債務者対抗要件か曖昧になりますから,現行468条2項の規律が働く通知の場面が通常のイメージでしょうと申し上げたものであり,その通知は時期的にかなり遅くなってから備わるものと想定するならば,三上委員が御心配になっていることは,そんなに心配しなくてもよいのではないかと感じますが,しかし,そんな気楽なものでもないよとおっしゃるのであれば,そこのところからまた議論を続けていただきたいと思いますから,そこのところを教えていただければ有り難いと感じます。 ○三上委員 私の立場として言うべき意見ではないのかもしれませんが,もし,自分が債権譲渡を受ける譲受人の立場だとしたら,抗弁を受けないほうがいいわけですから,必ず先に第三債務者対抗要件を備えてしまおうと思います。今の実務は第三債務者に売ったことを知られたくないとか,そういうニーズもあるし,将来債権に関して特に第三債務者が固まらないときにはそれしか方法がないので,譲渡登記とかサイレント方式を採っているだけですので,もし,第三債務者が既に決まっているのであれば,かつ,変に発生する反対債権の相殺を対抗されたくないのであれば,意図的に第三債務者対抗要件を備えてしまうのではないかと思います。 ○沖野幹事 今のやり取りの中で山野目幹事に確認させていただきたいのです。中井委員は,それを明文化するのか,解釈で展開するのかはともかく,二つの基準時を立てられていずれか遅い時,ということをおっしゃり,それは三上委員が想定されているところを正に体現したものではないかと考えられます。それに対して山野目幹事は,基準時について債務者対抗要件具備時を基準としたとしても,一般的にはサイレントでされる場合が多く想定され,その場合にはこの時期はかなり後になるので,それであっても大きな支障は生じないのではないかと御指摘になり,それは,債務者対抗要件ないし権利行使要件具備時のみを基準とするお考えのようにも聞こえます。それですと,中井委員とはまた違うお考えのように思われるのですが,御趣旨はどちらだったのでしょうか。 ○山野目幹事 私は,まだこうすべきだという意見を実は表明していないものでありまして,議論の整理のために,中井委員と三上委員の御議論は既にかみ合っていると思いますが,もっとかみ合わせたいという見地から申し上げました。つまり,議論の最初から確認しますと,将来債権譲渡について何も手当てをしなければ債務者対抗要件しか基準にならないと考えます。中井委員もそこから思考を御出発になっておられるわけで,かつ途中でサイレント方式で時期が離れると考えれば,それでもいいのかもしれないとおっしゃった上で,しかし,なお漏れる場合があるかもしれないから発生というのも加えましょうと,発生を言わばトッピングでお加えになったのですね。   私は,発生をトッピングで追加するかどうかということをもう少し考えてみたい,まだ,意見表明しているのではなくて,考えてみたいと思っているので,そのためには本当にそれを追加しなければならない取引実態上の需要があるかどうかを,三上委員の感触を伺ってから決めようと思っていたものですから,現時点で中井委員のお立場と私の立場が同じかどうかというようなお尋ねを受ければ,私はまだ意見表明をしていなくて,中井委員が追加しておっしゃったところまで私も踏み切って,後を付いていこうかどうかということを確かめるために三上委員にお教えをお願いしたということであり,沖野幹事へのお答えになっているかどうかは分かりませんが,こういうことでございます。 ○中井委員 そういう意味では,将来債権譲渡は登記型が結構あることは事実で,登記型の場合は恐らく債務者対抗要件,権利行使要件を具備するのは相当後,しかも発生後であることがむしろ多いのではないか。その場面では抗弁切断の基準時を単純に債務者対抗要件一本主義でも賄える場面がある。ただ,必ずしも登記のみで対抗要件を具備する将来債権譲渡ばかりではないというのもまた事実でして,現実には将来1年分の債権譲渡を内容証明郵便で通常の通知で行う場面もあるわけで,第三者対抗要件と債務者対抗要件を同時に備える場合もある。そのときは明らかに発生は後になるわけです。その懸念を恐らく三上委員はおっしゃっているわけで,それは現実問題として少なからずある。とすれば,その場面では発生時点を基準にして反対債権との相殺を認めてあげるべきではないかと思うわけです。   そこで,結論としては,将来債権については債務者対抗要件若しくは発生のいずれか遅いほうという規律が適当ではないか。逆に将来債権についてそうだとすれば,実は現在,既発生のものについても同じ規律なんですね。既発生ですから,あとあるのは債務者対抗要件のみという意味で,統一した考え方になると思います。 ○内田委員 中井先生は,乙案を基本にしてと最初に言われたのですが,どんどん乙案からは離れています。乙案というのは元々511条の差押えとの関係で形成された無制限説のことを言っているんですね。それは明らかに事前に発生している反対債権のことを考えていたのだと思うのですが,将来債権まで含め,そして,私は今後は正常な資金調達の場合早い時期に債務者対抗要件を具備する,つまり権利行使要件を具備しておいて,当面は元の債権者に払ってくださいと通知するようなやり方は十分にあり得ると思いますが,その場合であっても将来発生する債権が発生した段階で,相殺すべき反対債権があるときには,相殺を認めるべきだとおっしゃっているわけです。ただ,その反対債権はたまたま,交通事故か何かで生じた反対債権を想定しているわけではなくて,一貫した取引の中で出てくる反対債権のことだと思うのですね。   甲案に違和感があるとおっしゃりながら,中身は甲案のことをおっしゃっているように私には思えます。甲案の特定の用語が何か外国の立法例を直訳したようで違和感があるから甲案は嫌だとおっしゃって,しかし,実質は同じことを乙案をどんどん膨らませておっしゃっているように思えるのです。むしろ,この言葉にこだわらずに,いわゆる無制限説,差押えとの関係で主張されていた無制限説では債権譲渡の場合は狭い,そこでそれを広げる,つまり相殺の範囲を広げるにはどうすればいいか。そういう観点から議論したほうが有益なように思います。   基準時を発生時にするというのはやや違和感がありまして,基準時というのは債務者に対して譲渡しましたよと通知をして,債務者がその譲渡を知った時ではないかと思うのですが,たとえそうであったとしても,将来生ずる反対債権による相殺を債務者に認めるべき場合がある。では,それはどういう場合か,という問題の設定をしたほうがいいのではないかと思います。 ○中井委員 既発生の債権について債務者対抗要件が具備された後に新たに発生した債権というのは,甲案の②では想定されているわけですけれども,私は想定していませんし,乙案を幾ら将来生ずる反対債権に拡張しても,将来債権が発生した時点以降に発生する甲案でいう②の債権,これも相殺対象に入ってこない。その限りにおいては,違いがあると思います。ただ,御指摘のとおり,対抗要件具備後に生じる全ての反対債権が対象となるのか,検討が必要かも知れません。 ○松本分科会長 若干,整理しますと,私も混乱しているので自分の整理のためなんですが,既発生の債権が譲渡されたのに対して,既発生の反対債権で相殺がどういう場合にできるかという伝統的な議論があって,それから,将来債権を現在,譲渡したのに対して,将来発生する反対債権でどういう場合に相殺できるかと議論がなされて,それから,既発生の債権が譲渡されたのに対して,将来発生する反対債権でもって相殺できるかという論点が三つ目の論点としてあって,甲案というのは将来バーサス将来と,既発生バーサス将来の両方に拡張するというものだと理解してよろしいのでしょうか。そうであれば,中井委員がおっしゃるように,乙案が対象にしていなかった二つの場合を甲案は考えているということになりますし,そうなると,正に既発生バーサス将来の反対債権という場合に,どういう場合に相殺を認めるべきかというかなり難しい論点が出てくる感じがいたします。 ○三上委員 私が言うのはおかしいかもしれませんが,結局,①と②をどの程度違うものと考えるかが内田委員と私の意見の違いでして,私が①で入ってくるのは,銀行の例でいきますと支払承諾,つまり銀行が保証する契約があって,預金債権が譲渡された後に保証を履行して求償権を取得したようなケースは入れてくれというのが①のケース,そういうのも何もなく,単に両者間に継続的に取引があるということだけを根拠に,同じように将来に同じ取引に関係して発生するであろう反対債権も相殺させて欲しいというのが②という認識で議論しています。そうすると,何の基本契約ないしは抗弁発生の基礎になる法律関係もないのに,似たような取引から発生する反対債権があるからというだけで,将来債権まで対象にするのは広げすぎではないかというのが,私と中井委員の考え方ではないかと思います。そういう意味で,①を限りなく広げていくと②に近づきはしますが,最後の違いは単に相互間に継続的な取引があったというだけで,将来発生する債権まで対象にしないというところが一番の違いではないかと思います。 ○内田委員 一言だけ。甲案の②はそんな債権は多分,考えていないと思います。たまたま取引があるということではなくて,一体的に決済されることが予定されている取引ということですので相当な関連性,つまり,相殺されて当然でしょうというような一体的な場面だけを想定しているのだと思います。そうすると,拡張された①との違いはどこにあるのかということになりますので,ですから,明確に線を引く必要もないのかもしれないのですが,少なくとも今の無制限説とは全然違うと思います。 ○中井委員 そのとき,内田委員の御見解若しくは甲案の立場を採ると511条の差押えとの関係では甲案的発想はしないという理解でよろしいのでしょうか。債権譲渡について甲案的にそういう一体的関係になるものについては,将来発生するものも相殺を認める。しかし,差押えの場合について第三債務者にそのような相殺期待があったとしても,それは認めない,そういう御見解なのか,御教授いただければと思います。 ○内田委員 私が答えるのが適当かどうか分かりませんが,全くの私見ということで。部会の中でも申し上げたかと思いますが,差押えというのはもうそれ以上正常なビジネスができなくなった場面ですので,差押えがなされたときには,その時点で決済できる反対債権との相殺を認めるけれども,それ以上は認めないということは理由があると思います。ただ,少なくとも既に存在している反対債権については,全部,相殺を認めましょうという無制限説は合理性があると思うのです。これに対して,債権譲渡の場合,特に,資金調達で用いられるという場合には,全く正常な取引が継続している段階で譲渡されますので,その譲渡の通知があった段階で相殺すべき反対債権を限定するのは適当ではない。取引上,相殺の期待が当然あるというようなものについては,広く認める必要があるのではないか,そういう区別をしているのだと思います。ですから,511条の差押えについては,現在の判例の無制限説をそのまま立法化するというのが,いいのではないかということです。 ○山野目幹事 単なる議論の自分なりの考えの整理のためにのみする発言ですけれども,お話を伺っていて感ずることとして,日本法は債権譲渡の場合のみならず,相殺と債権譲渡,相殺と差押えのような問題は,例えば511条が規律しているように,差押えの時期と反対債権取得の時期というふうに,何かの時期と時期とを比較していろいろな問題を切り分けるという思考法でずっとやってきましたし,弁済期の先後は関係ありますか,という制限説と無制限説の議論も,そういうエポックとエポックの比較という思考法でずっとやってきた部分があると思います。債権譲渡のときにも,ここの資料の乙案から後は全部,その発想で考えていきましょう,というお話であると思います。   ところが,そのような日本法の発想とは別に,何も近時になってからというものではなくて,外国法制の相殺の扱い方の中には,債権譲渡や差押えのように第三者が絡んできた場合に,どのようにして相殺の可否ないし対抗を決めますかというときに,エポックとエポックの比較という発想ではなくて,相殺で問題になる二つの債権の間に関連性がありますか,ありませんかという基準で切り分けていきましょうという思考があったと思います。内田委員の二つ前の御発言のときに,正に関連性という言葉が出てきましたけれども,あれがここでいうと甲案であり,今回,議論していることの本質であると思います。   昔の比較法の論文だと,関連性と言わないで牽連性という言葉が使われたことが多かったのですが,私は牽という字が嫌いですから,ここでは関連性という言葉を使わせていただきますけれども,日本法の従来の時期の比較の発想とは別に関連性発想を導入して,ひとまずは債権譲渡の問題のところにその思考を少し入れてみませんかというものが甲案の思考で,多分,それというのは状況は違うけれども,差押えと相殺との関係でも似たような発想をする,それが政策としていいかどうかは分かりませんけれども,思考の可能性としては十分にあると思います。   そうであるとしますと,先ほど中井委員は乙案を基本にとおっしゃったし,私も乙案を基本にと申し上げましたけれども,今後の議論を豊かに進めるという見地からは,乙案以下の時期の比較の発想とは別に,日本法の従来の思考とは異なるけれども,甲案の一部に見えてきている関連性を基準とする相殺の対抗の可否ということも,もう少し考えてみませんかという問題提起を中間試案などにおいてしていくこと自体は,案として並べて議論を喚起すること自体は大いにあり得る話ではないかと,議論を聞いていて感じました。 ○松本分科会長 自分の整理のためですが,話を聞いていると,甲案というのは別に将来債権の譲渡が問題なのではなくて,既発生の債権の譲渡であろうが,将来債権の譲渡であろうが,要は将来発生する反対債権でもって,一定の場合は相殺を認めましょうということなわけですね。だから,反対債権が将来債権であるということに甲案のポイントはあるという理解でよろしいですか。抗弁切断の基準時の議論が最初に出てきてしまったものだから,既発生債権譲渡と将来債権譲渡の違いがクローズアップされたような印象ですが,そこはどちらにせよ,基準時後に発生する将来債権でもって相殺できる利益を保護しようというところにポイントがあるのだとすれば,反対債権が将来債権である場合についても大幅に相殺の利益を保護するのが甲案で,そうしない従来型が乙案だということでよろしいですか。 ○三上委員 内田委員の御見解の確認なんですけれども,何度も銀行の例で恐縮なんですけれども,既発生でも将来でもいいんですけれども,②は,例えば定期預金債権が譲渡されたとして,その後で取得する貸金債権と定期預金債権の相殺は認めるのでしょうか。そんなものまでは認めないという趣旨でしょうか。内田委員が「②はそんなに広い範囲ではない」とおっしゃるのは,定期預金債権が譲渡された,将来の定期預金でも構わないんですが,その将来の定期預金が発生するときまでに,反対債権として貸金債権を取得していたというときの相殺は,甲案の①ないし②で認める趣旨なのか,その程度の緩い牽連関係では認めないという趣旨なのか,どちらなのでしょうか。 ○内田委員 一般論としては答えられないと思います。ただ,日本で定期預金というのが事実上,貸金債権の担保になっている,その相殺の期待というのを当事者は非常に強く意識しているという取引上の慣行というか,そういったものが今はあるのではないかと認識しているのですが,そういう認識の下においては多分,ここでいう一体的に決済される場合に入るのだろうと思います。ただ,どこでも定期預金と貸金は相殺できるのかというと,そういうわけではないだろうと思いますので,社会の取引の通念として,相殺による決済が強く期待されていると思われるものであるかどうかというのが基準になるのではないかと思います。これは全くの私見です。 ○三上委員 ありがとうございました。今の御意見を聞くと,金融機関としてはある程度,安心するのですが,ただ,恐らく今のものが入ってしまうと,中井先生もそうかもしれませんが,「一体的に決済を予定された」というのが,銀行取引とか,試案で問題になった「継続的取引」辺りまで,かなり広がるような印象があるのではないかと思うんですね。必ずしも預金と貸金というのは常に「一体的に決済を予定」するほど,牽連して発生していないと思うので。   つまり,預金の原資はほかからたまたま入ってきた振込資金かもしれないわけですし,貸金の代り金が預金に残っていると歩積みの問題にもなるわけですから,預金と貸金というだけで「一体的に決済される」となってしまうと,私なんかは結構広い概念だという印象を受けるわけです。もし,それが広すぎることが問題で,もっと狭く解すべきだという意見が出てきて,そこの部分が危なくなってくるのであれば,一番最初に戻って貸金債権が発生した後の預金であれば,それが過去に譲渡済みのものであっても相殺の対象にできるという基準日をずらす考え方のほうがより整合的というか,安心というか,無制限説で,余り二つの債権の牽連性を求めないで,差押えと統一的に考えられるという意味で,より安定的ではないかと思い,最初に基準時の話を言ってしまったんですけれども,議論を混乱させたのでしたら申し訳ございません。 ○山本(敬)幹事 今,内田委員が御指摘された点については,問題が二つあって,一つは今のような結論を承認するのかどうかという問題で,もう一つは,そのような結論を承認するとして,そのような結論が導かれるように,どう規定を定式化するかという問題だと思います。私がもう少し考えたほうがいいのではないかと思ったのは,二つ目の定式に関する問題です。甲案の②で示されているような「譲渡された債権と関連して一体的に決済されることが予定された取引であり,取得した反対債権がその取引から生ずるものであった」場合というのが,そこまでカバーできる定式なのかどうか,もう少し考える必要があるのではないかと思います。例えば「銀行取引」というようなものを考えて,それは全部入るというのに等しくなってくるように思いますが,それで本当に適当なのかどうかということは,本来,分科会で検討すべきことではないかと思います。定見がないまま申し上げて申し訳ないのですけれども,そのような問題もあるように思いました。 ○高須幹事 少し視点は変わるんですが,今の甲案的発想はどういうものかという議論が幾つか出たと思っておりまして,そのときとの関係なんですが,もう一つの意見は今,中井先生や三上委員から出ているように,むしろ乙案的発想に立った上で,基準時というところを少し柔軟にというか,解釈論を変えることで調整できないか。この二つの発想は,将来債権譲渡のところで非常に大きな必要性が出てくる部分なのではないかと思っております。   そのときに従来の将来債権譲渡の判例法理が,直近ですと部会資料にも出ている平成19年の国税債権との関係の判例だと思うんですが,いわゆる債権譲渡時というのでしょうか,あるいは対抗要件具備時というのでしょうか,この場合は第三者対抗要件のことかもしれませんが,いずれにしても,譲渡のところをメインにして一定の法律論を構成していると,将来発生してくる債権のところの発生時ということに対しては,余り重きを置いていないやのような判例の流れがある中で,今回,乙案的な発想に立って基準時をそこに何かの意味を発生に求めるということが,従来の判例法理と整合性を持つのかだけは1点,検討していただいて,整合性を害さないような形で,ここでも解決策を考えねばならないのではないかと。その点は1点,思いました。 ○沖野幹事 甲案に関して幾つか御指摘のあった点です。高須幹事が御指摘になった将来債権の場合の抗弁切断の基準時に関して,甲案だけではなくて,乙案,丙案,丁案の全てに当てはまるものでもあると思うのですが,こちらのほうは将来債権譲渡を想定したとき,それが平成19年判決等との関係で整合性が付けられるかということは,なお検討しなければいけないというのはおっしゃるとおりだと思います。   ただ,これまで問題となってきた局面は主として対第三者関係であって,既に譲渡されているというような形で,第三者に対して優先するような形での権利取得が認められるかという局面での問題であったのに対し,今回についてはむしろ債権の債務者との関係での局面です。もちろん,相殺というのは後の丙案がそういう考え方かもしれませんけれども,一種の担保なんだと考えれば,第三者対抗要件と共通の局面があることになります。ですから,相殺の抗弁というのをどういう性格として捉えるのかということが,その際には問題となってくるように思います。結論があるわけでは,その点も考えておく必要があるのではないかということだけです。  それから,山野目幹事から御指摘のあった甲案の持つ今までの日本民法の法制の中での特殊性,特に相殺における時期を基準とした相殺の規律とともに債権間の関連性に着目した規律という二つの視点というのは,非常に明快で分かりやすいと思いました。既に御指摘のあったことですけれども,甲案の②の考え方というのは,交互計算についての考え方といいますか,そういうものをどこまで認めていくかということも,一つ関連する事項としてあるのではないか,それと関わりを持ってくるように思われます。ただ民法の法定相殺だけを考えていたときには従前の民法からすると,やや異質あるいは新しい視点だということになるようでもありますけれども,他方で交互計算ですとか,あるいはネッティングですとか,そういうものを考えていったときには既にある程度の規律があり,かつ破産法における相殺禁止と,これは岡委員がまた御指摘になる点かと思いますけれども,そこにおいてどこまでの相殺が認められるかというときには,その原因ですとか,契約が生じていたかというような,時期だけでは必ずしもない要素というのが入れられてきていたのだと思います。そういうものとの比較でも,整合性というのを考えていく必要があると思います。そして,その際,定式ということですが,それらの比較ということを考えていきますと,例えば交互計算ですと一方が少なくとも商人で平常取引で,しかも相殺するという形で一種,債権債務囲い込みというのが認められる。あるいはネッティング的な処理というのは,金融機関等が行う特定金融取引の一括清算に関する法律ですとか,あるいは破産法でも58条の中で一部入っているところですが,それらでは基本契約があって一括清算条項が入っていることが要件となっています。相殺的な処理で一体的にその枠内の債権債務について優先的に確保する,あるいはほかの債権者はアンタッチャブルで入ってこられないというものについては,相当な限定が掛かっていると言え,それからすると,もう少し,限定を掛けるべきだというのは十分考えられるところだと思います。   そのときも,差押えまで排除してしまうものであるのか,それとも,差押えは排除できないけれども,債権譲渡という基本的には平時の取引においてのみ,そこは一体的に決済であるということであるのか,その効果といいますか,局面といいますか,その違いが広狭を生むということもあると思われます。これは内田委員が御指摘になっている点だと思うんですけれども,そういうことは十分あり得るのかなと考えたところです。   最後にもう一つ,相殺契約ないし相殺合意という観点からの切り口もあるのではないかと思います。②で一体的に決済することが予定された取引というのは何かを考えますと,当事者はそれを期待しているという事実的な期待なのか,それとも,これは最後に相殺処理しますという約束になっているのか。もし,そうだとすると,相殺によって処理するという,相殺契約がある場面として,さらにそのような契約があれば直ちに全面的に認められるのか,プラスアルファの事情を加味していくのか,例えば定期預金の例ですと,定期預金の期限が来たときに定期預金と貸付金があるときは決済するものとしますというような条項が仮に入れられていたとして,それでも譲渡された後の債権については,もはや見合いと考えていないというような実態が現にあったときには排除するとか,何か,更に制限を掛けていくやり方もいろいろありそうに思います。それを組み込んでいくということが考えられないでしょうか。   相殺の箇所では,相殺合意や相殺契約と言われていたものには様々なものがあるけれども,むしろ,主として念頭に置かれていたのは期限の利益喪失条項ではなかったかという指摘がありましたが,もう少し正面から,これとこれとは相殺する旨の合意という意味での相殺合意や契約というのを取り込んでくることを考えてもいいのではないだろうかと思います。 ○松本分科会長 今の相殺合意を正面から認めるという御提案の場合は,それが債権譲受人に対して対抗できるという話に,つまり,相殺契約あるいは相殺合意の第三者効という話に直結するわけで,そうなると,結局,譲渡禁止特約の第三者効と類似の問題がもう一度,そこで出てくるという感じになりませんか。つまり,譲渡禁止特約の効力を制限したから,こういうニーズが出てきたんだと。これを合理化するために相殺禁止特約の効力ということで,今度は認めるんだという感じですね。 ○沖野幹事 譲渡禁止のためにこれを何とか置こうというだけの結び付きではないのではないかとも思います。そもそも,先の例ですと交互計算や一括清算など,当事者が取引として,それは見合いであるとして行っているものがある場合に,どこまでそういうものを認めるかということではないかと思われます。そういうものは個別の規定があるもの以外については,認めないことでよいということであれば,譲渡禁止特約に対してもう少し譲渡を拡大するための見合い,正にその見合いとして少し広げるということにとどまると思うのですが,そうではなくて,そもそも,そのような一体的取引をするということがどの範囲かではともかく尊重されているところ,それが譲渡によって崩されるべきではないという考え方を採るならば,譲渡禁止特約対応だけではないと思います。あるいはそれがどちらであるかを明確にする,射程というか,スタンスというかが固まってくるのかもしれないとは,今,伺っていて思いました。 ○松本分科会長 あるいは,譲渡禁止特約の絶対的効力をある種の取引については認めるという案でもいいわけですよね,今の逆の発想ですが。 ○沖野幹事 相殺だけではなくて,もっと広がる可能性もあるわけですけれども。 ○松本分科会長 相殺を期待して②のような形の取引が行われているという場合については,譲渡禁止特約は有効だ,絶対的効力があるというルールでもいいわけですよね。 ○沖野幹事 譲渡禁止特約だけに対応するなら,そういう考え方もあるかもしれません。絶対的な効力とおっしゃることの意味が,譲渡自体も無効であるという趣旨でおっしゃるのであれば,やや過大な感じはいたしますけれども,相殺のほうをというか,そのような一体的な決済を確保したいということであれば,そのような契約とともに,譲渡禁止を必ず付けるということになると思います。 ○松本分科会長 岡委員の来られるのを待っていたんですけれども,3の論点についてどうぞ。 ○岡委員 部会で申し上げたのと同じことなんですが,内田先生のおっしゃる差押えと破産と譲渡の場合は違うと。全くそのとおりだと思うんですが,甲案のさっき山野目先生がおっしゃったような新たな概念がここでどんと出てくることに危惧感があるというのが最初の意見です。   2番目に,いろいろ議論している中で,具体例としてどういうのがあるんだと,松尾さんにもこの間,お聞きしましたけれども,パブリックコメントを見ておりましたら,加盟店がクレジット会社に対する立替金請求権を譲渡したと,その後,2か月前に決裁済みだったけれども,キャンセルが起きて加盟店から取り戻す債権が出ますと,それは今までクレジット会社としては決済というか,相殺していました。それは譲渡通知後に発生した債権と言わざるを得ないのかと思います。そうだとすると,こういう規定ができると助かると,何か,そういう趣旨のコメントがありました。でも,それも条件付債権を債権譲渡時に既に持っていたと,クレジット会社が加盟店に払ったときに,もし,キャンセルになったら返してくださいねと,そういう条件付債権が債権譲渡通知前にあったんだから,それで相殺できると。そういう解釈でも可能なのではないかと思います。   この間の5月28日,委託を受けた保証人が破産開始後に弁済した場合に取得する事後求償権と破産者に対する債務を相殺できるという最高裁判決が,理由は明示していないんですけれども,出ました。千葉裁判官の補足意見を見ると条件付債権と書いていますので,それも破産開始決定時に条件付債権があって相殺できると構成すればうまく解釈できます。余り民法で議論されていないようですが,民法511条でも差押え後に,委託を受けた保証人が弁済をして取得した事後求償権を自働債権として,差押えられた受働債権と相殺できるという解釈も可能と思われます。そういうふうな条件付債権の構成で,それなりに積み重ねができている状況では,条件付債権構成でほぼ解釈,運用できるのではないかと思います。譲渡と個別執行あるいは包括執行は違うというのはよく分かるんだけれども,そんなに大きく違わないとしたら,倒産,個別執行,譲渡で,同じ概念で処理をしたほうが実務としては安定的に運用できるのではないかと,そういう観点から乙案のほうがいいのではないかと思います。   そうはいっても,内田先生のような違いがあるというのは分かるので,もし,そうだとすると,現行法のまま,よく分からない規定ですけれども,解釈でしばらく回すのがよいと思います。甲案のように,今,はっきり定式化するのには危惧感があるというのが今の私の思いでございます。 ○松本分科会長 甲案で念頭においているのは,今,おっしゃったようなタイプよりもっと広いのではないですか。つまり,保証人が保証債務を履行すれば求償権を取得するという話の前提には当然,主たる債務者は融資を受けて債務を負担している,それは既発生の債務であると。保証人の債務も既発生であるという前提の下での将来の求償権でしょうけれども,甲案が考えているのはもっと広いと思うんです。先ほどの金融機関の例でいけば保証取引ですか,あるいは当座貸越なんかも①に入るんですか。つまり,まだ融資はしていないけれども,根抵当権を設定していて,一定額までの融資はかなり期待できるというような場合,①はそれを想定していると思うんですが。 ○岡委員 今の場合を想定しているとしたらえらく広すぎる話で,債権が譲渡された後に貸し付けた債権,それと相殺できるのはおかしいですよね。 ○松本分科会長 私は,甲案というのはそれを狙っているんだと思っていたんですけれども。当座貸越契約が結ばれていて,そのときに預金債権があったとして,それが譲渡された後で融資がされた場合に,それは相殺できるということを狙っているのが甲案の①だと理解していたんですが,②はもっと広い。 ○岡委員 でも,①がそのように解釈されるのであれば,余計,こういう定式化はまずいと思いますね。 ○沖野幹事 せいぜい②ではないでしょうか。 ○松本分科会長 発生原因というのを何と読むかによるのでしょうけれども。 ○三上委員 当座貸越契約も,当座預金譲渡があったからといって,手形の決済をしないと不渡りが出ますから,①という可能性もあるとは思いますが。 ○内田委員 大体,議論は出たように思いますので,これ以上,議論する必要はないと思いますが,甲案の文言解釈をいろいろやるというのは,余り生産的ではないので,どこまで相殺できる範囲を広げるべきか,511条の無制限説で想定されていたものよりは広いということに余り異論はないように思いますので,それがどこまで広がるべきかという政策判断をして,そのあと,山本幹事がおっしゃったように,それを言葉でどう表現するかという問題を論ずるべきだろうと思います。ここにたまたま書いてある言葉の文言解釈で,これが入るか,入らないかを論ずるというのは,立法論としては余り生産的ではないと思います。今まで幾つか例が出て,ほぼ異論のないものと微妙なところと,出ていると思いますので,そういったものを見ながら,どこで線を引くかという政策判断をして,後は表現を考える。そういう方向性は出てきているのではないかと思います。 ○沖野幹事 債権譲渡のところですけれども,511条の解釈を明確化することとも関連してくるように思われます。乙案は元々の511条を想定した表現にもなっており,そこにいう無制限説であるということだったのですが,条件付債権の扱いの問題は511条の基でもあり,反対債権を取得していた場合と言えるのか,条件付き,停止条件付きという場合も元々の法律行為に条件が付いている場合と,債権自体に条件が付いている場合とで分かれるのではないかという御指摘もあったので,そう一概には言えないのかもしれないんですけれども,例えばそれを明確にするということは考えられないでしょう。そうしたときには,その限りでは511条についても手当てをすることになるのかと思われます。そのことも一応の選択肢としてなお残しておいてはどうでしょうかというつもりです。 ○松本分科会長 休憩の予定の時間になりましたので,この論点はこれぐらいにしたいと思いますが,現在の無制限説を前提にして,それをどこまで広げるべきかというところをはっきりさせた上で,それを適切な言葉で表現するのがいいのではないかというのが結論だったと思います。少なくとも停止条件付きのようなものは入れてもいいのではないかという点については,余り異論はなかったと思います。それ以上に更に何を入れていくのかという点は,今後,また部会で議論していただければと思いますが,それでよろしいでしょうか。 ○中井委員 停止条件付きでも単純に停止条件付きが含まれる,含まれないともならないように思うのです。というのは,先ほど岡委員が御紹介になった今年5月28日の最高裁判決は,委託のない保証については事後求償権との相殺を認めない,これは倒産手続の関係ですけれども,認めない。その理由の中で,委託のある保証の場合の事後求償権は相殺を認めるとなっているわけです。   ですから,この取得に事後求償権のことを想定しても,委託があろうがなかろうが停止条件付債権という評価になりますが,倒産手続の中では,一方は相殺を認め,一方では相殺を認めていないというのが直近の最高裁なので,それを債権譲渡の場合,差押えの場合に準用していくにしても,停止条件付きの中身を考えなければいけないとすると,結局は本当に合理的な相殺期待とは何ぞやという実質論になるのかもしれません。そうすると内田委員のおっしゃる,甲案の実質論の議論になるのかもしれませんので,形式的基準ではそう割り切れないのかという印象を改めて感じました。 ○松本分科会長 保証人の求償権を停止条件付債権と評価するのが適切なのかどうかという点も重要だと思いますが,それでは,この辺で休憩したいと思います。           (休     憩) ○松本分科会長 それでは,時間になりましたので,後半に移りたいと思います。 ○三上委員 前半の最後のまとめの部分がよく分からなかったので,しつこいようで恐縮なんですが,いろいろな意見があるのは分かったんですが,甲案の②の表現の仕方は本会議で議論するみたいなことを最後におっしゃったような気がするんですが,内田委員や山野目幹事が非常に抵抗されるということは,理論的にアブサードなことを私は言っているのだろうと推測はしますが,乙案で抗弁切断の基準時を反対債権の発生時ないしは第三債務者対抗要件取得時のどちらか遅いほうまでずらす案,つまり,抗弁切断の基準時以外は差押えの場合も債権譲渡の場合も乙案的な考えとしては統一している案です。これは非常に客観的に基準は明確だと思うんです。これが乙-2案というのか,甲-2案というのかよく分かりませんが,そういう提案もあったということだけは記録にとどめておいていただきたいと思いまして,蛇足的ながら,最後に一言付け加えさせていただきたいと思います。 ○松本分科会長 先ほどの私の整理の仕方が不十分だったと思うんですが,既発生の債権を譲渡する場合の反対債権が既発生の場合と,それから,相殺する側の反対債権が将来債権である場合について,どこまで広げるべきか,広げる場合に文言をどうすべきかという議論が一つあって,さらに将来債権を現在譲渡するという場合に,将来発生する反対債権でもって,どういう場合に相殺の利益を守るべきかという議論がもう一つある。その場合にどこまで保護すべきか,それを適切に表現する文言はどのようなものかという議論をしていくべきだと思いますから,いきなり,将来債権譲渡のものも含めた形で定式化すると,少し議論が混線するのではないかという気がいたしまして,既発生債権譲渡の場合に反対債権として将来発生するものも含めて,どこまでという議論をまず整理したほうがいいのではないかなと。将来債権譲渡の議論をすると,正に抗弁切断の基準時としていろいろな議論が出てくるわけでしょうから。 ○三上委員 私が申しておりますのは,今ある譲渡される受働債権の反対債権が将来発生するときに,どこまで相殺を認めるべきかの議論を先にすると,その範囲を制限するために「一体的に決済」とかあやふやな概念が入ってくるのではないかというのを懸念しておりまして,したがって,極端なことを言うと,受動債権の譲渡に際して相殺の抗弁を主張できるのは,そのときに既に発生している自働債権だけで構わない,将来発生する受働債権に関しては,それが発生したときに存在している反対債権・自働債権だけで構わないという案を提案しているわけです。その際に,受働債権発生時点では,停止条件付自働債権のような,抗弁の基礎的なものが発生していた場合も差押えと相殺の議論で相殺可能な範囲に入ってくるのであれば,それと同じ範囲のものを債権譲渡にも持ってきくる。こういう形で判断の基準日をずらすだけで,考え方自体は差押えと相殺の無制限説と全く同じものをここでも展開するという案を記録していただきたいという趣旨です。 ○松本分科会長 既発生の債権と将来発生する債権との相殺を許さないんだということであれば議論はシンプルになりますが。 ○三上委員 ただ,将来に発生する債権を今,譲渡するというときにはシンプルにはならないですね。 ○松本分科会長 おっしゃるとおりで,将来債権を将来債権で相殺するという場合が難しい議論になるでしょう。そうではなくて,現在既に発生している債権を将来発生する債権でもって相殺することは許さないということであれば,そのパターンは議論しなくていいわけですね。 ○中井委員 三上委員のおっしゃっていることは,私が申し上げていることと通じていると基本的には理解しています。既発生の債権譲渡については従来どおり,乙案を基準にするという考え方を採る。そのとき,それで尽きるわけですけれども,将来債権の譲渡についてどう考えるかというときに,基準時を,債務者対抗要件を取得したときか,将来債権が発生したときか,いずれか遅いほうを基準にして,既発生債権と同じ規律で解決する,それで問題が生じないか確認が必要と思いますが,それは三上委員の考え方と共通するのではないか。私はなおそのときに乙案を採ったときの取得という概念について,従来の511条の取得にとどまるのかどうかについて議論を深めて,その範囲を更に検討してほしいと申し上げております。そういう整理です。 ○松本分科会長 私は,特に金融界としては現在,既発生債権の譲渡に対して将来発生する債権でもって相殺したいというニーズがあるから,甲案を支持されているんだと思っていたのですけれども,そうではないということですか。そういうニーズはない。つまり,既発生債権の譲渡に関しては,現行法どおりで全く不都合はない,そういうニーズがないのであれば,ニーズのない議論はする必要はないということですけれども,本当にそれでよろしいんですか。 ○三上委員 基本的には銀行の預金等に関しては,債権譲渡禁止特約が外れること自体に反対しておりますから,第一の防御ラインはそこにあるわけです。その先というのは少なくとも無制限説が採用されるのであれば,ある程度の防御は約定等によって今の期限利益喪失条項のようなものを債権譲渡の場合にも導入して,例えば無断で債権譲渡すれば失期しますというような約定にする。その限りでは譲渡人に何の問題もないときにそれを適用すると権利の濫用とかになるかもしれませんが,ある程度の防御は可能だと思います。   ただ,それよりも将来債権との相殺が広く保護されるというときに,銀行取引債権だったら「一体的に決済される」みたいな広い概念で認めてもらえるという保証があれば,そっちに乗るんですけれども,恐らくそんな広いところまで広汎に相殺の抗弁を認めることには,弁護士会の慎重意見もありましたし,何でまた銀行だけいい目をみるのかみたいな議論になるのではないか,そこでどんな言葉を置くにしても必ず解釈問題とか,議論を呼ぶのではないかと思いまして,そうであれば,債権・債務が対立していれば出自は問わないという無制限説一本で行くほうが,理論的にも解釈的にもすっきりするのではないかと思って提案している次第です。 ○松尾関係官 三上委員の意見の内容を確認させていただきたいのですけれども,抗弁切断の基準時を変えるべきだという御意見は,相殺の抗弁に限った御意見なのか,それとも,相殺の抗弁に限らず,抗弁一般について将来債権譲渡に関しては抗弁切断の基準時を変えるべきという御意見なのか,どちらと理解すればよろしいのでしょうか。 ○三上委員 すみません,ぱっと全ての抗弁が頭に浮かんでいるわけではないんですが,解除とか取消とかも含めて全ての抗弁で同じ考え方でも構わないのではないのかなと思います。譲渡済みの将来債権に発生時点で譲渡禁止特約を付けられるわけですから,それと同じことを考えれば,抗弁も全て将来の債権発生時で判断していいと,すみません,検証未済のアイディアで恐縮です。 ○松本分科会長 譲渡禁止特約の効力をどうするかが決まらないと,議論ができない部分があるということですね。では,よろしいですか。   それでは,「将来債権譲渡」のうちの「譲渡人の地位の変動に伴う将来債権譲渡の効力の限界」について事務当局から御説明を願います。 ○松尾関係官 部会資料37の56ページ以下を御覧ください。この論点につきましては,第45回会議で審議がされました。   まず,アについてですが,甲案については結論が妥当でないとする批判があり,これを支持する意見はありませんでした。乙案については,これを支持する意見が複数ありました。他方で,売掛債権が譲渡された後に当該売掛債権を発生させる事業が譲渡された場合の取扱いについて,比較的,狭く考えることを前提として乙案のような考え方でよいとする御意見もありました。これらに対して,丙案を支持する意見もありました。具体的には将来債権や譲渡の態様などが多様であるということに鑑み,丙案のような考え方を採るべきであるという御意見でした。また,部会資料記載の考え方以外の考え方として,譲渡人の地位の変動後は将来債権譲渡の効力を第三者に対抗することができないとする丁案という考え方が主張されました。 ○松本分科会長 それでは,ただいま御説明いただいた点について,どうぞ,御意見をお出しください。 ○坂庭関係官 部会でも指摘させていただいておりますし,また,あるいはここではなく,次のイで議論すべき問題かもしれませんけれども,不動産が競売になりました場合に,当該不動産の賃料について,将来債権譲渡が行われていたときの譲受人と買受人との関係をどのように整序したらいいのかについて,裁判所としては,非常に関心を持っておりますので,この点について御議論いただければと考えております。 ○鎌田委員 現在の実務はどうされているのですか。 ○坂庭関係官 私の限られた経験の範囲ですが,将来債権譲渡の効力が買受人との間で争われた事案を扱ったことがございませんので,申し訳ございませんが,はっきりこうですとはお答えできません。 ○松本分科会長 競売の場合に,物件明細書に賃料は全て誰々に譲渡済みとかいうことを書くんですか。 ○坂庭関係官 これも私の限られた経験の範囲での話ですが,将来の賃料を譲渡済みという記載を見たことはありません。たまたま将来債権譲渡が行われた事案に出くわさなかっただけかもしれませんし,将来債権譲渡の有無を書くか書かないかに関して統一的な基準があるかないかという点については,直ちにはお答えできません。 ○松本分科会長 賃借物件であるということは出ていますよね。賃借の条件も出ているんですか,賃料が幾らとかいうのは。 ○坂庭関係官 それは出ています。 ○中井委員 この問題は,これまでの議論の経過を見ていると,乙案を提唱する考え方の典型例として,賃料債権を想定して議論をしていたと思うのです。しかし,賃料債権を譲渡するという実務については,事務当局から広く業界に問合せをしていただいた結果として,取りまとめされていましたけれども,ほとんど例がないというのが結論だったと思います。したがって,今の分科会長の質問についても,競売実務の中でもほとんど現れてきていないのではないかと思われます。   その理由は,部会のときも申し上げたかと思いますけれども,基本的には不動産から資金調達しようとすれば,当然のことながら通常は抵当権を設定するわけで,抵当権を設定すると同時に,抵当権者がなお補充的に賃料債権を譲り受けるということはあるかもしれませんが,先行して抵当権が設定されている不動産について,賃料のみをそれと分離して別に資金調達目的で譲渡するなどという実務は全くない。本来,賃料債権は抵当権によって把握されているわけですから,把握されているものを,ある意味で同じ価値のものを2回譲渡することは実務的にはないし,譲渡したとしても抵当権者に遅れる。   では,抵当権が設定されていない場合に,賃料債権を譲渡する実務があるのかといえば,あり得ない。抵当権を必ず取るであろう。そうすると,あり得るとすれば賃料の前払いとか,そういうものがあり得るのかもしれませんけれども,それ以上の利用がないのではないか。それであっても,賃料債権を何らかの形で資金調達するという何かがあれば別ですけれども,そうでないとすれば,それを想定して議論するのは的外れだろうと。   では,乙案の対象としてはどういうものが考えられるのか。あるとすれば,特許等に基づくライセンス契約が継続的にあって,そこからライセンス料が入る。それを長期的に3年とか一定期間のライセンス料を譲渡する,若しくは,フランチャイジーとの間での何らかの収益をフランチャイザーが債権譲渡することによって資金調達をする。その後に特許権なら特許権の地位が移転する,フランチャイザーの地位が移転するというような場面があり得るのかもしれません。でも,かなり限定されているのではないか。そのような場面で,場合によっては乙案的な規律を入れることによって,一定の資金調達はあり得るのかと思います。   それ以外に,取引関係があって基本契約を前提として個別に発生する売掛債権を期間を定めて譲渡する,このような場合は,結局は個別売掛金の譲渡にすぎないので,事業を譲渡した場合の事業の譲受人の下で発生する個別契約に基づく売掛金が,債権の譲受人に帰属するという考え方は恐らく誰も採っていない。これは理屈でいうならば,そんな処分権は元々の譲渡人にはないと言わざるを得ないので,そういう個別売掛金的なものについて将来債権の譲渡があったとしても,それは事業譲渡時点で既に発生した債権にしか及ばない。乙案的規律を設けても,契約上の地位を承継した第三者の下で発生したものとは到底言えない,その範囲外のものではないかと思います。   したがって,乙案を弁護士会でもそれなりの数,支持するところがあるわけですけれども,想定される利用範囲はかなり限定されているという印象を持っています。それであっても,そのような範囲での資金調達のために,明示したほうがいいのかどうかという辺りを考えるべきではないか。そこまでの必要性がないとき,基本的には処分権のある者が処分できる債権に限る,処分できない債権は処分できないということが確認できれば,先ほどのいわゆる事業に伴って発生する売掛金等を将来債権として譲渡したとしても,事業譲渡があれば事業の譲受人で発生するものは,そもそも譲渡人に処分権がなかったのだから効果は及ばないという,こういう一般的規律で解決できるのではないか。それを私は前回丁案でそれを明示するがごとく言いましたけれども,それは丁案でなくても丙案でいいのかなとも改めて思い直しております。   その上でですけれども,仮に乙案のような形の規律を設けたときに,賃料債権について誤解が生じてはいけないということを強く考えるならば,また,その適用があると解されるなら,イについては山野目幹事,また,村上委員もおっしゃっていたと思いますけれども,甲案として明らかにしておくべきだろうと思います。   ただ,この点,資料を配布していただいていますので,本当に需要があるのかどうか分かりませんけれども,大阪弁護士会有志案としては仮に賃料債権の譲渡を認めるとすれば,それは不動産取引に極めて影響がありますので,賃料債権譲渡という登記を,不動産登記簿にできる仕組みを作るべきだという提案をさせてもらっています。ただ,先ほど申しましたけれども,抵当権という不動産の価値を担保に資金調達する通常の方法があるわけですから,それに重ねて,このような方法が果たして必要なのか,更に慎重に考える必要があるだろうと思います。 ○深山幹事 アのところについては中井先生と同じ考え方をしております。すなわち,将来債権譲渡の効力の限界という観点でいうと,どこが限界かというと,正に譲渡人の処分権の範囲で決まってくる問題なのだろうと考えています。   いろいろな契約類型があるわけですが,共通した言い方をすれば,譲渡人が処分権を有する契約関係に基づいて発生する債権については譲渡でき,将来発生する債権であってもできる。逆に自己が当事者でないような契約に基づく債権というのは,処分権が及ばず譲渡のしようがないだろうということになるはずです。内容的には限りなく乙案のような切り分けになるのでしょうが,しかし,規定として乙案がいいかというと,むしろ,丙案とならざるを得ないのではないかと結論的には思っています。単なる表現の問題かもしれませんけれども,乙案は「第三者の下で発生する」という人を中心とした切り分け方ないしメルクマールにしている表現なんですが,むしろ,処分権の限界がどこにあるかということからすると,債権の発生原因たる契約をメルクマールとして,どの契約に基づく債権なのかというところで切り分けられてくるという気がします。乙案の表現を第三者の下でという言い方ではなくて,債権を基準にする表現に変えれば,規律ができるのかなという気がしなくもないんですが,単に一般的な処分権の限界をめぐる解釈に委ね,特別の規律は設けないほうがむしろすっきりするのかなと今は考えております。   その考え方は,不動産の賃料債権についても,基本的にはあえて変える必要はないのではないかということを部会でも申し上げましたが,それに関連して先ほど競売の話が出たので,その点についてだけ申し上げますと,いわゆる賃料を発生させている不動産が競売に付された場合の競落人との関係に関しては,まず,一口に競売と言っても担保権の実行の場合と強制競売の場合とでは区別して考える必要があるのではないかと思います。担保権実行,例えば抵当権の実行であれば,抵当権者と賃借人との関係において賃借権が対抗できるかという問題として,賃借権自体が対抗できなくなれば,それによって賃貸借関係そのものが競落人との関係で消滅すれば,将来の賃料債権を譲渡していたとしても,その効力が残るということはないんだろうと思います。   強制競売の場合には,ここは議論が分かれ得るのかなと思います。売買が賃貸を破るという古典的な議論に乗せて考えることもできるのかもしれませんし,対抗要件のある不動産賃借権については物権的に理解するという考え方もあるのかなとも思います。競売の場合にはそういったことも考慮する必要があるのかなという気がいたしております。 ○沖野幹事 御意見を伺っておりますと,規定を置く必要性の点は両論がありますがが,書くか,書かないかはともかくとして,その中身,規律内容についてはむしろかなり意見に一致があるように思われます。乙案の定式化がよろしいかどうかはそれ自体問題がありますし,規定を置くまでのことかという点については御指摘がありましたけれども,お二人ともに契約から発生する債権について譲渡人が正にその債権を発生させる契約をした,それはいわゆる個別契約であろう,その限りでは譲渡の効力は及ぶという点で一致されているように思います。そういう契約上の地位が更に承継されることがどの程度あるのか,それは例えば賃貸借のような場合ですとか,あるいは特許のような場合で限定されるのではないかという問題はありますが,ただ,そういう場合があるとすると,その場合の効力の及び範囲については御意見の違いは基本的にはなく,更に不動産の賃料の場合については,更なる規律ということが必要で,特則なり,調整なりが必要になってくるという御指摘は共通しているのではないでしょうか。そうだとすると,それを何とか書けないかという方向で考えてはどうでしょうか。それも基本的には乙案だけれども,しかし,契約上の地位を承継した第三者の下で発生したという定式は非常に分かりにくく,曖昧で,その定式自体を何とかできないかということであるならば,乙案のブラッシュアップなり,あるいは既に提案していただいている大阪弁護士会の書き方で更にきめ細かに第三者のためにする契約や,同意をした場合などをも考慮する,それが必要かどうかというのは分かりませんけれども,そのような譲渡人がした法律行為や契約によって生じた債権が限界付けであるという形で書いていくことは,なお考えられるのではないかと思います。   そういう規定は必要でなくて,丙案により全く設けないとしますと,それは結局,処分権がある範囲でしか処分ができないという一般論に委ねるということですけれども,元々,この問題は限界が分からなかったということがあり,それがこれまでの積み重ねによってかなり意見の一致を見るに至ってきた,あるいは,最初から意見の一致はあったのかもしれないのですが,分からなかったというところが非常に明快になってきたということがあると思います。しかし,他方で現在の部会資料56ページに甲案が併せて明らかにされ,甲案,乙案,丙案という形での考え方が出ているということは,そうではない考え方も十分あり得るということではないのかと思われまして,もし,こういう形であるべきだという方向が見いだされるのであれば,明確性を図るために,処分権といってもその処分権とは一体どこまでなのかという,その中身を明らかにする手掛かりを置くということは考えられるべきだと思います。   乙案自体の定式化については,この定式化が適切なのかという問題はありますけれども,ここのほうはむしろ内実はほぼ一致してきているのであれば,それを明らかにできないかという形で進めるほうがより望ましいのではないでしょうか。丙案にしたときに,今のような理解が本当に一般に普及した理解として疑義なく前提とされていくのかという点に私自身は不安を感じておりまして,規定の手掛かりを置いたほうがいいのではないかと思います。   そうしますと,不動産の場合について別途の特則を置くことになります。その特則の在り方としては,およそ効力は不動産の譲受人に対して対抗することができないという規律が果たして適切なのかは,疑問に思うところでして,不動産登記に新設をするというのが大阪弁護士会の御意見ですけれども,それができるのであれば登記に載せ,かつ,その上で期間を限定したらどうかとは思っております。これですと何十年でも対抗できてしまうということにもなりかねないという懸念に対し,期間の限定を掛けて登記に載せるというような制約の在り方を考えてはどうかと。そうしますと,競売との関係も,より明確に規律がされるということになるのではないかと思います。 ○松本分科会長 乙案で問題になるタイプの将来債権として,物あるいは無体物の利用料的な債権,賃料的な債権であり,かつ,その基になった物あるいは無体財産が第三者に譲渡されたことによって,利用契約あるいは賃貸借契約上の地位が自動的に移転するというタイプのものに限定して認めるという趣旨なのか,それとも契約上の地位の承継というと,とても広いですよね。先ほど中井委員が余り認められるべきではないとおっしゃったような事業承継も入ってくるわけでしょうから,継続的取引契約をしていて,どちらかの当事者が事業承継した場合に,正に契約上の地位が承継された,つまり,今後の継続的取引をやりましょうという枠契約的な意味の地位が承継されたということになります。そこまで広げるのは不当だということだとすると,物の移転に伴う契約上の地位の移転で,かつ,物の利用料債権というような特殊な場合に限定して設けるということなんでしょうか。 ○中井委員 先ほどの沖野幹事がおっしゃられた考え方については,結構,共通している,私の意見も変わってきましたが,共通になってきているという理解をしています。基本は,第三者に地位の移転があって,第三者の下で発生する債権についても,譲渡人が処分権を持っているようなものに限定されなければならない。その典型例が賃貸借契約における賃料債権であったわけですけれども,私が,その基本原則を認めながら乙案に否定的であったのは,最も典型的に考えられる賃料債権について乙案の対象となるとして,地位の移転を受けた譲受人の下で発生するものについても及ぶと言っておきながら,直ちにイでそれを否定するものですから,それなら一番乙案の核となるものがなくなるので,果たして乙案を規定する意味があるのかと。残るのはかなり限定したものではないかというところにあったわけです。   いわんや,基本契約的なものは決して地位が承継される契約の中には入らないと考えているものですから,通常の事業譲渡のときにはほとんど発生しないであろうというところからも,想定されるものがかなり限定される,限定される中でメーンの賃貸借契約の賃料債権についてはイで否定されるとすれば,果たして規定するのがいいのかと,こういう発想だったわけです。   ただ,沖野幹事のおっしゃるように,内容的に違う意見を言っているわけではありませんので,その部分について丙案であれば私自身がそういう考え方を採っているということも,また,それが一般的に承認されているということも表現されないことが逆に問題だという御指摘だとすれば,それを受けて乙案的な規律をもう少し文言も含めて考えていくということは,十分あり得ると思います。 ○山野目幹事 よく分からないのですが,内容的な,といいますか,実質的な利益考量が,皆さん,言っていることがほぼ同じだとおっしゃいますが,私は同じに聞こえなくて,賃貸不動産が譲渡されたときに,その譲渡の前に賃貸人が比較的長期にわたって賃料債権を処分していたときに,その処分の処分権的な効果が発揮され,かつ譲渡後についても維持されるかということについて,中井委員は維持されないとおっしゃっていると私には聞こえますし,沖野幹事は制度を整備し,登記制度上の手当などをした上で,一定期間は維持される余地を認めるべきだとおっしゃっていますし,一番中核になるところについて利益考量自体がまだ一致していないというか,そこのところに齟齬がある以上は,書き表すことの勇気を持てばいいという,ただ,そういう問題ではないように感じますから,一言させていただきます。 ○沖野幹事 どこに意見の一致を見ているのかということだと思います。イのところの不動産の賃料について,どのような規律が具体的に望ましいかという点は,確かに意見の一致を見ていないのかもしれません。また,中井委員のお考えがおよそ否定すべきとお考えなのか,つまり期間制限を入れ登記も入れてという形での規律に対しても,およそ否定的であられるのかというのは,まだ把握をしかねております。山野目幹事がおっしゃったのはイについての意見の不一致であるというけれども,乙案で一番想定されるのはイの場面なのだから,その点について意見が一致していないということは,大きな部分について意見が一致していないということであるという御指摘だと思います。   ただ,先ほど申し上げましたのは,分科会長の御疑問でもあったと思うのですが,乙案は何を狙っているのかです。一定の場合には第三者の下まで及んでいく旨を特に言いたい,基本は及ばないのだけれども,しかし,その承継者の下までは及ぶと。これは逆に言うと,基本的には甲案を否定しているところに主眼があって,甲案という考え方もあり得るという以上は,甲案を否定するような規律を置くべきではないのかということです。そうしたときに,その規定の在り方によって問題が出てくるのは何より不動産の賃料についてであり,それならば,そこは特則で抜いておかなければいけないという考え方だと思うのです。   そして,私が重要だと思いますのは,不動産についての取扱いについての意見の一致ではなくて,将来債権譲渡について甲案の考え方を否定し,処分権の内容というのは債権を発生させる契約を起点にしているという,その考え方が明らかになることが重要だと思っておりまして,その基本においては,中井委員も深山幹事も沖野も共通しているのではないかというつもりです。 ○鎌田委員 私も伺っていて,今の沖野幹事の整理のとおりだと思っています。分科会長のお話にあった物に伴って移転する契約上の地位というのと,そうでない場合とがあるというのは確かなんですけれども,乙案はそういう物の利用の対価にだけ適用されるべき考え方ではなくて,もうちょっと普遍性のあるものであって,物の移転に伴うときは原則として契約上の地位が移転するけれども,それ以外の場合には逆に原則として契約上の地位は移転しないので,結果的に物の利用の対価型のものが典型的に乙案の原則に適合していて,それ以外のものは譲渡された途端に契約関係が終わって,新しい契約関係が始まるのがむしろ普通の形になるという,その差ではないかという気がします。 ○松本分科会長 物の移転の場合には強制的な地位の移転が認められている,つまり,賃貸人の地位は強制的に移転するというところが大きいわけですよね。 ○鎌田委員 私はそこも強制的である必要はないと思っているんです。物が譲渡されたときに,それまでの利用契約は終了して,しかし,新しい契約で同じ人が使い続けるということはあっても別に構わないと思っています。そこは強制的ではなくて,むしろ,特段の事情がなければどっちにいくかというデフォルトルールなのだろうと思います。ただし,利用権を対抗する場面というのは,目的物の移転に伴って当然に契約上の地位は承継される。そうでないと利用権が終わってしまうからという,そういう意味では強制的とおっしゃったことと同じことになるかもしれません。 ○松本分科会長 ただ,一般論としてあらゆる契約の契約上の地位の承継が生じた場合について,当該地位の譲受人に対して将来債権譲渡の効力が及ぶというのが原則だという規定を置くのは,ちょっと広すぎるのではないですか。 ○鎌田委員 契約当事者の交替はあるけれども,契約関係は承継人の下でそのまま維持し続けるんだとあえて契約した場合には,その契約から生ずる将来債権について既に行われた譲渡なり,私はここでの理屈は差押えにも関連するのかもしれないと思っているんですけれども,それは効力が及んでいっていいのではないかと思うんです。そうでないと,契約上の債権を譲渡した者は元になる契約上の地位を譲渡しさえすれば契約関係を維持したまま,将来債権譲渡の効力を完全に免れることができるとか,債権差押えを契約上の地位を譲渡して,契約関係を維持したまま免れることができるという,それも妥当ではないとは思います。 ○山野目幹事 今,鎌田委員がおっしゃったこと,それ自体はそのとおりであろうと感じます。ただし,問題は,部会でも申し上げたことですが,アの論点とイの論点について,それぞれ同種のことを繰り返し申し上げるとしますと,アの論点のほうで契約上の地位に関わるような何らかの法律行為が行われたときに,新しい当事者の顔ぶれの中で,もう一回,従前のものを基本的には引き継ぎながらも,今後,また,この顔ぶれで引き続きやっていきましょうね,というやりとりをするときに,本当にそっくりそのまま,契約条件のどこも微修正もしないで維持されるということが普通かというと,そうではなくて何らかの調整がされるであろうと思うのですね。   その調整の幅というのは事例ごと,取引形態ごとに様々なものがあって,そうなったときに乙案の今の文言自体が規律として育っていくかどうかは分かりませんけれども,契約上の地位が承継されたというこの概念の基準の切り分けでは,それらの多様な事態をコントロールすることについて,どうしても心配が残るという問題があるであろうと感じます。そのような心配を残しておきながら,乙案の規律ないし乙案的なイメージの規律が採用されるときについていえば,部会で申し上げたことですが,イのほうの論点については実質的な利益考慮について意見が分かれるかもしれませんが,甲案の規律を明確化していただかなければいけないと申し上げたものでございます。   鎌田委員がおっしゃった,契約上の地位に関する変動の処分がされる前にされていた将来債権譲渡の効果は,基本的には譲渡後も維持されるという当然のことが,きちんと確認されるべきではないか,ということについて全く異論はありませんが,そのことをアの論点,イの論点として向き合ったときに,今,提案されている方向で何か規律を考案していくことについては困難があるであろうという心配は,なお禁じえない部分がございます。 ○松本分科会長 契約上の地位という言葉を強調すると,甲案というのはそもそも成り立たない,言語矛盾ではないかという気がするんです。つまり,契約上の地位が承継されていないにもかかわらず,第三者の下で譲渡の対象となった債権が発生するということはあり得ないですよね。それは,譲渡された債権とは別の債権だとしか考えられないわけだから,甲案はあり得ない。 ○山野目幹事 今の分科会長の御発言は,誰に向けて,どのよう御趣旨で発せられたものでしょうか。 ○松本分科会長 甲案に対してです。 ○山野目幹事 そのように承りましたが,そうとすると,甲案でいこうと言っている人は,いないのではないか,と思います。この席にもいないし,多分,世の中にもいないのではないかと想像していますが,ただし,問題として先ほどから議論になっていることは,仮に甲案的な発想が,具体の誰かが発言して採っているかどうかはともかくとして,あり得るかもしれないとなったときに,甲案を明示に否定するという意味での安定的な規律,透明性のある規律を追求するためには,乙案の発想での規律を設けようということを積極的に考える沖野幹事のお立場と,その基本線は賛同するものであるが,乙案を書こうとすれば書こうとしたなりに,その書き方については難しいところがあって,多分,克服することが難しいと考えられるのだとすれば,甲案が今,分科会長がいみじくもおっしゃったように,ほとんど成り立たない見解だとすれば,そのことを否定するために,無理に乙案的な規律を明示するということに頑張らなくてもよいのではないかと,そういう議論が応酬しているんだと私は今,理解していました。 ○松本分科会長 私も荒唐無稽な甲案を否定するために乙案を置くというのは,必要がないのではないかと思います。 ○鎌田委員 従来のこの問題についての議論からいえば,甲案的なものよりも,むしろ,ここに書いていない「当然に終わる」という考え方があって,甲案的なものでもなく,当然に終わるでもなく,乙案なんだというところで,ほぼ大筋の考え方は一致しているのではないかと思うんですね。あとは乙案を積極的にもっとこの考え方で推し進めていこうというと,イの問題については今の甲案ではなくて,何らかの合理的制約を加えるべきではないかという考え方に多分,つながっていくのだろうと思います。 ○中井委員 今,鎌田委員もおっしゃいましたけれども,弁護士会の意見でも元々はここで書かれていない,つまり,59ページで排斥された丁案的意見が強かったというのが正直なところです。それであっても,乙案の指摘されている一定の場面で契約上の地位を承継した第三者の下で発生するものについて,債権譲渡の効力を及ぼしていいのではないか,そういう類型がないわけではない,また,分かりやすいのは賃料債権だったというのは先ほど申し上げたとおりです。ただ,この契約上の地位の承継について言葉だけからすれば,先ほど言った例えば基本契約が承継された場合などというのが例として出てくるものですから,それはとんでもないと。   では,一体,ここで契約上の地位の承継として想定される共通の理解のものは何かというところが焦点になってきて,私は少なくとも譲渡人が契約した,それは一定の期間があって,その契約内容によって既に支分権的にというのでしょうか,発生する権利の内容が確定しているようなもの,その典型は賃貸借契約の賃料,特許のライセンス契約に基づく実施料,ライセンス料などが想定できる。だから,その限定がきちっとされて,その共通の理解が得られるのなら意味があるのではないか。その限りで山野目幹事が全くそこは無限定だからとおっしゃるのだったら,そこを限定する努力をして定めることを検討してもいいのではないかという意見を持っています。   ただ,それであっても私は賃料債権を除くわけですから,除くという考え方を持ったときに,本当に残るのはどれだけのものなのかというところから,繰り返しになりますが,乙案でなくても丙案でもいいといったのはそういう背景です。 ○松本分科会長 ただ,私の意見に対して鎌田委員が合意による契約上の地位承継も排除する必要はないとおっしゃった。そうしますと,継続的取引の基本契約を締結していて,将来の売掛債権を例えば何年分か譲渡するという契約を前の当事者がやって,その後,当該基本契約に基づく売主としての地位が第三者に移転した場合に,合意によってその地位を承継するということは十分あり得るんだということだと,乙案がその場合でも適用されるという話になるのではないですか。だから,基本契約を除外すべきだということには多分,ならないのではないですか。 ○中井委員 基本契約からは何らの債権も発生しませんね。賃貸借契約からは賃料債権は確実に発生する,しかし,基本契約だけからは何ら債権は発生しない。債権が発生するのは,個別に売買をして,個別に請負をして,個別に何かをしたことによって発生すると考えていますから,そうすると,私は乙案を採っても基本契約を承継したからといって,合意で承継したからといって,譲受人が勝つということはあり得ない,新たに発生するものは事業の譲受人独自に帰属する,こう考えているわけです。そこはきちっと切り分けできるのではないでしょうか。   先ほど契約の趣旨にとおっしゃったのは,沖野幹事だったかと思いますけれども,契約の中身の問題で,地位が承継されても譲受人が対抗できる場合と,全く対抗できない場合とがある。その切り分け基準は何かというと,私の考えでは将来発生する債権に対して処分権が譲渡人にあったのか,なかったのかというところで切り分けられる,こう思っています。 ○鎌田委員 基本契約は中井委員がおっしゃったような性格ですが,もうちょっと具体的な継続的供給契約があって,契約期間があと1か月で終わるところで譲渡があったとかという,こういうときに,しかし,それを丸々引き受けましょうというふうな契約のときには,途中で譲渡されたとき以降の,契約の地位が移転した以降の将来債権譲渡もすっかり終わりになるかどうかというと,そこも引き受けましょうというのだったら,そのまま将来債権譲渡の効力は及んでいってもいいのではないか。 ○中井委員 ひょっとしたら,基本契約という言葉の中身で誤解を与えているのかもしれません。私は通常の企業者間で行われている取引基本契約,基本的に決済,代金の支払方法,月末締めの翌月末払いであるとか,そういう条項を定めた取引基本契約が承継されたからといって,個別債権の発生とは全く無関係だということを申し上げたかったわけです。基本契約の名の下に,例えば,期間を定めて,それに基づき毎月2,000円ずつ払わなければいけないような電話利用契約があって,それがNTTドコモからNTT何とかに承継されたときに,それは確定的債権の発生ですから,債権譲受人が勝つ場面があると思います。それは契約の中身の問題になると思います。 ○松本分科会長 月々一定量を事実上,発注しなければならないようなタイプの場合でもそうですか。 ○中井委員 それは個別に物の供給が必要になりますから,それはまた,私の範ちゅうからすれば譲受人独自の債権になり,債権譲受人は対抗できない。 ○深山幹事 問題意識は,今,正に中井先生が言われたようなところにあって,具体例でいえば,継続的な供給契約で単なる取引基本契約ではなくて,ただ,何日締めの何日払いということは一律に決まっているとしても,例えばある月に何を幾ら発注するかは決まっておらず,その都度,今月はこれをこれだけくださいという発注を出して,初めて債務の中身が決まってくる,当然,代金債権もそこで決まってくるというような継続的な供給契約を想定すると,その契約から債権は発生するわけですが,具体的に弁済期がいつの金幾らの債権かというは将来決まってくるわけです。そのような場合に,例えば向こう3年間に当該継続的供給契約から発生する代金債権を第三者に譲渡しますということがあって,その1年後に契約上の地位自体が譲渡されたということになると,譲渡した時点以降の2年分の代金債権について受け取る権利を失った売主の地位が契約上の地位を引き継いだ新しい売主に移転をすることになるのかという問題です。   将来債権譲渡の一般的な議論からすると,もちろん対抗要件等の問題はあるでしょうけれども,自分の将来取得する代金債権を自分の財産として処分権に基づいて処分できるということを前提に,そうした帰結も認められる余地があるんだろうと思うんですね。但し,そのような帰結について,契約上の地位の移転があっても将来債権譲渡の効力が及ぶという規律として置くべきなのか,あるいは置く必要があるのかというと,それは処分権の範囲の問題として一般論で処理がつく話なのではないかという気がしているんですね。   いろいろな契約がある中で,こういう契約について,その地位を引き継いだ場合には及ぶとか,及ばないとかいうのは,なかなか,書き切れないのではないかなという点が,ずっと私が引っ掛かっているところで,乙案をブラッシュアップすること自体は全く反対するものではないんですが,果たしていろいろな契約類型を想定し,それを全部取り込めるような規律が書けるのかなということについて消極的な印象を持っており,丙案もやむなしというところなんですけれども。 ○松本分科会長 ということは,乙案的なものを認めるとして,どういう場合にという文言上のうまい表現,みんなが一致できる実質的なものをカバーする表現ができれば,それを採用してもいいけれども,それができない場合については,丙案というのもあり得るという感じでしょうか。   そうしますと,次のイのほう,賃貸借に限定して実質的な議論としてどういうルールにすべきかということかと思いますが,イは議論しなくていいということですから,それでは,時間の関係もございますので,次の論点のほうに移りたいと思います。部会資料41の「第1 契約に関する基本的原則等」のうちの「4 債権債務関係における信義則の具体化」につきまして審議を頂きたいと思います。事務当局から説明をお願いいたします。 ○笹井関係官 これは,部会資料41の12ページに記載された論点であり,第48回会議で審議がされました。   このうち(1)の付随義務については,支持する意見がある一方で,民法第1条第2項と重なるので規定を設ける意味はないという意見もありました。仮に規定を設けるとした場合に,具体的にどのような内容の規定が考えられるかという検討するために,分科会で審議することとされたものです。   こちらの論点につきましては,補充資料として分科会資料6を準備いたしました。分科会資料6の1(1)①は,契約に基づく義務の内容が当事者が合意したことのみによって決まるのではなく,それ以外の要素,現在は信義則ということになりますけれども,合意以外の要素によって補充されるということを明らかにする,そのような規定を設けることの当否を問題として取り上げたものです。   ②は,合意以外によって補充される義務の内容は,契約目的を達成するために必要かどうかという基準によって判断されるという考え方の当否を問うものです。この点について,部会においては,契約目的が類型的に決まるのか,当事者の主観によって決まるのか,当事者の主観によって決まるとして,誰の主観によって決まるのかなどの問題があるという意見や,この基準が曖昧で実務の取引に支障があるとの意見,契約目的を達成するために必要な行為の全てが債務者の負担とされるわけではないので,単に契約目的を達成するために必要かどうかによって定まるとすると付随義務の範囲が広くなりすぎるのではないかという意見などがございました。   次に,部会資料41の12ページの(2)は,保護義務を取り上げたものです。保護義務についても,規定を設けることを支持する意見がある一方で,民法第1条第2項と別に規定を設ける意義について懐疑的な意見もございました。仮に規定を設けるとした場合に,具体的にどのような規定を設けるかを検討するため,分科会で検討することとされたものです。   こちらにつきましても分科会資料6を準備いたしました。該当箇所は,分科会資料6の1(2)です。部会の審議では,債権の行使又は債務に履行に当たり,相手方の生命,身体,財産その他の利益を害しないとよう配慮しなければならないという考え方が部会資料で提案されていましたが,契約上の権利行使自体がこの義務に反することになりかねず,義務の範囲が広すぎるのではないかというような意見がございました。また,保護義務の内容と契約の目的であるとか,契約において当事者がどのような合意をしたのかという契約の趣旨との関連付けを図るべきであるというような意見もございました。そういった部会での審議を踏まえまして,分科会資料6の(2)では①と②の問題提起をしているということでございます。 ○松本分科会長 どうもありがとうございました。   それでは,ただいまの御説明につきましてどうぞ御意見をお出しください。 ○中井委員 4の(1)(2)については部会のときにも申し上げましたけれども,弁護士会としてはいずれについても積極的に考えております。分科会資料6は,前回の部会の議論を踏まえたものと思いますけれども,①,②で合意された義務以外に負う義務というふうに,合意を意識されて,付随義務の中には合意されていない義務もありますねということを強調されているように思われるんですけれども,あえて,そのような形で規定をする必要はないのではないかと思います。   元々の部会資料である(1),この3行は極めて簡潔ですが,このような簡潔な記載の方法でよろしいのではないか。   (2)の保護義務についても弁護士会は賛成をしております。これも分科会資料6で①で,保護義務としてという表現をあえて入れているのかと思いますが,これも本来的な義務とは別という趣旨なのか分かりませんが,保護義務という言葉をあえて入れなければいけないとは考えておりません。部会資料(2)にあるような,これも抽象的な表現ですけれども,このような表現でいいのではないか。ただ,これでは広すぎるという懸念に対しては,その他の利益を不当に害しないといいますか,不当を入れることによって,心配を払拭するという案が出ていたかと思いますけれども,そのような限定を入れることで足りるのはないかと考えています。   ○山野目幹事 中井委員に口火を切っておっしゃっていただいた議論は,今日,分科会資料6で提起していただいている問題の検討の上で,大変有益であろうと感じました。少し重なるところもあるかもしれませんが,差し当たって,分科会資料,1の(1)の付随義務のほうについて述べさせていただきますと,①,②,③と分けて書いておられるところについて申しますと,私の見るところ,核心になるのは②であって,②の取り分け合意された義務以外に負う義務というようなことを書き込むかどうかはさておくとして,取り分け,その後のところ,契約をした目的を達するために必要であると認められるかどうかによって判断されるということを経た上で,必要であると認められることについては義務を負うという趣旨の規定を置きましょうと,それが付随義務であるということを書き込むということは,相当なことであると考えますし,こここそが,繰り返しになりますが,核心になると感じます。   その上で,それ以外の①と③をどう考えるべきなのかということですが,①に関しては,私も結果としては中井委員と同じような心配を抱いている部分がございまして,つまり,いわゆる付随義務として学説が今日まで築き上げてきた概念あるいは判例実務上のそれに実質的に当たるものが認められ,用いられてきたものというのが,それは契約によって合意されたものの中に広い意味では含まれるということになるのか,合意されたものではないんだけれども,信義則その他の何か外在的な要素を考慮して,付け加えられたものなのかということについての峻厳な態度決定を迫るような文言に①を入れるとなるであろうと思いますが,そのことについては多分,いろいろな見方があるものであろうと感じます。   ①のようなものを付随義務の文言の中に定式化して,例えば法制上の言い方でイメージしますと,当事者が合意した事項以外の義務であっても,とか,当事者が合意した義務のほか,とかいうふうな書き方になると思いますが,それは何か付随義務と合意との関係についての様々ある在り方について,無理に明快な態度決定をして敵を作ってしまっているというか,けんかっ早く緊張のある議論を引き起こしているような部分があって,そういうことに関して,①はある意味で大変勇気のあることを書き込んでいくものあろうろうということになりますが,同時にそれは心配な部分があります。②の冒頭の「合意された義務以外」と書いてある部分についても同様の問題があります。ここまでは中井委員がおっしゃったこと関連するというか,向きとしては同じことを申し上げたつもりでいます。   それから,③に関してですが,③のような考慮要素というのは,まだ少し自信がありませんけれども,どちらかというと,規定の中に盛り込んで書いたほうがよいのではないかと今のところ感じております。そのように感ずる理由は,一つ,二つありますが,一つは①の合意された義務のほか,ということを書かないのであるならば,もう少し規定の内容ぶりを豊かにコミュニケーションとして伝えるためには,③の考慮要素のようなことを書いたほうが規律の表現イメージとして整うのではないかというようなこともあります。   ただし,それはどちらかというと付随的なことであって,もう少し私が更に気になることは②の中に出てくる,先ほど賛成だと申し上げましたものの,「契約をした目的」とありますが,この目的というのは誰が思い描いていた目的なのかということを考えたときに,契約は当然のことながら複数の当事者,普通,二人の当事者で行われるものですが,そのうちの,多分,少なくともここの②が書かれている文脈からいって,相手方が契約をした目的を達するために,こちら側の当事者はいろいろ配慮しなくてはいけないよということを少なくとも言おうとしていると思います。しかし,相手方が持っていた目的のみでいいのか,相手方と当方当事者との間で共通に形成され,認識され,場合によっては法律行為の内容に確固として位置付けられているような目的まで,ここの概念で要求しているのか辺りがまだよく分からないというか,私も自信のある意見がなく,この資料からも今後,議論されていくべき事柄として提示されていると思いますが,仮にそういう議論をしていったときに,相手方が目的として抱いていればよいのだと割り切った場合には,相手方がこうしてほしいと思っていることのためには,無限に当方当事者がいろいろなことを留意してあげなくてはいけないのかというようなことを考えていきますと,それが無限になるのも何か変なような気がいたします。   そこについては,何か契約ないし契約をめぐる経過に即しての限定の要素が置かれなければいけないのであって,そのような限定があるということを明示し,その限定を考える上での手掛かりを規律の中で表現して提示するという観点からも,③のような考慮要素はあったほうがよいのではないかと何となく感じます。ただし,ここのところも自信はありません。結局,私の発言も何か皮切りになったほうがいいと思う趣旨で申し上げたにとどまりますから,引き続き皆さんの御意見を伺ってみたいと感じます。 ○三上委員 部会の議論の再現になってしまいます。私は(1)も(2)も置く必要はないという意見を申しまして,分科会資料6で,1(1)①みたいなものが入ってきたのは,私が部会で,付随義務を負わされる立場に立つと,エンタイア・アグリーメント条項のように,ここに書いていないことは一切,権利義務を負いませんという規定を置けば,排除できるんですかという議論をしたからではないかと思います。目的という言葉がいかに広きに過ぎるかというのは,部会では金銭債は特別だという意見もありましたけれども,敵対的TOBの事例を挙げて説明したとおりです。   結局,日本の契約はある意味,当事者の信義に基づく部分に多くを依存して薄い契約書で事足りています。欧米のぶ厚い契約書に比べると,特にアメリカで契約すると例えばどれだけテストするとか,何回実演してみせるとか,説明するとか,みんな,契約書に入っているけれども,日本はそこまでは入っていないというところからきているものですので,そういったものを包括する明文の規定を置くと,定まっていない部分まで義務が拡大してしまう懸念があると思う人間と,この規定ではそんな大したことまでは考えていないと思う人間との合意点は,いつまでたっても見付からないのではないかと考えるわけです。   ③もいろいろな局面に関わりますけれども,例えば何か注文を受けて作ったものの使い方を説明するとか,普通はなんでもないと思われるような場面でも,それには追加で高いコストが掛かるかもしれない場合だってあるかもしれないわけです。そうすると,ここには付随義務を履行するために掛かる相手方の手間暇,コスト,契約当事者ではない周囲や環境への影響みたいなものまで考慮に入れられるような規定にないといけないのかもしれない。そう考えると,およそ民法の条文に全部書けるのだろうか,結局,曖昧な文言を外していくと,契約の当事者は債権の行使又は義務の履行に当たって,信義に基づいて行動しましょうという原則だけになってしまって,そうすると,それは単なる信義則を言い換えただけではないかということになりそうです。   保護義務のほうも,契約をする上で何がしか相手方に受忍限度というのでしょうか,それを超えると不法行為になるというのは分からないではないんですが,結局,その限度を超えないようにする義務を負うと構成し直すかどうかということで,その範囲もやはり明確ではないということですから,「不当」という二文字を入れれば全てうまくいくというものでもないだろうし,結局,プラスマイナスして行き着く先が信義則であれば,別に信義則の原則規定が一本あればいいのではないかと考えるわけです。同じことしか言っておりませんが,一応,明文化に反対する立場として意見を言わせていただきました。 ○山本(敬)幹事 部会のときに,基本的な方向性はこれでよいのではないかと申し上げましたけれども,少し補足させていただければと思います。  まず,このような規定を置くことの当否についてですけれども,規定を置く意味は日本では余りないというのは三上委員が御指摘されたとおりなのですが,狭い意味での合意のみが契約内容を構成するのであって,その違反は契約違反,したがって契約上の債務の不履行になるけれども,そこに含まれていないものは少なくとも債務の不履行にならないというような立場を否定するという意味が,まず第一に考えられると思います。これは,従来から日本の判例・学説でもほぼ一致して承認されていたことを明文化するという位置づけになると思います。   その上で,どう規定するかというのが次の問題ですが,ここの部会資料の書き方は,何が問題かということをよく意識した上で議論したほうがよいという御趣旨によるのだろうと思いますけれども,結論としては山野目幹事がおっしゃったように,「合意されていなくても」契約上の義務としてこのようなものを負うという形で明確に書くのは適当ではないのではないかと思います。それは,既に御指摘されたとおりですけれども,契約の内容をどう理解するか,そして,契約の解釈をどう行うのか,そのときに信義則等をどのような形で考慮するのかという点については,従来からもいろいろな見解があるところでして,必ずしも一致を見ていません。これについては,一方で,合意から出てこない義務を法によって規定しているという見方と,他方で,これも広い意味での契約の解釈を行っているだけであるという見方があって,その間に様々なバージョンがあるところです。そのような中で,先ほどのような形で明文化するとしますと,そのどれかを選び取ることになっているように見えて,それでまた議論を紛糾させる可能性あるのではないかと思います。したがって,規定の書き方として,「合意になっていなくても」という形で書くのは,問題があると思います。   その上で,これも山野目幹事が御指摘されたところですけれども,「契約をした目的を達するために必要である」ということを基準として書くかという問題ですが,私は部会ではこれでよいと申し上げました。ただ,これは,「契約の目的」についてある理解を当然に前提にしていたために,それでよいだろうと思っていたのですけれども,議論をお聞きしていますと,ここで「契約の目的」と書くと,今,山野目幹事が御指摘されたように,一方当事者が思い描いている目的がすぐにイメージされてしまって,それを実現するために必要なことは債務者は何でもしなければならないのかというような理解を誘発するかもしれません。   私が自明だと思っていましたのは,ここで言う「契約の目的」というのは,契約上予定された目的であって,一方当事者が主観的に思い描いている,こうあってほしいというものではない。双方の当事者が行った契約で,そこに取り込まれている目的でないとおかしいということです。物を買ったときに,それをどう使うかということについては,様々な期待や希望があるわけですけれども,それが全てここで言う「契約の目的」になるわけではなくて,当該契約において,この対価で,このようなものをこのような趣旨で譲渡するとすると,このような使い方は契約上予定されているということが,ここで言う「契約の目的」なのだろうと思います。   そのような理解が明確に共有されていればよいのですけれども,それが必ずしもそうではないかもしれないとしますと,それとは違った文言が可能ならば,考えてみるというのも分科会でなすべきことの一つではないかと思います。といっても,簡単ではないわけでして,考えられるかもしれないと思うのは,「契約の趣旨に従い」というような形ですけれども,いずれにしても,文言をどうするかは別として,考え方としては,先ほど言いましたように,契約上予定されたところであって,それを実現するために必要なことは債務者としてはしなければならないということが,ここで書かれるべきことだと思います。 ○松本分科会長 契約をした目的は566条にも出てきていて,570条の瑕疵担保解除の要件としても準用されていますが,これはいずれかの当事者の一方的な目的ではなくて,当然,契約上,予定された目的のことだから,民法が既に使っているのと同じ概念をここで使うこと自体は,私は特に問題はないと思います。問題があるのであれば,民法に元々あるほうも変えなさいという話になるかと思います。   それから,合意と付随義務の関係で確認にすぎないんですが,付随義務の対概念は給付義務だから,合意されていようが,されていまいが,付随義務は付随義務なので,合意されている付随義務も当然あるということを前提にして,合意されていない付随義務もあるという趣旨で,この合意ということが書かれているんでしょうね。付随義務というのは,そもそも合意されていないけれども,なすべき義務だという定義ではないでしょうね。 ○笹井関係官 付随義務は合意されたものもあるだろうし,合意されていないものもあるだろうと思います。付随義務はおよそ合意されていないものだという趣旨ではありません。 ○高須幹事 今のところなんですが,今,おっしゃられるような考え方で理解して,整理して議論しても全くよろしいとは思うのですけれども,従来,もしかすると,給付義務と付随義務の関係の中で,合意されたものは元々は本質的には付随義務だったとしても,合意されたら給付義務になるみたいな議論も,議論としてはあったのではないかと思いますから,そういう趣旨ではないということを確認するのは,それはそれで構わないとは思っているんですが,従来,言われている中には,そういう考え方もあったのではないかと思いますので,よく頭を整理して考えて,私自身も含め考えていかなければならない。このようなことがちょっと気にはなりました。 ○鎌田委員 余り,こういう発言をしてはいけないのかもしれません,私はどうもここに書いてあることでは,皆さんが議論している中身はいいと思うんだけれども,それが正確に反映されているのかという点について前から疑問があって,例えば書かれていない義務もありますとか,あるいは契約をした目的を達することができるようにということを強調していくと,本来的給付義務だって同じことが多分言えて,書かれていなくても付随義務が発生しますということだけに限定した表現なのかどうか。要するに何かがというのは必ずしもこの表現だけからは十分に出てこないし,民法1条と照らし合わせて読むと,契約当事者の場合には,信義則の適用については「契約をした目的を達することができるよう」という縛りが掛かりますよと言っている,というふうな見方もこの表現からはできる。   それがこの提案の趣旨なのかもしれないんですけれども,山本幹事が言われたように合意された義務以外に義務を負うということが重要だったら,むしろ,そう書いてもらったほうがよほどいいという印象があるし,(2)のほうも一般的に配慮するのではなくて,むしろ,契約上の債権の行使又は債務の履行に当たり,相手方の生命,身体,財産その他の利益を多分,違法に害したときには債務不履行責任を負うとか,何か,そう書いたほうがよほどいいのではないかなと感じがしているんです。そうでないと,何のために民法1条のほかにこれをあえてここに規定しようとしているのかというのが,なかなか,背景事情の説明を受けない限り,よく理解できないというふうなことにならないだろうかというふうな感じもしています。 ○山野目幹事 鎌田委員は今,(1)と(2)の両方をおっしゃいましたけれども,(1)のほうについて冒頭におっしゃった二つの問題提起のうち,前のほうは②の書き方では給付義務を除外する文言表現になっていないという御指摘であったと受け止めましたし,後ろのほうは1条2項の適用が契約の目的というものによってかえって縛られるというか,狭くされるではないかという御指摘であったと理解しました。   どちらも重要な御指摘であると思いますとともに,私はまだきちんと意見がまとまっていませんが,何か,直感では後ろのほうの信義則のものが契約目的で狭くなるではないかというほうは,それでもいいのではないかとも感ずるところがあり,そこから漏れるものはむしろ(2)のほうにいくと思います。むしろ,本質的であるものは,②のみの書き方ですと給付義務以外のものでというのが伝わっていないという問題は,何とかしなければいけないとお話を伺っていて感じました。   感じましたが,難しいと思ったのは給付義務というのは学者言葉であって,給付義務でなくて,とは文言に書けませんから,はて,それはどうしたものかなということは悩みであると感じます。思い起こしますと部会の会議でも付随義務として表現する規定を探しましょうと内田委員から御指摘があったので,それと符合する御指摘が今,鎌田委員からあったと受け止めました。感想のみ申し上げておきます。 ○鎌田委員 今の御発言のようなことでもあるんだけれども,同時に,あえて本来的給付義務を外さなくてもいい,本来的給付義務の内容を細かく確定していって履行の態様を考えるときにも信義則というのは適用になるし,契約書に書かれていない部分を信義則に従って補充する必要も出てくるだろうから,そのときに,その部分をあえて外して付随義務だけの規定にしようしているのかどうかということも,もうちょっとはっきりさせたほうがいいと思います。 ○山本(敬)幹事 紛糾しないように言葉の整理だけをしておきたいと思うのですが,これは本来,潮見幹事がここにおられればされるべきところで,もちろん,潮見幹事になりかわることはできないのですけれども,少しでもそれに近い形で整理できればと思います。  ここで付随義務と言われているのは,給付義務に対応する言葉として理解されていると思いますが,付随義務として通俗的に理解されているものには,いろいろなタイプのものがあります。  まず,給付義務といいますと,売買等であれば,物の引渡しをする義務や,代金に当たる金銭代金を交付する義務等を考えるのですけれども,潮見幹事の御意見によりますと,物を引き渡す債務といっても,それを実際に履行しようとすると,履行過程の中で具体的に様々なことをしないと実現できない。そのような,履行過程で債務者が給付を実現するために様々なことをしなければならない義務は,給付義務が具体化されたものであって,具体的給付義務と呼ぶべきものであるとされます。これによると,実務家の方を含めて多くの方がイメージしておられる付随義務は,実は給付義務が具体化されたものであるということになります。   これに対して,保護義務は,契約上の給付とは別に,それに入らない債権者の生命,身体,健康あるいは財産等を保護する義務です。これは,給付利益に入らない完全性利益を保護する義務であって,給付義務の系統とは,ひとまず異なるとされます。もちろん,給付の内容が広がる場合には,そういったものもカバーしていく可能性がありますので,その意味では重なる面が出てくるのですけれども,ともかくこのような概念の仕分けをしておられます。  その上で,付随義務が果たして先ほどの具体的給付義務とは別に観念できる義務なのかといいますと,伝統的には,例えば引渡債務というものを考えて,その履行過程で注意をしなければならない義務があって,その注意義務違反が「過失」を構成すると考えて,それを付随義務と呼んでいたところがあります。これは,過失責任主義を前提にして考えられた義務でして,かつての潮見幹事も実はそのような側面があったのですけれども,今の潮見幹事によりますと,この場面で過失責任主義はおかしいとおっしゃっていまので,結論として言えば,先ほどの具体的給付義務が付随義務と言われているものの中身になるのではないかと思います。   そうしますと,給付義務と付随義務を分けて,給付義務とは別に,付随義務も合意によらずに出て来ると明文で書くのは,今の理論的な整理からすると,望ましくないように思います。むしろ,給付義務か付随義務かというような区別をすることなく,履行過程において債務者は,契約の目的を達成するのに必要なためと言うか,契約の趣旨に従ってと言うかは別として,そのような行為をする義務を負うということを確認すれば足りるのではないかと思います。   先ほど鎌田先生が,それで本当に書くべきことが表現されているのかは別問題かもしれないとおっしゃいましたが,私は,先ほども申し上げましたように,日本では余りないかもしれませんけれども,非常に狭く合意を理解して,契約上の債務不履行に基づく責任はもっと狭いものであって,そうでないものをたくさんここに含めるのはおかしいというような考え方を否定する意味があるかもしれない。そして,それは先ほども言いましたように,これまで日本の判例・学説が考えてきたものをそのまま書き表すだけであって,それ自体としては問題ないのではないかと思います。 ○山野目幹事 山本敬三幹事が具体的給付義務という発想に注意せよとおっしゃったことは,つまるところ,鎌田委員が二つ目の御発言でおっしゃった,給付義務との関連でもいわゆる付随義務が問題になるという経緯に留意したほうがよいということと,方向として同じことをおっしゃったものと理解します。それらの御指摘を踏まえた上でも,なお,しかし,心配であることは,このような議論をしてきた人にとっては②のようなもののみを書いた規定であっても,何を伝えようとしたのかが大体,以心伝心で伝わりますが,②のようなもののみを書く簡素な文言では,法文による規律としてのコミュニケーションとしてうまく伝わっていないという問題はなお残るような気がします。それが鎌田委員が一番目の御発言で心配されたことではないかと感じます。   それで,私は今,それに対し,こうしたらよいという提案を持ち合わせるものではないので,引き続き,事務当局で御検討いただきたいと考えますが,一つの可能性としては,だからこそ,③のところに書いてあるような考慮要素を上手に仕組んだ上で,規定の表現の中身を豊かにしていただくことによって,間接的に具体的給付義務やあるいはもう少し給付義務から離れた独立的な性格を持った付随義務を含めて,それらを伝えようとしているのですということを表現していただくということは,手法としてあるであろうと感じます。   売主が物を引き渡さなければいけない,という非常に狭いその部分については,当事者の知識,経験を考慮しなさいなどということは少し滑稽なのであって,売主はどんな知識,経験だろうが,物を引き渡さなければいけないと思いますが,どのようにして引き渡さなければいけないのかとか,引渡しの結果として,こういうことに注意しなさいとかいう部分については,知識,経験,契約締結までの経緯,それら,ここに書いてあるもののみで十分かどうか分かりませんけれども,そういうものを書き込んでいただくことによって,少しでも規定のコミュニケーション能力を高めるということは,一つの可能性としてあるのではないかと感じます。   加えて,三上委員の少し前の御発言との関係で感想を申し上げさせていただきますと,②だろうが③だろうが,1条2項があるからいいではないか,だから,むしろ,こういうものを設けることには反対であるとおっしゃったお気持ちは分かる部分がありますけれども,むしろ,③のような考慮要素を書いて,1条2項の考え方を細密化していくということ自体は,そんなに経済界にとっても邪魔なことなのかということは,まだ,私は分からない部分があります。仮に,ここで提案していただいているような規律を設けなくても,1条2項は存在していますし,判例による付随義務の運用蓄積というものはされていくものでありますから,そのような契機にも御留意いただきながら,引き続き,お考えいただけると有り難いと感ずる部分もございます。 ○内田委員 部会で付随義務の規定であるということが分かるように書いてはどうかという発言を私がしましたときに,中田委員から給付義務との関係で語られる付随義務のことなのかという発言があり,そのときに,そうではないと私は申し上げたのですけれども,今も高須幹事から給付義務の概念について,もっと違う理解もあるのではないかという御発言がありました。実は部会資料を作るときに比較法資料が付いているわけですが,今まで第一ステージからずっとドイツの部分の比較法資料を調査員が訳してくれて,一応,私もチェックをして載せるのですけれども,必ず給付か履行かというところにクレームがくるのですね。   ドイツ法を専門としている先生方から,履行と訳しているけれども,ここは給付と訳すべきだとか,給付というのは,ここは履行だとか御意見がありまして,本当に難しくて,売買のような単純な契約であれば,何が給付で何が付随かというのは比較的分かりやすいのですが,現代のように非常に複雑なサービス契約とかが出てきたときに,ドイツ語の原語は同じ一つの言葉なのですが,日本に入ってきたときに給付か履行かと訳し分けてきたわけです。本当に区別ができるのか,私はドイツ法に詳しくないのでよく分かりません。   そこで,給付義務か付随義務かという二分法はやめて,とにかく明示で合意をして,こういう義務を負いますということを契約で定めていたとしても,契約目的を達成するために必要なことであれば,それ以外の義務も負うのだということが分かる規定を置いてはどうかというのが元々の趣旨なのだと思います。ですから,これは付随義務の規定か,給付義務は排除されているのかいないのか,そういった議論をしないで済むような規定を置けないだろうか,というのが元々部会で発言したときの趣旨でした。給付か,付随かという点については以上のような感想を持ちます。   あと,この規定が信義則の一般原則に加えて置く意味があるかという点について,あえて置いても邪魔にはならないではないかという御発言も今,山野目幹事からあったのですが,あえて置いても邪魔にはならないという程度ですと,なかなか,立法化は難しいかもしれない。やはり,積極的な存在理由を言う必要があって,そこは三上委員からもありましたように,存在理由がないという強い批判が一方でありますので,何とか,その存在理由を語れるような規定にできないかということを考えているということだけ,申し上げておきたいと思います。 ○三上委員 アンチテーゼのような言い方になりますけれども,今の議論をいろいろ伺っていると,概念論争はいろいろありますけれども,むしろ,契約の目的を達するという,実に何とでも捉えられる,曖昧な漠とした概念が入ってくるから瞬間に抵抗を感じるわけで,契約の目的というのは例えば契約の解除のところにも出てきますね。契約の目的が達せられないときには解除できるみたいな話で,それと同列に考えると,特にお金と関係するものなんて何でも目的にこじつけて解釈できるわけです。そう考えると,これまでの議論を何とか文章にしたいのであれば,当事者の知識,経験,契約の経緯,契約の対価等々を全て考慮して,信義則上,契約に付随する義務は履行する義務を負うと書くのがせいぜい存在義務も明らかだし,分かりやすい。つまり,「当事者間で合意した内容以外にも負う義務がありますよ」ということだけを明確にする。それは何ですかといったら,今,言ったような考慮を判断しながら負う付随義務です,追々,判例で一部は明らかになっているし,今後も明らかになるでしょうと。付随義務か,給付義務かで学説の議論がいろいろあるというのはそのとおりかもしれませんが,裁判でいろいろな具体例から帰納される付随義務という言葉は,契約をした目的を達することができるようにする義務のことである,ということまでは,置き換わっていないと思います。 ○山野目幹事 今の三上委員の反論というものの趣旨ですが,一つ前の三上委員の御発言は1(1)のような付随義務のような規定は置くべきではないという御意見だったのに対し,今は,細部を詰める必要はあって,目的という言葉をキーワードにするか,契約に付随するという文言・発想をキーワードにするかは御意見がおありだと思いますが,何らか,そういうふうな観点から改良が加えられた規定を置くということはあり得るという御意見が,一番新しい御意見であると承ってよろしいでしょうか。 ○三上委員 私が申しましたのは,「契約はこれが全てです」というような規定が入ったとしても,なお,当事者間では負うべき義務がある,この部分を議論されておられるんだと思うんです。その義務があることは別に私らも否定するわけではない。それは今でも信義則から当然,出てくるはずだろう。それが信義則から出てくることを明らかにしたければ,今,言ったように,こういうことに従って出てくる付随義務というのがあります,それがあるときには,それを履行する義務を負いますと書けば十分ではないかということです。概念的に何が付随義務だというのは,これからの議論として残されますが,その義務の内容は少なくとも契約をした目的を達することができるように,何でも義務する義務ではないし,目的が達することができるように当事者の知識,経験,契約締結までの経緯とかいくら構成要素をたくさん羅列したところで,それらをいろいろ図ったら一義的に答えが出る,出やすくなる義務でもないと思います。   何度も言いますけれども,敵対的買収の資金を融資するときには,そのことは当事者の知識,経験,契約締結までの経緯,どれも全て明らかですけれども,買収の相手方とどんな取引をするかということには何の関係もない話です。そこで何かを制限されるかのような文言は受け付けられない。その疑念を払拭するために付随義務という,曖昧な概念を持ってきて,信義則の範囲で負うことがある義務ですというのであれば,判例理論を置き換えただけですから,考えられないことはないのではないでしょう,けれどもそれは信義誠実原則の繰り返しにすぎませんね,という意味で申し上げました。 ○山本(敬)幹事 今の問題提起に直接答えるものではないのですが,「契約をした目的を達成するために必要な」とか,あるいは「契約の趣旨に従い」というような文言になぜこだわる必要があるかということについて発言したいと思います。  契約当事者間で何らかの義務が認められる場合に,その義務の違反があったことをもって契約の不履行であると考える。そして,契約不履行に基づく様々な救済手段が認められるとするならば,それは契約上の債務を構成する義務の不履行でなければならないはずである。これは次の(2)の保護義務で出てくることにも言えることですが,この(2)についても私は部会で申し上げたつもりですけれども,相手方の生命,身体,健康,財産等を侵害してはならないというのは,別に契約はなくても言えるはずのことであって,不法行為の要件を満たす限り,不法行為責任が認められます。それにもかかわらず,なお,この当事者間では当該義務の違反が契約債務の不履行,その意味での契約違反であるとするならば,ここで保護義務と言っているものも契約上の保護義務でなければならないはずである。したがって,これもまた,契約の目的と言うか,契約の趣旨と言うかは別として,そのようなものと関連して認められる義務ということが,私は明示されるべきだろうと思います。  三上委員は,定式の仕方がぼんやりしすぎていて,場合によっては濫用されるのではないかという問題を指摘されていると思いますが,だからといって,全部を外してしましますと,契約債務の不履行だということが基礎付けられなくなってしまうおそれが出てくる。そちらのほうが問題が大きいのではないかと思います。  その意味では,御提案に納得いただけるかどうかはこれから先の問題ですけれども,何らかの形で契約との関連,そして,契約上の義務であるということの基礎付けを図ることができるような定式をこの中に盛り込む必要があると思います。 ○三上委員 それは私が言いました「当該契約に信義則上,付随して発生する義務」というだけでは不十分なのでしょうか。 ○山本(敬)幹事 それは結論を述べているだけであって,何が基準になっているかということを示し切れていないという点で,問題があるだろうと思います。要するに,これは契約上の義務であると言っているだけですね。なぜ,そう言えるのかという手掛かりが必要になると思います。   そして,ついでに申し上げますと,その手掛かりに当たるのが分科会資料の(1)でいうと③の問題でして,考慮要素として「当事者の知識,経験,契約締結までの経緯などを列挙することの当否」とあります。  ただ,先ほどから申し上げていることからしますと,当事者の知識,経験がそのまま手掛かりになるべきものではないのだろうと思います。契約において債務者に期待されている知識,能力が基準になるべきであって,契約から離れて,すごく能力のある人がいて,その能力があるがゆえに,こういうことまでしてもらえるはずだと期待しても,それは駄目だと思います。飽くまでも,契約上予定された,ないしは契約上債務者に期待された知識,能力が基準になるのだろうと思います。これに対して,契約締結の経緯は,契約がどのような趣旨で行われたかを判断する上での手掛かりになる。その意味では,これは手掛かりにしてよいだろうと思います。それから,三上委員が先ほど御指摘されたものの中では,契約の対価というのも挙げられていました。これも当然,考慮されるべき要素になるだろうと思います。  このような形で,つまり「諸般の事情を考慮して」というように,何でも挙げて取りあえず関係しそうなものを挙げておくのではなく,もう少しよく考えて,ここで挙げるべき要素を特定する必要があると思います。むしろ,ここでぼんやりと定めてしまいますと,三上委員が恐れられているような事態が生じるのではないかと思います。 ○鎌田委員 議論をまとめるのと反対方向の発言は慎まなければいけないんですけれども,多分,契約法というのを作るときに,冒頭にこういう基本原則が出てきて,そこに正に信義則が正面から出てくるのは悪くないと思うんですけれども,民法で第1条に信義則規定があって,しかも,歴史をたどればフランス民法は債務についてだけ言っていた,スイス民法で債権債務になった,日本民法は債権債務の枠を更に超えた権利義務一般の信義則というふうに発展してきた。そういう規定があって,契約のところにだけ契約上の債権債務にもう一度,極めて近い内容の規定が置かれるということの規定上の違和感が一方であって,それでいて,実際にこれを通じて具体化しようというものが,山本幹事のお考えでいけば,ここの文言から直接出てくるものより,もっとはるかに具体的ですよね。   だとしたら,こういう信義則的一般条項的な形ではなくて,むしろ,債務内容の確定に当たっては,こういうことを考慮に入れて書かれていない債務もあり得るとかいうことなどを,もうちょっと具体的に書いたほうがいいのではないかなと思っています。こう並べられると付随義務と保護義務との相互関係はいかにとか,何か,そういう議論は出てくるけれども,具体的な効果として山本幹事が期待しているようなものに直結する部分と,そうでない部分とで,そうでない部分のほうが大きくなってしまわないかというふうな懸念も持っているのが,最初に申し上げたような趣旨であります。   (1)の保護義務も債務不履行責任の根拠規定なのか。もうちょっと一般的に何かの責任は出るかもしれない,それは不法行為かもしれませんという程度の規定なのかというのも,この書き方だけでは分からないです。そういう意味で,先ほど申し上げたように,これを害したら債務不履行責任を負うというふうな形にしたほうがいいのではないかというのが印象論ですけれども,私の意見です。 ○松本分科会長 話を聞いていると,(1)に関しては恐らく契約をした目的というのがキーワードであって,鎌田委員が今,いみじくもおっしゃったように,合意されていないけれども,履行すべき義務を導き出すために,契約をした目的という言葉が使われている。ここで契約をした目的というのが信義則の具体化としてのキーワードとして出てくるわけだけれども,それはここで言う括弧付きの付随義務を引っ張り出すためだけの概念ではなくて,恐らくもっと広く,給付そのものの理解にも関わってくるだろうし,解除のところでも関わってくるだろう。ということで,言わば契約法の様々な問題を解決するために考慮すべき要素だということを言いたいのであれば,狭い意味の付随義務に閉じ込めておくのはマイナスかもしれないです。合意されていないけれども,一定の義務が出てくるんだということは事実だろうから,そのことをどこかに書いておく必要があるのか,それとも,もう少し抽象的な,しかし,信義則を若干ブレークダウンしたような契約をした目的という言葉を入れた契約法プロパーの条文として置いておいて,そこで議論を展開させるのがいいということかなという感じがしました。   少なくとも付随義務という言葉は使わないほうがいいのではないかと。議論が混乱する可能性が大変大きいので,契約上の明確な合意がされていない義務もあるんだということを念のために言うものであって,それを付随義務と呼ぶか,もっとほかの名前の義務と呼ぶかは定義の問題になってきて,従来,付随義務と言われていたものと矛盾する概念が使われるというのは余りよくないかなと思います。 ○三上委員 今日は,永野委員も岡崎幹事もいらっしゃらないわけですけれども,この義務がありやなしやで具体的にもめたら,最後は結局,裁判で決着をつけることになるわけです。その際に,こういう規定を置いたか否かで,裁判の規範として判断するときに参考というか,便利な基準になるのかどうか,信義則の解釈をする上で,何がしか,こういう判断要素を置いたほうが判決が見通しやすいとか,裁判所が判断しやすいというのであれば,こういう置く意味もあるのかもしれないですけれども,結局書いてある要素を考慮しないことも,書いてない要素を考慮することもあるというのであれば,当該義務が契約に付随するのかどうかで当事者間で意見が分かれる,ある意味,それは我々の立場からするとクレームを増やすだけかもしれないわけです。   そういう実務的な意味も考えたときに,なぜ,そこまでして訳の分からない定義でもめるような文言を皆さんは置きたいとおっしゃるのか,この条文がないから,過去にこんな病理現象が起こったとか,これが契約に付随するかどうかで大問題になったというような事象でもあれば,例を挙げていただきたいんですけれども,そうでなければ,これだけここ,分科会で議論したにもかかわらず,具体的な文言の提案一つも出てこないような条文を置く必要はないのではないでしょうか。 ○松本分科会長 恐らく具体的な紛争では,契約書に明確に書かれていないけれども,こういう義務を負うんだという争いは一杯あるのではないですか。 ○三上委員 一杯あったとしても,ここにそれを書いたことによって,裁判官が判断しやすくなるのか,むしろ副作用はないのか。 ○松本分科会長 それを導き出すための具体的な手掛かりを置くことは意味がないですか。信義則一本があれば,ベテランの裁判官はしかるべくやってくださるんでしょうけれども,ブレークダウンが可能であれば,ブレークダウンしたほうがいいとは言えないですか, ○坂庭関係官 ベテランではございませんが,多少の経験はございますのでお話しします。裁判が変わるかどうかは,どういう規定を置くか次第だろうと思っております。裁判官としての立場から申しますと,規定を置くことに反対するという趣旨ではありませんけれども,不用意な形で踏み込んだ規定を設けますと,個別具体的な事案において必ずしも妥当とは思えない結論になってしまうということがあり得ますので,その点には御留意いただければと思います。ただ,今日の御議論を伺っておりますと,現在の裁判所の信義則の判断がおかしいので,それにたがをはめるために何かをしようという議論がされているようではありませんので,そういう意味では,想定されているものがそのまま適切に条文化される限りは,この条文ができても裁判は変わらないのであろうと考えております。 ○山野目幹事 2点,申し上げます。   1点目は,今の三上委員の御発言ですけれども,三上委員の一つ前の御発言は非常に厳密な意味での合意で明らかになっている義務,債務のほかにも,信義則を参照して当事者に期待されるようなことというのはあって,そういうものを規律として表現するということは,考えられないではないとおっしゃったと私には聞こえました。しかし,その際におっしゃったことが付随する義務は付随するというふうな少しトートロジーのような規律のイメージをおっしゃったのですが,山本幹事のほうから契約の趣旨に照らしてとか,契約の目的に照らしてとか,という示唆があり,分科会で何も文言イメージがなかったではないかとおっしゃいますが,山本幹事の何回かの御発言では具体的な文言の示唆もあったと私は理解しています。そういうものを取り入れて,今後,規律のブラッシュアップをしていこうというお話があったのですから,本日の議論は大変有意義で,何らかの規律を置くということと,それについて盛り込むべき文言イメージについても,もちろん,完璧な到達点は得られておりませんけれども,一定の前進があったのだと私は受け止めました。   それから,もう1点ですが,その規律の形式とか配置については,部会資料の示唆は差し当たっては,何々しなければならないというふうな信義則の焼き直しの義務のような表現形式がひとまずの示唆として出されておりますけれども,これは従来,付随義務などの議論をしてきたところの議論の伝統を踏まえて,そうなっているにとどまるのであって,今後,その点は考えられていってよろしいものですから,契約に基づいて生ずる債務の輪郭がどのようなものであって,どのような基準で確定されるのかというようなことを明らかにするような規律を設けるという可能性も含め,もう少し契約法ないし債権編に置かれる規律として自然であって,安定感のある規律の様式や配置,配列を考えるということは,今後,更に検討されていくべきであろうと考えます。 ○岡委員 契約の解釈との関係がよく分からなくなっているんですが,実務家としては,この義務がこの契約からあるはずだと主張して争うわけで,そのときに付随義務に当たるから認められるべきだ,保護義務に当たるから認められるべきだというワンクッションがあると,言いやすくはなるのかもしれませんけれども,最終的には契約締結の経緯だとか,契約した目的だとか,そういう総合判断から,この義務はこの契約からある,ないというのを攻めたり,判断したりしてもらいます。契約の解釈のところでいろいろ条文を置くのだったら,何か,それでいいような気が議論を聞いていていたしました。ただ,中間項である,付随義務や保護義務があったら便利なような気もしますけれども,なくてもやれるような気もいたしました。 ○松本分科会長 多分,付随義務とか保護義務という概念は学者が後で整理するときに使っているわけで,実務的には岡委員がおっしゃったとおりのやり方でいいのだろうと思います。それを整理して,このタイプの義務は給付義務だ,これは付随義務だ,これは保護義務と分類しているだけですから。 ○沖野幹事 契約の解釈との関係につきまして,規定の配置というか,位置付けについての問題提起やまとめもあったと思います。また体裁として当事者が何々しなければならないというタイプになるのか。契約当事者はこれこれの義務を負うという,契約に基づいて当事者に発生する義務内容を具体化するための基準を設けるということだと,契約内容の確定をどのように行うか,あるいはそれを契約解釈という名で呼ぶならば,契約解釈のところに契約当事者が当該契約において負う義務は何々という形で設けるということも考えられ,それも含めて4の(1)というのは検討が残っていると思います。その話と関連するのか,関連しないのかですが,今頃,言うのも恥ずかしいぐらいなのですけれども,4の(1)が債権の行使又は債務の履行に当たり,何々しなければならないとなっているのが適切なのかです。先ほど言われた付随義務の内容,あるいはここで定めようとしていることがかぎ括弧付きの付随義務で,さらにその中には具体的給付義務として分類されるべきようなものも含んでいるという,ここで定めようとしていることの縛りがこの表現に結実しているのかどうかが気になっています。なぜ,この文言が要るのだろうか,要らないのではないかという感じがしております。そのように,結局,どういう義務を当事者が契約から負うかではないのかと。   さらに山本幹事がおっしゃった狭い意味での合意に限定されないということを明らかにするのであれば,むしろ,合意の有無にかかわらずとすることが考えられます。ただ,それは合意というものをどう捉えるかで,もちろん,そこまで合意なんだと言うのであれば,ほかに余り表現はないのかもしれませんけれども,部会資料でも書かれていますように,明示の合意というふうに合意に「明示」を付せば,もちろん,一致して明示の合意がなくても義務を負うことはあると。それは合意として捉えるのか,そうでないのかは合意というものをどう捉えるかによるのだけれども,少なくとも明示に合意がないと駄目だという立場はもちろん採らないということが明らかになり,その意味では,「明示の合意がない場合であっても」といったような表現を使うことはなお考えられてよいのではないかと思います。 ○松本分科会長 (1)のほうの議論が中心でしたが,(2)のほうについてはいかがでしょうか。 ○三上委員 先ほどの山本敬三幹事の御意見の確認なんですけれども,これは単なる不法行為の一般責任ではなくて,契約の違反であるということが重要であるという趣旨のことをおっしゃったと思うのですが,債務不履行の一種であるということの趣旨は請求権の競合とかの話を除くと,それを理由に契約の解除ができるとか,そういう効果を導きたいという趣旨でおっしゃっておられたのでしょうか。 ○山本(敬)幹事 これは部会のときにも議論になっていたところでして,効果をどう見るかという問題だろうと思います。部会のときに,私は履行請求も考えられるというようなことを言いました。それは,必ずしもそのようなものを認めるという趣旨ではなくて,議論の余地が出てくるという趣旨ですが,部会のときに,より大きな問題として指摘されていたのが,潮見幹事からですけれども,消滅時効の期間は統一すれば問題はなくなるけれども,第三者を利用した場合が問題として残るということです。不法行為ですと,使用者責任で,独立した事業者を使っている場合には,被用者に当たるとは言えないのに対して,債務不履行責任では,履行補助者の問題になって,規定を設けるかどうかはなお残っている問題ですけれども,独立した履行補助者を使用しているときでも,債務者に当たる者が責任を負う可能性が出てくる。これが大きな効果の違いだろうと思います。したがって,ここでも,そのような効果の違いが基礎付けられるものであることを示す必要がある。ですから,これは債務不履行に関するルールが適用される場面であるということを示す基準や要件が必要になるのではないかというのが,先ほど申し上げたことの趣旨です。 ○鎌田委員 部会でもそういうことを言ったかもしれないけれども,非常に初学者的な質問なんですけれども,(1)と(2)が区別されているのはある意味で給付利益と完全性利益をあえて区別して,二つは義務内容が異なるということが言いたいのかなとも思うんですけれども,後者のほうになると特に何が契約法上の特色になるのかということが必要な気がしています。契約外の債権の行使に当たっても同じ義務はあるはずだとか,物権の行使に当たっても同じ義務があるはずだと考えると,契約当事者に特有の規定を設けることの一番重要な意味は何なのでしょうか。こう考えると,むしろ,(2)は(1)と切り離さないで(1)の一部に取り込んでいって,全体を,要するに契約上の義務をどう理解すべきか,あるいは違反があったときには契約法上の債務不履行の問題として取り扱うんだというようなものにしたほうがよくて,(1)と(2)をあえて区別していることの意味は,少なくともこの文言表現も合わせていくと,ちょっと分かりにくいのではないかという感じがしています。 ○山本(敬)幹事 私個人の考え方を申し上げますと,(1)と(2)を区別する必要はないと元々考えています。というのは,先ほどから何度も強調していますように,契約債務の不履行であるということが基礎付けられることが重要です。もちろん,生命,身体,健康,財産が侵害される場面は,不法行為責任と競合するという意味で,(1)にはない特色があるとは思いますけれども,契約から見ますと,そういったものも契約債務の内容に取り込まれていれば,契約不履行,したがって債務不履行になることに変わりはありません。その意味では,同じ事柄を不法行為と競合する部分に分けて規定する必要があるかどうかということだけだろうと思います。   先ほど申し上げたことをもう少しだけ敷衍しますと,ここでいう相手方の生命,身体,健康,財産を保護する義務は,不法行為でも問題となるものです。それが契約債務の不履行として考えられるのは,いろいろな場面がありますけれども,典型的には,これまでも判例で出てきた雇用契約における保護義務,あるいは安全配慮義務と言われているものや,学校契約等でも出てくるもののほか,幼児保護委託契約や警備保障契約などです。これは,「給付義務」と「保護義務」の区別というと,むしろ「給付義務」に当たると言えるようなものですが,それは正に契約の内容を構成している典型的なものですので,そう考えられるのだろうと思います。   ですから,そこまで限定する必要があるかどうかは,契約の内容に理解に関わることでして次の問題ですけれども,こういったものが本来ここで取り上げられるべきものであって,非常に広く相手方の生命,身体,財産その他の利益を害してはならないという義務をここで書く必要も理由もないと思います。 ○内田委員 今の山本幹事の御意見や,その前の鎌田先生の御意見も非常に有益で,今後の検討の方向にとって非常に有益な御意見だと思いますが,部会資料がこういうふうに付随義務的なものと保護義務的なものに分けて書かれている理由は,別に学理的にそうしているというよりは,判例がそう言っているのですね。もちろん,判例は学説の影響を受けているということなのだろうと思うのですが。ただ,契約の趣旨という点からいうと,一体として捉えられるという御意見に私自身はなるほどと思いました。   最後に一言,申し上げたいと思ったのは,こういう規定を作ることに何の意味があるのかという点に関して,三上委員から裁判官が本当にこれで助かったと思うのかという御発言があり,岡委員からもあれば便利かもしれないけれども,なくたってやれるという御意見がありました。日本の優秀な裁判官とか,優秀な弁護士はこの規定がなくてもやれるというのに私は何の異存もないのですけれども,その人たちのために民法を作るのかというところがむしろ問題です。契約に書いていないし,合意もしていない,そんな義務を負うわけがないだろうと相手が言うのに対して,常識的に考えて当然,そういう義務を負うのだと思っていたという一般国民が,この規定の存在によって何らかのサポートを得られるのかどうかという点が,私はむしろ重要なのではないかという気がいたします。 ○松本分科会長 (1)と(2)は区別しなくていいという意見がかなり有力に出てきているんですけれども,私が原案を見て感じるのは,原案では(1)には契約をした目的を達することができる,できないという縛りが入っているんです。契約をした目的あるいは契約の趣旨というのがすごく重要だと思います。(2)にはこれは入っていないんですね。   なぜ,こういう違いがあるのかということで,恐らく(2)の完全性利益の部分,取り分け生命,身体,それから,具体的な物への利益は言わばデフォルト的に害してはいけないというのが,本来の契約をした目的あるいは趣旨として読み込まれているからかなという気がするんです。つまり,給付義務との関係で給付と無関係な他の法益を侵害してはいけないということが当然入ってくる。しかし,(1)の場合にはどこまでやればいいのかという点は,正に三上委員が心配されているように周辺が曖昧だから,そこで契約をした目的を達成できるようにという縛りが入ってくるのかなと,原案を読んでいて感じています。その意味では二つには違いがあるのではないかなと思います。   ただ,(2)の「財産その他の利益」という部分については日本の判例はかなり曖昧にしています。いわゆる経済的利益というような部分が入ってくると,上の(1)と違いがなくなってくる可能性もあるので,(2)の完全性利益はもうちょっと限定的に考えたほうがいいのだろうと思います。以上は,私の感想です。   結論はまとまってはいないと思いますが,概念のレベル,考え方のレベル,それから,実益の話とかでいろいろな意見が出されて,議論がクリアになったということはあるかと思います。   それでは,本日,予定をしておりました論点の3分の1は残ってしまったかと思いますが,本日の議論はこれで終了したいと思います。   次回の議事日程等について事務当局から御説明をお願いいたします。 ○筒井幹事 この分科会の次回会議の日程は未定です。先週の部会でお約束いたしましたように,第二ステージにおける各論点の一巡目の審議を9月ないし10月に終えるためのスケジュールについて,次の部会を待たないで近日中に電子メールなどで御連絡を差し上げるようにしたいと思います。その際にこの分科会の次回日程についても御案内を差し上げようと思います。次回の議題は本日の積み残し部分のほか,次回会議までにこの分科会に付託された論点ということになります。どうぞよろしくお願いいたします。 ○松本分科会長 それでは,本日の審議はこれで終了といたします。誠に熱心な御議論を頂きましてありがとうございました。 -了-