法制審議会           民法(債権関係)部会 第2分科会           第5回会議 議事録 第1 日 時  平成24年9月4日(火) 自 午後1時00分                      至 午後6時24分 第2 場 所  東京地方検察庁総務部会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事 (次のとおり)           議        事 ○松岡分科会長 予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会第2分科会第5回の会議を開催いたします。   本日は御多忙の中を御出席いただきまして誠にありがとうございます。   まず,本日の出欠でございますが,永野厚郎委員が御欠席です。また,本日は第2分科会の固定メンバーのほか,中井康之委員,三上徹委員が出席されています。   それでは,本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いします。 ○筒井幹事 山野目幹事から「無印と無名」と題する書面が提出されております。本日,山野目幹事は出席されていらっしゃいませんけれども,意見書の冒頭にこの書面の趣旨の説明があり,特に付け加えて口頭で説明することはないと承っております。「贈与」についての検討の際にお目通しいただければと思います。 ○松岡分科会長 本日は今御紹介がありましたが,部会資料40,部会資料42及び部会資料44。その各論点のうち,分科会で審議されることとされたものについて御審議いただく予定でございます。具体的には休憩前までに部会資料40及び42記載の論点を御審議いただき,15時15分頃を目途に適宜休憩を入れることを予定しています。休憩後は残りの論点について御審議いただきたいと思います。   それでは早速ですが,部会資料40の「第1 更改」,その「1 更改の要件・効果の明確化」のうち「(1)『債務の要素』の明確化」について御審議いただきたいと思います。まず,事務当局から説明してもらいます。 ○松尾関係官 説明いたします。部会資料40の1ページを御覧ください。この論点につきましては,第48回会議で審議がされ,具体的な規定の在り方等について分科会で審議することとされました。   まず,「債務の目的」という文言を使うことについては,「債権の目的」など,ほかの用語との整合性に留意すべきであるとの指摘がありました。また,「債務の性質」という文言を使うことについては,そもそも更改によって債務の発生原因を変更することができるとすること自体に疑問を示す意見や,仮に変更することができるとしても,発生原因を表す文言として「性質」を用いることは適当ではないとする御意見がありました。 ○松岡分科会長 それでは,ただいま説明のありました部分につきまして御意見を伺いたいと思います。御自由に御発言をお願いいたします。 ○高須幹事 私自身の意見ではなくて,部会で中田委員から御指摘があった部分で,それをここで引用するような形で申し訳ないのですが,今御説明がありましたように,債務の発生原因というものを「更改」という中で取り込むかどうかということについて,部会で中田委員のほうから,慎重に検討した方がよいという御指摘を頂いたということに対して,伺っていて一つなるほどと思った次第でございます。   債務の発生原因自体が途中で更改によって変わるということ自体は確かにやや奇異な気もしておりますし,要件などがそのときどうなるのかということについても難しい面があるのかなと思っております。私自身の考えではないので強い意見として外すべきだということでは必ずしもないのですが,債務の発生原因については,中田先生の説明ですと現行法では制定当時それを除いた経緯があるという中で今回それを取り込むということについては,何か積極的なお考えが,今回の御提案の中にあるのかどうか少しお聞かせいただければと思います。 ○松尾関係官 債務の発生原因の変更を取り込もうという考え方は既存の立法提案によったわけですが,その立法提案の積極的な意図といいますか目的について十分に理解ができておらず,もしかすると現行法の理解に違いがあるのかもしれないと推測しています。申し訳ありませんが,私からできる説明は以上でございます。 ○高須幹事 すみません,所詮私も受け売りの議論をしているだけなので,説得力のある発言をできるわけではないのですが,仮に今回積極的にこれを取り込むべきだという御意見が強いものでないとすると,中田先生がおっしゃった点は結構重要なことかなと思っておりまして,この点は慎重にというのは一つの考えだろうと思っております。 ○潮見幹事 1点だけ確認です。原因“cause”の面での変更というものを効果に入れないとしたときに,準消費貸借の規定は結局どうすることにしたのでしたか。規定を設けないとか,それはもう要らないのではないかという意見が,確か準消費貸借のところであったと思いましたので。   そうであれば,これは当日の松本委員の発言でも表れていたかと思いますけれども,その趣旨は多分違うと思いますが,まず準消費貸借を類型として残すのであればまず,そこだけでも規定は置いておくという措置を採ったほうがよいと思います。 ○松岡分科会長 部会では,準消費貸借はどのみち特別なものだから,逆に,あえてここにcauseを連想させるような言葉を一般的に置くのはいかがか,という御趣旨の御発言があったとの記憶があります。 ○鎌田委員 素朴な質問で恐縮ですが,この部会資料に書いてあるような「売買契約に基づく冷蔵庫の引渡債務を贈与契約に基づく冷蔵庫の引渡債務に変更する」というのは,具体的にどういう合意をすればそうなるのですか。引渡債務の更改というだけでは済まないですね。贈与契約という以上,代金債務をどこかで消さなければいけないですね。   準消費貸借の場合に売買代金債権を消費貸借上の債権にするというときには,売買契約は消えていないですよね,多分。そういう例とここに挙がっている例は大分違う感じがするので,契約の性質を変えてしまうというのは更改ではないと言われれば,それはそうかもしれない。契約はそのまま残っていて,債務だけを変えるのが更改だとしたら,その具体例として,適切な例かどうかがよく分からなくなってしまいました。具体的にどんな合意をするとこうなるのですか。 ○松岡分科会長 今御指摘になっているのは,契約自体を変えてしまうのは更改ではないということですか。 ○鎌田委員 そんな気もしなくもない。ただ,この同じ引渡債務を,売買契約上の引渡債務を今後贈与契約上の引渡債務と呼ぼうというぐらいならよいのですけれども,対価の問題抜きにして契約の性質が変わってしまうというのは,引渡債務の性質を変えるという合意だけで本当に変わるのかどうかというところがちょっとよく分からない。素朴な疑問です。   そこだけは変えられないという意味で,中田さんが発生原因の変更は更改の枠を外れるのではないかとおっしゃっていたのなら,それはそうかもしれない。そういう議論と準消費貸借を認めるというのは,矛盾はしないような気もするということです。 ○岡委員 弁護士会の状況ですが,議論は全然盛り上がっておりません。更改をやったことがある人も一人もいませんでした,集まっている人間の中では。   先ほどの売買を贈与に変えるというのも実務的には合意解除して贈与を結ぶだけですし,なぜこんな条文を変えようかという意図もよく分からないし,変えるのだったら変えてもよいけれども,弁護士会として賛成の理由もないし,という低調な状況です。   この「目的」と「性質」というのも実務家から見ると部会資料にある「給付の内容・対象」というほうが分かりやすいし,「発生原因」のほうが分かりやすいですが,そもそも使っていませんので,使いやすいほうがよいのか,曖昧な規定が曖昧なまま変わるのだったら,それでもよいではないかとか,その程度の議論しかしておりません。変えなくてもよいのではないですかというような雰囲気であります。 ○松岡分科会長 ほかに積極的にこういう修正をしたほうがよいとか,少なくともこの点は困るという強い御意見があったら是非お出しいただきたいと思います。 ○道垣内幹事 私もまとまっていないのですが,言葉を変えないのはよくないと思います。つまり「債務の要素」という言葉は何も分からないということで,まあそのままにしようということになりましても,これまでの解釈論とかをそのまま引き継ぐのかというと,そうもいかないと思うからです。後の問題にも関わってきますけれども,仮に当事者の交替を除いたり,あるいは,債務の発生原因が広く一般的に「要素」であると説明されているのを詰めて考えてみると,そうではないということになったりしますと,これまでの文言を維持したら,これまでとは変わった形で,しかしよく分からないという条文になってしまいまして,妥当ではないだろうと思います。   また,売買を贈与に変えるというのが余り適切な例とも思えないというのはおっしゃるとおりです。これに対して,準消費貸借の場合には一旦弁済されたと考えればよいのですよね。一旦弁済されて,その同額を即時に貸し付けたと考えると準消費貸借に変わるということでしょうが,更改と呼ばれるものは通常そうではありません。そして,売買を贈与に変えるということは,鎌田委員がおっしゃったことですが,できないように思いますし,対価はもう支払わなくてよいとなったから原因が変わったのだとなりますと,前の債務が消滅して,時効期間も新たにそこから起算するのかといったら,何かそれも変な感じがします。発生原因の変更というのは一般的に書く必要はないであろうと思います。   そうすると給付内容の変更というのを書くかということですが,それは書いてもよいのかなとは思いますが,なくてもよいような気もします。まあ,そこまでは申しませんけれども。 ○松岡分科会長 道垣内さんの最終的な御意見はどういうことになりますか。 ○道垣内幹事 最終はないので,申し訳ないのですが。 ○内田委員 部会の議論では,「債務の要素」を「目的・性質」に変えるという提案に対して,これは潮見さんからだったと思いますけれども,性質というのはほかの部分でもよく使われる言葉なので,意味が違った形でここで使うのは混乱を招く。だから「発生原因」とはっきりと書いたほうがよいという御意見があり,そして中田さんからそれに対して少し疑問の提起もあったと思います。ここで性質として念頭に置いているのは,恐らく抗弁を消すということではないかと思います。給付する目的物は同じだけれども,それに契約上付着している抗弁を全部消すというような形で債務を新たにする。それを更改として認めようということではないかと思います。もし,その実質に同意が得られ,そして,実務的には一応需要があると言われていることなので,それを認めようということであれば,あとはそれを表現する言葉の問題ということになります。発生原因という「原因」という言葉をここに入れることのリスク,「性質」という言葉を置くことのデメリットを勘案しながら,実質が表現できるような言葉を更に考えるというのが一つの解決策かと思います。 ○道垣内幹事 抗弁を消すためには旧債務の消滅と新債務の成立が前提になるのでしょうか。 ○内田委員 それは必然ではないと思いますけれども,金融取引などで全ての抗弁を消すために更改を使うというのは多分そういう意図でやられているのではないかと思います。 ○潮見幹事 内田委員がおっしゃられたことと岡委員がおっしゃったことの両方を合わせて言ったら,実際に使われることはそんなにない。実質を誤解のないように書くことができれば,それに乗ってよいというのは,私はそれで理解はできるところはあります。   それから,三面更改などの基礎になるという意味で,一般の普通の2当事者間更改のところで債務者の交替というのを更改の一つの場面であると定めておいたほうがよいのではないかという御意見もあったように記憶しておりますが,それを入れるというので十分だということでしょうか。 ○松岡分科会長 三面更改は前回御議論いただきましたが,前提としてそれが認められることを当然にしています。   「原因」という言葉に対しては,それも差し障りがあるのではないかという御指摘があったわけです。そういう案を出していただいた潮見幹事は,それと元の提案にある目的と性質というものとどちらがよりましとお考えですか。 ○潮見幹事 いや定見はありません。 ○内田委員 言葉の問題だけであれば,「性質」というのは多分いろいろなところで使われると思いますが,「債務の性質」という使い方をほかでするかどうかということとの兼ね合いがあるのかなと思います。「契約の性質」というのは多分たくさん出てくると思いますが,「債務の性質」という表現でここで使おうとしているのと異なった意味で使う事例があるのであれば調整が必要ですけれども,それがないのであれば今のような趣旨を「債務の性質」と表現して,「原因」という言葉を避けるというのは一つあり得る選択かと思います。 ○潮見幹事 債権にいろいろな性質が付いていますでしょう。定型化できるものもあれば定型化できないようなものもありますね。それを変更するというものは,今後もしこのような形で性質の変更という表現がその形で挿入されたといいますか採用された場合には,これまで更改で扱われてこなかったものもみんな,これは更改だということになると思われるかもしれません。   そうなるとしたら,金融取引やそれ以外のところに思わぬ影響をもたらすということはないでしょうか。金銭債権だけでいっても,いろいろな発生原因としての契約があって,その契約から出てくるいろいろな性質がそこに付いてきますよね。当該金銭債権のこの性質を変えようというのは更改なのかという問題が出てきそうです。   例えば貸付の条件だとか,返済条件だとか,それは債務の性質とは言わないんですと言われたらそれまでかもしれませんけれども。「債務の性質」という言葉自体が一体どこまで,何を対象としているのか,その射程がまだ私は見通せないところがあります。 ○内田委員 それは講学上の問題はともかくとして,条文上ほかでどういう形で使うかを見てみる必要があると思います。今ここで決定するのはちょっと難しいですね。 ○潮見幹事 先ほど内田委員は「契約の性質」というところはいろいろ使い方があるとおっしゃられましたが,仮に「契約の性質」といった場合にこの言葉で広くいろいろなものが考えられたときに,それが債務の性質といった,その性質にも影響しかねないのではないかという危惧があります。 ○道垣内幹事 議論がよく分からないのです。原因の変更を更改に加えないほうがよいのではないか,準消費貸借は別なのではないか。では原因という言葉に変えて性質にしましょう。性質とは何ですか。発生原因のことです。こういう議論の流れは,よく分からなくて。   原因の変更を更改に加えるべきではないという話になると,それを性質に変えると言ったって仕方がないという話になりそうですが,性質なのか,原因なのかという議論がなぜ今ここで行われているのかが私には見えないのですが。 ○内田委員 私もよくは分かりませんが,原因の変更ということで売買契約上の債務を贈与契約上の債務にするのは本当に更改なのかという疑問が出た。そうすると原因の変更をここで意図しているわけではないのかもしれない。元々「性質」という言葉で意図していたのは,恐らく抗弁を全部消すということではないかと思いますので,それが表現できるような言葉を適切に用いればよい。「性質」という言葉が広すぎるのであれば,何らかの形で制限する必要がありますけれども,少なくとも電子マネーなどの場面でも出てきますように,抗弁を全部消して,純粋の金銭債務にするといった,そういう使い方ができるような,それに支障がないような表現を探してはどうかということだと思います。 ○道垣内幹事 私もきちんと教科書を勉強してきたわけではないのですが,部会資料の40のところの1ページから2ページにかけて,「要素」というのは債権者,債務者の交替以外には「債務の目的をあげる見解が有力であるが,この債務の目的には,給付の内容・対象のほか,発生原因が含まれる」と書いてあります。このような状況で,「給付の内容・対象」のことを「目的」と呼ぶこととし,それに加えて,「性質」という言葉を使ったと仮定しますと,立法前の学説との対比から,「性質」とは債務発生原因のことであるということになってしまいそうな気がします。   ですから,もし仮に内田委員がおっしゃるように,抗弁を消失させて無傷なものにすることを指しているのだとしますと,これまで債務の「発生原因」と呼ばれていたものを言い換えたものではないということを明らかにする文言を用いないといけないような気がします。こう申しますと,それでは,どういう言葉を用いるべきかを提案しろと言われそうで,それを思い付かないままに批判していて悪いのですけれども。 ○内田委員 ここで出てくる言葉はいずれにせよみんな翻訳語です。更改は英語ではノベーションと呼ばれ,抗弁を消す更改も使われていますので,どの言葉も日本の専門用語ではあるけれども,元々のオリジナルの言語がありますから,それも調査をしながら言葉を更に検討するということでいかがでしょうか。ネイチャーにするのか,オブジェクトなりオブジェか,コーズか,それぞれ微妙な理解し尽くせない差があるかと思います。いずれにせよ日本民法も英語なり外国語に翻訳して,外からも理解できるような形にする必要があると思いますから,そういう観点も踏まえて用語を検討してはどうかと思います。   ただ,その際に目指しているのが何であるかということは,ここで共通の理解を作っておく必要があろうかと思います。 ○鎌田委員 513条2項はそのまま残す予定なのですね,議論の流れからいくと。そのときに,「いずれも債務の要素を変更したものとみなす」という部分を例えば「債務の性質を変更したものとみなす」と言えば通るかどうかという問題が生ずるので,両立する言葉にしたほうが本当はいい。逆に,第2項に「性質」という語が出てくれば,第1項で言っている「性質」というのはこういう意味だな,こういうものを含むのだなという反作用もあるのかもしれない。その辺を含めて考える必要もあるので,取りあえず括弧付きの「目的・性質」にしておいて,あとは事務当局で検討するということにしてはいかがかと思います。 ○松岡分科会長 では,引き続きその点をもう少し検討していただくということでよろしいですか。 ○岡委員 「目指しているもの」というのは,先ほど内田先生がおっしゃった金融界の一部に条件を切り離す実需というかそういうのがあるので,それを実現したいということでしょうか。一例としての立法事実を明らかにするという意味を込めるのですか。何かそういう例があると,そういうことをやっていない実務家にも分かるようになってくると思います。 ○内田委員 金融だけに限るのがいいかどうか分かりませんが,外国でノベーションという議論をするときは,それまで契約上付着していた抗弁を全部消して,純粋にある目的物の引渡し,あるいは金銭の支払いの債務に変えるという意味合いで使っているように理解をしていました。それが日本では電子マネーなどの場面で援用されることがあります。そういう需要があるのであれば対応する必要がある,そういう趣旨で先ほどは申しました。日本の実務にそんな需要はないというのであれば,話はまた別だと思います。 ○岡委員 弁護士会ではそういうことに携わっていない人が議論しているだけですので,そういう実需というか実務を一つのターゲットとしてやるのだ,そういう説明をしていただければ雰囲気は変わる可能性があると思います。 ○道垣内幹事 確定的な意見がなくて申し訳ないのですが,確かに英米における債権譲渡の議論とかシンジケートローンの議論を見ますとノベーションという概念がしばしば出てきます。これに対して,日本で余り更改と言わない背景には,恐らく異議をとどめない承諾というのがかなり広く用いられていたということがあるように思います。   さて,そうしますと異議をとどめない承諾というのを債権譲渡法制においてどうするのか。さらには更改において債権者の交替というものをどうするのか。例えば異議をとどめない承諾については,現行法は余りに簡単にそれができてしまうので,債務者保護のために厳格な要件にしましょうということになったとき,債権者が交替しないままに更改を行って,その後譲渡すれば全部消えましたというのでは,バランスが悪く,一種の潜脱的な形態になるように思います。いろいろなところがまだ未確定のままでございますので,どういうふうにすべきだという強い意見があるわけではないのですが,今後の考えるべき事柄として一言申し上げておきます。 ○内田委員 異議をとどめない承諾の場面は債務者本人が何をしているか分かっていないことがある。単に承諾を求められて,何の留保もせず承諾をしたら抗弁が全部消えてしまう。それはおかしいだろうということで,きちんとした抗弁放棄という制度に置き換えようという議論が今なされているわけです。更改の場合は,元々合意なので更改の意味をきちんと理解してなされる限り,弊害はないのではないかと思います。意味も分からず難しい言葉を使われて更改の合意をさせられれば,多分錯誤に関わる問題かと思います。そういう問題はあり得ますけれども,意味さえ理解されていれば,合意構成である以上,特に問題はないのではないかと思います。 ○道垣内幹事 それに反対しているわけではありませんが,それは一つの整理であって,そういう整理をして考えていく必要があるだろうというだけの話です。 ○松岡分科会長 もうよろしいですか。それでは二つ目ですが,続きまして部会資料40,その第2の「免除及び混同」の「1 免除の規定の見直し」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○松尾関係官 部会資料40の19ページを御覧ください。この論点につきましては第48回会議で審議がされ,具体的な規定の在り方等について分科会で審議することとされました。   まず,この論点の検討に当たっては,第三者の弁済に関する規律の在り方についての考え方が変わり得ることに留意する必要があるとの意見がありました。また,合意構成を採ることには慎重な意見が多く,乙案又は丙案の支持が多いとする意見。甲案と乙案との違いについては,意思表示の効果の発生時点が異なるが,それ以上に大きな違いがないのではないかと指摘する意見がありました。   他方,丙案を支持する立場からは,債務者の利益保護について損害賠償請求で対応すればよいとの意見がありましたが,これに対しては現在の規律を前提として損害賠償請求が可能であるか否かが明らかでなく,何らかの規定の見直しが必要になるのではないかとの意見がありました。   以上のほか,債務者の意思の尊重の観点と債務者の利益保護の観点とは区別して検討することが望ましいのではないかとする意見がありました。 ○松岡分科会長 ただいま説明のありました部分につきまして御意見を伺いたいと思います。これも御自由に御発言ください。 ○三上委員 誰も意見をおっしゃらないので最初に。丙案支持で再度先ほどの説明に付け加えて繰り返しておきたいのですが,現行法でも全く同じような問題がないとは言い切れないのですが,甲案とか乙案のような形にすると,元々の提案の趣旨は履行する側に利益がある場面という,パフォーマンスの例などを挙げておられますけれども,実際の例ですと昔ながらの債務を免除されることを潔しとしない武士の気質みたいなものまで全て保護の対象に入ってきて,時効の管理等々面倒なことになってしまいます。そういうことで免除ができないのだったら権利の放棄のようなことが別途できるのかということも本会議で申し上げたと思うのですが,甲案・乙案のような債務者への配慮が必要だという,相手方に履行する利益のある場面のその利益というのは,本当に保護に値するのかと思うわけです。双務契約の一方の債務を免除したって反対側の履行債務は消えないわけですから。例えばパフォーマンスだって出演料は払うから,もうしてもらわないで結構ですといったときに,させてもらうことのメリットというのは本当に保護に値するのか。そういう点も考えると,こういう新たな案を設けて,またいろいろなクレームの元を作るよりは丙案の現状維持のままでよいのではないかという意見をもう一度述べさせていただきたいと思います。 ○松岡分科会長 部会でも三上委員始め丙案に賛成だという御意見が多くあったわけですが,なお甲案,乙案との違いはどの点に生じるのか。あるいは甲案,乙案のほうがこの点は優れているのではないかなどの議論をもう少し重ねたいと思います。 ○内田委員 これまでは免除について,例として金銭債務を念頭に置くことが多くて,得するだけだから文句ないだろうという議論が説得力を持っていたのだと思います。では,いろいろな役務を提供する債務を考えた場合,それをしなくてもよいといわれるのが本当に損害を発生させるのかと三上委員はおっしゃったわけです。損害として金銭評価できるかどうか微妙な場合は多いかと思いますが,非常に不本意であるということはあるのではないかと思います。対価を払うからもう講演はしなくてよいと言われたときに,楽で嬉しいと思う人もいれば,プライドを傷つけられる人もいると思います。そういう債務全てを考えた場合には,典型的には契約という合意によって債務が発生している以上,消すときもやはり合意が原則ではないかという議論は十分説得力があるのではないかと思います。   ただ,金銭債務の場面にはほとんど相手に文句があるはずがないので,そういう場面に同意を得なければいけないことで実務的にコストが掛かることのないような手当は必要だろうと思います。 ○道垣内幹事 金銭債務について,ただし書は付けられないのですか。もし金銭債務については一方的な免除の実需が強くて,そうでない場面では一方的な免除はおかしい場合もあるというのであれば金銭債務はよいと書けばいいという感じがしますが,そうは簡単ではないですか。 ○松岡分科会長 引渡債務などはどうなのでしょうか。 ○道垣内幹事 だから合意が必要なのでしょう。 ○松岡分科会長 合意が必要ですかね。 ○道垣内幹事 ええ。 ○潮見幹事 例えば物の引渡しを受ける側がもう要らないから免除してやるということは,一方的な意思表示で認めてよいのではないでしょうか。 ○道垣内幹事 しかし,貿易取引紛争などで,船でやってきた石炭とかボーキサイト,鉄鉱石が引き取られないままずっとあるというのが,一つの典型例ですよね。買主としては,別に代金を支払うことはかまわないけれども,それが引き渡されて保管しなければならない状態になると困る。他方,売主は,引き取ってもらえないと,傭船料,停泊料がべらぼうに掛かる。もちろん,それは別途損害賠償の問題として処理をすればよいという考え方もあり得るのですが,買主は売主の債務を一方的に免除でき,免除すれば,売主の利益は全て損害賠償の問題にすべきであるとは当然にはならないような気がします。 ○鎌田委員 免除によって当然消滅して全ておしまいというのと,免除の効力は生ずるけれども相手方の利益を害するときには損害を賠償する,あるいは利益を害するときには免除の効力を生じないという考え方があり得るけれども,先ほどの内田委員がおっしゃったことは損害賠償に変えることも適切でない,本来の履行の機会を確保すべきであるということまで意味するのだとすると,例えば請負契約の注文者が仕事を完成するまでは損害賠償していつでも解除してよいという,こういう原則も妥当ではないというところまでいくのかどうかということにも関連してきそうです。その辺は内田委員の御見解はどうなのでしょうか。 ○内田委員 これはこの後議論される役務提供のところで出てくる非常に重要な問題だと思います。私自身は,請負の場合に損害を賠償すれば注文者はいつでも解除できるというのは,建設請負のような場合には合理性があると思いますが,物を作るということ以外の仕事を完成をさせることを目的としたサービス契約一般について言うと適当ではないと思っています。一旦契約をしているにもかかわらず債務不履行によって生ずる損害賠償を相手に払いさえすれば契約を破棄できるというのは,契約を破る自由を認めるということですが,これは原則やはり認められないのであって,むしろ認められる場合のほうが例外ではないかと私自身は考えています。そういう発想が今のところにも多分出ているのだと思います。 ○潮見幹事 契約上の債権だけに限ったら契約に基づいて権利が発生した場合の,その権利というものは,正に契約の拘束を受けます。だから,その契約を離れた形で権利だということで自由に放棄することは許さない。それを許す場合,つまり権利を放棄するということが出てくるような状況を作りたいのであれば,当事者の合意が必要であるというのは,私自身が必ずしも支持するというわけではありませんが,ドイツなど,免除を合意で構成しようという国の一つのスタンスかと思います。それが全てだと思いませんけれども。   それを前提に,先ほどの金銭債権だけにただし書を付けて許すのかというのは,ちょっと技巧的かなという感じがしないではないのですが,それとは別に先ほど鎌田先生がおっしゃったように,一度契約上の権利であったとしても,権利を放棄するかどうかは権利者の自由である。しかし,その権利を放棄することによって生じた当事者間のリスクのずれといいましょうか,それは契約全体の中で損害賠償とか,あるいは対価危険をどう処理するかという枠の中で片付ければそれで足りるのであると考えるのであれば,現行法の下で言われているような一方的な意思表示による権利放棄といいましょうか,免除という枠組みを今後も基礎に据えて構わないとは思います。   もちろん,後のような考え方を採った場合でも,今度は逆に権利から解放されるためには当事者の合意が必要であるというような,免除の合意を契約で義務付けておくということが可能かどうかということは,これはまた別問題として考えておかなければいけないのかもしれない。 ○松岡分科会長 私も今潮見さんが言われたことと同じようなことを感じているところがあります。それだけ債務の履行側に利益があるのであれば,この契約では一方的な免除はできないという明示又は黙示の特約で対応することも十分考えられると思います。   弁護士会ではこの点何か御議論ないし御意見はございませんか。 ○高須幹事 弁護士会は乙案か丙案。数としては丙案のほうが多い。つまり何らかの形で免除される側の利益を考えるにしても乙案ぐらいがよいところではないかということでございます。甲案のように合意ができて初めてそこの段階で債務が消滅するということについては,今までの取扱いとの兼ね合いかもしれないのですが,非常に抵抗感が大きくて,なかなか免除も簡単にはできないという発想は実務の中では使い勝手が悪いように思われてならない。したがって丙案のほうが数としては多いし,仮に今回少し変えるとしても一旦は免除の意思表示をすれば,それで効力が生じる。後日,異議が出れば話は別よという辺りがギリギリではないかということで乙案でもよいかという単位会がいくつかある,こういうような状況でございます。 ○松岡分科会長 この分科会ではどの案かに決めることはいたしませんで,むしろ仮に甲案,乙案を採った場合,その違いはどうなるのかをもう少し検討しろということも課題として挙げられています。 ○道垣内幹事 分科会長の御指示に全く従わないで恐縮ですが,丙案を採った場合にただし書を付けるのですか。つまり,ここまでの議論では,免除によって損害が発生した場合について,それは損害賠償の問題とすればよいではないかという話しが出ていましたが,今日後のほうで消費貸借の期限前弁済の話があり,そこにはただし書が用意されています。場所は別ですけれども。そうすると519条でもただし書を付けるのかが問題になりますし,弁護士会が丙案がよいとし,三上委員も丙案がよいとおっしゃっているとき,ただし書を付けることにも反対なのかというのが若干気になるところです。 ○松岡分科会長 それももちろん検討の対象にしてよいというか検討すべきことだと思うので,どうぞ御意見を頂ければ幸いです。 ○鎌田委員 甲案,乙案は合意構成かそうでないかという意味では,法的にすごく様相を異にするけれども,実質的にはほとんど変わらないです。どっちも共通して原債権がそのまま残るという形なのに対して,利益を害することに対する手当という意味で,丙案に「ただし,利益を害してはいけない」とか,「利益を害したときには損害を賠償しなければいけない」というようなただし書を付加することで,現実の履行は保障しないけれども金銭的な補填の可能性は認めるという,これが多分甲,乙グループと丙との中間にある考え方,あるいは丙の別案ということになって,その辺が今まで出てきた意見の妥協点的にはあり得る考え方かもしれないと思っています。   内田委員の最も強調する部分にはそれでは応えられないという意味で甲,乙グループとは決定的に違うという仕組みになっています。 ○潮見幹事 事務局のほうでもし御存じなら教えていただきたいのは,フランス民法の改正素案でも合意構成ですよね。ただし書みたいなものはありませんよね。ドイツ民法は元々合意構成でただし書はありません。そういう場合に一方的な意思表示である特殊の債権について合意は要らないという形で処理しているのか。あるいはやはり合意は要求するとした上で,何らかの形でその合意を,言っては悪いですが緩やかに認定するとか,何かそういうことでやっているのでしょうか。その辺りは御存じですか。 ○内田委員 一番知っていそうな人から質問されると困ってしまいます。ちなみに,単独で免除はできるけれども,相手の利益を害したときは損害賠償の責任を負うという場合の損害賠償というのは不法行為責任ですか。一般の過失責任の賠償と何か違いがあるのかどうか。確認的に書いているのか,それとも何か創設的な意味があるのでしょうか。 ○鎌田委員 これは請負とか委任の理由なしの解除とか,あるいは期限の利益の放棄というときの損害の賠償,多分あれは不法行為とは言わない。過失や何かの要件も必要ない。何て言いますか,法定責任に準じたものなのではないですか。権利の放棄の自由はあるけれども,しかし,それによって相手を害するまでの自由は認めないということだと思うのです。 ○内田委員 請負とか委任の場合だと契約の解除になるので,反対債務も消えてしまう。それをカバーするために損害賠償が出てくるのだと思います。双務契約の場合,一方の債務だけを免除しても対価は残っているので,そちらが残っていれば経済的な損失はない,という言い方もできそうな気がするのですが。 ○鎌田委員 債務の免除というのは債権の放棄ですね。当該債務を免除されたことは利益にしかならない。しかし,それによって補填されない何か損害があるということが当面の問題で,多くの場合,損害はないのだろうと思うのですが,何かあれば明文の規定がないとその損害の補填の原因は生まれてこないことになるのではないですか。 ○松岡分科会長 内田委員が御示唆されているところは,仮に丙案にした場合に相手方に損害が生じた場合,それを補填すべきだというのは不法行為ではないので規定を置かないと権利の根拠が基礎付けられない,こういうことになるのでしょうか。 ○内田委員 そうですね。先ほど冗談のような例を出しましたけれども,対価を払うから講演はもうしなくてよいという債務の免除をしたときは,対価を払っていますから,相手は利益だけ得ていて何の損害もない。ですから,損害が生じる場合というのはなかなか想定しにくいという議論が出てくるのではないと思います。 ○道垣内幹事 ただ汎用性の低い物の引渡義務が免除されると損害があるのではないですか。邪魔っけですから。 ○内田委員 双務契約だと対価は得られるわけですね。代金が得られて,物の引渡しもしなくていいと。 ○道垣内幹事 その物は邪魔である。貿易紛争において,買主が引き取らないというときは典型ですよね。また,飛行機を作れと言われて作ったが,引き取ってもらえなかったら大変ですよね。 ○内田委員 通常引取りを拒否する場合というのは契約そのものの効力を争う場合なので対価も全額は払いたくないというケースが多いのだと思います。でも,おっしゃっているのは,全部払います。物も要りませんと言われたとき,損害があると言えるかですね。 ○松岡分科会長 物を所持して維持管理自体に相当な費用が掛かり,長い時間が掛かれば売買対価を超える場合もあり得ます。今更引き取ったって自分が当初予定していた契約目的からするともう不要だから引き取りたくない。対価ぐらいは払ってもいいなら単純免除します。このように,目的物の維持管理に費用が掛かり,処分も難しい場合にどうするかはごく例外的には考えられます。   しかし,そういう場合だと具体的に損害が発生しているので損害賠償は比較的認められやすいような気がします。そういう場合には免除が許されず,目的物の引取義務まで負うこともあり得ますね。 ○内田委員 社会的に持っているのが嫌だと思うようなものをやっと相手に引き渡せるというのが一番極端な例ですが,それが免除されてしまうのは困る。その場合はある程度客観的に,第三者が見てもなるほど損害がありそうだと思いますが,しかし契約で,ある物を相手に引き渡すとか,あるサービスを提供するという合意をする場合も,その物なりサービスを相手に移すことが自分にとって利益があると思って契約をしているわけで,それを一方的に放棄だ,免除だと言って解消されていいのかという,非常に薄く一般化すればそういう話になって,合意で発生したものを一方的に消すわけにはいかないのではないかという先ほどの議論にまた帰ってくるのかと思います。 ○潮見幹事 だから,そこの部分は,合意構成を採って,今のような場合に,引取義務の問題として捉えて,その者に引取義務違反を認めてサンクションを課するかどうかという形で処理することもあり得るべきであるし,むしろそれが望ましいというふうに考えることもできるのではないか。   損害賠償だけであれば,どういう構成をとっても何らかの形の損害賠償が認められるときは認められるし,認められないときは認められない。だからむしろ当初の契約に拘束され,権利者でありながら,その履行を受けることを強制されるという状況を,受領遅滞のルール以外の状況でもう認めるかどうか。ここに問題は尽きてくるのではないかと思うのですけれども,いかがでしょうか。 ○鎌田委員 従来のように一般的には受領義務がないという原則から,今回の改正提案のように受領義務をかなり広く認める前提に転じたときに,免除と言えば受領義務を完全に免れてしまうことができるような法制にすると規範の間に矛盾が実質的には生ずるのではないか,そういう趣旨ですね。 ○潮見幹事 そういうことですね。 ○内田委員 いくつかの選択肢のメリット,デメリットはかなり整理されたように思います。実務家の先生方にお伺いしたいのですが,弁護士会は乙案の支持も多いということだったかと思います。これは甲案に比べてかえって不安定な状態になりませんでしょうか。原則,一方的に効力が生ずるけれども,相手が後で異議を述べると遡って免除はなかったことになる。最初から相手の同意を取ってしまうほうが,多くの場合同意が取れるので実務的には明確だと思うのですが,一方的に意思表示した後で相手から異議が出るかどうかを待つということが本当に実務的によいのかどうか,その点はいかがでしょうか。 ○高須幹事 多くの場合に了解がとれるという前提そのものに疑問があるということだと思います。実際の仕事の中でもいろいろあって,普通に交渉して,普通に合理的にものを考えるビジネスで合意が形成されていく場合では確かにそんな心配がないのかもしれないのですが,やはり中小企業というケースになってきたときで,倒産絡みとかそういう話になってきたときにコミュニケーション自体がなかなかとりにくいみたいな場合もあるのかなと,割と多くの弁護士はそういう仕事もしているのではないか。私個人で言えばそういうこともやはりやるわけです。そうすると,ただ免除しますと。代理人弁護士が相手に付いていたら,その弁護士宛てに免除の通知さえ送ってしまえば,取りあえず免除の効果が発生して,税務署も免除したからもう債権はないという処理をしてくれるというような扱いみたいなことは,実際にままあると思っています。   結局,いざとなったときに取引類型によっては相手の合意を取るということに一定のコストと言われる場合もあるわけですが,結構負担が伴う場合もあるので,ケースによっては後から何かを言われるリスクよりも手紙1本出せば一応債権を消滅させられるという,コストが掛からないというメリットみたいなものもあって,そういう意味で弁護士会の中では甲案と乙案を比べると乙案のほうが現実的に見えているということはあると思います。それがいい姿なのかどうかはまた別だと思いますが,従来はそんな発想はあると思います。 ○松岡分科会長 確認をさせていただきたいのですが,弁護士会の意見全体としては基本的には丙案であって,ある種相手の利益も考えたら,せいぜい妥協できるところは乙案まで,というニュアンスと理解してよろしいでしょうか。 ○高須幹事 そうですね。私が所属している東京弁護士会などは乙案を一応採っていますが,その意味は,乙案を積極的に支持というよりは,合意構成との兼ね合いを今回指摘された中で考えた限りでは甲案よりは乙案かなというところだろうと思っております。 ○中井委員 弁護士会は丙案支持が多いのですが,丙案を前提としながらも債務者の利益を害することはできないという期限の利益の放棄型と同じようなただし書を入れるというような御提案が鎌田先生からあったのではないかと思います。それは十分あり得るのではないか。一言だけ。 ○松岡分科会長 それではそのほかになお御意見はございませんでしょうか。よろしいですか。   それでは,もう少し進ませていただきたいと思います。続きまして,部会資料42,第2「約款」。まずは3の「約款の組入要件の内容」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 御説明いたします。部会資料42の20ページに記載されている論点です。この論点については,第50回会議で審議がされ,具体的な規定の在り方等について分科会で審議することとされたものです。部会での議論の状況を御紹介いたしますと,他の法令や慣習など,組入要件に関する規定以外の根拠によっても約款が契約内容になる場合があることを明示すべきであるとの意見,相手方が約款の内容を理解することができるかどうか,約款の内容を認識するための手段としてどのような手段が合理的かなどについては,個別の相手方ごとに検討する必要があるというような意見がございました。   また,相手方が合理的な行動をとれば約款の内容を認識し得るという要件が部会資料の中で提案されておりましたけれども,このような要件は非常に緩やか過ぎ,より積極的な開示を要件とすべきであるとの意見,これに対し,何が合理的かは解釈に委ねられており,必ずしも緩やかであるとは言えないというような意見などがございました。   それから,不意打ち条項については,何が不意打ち条項になるかについて合理的な一般人を基準とすべきであるとの意見ですとか,あるいは単に不意打ちというだけでは何が該当するのかが明瞭にならないので,より客観的な基準を設けるべきであるとの意見がございました。 ○松岡分科会長 それでは,ただいま説明がありました部分につきまして御意見を伺いたいと思います。御自由に御発言ください。 ○中井委員 (2)の後段部分がやはり一番問題なのかなと思っています。機会の保障の仕方について,ここでは「合理的な行動をとれば約款の内容を知ることができる機会」という形になっていますが,現在でも契約の類型によっては当然約款自体を開示する,提示する,そういう実務が相当程度行われていると思うのですけれども,それをこの合理的な行動をとれば知ることができる機会と定めると,実務より一見すると後退した形になると思われます。したがって,約款の種類や契約の類型によるのでしょうけれども,個別に提示できるものは原則提示する。個別に提示できない,提示というのか開示というか交付というのか,その言葉はともかくとして現実にできない類型があることもまた確かで,そういう類型についてはどのような形で機会を保障するか。その機会の保障の仕方にもレベル差があって,合理的な行動をとれば知ることができるというのと,容易に知りたいと思えば知ることができるというのとでも差があると思います。その辺りをもう少し検討する必要があるのではないか。ここでは「合理的行動をとれば」とした理由が場合によっては実務を後退させるのではないかと懸念するのです。 ○松岡分科会長 中井先生の御意見では原則開示ということをはっきり書いて,それができない場合には然るべき方法を考える,何か補充的なルールを作る,こういう御提案ですか。 ○中井委員 はい,そのほうがはっきりしていいのではないか,また,現実の実務にも沿うのではないかと思う次第です。 ○潮見幹事 中井委員に対する質問も併せて,これではどうですかというところも含めての提案です。前にお配りしていただいた資料の中の後に比較法が出ていて,ドイツ民法の305条が当該資料の1ページのところにありまして,そこに2項というのがあります。ドイツ民法305条2項1号,2号。これではいかかですか。この訳がどうかというのは,またちょっと置いておきますけれども,基本的な考え方あるいは組立て方として。別にこれがあるからといって,ドイツで取引実務が混乱しているなどという話を私は聞いたことはありません。むしろ,今,中井委員がおっしゃったようなことがこれで反映できているのではないかという印象を持ったもので発言したものです。 ○中井委員 この305条(2)ですね。この2項の考え方に近いと思います,私が申し上げたことは。例えば今でも生命保険契約を考えたとき,明らかに個別提示が可能ですし,現にしているわけですから,それを合理的に然るべき場所へ行けというのをあえて作る必要はないだろう。   では,電車に乗るときにそうしているかというと,それは決してあり得ないわけです。それはできないわけですから然るべきところに掲示するか置けばいいでしょう。そういうことで305条2項的な発想を採ることでいかがかという意見です。 ○潮見幹事 それなら私も乗らせていただきたいなと思います。 ○内田委員 契約締結の場所で約款を認識可能な状態に置く,ということですか。 ○潮見幹事 表現ぶりがこれでいいのかなというのはもちろんありますけれども,基本的なポリシーといいますか,スタンスというのでしょうか,出発点。あと,もしそういう方向であるのならば,今内田先生がおっしゃったような個別の部分について,これでは狭すぎるのではないかとか,逆に広すぎる,曖昧ではないかというところを個別に詰めていけばいいと思います。 ○中井委員 重ねてになりますけれども,申し上げたいことは,開示できるときは開示すればいいではないですかというのをまず基本とすべきではないでしょうか,こういうことを申し上げたいのです。 ○内田委員 それ自体は異論はないのですが,ただ,今日ここにおられない委員で多分強い疑念を持たれる方がおられるかもしれないですね。原則として開示を要求するということが余りに強く出ると,実質は後で例外が認められているので何の不都合もないはずなのだけれども,しかし厳し過ぎるという印象を持たれる方もおられるかもしれません。そこは書き方の問題なのかもしれません。 ○筒井幹事 先ほどから議論になっているのは,部会資料でいうと「合理的な行動を取れば約款の内容を知ることができる機会」と書かれている部分についてであろうと思いますが,部会資料ではその前に「相手方が約款の内容を知りたいと考えた場合に」という限定を置いております。このような限定が置かれているかどうかは実際の運用に大きな影響を与えると思います。先ほどから議論されていることが,もし客観的に可能なのであれば交付することを原則とすべきである,相手方の要求にかかわらず交付すべきであるということであるとすれば,実務に対してかなり重い負担を強いることになるのではないかと思います。これに対して,相手方が約款の内容を知りたいと考えた場合にという限定を設けた上で,現実の交付が可能なのであれば交付することを原則とするというのであれば,実務との軋轢はそれほど大きくないのではないかという印象を持ちました。 ○高須幹事 今,中井先生からの御指摘を受けて,同じような意見という意味ですが,取引形態によっては約款と呼ばれるものを当然のように交付しているという形態もあるのだろうと思います。それを「望むときは」ということを前提としてしまうと,必ずしもそうしなくてもいいのかもしれないみたいな誤ったメッセージを与えることになり,それはよくないのかなという考えです。ただ,筒井さんがおっしゃったように,望むときは提示するのだというのでないと収まらない業種もある,とてもじゃないけれども負担が大きくなりますよという業種もある。そこで,本来は契約内容が分かって契約するのが出発点だとしたときに,明らかに普通に今もやっていますよみたいなものを後退させない工夫みたいなものが何か分かったらいいのかなという気はしています。   生命保険という例も出て,私どもは生命保険の約款などに関わっておりますが,元々は契約締結時に十分交付していなかったものを監督官庁の指導とかそういったものを含めながら現時点では基本的には多くの生命保険会社が契約締結時に約款を交付するようにしている。そういう扱いが出てきている中で,そういうものはそのまま現状で生かせるような規定ぶりができたらいいのかなと思って,「望んだときは」とだけ一般化してしまっていいのかどうか。違うのがあるのかと言われるとちょっと困るのだけれども含みを残すような規定ぶりのほうがいいのではないかと思います。 ○筒井幹事 どうするのが適当かについては更に議論していただきたいと思いますが,先ほど言及があった保険の実務の現状に関しては,契約時に約款を交付というのはやや不正確であり,契約の締結後に交付しているのが実務ではないかと思います。   この部会のヒアリングでも紹介された話ですが,保険に関しては,詳細な約款を事前に交付することは,保険契約を締結しようとしている顧客に契約内容を理解してもらう上で有益なのかどうかについて,やや疑義があり,十分な説明と理解を得ることはまた別の方法によって達成すべきではないか。約款の交付がそれには必ずしも役に立っていないのではないか。そういう現状認識があるのではないかと理解しております。 ○高須幹事 おっしゃるとおりですが,私も生命保険会社の仕事をしておりますので,実はそこは難しいテーマになっていて,締結時に契約のしおりとか,そういったものを渡す努力をしております。御指摘の点はそのとおりで,そこは私の発言がやや不正確だったのですが,ただ,そういう努力をしているところを考えた規定ぶりを検討していきたいと思っております。 ○中井委員 そうすると誤解をしていたのかもしれません。筒井幹事に確認といいますか,この部会資料の意味するところは,例えば保険等の契約においても現実に約款等が交付されている実務があるではないかという私の意見に対しては,それは契約締結後若しくは契約締結と同時に交付されているにすぎなくて,契約締結前に約款そのものが開示ないし交付されている事実はないことを前提として制度組立てをしようとしている。だから契約締結をしようとする場合にはまだ契約締結前ですから,将来契約を締結したときに適用される約款については,必ずしも開示する必要はなくて,希望する者のみに契約成立すればこういうふうになりますよと,こういう情報を提供できる体制を整えればそれで足りると,これはそういう御提案だと,こう理解したらよろしいのですか。 ○筒井幹事 開示の意味を書面での交付に限るとすれば,中井委員の御指摘のとおりだと思います。 ○道垣内幹事 1点目は,保険契約は正にそのとおりで,保険会社の人に対して,約款を先に出せと言って,その人の前でじっと約款を読みふける人というのは滅多にいませんね。私はそうしましたが。通常は,後で約款の交付を受けるだけですね。しかし,そのとき,筒井幹事がおっしゃったように,あらかじめ「契約のしおり」を配りますね。約款の内容の重要な点を抜粋し,分かりやすく解説しているというわけですが,約款自体は開示しないが,何らかの形で説明するというのを法的に位置付けるべきなのか。この保険は○○保険約款に基づいてなされますと書いていて,それについて,約款を事前に見せろと希望した人だけに見せればよくて,後は,希望に応じて,見られるような状況になっていればよいというだけだと考えるのか。何か微妙な問題があるような気がします。それを一般の説明義務のところに落とし込んで考えていって,説明義務のところは約款による場合もよらない場合も係ってくるのだから,それで処理できると整理するというのならば,それはそれでよいかと思いますが,そうであるならば,そういう整理であるということを明確にしたほうがよいと思います。   もう1点は,先ほどドイツ民法の話が出たわけです。ドイツ民法は305条のほかに305のaというのがありますよね。aに関しては恐らく契約締結の場所になくてもよいという考え方なのではないかという気がします。桜田門の駅に東京メトロの約款が置いているのかということになりますと,多分ないのではないかという感じもしないではないのですが,こういうのはよいのでしょうかね。桜田門の駅から地下鉄に乗ろうとする人が事前に約款内容を知りたいとき,東京メトロの本社に行けば分かるという状況になっていれば,それでよいと考え,一般論の中に流し込むのか。 ○笹井関係官 中井先生が最初におっしゃった,現実に交付したり契約場所に掲示したりするのが難しいという場合に対応するのであれば,ドイツ民法305条の(2)だけではなくて,それを原則としつつ305a条のような規定を設ける必要があるのではないかと思っておりました。   ただ,部会資料で「合理的な行動」を取れば内容を知ることができるという提案がされているのは,ドイツ民法の305a条が対応しようとしている問題も含めて一つの要件の下で組入要件を規定できるようにしようという趣旨からです。「合理的な行動」が何なのかは,それぞれの取引の形態,契約の内容ですとか,あるいは当事者の属性も入ってくるのかもしれませんが,そういった個別の事情を考慮して判断できるような要件にしようという観点から,そういった提案をしてみたということでございます。   先ほど,中井先生から,この部会資料は,約款が契約締結前に開示されているという事実はないという認識に立って作成されているのか,という御質問がございました。この点についてですが,今のルールがどうなのかということ自体が不明確なのではないかと思っておりますので,今の約款のルールについて,何か一つの理解というものを前提にしているというわけではございません。 ○潮見幹事 ドイツ民法305条と305条a条の関係というのはいろいろな理解の仕方があると思うので,個人的な私自身の見方ということで申し上げさせていただきたいと思います。305a条に書いてあるのは,飽くまでも305条の2項1号で,先ほど内田委員が少しほのめかしかけたところに関わるのですが,開示ということをまず要求はする。しかし,一定の場合に開示条件を少し緩和する。緩和した上で,しかし2号を持ってくることによって約款の内容を認識する機会は与えなければならないという仕組みで基本ルールを立てています。305a条というのは開示,あるいは緩和された開示要件といいましょうか,それにも更に当たらない。そもそも開示という枠をとらなくてもいいというものです。ここに当たるようなものについては,当然認識可能性とか認識する機会などということを定型的に考慮する必要がないから,だから別枠として放り出したというのがこの305a条の基本的なスタンスだと思います。   仮に日本の民法で今後約款についてのこの種の規定をどうするかを考えるときに,今申し上げたことがどう関わってくるのかといったら,1号の「明示的に提示し」の後の「又は」という部分をどこまで広げるのか,広げないのか。   そして,次に2号ですが,一般的に認識する機会を与えるということを要求するのか。それとも一定の場合にはおよそこんな認識することができる機会になるということを問う必要がないという形で放り出すのか。そこをどう組むかによって,この辺りは変わってくると思います。   ただ,1点だけ申し上げますと,私はこれに与するというわけではありませんが,ドイツ民法の305a条の1号というのは,正に認可約款に関わるようなものでして,この種のものがあれば,それは組み入れられるのですよという態度決定が合理的だということならば,むしろこの部分はドイツ民法の今の部分のみを切り取って日本でも参考にするということはあるかと思います。与するわけでは決してありません。 ○高須幹事 今,笹井さんからも御指摘があったところと絡むわけですが,合理的なという言葉でうまく調整するということは一つの改正方法だとは思うのですが,ここは組入要件の問題なので,できたら今話題に出ていましたようにドイツ民法とは限らなくてもいいのかもしれませんが,具体的な要件を法の中に明示するというほうが立法の姿勢としては親切なのではないか。ただ,それは作り方によっては弊害が出ますよ。変に決めてしまったから後で苦労するのですよというところは十分注意して多くの人の意見を聞いてやらねばならないとは思っていますが,なかなか「合理的な」という言葉だけでこれから民法を使い出したときに判例法令などの集積を待ちながらやっていくというのは,結構大変かなという気はしているものですから,そういう意味では今回話題に出ているようなドイツの例なども参考にしながら具体的な規定ぶりを考えるのは有益ではないかと思います。 ○笹井関係官 潮見先生の御指摘を受けまして補足させていただきますと,部会資料での提案というのは先ほど潮見先生がおっしゃった認識可能性がないまま放り出すという枠組みは設けないで,むしろ認識可能性はあらゆる約款について必要であるということにしよう,ただ,約款が使用された契約にはいろいろなパターンがあるので,それを合理性という言葉の中で読み込むこととしてはどうかということです。   高須先生の御意見のように,確かにいろいろな場面を想定した上で,それぞれについてどの程度の認識可能性を要求するのかを細かく書いていく方法は十分考えられると思いますし,それができれば有益であろうと思います。一方で,これからもいろいろな形態での契約が出てくるだろうと思います。実際,15年前,20年前には想定できなかった,インターネットを通じた取引が現れているものですから,そういったものも含めた形で細かい規定を設けていくというのは,事実上困難なのかなという印象も同時に感じるところでございます。 ○三上委員 今,ドイツ民法の例が出てきましたが,ドイツ民法は全然知らないので,「明示的に提示し」というのは目の前で見せるという趣旨でしょうか。   今世の中で開示といっても,開示されたものを見るためにはホームページにアクセスするなり,開示された場所に行くなりという合理的な行動をとらないと目の前に提示されているわけではありません。例えば銀行で一番典型的な普通預金を作る契約を考えると,普通預金を作りたいと申し出られたら,一番最初に約款が渡されるのではなくて,申込書を書いてもらって,本人確認手続をやった上で通帳と一緒に約定書が渡される。これ自身は契約締結前までに渡したのかどうかは微妙です。かつ,その中身を知る機会を契約締結前に十分に与えているかというと,それも非常に疑問なわけです。   郵送で普通預金等を開設できるのですが,その場合は更に正に開設した通帳と一緒に約款を送ってくるわけですから,そういうのも含めると,事前にどんな約款か知りたいと言われればホームページにも載っているし,約款書の交付もしますよと。少なくともこのレベルで通るような条文にしていただかないと,とても実務は回りません。なので,言葉尻を捉えて批判するわけではないのですが,ドイツの「明示的な開示」とか,「相当に困難を伴う」という言い方とか,2項の「内容を確認する機会を期待可能な形で与える」という言葉だけを見ると,その辺が非常に不安であって,私としては部会資料で挙げられたような内容が,取り方によっては厳しくなるかもしれませんが,実務で受入れ可能な限界ラインではないかと認識しております。 ○中井委員 先ほど笹井関係官がインターネット等の普及に伴って,かえって困難を伴うような趣旨のように聞こえたのですが,その点はむしろ反対で,インターネット等が発達するに伴って,これらのことがかつては困難だったのが,これからはどんどん可能な状態になっていくのではないか。インターネットで契約を締結する場合には締結前に約款を開示することができて,少なくともそれが詳細に見られる。本人が読むかどうかはともかく開示することができて,それに対して同意をした上で契約を締結することがむしろ容易になる時代ではないか。   また,具体的な方法についても三上委員がおっしゃられたようにいくつかの方法があると思いますが,私が申し上げたかったことは,原則は可能な限りは約款を事前に開示するのだという,この形が書き込めないのかということです。その後に,合理的な例外事由,先ほどで言うドイツ民法305条の2項の「又は」以下についての例外,若しくはa条というのでしょうか,その例外,それをどのように定めるか。それが余り詳細に段階的にはできないにしても民法の基本原則として,それが表れるような形が好ましいのではないか。   それは高須幹事からもありましたけれども,「合理的な行動」とのみ書くことによる柔軟な解決というのが果たしていいのかということに対する疑問からスタートしています。 ○笹井関係官 私の表現が誤解を招くものだったのかもしれませんが,私が申し上げたのは,インターネットの普及によって開示が困難になったということではなくて,いろいろな取引が今後も現れてくるだろうと予想されますので,取引の形態ごとに,どの程度の認識可能性を与えておけば組入要件が満たされるのかを細かく類型化して,条文に規定することが困難なのではないかということを申し上げました。 ○潮見幹事 この後,これは部会にどういうふうにフィードバックしていくのですか。いくつかの,それこそ妥協しづらいような提案がありますよね。並べるということになるのでしょうか。そのための思考の整理ということで理解したらいいのでしょうか。   そうであれば,まず原則として原則ルールというものをどういうふうに考えていって,もちろん例外というものをここでも考えていく必要があります。伺っていると,原則ルールの中にいくつかの考え方の違いがはっきりと出ています。一番極端な見方は,これは原則ルールだけですが,契約の締結までに契約の相手方に対して約款の内容を開示して,約款の内容を認識する機会を与えなければならない。これが恐らく一番ハードなものでなかろうかと思います。   次のハードなものは,契約の締結までに契約の相手方に対して,これは開示を言わずに約款の内容を認識する機会を与えなければならないというものです。これは約款の内容を認識する機会というところで,言ってみたら評価的なものを全部組み込んで,その代わり開示というのは吹っ飛ばす。開示というものは決定的な因子とは言い切れないという形で考える。これが恐らく二つ目ぐらいのハードなものでしょう。   三つ目ぐらいのものは,契約の締結までに,相手方が約款の内容を知りたいとの意思を表明したとき,あるいは約款の内容を知りたいとの希望を表明したときは契約の相手方に対して,それで以下同文,こういうことを入れることによって,正に顧客が知りたいという顧客の意思の表明というものを発動要件みたいな形といいますか,一つの要件として組み込むことによって組入れの前提事実を考えていく。もちろん,そこでは開示し,認識する機会を与えるということにするかしないかという問題はあります。   まず,原則はどこにあるのかを固めた上で,次にどの立場をとったとしてもというか,特にハードなほうを考えていけばいくほど例外的な場面が出てくるのは必定と言っていいと思いますので,そういう場合に,例外ルールとして例えば開示が必要な場合には明示の開示が困難な場合にはこうしろ,ああしろというような形の例外則を設けておく。   あるいは,さらに,先ほど与しないと言いましたけれども,認可していれば,それで足りるのだという場面が適切であると考えるのであれば,そういう例外ルールを設ける。こういう形で整理でもしないと,どうにもならないのではないかと思います。あるいは,逆にそう整理することによって,それぞれがお考えになっている,約款の組入像といいますか,実際に約款の用い方とか,それにかなったルールというものが,これだというものが見やすくなるのではないでしょうか。 ○内田委員 現在の部会資料は組入要件の(1)として約款を契約内容にする旨の合意が必要であるということをまず書いています。これは現状からすると画期的な進歩で,今は,約款があるかどうかすら知らずに契約をしている場面もあると思います。約款によって契約をするということをきちんと合意をする。そうすると相手によってはどういう内容ですかと尋ねる人がいるわけです。そのときに対応できればいいというルールになっているのだと思うのです。   これを相手が尋ねなくても,とにかく全部開示しろということになると顧客にとってもかなり煩わしい状態になるのではないかという気もいたします。約款を使うという合意の重みをそれなりに評価して,開示の部分についてはある程度軽減してもいいのかなという気がいたします。 ○笹井関係官 潮見先生のお考えをお伺いしたいのですが,一番最初に,中井先生の,開示を原則とした上で例外を定めるというお考えに潮見先生も賛同するとおっしゃったように記憶しているのですが,そこでお考えになっていたのは,今の潮見先生の原則ルールと例外ルールという整理に従うと,それぞれについてどの立場を採られるということなのでしょうか。 ○潮見幹事 原則ルールは先ほど申し上げた一番ハードなものです。前回,私は発言のところで基本的な要件が入るような形で提案を変えてこられたのを大いに評価したい,多としたいと申し上げましたが,その気持ちは変わっていません。その部分は,どこかで決めればいいと思うのですが,例外ルールを適確に立てることによって対応が可能ではないのかと思います。逆に例外ルール付きの一番ハードなルールでもいいのかなとも思います。ただ,それは学者として言っているだけでして,先ほどからの筒井幹事のお話や,三上委員のお話にもありましたように,相手方が約款の内容を知りたいと考えた場合にという部分が,実務はなかなか難しいということであれば,その部分は皆さん方で議論されて,そうだということであれば,その方向で決せられるというのは一つの選択肢だとは思っています。 ○笹井関係官 続けて恐縮ですが,その場合に原則に対する例外がなぜ許されることになるのか。恐らく,事実上困難である場合に例外を設けることになるのだと思うのですが,原則のルールとして一番ハードなところをとられることには何か理論的な根拠があると思うので,それに対する例外を実務的な難しさということだけで導いてよいのか,少し疑問に思ったのですが。 ○潮見幹事 約款の内容を認識する機会を与えなければいけないという部分が,私はここでの核の問題の一つだと思っています。そうであれば,世の中の実態として明示の開示までは要求はされないであろうが,このことまでは行っていれば,一般的あるいは客観的に約款の内容を認識する機会があったと評価してもよいであろうというような状況があるのではないかと思います。   そうなると,後者の場面をうまく書き出すことができるような形で例外を考えてみるというのも一つの在り方かなと思っているのです。ドイツ民法の305条2項1号の後段部分,「又は」以下の部分ですが,これはまず実際に明示的に提示するということを少し拡張している。しかし,その場合には2号で,約款の内容を認識する機会が与えられたか否かという,そのチェックは掛けるというシステムを採用している。他方,305a条は,こういう客観的な事態が生じているのならば,例外的に,一般的,客観的に相手方の約款の内容を認識する機会が与えられたと定型的に判断していいであろうと。例外というのは,こういう理由で正当化されることになるのでしょう。だから,個別に二度目のチェックも必要ではない。   これはこれとしてあるべき一つの姿ではなかろうかと思います。もちろん,この枠組みを採れということではありませんが,考える上で,例えば305条2項1号の後段部分のような形で一元化して捉えていくやり方もあるでしょうし,305a条の1号,2号のような書き方までも受け入れるというやり方もあるのかもしれません。その辺りは日本の実務の実態に合わせて,これがあるべきだというところで持っていけばいいのではないのかなと思います。 ○松岡分科会長 潮見さんに続けて今の点でお尋ねしたいのですが,先ほどある種の整理の仕方として,基本を全面開示にした上で例外を今言われたように設けていくという一番ハードな案と,部会資料の提案がそうだとも思うのですが,要求があった場合に対応して開示をすればいいという一番緩やかな案があり,その間に認識機会の提供との案がある,という3段階になると思います。それと今の笹井関係官に対する御説明の中で機会の提示というものが実は核心だという話とはどういう関係になるのですか。   やはり原則,例外というルールとしてはっきり書きなさいというのが潮見幹事の御意見ですね。一方,先ほど3段階で整理された認識機会の提供は,部会資料もそう読めるのですが,合理的な行動というものを利用して,固いルールという形ではなく,もう少し柔軟な受け皿的なルールにするというのを真ん中の整理の案としてお考えになっているのですか。 ○潮見幹事 言い方が悪かったかもしれません。真ん中というのは基本的に開示ということを強調しないものを申し上げました。 ○中井委員 先ほどの笹井さんの潮見幹事に対する質問についての私の意見です。約款によるという合意がある。契約内容になるにはそのとき同時に約款の内容が開示されていることがやはり大原則なのだろう。原則をそこに持つわけです。その意味するところは開示することが容易であり,かつ可能であるにもかかわらず開示せずに機会だけ与えて正当化できるのかと言えば,私の原則論からすれば正当化できないわけです。開示も可能,容易。にもかかわらず機会を与えれば足り,提供しなくていいなんて。それで約款によるという合意だけがあって足りるのか。それはやはり,可能であって,容易であれば約款を開示すべきでしょう。それで初めて正当化される。   でも,実際はそうばかりではなくて,現実には約款を事前に開示する,情報提供することは極めて困難な契約類型がある。そういう契約類型に限っては機会を与えること,チャンスを保障することによって正当化される,補われる。そういう関係にあるから原則は維持すべきだ。それを明示すべきだというのは,そこにこだわりがあるからです。 ○内田委員 今,中井先生が言われた原則開示の開示というのは何を。 ○中井委員 約款の中身。 ○内田委員 認識する機会を与えるのでは駄目で,約款の中身を示すということですか。 ○中井委員 情報を提供できるのであれば情報提供を積極的にするという意味なんですね。どこかに置いておく,それで足りるというか,もし仮にできるのなら渡すに越したことはないわけです。若しくはインターネットで向こうが画面を見てきたら画面の中に約款が表示されている。できる場合には個別に,交付であり提供。わざわざ自ら行かなければいけないのか。 ○内田委員 日本は規制が掛かっている約款がたくさんあって,だから一概には議論しにくいのですが,最も規制の厳しい運送の場合,鉄道の駅で開示しようと思えば物理的にはできますので,切符を買うところで約款が見える状態にすることを要求すべきだということですか。 ○中井委員 運送とか契約類型によっては違うのかもしれませんね。契約類型によると言わざるを得ないところがあるのかもしれません。 ○内田委員 中身を示すとなると,顧客にとって相当煩わしい状態になるのではないかという感じがします。原案は「認識する機会があることが必要である」ということを言っていて,潮見さんが言われた2番目のハードルにもそれが書いてある。ただ,中身については知りたい場合に合理的な行動をとれば知りうる,という意味付けをしています。その前のレベルとして,恐らくドイツ民法的な契約締結の場所で認識可能な状態に置く。しかし,それができない場合でも知りたい場合には合理的な行動をとれば知り得る機会を保障する,そういう書き方にすれば潮見先生的には要件を満たしているルールになるのかなと思うのですが。中井先生はもう少し厳しいことをおっしゃっているような印象を受けるのですが。 ○中井委員 このドイツ民法で言うなら305条2項1号の第1文,「約款を明示的に提示し」というところまでの語句をどうして排除しなければいけないのかという素朴な疑問なんです。様々な事情があるから,そこまでしない場面というのはたくさんあることはもう承知して容認するわけです。そこは例外則の決め方の問題ですが。 ○内田委員 ドイツの場合は305aで運送とテレコミュニケーション,郵便を除外しています。ドイツでどのぐらい約款に規制が掛かっているか私は存じませんが,事務当局で約款について国内の規制を調べると,ものすごくたくさん規制が掛かっています。いろいろな業種で。その全てについてドイツのような「明示的に提示」ということを要求すると,顧客に非常に負担を課し,また,コストを高める要因になるように思います。   もちろん規制が掛かっているものを全て例外として挙げて外すということはあり得るのですが,そんな面倒な条文にしないとすると,もう少し柔軟な要件にしておくという手もあるのではないかと思うのです。 ○中井委員 恐らく結論の姿は違わないような気がするのですが,アプローチの仕方の違いで,合理的な機会を保障するという書き方よりは,まず原則は明示して,その原則どおりしない例外を一般的な形でも規定するというパターンを繰り返し述べている。その原則論は,開示というのが約款が契約内容になる根拠になっているからなんだと。それをしなくていいのは例外的な事情がある場合。それは運送約款についてもその例外的事情の中に入れてもらえればいいわけですけれども,その切り分けの仕方については様々な工夫があるのだろうと思いますが,何度も繰り返して申し訳ないのですが,どうして原則を書けないのかという素朴な疑問です。 ○内田委員 例外をドイツ民法の305aのように列挙すれば何が例外に挙がるかはすぐ分かりますが,原則に対して,それが困難な場合はこれでよいという書き方をすると,困難かどうかをめぐって恐らく紛争が生じるだろうと思います。それが本当にいいことかどうか懸念があるということです。 ○笹井関係官 中井先生が正しくおっしゃったように,結論的なところで余り違いはないのではないかと思いました。部会資料について少し補足させていただきますと,この部会資料の提案は,中井先生がおっしゃった原則を排除するつもりではなくて,ただ,取引の形態であるとかそういったものに応じて何が合理的なのかというのが変わってくるのだと思います。中井先生がおっしゃっている,約款の内容を開示することが容易な場合としては,紙の媒体などに印刷してすぐ読める状態のものを交付するということが想定されているのだと思います。そういう開示の在り方が使用者に当然に求められているような取引形態においては,ここで言っている「合理的な行動」はそれを受け取って読むということになると思います。そういう開示が可能で,かつ容易で,商慣行としても当然行われている場合に,受け取って読むという行動以上のものが求められるとすれば,それは,ここで言う「合理的な行動」を超えた行動が要求されてくる。したがって,この組入要件を満たさないことになるということになってくるのだと思います。   そういう意味で非常に容易なものから非常に困難なものまでを,何が原則かということではなくて,そこにはグラデーションがあるので,「合理的な」という文言,あるいは潮見先生が先ほどおっしゃったように,機会を与える,機会を保障するということ自体が規範的な要件なのかもしれませんが,そういった文言の中に読み込んでしまうというのが部会資料の提案です。中井先生は,恐らくそれを原則と例外という形で少しランクを設けるということだと思うのですが,それは規定を条文でどのように表現するかという違いにすぎないのではないかなという印象を受けました。 ○道垣内幹事 笹井関係官がおっしゃることはよく分かるのですが,そうすると「合理的な機会」という言葉のほうが多分よくて,「合理的な行動」という言葉を用いますと,?には約款の被使用者側の行動だけに着目しているように読めますので,先ほど,笹井関係官が例として出されたように,そのような場合にはもらったものを読むのが合理的なのだというのは,出てきにくい感じがします。「合理的」という言葉を使うとしても,機会と言って双方のシチュエーションを考慮できるような概念にすべきではないだろうかと思います。   発言するほどのことでもないのですが,内田委員のおっしゃった,「困難である場合」などと規定すると,困難であったか否かを巡って紛争が生じるということですが,私は,そのような紛争は,「合理的」という言葉の下でも生じると思いますので,余り理由にはならないのではないかと考えます。 ○内田委員 「困難」という要件では紛争を招くと申しましたのは,ハードルの高い原則を立てて,それを外すのに「困難な場合には」という規定の作り方をすると,高いハードルを満たすことができない業種がたくさんあるものですから,開示の困難さをめぐって紛争がたくさん起きてくるだろうということです。そこでハードルを二つにするのではなくて一つだけにして,その一つの中で,中身を知りたいと考えた場合に合理的な行動をとれば知り得る状態であればよいという基準を置くと,合理的な行動の幅は,ウェブサイトを見るとか,ある程度定型的に判断できますから,生じてくる紛争の性質は違うのではないかと私は思います。 ○松岡分科会長 中井先生に2点伺いたいことがあります。一つ目は,先ほど原則をうたわずに,提案のような形で提示をすると,むしろ現行の実務よりも後退する可能性があるのだという御指摘をされたのですが,保険については筒井幹事の御指摘もあって,必ずしもそれは妥当しないという印象を受けています。それ以外に,現行実務でここまでやっているのに,この提案では後退してしまうと懸念される具体例にはどんなものがありますか。   二つ目は,おっしゃることはとてもよく分かるのですが,逆に例外が多くなると何が原則かが必ずしもよく分からなくなります。理念的には確かに開示するのが原則だと言うほうがいいかもしれないのですが,除外ルールを作るのが非常に難しいというのが内田委員の御指摘だと思うので,その辺りについてより一歩踏みこんで具体的なイメージをお持ちであればお示しいただくと更に一歩議論が進むのではないかと思います。 ○中井委員 一つ目のものについては,正直言って私は生命保険とか損害保険の約款をイメージしたものですから,その実務が契約締結後であると御指摘を受けて,そうかもしれないなと思った次第です。でも,そうだとするとあのような高額な商品であればあるほど事前に交付して開示して当然ではないか。しかも個別契約ですから一生に何回も契約するものでもありませんので,実務が契約締結時,若しくは契約締結後に交付しているから,その実務を追認するという考え方がいいのかということに素朴に疑問に思います。   また,証券会社等の複雑な取引については,最近事前開示書面,これは一種説明義務,情報提供義務の一つの内容かもしれませんけれども,あれもその契約内容については相当詳細な説明がありますから。例えば信用取引をするならば取引をする前に信用取引についての基本的な約款は,当然,事前交付があっていいと思いますが,仮にそれも現在,信用取引契約約諾書に署名してから証券会社から送られてくる実務だとすれば,その実務自体,果たしてそれでいいのかと考えていいと思います。   銀行の定期預金,普通預金についても申込書を受け取ってから通帳を渡すというのが実務だとすれば,申込書と一緒に渡せばいいだけの話ですから,特段難しい話でもない。実務を後退させるのかどうかということからすれば,逆に今の実務がそうなら,実務を一歩進めるために原則規定を設けてもいいのではないかと思う次第です。   ただ,例外がたくさんあることについては全く否定しないので,その例外則の定め方については何か名案がありますかと言われると,先ほどのドイツの例がありすねとか,ほかにどういう規定の仕方がいいのかと言わざるを得ないのですが,内田委員がおっしゃるとおり,その例外則のところでいたずらに紛争になるという御指摘を受けたときに,本当に紛争になるのか。現在でも約款については国民全般に表現は悪いかもしれませんが,諦めムードというか,約款に従うのだから約款のとおりなんだ,ああそうか。全く知らなくて,あとから使用者から言われて引き下がっている例が山ほどあるはずです。それ自体が問題だとすれば,それを修正する意味はあるのではないでしょうか。若干紛争があることによって,それがいずれ正しい世の中の姿になっていくことを期待していいのかなというふうに思います。 ○道垣内幹事 松岡分科会長の中井委員に対する質問の第1の点ですけれども,約款の定義についてどのようにお考えの上での質問及びお答えだったのだろうかがとても気になるところです。お二人が念頭に置いていらっしゃるのは,契約として署名するものと全然別個のところに冊子があって,保険約款なら保険約款,旅客運送約款なら旅客運送約款というものがあるというものですね。しかしながら,現在ここで議論している約款の定義においては,十数枚にわたる契約書があって,その一番後にサインをするということになっている携帯のものも排除されていないのではないかと思います。   そうすると,実はほとんどの場合には交付されていると言うべきではないかと思いますが,どうなのでしょうか。どのような定義の下に話をすればいいのか,よく分からなくなってしまったのですが。 ○三上委員 約款の定義は正に道垣内幹事がおっしゃったことを,約款部分の入口のところで何を議論しますかというときにも述べたのですが,例えば銀行取引約定書を締結して,裏表が印刷された金銭消費貸借契約証書でお金を貸しますというときに,ここで議論されているほとんどの方の頭の中は銀行取引約定書も金銭消費貸借契約証書も典型的な約款であると考えていらっしゃると思いますが,我々としてはあれは契約が全部示されてはんこをつくわけですし,説明もするわけですから,別に約款に組み入れてもらう,その必要を感じない,定義から外してもらってもいいという見解ですが,それをしていては議論が進まないということで,約款規制の対象の問題と切り離して議論したわけです。中井先生が原則原則とおっしゃっている趣旨が,たまたま不可変に印刷された紙が提示された条項が使われている契約は約款取引だということであれば,それが事前に提示されれば,そういうものが契約の手段として使われているだけで普通の契約と特段変わりません。あとは説明義務の問題だけだと私は思います。   約款を組み入れる必要性は,それが渡されないとか,頼まないともらえないとか,見せてくれと言わないと見られないけれども,それに拘束されるための条件としてこういうものを設けるのだと。そういう不十分な合意の下にあるから不意打ち条項のような効力を制限する条項が入ってくるのだと。こういう理解でおりましたので,入口で全部相手方に明示に提示しなければならないと言われたら,それは私からすれば普通の契約なんです。道垣内先生がおっしゃったように,そこが問題になるのだったら,約款の対象の範囲を絞って,そもそも事前に提示することができないものに限っては,みたいなところから始めないと,ここの議論の前提が崩れると思います。こういう理解でいるわけなので,今この段階において原則は明示的に提示するのだとか,提示できるものはこの機会に提示すればいいのではないかというのは議論の趣旨が違うのではないかという気がしております。 ○中井委員 先ほどの道垣内幹事の,私が先ほどから一連の発言をしているのは,約款一般についての話ではないということは間違いありません。基本的な立場としては,約款については今の三上さんの意見とは違って定義を広く考えておりますので,一方当事者が作って,その後契約交渉があって,その一つの紙の上で署名押印するものも約款に含めております。それらのものは契約締結前に確認し,中身も見ているのも事実です。   先ほどから議論させていただいているのは,その類型の約款ではなくて,基本的には大量の当事者を相手方として契約内容の変更を基本的には予定していない。そういう種類の約款を想定して申し上げていた。契約の核心部分については,保険等についてはもちろん個別交渉はありますけれども,それ以外の部分については個別交渉が予定されていない約款を対象に,ここでは議論させていただいたので,そこは区別して考える必要があるだろうと思っています。 ○松岡分科会長 その点は私も中井委員と同じです。ただ,ここで議論しているのは広い約款のうちの,特に問題になる一部なのだろうと思います。契約書があらかじめプリントアウトしてあって,それに署名するという場合であれば,その署名する前提として契約書を見せられているわけですし,読む機会もあるわけですから,あえて今ここで議論するようなことを問わなくても構わないというふうに思っていますが,誤解がありますでしょうか。 ○道垣内幹事 問わなくてもいい場合が山のようにあるという答えになるのではないか。 ○松岡分科会長 逆にだからこそ一般的に原則提示という意味はよく分かるのだけれども,例外をどうやって外していくかということ自体に私自身は相当困難を感じている。こういうことだから質問をさせていただきました。 ○潮見幹事 そもそも例外的なものを落とす場合に,約款の定義のところで落とすことが,まず一つ考えられます。その意味では約款の定義をどう考えていくのかが重要になります。今日は度々ドイツ民法を出して申し訳ないのですが,ドイツ民法の305条1項などを見ると,最後の文章のところに訳が書かれていますが,「契約条項につき,契約当事者間で個別に交渉がなされたもの」は約款ではないという扱いをして,ある意味では約款の定義,入口の部分で一定のものは,これは約款のここのルールは妥当しないのだと排除しているのですね。こういう排除をするかどうかという決断がまず必要になってこようと思います。   もしこういう決断をするのであれば,三上委員が懸念されているかなりの部分は,こちらで落ちてくる可能性があります。逆に約款のところではこんなものは外すべきではないのだということになった場合には,これはこの前の議論の繰り返しになると思いますが,どこかで何かの形でフォローをしなければいけない。どこかで何かの形でフォローしなければいけないというときに,いきなり不当条項規制のところでいくのか,それともここの正に組入れだとか開示だとか,そのレベルでチェックをするのかという,その決断が恐らく必要になってくると思うのです。   中井委員がずっとおっしゃっておられることも,あえて申し上げるのならば,こういう枠組みだと思います。今の個別交渉は置いておいて,典型的に中井先生がお考えになっているところで,あるいは弁護士会がそうかもしれませんが,開示ということを要求しているのはある意味では組入れの合意とのセットの部分があって,組入れの合意さえあれば,それは契約内容になるのだということに対して,組入れの合意をするためには,その前提として当該約款の内容を知った上でなければ,その約款を使うかどうかについてなんていうことは合意をしても意味がないのではないか。そのような合意に個別合意がないにもかかわらず拘束力を認めていいのか。そう考えると,基本的には組入れの合意の前提事実として当該約款内容の開示というものは要求される。ただ,約款内容の開示というものがなかなか世の中では難しいこともある。そうである場合には開示に替わるものを要求する。場合によっては認識可能性みたいなものを,これはいろいろな表現ができると思いますが,組み込むことによって,それに替わるような状況は作り上げる。さらには開示,それから認識可能性ということすら問題とする必要がないような取引もあるであろう。そもそも認識可能性なんて問う必要がないというものについては,開示だの,あるいは認識可能性などということを一切要求することなく一定の事態があれば,中井委員は一定の取引類型とおっしゃいましたが,一定の場面ではそうした開示も認識可能性も,期待可能性も要求しない形での前提というものを容認してもいいではないか。その上で組入れの合意を成り立たせてもよろしいのではないか,そういう判断をすることもあるいは可能だと思いました。   中井先生がおっしゃっているのは,この枠組みかなと思います。難しくなるのは,いかなる法技術で何をどう切っていくのかというところです。それから,今のような枠組みを使った場合には,開示プラス認識可能という二つの要件で原則ルールを立てることになりますから,その場合に例外ルールが二つになります。   要するに,認識可能性は必ず必要だけれども開示は要らないという場合と,開示も認識可能性も,そんなこともそもそも問題とする必要はないという場合という例外2つですと。これをどう仕込むかというところがかなり厳しい問題として出てくるのかなとも思いました。でも,それは先ほど中井委員にドイツ民法のこんな形でよいのかなというときに,基本的にはそうだとおっしゃられたところからすると,ドイツでもそれは実際それはやっていることはやっているわけですから,技術的にやれないというわけではない。でも,難しいなと思いました。   もう一度言いますが,約款の定義をやらなくて本当にいいのですかという素朴な意見はあります。 ○松岡分科会長 予定よりも大分遅れておりますけれども,更に御発言いただきたいと思いますし,今まで全然御意見が出ていませんが,関連して不意打ち条項についてどう考えるかも検討の課題として挙げられておりますので,それについても御発言を頂ければと思います。 ○潮見幹事 ここの部会あるいは分科会で議論している約款を用いた取引の当事者とは事業者,事業者のみで,B to Cは入らないという前提でこの間議論していましたよね。 ○筒井幹事 それは排除していないでしょう。 ○潮見幹事 不当条項規制は……。 ○笹井関係官 いずれも排除していないと思います。事業者,消費者とか何かの類型に限っているということではありません。 ○潮見幹事 それならそれでいいのですが,甲案でいった場合の「またこのルールは」という,これは,不意打ち条項のところの甲案の後段,最後の文章ですが,これは本文のところの,その他何とか何とかの具体的な事情というものの一つとして考慮すれば足りるということでもいけるような気はします。特に,約款使用者の相手方が事業者の場合に一律に不意打ち条項を排除するというのは,私には理解できないところがあります。 ○中井委員 分科会ですから意見だけ言っても意味がないのかもしれません。ここは部会のときは山本敬三幹事が発言された意見に賛成していたと思います。今,潮見幹事もおっしゃいましたが,仮に不意打ち条項を承認するのであれば,この括弧書きルールは意味がないのではないかと思います。結局は不意打ち条項についてどのように考えるか。それは約款であるところからすれば,その不意打ち条項を排除する方向が基本的に正しい選択ではないかと思います。これをあえて不意打ち条項であってもよろしいですよという積極的理由がよく分からない。   問題はそういうときに何が不意打ち条項かという議論が生じるのは必然ですけれども,それはそれに対しては個々に答えていくしかないのではないかと思っています。 ○松岡分科会長 この括弧書きの件については,余り記憶がないのですが,部会でそもそもこういう括弧書きにしてあるということ,若しくはこの括弧書きの中身自体に対して何か御説明はありましたでしょうか。 ○笹井関係官 資料に記載した趣旨としては,組入要件として認識可能性が保障されているわけですので,相手方が事業者であるときには,ちゃんと読んで,自分の責任で契約内容を把握した上で契約することを期待できるだろう,したがって,類型的に不意打ち条項に関する規定の適用の対象にする必要はないという考え方に基づいているのだろうと思います。   ただ,そこはいろいろな考え方もあり得て,甲案の中でも事業者が相手方である場合を排除する考え方,排除しない考え方両様あり得ると思いましたので,ブラケット内に入れてあるという趣旨でございます。 ○松岡分科会長 考え方としてはありますかね。   どなたに伺っていいのか分からなくなってきて困るのですが,部会の中では例えば岡委員から不意打ちというのは主観的な基準に見えるので,より客観的な基準を設けるべきではないかという趣旨の御発言があったように思います。その前提が私はよく分からなくて,そもそも不意打ちは主観的なものなのですか。全然主観を考慮しないわけではないと思いますが。   逆に,三上委員から御発言があったと思いますが,何が不意打ちになるかは合理的な一般人を基準にして,ある意味で客観的に決まるという御理解でしたね。私も大体そう理解していたので,これ以上客観的に何か基準を設けようと言われても,何を考えたらいいのかがよく分からなかったのです。 ○道垣内幹事 私が先ほど申し上げたことと矛盾することをこれから話すのですが,3の(2)に関して,私は,「合理的な行動」というのは被使用者側の行動だけに着目しているので,使用者側の行動との関係を考えるべきではないかと申し上げました。単純に認識可能性の問題であると考えると,専ら被使用者側の問題になりますが,約款の使用される状況の合理的なコントロールとなりますと,両方から考えることになってくるのではないかと思います。   さて,(3)について,不意打ち条項と一般的に言われているわけですが,それは認識可能性,予測可能性という被使用者側から見ている概念で構成されているのだと思います。そして,(3)を被使用者側から見る概念として構築すべきであるというふうに捉えますと,(2)について私が申し上げたことは若干不適切なのかもしれないという気がしないではありません。結局,コントロールの基準をどのように振り分けるかということですね。   岡委員がどのようなおつもりでおっしゃったのかは分かりませんけれども,恐らくこれを見たときに感じるのは,不意打ちの問題は,被使用者側の予測可能性だけの問題なのかということに対するご疑問なのではないかと思います。やはり内容の合理性の問題なのではないかという感じもあり,そうすると,客観的合理性を前面に押し出すべきであるということになるのだと思います。そして,これはどういう立法のスタンスをとるかということと密接に結び付いている問題であり,岡委員の御意見を以上のように解釈しますと,私には理解できるところがあります。分析だけで恐縮ですが。 ○松岡分科会長 岡委員がかねてから入口の言わば組入要件の問題と,それから中身の適切性の問題が不即不離で分けて議論すること自体に強く疑問を提示されていることは分かるので,そういう趣旨で理解されているのですね。 ○道垣内幹事 そうです。 ○内田委員 不意打ちというのは講学上そう呼ばれているわけですが,ここに書かれているのは契約の外形,使用者の説明その他の契約を締結する際の具体的事由を踏まえて相手方が合理的に予期することができない条項ということです。これは内容の不当性とは関係ないと思います。内容は全く合理的だけれども,この契約の約款の中にこんなものが入っているとは誰も思わないという場合のことですので,不当条項規制と切り離して議論すべきだと思います。かつ,約款は元々定型的なもので,その定型的な約款においてこの条項が入っていることが相手から見て予期できないかどうかも相当定型的に判断されることなので,たまたまこの人が驚きましたという,そういう話ではないと思うのです。ですから,単なる主観の話ではないと思います。 ○中井委員 私は内田委員のおっしゃる意見に賛成で,そうだとすればこの括弧書きは要らないのではないですかと重ねて申し上げたい。 ○内田委員 事業者については約款の規律は一切不要であるという立場もあるものですから,それに配慮してブラケットを使っているということです。保護に値するものも含め一切規定不要という立場が強力に主張されているということです。 ○岡委員 大きく結論を変えるべきだという主張ではまずないのです。ただ,前回,今の内容規制もここに入れるほうが納得しやすいという意見を申し上げたところ,山本敬三先生からも内容になるかどうかの問題であって,合意が立つかどうかの話なので,内田先生がおっしゃったような考えでやるべきだ。こう言われて,理論的にはそうだと思いますが,実務家としては悪い内容を排除するのだったら意味がありますが,内容的によければ予期できないというだけで排除するという実益は理論的だけれども余りないのではないかという気持ちはかなり持ちます。   でも現実的にはこの部会資料の28ページにも書いてあるように,中身が変だから予期できないということで排除されるケースが多いのだろうと思います。ですから,お前の言っていることは全部不当条項規制のほうでうまくいくのだから,心配しなくていいと言われると,理論的にはそうですねと引き下がる用意も十分ありますが,不当条項規制のほうがどうなるか分からないということもありますので,甲案を,内容的に不当なものは合理的に予期できないものにほとんどなりますよという補足説明でもあれば実務家としては受け入れやすくなるという意見でございます。 ○三上委員 この場で反論しておきますけれども,「内容的に不当」というのは非常に曖昧な概念です。たとえ不当な内容であっても説明されて合意していれば,少なくともB to Bの間では文句を言われる筋合いはない話です。   例えば金融機関ですと期限前弁済したら,例えば利息分の損害がひょっとしたらあるかもしれないと思っていたけれども,裏にスワップとかがあっていろいろ精算金が発生して,こんなに高くなるとは思わなかったという場合。約款の作成者不利の解釈の原則というものがドイツ民法で出てきますが,それがこの言葉で表現し尽くされているのかという疑問は多少持っていますが,「約款がこういうふうに解釈されるとは思わなかった」もこれに含まれてくるという部分までは一応認識していますのが,それを超えて内容が不当だからというだけで約款が無効になるという問題とはちょっとレベルが違うだろうと思います。逆に,この場ではこれ以上言うつもりはないですが,約款の規制は飽くまでもこれが限度であって,約款だからというだけで不当条項規制がかかるのは不当であるという私のスタンスもここから出てきます。   ○道垣内幹事 合理的でなくても分かっていれば基本的には拘束するだろうというのは,おっしゃるとおりだろうと思います。それとの関連で,細かい話ですが,(3)の文言中に,「相手方が認識していないということ」を要件として書く必要はないのですかね。それは合理的に予期することはできないというところに読み込めるというふうに考えてしまえば,それでいいということですかね。 ○笹井関係官 認識していないというのは,この予期できないという中に入っているというつもりでこういう表現になっております。 ○道垣内幹事 そうすると,そこには個別当事者の問題が結構前面に出てくるので,全体の構造との関係で少し不明確さが残るかなという気はします。 ○松岡分科会長 ほかにいかがでしょうか。議論はやや煮詰まってきています。 ○潮見幹事 ここばかりやっていても仕方がないと思います。方向はかなり固まっているのではないのかとは思います。ここに不当性の内容を入れること自体は正面からは出さないほうがいいのかなとも思います。実際に外形から見て,こんな契約条項なんて入っているはずがないというものを弾き飛ばすというのが不意打ち条項のルールであって,もちろんその中にこんな変な条項なんていうのは入るはずがない。当事者はそんなに考えていなかった。考えようもなかったということであれば,結果的に不当な条項がそれによって排除されることはあろうかと思います。   逆に,不意打ち条項禁止のルールの弱点は,何遍でも使われると,みんなが認識することができるようになるから,実は不意打ち条項での排除というルールはそれほど機能するのかと言われると,機能しない場面も出てくることを考えておかなければなりません。だからこそ例えば,私の立場とは違いますが,不意打ち条項禁止のルールを置かないで,先ほどから問題になっていましたが,契約交渉段階での情報提供義務とか,契約内容の開示,説明義務で対処するほうがむしろ望ましいのではないかという考え方もあるということは含んでおいたほうがいいと思います。その上で,内田委員がおっしゃられたような整理の仕方でここを作るのもありうると思います。   ちなみに,三上委員がおっしゃられた作成者不利の原則というのは,これもいろいろ捉え方があろうかと思いますが,恐らく一般的に考えられている理論的なレベルの説明というのは,ある契約条項についていくつもの解釈の可能性があるときに,どの解釈を採るかを考えるに当たり,作成者あるいはその事業者に不利なものを取るというのが作成者不利の原則であって,最終的には不意打ち条項禁止のルールともある意味では共通性はないわけではないですが,ただ細かく見ていくと規律の対象としている状況は違います。 ○中井委員 (2)の問題に戻りますが,部会資料でいうならば23ページにある,例えば「法律に別段の定めがある場合を除き」という文言を入れるかどうかという問題提起がされています。業法がどうなっているのか私は知りませんが,約款の内容についてチェックしていることは間違いないのでしょうが,例えば電気,水道,ガスなどならば,その約款のとおりの契約が成立するという仮に業法があるとすれば,それで民法を超えて,それは契約の内容になるのだろうと思うのです。それをここで「法律に別段の定めをある場合を除き」という文言を加えるという考え方はあり得るのではないかと思うものですから,当然にこれを入れなくてよいという結論でいいのか。私は一方で開示せよと言いながらですが,仮に法令があれば,それはそれでクリアできるのではないかと思うものですから確認的に問題だけ。 ○潮見幹事 その場合に中井委員のお考えでいくと,組入れの合意は必要ですか。今の法律に別段の定めがある場合です。 ○中井委員 それは業法の定め方として地域独占的なところで電気の契約を結んだときに約款として定められている。約款どおりの契約が成立するとされているとすれば,もはや契約をすれば直ちに契約内容になってしまうのではないでしょうか。現実に業法がそうなっているかどうか確認していませんが ○笹井関係官 今,潮見先生がおっしゃった問題は,業法で何が決められているのかということなのだと思います。中井先生がおっしゃったことには結論的に同意するのですが,それは民法が一般法で,それに対して業法が特別法になるということなので,それを書くか書かないかという技術的な問題なのかなと思いました。 ○潮見幹事 組入要件を書くときにもしそういう方向でいくのであれば,条文の文言を工夫したほうがいいと思います。 ○松岡分科会長 それは部会のときに潮見幹事も松本委員も私も多分同じ趣旨のことを発言し,業法が曖昧であればむしろ方向としてはそういう業法の中で明確に規定していったほうがいいだろうという意見だったと思います。   今,3時40分ぐらいになります。予定ではもう一つ議論が済んでするはずなのですが,まだ約款の変更が残っております。しかし,ここで15分間休憩をさせていただきます。3時55分から再開ということでよろしくお願いいたします。          (休     憩) ○松岡分科会長 時間がまいりましたので再開させていただきます。   続きまして部会資料42の第2「約款」の「4.約款の変更」について御審議いただきたいと思います。引き続き事務当局の笹井関係官から説明していただきます。 ○笹井関係官 御説明いたします。部会資料42の30ページに記載された論点です。この論点については第50回会議で審議がされ,具体的な規定の在り方等について分科会で審議することとされたものです。部会での意見を御紹介いたしますと,当初の約款に使用者が約款を変更することができる旨の条項が含まれている場合と含まれていない場合の双方について検討すべきであるとの意見,ひな型とか個別に交渉された約款を変更することができるのは不自然であるとの指摘などがございました。   また,約款を変更するためにどのような手続が必要かについては変更の内容によっても異なっているとの意見がありました。また,実務上の約款の変更についての実務を紹介するものとして,個別の合意を得るのが困難であること,目的,必要性が合理的であること,要件変更の内容がその目的に照らして合理的であること,ウェブサイトや店頭などで周知がされていることなどの要件を検討して,変更の可否を判断しているという発言がございました。   一方で,約款の変更について内容が様々であり,一律の規定を設けるのが困難であるという意見もございました。 ○松岡分科会長 それでは,ただいま説明のありました部分につきまして御意見をお伺いしたいと思います。御自由に御発言ください。 ○中井委員 笹井関係官からも部会の議論の紹介がありました。約款の変更も,約款の定義の問題にも絡みますので,約款の範囲の問題について議論を整理しておかないと,変更についての議論も混乱するのではないかと思います。   約款の変更が仮にできるとしても,その対象となる約款というのは,仮に広く定義をした場合,その全てに及ぶのではなくて,限定されるものではないかと思います。その限定というのは,大量の相手方との間で同一の内容の契約を締結することを前提として定められた約款で,個別交渉を予定せず契約内容,約款の内容の変更が予定されていない類型。それらについて,それらの約款が契約の内容になる反面として一定必要性,合理性の,ここは要件の問題ですけれども,ある場合に変更が認められる。逆に同じ約款であっても,そういう類型の約款でないものについては,原則契約が成立した以上,それを変更するについては原則どおり個別同意が必要である。そういう切り分けではないかと思うものですから,それを議論の出発にしてはどうかと思います。 ○道垣内幹事 今の区別は大切だと思うのですが,原則のほうを確認したいのです。手書きの契約書でもいいですが,個別的な同意がなされた。然るに,そこにおいては一方当事者が契約内容を変更できるということが書いてあったとします。これは完全にその合意の効力が認められるというのが原則なのでしょうか。   つまり今,個別的な交渉が予定されていないものを取り分けてと中井委員はおっしゃったわけですが,それは取り分けて変更をやりやすくするという話なのか,変更をやりにくくするという話なのかよく分からなくて,原則はどっちなのだろうかということがよく分からないものですから。 ○三上委員 扱っている立場からいきますと,約款に変更条項があるかないかは余り関係のない議論といいますか,今から約款を作るのだったら必要ならば入れておくし,既に使っている約款だって変更が必要なのは必要だという意味で,変更条項の有無の議論に意味はないのではないかと思います。契約に「一方的に自由に変えられます」と書いてある場合,本当のフリーハンドを与えるという契約であれば公序良俗に反するような気がしますが,例えば約款の一部の条項で料率とか手数料はこちらの必要に応じて変えますという部分に関しては今でも有効と考えておりますし,有効の範囲はあるのだろうと思います。   その前提で中井委員が言われた最初のくくりですが,約款の入口で対象約款を絞るというのはそもそもここの約款の規制を考えた段階で広くとるということでしたから,約款の種類というよりは個別の合意を取るのが著しく困難な場合みたいな,そういうところで選別していくべきなのではないかと考えております。 ○松岡分科会長 道垣内さんの御疑問の点はよろしいですか。   感覚的には私も三上さんおっしゃるように全くのフリーハンドは多分駄目だろうから,どこかで線が引かれると思いますが,当事者が納得して,約款でなくて個別に合意をして,そこまでは変更してもよいのだと個別具体的に変更の対象を限定しているのであれば取りあえずは有効と思います。約款でそういう変更留保がある場合と個別の取引でそういう留保を合意した場合とは大分違うという気がします。 ○道垣内幹事 松岡分科会長が,大分違うとおっしゃるのは,約款を用いた取引の場合には当該変更条項についての合意が希薄であるということを前提にしているわけですね。 ○松岡分科会長 そうです。 ○道垣内幹事 然るに約款を用いていたって隅々までかどうか分かりませんが,少なくともその条項について十分に認識している場合があるわけです。しかるに,そのような条項について認識していても,約款の場合には(2)にあるような限定が他の場合と異なって生じるのか。あるいは三上委員がおっしゃるように,約款であるという場合には,団体性とかそういうものが必要なので,逆に,変更条項がなくても変更が認められる,認められやすいという意味を有する特則としてこれを考えていくのか。その出発点が明らかになりませんと議論がしにくいかなと思います。 ○潮見幹事 個別の契約あるいは約款,その中で変更条項が定められている場合に,その効力をどのように評価すべきか,という問題が一つあります。他方,そのような条項が存在しない状況で,一方当事者が一方的に個別の合意内容あるいは約款の内容を変更することが許されるかという問題があります。   前者の問題,つまり個別条項についての解釈,それから不当性チェックが働く場面ですと,これは不当条項規制をどう捉えるのか次第でいろいろ考え方は分かれてくると思いますし,約款の場合の不当性チェック,不当性コントロールというものをより個別合意に対する不当性コントロールよりは厳しくすべきであると考えるのであれば,そこは厳しいものを考えてもいいのかもしれない。   ただ,ここから先は,私は部会でも申し上げましたが,こんな条項を設ける必要がない。もし仮に設けるとすれば不当条項規制のところに何らかの形で対処する規定を置けば,それで足りると思っています。   問題は三上委員がおっしゃられた後者の場合のほうでして,約款に変更条項などが一切ないときに,その約款の内容を一方当事者が変えたときの効力をどうするか。それをまた今の時期にこのようなものについての規定を置くほどまで議論が成熟しているのかどうかということについて,私は分かりません。置けばいいと多くの方は思われているのかもしれませんが,中井委員がおっしゃったように,あるいは笹井関係官がおっしゃったように,どういう約款を用いた契約でこれが問題になっているのかということの確定自体もはっきりしない。一般的にこんなものが本当に妥当するのかというのは,私はよく分かりませんし,そうであれば急ぐ必要はないのかなと思います。 ○高須幹事 今の潮見先生の御発言を承ってですが,弁護士会の中でも議論しているこの変更の問題についての要件立てについては,変更条項があらかじめ約款に存在している場合はともかくとして,そうではない場合についてまでということに対してはむしろ慎重意見が強うございまして,それをどういう形で弁護士会として意見を集約するかはいろいろなステップがありますが,変更条項が存在していることを要件としようみたいな意見が今集約されつつあります。そういう意味では,いわゆる変更条項がないものについてまで何らかの要件を立てるということについては,慎重であるべきだろうと思います。   もう1点,不当条項との兼ね合いということで,にわか勉強で頂いた資料を見ただけですが,変更権と言っていいかどうか別ですが,変更の規定の問題はむしろ不当条項の中で規制されているような立法例もあるようでございますから,そういう可能性もあるのではないかということを思っております。 ○中井委員 約款の範囲を広く考えたとして,先ほどの私のいう大量に締結されるいわゆる典型的約款とそれ以外に分けたとき,それ以外のものについては,原則,個別同意が必要だと申し上げた。仮にその中に当事者がきちんと合意して変更条項を入れているとすれば,その変更条項の解釈の問題になって,一般的契約の中で個別に変更条項を定めたときと同じ問題で,最終的には,その条項をどう理解するか。一般条項に対する不当条項規制が掛かれば不当条項かもしれない。その問題はそういう解決になるのではないか。   そうでなくて,三上さんが想定しているような大量の相手方との契約に適用される約款について個別同意を取ることが到底不可能な場面については,変更条項が定められている場合の規律を考えなければいけない,と同時に,変更条項が定められていない場合であっても,やはり変更の必要性,実務の要請というのは否定されないのではないか。そのときに今の潮見幹事の御発言からすれば議論が成熟していないから,不当条項規制で当面凌ぐというふうに聞こえたのですが,果たして不当条項規制のみで凌いでいいのか,もう少しここで議論して,変更条項がなくても一定の要件,類型の下に変更できるその要件を議論すべきではないか。それができるならば,不当条項規制の前にそれがあったほうが実務は安定するのかなと思ってきたわけです。必ずしも弁護士会の意見がこれで一致しているわけではないことは,高須幹事がおっしゃったとおりですけれども,そのように感じております。 ○潮見幹事 若干誤解が生まれてしまって申し訳ありません。私は変更条項が約款に存在していない場合について,これは不当条項規制ではなくて,むしろ今の事情を前提にした場合に解釈に委ねておく,任せておく。これも評価は分かれると思いますけれども,事情変更の1適用場面みたいなところがありますから,そういうものとして実際に約款の一方的な内容変更が成された場合に,その効力を評価していけばいいのかなと。それを何らかの形のルールとして設けるということに関しては,3ページの(2)にあるような部分で,具体的なルールを作ることは今の段階でまだ十分に議論は成熟していないのではないかと思っているところです。 ○三上委員 議論が成熟しないのはそのとおりかもしれないのですが,実際に必要な場面が多々起こっているということは本会議でも申しましたとおりです。学者の先生などに意見を伺うと当たり前のように無効ですねと言われて,現行の民法解釈ではそれ以上議論が進まないから,ここで立法の議論をしているわけです。   正直,約款取引自体が今特段の問題を起こさずにうまくいっているわけで,というか今の不当条項解釈などで少なくとも裁判実務等を前提に回っているわけです。約款組入規制を置いても,ある意味確認規定にすぎないというのが私の認識です。であれば,今回のこの改正を機に変更まで含めて,ある意味特殊な契約の仕方の類型なのであるからということで,こういう出口というか,約款に特有の問題まで面倒を見ることを検討すべきなのではないかと思います。   実際に,約款は比較的長い間の取引に継続的・反復的に使うものが多いので,時代の流れに合わせて変えていかなければならない場面が必ず出てきます。法律が変わることもあれば,行政の,特に銀行のように行政指導が変わる,取引所規則が変わる,それは法律ではないけれども守らざるを得ないソフトローである。こういうときに「私法契約上は無効かもしれません」というのは非常に法的安定性を害するわけです。   極端なことを言うと,それに加えて一方的変更が不満であれば,契約を解除して,損害があれば損害賠償もできる,という内容でも個人的には構わないと考えています。そういう意味でせっかくの改正の機会で,約款規制自体を,本当は必要と考えていないところでこういう規制を設けることに,全銀協が前向きに対処しているというのは,やはりこういう約款の変更のところも検討されることを期待しているからです。そういう意味で都合のよいところだけ議論が熟していないとか,そういう議論で現状のままでいいのではないかというのは是非避けていただきたいというのが本音でございます。 ○潮見幹事 具体的に仮に乙案を採った場合,三上委員のイメージだと,(2)はどうなるのですか。 ○三上委員 先ほど笹井関係官から説明があったとおりで,個別の同意を得るのは困難。変更の目的が合理的。目的に照らして変更の内容も合理的。変更内容が開示されて,周知期間も置いて認識の可能性がある状況にする。さらに先ほども言いましたけれども,それで不足であれば付け加えて相手方に解除権を与えて損害賠償請求付でも構わないよというのが私個人のベーシックなプランです。 ○高須幹事 約款取引が結構いろいろな分野で利用されているということであり,理解がその全てに及んでいないという限界があるなかでの発言で申し訳ないのですが,例えば先ほども話題に出ました生命保険の場合,例えば医療保険と介護保険の場合,国の公的医療保険制度,介護保険制度が変わると,それに連動して保険会社がセットしている給付条項が変わる場合がある。そういうのは変更しなければならない,これは当たり前のケースとしてよく説明される。私もそれはそのとおりだと思っています。ただ,そういうことに関して保険会社では約款の中にその種の変更条項を設けているという状況がある。それをそういう条項を設けていない約款の場合についてまで,どこまで法的根拠を与えるかという問題なのだろう。   我々が想定するケースというのはすごく周知しているようなケースで,そういう場合多くの場合は変更条項があるのではないかということを前提としたときに,条項がない場合にも同じように変更の法的根拠を与えたほうがいいとするのか。もしかするとかなりレアな約款みたいなものがあって,変更条項も何もないのに今回の一定の明文を規定して,それに当てはめてしまえばいいと言うことが妥当なのかどうか。反対という訳ではないのですが,普通想定しているのは割とノーマルなケースで,かつ条項がある場合が多いと思っているものですから,今の議論の中では変更条項が何も置かれていないようなケースについて広く変更権に関する法的根拠を与えることにはやや心配を覚えるという意見でございます。 ○三上委員 個人的な認識で恐縮なのですが,金融機関の契約書にはほとんど変更条項は入っていないと思います。少なくとも全銀協が以前に発行していたひな型集で入っているものはなかったと思います。普通預金規程に変更条項を入れたのも,弊行が恐らく一番最初で,私がそういう問題意識を持ったので,ないよりましと思って入れたというだけです。入れたときも,チェックしてもらった弁護士やたまたま意見を伺うことができた学者の先生方はみんな「この条項を入れたって効力は期待できないでしょう」とおっしゃった。それでもないよりまして思って入れたんです。金融実務に携わる者も,金融実務の先輩も含めてそんな条項を入れても無駄だし,不当条項として指弾を浴びるようなことにならないかというネガティブな意見も多かったんですが,ただ,最近うちだけかと思ったら,ほかの銀行でもネットバンキングの導入などに併せて結構みんな入れていました。   話が逸れました。ポイントは,「変更条項が入っていない契約まで・・・」というのは,入っているのが常識のところから見るとそう思うかもしれませんが,入っていないところが常識の業界で育ってくると,たまたま入っていたからOK,入っていなかったからアウトというのは余りに大きく分水嶺が分かれすぎるのだろうと思うのです。特に普通預金のように今から新規で入れたものだけというと普通預金を使っている層が世代変わりする,生きている口座が全部変わるのは半世紀以上は要するような話になってきますし,その間に変更部分が適用される人,されない人に分かれたままということでは実務的には堪えられません。そういう意味では条項があった,なかったという事象だけを捕まえて大きく結果が変わるというのは受け難いと思います。 ○中井委員 今の変更条項があるかないかで違いを設けるという考え方については,私は三上さんの意見に基本的に同調といいますか,同じ意見です。約款,私が想定しているのは大量契約型の約款について,変更条項の意味を重く見ること自体どうかなと思っています。変更する実質的理由は恐らく同じなのだろう。そしてまた変更条項があろうとなかろうと基本的には変更できる要件に差があること自体,私はおかしいのではないかと思います。もちろん変更条項があることによって認識可能性が少なからずあるのかもしれませんが,約款が契約の内容になると言っても,結局は希薄な合意の下でなっているわけですから,条項がたまたま記載されているから認められて,たまたま記載されていないから一切変更できないという帰結はおかしい。また,変更条項があるからといって,変更条項がない場合より容易に不利益が大きくたってできるとか,合理的手続きを踏まなくたってできるというのはこれもおかしいだろう。だとすると変更条項のない場合でも本当に必要性がある場合,ここは要件立ての問題になりますけれども変更できていいいのではないか。   大阪弁護士会は変更条項のあることを前提としていますが,そこはさておき中身についてこういう意見をまとめておりますので,読み上げますと,「約款使用者の約款変更の必要性の内容と程度と,変更により相手方が受ける不利益の内容程度を相互考慮し,個別,具体的な約款の変更が合理的であると認める場合には変更が認められる」と。二つ目として,「約款使用者の相手方が約款変更の効力発生時までに約款の変更内容を認識する機会を与えることが必要」。三つ目は「合理性が認められる変更であっても変更後の約款内容に異議ある相手方は契約関係から離脱する権限」という救済措置を認める。ただし,括弧書きで「離脱のみで救済がはかり得ない場合には旧約款の適用又は損害賠償を認めるかどうか」と,こういう取りまとめを現段階ではしております。 ○松岡分科会長 今御紹介いただいたのは先ほど潮見幹事のお尋ねに対して三上委員がお答えになった内容とほぼ同じですね。 ○中井委員 そうです。ほぼ一緒で,三上さんの意見に同調するというのはそういうところです。 ○高須幹事 決して意見が対立しているわけではなくて,今中井先生から御指摘いただいた大阪弁護士会の案などを基に弁護士会も議論はそういう方向で集約しつつあるのだろうと思うので,変更条項があれば,それでフリーハンドに認めましょうという意味ではないということだけは,私もそういう考えで,やはり合理性とかそういったものは要求すべきだと考えているというところは,立場を明らかにしておきたいと思います。   今,三上さんがおっしゃられたことはとても大事な指摘で,確かに全銀協のパブコメの意見書などでも今の約款を使う人と改正された約款を使う人のグループに分かれてしまって,同じ扱いができないということが実務的には問題だという御指摘を頂いているのはそのとおりだと私も思っています。ただ,今まで三上さんの御指摘の中でも変更条項みたいなものを入れても意味がないですよと多くの弁護士さんから言われたという意味は,そもそも約款の変更についての法的根拠が与えられていないからそういうことが起きたわけで,今回,改正の中でそれを明確に与えると。その中に例えば要件の一つに変更条項を設けることという,要件を設ければ,それはそういう条項を設けるべきですよという形で約款実務はいくのだろうと思います。   そういう意味では今回,改正によって一定の変更についての何らかを決めるとすれば,それがルール化されるわけなので,そこは今までの状況だけで比較しなくてもいいのかな。決してこだわっているわけではなくて,ここで厳しい対立をするつもりは全くないのですが,一応条項はあるものを想定したほうがいいのではないかという気持ちが少し強いという程度でございます。以上です。 ○松岡分科会長 高須幹事の御意見は,私もよく分かる部分がありますが,一方で対象になる約款が広いという点で懸念もあります。そして,約款が使われる場面や想定している契約の長さも非常に多様で,松本委員が部会でおっしゃったように,だからこそなかなか一律の規定を設けるのは難しいのかもしれませんが,先ほど三上委員及び中井委員が例というか案として御紹介いただいた必要性,合理性,認識可能性,場合によっては離脱解除権,損害賠償,こういうものでかなり厳格な形で制約を設けていけば,むしろそういう場合には変更を認める可能性があることがはっきりしていいのではないかと思います。   かつ,その場合には先ほど高須幹事がおっしゃったように立法で基本的には変更条項を設けなさいとすることは,もちろん方向としては望ましいでしょうが,想定できない事情の小さな変更があり,本来的な大きな意味での事情変更ほどではないけれども,現在使われている約款そのままでは不合理な結果が生じてしまうといういわばプチ事情変更の場合には,なお変更の可能性は認める余地,ないしは必要があるのではないかと思うのですが,いかがでしょうか。 ○高須幹事 今,松岡先生から御指摘いただきました点は重要で,そういうふうに考慮すべきだとは思っております。基本的には約款規制という,規制という言葉がいいのかどうか分かりませんが,法的根拠と言ったほうがいいのかもしれませんが,それを今回作るということがまず大事だろうと思いますので,その中で私は先ほどのようなニュアンスを少し考え,弁護士会の中でも一つのプロセスとして変更を考えるなら,そういう条項が置かれていることが大事ではないかという意見があるということだけは御指摘させていただいた上で,最終的にはみんなで相談していい内容のものができればと。少なくとも議論がまとまらずに約款の問題に手を着けられないということがないようにしたい,これが一番大事なところかと思っています。そういう意味でおっしゃっていることはとても大事なことだと思いました。 ○岡委員 約款は希薄な合意を合意にするための規制だと。定義もそこから入る。不意打ち条項規制,不当条項規制を入れる。それは一気通貫して分かりますが,ここの変更というのは希薄な合意を合意に引き上げたので,変更も普通とは違うルールを作ってあげる。そういうふうに言われると理論的なすっきり感はありますが,先ほどの三上さんの意見,中井さんの意見も希薄な合意部分を変えるという問題意識ではなく,1対多数の統一的な契約で,継続的契約で事情変更の一つとして変更を認めるべき場合があるので,それを認めたらどうかという意見だと思います。   出発点の約款とは違う議論のように思えてならないんです。違うから駄目だと言っているわけではなく,最初に中井さん,三上さんが言ったように約款の中の1対多数の契約で,継続的なものについては変更規定を入れる。変更規定を入れてあげる理由といいますか,道垣内先生が最初におっしゃった普通の変更と比べて,緩めるのか強めるのかとおっしゃっていましたが,約款のうちの一部についての,内田先生も部会でおっしゃっていましたが,認める理由をはっきりさせた上で要件もいろいろなものを絞っていくというふうにしたほうが分かりやすいように思いました。 ○内田委員 今の岡委員の御発言は,私は非常に重要な点だと思います。最初に潮見さんが事情変更のことをちょっと言われて,松岡さんもプチ事情変更ということを言われたのですが,事情変更に関してはこの後また立法論が議論されますけれども,かなり限定的にしないと立法化は難しいと思います。そこで,これも事情変更の一つですという位置付けはやや危険な感じがします。むしろ事情変更とは違ったものであると言うべきではないか。   約款の中に変更ができるという条項があるかどうかで区別をするというのは,これは約款論の前提からするとなかなか受け入れ難いと思います。元々個別の合意がないというのを前提にしているわけですので,条項があれば同意があるものとみなすというのは無理ですし,何らかの薄い合意があるというのもかなり難しいように思います。   一般の契約の場合に,約款のように細かな条項をたくさん合意して,大きな法務部を持つ企業同士が詳細な契約書を作ったという後で,変更の条項なしに一方当事者が契約内容を一部でも変更できるかというと,そんなことはあり得ない話です。ですから,どんな些細な部分であれ合理性があれば変更できるという議論は契約の一般理論からは出てこないと思いますので,ある種の特殊なカテゴリーの契約についての特例と言わざるを得ない。   しかし,それは約款に関する論点の中のある一部なのだと思います。約款とは無関係な議論ではなくて,大量の取引を画一的にやらざるを得ない場面で,三上さんが言っておられたように個別の同意を取ることが難しい。理論上は多分相手は同意をするだろう。しかし,同意を取ることが実務的に極めて困難であるという場合に,特別にそういうルールを作るということなのではないかと思います。従って,やはり約款の中のある種のものに限定して,かつ実質的な不利益が及ぶような場合は損害賠償の問題ではなくて,そもそも変更はできないと言うべきなのだと思いますので,実質的な不利益がなくて合理的な内容の変更であるというような要件立てをしていく必要があるのではないかと思います。   このように,相当限定的に認めるべきルールだと思うのですが,他方で実務では現に今変更されていますので,やはり何らかのルールがあっていいのではないかと思います。 ○潮見幹事 1点だけ確認ですが,約款の中に変更条項がある場合と,変更条項がないけれども,後で事態が変わって変更する必要が生じて変更したという場合とが仮にパラレルだと考えますと,前者,つまり,当初の契約で用いた約款の中に変更条項が一般的に定められているときに,先ほど三上委員がおっしゃったような意味での限定が付されずに変更条項が設けられている場合には,これは不当条項と理解してよろしいですよね。設けたほうがいいとおっしゃっておられる方々が多いものですから。 ○内田委員 もう1回言ってください。 ○潮見幹事 先ほど三上さんのお話の中では,変更の必要性,内容の合理性,あるいは変更に当たっての合理的な手続きとか,あるいは当事者側のという場合の損害賠償,解除ですか。そういうところまで定めたような形での一般的な規定というものをこういう場面で設けるのが適切であるということでした。このような一般的なルールを仮に受け入れたとして,他方,約款中に変更条項がある場合とない場合とで,三上委員が指摘されたように質的には違いはないとすれば,契約の中で約款作成使用者のほうが,一定の必要性がある場合には当該約款の内容を変更することができますというところを具体的な内容や要件をきちんと挙げずに条項の一つとして挙げたいた場合には,当該条項は不当条項であるとなるのでしょうね。 ○三上委員 それはある意味,約款変更条項が強行規定なのかどうかという話ですね。 ○潮見幹事 そうです。 ○三上委員 その回答を私が言うべきなのかどうか分かりませんが,私は個人的には個別に合意しているときには多少弱められる部分があるのではないかと思います。例えば開示の方法もホームページに開示しますからとか,店頭に掲示して,その後1か月間たったらとか,そういう程度のバリエーションはあるような気がしています。   もちろんそれが何も説明されずに入っている場合と,こういう変更の仕方がありますからホームページに注意してくださいねという説明があったかなかったでも変わってくるかもしれませんが。 ○鎌田委員 もう既に御指摘のあるところで,約款全体に一律の規定というのは難しいですが,必要性が高いのはやはり継続性が高くて,大量契約であって,しかも画一的に処理しなければいけないというもので,その中でも困るのは現在の権利者が分からないものです。例えば贈答用に使われるプリペイドカードや商品券は現在の権利者が誰か分からない。個別の同意は取れないので条件の変更には特則を設けてもらわないと伝統的な契約法理からはうまくいかない。絶対に必要性があって合理性があるというケースがあることは十分承知しています。   ただ,先ほど挙げられたような要件でいくと,例えば預託金制のゴルフ場の会員権なんていうのもゴルフ場にしてみれば倒産を避けるためには償還期間の一方的延長をやらざるを得ない。預託金返還請求をしている人にとっては,それをもらうのが利益であることは間違いないけれども,10人ぐらいに弁済したらほかの人はもらえなくなってしまうというときには,これは先ほどのような基準を立てれば一律に妥当な結論が出るかというと,なかなかそうはいかないですね。いろいろなパターンがあって,どこまでが許容されて,どこからはやってはいけないかというのは非常に判断が難しい。そういうものを非常に幅広くカバーできる要件が本当に立てられるかどうか。あるものにはうまく妥当するけれども,それを使うとほかのものにとって非常にいびつな方向での戦略的な行動を喚起しないかということを考えると,なかなか勇気を持って要件立てをすることができるまでに議論は熟していないのかなという感じはちょっと持っています。 ○岡委員 実例を弁護士会で話していたとき,百貨店のポイントの料率下げとか,そういうのは1年後から切り換えますよという周知をして,それを見たはずだという前提で取引をすれば同意の擬制でいけるのではないかという話をしてみたり,銀取,普通預金規定も反社条項が最近入ったらしいです。確かに通知は来ていない。でも,反社条項があるときから入るというのは,それは認めてもいいのではないかという議論をしています。   あと普通預金の金利もころころ変わりますね。それは多分金利の変更規定が約款の中に入っていて,合理性もあり,役所の規制があるかどうか分かりませんけれども,そのような実例をしゃべっておりました。 ○鎌田委員 旅行契約は変更権を与えていて,かなりの変更を認めていますね。 ○内田委員 今まで挙げられた例の中には実質的な不利益を伴うものがあって,それについて許容するルールを置くというのはかなり難しいと思います。ですから,私は実質的な不利益がない場合について変更できるというルール,これは置けるのではないかと思いますが,それ以上に契約の中心部分につい不利益な変更をするというのは,原則は同意を取らないと駄目ではないか。同意を取るための手続きについては,今,岡先生が言われたように,周知した上で,実際に使ったところで同意を擬制するといった手法はあるかもしれませんけれども,いずれにせよ飽くまで同意が前提なのではないかと思います。 ○松岡分科会長 内田委員が強調されることは一方でよく分かりますが,どこまでが実質的な不利益なのかという辺りの判断が非常に難しい。岡委員がおっしゃった百貨店のポイントの料率を下げるという話に似た例として,エクスプレス予約のポイントが知らない間に交換率が下がってしまった。非常に腹立たしく思いました。あれは確かに恩恵として与えられている内容が変わるということになるのでしょうが,不利益といえばかなり大きな実質的不利益になります。   そうすると内田委員が挙げられている実質的不利益がないような変更として,どういう例が考えられるのでしょうか。 ○内田委員 誰も文句を言わない場合ですね。銀行取引約款でもクレジットカードでも,法律が変わったので,こういうふうに変わりましたという通知が来ますけれども,当然のことで誰も文句は言わない。本来は同意を取らないとできないはずですが,そんなものにいちいち同意を取るのは無駄なので,これはできますというルールならば認められると思います。しかし,今のポイントの換算の基準が変わるとか。 ○松岡分科会長 換算率とか使用できる期間が短くなったりするというのが実例であります。 ○内田委員 当初の契約にあった給付の中身が変わるというのは,それはおかしいですね。法律的には問題なのではないかと思います。それを許容しようという話ではないと思いますが。 ○岡委員 議論をしていて,反社勢力の条項は普通の人にとっては不利益ではないのですが,そういう人たちにとっては不利益になってしまうんですね。でも,それは認めるべきと思いますが・・・。 ○潮見幹事 皆さんがおっしゃっていることは,私は非常によく分かるのですが,果たして合理性とか,実質的な利益,不利益という形で条文をどうやって立てることができるのか。また,それが不当条項規制の不当性判断にも影響を及ぼすことがあるかもしれないので,そこがちょっと読みきれません。労働契約での変更解約告知など……。 ○内田委員 正に本体部分の不利益ですよね。それを今議論しているわけではないのではないかと思います。 ○潮見幹事 もちろん。 ○中井委員 先ほどから変更を認める方向の意見を述べていますが,契約の中心的部分や対価部分などについての変更は原則できないというのが前提でしょうから,そういう縛りが当然入るのだと思います。   先ほどの普通預金で言うならば恐らく将来のある時点からの普通預金金利の変更になりますから,それが嫌ならそこで辞めればいい,自由はあるわけですから。それが過去の権利の変更なのかといったらそれは違うという感じがします。   ポイントなどについて,これは部会資料でも変更を分けて考えなければ駄目ですね。将来についての何らかの買い物をしたら与えられるポイントの数が変更になるのは,これは新規の契約について,ある意味で組入れのような要件の下で認められるのだろうけれども,過去に成立した権利について仮に変更が勝手になされているとすれば,それはやはり問題ではないか。そういう切り分けは,一定はできるはずです。既に成立している権利であったり,契約の中心部分であったり対価部分であったり,そういうものは変更できませんということをメッセージとして送る意味もあると思う。   消費者関連の委員会からリボルビング式のものについての金利の変更も実務でされているようですが,これは将来の借入れに対するものだけではない。将来の借入金利が変わりますよというのだったら,この告知を受けてやめるか,それで借りるか決断ができますが,過去借りた分も含めてリボルビング式だったら残っているはずなので,その金利変更ができるなどということが仮に実務で行われているとすれば,それはおかしいと思います。おかしいものを排除するためにも,逆にできるものができるためにも定めることができないのかと思いますが,やはり時期尚早なのでしょうか。 ○鎌田委員 一般条項的なものを設けておくというのはあり得るかと思いますが,どうなんですかね。それで可能性が開かれれば,それで実務上のニーズには応えられるのだということになるのか,濫用のおそれみたいなことを言われて,かえって反発を招くのか。 ○松岡分科会長 一般条項的なものでは先ほど来からたくさん御指摘がありますように悪用ないし濫用のおそれがかなり大きいような気がします。現在では法律家が厳密に考えるとやや灰色若しくは黒とお答えするようなものが滑り込んでしまう可能性があります。 ○中井委員 しかしポイントとかそうものについてどんどん変えているというのは,規律がないからこそ既に発生した権利だって平気で変更しているのではないでしょうか。だから,作ることによっての濫用のリスクをどう評価するかですが,現実に行われている,先ほどのリボルビングにしても行き過ぎを抑制する機能,どちらを高く見るのかという問題かもしれません。 ○鎌田委員 事業者にとっては,相手方に不利益を与えてでもこの事業を収束させなければいけないというときが一番必要性が高くて,これは一切駄目だという規定を作られるとかえって困るのかもしれない。 ○三上委員 例えば偽造・盗難カードについての預金者保護法ができましたと。法律にはこういうときには賠償せよ,としか書いていなくて,その過程の審議会の議論等で1日当たりに出金できる限度が高すぎるのである,欧米は50万程度が限度で,日本でもそれで十分だ,という議論がありました。しかし,この50万という出金限度を設けること自体,不利益だと思う人がたくさんいたとしたら,およそ実質不利益変更ができないと言われたら,みんなが同意することだけ認めるというのと同じで,そんなことなら法律に書いてもらわないでもいいわけです。文句を言われないことが「できる」と書いてあっても意味はないです。   ですから,ある程度の不利益であれば変更するきっかけを作ってほしいうというのが我々の期待で,これだけ議論して,内田先生がおっしゃったように不利益は同意を取らないと駄目よと言われたら,かえって今行われている実務が全部否定されるような結論だけが議事録に残って終わってしまう。これでは約款を議論する意味は何もなくて,約款規制自体に頭から反対するという方向に回帰せざるを得なくなります。   いずれにしても多かれ少なかれ約款自体が,もし事前に全部の条項を示した上で同意も得て契約できるならそうしているはずのものをやっていないというのは,取引の大量性とか規定が大部で全部事前に渡せないとか,いろいろな事情があってそうなっているのでしょうから,それと同じルーツで,個別に変更の同意を取らないというのも出てくる場合がある。そういう意味で,入口で同意が取れないと同じように途中で変更するときにも同意が取れない。変更だけではなくて,その商品というか取引自体を廃止することもあります。銀行が合併して,お互いいろいろな商品をやっていたけれども一つの商品に収束せざるを得ない。システム統合の関係である商品は提供できなくなる。そのときに,必ず連絡がつかない相手方が出てきます。鎌田先生がおっしゃったように生きているか死んでいるかも分からない。そういうときに,取引自体をやめますというのは最大の不利益変更ですね。もう債務不履行の域です。しかし,そういうものが事実上存在していることは認めてもらわないことには動いていかない。機が熟しないから条件がうまく言葉にできないのではないかというところは分からないではないですが,そもそも不利益変更は個別の同意を取らないと駄目でしょうというのが結論だと,議論したこと自体がかえって非常に有害なものになってしまう。ですから,この議論の流れでは,到底受け入れられないと言わせていただきます。 ○潮見幹事 少なくとも規定を入れるのであれば,先ほどからちょっと出ていた,中井先生がおっしゃったのでしょうか。給付対価についての変更は対象外というのは入れておいたほうがいいと思います。   それから,直前に三上さんがおっしゃられた,正に事後的に個別の既に締結された顧客の同意を取るという,個別に全部取り付けるということが,文言表記は別として,それが期待できないということは要件として是非かぶせていただきたい。もし入れるのであれば。それでないところではこのようなルールを一般化することはしんどいかなと。更にその上で何を入れるかというところでかなり,またここから先の議論というか,むしろ詰めが必要かなとも思います。 ○鎌田委員 保険みたいに全員の同意を取ろうと思えば取れる。だけど人によって条件を変えるというのは保険の成り立ちそのものを否定するというときに合理的な理由がないのに同意しない人がいるという,こういう状況にどう対応するかというのもこの問題の一つだと思う。 ○高須幹事 今の保険の話などの場合に,先ほどの条項を設けるかにもつながってしまいますが,例えば基礎率の変更権というのは今,主務官庁の認可を得て変更権を留保すると。こんなよう約款を作るわけです。だから,先ほど組入要件のところで交通機関のような場合に認可を必要としているものについてはまた別の扱いがあるかもしれないと潮見先生がおっしゃったように,今度変更権のところでも,原則潮見先生がおっしゃったような要件を立てた上で,例えば主務官庁の認可とかがあるようなものについては,また別個考える余地があるとか,もう一つの第二次ルールを設けるということがあってもいいのではないかと思います。いずれにしても適正な運用を可能とする内容で明文化ができればいいのかなと思います。 ○道垣内幹事 誠に不勉強で恐縮ですが,どなたかにお教えいただければ幸いです。信託法と信託業法には信託の変更についての規律があります。それは結構厳格であって,「受益者の利益に適合することが明らかであるとき」以外は受益者との合意が必要であるというのが信託法の規定です。ただ,信託行為に別段の定めがある場合にはこの限りではないという条文があります。また,信託業法にもいろいろな規律があります。このような規律は様々な金融規制法に存在しているのですか。 ○三上委員 すみません,明確な回答を持っておりませんが,私は信託法以外では見たことがないと思います。 ○道垣内幹事 議論の仕方に影響があるような気がしまして。 ○内田委員 年金では法律に規定がありますが,年金とか信託では,契約の中核部分の話で,その不利益変更の手続きはまた別の議論だと思います。私は,継続的な契約の不利益変更を認める一般的なルールはあり得ると,個人的にはそういう理論を支持していますが,それは全く別のルートで認められるのであって,約款の変更で今議論している問題とは性質が違うのではないかと思っています。 ○道垣内幹事 おっしゃるとおりですが,ただ基幹部分の年金いくら払うかとか,あるいは信託受益者にいくら交付するかという部分の変更の規律と,周辺的部分の変更があり,信託の場合にも,例えば信託財産は国債に投資しますとされていたのが,経済的な事情が全く変更してしまい,極めて不合理な縛りになってしまったとか,場合によっては,投資対象先として指定されていた国が消滅してしまったということになりますと,その国の国債には投資できなくなるとか,そういう変更についても規律されているわけです。そこで,基幹部分以外のところでもどれぐらいの法律があるのか,私は不勉強で全く恐縮ですが,気になるところではあります。 ○内田委員 基幹部分の場合は,代表的なのは就業規則の不利益変更とか,年金の減額などもそうですが,これは不利益を受ける人たちの利益を代弁できる何らかの主体を組み入れた団体的な意思決定のプロセスを入れる必要があって,それによって個別に同意しない人間がいても強制的に拘束力を及ぼすという制度を作るのはあり得ると思います。しかし,約款一般についてそんなことをやろうという議論をしているわけではない。個別に同意を取ることは実際上困難だけれども,聞けばほとんどの人は嫌とは言わないという場合について認める。そんなことをわざわざ規定しても意味がないと三上さんはおっしゃいましたけれども,そこは実質的な不利益の有無の問題だと思います。名目上は不利益があるかのように見えるけれども,制度全体としてはそうやって運用するほうがはるかに個々の顧客にとってメリットがあるということはあると思いますので,そこがうまく書けるかどうかということだと思います。既にかなり議論が出たので,それを踏まえて条文が書けるかどうか試してみて,その上でないと先へなかなか進めないかなと思います。 ○松岡分科会長 では,よろしゅうございますか。ほかに付け加えて,今御発言していただくことはございませんか。   それでは,その次にまいりたいと思います。次は贈与です。続きましては部会資料44,「第1 贈与」の「2 適用範囲の明確化等」について御審議いただきますが,これと密接に関係すると考えられます「7 その他の新規規定」のうちの「(4) 無償契約への準用」について併せて御審議いただきたいと思います。それでは事務当局から説明してもらいます。 ○新井関係官 説明いたします。これらの論点は部会資料44の2ページと21ページに掲載がございます。53回会議においてこれらの論点について審議がされ,規定の在り方等について分科会で補充的に検討がされることとなったものです。   部会の議論の状況等を御紹介いたしますと,まず「2 適用範囲の明確化等」に関しまして,アについてはおおむね異論がなかったのではないかと思われますが,イにつきまして,まず「与える」という言葉を改めることについて慎重な検討をすべきだという意見を頂きました。この点につきましては本日,山野目幹事から意見書を提出いただいておりますが,その中で「与える」という言葉が望ましいとする理由について,述べておられると思います。   続きまして,「現状の財産」という言葉を「財産権」に改めることにつきましては,弁護士会において,多く賛成があったものの,改正信託法は「財産権」を「財産」と改めたといった経緯などを指摘しまして,「財産権」に改めることについて異論があったという議論の紹介がございました。他方におきまして,売買について「財産権」とし,贈与について「財産」と書き分けることについては合理性がないということで,いずれにしろ統一するのが適切だという御意見も頂きました。   そして,贈与の概念をイのように明確化することに伴って周辺の部分が不明確となることへの対処につきましては,この部会資料44の補足説明2の(3),3ページにあるような準用規定を設けるといった対応が考えられるほか,「財産権を与える」という贈与の意義を設けた上で,その「与える」の解釈に委ねるといった対応も考えられるのではないかという御指摘も頂きました。   そして,7の贈与の規定を無償契約一般に包括的に準用する規定を設けるということにつきましては,贈与契約の多様性や,規律の分かりにくさなどを理由に消極意見を複数頂いている状況でございます。 ○松岡分科会長 それではただいま説明がありました部分について御意見を伺いたいと思います。御自由に御発言をお願いいたします。山野目幹事の御意見は今日お配りいただいたので中身はまだ拝見していません。 ○岡委員 規定内容の財産権と財産のところについて弁護士会の意見を基に深めようということで取り上げられたとすると,大した意見ではございませんし,もっと重要な問題が後に控えていますので,どんどん先に行かないと後々苦しむのはこちらですので,スピーディに進行していただければと思います。ほかの目的があるのでしたら別ですが。 ○潮見幹事 フランス法の「恵与の意図」辺りを考慮に入れた形で贈与も考えるべきであるということが,まず前半のほうの主題ではなかろうかと思います。無償で移転するということを書いただけだと,贈与契約が無因の財産権移転契約のように感じ取られる可能性がある。他方,山野目幹事がそこまでおっしゃられる意図があるのかどうか分かりませんが,549条は元々フランス法に由来するものであり,そこでは正に恵与の意図というものが,コーズとして贈与の場合には不可欠なものとされています。実際に日本民法の現行法の条文の中では「無償で与える意思を表示し」という形で書かれている部分で,その内容といいますか,意図するところが表されています。他方,事務局でお示しになられたような形で「無償で相手方に移転する義務を負う」と書いた場合に,今申し上げたような内容がこのルールの中からごっそりと落ちてしまうことになりはしないか。無因の契約ですと言われるのがいかがでしょうかという問題提起がされているのではないでしょうか。 ○松岡分科会長 そのように書いてありますが,私は書いてあることの意味がもう一つよく分かりません。贈与契約という中に規定を置くのに,なぜこれを無因と誤読される可能性があるのかが分からない。無因の契約など日本法ではあり得ないのではないでしょうか。山野目幹事の御指摘の意味を私は理解しかねています。   無因の法律行為を一般に認める根拠になるとは到底思えないので,山野目幹事が書かれていることはやや杞憂という印象を私は受けます。こういう意見を受け取られた事務局としてはどう御理解になっているのでしょうか。 ○新井関係官 これについて直ちに論評というのもなかなか難しいところです。ただ一つあるとすれば,恵与の意思が贈与の有効要件であると読み込むという,そういう意図を真正面から取り上げて「与える」という文言を使うというロジックをとるというのは,正にある意味,民法の体系全般に関わるような大きな話であるように思います。理論的な観点から非常に重要なことだというのは理解できます。しかし,立法に当たって,そこを真正面から理由として据えることができるのかというと,いささか不安を覚えるというのが正直な感想でございます。   2のイの贈与契約の意義について,この本文の鍵括弧の中で括っているのは,売買の意義のうち,代金支払義務の部分が落ちるという,やや乱暴な言い方なのかもしれませんが,それにより贈与概念をクリアカットにするという提案なのだと思います。そうしたときに,例えば実務上,これは問題なく贈与だと思われていたのが抜け落ちてしまうのではないかという,具体的なものとしては何か問題となるものがあるのか。それに対してまたどういう手当をする必要があるかはまた別途問題になるという,そういう問題構造だと思います。何か具体例というか,ここでも補足説明の中で用益物権の設定とかありましたが,弁護士会で議論された中で,定義を変えたときに贈与から漏れるのではないかという具体例がもし議論の中で出ていたら,教えていただければと思うのですが。 ○岡委員 そんな細かい議論はしておりません。部会資料に免除,用益物権があったので,そう言われたらそうなのかなと,その程度でございます。 ○金関係官 先ほど松岡分科会長がおっしゃった,贈与契約として規定を置くのに無因のものとされることがあり得るのかという点についてですけれども,恐らくこの文書は,贈与契約について恵与の意思というものが正面に出ていないと,たとえそれが有名契約である贈与契約に基づくものであったとしても無因のものとされる可能性があるということを前提に,そうはならないように恵与の意思というものを条文上も何らかの形で表現しておくべきであるという御趣旨ではないかと思います。 ○坂庭関係官 1点だけ,実益の少ない議論で,言葉尻を捉えるような言い方になってしまうかもしれませんので,そうでしたらおわびしたいと思いますが,先ほど,新井関係官が,贈与契約の定義について,売買の定義から反対給付の部分を落としたのだという御説明をされました。そうしますと,売買の一部を取り出して主張すれば贈与の主張になるという,そういう御趣旨ではないと思いますが,そのような考え方にも結び付きかねず,契約類型としての売買と贈与との違いが不明確になってしまいかねないという印象を持ちました。その点では,山野目幹事の問題意識には多少共感するところがございます。 ○新井関係官 この部会資料で上げている定義のたたき台というのは,もちろん売買からの引き算でということで贈与概念を画するという提案ではございません。そういう意味では先ほども申し上げましたが,いささか乱暴な言い方だったなと思っております。 ○鎌田委員 「与える」という言葉の中に恵与の意思を読み込んで,フランス流に言えばコーズを明らかにするということだと思うのですけれども,そのコーズの要否は有因,無因の場合の原因とは別ものなのであって,ここでは贈与契約に基づく財産権の移転という意味で有因的構成になっているというふうに,今ざっと拝見した限りではそういうふうに思います。   それから「与える」というのはもう一つ古典的には物の移転義務なのか,財産権の移転義務なのかという議論のうち,前者になじみやすい表現であった。これは近代法的には財産権移転義務に再構成されているので,財産権移転でいいのではないかなという気がします。   それから,もう一つは部会の議論の中でも,あるいは検討委員会の議論の中にも出てきましたけれども,元々はこういう物を与える場合だけではなくて,もっと幅広く無償での便益提供全部を贈与というふうに呼ぶという意味で財産権移転ではなくて,与えるというふうに使われていた。その最後の部分についてはここではむしろ財産権移転を内容とするものを贈与として,それ以外は無名契約あるいはその他の無償の典型契約として処理しようというふうなスタンスをとられたのだと理解していますので,私自身は財産権の移転でも構わないと思います。 ○潮見幹事 山野目幹事御本人がいらっしゃらないところで,どうかと思いますけれども,ただいまの鎌田先生の御発言もあったし,松岡さんのお話もありましたが,御提案のような形で書いて,そこに恵与の意図というものが当然入っている,ここに内在しているのだと読めばいいことであるし,実務家の先生方のほうでも特にこのようなことはどうでもいいと,どうでもいいと言うとまた怒られるかもしれませんが,どちらでもよいということであれば基本的に御提案の方向で処理をするということでよろしいのではないでしょうか。   むしろ問題は,無償契約一般に準用するなどという規定を設ける必要があるか,こっちのほうが大事なのであって,個人的には私はこんなものは要らないのではないかと思います。無償契約自体がいろいろなところで多種多様な理解がされています。責任財産保全のところの無償行為のところでも無償の意味がいろいろなバリエーションで使われているということもありました。したがって,特に規定を設けるという形ではなく,しかし現在でも括弧付き準用に近いような扱いがされていますから,特にここで一般的な準用規定というものを設けるのはどうかなという印象を持っています。 ○松岡分科会長 約款の変更以上にこの規定のニーズはないでしょう。 ○高須幹事 ニーズがないということをただ追認するだけですが,弁護士会の意見でも無償契約への一般的な準用規定を設けるということについては,そのバックアップ会議に参加している各単位弁護士会の圧倒的な多数は反対ということでございます。 ○内田委員 反対の理由は何ですか。 ○高須幹事 同じことですが,個々いろいろな取扱いがある中でこのような一般的な規定を設けるメリットはないだろうという理解でございます。 ○内田委員 有償契約の場合は各有償契約それぞれに固有の規定がある中で,しかし何か欠けている場合に売買の規定を性質に応じて準用するということが行われているわけです。準用というのはmutatis mutandisというのですが,性質に応じて変容して準用する。例えば贈与契約に置かれている書面によらない贈与の効力の規定などはほかの無償契約でも発想が使われているのではないかと思うのですが,そういうことはおかしいでしょうか。 ○高須幹事 そのこと自体を否定しているわけではなくて,ただ規定がないから今否定されているとも思ってなくて,設ければ劇的に何かが変わるし変えねばならないかとも思っていないという程度ですから,おっしゃるとおり理論的には余りないのかもしれませんが,弁護士会の状況としては置かないと困るよねという視点での何か必要性があるかと言えば感じていないということだと思います。 ○鎌田委員 先ほどの議論とあえて関連付けると,従来贈与の外縁がやや不明確だったから,それの中で何となく処理してきたものを財産権移転型行為のみの贈与とすると,そこから仮に外に出たものがあったとしたときに,この書面によらない贈与の撤回というもの,これは贈与特有の規定であって,無償の非典型契約に使えるのか使えないのかという議論を誘発する可能性がないわけではないかもしれない。あるいは担保責任なんかは一体どうなるのだという,こういう議論が出てくる可能性がないわけでもないから,有害でなければ準用規定があったほうが心配はないような気もする。ただし,現実に贈与でない無償の無名契約というのはどれぐらい出てくるのかなという,その辺の感覚の問題であるのかもしれません。 ○新井関係官 今,鎌田先生から御指摘いただいたような準用というのでしょうか,在り方として,先ほどちょっと私が言及しましたけれども,部会資料3ページの補足説明2の(3)のような無償契約一般には準用しないけれども,ある一定のカテゴリーに当たるような,「財産権の設定,変更,放棄,その他自己の負担において相手方に利益を与える財産の処分」という,やや狭めのカテゴリーを措定して,そこに贈与の規定を準用するという規定の在り方というのは,部会の中でも中田先生などから言及していただいたと思います。こういう準用規定の在り方などについても要否あるいは当否について,御意見を頂ければと思いますが,いかがでしょうか。 ○潮見幹事 今の理屈を使ったら,売買の規定を有償契約に準用した539条の規定の在り方にも影響を及ぼしませんか。実際に部会でそのような準用規定を置いたら労働契約がどうなるのだとか,そんな懸念を示す声も聞かれているわけです。現在の539条自体の捉え方は有償契約の典型として売買を見て,売買契約の規定は有償契約に典型的なものであるから他の有償契約については原則として準用する。例外的にその性質に反するものは省くという例外則を立てるという規定の仕方をしているはずです。   仮に贈与のところでも同じように置くのであれば,今のような形で原則準用,しかし例外的に性質に反するものはこの限りにあらずというような書き方で設けるか,あるいは売買契約のところで準用される範囲を絞って,これとこれというような形での準用のスタイルにしないと平仄が合わないような気がします。   一言だけ申し上げますと,前からよく分からないのですが,贈与契約は無償契約の典型なのか。また,それを現在の取引や生活の中で出てくる無償の契約を全体として捉えたときに果たして贈与が第一に出てくるものですと言ってもいいのかが引っ掛かっています。売買の場合にそれが有償契約の典型であるということは比較的頭に入るのは,特に債権総論の一般的な議論をする場合に比較的例として出されるのは有償契約としての売買が多いからかもしれません。   いずれにせよ,そのように考えたときに,贈与にまず規定があって,それを全ての場合の準用というのは方法としていかがなものかと思います。 ○中井委員 この「無償契約への準用」を提案する理由ですけれども,一つは財産を財産権とすることによって範囲を限定する,それによって財産権からは漏れたものについて無償で設定されたり,放棄された場合,この場面について従来は贈与の規定が適用されたはずだけれども適用がなくなるので準用するという場面。もう一つは,使用貸借等対価のないものについて準用するという場面。   従来は後者については準用規定が置かれていなくて,7の「使用貸借」のところにあるように,贈与の担保責任についての規定を準用すると個別に規定があったわけです。この提案は最初の問題と後の問題の両方について準用することを目標とし,かつ使用貸借等の中にある準用規定はなくすというところまで意味をしているのですか。そこまでの意味はないのか。まず前提の確認だけです。 ○新井関係官 条文技術的なところでもあるので,明確なお答えは難しいのですが,包括的な準用規定を設けた場面に個別の準用規定を削除するというのは,行き着くところとして論理的にはあり得るという限度でお答えできると思います。 ○中井委員 それを前提に,潮見幹事がおっしゃられた無償契約の典型が本当に贈与なのかということと関係するのだと思っていますが,部会のときにも申し上げましたが,贈与という基本的に個人間における恩恵に基づいて財産を与えるのと,使用貸借なり寄託でもそうですし,委任でも無償の場合がありますが,それらの契約類型が本当に同じ類型なのかというとかなり性格が違うのではないか。売買について対価性のあるものは,対価性のあるものとして売買なり請負なりについての共通性は認められるにしても,無償契約一般に贈与を典型として同じだという感覚はない,共通性に疑問があるという御指摘,そのとおりだと思います。現行法が贈与の規定を無償契約に準用するという規定を置かずに,逆に使用貸借等に個別に規定を置いているという方向自体分かりやすいのではないか。その方向は維持したほうがいいのではないかと思うわけです。それを変えて準用規定で包括的に処理しなければならない理由は何なのだろうかというところがよく分かりません。   そうすると残りは今回財産を財産権と変えて限定したことによって,そこから漏れたその他財産の移転について対価なしに移転することについて準用が必要なのか。ここだけのために準用するのは何なのだろう。典型が分かれば,それに類似する周辺部分は必要に応じて,明文なくして準用するのだろうと思うのですが,それで足りるのではないか。その程度の問題だとすれば,それ以上に力を入れなくてもいいのかなと思っています。 ○松岡分科会長 私も同感です。では贈与をもう一つだけ是非議論をしたいと思っております。   7です。部会資料44の「第1 贈与」の「7 その他の新規規定」。この中に二つの問題がありまして,このうち「(2) 背信行為等を理由とする撤回(解除)」。これと関連します「(3) 解除による受贈者の原状回復義務の特則」,この第2パラグラフについて御審議を頂きたいと思います。それでは事務当局から説明してもらいます。 ○新井関係官 それでは説明いたします。これらの論点につきましては部会資料44の14ページから21ページまでに掲載がございます。これも53回会議において審議がされまして,規定の在り方等について分科会で審議されることとなったものです。   部会の審議状況を振り返りますと,まずこの「背信行為による撤回(解除)」につきましては規定を設けることの当否,その在り方について弁護士会の中で意見が分かれているといった紹介を頂きました。   その一方,規定を設けることに賛成するとともに,贈与の履行前につきましては,背信行為でないような贈与者自身の困窮等を理由とした撤回(解除)を規定することも考えられるのではないかといった御意見を頂きました。   そして,全体としてまた適切な要件設定については困難な問題があるという御指摘も頂いているところでございます。   「(3) 原状回復義務の特則」についてですが,負担付き贈与一般につきまして返還義務を現存利益に限定するということに疑問を呈する意見を頂いております。 ○松岡分科会長 それではここはまとめてでございますが,御意見を伺います。よろしくお願いいたします。   今も御紹介がありましたが弁護士会ではかなり意見が分かれているということのようですが,その後更に議論というのは展開していますでしょう。 ○高須幹事 後で中井先生からより詳細な御説明というか,御主張があるかもしれないと思いますが,この点の昨日のバックアップ会議の議論の中で出てきたのは,今新井さんからも御指摘いただいたように目的物を引き渡す前と後のそれぞれの場合がある。この種の規定を考えた場合,結構長いスパンなのかもしれないのですが,厳密には目的物を引き渡す前に何らかの事情が出る場合もあるし,引き渡した後ということもある。それぞれの場合で状況が少し違うのではないか。まだ渡していない段階で一定の事情が起きたときにもう渡せませんという意味での撤回なりを認めるというのは,むしろそれは広くてもいいのではないか。渡した後に返してくれという話になれば,それはそう簡単にはいかないので,一定の要件立てが必要になるだろう。そうすると,渡した後については今回の提案資料にあるような背信行為というものに限られてくるのではないかというのは,見解は分かれてはいますがそれなりの理解があるものとなり,渡す前に関してはもう少し広くてもいいのではないかとなる。渡せなくなりましたという事情はもう少しあってもいいのではないかというような,そこで区別したらどうかという意見が,やや強くなったというか,そういうところでございます。より正確には中井先生が一番詳しいと思いますので。 ○中井委員 補足といいますか,前回の部会で大阪の意見として申し上げた部分について少し弁護士会の中での理解が広がったということです。   要物契約か諾成契約かということで消費貸借についてこだわり,また使用貸借についても今後議論されるときに申し上げようかと思っていますけれども。贈与についてもその点も含めて考え直す必要もあるのではないかという議論も出ております。それとの兼ね合いもあるのですが,少なくとも書面によらない贈与であれば基本的に撤回できるとなれば,この規定を設けるまでもなく贈与実行前はいつでも撤回できる。   では書面による場合,これは背信行為があっても実行前に撤回できないのか。もちろん要物契約にしてしまえば全く自由に撤回できるわけですが。そこは諾成で,かつ書面の場合どう考えるかですが,一定の場合,贈与の特殊性から撤回が認められる場面があるのではないかというのが基本にあります。要物まではしないけれども,諾成,書面があっても撤回できる。   その場面の規律がこの提案では不十分ではないかと考えています。そこを是とするかどうかが一つ。そこまでは入れる必要はない。書面で合意した以上は実行してもらわないといけない。要求する権利が受贈者にあると考えるのかどうか。この点にまずは関心があります。この点の支持が得られるのか。 ○潮見幹事 相続の話が申しわけないのですが,遺贈はどうするのですか。遺贈の未履行の場合が気になります。 ○高須幹事 少なくとも書き直せばいいですよね。死因贈与契約のような場合ですかね。 ○潮見幹事 遺言で書いて,遺言の効力が発生して。 ○高須幹事 亡くなっているケースですか。失礼しました。亡くなっているけど未履行という場合ですね。 ○潮見幹事 現行法の規定では,ここに書いてあるような要件を満たさなければ駄目で,逆に満たせばOKということで,履行の前後で区別はしていませんよね。 ○高須幹事 遺言の場合でも効果が発生しているという場合は本人が亡くなっているケースですから,一身専属性をどう考えるかにもよるのだと思いますが,撤回しようにも,その人が亡くなっているとなると,イメージとしては相続人がそれを撤回するとか何とかいう議論は余りすべきではないのだと思います。 ○新井関係官 部会資料本文のウの②において,撤回権を一身専属的なものとするかどうかを問題提起していますが,この点等も今高須先生がおっしゃったことと関連するとも思われます。併せて,このウに書いてあるような点についても御意見を頂ければと思います。 ○高須幹事 ここも議論になったところで,もちろん定まった意見ということでもないのですが,私個人の意見も入ってしまうわけですが,確かに二つの要素があります。片方では例えば極端な場合にと指摘がされているわけですが,殺害された場合に,それで一身専属的だからもう撤回の余地がありません,これはおかしいね。それはそのとおりだと思います。ただ,他方で無条件に相続性を認めると,これは日常的な実務で経験しているわけですが,相続人と被相続人で意見が違うとか事実の認識が違うということは相当あるものですから,結局,本人は決して撤回なんか言わなかったけれども,相続になった途端に相続人がそういうことを言う。そういうことでの紛争はかなり起きるということも想定されていて,このとき当の本人はどうだったのですかという意思を問いたくても,そのときはいらっしゃらないわけです。事実の探求にも限度がある。こういうことを考えると,何らかの形で制限する必要があり,一身専属的なものにするというのも合理性がある。そうするとその両方をうまく調整するとすると,基本的には一身専属的で相続性は否定だけれども,死亡の原因等が今回のような背信行為と因果関係があったような場合,その延長線にあるような場合とか,表現は考えなければなりませんけれども,自分でそういうことをしておいて一身専属性を主張するのは駄目だよねみたいな,原因を作ったような場合には相続人による主張を許すと。そのような案もあるのではないかということを考えました。 ○中井委員 この贈与意思の一身専属性については贈与というものから考えれば贈与者の意思を尊重する方向が好ましいのではないか。死亡したときに相続人がしゃしゃり出てくることについては,基本的に違和感があります。原則,一身専属的に行使ができると考えるべきではないか。   ただ,今,高須幹事がおっしゃったような例外がやはりあるのだろう。その例外は何か。その整理の仕方ですが,例えばここの部会資料でも②が贈与の撤回を妨げたときという整理の仕方があるとすれば,受贈者が贈与者を殺害したような事例が典型例ですが,贈与の撤回(解除)を妨げるようなことを受贈者がした場合,これは相続人が行使できる例外的な場面として規定するようなことは考えられるのではないかと思っています。   ついでに,ですから1の撤回権の行使について期間制限を求めることの要否についても,いろいろ意見が出ており,まとまっているわけではありませんが,複数の意見として,一定の期間制限があっていいのではないか。例えば,その背信的行為から3年とか。他方,不法行為ではありませんけれども,贈与を実行してから20年を経過すれば,もはや行使できないというのを合わせ技にするであるとか,そういう具体的な意見が出ておりました。つまり,背信行為から3年,贈与実行から20年,これを経過するともはや解除,撤回はできない。その限りで受贈者の一定安定も守るという考え方です。 ○三上委員 一言だけ。だから故に死因贈与を廃止しましょうと。ないしは方式まで含めて遺言の規定を厳格に適用するべきである。どちらかに統一化するほうが無用な議論が避けられるのではないかと思います。つい最近も死因贈与を巡るトラブル事例で非常に困惑したので痛感した次第です ○松岡分科会長 この辺は全然研究したこともないのですが,死因贈与と遺贈の扱いは国によって相当違うのですか。どなたか,御存じではないですか。 ○潮見幹事 知りませんが,三上委員がおっしゃったことをちょっとだけ敷衍して申し上げると,死因贈与のルールを遺贈のルールに近づけるといいますか,死因贈与の枠組みというものは実は契約と遺贈という形態こそ違うものも,しかし狙っているところは同じなのであるから,基本的に今もし現行の相続法で記述されている遺贈の規定が合理的であるという前提であれば,あるいはそこは変えられないのだということでいくのであれば,それに死因贈与の場合を合わせるという処理はあってもよいのかもしれない。実際に具体的な場面で何が死因贈与で,何が遺贈かと言われた場合,それは契約書で書いているのは遺贈で,そうではないものは死因贈与であるとまで言い切る自信もありません。   それからもう一つ,14ページのウのところ,②はともかく①ですが,解除権の行使の期間制限というものをいちいち作っていくことが,果たして時効などについてなるべく統一的で分かりやすい簡明なルールを作ろうとしている方向と背馳しないでしょうか。解除権については解除権の期間制限ということで,契約の解除ということであれば,それは一律に考えるというのも私はあっていいのではないかと思います。もちろん,その場合も,解除権や撤回権の起算点を明らかにするルールは必要かもしれない。しかし,期間は特にここで何かを変えるという必要性を私は分からないというか,見いだせないというところです。 ○松岡分科会長 解除を認めるとして,規定を置かなければ一般規定の適用を考えざるを得ないですね。 ○潮見幹事 はい,そうです。それでいいのではないかと思います。   それともう一つ申し上げますと,資料の後半に比較法の資料がいろいろあります。比較資料の9ページの一番下の辺りに,DCFR(共通参照枠草案)のⅣの201というのがあって,そこに4項があります。これは忘恩行為を理由とする撤回で,その場合の原状回復のところで利得存在の抗弁は適用しないというものです。今回は,この種の規定はしないという積極的な判断をしたのですよね。 ○新井関係官 背信行為に関する撤回等の原状回復義務については,部会資料19ページの本文の第2パラグラフの中で,撤回(解除)の原因が生じた時点での現存利益とする提案,これは検討委員会の提案ですが,これを挙げて問うているという状況です。もちろん現存利益に限るかどうか自体に議論があり得るかと思います。その点の議論を排除するという意図ではありません。 ○中井委員 効果とか期間制限のほうに行ってしまっているのですが,そもそも撤回を認めるとした場合の要件について,①②③とあるのに対して大阪案としては,贈与実行前の解除権を認める要件としてもう少し緩やかにしてもよいのではないか。部会のときにも申し上げていますが,重ねて申し上げておきますと,贈与者に背信行為があって贈与者に贈与義務の履行を強制することが信義に反するような場合,これは実行していない段階であれば撤回を認めていいのではないか。   もう一つの場合が贈与契約時に比べて贈与者の経済状況が著しく悪化して,贈与義務を履行すること自体が困難になったとき,そのような贈与者側の困窮を理由とする撤回が認められていいのではないかという提案をしているのですが,こういう提案についての御意見も是非お聞きしておきたいと思います。 ○内田委員 前半に言われた背信行為というのは,今あるものとどう違うのですか。 ○中井委員 現在あるものは虐待,重大な侮辱とかですよね。重大なこういう虐待や侮辱に当たらない行為であっても,例えば,一生懸命勉強します,法科大学院に通って勉強しますと言って,そのための資金援助の約束をした場合に,遊びほうけていても,毎年お金を贈与しなければいけないのか。 ○内田委員 それを背信行為という言葉で包摂するということですか。 ○中井委員 であるとか,父親から贈与を受けるときに母親に対して暴行,侮辱行為をするような場合も入れるとか。①の場合は贈与者自身に対してしなければいけませんけれども,父から贈与を受けるときに母に対して同じようなことをすれば,それは背信行為と評価できる場合もあるだろう。背信行為という言葉自体が適切かどうかは御指摘の問題があるのかもしれません。要物契約にはしない。しかし書面によるものとはいえ,もう少し撤回が広く認められていいのではないか。書面でなかったらいつでも撤回できるわけですから。 ○内田委員 それは契約の中に書かれていることも多いのではないかと思います,しっかり勉強しろとかですね。そうでないと解除するぞということが契約内容に含まれているということはあり得ると思います。そういう場合ではなく,一般的に財産権の贈与があったときに,贈与者の気に入らないことをすると解除できると受け取られると,広すぎないかという懸念を持ちます。 ○松岡分科会長 中井委員が多分おっしゃりたいのは,贈与の約束を維持するのがもはやおかしくなるような人間関係になってしまう。信頼関係が破壊されたというのはちょっと違うかもしれませんが,そういう状況が生じた場合であれば解除を認めてよく,ここに書かれている従来背信行為と言われているものほど重い要件でなくてもよいという御趣旨ですね。 ○中井委員 少なくとも①から③,とりわけ①ですね,①ほど重大でなくたって贈与実行前であればおっしゃるように贈与者と受贈者の間の信頼関係が破壊されるような背信行為があれば,それは撤回が認められていいのではないか。   具体的には,中国の契約法を引用してきているのですが,195条で,これは困窮のほうですが,「贈与者の経済状況が著しく悪化し,その生産,経営又は家庭生活に重大な影響があるときは贈与の義務を履行しないことができる」という規定があるそうです。背信行為のほうで言うならば,「贈与者又は贈与者の近親親族に重大なる侵害をしたとき」などというのが192条の1項であるようです。   また,韓国民法の中にも解除理由としてもう少し広く,履行しなくてもいい場面として規定がいくつかあるという報告を受けておりますので,それらに基づく提案ということです。 ○潮見幹事 これは規定全体をどういうふうに考えるかというところにも関わってくるわけで,中井委員がおっしゃられたように,この種のパターンを背信行為型と困窮型に分けて,それからルール化をしていくというやり方を採るというのも一つの方法だとは思います。先ほどのDCFRはそうだったと思います。そうであれば,今特に問題になっているような未履行型で問題になっていそうなものは実は困窮の場面で,これはどうかなというところで少し緩和しようという選択肢なのかもしれないなと思って聞いていたんです。   それはそれとしてあるのかもしれないのですが,ちょっとだけ気になりますのは,これは先ほどの遺贈の場面で,遺贈に準用されている891条という規定は,つまり虐待だの重大なものを書いて,事務局のほうでお書きになられている(2)のイの③を除いた部分に対応するようなものを定めているものですけれども,ここに挙げられているものは遺贈がまだ履行されていない場合が想定されていて,こういう場合は駄目ですよということです。   大阪弁護士会が御提案になっているような方向は分からないわけではありませんけれども,ただそれをやってしまった場合には,ますます遺贈の場合と違ったような方向での処理を認めることになり,なぜこの場面については書面であった場合でも一定の要件が括弧付きで緩和されて,未履行の場合になお離脱することが認められる余地が広がるのか,そこがちょっとよく分かりません。 ○岡委員 比較資料の2ページのドイツ民法の528条も困窮化による返還請求が書いてあって,比較資料の5ページのところにもスイス債務法で贈与が著しく重大な負担となるほど悪化した場合と書いてあります。韓国,中国だけではなくドイツ,スイスにも困窮型があるようで,大きな政策判断ですので軽々には言えないのですが,一つの重大な検討課題ではあるように思います。私なんかはあるといいなと個人的には思いますが。ただ,日本の判例はないですよね,こんなタイプは。それを今回の債権法改正の中で考えるのは,これだけ忙しいのにもっと忙しくなるのは大変だなという思いも持っております。 ○坂庭関係官 使用貸借との関係で1点お聞きしたいと思います。使用貸借について新たな終了原因を設ける御提案があり,そこでは困窮型と背信型が御提案されていたかと思います。贈与に関する規定を無償契約一般に準用するという点についてどういう態度をとるかとも関係すると思うのですが,ここで提案されている規定と使用貸借の新たな終了原因についての規定との関係はどうなるのでしょうか。   もう1点,きちんと勉強すれば分かることだろうと思いますが,横着をしてお聞きしてしまいます。仮に大阪弁護士会が御提案されている未履行か既履行かによって扱いを変えるという考え方を採用した場合,使用貸借のような契約類型については,未履行か既履行かはどのように判断することになるのでしょうか。引き渡してしまえば既履行になるのか,それとも日々利用可能な状態に置くという形で日々履行しているので,将来の部分については常に未履行だといえるのか,その点をどなたかに教えていただければと思いました。 ○中井委員 使用貸借は完全に財産を移転しているわけではなくて,その間の使用収益を無償で委ねているだけですから,その返還を求める理由がここと全くパラレルにしなければいけない理由はないように思うのですが。それは独自に要件を考えればよいのではないでしょうか。 ○岡委員 その使用貸借の新たな終了原因として困窮事由を認めて,それは未履行の部分だから早く返せというのだとすると,大阪弁護士会の贈与の履行前の困窮型の取消しと平仄が合ってきれいなのではないか。そういう御趣旨ですよね。 ○坂庭関係官 そういう考え方もあり得るのではないかと思います。 ○中井委員 考え方の発想が困窮型についてはパラレルなのかもしれませんが,要件が同じと言われるとどうなんでしょうか。 ○松岡分科会長 強いて説明しようと思うと,使用貸借において,先ほど言われたように既に使用された分はどうにもならないけれども,そこから先にまだ続けて貸し与えておかなければいけないかどうかは,贈与がこれから履行しなければいけないかどうかと似てきます。 ○岡委員 そういうのを見ると「民法出でて忠孝滅ぶ」とかまた言われるんですかね。 ○鎌田委員 忠孝を大事にしている。 ○中井委員 むしろ大事にするほうにいくのではないでしょうか。 ○鎌田委員 使用貸借は現状でも所有者側の利用の必要性と借り主側の利用継続の必要性の相互評価の中で目的を達したかどうかを判断しているような下級審裁判例が存在しているので,一旦贈与で確定的に財産を与えてしまった場合とは違う判断が現在もなされているような気もしますが,御指摘の点は大阪弁護士会の問題提起とは連続性を持っていますので,少し検討の必要はあるかもしれません。 ○松岡分科会長 部会の中で多分村上委員の御意見だったと思いますが,判例があるのはありますが,困窮型はほとんどありません。要件設定が非常に難しくないかという御指摘はあったのですが,その辺りについて何か御意見はございませんか。先ほど岡委員がおっしゃったように判例がないところに新たにルールを加えるのはどうかという観点はあるかもしれません。   ただ,一方で,判例はないかもしれませんが,先ほどから御指摘がありますように近隣の韓国や中国で同じようなルールがあり,かつヨーロッパでも比較的広くこの種のルールがあるのは確かですから,人間社会で同じようなことを考えているのだったらルールとしてあってもおかしくないと言えます。 ○内田委員 贈与が相続の代替的な機能を果たすという観点からいいますと,相続の欠格事由とか相続人の排除のところで既に類似の要件が置かれているので,それに対応するような規律を設けること自体は無理なことではないのではないかと思います。ただ,それよりも広げることがいいかどうかというところは議論の余地はありますけれども,困窮ぐらいはあり得るのかなという感じがします。   しかし他方で贈与は単に相続の代替だけではなくて,実質は売買なんだけれども,対価は別の形で既に移ってしまっているので,贈与の形で財産権を移転するという場合もあり得るとすると,売買契約を背信行為で解除するというのはないと思いますので,そう簡単に相続とのパラレルな発想でのみ処理していいのか。あるいは,それを更に広げるというのがいいのかどうかというところはちょっと懸念を感じます。 ○中井委員 誤解してお聞きしたのかもしれませんが,贈与したものを背信行為があって撤回をして贈与しなかったとしても,その後亡くなったときに相続の問題は別途発生するので,相続のときの要件と贈与のときの撤回の要件とを同じに考えなければいけない理由はないのではないでしょうか。 ○内田委員 背信行為というのは,相続の欠格事由とパラレルな発想で議論されているのではないかと思っていますが。 ○中井委員 贈与実行後の厳格な撤回の場合はそのとおりだと思いますが,贈与実行前の大阪弁護士会の緩やかな撤回の場合については,死亡した後の相続の問題には直結しませんよね。誤解をしていますか。 ○潮見幹事 死亡した後の相続というよりは,むしろ実際に生前に行われている贈与というものが死亡後の相続による財産の承継移転だとか,あるいは遺贈だとかそのようなものに類する形で機能している。生前贈与は相続分を渡しているようなものであるとするならば,当該贈与契約についての解除を考える場合に相続欠格とか,遺贈といったような,相続に基づく財産承継と同じような形で生前に行われる贈与についてもチェックをかける,あるいはそれと類似するような規定を設けるべきではないかと思うのです。   ここの,少なくとも①②ですね,③はちょっと違いますから,そういう形で要件を立てようとした趣旨だと思います。 ○中井委員 その趣旨を理解した上で,なぜそこにとどめる必要があるのかということを重ねて申し上げたかったわけです。撤回して履行しなくても,結局相続は起こるわけですから,履行しないことをもう少し広く認めても,それほど困りはしないだろうという趣旨で申し上げました。 ○内田委員 相続との対比だけで言うと,私は先ほど困窮と言いましたけれども,多少広げる余地はあると思うのです。他方で贈与は相続の代替だけではないので,実質は有償契約なのだけれど形式は贈与という場合もありますので,そこにも及んでいくことを考える必要があるのではないかということです。 ○坂庭関係官 少し観点が変わってしまいますが,分科会長が言及されました村上委員の指摘の延長で,背信行為を理由とする解除の要件設定がうまくできるのかということとの関係で発言させていただきます。原状回復について,背信行為を理由とする解除の場合の特則を設けるという御提案を頂いています。部会資料でも整理があったと思いますが,現在,背信行為に相当する事例については,負担付贈与という構成で処理されているものも多くございます。背信行為を理由とする解除の要件が適切に設けられれば特に問題はないのだろうと思うのですが,もしもその要件が個別事案にフィットしないものになってしまいますと,当該規定を使うことができないので負担付贈与の構成で解除を認めようという場合も出てくると思います。そうしますと,背信行為を理由とする解除の要件に当てはまるのか,当てはまらずに,負担付贈与の構成を前提にして解除を認めるかによって,原状回復の範囲が変わってくるということにもなりかねませんので,原状回復義務の特則を置くことにつきましても,背信行為を理由とする解除の要件設定がうまくできるのかということとの関係で慎重に考えたほうがいいのではないかと感じております。 ○内田委員 今の議論は,何も規定を置かないというのでは,負担付贈与のほうに流して処理されてしまうので,むしろ何とか要件設定をして規定を置き,かつ原状回復の特則を置くというほうが結果としてはいいのではないかという方向の議論にもなり得るのかなという印象を受けました。 ○坂庭関係官 規定を設けることに賛成あるいは反対という立場ではなく,きちんとしたものができるのであれば解除についても規定を置いてよいと思いますし,もしそこに若干不安があるようであれば,解除についてはオープンにしておいたほうが適切な解決が図れるのではないかという意見でございます。 ○潮見幹事 先ほどの内田委員の発言にも関係するのですが,負担付き贈与ということで処理をすることができれば,それに越したことはありません。けれども,負担という要件を満たさなくても一定の事態が生じたときに解除を認めるというニーズが特別に存在しているということ自体は,負担付き贈与というものをどのように捉えて,どう評価するかとは直接は関係がありません。むしろ,負担付き贈与で処理できない部分がありそうであるということであれば,要件さえ書ければ,ここに規定を設ければいいのだと思います。そういうものについて,例えばウの②のような制約を課すかどうかというのはまた次の問題かと思います。   定見はないのですが,先ほどから少し議論が出ている部分にくっつけて言いますと,この種の解除あるいは撤回ということが問題になる場面で,いろいろな立法のスタイルを見てみますと,一方で先ほども申し上げしたように忘恩型と経済的困窮類型という二つに分けて,それぞれについてルールを設けるというやり方をしているところがあります。DCFRなどを含めて申し上げると。その場面には経済的困窮ということのみをもって贈与も契約ですから,そこでしかも書面なんかが作っているような場面に,その拘束力を軽々に経済的に贈与者が危うくなったから,贈与の解除を認めてやるというのは難しいという判断も私はあっていいと思います。それは困窮型のものをどう捕まえるか次第です。   問題は,もう一つの忘恩型のほうです。今回,事務局のほうでお示しになられていただいているのは,イの①②③というものについての限定列挙型です。この場面については解除あるいは撤回をすることはできないというスタイルをとっています。そのような立法もフランスなどのように,あるようです。契約法の財務の改正の方向は,そう方向に向かうべきなのでしょうか。他方では,ドイツ型というか,スイス型というか,およそ一般条項的に忘恩があったら撤回(解除)ができるというやり方をしている国もあります。その真ん中をいくとすると,結局いくつか代表的なもの,典型的なものを挙げて,その他受け皿規定というパターンで処理をするということもあり得るでしょう。その際,受け皿規定を設けるときに,既に履行されているか,いまだ履行されていないかとか,これこれの事情を考慮に入れたときに忘恩を理由とする撤回が相当と認められるような場面があれば,解除ができるという枠を作るということも,立法的な可能性としてあることは否定できません。   最後に述べた方向をとることによって大阪弁護士会がお考えになっているようなものがフォローできるのであれば,それはそれでいいのかもしれません。履行前後でなぜ撤回あるいは解除要件が変わってくるのかというところで,まだちょっと私はつかみかねているところがありますので,それよりは総合判断型のほうがいいのかなと思います。しかし,いずれにしても,忘恩という部分は類型として維持するのが適切でしょう。 ○松岡分科会長 典型例として維持をしてというご趣旨でしょうか。 ○潮見幹事 はい。 ○鎌田委員 私もこの辺詳しくは知らないのですが,比較法的に見て日本はこの種の解除に最も制約的に今まで来たのではないかと思う。それが一気に忘恩一般までに広げることのコンセンサスが直ちに形成できるのかなということもあって限定列挙的なところからこの提案が出てきたのだと思っているのですが。裁判所の関心としてどうですか。 ○中井委員 そういう意味では大阪弁護士会は慎重なわけで,④⑤の忘恩型と困窮型については履行前のみにしか認めないので,そこは①から③とは基本的に違う。履行前であれば,もうやらないぞと言ったときに受贈者方がそれでも寄こせと今の日本でなるのかというと,そうならないのではないか。それほど紛争の多発も心配しなくていいのではないかとは思っているのです。それは書面がない場面にはいつでも撤回できるというのが基本にあるわけですから,贈与実行前は。と大阪は考えています。   潮見先生が贈与実行前と後で分けることについて,それは余り合理的でないという御発言がありました。私は,それはかなり違うのではないかと,本質的に,と思います。 ○潮見幹事 贈与にはいろいろなタイプもありますし,贈与実行前と後だけで分けていいのかという疑問です。さらに,そもそも,果たしてここは上手に要件立てができるのかという疑問もあります。1,2,3の④で一致できるのだったら,それはそれとして明確に書いたら,それに越したことはないとは思うのですが,本当に一致できるのでしょうか。 ○松岡分科会長 しかも広い受け皿を設けることになると,先ほど鎌田部会長が御指摘になったように,そもそもそこまで広げることに合意ができるかという問題も出てきます。 ○岡崎幹事 個人的には,こういうタイプの事件,背信行為があったので撤回だという主張がされた事件を扱ったことが多少はあったと思いますが,余り記憶にありません。ただ,現在負担付贈与に引き付けて何とか結論の落ち着きを見いだそうとしているのは,それなりの努力をしないと理屈付けが難しいからだという感覚はあると思います。   部会資料の要件設定が狭すぎるのか,もう少し広いほうがいいのかという点に関しましては,やや狭い部分もあるかな,もう少し広めの要件設定もあり得るかなとも感じまして,そういう意味で大阪弁護士会の発想は理解できます。   ただ,一方で,潮見先生の御指摘にもありましたように,大阪弁護士会の御提案のように履行前と履行後で区別することには,一定の合理性があるように思うのですが,区別することを理論的に説明できるのかという点については,よく分かりません。   さらに,条文化するときにどういう文言を使うかが非常に悩ましいところになってくるのではないかと思います。村上委員も部会で指摘しておられましたけれども,裁判例を調べてみましても,公開されているものが特に最近のものはほとんどないという状況のようですので,そのような状況で,適切な要件を考えていくのは非常に難しいという印象を持っています。 ○新井関係官 ここに挙がっている要件は限定的であるという御指摘を頂いていますが,それはそのとおりなのだろうと思います。そこから,受け皿的な規定,バスケット的な規定が必要ではないかという御指摘も頂いているところです。もちろん,部会資料の補足説明でも言及したように,撤回ないし解除の原因をある程度限定的に明文化する場面であっても,従来どおりの負担付贈与の解釈で解決するといった対応は,否定されているわけではございません。錯誤法理を使ったような解決の仕方も下級審であったようです。そういった解決の仕方も否定する趣旨の提案ではありません。ここでの条文化の考え方として,ある程度コンセンサスが得られる堅いところを条文化して,そこから漏れる部分については,引き続き負担付贈与,錯誤,あるいは更に信義則といった一般則が出てくるのかもしれませんが,そういった解決方法も選択肢としてはあるということで,事案に応じて適宜役割分担がなされていくということを,個人的にはイメージしています。 ○内田委員 履行前と履行後で分けることの理論的な根拠ですが,大阪弁護士会のお考えは,私は理論的に根拠を持った発想のように感じていました。多分贈与だけではなくて,ほかの無償契約一般について,かなり要物性を重視して,書面があればもちろん契約としては成立するけれども,やはり実際の履行,物の移転ということが重要で,それ以前の場面には拘束力をある程度弱く見ていくという発想がほかの無償契約にも多分共通して出てくるのだろうと思います。それは一つあり得る考え方かなと思います。 ○松岡分科会長 無償契約だけではなくて,例えば強行法規違反を理由とする無効と,その後の清算についても,清算コストや当事者間の公平・信義などの観点から,履行の前後を区別する同じような議論があります。履行前と履行後では扱いが異なってもいいというのは発想としては十分あり得ると思います。ただ,贈与の無償性とその必ず結び付くのかがよく分からない。 ○潮見幹事 それは私も分かるのですが,ただそうであれば,贈与一般について,つまり書面による贈与の撤回について,どうしてその履行前,履行後を分けるような形でルール提案がされないのか。そことの一貫性が果たしてとれているのか。少しちゅうちょを感じるところです。 ○鎌田委員 先ほどの話と矛盾するようですが,フランスでも,多分ドイツでも,贈与契約は公正証書が必要だとか,不動産の場合には登記までやらないと効力を生じないということになっている。それと比べると日本は非常に簡単に贈与契約が成立してしまうものだから,少なくともこの側面では出しやすくしてやらないといけないという考え方はあり得るかと思います。 ○松岡分科会長 しかるべき場所で大変たくさんの御議論をしていただいた証拠ではありますが,本日もまた積み残しが出ております。積み残した議題は次回の冒頭で引き続き審議することになりますが,特に今何か他に御意見はございませんでしょうか。   ないようでしたら本日の審議はここまでとさせていただきたいと思います。最後に次回の議事日程等について事務当局から説明してもらいます。よろしくお願いいたします。 ○筒井幹事 この第2分科会につきましても,次回の第6回会議を開催することにしたいと思います。具体的な会議日程はまだ御案内は差し上げておりませんが,部会も分科会も,既に御案内している10月半ば以降の会議日程を早急にお伝えするようにしたいと考えております。本日の積み残し分は,次回の第6回会議で御審議いただけますようにお願いいたします。 ○松岡分科会長 それでは本日の審議はこれで終了といたします。本日もまた熱心な御議論を賜りましてありがとうございました。 -了-