法制審議会 民法(債権関係)部会 第73回会議 議事録 第1 日 時  平成25年6月18日(火)自 午後1時00分                      至 午後6時04分 第2 場 所  法務省地下1階 大会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○鎌田部会長 定刻となりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会第73回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中,御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   本日は,岡正晶委員,岡田ヒロミ委員,鹿野菜穂子幹事,福田千恵子幹事,山川隆一幹事が御欠席です。   最初に本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いいたします。 ○筒井幹事 事前送付資料として部会資料62をお届けしております。この部会資料62に誤記がございました。机上に部会資料62正誤表をお配りしております。このように訂正させていただきます。   また,松岡久和委員から,「保証人と物上保証人の地位を兼ねる者の責任」と題する御論稿を提供いただいております。また,松岡久和委員から第66回会議の際に御提出がありました「法定代位者相互間の関係(民法第501条)に関する意見」につきましても,本日の審議と関係いたしますので,改めて配布させていただいております。   また,一般に公表されているものですけれども,「民法の一部を改正する法律(案)」という表題の法律案及びその修正案を机上に配布いたしました。これについて若干の御説明をいたします。現在開会中の通常国会に民主党など野党3党の共同提案で,「民法の一部を改正する法律案」が提出されておりました。本日机上に配布したものです。この法律案につきまして,参議院での審議の際に,みんなの党から修正案が提出されました。それが末尾に添付してある「修正案」です。この修正案及び修正部分を除く原案が,6月12日,参議院において野党の賛成多数で可決されております。本日の審議で取り上げている項目との関連がありますので,事実経過を御紹介させていただきました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   本日は部会資料62について御審議いただく予定です。具体的には休憩前までに部会資料62のうち,「2 情報提供義務の対象」までについて御審議いただき,午後3時頃を目途に適宜休憩を入れることを予定いたしております。休憩後,部会資料62の残りの部分について御審議いただきたいと思います。   それでは,本日の審議に入ります。部会資料62の「第1 保証」の「1 経営者の範囲」について,事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「第1 保証」の「1 経営者の範囲」では,仮に中間試案第17,6(1)に従い,事業資金の貸付けについての個人保証は経営者によるものを除いて無効とするという考え方を採る場合に,その保証が有効となる経営者の範囲について御審議いただこうとするものです。経営者以外による個人保証を無効するという考え方を採るかどうかについては,引き続き検討する必要がありますが,経営者にどのようなものが含まれるのか考えられる可能性を検討し,経営者以外による個人保証の効力を制限することが正当化できるか,現実的かどうかなどについて検討する際の参考にしていただきたいと思います。   これまでの審議では,経営者の範囲について主債務者における法律上の地位によって判断する考え方や,主債務者の意思決定に対する支配力を基準とする考え方などが主張されてきました。本文では,これらの考え方を踏まえて,経営者に該当する者について考えられる選択肢を示しております。   本文に列挙されたもののうち,代表者,理事,取締役,組合員,無限責任社員などは,保証人の主債務者における地位に着目して保証人になり得る者を掲げようとしたものです。また,総社員又は総株主の議決権の過半数を有する者,主債務者の業務を実質的に支配している者を掲げたのは,主債務者の意思決定における支配力に着目して保証人になり得る者の範囲を画そうとするものです。   このほか,保証人になり得る者の範囲についてこれまでに示された意見の中には,経営者の親族やかつて経営者であった者などによる保証を有効とすべきであるというものもありました。本文に元経営者,関連会社等の経営者,経営者の近親者を掲げたのはこのような意見を踏まえたものですが,近親者や関連会社等の範囲をどのように考えるかについては,更に検討が必要であると思われます。   なお,どのような者による個人保証を有効とするのかは,事業資金の借入れについて,経営者保証を除いて,個人保証の効力を否定することをどのような根拠によって正当化するかという問題とも密接に関連する問題ですので,この点についても留意しながら御審議いただきたいと思います。   このほか,経営者以外による個人保証を禁止する場合には,保証契約を締結した後に経営者に該当しなくなった者による保証の有効性,経営者に該当する外形を有するが,実際には経営者に該当しない者による保証の有効性,求償権についての保証の規制などの問題も派生して生ずると思われますので,これらの点についてもどのように考えるか御審議いただければと思います。   以上です。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それでは,ただいま説明のありました部分につきまして御審議を頂きます。御自由に御発言ください。 ○大島委員 個人保証の見直しは必要である一方,金融庁の監督指針に沿って金融機関の運用において行われている第三者保証まで禁止することは問題があると考えております。中小企業の経営形態は多種多様です。実態を十分に勘案して「いわゆる経営者」の範囲を検討する必要があると思います。部会資料にも記載いただいているとおり,事業承継予定者,経営者の相続人,引退した創業者,業務に密接に関わっている経営者の配偶者などが保証契約を引き受けるケースがあると思われます。   これらに加えて,これから創業しようとする者に対する融資についても配慮が必要であると考えております。創業予定者は親や親族の保証を得て資金調達を行うケースが多いと認識しております。また,美容師や整体師など師弟関係の強い業界では,のれん分けのように師匠に当たる方が弟子の開業に当たって第三者保証を引き受けるケースも多いと聞いております。   現在の金融庁の監督指針において,自発的な申出による保証として第三者保証が認められている環境を維持することが,起業家の支援のために必要であると考えております。創業を志す者にとって資金調達は非常に重要な問題でありますので,こうした例も念頭に置いて検討していただきますよう,お願いいたします。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでしょうか。中原委員,どうぞ。 ○中原委員 銀行界としましては,従来より第三者保証を限定的にするという方針自体には異存ございません。現に,先ほど大島委員からお話がございましたように,金融庁の監督指針等を踏まえて,第三者保証に過度に依存しない融資慣行の確立に努めております。また,そのために保証人保護の観点を重視した取組を行ってきております。   今回の「いわゆる経営者」の範囲の定め方によっては,円滑な資金調達に影響が出ることも考えられます。特に中小企業では,株式の出資関係や経営者一族の家族等,それぞれの企業の固有の事情により,代表者以外の取締役,監査役,オーナー,大株主あるいはスポンサー,経営に影響力のある旧役員,経営者本人と事業に従事する配偶者,事業承継予定者等が経営に実質的に関与している場合が多いと思われます。従って,「いわゆる経営者」の範囲が現行の監督指針で保証の受入が認められている範囲よりも狭くなり,経営に実質的に関与する者による保証が制限されれば,資金調達が窮屈になるだろうと思います。   また,監督指針では,経営者以外の第三者が自発的な意思に基づき保証人になることを許容していますけれども,これが禁止された場合には,将来有望な技術やノウハウを有する企業が,事業の将来性に期待してくれるスポンサー等の第三者に自発的に保証人になってもらうことにより資金調達する道を閉ざすことにもなり兼ねません。したがって,経営者以外の保証を禁止するという点につきましては,極めて慎重な審議をお願いしたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかに関連した御発言ございますでしょうか。それでは佐藤関係官,どうぞ。 ○佐藤関係官 今,二人の委員から御発言がありまして,重なる部分が大層でございます。この保証の問題を考えるに当たっては社会的なニーズをよく踏まえる必要があるのではないかと考えております。今,御紹介いただきました私ども金融庁の監督指針では一定の例外を設けております。それは個人保証にできるだけ依存しないという大きな方向性の下であっても,金融の円滑化そのものに大きな問題を生ぜしめてはいけないのではないかということで,例外を設けている次第でございます。その理論的根拠に関連してきますと,今回の部会資料でおまとめいただきました地位とか支配力というところは,それなりの説得力を持った理論構成ではないかと考えております。   ただ,一方で今,二人の委員から御発言ありました自ら連帯保証の申し出を行った人,これは保証人あるいは債務者両方の合意で保証を行うケースが一定の程度あり,それが社会的ニーズとして存在しているとするならば,契約自由の原則が民法の世界で必ずしも貫徹されるわけではありませんが,お互いが合意の下で行われている行為について無効という大きな効果を持つ,こういうことについては相当慎重な検討が必要ではないか。ついこの間までパブリックコメントが行われておりましたが,そうしたパブリックコメントの具体的な意見,あるいは,世論のいろいろな意見を踏まえて,十分に慎重な検討が必要ではないか,以上のように考えております。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   道垣内幹事,どうぞ。 ○道垣内幹事 慎重な検討が必要なことには異存はないのですけれども,自ら申し出た保証人というのは,皆さんどういう意味でおっしゃっているのでしょうか。保証契約が成立する以上,自ら申し出なければ成立しないわけですが,類型としてどのようなものを念頭に置いておっしゃっているのかを確認させていただければ幸いです。 ○中原委員 銀行が,例えば,「○○さんを保証人にお願いします」,「こういう範囲の方を保証人にお願いします」ということ能動的に求めるのではなくて,動機はいろいろあると思いますが,保証人予定者が債務者の事業を支援するために,自ら積極的に保証を申し出るということだと思います。 ○佐藤関係官 今のことを若干補足させていただきます。   私ども監督の実務におきましては,保証人御本人が自発的な意思に基づいて申出を行ったということが具体的に書面に記載されているものがあるのかどうか,そこに自署・押印されているかどうか,こういう点について確認した上で,金融機関から要求されたものではなくて,保証人自らが申し出をしたか否か,その点を監督の上で確認しているところでございます。 ○道垣内幹事 今,中原委員がおっしゃったことと,佐藤関係官のおっしゃったことは,どういう関係があるのかよく分からなかったのですが,中原委員がおっしゃったのは,自ら申し出たというところに主眼があるわけではなくて,実質的に将来経営に携わるとか,あるいは,現在携わっているという事実があり,「近親者」と言葉だけでは包摂できないところを,「自ら申し出た」という言葉で表現されたのかなと伺いました。そうしますと,今日の部会資料の1ページに書いてあるような形で,どこまでで切るべきなのかという議論,どのような言葉を使うべきなのかという議論をすればいいわけであって,「自ら申し出た」というのが大きなポイントになるわけではないような気がいたします。   それに対して,佐藤関係官がおっしゃったのは,私もよく分からないところもあるのですが,別に誰でもいいのだけれども,自ら申し出ればそれでいいのだということになりますと,結局は個人保証の制限はやめようということですね。それは十分に考え得ることでありまして。本日は個人保証を制限するというときに,「経営者」という概念をどういうふうに精緻化するかという議論だと認識しておりますので,根本について賛否を申し述べるつもりはございませんけれども,そういうことかなと思いました。したがって,「自ら申し出た」という同じ概念だけど,お二人で異なることをおっしゃっているのかな,と思います。そして,佐藤関係官のおっしゃることは,「個人保証を制限する」とした上での「経営者」の範囲をどうするかという議論のためには,必ずしも適切なメルクマールになっていないのではないかと思います。 ○山野目幹事 部会資料で問題提起を頂いた順番に即して,第1の1の「経営者の範囲」について私なりに感ずるところの意見を述べさせていただきます。部会資料2ページの一番下,2(1)で,まず何よりも法人の代表者が含まれるべきであるという問題提起に併せ,代表権を有しない場合であっても,理事,取締役,執行役などが経営者に含まれるものであるというような考え方を示唆しておられる部分については賛成でございます。   思い起こしますと,2004年の5月24日に開催されました法制審議会保証制度部会の第3回会議におきまして,その当時の部会の部会資料のNo,3の中で,「仮に経営者保証に着目して何らかの規律を置くのであるとするならば」という留保付きでありますけれども,事務当局からあった説明として「法人の代表者を経営者の概念の中心に置くことは合理的であるし,できる限り一義的に明確であることが要請されるこの基準の運用として,もっともな基準の立て方である」という説明がされていたところであります。   また,2013年6月11日と18日の参議院法務委員会における論議におきましても,このような観点を出発点として更に議論を深めていくべきことが,おおむねその審議の中でコンセンサスが得られつつあるような状況も見てとれるところでございますから,2ページの方向での考え方というものは是非お進めいただきたいと感じます。   3ページにいきまして,3ページの頭のほうで,持分会社の業務執行社員なども含めるべきではないかというお話,これもごもっともであるであろうと感じます。加えて,組合員や無限責任社員も含まれてよいのではないかというお話も,それはあってよい方向であるとは感じますけれども,考えてみますと,持分会社などの無限責任社員というものは会社の債務を当然に弁済しなければならない,無条件に弁済しなければならない義務を課せられるかというと,そうではなくて,若干状況の限定があると理解しています。そういうものとの見合いで,どういうふうな規律とすることがよいか,更に検討を深めていくという問題はありますけれども,この方向は大いにあり得るのではないかと感じます。   それとともに,法制的なことになりますが,無限責任社員のようなものを入れる場合には,これと同じ並びでの規律がされているものがたくさんございます。弁護士法30条の15とか,その他類似のものがたくさんありまして,法文を書くときにこれを全部書くことになるか,というようなことが少し心配なような気もするし,お手数であるという気もしますが,その段階まで含めて上手な規律表現の仕方を御勘案いただければ有り難いと感じます。   その下のイ,ウのところは,正にこれから論議を深めていくべき事柄であると感じます。   その下の(2)のところも同じように感じます。   4ページにまいりまして,3の(1)でありますが,経営者であった者が退任した場合の扱いについては,保証契約の効力が失われないことにすべきであるというお考えはもっともであると感じますとともに,経営者ではなくなった場合について,元本確定請求権を与えるということが一つのアイデアとしてあり得るのではないかと感じます。   (2)の選任登記の外形などの問題は,民法の今般の規律に入れるというよりも,これらの外形に関する今まで形成されてきた一般理論に委ねることでよいのではないかと今のところ感じます。   (3)のところは,御示唆いただいているとおりでありまして,特段の所見がありません。   それから,申し添えますと,ただいま話題になりました自ら進んで保証人になったという局面でありますけれども,これは金融庁の監督実務や中小企業庁で取り扱っておられる信用保証協会に係る業務の進め方などの場面においては,自ら進んで保証人になったという観念に基づいて,個々の保証の事例としての適否を判断するということは,それらの政策領域においては定着しているものではないかと感じます。   そういう意味では,中原委員がおっしゃったことはそれほど唐突なことをおっしゃったのではないと感じますとともに,道垣内幹事の疑問の背景にあるものとして,私も共有する部分がありますことは,私法的な規律の中に,自ら進んで保証人になったというものをうまく落とし込むことができるかというところはやはり心配なのだろうと感じます。更にもう一つ申し上げると,そのことは経営者の概念の範囲のところで議論するよりは,保証の効力をコントロールするというところの本体の場面で,どういうふうな規律の在り方が考えられるかというところを主戦場にして,更に議論していただくべきことなのではないかとも考えます。今,定見があって解決策まで見通して申し上げているものではありませんけれども,そのような印象を抱きます。 ○佐成委員 今,山野目幹事が御発言された趣旨と私も基本的に同じような感想を抱いております。ただ,この提案それ自体の当否,即ち,個人保証を無効にするかどうかについては今回の議論の対象ではないということで,飽くまでそこについては触れませんで,専らそういった規律が入った場合に経営者の範囲をどうするかということについてです。その上で,まず第一に考えたいのは,実務家としては規律が明確であるということであります。   今,山野目幹事が個々に御説明いただいた,この部会資料にも書いてある理事とか代表者とか組合員といったところは,外形的に把握できるものでありまして,外形的に把握できるということは,貸す側にしても効力が後に否定されないということを担保できるということでもあります。逆に言いますと,経営者の範囲が不明確になれば,当然のことながら保証実務への萎縮効果が発生するということでございますので,方向付けとしてはそれでよろしいかと感じたのです。   ただ,一点,3ページの(1)のウに「事業に従事し,かつ,重要な意思決定に参画する立場」という形で「かつ」という表現がとられているのですが,必ずしも「かつ」でなくてもいいのではないかと,内部ではそういう御意見もございました。つまり,事業に従事していなくても,重要な意思決定に参画する立場にあるのであればいいだろうということです。ただ,そういうふうな実質的な話になりますと,明確性がどこまで担保できるのかというのはちょっと疑問でありますけれども,「事業に従事している」ということは必ずしも必要性はないのではないかという印象を持ちました。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。中井委員,どうぞ。 ○中井委員 弁護士会は基本的に経営者を除く個人保証の禁止について賛成をしているわけですけれども,禁止する趣旨との兼ね合いで経営者の範囲を検討する必要があるという部会資料の指摘はそのとおりではないかと思っております。   この部会資料の1ページから2ページにかけて,なぜ保証が問題かという点について,簡潔ですけれども,無償であること,過酷であること,安易であること,情義性によること,また,未必性があること等の問題点が指摘され,それゆえに経営者保証以外の個人保証を禁止しましょうという提案がなされている。今,その当否を議論しないとしても,今回,経営者の範囲を議論するに当たっては,禁止しようとする考え方との兼ね合いで考えていく必要かあるだろうというのは,部会資料の御指摘のとおりと認識しております。   その上で,どのような形で許容される経営者の範囲を限定するかということですが,考え方としては,これが有効・無効に結びつくとなれば,その基準としての明確性が要求されることは当然のことかと思います。しかし,この保証を禁止する目的という実質論から離れた形式論がよろしいかというと,やはりそれはよろしくないだろうと思うわけです。したがって,形式的な基準の明確性を維持するとともに,個人保証を禁止しようとした実質論から,肯定的な評価,支持が受けられるような基準を探し出す作業が必要なのだろうと考えております。   そういう観点から,順番に申し上げれば,いわゆる代表者が経営者に入ることについて争いがない,この対象者の範囲について,対外的業務執行権を正式に持っている者に限定的にするのか,それに一定の範囲を広げて,実質的にその会社の経営に参画するような業務執行を行っている者として,どの範囲の者まで含めることができるか。形式的な基準を明確にした上で,それに匹敵する実質論を備えた方々をどう読み込んだ表現をするか。そういう二本立て的な発想で定義付けする必要があるのではないかと思っております。   また,その次の「支配力を有する」,その典型例がここで書かれております。総社員又は総株主の議決権の過半数を有する者が指摘されておりますけれども,こういうものが支配権を有するものとして保証人適格を有するという考え方を採ったとき,形式基準として明確であろう。これが保証人適格を有するとすれば,それに準ずるものとして実質論から肯定できるような方々をどのように含めるかを考えていくべきだろうと私自身は思っております。   この点は昨日も弁護士会のバックアップでいろいろ御意見が出ました。一つの考え方はやはり形式論に徹すべきだと。形式的基準を明確にする。典型は代表者に限る,支配力のある総株主の過半数を持っている者に限る。若しくは,代表者を広げるとしても,対外的業務執行権を持っている者に限る。単なる取締役で業務執行を行っていない者は含めないとか,そういう一種形式基準のみで規律するほうが有効・無効を決する基準としては好ましいという意見がありました。他方で,それでは硬直的運用になって,今回保証禁止をした目的を達しない,形式基準の立て方によっては目的を越えた無効を認めることになってよろしくないという実質論と両論がございました。   今,その両論を兼ね合わせたような意見を申し上げているわけですけれども,形式プラス実質で規律していくのが好ましいのではないかと思っています。そのときに実質を入れることによって有効・無効が明らかでない場面ができるではないかという反論が当然出てくるわけですけれども,それは金融機関が対象債務者企業に対して融資を実行する際に,その対象債務者企業の実質的な経営を行っている者が誰なのか,代表者だけではなくて,代表者に類する者がいるとすれば,それについては最もよく知り得る立場,直接お金の貸し借りをするわけですから,そういう判断ができ得る地位に基本的に金融機関はあるのだろう。   仮にその判断が迷うというのであれば,形式的資格を持っている者に保証人を限れば足りるのではないかとも考えるわけです。したがって,今のような規律,つまりこの二つの,代表者プラスアルファと支配力について,支配力を持っている典型例プラスそれに準ずる者,この規律の考え方の検討を進めていただきたいというのが結論的意見でございます。  先ほど大島委員,中原委員,佐藤関係官等から,「自ら申し出た者が今の実質的代表者若しくは支配力のある者に当たらない例があるではないか」という御指摘があったかと思います。その解決方法についてまだ見いだせているわけではありませんが,先ほどの山野目幹事の御意見を聞いて,この射程のもう一つ前の段階で検討するという御示唆かと理解いたしました。   若しくは,ここで定義付けをされた経営者に入らないとすれば,原則,個人保証はできないのだという判断を前提に,今のような場面で新しい起業が阻害されないような仕組みは構築可能ではないかと思うわけです。積極的に新しい起業を支援しようと,保証までしようと,場合によってはそのリスクは全てかぶっていいというのであれば,金融機関から当該借入れをして,当該支援企業に対して貸し付けるという行為をすることによって,自ら100%のリスクをとってその企業を支援できるわけですから。そういう代替手段がないわけではない中で,そのことをもってこの枠組み,経営者の範囲が曖昧ではないかといって,消極的な判断に至ることは恐れるところです。方向性としては,場合によって今のようなものが定義から外れるとしても,それで金融実務は細くならないのではないか。そこは正に実務の工夫ではないかと考えている次第です。   ○鎌田部会長 佐成委員,どうぞ。 ○佐成委員 特に異論があるということではないのですけれども,先ほど代表権のない取締役というお話があって,実質を考慮すべきというお話だったのですけれども,聞いていてちょっと疑問に思ったのは,およそ取締役という地位にあれば会社法上しかるべき権限があるということですから,それはまさに実質的な意味での力があるということに他ならないのではないかということです。そして,その権限を行使するかしないかはその人の見識に関わっている部分だと思いますので,実質と言っても,そこはそれとはまた別な議論をされているのだと理解いたしました, ○中原委員 中井委員から,例えばスポンサーが自ら借入れをして,それを転貸するという代替手段もあるのではないかというお話がございましたけれども,金融機関としては債務者の事業内容を見ながら融資をするというのが基本です。例えば,ある事業に対する融資を検討する際には,当該事業の内容や企業の信用力を評価し,返済可能性を検討しますが,信用力が足らないといった場合に,スポンサーが出ててき,自分が保証するから融資をしてほしいという話があれば,それを勘案して融資の可否検討するのが銀行取引であって,転貸資金を信用力のあるスポンサーに貸して,それを債務者に転貸すればよいのではないかというのは,金融機関の融資の考え方とは少し違うのかなと思います。 ○中井委員 私の意見に対して佐成委員と中原委員から御指摘がありましたので,少しコメントを追加させていただきます。   佐成委員おっしゃられたように,私も先ほど二つのことを一つの言葉の中で説明し不適切だったかもしれません。弁護士会としては,取締役であれば全て保証人適格があり,経営者に含めていいかということについては,躊躇した意見が多数あるということをまず申し上げたいと思います。他方,取締役でなくても実質業務執行を行っている方がいらっしゃるとすれば,それを含める方向での検討は必要だろうと思っております。   前者は,特に中小企業等においてのみならず,それなりの会社でもそうかと思いますけれども,取締役というだけで,当該会社の経営に対して十分な情報を取得し,監督し,権限行使できているかと。建前から言えばそうでなければならないのかもしれませんけれども,保証を禁止した実質的な意味が,先ほど申し上げたので繰り返しませんけれども,実質的な理由との対比から言えば,ある意味で形式的に取締役になりさえすればこの規定を潜脱できるような仕組みになるとすれば,それはこのような規律を設けた趣旨に反するだろうと思うからです。そういうところで,単に取締役であれば,理事であれば,全て経営者として含めるという考え方には慎重意見を持っているということを申し上げたいと思います。   二点目,中原委員から御示唆のあった点は,金融実務においてはそのようなお考えなのだろうということについても理解をするところです。ただ,代替手段として一つの例を申し上げたのは不的確だったかもしれませんけれども,その支援をする者は,十分な資産なり資産的な裏付けのある方だからこそ,支援をできるのだろうと。「私は全くすっからかんだけれども保証人になってお前を応援するよ」と言ったところで,金融機関は当該支援者を保証人にする意味は実質的にはないわけです。   私は支援者が借りて起業家に貸したらどうかという一つのルートを示したわけですが,これが不適切であれば,本来,その支援者が自ら所有する,失っても構わない資産を担保提供すればそれで足りる,若しくは,自ら何らかの資金を預金して質権設定をして起業者に直接融資していただければいい。そういう物的担保で支援を行うことも十分可能ではないか。また,これは保証人禁止の潜脱の一つの例になるのかもしれませんけれども,連帯債務という解決もあり得るのかもしれません。そのような他の手法によって,今おっしゃっているような資金調達を可能にする術はあるのではないか。   そういう起業の可能性の芽を潰すから,経営者の概念について,その概念規定ができないという形で議論が進むことを恐れての発言でございます。そこは実務の工夫,金融機関における工夫で十分対応していただけることではないかと考えている次第です。 ○道垣内幹事 二点申し上げます。   一点は,申し上げる予定ではなかったことなのですが,連帯債務にするとか,スポンサーに貸し付けて又貸しさせるとか,それは完全な脱法行為ですから,駄目だと思います。それは工夫ではなくて潜脱と言うのだと思います。   申し上げたかったのは二番目でございまして,先ほどから自ら自発的に申し出た者についてどうするかという話が出ておりました。なぜ現在金融の監督において自発的に申し出てよいとなっているのかと言うと,金融機関の行動をコントロールしようとするのが監督行政の目的だからなのですね。しかるに,今,保証について何を議論しているのかというと,保証人の保護をどう図るかという議論をしているわけであって,そのときに自発的に申し出たかどうかなどというのは全く無関係であると思います。   起業をするときに親が,とか言いますが,私の子どもが起業すると言ったら私も保証するかもしれません。それは情義性の最たるものでありまして,全くもって経済合理性を欠いた判断でついやってしまう高齢者の私という,非常にかわいそうなパターンを私は思い浮かべるわけでございまして,それこそ「させるべきではない」ということで始まった話ではないかと思います。したがって,自発的に申し出ればよいというのであれば,これは保証人の保護について一定の保証契約を無効にすることによって図ることはやめようということとイコールだと思うということは,再度,是非申し上げておきたいと思います。   第三に申し上げておきたいのは,こういう場合は有効になるという議論がされていますが,私は必ずしも有効になるわけではないのだと思います。つまり,この規律によって当然無効が生じてこないというだけであって,なお公序良俗の規範によって,非常に追い詰められた形で保証した場合には無効になるという場合は,ここに言う「経営者」でない場合も起こり得るということは指摘しておきたいと思うわけでありまして,「有効になる」という言葉に若干違和感があります。 ○佐成委員 特に中井先生と論争するつもりは全くないのです。実際,中井先生がおっしゃることは十分理解しておりまして,現にそういう脱法的と言いますか,脱法的というのは先ほど言った形式だけ取締役になるということですが,そういう事例はかなり多いと感じています。特に最近だと,既にリタイアしている後期高齢者を形だけ代表者に選任した上で,実質的には営業部長とか全く責任を問われないような形で黒幕として不当なことをやる輩が結構多いと私も認識しております。   ですから,非常に危険だなというのは感じているのですけれども,私が申し上げたかったのは,取締役という地位に就いた以上はそういった法律上の強い権限があるということであります。そして,今正に,問題になっているのは保証人保護でありますから,その保証人保護を,そうした内部事情とは関係ない債権者の犠牲において果たさなければいけないかというところになりますから,軽率に就いてしまったというところは落ち度として考える必要があるのではないかというところだけは指摘しておきたいと思います。 ○松本委員 中井委員が最後のほうでおっしゃった便宜的手法の一つとして物上担保,物上保証もあるのではないかというところに少し感じるところがありまして,発言します。連帯債務というのは脱法だから駄目だと道垣内委員はおっしゃったけれども,物上保証は別に脱法とはおっしゃらないわけです。しかし,物上保証も,通常,無償で提供しているという点は保証と同じなのです。   ただ,物上保証について制限しようという議論は今のところ出ていないのはなぜだろうかということを考えていくと,情義性というか,安直性と言ったほうがいいですかね。保証は安直にできると。書面は必要だけれども,それだけでいいと。自署すら今のところは要求されていないという安直性がある。物上保証は登記などの形式を整えなければならないとか,特に抵当権の設定だとかなり抵抗感が出てくるところがある。そこで,物上保証人が自発的にやっているかどうかの点が保証よりははっきりと評価できるところがあるので,同じ無償の行為であっても特に問題になっていないのではないかと思います。   そうだとすると,中井委員の考え方をもう少し詰めていけば,形式的に保証人として有効に立てられる者以外の者については,保証ではなくて,物的担保を提供するという形でファイナンスに寄与するということが,もっと積極的に考えられてもいいのではないかという気がいたします。というのは,不動産も持っていない,あるいは,株も持っていない,ただ給料だけは定期的に入ってくるかもしれないという人を,幾ら自発的だからと言って保証人にとってどれぐらいの意味があるのかと。   生活費の融資であればそれでも意味があるのかもしれないけれども,事業資金の融資に通常のサラリーマンを保証人に立ててどんな意味があるのかというと,人質以外の意味はないのではないかと思います。そうすると,きちんとした資産があるということを調査した上で,資産をにらんで保証人としてとるのだということであれば,そこをもう少し明確化して,当該資産を物的担保に積極的に取るという形のプラクティスが行われてもいいのではないかと思います。 ○中井委員 弁明も兼ねてですけれども,まず自発的だからというか形で例外を認めることについては,私は基本的に反対で,これは先ほど道垣内先生がおっしゃった意見をそのまま援用させていただきたい。それから,「連帯保証」という言葉を私が発して,それが脱法だとおっしゃられた道垣内先生の意見にも私は基本的に賛成です。では,なぜ脱法的なことを言ったのかということになるのですけれども。   今おっしゃっていただいた物上保証という形は十分可能なのだろうと,これは脱法でもないという松本先生の御意見にもまた賛成です。その点,念のために保証を禁止した趣旨に戻れば,一つは,ここでも「過酷である」と書かれていますけれども,それに対して物上保証は提供する財産の範囲で限られるわけで,その限りにおいて過酷さの程度が違う。「安易」と書かれていますけれども,物をその場で担保提供してしまうことについて,それはなくなるかもしれないという覚悟が要るわけですから,安易な保証にはならない。   それから,ここでも「未必性」という言葉が書かれていますけれども,これも保証だから将来何も顕在化しなければ終わってしまうというのに対して,物上保証として物をその段階で担保提供すれば,少なくともその財産を失うことについての予見可能性があるという点でやはり異なる。そういう意味で今まで物上保証についてはここでの議論の対象外になっていた。そういう物的担保による融資慣行が更に進むことが,先ほどから中原さんらがおっしゃられていることについてカバーできる,一つの道ではないかと改めて思った次第です。   ○鎌田部会長 深山幹事,次に中原委員,お願いします。 ○深山幹事 今までの議論を聞きながら改めて思うところなのですけれども,この保証契約における保証人の保護の問題というのは,通常の契約の当事者の利害調整とは相当違う側面があると思います。債権者と主たる債務者と保証人という三者が当事者として登場するわけですけれども,一般的にはそれぞれの利害を適切に調整することが必要かと思います。債権者が,融資の例で考えれば融資をしたときに,確実に回収するための手立てとして保証を取るというニーズも当然理解できますし,主債務者が融資を受けるために保証人を立てるということも,融資を得るという観点から当然理解できるわけです。   片や保証人という立場は,保証することによってどういう利益なりニーズがあるかというと,通常はないのだろうと思います。特殊な例で何かバーターでということはもちろんあり得るわけですが,一般的な典型的な例を考えれば,保証人にとってのニーズというものは基本的にはない中でこの議論をしているところが一つの特徴です。冒頭,中小企業の融資を受けるニーズの話があったり,金融機関から貸す側の話はありましたけれども,保証人になる側の利害というのは代弁すべき立場の者がいなくて,弁護士が言うしかないなのかなと思って発言するわけです。   そういうことを考えますと,先ほど来出ている自ら名乗り出たとか,なろうとしたという考え方をここに取り込むことは,およそ見当違いの結論になるだろうという気がいたします。既に道垣内先生が明確に述べられたとおり,そういった基準を持ち込めば,個人保証の範囲を制限して保護を図ろうという議論自体を否定することであって,これは改めて申し上げるまでもないかもしれませんけれども,実際の実務の状況を考えれば,親が子に支援することはあっても,およそ保証一般において,是非やらせてくれと金融機関が望みもしないのに手を挙げる人というのは考えにくいわけですし,融資を受ける人だって保証人なしで借りられるものであればそのほうがいいと通常考えるわけですから。   そういうある意味当たり前のことをイメージすれば,その中で貸す側,あるいは借りる側のニーズとして保証制度を全くなくすわけにいかないし,経営に携わる者については保証責任を負うべきだということを一定の範囲で肯定するとしたら,どの範囲の人には保証責任を負ってもらうべきかとシンプルに考えて,代表者あるいは自主的に経営を支配する者というのを適格な要件としてどう立てるかという議論になるのだろうと思います。そういう意味では,形式的な基準に重きを置いたほうが明確になると思うのですが,それだけではなかなか的確にその範囲を画せないとすれば,実質的な基準も盛り込まざるを得ないのだろうなという気がします。   あとは,これも道垣内先生が御指摘になりましたけれども,いわゆる「経営者」のところの基準をクリアした者の保証が全て有効になるわけでもないということも併せて考えますと,責任を負ってもらうべき人には負ってもらうのだという観点から,あまり絞りすぎるのもよろしくないのだろうと思います。 ○中原委員 先ほど物的担保の提供を受ければいいのではないか,そういうようなやり方もあるのではないかという御示唆がありましたが,例えば不動産を担保に取る場合には,登録免許税というかなり高額の税金を払う必要がありますし,また,不動産登記簿謄本が汚れることに対して抵抗感を示される一方で,保証ならば構わないという方もいます。全て物的担保の方向に進めば実務的にはいいのではないかというのは,実務を行っている者の感覚と少し違うように思います。 ○高須幹事 いろいろな意見が既に出ているところで,同じような意見になるのかもしれませんが,本日の議論の出発点として,保証に頼らない金融実務を指向していくことについては異論はなかったのだろうと思います。そういう意味で,従来,保証をめぐるトラブルが頻発し,悲劇的な事態が起きることに対して,そういう社会に更に向かうのではなくて,できるだけそういうことにならない,保証に依存しない社会に向かっていこうという認識はこの部会の皆さんが共有されているのではないか,そう言ってよいと思います。そうなると,今,ここで議論しているのはそのような社会を目指すために保証制度について.どの程度の要件を課していくかということであり,その議論を重ねているところだと思います。その中で出てきたのが,具体的な地位とか支配権という形で特定される形式的な要件をより重視するのか,あるいは,実質的な要件でいくのかと問題であると。   伺っていますと,ある程度形式的な要件を立てていただかないと基準が明確になりませんよと,これはそのとおりだと思います。ただ,それだけではどうしても漏れる人が出てくる。漏れる人が出てくるから広く要件立てをするとなると,今度は誰でもいいということになってしまって,何のために一定の要件を課すのか,その意味がなくなってしまいます。今日の検討課題は限定するとすればどのような規律がよいかという趣旨ですから,第三者については一定の保証類型については保証できないようにしようと言っているのに,形式的要件のみですと漏れてしまうという議論になってしまう。そこで,まず形式的要件をある程度立てて,そこで全てが賄えるということではなくても,そこは実質的要件を付加的に課すということで補填していくという考え方があり得るのではないかという意見を持っております。   長くなり恐縮ですが,平成23年4月に経済産業省中小企業庁事業環境部金融課で,中小企業の再生を促す個人保証等の在り方研究会の報告書が出されていて,その中に「実務経験に基づく経営者と第三者を区分けする基準」という報告部分がございます。「実務上個人保証を徴求することが合理化される範囲」という記述中に,まず代表者の指摘がある。二つ目に単独で議決権の過半数を有している株主との記載がある。三番目には営業許可名義人,四番目に債務者とともに当該事業に従事する配偶者とある。この配偶者は当該事業に一緒に従事しているという限定を付けています。それから,五番目に債務者が高齢の場合において事業を承継する者とあり,この事業承継者も一定の限定を付けた上で認めています。その五つの要件を形式的要件と言いましょうか,具体的な要件とした上で,最後に,その他上記に準じて,財務及び営業又は営業の方針を決定していくことのできる実質的な経験を有している者とみなされる個人も個人保証を徴求することが合理化される範囲にあると記載されています。これが言わば実質的な要件になっています。   そうなると,例えば,この研究会の報告の中の文章には,ただの取締役は入っていないということになります。また,代表者となると業務執行権を持っている者ということだと思います。この報告書の記載内容が全てと言うつもりはありませんけれども,そのような考え方もあり得るのではないか。形式的要件だけでいかずに,実質的要件も補充要素として持たせた上で,形式的要件はある程度限定的な内容で考えることもできるのではないかと,このようなことが一つ考えられていいのかと思います。 ○潮見幹事 意見が出尽くしているように思われるのですけれども,中井委員,高須幹事にちょっとだけ確認をさせていただきたいことがあります。伺いたいのは,実質的に支配していない者による個人保証が無効であるということと,公序良俗違反,暴利行為違反を理由とする無効との関係をどういうふうに考えておられるのかです。   つまり,ここで事業資金の貸付けについての個人保証は原則無効だというとき,無効である理由はそれが公序良俗違反,暴利行為になるからでしょうか。実質ということを考える場合に,その辺りまで含めてお考えになっておられるのでしょうか。それとも,ここでは公序良俗違反とか暴利行為とかいうことはおよそ考えておらず,むしろ保証人を保護するためという政策的な観点一点のみから,無効ということにしたいと考えて,先ほど中井委員がおっしゃられたような幾つかの操作をするということをお考えになっておられるのでしょうか。 ○鎌田部会長 それでは,中井委員,どうぞ。 ○中井委員 質問の趣旨を誤解しているのかもしれませんけれども,保証ができる経営者の範囲の問題について,保証を無効とする正当化根拠との関係を問われていると理解しました。そこは先ほどから私はなぜ個人保証が禁止されるのかという実質的理由との兼ね合いで経営者の範囲は画していくべきだと言った限りにおいては,その正当化根拠との関連を検討しなければならないということは理解しているつもりです。もう一度考え方の整理をさせていただければ,どうして経営者保証以外の個人保証が禁止されるのか,その正当化根拠が問われると,今回の部会資料の3ページ以下に記載されている。   これは,この部会の審議の中でも,弁護士会の無効論に対して何人かの研究者,山本敬三先生はじめとしてなぜ無効になるのですかという厳しい問い掛けがあった。今現在,弁護士会の理解としては無効とする正当化根拠は二つと考えています。本当はどちらかが主なのかもしれませんが,二つあると。一つは,今,潮見先生からもおっしゃっていただいた暴利行為に近い,公序良俗に反する契約なのではないかという観点からの説明,もう一つの説明は,保証契約の意思形成過程に類型的に見て瑕疵が生じやすい契約だから,そういう契約については無効とすべきではないかと。この二つを論拠として挙げております。   ここで,無償契約だったらほかにも贈与だってあるではないかということに対しては,無償ということだけを意味するわけではなくて,対価関係がないことはもちろんそうですけれども,結果として発生する過酷な結果に対して予見可能性は極めて低いという事情,予測可能性が低い,保証の場合は未必性というのでしょうか,現実に保証債務が顕在化するのは1年後なのか,保証期間が終わる5年後なのか,しかもその額も分からない。単に他の贈与等の無償契約とは質的に違うという意味で,ほかにも無償契約があるからいいではないですかとはならない。   情報提供して十分この保証の契約構造が分かり,仮に将来どこかで債務が顕在化することが分かったとしても,安易に,若しくは,将来予測を不確かなまま契約をする,類型的にそういう危険性が極めて高いものであろうと。意思形成に一般的に瑕疵が生じやすい。ただ,これに対しては瑕疵が全部カバーすれば根拠はなくなるのかという反論は当然あるかもしれませんけれども,そこは正に先ほど言った公序良俗論が下支えになっているというか,側面的に支えているという説明をするしかないのかもしれません。   長くなってしまいましたけれども,基本的にそういう理由との対比で,無効としなくてもよい方々が保証人になる場面については無効とするまでもないでしょうと考えるわけで,それは何なのかといえば,当該業務執行に中心的に関わっていて,自ら負った債務の額も分かる,それが返済できるかできないかのリスクの予見もできる,それが3年後か5年後かも自ら業務執行してそれをコントロールしている立場にある,だからそのような保証契約については無効とするまでもない。   こういう形で考えていけば保証人適格を有する人たちの範囲を画する基準は何なのかと。正に業務執行に責任を持っている代表者は当たりますね,支配権を持っている過半数の株主は当たりますね。あとは,それに準ずるところで,今言ったような問題が生じない人の範囲を抽出していきましょうと,こういう発想で申し上げたのです。これで先生の御質問に対する回答になったのかよく分かりませんが,そういうことです。 ○潮見幹事 長くは申し上げませんけれども,先ほど中井先生がおっしゃったのと,今おっしゃられたのとは,ちょっと言い方が違っているのかなという感じがいたしました。私が気になりましたのは,形式的かつ明確な要件で,正に今おっしゃられた意味での保証適格というものが決まり,有効・無効が一律に判断されるという御趣旨であれば,質問するつもりはなかったのです。   ところが,先ほどの御発言の中で,例えば取締役に当たるような場合であっても,実質的な評価を加えて無効にされてよい場合があるとか,あるいは,今,直前の御発言にもありましたけれども,形式的な要件に該当しないものであっても,それは実質的な判断を加えて保証適格が認められるべき場合があるということをおっしゃられましたものですから,そこに言うところの実質判断を支えているものが一体何だろうかというところを明らかにしていただきたいなと思って発言をした次第です。   特に,中井委員が「二つの観点から」と言われた,法律行為の意思形成過程における瑕疵というのは置いておくとして,公序良俗という形で考えるのであれば,私自身はちょっとどうかなと思いますけれども,先ほど佐藤関係官からもお話がありましたような,金融の円滑化に向けられた利益などといったものを考慮に入れて実質的な判断をする必要はないのかとか,あるいは,金融の円滑化などというような政策的な観点を言うのはちょっとまずいということであるのならば,例えば事業者とか金融機関の経営利益あるいは経営リスクも考慮に入れた形で総合的に実質判断をしていくことも必要になってくるのではないか。そうであるならば,この部分はなお慎重な検討をしておかれたほうがいいのかなという感じがしたので,発言させていただいた次第です。   併せて,そういうことを言っていくと,民法の90条,公序良俗のところも暴利行為的な,いわゆる付け込み型のものに関する特別確認規定かもしれませんけれども,そのような規定を設けてはどうかという中間試案も出ておりますから,その規定とこちらの問題を扱うルールとの関係をいかに整合性のある形で説明できるのかというのを考えておかないと,民法全体の体系的な一貫性という観点から若干気になるところがあります。 ○深山幹事 今の潮見先生の問題提起に関係して申し上げたいと思います。先ほどの私の発言にも通ずるのですけれども,ここでの実質の議論は,90条等が問題にするような法理念的な実質ではなくて,全く次元の異なる政策的な議論として,金融円滑化とか事業の推進という政策的なレベルでの議論として,保証人の保護をどの範囲で図るのがいいかという議論をする中での実質なのだろうと私は理解しています。   先ほども言いましたように,「いわゆる経営者」に該当する者に当たる当たらないという判断において,当たるので保証契約は成立するというときに,更に90条の問題,暴利行為の問題は次元の違う問題として議論されて,保証人となる者の地位に照らせば無効にするような地位にはないけれども,契約の仕方が公序良俗に反する,暴利行為だということで無効になるという判断は当然あるということを前提に,債権者と主たる債務者と保証人という三者の利害調整についての政策的な価値判断として,どこでバランスをとるかという議論を今ここではしていると私自身は理解しておりました。 ○山野目幹事 本日は補充的な議論としてこれが話題にされているものだと理解いたしますから,今後の議論につなげていく観点から,二つほど気になりましたことを指摘させていただきます。   第一点目は,ここの経営者の概念の論点と,本日この後で議論される「3 裁判所による保証債務の減免,比例原則」との関係は連動して,相互の見合いに留意しながら検討されるべき部分があると感じます。取締役という形式要件に当たっていれば保証人になることができて,有効とされてしまうという形式的操作をする場合であっても,3のところでコントロールされるということは残っているものでありまして,そういうふうな規律の組み合わせがあるということを意識して論議を続けていただければよいと感じます。   潮見幹事がおっしゃった90条との関係も最終的には問題になりますし,中間試案で言えば第1の2の暴利行為の問題との関係を検討しなければいけませんが,それとともに,そこに行く前にこの3の比例原則と保証債務の減免の問題を議論し,これ自体と第1の2の暴利行為との関係も検討しなければいけないということでありましょう。論点が重層的に絡み合っていますし,潮見幹事の問題提起は正にそういうふうな広がりの中で,経営者の概念のことも考えなければいけないという御示唆であろうと自分なりには受け止めました。   それからもう1点ですが,経営者の概念を考えるときに,実質的な影響力とか支配力がある者という議論が今日行われましたけれども,「実質的」という言葉が何通りかの異なる意味で用いられているというか,少なくとも今日の議論では二通りの意味で用いられたような印象を抱きます。まず,「議決権の過半数を持っている者は実質的に影響力を有するから」というものですが,議決権の過半数を持っている者は,基準になる日さえ決めれば裁判所は議決権の過半数を持っていると認定判断をすることができます。これに対し,過半数を持っている者その他実質的に経営に影響力のある者」というふうに,院政を敷いている役員室の奥のほうにいる怪しげな人のような方々も含めて,そういう人が経営者に当たるというような議論になってきますと,裁判所に経営者の概念に即して判断してくださいというのは難しいことになってきますから,「実質的」という言葉が一義的ではないという意味で言われているのか,それとも,その企業における実質的なパワーのことで言っているのかといったことも仕分けをして議論をしていく必要があります。委員・幹事の今後の議論もそうあるべきであると思いますし,事務当局も今日の議論を反映して,そういった観点から概念の整理をしていただければ有り難いと感じます。 ○鎌田部会長 今の御発言との関係で,事務当局としてはここにこれまでの議論で上がってきた意見を列挙しているのですけれども,委員・幹事からはそれについて具体的に「こういうものは削除すべきである」とか「こういう方向で行くべきである」というご意見をいただいて,より分布が明確になったほうが今後の作業がしやすい。そういう意味で,今,山野目さんが発言されたから,ついでに伺ってしまうのですけれども,「実質的に支配している者」という多義的な表現が議論の対象になっているのですけれども,こういうものはどちらかというとないほうがいいという御意見をお持ちでいらっしゃるのかどうか。例えば議決権の過半数というような明確な基準で措定できるようなものに絞り込んでいったほうがいいという御意見なのかどうか,聞かせていただければと思います。 ○山野目幹事 弁護士会の先生方には叱られるかもしれませんが,今の部会長の御示唆で言うと,こういう院政みたいな,裁判所が苦しむような実質判断を要求するものは避けたほうがよろしいと考えております。 ○中井委員 「弁護士会には云々」という枕詞がついたようですけれども,それは全く不要であると理解しております。両説拮抗しております。 ○山本(敬)幹事 付け加えることはあまりないのかもしれませんけれども,原則として経営者によるものを除いて個人保証を無効とするという考え方を採るとする場合には,無効とする理由と,先ほど潮見幹事から御指摘がありましたように,公序良俗との関係を整理する必要があるというのは,私もそのとおりだと思います。この点については二通りの考え方があって,一つは,公序良俗違反,特に暴利行為に関するルールを下敷にして,それを定型的に保証について定めたのである,つまり定型的に暴利行為と認められるものをここで受け止めたのであるという形で基礎付けていくものです。もう一つは,先ほど深山幹事が「政策的」とおっしゃいましたけれども,一つ目のものとは少し異なる考え方からこのように原則として無効とするのであるという考え方もあり得ると思います。   前者であれば,暴利行為だけでもいけるではないかという話につながっていくところがあると思います。先ほど中井委員は,暴利行為のほうに少し偏った説明をされたのではないかという印象がありました。もしそうであれば,このルールは要らないのではないかということになりそうです。本当に定めるのであれば,それとは少し異なる観点から見る必要があり,先ほど出ていた論拠と少し違ってくるのかもしれませんが,ここに挙がっているものを見ますと,一定の場合には保証人になってしかるべき理由がある,その意味では保証制度を濫用しているのではなく,正当に使っているのであるという考え方が見え隠れしています。そのような観点からしますと,「実質的に支配している者」というものが出てくるのも,内部についてよく分かっていて,情報もよく知っているということではなく,事業資金の貸付について保証人になってもよいという客観的な理由があるからこそ,このような場合は例外として有効と認めてよいのであるというタイプの理由付けになるのではないかと感じました。   深山幹事が「政策的」とおっしゃるのも,それを何とか言葉にしようとされているではないかと思いました。そこをもう少し言葉にしていただくと,ここで挙がっているものの例のどこまでを入れ,どれが外れるか,ないしは,どこまで形式的基準でいくべきなのか,やはり実質的基準で受け止めなければならないのかということも決まってくるかもしれないという気がしました。その意味では,更にもう一歩詰めた議論が要るのではないかというのが感想です。 ○佐成委員 実質の話で若干気になったところですが,この場合の実質は専ら支配力とか経営への関与とかの話に焦点が当たっていますけれども,経営者としての実質という場合には,処遇面といったところも一要素になり得るかなと感じております。そこは明示的には書かれておりませんけれども,それがどういう効果を持つかというのは,今,山本敬三幹事がおっしゃった部分ともちょっと関係するのかなと思いました。要するに,しかるべき処遇を受けているわけですから,その事業に関与している,していないにかかわらず,便益を享受しているということであれば,保証を正当に利用していると言えそうな気もします。飽くまで,そういうふうに感じたということで,意見がどうこうというわけではないのですけれども,そういう要素もあり得るのかなということでございます。 ○鎌田部会長 古典的には保証の役割の一つに法人の利益の個人財産への付け替えに対する対応だということも語られていた,そういう意味で業務執行の面よりも……。 ○佐成委員 経営者という以上,業務執行の面はもちろんありますでしょう。ただ同時に念頭に置いていたのは,先ほども形式的な話が随分出て来たものですから,むしろ処遇面です。実質的には経営者というよりも従業員の処遇にすぎないという人もいるわけですけれども,それでも形式基準を採れば当然経営者になるわけですね。片や全く形式を持っていないし,会社を支配しているというのではないけれども,かなり便益を享受しているという場合について,特に報酬とかフリンジベネフィットが非常に過大にあるというのは結構あると思われまして,しばしば指摘されることですが,そういう人が保証人から免れていいのかというところは若干気になったところです。 ○中原委員 先ほど佐成委員からお話ありましたが,金融取引の場面においても,経営者かどうかを形式的に判断することが適当でない場合もあると思います。多面的に見て会社経営への実質的な関与や支配関係が認められると評価すべきケースもありますので,これを全て形式で判断するのは難しいように思います。 ○内田委員 もう十分議論されているところに,今日の本筋からは離れるかもしれないようなことで発言するのは恐縮なのですが,先ほど中井委員は御発言の中で「物的担保ならばいい」ということをおっしゃって,それに対して松本委員などから若干の応答があったわけですが,ここが私にはよく分かりませんでした。かつては,物的担保と保証の違いは,有限責任か無限責任かという点にあったと思いますが,今では一定の根保証に関しては極度額を定めることが要件になっていますから,その限りではいずれも有限責任なわけです。極度額が合理的かどうかという問題はあるとは思いますけれども。   また,物的担保の場合は対象が明確であるということも言われたのですけれども,起業を支援するために,第三者である資産家が一定の合理的な範囲で極度額を定めて保証するというのと,友人知人が,財産はほかに何もなくて自宅しかないので自宅の土地建物を物的担保として提供するという場合と,どちらが過酷かというのは一概には言えないと思います。また,物的担保も不動産とは限らないわけで,家財道具などいろいろな動産をまとめて譲渡担保に供するということもあり得ると思います。そういう点からすると,経営者など一定の例外をどう設けるかということを実質的に議論していく中で,物的担保ならばいいけれどもという仕分けが本当にできるのか,一貫した考え方といえるのかどうかがよく分かりませんでした。   松本委員は契約するときの手続の重さも指摘されましたが,それが理由なのであれば一定の類型の保証について手続を重くすればいいわけで,公正証書を要求する,といった手立てはあり得ると思います。ですから,物的担保も一定の第三者が提供するものは駄目だというならば,これは一貫していて分かるのですが,どうして人的か物的かというところで線が引けるのか,そこがよく分かりませんでした。 ○鎌田部会長 同じように,物上保証にも検索の抗弁権を認めている国もあるわけで,どこまで横並びにするのが妥当なのかというのは課題として存在しているのだろうと思います。   松本委員,どうぞ。 ○松本委員 物上保証の是非についてまで戦線を広げるという方向で法制審としてやっていいのですかということがあります。従来の議論を相当引っくり返して,物上保証も原則無効だと,特定のものだけが有効なのだという議論をこれからするのですかということです。それはしないのだと私は理解していて,それはそれなりに合理的な,物上保証の場合は今までそれほど不当だということは言われてなかったと思うのですね。つまり,立法事実がそれほどなかったから議論していなかったと思うので,もし立法事実があるのならやり直さなければならないのではないかと思います。   もう一つ,個人保証を有効とするか無効とするか,有効とする場合については一定の限定を付ける,形式的あるいは実質的に経営者となっている者に限りましょうということで,その限定の仕方について今まで議論してきたと思うのです。中原委員がおっしゃっているような,形式的にも落ちるし,実質的にもというのか,代表権がないし,株の支配権も持っていないけれども,事実上の何かなのだという人も保証人として入れたいのだというのは,その人が最終的に保証人としての責任を自発的に負ってくれるのなら,それは金融機関のリスクとしてとればいいでしょうということになる。それは構わないと思うのですけれども,保証契約が絶対的に有効である,あるいは,絶対的に無効であるという,公序良俗違反的な発想から見ると,一旦契約した以上は最後まで責任取ってもらいましょうというタイプの保証人か,あるいは,全く無効ですよという保証人かのどちらかになるということで今まで議論していると思います。   しかし,そこでもう一つ,公序良俗違反的無効ではないところの,有効・無効の中間的な第三ジャンルのものを保証に関しては考えてもいいのではないかという気がいたしております。すなわち,契約としては有効だけれども執行力がない,強制執行はできないというタイプの保証を考える余地がないのかということであります。本当に起業家を支援したいエンジェルのような人であれば,自発的に保証債務を履行してくれるでしょうし,そうでないような人はエンジェルの資格はないのではないかというふうに考えれば,保証として有効であるが履行を強制することはできない。   ただし,保証人が自発的に保証債務を履行すればそれは有効な弁済となるのだというタイプのものがあってもいいのではないか。絶対無効よりはそういうのがあったほうがまだファイナンスが少し進むのではないかと思います。金融機関から見てそういうのは駄目なのだ,絶対有効な保証以外は無意味なのだということであれば,エンジェルというのは一体何なのかという気がいたしておりまして,好意でもって保証するということの意味をもう少し広げて考えてもいいのではないかなということです。 ○鎌田部会長 ほぼ御意見は出尽くしたかと……。では,中田委員,どうぞ。 ○中田委員 全く別のことなのですけれども,組合員について言及があるのですが,組合員については出資との関係を検討しておくべきだろうと考えました。無限責任だから組合員も保証債務を負い得るということですが,分割無限責任ですから,全額について必ずしもそうはならないので,むしろ信用出資が伝統的に認められていることとの関係があると思います。その上で,保証したときに出資のほうにどう跳ね返っていくのかということが課題となってきます。改正前の商法で合弁会社については出資についての規定があったのですが,現在の持分会社についてそこら辺がどういう議論があったのかということを確認しておいたらよろしいかと思います。   それから,業務執行組合員が置かれているときに,実質論を採って業務執行組合員以外の組合員は適格性がないと考えるのか,その人も組合員である以上は出資という関係で認められるのかという問題もあるかと思いました。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか。   まだ議論すべき点はあるかもしれませんけれども,ほかの論点もございますので,恐縮ですけれども,続きまして,「第1 保証」の「2 情報提供義務の対象」について御審議を頂きたいと思います。   事務当局から説明をしてもらいます。 ○笹井関係官 「2 情報提供義務の範囲」では,中間試案第17,6(2)に従い,保証の契約に当たって債権者が情報提供義務を負うこととする場合に,どのような情報がその対象となるのかについて御審議いただこうとするものです。   情報提供義務についても,そもそもこのような義務を課すことが適当であるか,保証人が保証契約を締結するに当たって必要となる情報であっても,それを債権者に提供させるのが適当であるかなど,規定を設けるかどうかについて更に検討する必要がありますが,ここではどのような情報が提供義務の対象になるのか,考えられる可能性を検討し,情報提供義務に関する規定を設けるかどうかについて検討する際の参考にしていただきたいと思います。   情報提供義務の対象をどのように考えるかについては,保証契約の一般的な内容や主債務の内容のほか,特に主債務者の信用状況について,具体的にどのような内容の情報を提供する義務を負うかが問題になります。保証人が保証契約を締結するに当たって重要な考慮事情となるのは,保証人が現に保証債務を履行しなければならないことになるかどうか,また,仮に保証債務を履行した場合に実効的な求償権の行使をすることができるかどうかであると考えられます。   このような観点から主債務者の信用状況に関する情報を提供すべきであるとされるのであれば,信用状況の具体的な内容として,主債務者の収入,資産,他の債務の存否,額やその返済状況,他の担保の有無及び内容などが考えられます。しかし,このような情報には主債務者の個人的な情報が含まれており,少なくとも主債務者から委託を受けていない保証人に対してこれらの情報を提供するのは不適当であると考えられるほか,委託を受けた場合であっても債権者に提供させることに異論があり得ると思いますので,どのように考えるか御審議いただければと思います。   また,情報提供義務については,これらのほか,債権者側の要件としてこれらの情報を知ることができたが,現実には知らなかった場合にも提供義務を負うのか。保証人になろうとする者がその情報を自ら取得することができる場合にも情報提供義務を負うのかなど,対象以外の要件についても更に検討する必要があると思いますので,これらの点についても御審議いただければと思います。   以上です。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分について御審議いただきます。御自由に御発言ください。 ○大島委員 保証人が保証契約の締結に当たり契約内容を十分に理解することは重要でありますが,エの規定は契約内容の理解に資するものではなく,性質が異なるものであり,このような規定を設ける必要はないと考えております。仮に規定された場合,信用状況の範囲によっては,そもそも信用状況の把握が難しい創業期の中小企業が行う資金調達に支障をきたす懸念がございます。   また,保証契約は金融機関のみならず,事業会社も取引先からの履行確保のために利用していることが多いと思います。債権者である事業会社が保証人を求めるのは,新規の取引に当たり主債務者である取引先の信用状況の把握が難しいことが大きな理由の一つです。このような場合に信用状況の説明義務を課すことは,事業会社の経済活動を阻害する懸念がございます。   さらに,そもそも信用状況は変動する可能性があります。債権者に対し情報提供義務を課し,保証契約締結時に提供した信用状況が適切だったかどうかが問題になった場合のことを考えると,保証契約の有効性に関する紛争が起こることを回避するため,債権者である金融機関の融資姿勢や,事業会社の新規取引に対する態度が慎重になることが懸念されると思います。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。中原委員,どうぞ。 ○中原委員 エで挙げられています「主たる債務者の信用状況」は何を意味するのか,今一つはっきりしないのです。例えば,6ページに挙がっています「当該事業の具体的な内容は現在の収益状況などが考えられる」ということですけれども,これを具体的に説明することによって,主たる債務者の事業内容の秘密が保証人予定者から外部に漏れて,主たる債務者の事業の継続に大きな影響を与えることが懸念されます。   それから,債権者が主たる債務者の信用状況を全て把握しているとは限りませんし,何を説明すれば保証人予定者に対する説明義務を果たすのかということが不明確だと,将来の紛争を生じさることも考えられます。 ○鎌田部会長 ほかには。はい,高須幹事,どうぞ。 ○高須幹事 今,議論が出ております中間試案のエで説明されている信用状況の問題ですが,確かに何を説明するかということが必ずしも明確になっていない中で疑問とか不安が出てくるということだと思いますが,どの程度の信用状況かということを分からない場合もある。分からない場合には分からないなりの説明をすれば,ここでは尽くしたことになるのではないかと思います。そういう意味では,必ずしも不可能なことを課そうとしているわけではない,そう考えることはできるのではないか。   それから,出発点として融資をする際に,債務者の信用状況は重要な判断要素であるということは今日のお話にも出てきて,それが十分でないようなときに保証人を付けることによって信用状況を補填することもあり得ると,こういう金融実務があるということは私なりにも考えているところです。ただ,そうだとすれば,なおさら信用状況の補填のために付けられた保証人にそういうことを知らせないというのはフェアでないと思いますので,基本的には情報提供義務を認める方向を検討すべきではないか。紛争が起きることは確かにあり得ますけれども,そこはきちんとどの程度の説明をすればいいのかという,実際の運用の場面であまり無理なことをせずに,裁判においても合理的な判断をしていくということで克服できるのではないかと思いますので,信用状況についても前向きに考えるべきではないかと思います。   それから,秘密が漏れることに関しては,確かに考えなければなりませんから,委託を受けていない保証人の場合はどうするかというのは確かに考えてもよろしいのかと思いますが,それも工夫で,つまり,委託を受けていない者は除くとか,そういう工夫と組み合わせることで解決できるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 他の担保の有無,内容等については,現在の金融実務では債権者側から知らせるようなことはしないのが普通ですか。 ○中原委員 実務から離れているので実際のところはよく分からないので調べてお答えしますが,聞かれれば説明していると思います。 ○松本委員 2のエはア,イ,ウと全く違ったタイプの内容だということは私は何回も主張,指摘しております。ア,イ,ウは言わば契約そのものを説明するということだから,どのような契約であっても当たり前の話であって,エだけが少し特殊なのですね。それで賛否が両方出てくるわけですが,先ほどの1の経営者保証に限定しましょうという議論と照らし合わせて考えると,有効な保証を実質的・形式的な意味の経営者の保証に限定しましょうという議論は,2でいえばエが必要でないケースに限定しましょうということなので,非常に分かりやすい議論なのですね。   すなわち,形式的あるいは実質的経営者に当たる人は,信用状況はよく知っているか,あるいは,調べればすぐ分かるはずであって,金融機関からわざわざ教えてもらわなくてもいいはずだと。そういう人に限定して保証を有効にしましょうという意味で,1の経営者に限定するというのは2の問題も一気に解決する,大変分かりやすい説明になると思うのです。では,1を採用しないで,誰でも個人で保証人になれるのだとした場合にどうするのかということで,先ほど金融庁の監督実務では,自発的に保証人になろうとする人は,経営者ではなくても保証人としてとってもよいとしているので,それを民法でも有効にしてほしいという主張が出されたわけです。   そこで,保証人が自発的に保証人になろうということの意味は実質的に何なのか。信用状況まで十分知った上で,「でも,私はこの人を支援したいのだから保証します」ということであれば,エはクリアしているわけなのですよね。主たる債務者からきちんと説明を受けて納得して保証人になる,あるいは,金融機関からそういう説明を受けて,確かにリスクはあるけれども,私はこの人を支援したいのだからということでやればそれでいいのだろうと思うわけです。今の金融実務で行われている「自発的」ということに,それが含まれているのであればもうこの問題は解決しているわけですが,「自発的」ということの意味が「保証人欄に署名しました」とかいうことだけでよいのであれば,この要件は満たしていないので,債務者が十分説明していない場合は,金融機関が説明をするという,どちらかによる信用状況の説明は不可欠だろうと思います。 ○鎌田部会長 1の経営者保証に限定しているものは,狭い範囲の貸金等債務が含まれる根保証及び貸金等債務を主たる債務とする保証契約に限っていますから,それ以外のものについては幅広く情報提供義務の対象になってくるので,エが働く場面というのは相対的に広がるのだと思います。 ○松本委員 ただ,貸金を抜いた保証はどれぐらいありますか。 ○鎌田部会長 例えば,継続的売買契約上の代金債務の保証とか,賃料債務の保証,そういう類いのものは比較的金額的に大きくなる可能性を持っているのかもしれないと思います。   佐成委員,どうぞ。 ○佐成委員 焦点はエなので,エですが,この当否自体は別でございますけれども,仮にこういう規定を入れた場合に提供する情報の範囲は,何でそもそもこういう規定を入れるのかという趣旨とも関係するのだと思うのです。債権者が金を貸す場合について,主たる債務者の資力というか資産状態を全く考慮せずに貸し付けるというのは,保証人の資力を当てにしているということに他ならないのですから,建前上は,言わば保証人を搾取するような状況を防ぎたいという趣旨なのかなと私は感じたところでございます。仮にそうだとすると,そういったことを防ぐのであれば,主たる債務者に債権者が貸すときにどれだけ返済可能性・返済能力があったのだということは,誠実に貸すのであれば調査しているはずですから,そのような調査によって得られた程度の情報を,その中で支障のあるものは除くとして,提供するということで十分ではないかと感じたところです。   もう一つ,前提として保証人自身が委託を受けているなり何なりであっても,保証人が主たる債務者の資産状態・返済可能性を全く考慮しないというのは一体どういう場合なのかよく分からないのですね。もし保証人自身がそういう情報を本当に知りたいのであれば,主たる債務者に直接詳しく聞けばいい話で,なぜ直接聞けないような状態を敢えて想定するのかというところも若干疑問に思っております。この規律を仮に入れるとすれば,最初に申し上げたとおり,債権者が保証人の資力だけを当てにして金を貸すのではないということを建前上担保する意味で,自分としてはこういった信用調査をしましたのでという程度の情報提供をしてやればということであれば,実務的には動くのかなと感じたところです。この提案について賛成しているわけではありませんけれども,仮にそうだとすれば実務的に一応は動くのかなと,そういうことでございます。 ○鎌田部会長 弁護士会はいかがでしょうか。 ○中井委員 ここの議論が錯綜するのは,1の経営者保証との関係があるからだろうと思います。まず,貸金等に関する事柄で言うならば,仮に1の規律が成立して経営者保証に限るとすれば,保証人になるのは経営者ですから,実質的当該企業についてここで指摘されている収入や資産,負債その他の履行状況については知悉しているはずなので,もはやここが主たる論点として出てくることはなかろうと。   仮に(1)の経営者保証に限るという規律が通らなかったときは極めて深刻な問題になってくるだろうと認識しております。そのときには,ここに書いておられるように,貸金等をするに当たって債権者が収集するであろう事情は,「例えば」以下に個別事情として列挙されていますし,さらに2段目以降で包括的に主債務者の履行能力を判断するために必要な情報は当然収集しているはずですから,それら情報について特定して,それを保証人に対して提供すべきというのは当然ではないかという基本認識を持っております。   貸金等を含まないその他取引に関して言うならば,主たる債務がある意味で様々ではないか。今,部会長おっしゃられたように継続的取引契約に基づいて発生するものもあれば,賃貸借に基づく家賃保証というものもあるとすると,主たる債務の原因となる契約,そういう契約の趣旨に照らして債務者の履行能力について必要最小限の情報は,与信をするわけですから,当然,債権者は持っているはずで,その持っている情報を同時に保証を求める保証人に対して提供する,当然提供すべきではないか。基本的にはそういう考え方を持っております。   ここでは,2のところで列挙されているのが,貸金等債務を専ら念頭に置かれているような事情ですけれども,最終的には貸金等債務について1の規律が通れば,実質的にはあっていいけれども,提供すべき情報は全て持っているということで解決される。1の規律が入らなかったら,更に真剣に議論しなければならない。それ以外の契約については,契約の趣旨に照らして履行可能かどうかの判断という形で,一定抽象的な規律の仕方を入れることによって解決すべきではないかと考えています。 ○道垣内幹事 本日の議論の求められていることとはちょっと違うのかもしれないのですけれども,今,中井委員がおっしゃったことで少し気になることがありますので,中井委員にということではないのですが,確認をしたいと思うのです。   先ほど中井委員のほうから,仮に貸金等根保証ですか,保証契約で経営者が保証人になるときには,エで求められているような信用状態は正に分かっている人なのだから,問題にならないとおっしゃったのですが,私が伺いたいのは,その「問題にならない」ということの意味なのですね。と申しますのは,アからウまでのものでありましても,私もずっと民法を教えておりますので,アからウというのは知っているのですね。アからウについて知っているので説明がなかったというときに,私はした保証契約は取消しできないものになるというものとして,これは作られているのだろうか。   不動産の賃貸借契約で宅建業者の説明義務がすごく厳密なものですから,分かりきっていることをずっと聞かされることになりますが,それだけに皆さんきちんとやっていらっしゃるということを意味しているのだと思うのです。それと同じように,債権者による説明が,相手方がわかっていようがいまいが,求められるということなのではないかと思うのです。そうすると,経営者に対してであってもエを説明しなければいけないのではないかと思いました。アからウまでのことについて誤解していたら,それは錯誤ではないですか。   この位置付けそのものが若干議論の対象となり得るかもしれないし,前提を形成しているような気がいたしまして,中井委員がおっしゃったことと私が理解していたことと若干違いますので,事務局のほうから何かありましたら,お教えいただければと思います。 ○鎌田部会長 事務局から何かありますか。 ○中井委員 事務局に考えていただく間に先にいいですか。   1の規律が入っても,ア,イ,ウについては,当然のことながら契約内容についてですから,説明をする必要がある。エの問題については,その後の付随的な説明という理解をしているのですけれども,保証人たるべき者がこれらの事情について知っている場合にも説明をするのか。私は,知っていることは少なくとも説明しなくていいでしょうという判断の下に,実質的に1の規律が入ったときに,経営者に保証を求めるときは実質論としては問題になる場面が少ないのではないかという意見を申し上げたつもりでした。 ○道垣内幹事 ということは,アからウまでは,相手が保証契約とは何たるかということが分かっていても一応説明しなければいけないわけですね。 ○中井委員 それは当然前提です。 ○道垣内幹事 そうすると,アからウまでとエは全然性格が違って,条文はまた別の問題ですけれども,条文で規律するとなると別の条文で規律すべき問題になるのでしょうかね。 ○松本委員 そういう主張を私は以前の部会からずっとしているつもりです。ア,イ,ウとエは全く性格が違うタイプのものであると。ア,イ,ウは保証契約に限定されない,契約をする以上はどういう契約をしているのかについてきちんと説明しなければ,それは要素の問題ですから,錯誤で言えば要素の錯誤につながる可能性のある,あるいは,不成立の問題につながる可能性のあるファクターだけれども,エは恐らくそうではなくて,伝統的な議論からいけば動機の錯誤に入るか,あるいは真意性か何かぐらいの問題なので,同じ条文で説明義務として入れるのは少し誤解を与えるのではないかと思います。 ○道垣内幹事 しつこいですが,ア,イ,ウは契約である限り当然だと言いますが,普通,保証契約を締結するときに,連帯保証の場合には催告の抗弁,検索の抗弁,分別の利益を有しないことというのを個々具体的に説明しなくても,連帯保証契約という中身の問題として,両当事者がそれで認識していれば,錯誤の問題は何も生じていないはずであって,当然ではないと思いますよ,ア,イ,ウについても。 ○松本委員 全く異論ございません。説明がなくても認識していればそれでいいのだと思うのですね。それらを認識していない人がいる場合にどうなるかの話だろうと。だから,従来から取引をしている相手に,あるいは法律家相手にもう一度説明しなければならないかというと,そのようなことはないと思うのです。後で「俺は聞いていない,無効だ」という話は,連帯保証だと言われていて,民法の先生が違うふうに理解していたらそれは駄目でしょう。 ○大村幹事 今の道垣内さんと松本さんのやりとりについてですけれども,道垣内さんがおっしゃったのは,このア,イ,ウは知っていても知っていなくても説明しなければいけないものと想定されているのではないかということだと思います。 ○道垣内幹事 そうです。 ○大村幹事 保証契約においてはこのことを説明するということが契約を有効に成立させるための要件とされている,いわば要式契約化されているということをおっしゃっているのだろうと思います。 ○山野目幹事 事務局で論点整理の労をおとりいただいたものですから,一応自分が抱いている意見のみ申し述べさせていただきます。   5ページの太字で問題を整理していただいていて,①から④までの問題提起があります。初めに,この問題に向き合うときの自分としての心づもりですが,一つ前の1の経営者の論点とこの2がつながっているようなおっしゃり方をした方がおられました。しかし,別につながっていないと考えます。しばらく前に部会長が御注意になったように,我々は第三者保証の全部を禁止しようとしているものではないということと,その反対側ですが,道垣内幹事がおっしゃったこともあるのであって,1に余りつなげないで議論するべきではないかと感じます。   その上で,①ですが,委託を受けているかどうかによって対象となる情報の範囲に差を設けることが相当であるとみられる場面があると思います。取り分けエのところはそのような問題ではないかと感じます。感じますとともに,法制上の法文における表現等の段階では少し難しい問題があるという懸念も抱きます。「委託を受けて保証した場合」というのが中間試案の案文でした。実は柱書きでは「保証契約を締結しようとする場合」となっていて,エのところは申し上げたように「保証をした場合」と過去形になっています。ここを法文にするときは整理が必要であることはもちろんのこと,さらに保証委託契約が成立していることが必要であるのか,それともその申込みを受けた人が情報提供を求めると,信用状況の開示を求めることができるのであって,保証委託契約の承諾までしている必要はないのか,といった点は,内容を精査した上で更に法文上の表現を工夫する必要があるのではないかと感じます。それは若干テクニカルな事項です。   それから,②は債権者が現実に知っていた情報に限るということで,規律の内容としてはよろしいように感じますが,それと同時に債権者が現実に知っていたことを保証人が主張立証しないと,情報提供義務違反にならないという扱いになってしまうことは問題であるというふうにも感じます。   それから,③は保証人となろうとする者が自ら入手することを期待することができない情報に限るべきであるであろうと考えます。   ④の取消権のところですが,情報提供義務違反であると認められる場合には,保証人による取消権の行使を認めてよいであろうと感じますとともに,その取消権の行使に対しては,債権者の側が自分が知らない情報であったということを主張立証するか,又は保証人において知ることができた情報であるということを主張立証するか,いずれかにおいて成功を収めることができれば,取消権の行使が阻却されるという規律にすることが適当ではないかと考えます。   もしこういうふうな考え方でいくとしますと,事実錯誤のときの取消権の行使の前提状況の主張立証の負担が事実上保証契約の危険性に鑑みて逆転させられるような効果を持つものとして,ここでの取消権が構想されるのではないかとも感ずるものでございます。 ○山本(敬)幹事 今の山野目幹事の御意見に対しての質問と,それから,これは山野目幹事だけではなくほかの方々にも当てはまるのかもしれませんが,これらの情報を提供しなければいけないというのが行為規制であればよく分かるのですけれども,取消しを認めるとなった場合に,前から申し上げていることなのですが,錯誤と言いますか,誤認がないと民法上は取消しが認められないのではないかと思います。その意味では,先ほどのやり取りとも関わるのですけれども,保証人に当たる者が対象となる情報について誤認して,その結果当該保証契約を行ったということは要件になるという御理解なのでしょうか。いかがでしょうか。 ○山野目幹事 誤認という概念を用い,それを取消権の要件ないし阻却事由にどういうふうに組み込んでいくかは精査の必要があると感じますが,私が大づかみに感じておりますところとして,錯誤などを理由とする取消しの一般原則,一般法理を適用したときに,誤認ということが前提になるのが筋ではないかということは,山本敬三幹事が終始重視しておられる観点であるということを私として理解しているつもりであります。   その上で,ここの保証契約という場面に限局して考えます際には,情報提供義務の履行について債権者の側に違背,不十分な点があった場合には,どういうふうに申し上げたらよろしいのでしょうか,誤認が推認されるというか,あるいは擬制されるというか,そのどちらかのような仕方で受け止め,最終的にどういうふうな規律の表現に盛り込んでいくかということはなお検討の余地がありますけれども,一般法理で言う誤認のそのままのものが積極的な要件として主張立証されて確認されなければ,保証人が取消権を行使して保証責任を免れることができないという規律にすることは,適当でないという司法政策的判断があるのであるとすれば,そのような観点から取消権を盛り込んでいくということを前向きに考えたいという趣旨でございます。 ○松本委員 取消しということで,例えばイの場合ですね,アは説明したけれども,イは説明していないという場合に取り消すことができて,保証はゼロになってしまうのかと。それはやりすぎではないですかね。連帯保証にはならないけれども,通常保証にはなるという限度で効力はあるとするほうが合理的ではないかと思います。ウの場合は,ここが崩れると,それでは保証しなかったということになるので,必要だろうと思います。   エについては,先ほども言いましたけれども,錯誤に位置付ければ動機の錯誤なので,不実表示が動機の錯誤のところに今回提案として入っておりますから,エの事項について,債権者が誤った情報を提供する,あるいは,十分情報を提供しないということが結果として誤った情報を提供したことになり,それが保証人の保証契約締結の重要な動機になっていると評価できる場合には,不実表示の新設規定に入ってくる,動機の錯誤を入れるとすれば入ってくる余地はあるかと思います。ただ,その場合は債権者の側の情報提供義務を前提にしなければならないということになるかと思います。   本来,自発的に保証人になるという人は債務者からきちんと説明を受けて,それでも保証人になるというのが筋であって,債務者の資力は全然知らないし,債務者が誰かも知らないけれども,私は保証人になりますというのは非常に変な意図で契約関係に介入しようとしているような場合以外はあまり考えられないのではないか。第一義的には債務者から説明を受けているべきであって,十分説明を受けていないような保証人を保証人としてとるという実務慣行自体が問題があるのではないかと思います。ただ,いろいろな事情から保証人としてそういう人もとらなければならないかもしれない。そういう場合に債権者が信用状況について一定の説明をするなり,あるいは,少なくとも質問されれば答えなければならないと。勝手に押しかけ保証人となり,かつ,債務者の信用状況についての質問すらしないというような保証人は保護する必要がないでしょう。 ○鎌田部会長 ほかに御意見いかがでしょうか。潮見幹事,どうぞ。 ○潮見幹事 中井委員にばかり確認して申し訳ないのですけれども,委託を受けた保証の場合に,信用情報についての説明義務,情報提供義務があるということですよね。先ほど別の先生方からの御意見の中でもあったし,法務省の中にも書かれていますけれども,守秘義務との関係はどういうふうに説明をなされるおつもりなのですか。つまり,委託を受けていない保証人の場合はこういうものはないけれども,委託を受けている場合には別に説明義務が出てくるという形で書かれているのですが,守秘義務との関係を考えた場合に,委託を受けた保証の場合にどうして信用情報についての説明義務があるのでしょうか。   主たる債務者には,自分の信用情報等については,正に自分の情報ですから,コントロール権はあるわけです。言ってみたら,委託をすることによって主たる債務者は受託保証人との関係では信用情報に関する自己情報コントロール権みたいなものを放棄したという形で捉えて考えておられるのでしょうか。それとも,何か別の観点から問題を捉えようとしているのかというところが少し気になります。特に今回の債権法の改正の中では守秘義務に関する一般的な規律を設けないというか,そのような提案が入っておりませんから,そうなると,守秘義務との関係はこの問題を考える場合に避けて通れないと思うのです。   そうなると,その辺りの立て付けをどのようにお考えになって,弁護士会のほうは今おっしゃられたような形の意見を出しておられるのだろうということがちょっと気になります。この文脈とは少し違いますけれども,先般,アレンジャーの責任を扱う裁判例が出たときに,守秘義務との関係で情報提供義務の関係が問題になりましたよね。同じようなことがここでも,仮に規定を設けた場合に起こらないとは言い切れないものですから,ちょっとだけお教えいただければと思います。 ○中井委員 とてもお教えできませんが,私の理解は,保証契約の締結に際して,債権者から保証人になろうとする者に対する情報提供義務について,これまでこの部会で1,2度議論されたかと思うのですが,積極的に情報提供義務を課そうとする場合に,正に債務者の信用情報に関わるものについて提供するとすれば,債務者の守秘義務と言うのでしょうか,銀行にとっての守秘義務と言ったほうがいいのかもしれませんけれども,それに抵触するではないかという御議論が出た中で,その切り分けの仕方としてどういう考え方が採り得るか。一般的に金融機関においては,委託のある保証,委託のない保証の両方があるけれども,委託のある保証であれば債務者からの委託,すなわちそこで情報開示についての承諾を認めることができるのではないか。そういう流れで,このエという立法提案は委託を受けた保証に限った,ここでの審議の経過がそのように反映されていると理解しております。   したがって,今の質問については,委託を受けたことによって債務者自身の持っている信用状況に関する情報開示,少なくとも委託先である保証人に開示することは承諾している。それは放棄しているのとどこが違うのかはよくわかりませんが,承諾をしていると理解しておりますが。 ○鎌田部会長 よろしいですか。   中原委員,どうぞ。 ○中原委員 客観的な信用情報を開示することについては問題ないと思うのですけれども,例えば将来の履行の見通しというのは,債務者ないし事業の将来の見通しをどう見るかということですから,銀行の主観が入らざるを得ません。例えば「この事業は順調に推移するので債務者の信用状況も大丈夫です」と説明できればよいのでしょうが,将来的にどのような経営環境の変動があるかもしれませんしから「順調にいきます」とも,あるいは「順調にいきません」とも言えない状況だと思います。そういう状況で銀行の主観的な見通しまで開示しろと言われると難しいと思います。仮に銀行に信用情報を開示しろということであれば,その内容は客観的な現在の状況に絞っていただかないと,実務は回らないと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかにはいかがでしょうか。中井委員,どうぞ。 ○中井委員 今の点に関してのみですが,部会資料の6ページの上のほうの「例えば」以下で3行ほど,「主債務者の収入」以下の例示があります。それから,その次の段,「一方」以下の段の後半,「例えば」以下で,先ほど私が読み上げましたけれども,「履行能力を判断するために必要な情報であって重要なもの」という特定がされています。少なくともこれまでの審議の経過も,ここでとりまとめられていることも,今,中原委員がおっしゃられた御懸念,例えば銀行の主観的な判断,若しくは見込み,そういうものを開示してくださいということは一切含意していないという理解をしております。少なくともここに記載されているのは,その時点における客観的情報に限るということではないかと思いますので,その御懸念は不要かと思います。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか。はい,どうぞ。 ○中井委員 弁護士会としては,④については,義務違反の効果としては取消しを是非とも考えていただきたいと申し上げております。仮に信用情報として提供すべき範囲として,例えば,ここの部会資料でいう「履行能力を判断するために必要な情報であって重要なもの」と定義付けられたときに,その情報が提供されなかった場合については,他の判断項目を経ることなく取消しができるのだという理解をしております。   先ほど山本敬三幹事の御発言の中で,例えば誤認というのが要件にならないかという御示唆がございました。仮に誤認の意味するところ,場合によっては教えていただきたいと思うのですけれども,本来提供すべき情報が提供されなかったことによって保証した,提供されていたら保証契約を締結しなかったであろう,そういう場面でないと取消しができないという意味での誤認という介入項というのですが,一つの判断項目を入れるという御示唆だとすれば,それは弁護士会としては反対せざるを得ないと思っております。ここではそのような介入項は入らずに,端的に必要な情報であって重要なものが提供されなければ,当然に取消しができるのだという構造でいいのではないか。   したがって,ここでの取消しには,詐欺とか錯誤,もしくは,不実表示等の要件の充足,もしくは,そのような要件を横持ちした判断は必要でないと理解しているのですけれども,これは行きすぎというか,よろしくないのでしょうか。 ○山本(敬)幹事 今のは一般法理で認められるわけではないということを意味しますね。そうしますと,それを特にこの保証について認める理由が挙げられるべきではないかというのが,前からずっと申し上げていることなのですけれども,それはどうなるのでしょうか。先ほどの1の部分で個人保証を原則として認めないというときに,先ほど申し上げたとおりなのですけれども,広い意味での政策的な制度的な理由から,こういった特別なルールを定めるのであるというタイプの理由付けがそこでは出てくるだろうと思いました。   しかし,ここでは少なくとも情報提供義務とかなりの部分重なっていて,従来言われていた情報提供義務は,解釈論では,争いはもちろんありますけれども,取消しを認めるのであれば,意思表示の瑕疵に関わる規定と結び付けて認めるという考え方だったのではないかと思います。それを外すのであれば,その理由をどう説明するのかというのが私にはまだ理解しきれていないので,お教えいただけると有り難いと思います。先ほど山野目幹事は推認という形で,一般法理は前提にしながら,証明責任の転換のようなもので対応するという御説明だったと私は理解しましたけれども,それとも違うのかどうかという点はいかがでしょうか。 ○中井委員 先ほどの山野目幹事の発言が,工夫として重要な情報を提供しなければ誤認が推認されて,誤認の結果として取消しができるという論理が一般的に承認されるのであれば,弁護士会はそれに反対するものでありませんが,それであっても誤認という要件が果たして必要なのだろうか。保証契約のうち一定の類型については無効という提案をして,それが承認された。容認された保証契約であっても保証契約特有の問題が払拭されているわけでは決してない。だとすれば,そのような保証契約を締結するに当たっては,一種これらの情報を提供することがむしろ有効化要件と言うのですか,有効化するための必要要件なのだと。その必要要件を欠けば,これは無効と言うと行きすぎで,ここは取消しということで処理をする。そういう構成があっていいのではないか。一般法理,いわゆる意思表示の瑕疵法理に全て帰すうさせなければいけないのかということについて理解の及ばないところがあります。 ○山野目幹事 意思表示の一般理論から出発して,そこの基本原理を大切にしながら考えましょうと,山本敬三幹事が繰り返し注意なさっておられることはごもっともであると感じます。その上で,一つ前の私の発言で,誤認が推認されるという構成で深めていくか,擬制されるというところまで考えるのかということは,なお今後十分勉強していきたいし,ここでも検討していただきたいと申し上げましたし,そのように議論が進めばよろしいと感じます。   その際にこういうことは言えるのではないでしょうか。確かに一般法理の誤認という考え方は大切ですが,保証の局面に関して言いますと,情報提供義務違反があったから誤認が起きたのですという因果関係,その誤認があったから保証契約をしたのですという因果関係が,通常の契約の類型に比べて操作しにくいというか,親しまないという部分はかなりあるような気がいたします。そうであるとしますと,保証という契約の領域に限って一般法理を大切にしながらも,特殊な要件操作を施した規律を別途設けるという感覚からくる議論は深めていっていただきたいという希望は抱きます。 ○鎌田部会長 保証人になる人は債務不履行は生じないと思って保証したのに債務不履行があった,そういう誤認を問題にされると保証契約自体が成り立たないという懸念もあると思うのです。また,かつての裁判例の中では,松本委員がおっしゃったことにも関連するのですけれども,ほかに保証人がいますとか,確実な物上保証がありますということを主債務者から聞いて,だから保証人になったというケースは動機の錯誤で,原則として錯誤無効にならないですが,そこに債権者が同席していて,「そうなのですよ,安心してください」などと言うと,錯誤無効になるというようなものがあります。そこに誤認があったからこの保証契約を結んでしまったのだということが,そこは動機の錯誤を使うからそうなるのだと思うのですけれども,あるのだろうと思います。その誤認があろうがなかろうが,保証契約を結ぶことに直接関係しないときには,わざわざ取消権を与えてやる必要はない。   と同時に,取消しというと全部取消しが念頭に置かれているみたいですけれども,ほかにもう一人,物上保証人がいるというときは,2分の1の負担で済むと思ったのが,2分の2になってしまったという部分に錯誤があるのだから,2分の1は負担していいと思うのですけれども,全部無効にされてしまうと負担が0になってしまうのですね。その点でも情報を提供しなかったことのサンクション,イコール全部取消しというので本当にいいのかなと私も疑問に思っていて,せいぜい1,000万円だろうと思ったら5,000万円だったというときに,0になるのか,1,000万円までは覚悟していたのだからそこまでは負担させると,そういうふうな対応もできるような形を採るべきなのか,その辺はまだまだ検討の余地はあるのではないかという気がします。 ○松本委員 部会長が最後におっしゃったことは,先ほど私が言った「アは説明したけれども,イが説明していない場合に,全部取消しでいいのか」ということと全く同じ問題意識です。   もう一つ,部会長が一番最初におっしゃった「保証人というのはそもそも責任を負う気がないのだ。リスクがないから保証人になるのだ」と。これは法律論としては矛盾かもしれないけれども,現実はそうなのだと思います。そこで個人保証人の保護という議論が出てきているのだと思うのです。リスクがないと思ったのだけれども,実はリスクがあるのだというところの確認をきちんとやっていない場合は,保証契約としては本来無効にすべきではないかと。   特殊な経営者保証などは別だけれども,第三者の個人保証の場合は,リスクをきちんと認識して保証人にならない限りは無効なのだと。それをさせるためにどうすればいいかということで,私は何回も言っていますけれども,本来は債務者がそういう状況を説明して,真から保証人になってもらうというのが一番正しいやり方であって,先ほどから出ている善意の資産家が起業するベンチャーを支援しますというのはそこだと思うのです。そうでないような局面の場合には,債務者は保証の委託をする場合には基本的には本当のことを言わないのだろうという前提で,仕方がないからここで言うエが出てくるのだということだろうと思います。   そうだとすれば,本来債務者が言うべきことを,知っている限りで債権者,金融機関サイドが言うというのはおかしくないのではないか。説明の仕方としては,債務者が債権者に説明の委託をしているということで,説明については,自分の代わりに金融機関にさせるということの同意をしているのだという説明をすればいいのかもしれないし,ましてや保証人になる人が質問をしたのに対して正確な答えをしている場合については,不実表示の法理からもいけるだろうし。ただ,積極的に説明義務を金融機関に負わせるのは不実表示の動機の錯誤の拡張論からはちょっと無理なので,ここでは,政策的根拠による民事の契約への介入だという説明をせざるを得ないかと思います。 ○鎌田部会長 先ほど来事務当局宛ての質問があったことに対して,事務当局から何か御発言ありますか。 ○笹井関係官 道垣内先生の御質問は,ア,イ,ウについて,大村先生から補足がありましたように,要式契約のようなものになっているのか,つまり,保証人が分かっていても説明しないといけないものだと事務当局として理解しているのかどうかということでしょうか。 ○道垣内幹事 そうでしたが,その後そのことについてかなり議論されたわけで,特に回答を求めたいわけではないです。 ○笹井関係官 一応申し上げておきますと,ア,イ,ウが保証人となるべきものが分かっていても説明する必要があるのかどうかというのは,正にこの審議会の中で御議論いただくことであろうと思いますが,個人的には,ア,イ,ウは,類型的に保証人がよく理解しないまま契約を締結する結果として弊害が生じている事項について十分に理解してもらおうという趣旨なので,理解していなかったために保証契約を締結したというときに取消しが認められると理解しておりました。ただ,その後の議論を聞いておりますと,中間試案についての理解がまだ統一されていないということが分かりましたので,それを踏まえて検討したいと思っております。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それでは……。中井委員,どうぞ。 ○中井委員 先ほど山野目幹事が部会資料のゴシックの1から4について順次御意見を披露されましたので,弁護士会も念のために申し上げておきます。   まず1については,既に発言しておりますけれども,委託を受けた場合と受けていない場合とで差を設けるという考え方に賛成である。   2と3については意見が分かれました。ただ,2の書き方はいささかミスリーディングではないか。「知ることができたにすぎない情報」とあえておとしめたような表現になっていますけれども,知っている情報だけに限るのか,知っている情報だけでいいという意見もありましたが,重要な事実は当然,債権者は知っておくべき情報,それまでも知らなかったからと言って落ちるのは不適当ではないか。ただ,意見が分かれたことは先ほど申し上げたとおりです。   3につきましても,限定する意見に対して,保証人が知っている場合,容易に知り得た場合はどうなのか,もう少し広く考える必要があるのではないか,ということで意見が分かれました。   4につきましては,先ほど私は取消し効果を申し上げました。ただ,弁護士会の中にも慎重意見はございますが,これもこの後で議論されることになるであろう保証債務の減免,比例原則との兼ね合いで考えることもできるのではないか。仮に取消しでなくても,減免となって,「免」が制度としてできれば事実上それに匹敵する効果が得られるわけです。また,先ほどから部会長の御発言も松本委員の御発言も,一定割合的な減額が取消しという強烈な効果との対比において妥当な結果を導くという御判断があるとすれば,ここも義務違反の効果として取消しプラス損害賠償となれば,その損害賠償は結果的に減免制度に結び付いていき,この後の3の議論の中で改めて検討できるのでないかと思っております。 ○鎌田部会長 それでは,大分進行が遅れてはおりますけれども,ここで一旦休憩をとらせていただきます。          (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,そろそろ再開させていただこうと思います。   「第1 保証」の「3 裁判所による保証債務の減免,比例原則」について,御審議を頂きます。   まず,事務当局から説明をしてもらいます。 ○笹井関係官 「3 裁判所による保証債務の減免,比例原則」について御説明します。   まず,裁判所による保証債務の減免の制度については,なぜ様々な債務のうち保証債務についてのみ有効に成立したにもかかわらず,裁判所による債務の減免が許されるのか,その理論的な根拠について検討する必要があると思われます。   また,中間試案においても,減免の判断の際に検討すべき考慮要素は挙げられているものの,これらの要素を考慮してどのような要件を判断するか,どの程度の減免がされるのかについては考え方が示されていません。実体法上有効に成立した債権の額がどのように減免されるのか,手続の面についても更に検討することが必要であると考えられます。   比例原則についても,裁判所による保証債務の減免と同様に,なぜ様々な契約のうち保証契約についてのみ比例原則を規定して,保証債務の効力の全部又は一部を制限することになるが,その理論的な根拠について検討する必要があると思われます。   また,要件効果についても,課題をどのように判断するのか,一部無効と考えるか,全部無効と考えるなど,仮に比例原則に関する規定を設けるのであれば,細部について検討しておく必要があると思われますので,御意見を頂ければと思います。   以上です。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それでは,ただいま説明のありました部分について御審議をお願いしたいと思います。 ○中原委員 イの要件である「その当時における保証人の財産・収入に照らし過大である」ということが書かれています。この点は,保証人の資産状況を調査する制度が存在しないことを前提にしますと,金融機関は保証人の主張が妥当かどうかを判断することができないと思います。したがって,保証履行を求める時に,訴訟をかなり誘発するのではないかという懸念があると思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかに御意見いかがですか。弁護士会は。高須幹事。 ○高須幹事 弁護士会の意見はまた中井先生から言っていただくことかもしれませんが,今の御指摘は確かに重要なところだと思いますし,そういう意味でこの原則を使うことの難しさはあると思います。そこで,「過大」という言葉,あるいは,もっと言葉を変えてもいいとは思うのですけれども,「過大」という言葉で意味されているところは,明らかにその人の財産・収入に照らしてもみても一生掛かっても返せないと,破産決定以外は何の解決方法も見いだせないというような,高額のおよそ返済不能の保証責任が課される場合が個人の場合にもあるとの認識を前提としていると思います。   それを考えると,この種の原則自体が,「過大」の意味の込め方にもよるのかもしれませんが,一定の機能を有する。訴訟等で判断が難しいという場合もあるのかもしれませんが,むしろそうとは限らない場合もあるのではないか。現時点ではそれに対する法的な保護の規律というものは必ずしも持っていなくて,判例等で信義則等の規定による根保証の責任の縮減みたいなことで頼っている状況でありますので,ここで今回この種の規定を設けることは有益ではないかと思います。   アとイと両方設けるということについてのこの案の内容については,確かに関係とか根拠とか,御指摘いただいたように問題になるとは思いますが,アの部分については従来御説明もあるように身元保証法5条の延長線にあるということは,弁護士ですからついつい理論的な詰めが甘いのかもしれませんが,身元保証の場合の責任と保証責任とは確かに同一ではないと思いますが,負担する責任の額が当初全く想定し得ないような金額になる場合も,保証類型によってはそういうこともあり得るということを考えると,身元保証法5条と同一の規律を設けることはあり得る選択肢ではないかと思っております。現に先ほども指摘させていただいた下級審判例で根保証の場合の責任の減額を認めているという,判例法理の説明などの際にも身元保証法5条を理由付けの一つに挙げている文献等もあるようでございますので,可能なことではないかと思います。   それから,イについては,少しそれと趣旨が違って,これも難しい議論なのかもしれませんが,契約時にこういうことを行わせることが公序良俗とか,その現れである暴利行為とつながる面もあるのではないか。それを保証の場面ではより問題になるということで切り出して,こういう規定を設けることがあってもいいのではないかと。それぞれそれなりの根拠があるのではないかと思っておりまして,今回御提案の規律をより慎重に判断して,それなりの形での立法化につながればよろしいのかなと思います。 ○佐成委員 ア,イ両方ともなのですけれども,そもそも経済界の中では保証契約に対する事後的な介入を嫌うといいますか,要するに保証契約の有用性が損なわれるだろうという面で消極的な意見が非常に強いということでございます。今,アについて身元保証法5条を根拠に正当化できるのではないかという御議論があったわけですけれども,私は本当にそうなのかなと若干疑問に思っております。そもそも身元保証法の立法趣旨というのは,非常に不合理な前近代的な身元保証を合理的な範囲に制限しようという趣旨で設けられたと理解しています。更にその沿革を遡れば,年季奉公といった前近代的慣習について,江戸時代から徳川幕府の法令で強制された人請とか人主といったようなものを,明治期以後の近代法制に取り込むときに合理化するということかと思います。ただそれがなかなか立法的に手当てできなかったので,判例・学説で積み上げてきた部分を昭和期になってようやく立法化したという経緯があるわけであります。要するに,そういう前近代的な不合理な遺制を合理化しようという趣旨で設けられた制度ではないのかなと私は理解しているわけです。   他方,今議論している保証というのは,必ずしも前近代的で不合理なものを一律にというわけではなくて,近代的な保証契約で合理的なものの中にもそれでもなお保証人を救済すべきものはあるのではないかという趣旨だろうと思いますから,必ずしも身元保証法の本来の趣旨には直結しないのではないかという気がしております。特に身元保証というのは,私が会社に入った30年ぐらい前はまだ取っていましたけれども,私の会社でも20年ぐらい前に取るのをやめましたし,近年ではほとんど大きな会社は取らなくなってきている。それでもまだ一部にはあるとは思いますけれども,かなり限られたものになっている。そういうようなかなり前近代的な遺物のための立法趣旨を更に拡張していくというのは現代の立法のあり方としてどうなのかなということです。もし何らかの保証人保護規定を入れるのでも別の切り口からアプローチしていったほうが筋がよろしいのではないのではないかなという気はいたします。ですから,そこをそのまま引き継いで更に拡大していくというのはちょっとどうなのかなという気はいたします。   イについてですが,比例原則ですが,確かに過大なものについては何らかの制限が必要ではないかと,つまり,我々法曹というか実務家もそうですけれども,素朴な正義感からすれば,過大なものは正義に反するのではないかと,そういうような反応になるわけであります。けれども,果たしてそれを本当に取り込めるのかというのが非常に疑問であります。一応きちんとできているもの,外形上は合理的に形成されているものを事後的に覆すというのは,それなりに重い正当化根拠を考え出さないと,私はなかなか思いつかないのですけれども,単に保証人保護だというだけではかなり厳しい気がいたします。   そういったところが意見でございます。 ○松岡委員 今の佐成委員の御意見の特に前半部分について,若干の反論と言いましょうか,ちょっと違うかなという気がしますので,発言させていただきます。   身元保証の不合理さと対比して強調するときには,確かに保証はそれほど不合理ではないということになるのですが,そもそもここで保証責任を何らかの形で制限すべきだということが議論される前提としては,個人保証によって不合理な結果が生じているという社会的事実は否定できないということでありまして,身元保証と対比するからといって保証全体が合理的というわけではないわけです。かつ,今回の規制の仕方は,入口でも個人保証について絞り,そこで漏れるもの,ないしは,そこでは一応セーフであるけれども,なお問題が生じ得るというものに対して対処しようということであります。不合理に対する対処の仕方として,身元保証契約における身元保証法5条は,同じく不合理なものに対して一定の制約を設けており,言わば歴史的に作り上げられ,運用されてきた基準として一定の指針となり得るものと思います。   理論的な根拠を問われると確かに非常に厳しいところがあります。私もはっきりしないとしか言えませんけれども,先ほど高須委員から論及がありましたように,ある意味では経験的真実として通常保証についても身元保証法5条の趣旨を考慮して一定程度保証責任を限定する裁判例の扱いが現にされてきており,それがおおかたの見解で是認されています。そのことが根拠と言わざるを得ないと思っております。 ○山野目幹事 松岡委員からは裁判所による保証債務の減免についてお話を頂きましたから,私は,役割分担といたしまして,比例原則のお話をさせていただこうと考えます。   前提の確認といたしまして,現行規定の450条は保証人の資格要件という異なる文脈においてではありますけれども,その1項2号におきまして,まず保証を成立させる段階において,弁済する資力を有することという状況が調っているかどうかを問題とする規定を置いております。また,保証が成立した後に同条2項がこの弁済の資力という要件を欠くに至ったときということを問題とする規律を置いております。   また,453条のいわゆる検索の抗弁の規定におきましては,連帯保証でない保証という異なる文脈においてではありますが,債権者から権利行使を受ける保証人が,主たる債務者に弁済の資力があることなどを主張立証して,権利行使を阻止することができるという局面を設えております。   これらを示唆として考えますと,比例原則の考え方に立脚した規律を設ける際の一つのイメージといたしまして,保証を成立させる段階において,保証人となろうとする者が弁済をする資力を欠くにもかかわらず保証が成立し,債権者から権利行使を受ける段階においても,弁済をする資力を欠くことを保証人が主張立証する場合において,債権者の権利行使が阻止されるという解決を考えることは十分考えられるところではないかと感じます。   申し添えますと,現行法の検索の抗弁が,主たる債務者に弁済の資力があることを主張立証して権利行使を阻止するものでありまして,ニックネームを添えますと,言わば「あること抗弁」とでも言うべきものであるのに対し,こちらは自分に資力がなく著しく過酷な状態となるということを主張するものでありますから,「ないこと抗弁」とでも称することがふさわしいと感じております。申し上げておりますものは,権利行使を障害する規定ではなく,権利行使を阻止する性質のものであるというイメージのものであるということも付言させていただきます。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。中井委員,お願いします。 ○中井委員 高須幹事,松岡委員,山野目幹事から御発言がありましたので,若干重複するところもありますけれども,申し上げておきたいと思います。   弁護士会の意見としては,保証債務の減免と比例原則,これが両方になるのか,いい形で二つが合わさるのかという議論はさておくとして,基本的にこのような考え方を導入することに賛成であることは御承知のとおりかと思います。今回の部会資料でも,そのような減免,若しくは,過大請求分の無効についての正当化根拠が問われております。最初に議論した経営者保証以外の保証について無効とする正当化根拠,情報提供義務違反による取消しの正当化根拠,そして,ここでの減免の正当化根拠と,正当化根拠で攻められているわけです。   それは,重ねてになりますけれども,保証契約が持っている当初指摘の特徴で,何よりも思いますのは,本来,債権者と債務者との間の契約関係において生じた債権,典型は貸金債権ですけれども,それは債権者が貸金回収の可能性を債務者の財産状況,将来の収益能力等を精査して契約をし,適切な利息を得て行う一種の経済活動で,そこで生じるリスクは債権者と債務者との間の契約の中で決定されていくのが本来の筋ではないか。にもかかわらず,第三者に債権者の回収リスクを転嫁する契約なのだろうと思います。1の規律を入れない場合にはそれが典型的に表れます。   これは講学上の「危険な契約」で,本質的には保証人にとっては全く負わなくてもよいリスクを何らかの事情,それが情義性に基づくのかはともかくとして負わされる。債権者にとっては,本来自らがとるべきリスクを無償で他人に転嫁する,そういう契約類型ではないか。だとすれば,そこから現実に生じている問題が縷々指摘されている中で,何らかの合理的な規範を設けて,それを制限するというのは十分正当化根拠があると考える次第です。   私はこういう正当化根拠を言われたときに,書面のない贈与がなぜ取消しができるのか,書面のない保証契約はなぜ無効なのか。恐らくこれまで歴史の中で議論されて,履行するまでは,書面のある契約は撤回できないけれども,書面がなければいつでも撤回できるよと,そういう規律は何らかの正当化根拠があったはずなのだろうと。ちょっとずれているかもしれませんが,幾つかそういう無効や取消しの規律がある。それはそれなりの契約の特性に基づいて,その場面では書面のないものについては撤回を認めていいのではないか,保証については書面がなければ慎重な合理的な判断ができなかったのだから,それは一律効力を認めなくてもいいではないかと,それぞれ契約の特性に応じた法律効果を与えているのでないか。とするならば,今回の保証についての一連の立法提案は共通の考え方を持って,適切な規制を働かせようという形で合理的に説明ができると理解しております。   その上で,責任制限に関して,身元保証契約と違うではないかという御指摘がございます。この点には何人かの御発言がありましたけれども,身元保証契約においても,契約締結した段階で,確かに将来発生する自ら負うべき債務の内容が分からない,どのような金額のものが出てくるか分からない,これは未必性の問題なのだろうと思います。先ほどから縷々説明しているように,保証契約とて契約締結時には発生するか発生しないか分からない,むしろ「発生しないよ」と言われて契約締結する土壌が一般にある中で,例えば3年後5年後にひょっとしたら全額かもしれないし,ひょっとしたら0で終わるかもしれない。発生するか発生しないか分からないという意味においては未必性のある契約ではないか。その限りにおいては身元保証契約と根本においてそれほど変わるところはないと言えるのではないかと思っています。   また,保証債務のみ減免をすれば債権者平等に反するではないかという御指摘もあります。しかし,保証債務というのは一般に隠れた債務です。企業間取引においても,あの債務者の財務内容はいいなと決算書を見て思っていても,実は莫大な保証債務を背負っていたとすれば,そういうことは債権者にとってはリスク要因,仮にそれが減免されるなら,本来の債権者の予測可能性の範囲内に収まるかもしれないという面さえもあるわけですから,減免することによって債権者平等を害するという批判は一面的ではないか。むしろ突然現れてくる保証債務こそ他の債権者にとって脅威になる場面だってあるということに思いを来すならば,これがそれほど積極的な反対論になるとも思えないと思う次第です。   そこで,保証債務の減免制度を設けることに賛成なわけですけれども,問題はその次の問題提起でして,どのような要件でどのような基準で判断するのかという問題提起がされております。この点について適切な答えをまだ持ち合わせているわけではないというのが正直なところで,身元保証契約と同じように,契約締結からその後の事情を考慮し,若しくは,債務者の財産収入を考慮し判断をしていただくという,総合考慮型の基準を置くことになるのだろうと。  ただ,少なくとも言えることは次の過大な比例原則と同じだと思いますけれども,債権者の皆さんはこういう規定が入ると予測可能ではないということを御指摘されるわけです。  しかし,ないものは取れないはずではないかというのが基本でして,保証人に財産があるにもかかわらず保証契約が有効に締結されているときに,その財産を出さなくてもいいという提案をしているならともかく,ここでの提案はないものはないものとして処理させてくださいという最低限の提案ではないか。場合によってはそこに最低生活保証的な,破産法でいう自由財産的な財産を残してください,さらには,一歩進んで最低生活に必要不可欠な自宅,こじんまりした自宅は残してくださいという更なる議論があるのかもしれませんけれども,ここで求められている責任の減免にしろ比例原則にしろ,現在ある財産の限度で過大な部分を否定する議論ですから,債権者の予測可能性がこれによって著しく害して,保証契約をとった意味がなくなるというのは余りにも効果に対する評価として不適切ではないか。   とれないものがとれないことに終わって,保証人は正々堂々と債務がないと言えるだけの話ではないか。このことは保証人にとってはかなり重要な心理的要因になっているということも是非理解をしていただきたいと思います。財産が少ない中で財産をはるかに超える保証債務の履行が求められる,かつては,だからこそ「お前の腎臓を出せ,目を出せ」と言われたわけですけれども,少なくとも払えもできない自分の財産・収入をはるかに超える保証債務を残すことの積極的意義が金融機関などの債権者にあるのかという点から考えても,実質的にそれを積極的に残さなければならないという結論にはならないのではないか。そこに,このような責任制限もしくは比例原則によって,ある財産の中で処理するシステムが正当に構築されることによって,むしろ適切な保証の履行段階での処理ができるのではないかと考える次第です。 ○佐成委員 別に論争するという趣旨の発言ではなくて,私の発言の趣旨は,もちろん保証人保護の必要がないなどということを言っているわけではなくて,こういった事後的な介入を入れるためにはそれなりの十分な正当化根拠が必要ではないかということです。実際,中井先生ご自身もおっしゃっていたとおり,正当化根拠が曖昧できちんとしていないと,どういう範囲で減免をするのかということがうまく導けないのではないかということです。ですから,最初にも指摘しましたとおり,具体的な基準が導けないというのも,恐らく正当化根拠を例えば身元保証法といったところに求めていると,かなり厳しいのではないかという気がした次第です。   それはともかくとしまして,私が申し上げたいもう一つは,この補足説明にも書いてありましたけれども,倒産手続との関係であります。倒産手続との関係をどう整理するのかといったところまで議論を整理していただかないと,私としては,実務家ですから,決められればそれに従うということになるのですけれども,実務がうまく立ち行かなくなるのは非常に困るということでございます。いずれにしても,正当化根拠あるいは倒産法制との整合性等も含めて,そこら辺は十分慎重に御議論いただきたいなと感じております。 ○中原委員 中井委員の御発言で一つ違和感がありますのは,金融機関は過酷な取立てを行っていません。ある一定のルールの下に場合によっては減免に応じるケースもありますし,保証債務について分割弁済に応じるというケースもあります。したがって,金融機関が過酷な取立てを行っているとの感覚は違うと思います。むしろ悪質な業者のために善良な業者の保証契約を全て否定する発想は理解しがたいように思います。 ○中井委員 佐成委員の御発言に対して若干コメントを。   今回の部会資料で倒産法との関係を検討すべきだというのが9ページの(4)以下で出ておりました。今までこのような検討をしたことはなかったかと思います。大変貴重な御示唆かと私も思いました。この点について,今回の減免にしろ比例原則にしろ,比例原則は違うのかもしれませんけれども,少なくとも減免制度については,8ページの2の(3)にもあるように,恐らく抗弁事由として機能するのだろうと理解しております。したがって,多額の保証債務を負い,他の債務も合わせて到底今ある財産の中で解決できないときに,抗弁として主張することなく自ら全ての債務の存在を認めて,倒産手続の中で処理をするということが予定されていいだろうし,それで処理できるのではないかと思っております。   他方で,抗弁として主張することによって,自らの財産の範囲内で個人の再生が図れるのであれば,その道をとることも否定されていないので,こういう制度を設けること自体が倒産手続を歪める,若しくは,それがとれないというようにはならないのではないかと思います。他方,比例原則であれば,当然無効という形にするならばそこまで債務の圧縮がなされるのでしょうから,当該圧縮された債務と他の債務との存在,多寡に応じて,当該個人が再生の方法を選択する,倒産手続の中でいかなる手続をとるかは選択する,若しくは,その手続をとらずに弁済していくことを可能にする制度ではないか。積極的に評価していいと思っております。   中原委員からも御意見がありまして,私の先ほどの発言が全ての金融機関がそういうふうにしているのだという発言に聞こえたとすれば,大変失礼な発言でありました。撤回いたします。ただ,問題は,そういうことを申し上げたかったわけではなくて,善良なる金融機関であれ,平凡な個人が自らの財産,もしくは将来得られるであろう収入をはるかに超える債務を負っている,そのような心理状態を心する必要があるのではないか。そこに対して,適切な債務に圧縮して普通の生活に戻れるシステムとして機能するなら,それをどうしてマイナス評価されることになるのかという素朴な疑問を持っております。そのような意見を言うと,それは民法の役割ではないという御批判があるのかもしれません。その役割論については適切に反論できる能力はありませんが,民法にそういう役割を期待していいのではないかというのが基本的な考え方でございます。 ○松本委員 アとイだと,アのほうはよく分かるのですけれども,イの比例原則と言われていることの「過大」というのがちょっと分かりにくい概念で,これだけでうまく機能するのかなという疑問があります。中井委員がおっしゃったように,ある時点における資産,保証契約時点における資産を超えている場合だけが過大なのだというと,私のイメージとちょっと合わないのですね。わざわざこういう条文を置く以上は,生活に必要な部分は当然残した上で,それ以外の資産との関係で「過大」と言わないと,積極的に置く意味はないのではないかと思います。   つまり,何をもって「過大」と言うのか。100の資産がある場合に,200の保証をすることが過大なのか,100でも過大なのか,そこをはっきりさせないと,これだけでは機能しないのではないかと。では,はっきりさせることができるかというと,恐らくできないのだろうと思います。事前に何が過大かということを,100を超えるか超えないかだけで決めるということであれば,ひょっとしたら言えるかもしれないけれども,そういう厳密なラインは立てられないのだとすると,結局,アと合わせて諸般の事情を考慮して,減免とか減額とか比例ということに最終的にはならざるを得ないのではないか。そうであれば,一つのファクターとして,契約時点における資産を考慮するということは十分考えられるし,債権者としてはそこを自ら調査しなかったリスクとして負担する,あるいは,調査したにもかかわらず融資をしたリスクとしてそのリスクを負担するということでよろしいのではないかと思います。   その「過大」の点で,特に保証人の生活保証を考えると,物上保証の場合も同じ議論をこの場合はする必要があるのではないかと思います。すなわち,高齢者で唯一の不動産である自己が居住している住宅を物上保証に出しているというような場合に,住宅を丸々取り上げられてしまうと途端に生活に困るわけです。そういうことは過大ではないかと考えられますから,それについても一定の制限をしていかないと,保証についてのみ比例原則というのは,そこの点においては不十分ではないかと思います。 ○山野目幹事 松本委員から今,アとイを比べながら,きちんと私が伺っていないのかもしれませんが,どちらかというとイのほうに辛口の御意見をおっしゃったように耳に響きました。松本委員が休憩の1時間ほど前になさった御発言を思い起こしますと,個人保証の弊害を除去するために,完全に無効にするのでもなく,完全に有効にするでもなく,その中間のゾーンがないかということは,本日の部会で私は最高の名言だと感じますけれども,あのエスプリを忠実に受け止めていくならば,少し前に私が申し上げた権利阻止規定で理解されるイの規律は正にそれであろうと考えます。   同時に,アの規律がこのままでは民法の規律として成り立たない,一切の事情を考慮して減免しろと言われた裁判所は,何をどう減免すればよいか,ということについて全部投げられてしまって苦しむだけであって,「これは裁判所の運用に耐えられません」という反論がされたときに,それとの対話をしていく中で,仮にアの構成でいくときでもイの発想を入れていかなければいけないということになるものではないでしょうか。イというものは,今,契約時のことだけおっしゃいましたが,実はチェックポイントが二つあるのでありまして,契約時の過大さと権利行使時の過大さの二つが要件になっています。それらを数値として見ていきながら,ほかの事情も考慮して全面的に無効にするのでもないし,全面的に有効にするのでもない,権利行使を押さえましょうという発想ではないかと理解しております。   そのような仕方で運用が可能な規律を目指して対応を始めていくとしても,なお「過大」という言葉だけではまだよく分からない部分があるではないですかという御心配はそうかもしれませんけれども,二つのことを申し上げれば,中間試案第1,2の暴利行為に関する規律の下でも過大という要件が出てきて,今パブリックコメントのとりまとめの途中ですから,あの規律が入るという確定的な結論になるのかどうか分かりませんけれども,中間試案の姿勢としてはあの文言,概念で裁判所に運用をお願いしていこうということになっていますから,そういうものとの見合いも参考にされてよいと同時に,保証という文脈に関して言えば,現在でも貸金業法の13条の2に過剰貸付の抑制に関する規律がございます。   それから,これから金融庁は中小企業庁と連携して保証の徴求に関するカイドラインを作っていかれるであろうと思います。そういったものは,それぞれの局面における指針でありますから,直ちに民事法上の規律の参考に直結して使用することができるものではないかもしれませんけれども,運用に当たって参照することが可能なドキュメントとして,これから育てていく余地はあるのではないかと感じますから,そういったものを参考にしながら,さらにアとイのそれぞれの特質をうまく捉えた規律の検討が深められていくのがよろしいのではないかと感じます。 ○中井委員 今の松本委員と山野目幹事のお話を聞いて,是非教えていただきたいなと思ったのです。私が誤解しているかもしれませんが,特に比例原則のほうですが,契約締結時において過大,保証履行請求時において過大と,この「過大」の中身は少なくともその時点における財産状態としては債務超過を想定している。資産を超過する債務額について効力を否定して,資産内での保証履行を認める。それが時点を区切った場合で見た「過大」の基準であると理解していました。   次は,いわゆる定期収入を得ている者等を想定した場合に,その保証履行時,もちろん契約時もそうですけれども,将来得られるであろう給料等の収入に照らして弁済が不可能な借入れがあるとすれば,将来収入の中から通常の人としての生活をしていく。それを賄える限り,そこの賄える範囲を越えた部分,賄えない部分が「過大」に当たるという理解をして発言をしていたわけです。  そうではなくて,もっと資産はあるのだけれども,その資産はなお静止的に見ても財産が残る場面でも過大評価があり得るということもあるのでしょうか。 ○山野目幹事 基本的な発想は,今,中井委員がおっしゃったとおりであろうと私も感じます。ただし,今までの論議の中で過大とはイコール債務超過であるという明瞭な議論をしてきたものでもないであろうと思います。債務超過というのは,御存じのとおり極めて倒産法的な文脈の中で用いられてきた概念でありますから,それをここに直結させることがよいのかというような留意に基づいて考えたときに,正に倒産手続との関係で何か問題が起きないのかというような点は,更に考究を深めていくべき事柄ではないかと考えます。 ○松本委員 私は資産と負債の額だけで比べるというのはあまり賛成できません。わざわざ条文を置くとすれば,その後の生活に必要な一定の資産が残る,その余剰部分についてのみ比例原則的には自発的な意思として責任を負わせても構わないのだろうと。それぐらいの積極的意味を持ち込まないと余り意味がなくて,それでは破産手続に移ればいいのではないかという話になってしまうと思いますし,破産のほうがまだ資産が残るかもしれないという逆転現象が起こってしまうのはあまりよくないのだろうと思います。 ○鎌田部会長 アとイと二つの提案があるのですけれども,基本的にはどちらでもいいという御意見ですか,支持派は。あるいは,両方並行して設けろという御意見なのでしょうか。 ○松本委員 私は,先ほど言いましたけれども,イだけではうまく働かないのではないかと。結局,裁判官に何が過大かの判断を任せるわけですから,過大になるということの評価ファクターをもう少し具体的に挙げたほうがいいのではないか。そういう意味でアとイは合体したほうが裁判官としてはやりやすいのではないかと思っています。 ○鎌田部会長 ある経営者が,例えば200億円の連帯保証人であったときに,任期満了で引退しても保証債務は消えないというのが最初の提案に関連して説明されていますね。これが引退した保証人の支払能力に比して過大だとすると,3のアに従って,今すぐに保証額を1,000万円まで減額しろというような請求をしたときに,その段階で減額の判決がもらえるという発想がアですか。 ○中井委員 それはないでしょうね。 ○鎌田部会長 あるいは,イのほうでいくと,経営者保証人が辞めて大分たってから企業が倒産状態になったときに,その保証人が300万円しか返せないとすると,その時点ではそこで止まるのだけれども,その後,子孫は代々債務を承継して,そろそろ100万円貯まりましたねというとまたそこで執行されていくというのがイの発想になるのか,その辺のところ,どういうスキームになるのか正確に理解しておきたいと思うのですけれども,すみません,山野目幹事,説明してもらえますか。 ○山野目幹事 主たる債務の債務不履行があり,それに伴って保証人に対する履行請求がされる,という具体的な局面を離れて保証債務の減免を論ずるということはおかしいのでありまして,松本委員はイだけが成り立つのは変だとおっしゃいましたけれども,私はアのみが成り立つことは変であると感じます。むしろイをもう少し細密化していって,今,部会長が御懸念のようなことについてもコントロールが可能な規律の細密化を図っていくべきであろうと考えます。   その際には,中井委員としばらく前に議論になりましたけれども,単なる債務超過と同じなのですかと言われると,そのような部分もありますけれども,今の部会長の御発言のような数額の事例もありますし,また,自由財産の99万円のみ残すという結果と同じなら倒産手続にすればいいのですから,そうではないようなことを考えなければなりません。松本委員がおっしゃったような保証債務の特質に即して,保証人の手元に財産が残るような規律を,イの発想を基本に育てていって導くことができるとよいのではないかというふうに感じております。 ○中井委員 部会長から御指摘のあった責任減免制度と比例原則の関係について弁護士会の中でも意見が分かれています。両方ともあればいいではないかという説と,これは両方が一つの仕組みとして統合される,統合される方向については責任減免型と比例原則型の両論があるように思われます。ただ,私としては,「私としては」と言ってもここは検討が十分できていないのですけれども,比例原則における二つの要件,つまり,保証契約締結時において過大であった,かつ,保証履行時において過大であった,この要件は非常に重要な示唆に富む要件だろうと考えています。   その結果として,保証履行時の請求の範囲をどこまでにするのかと考えていけば,ここの「全部無効説」については,弁護士会としてもそれは行きすぎだろうという意見が相当の割合でございます。もちろん「全部無効説」もあるのですが,それはさておき。そこを「一部無効説」を採るとすれば,今の結論における保証履行すべき責任の範囲を限定する論理としては,合体する方向に行くのではないかと私は思っています。履行請求する範囲が,そのときの資産の範囲に限る,若しくは将来収入から返済できる範囲に限るのか,なお保証契約という特質から一定の財産を残すことができるのか,これは今の山野目幹事から御指摘,また,恐らく松本委員が賛成する意見なのだろうと思いますけれども,そこは更に詰めて議論していただければと思います。そこがこの審議会の中でも一定の共通認識になって,最終的には裁判所が判断できる基準として定立できればと考えております。 ○松本委員 私の主張は,最終的な効果をどちらにするかということよりは,むしろ判断ファクターのほうにございまして,イの「過大」ということを単に資産と保証額との比較だけで決めるのは不十分ではないかと。そういう意味で,アに入っております主たる債務の内容とか,保証契約の締結に至る経緯その他,保証人の支払い能力は正にここにも関係しているわけですから,そういういろいろな要素を考慮した上で,過大かどうかを判断するのが公平な結論になるのではないかという趣旨です。 ○山本(敬)幹事 これは前から問題提起していたかもしれないことなのですが,今日の前半のほうにあった情報提供義務と同じような話になってくるのですけれども,暴利行為に関する規定を新たに設けるとするならば,それとの関係も明らかにしておく必要があるだろうと思います。どこが同じで,どこが違うのか,あるいは,完全に同じなのかという点で,イのほうは少なくとも客観的な要素のみが問題にされていて,経験の乏しさとか,知識の乏しさにつけ込むというような側面は入ってないようですので,その意味で違うということなのでしょうか。アのほうに関しては,「一切の事情を考慮して」ですので,全て入っているように読めるわけですけれども,暴利行為の規律が置かれても,それではカバーできないものを,一切の事情を考慮して保証に関しては減免するという形で考えるための規律だという位置付けになっているのでしょうか。 ○山野目幹事 松本委員がイの過大さだけでは判断の要素として狭く,イに記されてあるような発想でそれらも含め更に一切を考慮して判断すべきであって,それが公平であるとおっしゃっていました。最後に公平だとおっしゃったところに発想の特徴が象徴的に現われていると感じますが,それはバランス感があって常識的には思わず人々を納得させるものです。それと共に,その際には,私は山本敬三幹事がおっしゃったことが気になっておりました。   これを単なる政策として受け止め,保証人が過酷であるから制限しましょうという議論であると見るならば,「一切合切の要素を入れて総合的に考慮して,裁判所に全部お願いしましょう」でもいいのですが,もう少し理論的に考えてみたときに,なぜ保証債務の額に対する司法の介入があるのですかということの理論の説明を求められたときには,イの判断要素が出発点になっていなければいけません。つまりこれは,まず入口のところで過大であったというところで,それが過大であることそのものが直ちに意味することではありませんが,意思表示の瑕疵があったのではないかと窺わせる側面があるものであります。   それから,権利行使の時点で過大であるということは,暴利行為としての性質に近いという側面があるものです。ただし,意思表示の瑕疵の理論も暴利行為の理論も,それがそのままではここに当てはまってうまくワークしないということから,規律を設けましょうという発想で説明していくのだとすれば,イの判断要素を中心に考えながら,これのみと言い切るかどうかは政策的な要素も考慮しなければいけませんから,別かもしれませんけれども,そういうふうな説明の努力を欠いてはいけないのであろうと考えます。   その上で申し添えますと,暴利行為に関する規律を提案している第1の2との関係で言いますならば,あそこでは基本的な想定は二人の当事者が登場してきて,その間で行われる契約の場面での経済的な利益の交換等における窮迫や不均衡を考慮していると思うのですが,ここでは主たる債務者の窮迫も考慮に入ってくる三角形の複雑な状況になっているというところに差異が認められます。加えて,第1の2の提案の暴利行為のところは,恐らく一部無効論との対話を続ける必要はあると思いますが,基本的なイメージは今の規律の提案としても全部無効が基本的な効果としては想定されているものであろうと思います。また,初めから法律行為が無効であるという権利障害規定としての性質付けが想定されているであろうとも考えます。   それと,ここのイ,ないし,場合によってはアの規律はエスプリを共通にする部分はありますけれども,第1の2に任せきることができないような側面,簡単に言いますと,保証の特性として保証契約をした後の事情の推移を見ながら,暴利行為性等を判断しなければならないという側面があって,そのことの法律効果的な反映として,権利阻止規定として規律を考案していく必要が十分に考えられるものでありましょうし,一部無効論を正面から,むしろそちらが原則だと考えていかなければならない側面もあると考えられる部分があります。そうであるとしますと,第1の2の暴利行為との共通性も十分に認識しながら,ここの保証のところに特化した規律を別途,特例的な規律として設けましょうという検討は引き続きなさっていただきたいと考えるものでございます。 ○笹井関係官 先ほどからこのアとイの関係,それから,中間試案の前のほうに出てきます暴利行為との関係などが問題になっており,アとイを統合するという御意見もあったかと思います。ただ,このアとイが本当に統合できるような性質のものなのか。かなり発想を異にするようにも感じられまして,そのアとイについて統合の方向を探るのか,あるいは,どちらかを選択するのかという議論を今後していくに当たって,アとイの性格をもう少し明らかにしていただきたいと感じているところです。   と言いますのは,イにつきましては,先ほど山本敬三先生,山野目先生からありましたように,もちろん暴利行為そのものではなく,暴利行為から少し変わっているからこそ,ここで提案されているということかと思いますが,契約当時における過大性とか,そこから推断される意思形成過程の瑕疵に着目していることが感じられるわけですけれども,アは,少なくとも文言上は契約時点で何の瑕疵もなくてもこういう減免ができるように読めまして,むしろ請求時点における利益考慮が前面に出てきているものであるように思われます。つまり,契約締結段階における瑕疵がイの中では考慮されているように思われるのですが,アではそういうものではなく,結論部分の妥当性を直接的に指向している制度のように感じられます。   そういう意味で,これを統合していくというようなアイデアも先ほど出ていたのですけれども,本当にそういうことができるかどうか。また,アとイを統合するとして,どういうところで違いがあって,それぞれがどういう性質を持っている制度なのかというところをもう少し議論をしていただければと感じているところでございます。 ○山本(敬)幹事 補足的に問題提起だけをさせていただければと思います。   イに関しても幾つかの考え方がありそうであるということを,お話を伺っていて感じました。過大であるというのが,暴利行為では対価があるタイプの契約を考えていて,それで過大ということを想定していたのですが,保証の場合には,対価との見合いでの過大ということは語れませんので,特殊性があるのだろうと思います。しかし,それでも「過大」という言葉を使うことによって,暴利行為で問題になっている客観的な要素とつなげて,契約締結時における広い意味での瑕疵を取り上げて,それを具体化する。ただ,履行請求時に必ずしも過大でなくなっていれば効力を認めてもよいという形で,後ろの履行請求時点の要素が挙がっているのだろうと思います。   ただ,松本委員がおっしゃっている考え方は,間違っていればまた補足していただければと思うのですが,保証人の最低限の生活保障を図る必要があって,それが「過大」の基準であるとしますと,考えようによっては締結時にその意味で過大でなくても,履行請求時に過大であれば,保証人の最低限の生活保障は図れないわけですので,履行請求を認めないという評価が出てきてもおかしくないのではないかと思います。その意味では,イに関しても,合意成立時での瑕疵をつかまえるのか,それとも保証人の生活保障等を考えるのであれば,むしろ後ろの履行請求時に重点が行く。そうすると,必ずしも合意成立時での瑕疵を要件にしなくてもよいという判断が出てくる可能性がある。そうすると,アに接続していくことになるのかもしれないと思いました。   ですので,「過大」の意味についての最初の議論がイの趣旨ともつながり,場合によってはやはりアとイは違うのだということにもなるかもしれません。しかし,場合によってはイとアが統合されていく可能性もあるかもしれないと感じました。評論家のようになって申し訳ないのですけれども,そのような印象を持ちました。 ○鎌田部会長 効果の面ではどうですか。債権消滅型なのか,履行一時抑止型かという点でも,アとイは全く違うようにも見えるのですけれども,どちらの……。 ○山本(敬)幹事 私は別にこの考え方を採っているわけではないのですけれども,イについて,特に履行請求時での保証人の生活保障という考え方を採りますと,必ずしも無効ということにとらわれる必要はないかもしれません。履行請求の制限問題として捉えていくことになるかもしれないと思います。ただ,成立時での瑕疵問題であるとすると,もちろんこれも必然ではないのですけれども,無効判断につながっていきそうです。アに関しては,減免の意味をどう捉えるかという点がオープンになっていますので,様々な理解が可能なように感じましたけれども,いかがなのでしょうか。 ○道垣内幹事 山本幹事がおっしゃった分析に賛成なのですが,結論には必ずしも賛成ではないかもしれません。自分の立場もよく分からないのですが。と申しますのは,アとイの関係で,イで履行請求時において過大であるということが要件になっていると考えると,それによって生活が破壊されるのだからアと同じで,契約の締結過程はともあれ,保証人の生活を破壊するような履行請求は保証契約においては認められないのだと考える。そうするとアに該当するのですが,それは金融機関とかの債権者の側では対応のしようのない問題なのですね。では,イは何なのかというと,債権者は保証人との間で,保証人にとって過大な債務を負わせるような保証契約を締結しないようにしましょうという行為規範であり,その意味では,履行請求時に過大であったということを要件にする必要は逆にないのだろうと思います。   分析は山本幹事のおっしゃるとおりなのだけれども,結論が違うかもしれないと申し上げたのは,もしそういうふうに考えるのならば,イというのは全然別のところに,条文的に言えば最初のほうにあって,保証契約を締結するに当たって債権者,保証人の資力との関係で過大な保証債務を負わせてはならないと。負わせた場合には,無効であるとか,あるいは,減免でもいいかもしれませんが,であるという規律になる。そして,もう一つは,結果として,保証人が酷になる場合には減額されますよ,そういうふうなリスクを含めた契約なのだよねという話は別個に置いておく。こういうふうに整理すべきではないだろうという気がいたします。 ○佐藤関係官 今の御議論をお伺いしていて,一点だけ気になったところがあったのでコメントさせていただきます。   正に「過大」という意味なのですが,イの中では,「過大」というのを,契約締結時に過大,また,履行請求時において過大と,二回出てくる。私が今思った例として,いわゆる企業の立ち上げ,創業融資のような場面というのは大体契約締結時においては過大であるのが通常ではないか。もちろん例外はございます。これはひょっとしたら文言の問題であるかもしれませんが,融資をする立場からみると,確かに経営者,ここでは仮に代表者といたしまして,代表者に財産はないけれども,技術力があるとか,あるいは,過去の営業実績があると。それで事業の立ち上げの場面において,別の言葉を使えば,事業計画がそれなりに信用できるので,財産,あるいは,信用状況に照らして過大であっても,保証を付することによって融資をするという場面が考えられると思います。そこにおいて疑問とか錯誤的な要素はあまりないと。そこがまず一点気になったところでございます。   もう1点はちょっと瑣末なところなのですが,二回「過大であった」とあり,最終的に過大な部分の履行を請求することができない。この「過大な部分」というのは,今の創業時融資の考え方に照らすと,契約締結時における過大というのは相当程度過大な部分,それを全く請求できないとなると,当事者間の公平というところでいいのかな。今,私の申し述べた例でいくと,「履行請求時における過大な部分は請求できない」としたほうが公平にかなっているのかなと思った次第です。 ○鎌田部会長 おっしゃるとおりで,イのほうは今おっしゃったような状況が典型的に両方の過大さを要件としなければいけない場面だと思っています。   先に潮見幹事から。 ○潮見幹事 先ほど笹井関係官がおっしゃったことに対する私なりの理解なのですけれども,基本的にここで扱っている問題には,民法の一般法理でいった場合には契約締結時の暴利行為を理由とする無効というルール,それからもう一つは,契約締結後の事業変更による履行請求権の縮減,こういう二つの問題がこの中に入ってきていると思います。他方,そういうものを判断する要素として,いわゆる債務の内容,契約の内容を専ら基準として,無効,あるいは,請求権の縮減を判断するのか。それとも,それ以外の契約の締結過程に起きた様々な事情とか,あるいは,履行請求権の縮減の問題を考える場合には,契約締結後に生じた様々な事情を考慮に入れて枠組みを立てるのかといったところの問題もあると思います。   その両方の問題をどういうふうに組み込んで考えていくのかということを捉えるに当たって,先ほど「統合」とおっしゃられましたが,統合した場合には債務の内容,契約内容プラスアルファのものを含めて,両方の側面,つまり,無効という場合と縮減という問題と両方考えていくことになって,恐らくその場合には,仮に暴利行為を理由とする無効の規律ができるのであれば,あとは縮減のほうの問題についてある程度の規定を設けておけば足り,あるいは,仮に暴利行為無効について保証の場合にも規定を設けたいということであれば,それは確認的なものとして理解をすれば足ります。   問題は,統合という形で処理していいのかというところではないかと思います。私が誤解していたのかもしれませんけれども,イで挙げているのは,契約締結過程の問題なのか,諸般の事情などということをおよそ考慮に入れずに保証債務の内容に照らして考えたときに過大であれば,その場合には無効を認め,場合によっては縮減も認めるというものです。これは締結時に存在していたのか,請求時に存在していたのかによって変わってくる。それに加えて,アはそうした債務の内容に特化しなかった形ですね,諸般の事情全てを考慮に入れた場合に,今言ったような締結時にこれは暴利行為的だと考えるのであれば無効となる。そうではなくて履行請求時に駄目だということであったら縮減となる。このような形かなという印象を受けたのです。   その意味では,仮にア又はイという形で考えるのではないのであれば,今申し上げた締結時と履行時と請求時と,それから,何を基準にして考えるのかというところで仕分けをして,組み直して,さらにそれが確認規定なのか,創成的なものなのかというところも明らかにした上で論ずべきではなかろうかと思いました。ちなみに,「過大」ですけれども,先ほど山本敬三幹事のところで少しお話が出ましたけれども,ここの部分で,もちろん生活保証のための過大というのもあるのでしょうけれども,先ほどの中井委員の発言を踏まえた場合には,恐らく人的担保としての保証人の持っている財産とか収入に照らして,過大かどうかという観点から考えていくのがむしろ適切なのではないかと思った次第です。個人的には統合しないほうがいいのではないかと思います。 ○松本委員 佐藤関係官の御発言なのですが,イというのは債務者の資産と債務の額を比べているわけではなくて,保証人の資産と保証債務の額を比べて,過大かどうか比例を考えているのだと思います。そこで,債務者の資産も考慮に入れた上で保証債務の減免を考えると,債務者に資産がないから保証人を立てているのだとすれば,保証制度が成り立たなくなってしまうのではないかと思います。   それから,アとイの関係ですが,私は何回も言っていますように,過大かどうかが一律に決まるのであればアとイを一緒にする必要はないのだけれども,一律に決められないのではないか。保証人のおかれたシチュエーションによってどれぐらいであれば過大というのかが変わってくるのだとすれば,過大の有無を評価するためのファクターとして,単にある時点における債務額と資産額だけでは決められないのではないか。そういう意味で,アに挙がっているいろいろな要素が入ってくるのではないかということなので,アを別途,独自のものとして残しておくことはやっても構わないと思うのですが,イを判断するに当たってアに挙がっているファクターも考慮せざるを得ないのではないかという趣旨です。   それから,効果については,単なる抗弁として請求を止められるというだけでは紛争を後々まで引きずって,子孫まで相続において残るというあまり適切だと思いませんから,どこかで切ってしまうと。つまり,債務が減額されるあるいは消滅するということにしたほうがいいのだろうと思います。今,資産がないからもうちょっと待ってくれという,保証人に保証債務の履行猶予についての抗弁を認めるというのでは不十分ではないかと思います。 ○鎌田部会長 佐藤関係官がおっしゃった最初の点は,例えばベンチャー企業の立ち上げのときに経営者が経営者保証をしている。経営者自身に資産はないのだけれども,それが大当たりすれば経営者自身も財産を持つようになると,そういう場面を想定されているのですね。 ○佐藤関係官 そういう場面です。 ○鎌田部会長 そのときに,当たらなかったときは権利実行時に資産がないということになるのだけれども,最初の契約締結時にリスクを引き受ける根拠がなかったということを前提にしないと,保証人が困るからというだけでは権利行使を抑制できないというので,締結時の要件も書き加えている。それがイの構造ではないかなと個人的には理解していたところですが。 ○松本委員 失礼しました。そういうシチュエーションを議論されているということであれば,もちろん話しは別です。資産のない経営者が会社を作って何かやる場合に,第三者保証ではなくて,そういう経営者保証で,経営の規律維持ということだけでいいのだということで金融機関が積極的にオーケーするのであれば,それはそれでワークしているわけだから,問題ないと思います。金融機関としてそれで融資をするのであれば,有望なベンチャーは別にエンジェルを必要としないということになりますね。 ○能見委員 議論はほとんど出尽くしているのだろうと思いますけれども,アとイとの関係なのですが,賠償額の予定についてもそれが過大な場合に規制するということになると,それとの関係,そしてまた,暴利行為との関係などが私も気になっておりまして。賠償額の予定の場合の規律と保証の場合の規律を比較しながら考えていくと,賠償額の予定の規制は,アとイとの関係で言えばイのほうだろうと思うのです。ですから,保証の場合に特徴的なのは,アのような規律を設けるかどうかという点にあります。その点が賠償額の予定とは違うなという感じがいたしました。   結論としてどうしたらいいのかという点については,まだ私も定見がありませんけれども,保証の場合には,賠償額の予定とは違って,イのような規律,すなわち過大性を考慮する規律だけではなくて,いろいろな事情を考慮するアのような規律が別個独立にあっていいと思います。そういう意味で,私はどちらかに統合するのではなくて,アとイを併存させておくほうがいいのではないかという考えでおります。   それから,先ほどから問題となっている「過大」の意味の問題ですけれども,「過大」をどう考えるか。中身としては松本委員が主張されていることに賛成ですけれども,それをイの規律の中でうまく取り込むことができるのかどうかということに関しては,保証というものの特徴,あるいは,あるべき保証というものの考え方から,単に資産との関係だけで過大性を考えるのではなく,生活費が残らないような額の保証は過大であると考えることができるのではないと思います。その意味で生活費も残すような基準を,私としてはイの規準の中に読み込んで過大性を判断するのがいいのではないかと考えます。   それから,佐藤関係官が言われた点は,ちょっと特殊な場面を想定したもので,一般的な枠組みがうまくそういう場面に機能するかどうかという問題だと思います。事業などの立ち上げ時における特殊な状況というか,立ち上げ時におけるある種計算された状況というのでしょうか,そういう場面は,そういう特殊事情を考慮して「過大」性を判断すればよいのではないかと思います。すなわち,企業の立ち上げ時には多少無理をして資金を調達する場合もあって。だけど,うまくいけば十分投下資金を回収できる。そういう意味でのある種の計算がある場面ですので,それをどういう枠組みで判断したらいいか分かりませんけれども,そういう状況での保証については,初期の一時的なものであると考えて,過大でないという判断をすることになるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 それでは,山本和彦幹事,深山幹事,そして大村幹事の順で。 ○山本(和)幹事 手続法的なコメントですけれども,8ページの(3)のアの構成の場合のどういう手続で減免になるのか,権利関係はどのようにして変動するのかということですが,アをそのまま読めば,何らかの要件があって減免という効果が発生するということであれば,要件が一般条項であってもその要件,事実を満たした時点で減免の効果が発動するということなのでしょうが,アを読む限りはそういう要件も一切なくて,裁判所が判断するということですから,減免,権利関係の変動は裁判所の裁判によってなされていると考えざるを得ないのではないかと。   要件もないわけですから,普通に考えれば非訟事件なのでしょうけれども,これは権利関係,保証債務の減免ですから,非訟事件だと憲法違反になるのではないかという気がしますので,やはり訴訟。そうすると形成訴訟と。要件がないとすれば形式的形成訴訟ということになっていくというのが素直かなと思います。そうだとすれば,保証人は反訴を起こしてその権利の減免を求めると。そういうような構造になるということかと思います。   あるいは,もう一つの考え方としては,保証人の権利減免請求権みたいなものを形成権として考える。ただ,これも要件が決まっていませんので,その形成権は裁判上でしか行使できないようなものであると。否認権がその例ではないかと思いますけれども,そういう特殊な形成権として構成して,保証債務の履行請求権に対して形成権を行使して対抗するということは考えられるのかなと思いました。私の理解でこの手続はどういうことになるかというのはそういうことです。   それから,9ページの(4)で倒産手続との関係が書かれているのですが,ここの御質問の趣旨というか,事務当局のあれがよく理解できなかったのですが。倒産手続の開始原因を充足しないという事態が生じて,そうだとすれば倒産手続を通じて経済的更生を図れなくなるということがどうかという問題なのですが,倒産手続の開始原因を充足しなければ支払不能ではなくなるということですよね。そうすると,倒産手続を使わなくても経済的更生を図れているのではないかという気も直感的にするのですが,もう少し深い意味があるのかなという気もしたのですけれども,もう少し敷衍していただければと思います。 ○笹井関係官 ここは倒産手続との関係でいろいろ問題点もあろうかと思いますので,その点を総合的に検討する必要があるのではないかという趣旨です。現在では,基本的には契約当初に合意された全額についての保証債務をそのまま負担するということになるので,それを考慮して,支払不能であれば倒産手続を利用すると。その結果として,全体として債務を減免するなり免責がされるなりということで,経済的な更生が図られていくことになるのだと思いますけれども,この比例原則が導入された結果として,保証債務が減免される結果,支払不能でないということになると,現在との比較で言えば倒産手続を利用することができなくなる。その結果,経済的な更生を図る手段のうちの一つの選択肢が失われることになってしまうのではないかというのが一つの問題意識です。   更に言うと,何人もいる債権者の中で保証債務だけが減免されるという結果の部分だけをみると,ほかの債務が減免されないのに保証債務が減免されるという意味で,ほかの債務に対して劣後しているということもあります。それはここには直接書いてないのですけれども,そういった扱いの当否も問題になってくるのではないかと考えております。 ○山本(和)幹事 後者の問題は私も正しく問題としてあると思います。先ほど来議論されている,この制度が何を目的としているかということによると思うのですけれども,一種の暴利行為的なものだと,そもそも悪いものだと捉えるのであれば,倒産手続の中でもそれは減免されて,配当が少なくなってもしかるべきだという感じはしますけれども,債務者の生活保証のために減免するのだとすれば,破産のときは債務者は自由財産を残して全て投げ出すと。いずれにしてもそういうことになりますので。そうであるとすれば,あとは債権者間の配分の問題ですから,そのときにまでなぜ減免することになるのかということは,あまり合理的な理由はないという議論はあり得るのかもしれない。だから,その場合に倒産手続の場合でもなお減免というものを維持するのかどうかは確かに一つの問題になり得るかなと思います。 ○深山幹事 一つ前まで議論していたアとイの関係についてですけれども,アとイというのは,議論の経過も内容的にも違った側面を持っている規律だろうと思います。したがって,それぞれ別個に検討して議論すべきだと思うのですが,イのほうが適用場面はかなり絞られている場面を想定していると思います。そもそもイの場面というのは,元々の契約締結当時に既に過大であったという場合です。何をもって過大とするかという問題はありますけれども,保証債務の内容,特に保証債務の金額が保証人の財産・収入に照らして過大である場合,そこが出発点になって,その場合には全部なり一部なり請求できないという効果が発生します。   履行時の過大という点は,履行時に過大でなくなっている場合は例外として外れますよというのはありますが,出発点として,契約締結時に保証債務が過大であるという場面に限られた規律なのだと思うのです。逆の言い方をすれば,契約締結時に過大でなければ,後々の履行時に過大になってもストレートな適用場面ではないのだろうと思います。それはそれで,元々,保証契約を結ぶときには過大な負担を負わせるような保証契約はしてはいけないのだという一つの価値判断がそこにあって,それを肯定すればこういう規律はあり得るのだろうと思います。   それに対してアというのはもっと幅広い視野に立った議論で,ここにあるように締結に至る経緯やその後の経過等々,正に一切の事情を考慮してということなので,いろいろなファクターを考慮して,実際に問題になるのは,履行請求時にそのままその金額を請求するのは妥当でないと判断されたときに全部なり一部を制限するということで,そこでも保証債務の金額が資力あるいは資産に照らして過大だということは大きなファクターにはなると思うのです。そういう意味で言うと,イの部分もアの一側面として含まれているという言い方もできると思うのですが。   破産するほど過大ではない,しかし,元々の保証契約の締結の経緯なり趣旨に照らしてこのような金額を保証するとは考えていなかったというような場合,例えば100万円の融資で非常に高利だったので何年間も放っておいたために遅延損害金が膨れ上がるというような場面とか,もっと分かりやすい例を考えれば,アパートの賃貸借の賃借人の保証人になって,せいぜい賃料何年か分の債務が可能性として発生するということは想定できていたものの,使い方が悪くて火事を起こすなり水漏れ事故を起こすなりして,建物自体を毀損してしまったようなときに,その損害賠償債務まで賃貸借契約上の債務ということで保証するという事態が起きた場合とか。   保証債務の特殊性だと思いますけれども,契約時に想定し難かった,不可能とは言いませんけれども予想することが難しかった債務を保証人が負う事態があって,そのぐらいのことは想定し得たという場面であればともかく,およそ想定し得なかった,あるいは,それを想定しろというのは酷であるような場合に,資力的に見て破産することにはならない,たまたま資力がある人だったとしても,保証の趣旨から考えて,あるいは公平とか正義という観点から考えて,請求額を減免すべき場合があるのではないかという議論ないし考え方というのはあり得るような気がするのです。   そういう意味で言うと,先ほど来「過大」のところが債務超過という切り口で議論されていましたけれども,そういう基準だけではなくて,元々保証契約でどこまでの負担を引き受けたかというような観点から制限される場面,そういう切り口の議論もあるのではないかという気がします。結論としては,アとイはかなり違った側面を持っている議論だろうという気がいたします。 ○大村幹事 皆さんおっしゃったことで付け加えるまでもないのかもしれませんけれども,アとイの関係については,今の深山さんや,少し前の潮見さんもそうだったと思いますし,能見先生もそうかもしれませんが,区別して考えるのがよろしいのではないかと思います。そのことを前提にして,アとイだと,どちらが認めやすいかというお話もありましたけれども,私自身はイのほうが認めやすいと思っております。イのほうを認めるというときに,効果の話は別にして,要件がこれでいいのかどうかを考えますと,アに入っている要素を統合するというのではなくて,アの中に事実上出ているものが必要ではないかという形で検討することはあってよいと思います。   先ほど山本さんや山野目さんから暴利行為の規定と対比した場合にどうかという話が出ておりましたけれども,今のイのままでは,緩和された主観的な要件と言われているものが保証契約であるという,定型的な一事項だけに依存する形になっています。これは一つの考え方ではありますが,果たしてそれで大丈夫なのかどうかということも含めて,まずはイを検討し,イが認められるとして,さらにアを認めることができるかという形で議論することになるという印象を持っています。 ○岡崎幹事 アとイの関係以外についての発言でもよろしいでしょうか。今日の御議論を伺っていまして,減免の問題,比例原則の問題について,論点は三つぐらいあり得ると思いました。   一つ目は,理論的な根拠は何かということで,これは先ほど多少議論があったところだと思います。   二つ目は,中間試案は,幾つかの考慮要素を挙げているわけですけれども,これらの考慮要素の認定の問題があると思います。保証契約を締結する際に金融機関がある程度情報収集をしているとは思うのですけれども,例えば,保証人が,保証を付することによって,融資を得させたいと考えて,自己の資産を大きく見せたところ,実際にはそれほどの資産がなかったときに,それほどの資産がないとの主張をすることを許すかという問題があり得るかと思います。また,一旦判決によって減免等がされた後に新規の財産が見つかったときにどうするかというややこしい問題もあると思いました。   三つ目は,これが一番大きな問題であると思っているのですけれども,考慮要素をどのように組み合わせて判断するかという判断基準の問題です。これまでにも議論がありましたけれども,判断基準を明確に示すことは極めて困難ではないかと思います。少なくともどの辺りに重点を置くかということに関して,当面の間は裁判官によってかなりバラツキが出ることは必至であると思います。そうなると,金融機関側にとっても保証人側にとっても,極めて予測可能性を欠くような事態がしばらく続くことになるのではないかと思われます。   また,そういう状況ですと,保証債務履行請求訴訟の中で,ほぼ常にと言っていいぐらいの頻度で,保証人の側から抗弁が出てくることになるのではないかとも思われます。そのような事態が果たして生じることになるのかどうかというところが,我々から見ると非常に関心の強いところです。いろいろ申し上げましたけれども,判断基準について,誰が判断しても全く同じ結論になるようにというのは無理かもしれませんけれども,大筋このぐらいになるという予測がつくような文言をつくることができるのかどうかが最大のポイントになるのではないかと思いました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   残りの時間が大分少なくなってまいりましたので,恐縮ですけれども,次に進めさせていただきます。「第2 弁済による代位」について御審議を頂きたいと思います。   事務当局から説明をしてください。 ○松尾関係官 法定代位者相互間の関係を定める民法501条の規定の在り方については,中間試案のたたき台についての審議の過程で,ある債権の額の一部を保証又は物上保証をした者と,その債権の全額を保証又は物上保証をした者との間で,その負担の差異が代位割合に反映されないという問題があるという点のほか,根保証や根抵当権の存在を意識した規律内容になっていないという点について問題提起がされました。今回の部会資料は,特に前者の問題提起に対応するために民法第501条第3号から第5号までを改める場合の一つの具体的な考え方を示した上で,改正の要否についての議論の再整理を試みるものです。   本文1は,共同保証人間の代位割合について,保証人が主債務の一部のみを保証する場合であっても,主債務の全部を保証する場合との負担の違いが代位割合に反映されないという問題を解消する観点から,保証債務の額に応じた割合とする規律を設ける考え方を取り上げるものです。   本文2は,物上保証人間の代位割合について,各財産の価格に応じた割合とする民法第501条第4号を基本的に維持しつつも,本文1と同様の問題意識から,財産の価格が被担保債権額を上回る場合には,被担保債権の額を基準とすることとして改める考え方を取り上げています。   本文3は,本文1及び2の考え方を前提として,保証人と物上保証人との間の代位割合を,数に応じた割合とする民法第501条第5号を改め,保証人については保証債務の額を基準とし,物上保証人については財産の価格又は被担保債権額のいずれか低いほうの額を基準とした上で,これらの基準に応じて代位割合を決する考え方を取り上げています。   本文4は,今回の本文1から本文3までの考え方を前提とすると,二重資格者の取扱いについてのこれまでの判例法理や学説がそのまま妥当しなくなると考えられることを踏まえて,二重資格者の負担を代位割合に反映させるという新たな考え方を取り上げたものです。   本文2のように,物上保証人相互間の代位割合について,相互の負担の違いを代位割合に正確に反映する立場を採るのであれば,物上保証人が担保を設定した財産にほかの債権のために優先する担保が設定されている場合には,その優先する担保によって担保権者が弁済を受けるべき額を基準として代位割合を決するのが合理的であるとの考え方が主張されていますので,本文5ではこの考え方を取り上げています。   本文6及び本文7は,基本的に中間試案と同様の考え方を採るものです。   なお,本文の考え方のほか,補足説明においては,本文の別案として,本文1及び本文5のみを採用した上で,保証人と物上保証人との間の代位割合に関して,民法第501条5号の規律を維持し,かつ,二重資格者は保証人一人として扱うこととする考え方も取り上げていますので,この考え方の当否についても御意見を頂ければと思います。   説明は以上です。 ○鎌田部会長 ただいま説明のありました部分について御審議を頂きます。御自由に御発言ください。 ○松岡委員 ちょっと長くなりますけれども,よろしゅうございますか。できるだけ手短に申し上げます。まず改正する必要性の話は是非最初に押さえておいた上で,大変たくさんの内容の御提案があるのですが,3点に絞って意見を述べます。   まず,第2読会の最終段階になってから,本日再配布していただきました提案を私からいたしました。それは時期に遅れた感があったわけですが,この問題は最終的に負担をするべき債務者から求償ができない場合,その無資力危険の負担をどうするのかという実務上も極めて重要なものであることから,中間試案の補足説明でも取り上げていただきまして,更に今回検討する機会を設けていただいたことを御礼申し上げたいと思います。   この問題に関する規律は比較法的に見ても整っているところはかつてはありませんでした。120年前に現行民法が起草されていた時点では,こういう形で501条をまとまった代位の調整の規定として置いて,特にその5号で保証と物上保証の関係をも定めるのは,正しく世界最先端の規律だったと思われます。しかし,この5号は法典調査会での問題提起を受けてわずか4日間で案が作られております。詳しくは参考資料として今日配布していただきました拙稿の355ページ以下に例を挙げておりますように,根本的な問題点が含まれておりました。その上,先ほど御紹介がありましたように,現代では普通に見られる根保証あるいは根抵当,一部保証,こういうものが全く視野に入っていない規律になっております。120年後である今日この規定を維持すればよいという判断はおよそあり得ないと私は感じています。   ただ,問題は,現在でもお手本となるような規律は世界的に比較法的に見て見いだしにくい状況にあることであります。参考資料で検討したヨーロッパの共通参照枠草案はあるのですが,複雑すぎて使いにくい基準となっております。今回の御提案には,後で二,三点申し上げるような問題が残っておりますので,直ちに全面的に賛成というわけにはいかないのですが,この問題を再検討する大きな一歩となっていると思います。残された時間が限られておりますので,どこまで詰めることができるかが問題ではありますが,先に申し上げたように改正は恐らく不可欠だと感じておりますので,できるところまで粘って考えたいと思います。以上は必要性の点についての長い前置きで申し訳ありません。   3点と言いましたその1つ目は,課題として申し上げたいことで文言についてです。中間試案もそうですけれども,この御提案も現行法501条の表現を基礎に置いて書かれています。しかし,そもそも現行法の表現には規律の中身が非常に分かりづらい点で問題があります。最終的な責任を負うべき債務者ではない保証人,あるいは,物上保証人は,債務者が無資力の場合には自分が債務を弁済したり,担保権が実行されても求償ができないことがあります。501条はそのような場合に,代位の調整という形で各人に負担を公平に分配するための基準を定めています。判例学説の一般的な解釈によりますと,基本的な考え方は,各人の負担部分を定めて,それを超える負担を弁済したり実行された者が,ほかの者に対してこれまた各人の負担部分の限度でもって,債権者に代位して権利を行使するというものとなっております。   ところが,現行法の規律の表現はとてもそのような内容を適切に表現しているとは思えません。本日の御提案の1を例にとって恐縮ですが,この表現でいきますと,保証債務が大きいほど代位できる額が大きいと普通は読めてしまうわけであります。回りくどい表現ですが,誤読されないようにしますと,「保証債務の額に応じて負担部分を定め,自己の負担部分を超える額についてほかの保証人の負担部分の限度で債権者に代位する」,こういうふうに表現しないと駄目だと思っております。2以下も同じであります。仮に以下申し上げるように実質的な内容を改正する案が時間切れでまとまらないといたしましても,少なくとも現行規定は国民に分かりやすい規律にはなっていない,ほど遠い状態でございますから表現ぶりの修正は是非御検討いただきたいと思います。これが1点目でございます。   2点目は物上保証人及び第三取得者に関する規律についてです。今回たくさん御提案いただきまして,担保目的財産の価格という基準については,392条の判例学説を踏まえて「先順位担保権者の担保部分は除く」という提案をしていただいております。これには全く賛成でございます。その場合,更に共同抵当の場合の負担割付まで考慮しておりますので,私がかつて行った提案よりもより精密になっております。それから,現行法に規律されていて異論がない,少なくともその理解が相当定着していると思われる提案が6,7でございますので,これらについても賛成でございます。   若干問題があってちょっと引っ掛かるのは,例外として括弧書きで入っている「財産の価格よりも被担保債権の額が低いものにあっては,被担保債権の額」という基準であります。第1に,この13ページの御提案の御説明は確かに一理ございますし,一部担保の場合の問題を解決することもできます。しかし,ちょっと気になるのは,共同抵当の場合に残余の担保価値を判断する基準として基本的には価格比という負担割付をしておりますので,392条とこの括弧書きの例外ルールが整合しない結果となるのではないかというおそれを抱いております。   早口でしゃべると訳が分からないと思うので恐縮ですが,一応準備した例を申し上げます。共同抵当の目的となっている,甲不動産が4,000万円,乙不動産が2,000万円,被担保債権額が3,000万円という場合を考えます。両不動産がともに債務者から第三取得者に譲渡されたということになりますと,御提案では負担割合は価格割合ではなくて,甲不動産が被担保債権額を基準に3,000万円になり,乙不動産は2,000万円ですから,2:1ではなくて3:2になります。現行の規定の価格比ですと2:1になります。こういうふうにずれてきますと,例えば一方の不動産に第三取得者が登場し,他方に後順位抵当権者が登場したという場合,392条になるのか501条になるのか,どちらの基準で処理されるのかによって,残余の担保価値の判断が異なってしまうのではないかというおそれを抱いてします。   積極的なことを申しますと,私は今日再配布していただいた案で極度額を基準とするという提案をしていたのですが,「極度額を直ちに基準とするのではなくて,極度額で上限を画された被担保債権額を基準とする」と,16ページに記述していただいております。この御提案はそれまで私が全く思い付かなかったもので,共通参照枠草案の基準であるとか,私が申し上げていた提案よりも問題処理の基準を少なくとも単純化することができるので,極めて興味深いアイデアであります。ただ,こういう規律を持っている外国法制を少なくとも私は全く知りません。これで本当にうまくいくのかという不安が若干残ります。しかし,今のところは,先ほど申し上げた392条との関係という問題を除いては,大きな難点は余り見当たりませんでしたので,差し当たりこの案を詰めて考えるのが一番よいのではないかと思っております。したがって,提案には積極的に賛成とまで言いませんが,前向きにもう少し検討したいと思っております。   それから3点目に,一番気になって嫌だなと思っているのは,保証人と物上保証人を兼ねる者がいる場合の4番の御提案についてです。既に意見書で概略を申し上げましたし,詳しくは本日配布していただきました参考資料の論文の前半部分でかなり事細かに検討しておりますので,ここではその詳細を繰り返すことはいたしませんが,昭和61年の最高裁判決のいわゆる「頭数一人説」には理論的にも実践的にも大きな問題が多数あります。一番簡単なのは「頭数二人説」だと思います。それゆえ私は従前から頭数一人説をそのまま条文化することには強く反対してまいりました。   ただ,御提案の4は,頭数一人説を維持しながら,負担割合の決定基準のほうを変えることで,その不合理な結果を解消できる,ないしは,緩和することができる可能性を指摘していただいております。これはかなり魅力的な考え方ではあります。しかし,恐らくは塚原朋一判事の責任競合説と呼ばれる考え方を基本に置いておりますので,責任競合説にあてはまる問題は残ります。何よりも従来誰も主張していない考え方なので,本当にこれでうまく整合性のある結論が達成できるのか,私は非常に不安に思います。   取り分け,抵当目的不動産が譲渡されて資格兼任者が新たに生じたり,逆に資格兼任者が抵当目的不動産を譲渡して資格が分裂してしまったという場合,一人説ではどう処理しても絶対に矛盾が生じると思います。そういうわけで,一人説を前提にし,かつ,全く新しい,誰も主張したことがない,どうなるかよく分からない基準には直ちに全部賛成とは申し上げにくいと思います。基本的にはかなり工夫をしていただいて,現行法のままよりははるかに前進しているとは思うのですが,全面的な賛成というわけにいかず,留保ないしは更に検討の必要性があることを申し上げたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。ほかに。  中田委員,どうぞ。 ○中田委員 今回の御提案,更に松岡委員の御論文は非常に緻密に考えられていて,この問題を解決するために重要な御提案だと思っております。また,松岡委員が先ほどおっしゃった表現を分かりやすくするというのは全面的に賛成でございます。その上で,今回の御提案,あるいは,松岡委員の御論稿について若干お教えいただきたいところがございます。   一つは,保証債務の額,あるいは,物上保証人の財産価格又は被担保債権額をどの時点で決めるのかということです。例えば,保証人A,保証人B,物上保証人Cが時間をずらして登場した場合,しかも,その間に債務者が少しずつ弁済をしていたという場合に,Aについて考えると,Aが保証した時点なのか,Bが登場した時点なのか,それとも最後のCが登場した時点なのか,それとも誰かが弁済をして代位が生じた時点なのかということです。   負担額などを代位割合に反映させるとすると,当初負担を負った時期というのが一つ考えられるのですけれども,その後で別の人が現れたとして,その人たちとの公平を考えると最後になるかもしれない。特に残債務は債務者の弁済によって変動していきますので,非常に複雑になっていくのではないか。DCFRは基準時を設けていますが,それに対して松岡委員は必ずしも固定的にすべきではないのではないかと御主張になっておられます。それも分かるのですが,それでは一体どうやって考えたらいいのかということをお教えいただければと思います。   それから,二番目に,一部保証について今回の御提案で出ているのですが,一部保証といっても内容が幾つかあるわけです。主債務のうちの一定額までの弁済を担保するというタイプもあれば,主債務に残額がある限りその額までは保証するというタイプもあれば,主債務に残額があるとその残額の一定割合を保証するという割合保証もあります。そのうちのどれを基準にするのか,あるいは,保証契約によって定まったものが対外的にも基準となるのかどうかということについて,お考えがあればお教えいただきたいということでございます。   三番目は結論の妥当性という点です。実際には一部保証というのはあまりなくて,全部保証が圧倒的に多いのではないかと思います。特に,個人保証人の場合には全部保証が通常だろうと思います。そうしますと,今回の御提案は結果としては保証人の責任を重くする方向になるのではなかろうか。15ページから16ページにかけて幾つかの例をお示しいただいておりますけれども,本文にしても本文の別案にしても,中間試案よりも保証人の責任が重くなっているということです。   もちろん,債務全額を保証したのだから一定の財産を担保として提供した者よりも負担が大きくてしかるべきだという考え方は十分あり得るのですけれども,保証人の実態を考えると果たしてそれがいいのかどうか。特に,先ほど来,出ております個人保証人の責任の軽減ということとの関係で,どのように説明をすることができるかが課題かと思いました。ただ,私は全面的に反対しているわけではなくて,この方向で詰めていくとしても,今のような点は検討する必要があるということでございます。 ○松岡委員 全部明快にお答えすることは困難ですけれども,分かる限り考えるところをお話します。   基準時の問題は結構難しいです。参照した共通参照枠草案ですと,最終的に代位が問題になる当事者が全部そろった時点というのが基準です。しかし,その後に減免があったり当事者が変わったりすると,本当にそれでうまくいくのかというのはよく分かりません。しかも,現行の日本民法392条は,担保実行時を基準に担保の価格を定めておりますから,それと共通参照枠草案の基準時を採用するのは整合性の点で難しいです。   そういうことから,今のところ,代位が問題になる当事者が全員揃っていて,その誰かが代位が問題になる弁済をした時点を基準時と考えております。それ以前に,当事者が違うときに一部弁済されたとすると,そこで別途代位が考えられ,代位が終わってしまったことを前提に,更に今の別の時点では別の代位が問題になるというので,数回弁済があったりしますと,それぞれの代位について,弁済がされた時点で判断せざるを得ないだろうと考えております。それが一番目の基準時のお答えですが,御提案いただいた際にどうお考えになったのかについては,後で松尾関係官からお答えいただきたいと思います。   それから,一部保証にも多様なものがあるというのは御指摘のとおりで,ここは十分考えを詰めていなかったところであります。一部保証の場合に保証した額を限度において支払責任を負い,残額が残っている限りは払う意思がある,というのは普通ではないということを頭に置いて議論を立てておりました。最終支払額が限定されているのが普通と考えているのです。それゆえ,ひょっとすると一部保証の態様によっては補助ルールみたいな例外則を考える必要がある,というのは御指摘のとおりかと思います。   3番目の結論の妥当性について,全部保証が圧倒的に多いので,15ページの表を見ると中間試案よりもむしろ保証人の責任が重くなっているではないか,それで果たして保証人の責任を軽減しようという現在の議論の状況に反対することになるのではないか,それで結論は妥当かというお尋ねだったかと思うのですが,なかなか答えにくい問題であります。   ここの表で考え方をこういうふうに改めますと,御提案いただいているように少し結果が違ってくると思うのですが,そもそもこれは保証人が最終的に負う責任の問題ではありません。債権者に対して負っている保証債務を履行したら主たる債務者に求償できるはずであり,かつ,他の保証人や物上保証人に対して債権者に代位して権利行使もできるはずで,501条については,その調整の仕方の中で,どれが一番合理性があるのかが問題です。確かに2,000万円が3,000万円になるとかなり重いというのはそのとおりかもしれませんが,保証人自身は債権者との関係ではそれより大きい債務を負っており,それは501条をどう考えるかによっては影響を受けません。ただ,これで十分なお答えになったとは思えませんので,更に考えさせていただきたいと思います。 ○松尾関係官 今,松岡委員から事務当局からも補足をということでしたので,お答えいたします。   中田委員からお尋ねがあったうちの一点目については,資料では,法定代位者が弁済をした時点と考えておりました。したがって,何度かに分けて弁済されたのであれば,その弁済の都度判断することになろうかと思います。次に二点目ですが,一部保証にもいろいろなタイプがあるというのは全くそのとおりであろうと思いますが,保証債務の額は結局それぞれの保証契約の中身に応じて判断されることになるのだろうと考えていました。この規定でいずれかのタイプかを念頭に置く必要があるのかどうかというのがまだ私はよく分かっていないので,問題意識を補足していただけると大変ありがたいです。   三点目は御意見として承りたいと思います。 ○中田委員 一点目と二点目についてですが,一点目は弁済の都度とお答えいただいたのですが,私の問題関心は債務者が弁済した場合にどうなるかということです。債務者が弁済していって,残債務額あるいは被担保債権額が減少していく。その間にA保証人,B保証人,C物上保証人が現れているというときにどれを基準にするかということでございます。   それから,二番目の一部保証について申しますと,先ほど三つほどタイプがあるのではないかと申しましたけれども,それは保証契約によってどのタイプかということが決まってくるのですが,それが当然に物上保証人などとの間で基準となると考えるのか,それとも,一定のタイプの保証を想定することになるのかということを明確にしておく必要があるだろうということです。 ○松岡委員 今の第2点目はむしろ松尾関係官にお答えいただきたい御質問と思うので最初のご質問にお答えします。債務者が弁済しましても代位は生じませんので,被担保債権額が減っていくだけだと思います。その後新たに例えば物上保証人が加わったとしまして,さらにその後,債務者以外の誰かが弁済したり,担保権を実行されて,代位が必要な事態が生じるときが正に基準時ではないかと考えております。ひょっとしたら非常に大きな誤解があるような気がして不安なのですけれども。 ○中田委員 「保証債務の額に応じて」という,保証債務の額が何なのかという趣旨です。 ○松尾関係官 一点目については,松岡委員がおっしゃっていただいたことに特に付け加えることはなくて,保証債務の額というのは,代位者が弁済した時点での保証債務の額ということになるのではないかと思っております。   二点目についてのお答えとしては,具体的な保証契約の内容に応じて判断することを元々想定していたということですので,それを明らかにすることの要否を検討したいと思います。 ○沖野幹事 余りに細かいことなので言うのがいいのかどうか分からないのですが,保証債務の額の点なのですけれども,やり取りを伺っていた限りで事務当局のお考えや松岡先生のお考えによりますと,当該問題となった代位者の弁済をした弁済時,それまでに債務者が弁済して主債務が消えることで保証債務も消えているので,そのときには減額された額を基準とするので,全部保証である限りは保証人は同じだけれども,その額と物上保証人との関係では,担保財産の価格と被担保債権額との多寡によってはその割合が変わっていく可能性がある。   その結果,法定代位権者が複数回にわたって一部弁済をしたという場合には,問題となるのは当該代位者が弁済した額を基準として,その負担部分を考えていくので,その限りの権利行使なのだけれども,例えば同じ物上保証人に対する権利行使においても,基準となる負担割合が,弁済をした代位権者1と,弁済をした代位権者2とで変わってくる。複雑になるかもしれないけれども,それで動かすことができるということと理解しました。これは確認です。   もう1点は,保証債務の額という場合に,先ほどの保証債務についての減免とか,請求できないという,その処理との関係がちょっと気になりました。それがなければ,全部保証である限りは,保証人の間では基本的に1:1:1と考えていけると思うのですけれども,特にある時点での資力などを考えたときに,代位弁済の基準となる弁済時と権利行使の段階までの間にずれがあったときに,減免がされたという場合にどうなるのか。それから,請求できないというあの規律の内容が,減免はしていないということならば,額としては維持されこの場面での基準としてはそれはきかないのかという辺りは考えておく必要があるのかなと思います。割り切るならば代位権者相互間ではそういうことは気にしないという可能性もあるかと思います,債権者との関係では別だという割り切りもあるかと思いますので,そこも考える必要が出てくるのかなと思います。 ○松岡委員 是非具体的な事例を作って沖野幹事に検討していただくのが一番いいと思います。   最初の一部弁済が逐次になされた場合その度毎に割合が変更になるのかというと,そうなると思います。むしろこれはいろいろ問題を考えてみたときに,ある時点に固定して考えてみると,どうもうまくいかない結果となります。一部弁済の場合には正にそれによる代位が問題になり,その時にどれだけ代位できるかが決まります。それが処理されたことを前提として,また次の弁済が行われれば,その時の状況で代位割合が変わっていくことになります。面倒かもしれませんが,多分これが一番正確です。   それから,減免であるとか請求できない場合という先ほど議論された問題については,はっきり言って私は全く考えておりませんでしたので,松尾関係官に後で御発言いただきたいのですが,強いて今ひねり出したことを申しますと,減免されたり請求できないというのは,債権者が保証人に対してできないわけですね。それを代位行使することになりますので,基準が仮に被担保債権額そのままだといたしましても,代位行使もやはり制限されることになると思います。それだったら最初から縮減された額を基準にして考えたら単純でいいのかなと今考えました。 ○松尾関係官 結局,弁済があった都度代位の割合が変わるというのは,基準時を代位の時点に採っているから生じる問題なのだと思うのです。例えば,先ほどDCFRのお話が紹介されましたけれども,最後の担保を設定された時点で一旦固定してしまうと,今のような問題はなくなるのかもしれないと思いましたが,他方で松岡委員からはその問題点の指摘もありましたので,その可能性も含めて御議論いただければ有り難いと思いました。 ○中田委員 今ここであまり細かいことを議論しても全員が同じ理解になるかどうか分かりませんので,問題点の提示だけなのですけれども。先ほど沖野幹事が「一部弁済があっても,物上保証人との関係が変わるかもしれないけれども,保証人相互間は同じではないか」とおっしゃったように聞こえたのです,私の誤解かもしれませんが。しかし,保証人相互間でも変わるのではないかと思います。100保証している人と60保証している人がいて,10減ると,90と50になるのか,90と60になるのか,あるいは別の割合になるのか。いずれにしても元との比率は変わってくるのではないかと思います。割合保証の場合はそうではないかもしれませんが。   今,松尾関係官のおっしゃったDCFR式のやり方をした場合には,確かにそこで固定されるのですけれども,その後,更に債務者が弁済していったときに果たして固定するということでいいのかどうか。それから,DCFRのほうは,固定するに際して,これは松岡先生の御論文からお教えいただいたことですけれども,最大リスクという特殊な概念を使っていて,それをそのままこちらへ持ってこれるのかということも検討課題かなと思っています。 ○沖野幹事 先ほどの補足だけです。先ほど申し上げたのは,全員が全部保証であるならばという前提で申し上げました。 ○山野目幹事 大変難解な考察を求められる問題について皆さん沈鬱な表情をしておられるところですが,二点のみ申し上げさせていただきます。   一点目は,先ほど沖野幹事から問題提起がありまして,松岡委員からも少し触れていただいた保証債務そのものについて,裁判所による減免とか,比例原則が働く場合の代位の関係がどうなるかということは新しい論点ですし,考えていかなければいけないと感じます。ですから,考えていこうと思いますけれども,今のところ自分が抱く直感としては,どちらかというと松岡委員とは反対で,代位の問題を処理するときには,沖野幹事はあまりそういうことは気にしないという考えも示唆されましたが,そちらのほうが良くて,券面額を基準にきちんと画一的に問題を処理するほうがよいのではないかと感じます。   江戸の仇を長崎でとるようで申し訳ないのですが,だから減免という構成はいろいろな点で複雑で,又は不明瞭な問題を引き起こすと思います。山本和彦幹事から幾つか手続的なストーリーを整理していただきましたが,例えば裁判所の形成判決が出ていなければならないというような減免の構想を考えるときに,その判決が確定する前と後で代位の割合が複雑になってくるというようなことは到底安定した運用になりませんから,比例原則で権利阻止構成で考えるのがよいと先ほど申し上げた趣旨は,今の弁済による代位の割合との関係でもそれほど複雑な問題を生じさせないようにすることに結びついていくと思いますし,倒産原因の判断との関係でも,券面額を基準に問題を明瞭,画一的に処理するという仕方がよいのであって,保証人の責任制限の問題をそこに特化した主題の達成以外の領域ないし目的で考え込むことによって,無用に複雑な問題を引き起こすことはよろしくないと感じますから,そのことを一点申し上げておきたいと考えます。   それからもう一つは,今日の御議論は松尾関係官と松岡委員の精力的な御検討の結果,中間試案後の議論の補充として出していただいたものであつて,もう少し日数がありますから,この本体部分は提案として育つかどうか更に考えを深めていくべきであると考えます。今日のところは,皆さんに御異論がないのであれば,難しい話はともかくとして,決められるところは方向性を決めておいたほうがよいと思いますから,一点申し上げますけれども,最後のところに出ている根保証・根抵当権,それから,部会資料には根質権は挙がっていませんが,加えて根質権の場合の極度額を代位割合の決定基準とする考え方については,解釈に委ねるというところに私は賛成したいと考えます。御異論がなければここはこういうことで進めていけばよろしいだろうと感じます。   松岡委員がしばらく前の部会で御提出いただいてお述べいただいた提案の中では,この極度額の問題もかなり強調しておられて,今日もたくさんおっしゃるであろうなと思ったのですが,あまりおっしゃいませんでした。そこは多分,松岡委員も同じ感触かもしれないと思いますが,その点について自分が感じたところを申し上げさせていただきました。 ○鎌田部会長 最後のところの根抵当,根質権というのは……。 ○松尾関係官 16ページの極度額の話ですね。 ○松岡委員 せっかく水を向けていただいたので発言してよろしいですか。   最後の点は確かにおっしゃるとおりで,当初の提案は極度額を基準にするべきだと考えていたのですが,根抵当の場合に398条の7の第1項の後段があって,そもそも代位はできないのではないかという疑いがあるという御指摘もあり,私はそうではないと個人的には考えますが,皆さんの同意を得られるかどうか確実ではありませんし,根抵当についてそもそも今回の改正検討の対象にはなっていないということから,そこにはあえて触らないほうがいいだろうと考えました。なお解釈に委ねて構わない問題ではないかと私も考えましたために,山野目委員の御感触どおりそういう反応をしております。 ○山野目幹事 松岡委員のお話,ごもっともであると同時に,極度額の話にまだ少しノスタルジーがおありであるようにも感ずるのですが,一,二補わせていただきますと,398条の7第1項後段のお話のほかに,元本確定後について言うと,極度額減額請求権が行使された場合とそうでない場合と両方あったりしますし,それを上手には処理することができないであろうと思います。   もう一つ申し上げますと,ここのみではなくて,債権額を基準にする場合について,根質権,根抵当権,根保証の場合のことを考えていないのではないかという場面は,実定法の中にほかにもあるのであって,それをしらみつぶしにきれいにしようということは難しい話なのであろうと思います。一つ例を挙げますと,休眠抵当権を抹消するという不動産登記の手続の場面で,お金を供託すると抹消できますが,被担保債権額を供託すると抹消することができるとなっていて,根抵当権,根質権のときにどうするのかということは法文に記してないのですけれども,ああいうところも律儀に全部直していかなくてはいけないということにはならないと思いますから,こういう種類のことを解釈に任せるということは別に無責任なことではなくて,それなりに立法の在り方としては想定可能な方向であろうと感じます。 ○鎌田部会長 松岡委員の基本的な発想は,把握している担保価値に応じて割付けようという考え方ですね。実質的に把握している担保価値をどう言い換えるということで,松岡委員の言い換え方と,中間試案の言い換え方に少しずれている部分があるのだと思うのです。例えば物上保証の場合に,目的物価格ではなくて,把握した担保価値の価格で割付けを考えようと,その考え方を根本的に支持するかしないか,それをやると根抵当の場合,問題にしなければいけなくなってきてしまう部分は出てくるような気はします。従来だと目的物の価額でいけたのだけれども,そうでないという考え方が入ってきたことを,どこまで明文の規定にするか,また,どういう表現にするのが妥当であるかというのは,もう少し考えてみる必要がありそうな気はしています。私の理解がちょっと不十分かもしれないですけれども。   あと,私は個人的には,共同保証人相互間の負担割合の決定は,501条でなく,465条あるいはそれの準用する442条以下のところで行われる。多数当事者の複数債務者間の調整についてはそこで求償関係を決めるというのが元々の筋なのではないかと思っているので,提案第2の1は要らないと考えているのですけれども,少数意見のようですから,あまりこだわりませんが。   中井委員,どうぞ。 ○中井委員 今,鎌田部会長がおっしゃったことに関連して,よく分からないので,松岡委員の御提案に含まれているのか,含まれていないのかも含めて教えていただきたいのです。部会資料の12ページに求償権の範囲と代位割合のルールについての御示唆がある。それから,松岡先生からいただいた前の意見書,3ページ物ですけれども,3ページの上でDCFRの基準を御説明する中で,求償と代位という形で並べて御指摘されている。今回,先生の御提案としては,代位に関するルールはこのようにするけれども,求償に関するルールはどのようにしようという御提案なのか,そこを教えていただければと思うのですが。 ○松岡委員 非常に難しいですね。465条で共同保証人間では基本的には保証額に差がなければその人数割りになりますね。保証人が3人いて,あと2人物上保証人が入ってきて全部で5人になったときにどうなるのかと言いますと,現行法ですと,501条の5号ルールに従いまして5人の頭割りにした上で,物上保証人2人については価格割りで決めます。誰か保証人の一人が全額弁済したときには5分の1,保証債権の代位ができ,それから,5分の1掛ける物上保証人の数を価格比で割って,それを限度にそれぞれの担保権を代位して行使できるとなっております。   その場合ちょっと奇妙なことが起こります。3人の保証人と2人の物上保証人で全部で5人という設例ですから,代位でいきますと,1人の保証人は他の保証人に5分の1の限度でしか代位できない。しかし,保証人間の求償について465条だけを適用するといたしますと,3分の1まで求償ができるわけです。これでは非常にちぐはぐな結果になってしまうのではないでしょうか。そういう感触がありまして,今までの考え方からするとおかしいと批判される可能性は高いのですが,代位できる範囲に求償を限定しないと不合理なことが起こると感じます。ただ,そこまで詰めて465条について更に修正を加える提案までは用意しておりません。はっきりしないではないかと言われると,今はまだはっきりしておりません。 ○潮見幹事 今,話題になっている話は昔から出ている話であって,求償で処理した場合と,代位で処理した場合で違うと。そのときの処理の仕方としては,今出ている考え方だけでも,鎌田部会長がおっしゃったように,共同保証人間の求償の問題としてその枠組みに一本化して処理すべきであるという考え方と,今,松岡委員がおっしゃったように代位制度に一本化して考えて,求償という枠組みは考えないというか,むしろ代位の枠の中に求償が取り込まれると,溶け込んでいるのだという捉え方もあるし,あるいは,両方何とかして接合しようという考え方もあります。神戸大学の山田教授などはそうだと思います。   この問題を検討するのは必要ではないかと思いますが,その話は今回松尾関係官から提案があったこととは直結しないのですよね。そういう意味では,今申し上げた学説も分かれているような難問というか課題に対しても今回の改正で取り込んで考えていくのか,それとも,なおまだ議論が流動的であるからどうするのかというところを含めて,ちょっと切り離して考えたほうがよろしいのではないかという感じがいたします。   ついでに一点よろしいですか。この問題について個人的に伺いたかったのは,頭数一人説というのがあって,あれは簡明にして実効性のある基準だという形で言われていて,それが実務ではかなり支持を受けているようであるという書きぶりがいろいろなところで見られます。私個人は二人説なので,ここではかなりの少数説なのですけれども,実務家の先生方から見て,松尾関係官の提案に対する感じ方について,弁護士会あるいはそれ以外のところで御議論されたのであれば,お教えいただければなと思います。 ○中井委員 発言の機会を与えていただきましたので一言。松岡先生の論文の336ページから,三つ表が出ておりますけれども,Dが保証人兼物上保証人の立場にある方で,松岡先生は二人説を採られる。その帰結が右端にあるわけですけれども,設例1であれば合計して300万円,設例2であれば180です。特に設例1で端的に出てきますけれども,従来の保証人一人説もしくは頭数一人説の150に比べると倍になるわけです。実務の感覚で,これは弁護士会の中で議論したわけではありませんけれども,保証人兼物上保証人というのは結構あるパターンですけれども,150が300になるという帰結は正直言って違和感があります。論理的整合性としてはすごくきれいに説明できているようですけれども,この結論のDの責任の重さについては正直違和感があります。 ○佐成委員 私が発言するような筋合いの論点ではないのですけれども,簡明さという点で言えば現行法と比較して複雑になっているという感じではなくて,むしろ分かりやすいという感じは抱きます。ただ,提案者である松岡先生もおっしゃるとおり本当に回るのかと,提案者御自身が不安を抱いているというところが実務家としては非常に不安を感じるところであるということだけ申し上げておきたいと思います。 ○中原委員 銀行実務に関しては,この問題が実際上問題になったことはありません。いくつかの銀行に聞きましたけれども,この問題で悩んだことはないということでした。 ○鎌田部会長 「細かく分ける」という言い方は変かもしれないけれども,論点を整理すると,今の物上保証人と保証人を兼ねる者をどう取り扱うかというのは論点の一つですね。もう一つ,現行法では物上保証人相互間では不動産の価格に応じてとされているけれども,不動産の価格ではなくて,把握している担保価値の割合に応じて代位の割合を決めるという考え方に転換するかどうかというのがもう一つの論点だろうと思います。   潮見先生から御指摘があったところではあるのですけれども,複数保証人がいる場合の取扱いは465条で処理すべきだという見解をとったときに,そこに物上保証人がくっついたらどうなるかというと,465条に規定のない場面については501条に移るので,抵触はないと個人的には考えているのですけれども,いずれにしろそういう状況の下で465条あるいは442条等を残しておきながら,501条にもう一個,共同保証人相互間での求償とは違う代位の規定を置く必要が本当にあるのか,そこが私の疑問です。求償権があって,501条本文があれば,そこで代位はできるということは明らかで,わざわざ重ねた規定はなくても,自動的に代位の根拠と代位の割合は決まっている。501条は,そういう規定で決まらないものについて列挙しているという理解からいくと,無用の重複という感じがする。これは非常に細かい部分ですが,これを入れるのだったら連帯債務者相互間の代位に関する規定はなぜ入れないのかという問題も出てきてしまうのではないでしょうか。そのような話で,これは言わばマイナーな問題だと思います。   大きいのは先ほどの二つだろうと思いますので,それについては更にまた御意見を頂きながら,事務当局でも検討していくことにします。現時点では把握した担保価値の割合に応じて割り付けていくという考え方の提案に根本的に反対する意見はあまりなかったと思ってよろしいですか。 ○中井委員 今の点ですけれども,弁護士会の意見としては,松岡先生の提案,担保価値に応じてという基本的な考え方について,違和感がないと意見が結構あったことは事実です。しかし,仮に求償の点について触らないとすれば,代位のところをそこまでぎりぎりやって,結果としてどれだけ違いが出てくるのだという逆の意見があって,簡明さから言えば現行実務でよろしいのではないかという反論がそれなりに出ました。   それは,先ほどから中田先生,沖野先生もおっしゃられたように,松岡先生の御提案の価格計算の複雑さ,手間の大変さ,その結果として仮に求償を変えないとしたときに,代位だけ変えてどれほどの違いがあるのだと,仮に求償の範囲内でしか行使できないとすれば,効果が出てくる場面は一定限定されるものですから,そういう点からの批判もありました。すなわち,考え方はよく理解できる,しかし実務的には大変だよね,結果としてそれほど大きく変わるの,あまり変わらないのだったら従来の簡単なのでいいのではないですかと,あまり論理的ではないですけれども,そういう意見が結構出ていたことを御紹介いたします。 ○山野目幹事 松岡委員の御発想に今日大きな御異論がなかったですね,という部会長のおまとめで大きなご異論がありませんでしたから,そのとおりであると思いますし,引き続き御検討いただきたいと感じますとともに,佐成委員がおっしゃったところの,本当に実務的に回るのですかということと,中田委員がおっしゃった点,つまり保証人の責任が今より重くなるというところは,引き続き十分に注意を払いたいと感じます。 ○鎌田部会長 ほかには御意見は。はい。 ○内田委員 鎌田部会長がマイナーな論点と言われた点なのですけれども,せっかく問題提起をしていただいたので,結実するかどうか分かりませんが,一応問題として発言をさせていただきたいと思います。   潮見幹事が言われたように「今日の問題とは切り離して議論したほうがいい」というのはそのとおりだと思うのですが,切り離した上で,鎌田部会長が言われるように,465条に求償の規定があるのだから,そちらで処理されている部分に関しては代位の規定は不要ではないかという考え方は一つありうると思うのです。他方で,潮見幹事が言われたとおり,逆にこれは結局は代位の問題なのであって,全て代位で処理をして,465条は削除するのが簡明ではないかという考え方もあると思うのですね。   共同保証人相互間には,連帯債務者相互間のような相互に担保しあう関係はなくて,共同保証人というのは基本的には主たる債務者に代わって弁済するわけで,求償権は主たる債務者に対して生ずるわけです。ただ,主たる債務者に資力がない場合のリスクを弁済した一人の保証人が負担するのは不公平であるということでこの求償の規定が入っているわけですけれども,実質的には代位で処理すべき問題だという考え方は十分成り立つように思います。そこが処理できてしまうと,今まで解釈論として残っていた求償と代位の関係は簡明になるので,議論すべき論点としてはまだ残っているという形にしたほうがいいのではないかと個人的には思います。 ○松岡委員 私は先ほど言ったようにまだ腰が据わらない状態ではありますが,潮見幹事や内田委員のご発言との関係で申しますと,そもそもは代位によって一元的に処理する方向が良いと考えております。ただし,従来の裁判例の中にも,連帯債務者の一人に無資力者がいる場合,444条によって残りの者がその無資力部分を分担しろという規定があり,連帯保証にも準用されています。代位の場合にその規定が使えるのか。444条は,従来はもっぱら求償と結びついた規定と考えられていましたので,その辺りなお検討の必要があって,なかなか難しい問題だと感じています。 ○鎌田部会長 求償のほうでいくと,負担部分の解釈の仕方で相互の調整をやっていくという操作になるわけです。その部分が,465条が,もっと言えば441条以下がなくなってしまうと,かなり違う原理で物を考えなければいけなくなるという側面もあるので,個人的にはもうちょっと考えさせてもらえればと思います。   ほかにはよろしいですか。   それでは,進行の不手際で大分大幅に時間を超過して,このような時間になりましたけれども,本日の審議はこの程度にさせていただきたいと思います。   最後に次回の議事日程等について事務当局から説明してもらいます。 ○筒井幹事 次回会議は7月16日,火曜日,午後1時から午後6時まで,会場は法務省20階の第1会議室でございます。   既に前回会議でお伝えしたことですが,7月16日の会議から第3ステージの審議に入ることを考えております。昨日6月17日をもって今回の中間試案についてのパブリックコメントの意見募集期間は終了しておりますが,これも前回の会議でアナウンスいたしましたとおり,あらかじめ機関決定の手続などの関係で提出が遅れるという御連絡を頂いた団体等との間では,締切りの時期を個別に相談しておりますので,意見が出そろうにはまだ若干の時間がかかることになります。しかし,いずれにしても間もなくパブリックコメントの募集を終えることになりますので,7月16日開催の次回会議からは第3ステージの審議に入っていきたいと考えております。   次回会議におきましては,まず冒頭,第3ステージにおけるスケジュールを御提案し,相談させていただきたいと考えております。更に具体的な議題といたしましては,現在まだ候補として準備を進めている段階ですけれども,消滅時効に関する論点のうち特に時効期間と起算点に関する論点,債権譲渡の対抗要件に関する論点,それから事情変更の法理に関する論点,こういった論点についてパブリックコメントの結果を踏まえつつ様々な考え方の論拠を整理するような議論を一度してみたいと考えております。   パブリックコメントの結果につきましては,全体の集計作業には相当の時間を要することになると思いますが,その作業が完了する前の会議で取り上げる論点につきましては速報版を御提示して,それに基づいてパブリックコメントの結果を踏まえた議論をしていただけるように,事務当局としても十分な準備をしていきたいと考えております。   以上でございます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それでは,以上をもちまして,本日の審議を終了させていただきます。熱心な御議論を賜りまして,誠にありがとうございました。 -了-