法制審議会 民法(債権関係)部会 第75回会議 議事録 第1 日 時  平成25年7月30日(火)自 午後1時01分                      至 午後3時27分 第2 場 所  法務省 第1会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会の第75回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   本日は,大島博委員,大村敦志幹事,鹿野菜穂子幹事,福田千恵子幹事が御欠席です。   まず,本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いいたします。 ○筒井幹事 事前送付資料として部会資料65と,パブリック・コメントの結果の関係部分の速報版である部会資料64-3をお届けしております。これらの資料の内容は,後ほど関係官の村松から御説明いたします。   それから,机上配布ですが,本日御欠席の大島委員から意見書を提出していただいております。また,共通参照枠草案と左上に書かれている資料ですけれども,これは松岡委員,潮見幹事,山本敬三幹事から資料として御提供いただいたものでございます。 ○鎌田部会長 それでは,部会資料65の審議に入ります。   まず,「第1 事情変更」のうち,「1 総論」及び「2 効果論」について事務当局から説明をしてもらいます。 ○村松関係官 それでは御説明いたします。   事情変更の法理につきましては,中間試案においては,効果を解除のみとするか,契約の改訂まで含めるか,さらにはどのような要件とするかも決め打ちはしない形で提示しておりました。これに対するパブリック・コメントの結果を見てみますと,第1の1にも若干の記載をしておりますけれども,経済界あるいは裁判所を中心に,事情変更の法理の明文化それ自体に反対するとの御意見が強く,さらに弁護士会の御意見も,その多くのものは契約の改訂に関しては反対をしているという状況でございました。   今後の議論の進め方でございますけれども,今回は,まず両論併記とされておりました効果論に関しまして,契約の改訂の明文化の要否について御審議をいただき,その上で,要件論について御審議をいただきたいと考えております。   なお,先ほど申し上げましたように,事情変更の法理を明文化すること自体に対する反対の御意見も強いわけですけれども,その理由を見ますと,要件が明確化できないだろうということ,あるいは不明確な要件では濫用の懸念があるということが指摘されております。   そういたしますと,明文化の要否について議論をする前に,ある程度要件について詰めておくことが適切であろうと考えられます。そこで,今回の資料におきましては,先ほど申し上げましたように,効果論に続きまして要件論の御議論をいただき,明文化の要否自体につきましては,要件論についての本日の議論の結果をも踏まえて,次の審議の機会に御議論を頂くということでいかがかと考えております。   次に,効果論について,第1の2に記載しておりますけれども,契約の改訂に関しては,検討すべき課題が実体面,手続面で,相当程度残されているところ,これを適切に詰め切ることができるかという問題がございますし,解釈に委ねるということも可能な論点ではないかと思われます。そこで,事情変更の法理の効果として明文化するのは,解除のみとすることとしてはどうかとしておりますが,その当否について御議論いただければと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分について御審議いただきます。   御自由に御発言ください。 ○佐成委員 それでは,効果論のところですが,発言させていただきます。今,事務局のほうから御説明がありましたように,中間試案に対するパブコメでは,経済界はそもそも反対ということです。けれども,中間試案には,「引き続き検討する」ということで記載されていますので,今日の議論は,まさにその「引き続き検討する」という,その中での実際の議論に位置付けられるというふうに理解しておりますので,そもそもの反対,賛成という話ではなしにお話しさせていただきます。まず効果に関しては,経済界がやはり懸念しているのは契約の改訂というものについてでして,明文であれ何であれ,とりわけ明文で契約の改訂という効果を規定するということについては,異論は非常に強いと認識しております。つまり,ここに書かれてある御認識のとおりかと思いますし,契約の改訂という効果については立法化のハードルも相当高いのではないかと思います。できないというわけではないと思いますけれども,やはりかなりハードルは高いだろうと感じます。   ですから,事務局のほうでお作りいただきました論点ペーパーの方向性は,基本的に支持し得ると思います。ただ,内部で議論をしておりました中では,そもそも事情変更の法理を明文化するといった場合の本体は,解除というよりもむしろ契約の改訂という部分にこそ主眼があったはずで,解除ができるというところには,余り関心がなかったのではないか,翻って言いますと,解除だけの効果を認めた明文を設けるということに,どれだけの意味があるのかという,その実務的な意味合いについても,やはり問題になるのではないかと,そういったような指摘が内部でございましたので,御紹介させていただきます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかに。御意見はいろいろあると思うんですけれども。 ○道垣内幹事 自分の意見もなく発言するのは大変恐縮なのですが,パブリック・コメントの整理を拝見いたしますと,大阪弁護士会から,効果を規定しないという案が出ているように思います。事情変更の法理を規定しながら,効果を規定しないということについて,どのようなイメージをお持ちなのかということが,もし分かりましたらお教えいただければと思います。 ○鎌田部会長 お分かりの方といいますか,中井委員,いかがですか。 ○中井委員 正確に紹介できるか自信がないのですけれども,大阪の基本的な考え方は,要件をきちっと定めて,事情変更の法理を条文に表現することに基本的に賛成をしています。しかしながら,その効果として,解除を認めるのか,契約改訂まで認めるのかという問題については,第一義的には契約変更の交渉があり,交渉が整えば,それで合意が成立する。合意が整わなかったときに,どういう権利行使ができるか,契約内容の変更を求めることができるのか,解除ができるのか,という形の議論になっていくだろうと。   大阪弁護士会内部での議論においても,契約内容の変更ということを認めたときに,それをどのような形で実現していくのかということについて,意見が分かれた。この部会のかつての審議の中でも,一定,不利益を受ける側から,契約改訂の内容を提示して,裁判所がその当否のみを判断する,これは訴訟手続を想定しているのか,契約の改訂を求めて,あとは裁量的にその幅の中で誰かが決める,裁判所が決めるのか,非訟的な解決をするのか,契約改訂ということが必要であるというところは,大阪のバックアップメンバーは考えているけれども,その実現の方法について,議論が分かれるし,議論が十分に詰められていない,この法制審のこれまでの審議の中でも固まっていない。とすれば,契約改訂まで効果で明示することは難しいのではないか。   解除については,認められる場合もあるだろうけれども,こちらの論点は少なくなって,解除権の行使を裁判外でできるのか,裁判上,行使しなければならないのかという論点ぐらいかもしれませんけれども,その論点を解決すれば,場合によっては明文化できるかもしれない。   その上で,大阪が考えたことは,改訂について明文化が困難だというときに,解除のみ明文化すると,部会の資料の考え方は逆ですけれども,それは,本来の事情変更の法理の一部のみが表示されて,契約改訂という主たる効果が表示されなくなって,不適切ではないか,解除のみができて,契約改訂はできないとなるのではないか,そうだとすれば,解除のみを規定することについては,消極意見である。むしろ,今の段階では,どういう効果を認めるのか,解除についても,契約改訂についても,もう少し実務における法理の形成を待ってから,定めたらよいのではないか,現段階では,契約は守らなければいけない,事情変更があっても原則守らなければいけない,しかし一定の要件を充足したときには,その債務を履行しなくてもよい,履行拒絶ができる場面があるという,そのことにとどめるという意見です。  ○能見委員 事情変更の原則に関しては,判例の中にはそれに依拠したようなものも,下級審などでは少しはあると思いますけれども,明確な形で契約改訂権が認められているということまで判例の動向として認めることができるというほど強いものではないと思います。しかし,先ほどから議論になっているように,事情変更の原則の将来の発展というのでしょうか,そういうものまで考えると,事情変更の原則の効果として解除しか認められないということで固まってしまうのはまずいのではないだろうかと思います。   そこで,将来の発展の方向が開かれていることになるように,従って解除を規定すること自体はいいと思いますけれども,それが発展する可能性があるような規定の仕方,それが技術的に可能かどうか分かりませんけれども,そういうものがあるといいのではないかと思います。   また,考え方としては今述べたことと同じ発想から出てくることなんですけれども,民法の中の規定としてふさわしいかどうか分かりませんが,契約の改訂権があるとまでは言わないでも,契約改訂のための交渉を認めるとすることはどうかと考えます。例えば,当事者を巡る事情変更があって,今,中井委員がおっしゃいましたけれども,契約当事者が恐らく最初にやることは,こういうふうに事情が変わったので少し契約内容を変更してくれないかという交渉だと思いますので,そのときに,交渉の申し入れがあったら,それを拒否するのではなく,一応それに応じなければならないというような,ちょっと実体的な権利とは言えないかもしれませんが,また,このようなものをどういうふうな位置付けたらよいかも分かりませんけれども,そういうような規定を入れるという方向もあるんではないかと思いました。 ○鎌田部会長 分かりました。 ○中井委員 能見委員がおっしゃられたことは,大阪弁護士会も,解除とのみ書くことによって,それが限定されて,能見委員の言葉で言うならば,将来の理論の発展を阻害する可能性もないわけではないというところを懸念して,ここでは効果は書かないという御提案をした次第です。   私は,研究者の皆さんに教えていただきたいと思うのは,考え方の基礎は同じと思うんですけれども,不安の抗弁権について,先履行義務のある者が,相手方の信用不安等の状況に至って,若しくは相手方の交渉を経たけれども,一定の信用が得られないことが明らかになって,その履行を拒絶できると,こういう権利を認める方向については,経団連も含めて,賛成意向のようにうかがえます。   そのとき,履行を拒絶した後の法律関係がどうなるのか,それは契約がそのまま残るのか,補足説明で不安の抗弁権のところを見ますと,相手方は履行の請求をしたことに対して,一方当事者が履行の拒絶ができる,同時に,契約の解除はできないと書かれているんですけれども,そうなのか。履行を拒絶したままの契約が,ずっと続いてしまうのか。そういうことを申し上げるのは,現実的にはどういう解決になるかというと,欲しい商品が入ってこないわけですから,そこで直ちにけんか状態になるわけではなくて,他方当事者は,では弁済期日を月末締めの3か月手形ではなくて,月末現金払いにしますから,商品を入れてください,若しくは,商品を入れるときに,キャッシュオンデリバリーで払うから,入れてくださいと,支払条件の変更の交渉をして解決しようとすると思うのです。   つまり,履行拒絶は法律上の効果ですけれども,実際上の効果としては,その商品を欲しい者は,契約条件の変更交渉をするだろう。変更交渉をしたけれども,相手方がなお入れてくれないとなったときには,その商品が欲しければ,他から調達を考えるしかありませんから,あなたが商品を約束した期日に入れない以上,契約解除をする,解除をした上で,他から調達をする。その上で,恐らく不安の抗弁権を主張した者に対して,不安の抗弁権の主張が不当だと思えば,商品供給の債務不履行に帰責事由があるから,損害賠償ができる。損害賠償請求の中で不安の抗弁権が認められたら,棄却で終わり,それが認められなかったら,賠償義務を負う。履行拒絶権を行使する者は,履行拒絶をしたときに,将来,損害賠償義務を負うかもしれない,というリスクを見極めて履行を拒絶するかどうか決めるというのが,実務的対応になっているのではないか。   こういうことを考えたときに,大阪弁護士会案は,契約はしたけれども,その後,著しい事情の変化で,その契約に法的に拘束させることが不当だと考えたときに,債務者は契約を守らなくてもよいということを申し上げるにとどまるわけです。その意味を,もう少し詰めて考えれば,相手方の履行請求に対して,履行拒絶ができる,履行拒絶をしても,それは債務不履行にならない,そうだとすると,100で物を売ったけれども,1000に急騰しているときに,相手方が請求をしても履行拒絶が認められる,事情変更の法理としてそこまで認める。その後にとる行動は,1000では買えないけれども,500ならどうか,300ならどうかという,条件変更の交渉,事実上の交渉になるだろう。それでも交渉が成立しないときには,相手は履行しないわけですから,契約解除の意思表示をして,相手の履行拒絶が不当だと思えば,損害賠償請求をし,事情変更の法理が認められれば損害賠償請求は棄却され,法理が認められなければ,損害賠償ができる。   相手方がイニシアチブをとって,その事態を解決できる,そこまでにとどめて,事情変更の法理を主張するほうが,履行拒絶以上に積極的に解除権を与えるか,若しくは拒絶する側から契約変更権まで与えるかは,更に次の問題として考えていっていいのではないかと,大阪はこういう発想ではないか。   ○鎌田部会長 ありがとうございました。   関連した御意見はありますか。 ○潮見幹事 お教えするようなことは全くないんですけれども,不安の抗弁権が問題になる場面で,中間試案で問題にしている不安の抗弁権の記述というのは,正に中井委員がおっしゃったように,履行拒絶というディフェンス面のことのみを考えています。それ以外の,例えば解除だとか,あるいは填補賠償について,中間試案を見れば,特に解除のところが顕著なのですが,今のような場合に,先履行義務を負っている側が一定の場合に解除することができるかどうかというものは,解除の要件,あるいは填補賠償の要件というところで対応できるかどうかに掛かっていると思います。   実際に,中間試案の解除の要件,特に履行期前の行為を理由とする解除などのような場面のところにおいては,場合によれば,事情変更のようなケース,あるいは先ほど中井委員が問題提起されたようなケースについても,補足できる可能性があります。ただ,中間試案の解除の部分の立て方が,これがいいのかということについては,第二ラウンドの最後のところで申し上げましたように,ちょっと問題のある部分がありますから,その部分をブラッシュアップして対応することは可能なのではないでしょうか。   まとめますと,不安の抗弁権が出てくる場面というものに,ディフェンス面とオフェンス面というものがあって,中間試案では,不安の抗弁権の箇所でディフェンス面が書かれていて,他方で,オフェンス面については損害賠償と解除のところにルールとして解体して書かれています。その枠組みの延長線で,事情変更の問題をどう考えるかということはあろうと思います。   ただ,そうは申しましても,中井委員がおっしゃられた再交渉の部分については,これでは補足できませんから,なお再交渉請求権,あるいは再交渉義務というようなものを,何らかの形で制度として残したいということであるならば,あるいは導入したいということであるのならば,それは独自に何らかの形で規定を設ける方向を模索するのがいいのではないかというふうに思いました。 ○中井委員 潮見幹事に,確認ですけれども,不安の抗弁権について私が申し上げたのは,不安の抗弁権を主張する側は履行拒絶しかできない,さらに,少なくとも不安の抗弁権を主張する側が解除権までは現段階では想定していないという理解を,まずしています。   それに対して,相手方は履行請求するけれども,履行を受けられない,かつ相手方,買い手ですけれども,履行請求した上で,不履行だからといって解除できないと,補足説明ではそのように書かれているものだから,本当にそうだろうかという疑問があって,本論とはずれるのかもしれませんが。   今,潮見幹事がおっしゃられたのは,拒絶する側の解除権のお話をされたという理解でよろしいですか。 ○潮見幹事 そうです。 ○鎌田部会長 ほかに。 ○山本(敬)幹事 一般的な問題提起をさせていただければと思います。   これは,従来の日本法,ないしは日本の契約に対する通俗的な理解の問題なのですが,本当かどうかは別として,よく言われていたのは,日本では契約,特に継続的・長期的な契約の場合は,リジッドに契約の拘束力を考えるのではなく,問題が生じた場合には,柔軟に対応するということを想定されている。例えば,契約書の中にも,本当に機能するかどうかは別として,誠実交渉条項のようなものがしばしば入れられるということが言われていました。   他方で,比較法的な状況を見ますと,今回の資料にも挙げておられますように,多くの国々では,事情変更の原則が,契約改訂まで含めて規定されています。国際取引のような場面を想定したモデル法等においても,同様の傾向があります。それを考えたときに,外から見れば,おそらく素朴に感じられるのは,日本法において,事情変更の原則を明文化することに対し,非常に強い異論が出て,特に契約改訂については規定ができないというのは一体なぜなのかということだろうと思います。この素朴な問いに,どう答えるのかという点について,少し皆さんに感触をお聞きしたいところです。   幾つか説明が考えられるのですけれども,問題は,能見委員が指摘されたこととも関わるのですが,裁判所ないしは第三者が契約改訂を行うことに対する違和感ないしは抵抗感が強いのか。つまり,現在の変化した状況の下で規律内容を対応させるかは自分たちで考える。そのように,自分たちで考えるようにすることは,違和感がないけれども,そこに裁判所のような第三者が入ってきて,契約内容の改訂をいわば外から押し付けてくることに対する抵抗感が強いのか。それとも,再交渉まで含めて,もう一度考え直すという可能性を認めることにまで抵抗感があるのか。あるいは,それ以外の抵抗感なのか。この辺りについては,どう考えればよいのかという点について,この段階での問題提起として漠然としすぎるところはあるのですけれども,確認したいと思います。   そして,もし裁判所による契約改訂を認めることに対する抵抗感が本当に強いのであれば,それ以外はどうなのか,そしてその部分については規定を置かないという理由があるのか,ないのかというように進むのではないかと思うのですが,これはどう理解すればよろしいでしょうか。 ○鎌田部会長 どなたか,御発言ございますか。 ○村松関係官 パブリック・コメントに対する意見を見ておりますと,やはりまず,正に第三者が手を突っ込んでくるのかという問題にアレルギーがある,そういう御意見が多かったように思います。   その中で,日本でいえば,想定しないときに,第三者が手を突っ込むとなれば,どこが出てくるかといえば,恐らくそれはもう司法,裁判所しかないんだろうということで,提案も,契約の改訂は裁判所がやるという前提で提示しておりましたので,そこも含めて,パブリック・コメントでは御意見が寄せられていたんだろうと思います。けれども,やはり裁判所だとしても違和感があるという見方が,片や経済界からはあったような気がいたしますし,裁判所のほうからしても,御疑問はきっとあったんだろうと思います。   すみません,その意味で,問い掛けていたのが,基本的にそういった観点からの問い掛けであったので,必ずしも再交渉うんぬんといった,その他の効果については,パブリック・コメントで適切に意見分布が出てきているというわけではございません。   あと,発言し始めたので併せて申し上げますと,大阪弁護士会の提案で,御指摘のように,効果については基本的に書かないでという提案があったのは把握しておりまして,若干,これを資料に取り上げようかどうか迷ったんですけれども,一つには,この資料の中でも書いておりますけれども,契約は守られるべきだという原則を書くことの当否という部分もあり,それ自体が法律事項としてなじむのかなという疑念があったという点が一点でございます。   あと,それから,その効果については,先ほど中井委員もおっしゃっておりましたけれども,何かが起こるという程度のことで規定を置くことが,本当に適切なのかと言われると,かなり疑問だろうということで,今回の提案の中では,それはちょっと触れておりませんけれども,むしろ契約の解除について,その解除の特別な一類型ということで規定を置くことにすると。それは,反面,確かにオープンな発展を若干は阻害することがあり得るのではないかと言われれば,それはそのとおりかと思いますけれども,事情変更一般について規定し,かつそれについての効果は一個だけだという言い方をするということではなくて,むしろ解除の局面の特殊なものであるという説明であれば,その後の議論の中で,契約の改訂についての議論が進み,あるいは契約の改訂がまずもってなされるべきだという解釈論がされることも,それはあるかもしれませんけれども,直ちにそれを否定するものではないという理解も一応できるのではないかということを考えたというのが,今回の事務局の資料の趣旨でございます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○佐成委員 経済界ということでありますが,私自身が経済界を代表して,本件について何か偉そうなことを言うような見識はございませんが,個人的な経験で申し上げると,まず従来確かに信義誠実という条項が,とりわけ国内取引ではよく入っていたという印象です。けれども,最近は,特に国際取引なんかだと,信義誠実のような曖昧な条項はかなり嫌われる傾向があります。やはり,契約条件は文言を含めてきちっと最後まで詰めるということだと思います。それから,もちろんいくら詰めても,実際にはそういう想定外のことは起こるわけなんですが,それにどう対応するかというと,その場合の対応方法についても,まさにその契約ごとに具体的に解決方法・対応方法を取り決めておくことが多いんです。   私の経験でいきますと,例えば,ある契約については,まず担当者レベルで一定期間の話し合いをしましょう,それで解決しない場合には,次のマネジャーレベルで一定期間の話し合いをしましょう,それでも解決しない場合には,部長レベルで大局的な解決策を探りましょう,それでも一定の時期までに解決できなければ契約関係を解消しましょうというような条項もありますし,あるいはもう端的に,この事象が発生したときには再交渉せずに契約関係を解消しましょうというような条項もあります。いずれにしても,契約締結後にいろいろな事態が発生して,契約条件とかをネゴシエーションで改訂するというのは,非常に良好な取引関係の継続中であっても,相当エネルギーが要りまして,なかなか時間も掛かります。要するに,延々と続けると相当コストが掛かるという認識がありまして,できるだけそういう再交渉みたいなことは避けたいというわけです。さらに,契約締結の時点で交渉に当たった人の属性や影響力にもよるということもありまして,例えば,その人が現在も有力者として健在であるというような微妙な話もないわけでもないわけでありまして,それを後からいろいろ覆すようなことをやるというのは,その人の面子など,なかなか難しいところもあります。   つまり,かなり契約ごとに個別性が強いという気がしまして,一般的に再交渉だとかそういったことを義務付ける規律を一般的に設けるということには,余り実務的にすっきりしたものを感じない。むしろ,個々に,契約ごとに,契約の対象とか目的とかに応じて,適切な条項を入れていくというのが,我々のプラクティスに合致しているのではないのかなという印象を受けております。個人的なものなので,一般論ではないかもしれませんが,以上でございます。 ○鎌田部会長 それでは,中田委員,お願いします。 ○中田委員 先ほどの山本敬三幹事のおっしゃったことは,何で日本でできないのかということではないかと思うんです。今,佐成委員がおっしゃったような問題というのは,恐らく外国でも日本でもあることだと思いますし,裁判官がそういうことをできるのかできないのかという議論も,これも外国でもあることだと思います。にも関わらず,外国で立法できているのに,どうして日本でできないんだろうか,その特有の原因があるかないかを教えていただきたいということであったかと思います。   ただ,もう時間も限られている中ですから,解除を中心に考えようという,今回の事務局の御提案は,それはそれで意味があるとは思います。それだけだったら,意味がないのではないかというのが,佐成委員の一回目の御発言だったんですけれども,解除ができるということになりますと,それを前提とするところの和解が促進されるという機能はあるのではないかと思います。   そうしますと,解除を前提とするところの和解ができるのであれば,もう一歩進めて,和解をするように事実上の再交渉を法的なものとして高めるということも,そんなにかけ離れたことではないのではないかと思います。   ただ,そこまでにするにしても,これは能見委員のおっしゃったことですけれども,将来の改訂の可能性を封じることのないような慎重な配慮が必要だろうと思います。 ○鎌田部会長 ほかに,御発言は。 ○中井委員 山本敬三幹事から,改訂になぜ賛成が得られないのかという御質問に対して,改訂の効果について,もう少しお教えいただきたいんですけれども,100で契約したものが,今高騰して1000になったというときに,契約改訂というのは,現在の価格である1000に変更することを,既に含意しているのか,それとも,いや,それは100と1000の間で,よしなのところで裁判所にお決めいただいて,500か,それとも400か600なのか,正直,そこの根本のところが,改訂の効果として,何を基準に裁判所が判断するのかが,よく分かっておりません。   賃料増減額請求ならば,一定の理論をもって,それは継続的な賃貸借契約であれば,継続を前提として鑑定評価を出して,その金額を見極めて裁判所は決定するというシステムだろうと思いますけれども,だからそこに裁量的判断は基本的には入っていない。でも,契約改訂の結果として裁判所が決定する価格,仮に価格の問題だけだとした場合ですけれども,そこには裁量の幅があるのか,ないのか。あるとすれば,どんな基準なのかがよく分からない。   ただ,幾つかの判例をバックアップの弁護士が調べているんですけれども,神戸地裁伊丹支部の63年12月26日判決であれば,20年間で23倍になった事案ですけれども,一定の計算式を入れて,現在の時価を基準に金額を出している。また,仙台高裁の昭和34年4月14日判決も,20年間で620倍になった事案で,これは520円が32万円になったものですけれども,これは32万円に修正している。現在の時価です。それから,札幌地裁の昭和51年7月30日判決,これは30年間で1000倍になったものですけれども,これも現在の時価を前提に,一定の計算式を入れて400万円に増額している。これも,現在の時価を基準に,念頭に置いている。   そうすると,改訂を認めたものは,現在の時価を基準に改訂を命じているという理解でよろしいのか,それともそうではないのか。この辺りが見えないと,なかなか改訂論に対して,分かりましたとはならないと思うんです。教えていただければと思います。 ○鎌田部会長 さて,これもどなたが教えることができるか難しいんですが,御意見のある方は御発言を頂ければ。 ○野村委員 答えになるということではないのですが,事情変更の原則の効果としての契約の改訂というときに,改定の内容は非常に幅が広いと思うのです。先ほどの中井委員の賃料増額請求でも,賃料だけを上げ下げするのか,サブリース契約のように,場合によっては契約の期間を延ばすということで,例えば賃貸人は満足するということもあり得るわけです(契約期間の延長によって,敷金の返還時期が延長されることになる)。だから,契約の当事者以外の裁判所が契約の内容に介入するということに対する抵抗感が非常に強いのではないかと思っています。   同じような議論は,損害賠償額の予定のときも,議論になったと思うのですけれども,あの場合は,最終的に,裁判所が実際の損害額に従って,損害賠償を命ずればいいということ,つまり損害賠償額の予定の条項がないものとして扱えばいいということで解決すれば,余り裁判官の裁量みたいなものがそこには出てこないので,比較的合意が得られやすいのかなと思います。しかし,事情変更の法理のところの,契約の解除はともかく,契約改訂の可能性みたいなものの芽を摘むということは,確かに余り賢明ではないかもしれないとはいえ,もう少し議論を要するのではないでしょうか。結局,改訂の内容が,非常に漠然としているというところが,一番大きな問題ではないかと思いました。 ○潮見幹事 中井委員の直前の御発言に対する,ちょっとした印象なのですが,事情変更の効果を考えた場合に,契約内容をこれこれこのように変更するという効果を考え,契約内容の変更という結果と結び付けた観点から事情変更の法理を考えて行くのか,それとも事情変更があれば当事者に再交渉のプロセスを確保してやるという観点から,自律的な交渉プロセス確保型の効果を考えていくのか。どっちも,その延長線上に解除の効果を連ねるのはあり得ると思いますけれども,中井委員が一体何を基準に改訂をしていくのかが分からない,規定がなかなか設けにくいのではないか,あるいは抵抗感があるのではないかとおっしゃられた部分は,契約内容を変更するという結果関連型の効果と結び付けられたものとして事情変更の法理を考えているからそうなるのかなという感じがいたしました。   先ほどの山本敬三幹事の発言とつなげて申し上げますと,そういうことを裁判所に任せてよいのか,また裁判所ができるのか,あるいは裁判所からしたら,そんなものまでやらされてたまったものではないということになるのか,といったような問題が出てきますが,他方で,事情変更の法理の効果としては,さきほど申し上げた後者の方向,つまり,異常な事態が生じた場合には,再交渉ないし再協議の余地を認めるという方向で,ルールを立てていくというのも一つの方法なのではないでしょうか。   先ほどの村松関係官のお話で言えば,後者のほうからのパブリック・コメントに対する回答というものがなかったということですが,再交渉のプロセスを確保してやるという観点から事情変更の法理を考えることに意味があるのかどうか,そのときに,先ほどの佐成委員の発言があったようなことを含めてみたら,そういう形で画一的な,一般的な定め方というのは,かえって我が国の契約実務あるいは取引実務にとっては障害があるのかといった辺りを,問題にすべきなのではないかと思います。   ただ,事情変更の効果として再交渉ないし再協議のプロセスを確保してやることについては,学説の議論もまだ成熟していないところがありますから,それを性急にここで何か規定しろということ自体が,危ういとの印象もないではありません。 ○高須幹事 山本幹事から,諸外国で事情変更の法理を入れるときに,解除と改訂とワンセットになっていると伺いました。また,頂いた資料を見ると,確かにそういう立法例が多いし,何で日本ではそう簡単にいかないのかなと,私もそうは思うんですが,多分,この問題はとても難しい問題なのではないか,こんな大事な席で無駄話をしたら怒られてしまうかもしれませんけれども,江戸時代には金銭訴訟については相対済令とかいって,裁判所は金銭訴訟を受け付けない,当事者で解決しろみたいな定め書きを幕府が出したなんていう例もある。そのような歴史的経験というか訴訟感を持っている国で,やはり今御指摘いただいているような最後は適切な契約内容を裁判所に決めてもらいましょうということを国民が裁判所に期待するかというと,そうでもない。現代においても,事の当否とか是非とかということは,裁判で決めてもらおうということなんだけれども,いい塩梅を裁判で決めてもらおうということに対しては,なかなかそういうところに踏み切れずにいるというようなことがあるのではないか。そんなことが関係して,先ほど関係官から御指摘いただいたように,パブリック・コメントの回答では比較的抵抗感があるという御指摘につながったのではないかと思います。   そのようなことを考えると,ワンセットでというのは難しいような気がしておりまして,今,直前に潮見幹事からも御指摘があったように,いろいろな考え方があって,最後に行き着くところは解除だとすれば,一定の要件を定めた上で,解除ができることを規定する,その,途中の部分についてはここでは詰め切れないとしても,解除ができることだけは定めるというのは,今回の立法でできることを考えたら,一つの在り方ではないかと思います。   大阪弁護士会の意見は,先ほど中井委員から御紹介いただいたわけですが,私が所属している東京弁護士会や,ほかの幾つかの弁護士会の意見としては,解除のみを効果とする案に前向きということで,今回の資料にもそういうふうな分析がされておりますが,そのような観点からすれば,効果は解除ということに一応絞った上で,ただそれは飽くまで,ほかの効果を認めないという意味ではなくて,ここではとりあえず解除のことだけを書きますよという案が一つあるのではないか。今回,おまとめいただいたような内容の案というのは,今,行えることを考えたら,一つの選択肢ではないかと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○山本(敬)幹事 いろいろ御指摘をいただきまして,ありがとうございました。   余り余計な時間は使わないほうがよいのは分かっているのですけれども,一言だけ申し上げますと,江戸時代の話は,裁判機構が人的・物的に充実していないため,訴訟の洪水が押し寄せてくると対応しきれないので,相対でできるだけ済ませたいというような制度上の要請があったということですので,観念というよりは,制度がどうなっていたのかということがやはり重要であるということが言われています。   今回に関しても,裁判所のほうで,実際にこのような変化した事情の下でどのような内容が望ましいのかということを決めるのは,いろいろな制約から難しいという事情があることも,よく分かるところなのですが,だからこそ,先ほど潮見幹事の御指摘にもありましたけれども,直ちに契約改訂というのではなく,再交渉をまず促し,そして内容を当事者以外の者が決めるのが難しいというのであれば,可能な限り,当事者にその内容の確定を委ねる。そして,それがどうしてもできないときには,契約の解消を認めるというような形での立法例が,資料を見ますとうかがえるところでもありますので,潮見幹事の言われた前者,後者で言いますと,前者のイメージだけを持って,改訂は難しい,だから規定しないというようにいくのがよいのかということは,なおもう少し踏みとどまって考える余地があるのではないかと思います。   最初に申し上げた問題提起も,このような単純な物の見方だけで規定しないということになって,果たしてそれで,我々の感覚としても,本当にそれで日本法の中身を言い表したことになっているのかという点について,少し疑問の余地があるかと感じられたことによります。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○永野委員 契約の改訂権の関係で,裁判所の判断の在り方という観点から,いろいろ御意見が出ているようでありますけれども,契約の改訂の内容が,非常に多様であるという点が,まず第一の問題なのではないでしょうか。契約紛争で和解を裁判所が調整することもよくありますが,これなどは,紛争が生じた後で契約の内容を改訂するのに裁判所が協力して紛争解決に貢献していることになります。しかし,今議論されている問題は,実体的な権利義務の確定という形で,裁判所が判決の中で一定の契約内容の改訂をする制度を仕組むことであり,そうであれば,契約の改訂の内容として多様なものが考えられる中で,どういう実体要件を充足したときにどのような契約改訂が認められるのかをきちんと書ききることが必要ではないかと思います。そういった要件の書ききりの問題がありますし,また,契約改訂をする裁判にどのような効果を持たせるかについても十分,御提案の内容が定まっていないというところが,問題の本質のような気がしております。 ○鎌田部会長 この場の意見も様々に分かれているわけですけれども,明確な形での代替案というのは,なかなか構想することが難しいという,そういう状況の下で,この原案では,解除という効果は認める,しかしそれ以外のことが書いていないからといって排除したのではなくて,その部分は解釈に任せられているという,こういう提案をしているわけですけれども,先ほど来御指摘があったように,この提案だと,逆に解除以外の効果を抑止する方向に働くという弊害もあるんではないかというふうな御意見もあったところですけれども,ではどうすればいいかという,その御提案があればお伺いをしておきたいと思います。 ○中井委員 潮見幹事と山本敬三幹事の御意見の確認ですけれども,先ほどから交渉という言葉が出てくるわけです。それは解除権を付与するために,その前提として交渉過程を経ること,経た上で合意が成立しなければ,解除権を与えるということで,実質,交渉を,これは事実上,交渉させるという効果を生む,こういう整理なのか。それとも,解除権とは別に交渉請求権的に,交渉を求める権利と受ける義務という権利義務関係で構成して,その場合,改訂権,裁判所による改訂までは想定しない。交渉した上で,決まらないときには裁判所の改訂まで含める,かつての部会資料もそういう段階があったと思うのです。先ほどの御発言というのは,最後の裁判所の改訂権がなくても,その前の交渉までのところを,法律的な関係として明らかにしてはどうかという御提案とお受けしたらよろしいんでしょうか。    (潮見幹事,うなずく。)    仮に,そうだとすれば,解除の要件として,交渉を必要とするという構成もあり得るのではないのですか。 ○潮見幹事 「潮見うなずく」ということを入れていただいて,恐縮です。   例えば,資料に挙げられているドイツ民法とか,あるいはヨーロッパ契約法原則もそうでしたけれども,先ほど申し上げましたし,あるいは永野委員のお話にもありましたように,裁判所に契約内容を改訂させると,あるいはしてもらうというようなことについては考えていない。まず,事情変更の要件,これは何かというのは,後で議論になろうかと思いますけれども,仮にその要件が満たされた場合には,まず当事者,取り分け,不利を受ける当事者に契約の改訂を求めて,交渉をする権利を与える。中田委員のお話にあった部分の,事実上の交渉というよりも,むしろここまで来たら法的なレベルに高められた交渉請求権,あるいは交渉義務ということになるのでしょうが,それを認めるのです。そして,その場合に,交渉がうまくいかなかったときには,契約の解除を認める。こういう枠組みで,私は考えておりました。   繰り返すようですけれども,裁判所あるいは第三者による契約の内容の改訂ということについては,少なくとも私自身の頭の中には,今はございません。 ○鎌田部会長 山本敬三幹事,いかがですか。 ○山本(敬)幹事 よろしいでしょうか。改訂に関しては,明文の規定を置くかどうかという問題は少し横へ置きますと,千差万別であるということは,比較的簡単に改訂できるような契約も,恐らくあるだろうということでもあります。だからこそ,賃料増減額については,明文の規定があるわけでして,そのようなものから,当事者以外の者が契約内容を事情に合わせて考えることは難しいというものまで,様々あるのだろうと思います。それら全てについて統一的な規定を置こうとしますと,簡単に改訂できますと書くことに対しては,様々な異論が疑問が出てくるということも,よく理解できるところです。   もし,そうだとするならば,どうしても難しいという感覚が残るのであれば,規定の仕方としては,今,潮見幹事が言われたような方向で,ここで規定するということも十分あり得るのかもしれないに思うところもあります。そして,賃料増減額以外に,もし何らかの必要があるのであれば,それは別途規定を設けるということも,立法としてはあり得るのかなと思います。 ○深山幹事 私も,契約改訂を仮に効果として認めたときに,どういうルールになるのかということを考えると,規律を定めることはなかなか難しいのではないかと思っていたところです。中井委員の質問を契機として,潮見幹事と山本敬三幹事が御発言になったような御意見を踏まえて申し上げると,お二人の幹事が述べた交渉権あるいは交渉義務というものは,結局のところ,事情変更の法理の適用を認めるための要件として,その手続要件を一つ加えるということに帰着するんだろうと思います。交渉権の効果,あるいは交渉義務の違反の効果が,結局解除できるということであれば,そういうことだと思うんです。   それ以上に,何か改訂権に結び付くような話には落ち着かないんだろうと思うんです。そうなると,結局,部会長が整理されたように,改訂権についての具体的な提案は,現時点ではなされていないというふうにしか思えなくて,そうであれば,規律としてなかなか難しいという域を脱していないんだろうと思います。   他方で,既に御発言があるように,事実上の機能,効果を考えると,解除だけを認めておいても,それを契機として,解除で全くの白紙になるよりはということで,交渉が促されるということは,今でもあるでしょうし,明文化すれば,なおあるんだろうと思います。それで足りるのではないかなと思っていますし,交渉することというのは,一度契約したことであっても,別に権利というふうに位置付けなくても常にできるわけですし,事実としてやっているわけですから,それを促すということであれば,特に明文で何か手当てをする必要はないのではないかという気がいたします。 ○能見委員 先ほどから出てきている意見の多くは,私の理解では,事情変更による解除を,あるいは解除権を行使する前提の手続のところに,交渉,再交渉あるいは再交渉義務というのを位置付けているように聞こえましたが,もちろんそういうやり方もあると思いますが,私の個人的な見解を述べると,私は,まず大元に,将来,契約改訂というものが認められるような発展の余地を残したいということから出てくる発想ですけれども,その立場からは,交渉,それから交渉義務というのは,解除そのものとは一応別に,事情変更の原則の独立の効果として認められたほうがいいのではないかという気がいたします。   契約改訂権までは認められない,そこまではどうも合意を得るのが難しいというのが現在のこの部会の状況ですから,それを踏まえての見解ですが,再交渉義務のようなものを認めても,契約改訂交渉して,それで決裂すればそれでおしまいなわけですけれども,ともかくも契約改訂の交渉はしなくてはいけないということから,例えばその交渉の中での信義則に反するような対応などがあると,信義則違反の責任が生じたり,またそれをきっかけに,更にまた交渉がなされ,場合によっては改訂にまでつながるということもあるかもしれません。このように弱い効果かもしれませんが,契約の再交渉義務というのを,解除の前提問題とは別に独立に考える方向がいいんではないかと思います。 ○松本委員 いわゆる再交渉義務は,一時期非常に熱心に学会で議論されたテーマですが,それの一つの局面が,事情変更のところに出てきているんだろうと思います。   そのときの印象として,再交渉義務というものを独立した義務として立てるということが,どれぐらい意味があるのかというところがあって,深山幹事がおっしゃったように,そのような義務を立てなくても,実際は解除権があり,一定の要件の下で解除ができるということを背景にして,交渉が行われるではないかという主張が盛んに行われていましたし,つい先ほども不安の抗弁のところで,同じような議論がありました。   事実上の再交渉を促すような法律的な仕組みを,民法は既にいろんなところで設けているんだという指摘が議論の中でも行われていたわけなので,ここだけで再交渉義務というのを特段に新設して,その義務違反の効果としての解除というような構成を採るのが,ほかとの関係で,少しアンバランスであって,ではどういう場合に再交渉義務違反になるのかということが,そう簡単に一義的に定められるのかという感じがいたします。いろんな事情を考慮して,再交渉義務違反だから解除は認めないという方向になってくるのであれば,それは結局,再交渉以外のところで解除は認められるべきではないという判断が先行しているのではないかなと思います。   再交渉義務を間に挟まないと,解除権が発生したから解除の申し入れをすれば,それだけで効果が発生してしまうから再交渉の余地がないではないかという危惧が出てくるかもしれないんですが,解除の申出をした側にとっても,満足のできる契約条件の改定案が相手方から出てくれば,それはもう解除を撤回すればいいだけの話なんで,解除の意思表示をした後で,更に交渉するということは十分あり得る,取引を継続したいという意思のある当事者であれば,そういうことは十分考えられると思うし,解除の意思表示をしないで交渉を申し入れて,解除権をバックにしてやるということも十分,事実上の問題として,できるんではないかと思います。   そういう意味で,事務局原案の解除の規定のみを置くということで,十分,再交渉を促進する機能を持つんだろうと思います。 ○鎌田部会長 ほかには,よろしいですか。 ○村松関係官 今まで,いろいろ御指摘いただきまして,契約の改訂につきましては,確かに先ほど山本敬三幹事がおっしゃいましたように,もちろん解釈の余地のほかに,確かに個別法分野で設けることも,もちろん十分にあり得る方向で,信託法もそうでしたけれども,個別法分野で,その中でもこういった事項に関して,変更を認めるということは,必要に応じて考えていくことは十分可能ですし,そういうことも想定しながら,今回は一般的なものとして置かないというのも一つの説明ではないかなと,このような気がいたしました。   それから,再交渉義務につきましても,考えたところを少しだけ申し上げさせていただきますと,松本委員等の発言とかぶるのですけれども,やはり一つは再交渉義務を生ずるということを独立の効果として認めるとすると,それをどこにどういうふうに位置付けるのかという問題があるような気がいたしまして,逆に言うと,それを書いてしまうと,やはり契約の改訂はないなという方向に,書き方,規定の仕方によるかもしれませんけれども,読まれやしないかというような気もいたします。   つまり,再交渉というものを民法の中にどういうふうに位置付けるのかということとの兼ね合いでどうかという問題があります。それからあと,要件につきましても,解除と再交渉というものとで,本当に同じような要件で生ずると言えるのかどうかも,直ちに私にはよく分かりませんでしたので,そういったところで,また別途の問題が生じるということはないのだろうかという気がします。それに加えて,もちろん再交渉義務違反の効果をどう見るのかといったところの詰めといったところもございますので,なかなか再交渉義務を独立にということになると,規定の仕方は相当程度難しい,あるいは考えるべきことは多そうな気がするなというような気もしております。 ○松岡委員 今の村松関係官の御説明は,結論はそうかなと思うのですけれども,途中で,再交渉義務を書き込むとむしろ改訂を妨げる方向になるとおっしゃった意味が,どうしても頭に入りません。再交渉は,条件を変えてでも契約関係を何とか継続する合意を目指しているわけですから,第三者や裁判所が当事者の意思に関係なく改訂するのとも,現状を維持してあくまで契約は守られるべしとするか逆に解除で拘束力を全部否定するのとも,違うと思います。   再交渉義務を定めることが,なぜ改訂にマイナスになるのか,私にはよく分からないので,もう少し補足してください。 ○村松関係官 申し訳ありませんでした。   私が申し上げたかったのは,再交渉という効果を設けてしまうと,契約の改訂の請求を裁判所に対して行うということが効果として解釈では出てこないのではないかという趣旨でございます。契約の改訂の請求については,現在も下級審で認めた例もあるので,直ちに否定する必要は確かにないのではないかなというのが,部会資料にも記載していましたけれども,こちらの考え方で,そこは解釈に委ねてはどうかということを申しております。   したがいまして,今,松岡委員の御指摘にありましたように,裁判所における契約の改訂というのは差し当たりオミットするという形であれば,もちろん契約の改訂という事象に近づいていくような効果を再交渉義務が持ち得るということだと思います。もちろん,相手方が契約の再交渉を受けて,契約再交渉を応諾しなくてはいけないわけですので,若干の距離感はあるのかもしれませんけれども。そういう趣旨でございます。 ○鎌田部会長 ほかには,よろしいですか。 ○道垣内幹事 事情変更の原則について何らかの形で置くということ自体には賛成なのですが,再交渉義務というのは,以前からよく分かりません。例えば,ある売買契約において,目的物が大変高騰して,完全に給付の均衡が崩れているというときを考えますと,買主が売主に対して引き渡してくれとおそらく最初は裁判外で言い,それに対して,売主が,いや,これは100万円で他から調達できるという前提でやっていましたけれども,突然3000万円になりましたので,とても今のままの代金ではどうしようもありません,値段を上げてくださいと言う。これに対して,買主が,何を言っているんだ,契約したではないかと言う。これで,再交渉はしたということになるのでしょうか。   もしそうであるならば,再交渉義務を置くということ自体は,余り意味がないのではないかという気がします。更に言うと,改訂というのも,幾つかの場面に分けて考えなければならないと思います。例えば,可分的な給付のときに,一方当事者が他方当事者に対して当該給付を求めるというときに,裁判所が,例えば履行請求権の限界の話かもしれませんけれども,3000万円の請求について1000万円しか認めないと,それは信義則であるというのかもしれませんし,事情変更であるというのかもしれませんが,このように一部の認容で処理できる場面が一つ存在します。これに対して,不可分の目的物の引き渡しというときには,代金をたくさん払えという改訂をしたり,あるいは代替物の引き渡しで済ませるということになりますが,これは一部の認容で認めることは難しい。何らかの形で改訂というのが必要になってきます。そうしますと,抽象的に交渉義務と言ってみたり,改訂と言ってみたりしても,どのような場面に,どのような形で働くのかということが,必ずしもはっきりしないのではないかという気がいたします。   何か置くのが反対みたいですけれども,そういうことではありません。ただ,シチュエーションをもうちょっと特定して考える必要があるのではないかと思うという,感想的な発言でありまして,大変恐縮です。 ○鎌田部会長 ほかに,よろしいようでしたら。 ○安永委員 今回の部会資料の提案では事情変更の明文化に関し,パブリック・コメントで寄せられた意見等も踏まえて,いろいろ御苦労いただいたことと思います。その上で,ということになりますが,7ページの(2)で労働契約との関係について記述いただいておりますので,労働の立場で発言をさせていただきたいと思います。部会資料の7ページの(2)では,「事情変更の法理の適用は極めて厳格にされており,整理解雇や普通解雇であっても,要件を充足せず実際には適用されない」といった記載をいただいております。しかし,例えば整理解雇の有効性要件である「解雇対象者の選定基準と適用の合理性」でありますとか,「労働組合等への説明・協議」については,事情変更の要件には含まれず,また「解雇回避義務の履行」も,事情変更の法理の要件に明確に含まれているとは言えません。   このため,解雇の有効性要件を充足していなくても,事情変更の法理の要件を充足するということは,あり得るのではないかと考えております。私たちとしては,事情変更の法理を明文化することによって,新たな労働契約の終了法理が創設されることや,判例変更がされることに対して危惧を持っております。   また,部会資料2ページの3の要件論では,事情変更の法理の要件を,厳格にすることなども検討していただいておりますが,その要件が抽象的であり,当てはめの結果の予測が困難なものである限り,明文化することにより濫用的に主張される危険性は高まると考えます。   以上により,事情変更の法理については,明文化をせずに,信義則上の法理にとどめていただきたいと考えます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   明文化の要否と,それから要件論等に関わる御発言だというふうに理解いたしますが,これから3の要件論について御意見を伺っていきたいと思います。   まず,事務当局から「3 要件論」について説明をしてもらいます。 ○村松関係官 それでは,3の要件論を御説明いたします。   要件論については,第1の3に記載しておりますけれども,中間試案においては,(1)の冒頭に記載した①から③までの三つの要件を一応の要件ということで提示してございました。パブリック・コメントの結果を見ますと,不明確であるといった指摘も寄せられておりますが,そもそもの総論的なポイントとして,3の(1)の末尾の辺りに記載しておりますけれども,事情変更の法理の当てはめを極めて厳格に行っていると一般に評価されている裁判例の立場,これを前提として,要件の在り方を検討するのが適切であるだろうと,こうしているわけですけれども,これでよいのかという問題が総論的にはあるかと思います。   また,(2)では,③の要件について記載していますけれども,これは従来の学説上言われていた三つの類型がございましたけれども,それを大まかに言えば二つに分けて規定しているということだと思います。こちらの要件につきましては,このように,経済的不能を,当事者間の公平を害するといった要件の中に取り込む形で,類型化して要件化していますけれども,それでよいのかといった問題。あるいは,経済的不能の類型に関して申しますと,資料にも記載しましたけれども,戦争等による全財産の喪失があったと,これが事情変更の法理の適用事例になるのか,ならないのか,これから外れていくとした場合には,その理由はどのように整理しておくか。   あるいは,契約目的不達成の類型に関して言えば,その例として語られることがあります花火の事例ですとか,パレードの事案については,予見不能と言えるのだろうかということも指摘できそうなんですけれども,一つの例と指摘されておりますので,そこはどういう意味なのか,それが適例でないということなのか,あるいは契約目的不到達の場合には,若干要件としての重さが違うということがあるのか,この辺りも一つの検討点ではないかなと思っております。   さらに,適用事例を類型化して要件化したことの当否そのものとも絡む問題ですけれども,通説的な見解が,要件として挙げております「信義則上著しく不当」といったこと,あるいは「信義則に著しく反する」といったことを要件として盛り込まなくてもよいのか,どうなのかといったことが,③の要件に関しては,是非御意見をお伺いしたいと思っている点ということでございます。   それから,(3)では,②の要件について記載しておりますけれども,予見可能性の要件における予見の対象を,どのように捉えるのか,それが戦争といった事由なのか,戦争によるインフレ,あるいは戦争による物価の高騰といった,そういったものなのかといった点が1点あろうかと思います。   また,想定を超える自然災害,大事故,戦争などといった例示をすることの当否,こちらについても,分かりやすいわけですけれども,それが適切なのかという観点からは,改めて検討が必要なのかなと思いますので,そういったところがポイントかと思います。   (4)におきましては,①の要件について記載してございますけれども,こちらについては,そもそもこの要件自体,著しい変更といった形で修飾を付けてしまってはどうかということが考えられますけれども,そういったことが適切なのかといった点が検討のポイントになろうかと思います。   あと,第1の最後の部分で,先ほど,安永委員から御指摘ありましたけれども,労働契約との関係,それから(1)のほうでは,契約は守られるべきであると,原則を明文化する関係を記述しておりますので,要件論が終わった後に,御議論いただければ幸いだと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分について御審議いただきます。 ○道垣内幹事 これまで,いろいろな中間試案に至るまでの間に,いろいろな規律につきまして何か要件を書こうとすると,それでは書き切れていない,信義則に委ねるほうが妥当ではないかという意見が出ました。しかし,信義則に委ねると明確になるのかというと,それは明確にならないのでして,私は,なぜ不明確だからで信義則に委ねるということになるのかがよく分かりませんでした。しかし,この事情変更の法理に関して申しますと,事情変更の法理というものが一定の場面で働いている裁判例というものがあり,それ自体が不当なものではないということは,大体の方のコンセンサスが得られる事柄ではないかと思います。問題は,それを何らかの要件立てをした形で書くのかということが問題であるところ,一般論としては,それをどうやって明確化していくかということになるわけですが,私はこの事情変更の法理に関しては,現在の信義則というものの一つ類型として,契約内容の給付の内容が,縮減されたり,あるいは増大したりするという場合があり得るんだということを,明文をもって示すということで満足すべきなのではないかという気がしております。   そこで,村松関係官が論ずべき点としておっしゃった,3番目だったかと思いますけれども,信義則に反する状態であるという,信義則という文言を,今までの私の立場とは必ずしも一致しないかもしれませんが,今回はここには入れるという方向で考えていくのが妥当であり,多分,そうしないとなかなかコンセンサスも得られないのかなという気がしております。 ○鎌田部会長 分かりました。 ○佐成委員 今,道垣内幹事がおっしゃった点について,内部で意見が出ましたので,御紹介したいと思います。   要件の中に,信義則という言葉を書き込むというような趣旨であったかと思います。もちろん,書き方はいろいろありますので,事情変更の法理の条文中に信義則という言葉を要件として入れるというのは,一つのやり方なのかもしれません。けれども,そもそも事情変更の法理というのは,信義則の具体化ということですし,信義則というのは非常に広い,いろいろなものを考慮して妥当な解決を図るという法理でありますから,それを国民に分かりやすく具体的にしようということですので,信義則の具体化の条文に信義則という言葉を入れるということ自体に,やはりそれで本当に具体化になっているのかという疑問がございます。   まず,その点だけ,内部で議論がありましたので,御紹介したいと思います。 ○岡委員 弁護士会全体は,立法例もあるし,法理自体には賛成なので,可能な限り明文化しようという方向です。それを踏まえつつも,私の所属する第一東京弁護士会は,権利の濫用法理で,まだしばらくはやるべきではないか,まだ時期尚早ではないか,との意見です。金子幹事が前におっしゃられましたように,事情変更の原則の典型例を話そうとしても,そんなに一致したイメージがあるわけではありません。道垣内幹事が下級審の適用例について,コンセンサスがあるというふうにおっしゃいましたけれども,さっき中井委員が言った判例のうち半分以上は戦前戦後のハイパーインフレの件です。それ以外の例で,平成9年の最高裁判例は,ゴルフ場ののり面が崩れるかもしれないという事案ですが,これは事情変更の事例ではないのではないかという意見が,一弁の議論では多うございました。   それから,もう一つ,中井委員が言った神戸地裁の伊丹支部の件は,土地の賃貸借で20年契約を結び,20年間の間は,この金額で売るよと,買うよという合意をして,20年たった後に,高度経済成長で土地の価格が23倍に上がっていたという事案です。これも,事情変更の原則で対処するような問題ではないのではないでしょうか。伊丹支部は,解除ではなく,金額の変更で処理しておりますけれども,これも事情変更の原則による改訂,あるいは再交渉で処理する事案ではなかったのではないかという意見が,一弁の中では多うございました。   そういうことで,永野委員がおっしゃったように,本当にばらばらな事例で,契約の趣旨によっても違うし,土地の値段が暴騰するという事例についても,ハイパーインフレの場合もありますし,20年間の高度経済成長で上がる場合もあるし,本当に様々ですので,それを後世の人たちのために,濫用のおそれがあるからあきらめるのではなく,濫用のおそれのないような条文を作ろうと,それはそうだと思うんですが,まだ時期尚早だというのが,基本的な私と一弁の意見でございます。   そうはいっても,前回みたいに怒られては困りますので,要件の具体化について考えてまいりました。これからいくと,まず①について,事情の変更について,著しいを入れないほうがいいと,平成9年の最高裁判決も,事情の変更のところでは網をかぶせず,予見可能性だとか,帰責事由のところでやっていて,そちらのほうが柔軟な解決ができるというふうに書かれておりますけれども,やはり先ほどのような基本的な発想からいって,本当にひどい場合に解除だけは認めるという観点からいくと,①についても,著しい変更,想定できない事情による変更,それは②とかぶるかもしれませんが,まず①についても,形容詞を入れるべきではないかというのが1点目でございます。   二点目は,②についても,予見と帰責事由という言葉を使っておりますけれども,平成9年の最高裁の野山調査官の判例解説を見ても,事情変更の原則のところで使っている予見,帰責事由というのは,損害賠償の範囲だとか,免責事由の論点のときの言葉とは質的に異なるというふうに書いています。またそのとおりだと思いますので,この予見だとか帰責事由という言葉では,危険だと思います。予知という言葉が考えられますが,地震予知みたいで何か今ひとつだなとなりました。しかし少なくとも,予見,帰責事由ではない言葉を考えるべきだという意見が強うございました。   ③については,衡平を害するというのが,当初契約の内容を維持することが衡平を害するという意味で,そんなに変ではないのかなとも思うのですが,やはりその最後の時点におけるバランスだけで考えるような印象を受けます。衡平を害するというよりは,信義誠実の原則上,拘束が著しく不当かどうか,そういう言葉のほうがよいのではないかという意見が多うございました。   それに加えまして,あと三つ,やはり契約の趣旨,継続的契約なのか,どうなのか,どういう理由でそういう価格を決めたのか,そういうことも,当然考慮されるとは思いますが,それを明示するために,契約の趣旨という言葉でありますとか,ドイツの立法例は,契約のあらゆる事情というのが入っておりますので,そういう契約の全体的なものをしっかり見るんだという言葉は,是非条文に入れるべきではないかという意見が強かったです。   次に中国の条文の中に,商業上のリスクは除くというのがあります。これをどう表現するかは難しいんですが,通常の経済原則,経済法則に基づく価格変動は除くとかが考えられます。ここが一番経済界が危惧しているところだと思うんです。そういう商業上のリスクを除くという観点も,是非条文化しないと危険であると思います。   最後ですが,補足説明にも書いてありますとおり,金銭債務あるいは支払い能力の欠乏の場合は違うと思います。議論はありましたけれども,やはりそうだろうと思います。金銭債務の場合は別で,支払能力の何らかの特別な理由による欠乏は,この法理の適用対象にはならないということも明示すべきではないかと思います。そのぐらい心配をして,条文化をするんであれば検討対象になるんではないかと,こういう意見がございました。 ○潮見幹事 貴重な御意見ありがとうございました。   その上で,そうであればということで,むしろ岡委員にお伺いするのがいいのかどうか,よく分かりませんが,お話の中でも出ておりましたドイツ民法313条の1項のような規定ではだめでしょうか。といいますのは,商業上のリスクとはちょっと置いておくとしまして,基本的に事情変更の原則が問題になる局面ということで,考えなければいけない観点というのは,大きく分けて三つありまして,第一は,契約締結後に事情が著しく変更したということ,第二は,両方の当事者,特に不利を受ける当事者が当該事情を予見していれば,同じ内容の契約を締結しなかったであろうということと,そして第三は,その状態で,元の契約を維持することが,特に不利益を受ける当事者にとって,期待することができないということです。   つまり,契約締結後にひどい事情が生じて,その事情を予見していたならば,二人はその契約を締結しなかったであろうし,さらに,この契約をなおこの状況下で維持するのが,当事者にとっては期待できないというのが,事情変更の効果を再交渉という効果に結び付けるか,解除という効果に結び付けるかは別として,出てき得る観点だと思うんです。ほかの比較法的にも,基本的にこの枠組みに沿って立てられているとも思われます。   実際に,今,岡委員の御発言を聞いておりましたら,中間試案に対する1,2,3という,①,②,③のところで,これに対応する事柄が言われており,その対応する内容については,正にドイツ民法で書かれている文章で表現されているのかなという印象を受けました。そうであれば,修文の可能性は残した上でですけれども,基本的な枠組みとしては,事務局のご提案の枠組みで考えていったほうがいいのかなとも思いました。あえて言うなら,中間試案のところで,③のところで,目的達成不能又は契約内容の維持が両当事者間の公平を害するというところを,少しブラッシュアップしてこっちに近づけていき,さらに,予見不可能というところも,従来のヨーロッパの伝統の不予見理論というのがありますから,それをずっと流れをくんでこういう予見という言葉がつながってきているんでしょうけれども,今回は予見というよりはむしろ,予見していれば同内容の契約を締結しなかったというところにあるわけですから,そこのところを想起させるような,そういう文章にしていくという形で対応するのもありかと思いました。 ○岡委員 ドイツ民法の表現を熱烈に支持する京大卒の弁護士も,いらっしゃいました。   ただ,今回議論している中で,実務家が,一貫して言っている,期待不可能という言葉については,やはり違和感がある弁護士がとても多うございます。また,リスク配分という考え方も,本当にそれでいいのかという意見が強いです。ただ,それに親近感を感じる弁護士もいます。それはともかく,もし立法するのであれば,さっき申し上げた神戸地裁伊丹支部の事案,すなわち高度成長経済のために20年で23倍になった事案において,解除ができるのか,できないのか事例で明確なメッセージを残した上で,立法化しないと,それは無責任ではないかと思います。 ○佐成委員 今の点,ドイツ民法の表現に倣った明文化という点に関してですが,私も,明確なメッセージは重要だと思います。とりわけ事務局がこのペーパーで指摘されている平成9年ののり面崩壊の事例,これには少なくとも事情変更の法理は適用されなかったわけです。また,今,岡委員が示された神戸地裁伊丹支部の事例があったわけですけれども,仮にドイツ民法の表現に倣った条文をそれらの事例に当てはめたときに,同一の結論が得られるのかというのが,やはり極めて重要かなと思うわけです。   今,岡委員は神戸地裁のお話をされましたけれども,少なくとものり面崩壊なんかの事例を思い浮かべますと,果たしてこれでうまく切れるのかなと心配です。あれは適用を否定しておりますし,やはりそれが最高裁の最終的な判断だったわけです。もちろん,あれがそもそも事情変更ではないという議論もあり得るかもしれません。けれども,仮にあれが唯一の最高裁レベルの事例であり,しかも,適用を否定した事例であるとはいえ,何と言っても最高裁のレベルで論ぜられたものだとしますと,それがうまく記述できないような条文というのは,本当によろしいのかという,そういう観点があると思います。従って,仮にドイツ民法に倣った条文を候補として考えたときにも,やはり本当にこれで間違いなく最高裁と同一結論になるのかということは,検証しておく必要があると思います。   私がぱっと見た感じでは,のり面崩壊の事例では必ずしも同一結論にはならないような気もしております。むしろ,もしこれを単純に適用してしまうと,恐らく結論は逆になってしまうのではないかなというような気もしました。ですから,ちょっとこれだと緩すぎるのかなという気はしたというところでございます。 ○村松関係官 恐らく平成9年の最判は,事情変更を適用して,認容するような事案ではおよそなかったという御趣旨を岡委員はおっしゃったと思います。伊丹支部の判決についても,あれは結論は認めているけれども,むしろあれはちょっと突出した下級審の裁判例ではないかと。むしろ,認めないほうが適切だったのではないかと,こういうことでしょうか。 ○岡委員 伊丹支部は,契約の改訂で結論付けています。私自身は,改訂だったらあり得るかもしれないと思いながら,解除は無理ではないかと,そういう意見でございます。 ○村松関係官 すみませんでした。   私,最初に申し上げましたけれども,平成9年の最高裁判決もそうですけれども,あるいは裁判所が基本的にすごく厳しいと言われているわけですけれども,条文化をどう図っていくのか,なかなか道のりが平坦な問題ではないわけですけれども,条文化を図る検討をする上では,まず水準感というか,かなり厳しくしか適用しませんよというところが,特に異論がないという前提でよいかといったところを議論したほうがいいのかなと思っておりまして,今,幾つか裁判例についての御指摘がありましたけれども,どれがというのは,なかなか言いにくいところがありますが,少なくとも,例えば平成9年の最判は,これは当然だという前提だったかと思いますけれども,そういうことについて,学者の皆さんも含めて,さほどというか,異論はないということで理解していいのかどうか,少し確認させていただければと思うんですが。 ○鎌田部会長 その点は異論がないように,これまでの議論を聞いていますけれども,それはよろしいですね。今の判例よりも,もっともっとこの事情変更の原則を適用しやすくすべきであるというふうにお考えの方は,これまでの御発言の中ではなかったというふうに思います。 ○深山幹事 中間試案の要件については,おおむね結論において妥当ではないかなと思っているんですが,今の点ともしかしたら関係するかもしれませんけれども,一点,ここは違うのではないかと思うのは,「契約をした目的を達成することできず」という要件です。試案の整理で言うと,ア,イとあるうちのイの前段です。補足説明のほうで言えば,要件の①,②,③のうちの③の前段ということになるんですが,この前段,後段は,「または」でつながっているので,どちらかの要件を満たせばよいということになっております。後段のところは,信義則の観点をもう少し噛み砕いた表現として,「当事者間の衡平を著しく害する」としたもので,これはこれで妥当だと思うんですが,「契約目的を達成することができず」という要件は疑問です。これは学説の整理で3パターンあるといううちの一つに対応するような要件立てなのかと理解するんですが,判例法理とも違うような気がします。ここで挙げられている例ですが,花火を見るつもりで借りたとか,パレードを見るつもりで借りたという場合,これが果たして事情変更の法理の適用を検討すべき場面なのかというと,私は甚だ疑問でありまして,こういうものまで拾えるような要件にする必要があるのかと思います。   他方で,「当事者の衡平を害する」ということと並べて,どちらかの要件を充たせばよいというような並べ方をするのが適切なのかというと,それは甚だ疑問です。   つまり,契約目的を達成できなければ,当事者間の衡平を著しく害さなくても,要件を満たすということになるわけですが,そういうものではないだろうと思います。「当事者の衡平を著しく害する」というのは,かなり必須の要件であって,欠くことのできない要件という気がしますが,他方で,先程の花火の例なんかが例に挙がるようなものとして,「契約目的を達成することができない」ということが要件になるということは,やはり本来法理が適用される場面としてはふさわしくないのではないかと思います。動機の錯誤か何かで救われることがあるかもしれないような場面だとは思うんですが,事情変更の法理の場面ではないのではないかという気がいたします。 ○鎌田部会長 この辺の事例は,ドイツ等の教科書事例ではないかと思うんですけれども,何かその点について御意見があれば出していただけると助かりますが,特にはよろしいですか。花火や何かの事例は,適用はないという前提で出しているんですね。 ○村松関係官 事務局としては,恐らく例として出されているけれども,日本で改正の中で議論すると,きっとこれが認められるという結論だと,違和感のある方が極めて多いのではないかという気がしたので,確認しておきたいなということです。 ○中井委員 今の点について,私は深山幹事の意見と同じで,花火等を想定してここで契約した目的を達することができずのみを要件にすることについては,違和感があると申し上げておきたいと思います。むしろ,当事者の衡平を害する,だから信義則上,拘束力を持たすのが不当だというのがメーンの要件になるのではないか。   それから,質問というか,確認ですけれども,基本的に双務契約を前提として対価関係が著しく害される事例が,典型例として想定されていますけれども,後ろの立法例を見ると片務契約について触れられている例もあるんですが,これは要件論のときにどうなるのか。正直なところ,片務契約,単に200万払えが,インフレ等によって価値が下がったからといって,多額の金銭を払えというのは,適用対象外ではないか。ただ,それを適用対象外かどうか,それらは含まれない方向での議論であるべきではないかと思っているんですけれども,その点はどうなのか。   それからもう一点は,予見とするか予知とするかはともかくとして,当事者が担っているのですが,当事者のみでいいのか,一般平均人といいますか,合理的にそうなのかということも,要件に書き込む必要があるのか。これも立法例を見ていると,そういう観点の入っているところもあるようにも思うものですから,その二点は,確認して議論しておく必要があるのではないかと思いました。 ○鎌田部会長 ほかに,要件論に関連して,御意見は。 ○高須幹事 むしろ,素朴な質問のレベルで申し訳ないんですが,今の3ページの③の要件の,当初の契約内容を維持することが当事者間の衡平を著しく害すること,この衡平という言葉が,多分ポイントになるんだと思うんですが,具体的に条文化されるときに,衡平という言葉がそのまま条文化されるという前提で考えていいのかどうか。それとも,試案ではこういう検討をしているけれども,条文となると,またここは違う言葉になる可能性もあるのか,もしそうだとすると,信義則という言葉のほうが確かに使い慣れているという面はある。この辺りがちょっと気になったので,もしお考えがあれば教えていただきたいと思うんですが。 ○村松関係官 中間試案における表現は,必ずしも条文表現をにらんだものではなかったんだろうと思いますが,今後の議論の過程では,条文表現としての適切さも,それは私どものほうから意見を述べたりという形も含めて,考えていかなくてはいけないんだろうと思います。   正直申し上げて,信義則という言葉が使えるのかどうかという点についても,よくよくいろいろ検討しなくてはならない問題がありまして,ほかの法律で使っているのかという基本的な問題もありますし,あるいは信義則というよりも,やはり衡平と言ったほうが,その理念を適切に示すことができるんだといった御議論もあるだろうと思います。そこは正に今要件論を御議論いただき始めたところだと思いますので,そういう信義則とするのがいいのか,悪いのか,あるいは信義則では,佐成委員がおっしゃいましたように,やはりかなりぼんやりした印象が最終的に出てしまうだろうということが,どう見えるのかという点もあるでしょうし,いろいろな判断要素を含めて,今後ちょっと議論いただいたところを,また事務局として考えてということだと思います。 ○高須幹事 そういうことであれば,意見になる部分ですが,衡平という言葉は,私はいい表現だと思います。この衡平という言葉を用いることでの明文化が可能だということであれば,この言葉は大切にしていただけたらなと思います。 ○岡崎幹事 先ほど,岡委員,その他の先生方から,具体的な事例を取り上げて,要件についてコンセンサスがあるかどうかを確認すべきであるという御趣旨の御発言があったかと思います。   そこで,少し事例を考えてきましたので,一つここで紹介してみたいと思います。目的不達成の一種に当たるかと思いますけれども,例えば,XがYに対して,山中の別荘を1か月間賃貸する契約を締結したところ,その賃貸期間の直前になって,大雨によって土砂災害が起こりまして,別荘そのものには被害は生じていないのですけれども,別荘に至る林道が土砂災害によって閉鎖されてしまって,当面復旧する見通しが立たず,1か月間の賃貸期間が,その間に経過する見通しになっているというケースを想定してみたときに,これは契約目的を達成できないことになるのかとも思います。例えばこのようなケースで,事情変更が認められるのかどうかを議論してみてはどうかと思いましたものですから,話題として提供させていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 今の事案について,いかがですか。 ○松本委員 今のは,事情変更ではなくて,単なる賃貸借における賃料請求権発生の前提としての引き渡しというか,利用可能な状況に置くという債務が果たされていないから,賃料請求権は発生しないというほうで処理をするのではないでしょうか。 ○鎌田部会長 債務者は履行が可能なんだけれども,債権者というか,賃借人がそこまで到達できない状況に置かれているということですから,それは,賃貸人が履行をしていないわけでもない。 ○松本委員 引き渡しはできていないわけですよね。今のようなケースで,どういう状況になれば引き渡したと言えるのかと,鍵を渡せば引き渡しなのかというところは,恐らく問題にはなるんでしょうが。 ○岡崎幹事 例えば,鍵については都市部で引渡しが終わっていて,そこに行く道だけが寸断されている,極端な話,ヘリコプターか何かに乗って行けば,行けなくはなく,建物の中はもちろん使えるような状態になっており,土砂災害の原因も100年に一度の大災害とかではなくて,しばしば起こるような大雨によるものであるという事例にしたときには,微妙な要素があるという御意見の先生もいらっしゃるのではないかと思ったものですから,ちょっと話題に出してみました。 ○高須幹事 平成9年の最高裁の判例などの趣旨からすると,やはり山の中の別荘を借りてバカンスを過ごそうという人は,それなりのことを考えるべきであって,もし台風でも来て道が行けなくなってしまったら,行けないけれども,それは多分その人の判断で決めたわけだから,リスクは負うべきだということではないか。そういう意味では,やはりそういう場所を借りたというところでは,そういうことが起きるということは予見不可能とまでは言えないのではないかと思います。答えになっているかどうか分からないけれども,そんな感じではないかと思います。 ○鎌田部会長 貸す側も予見してリスクを引き受けておけという議論だって,しようと思えばできなくもないかもしれない。 ○松本委員 契約の趣旨とか,リスク配分の問題に還元してしまえば,事情変更の議論にする必要が,私はないと思うんです。そういうことがはっきりしていない場合に,どうなるのかというのが,正に事情変更の話だろうと思います。ヘリコプターで行くというのは,普通は考えないんだとすると,利用できる状態というのが前提ではないか。確か,賃貸借のところの議論で,居住不可能になった場合については,賃貸人か賃借人かどちらの責めに帰すべき場合であったとしても,契約が終了してしまうのだという議論をしていましたね。つまり,履行ができなくなった以上は,対価は発生しないんだというのが,賃貸借の原理だという主張がかなり強かったと思うんです。今の場合に,ヘリコプターで行けばいいんだ,月のどこかの土地を貸してやるという契約で,月ロケットで行けばいいんだというのと似たような議論だから,そういう前提の契約であれば別として,そうでなければ,全く現地に到達できないような建物の賃貸借というのは,履行不能で処理したほうがきれいなのではないでしょうか。 ○鎌田部会長 もうお一方挙手をされていましたが。 ○佐成委員 今のお話と関係するかもしれないんですけれども,私が先ほど手を挙げたのは,履行不能との区分についてです。要件を厳格にしていくという方向性,適用場面は非常に例外的な事象であるという方向性が妥当だろうとは思うんですけれども,非常に例外的な場合に解除するとして,それで契約が終了して債務がなくなってしまうというような状況というのは,今,松本委員がおっしゃっていましたけれども,履行不能,すなわち,履行障害が発生しているというときと非常に極限的には近くなってきて,それとの区分をどう整理するかなんです。観念的に履行が可能な場合は,事情変更で,観念的にも履行が不能だったら,今,ヘリコプターとかありましたけれども,そういうのは履行不能だと,そういうふうに切り分けるというのも,一つの考え方かもしれません。   どういうふうに切り分けるか分かりませんけれども,いずれにしても,もしこれを立法化するということであれば,そして,要件を厳格にしていくということであれば,履行不能との境界を明確にしていかないと,非常に使い勝手が悪いだろうということがあります。   実際,内部で議論していた中で,出てきた意見としては,そんなに極限的な状況というのは,実務的にはもう,むしろ履行不能で扱っているんだと,だから事情変更などを持ち出すということ自体がおかしいのではないかという,そこまでおっしゃる方もいらっしゃいました。ですから,今,松本委員がおっしゃったような感覚というのは,ある程度実務的な感覚なのかなというふうにも,お聞きしていて思った次第です。 ○村松関係官 恐らく,履行不能と事情変更の法理の仕分けですけれども,恐らく,一つのある事象が,先ほどの例えば事例みたいなものがあったときに,履行不能とも言えるし,事情変更の要件全部かどうかはともかくとしても,ある部分は満たしているということは,想定し得るのかなという気がいたしますが,恐らく基本的には,履行不能が認められるということであれば,議論をそれ以上する必要はない。問題は,これはさすがに履行不能とは言えないだろうなというような物事が起きているときに,その事情変更の法理という,伝家の宝刀みたいなもので契約の拘束力から離脱できるのかということを考えるということなのではないかという気もしておりまして,つまり両方の境目をはっきりさせるというよりも,まず履行不能がもちろん一般的にあると思いますけれども,それが働かない,つまり履行不能とは到底言えないところについて,事情変更の法理が極めて厳格な要件の下で議論されるということではないかなと思います。その意味で,切り分けというのがうまくできるのかというのは,余り想定していなかったんですけれども。 ○中井委員 今の例も,先ほどの契約をした目的を達することができる,できない類型を,この対象として想定をしたときに,果たして共通の理解になるのかという問題を感じました。   契約をした目的を達成することが仮にできないとしても,その結果として,その次の契約内容を維持したのでは,当事者間の衡平を著しく害して,その拘束力を,今の例で言うならば,賃借人に負担させたのでは,それは信義則に照らしても酷である,不当であるという場合であれば,それはこの適用があるのかもしれませんけれども,ここは「又は」でくくられると,後者の要件を満たさなくても,契約目的不達成でできてしまう,それはやはり本来考えた事情変更の法理からは,離れているように思うんです。   仮に,前者だけ,契約した目的が達することができる,できないだけの議論だと,今,お二方からもありましたけれども,履行不能,若しくは場合によっては解除ができるかどうかという議論の中で収れんできるのではないか。 ○岡委員 まず,岡崎幹事の出された質問については,私も事情変更の法理の適用場面ではないと思います。貸主の利用させる債務の,責めに帰すべからざる履行不能で対処するのが正しいように思います。ただ弁護士ですから,建物所有者の立場に立つか,借主の立場に立つかによって,どっちの理論も成り立つところでございまして,これは最終的には岡崎幹事,質問を出された裁判官ご自身がどう考えるというのは,後で答えてもらいたいと思います。ともあれ岡崎幹事の出された問題は,事情変更の法理の対象ではない,そのためにも,補足資料の①の要件で,著しいというか,異常な変更が起きた場合と書くべきと思いました。   二つ目の,村松関係官がおっしゃった履行不能との限界の点ですが,物理的な履行不能ではなく,取引通念上,社会通念上の履行不能だろうと思うんです。1万円で契約していたところ,土地の価格が1000倍に暴騰したと。この場合,土地を引き渡すことは,物理的には,全然履行可能なわけですけれども,当初の契約金額と引き換えに渡すことが,それは余りにもひどいではないですかということです。このような規律は,権利者の権利濫用,あるいは履行請求権の限界事由があるということで,対応できるのではないか,現行法では,権利の濫用で対処しているのではないかと思います。 ○山本(敬)幹事 少し議論の流れが,よく見えなくなったので,確認をさせていただきたいのですけれども,今の問題は履行不能の問題として処理すればよいというのは,履行不能であるということを認めるということなのでしょうか。そうすると,履行はされないわけですから,もちろん賃料も取れないという結論になるはずなのですが,そのような結論までおっしゃっているのかというのが,確認したい点の一つです。   もう一つは,履行不能は,言わずもがなのことではありますけれども,やはり債務者にとって,そこまでの努力やコスト,その他の労力をかけて履行することは,もはや要求できないという場面で出てくる法理と理解されているのではないかと思います。今の例が,そのような例に当たっているのかというと,何となくそうかもしれないと思わせるような表現もされてはいるのですけれども,やはり厳密に言うと,今申し上げたような意味での履行不能の典型的な問題ではない。だからこそ,岡崎幹事はこのような例を出しておられるのだろうと思います。その点も,このまま議論が終わってしまうと,中途半端ではないかと思いますので,確認をさせていただければと思います。 ○鎌田部会長 多分,履行不能の概念を,岡委員よりは狭く捉えて,だから事情変更の原則によらなければ対処できない事案ということで,この資料の3ページ,4ページに幾つかの類型が出てきているんで,岡崎幹事の挙げられたのは,目的到達不能類型型なんだろうと思いますけれども,最も厳密に見たときには。ただ,それをこれまでの日本の立法解釈論がそういうものを,履行不能や何かから外して,専ら事情変更の原則の問題として扱ってきたかというと,それはむしろ岡委員の御指摘のような形での処理をしてきたのが,日本的な処理の仕方であったんではないかというふうに思います。 ○村松関係官 そういう意味で,類型も三つあって分かりにくいところがありますが,確かに,契約目的の到達不能との兼ね合いというのは,非常に難しくて,どちらに整理するのかという問題はある。ただ,等価関係の破壊みたいなものとの関係は疑問はないので,契約目的の不到達類型は,この改正後の履行不能において,どう見ていくのかという,そちらとの兼ね合いもあるということだと思います。 ○中井委員 先ほどの,岡崎幹事の出した例については,履行不能という評価もあるかもしれませんし,履行不能ではない,ヘリコプター若しくは他の代替手段で別荘は使えるかもしれないとすれば,履行不能でない。そうすると,履行不能ではないけれども,契約目的を達しない場合,そういう場面になったとき,それで,仮にその災害が当事者にとって予見することができないという要件,契約後の事情の変更という要件,①,②の要件を充足したときに,この事情変更の法理で解決するという結論だと言われると,それは違和感があります。そのときには,イの要件は契約目的を達しなかったという要件のみで充足されてしまうわけで,その後ろの衡平を著しく害しているのか,害していないのか,1か月の賃料,10万を,払うか払わないか,払わせることによって,この後半の要件について全くしんしゃくしなくて結論が出てしまうんですけれども,それは違うのではないですかということを,先ほど申し上げたんです。 ○永野委員 今の岡崎幹事の事例を,事情変更の法理を使わないで,どのように解決できるかについては,いろいろな意見があると思います。しかし,今問題なのは,事情変更の法理について,仮に法文で定めるとした場合の要件設定をどうするかという議論がなされており,厳しい要件設定が必要であるというのが,一般的な意見の流れになっておりますが,要件設定というのは,ある程度具体的な事例を想定して考えないといけないということではないでしょうか。   そういったときに,今,目的不到達型という類型が一つ検討されていますけれども,例えば先ほどのような事例に事情変更の法理が適用され,契約が解除されることになっていいのかどうかという,これは法理というよりも一定の価値判断の問題について,ここにおられる皆さん方の間で一定のコンセンサスがないといけないのではないかと思います。どういう趣旨でこの事情変更の法理について法文を定めていくのかという,立法事実に当たる部分だろうと思いますが,そこについての具体的なイメージ,結論について,ある程度のコンセンサスを持った上で要件設定を議論する必要があると思います。それをせずに,抽象的に文言の強弱について議論をしますと,議論が空転しますし,また,現実の適用においても予測可能性がなくなって非常に困るのではないかと思っています。 ○松本委員 恐らく,目的を達成できないというような表現をしたときの,目的という言葉が,非常にふわふわとした曖昧なものだから,履行不能も入るし,それ以外も入るという印象を与えるのではないかと思います。花火のケースは,これはイギリス法だと有名なコロネーションケースですよね。戴冠式のケース。あれは,ホテルの部屋を借りて,ホテルの部屋を使うという意味では,目的は達成できているんだけれども,そのホテルの部屋を借りるのは,戴冠式のパレードを見るためであると。正に花火を見るために,この旅館の部屋を借りたんだということですから,給付義務と少し外れたところにある目的だと思います。だけど,今の山奥の別荘というケースの場合は,別荘を使える状態にするというのは,給付義務であると思うんです。   となると,それが果たせない状況になる,債務者の責めに帰すべからざる事由だけれども,そこに到達できないということは,花火が見られないというのとは,やはり違った,もう少し本来の給付義務のほうに近い問題ではないかなと思います。 ○潮見幹事 先ほど,山本敬三幹事がおっしゃった議論錯綜というところにも関わるのかもしれませんけれども,今おこなわれている議論では,二つのことが錯綜しています。一つは,履行不能と事情変更が切り分けることができるのかどうかという話です。それから,もう一つは,先ほどの永野委員の話にもありましたけれども,事情変更を仮にルール化する場合に,要件として何がふさわしいのか,目的達成不能ということで足りるのかという話です。   前者の問題につては,恐らく,履行不能をどのように捉えるのかによって,かなり考え方は変わってくるのではないかという感じがいたします。他方,しかしながら,履行不能をどう捉えるにしても,その後,事情変更というものを捉えていくときに,どこに注目をしていくのかというのは,これはユニドロワ原則やヨーロッパ契約法原則等もそうですか,事情が変わって不利を受ける側,特に不利を受ける側が債務者であった場合には,債務者にとってコストが莫大に掛かってくるようになるという点です。不利を受けるのが債権者であった場合には,債権者がそれによって,契約によって受ける価値というものがものすごく小さいものになるということです。そういう場合について,契約の拘束力を維持して,両当事者が履行を義務付けられるということでいいのかと問いかけ,一定の場合に,契約の改訂に向けた手段を与えようという形で,事情変更の原則が立てられてきたのではないのでしょうか。そういう意味では,履行不能と事情変更の法理は,交錯する部分はあろうかと思いますけれども,しかし観点が違います。   後者の問題,つまり,要件立てのほうですけれども,私の見たところでは,契約目的達成不能は,飽くまでも事情変更の原則が問題になる一つの類型にすぎません。契約目的達成不能に当たるからということで,即,事情変更の法理が発動され,先ほどから議論があったような形でのサンクションが出てくるということには,必ずしもなりません。そういう意味では,目的達成不能ということのみを立てて,要件化するということについては,疑義を感じます。   ここで問題になっているのは,これこれの事情の変更が生じているから,この契約に当事者を元のままの形で拘束するということがよろしくないということをどう表現するかであって,そこに高須幹事がおっしゃったような衡平という表現が適切であるとするならば,それを入れて表現をすればいいわけであって,またその場合に,衡平の判断のところで,具体的当事者か合理的な人なのかという,中井委員のような疑義があるということであれば,その辺りが疑義のないような形で表現ができれば,それはそれとしていいのではないのかなというふうに思いました。   いずれにせよ,後者の問題については,契約目的達成不能のみをここに取り出して,これを満たせばいいという形で立てるということに対しては,若干,心配があります。 ○内田委員 契約目的達成不能というのを,条文上の要件として掲げるかどうかについては,潮見幹事がおっしゃったとおり,検討を要すると思いますけれども,一応,この類型についての議論がされていますので,少し補足的に発言をしたいと思います。   まず,花火とか戴冠式というのは,何か冗談みたいな事例で,こんなことで事情変更が適用されるのかという印象を与えているかもしれませんが,花火というのは,私は事例を知りませんけれども,コロネーションケースというのは,あれは1900年でしたか,世紀の替わり目のときの戴冠式で,世紀が替わるところでちょうどそのタイミングで国王が代わる。こんなことは,歴史上もうないというので,それを前提として,パレードを見るための部屋を借りたという事例だったと思います。ですから,極めてまれなケースにおいて,しかも全く当事者が想定もしていなかったような事態で,パレードが中止になったという事例の判決ですので,そう軽い事例ではなかったのだろうと思います。   それから,岡崎幹事が挙げられた別荘の事例は,直観的には貸別荘契約のような印象を受けますが,貸別荘だとすると,どういう趣旨でその契約をしたかにもよるので,それを踏まえて賃借人の側は,全く現地に到達できないのだから賃料は払わないと,多分言うのだろうと思います。その理由としては,相手は客観的に利用できる状況で貸すという債務を履行していないのに,なぜ賃料を払う義務が生ずるのかということを言うのではないかと思うのですが,これは正に契約の趣旨に従った履行があったかどうかの話になって,仮に履行されていないと評価されるなら,履行が不能であったかどうかに関する法理が存在していますので,恐らく,そちらで処理をするというのが,この中間試案の立場ではないかと思います。   そうすると,事情変更で出てくる目的不到達というのは,どういう事例なのかということですが,この分野について議論の厚みがあるドイツで挙げられている例では,ある事業者同士で競業避止契約を結んだ。ある商品について,自分は販売しませんという契約を結んだところ,競業関係にあった相手の事業者が,全く予期しない事情によって,その事業をやめてしまったという場合に,なおこの契約を維持するかというような例が挙げられます。   この場合には,その商品を扱わないという債務自体は,完全に履行可能なわけですが,しかし履行することは全く無意味になったという場合に,なお契約の効力を維持するかというような事例が挙げられます。履行することが契約の元々の趣旨からして全く意味を持っていないというような場合に,なお契約を維持するかというのが,このカテゴリーであろうと思います。それを,独立に取り上げて,要件に組み込むかどうか,これは最初に申し上げたとおり,詰めるべき問題はあるだろうと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかには,いかがでしょうか。 ○中井委員 今の内田委員の最後の例について確認ですけれども,それで契約が無意味になっただけで止まっているのか,だからそのような契約に拘束させることが,当事者の衡平を害する,若しくは不当な結果を生む,それを充足しているからという事例なんでしょうか。そこの判断は全く抜かして,契約が無意味になったから適用して解除を認めているんでしょうか。 ○内田委員 この例を挙げた学者は,契約が無意味になって,それに拘束することが,正におっしゃったように衡平に反するというか,不当であるということで,解除を認めるべきだということなのだと思います。ですから,ここで言う目的不到達というのは,契約をした目的を達することができないという債務不履行解除のところで出てきている要件よりは,もう少し重いものが想定されていて,契約の当事者が自明の前提としていた契約の前提条件が,もうなくなっているというような場面のことを考えているのだと思います。それを表すのにこの表現がいいかどうかは問題として残っていて,やはり拘束することが信義に反するとか,衡平に反するということもきちんと書くべきではないかという議論は,よく理解できます。   しかし,想定されていたのは,今のような事例ではないかということです。 ○岡委員 内田委員の最後の例は,日本では権利の濫用ではねているようにも思うんですが,権利の濫用との関係は,何か議論されているんですか。 ○内田委員 どういう意味で,権利濫用なんでしょうか。 ○岡委員 競業避止を求める権利はあるけれども,もう自分は廃業しているんだから,何の意味もないので,そんなのは許さないと。 ○内田委員 求められなくても,義務は負い続けているわけですよね。 ○岡委員 でも,権利者が権利濫用で権利行使できないので,結果として義務者は拘束・義務から事実上逃れられますが。 ○鎌田部会長 逆に,こういう法理が確立していますから,一般条項を持ち出すより,むしろこの法理に従ったほうがいいという,そういうことになるんだろうと思います。 ○村上委員 先ほど内田委員が最後に挙げられた例についてですが,今回の中間試案では,履行請求権の限界事由として,「当該契約の趣旨に照らして,債務者に債務の履行を請求することが相当でないと認められる事由」があるときは,履行を請求することができないものとするとの案が掲げられており,文言だけを見れば,これに当たり得るようにも見えますので,やはり,履行請求権の限界事由と事情変更の法理との関係について,具体的な事例をいくつか作ってみて,どちらが適用されるのか,あるいはどちらも適用されないのか等を一つずつ確認していくという作業をしておく必要があると思います。 ○鎌田部会長 そういう意味では,この原則を作らないと,従来の履行不能とかでは処理ができないような問題としては,こういう事例がありますよというのを,明確に出して説明をしたほうがいい,そういうことになりますね。   ほかに,いかがですか。最初の信義則をこういう条文の中に入れることの当否という問題については,消費者契約法の10条が,権利の制限とか,義務の加重とか,利益を害するとか,こういう客観的なものだけでは十分な判断ができないというので,信義則に反してという文言をあえて付け加えているんで,そういう判断基準というか,判断の視点を導入するために,こういう信義則を具体化する条文の中に信義則が入ってきても,それは余りおかしくないのではないかという気もします。   ほかには,いかがでしょうか。   明文の規定を置くことの適否,要否というふうなことについては,本日の御議論を踏まえた上で,さらに事務当局において十分に御意見をそしゃくした上で,検討するという前提でおりましたけれども,時間がまだございますので,その点につきましても,御意見がありましたら,お出しください。 ○山川幹事 労働契約についても,よろしいでしょうか。   1点だけコメントがございます。資料の7ページですけれども,ここに書かれてあります事情変更の法理の適用は極めて厳格になるだろうということは,そのとおりかと思いますけれども,事情変更が認められる範囲が,解雇が解雇権濫用にならない範囲に完全に包摂される,つまり事情変更が認められる範囲が完全に解雇が有効となる範囲に包摂されるかどうかについては,なお検討の余地があるかと思われます。   それは,先ほど安永委員の言われましたような,例えば整理解雇法理における人選の合理性とか,手続的な要素とかです。ここで,その点に関して,更に検討すべきと思われるのは,前も少し申しましたけれども,労働契約法16条の解雇権濫用法理等の適用関係でありまして,以前は,労働契約に関する特別法ではないかというようなことを申しましたけれども,もし特別法という表現が余り正確でないとすれば,言ってみれば,労働契約法16条等の規定が,仮に事情変更の法理が明文化されたとしても,適用が排除されないということが確認できるようでしたら,事情変更とは別に解雇権濫用法理が判断されるという余地は,先ほどの手続的な面も含めて残りますので,そういうことでしたら,特に労働契約の分野には影響は与えないのではないかというふうに考えておりますので,その辺も確認できるかどうか,検討の対象になると思います。 ○鎌田部会長 その点は,事務当局で更に検討するということでよろしいですか。 ○村松関係官 検討はさせていただきますが,この資料で書きましたのは,どちらかといいますと,事情変更の法理,特に予見の問題については,かなり高度なものを要求するというのが,最判で示されていて,今回もその方向性で作ることに異論はなかったということだと思います。そして,そういう極めてレアケースに適用されるものとして純化して提示しようと考えた場合に,では労働契約を締結しようという場合にはどうか。将来的な事業の見通しが悪くなったので整理解雇が行われるということですとか,あるいはこの従業員にこんなことがあったら,こういうふうに解雇していこう,そういうことを想定していろいろと就業規則に定めたりすると思うんですけれども,そういうものは,むしろ一般的には雇用契約においては想定するのが普通なような気がいたします。資料の中にも若干書きましたけれども,契約でリスク分担について想定していれば,事情変更の法理は外れていきますよというのが,今回の事情変更の法理の基本的な考え方であるとすると,労働関係においては,むしろ解雇に関する事項は想定されていると見るのが普通なような気がいたします。そうすると,事情変更の法理の適用場面ではないと表現すべきかどうかは,よく分かりませんけれども,結果的に,その要件が充足されるということはないのではないか。もちろん要件立てをどうしていくのかということにも,深く関わるとは思うんですけれども。いずれにしても,検討はいたします。 ○鎌田部会長 ほかには,よろしいですか。   特に,御意見がないようでしたら,本日の審議はこの程度にさせていただきます。   最後に,次回の議事日程等について,事務当局から説明をしてもらいます。 ○筒井幹事 次回会議は,前回の会議後に御案内を差し上げましたように,来月8月27日火曜日,午後1時から午後6時まで,場所は本日と同じ,法務省20階第一会議室を予定しております。   ただ,事務当局側の事情で,この日に開催しない可能性が,まだありますので,場合によりましては,この日は開催しないということにさせていただく可能性はございます。開催しない場合には,別途御連絡を差し上げて,その場合には,現在,予備日として予定されている9月10日を正規の会議として開催することにしたいと思います。   次回会議で取り上げます議題としては,現在予定しておりますのは,意思表示,代理,それから無効取消,条件,期限,こういった論点を取り上げることを予定しております。よろしくお願いいたします。   今後の会議における各論点の審議の順序につきましては,私どもの準備の都合により,本日のような形で,その都度お伝えしていくこととならざるを得ません。おおまかに申し上げれば,比較的異論の少ない論点を初めのほうで取り上げ,意見の分かれているものについては少し時間をいただいて,検討結果を提示していくような進め方を考えておりますが,詳しくは,次回会議で取り上げる項目について,その都度御報告をすることにさせていただこうと思います。   ただ,そうは言いましても,それぞれの関係団体等における事前準備の御都合もあろうかと思います。私どもの内部においては,一応の目安としての作業スケジュールを作って作業をしておりますので,不確定なもの,当然に変更があり得るものという前提ではありますけれども,事前にそのメモを部会メンバーにはお届けしておこうと思います。本日の会議後になりますけれども,いつものように電子メールにて,部会メンバーには,現時点での事務当局における作業スケジュールをお伝えしておこうと思います。よろしくお願いいたします。   連絡事項は以上でございます。 ○岡委員 確認ですが,大島委員のペーパーは,読み上げたことにしたのでしたか。 ○筒井幹事 本日は改めて申し上げませんでしたが,中間試案のたたき台の審議のときから,欠席されたメンバーの発言メモなどを読み上げて紹介するという扱いは,以後しないと申し上げました。それが,第三ステージでも生きているという理解でした。ですので,今後も,発言メモなどについては,机上に配布するにとどめ,法務省ウエブサイトにおいて公表するという扱いにさせていただこうと思います。 ○鎌田部会長 ほかによろしいですか。   それでは,以上をもちまして,本日の審議は終了させていただきます。本日も長時間にわたりまして,熱心に御議論いただきまして,ありがとうございました。 -了-