法制審議会 民法(債権関係)部会 第76回会議 議事録 第1 日 時  平成25年9月10日(火)自 午後1時00分                      至 午後6時07分 第2 場 所  法務省 第1会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会第76回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   では,本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いいたします。 ○筒井幹事 事前送付資料として,部会資料66Aと66Bをお届けしております。また,本日の机上にて部会資料64-4を配布しております。委員等提供資料といたしまして,山本敬三幹事から書面で意見が提出されております。これについて該当箇所で読み上げることはいたしませんけれども,本日の議論と関係のある意見書ですので御参照いただきたいと思います。   なお,部会資料66A,66Bのことについて,一言,御説明いたします。第三ステージで配布する部会資料につきましては,7月16日開催の第74回会議の際に御説明いたしましたように,要綱案のたたき台タイプのものと論点検討タイプのものを区別して作成しようと考えております。この区別を分かりやすくする趣旨で,たたき台タイプのものについては資料番号にAを,論点検討タイプのものにはBをそれぞれ付しております。たたき台タイプ(A型)で提示いたしました論点は,典型的なものについて申し上げれば,おおむね異論がなく,内容的にも固まってきたと考えられるものでございます。これらの論点につきましては,資料中の説明文におきましても,これまでの議論の経緯に即してというよりは,むしろ基本的な問題の所在から書き下ろすスタイルを主に採っております。   このA型のものについては,要綱案のたたき台として御提示しておりますので,基本的には素案部分の書き方,今回の資料から本文のところを素案と呼ぶことにしておりますけれども,この素案部分の書き方を中心に御議論いただきたいと考えております。また,この段階で改正を見送るという判断をすべきであろうと考えた論点につきましても,このA型の資料においてその旨を記載しております。他方,論点検討タイプ(B型)で提示いたしました論点は,要綱案のたたき台を提示する前に今一度,内容を詰める議論をする必要があると考えたものを掲載しております。もっとも,今,申し上げましたのは典型的なものについての区別でございまして,実際にはそれぞれの論点に応じて固まり具合は様々です。したがって,A型かB型かによって形式的に区別するのではなく,それぞれの論点に応じて御議論をしていただければ幸いであると考えております。 ○鎌田部会長 それでは,審議に入ります。本日は部会資料66A及びBについて御審議いただきます。部会資料のAタイプとBタイプの審議の順序につきましては,どちらか一方を先に審議するということも考えられますが,今回はBタイプのものも量が少ないこともありまして,Aタイプの資料を基本としつつ,その間にBタイプの資料の論点を適宜,織り込んでいくということにしたいと思います。基本的には中間試案における各論点の掲載順に従って議論するということでございます。具体的には休憩前までに「第1 意思表示」の各論点について,AタイプとBタイプの両方を御審議いただき,午後3時頃をめどに適宜,休憩を入れることを予定いたしております。休憩後,残りの部分について御審議いただきたいと思います。   それでは,審議に入ります。まず,部会資料66Aの「第1 意思表示」のうち「1 心裡留保」について事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 それでは,部会資料66A第1の1について御説明いたします。心裡留保についての改正点は,民法第93条第1項ただし書によって,意思表示が無効となるための相手方の認識の対象を「真意」から「真意でないこと」に改めたこと,第三者保護規定を設けたことであり,中間試案から大きな変更はありません。 ○鎌田部会長 ただいま,御説明のありました部分について御審議いただきます。御自由に御発言ください。よろしいでしょうか。   よろしければ部会資料66Bに移ります。「第1 意思表示」のうち「1 動機の錯誤が顧慮されるための要件」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 それでは,部会資料66B,「第1 意思表示」の「1 動機の錯誤が顧慮されるための要件」について御説明いたします。錯誤について更に検討を深めるべき論点の一つ目として,動機の錯誤が顧慮されるための要件について御審議いただきたいと思います。   動機の錯誤が顧慮されるための要件として,中間試案においては,判例の表現を用いて,法律行為の内容になるという要件が案として示されていますが,パブリック・コメントの手続に寄せられた意見には,法律行為の内容になるという要件の意味が明確でないという意見も見られました。法律行為の内容になるという要件については,その表現が分かりにくい上,そもそも,その実質的な基準の内容が必ずしも明確ではないという問題が指摘し得るように思われます。   中間試案の考え方は,意思表示に当たっての情報収集のリスクは表意者が負担しなければならないことを原則とし,そのリスクが合意によって相手方に転嫁されているときは,表意者は意思表示を取り消すことができるとする合意主義的な考え方を背景にするものですが,このような考え方を端的に表現するのであれば,その情報収集のリスクを,表意者ではなく相手方が負担することが合意されていたとき,すなわち,表意者が前提としたある事実の認識が誤っていたときはその意思表示の効果を否定することができる旨の合意があった場合に,錯誤を理由として意思表示を取り消すことができると規定することも考えられます。更に,意思表示の効力を否定すべきなのは,黙示的なものを含むとしてもこのような合意を認定することができるばかりではないと考えられ,当事者の双方がある事実の認識を前提としていた場合なども,意思表示の効力を否定すべきではないかと考えられます。   しかし,動機の錯誤においては,相手方がその事実認識を前提としていたかどうかにかかわらず,表意者の認識の誤りを理由として意思表示の効力を否定すべき場合があるのではないかとも思われますし,逆に,例えば眼鏡を紛失したので新調したいと顧客が述べたため,販売店がそのように理解して眼鏡を販売した場合など,当事者双方がある事実を前提に取引を行った場合であっても,錯誤主張を否定すべき場合もあると考えられます。このように,当事者双方がある事実の認識を前提として意思表示をした場合という要件では,狭すぎる部分と広すぎる部分とがあるように思われます。   以上のような問題点を踏まえて,法律行為の内容になるという要件の実質的な内容をどのように理解すべきか,また,それをどのように表現すべきかについて御審議を頂ければと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいまの説明のありました部分について御審議を頂きます。御自由に御発言ください。 ○能見委員 私は元々,法律行為の内容になるという表現は,余り適切ではないのではないかという意見を持っているんですが,それはさておいて,法律行為の内容になるということの意味が例えば判例も含めてどう理解しているかという,そこがどうもはっきりしないのではないかという気がいたします。法律行為の内容になるというのは,恐らく判例が前提としているのは錯誤した側の動機について相手方も理解している,認識していて,そういう意味で,動機の錯誤を認めてもおかしくないという場合を法律行為の内容になるという表現で言っているのだろうと思いますが,それ以上に動機の部分が契約内容の中身にまで取り込まれていると理解しているのかどうか,そこがはっきりしないような気がします。   物の性質といいますか,例えば本物だと思って買ったけれども,違っていたというときに,本物という性質などは契約の内容に入ってもいいと思いますけれども,例の財産分与のときの税が掛からないと思って財産分与したけれども,税金が掛かったというようなのは,果たしてそういう部分が契約内容になっていると理解するのか,あるいは両当事者ともそういう税が掛からないという了解の下で,ただ,財産分与の契約をしただけであって,別に契約内容になっているというわけではないと考えると,本当は法律行為の内容というのは少し適切ではないと思いますけれども,しかし,動機の錯誤を限界付ける基準としては,そういう言葉もあり得るかと思っています。ただ,今のように考えますと,表現としてもうちょっと何か適切なのがあればいいなという感想を持っています。 ○大村幹事 私も能見委員が主として述べられたところについて基本的には同意見です。法律行為の内容になるという表現ですけれども,人によって考え方は違うかもしれませんけれども,古い判例は意思表示の内容になると言っているが,ただ意思表示の内容になればよいかというと,そうだけではなくて,それが法律行為の要素に当たるときに,錯誤の主張ができるということだったのだろうと思います。そう書けば,より明確になるのかもしれませんけれども,現在,法律行為の内容になると言っているのは,そのことを指しているのだろうと思いますので,そういう理解に立って,よりよい表現があれば,それに改めるということだろうと思っております。   他方,先ほど事務局から御説明があった別の考え方というのもあろうとは思います。ある事実の認識が誤ったものであるとすれば,取り消すことができるという趣旨で合意がされたという書き方をすることも可能であろうと思いますけれども,そうしますと,法律行為の内容というものによって錯誤無効の範囲が画されてきたという部分が落ちてしまうのではないかと思いますので,個人的には,従前の定式化を維持しつつ,可能な範囲で表現をより分かりやすくするという方向がよいと思います。 ○野村委員 内容の錯誤という表現が分かりにくいのは,多分,歴史的に内心の意思から表示意思,表示行為という,意思表示の形成されるどの段階で錯誤が起きたかということによって,錯誤の種類を区別しているためであると思います。そこで,動機の錯誤は本来,誤った動機によって意思が形成された場合をいい,意思表示の形成過程の外側の問題であるにもかかわらず,その動機が意思表示の内容になっていたときには,内心の意思と表示意思の不一致である内容の錯誤と同じに扱うという趣旨で本来は使われてきたのではないかと思います。ただ,内容という言葉からは想像がつかないことなので,今はもう少し違った意味に使われているのかなと思うので,動機が内容になっていたというのは,表現としては適切ではないという気がしていまして,むしろ,動機の錯誤についての規定は置かないというのも一つあり得るのではないかと思います。ただし,規定を置かないというのは,他の錯誤と同じに扱えばよいので,特別に規定を置く必要がないという意味です。いずれにしろ,既存の民法でいえば95条のところで要素の錯誤という要件が掛かってきますので,重要な錯誤でなければ動機の錯誤は考慮されず,先ほどの自分が持っているものをなくしたと思って売買をしたというような場合は,仮に,両当事者が錯誤に陥っていたとしても,多分,重要でないというところで法律行為を無効にしないということではないかと思うのです。 ○鎌田部会長 ほかに御意見はいかがでしょうか。 ○岡委員 弁護士会としては,この案に賛成の意見が多くはあるんですが,第一東京弁護士会の意見は,今,三先生がおっしゃった内容にかなり近いものです。実務家から見て,「法律行為の内容になる」という表現が条文として出てきた場合,かなり形式的に解釈されてしまうのではないかというおそれでございます。今までの判例に慣れている古い実務家は,明示又は黙示に動機が表示されて法律行為の内容になったとき,この一フレーズの中で無効にしてもいいかどうか,そういうことを総合的に判断しているんだなということが理解できますが,「法律行為の内容」というところだけがぽんと条文化されると,そういう文脈から分断されて,あらぬ方向に行ってしまうのではないかという不安でございます。   そうしたらどうしたらいいんだという議論が当然,出てくるわけですが,2つございました。一つは今の(2)のアのところで,表意者の認識が表示されて法律行為の内容になったとか,表意者の認識が相手方に了知されて法律行為の内容になったとか,表示の文言も入れて判例の表現をもっと丸ごと持ってくるような表現にすると,先ほどのような誤解は少し減るのではないかという意見が一つございました。もう一つの意見は,今の野村先生の意見と近いところでございますが,アはとってしまう意見です。本文の通常人であっても,その意思表示をしなかったであろうと認められるとき,この通常人という言葉がいいかどうかは別として,客観的に見ても,その誤解があったら意思表示をしないであろうと,この価値判断のところで重要性であるとか,従来の判断基準を盛り込めるのではないかと,こういう意見でございます。要するに,「法律行為の内容」というのを条文化するのに対するかなり大きな心配があるということでございます。 ○山野目幹事 従来の中間試案までのこの部会における調査審議や,ただいまの部会資料に関する説明等を踏まえて思い起こしますと,想定される考え方としては専ら法律行為の内容になるという規律表現とすることのほか,単に動機が表示されることを要するというもの,そして,動機が表示されて法律行為の内容となるという規律表現とすることの三つが考えられますが,単に動機が表示されていることを要するというものが理論的な根拠に欠け,また,不当な結果をもたらすことは部会資料で指摘されているとおりであります。また,動機が表示されて法律行為の内容となるという規律表現を採ることは,屋上屋を設えることになるという理論的な問題のほか,このような要件表現の下では,殊更,動機の表示があったことの認定が求められることになり,動機の錯誤が認められてもよい事例においてそれが認められにくくなり,強いて錯誤を肯定しようとすると,黙示の動機表示があったのではないかといったような技巧的な認定操作に頼らざるを得なくなるということを恐れます。   そうしますと,定着してきた表現を採用し,簡明に,法律行為の内容となる,という規律表現とすることになりますし,それとて意味内容がはっきりしないという批判に対しては,紛争形態ごとの特徴を勘案して,訴訟上,摘示されるべき事実の主張の在り方に関する研究を重ね,その具体的な意味を明らかにしていくことが相当であると考えます。法律行為の内容となるということは,要するに前提となる情報の正確性に関する危険を相手方において共有する意図が認められるということであり,情報が専ら又は主として表意者にとっての重要な関心事項である場合においては,それを踏まえて意思表示をしたことを相手方が単に認識していたことを超えて,そのことに賛助したという事情が認められるような場合には,錯誤取消しを是認することが相当であると考えます。 ○松岡委員 今,山野目幹事が御発言になったところにおおむね賛成ですが,妥協の可能性があるかと考えております。まず,最初に動機の錯誤の規定を設けないという案を野村委員が出されましたが,動機の錯誤が錯誤問題において非常に重要な問題となっており,しかも,それが判例法では発展しているけれども,条文からはうかがえないので条文に書き込もうというのが議論の出発点だったと思いますので,規定を置かずに解釈に任せることには,私は反対です。   その上で,どう定式化するかですが,山野目幹事がおっしゃり,また山本敬三幹事の意見書の2ページ目から3ページ目にかけて説かれておりますとおり,単に表示されただけで相手方にリスクが転嫁されるのは極めておかしいので,表示だけを基準にするのは適切でないと思います。意思表示に既に動機の表示が含まれていますから,山野目幹事がおっしゃるとおり,「動機が表示されて」という要件は屋上屋を重ねることになって理論的には無駄があることはよく分かります。   しかし,他方で岡委員から御指摘がありましたように,従来の判例が定式として用いてきた明示又は黙示に動機が表示され,それが法律行為の内容になったということから表示の部分を落としてしまうと基準を変えるように受け取られます。そうではないことを表すためには,現在の判例がよく使っている定式をなお残すことも,あり得る選択肢ではないかと考えます。 ○永野委員 判例の定式化という御発言がありましたけれども,この判例の読み方というのはなかなか難しいものがあるのだろうと思います。先ほど能見委員等の御発言の中にもありましたけれども,最判の昭和29年,それから,45年,いずれも第二小法廷の最判ですけれども,ここの中では意思表示の内容として表示されるという文言が使われています。   平成元年9月14日の最判の中では,確かに「法律行為の内容となる」という一般的な説示が冒頭にありますけれども,この判決も昭和29年と45年の判決を援用しつつ,判示をしていますし,事案を見ましても果たして動機が法律行為の内容になっているといえるようなものであったのか疑問があります。この事案では,財産分与で財産を譲渡した側に税金が掛かるかどうかについて誤解があったわけですけれども,この点に関して認定されている事実は,贈与を受ける側に税金が掛かるのではないかということが,やり取りで懸念されていたということだけでして,果たして動機が法律行為の内容に取り込まれていたということを前提に,先ほどの判示が行われたのかどうかという辺りについては,疑問があるところであります。   現に,この裁判例の判決要旨では,法律行為の内容となるという表現は用いておらず,「黙示的に表示をされて意思表示の内容をなした」という表現でまとめられています。このように,確かに法律行為の内容という表現を使っている判例はありますが,それが果たして判例として一般に通用しているルールだと断ずることができるかについては,若干,疑問があるところであります。また,下級裁での実務において,動機が法律行為に取り込まれたことが要求されているかというと,もう少し幅広い利益状況をくみ上げているように思われ,御提案はやや,窮屈な印象を持つところでございます。 ○深山幹事 これまでに御発言があった意見と重なるところもあるかと思うんですが,法律行為の内容になっているという表現については,違和感があります。必ずしも法律行為そのものではないけれども,当然の前提にしたようなことについて,そういう認識についての錯誤に対して,正にそれを動機の錯誤と称して,錯誤無効を認める一定の場合を従来より議論してきたところです。確かに判例の表現としては法律行為の内容になる,あるいは表示されて法律行為の内容となるという言い方を用いてきましたけれども,その意味するところは,法律行為の内容となるという字義どおりのことというよりは,実質的な考慮をしていて,例えば表示ということをいうのは,意思表示の相手方にとっても不意打ちであったり,不利益にならない場合であるというような相手方に対する配慮がそこに現れているという気がいたしますし,法律行為の内容となったというのも,実質的に錯誤無効を認めてもいいような一定の意味のある事項についての錯誤であるということをそういう表現をもってしているのであって,言葉どおりの意味合いとは違うのではないかと,既に御指摘もありましたけれども,私もそう思います。   他方,現行法でも法律行為の要素に錯誤があったときと規定されており,法律行為に錯誤があるということは,表現上,当然の前提になっていますし,更に要素にという言葉を付け加えることによって法律行為全てではなくて,重要なものに絞っているわけです。その上で今回,中間試案では,要素の錯誤と従前に言われていた要件について,より具体化を図っています。そこで,中間試案の本文のところで出てきます表現,すなわち,当該錯誤がなければ表意者はその意思表示をせず,かつ,通常人であってもその意思表示をしなかったであろうと認められるときと,こう書き下すことによってより分かりやすくなったという面があると思いますが,分かりやすくなっただけではなくて,私はこの表現というのは,いわゆる動機の錯誤もそこに含まれるといいますか,一定の動機の錯誤については,この要件に当たる場合として取り込める表現になっているのではないかという気がいたします。   通常人であってもという辺りは,相手方にとってもそれが錯誤無効と言われても致し方ないと認められるような場合を意識させますし,当事者の認識としても,そういうことだったら意思表示をしなかったということを前提にしていますので,こういう要素の錯誤について主観的因果性と客観的重要性を具体化することによって,動機であっても場合によっては錯誤になり得るんだということが十分表現されているのではないかと思います。したがって,アのところをなくしてしまっても,それによって動機の錯誤について規定を設けなかったことにはならなくて,一定の範囲では動機の錯誤も取り込んだ新しい錯誤無効,あるいは錯誤取消しかもしれませんが,新しい錯誤という規律になるのではないかという気がいたします。 ○岡田委員 消費者契約の場合,動機の錯誤というのがほとんどなものですから,今回の改正のところで動機の錯誤を明文化するというのが言われてきていましたので,大変期待しているところです。ですが,過去の判例のところで法律行為の内容と意思表示の内容と出てきますがその区別も私たちには分からないということと,今,解説を見ていましても法律行為の内容のところで2ページ目のところですか,相手方との間の合意の内容に取り込まれているとかいうことも書かれておりますので,そうなるとかなり利用することが厳しいかなという感じもしていまして,できたら先ほど来,岡委員や深山幹事がおっしゃっているような通常人でもその意思表示をしなかったであろうというような表現だと私たちも分かりやすいしと思うものですから,どういう形にしろ明文化したときにすっと入ってくるような,ないしはダイレクトに解釈ができなくても少し努力すれば理解できるようにより分かりやすく整理していただきたいと思います。 ○松本委員 私は,この問題は次に論ずるであろうと思われる2の不実表示による意思表示を動機錯誤構成で救済しようという提案とセットで考えないと,よくないのではないかという印象を受けております。原案では伝統的動機の錯誤,すなわち,表意者が勝手に動機の錯誤に陥っているというタイプについては,誤った認識が法律行為の内容になったということを前提にした提案になっているんですが,2の不実表示型の場合には法律行為の内容になっていないときであってもという書き方になっていることに,私はたいへん違和感を感じております。というのは,一方的な動機の錯誤と相手方の誤った情報がきっかけとなって動機の錯誤に陥った場合とで,どちらが救済すべき程度が高いかということを考えると,恐らく不実表示型,相手方の誤った情報提供がきっかけとなって動機錯誤に陥った場合のほうでしょう。岡田委員がおっしゃったように,消費者トラブルの大部分は正に事業者側からの誤った情報提供が原因となって,契約をするというケースが多いわけですから,そちらのほうをまず救済することを考える必要があるのではないかと思うんですね。   そうすると,相手方からの働き掛けなしで一方的に動機の錯誤に陥った場合において,相手方からの働き掛けが原因となって動機の錯誤の陥った場合と,同程度に保護すべき場合というのは,どういう場合があるんだろうかと考えていくというステップになるのではないかと思います。相手方からの不実表示と対応したプラス要件,動機の錯誤プラス何かというのは一体何かと。その点で,たたき台原案のように,一方は契約内容になっていること,他方はなっていないこと,これでは説明になっていないのではないかと。私は不実表示型であっても,一方的動機錯誤と同じ程度には契約内容になっており,それを前提として契約をしているんだという点では共通だと思います。   相手方が働き掛ける場合については,相手方としてはその情報を元にして表意者が意思を形成して契約締結に至っているということを知っているか,あるいは知り得べきである,したがって,契約内容にある意味でなっているんだと思います。もし,それがうそであれば相手方は契約をしないであろうということが予見可能であるとすれば,正に契約内容になっている,なっていないというレベルで考えていいのではないかと思います。したがって,それと同じようなことを一方的動機錯誤の場合にも要件として考えたほうがいいのではないかという意見です。 ○道垣内幹事 幾つか申し上げたいのですが,まず,第一に動機の錯誤については規定しないようにして,解釈論に委ねようということに関しましては,私は全く反対です。これだけの議論がある,判例の蓄積もある中で,それについて一切,何の規定もしないということは避けるべきではないかと思います。それを前提として,では,どう要件化をするかということなのですが,深山幹事がおっしゃった,あるいは岡田委員の御発言もそれに関連するのですけれども,当該錯誤がなければ表意者はその意思表示をせず,かつ,通常人であってもその意思表示をしなかったであろうと認められるという要件にして,それで何とかなるのではないかといのは,結局,一元化ですよね。動機の錯誤に関しては,因果関係など,そういうところの判断のあり方を変えるという解釈論をするということであり,結局,それは規定しないのと同じです。そうではなく,判断のあり方も変えないのだ,動機の錯誤と言われるものとそうでないものとを同様に解釈するのだ,それで可能だということになりますと,今度はどう考えても錯誤が認められる場合が広くなりすぎる。   そうなりますと,現在,出ております「法律行為の内容」という言葉がどこまで適切かということになるわけですが,先ほどから話が何回か出ておりますように,例えば財産分与のときの課税関係について,それが「法律行為の内容」と言えるのかという問題は確かにあるかもしれません。しかしながら,現行の95条というものは,深山幹事が御指摘になったところですけれども,「法律行為の要素に錯誤」があるという形になっているわけですよね。そうすると,いろいろな諸事情の下で検討して結論を出しているのだろうけれども,しかしながら,条文の適用のテクニックとしては,それは最終的に「法律行為の要素」であると言うことによって95条の適用を行っているその言葉の中に,課税関係に対する問題というものも含まれるという解釈テクニックを使って,現行の95条を適用しているのだろうと思います。   そうなりますと,「法律行為の内容」となっていることを要件にすることによって今までと全然違って,契約内容に取り込まれているということだと一直線にいくかというと,そうではなかろうと思います。ただ,若干,また,今日の御議論の中で,「法律行為の内容」という言葉を「契約内容」と何人かの方が途中で言い換えられたりしたというところが非常に気になるところです。それは実は法律行為についての定義条文を置いたということにも一定程度,関係しているのかもしれません。   しかし,部会資料の2に書いてありますように,ある事実の認識が誤ったものであれば取り消すことができる,という合意がされていたときには,条文がなくたって取り消すことができるのでありまして,このようなことを書くことは無意味であり,ポイントは,そのような合意が認定できないとき,どういう場合に取り消せるのかということであるはずです。ところが,「法律行為」について「契約」を典型例として挙げる定義条文を置くと,この契約の話だよね,契約の内容になるということだよねと思われかねない,ということになるのだろうと思います。   そうなりますと,私は「法律行為の内容」ということでありましても,現行の95条の解釈においても,そういうかなり実質的な考慮がなされているので構わないとは思いますけれども,錯誤の問題というのが一方当事者の意思表示の問題であると考えると,むしろ,「意思表示の内容」になっているかどうなのかという議論なのではないかなという気がしております。私は部会資料のままでもよいとは思います。しかし,強いて言うのならば,「法律行為の内容」というのを,「意思表示の内容」とすべきなのかもしれないとは思います。 ○内田委員 今の様々な御発言の中で,特に岡委員とそれから深山幹事のほうから出された御意見ですけれども,中間試案の2の(2)の柱書きの部分,要素の錯誤を書き下している部分ですが,この部分だけがあればいいのではないか,法律行為の内容になったということをあえて入れなくてもいいのではないかという御意見がありました。ただ,この柱書きの部分は表意者側のことだけを書いていますので,この要件だけですと,表意者側だけ見て普通ならこんな契約をするはずがなかったといえるかどうかで判断することになる。動機の錯誤というのは要するに事実誤認ですが,こんな誤認があればこの契約はするはずがないということさえ言えれば,取り消せるということになる。   しかし,契約というのは相手のあることですので,それでは余りにも一面的な要件になるということで,相手との関係をつなぐ意味で,意思表示ではなく法律行為の内容という要件が使われてきたのではないか。山野目幹事は危険の共有という表現を使われたかと思いますが,相手との関係というものを取り込むための要件として,この要件が機能しているという御発言があったかと思います。あるいは松本委員の御発言の中で,予見可能という表現も使われましたけれども,そういった相手方の事情の考慮というのがここで行われてきたのではないか。   そうだとすると,これを完全に外すというのは要件としては不適切ではないかと思います。ただ,相手の事情を考慮する要件として,法律行為の内容というのはいかにも分かりにくい。そこで,かつては学界では相手方が表意者の動機の錯誤について知っていたか,あるいは知ることができた場合という相手方の要件で判断を加えるという考え方が一時期,通説化したのですね。その後,通説ではなくなりますけれども,しかし,一時期,非常に支持を得た。そして,比較法的に見ると実は相手方が気が付いていたとか,気付き得たということを要件として入れる立法例が多いわけです。しかし,日本では意思主義といいますか,錯誤というのは表意者の意思の問題なのだからということで,そちら側から要件を立てるという考え方が,現在は主流になっているのだろうと思います。   この点は,どういう理論的な前提で錯誤法を考えるかという根本問題に関わりますので,要件の立て方は非常に難しいのですけれども,しかし,相手との関係や相手の状況を取り込むための要件はやはり必要だと言えるのではないかと思います。法律行為の内容という言葉がベストかどうかはともかくとして,そういうものを取り込める要件を考える必要があるのではないかと思います。 ○笹井関係官 「法律行為の内容になっている」という表現,これは中間試案の表現ですけれども,その適否ということもさることながら,結局,それによってどういう場面で錯誤ができるのか,錯誤が認められるのかという,その基準についてコンセンサスが得られているかどうかということが問題なのだと思います。今,内田委員から,相手方の事情を取り込むための要件が必要であるという御指摘がございまして,そういう方向でこれまで議論は進んできたのではないかと事務当局としても認識しているところですけれども,ただ,相手側の要件をどういうものとして取り込んでいくのかというところがもう少しクリアになってきて,その次に,それをどう表現するかという問題が出てくるのだろうと思います。   その点をもう少しお伺いしたいのですけれども,最初のほうで大村先生が「法律行為の内容になっている」という表現,最近の裁判例はそういうけれども,古い裁判例には「意思表示の内容として表示されている」というような表現を採ったものがあり,ただ,単に表示されればいいかというとそうではなく,法律行為の内容になっていることが必要であるとおっしゃったでしょうか。そういう考え方と,ほかに合意主義的な考え方がまた別の考え方としてあるとおっしゃったように聞こえたのですけれども,そうであるとすると,古い裁判例の考え方と中間試案で示されている考え方は具体的にどう異なっているのか,もし御教示いただければと思います。   それと,もう一つ,山野目先生からは,危険の共有といいますか,動機が表示されているだけではなくて,相手方もそれに賛助しているとおっしゃったのでしょうか,賛助しているということの意味が,こういう事実の認識が誤っていた場合には,この法律行為はなしにするという合意があるという意味なのか,もう少し広い意味で用いられているのかどうか,その点についてもしお考えがありましたら御教示いただければと思います。   あと,もう1点,複数の御発言の中で,「当然の前提になっている」とか,「前提が共有されている」というような御発言がありましたけれども,ある当事者間である事実の認識が,明示的に触れられているわけではなく,また,これが誤っていたらその法律行為はなかったことにしようというような仮定的な何か判断がされているわけではないけれども,当然の前提として共有されていた場合に,それが誤っていたときは,その法律行為は取消しなり,無効なりになってよいということについて,この部会でのコンセンサスがあるのかどうか。   以上の3点について,どなたからでもよろしいのですが,御教示いただければと思います。 ○大村幹事 十分なお答えになるかどうか分かりませんけれども,お答えします。最初の点は私に対する質問だったかと思います。その点は直前に内田委員がお話になったことと関連しているのだろうと思います。相手方の期待をどのように考慮に入れるのかということを考えたときに,端的にケースごとに考えていって,相手方がそれを認識している,あるいは認識可能であったとか,あるいはもっと踏み込んで,ある認識に基づくものだということについて合意していたというように考えていくというやり方が,一つのやり方だろうと思います。   そうではなくて,法律行為の内容になっているか,なっていないかという考え方,これは最初のほうで野村委員がおっしゃったことと関わるのだろうと思いますけれども,法律行為の内容と,内容でない縁由だとか動機だとかと言われるものの区別があって,法律行為の内容という領域に入っているということで絞りを掛けていく。そのときに法律行為の内容であるかどうかというのは,当該場面での当事者の意思だけではなくて,その他の定型的な事情も参酌して判断されるというのが従来の考え方だったのではないかと思っております。ですから,私は別案としてある事実の認識が誤ったものであるとすれば,表意者はその法律行為を取り消すことができる旨の合意がされているときというように個別的,主観的な対応に特化したような書き方には反対だと申し上げました。 ○野村委員 先ほどの発言が誤解されていたかと思いますが,規定を置かなくてもいいのではないかというのは,あえて動機の錯誤について特別の要件を立てなくてもいいのではないかと考えると,特に規定を必要としないのではないかという趣旨で申し上げたつもりです。元々,錯誤の制度では,歴史的には錯誤概念というのを限定的に考えたうえで,錯誤があれば契約が無効取消しになるという考え方からだんだんむしろ契約の無効を生じさせる錯誤の限定が難しいということで,錯誤を広く考える方向になってきたと思います。しかし,そうするとどんどん広がってしまうというので,その制限の論理として相手方の認識可能性を要求する見解に見られるように,相手方の事情を考えるか,フランスのように錯誤が許されるか,許されないかというように表示者側の事情を考えるかという,そういう両方の流れできているんだと思います。   そういう点からすると,わざわざ,錯誤のところで動機の錯誤を別扱いしなくてもいいのではないかというのが先ほどの発言の趣旨なのです。なお,笹井関係官が最後におっしゃった共通の錯誤の問題というのは,錯誤法理の中で処理するのがいいのか,あるいは別途,規定を設けたほうがいいのか,両方の考え方があり得るのではないかなと思います。 ○山野目幹事 笹井関係官が御指摘になったように,実質的にここにおられる皆様が,どのような場合をもって動機に関連する錯誤取消しを認める範囲として考えているかということの議論が大事であろうと考えます。部会資料で御提示いただいたものでは,ちょうど66Bの3ページでしょうか,何人かの方が言及なさいましたが,66Bの3ページの上から2行目のところから①というものが示されていて,その後に②というのが示されていて,これらのうちの①に当たるものが,いわゆる動機の錯誤に当たるものとして取消し可能にされるべきだということについて,恐らく異論はないと思います。   そこに限られるかということを考えたときに,私も大村幹事と同じように,そこに限られるのは狭すぎると感じます。②に当たるものが含まれるべきものと考えますとともに,しかし,前提になっているとかというふうな書き方ですと,法規範,法文上のルールとして何が取消しを認めるべき場合になるかということを適切な規範表現で,言葉で表現したことにはならないのではないかと感じます。②に当たるものについては,当事者間での交渉とそれに基づく法律行為の成立,それから,それを取り巻く,大村幹事のお話にも定型的な事情,状況というお言葉があったでしょうか,それをも勘案して個別の事案で向かい合った際に判断していくほかなくて,そういったことをするのですよということを導くための規範表現として,何が落ち着きがよいかということが模索されるべきであると考えます。   私は法律行為の内容になっているという従来,幾つかの局面で述べられてきた表現がよいのではないかと考えますが,もちろん,松岡委員が御注意になったように,それにこだわるものではなくて,①に加え,②の中の一定のものを個別事案との対処の中で取り込むことが可能なような規律表現ができればよいと考えております。自分はこう考えていました。道垣内幹事が広すぎるのではないですか,という御発言をし,それをも踏まえて内田委員が御発言になるまでの間,何人かの方が錯誤なかりせば意思表示をしなかったであろうという要件でいいのではないですか,とおっしゃられたのには,私は信じ難いような印象を抱いたところがありまして,それはものすごく広すぎると感じます。   例えば大学で年度初めになると何とか先生の民法の講義では,この本を教科書に使いますよというような案内を受けて,新入生の学生は大学の近所の本屋に本を買いに行きますが,自分はこの民法の先生の講義の教科書は甲という本だと思っているけれども,それは勘違いで,実は乙という本が使用されるというときに,そこの勘違いがあったら甲という本は買わなかったはずです。しかし,そうであるからといって,心の中でそう思っているだけでも錯誤取消しができるというのはおかしいと思います。   それから,更に動機の表示が大事で,表示でよろしいのではないかという御意見もありましたが,そうすると,本屋さんの店先で何とか先生の教科書は甲という本ですよねとつぶやくと,そしてそれを店員が聞いていると取消しをすることができるということになりますかというと,ここら辺りから少し微妙かもしれませんけれども,私はそれの取消しをさせるのは少し変ではないかと感じます。早稲田大学の近くにも法律の本を売っている本屋があって,買いに行くと,甲という本はそれだよ,教科書に指定されていることがあるかもしれないね,とにかく新学期だから頑張れよ,とかと声を掛けてくれますが,そのようなやり取りがある場面の全部について,取消しができるというのも変であると思います。   そうでなく,甲という本がこの先生の授業の教科書であると考えて買うのですよといったことについて,そのことについて売る側が特定的な危険の共有と先ほど言いましたし,更に賛助という言葉も用いましたけれども,それがあったと個別事案に即して認められるときには,取消しが可能であるということになるのではないでしょうか。例えば普通の本屋にただ買いに行ったのではなくて,教科書売場というものが大学の年度初めには設けられますが,あそこに行って,この講義の教科書は甲という本ですよねと言い,お店のほうもある程度,情報を調べているという前提で,ええ,たしかそうだと思いますよというふうなやり取りがあって買ったというときに,取り替えてくれということは言えるかもしれませんけれども,そういったところをどのようにして絞るかということを多分,一所懸命,議論しなければいけないと感じます。幾つかの御意見が大変広すぎる帰結になることをおっしゃったという点については,抵抗感を抱きました。 ○中田委員 大体,意見が出尽くしていると思うんですけれども,法律行為の内容という表現がいいかどうかは別にしまして,相手方の認識ですとか,何か,それに相当するものが必要にはなると思います。次に,表示なんですが,今,山野目幹事のおっしゃったように,表示をすると何でも入ってしまうのが広すぎるという面と,逆に,表示と書くことによって内容になるルートが表示に限られるのかという意味で,逆に狭すぎるという面があって,いずれにしても表示という言葉はかえって混乱を招くのではないかと思います。   問題は,法律行為の内容になるべきものは何かということが余りはっきりしていませんで,人によっても理解が違っているような気もいたします。今回の御提案ですと,表意者の誤った認識が内容になっている。認識が内容になるということは,どうも分かりにくいような気がしまして,ここは工夫の余地があるのではないかと思います。最後に,結局はどういう場合に動機の錯誤を認めるのかということについてのコンセンサスを得ることが必要であって,合意主義を採るか,採らないかという議論は,余りその目的のためには適合的ではないのではないかと思います。 ○松本委員 山野目幹事がおっしゃった早稲田大学の本屋のケースについて,私も同感でありまして,だからこそ先ほど言ったことですが,2の不実表示型の動機錯誤がなぜ救済されるべきなのかという問題と,今の表意者の側が一方的に間違えた場合の動機の錯誤がなぜ救済されるのだろうかというところを,併せて考える必要があるのではないかと言いたいわけです。すなわち,早稲田の教科書販売店に行って,誰々先生の授業の教科書はこれですよねといって間違った教科書名を言って購入した場合に,早稲田の当該本屋の店員としては違いますよということを指摘すべきシチュエーションにあるという場合に,動機錯誤を認めてもいいのではないかと。   これは言い換えれば,不実表示型の動機錯誤が認められるという前提に立った場合に,表意者が一方的に錯誤に陥っている場合に,相手方としてその錯誤を正すべき義務,情報提供義務と言い換えてもいいと思いますが,相手方として正しい情報を与えるべき義務があるようなシチュエーションの場合には,動機錯誤として,錯誤の一タイプとして保護されるべきだろうと考えれば,二つの場合がうまく位置付けられるのではないかと思います。   情報提供義務が課せられるような場合以外にも,恐らく錯誤取消しを認めるべき場合があるのだろうと思いますから,その辺でうまくケースを並べる必要があると思うのですが,法律行為の内容になるかならないかというだけでは恐らく答えにならない。これはほとんど,皆さん,一致した意見だと思います。その中身は何かということであって,取り消し得べき錯誤とはどんな場合かをいう一種のマジックワードとして,法律行為の内容になると言っているにすぎないのだろうと思います。その中身が本当は重要なのだろうと思います。 ○能見委員 もう皆さんの議論に余り付け加えることはないんですけれども,私も基本的には表意者の意思が表示されたというだけではもちろん足りなくて,相手方がどういう言葉で表現したらいいか分かりませんけれども,少なくとも認識可能性があり,あるいは認識・了解する何らかの相手方の事情が加わることが必要であると考えています。このことについては,大体,ここで皆さん,了解が得られただろうと思います。   ただ,その相手方の事情としてどんなことが必要なのか,法律行為の内容になるという言い方で表すようなものが必要なのか,あるいはもうちょっと軽いものでもいいのか,そこが問題なんだと思いますが,これは私の感じではもう一つの要件である要素性の問題とも関連していて,要素性,要するに客観的に重要な部分ということですが,動機の部分が客観的に重要なものだということになればなるほど,松本委員の意見に近くなってくるわけですが,恐らく表意者の相手方が認識しただけで,つまり,契約内容にならなくても認識しただけで,恐らく錯誤主張を認めていいというような状態が生じるのではないか。要素性が小さくなってくると,そこはもうちょっと認識よりも強いものが必要になってくるかもしれない。そういう何か相関的な判断で決まるものだと思いますので,今のような構図を考えた上で,法律行為の内容という言葉がいいのか,あるいはまた違った表現がいいのか,それを検討すべきではないかと思います。 ○岡委員 先ほど「通常人であれば」の要件だけでいいではないかと言いましたのは,相手方を無視していいという意見ではなく,今ある選択肢の中で,通常という言葉で相手方あるいは客観的なものを最低限取り込めるのではないかという観点を持って申し上げたつもりです。ただ,山野目先生がおっしゃるとおり,これでは広すぎるのではないかという問題意識は持っております。   あと二つですが,内田先生がおっしゃった「知り又は知り得べき」というのは,極めて実務家には分かりやすい,それだったらいいなという思いはありますが,山野目先生がおっしゃるとおり,要素の部分だとかを入れないと,それだけでは危険かなという思いもいたします。もう1つ,財産分与の税金に関する錯誤無効の事案では,当該分与が無効になっても,もう一回財産分与をやり直すだけなので,感覚としてはかなり広く錯誤無効は認めやすいと思います。しかし保証契約について主債務者が反社勢力であるかないかという点に関する錯誤無効の事案では,もし,保証が無効になると主債権が裸債権になりますので,それはかなり限定して無効認定しないといけないのだろうと思います。そういう意味では要素なのか,当該法律行為の内容なのかも,事案によって広くなったり,狭くなったりするので,大変難しいなと,そういう議論をしてまいりました。 ○鎌田部会長 それでは,「2 動機の錯誤が相手方によって惹起された場合」について御審議を頂きたいと思います。先ほど来,御指摘があるように,そちらの審議がまた,今の1にも関係してくるかと思いますので,便宜,先に進ませていただきます。事務当局から説明をしてもらいます。 ○笹井関係官 錯誤について更に検討を深めるべき論点の二つ目として,相手方が事実と異なる表示をしたために表示者がこれを真実と誤信した場合について,中間試案においては,その認識が法律行為の内容になるという要件を具備しているかどうかにかかわらず,意思表示の効力を否定できることとする提案が示されています。しかし,このような制度を設けることの当否やその要件については意見が分かれており,改めてその当否,特に規定を設ける根拠や実益がどのようなところにあるか,また,仮に設ける場合に,その要件をどのように定めるかについて御審議を頂きたいと思います。   規定を設けることの根拠については,現在の裁判例も相手方の事実と異なる表示によって錯誤が引き起こされた場合は,緩やかに錯誤無効の主張を認めていたという分析があります。もっとも,このような分析自体にも異論があるところですので,特に研究者の先生方から,裁判例について,学説上どのように評価されてきたのかや,具体的事例などについて御意見がありましたら承りたいと思います。また,規定を設けることの実益については,仮に現在の裁判例を踏まえて規定を設けるとすれば,動機の錯誤についての一般的な要件である「法律行為の内容になった」,によって対応することができるとも考えられますので,これに加えて不実表示の規律を設ける意義がどこにあるのかについて御議論いただければと思います。   要件については,パブリック・コメントの手続に寄せられた意見では,相手方が事実と異なる表示をしたことについての過失を要求するかどうか,表意者がその表示を信じたことについて正当な理由があるかどうかなどの問題が提起されました。これらの点についても御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ただいま,説明のありました部分について御審議いただきます。御自由に御発言ください。 ○安永委員 動機の錯誤については,これまでの部会等でも採用面接のときの不実表示を理由として,採用取消しが行われることへの懸念を申し上げてきたところです。この点,部会資料の6ページの5行目以降では,不実表示の要件について「情報の性質,当事者の属性なども考慮し,それらの要素を含めてより精緻にする必要があるとも考えられる」といった記載を頂いております。仮に不実表示を理由とした動機の錯誤の規定を新たに設ける場合は,部会資料6ページ記載の要素について情報開示の義務の有無や情報秘匿の必要性,妥当性,プライバシー保護の必要性なども念頭に,要件の検討を更に深めていただき,プライバシーや人格権に関わる事柄については,不実表示を理由とした取消しの対象とならないことが明確となる規定としていただきたいと思います。 ○大島委員 動機の錯誤が相手方の不実表示によって惹起された場合に,意思表示を取り消すことができるという規定を置くことには反対です。  事業者間の取引においては,契約を交わす上で相手方の表示の内容を十分に吟味することは当然です。表意者自らが勘違いをした場合と相手方によって錯誤が引き起こされた場合とでは,異なる考慮が必要なことは理解できます。しかし,例えば相手方が過失により事実と異なる表示をし,表意者も軽率に不実の表示を信頼して意思表示をした場合を考えれば,表意者が一方的に意思表示の取消しという強力な手段で保護されるのは適当ではないと考えます。また,仮に表意者に過失がなかったとしても,損害賠償などで解決することが一般的であり,かつ,それが取消しよりも適切であると考えます。  中小企業は契約の際,知的財産権侵害がないことや海外規格への整合性など相手方から様々な表明保証を求められているのが実情です。万が一,表明保証違反となった場合は,損害賠償を行うことにより,また,その際には過失相殺等を行うことにより,当事者間で柔軟な解決を図っております。仮に不実表示による錯誤取消しが法文上,認められるとなると,情報力や交渉力において劣位にある中小企業が一方的に取消しのリスクを負わされるおそれが出てまいります。このようなことも念頭において御議論くださいますよう,よろしくお願い申し上げます。 ○中原委員 銀行界で議論しましたが,不実表示の規定は事業者間の取引にも事業者と消費者との取引にも適用されることが前提となっていますが,先ほどお話がありましたように事業者間取引においては,表意者は相手方の表示の真実性を確認する義務を負うと考えてもよいのではないでしょうか。また,表意者が消費者の場合には,消費者契約法などの特別法による救済が可能と思われますので,民法に不実表示の規定を設ける必要はないと思います。また,相手方が事実と異なることを表示したことが表意者の錯誤の原因の全てとなることは考え難く,相手方との交渉の経緯等を踏まえて実態的に錯誤を生じた原因を検証すべきであり,このような規定を置くことは契約交渉当事者間の円滑な紛争解決を阻害することになると思います。更に,表意者の錯誤が相手方が事実と異なることを表示したために生じたものであるときということのみが要件となっているために,表意者に過失があっても過失相殺が認められないことになると思います。したがって,事案によっては表意者が過度に保護される結果を生じるのではないかということが懸念されます。 ○佐成委員 実務界のほうからいろいろ意見が出ておりますので,消極意見の一つということで引き続いて申し上げたいと思います。経済界として我々もまた今回の資料について改めて内部で議論をしましたのですが,消極意見といいますか,反対意見が非常に強かったというのが結論的なところです。おっしゃっている中身というか,趣旨は十分理解できるんですけれども,ただ,この規定を設けることによって機会主義的に取消しの主張が発生するのではないか,無用の紛争が発生するのではないかという懸念を表明される方が多数おられたということです。それから,今回,パブコメの結果を拝見しましても依然としてまだ反対意見が非常に強いといったところもありまして,実務界としては現時点で賛成するというのはなかなか難しいというところであります。   特に今回,先ほど来,ずっと長く議論しておりました動機の錯誤でございますけれど,ここもかなり難しい部分だろうと思います。一方では,規定を設けないという御意見も表明されたところでありますし,何とかこれを設けるとしましても動機の錯誤として取消しになる範囲についても,まだ,必ずしも全員一致のコンセンサスは得られていないという状況かと思います。そういうことを考えますと,私は二読のときにも申し上げましたけれども,まずは動機の錯誤を何とか立法化するということに努力を傾けるべきであって,立法化後にそれを実際に運用してみて,その上で不実表示の規定が更に必要だということなら,また,別途,検討すべきではないか,それぐらい慎重にやったほうがよろしいのではないかと感じております。   特に現行の錯誤の規定というのは,主観的な誤りをもって無効にするというかなり強い効果をもたらす規定であって,そういうことから立法当初は非常に消極的に,取引の安全に配慮したような形で運用されてきたのが,徐々に動機の錯誤という形で適用場面が広げられてきたというか,そういったようなことでございましょうから,そうとしますと,そのような中でいろいろな事案ごとに不実表示に当たるようなものについては,柔軟に解釈されてきたということだろうと思います。そうとしますと,異論があるのかもしれませんけれども,そういったような実際の運用の中でせっかく柔軟に対応されてきたものが,ここで規定を置くことによって判断が硬直化してしまうのではないかということを考えますと,経済界としてはにわかに賛成するのは難しいというのが現時点でございます。 ○鎌田部会長 ほかの御意見はいかがでしょうか。 ○松本委員 経済界のお三人の方,それから,労働界も含めて不実表示の動機錯誤構成には反対だと,ただ,労働界はちょっと趣旨が違ったかと思いますけれども,経済界の一貫した意見として,不実表示を動機錯誤構成で保護するのは不安定になるということですが,それでは,一方的動機の錯誤を保護するというのはもっと不安定ではないかと思います。先ほど言ったことの繰り返しですけれども,相手方からの誤った情報提供という働き掛けによって錯誤に陥った場合と,表意者が勝手に錯誤に陥った場合で,どちらを保護すべきかというと,相手方からの働き掛けによる場合のほうが保護されるべき程度は高いんだろうと思うんです。したがって,不実表示型を動機錯誤で保護することに反対されるのなら,一方的動機錯誤なんて一切許さないと,契約の内容としてはっきりと,ここの点について誤りがあれば契約解除できるとか,取り消すことができるという,そういう特約をはっきりと明文で書かない限りは一切認めないんだと,そこまでいかないと一貫しないのではないかと思うんです。   ただ,一貫しない主張を経済界がされる前提として,事務当局の書きぶりのほうに問題があるのではないかというのが先ほど私が主張したことでありまして,一方的動機の錯誤のほうは,法律行為の内容になっているという伝統的な要件をかぶせることによって,何となく保護してもいいかなというようなニュアンスを与えている。他方で,不実表示を動機の錯誤構成で保護するという今回の案は,法律行為の内容でないにもかかわらずということをはっきり書き加えることによって,何か,全然違うタイプの動機錯誤なんだという印象を与えている。したがって,一方はいいけれども,他方は絶対に駄目という反応を引き起こしているのではないかと思うわけです。   そこで,不実表示型の動機錯誤で不実表示の部分の要件を外してしまったらどうなるのかと。そうすると,一方的動機錯誤が残るわけで,それは保護しましょうという話になってしまって,要件が加重されて,言わばより不当性が高くなった場合が保護されなくて,要件の軽い場合が保護されるというのは,どう考えてもアンバランスなことになるのではないかと思います。 ○大村幹事 今の松本委員の御発言ですけれども,不実表示について規定を置こうという方向については,私も基本的に松本委員のお立場に賛成です。ただ,それを入れるための戦略的な発言だと思いますけれども,アの動機の錯誤について一方的な思い違いというような言い方をされましたが,御自身でおっしゃっていたと思いますけれども,一方的な思い違いであるけれども,法律行為の内容に関するということで枠が掛かっているわけですね。最後のほうで比較をされるときに,より軽いものが保護されるのに重いものが保護されないともおっしゃったかと思いますが,それも法律行為の内容という枠が掛かっているからこそ,保護されるということなのではないかと思います。そして,不実表示に当たるものであっても,ここの提案でいえばアの要件を満たせば,それは当然保護されるということになりますので,その限度で矛盾はないのではないかと思います。   他方,イの書き方が適切なのかどうかということについて,松本委員がおっしゃったことについては私も同感の面があります。これも松本委員の御発言を借りて言いますと,相手方が働き掛けたというような言い方をされていたかと思いますが,働き掛けたというところを捉えて,だから,相手方に不正があるので法律行為の効果を否定してよいのだという考え方はあり得ると思います。ただ,ここのイには相手方が事実と異なることを表示したためと書かれていて,働き掛けたというのと相手方が事実と異なることを表示したというところの間に落差があるのではないでしょうか。経済界からの御意見で,事実と違うことを言ったら,全部,それが不実表示になるのかという懸念があったと思いますけれども,その辺りに何か制限を設けることによって,適切な範囲で不実表示を規範化するということは,もう少し考えてみる価値があるのではないかと思っております。 ○佐成委員 今,大村幹事が御発言されたところは,結論的なところは違いますけれども,私も趣旨的には同じようなことを申し上げようと思ったわけでございます。要するに,動機の錯誤に関しては法律行為の内容となるという,そこのところで枠が掛かっているというところがありまして,更に加重した類型である不実表示を入れるというのは,私の最初の発言が言葉足らずだったかもしれませんけれども,その部分だけ類型化することになるので判断の硬直化を招くのではないか,現行のまま法律行為の内容となるという枠内で柔軟に読み込めば十分ではないかと,そういう趣旨でございます。その意味で,不実告知に関して更にサブルールを設ける必要性はないのではないかというのがまず一つでございます。   それから,先ほどの相手方の働き掛けという話も確かに大村幹事がおっしゃったとおりで,私もそこら辺は保護しなければいけないような部分というのはもちろんあると思うんですけれども,現行法では詐欺という規定もあるわけでありまして,問題は詐欺との境界であります。この点,詐欺であればもちろん取消しという現行規律も適用されるわけでありますけれども,それに至らないようなもの,単に相手方が何か誤ったことを言ったというだけで,それは場合によってはいろいろなものがあるのかもしれませんけれども,それが全く法律行為の内容とならない形であっても取消しの効果がもたらされるというのは,今回の提案はそうなっていますけれども,そういう形だと非常に危険な規定になるというところがあります。この点は,大村幹事も正に我々の懸念を明確にしていただいたと思うんです。   ですから,松本委員がおっしゃった意見,要するに不実表示の場合についても,法律行為の内容になるという枠が掛かるんだという考え方というのは十分あり得るんだとは,私も先ほど話を聞いていて感じたところです。けれども,産業界として結論的にはそうはなかなかいかないなと思っております。要するに,この提案は法律行為の内容となるという枠を外すという提案だったかと思いますけれども,不実表示に関しては,仮に松本委員がおっしゃったような形でこうした枠をかぶせると修正してみても,産業界としては立法化についてはやはり慎重にしていただきたいということでございます。 ○松本委員 何度も言いますが,私は不実表示型について法律行為の内容となっていないにもかかわらずというような言い方をするのは,適切ではないと思います。錯誤構成で保護するからには,一方的な錯誤であっても,相手方からの誤った情報提供に基づいて誤解したことによる動機錯誤であっても,同じレベルで保護されるか,されないかということになるんだと思います。法律行為の内容になる,ならないという言葉で何が決まるのかというと,それだけでは私は決まらないと,マジックワードだと思います。どういう場合に法律行為の内容となったと評価できるんですかというところまでコンセンサスができなければ,単に結論の正当化のための用語になってしまうので,適切ではないと思うんです。二つのタイプについて違った用語で正当化根拠を説明するのはよくないと思います。両方同じように法律行為の内容になったと,もし,それを使うのなら使うべきだと思います。   そこで,その上で,法律行為の内容になったと評価できるもう少し具体的なファクターとは何かというところを詰めていった場合に,不実表示型の場合には相手方が誤った情報を提供し,それによって表意者が誤解させられたという,相手方からの働き掛けによって誤認したということなわけです。そうしますと,相手方の働き掛けがないのに一方的に誤解しておいて保護されるべき場合というのは,一体,どんな場合なんだろうかと。何回も言っていることですが,相手方からの働き掛けと同じぐらいに評価できる,契約を取り消すことを正当化できるような要素が必要なのではないかということで,そこで,先ほどのように一方的に間違っているんだけれども,相手方としてそれを正すべきシチュエーションにあるような場合には,取消しを認めてもいいということは言えるだろうと思います。   それ以上に更にどういう場合があるんだろうかと。もちろん,はっきりとこれが前提条件だから,これを満たしていなければ契約はなかったとしますよと合意すれば,当然,そうなるわけだけれども,それならわざわざ錯誤の一つとする必要はないというのは,何人かの委員,幹事の方がおっしゃったとおりであって,明文の特約をしないにもかかわらず,取り消せる場合としてどんな場合を考えるべきかということだろうと思います。 ○山川幹事 規定を設けるかについて,一般的な意見を持っているわけではないんですけれども,先ほどの安永委員の御発言との関係では,資料の6ページにありますような情報の性質というのは,考慮されるような規定が望ましいかなと思われます。ここではより精緻にする必要があると書いてあるんですけれども,精緻の仕方をどうするかということで,この点はつい先ほど大村幹事が規範化という言葉を確か使われたと思いますが,規範的判断がなされ得るような形ができないかと考えております。   これまでの議論の中では,3ページ目の中間試案との関係では,前提となるという文言を前提となるべきとしたらどうかという思い付きを言ったんですけれども,補足説明ではそれは難しいということで,通常人という要素性のところで規範的に判断できるということでした。情報の性質等についても,通常人という表現がありますので,法文が通常人になるかどうかはまた別の話かと思いますけれども,これを含む要素性のところで規範的な判断ができるかどうか。   もう一つは,不実という言葉だと非常に何か規範的なイメージがあるんですが,イのところでは割と事実に即したものになっておりまして,これも全く思い付きで意味がないかもしれませんけれども,事実と異なることを表示したというところに規範的なクッションを加えて,例えば,不当にというような限定を入れることができるかどうか,単なる思い付きですけれども,そういう形でどこかの要件の中に,いろいろな懸念を払拭できるような規範的なものが入れられるかどうかということが,少なくとも労働関係の関心からすると出てきたところです。 ○岡田委員 先ほど消費者契約に関しては,消費者契約法があるからという話がありましたけれども,消費者契約法の不実告知に関しては契約の重要な部分に関して,重要な事項に関して不実告知があったということで,今回,提起されているより随分厳しいんですよね。ですから,そういう意味では,民法にこの規定が入ることによって,より消費者契約法は効果が消費者にとっては救済される部分があるかと思っていまして,今,ここで提案されているものと消費者契約法の不実告知は違うんだということを,前々から内田先生もいろいろなところでおっしゃっていらしたように感じているんですが,私も正確には理解していないんですが,そこの部分は理解していたものですから,この条項は入れてほしいと思っています。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか。 ○内田委員 この規律は当初の経緯といいますか,こういう提案が最初に学者グループなどからなされたときの経緯から,不実表示の規定と呼ばれて,不実表示という何か特殊なルールを入れようとしているという観点から,ずっと批判されてきたのですけれども,先ほどの大村幹事の御発言の中で,事実と異なる表示をしたという書き方が広いという点は松本委員の御発言と同感で,何らかの絞りが必要ではないかという御発言がありました。比較法的にはこういう立法は幾らもあるわけですけれども,そのときは不実の表示という表現ではなくて,動機の錯誤,つまり事実の誤認が相手方によって引き起こされたという表現を使うことが多いのですね。   ただ,引き起こすという翻訳は余りよくなくて,引き起こすというと意図的なニュアンスとか,あるいは消費者契約法の勧誘のようなイメージが出てきますけれども,元々は英語のcauseですが,要するに原因となったということです。相手が原因となって動機の錯誤が生じた,事実誤認が生じたという場合については他の動機の錯誤とは違って,直ちに要素性の判断をするという立法例がよく見られるわけです。それと同じような判断をしている裁判例が実際に日本の裁判例の中に見られるということで,元々の意図は,それを明文化しようということだと思います。不実表示ということにこだわる必要は,私は必ずしもないのかなと思いますけれども,相手方が原因となっているという場合については,松本委員のおっしゃるとおり,正にそういう錯誤の原因を作っているわけですから,それなりに保護に値する場面ではないかと思います。 ○鎌田部会長 事務当局としてもう少し意見を伺っておきたい点がありましたら御指摘ください。今までのような意見でよろしいですか。   それでは,恐縮ですけれども,次に進ませていただきます。部会資料66Aの審議に戻ります。66Aの「第1 意思表示」の「2 詐欺(民法第96条関係)」,「3 意思表示の効力発生時期等(民法第97条関係)」及び「4 意思表示の受領能力(民法第98条の2関係)」について一括して事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「2 詐欺」の改正点は,第三者詐欺による意思表示を取り消すための相手方の主観的要件について,相手方の悪意だけでなく過失があることを加えたこと,第三者保護要件について第三者の無過失が必要であるとしたことであり,これらについては中間試案からの変更はありません。詐欺についての中間試案からの変更点は,代理人による詐欺,媒介受託者による詐欺に関する規定を設けないこととしたことです。媒介受託者による詐欺は本人の詐欺と同視することはできないという意見があること,逆に,代理人又は媒介受託者に限定するのは狭すぎるという意見があることなどを踏まえ,引き続き解釈に委ねることとしたものです。   「3 意思表示の効力発生時期等(民法第97条関係)」についての改正点は,到達主義の適用範囲を隔地者に対する意思表示に限定せず,意思表示一般に妥当することを明らかにしたこと,到達擬制の規定を設けたこと,意思表示の発信後に意思能力を喪失しても意思能力の効力に影響しないことを明らかにしたことであり,これらについては中間試案からの変更はありません。ただ,意思表示の到達擬制の要件について,中間試案の「必要な行為をしなかった」という要件が不明確であるという意見を踏まえ,「故意に到達を妨げた」という要件を新たに提案しています。もっとも,これでは狭すぎるという指摘もありますので,その当否も含めて御意見を頂ければと思います。   中間試案からは,到達の意義に関する規定を設けないこととした点で変更を加えています。書面が配達されたという例は当然のことであり,規定を設ける意味が余りないこと,このような具体例を除き,抽象的に了知又は了知可能性を意味するとのみ規定するのでは,到達の意義を明確にしたとは言いにくいことから,規定を設けないこととしたものです。   「4 意思表示の受領能力(民法第98条の2関係)」は,意思表示の受領能力として意思能力が必要であるとしたものであり,中間試案からの変更はありません。 ○鎌田部会長 ただいま,説明のありました部分について御審議を頂きます。御自由に御発言ください。 ○佐成委員 順番は別に構わないということですか。それでは,3の「意思表示の効力発生時期等」に関する(2)のところですが,ご説明によると正当な理由がないのに故意に到達を妨げたという表現に改めたということでした。中間試案の言葉が非常に不明確だという指摘を踏まえて,そう修正したということですけれども,事務当局の御説明にもありましたとおり,それでは狭いのではないかという反応がやはり内部の議論であったということだけ申し上げます。それでは,代替案として何がいいかというのはなかなか申し上げにくいんですけれども,それでは狭すぎるのではないかという実務家の声があったということだけは申し上げたいと思います。   それから,4の(2)ところですが,受領能力に関しては,意思能力を欠く状態になったときは,対抗することができないものとするという,こういう明文規定を設けるとなっております。この規律それ自体に異論があるということでは必ずしもないんですけれども,ただ,具体的には保険業界さんのほうですが,長期間に及ぶ契約の途中で意思能力を欠くようになった場合に,債務の履行請求や契約の解除をするといったときに,この規定がぽんといきなり入ってしまうと,実務的な混乱をもたらすのではないかということで慎重に検討してほしいということを表明されておられました。   現在もある問題点なので,規定を置くか,置かないかということが必ずしもそれほどに影響するとは思えませんけれども,明文が置かれることによる,そういったところへの懸念,現実には約款で対応されているところが多いそうなんですが,そうではないところもあるので,慎重に御検討いただきたいと,そういうことがありました。 ○岡田委員 「詐欺」の2のところですが,今回,中間試案のところで3ページの括弧の中の(2)とそれから(注)のところが,パブリック・コメントで結構,意見が多いのですが今回のたたき台ですと(2)第三者が詐欺を行った場合,その場合においては相手方がその事実を知り,又は知ることができたときに限りに関しては当然だと思うのですよね。ですが第三者どころか,自分が代理権を付与した者とか,媒介を依頼した人間,契約関係にある人間が詐欺を行ったことに関して書かれていないということに関して,消費者側からするとすごく残念に思うし,あと,4ページの下のほうで今回,取り上げなかった理由が書いてありますがこれは本来の説明になっていないのではないかと私は感じたので,(2),それから,(注)に関してのパブコメの賛成意見が多いということに関して,是非検討していただけないのだろうかと思います。 ○笹井関係官 今の点で岡田委員の御指摘は非常によく分かるのですけれども,一方で,むしろ,代理人と媒介受託者について規定を設けてしまった場合に,それ以外の者の詐欺は全て第三者詐欺に当たり,96条2項の要件が必要になってしまうという解釈を招いてしまうのではないかという懸念もあるのではないかと思います。御指摘のとおり,代理人や媒介受託者による詐欺については,相手方の主観的な事情を問わないで取り消すことができるという考え方については,パブリック・コメントの手続でも支持がありまして,この考え方自体を否定しようという趣旨ではないのですけれども,逆に,規定を設けてしまうことによって本人と同視される範囲が限定されてしまうことになるという懸念もあるのではないかということも考慮したということです。 ○岡田委員 (注)のその行為について相手方が責任を負うべき者がと,ここでかなり広く,取り込めるような気がするのですけれども,こういう書き方をしても規定するほうが不利になるといいますか,狭くなるとお考えのわけですか。 ○笹井関係官 失礼しました。今,申し上げたのは中間試案の(2)のような規定を設けた場合の懸念ということで,注記された考え方を採った場合には,確かに岡田委員のおっしゃるように,私が申し上げたような懸念というのはないのだろうと思います。ただ,注記された考え方の問題点としては,「責任を負う者」というのがどういう範囲なのかは,結局,問題としては先送りされることになるので,それは96条1項がどういうものに対して適用されるのかという問題と全く同じものが,条文としては別の場面で問題になるということにすぎず,問題としては最終的には解決されないということを考慮したということです。 ○中井委員 今の論点に関して,私は岡田委員のお話のほうが説得力があるような気がいたします。笹井さんは,仮に媒介受託者と代理人に限定すると,それだけと解釈されるおそれがあるのではないかという危惧を表明される。しかし,書かなければ媒介受託者,代理人であっても,その事実を知り,又は知ることができたときに限りという解釈がなされるおそれが他方で残るわけですから,その解釈を排除するという意味で明記するというのは十分意味のあることだろうと思います。   それに限られるという懸念に対しては,この表現が適切かどうかはともかく,(注)の考え方を入れることによって「限られないよ」ということを示すことができる。ただ,(注)の考え方についてはその範囲が明確ではなくて,トートロジーだという批判があるようですけれども,今日いただいたところで,中身をきちんと読めていませんが,山本敬三先生が配布された資料を拝見いたしますと,その二つを合体することによって,前半の媒介受託者と代理人は例示となって,後半で責任を負うべき者の範囲を限定することができる,その曖昧さを取り除くことができるという御説明になっているのではないかと思います。そのような解決は十分あり得るのではないかという印象を持っています。   今日は実質,第三読会の第1回目の審議で,どのような形で進むのかなと,また,事務当局がどのような形でこれまでの議論の成果を要綱案のたたき台としてまとめるのかなと,興味を持って臨んだわけですけれども,今の詐欺のところにつきましても,確実に合意のできるところに手堅くまとめようという印象を強く受けました。しかし,他方でこれまで審議を積み重ねてきた成果がかなりそぎ落とされるといいますか,せっかくの成果を盛り込めないような結果が他の部分でも見受けられますので,残念に思うところが少なからずあります。このような論点について,その曖昧さとか,他の解釈を呼び起こす可能性があるということで,落としてしまうのは非常に残念に思います。   A型で整理されたものについて今後の審議ですが,もう一度,「意思表示」から「条件及び期限」について,今日以外の日がとれるとすれば,恐らく一通りの審議が終わった後,次のたたき台の整理のところしかないと思います。とすれば,この復活戦はかなりハードルの高い話なのか,その辺りも実は関心を持って先ほどからの議論を聞いていたところです。 ○筒井幹事 中間試案の3(2)で提示されていました媒介受託者や,相手方の代理人のことについて,(注)に記載されていることも含めて条文化すべきではないかという方向の御意見を,岡田委員,そして中井委員からいただきました。A型の部会資料で提示しているものについても,そういった御意見があればもちろん改めてしっかり検討したいと考えております。   それに関連して,中井委員からやや改正に慎重な姿勢が見受けられるのではないかという御指摘を頂きました。そういう面は確かにあると思います。私どもとしては,今回のパブリック・コメントの結果として,数の問題だけを申し上げるわけでは全くありませんけれども,現状として賛否が分かれているところについて,どのようにしてゴールを目指すのかという視点を持っておりますが,それに加えて,最終的に条文化の作業に責任を負っている立場から,条文化の可能性という視点で一つ一つの提案について吟味し,その検討結果を踏まえてA型の部会資料を提示しております。そういった観点から,先ほど中間試案の考え方を支持する意見がありましたけれども,その部分は改正を見送るという判断をして,今回の資料を提示したわけでございます。もっとも,それをくみ取っていただいた上で,もう一度,検討せよという御意見だったと思いますので,その点については改めて検討してみたいと思います。 ○松岡委員 今の点は,私も,是非検討していただきたいと思います。例示列挙プラス受け皿という規律が十分あり得ることは山本敬三幹事の意見書のとおりです。   全然別の点についてですが,10ページの4の「意思表示の受領能力」の内容については何の異論もございませんが,今後,更に条文化まで考えたときの表現の問題について,2,3点ございます。   一つは,今更,言ってもしようがないのかもしれませんが,「その意思表示をもってその相手方に対抗することができない」という表現が従来から非常に分かりにくいと感じておりまして,国民に分かりやすい条文を作るという点で,これでいいのかと少し気になります。相手方の意に反して主張することはできないと言い換えれば十分なのかというと,それにも問題があるかもしれませんが,「対抗することができない」と民法の条文の中にあちこちにある,多義的で普通の人にはなかなか分かりにくい表現のままにしておいていいのかは更に検討していただきたいと思います。   あと,(2)について一般的なことにも広がる問題がございます。この案を読みまして,最初,ぎょっとしました。「その法定代理人が」というのがただし書の頭に出てきまして,これは何だろうと疑問に思いました。未成年者又は成年被後見人には原則として法定代理人がいるので,「その法定代理人が」と規定しても全く違和感はないのですが,意思能力を欠く場合は個別具体的な問題でありまして,普通は法定代理人は定められていません。この場合の「その法定代理人が」というのは,仮に英文で書けば,if any,を挿入するもので,「もし法定代理人がいればその法定代理人が」という意味になるわけです。これは日本語の文章ではとても分かりにくい気がしました。かといって,丁寧に書くと長くなってかえってわかりにくくなってしまいます。   ここからがより一般的な問題ですが,例えば現在の瑕疵担保責任の規定は準用形式であり,かなりの読み替えをしないと非常に分かりにくいので,文章を書き下して分かりやすくするのは大変結構だと思います。しかし,一方で,ここの(1)と内容と(2)の内容はほとんど同旨です。こういうときは,むしろ,(2)では(1)の規定を準用するだけでよいと思います。取り分け,ここはほとんど起こらないような事例について基本的な考え方を示すだけなので,細かい表現にこだわらなくてもいいのではないでしょうか。最終的に条文案を作るときに,どのような場合を準用とし,どのような場合を書き下しにするのか,漠然としたものになるかもしれませんが,基準を考えておいていただく必要があるのではないかと思いました。 ○岡崎幹事 3の「意思表示の効力発生時期等」に関してですけれども,中間試案では文言の曖昧さが問題になると思っていましたが,その点に関しては今回の御提案では一定の改善が見られるのではないかと思っています。ただ,一方で,その分,やや窮屈になったのではないかという感想を持っています。例えば今回の部会資料に取り上げていただいています平成10年の最高裁の判例の事案ですけれども,部会資料の9ページにも記載がございますが,この事案が故意に妨げたという要件に該当するのかどうかに関しては,異論もあるのではないかと思われます。   平成10年の最判は,不在配達通知書が郵便受けに入っていたという事案に関して,不在配達通知書の記載その他の事情から,内容が一定の意思表示であることを十分推知できたということと,受領者に受領の意思があればさしたる労力,困難を伴うことがなく内容証明郵便を受領することができたということの二つの事情を考慮して,意思表示の到達を認めたものでございます。このように,この最判は,内容の推知可能性,それから,もう一つ受領可能性,この2点を考慮して到達を認めたわけですけれども,この最判では内容証明郵便を受けた人が取りに行かなかったという不作為が問題になっているわけでございまして,このような不作為が故意に妨げたというような要件に当たるかどうかに関しては,異論もあるのではないかと思った次第でございます。   この最判にも見られますように,従来の実務では到達という概念を規範的な概念と捉えて,その柔軟な解釈によって対応してきたと思われます。到達の意味内容,つまり,了知可能性とか,そういったことだと思いますけれども,その範囲内でカバーできないような極端な事例があり得るかもしれませんが,そのような極端な事例については信義則によって対応するとか,別の行き方があり得るのではないかと思いました。 ○高須幹事 岡崎幹事と同じ3の(2)のところです。到達擬制の問題でございますが,問題意識は岡崎幹事から,今,ご意見があったのとほぼ同じようなところで,規律が明確になった分だけ,逆に今度は要件を絞ったような印象を与えるのではないかというところが私も気になります。この制度は本来の到達ではない場面についての擬制を図るという意味での意義はあると思いますので,しっかり,この規定は残すべきだと思いますし,当初の中間試案の表現がやや曖昧であるとすれば,どこかまでは明確にしていく作業が必要になるのだろうとは思います。しかし,要件を絞りすぎますと使い勝手が悪くなると思います。   それを前提に今回の案を考えたときに,御努力いただいた結果だとは思っておるんですが,それでも故意に妨げたという表現が気になります。妨げたというところに既に意欲的なものが入っていて,かつ,それに故意をかぶせるということになると少し重いのではないか。これが裁判規範となると,この故意というのが証明の対象になるということですから,故意が立証できないと,結局,擬制ができないという形になってしまうので,表現として故意にという言葉を残すことがいいのかどうかというようなところは気になったところで,少しお考えいただいたらと思います。不作為の部分は,妨げたということについては恐らく解釈論的には,妨げたには作為的な妨げもあれば,一定の要件の下で何もしないことも,妨げたになるのだろうというような解釈は可能だと思いますので,何とかなると思うのですが,いずれにしても故意にという部分が気になったというところでございます。 ○中井委員 同じ3の「意思表示の効力発生時期等」についてですけれども,ここも残念だなと思うことを申し上げておきたい。中間試案の(2)では,到達について定義をしようと試みたのだろうと思います。これに対しては,確かにアの書面の配達などというのは,場合によっては時代遅れになるかもしれないし,これからも到達のありようというのは様々あるのかもしれません。したがって,これをこのままというのは必ずしも適切でないという御指摘は十分理解できるところです。しかし,この到達というのは部会資料にもありますように,意思表示というのは①表白があり,②発信があり,③到達があり,④了知があると。どの時点で到達したのかということが了知した場合だけではなく,具体的な支配圏に入ることという説明になっています。そういう場面も到達という概念に含まれる。このこと自体は大変重要なことではないかと思うのです。   そうすると,山本敬三先生が今日,いらっしゃっていないのを大変残念に思うんですけれども,山本敬三先生の文書によりますと,中間試案の(2)のイであるものと了知を組み合わせる,例えばですけれども,相手方が意思表示を了知し,又は了知することができる状態が生じたことという概念,これは部会資料7ページの下に書いておりますけれども,こういう概念自体,なお抽象的であっても了知した場合だけではありませんよ,了知することができる状態若しくはその支配圏に置かれた状態に至れば,到達と評価できるということを明らかにする意味でも意義があるのではないか。国民に分かりやすくというのが今回の民法改正の一つの眼目であり,基本的な考え方をできるだけ説明していこうというのも,出発点ではなかったかと思います。そういう意味で,到達の定義についても,外されたことは残念で,ここも復活できないものか,御検討いただけないかと思います。 ○中原委員 銀行取引においては,各種約定書において取引先に住所の変更等の届出義務を規定していますので,銀行からの通知は,通常は最後に届出のあった住所に対して行っていますが,住所変更の届出が行われておらず,通知が届かない場合があります。また,最後に届け出た住所へ通知すれば,意思表示が到達したものとみなすということも規定しています。今回の提案により,みなし送達規定の効力が否定されるのかどうかが銀行界でも議論になっております。この点はどのように考えればよろしいんでしょうか。 ○笹井関係官 その点は,中間試案のときにもお答えしたと思うのですけれども,約款の効力は約款の効力としてこれまでと同様であり,今,議論されている今の実務に影響を与えるものではないと考えればいいのではないでしょうか。 ○中原委員 ありがとうございました。 ○笹井関係官 幾つかの,特に到達擬制について御意見を頂きましたので,まとめてお答えしておきたいと思います。あと,到達の意義についてもですけれども,到達擬制のところで故意に妨げたというのが重いのではないかという御意見がありましたけれども,故意に妨げたという表現自体は民法130条にもある文言でして,その表現を参考にしたということです。これは飽くまでも,客観的には到達とは言えない場面で,しかし,到達という本来は生じていないはずの効力を発生させるというものですから,故意を立証しなければならないというのは,負担だと言われれば負担かもしれませんけれども,こういった効果との見合いではやむを得ないことではないかと思っております。   それから,もう一つ,岡崎幹事のほうから,到達というのはそもそも規範的な概念で,それを柔軟な解釈によって対応してきたんだという御意見がありまして,そういうものによって対応できるので,この規定は要らないということではないかと思いますけれども,しかし,確かに到達という概念が純粋に客観的なものかどうかというと,そうではなくて,規範的な性質というものを持っているというのは御指摘のとおりかと思います。そういう意味で,了知か,了知可能性という客観的なものに加えて,もう少し,にじみ出てくるものを柔軟に捉えてきたということは,御指摘のとおりかと思いますが,しかし,その二つの類型があるということは否定できないように思われます。   つまり,客観的にある状態になれば,相手方がどんな対応をとったとしても客観的な状況だけで到達というものが認められるという類型がありますし,しかし,そうではなくて,客観的な状況と相手方の対応との相関的な関係を考慮して,その上で,到達というものが認められている類型がある。この二つは考慮されているものが違っているということがあろうかと思いますので,性質として異なるものなので,二つの類型がある以上は別々に規定を設けるというほうが,より適切なのではないか。もちろん,その二つをまとめて到達と呼ぶか,一つを到達と呼んで,もう一つを到達擬制と呼ぶかという問題はありますけれども,これはある意味では言葉の問題であり,二つの類型があるのであれば,二つの類型を設けるという考え方に従って,今,中間試案はできているということだろうと思います。   それから,中井先生からは到達の意義を明確にすべきであると。そこでは了知とか了知可能性という形で定義することが想定されているのでしょうか。今まで,判例であるとか学説では,到達というのは,了知し又は了知することができる状態になったことだと書かれておりまして,そういう意味では,「了知」という言葉自体は到達を説明する概念としてなじんでいるのではないかと思われますけれども,一方で,民法では124条2項で1か所だけ「了知」という言葉を使っております。これは,成年被後見人は,行為能力者となった後にその行為を了知したときは,その了知をした後でなければ,追認をすることができないというところでして,成年被後見人が行為能力者になった後に,自分がした行為を認識するという意味で使われているんですが,到達について「了知」という言葉を使うのであれば,この124条2項の「了知」と同じ意味で使われているとお考えでしょうか。あるいは「了知」を使わずに別の言葉で到達を説明しようとお考えなのでしょうか。到達の意義を明確にせよということであればもちろん検討いたしますけれども,その場合にどういう文言をお考えなのか,教えていただければと思います。 ○中井委員 私の発言が124条2項の了知という言葉との対比において選択したとか,そんな深い意味はなくて,元々,判例や部会資料が了知したことという表現を使っていたので,そのまま使ったにすぎません。現実に意思表示を受け取る,それと,もう一つは受け取ることができる状態に置かれた,支配領域内に入った,この二つをどう表現するかという問題と理解しています。了知という124条と同じ言葉を使えば,そこで何らかの問題が生じるなら,了知ではなくて,意思表示を受領する,受け取ることができる,知ることができる,知ることができる状態に置かれたとか,適宜な言葉を考えることになるのかと思います。それにとどまります。   それから,岡崎幹事が先ほど到達擬制は要らないという御発言だったと私は受け取らなかったのです。ここは誤解があれば撤回しますけれども,むしろ,今回,提案されている,故意に意思表示の到達を妨げたという表現,これは高須幹事もおっしゃられたように,現実の判例事案等を見ても狭すぎるのではないか。平成10年判決にしろ,その後,8ページに幾つか例が挙げられておりますけれども,支配領域に置かれているにもかかわらず,そして内容が推測できるのに,何もしない,何も手配もしない,取りにも行かず郵便物が戻るというような事案で,そういう事案は専ら不作為が問題になっている例が多いにもかかわらず,故意に妨げたというのは狭きに失するのではないか。こういうご意見だったと私は理解いたしました。   勝手な想像をしてはいけないのかもしれませんが,元の案は到達に必要な行為をしなかったで,今までの事例の不作為案件を適切に表現しているのではないかと思っていたわけですけれども,この表現自体が条文化という作業の中で,必ずしも適切ではないとの指摘を受けて,みなし規定として使えるものとして130条があるから,130条の「故意にその条件の成就を妨げたとき」という概念ないし言葉を引っ張ってきたのではないかと,推測するわけです。   ただ,130条はそれのみが要件で条件成就とみなしているのであって,ここの到達擬制は正当な理由がないというのが入って,この言葉で一定の制限,絞りを掛けているわけで,130条と要件立てが基本的には異なるわけですから,130条の言葉があるから,ここにその表現を持ってきたというのは,にわかには理解し難いと申し添えておきたいと思います。 ○笹井関係官 先ほど言い忘れたのですけれども,平成10年の最判との関係について補足したいと思います。平成10年最判は,事実関係としましては,遺留分減殺の通知がされた事案で,ほかの相続人がいるということが分かっていて,かつ,意思表示の相手方も,相続人から遺留分減殺の通知が来るかもしれないということで,弁護士さんのところに行って遺留分減殺について相談をしていて,正に意思表示が来ると予想していたところ,不在配達通知が来たのに,それを取りに行かなかったというような事案でして,それまでの経緯を見ると,十分,「故意に妨げた」というような評価ができる事案ではないかと思っております。また,到達の擬制は,本来であれば了知可能性がない場面で到達の効力を認めるという規定ですので,余り緩やかになってしまうよりは,それなりの厳しい要件が必要ではないかと思います。平成10年も全体としての事実関係を見れば,妨げたというような条件でも読み得るのではないかと考えたというところでございます。ただ,狭すぎるのではないかという御意見を,今日,たくさんいただきましたので,また,改めて考えてみたいと思います。 ○高須幹事 ただいま,笹井さんからまとめていただいたので,そのとおりでよろしいんですが,問題意識をもう少し共有させていただくとすると,先ほども平成10年の判例について,岡崎幹事のほうから内容の推知可能性という表現も出ていると思うんですが,確かにその事案でも必ずこの内容であるとまで分かっていたわけではない。恐らく来るだろうと,こういう文書が来るだろうというときに,お示しいただいた規律で大丈夫だろうかということです。故意にという規定の意味は,意思表示の送達を妨げるという認識という理解になると思いますが,それに当たるのかどうか。今,当たるのではないかと御説明いただいていますので,そういう解釈を採れば結論的には余り不都合なことにはならないと思うのですが,認識と言われたときに,その程度では足りないというような結論になりますと,具体的な結論の解決方法として問題が起きてしまうのかなと。恐らくこんな手紙が来るぞということで受け取らないという場面について,この種の到達擬制制度は意味のある規定になると思いますので,最終的にそういう解決になるような方向性で考えていただければと思っております。 ○岡委員 話が前に戻って,代理人と媒介受託者のところについてでございます。今日,ここで敗者復活のような岡田さんと中井さんの意見が出たので顧慮しますと御発言があったのですが,パブコメとの関係について1点,指摘させていただきたいと思います。   64-4,パブコメをまとめた冊子の14ページを見ますと,少なくとも代理人による詐欺の部分について反対しているのは,某一法律事務所だけでございます。日弁連も最高裁の比較的多数も賛成しておりまして,こういう状況の中で代理人部分まで外してしまうというのは,何かパブコメを軽視しているような印象を受けます。客観的に見ましても媒介受託者は恐らく不動産仲介業者の方々から,かなりの疑念があるところは予想されますし,媒介受託者という概念がそう成熟しておるとも代理人に比べればないと思いますので,理解できます。しかしそのときに代理人のところまで落とすというのは,パブコメを踏まえるとかなり行きすぎといいますか,何のためにパブコメをやったんだというようなことにもなりかねないと思いますので,パブコメを踏まえて,少なくとも代理人あるいは(注)も踏まえた代理人その他のというところは,本気で復活の方向で考えていただきたい。   それから,部会資料66Aの4ページの一番下のところでございます。恐らく要綱試案仮案の中身に発展していく表現だと思いますので,一言申し上げます。4ページの一番下の段落の書き方ですが,媒介受託者又は代理人のみを掲げると,ほかに発展しないからやめるんだということが書いてあるんですが,本当は媒介受託者と書いてしまうと,一律,媒介受託者は全部アウトになるので,それに不安があるというのが宅建業者さんたちの意見だろうと思うんです。   そういう立場からいくと,原則,媒介受託者あるいは代理人については,本人に当たる場合が多いと思われるけれども,今回は条文化はしなかった,解釈論としては原則当たる,特別な事情の場合には当たらないことになると思われる旨,を要綱試案あるいは一問一答等に書いていただければ,条文化しないことの代替措置になると思いました。 ○井上関係官 4の「意思表示の受領能力」につきまして,1点だけ確認させていただきたいことがございます。提案(2)の本文の立証責任の分配についてでございますけれども,ここにつきましては未成年又は成年被後見人とは異なりまして,意思無能力者への該当性というのは,外形的判断がかなり困難であると考えております。特に昨今,金融取引の場面において例えばインターネットによる非対面取引のようなものが極めて増えておりますけれども,非対面取引において相手方が意思無能力であるかどうかということの判断というのは,かなり難しいのではないかと思っておりまして,したがって,意思無能力者であるということを主張する受領者側が,意思表示の受領時における意思無能力を立証すべきだと理解しております。この点については第二読会のときの第32回会議でも,金融庁の関係官から発言させていただいたんですけれども,今回の資料でこの点において記述がないようでございますので,念のため,確認させていただきたいと思います。 ○笹井関係官 この素案は今の民法98条の2と基本的に同じ構造を採っておりますので,立証責任の所在もこれと同じになると思っております。現在は,一般的には,98条の2の解釈としては,自分に行為能力がない,あるいは未成年者であった,あるいは成年被後見人であったということの立証責任は相手方に課されていると,そう理解されていると思いますので,意思無能力について規定を設けた場合には,同じように解釈されるのではないかと考えております。   あと,岡委員の御指摘の点についてですけれども,代理人についてこんなに賛成が多いのに,パブコメを軽視しているではないかという御指摘がございましたけれども,そのようなつもりはなかったんですが,先ほど筒井のほうから申しましたように,数だけの問題ではないということもございますし,不動産媒介業者の御懸念と私の懸念は必ずしも一致していないのですが,岡先生としては代理人についてだけでも規定を設けておく,バスケットクローズのような規定なしで代理人についてだけ規定を設けておくということなのでしょうか。そうなった場合に,96条をざっと並べると,詐欺の取消しの規定があり,代理人についての規定があり,それから,今の96条2項に当たる第三者詐欺の規定があることになります。このときに,代理人だけが別なんだということを解釈される懸念,そこが私の懸念なんですけれども,それは岡先生としてはどのようにお考えなのでしょうか。 ○岡委員 (注)の部分の抽象文言を付け加えれば,緩和されるのではないでしょうか。 ○笹井関係官 付け加えるということなんですか。それでまた,パブコメを援用することになるんですけれども,それについてはパブコメなどでも(注)記載の,抽象的な規定に対する実務的な懸念は示されているのですが,その点は岡先生としては十分対応できるというお考えでしょうか。 ○岡委員 文言を整理する必要はあると思いますが,その方向がいいと今は考えております。 ○沖野幹事 今の点ですけれども,私自身は先ほど中井委員がおっしゃったような形のものがよろしいのではないかと思っておりまして,その他のという形で一般規定を置くことによって,例示されたものも本質はそこであるということが明らかになりますので,それによる適切な絞りというのが出てくるのではないかと思っております。ただ,実際に,受容可能性ですとか,かえってトラブルを招くとか,いろいろな事情から限定せざるを得ないというような場合には,二次案としてということですけれども,先ほど来,伺っておりますと,例えば代理人だけを書くとそれに限定されるかのように読まれてしまう,その懸念が大きいという御指摘ですけれども,本当にそうだろうかという点も疑問を持っております。   と申しますのは,全く規定がないときと,せめて代理人について置かれているときに,しかも,数々の検討から媒介受託者なども入り得るところ,しかし,様々なものがあるので落としたと。典型的なものとして代理人の規定が置かれたという経緯があるときに,そのような規定のもとで,これに準ずるものはどうだろうかということで,むしろ,解釈は展開していくのではないかと考えられます。(2)のような要件がなくても当然に同一視できるといいますか,その一般的な要件を個別に問うことなくその部分のリスクを負うべきものがあるということが少なくとも書かれているという点は,当然にほかのものを排除するものとして必ず読まれるということではないと思われますので,せめて,そこだけでも書くということも復活折衝的に検討案としてお考えいただけないでしょうか。ただ,第一次的には中井委員のおっしゃったような両方を例示し,かつ,一般規定を置くことで,エッセンスはそこであるということを示すことがよろしいのではないかと思っております。   復活させるという点では,到達の意義についても中井委員と同じように考えておりまして,理由として付け加える点はございません。ただ,この中でおっしゃった124条2項との関係を整理する必要があるというのは,現在,了知という言葉がどのような意味で使われているか,現行法における文言として定式化されたものがあるとすれば,それと同じ文言を使っていいかということは検証が必要だというのは,恐らくそのとおりなんだろうと思います。   ただ,それにつきましても別のところで使われる言葉が概念として違い得るということが民法では多々ありますし,到達の意義についてはむしろ確立した言い方として了知ですとか,了知可能性ということが使われておりますので,この整合性を厳密に付けないと,その言葉が使えないということでは,必ずしもないのではないかという気がしております。更に言いますと,124条2項は現在,削除する提案がされておりますよね。これが提案されるならば,むしろ,到達のところでのみ了知が使われて,そこでの意味はこうだということですので,その点でも多少,懸念は減ぜられるのかなと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかにはいかがでしょうか。   特にないようでしたら,ここで一旦,休憩とさせていただきます。15分後に再開させていただきます。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,再開させていただきます。 ○岡崎幹事 議事の進行を妨げるような発言で申し訳ありませんけれども,前半の最後の辺りで何人かの委員,幹事の先生方から復活折衝と申しますか,取り上げないこととされた論点を取り上げることをお求めになる御発言があったかと思います。その点に関して先ほど申し上げたほうがいいかどうか,悩んでいるうちに休憩に入ってしまいましたので,一言,申し添えたいと思います。   今回の部会資料66Aを拝見しまして,率直な感想として,一定の期限のある中で事務当局として,これは改正すべきであるという点をしっかり見定め,一方で,コンセンサスを得られない可能性がかなり高いものについては,思い切って落としていって,それによって,ここでの議事を限られた論点に集中させていこうという御配慮がされているのではないかと感じた次第でございます。   前回,あるいは,前々回の会議において,筒井幹事から来年7月頃までには一定の要綱の仮案を作ろうという期限の設定があり,これを踏まえて,審議に臨んでいるわけでございますので,我々としては,その議事進行にどう合わせていくかということも考える必要があると思っておりますし,事務当局としても,熟慮の上,苦渋の選択をして,御提案をされているのではないかと思います。   そうすると,先ほど復活を考えたほうがよいのではないかという御発言が幾つか見られたわけではございますけれども,岡委員が最後に少しおっしゃったように,例えば部会資料に解釈を明確に記載しておくとか,あるいは将来一問一答のような事務当局が作成される解説本などの中で,どのような方針を採ったのかを明示するなど,コンセンサスが得られない可能性がある論点については,別の形でフォローしていくという行き方も,十分,あり得るのではないかなと思った次第でございます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。御指摘のような点も踏まえて,検討を続けさせていただこうと思います。   それでは,「第2 代理」について事務当局から説明をしてもらいます。 ○金関係官 「第2 代理」については,1から8まで一括して説明をいたします。   「1 代理行為の瑕疵」では,民法第101条第1項について,代理人の意思表示に関する規律と,相手方の意思表示に関する規律とを分けて定めた上で,相手方の意思表示に関しては,民法第101条第1項の前半部分,すなわち,意思表示の効力が意思の不存在,詐欺,強迫によって影響を受けるべき場合は問題とならないことを明確にしています。また,民法第101条第2項については,本人の指図に従ってという部分を削除することとしています。中間試案では,民法第101条第2項に関して,本人が自ら知っていた事情を代理人に告げることが相当であったことを要件とすることを提案していましたが,この要件では抽象的,評価的にすぎる旨の指摘があったことなどを踏まえ,本人が代理人に特定の法律行為を委託したことという現行法の要件の解釈・認定を通じた解決に委ねることとしました。   「2 代理人の行為能力」では,民法第102条について,制限行為能力者が代理人である場合でも,その者が代理人としてした行為は,行為能力の制限によっては取り消すことができない旨の規定であることを明確にしています。また,その例外として,制限行為能力者が他の制限行為能力者の法定代理人である場合には,その法定代理人が自らを当事者としてしたとすれば取り消すことができる行為についての取消しを認めることとしています。中間試案からの変更点は,取消権者を具体的に示したことです。   「3 復代理人を選任した任意代理人の責任」では,民法第105条を削除することとしています。中間試案からの変更はありません。   「4 自己契約及び双方代理等」では,(1)の自己契約及び双方代理の効果について無権代理とみなすこととし,また,自己契約及び双方代理に該当しない(2)の利益相反行為の効果についても,無権代理とみなすこととしています。中間試案では,これらの点とは別の問題として,自己契約及び双方代理であっても本人の利益を害さない行為については無権代理とみなさない旨の規律を設けることとしていましたが,「本人の利益を害さない」という要件では曖昧にすぎる旨の指摘があったことなどを踏まえ,現行法の「債務の履行」を除外する旨の文言を維持することとし,その解釈・認定を通じた解決に委ねることとしました。また,自己契約及び双方代理に該当しない(2)の利益相反行為については,「債務の履行」を除外する旨を明示しなくても,代理人と本人との利益が相反するかどうかを外形的に判断する中で自ずと除外されることになるという理解を前提として,「債務の履行」を除外する旨を明示しないこととしました。これは,親権者の利益相反行為に関する民法第826条第1項が「債務の履行」を除外する旨を明示していないこととの平仄を合わせる趣旨でもあります。   「5 代理権の濫用」では,代理人が自己又は第三者の利益を図る目的でした代理行為について,相手方がその代理人の目的を知り又は知ることができたときは,無権代理とみなすこととしています。中間試案では,本人が効果不帰属の意思表示をすれば遡及的に無権代理と同様に扱うという構成を採っていましたが,先ほどの4(2)の利益相反行為の効果と代理権濫用行為の効果とが異なるのは相当でない旨の指摘や,制限行為能力者の法定代理人が代理権濫用行為をした場合には制限行為能力者である本人が効果不帰属の意思表示をすることは困難である旨の指摘があったことなどを踏まえ,代理権濫用行為についても,相手方の一定の主観的事情を要件とすることを前提とした上で,本人による意思表示を待たずに無権代理とみなすこととしました。また,中間試案では,相手方が悪意又は重過失の場合に限り代理行為の効果を否定することとしていましたが,重過失という要件では厳格にすぎて適切に機能しない旨の指摘や,判例のように過失を要件としてもその認定・評価を通じて柔軟な解決を図ることができるという指摘があったことなどを踏まえ,相手方が悪意又は軽過失の場合に限り無権代理とみなすこととしました。   「6 代理権授与の表示による表見代理」では,民法第109条と同法第110条の重畳適用が認められることを条文上明確にすることとしています。中間試案からの実質的な変更はありません。   「7 代理権消滅後の表見代理」では,民法第112条の善意の意味について,過去に存在した代理権が代理行為の前に消滅したことを知らなかったことであることを明確にしています。また,民法第112条と同法第110条の重畳適用が認められることを条文上明確にしています。これらについても中間試案からの実質的な変更はありません。   「8 無権代理人の責任」では,民法第117条第1項について,代理人が自己の代理権を証明したこと又は本人の追認を得たことが,無権代理人の責任を免れるための積極要件であることを明確にしています。また,民法第117条第2項について,相手方に過失があったとしても,無権代理人が自己に代理権がないことを知っていた場合には,無権代理人の責任を認めることとしています。具体的には(2)のイの部分です。中間試案では,これらの点とは別の問題として,無権代理人が自己に代理権がないことを知らなかった場合には,重過失がない限り,無権代理人の責任を否定する旨の規律を設けることとしていました。中間試案の(2)のウの部分です。もっとも,これについては,代理制度の信用を維持するという観点や無権代理人と相手方の立場を比較すれば相手方のほうを保護するのが通常の価値判断であるという観点から民法第117条の無過失責任を維持すべきである旨の指摘があったことなどを踏まえて,取り上げないこととしました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それでは,ただいま,説明のありました部分について御審議いただきます。御自由に御発言ください。  何も御意見がないとは思っておりませんけれども,どなたか。 ○松岡委員 代理権濫用の要件が変わったことは,これで本当にいいのでしょうか。中間試案の段階では,相手方が悪意又は重過失である場合に効果帰属しない,すなわち軽過失の場合には効果帰属するとしていました。案を変更する理由は,24ページに書かれており,今,金関係官が口頭でも御説明になりましたように,判例が93条ただし書類推適用説で相手方に無過失を要求していることと,過失の認定評価を通じて柔軟な解決を図ることが可能だということでした。   しかし,まずは外形的な事実だけで判断をして,代理人の内心の意図については特に調査する必要がないというのが重過失で足りるという考え方で,従来から商法の学説をはじめ民法でも有力な学説が主張しているところです。取引の際に代理人の内心の意図についてまで調査する義務を負わせるのは不適切ではないかという理由であり,それは説得力のある意見だと感じております。先ほどの理由だけでは十分納得することができませんので,補足していただけるのならばお願いいたします。 ○金関係官 軽過失に変えたことの理由として部会資料に挙げていないものを紹介することで差し当たりのお答えとさせていただければと思います。本人自身が心裡留保により意思表示をした場合ですら,相手方の保護要件は軽過失とされていることとの関係で,代理権濫用は,自分ではない者が代理権を濫用した場合ですので,そのような場合に心裡留保の場合よりも相手方の保護を重視することになる要件,すなわち,軽過失の相手方でも保護することになる重過失の要件を設けるのは,バランスを失しているのではないかという指摘があります。中間試案では,その指摘に対しては,心裡留保の場合には意思の不存在,意思の欠缺があるというところから,その意思表示を無効とする要請が少なくとも理論的には強くて,その関係で心裡留保の相手方の保護が若干劣ることになるとしても,その説明は可能であるという判断,逆の観点から言いますと,代理権濫用の場合には意思表示そのものについての意思の不存在,意思の欠缺といった問題はないので,代理権濫用行為の効果を否定する要請は心裡留保の場合ほど強くはないとも考えられ,その関係で心裡留保の相手方の保護よりも代理権濫用の相手方の保護のほうが重視される結果になったとしても,それなりに説明をすることは可能ではないかという判断の下で提案をしておりました。ただ,今回のパブコメでも,心裡留保と代理権濫用とのバランスの問題を指摘する意見があったところでありまして,その点も一つの理由になるのではないかと考えております。 ○松本委員 もし,部会資料に書かれていない根拠のほうが決定的なのであれば,部会資料を書き直したほうがいいのではないかと思います。すなわち,24ページの真ん中辺りの書きぶりだと,重過失だと厳格的すぎると,過失としても,その認定評価を通じて柔軟な解決を図ることが可能である。この書きぶりは結論を全くひっくり返しても同じになると思うんですね。過失だと軽すぎると,重過失としても重過失の認定評価を通じて柔軟な解決を図ることが可能であると。すなわち,この表現は決定的な理由の説明になっていないので,むしろ,今の心裡留保とのバランス論のほうがより説得力があると思われるのなら,そちらを正面に立てたほうが,それはおかしいですという批判を正当に誘発できるからいいのではないかと思います。 ○金関係官 この資料を作った段階では,心裡留保とのバランス論のほうは,むしろ決定的な理由ではないと考えておりましたので,こういう資料になっておりますが,資料をどう書くかについては検討いたします。ただ,重過失でも過失でも同じことだという御指摘については,パブコメでは今回の部会資料の24ページでも紹介しておりますとおり,重過失という要件はそれなりの強い事情がないとなかなか認められない要件として実務上は機能しているので,過失の要件を柔軟に認定・評価するのと同じように重過失の要件を柔軟に認定・評価するというのは難しいという前提で意見が出されているのだろうと思います。そういう意味で,より柔軟性の高い過失の要件のほうを選んだという理由が,この部会資料を作った段階で重視していたところです。 ○鎌田部会長 ほかの場所も含めて代理関係の御意見はよろしいですか。 ○岡委員 利益相反行為のところでございます。パブコメの64-4の32ページ以下に出ておりまして,反対意見のほうも外縁が広がりすぎるのではないかという不安を持った反対意見であると思います。それに対して部会資料は20ページとか21ページで,親族の条文に関する判例等で外形的,客観的に考察して判断されるので大丈夫だと,こういう理由を書いてあるわけですが,分かりやすい民法という観点からいくと,外形的,客観的に考察するんだということを条文に書けるのであれば,書いたほうがいいと思うんです。それは無理だという御判断なのか,826条の解釈等で大丈夫だという御判断なのか,その辺はどういう経緯をたどったのでしょうか。 ○筒井幹事 それは,検討の余地のないことだとはもちろん思っておりませんけれども,民法の既存の条文,特に今回の改正対象でない親族編の条文にある概念が安定して解釈運用されているときに,それを参照しながら新しい条文を書くというのは,一つのオーソドックスな手法であろうと思っております。それが現在の案として提示されているということです。それに対して,今,岡委員が言及されたような御意見があるとすれば,それは親族編の規定の改正ということも含めて検討すべきだという意味に受け止めることになろうかと思います。そういった御意見について,今回の改正の中でどれだけ受け止めていけるのかというと,それは慎重に考える必要があるとは思いますけれども,いずれにせよ検討はしてみようと思います。 ○山野目幹事 松岡委員が問題にした代理権の濫用のことでございますけれど,確たる自信のある意見ではありませんが,すこし気になりますから,引き続き御検討いただきたい,という要望になることとして,先ほど心裡留保との比較が割と重い理由で,重大な過失ではなくて,相手方の悪意又は通常の軽過失があることに改めたというお話がありました。心裡留保の場面とここの場面とが,それほど単純にバランスを問題にしていいような関係になっているかどうかということが私は気になって,心裡留保の場合には表意者の内心的効果意思の内容について相手方が知り,又は知り得るべき状況になったときには,それを前提に,その意思表示の効果を評価しましょう,という割と単層構造の状況であるのに対して,代理権の濫用の場合というものは代理人が不行き届きなことをしたことについて,本人と第三者,相手方との間のリスクの分配をどうしますかという局面であって,こちらのほうが複雑な状況になっていますし,相手方になる人にとってみれば,調査しなければいけないのは代理権の存在範囲に限られるのが普通であって,この規律を入れると相手方は代理権の存否内容のほかに,代理人の代理権行使の意図まで調査しなければいけないということになるものであろうと考えます。   代理という制度をどれだけ使い勝手のよいものにするかということについての問題に関わってくる部分があって,野放図に代理という制度が使われればいいとは感じませんけれども,少し,そこのところは気になりますから,本日時点で定見はございませんけれども,なお,引き続き考えてみたいという印象を抱きました。 ○中田委員 代理権濫用について,素案の部分ではなくて申し訳ないんですが,25ページに代理行為の後に濫用目的を生じた場合について,非常に詳しくお書きになっていらっしゃるんですけれども,どうしてこんなに詳しくお書きになっているのかがよく分かりませんでした。ここで挙がっている建物を売却をした後で着服意図を持つに至ったという場合に関しては,今度は弁済の受領の代理権について,この問題が出てくるのかなという気もしたりいたします。そのように,かえって議論が拡散する可能性はないだろうかと感じました。 ○金関係官 この記述につきましては,いろいろなところで,いろいろな方から中間試案に対する指摘を受ける中で,この問題が部会では十分に議論されていないのではないかという指摘があったことを踏まえて書いたものです。事務局としては,今回,このように問題点を指摘した上で,部会資料の25ページに書いてあるような結論で部会のメンバーの皆様がよいということであれば,特段,それ以上問題視するという意図はありません。 ○内田委員 ちょっと戻ってしまうのですが,先ほどの代理権濫用のところで,知り,又は知ることができたという書き方をしたときに,知ることができたというのが調査義務を前提としているという理解が,本当に不可避な解釈なのかということなのですけれども,周囲の状況からすると分かったはずだというような場面を意味しているわけで,知るべく調査をするということが必ずしも常に前提とされているわけではないのではないかと思います。それは場合によるのだろうとは思いますけれども,こういう表現が使われたときに,調査義務が前提になっているという理解が部会の中で共有されていて,その理解の下でこれが了承されたと外から見えるというのは,余り適切ではないように思いましたので,一言だけ発言させていただきます。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか。 ○中井委員 4の「自己契約及び双方代理等」の(1)ですけれども,中間試案ではあらかじめ承諾をした場合と本人の利益を害さない場合を二つ挙げた。今回,パブコメの結果等を見て,本人の利益を害さないという表現は曖昧にすぎると,それは確かだねということで,現在の法文,債務の履行及び本人があらかじめ許諾した場合に修正したと,こういう御指摘です。これもまた,先ほどとも関係するのですが,債務の履行というのが恐らく本人の利益を害さない典型例で,しかし,本人の利益を害さないでは曖昧だと,こういう場合にどうするか。実質的には債務の履行以外にもあり得る。そういうときの法文化作業の方法として,先ほどと同じですけれども,債務の履行その他本人の利益を害さない行為というような形で明らかにしていく。本人の利益を害さないというのを要件とするけれども,その曖昧さをその前に例示の債務の履行で縛る,こういう方法はほかにもあっていいのではないか,また,それが分かりやすいのではないかと感じるのです。   これを先ほどの笹井さん風に言うならば,債務の履行と書いて縛ったら,債務の履行以外は全部駄目ですよと解されるおそれがある,これはそういう解釈にならないのかもしれませんけれども,そういう指摘が妥当する,これまでの部会の審議では本人の利益を害さないということで一定のコンセンサスを得ていたときに,そこに曖昧さがあるなら今のような工夫ができないものか,更に御検討いただけないかと思いました。   2点目は全然違う話ですが,8の「無権代理人の責任」の(1)ですが,自己の代理権を証明したとき,又は本人の追認を得たときを除きと,こうなったわけです。中間試案はその下にありますように,その代理権を有していた場合,又は本人の追認を得た場合。極めて日本語的に分かりやすい,実質としてもそうだろうと。それを代理権を有していたことを証明したときと,あえて変えている。これがなぜなのか。117条を改めて見ると,自己の代理権を証明したときと書いている。この法文に戻ったのかなと。ただ,民法でこういう代理権を証明するというのを表から要件にすること自体が,何か不自然さを素朴に感じるんです。中間試案のほうが分かりやすいのではないかと思って,変えた趣旨を教えていただければと思います。 ○金関係官 若干,技術的なところになるかもしれませんが,少しだけ説明をさせていただきます。民法117条も中間試案も「他人の代理人として契約をした者は」という文言からスタートしますけれども,通常,他人の代理人として契約をした者というのは,民法上の原則はさておき,代理権を有する者であることが多いといいますか,条文の読み方として上から下へ読んでいくと,代理権を有する者であることを前提に読み進めていくのが通常の読み方ではないかと考えられます。そうした場合に,「他人の代理人として契約をした者は」の次に,中間試案では,「その代理権を有していた場合」と続きますので,ある意味では当たり前のことすぎて,逆に読み手にとっては違和感があるのではないかという問題があり得るかもしれない。そういう観点から現行の民法117条は「証明」という言葉を使っているのではないか,「証明」というのはその者が代理権を有していたかどうかとは無関係に,つまり自分が代理権を有していたとしても,その代理権を証明するということが自然につながっていきますので,そういう意味では,現行法と同じ「証明」という言葉を使ったほうがより自然に条文を読むことができるのではないかということを考えております。もちろん引き続き検討しなければならないとは思っておりますが,現状はそういう問題意識の下でこのようにしております。 ○高須幹事 今の点なわけですけれども,条文の書き方の問題ですから,最終的にはその段階で御判断いただくことになるんだと思うんですが,例えば自動車損害賠償保障法の3条などが免責の場合の要件を規定していて,そこは証明という言葉を使っています。何となく明文をもって証明責任があるというところまではっきりうたうということは,かなり強いメッセージを与えるという印象を持っておりまして,そうすると,今回,この無権代理人の責任のところは,正に代理権を証明しなければ駄目なんですよみたいな強いメッセージを与える趣旨なのか否か。今の御指摘では,そこまでの趣旨でもなかったような気もしますので,本来の民法なり,ほかの法令なりでも証明責任ということを全面に押し出してきておくというのは,非常に例外的な規定だというようなところをちょっと意識していただいた上で,御検討いただければと思います。 ○筒井幹事 頂いた意見はいずれももっともな面があると思って聞いておりました。ただ,先ほどから話題になったところは,いずれも現在の条文はこうなっているところです。先ほどの金関係官からの説明は,現在の民法117条が起草された際に,あえてといいますか,「代理権を証明することができず」という書き方がなぜ選ばれたのかをそんたくしてみますと,その前の「代理人として」という部分は,卒然と読んだときには権限がある者をつい連想しがちであるので,このように書いたほうが分かりやすい。そういう理解でこのような条文になったのではないか,そのように推測したということです。   その上で,仮にそうであったとしても現在もそれで分かりやすいかどうかは,もちろん議論があり得るのですけれども,変える理由がどこにあるのかを考えたときに,現在,実体法の規定の中でも「証明したとき」という表現がいろいろなところで用いられていて,必ずしも実体法規なので「証明したとき」という書き方はしないという仕分けのルールがあるわけではないし,そのことで特に分かりにくいという問題が生じているわけでもないのではないか。これには異論もあり得るとは思いますけれども,しかし現在の条文をあえて変えるところまで必要性があるとは考えなかったというのが,現在の案の理由だということです。 ○深山幹事 代理権濫用のところについて,その効果を「代理権を有しない者がした行為とみなす」と今回の素案において中間試案から変えているところに関して,どなたからも疑問が出されないので,私の理解が足りないだけかもしれないなと思いながら聞いていたんですが,質問させていただきます。部会資料の説明にもあるように,代理権濫用の場合も無権代理と同じ効果にするということになっていますが,そうすると,現行の117条の無権代理の責任の追及の可能性があるということが部会資料にも書かれております。そうなると,代理権濫用であることを相手方が知り,又は知ることができたときには,無権代理人に対して履行又は損害賠償責任が追求できると理解されるんですけれども,それに対しては117条の2項で,一定の場合には適用除外が書かれていて,その適用除外がここではどうかぶってくるのかがよく分からないんです。   適用除外のところは,今の部会資料でいえば8の(2)のところで,ア,イ,ウとあって,特に,ア,イのところで相手方の悪意又は過失によって知らなかったときということがあって,ここでは無権代理であることを知らなかったとか,知っていたとか,それよって知らなかったということになりますけれども,ここは権限濫用との関係でいえば,権限濫用であることを知っていたとか,過失によって知らなかったと読み替えるのかなと思うんですが,そうすると,正に代理権濫用が無権代理とみなされる場合と要件が重なってきて,無権代理に対して履行又は損害賠償請求できる場合というのは,どういう場合なのかがよく分からなくなってきたんですが,教えていただけますでしょうか。 ○金関係官 代理権濫用の場合における代理人の責任については,部会資料31ページの(2)のアとイが問題になるのだろうと思いますが,まず,深山幹事が読み替えとおっしゃった点については,内容としては御指摘のとおりでありまして,代理権を有しないことを知っていたとか,知らなかったことにつき過失があったというのは,代理権濫用の場面では,代理人の濫用目的を相手方が知っていたとか,知らなかったことにつき過失があったという認定に置き換わる,それを読み替えと呼ぶかどうかはともかく,そういうことを前提としています。   そのことを前提に,まず,部会資料22ページの「代理権の濫用」のところでは,相手方の主観的要件として,代理人の濫用目的を知っていた場合と,代理人の濫用目的を知らなかったことにつき過失があった場合の二つが要件となっていますが,そのうち前者の相手方が代理人の濫用目的を知っていた場合というのは,部会資料31ページの8でいいますと,(2)アの「代理権を有しないことを相手方が知っていたとき」に該当しますので,この場合には,相手方は代理人の責任を追及することができないと考えております。   次に,相手方が代理人の濫用目的を知らなかったことにつき過失があった場合については,部会資料31ページの8(2)イの本文の「代理権を有しないことを相手方が過失によって知らなかったとき」に該当しますけれども,イのただし書の「他人の代理人として契約をした者が自己に代理権がないことを知っていたとき」にも該当します。つまり代理権濫用行為がされているときの代理人自身は,当然,自分の濫用目的を知っていますので,このイのただし書に該当することによって,結論としては,相手方は代理人の責任を追及できることになるという整理をしております。 ○深山幹事 読んでいて,ただし書のところだけしか違いは出ないのではないかと思っていたので,今の説明を聞いてやはりそうなんですかということなんですが,そうだとすると,そういう効果にするのがいいのかというところに立ち返って,ここは価値判断なんでしょうけれども,端的に代理権濫用の場合,本来,権限はあるものの,自己または第三者の利益を図るという場合に,無権代理と同じ効果とするのが果たして相当なのかなという気がします。判例のように端的にその効果を認めないということのほうが何となくしっくりくるような気がするんですが,ここは感覚の問題なのかもしれません。いずれにしても少し分かりにくいのではないかなという気もしましたので,条文になるときには,もう少し違った表現になるのかもしれませんが,ここは感想になりますが,申し上げておきたいと思います。 ○鎌田部会長 効果は生じないといっても,本人への効果不帰属ですから,基本的には無権代理の場合と同じことになるのではないかと思いますし,代理権濫用行為の相手方が悪意ではないというのも余り想定できないんだとすると,基本的には709条の問題になるのかなというふうな感じもしますが,私自身ももうちょっと考えさせていただきます。 ○岡委員 今,117条の無権代理人の責任のところで,鎌田部会長が709条,不法行為のことに触れられたと思うんですが,弁護士会で議論していても,無権代理人の117条に基づく責任と不法行為責任との関係が議論になりました。今回,かなり精緻に33ページのようなマル・バツが出てきましたので,これ以外に不法行為責任が発生する余地は余りないかもしれませんけれども,でも,117条というのは,相手方に対して履行又は損害賠償の責任を無過失でも負うという特別の責任だとすると,709条の要件を別途満たせば,不法行為の損害賠償責任は負うと,あり得ると,そういう前提でよろしいんでしょうか。もし,そういう前提だとすると,要綱試案仮案だとか,一問一答のときには,不法行為責任は別途生じ得るということは明記していただいたほうが分かりやすいと思いました。 ○金関係官 不法行為責任につきましては,現在の民法117条の解釈においてもそうであるように,民法709条の不法行為責任の追及は否定されませんので,それは引き続き今回の資料でも前提としております。 ○岡委員 それを書いていただきたいという趣旨でございます。 ○鎌田部会長 岡委員がおっしゃったように,ここを読むと,ここで否定されると無権代理人は何も責任を負わないかのように読めそうにも見えますので,御配慮いただければと思います。 ○金関係官 はい。ありがとうございました。 ○鎌田部会長 ほかによろしいですか。   よろしければ,再び部会資料66Bに移りますけれども,「第2 無効及び取消し」のうち,「1 法律行為の一部無効」について御審議を頂きたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 部会資料66B,「第2 無効及び取消し」の「1 法律行為の一部無効」について御説明します。法律行為の一部無効については,中間試案においては法律行為の一部が無効であった場合に,当事者の仮定的意思を基準として,法律行為の全体が無効になるか,一部にとどまるかを区別しようという考え方が採られています。   しかし,この考え方については,ここでいう当事者が一方の当事者のみを指すのか,双方の当事者を指すのかという問題があり得るように思います。一部無効であることを前提にすれば,当事者双方がその法律行為をしなかったと認められる場合には,その法律行為の全体を無効とするのが妥当な結論であることは異論がないように思いますが,それが必要であるとすれば,法律行為の全部が無効になるのはかなり限定されると考えられます。   他方,一方当事者のみでも,その法律行為をしなかったと考えられるときは全体が無効になるとすると,逆に,法律行為の全体が無効となる場面が広がりすぎ,いずれにしても,区別の基準となり得ないのではないかとも思われます。また,この点に関連しますが,一部無効を知っていれば,その法律行為をしなかったという認定は,当事者の主観的な意図のみによって判断するのか,合理的な人であれば,その法律行為をしなかったという視点を設けるのか,更に仮定的意思以外の要素,例えば無効を導く規範の性質などを考慮する必要はないのか,仮に考慮する必要があるとすれば,どのような要素であり,それをどのように条文上,表現するのかなどの問題があると思われ,規定を設けるとすれば,これらの問題についての考え方を整理する必要があると思います。   以上の点について御審議を頂ければと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それでは,ただいま,説明のありました部分について御審議いただきます。御自由に御発言ください。 ○安永委員 法律行為の一部無効については,過去の裁判例で多くの問題になった「酌婦としての稼働契約に伴って,金銭消費貸借名義で交付された金員の返還請求の可否をめぐる事案」などに関連をし,残部の効力が維持されることを原則とした画一的,統一的な規定を設けることについての懸念をこれまでの部会等において申し上げてきたところです。この点,残部の効力が維持される場合と,法律行為全体が無効となる場合の区別基準について,今回の部会資料10ページの(3)では,「当事者の仮定的意思以外の考慮要素」として,「その部分を無効とする規範の性格」などを考慮要素とすることの検討を頂いております。仮に法律行為の一部無効の場合の効力について規定を設ける場合は,公序違反の事案等に関し,結果の妥当性が図られるように部会資料10ページの(3)の項目について,更に検討を深めていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかの御意見はいかがですか。 ○大村幹事 一部無効の場合に規定を置くということについて,事務局のほうから中間試案に関する疑問等について御説明があったかと思います。その中には幾つかのことがありましたけれども,仮定的意思以外の要素を勘案できるようにするということについては,強い異論を持っているわけではございません。ただ,ここでの問題は何なのかということについて,若干,整理が必要なのかと感じております。法律行為の一部無効ということで,今,提案されているのは法律行為が一部無効だという判断がされた後に,残部をどうするのかという問題だろうと思います。それとは別に,法律行為を一部無効としてよいのかという問題,一部無効にとどめておいてよいのかという問題があろうかと思いますけれども,直前に安永委員から御発言があった点は,むしろ,後の問題に関わっているように思います。   あるものについては一部無効にとどめるべきではなくて,全部無効だという判断がされるべきである。全部無効だという判断がされれば,一部無効になった残部をどうするかという問題は生じません。問題は,裁判所は一部無効だと認めてもよいと考えている,しかし,残ったものについて当事者が拘束されるということは妥当なのかというのがこの問題であるように思いますので,そこを切り分けて議論したほうがいいのではないかと感じました。 ○中田委員 ただいまの大村幹事の方向を更に進めますと,そもそも,法律行為の一部とは何かというところが問題になるのではないかと思います。つまり,法律行為が一個なのか,複数なのかということがまずあって,それで,一個とされた場合に,その一部とは何かということが出てくるんだと思います。ところが,その一部についてのイメージが様々ですので,そこを明確にしていくと,むしろ,全体がクリアになってくるのではないかと思いました。 ○鎌田部会長 事務当局から何か,その点について説明はありますか。中間試案と今回の素案とで少し表現が変わっているところもあるけれども,そこは余り……。 ○笹井関係官 そこは余り意図したというわけではありません。私としては,今,中田先生から,法律行為は一個なのか,複数なのかという御指摘がございましたが,一個なのか,複数なのかによって,その残部に当事者は拘束されるかどうかということが変わってきて本当によいのかという疑問を持っておりまして,むしろ,法律行為を一個と捉えるのか,複数と捉えるのかというのは,安永委員からもあった酌婦,女子の稼働契約と金銭消費貸借契約を一個と見るか,複数と見るか,判例がどう捉えているのかというのはやや分かりにくいところもございまして,そこは構成のやり方によっては両方,捉え得るのだと思います。しかし,無効原因がある部分,例えば先ほどの例でいいますと酌婦稼働契約の部分ですが,それが金銭消費貸借に対してどのような影響を及ぼすのかは,全体として一個と見るか複数と見るかにかかわらず同じ結論でなければならないように思われまして,そうであるとすると,法律行為が一個であると捉えるか,複数と捉えるかは切り離して,残部に無効の効力が及んでいくのかどうかが,統一的な基準によって説明されないといけないのではないかと思っていたのですけれども。 ○中田委員 結論が操作によって変わるのは変ではないかという,そこは共感しているんですが,ただ,議論をする際に法律行為の一部について必ずしも共有されていないのではないかということなんです。実は今の酌婦稼働契約についても,正におっしゃったように全体として一つと見るのか,それとも複数の契約があると見るのかによって構成が変わってくるわけだけれども,結論は変わらないとしても,議論の前提としてその一部とは何かということの認識が共有されないと,先に進みにくいのではないかということです。 ○大村幹事 中田委員のおっしゃる点については私も基本的には同じ認識です。価値判断の問題として同じような結果を指向すべきではないかというのは,笹井関係官のおっしゃるとおりだと思いますけれども,契約は二個だという前提に立ちますと,一個の契約は無効になって,それによって密接に関連する契約に無効の効力が及ぶかという法律論になるのだろうと思いますので,どこまでを無効にするかという価値判断の問題と,法律構成の問題の間には少し差があるように感じます。   先ほど申し上げたことが十分,皆さんに御理解いただけたかどうか,自信がないのですが,法律行為の一部無効があり得るということ自体は,新しい規定を置いても置かなくても,そこは動かないと思います。問題になっているのはそのことについての規定ではないだろうというのが私の理解で,一部無効だという判断がされた後に,残部について当事者を拘束できない場合というのがあるのではないかということなので,最初の判断,一部無効であるという判断は,仮に一部無効で残部有効だとして,当事者をそれに拘束していいかという判断とは独立にあるのではないかということを申し上げたつもりです。 ○鎌田部会長 これも議論がなお収れんしていないので,この場の御意見をお伺いして,次のステップに進みたいという趣旨で66Bになっているわけでございますので,できるだけ,賛否の御意見をお出しいただけると。 ○内田委員 今の大村幹事の御意見について確認なのですが,この規定がBになっているというのは,規定を置くことが困難であるという事情があるということだと思うのですが,今の御議論は規定を仮に置けなくても,一部無効が認められるということ自体は否定されないので,それは支障はないと理解してよろしいのでしょうか。もし,この段階で,こういう基準で置くべきであるという議論が出ないと,多分,残らないと思うのですけれども,その点はいかがですか。 ○大村幹事 今まで一部無効とされている例はたくさんあるわけですので,この規定を置かないという決断をしたからといって,今後,一部無効というのが認められないということにはならないのだろうと思います。ただ,一部無効となったときに,残部に当事者を拘束するかどうかという点については,曖昧な状況だろうと思いますので,その点については私は規定を置いたほうがいいと思っております。   そのときに,何を考慮して残部に拘束するかということですけれども,8ページから始まる説明で,特に10ページに一部無効を導く規範の性質という問題が出てきておりますけれども,一部無効を導く規範の性質というのは,繰り返しになりますけれども,一部無効の効果の次元ではなくて,法律行為を無効にするにあたって,それを一部無効にとどめるのか,全部無効にするのかという次元でむしろ働くことなので,現在,問題にしている一部無効の後始末を考える際には,それほど大きな要因ではないのではないかということを申し上げたかったのです。 ○能見委員 私も基本的に大村さんの整理は理論的に正しいと思うんですが,理論的に正しいというのは,一部無効をそもそも認めていいかどうかというのは,恐らく無効にする規範の中身,性質によって決まってくるものだろうと思います。ただ,一つの法律行為の中の一部を例えば利息,高利とかで超えた部分だけ無効にするとか,そういう形で規範との関係で一部無効にするときには,それが一つの法律行為だとすると,最初の判断で残りの部分は有効であるということも同時にされているような気がします。ですから,理論的には二つに分けられるけれども,同時に判断している場合があるといえると思います。   ただ,ここでまた二つの法律行為というか,複数の法律行為という概念を持ち込んでいいのかどうか,分かりませんけれども,複数の法律行為があると,全体を構成する複数の法律行為の中の一部が無効になるという判断をしたときに,残りがどうなるかという判断はしていないような気がするので,その規範との関係では,そこでは残りが拘束力を持って,なお,当事者を拘束するのか,しないのかというのは,別の問題として現れてくるということで,大村さんの分け方はそれでいいと思いますけれども,それが適用されないで一度に判断されてしまう場合もあるし,そうではない場合もあって,分けたほうがいいのかなという感じがしました。 ○山野目幹事 ただいま,能見委員から御指摘があったとおり,大村幹事がお分けになった二つの次元の問題が密接に関連して判断されるということは実際上あると想像しますが,それと同時に,大村幹事が再々ご指摘のとおり,理論的,観念的にはどのような場合に法律行為の一部が無効になるかという一部無効の概念ないし要件の問題と,一部無効になったときにどのような効果になるかという一部無効の効果の問題とは異なる問題であると理解しておりました。   その上で,本日,部会資料66Bで問題提起をしておられるものは,差し当たりは一部無効の効果の問題をおっしゃっているものであろうとも理解しました。反面において,どのような場合に一部無効になるかということについては,具体的な規範表現,規律を置くことの提案はされていないと受け止めています。どのような場合に一部無効になるかということは,引き続き従来してきたのと同じように解釈に委ねられて,規範的で,ある程度,客観的なコントロールに服して問題処理がされていくと考えます。   その上で,仮に一部無効であると判断された場合において,その場合の効果をどう考えますか,ということについて意見を申し述べれば,仮定的意思に専ら委ねることは適当ではなくて,ある程度,客観的,規範的なコントロールをすべきであると考えますから,そういう表現にすべきであろうと考えます。差し当たり,部会資料で問題提起を頂いている問題自体については,そのように思いますが,そうだとしますと,全部が従来どおり,規範的なコントロールというか,チェックに委ねられるということを言っているにとどまるものであり,この規定を置くことに反対ではありませんけれども,置いたからといって,何かとても素敵だなという感じにはならないような気もしないではありません。   あと,細かいことですけれども,部会資料66B,8ページの一番上,表現の問題ですが,法律行為の一部が無効となる場合であっても,というよりは,大村幹事の問題提起を受け止めて言えば,法律行為の一部が無効となる場合において,ということではないでしょうか。「あっても」という譲歩節の表現は,このまま,法文になるというイメージではないのかもしれませんけれども,その点の整理も引き続きお願いしたいと考えます。 ○高須幹事 すみません,何か場違いな発言をしそうで恐縮なんですが,ご発言を聞いておりまして,やっと問題の意識が明確になってきたような気がしております。その上で,一部無効となった場合の効果について仮に何らかの規律を今回,設けるという観点から考えさせていただくとすれば,今回,頂いた提案の中の検討事項を検討するとしますと,8ページの2の当事者の意義のところは,一方当事者ということが原則になるのではないかと思います。両当事者ということになると,この問題はむしろ両当事者の意見が異なっているときに,その調整をどうするかという問題ではないかと思いますので,ここで両当事者双方の合意のようなものを考えるとなると,実はこの規律は余り意味を持たなくなってしまうのではないか。そういう意味では,御指摘いただいた中では,一方当事者ということを原則として議論を起こすべきではないかと思います。   そうなると,かなり広がってしまうのではないかという部分については,その法律行為をしなかったと認められるという要件の意義について,余り一方当事者の主観的事情だけを考慮してしまえば,何でも残部についても効力は生じないという結論にいってしまうわけですから,ある程度,客観的に判断するという要素が入ってくるべきではないか。そういう形で調整を図るべきではないかと思います。仮にそういう規律を考えるというのであれば,私はそのような方向がいいと思います。 ○松岡委員 山本敬三幹事は,仮定的意思を考えるのは間違っている,少なくとも余り適切でないという御意見で,今の高須幹事の御意見は逆に出発点はむしろ一方当事者の意思だと言われるのですね。部会資料の9ページの問題の設定では,主観的事情か客観的事情かが二者択一になっているように感じます。しかし,これはむしろ間主観的な問題であって,一方の当事者の主観は出発点として問題にせざるを得ないのですが,それが相手方との関係でどこまで認められてしかるべきかという,露骨に言えば規範的判断が問題になっているのです。後ろの比較法資料で挙げられていますように,要するに法律行為全体を無効にするべきかどうか,残余部分の効力を維持するのが合理的であるかどうかが問題です。表現はいろいろあり得るのですが,純粋に主観的なものではないし,かといって,両当事者が合意していると理解したのでは,今,高須幹事がおっしゃったように,意味がないことになりましょう。 ○笹井関係官 松岡先生からの御指摘がありましたけれども,純粋に主観的なものではなく,もちろん,規範的な評価がされるということは御指摘のとおりだと思うんですが,しかし,維持するのが相当かどうか,合理的かどうかという基準は,余りルールとしては意味のないものになってしまいそうな気もしますので,そういう意味で,規範的であることは間違いないと思うのですけれども,それがどういう基準なのかということが問題になっているので,その点について,もし,何かお考えがあれば教えていただきたいということです。   あと,先ほどの冒頭の話で,大村先生から,一部無効になるかどうかということと,一部無効であると判断されたときに残部に当事者は拘束されるのかというのは,別の問題であると御指摘がありまして,なるほどそうなのかとも思ったのですけれども,一方で,先ほど能見先生からも御指摘がありましたが,裁判所が一つめの問題について一部無効にとどめるという判断をするときに,当事者は残部に拘束されるという判断も同時にされているという気もします。一部無効にとどめるという判断がされたけれども,しかし,残部に当事者を拘束することができないという場面として,どういう場面が想定されているのかということをもし何かありましたら,御教授いただきたいのですけれども。 ○大村幹事 今の御質問に対する直接の答えではなく,むしろ,能見委員の御指摘についてのお答えということになるのかもしれません。能見委員がおっしゃっているように,残部は有効だという判断が一部無効の判断をする際にされているという場合はあるだろうと思います。先ほど法律行為の個数の問題が出ましたけれども,当該条項だけを無効にするのか,当該法律行為を無効にするのか,更にそれと密接に関連する法律行為を無効にするのか,いろいろな場合があると思いますけれども,ある部分までを無効にするというのは,残りの部分を有効として扱うという判断を含んでいると思います。   ただ,そのときには何か当該法律行為を無効とする根拠になる規範との関係で,評価が下されていると思います。利率の問題について公序良俗違反である,しかし,この程度ならば一部無効でよいと。他方,これは悪性が強いから全部無効になると。あるいは先ほど安永委員が挙げられた例ですと,契約が二個だとしても関連する契約は無効である,そういった判断がされると思うのです。当該無効根拠規範との関係ではそのように評価される。一部無効であるとの判断は,その規範との関係は判断されるけれども,当事者の意思に照らしてみたときに,それを当事者に押し付けることはできないという場合がなお残るのではないか。その場合については一部無効ではなくて,全部無効を認める必要がある。そういう規範を置くか,置かないかというのがここの問題なのではないかと思います。 ○岡委員 弁護士会で議論していたときに,この部会資料は空中戦のように思えて,どういう事例で議論しているのか分からなくて,余り議論が盛り上がりませんでした。かろうじて議論したのは,先ほど能見先生がおっしゃったような高利の一部無効であるとか,多額の違約金の一部無効など実例でした。でもそういう事例では,通常,一部無効といいながら,残部は有効というのがセットで判断されていますので,こんな規定を置いてもぴんとこないねという議論をしました。   もう一つ,売買契約で管轄条項だけが無効であると,こういう事例も話されましたけれども,それも一つの売買契約の一部無効ではなく,管轄合意という一つの合意の無効なのではないかと。そこの基準がよく分からないまま,こういう一部無効という条文ができると,混乱するのではないか,ないほうがいいかなという意見のほうが多うございました。管轄合意のところも,すべて東京地裁とするのは一切無効だという判断と,相手方が居住する高裁所在地が入っていたらいいのか,そういうのも一部無効になるのかなという議論もしましたけれども,例も余りないことですし,事例をもって説明できないようなものは,実務家から見るとないほうがいいという意見も結構ございました。 ○佐成委員 今までの議論を聞いておりまして,大村幹事もおっしゃっていましたけれども,法律行為の一部無効というものが存在するということを否定する方はいないし,現在でもそういう場合はあるということです。そうすると,残部も無効になる,即ち全部が無効になるという場合の規範として明確な基準が出てくれば,立法化もあり得るだろうということで,今日,議論をお聞きしていたんですけれども,出てきたものを拝見しますと,山本敬三幹事の「耐え難い不利益」というのが一つ提案としてはあったわけですが,あとは,皆さん,規範的な評価がどうしても必要になるということでありました。だとしますと,今,岡先生がおっしゃっていましたけれども,実務家から見ますと,敢えて規定を置くほどの実益が本当にあるのかというところが心配であります。経済界のほうも内部で議論していまして,こういうものには否定的な意見が現時点でも強かったということでございます。 ○能見委員 先ほどの大村幹事の御発言が恐らく一番的を射ていたように私には思えますけれども,いずれにせよ,第一段階の問題として一部無効か,全部無効かというのがあって,ここで問題にしているのは仮に一部無効となったときに,一方の当事者が一部無効であれば,それを除いた残りの契約内容でもって拘束されるのは困るときに,それはその当事者にとって非常に不利益があるというので,全部無効になる余地を認めるか,認めないかという,その部分だけなんだろうと思うんですね。   例えば新聞でも何でもいいんですが,長期の販売契約で非常に長い期間の契約で,その代わり,安い価格で販売しているという場合を考えますと,その契約が余りに長期間にわたって当事者を拘束するのは適当ではないということで,どこかで契約期間を切るというときに,安い価格で販売しているのだから短い期間では採算がとれないので,残りの部分だけでは困るという当事者の抗弁を認めるか,認めないか,という点が問題です。これは,長期契約を無効にする規範とはちょっと違う問題で,残った部分で拘束されることが,山本敬三幹事の言われたように,要するに,それでは困るという耐え難い不利益があるか否か,何か,そういう基準で判断するのだろうなと思いました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   よろしいですか。 ○中田委員 ちょっとこだわるようなんですけれども,想定している例が皆さん,随分,違うような感じがします。最初に酌婦稼働契約が出てきて,それから,利息,違約金が出てきて,管轄条項が出てきて,ただ今は長期契約が出てきました。ユニドロワの例ですと,二つの不動産に関する取引を一つの契約でしたというような場合も出ておりまして,対象を決めませんと議論が結局はすれ違ったままになるのではないかと思います。もし,規定を置くとしたら,かなり明確な具体的なイメージを持った上で,切り分けるということになるのではないかなと思いました。 ○鎌田部会長 ここも典型的には芸娼妓契約の前借金無効のように,全体スキームを無効にしなければいけないというタイプのものと,不当条項規制などによって約款の中のある条項だけが潰れたときに,残りは全部いかすのか,その契約全体を潰すべきなのかというタイプのもの,これは問題状況が全く違うので,その辺を少し意識して議論する必要があると思うんですが,今日の時点ではどういう具体案にすれば契約の残りの部分が生き延びるかという点について,余りいい対案が出てきていませんが。 ○道垣内幹事 伺っておりますと,一部無効としてよい場合の要件立てをどうするのかという問題なのかなという気がします。一部無効となる場合に,ほかの部分に及ぶのはどういう場合なのかというのではなくて,切り離してもよい場合はどのような場合ですかという問題なのかなということです。そのことに中田委員とか大村幹事とかが最初におっしゃった問題が絡んできまして,第一の基準だと切り離させそうなのだけれどそれが密接関連性を持っているときには,一方だけを無効にすることができないという場合があるということなのかなと思います。   こういうただし書の構成みたいなことにしますと,一部無効が原則であって,全部の法律行為をしなかったと認められるときだけ全部無効であるという思考経路になると思うのですけれども,どうもそうではなくて,切り離せる場合に一部にできるというふうな書き方すべきなのかなという気がいたします。感想みたいなもので申し訳ありません。 ○中井委員 お聞きしていて何が問題なのか,正確に理解してないのかもしれませんけれども,一つの契約,法律行為を対象として何らかの条項について無効理由がある,そういう場合の判断の仕方としては,その条項だけを無効にするのか,全体を無効にするのかという,こういう判断ではないのかと思うんです。それが先ほどから大村幹事の,分析的にすれば理論的にそうかもしれませんけれども,ある理由があって,ある条項が無効になったときに,また,中間試案も今回の部会資料もそうですけれども,残りの部分が有効になるのか,無効になるのかという判断基準を求めようとしているわけですけれども,本当にそんな論理の順序で結論を出しているんでしょうか。   むしろ,一つの法律行為について何らかの無効に該当するような条項があったら,その条項だけを無効にするのか,全体を無効にするのかということを考えていて,当該問題となる条項の占める契約における重要度,位置付け,それが無効なら全部無効だと判断できる場面は全部無効だし,先ほどの管轄なんかが典型ですけれども,当該条項だけを無効にしたって,全体の契約としては支障のない場面では全体,残りの部分が維持されるわけです。ですから,その判断というのは,一つの段階,一つの局面のように思えて,結果としては残りの部分だけでは当初の契約をしていた目的が達せられないとか,当事者がそんな契約に拘束されるなんて,到底,思いも寄らなかった場面というときに,全部無効になるだろうと,そういう切り分けではないんでしょうか。 ○大村幹事 伺っていて分かったのですが,提案されているものがどこをカバーしているかということだと思います。実際の無効の範囲の判断というのは,今,中井先生がおっしゃったようにされるだろうと思いますけれども,そのことをこの規定がカバーしているのかどうかということについてイメージの差があるように思います。私が申し上げているのは,無効の範囲の判断の中核部分は,この規定の外で行われていて,しかし,このような規定で調整すべき場合があるという,そういう理解に立っての話しですけれども,そうではなくて,ここに一部無効か,全部無効かについて全てを決することができるような規範を置くのだということになると,話は違ってくるということだろうと思います。 ○能見委員 今,中井委員が言われた一部か,全部か,無効がどこまで及ぶかという問題は,私は無効を判断する規範との関係で決まるものだと考えております。その上で,規範の問題としては一部だけ無効にすれば構わないという判断が仮になされたときに,契約当事者は残りでもって契約を続けることもできるし,だけれども,それは困るという一方の当事者がいたときに,その当事者の主張を認めるかどうかというのが,一部無効が全部無効に及ぶかどうかの判断で,繰り返しになりますが,規範の判断は第1回目の最初の段階で,一部か,全部かのところでやっておりまして,次の段階で,残った部分では不都合なことがあるかどうかという問題で,これは恐らく規範の問題とは余り関係がないと考えています。その意味で,私は,中井委員あるいは道垣内幹事の意見ともちょっと違う,恐らく大村幹事と近いんだと思います。 ○内田委員 このBというタイプの部会資料の趣旨なのですけれども,Aのタイプに関しては今のような分析が出て,どう規定を作るかについていろいろ助言を頂いて,事務当局で規定を練っていくというのは大いに考えられることです。他方で,Bの中には幾つか違ったタイプがあって,何とか規定を置こうとしているのだけれども,文言がうまく固まらないのでいろいろ御意見を頂きたいというのもありますけれども,中には中間試案に対してかなり問題が指摘されていて,規定を置くことはどうも難しい。難しいので置かないという判断になりそうだけれども,是非,置くべきであるというのであれば,置けるようなアイデアを出してほしいというものもあるのだと思います。   一部無効はそういうタイプの例だと思うのですが,今のように学問的分析が行き交うということは,ほとんど,この案を葬り去ろうという発言に等しいので,そういう御発言なのですかということを先ほどクラリファイを求めたつもりです。中田委員の言われるような分析も,大村幹事の言われる分析も全くそのとおりだと思うのですが,それを踏まえて,この規定をこういう場面設定の下で,こういう文言を使って置いてはどうかという御意見が出ない限り,多分,未来はないだろうと思います。一応,Bというのはそういう趣旨のものも含まれているということを御理解いただければと思います。 ○大村幹事 私自身は,この規定にそれほど義理立てするつもりもないのですが,今,内田委員がおっしゃったこととの関係で,山本敬三さんは一つの提案をされて,これではいかがかとおっしゃっていると思います。私も基本的にはそういう考え方でよいと思いますけれども,ただ,当事者に耐え難い不利益が生ずる場合の表現は,従前の法律用語の感覚からいうと,さっと飲み込めないところもあるように思います。   今日,お作りいただいた66Bの最後のところに,比較法の資料というのが付いております。事務局のほうの御説明の中にもあったかとも思いますけれども,当該状況の下において不合理であるというような,当事者の主観から離れたものを前面に出すという立法の仕方ももちろんあると思います。その上に,ドイツ民法139条というのがありますけれども,無効である部分がなくとも,その法律行為が行われたであろうと認めることができない場合には,法律行為の全部が無効となるとしています。その部分がないならば,法律行為はされなかっただろうと判断されるだろうならば全部無効になる。規範的な判断もここに入ると思いますが,そういう枠組みであれば,山本敬三さんがおっしゃっているのと同じような判断ができるのではないかと思います。こちらの書きぶりのほうが私には飲み込みやすいとは感じます。 ○鎌田部会長 分かりました。   それでは,今日,頂戴した様々な御意見を踏まえて,引き続き事務当局で検討させていただきます。   次に,66Aに戻りまして,「第3 無効及び取消し」について事務当局から説明をしてもらいます。 ○笹井関係官 66A,第3について御説明いたします。   「1 無効な法律行為の効果」では,まず,原則的な原状回復義務を規定した点で中間試案からは表現を変更しています。これは法律行為が無効であった場合は,単に物の返還に限らない原状回復義務を負うと考えられるからです。また,中間試案では有償契約における価額償還義務の上限をその対価等とするという考え方や,途中で悪意になった場合には悪意になった時点の現存利益の返還義務を負うという考え方が採られていましたが,これらの詳細なルールについては解釈に委ね,基本的な原則の限度で明文化することとしています。   「2 追認の効果(民法第122条関係)」については,民法第122条の削除が提案されており,中間試案と同様です。   「3 取り消すことができる行為の追認(民法第124条関係)」についても,追認の要件として取消権を行使することができることを知っていることが必要であるとすること,被保佐人,被補助人がそれぞれ保佐人,補助人の同意を得て追認することができることを明らかにしたものであり,中間試案からの変更はありません。   提案の内容は以上ですが,法定追認への影響について御意見があれば承りたいと思います。民法第124条の追認の要件を改める結果,法定追認の要件についても判例と異なり,取消権を行使することができることを知った後でなければ,法定追認は生じないこととすることを想定していますが,そのような考え方を採ることの当否,特に実務上,悪影響が生じないかについて御審議いただければと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま,説明のありました部分について御審議を頂きます。 ○安永委員 第3の「1 無効な法律行為の効果」の(2)について,解雇無効を争う場合の退職金の扱いを例として懸念点を申し上げたいと思います。退職金制度のある事業所で使用者が通常解雇の意思表示をした場合に,労働者が解雇無効を主張していても,使用者が労働者に退職金を振込送金する方法によって支払う場合が多くなっております。この場合,労働者は経済的に余裕があれば退職金を使用者に返還するか,供託するという対応をとりますが,多くの場合には使用者に対して「振込送金された金銭について,解雇無効であるので退職金としての受取りは拒否するが,これを保管し,毎月,支払われるべき賃金に充当する」というようなことを通告し,解雇無効が確定した段階で精算するということが通例となっております。   このような事案に関して,従来は解雇無効が確定した場合,この時点で使用者から退職金として送金された金員に残余金があっても,労働者がこの残余金に利息を付して返還する必要はありませんでした。しかし,素案(2)の提案が立法化された場合,使用者が退職金として振り込んだ金員は,解雇の意思表示という無効な法律行為に基づく債務の履行として給付されたものに該当するために,労働者は残余金の返還時に帰責事由がないにもかかわらず,利息を請求されることが懸念をされます。利息返還義務については部会資料37ページの(2)にも記載がありますように,素案(1)の原状回復義務の解釈に委ねるべきだと考えます。 ○加納関係官 同じ1の「無効な法律行為の効果」のところですけれども,まず,結論から申し上げますと,(1),(2),(3),(4),(5)のこういう規律で提案されているわけなんですけれども,(3)と(4)の間に中間試案第5の2の(2)というのが元々提案されていたと思いますけれども,こういった規律を設けるか,あるいはそれが難しいのであれば,(4)の規律あるいは(2)及び(3)とも併せてということになるかもしれませんけれども,これ自体も書かないということも検討すべきではないかと思いますので,その点を申し上げます。   その理由なんですけれども,まず,今の(1)から(3)がありまして,更に(4)があるというふうな規律でありますと,(4)で有償契約以外の法律行為である場合については,こういうことであるというふうなことが書かれておりますので,有償契約である場合の返還義務について,(4)の反対解釈によりまして(4)の規定ではないんだということが固まってしまい,それ以上の解釈の余地を少なくするのではないかと。取り分け,詐欺や強迫により取り消した場合の原状回復の内容については,ある程度,柔軟な解釈の余地を残すべきでないかと考えられるからであります。   この点に関しまして本日の部会資料の37ページ,先ほど安永委員から御指摘のあったところとちょっと違うところでありますけれども,(2)の2段落目の「しかし」というところから,詐欺の被害者の保護は基本的には取消権を付与することによって図られていると考えられるという記載がありまして,(3)のところの37ページの末尾のところにも同じような記載があるところでありますけれども,この記載には少し違和感を感じるところでありまして,すなわち,付与された取消権がちゅうちょなく行使されるということでないと,意味がないのではないかと考えられるからであります。   この点は別の切り口になりますけれども,また,後ほど議論されるんでしょうけれども,契約解除の場合の効果についてもどういう規律を設けるかということで,中間試案においては先ほど指摘しました第5の2の(2)と同じような規律を設けるということは,契約解除のところでも指摘されていると思いますけれども,それとの平仄をどうとるかという問題もあると思います。   この点に関しまして原状回復といいますか,その中身をどう考えるかということについてなんですけれども,返還義務につきましては有償契約の場合であっても,一定の上限を画しておくという必要性はあるのではないかと思われるところでありまして,部会資料の先のほうの38ページの(4)のアの2段落目で,これは素案(4)についてということで,無償契約等の場合の考え方ということで書いていただいているところですが,その2段落目の給付の原因になった法律行為が無効,取消可能を知らない給付受領者は,受領した給付が自分の財産に属すると考えていて,費消や処分などがしやすいんだというのは,有償契約の場合でも同じではないかと考えられるのが一つあります。   それから,そのイのところの素案(4)の善意者保護というのは,無効な法律行為が有償契約である場合には必要ないと書いているわけなんですけれども,その次に書かれている有償契約においてうんぬんかんぬんということは,書かれていること自体は理解をするわけなんですけれども,こういった結論を認めるべきでないというのであれば,先ほどの中間試案の第5の2の(2)のようないずれか多い額を限度とするというふうな規律を設ければ,いいのではないかと思われるというところです。   中間試案の第5の2の(2)がなぜ落ちたかということにつきましては,部会資料の36ページから37ページにかけて詳しく書いていただいているところでありまして,一つは(1)で原状に復させる義務と書き直したということで,価額償還義務についての上限のみを規律するのは難しいと書いておられるわけで,確かにそういう側面はあろうかと思いますけれども,逆に他面で果たしてそうかという疑問もありまして,規律を設けるべき場合として,それを書き出すと,特にこれはこうですと,有償契約であって,かつ,価額を償還すべき場合であってという形で,ちょっとくどくなるかもしれませんけれども,そう書き出すということも立法技術的にはできなくはないのではないかと思われるということと,そういった上限を付すということについて学説上,確立したものかどうかということは私も正直,よく分からないんですが,ここは立法政策の問題だと思いますので,内容が合理的であるということであればいいのではないかと,私自身は中間試案第5の2の(2)の規律というのは,注記のようにするかどうかという議論はあると思いますけれども,内容としては合理的なものではないかと思います。   それから,最後の理由付けとして一律に上限を設けるよりも,様々な要素を考慮して柔軟に判断する余地を残すことが妥当だということで,この結論自体は同感するわけなんですけれども,現在,提案されている(1)から(4)の規律が果たしてそうなっているかというところについては疑問がありますということであります。ですので,いろいろとるる申し上げましたけれども,ここは中間試案から少し離れた提案になっているのではないかと見受けられるところでありますので,中間試案の第5の2の(2)というのがあってよいのではないかと。これがどうしても難しいというのであれば(4),更には(2)(3)自体についても検討し直す必要があるのではないかという気がいたします。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかに。 ○松岡委員 今回のこの御提案には微妙な感想を抱きます。まずは今の加納関係官の御意見にも若干関係しますが,特に受領したものが滅失したようなケースの価額償還義務をおよそ規定せず,それとの関係で中間試案第5の2の(2)のような規律も入れないことになったのは極めて残念です。解除の場合,現在の規定でも原状回復義務が発生するとなっていますが,それにもかかわらず,受領したものが滅失したときに何を返せばいいのかについては,学説上,争いがあるところで,規律がはっきりしていません。もちろん,争いがあるから規定を設けないというのも一つの方向かもしれませんが,むしろ,ここははっきりさせたほうがいいということで,提案がされてきていました。こういう中心的な問題について,現在の解除の規定とそれほど変わらない規定のままで終わってしまっているのは残念です。   ただ,そうは言うものの,取消し若しくは無効になったけれども,誤って給付された場合の扱いが従来ですと703条に直結してしまって,より深刻な問題があったところ,それには契約の清算として解除の場合に近いルールが当てはまることを明確にする限度では,十分に意味があると思います。したがって,無理なら仕方がありませんが,最低限としては,このぐらいの規定であってもないよりは良いかなと感じています。 ○岡委員 ないよりあったほうがいいという意味ではなく,弁護士会としては今回のゴシック体部分にかなり反対があるという意見でございます。まず,順番にいきますと,加納関係官の意見にかなり近いのでございますが,まず,(2)には金銭に利息を付さなければならないものとするというところです。ここは多分,法定利息になるのであろうと思います。しかし法定利息は,不法行為を念頭にペナルティ要素もあるから,この低金利時代でも年3%程度にしようと議論されています。年3%の利息を詐欺あるいは暴利行為,あるいは強迫の被害者に適用していいのかというところについては,かなり不当ではないかと思っております。   だったら,どうしたらいいんだということになると,法定利息ではない利息を付けるべきだとか,詐欺あるいは暴利行為の被害者と認められる場合は違うものにせよとか,民法708条の不法原因給付をもう少し柔軟化したような規定を置くべきではないかとか,感想めいた意見しかないんですが,詐欺の被害者に3%の不法行為を念頭に置いた法定利息の支払義務を課するのは不当ではないかと,こういう意見が強うございます。   それから,果実が生じた場合には返す方向でとの点は,そう大きな問題はないのではないかという意見がございました。その上で,現存利益にすべきではないか,利得消滅の抗弁を認めるべきではないかという意見がやはり強うございました。今,加納関係官も指摘した38ページのイのところですが,有償契約が無効又は取消しになった場合で,そのうち詐欺あるいは暴利行為の被害者の類型の場合,その場合に逸失すると考えていた反対給付の返還を求めつつ,現存利益がないことを理由に免れるという結論まで認めるのは不当だと書いていますが,反対です。詐欺あるいは暴利行為で例に出されたのは,全く害虫がいないにもかかわらず,害虫がいるから害虫駆除のサービスを受けなさいといって,契約を結び代金を払った事案です。その契約を詐欺で取り消した場合に,害虫駆除サービスの役務の提供は受けていますから,役務の提供は客観的時価として弁償しなければならないとすると被害回復にはならず,結果的には契約を実現する方向になってしまいますので,そういうことを認めるのは不当であると思います。   その場合に現存利益を返還すれば足りると書けば,直ちに救われるのかというのは疑問がございますが,少なくとも一定の場合に現存利益に限る,有償契約であっても詐欺あるいは暴利行為の被害者の類型の場合には,現存利益に限ると書けば,それなりの対応ができると考えられます。加納関係官は中間試案の元の(2)が入れば,何とかなるのではないかとおっしゃったんですが,これは現存利益か,反対給付の額のいずれか多い額を限度となっていますので,利得消滅抗弁に直ちには及ばないと思われますので,それよりは強い意見が今回の議論でも弁護士会では出てきました。その金銭の点と現存利益の点で,一定の場合には軽減すべきではないかという,パブコメにもかなり出ておる意見でございます。   それがなかなか難しいとしたときに,先ほどもお話ししましたが,不法行為による損害賠償請求権は妨げないということを明記することによって,ある部分は対応できるのではないかという意見がございました。しかし不法行為だけで全部助けることはできないので,ここで今のような暴利行為,詐欺の被害者について不当な結論が出ないような手当てができないのであれば,このような条文を今,設けると,社会全体としてはマイナスのほうが大きいのではないかと,こういう意見がかなり出ました。 ○高須幹事 関連ですので,続けて申し訳ありません。今,岡先生から御指摘いただいたようなことを弁護士会では考えておりまして,更に同じような意見になりますが,実は日弁連で消費者法の改正ということを議論したときに,それ自体は消費者契約法だから,ここでは関係ないわけですが,その中での議論の中で,ここの問題で詐欺とか強迫とか,暴利行為のような場合については消費者契約法のみならず,民法においてもその規律を設ける場合に無条件に原状回復というのは,合理性を欠くのではないかというような議論が出ました。意見書の表現はやや厳しいのですが,社会正義に反する不合理な結果を招来してしまうなどという表現も用いて,民法のレベルにおいても,詐欺,強迫,暴利行為というような場合の取消し,無効となる場合には一定の限定といいましょうか,そういったものをすべきではないかというようなことが強く打ち出されております。   私もそのような観点から,ここで今回の規律をそのままにすると,有償契約については現存利益というような形の余地を封ずるかのようなイメージを持ってしまうのではないかと危惧しております。ただ,一方で,御苦労されたのだろうと思うのは,詐欺とか強迫とか,暴利行為とかと書いてしまって,それだけでいいのかという点です。この問題はなかなか扱う領域が大きくて,簡単にそう絞り込めないのかもしれない。例えば目的物が金銭以外の物のときですけれども,その物の価値が減価するとか,それから,生ものだったときに腐ってしまうときにどうするかとか,いろいろなことを考えたときに,なかなか,どこまでを現存利益にするのかは分かりにくくなってしまって,規律を設けにくいのではないかということも,危惧されているのではないかと思います。   それを考えると,今回のような取りまとめになったということについての御苦労は,私どもとしても十分に理解せねばならないと思っておるのですが,今,岡先生からもまとめ的な御指摘がありましたように,どこかで有償契約の場合にも完全な原状回復でない,つまり,ここでいうところの(1)から(3)の規律をそのまま及ぼすのではないという余地は残すべきではないか。残すという手掛かりだけは規律の中に置いておくべきではないかと思いまして,そのような表現が設けられないかということを考えております。   ここから先は日弁連の意見ではなくて,ただ,お前はどう考えるんだと聞かれたときのためだけに考えただけの私の個人的意見ですが,例えば(1)から(4)まで規律した上で,続けて有償契約においても上記(1)から(3)までを適用することが当事者間の公平を害するような場合には(4)と同様とする。つまり,現存利益の返還にとどめる場合がある余地を認めるというような手掛かり的な規律を設けておいて,あとは解釈に委ねる,運用ですかね,具体的な裁判所での判断に委ねていくということも,この段階では一つあってもいいのではないかと思いました。基本的には岡先生の御意見と同じでございますが,そのように思っております。 ○松本委員 基本的に今までの方の意見とほぼ同じなんですけれども,これより前のトピックの第三者詐欺のところで,代理人とか媒介受託者という言葉を入れると,反対解釈の余地が出るから,この際,全部削除しましょうということになったわけですよね。今回も1の(4)が,これ以外は一切認めないんだという趣旨で事務当局が起草されているのであれば,それは不当だと思います。他方で,これ以外にもあるんだということであれば,これを書いてしまうと,これ以外は認めないんだと反対解釈がされる危険が大変大きくて,これまた,不当なことになると。   すなわち,立法方針の一貫性が重要であって,特定の場合について原則とは別だということを書く場合に,それ以外は一切原則どおりなんだということでコンセンサスがとれるのであれば,それは大変クリアなんだけれども,そうでない場合に反対解釈の力学が働くような形の提案が果たしていいのかどうかという点で,一貫した立法方針を示すべきだろうと思います。そういう意味で,ここで(4)以外の場合も有償契約において認められる場合があるんだという点でコンセンサスがとれるのであれば,高須幹事のおっしゃったような手掛かり規定を置いて,その余地を認める趣旨を明文化するということは必要だろうと思います。 ○鎌田部会長 それでは,事務当局から。 ○笹井関係官 幾つかの異なる方向性から意見を頂いたと思います。   まず,松岡先生からは,双務契約においては,当事者の返還義務は,原物返還が不可能になった場合でも価額償還義務として存続することをきちんと書くべきではないかという御意見だったと思います。今の545条についても価額償還義務が存続するのかどうかということで争いがあるのだから,これに倣った規定を設けたとしても争いは残ってしまうではないかという御指摘は,確かにそういう面もあるのかなということは自覚はしていたのですけれども,ただ,一方で,(4)で有償契約以外のものについては,こういう特則を設けていますので,有償契約については価額償還義務として存続するんだということが,そこから読み取れるのではないかと,事務当局としてはそのように考えておりました。   それから,その他の方々は,むしろ,原物の返還が不可能になった場合に価額償還義務として存続するのはおかしいのではないかという方向からの御意見だったと思います。それについては,双務契約において価額償還義務として存続させなくてよいのかが今まで議論されてきて,双務契約については価額償還義務として存続させるんだということが中間試案までの到達点だったと,事務当局としては理解していたところです。   それに加えて,加納関係官からあったような上限を画するかどうかというのは,確かに一つの考え方としてあり得るところだと思いますけれども,一方で,この考え方自体が学説上,判例上,確立したものなのかどうなのかというところで,今の段階で本当に条文化してしまってよいのかにちゅうちょを覚えたというのが今回の提案です。この点について(4)の反対解釈によれば上限を課されないことになるのではないかと,加納さんはおっしゃったんですけれども,(4)は価額償還義務として存続するのではなくて利得消滅の抗弁が言えるという規定でして,それと,上限を加えるということとは別の論点に関する問題です。ですので,(4)の反対解釈から,有償契約についての(1)の解釈として,利得消滅の抗弁は言えないとされる余地はありますが,存続した価額償還義務が,対価による制限などの形で軽減されるということにまで反対解釈が及ぶのかというと,そうではないのではないかと思います。   返還義務についての批判は,今の上限の問題ともう一つ,利息,それから,果実に関する問題があったと思います。利息については安永委員も,それから,その他の詐欺,強迫の被害者を問題とされる見解も,いずれも同じだと思いますけれども,詐欺とか強迫とかの被害者が利息まで付けて返還しないといけないとすると酷な場合があるのではないかと言われると,私も確かにそうかなとも思うのですけれども,では,これまでどうなっていたのか,現行法の下で利息を付さなくていいとすると,それはどういう根拠でそうなっていたのかということを整理しておく必要があると思います。   そもそも,詐欺の被害者であろうとも,金銭が手元に来ている以上は,岡先生はペナルティだから3%だとおっしゃいましたけれども,法定利率の性格をどう考えるのかという点はあるかもしれませんが,金銭という形で手元にあって運用可能性がある以上は,それを返還するというのが民法の基本的な態度なのではないかと思います。もし,そうでないとすれば,どういう根拠によって利息の返還義務が免除されるのか,御教示いただきたいと思います。   現在の規定との適用関係を考えても,強迫の被害者を悪意者と呼ぶのかどうかは,もしかすると考えが分かれるのかもしれませんけれども,しかし,704条を形式的に当てはめれば,利息の返還義務が出てくるはずで,もし,今,実務上,返還されていないのであれば,それは704条とは別のルールがあって,それは書かれざるルールなのかもしれませんが,それによって返還義務が軽減されているはずだろうと思います。   仮に,そういう書かれざるルールというものがあるのであれば,それを明記するというのも一つかもしれませんが,今回の素案のように余り細かいことまで全部書きすぎず,原則的なものを明らかにしておく,その上で,書かれざるルールによって利息が軽減される場合があるのであれば,それに委ねるというのも一つの考え方ではないかと思います。   それから,更にですけれども,利息の返還義務については,学説上,ここはもし誤っていれば研究者の先生方に補足していただければと思いますけれども,現状のルールとしても,基本的に利息,それから,果実は返還義務を負うというほうが一般的な解釈ではないかと思います。そこに,もちろん,詐欺であるとか無効規範,取消規範というものの性質が考慮されてくるということはあり得るのかもしれませんし,それが妥当な解釈を導くという場面はあり得ると思いますけれども,繰り返しになりますが,もし,そうであるとすると,それは,今,書かれていないルールとして解釈上,そういう解釈が導かれているということであろうと思いますので,それは(1),(2),(3)のようなルールを設けたとしても,同じなのではないかと思います。 ○松本委員 一般的な解除あるいは一般的な給付利得のロジックは,今,笹井関係官がおっしゃったとおりで,それぞれが原状に回復しましょうということでよろしいんだと思うんです。詐欺の場合で,現物が残っていれば同じロジックで返還をすればいい,金銭も返せばいいということでしょう。しかし,現物が残っていない,それも詐欺の一環として早く食べなさいよと言われて食べてしまったとか,クリームを塗りなさいよと言われて塗ってしまった,あるいはサービス契約の場合ですと,原状回復は不可能なわけで金銭の回復でするしかないわけですが,そういう場合において価格面での不当性がなく,相当な対価だけれども,不要なものを押し付けられたというタイプ,利得の押し付けタイプの詐欺が消費者契約の世界においては,大変多いわけなんです。そういう場合に,通常の有償契約の給付利得のルールでやるというのは,結局,むちゃな販売方法,むちゃな契約の取り方を合法化する,うそをついてでも契約を取って履行した者が勝ちということになって,これは大変よくない状況だろうと思います。   費用利得や求償利得の世界では,押し付けられた利得論というのがありまして,押し付けられた利得については利得償還の範囲に入れないというような考え方が一般的です。事務管理でも本人の意思に反している場合は成立しません。詐欺とか強迫による給付利得というのは,被害者側から見れば,押し付けられた利得だと考えれば,現にそれが利益である場合以外は,償還の対象にならないというのは,ロジックとしては,一応,筋が通るのではないかと思っております。そういう場合であっても給付利得の本則以外は認めないんだという趣旨で,このルールが作られているのであるとすれば私は反対いたします。   そうではなくて例外もあるんだ,今の場合なんかは例外なんだということなのであれば,先ほど言いましたように(4)が現存利益の返還にとどまる場合を非常に限定しているように読めて,押し付けられた利得という概念を否定しているかのように読めるので,それは先ほどの第三者詐欺において,代理人についてすら書かないようにしましょうという判断とは,少し矛盾するのではないかということでございます。 ○加納関係官 先ほどの笹井関係官の御説明によりますと,(4)があるからといって有償契約の場合の反対解釈というのは必ずしもそうではないということで,恐らくは(1)から(3)までが一つのワンパッケージとして存在して,(4)はまた別に規律をしていて,有償契約の場合は(1)の原状に復させる義務というところの解釈でということではないのかと理解をするわけですけれども,(4)と(1)から(3)というのを併せて読みますと,有償契約の場合には(4)の規律というのは妥当しないと,読まれてしまうというのではないのかというところが気になっているというところです。   それから,ちょっと先走った話になってしまいますけれども,仮にここで中間試案の第5の2の(2)の規律を設けないのだとした場合に,契約解除のときの効果の規律のところも設けないということになるのかというのも,気になるところでありまして,相手方が債務不履行した場合には,解除権の行使をちゅうちょさせないという観点から上限を画すという規律で,これは合理的なものだと理解をしておったのですけれども,ここも落ちて,こちらも落ちるということになるということで,それはそれで立法としては平仄がとれるということになるのかなと思いますけれども,こちらを落として,あちらを残すとかとなると,なかなか,その理由はなんなのかというにもなりかねなくて,理解をそこは整理する必要があるのではないかというふうな気がいたします。 ○高須幹事 今,笹井さんから御指摘いただいた中で,書かれざるルールがあるのではないかというところがポイントなのかなと思った次第です。そういう意味では,問題意識は共通なのかなと思ったのですが,私の先ほどの発言は,書かれざるルールのところをせめて一目だけでも,条文の中にかいま見られるようにしていただいたほうがいいのではないでしょうかと,こういう趣旨でございます。今回は新しく法律を作るので,そういうところもルールがあるのなら,できるだけ書いてあったほうがいいのではないかという趣旨で,発言をさせていただきました。 ○鎌田部会長 それでは,何か補足があれば。 ○笹井関係官 加納関係官から御指摘のありました,双務契約については(4)が適用されないという解釈がされるおそれがあるのではないかという御指摘を頂いたんですが,双務契約については(4)は適用されないというのが,正にここで書きたかったところです。加納関係官が心配しておられたのは,私が理解するところでは,むしろ,現存利益まで縮減するという利得消滅の抗弁が双務契約において妥当するのかどうかということよりは,反対給付によって上限を画するという,中間試案の(2)に当たるルールを適用すべきではないかということだと思うんですが,上限を画するというルールと現存利益だけで足りるというルールはまた別の話でありますので,(4)の反対解釈として上限ルールが出てこないということにはならないということを先ほど申し上げたつもりでした。 ○松岡委員 かつて議論したときに,例えば詐欺や強迫あるいは暴利行為の被害者に価額償還義務あるいは利息を払わせることに対して,やはり,問題ではないかという指摘がたくさんありました。それはそのとおりだと思うところがあって,先ほど高須幹事が御発言になりましたように,返還義務が無効取消規範の目的によって制限される場合があるということを書き込むことはできないのだろうかと,申し上げました。解除のところで損害賠償を妨げずという規定は残るので,最低限の対応として,損害賠償請求を妨げずというのをここにも入れるのは駄目でしょうか。 ○笹井関係官 損害賠償請求を妨げないと書くかどうかは,今,松岡先生のほうからも御指摘がありましたので,また,545条にもあるような規定でもありますので,少し考えてみたいと思います。ただ,545条3項が,なぜ,ああいう規定があるかというと,545条の解除の効果をどう理解するかということ自体見解が分かれていますけれども,通説・判例は直接効果説を採り,契約が遡及的になくなってしまう,545条3項の損害賠償は債務不履行に基づく損害賠償で,その債務の発生原因がなくなってしまったのに,その債務に違反したことによる損害賠償が残るのかどうかに疑念があるので545条3項が設けられている,というのが一つの説明だろうと思います。   それに対して,無効・取消しでは,無効になった契約に違反したということではなくて,そういう契約をさせたということの不法行為性ということだろうと思いますので,545条3項との性格は変わってくるのではないかと思っておりました。ただ,申し上げておきたいことは,書くか書かないかとは別に,損害賠償が妨げないということは当然の前提にしているわけですので,詐欺をしたとか,強迫をしたということが709条の要件を満たす場合には,損害賠償が発生するということは全く異論はないということです。   それから,先ほど高須先生にお答えしようと思ったんですけれども,私が書かれざるルールがあるのではないかと申し上げたのは,今,利息の返還義務がないと,あるいは現存利益に縮減されているということがあるとすれば,そこには,704条には書かれていないルールがあるのではないかということです。今でも利息の返還義務があるという考え方も十分あり得ると思いますけれども,仮にそうでないとすれば,それは何か別のルールがあるはずで,それは今回の(1)から(4)まで設けたとしても,書かれないルール自体は別に消されてしまうわけではないということを申し上げたかったということです。 ○道垣内幹事 検討するなという趣旨はさらさらございませんが,損害賠償を妨げないと書くのだったら,それは詐欺又は強迫による意思表示は取り消すことができるということの後に書かれるべきであって,ここに書かれるべき事柄ではなかろうと思います。 ○鎌田部会長 詐欺・強迫等の場合について,微調整の必要があるという認識はかなり共通ではあるんですけれども,それは解釈の工夫を期待するということで,この立法提案としてはそういった解釈論の展開の妨げにならないようにというふうなことが,現時点での事務局原案の姿勢だろうと思いますが,それを更に明確にこういう形にしたほうが,よりよいものになるという御提案がありましたら,それを事務当局のほうにお届けいただければと思います。 ○中田委員 一言だけなんですけれども,この無効・取消しのところで中間試案との違いが表面上はあります。例えば中間試案の第5の2(1)の取り消されたために無効となった場合も含むとか,同じく(4)の121条ただし書の規律に付け加えて規定を置く,というのが今回の素案では落ちていて,それだけを見るとどうなったのかなと思うのです。これは当然残るというのが解説のほうを見れば分かるんですが,素案が条文に近いようなものなのか,そうでないのかということとも関係しますので,そこは方針を統一していただければと思います。 ○鎌田部会長 事務当局から,説明しておくべきことはありますか。 ○笹井関係官 「無効」のところに,取り消されて無効とみなされたものも含むというフレーズが中間試案にはありましたけれども,取り消されれば無効とみなされるというのが121条にあるので,当然のことであって書く必要はないと考えたということでございまして,何か実質が変わっているというわけではありません。条文に近いということは,一応,意識はしつつも,このまま条文になるかどうかは,また,更に詰めて考えないといけないと思いますけれども,一応,事務当局の姿勢としては,そういったものも意識しながら書いているということでございます。 ○鎌田部会長 中間試案よりはずっと条文に近い形を意識して,素案を作成したということだと思います。 ○中田委員 それでしたら,素案の第3の1(5)のところは,121条ただし書の規律に付け加えてというのは残ったほうがいいのかなと思いました。 ○中井委員 今の関係で確認です。意思能力を欠く状態で法律行為をした場合の効果は,現段階では無効構成ですから,これは無効な法律行為について,このような整理がなされた。121条はそのまま残って,取り消された行為は初めから無効であったとみなす。その次にただし書で,制限行為能力者はその行為によって現に利益を受けている限度において返還の義務を負う。これもそのまま残る。無効のところで最後に意思能力を欠く状態が出てきて,取消しのところのただし書で制限行為能力者が出てくる。そういう構成になるのかなと私は理解をいたしました。   それから,先ほどの詐欺・強迫の関係で,是非とも御検討いただきたいという意見は同じですが,高須幹事の発言というのは,抽象的な形で何らかの指針を示せないか。同じようなことが松岡先生の不当利得法の全体像というジュリストの1,428号で,利得返還義務は当事者の行為態様や無効・取消原因規範の目的により制限され得るなど,方向性だけでも示す綱領的規定を置けないかという記載があって同じ方向だと思うのです。それに対して荒っぽいのかもしれないんですが,弁護士会の一部からは,取消しのときの効果のところに,制限行為能力者については現存利益を返還すれば足りるという規定が置かれ,詐欺又は強迫によって意思表示をした被害者が取り消した場合には同様とする,現存利益に限る,とする。綱領的規定というよりはもう少し端的な規定を置くことも十分あり得るのではないかと思う次第です。 ○笹井関係官 先ほど中田先生にお答えするのを漏らしてしまいましたけれども,121条ただし書に加えてというのを落としたのは,今,中井先生から御指摘がありましたように,この規定自体は121条の中に入るのではなくて,119条の前なのか,後ろなのか,無効に関する規定として置かれるので,121条の取消しに関する規定とは別にするという趣旨で落としたということです。 ○鎌田部会長 まとめ方は何通りか考えられると思いますね。 ○笹井関係官 それはあり得ると思います。 ○鎌田部会長 それでは,恐縮ですけれども,引き続き,「第4 条件及び期限」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○村松関係官 それでは,「条件及び期限」について御説明いたします。   中間試案では大きく3点を取り上げておりまして,まず,この資料で履行条件,それから,効力始期としておりますけれども,そういった新たな類型を新設することについてでございます。パブリック・コメントの結果を見ますと,履行条件及び効力始期の新設につきましては,いずれも比較すれば賛成の意見が,絶対数としては少ないんですけれども,比較すれば多かったところです。ただ,仮にこのような概念を新設するといたしますと,条件及び期限に関する既存の規定との適用関係等を整理する必要がございますので,個別的に部会資料で検討しております。検討結果は資料に記載したとおりですけれども,その当否について,それから,それなりに規定が複雑化することもございますので,そういったことを踏まえても,このような新たな概念を設けるということでよろしいか,御意見を伺いたいと思います。   2点目としましては,民法130条周りの問題ですけれども,平成6年の最高裁判決の明文化等を行った部分がございます。こちらも賛成の意見が多かったところでございます。ここでは「条件を付した趣旨に反して」という中間試案の案をそのまま採用しておりますけれども,もし,より適切な要件設定等があり得るということであれば,御意見を頂戴したいと考えております。   3点目としましては,民法137条2号ですけれども,「義務に反して」という要件を付加するという提案をしております。これもパブリック・コメントを見ますと,賛成意見が多数ということでございました。ただ,その上で検討いたしますと,そもそも,「義務に反して」という要件を付した結果,各種担保についてどのような取扱いになるのか,特に法定担保の中でも先取特権について,どのような結論とするのが適切なのか,必ずしも明らかではないと思われます。   特に不動産の先取特権については,担保維持義務は生じないと解されることになるのではないかと思いますけれども,そうであるとすると,担保を毀損しても期限の利益を喪失しないということになります。ただ,それでよいかという点については,議論が分かれ得るようにも思われますので,念のため,御検討いただきたいと思っております。また,このように一定の担保を除くとして,そのために「義務に反して」という中間的な要件を付加するのが適切かという問題もございます。   137条2号は担保の滅失等について,故意・過失は要求しないというのが通説的見解のようですので,このような規定ぶりが適切かという問題も別途あるように思われます。端的に一定の種類の担保を除くということであれば,その旨を明示するということも方策としてはあり得ると思いますので,以上につきまして望ましい結論は何なのか,また,理論的な整理としてどうあって,どうすべきなのかといった辺りについて御意見を頂戴できれば幸いです。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま,説明のありました部分について御意見をお伺いいたします。 ○山野目幹事 一気に最後のところを話題にさせていただきますが,49ページのただいま村松関係官が最後に御説明になった素案の(3)の137条2号の改正方向をめぐるお悩みのことについて意見を申し述べます。素案(3)に関連して抱いております意見を2点,申し上げます。   一つは,話題にしていただいたことですが,(義務に反して)という文言を入れなくても,相応の狙った解決を得ることができると思われますし,入れることによって,この解釈をめぐる思考が混乱するおそれもあると感じます。既に部会資料において不動産の先取特権のことや故意・過失の要件に関連して,先ほど御説明があったとおりでありまして,そのような方向から,この括弧書を入れないという方向,御示唆になっていると思いますが,そのような解決に同調いたします。   それから,もう1点は担保を滅失させ,という際の担保という概念を限定する文言を置くかどうかという問題提起も,部会資料において示唆しておられると感じます。この点について悩みはありますけれども,このまま,担保の後ろに何々を除くというような括弧書は,入れないことでよいのではないかという意見を申し述べさせていただきます。例えば動産の売買契約で代金の期限の許与があったときに,動産を買った人がそれを費消してしまったときに期限がどうなるのかということは期限を許与した,その約束合意の意思解釈によって処理すれば,個々の局面において十分適切な解決が得られるのではないでしょうか。   酒屋さんにお酒を届けてもらって,ツケで月末払でいいですよと言ってもらって受け取った人が,そのお酒を飲んでしまったという場合において,お前,酒を飲んでしまったから,期限の利益を喪失したので今すぐ払えと,そういう話はないのでありまして,お酒は飲んで酔うためにあるものですから,それは多分,飲んでしまっても月末のツケ払いですということになりましょうし,そのようにしてその局面は意思解釈がされるということでよろしいようにも感じます。   それから,同じところですけれども,一般先取特権及び企業担保権を除くといったような括弧書も要らないのではないかと感じます。それも一般先取特権や企業担保権があることを前提とする状況で,期限を許与した意思の解釈で考えればよいのではないかと考えます。   それから,もう少し極端なことを申し上げれば,一般財産というものは人が一個持っているものであって,それ以上でも以下でもありません。民法の本には時々,一般財産が減少するとかという表現が出てきますけれども,あれは何かが増えたり,減ったりするものではなくて,一個持っているものが,一個あり続けるのであって,それについて減少とか滅失とかという概念を素朴に持ち込むことの問題性もあるだろうと思います。そういうことから,入れないほうがよいのではないかと感じますが,更に申し上げると,なぜ,こういうことを言うかというと,いろいろ,そのほかにも非典型担保で流動性の担保がある中で,そういうものの法律理論の現代的な発展を見据えたときに,何か,特定のものだけ除いておくと書くと,いろいろ,また,面倒な問題が起こるとも感じます。そのようなことから,この文言を維持した上で解釈に委ねることが相当であると感じます。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。 ○岡委員 履行条件のところでございますが,読んでいて,そう大きな反発はないんですが,具体的にどのようなものをイメージしているのでしょうか。こんな端っこのほうで一杯条文を作っても,実益があるんだという辺りの説明を是非,いただきたいです。そしてそれに説得力があるのであれば,部会資料等に書き込んでいただきたいと思います。 ○村松関係官 説得力があるかどうか,よく分かりませんが,履行条件を設けること自体の意義は,一つは効力始期ということを作っておりますけれども,そういった,今,穴があいているように見える部分について片方を埋めると,そうであれば,履行条件の部分についても埋めるほうが,見え方として,なぜそこは穴があいているんだろうということを思わない,そういう意味で,分かりやすさに資するだろうというふうな気はしております。   では,それに当てはまるものが世の中におよそ存在しないかといいますと,多分,そんなことはないのだろうとは思っておりまして,この部会で,最初に挙げられた事例は,スポーツの監督か何かをやっている方か,分かりませんけれども,優勝した場合には追加的に報酬が得られるよというような合意がされることがあるでしょう。そういったものについては,契約の解釈はいろいろあり得るとは思いますけれども,一つは履行条件付きの債権だと理解できるのではないかと,こういうような指摘がされていたところだろうと思います。   あと,それから,出世払いといった例に近いのかもしれませんけれども,お金を貸してあげると。ただ,返済については君が本当に出世できたら返してくれればいいよといったような事例で,そういった場合についても債権自体は発生しているけれども,履行については条件が付されていると見たほうが適切だという例があるのではないか。そういった辺り,今でも現存するものについて,どのように当てはめていくのがより自然に見えるのかといった意味では,履行条件というもので理解すれば,多いのかどうかは定かではないんですけれども,分かりやすいものがあるのではないかというところでございます。   もう1点,付け加えると,恐らく今のものというのは停止条件付債権,停止条件が債権の発生について付されている場合との境目は非常に微妙なところがございまして,停止条件が法律行為の効力全体に付けられている場合との差というのは非常に明確なんですけれども,今,申し上げたのは法律行為の効力の一部たる債権の発生部分に停止条件が付いている場合です。これとは非常に近しいことにはなるのだろうと思いますけれども,先ほど申し上げたような消費貸借契約の貸金返還請求権のような事例であれば,最初から債権自体は発生していないという説明をするよりも,債権は発生しているけれども,その履行について条件が付されているんだと見たほうが,より一般的な当事者の意思に合致するという見方もできるのではないかという気はしております。   ただ,そう説明しないと世の中が回らないのかとか,そういう問題でないのは確かですけれども,片や,効力始期も作るというところでもございますので,そういった辺りでこれまでの規定の在り方を変えるのであれば,穴は同じように埋めておくというのが適切なのではないかというところもあろうかと思います。 ○岡委員 実務家から見たら,停止条件で十分対応できる感じを受けます。研究者の方からどうしてもという強い支持があれば反対はしませんが,研究者の御意見を是非伺いたいと思います。 ○松岡委員 賛否の意見を申し上げる前に説明に分からないところがありますので,そこを御説明いただきたいと思います。46ページのところに既成条件で既に条件が不成就になっている場合には,約束には意味がないから請求できないと書かれています。これに対して,よく分からないのは47ページの随意条件について「なお書き」がありまして,履行請求は不能とすることも考えられるが,反対債権は消滅しないことを考慮すると,片一方だけ履行不能で反対給付だけが請求できることになってしまっておかしいから全部無効にするという説明があります。では,既成条件で条件不成就により請求不能になった場合,反対給付はどうなるのですか。   既に履行したものは返してもらえない,それから,これから履行請求をされた場合ですと,同時履行の抗弁も,今,問題になっている給付が履行できるからこそ同時の履行の抗弁が立つので,それが履行不能であればそれも主張できないでしょう。そうすると,残る選択肢は,請求不能とか原始的不能でも契約は無効にしないとして,約束した給付に代えて損害賠償が請求できるとすることになるのかとも思います。131条について46ページで履行請求できないとするべきであると書いてある理屈と,134条について47ページでそれでは不公平だから法律行為自体を無効とするほうが適切であるとしていることが,うまく整合していないように感じます。 ○村松関係官 正にこういった点が今回検討していて悩ましかったところでございますけれど,私どもの整理としましては,既成条件についてはたまたま条件の成就が既に確定していた,あるいは不成就が確定していたというだけに過ぎませんので,条件が効力を生じること自体は,当事者の意思にかなった状態になっておりますので,それをそのまま認めても構わないのではないかというのが既成条件のほうの整理でございます。随意条件のほうは当事者が意図したのとは違って,そんなものは効力を認めないということに法律でしておりますので,そこの点が若干の違いがあり得るのではないかということで,御指摘のようにその違いを効果に本当に反映させるのかという部分が正に問題だろうと思いますが,整理としては,今,申し上げたところが一応違うので,既成条件とそれから随意条件については切り離していいのではないかと。特に問題なのは,随意条件のほうをどうするのかというところが悩みどころかなというのがこちらの検討でございます。 ○松岡委員 既成条件が条件不成就の場合は,そもそも,あり得ない場合だから請求できないが,契約が有効だとされますと,給付したものの返還は請求できず,反対給付の請求ができる。単純にこうなるのでしょうか。 ○村松関係官 そういうことだろうと思いますが。 ○松岡委員 それでいいのですかね。 ○鎌田部会長 それは既成条件だけでなく,後発的条件が不成就に確定したときも同じような関係になりますね。 ○村松関係官 ご指摘のあった点を含めまして非常に細かいことですけれども,考えるべき点がございまして,私どもの事務作業も,これをやれば,相当程度増えることは増えるというところでして,是非,背中を押すのであれば押していただきたく思うところではあるのですが。 ○鎌田部会長 ほかに条件・期限についての御意見はよろしいでしょうか。 ○松岡委員 先ほど山野目幹事からも御指摘があった点に関係します。51ページの最後のところで,担保の滅失,損傷等についてですが,結論的には山野目幹事と同じく,担保については余り細かく規定を設けるべきではないと思います。例えば動産売買の先取特権が挙がっていますけれども,その場合か,あるいは譲渡担保でもいいのですが,通常の営業の範囲内の処分であるとか,債権者から許された処分であれば,担保を滅失したと言わないのだろうと思いますし,代金債権が発生してそれに対する物上代位が可能であれば,やはり直ちに担保の減少にはなりません。担保が減少したかどうかは担保の種類によっても随分異なりますので一律に書くのは危なく,義務に反してという要件についても先ほどの山野目幹事の御意見に賛成です。 ○中田委員 履行条件について,先ほどのスポーツの監督の例というのは確か私が何か申し上げて,それについて分科会で検討していただけませんでしょうかという問題提起をしましたところ,分科会で検討されて,これでいこうということになったんだと思います。結局は効力始期と履行始期を分けるのだとすると,停止条件と履行条件を分けたほうが分かりやすいのではないかということだと思います。規定の整備がいかにも大変だということはよく分かるんですが,例えば準用とか解釈で賄える部分がないのだろうとかという気がいたしました。 ○村松関係官 ということも考えはしたのですが,なかなか,三掛ける二の六個の類型を置いたときに,すっと読めるような条文がもしできれば,それはそれでよろしいのだろうと思いますけれども,一定程度,こういった作業を今の法律の作り方であればやらざるを得ないかなというのが私どもの認識です。この条件・期限の辺りの条文だけではございませんで,期限あるいは条件と出てくるところについては,さて,新たにどうするかなということは,民法もやり,その他の法律もやらせていただくということにはならざるを得ないのかなという気がします。もちろん,基本的には例えば売買代金について,代金の期限を定めることを念頭に規定は置くけれども,代金の履行条件を設けることを想定した規定は置かなくていいのではないかとか,こういうような発想は当然あり得るはずでして,そういったところまで期限の隣に履行条件を入れるかということはないのではないかと思いますけれども,ただ,一定程度,履行条件の概念を新設するのであれば,ほかのところについても,それに合わせたルールの整備は必要最低限はやる必要があるのかなと思います。 ○沖野幹事 今の履行条件ですけれども,中田委員がおっしゃったことがそういうことではないかと思うのですが,あるいは村松関係官がおっしゃった必要最低限というのがどこまでなのかということで,履行条件というのを入れた途端に,ことごとく既存のルールのどれがどれに当てはまるかというのを全部考えなければいけないのか,これをやるならば,停止条件とか解除条件についてだって同じような,条件成就の利益を放棄できるかとか,そういうものを逐一改めて検討していくのかという話もあると思います。概念の整理として,こういうものがあるというのをメニュー的に出すということと,それについてのことごとくの規定を置いていくかというのは,また,別ではないかと考えます。   ただ,そうはいっても事務局としては,規定化するかどうかの判断に当たっては一通り,検討した上で規定化するかというのを考えざるを得ないとすると,これぐらいのことはやらないと,最終的には一個を置くのさえ大変なんですよということはよく分かります。履行条件というのを置くと,それはどういうものなのかの説明も求められるし,ここまでしてあえて規定を置くかというニュアンスが伝わってくるような気がしています。しかし,ここまで徹底してやる必要が本当にあるのかというのはかなり疑問に思いますし,私は,この中では条件についての利益を放棄できるかというのは,民法以外でも問題になることなので,それなどは考えるといいのではないかと思っているんですが,それ以外の規定をどこまで置く必要があるのか,その点をまず疑問に思います。   そう言いながらなんですけれども,細かな点ですが,よく分からないところもあります。45ページの127条との関係ですが,これは停止条件との対比での規定の要否を考えておられるんですが,出世払いなどを考えますと,不確定期限との対比を考える必要もあったり,遡及するということの意味が一体何なのか,当事者が決めれば遡及するということでよさそうな気もするんですけれども,そうすると,412条も手を打たなければいけないのか,時効の起算点などは関係ないのだと思いますがそのような理解でよいかなど,何かいろいろ分からないことが出てくるように思われます。その意味でも,そういうのを全部詰めていかないと,このメニュー規定のようなものを一つ置けないのかというと,そこまでのことではないのではないかとは思うのですけれども。 ○村松関係官 どこまで置くのかというのは非常に難しい問題だと思います。停止条件や解除条件についてももう少し本当は置いたほうがいいというのは,多分,そのとおりの部分がありまして,ただ,私が現行法を擁護して説明するとすれば,現行法は恐らく法律行為全体の効力を一応念頭に置いて条文を書いているので,この限度で足りているけれども,今回は債務の履行に係る部分について新設するので,条件側にも期限側にもといいますか,手当てが必要だということになり,その範囲内ではやるしかないのではないかなというのが基本的な考えでして,やる内容が不適切であっては困るわけですけれども,必要であれば,そこは頑張ってやるしかないということだと認識しております。   あと,適切か適切でないかで,正に127条3項のところでどうするのかという部分は確かにございまして,禁止する理由はなかろうということで,一応,ここでは遡及するということで案を書いてはおりますが,その結果,ほかのところでどう解釈を,時効もおっしゃるようにそうですけれども,していくのかという問題が出てくるというのは,そのとおりだろうと思います。そこに履行条件に個別の規定を置くかというと,また,それは別の問題,そこは一般的な解釈論の中でやっていくということかもしれませんし,それは別の問題かなという気はしておりますけれども,127条3項についてはおっしゃるように,なぜ,そういうことをする必要があるのかもなかなか理解し難いと言われれば,そのとおりだと思いますけれども,あえて禁止するというほどのことかなという気がしております。こういった議論は,いずれも規定をある程度,整序しなくてはいけないと思えばこその話ではあるんですけれども。 ○鎌田部会長 分かりました。   ほかにはよろしいでしょうか。   1点,今日の66Bの資料の第2の「2 取消権の行使期間」に関する提案があるんですけれども,要は債権の消滅時効期間などについての方向性が固まった段階で改めて検討することにしてはどうかというのが11ページにも書いてございますので,消滅時効期間などについて方向性が固まった段階で,改めて具体的内容等について事務当局の案を示していただくということで,今日は御意見を頂かなくていいということでよろしいですね。   それでは,以上をもちまして本日の審議を一区切りとさせていただきたいと思います。   最後に,次回の議事日程等について事務当局から説明をしてもらいます。 ○筒井幹事 次回会議は来週9月17日,火曜日,午後1時から午後6時まで,場所は本日と同じ法務省20階第1会議室でございます。   次回の議題は,多数当事者の債権及び債務,それから,保証債務,これは根保証及び保証人保護の方策の拡充の部分を除きます。それ以外の部分の保証債務です。それから,債務引受,契約の成立,第三者のためにする契約を予定しております。以上についての部会資料は,部会メンバーには,順次,電子メールにてお届けしているところであり,印刷物についても近日中にお届けしようと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。 ○鎌田部会長 それでは,本日の審議はこれで終了といたします。   本日も熱心な御議論を賜りましてありがとうございました。 -了-