法制審議会 民法(債権関係)部会 第88回会議 議事録 第1 日 時  平成26年5月20日(火)自 午後1時02分                      至 午後5後51分 第2 場 所  法務省 第1大会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会の第88回会議を開会いたします。本日は御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   本日は,野村委員,山下委員,岡田幹事,餘多分幹事が御欠席です。   本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いします。 ○筒井幹事 事前送付資料として,部会資料78Aと78Bをお届けいたしました。   次に,委員等提供資料として,まず,山野目章夫幹事から消滅時効に関する意見書と,動機の錯誤に関する意見書の2通を頂いております。また,山本敬三幹事から動機の錯誤に関する意見書と,同じく動機の錯誤に関するものですが,雑誌「NBL」の抜き刷りを御提供いただいております。また,消費者庁の加納関係官から本日の部会資料についての意見をお届けいただいています。また,事実上の配布物ですが,衆議院内閣委員会における附帯決議を机上に配らせていただいております。これは前回会議において参議院の内閣委員会における附帯決議について御報告いたしましたけれども,その同じ法案についての衆議院内閣委員会での審議の際における附帯決議でございまして,関係するものはこのうちの第5項です。この点について御報告させていただきます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   本日は,部会資料78Aと78Bについて御審議いただく予定です。具体的には,休憩前までに部会資料78Bの「第1 法律行為」,78Aの「第1 錯誤」,「第2 消滅時効」について御審議いただき,午後3時20分頃をめどに適宜,休憩を入れることを予定しています。休憩後,部会資料78Aと78Bの残りの部分について御審議いただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。   それでは,審議に入ります。   まず,部会資料78Bの「第1 法律行為(過大な利益を得る法律行為等が無効になる場合)」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○忍岡関係官 御説明いたします。   「第1 法律行為」では,第82回会議で御議論いただいた部会資料73Bの甲案とほぼ同様の案を甲案として提示しています。この案は説明欄に記載いたしましたとおり,対価の不均衡という客観的要素を満たす法律行為であっても,それだけでは無効とならず,基本的には主観的事情を不当に利用した場合に限って無効となることを明確にしようとするものです。乙案は暴利行為が無効になるかどうかを引き続き民法第90条の規定の解釈に委ねることにしつつ,この規定によって過大な利益を得る法律行為が無効とされ得ることと,その判断の際における考慮要素を明らかにすることを意図するものです。 ○鎌田部会長 ただいま説明のありました部分について御審議いただきます。御自由に御発言ください。 ○大島委員 暴利行為の明文化については濫用のおそれに加え,公序良俗違反の一般条項としての意味を曖昧にすることから,民法に規定を設けることについては反対してまいりました。今でもその考えに変わりはありませんが,仮に暴利行為に関して明文の規定を置くのであれば,裁判外での濫用の可能性が低く,規定の位置付けが明確な乙案の方がよいのではないかと思います。 ○鎌田部会長 ほかの御意見はいかがですか。 ○岡田委員 消費者の立場からすると,甲案の方がより明確になるという部分で甲案に賛成です。 ○深山幹事 甲案と乙案とで,実質的に目指している規律は,そう変わらないのかと思いますが,規定ぶりはかなり違うわけです。乙案は,「裁判所は」という主語で規定されており,考慮要素として一定の事由を掲げている,そこが普通の実体法の規律の中ではややイレギュラーな形になっております。私は,従来,90条の解釈の中で判断されてきた暴利行為と言われるものを無効にするという考え方を,一つの無効類型として掲げる甲案の方がよろしいだろうと思います。その理由は,実質的に機能する場面は必ずしも裁判の場面ではなく,そこに至る前であり,法律行為を行う当事者の行為規範としての意味があるということを明確に示している点が積極的に評価できるからであります。   先ほど大島さんは,裁判外で濫用のおそれがあるということを批判的におっしゃって甲案を批判されたんですけれども,濫用のおそれというのが具体的にどういう場面を想定しているのか,必ずしもぴんときませんし,どのような規律も濫用のおそれというのは常につきまとう問題であって,この場面だけ濫用のおそれを特別気にする必要はないのではないかと思います。加えて言えば,判例も相当程度,蓄積されている部分ですので,判例を明文化するという趣旨も含めて甲案がよろしいと考えます。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがですか。 ○山本(敬)幹事 最初に質問をさせていただければと思います。加納関係官の意見書にも書かれていることなのですが,甲案と乙案は,実質的には同じようなことを違う形で規定しようとしていると見えるのですけれども,子細に見ますと,特に乙案のイに挙げてある事情と,甲案の後段の方の事情が微妙に違う書き方がされています。この違う書き方がされている理由をお聞かせいただきたいのですが,いかがでしょうか。 ○村松関係官 乙案と甲案で基本的に先ほどからおっしゃっておりますように,表そうとしている実質はほぼ同じはずだとはもちろん思っております。ただ,乙案の方は考慮要素を書くという考え方になっている結果,甲案では明確な要件で書かれている部分も考慮する対象として規定する必要があるものですから,必ずしも例えば合理的に判断することができない事情と明確に言い切るというよりは,そういった相手方の窮迫や経験の不足その他,そういった事情がある場合にどういうような影響をどういう態様でどういう程度,与えるのかといった形で考慮する観点から,物の見方を変える必要があるのではないかという発想で,書き方が若干変わっているというところだと思います。   あと,例示の数については,そういう意味では合わせても構わないのかもしれませんけれども,書き方の見た目が大きく変わっている,これらに準ずる事情があるというような言い方に変えられていたり,与えた影響の程度や態様と変えられていたりという部分は,今,申し上げた考慮要素を並べるという観点からいうと,書き方が変わり得るのではないかという発想です。 ○山本(敬)幹事 としますと,甲案であれば,例示はともかくとして,相手方が法律行為をするかどうかを合理的に判断することができない事情があるかどうか,そして,それを不当に利用してされたかどうかということを判断していくことになるわけですけれども,乙案による場合には,イで挙げられている事情において,これらに準ずる事情というのが一体何か,そして,その事情が法律行為をするかどうかに与えた影響の程度がどのようなものか,その態様はどのようなものかをしんしゃくして判断するということになりますが,そうしますと,甲案よりも乙案の方が判断の幅が広がるといいますか,しんしゃくの幅が緩やかになるように感じられるのですけれども,そのような理解でよいのでしょうか。 ○鎌田部会長 事務当局から説明して下さい。 ○村松関係官 甲案と乙案と比べて,一概に緩やかかどうかは分かりませんけれども,ただ,おっしゃるように乙案の方はより抽象度が高くなっている部分がございますので,その意味では解釈・運用の当てはめの幅が広がり得る,あるいは広がっている印象を与えるというのはそのとおりだと思います。 ○中井委員 私からも確認をさせていただきたいのですが,乙案の本文とその後のア,イに記載されたものとの関係ですけれども,部会資料の3ページの一番上を見ると,本文部分は前回の部会資料73Bにおける乙案との関係で,私的な利益の保護も図られていることを明示するという趣旨で,当事者の一方が著しく過大な利益を得,また,相手方に著しい過大な不利益を与えることを理由にしたという記載になったのだと理解致します。ただ,これが仮に私的な利益の保護も図られることを明示する趣旨だとすれば,当事者の一方に利益を与え,また,相手方に不利益を与える,そういう類型の90条違反について,こういう要素を考慮するという書き方があり得る。   そうすると,本文はそういう私的な利益の保護を与えることを明示するためというのなら今ので足りるはずで,著しく過大な利益若しくは著しく過大な不利益と書くことによって,これは要件にもなっているように読める。対象のみを定めるのだったら,ここで要件を書く必要はなくて,著しく過大かどうかも含めて,その利益の程度,不利益の程度はアに書かれている当該利益又は不利益の性質及び程度,この程度の中に様々なバリエーションがあると整理できるのかと思います。申し上げたいのは,本文がそういう財産的な私的な利益を対象とすることを明示するためのみなのか,要件という趣旨も含まれているのか,この辺,意図があって書かれたのか,確認したい。 ○鎌田部会長 それでは,事務当局からお願いします。 ○忍岡関係官 論理的には中井先生がおっしゃるとおり,アとイの中で例えば暴利行為でいえば著しく過大であるかという要件を検討しないで本文の問題とするということは,確かに論理的にはそういう構造をとることもあり得るのですが,今回,意図していたのは,暴利行為と呼ばれているものについての考慮要素を定めた規定だということを表現したかったので,そうなりますと最初の本文の部分に何らか暴利行為に関する規定だということを表現する内容が必要になってくる。そうしますと,著しく過大な不利益あるいは利益ということが要素として必要ということになってきてしまいます。本文では今回の暴利行為に関する考慮要素を定めるんだという趣旨からすれば,著しく過大という文言は必要ではないかと考えた次第です。その著しい過大性を判断する要素として,アとイが出てくるというようなことに構造としてはなっているのではないかと思います。 ○鎌田部会長 よろしいでしょうか。 ○中井委員 この論点は前回も甲案についての議論の中で,著しく過大な利益という表現について,幾つか意見があって,裁判所からも従来の裁判例からすれば必ずしも常に著しく過大な利益若しくは不利益の場合のみではない,これを要件と明示することによって従来の暴利行為として認められていた事案,過大ではあるけれども,専ら態様に注目をして無効判断がされていたような事例について,こういう規定ぶりにすると妥当しない可能性もあるという御指摘もあって,そういう指摘もある中で,なお,ここは著しく過大な利益・不利益を残したというのは,それなりにぎりぎり合意を目指したところをお考えになった結果とは思うんです。   弁護士会としても規定ぶりとしては,先ほど深山さん,また,岡田さんからもありましたように,甲案の規定ぶりで明確化することを基本的に支持したい。あとは要件の書き方として前段,後段のような要素を挙げることについても支持をしたい。ただ,唯一,著しく過大な利益とすることについてなお限定的効果を生んで,裁判所がここに拘束されることによって,従来,認められていたところが狭くなるのではないかという懸念が残る。この点,どうしてもその限定が必要なのか,経済団体の御意見としてこの要件がないと合意に達しないのかどうか,最後の段階ですから確認をさせていただきたい。   仮にそこが難しいとなったときの乙案ですが,裁判所の考慮事由とする書きぶりはともかくとして乙案が仮に本文の中で,これは私的な利益の保護を目的として適用される90条の問題だということを明らかにする意味で,例えば一方が利益を得,相手方に不利益を与える,こういう場面での90条適用問題についての規定であることを明示した上で,考慮要素としてアの中に利益・不利益の程度が著しく過大であるかどうかも含めて,それを考慮要素にする,アとイを相関的に考慮できることを明示するという方向もなおあり得るのかなと思うものですから,発言をさせていただきました。 ○山本(敬)幹事 私もかねてから,著しく過大な利益を得させ,あるいは著しく過大な不利益を与えるというのでは,少なくとも現在の判例法から見ても限定的にすぎるということを申し上げてきました。今,中井委員がおっしゃいましたように,従来の裁判例を見ますと,確かに著しく過大なということが当てはまる例も相当数,存在するわけですけれども,客観的に見れば必ずしもそうとは言えない場合であっても,他の考慮事由等を勘案して無効と認めるものもかなり存在していたと思います。そのような中で,著しく過大な利益を得させ等を要件という形で定めるとするならば,それは現在の判例法から離れる可能性を持っていると思います。その意味では,コンセンサスが得られるのであれば,この点は改める必要があると考えています。   その上で,仮にコンセンサスを得ることが,甲案を今のような形で修正するのでは難しいというのであれば,乙案を維持できるかどうかということを考えざるを得ないわけですけれども,その際にも,先ほど中井委員が御指摘されましたが,乙案のような書き方をするのであれば,「著しく過大な利益を得」というのを要件のように書くのはそぐわないのではないかと感じました。このような書き方をするのであれば,法律行為の当事者の一方が,「著しく」を仮に入れるとしても,「不当な利益を得」というような書き方にすべきではないかと思います。それでコンセンサスが得られるのであれば,エレガントな条文と思いませんけれども,乙案のような形で落ち着いても,それはやむを得ないと思うところです。 ○佐成委員 前回の部会では甲案について強い反対意見があると申し上げております。若干,今回は表現が直っているということなんですけれども,改めて内部で議論したところ,甲案については依然として強い反対意見がございます。   それで,前回に比べて今回の乙案はどうかというところですが,乙案についてはまだ可能性があるのではないかと前回,申し上げて,ただ,幾つか問題点というか,気になったところを指摘したわけです。そして,今回はかなり前回に比べて明確化されたというところは非常に評価しているんです。けれども,実務の観点からすると,このような規定が入ると,やはり暴利行為の主張が今よりもかなり増えるのだろうなという印象を受けております。   そうすると,自ずからその中には濫用的な主張も今よりも増えるのではないかなと,そういったような印象を受けているところだったんです。ところが,先ほど来,中井先生,山本敬三先生の方で乙案の修正ということで,更に「著しく」というところを削除した方がいいのではないかとの御発言がございました。もちろんおっしゃる趣旨は非常によく理解できるところではありますが,実務的には先ほど大島委員もおっしゃっていたとおり,何といっても濫用されたり,不当な主張の根拠にされるというのが一番懸念するところなのです。内部的な反対意見もそこら辺に根拠がございますものですから,もし,そういうような形に修正されていくのであれば,むしろ,前回のかなり一般的ではあったんですけれども,あの乙案というものの方がかなり一般的な考慮要素を掲げておりましたので,そちらの方がむしろ規定として置くのであれば望ましいというような気もしてくるわけでございます。そういったところでございます。 ○道垣内幹事 結論としては現在の甲案でよいのではないかという気がしております。と申しますのは,著しく過大な利益を得させ,又は相手方に著しく過大な不利益を与える法律行為はというのが要件であると読むところに,そもそも間違いがあるのではないか。つまり,そういうふうな類型における法律行為を無効とする場合の判断要素について述べているのであって,別に著しく過大な利益がない場合に,90条本文で公序良俗違反になる場合が妨げられているわけではございませんので,これは,こういうときにはこうだよという話であると理解をすれば,それで足りるのではないかと思います。ただ,そのこと自体ははっきり確認をしておく必要があるのではないかと思います。   甲案に賛成ですので,乙案に対していろいろ言う必要はないのですが,乙案みたいなものを今後,仮に育てていくとしますと,これは論理的におかしいのではないかという気がするのです。と申しますのは,正確に言うと,法律行為の当事者の一方が著しく過大な利益を得,又は相手方に著しく過大な不利益を与えることを理由に,公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為であると判断するに当たっては,ということになるはずであって,つまり,乙案というのは90条によって無効を導くというものでございますので,90条の要件の充足の判断をここで書かなければならないという構造になるべきではないかという気がいたします。 ○大村幹事 私も個人的な意見としては,中井委員,山本幹事と同じで,甲案で合意ができるのでならば甲案で合意をしていただくのがよいのではないかと考えております。「著しく過大な」が修正できればそれがよいと思いますけれども,無理ならば仕方がありません。また,道垣内さんからおかしいのではないかという御発言がありましたが,最悪の場合には,乙案を直していくということでもやむなしと思っております。個人の意見とは別に,この問題を議論する際の共通の認識として,どのような書き方をするにせよ現在の判例の運用を何か制約するという意思であるわけではないということを確認しておきたいと思います。その上で,外見上は制限的な案をとる場合には,現在の状況を的確に記述するために,どのようなやり方が望ましいかということを検討したけれども,濫用のおそれがあるということで厳格な書き方をした,これは,しかし,現在よりも適用範囲を狭くするという趣旨ではないということです。この点について大きな異論はないということであれば,あとは書きぶりということになるのではないかと思っております。   それから,濫用のおそれということについて深山幹事から先ほど余りぴんとこないという御指摘がありましたけれども,私も同感です。これは私よりも山本敬三さんの方がよく御存じかと思いますけれども,20世紀を通じてドイツでこの問題について判例法が展開する際に,濫用のおそれがあって弊害があるというような議論は,私は余り読んだ記憶がありません。むしろ,要件をだんだんと緩和してきたというのが,ドイツ法の歴史だったのではないかという認識を持っています。 ○松本委員 私は中井委員のお考えにかなり近いです。すなわち,甲案で立法するのならしない方がいいだろうと。これは明らかに法発展を制約するリスクが大変大きくなるから,それならまだ現行の判例にお任せするという方がいいだろうと思います。道垣内幹事が甲案の前段部分は要件として読まなければいいんだと,90条を適用する際には2行目以下の相手方の窮迫うんぬんだけを考慮しろと,乙案的に読めばいいんだという御説明をされたと思います。それは一つの解決策かもしれないけれども,明文で著しく過大な利益というのが残る以上は,そちらの方に引きずられた解釈が主流になるおそれが大変大きいと思いますから,それなら現行判例どおりだということであれば,立法しない方がいいと思います。 ○道垣内幹事 松本委員の御発言における私の発言に対する理解について一言お断りしておきますが,私が申し上げましたのは,公序良俗違反とされるものについていろいろな類型があることを前提にして,その中に,著しく過大な利益又は相手方に著しく過大な不利益を与える法律行為という類型があるところ,それについての判断方法を述べているのが甲案だろうといったわけでして,「法律行為は」の前の部分は別に意味がなく,後ろだけ判断すればいいのだと申し上げたわけではありません。 ○潮見幹事 私も甲案でいいと思っておりますし,先ほど中井委員がおっしゃられたのは,基本的には甲案のスタイルを採った上で,しかし,著しく過大な利益という部分を極めて厳格に解釈した場合に,現在の時点で保護されているようなものが保護されなくなる可能性があるので,このような文言表現でいいのかという趣旨であったと思います。   大村幹事のお話にありましたように,著しく過大な利益という言葉も,これまでの判例法理の事案の蓄積の中で導かれたものをこの中に読み込むことが可能であるということであるのならば,つまり,これも基本的に極めて評価的な要素ですから,そのようなことができるのであれば,このような形を採って条文を作って,暴利行為なるものがどういうものであるかということを国民の目に明らかにするということは,私はあってもいい方向ではなかろうかと思います。 ○鎌田部会長 ほかの御意見はありますか。 ○岡委員 基本的には甲案の方向を支持しているものでありますが,今,潮見先生とか大村先生がおっしゃった,「著しく過大な」について柔軟な実務・解釈がなされるという保証はないとの危惧を持つものであります。条文としてこういうのが出てくると,かなり窮屈になるでしょうし,一問一答等に幾ら書いても厳しいだろうと思います。道垣内先生のように,これはこういう類型であって,これ以外の類型があるんだという議論は弁護士会でも出ましたけれども,これだけ議論してこの条文が出てくると,そういう解釈は厳しいのではないかと思っております。   そして佐成さんの話も聞いておりますと,甲案だと「著しく過大な」という文言がどうしても残るのであれば,73Bの乙案というのも創造的妥協の一つとして考慮に値するのではないかと思います。73Bの乙案を熱烈に支持するものではないですが,実際の妥協としてはこれが有力ではないかという意見です。 ○松岡委員 今の岡委員の後半のご意見には残念ながら反対です。この間も議論があったと思いますが,73Bの乙案は,暴利行為に限らず90条一般についてこういう判断枠組みが採られると読めてしまうところが問題なので,暴利行為に限定する形で判断要素を明示するべきだという意見が多かったように感じておりますし,私自身もそう考えています。それゆえ,73Bの乙案に戻るというご意見には,賛成できません。 ○松本委員 立法のニーズというところから考えますと,今,発言された方のかなりが甲案でいいではないかと,すなわち,著しく過大な利益というタイプの暴利行為についてこういう条文を書くんだと,それはそれでいいではないかと。それはそこだけを見れば確かにそのとおりだと思います。そもそも著しく過大な利益を得るなんてけしからんではないか。それに主観的態様が加われば,それは暴利行為ですよということは誰も否定しないと思うので,わざわざ条文化するまでもないんだろうと思うんです。   現代型の暴利行為は,著しく過大ではないところの山本敬三幹事がおっしゃった不当と評価されるタイプの利益をめぐるものが多いわけであって,それは勧誘等における主観的な態様の不当性を相当強調した立場からの主張だと思います。したがって,法発展という観点から考えれば,条文を置くとすれば,そういう現代型の暴利行為に対応できる条文を置かなければ,何のための立法ですかと。誰が考えても当然と思える,しかも,判例も当然に認めているようなものをわざわざ書くというのは,一つ条文を増やすという点で立法しましたということになるのかもしれないけれども,余り意味はないでしょう。むしろ,こういうタイプだけを法制審議会は暴利行為として認めたんだという,反対解釈的な力学が働く可能性を考えると,現代型の部分についてコンセンサスが取れないのであれば,そこは判例の発展にお任せするということで,全体として条文化しない方がいいのではないかというのが私の考え方です。 ○内田委員 直前の松本委員の御意見に対して,まず,個人的な意見を申し上げたいと思います。今,議論しているのは別に消費者保護のルールではありません。現代的な暴利行為というのは消費者契約が多い,ほとんどがそうだと思いますが,消費者保護のためのルールというのは消費者契約法などで別途,当然あり得るとは思います。しかし,暴利行為のルールは事業者間でも適用されているものですので,それについて今まで形成されてきた判例ルールの明文化をしようというのが,ここでの議論なのだろうと思います。ですから,消費者契約を対象とした現代型暴利行為に対応できないならば,規定を置く必要はないとまでは言えないのではないか,一般ルールとして規定を明示することには意味があるのではないかと思います。   もう一つ,岡委員あるいはそのほかの方々からも出た著しいという部分は,制約がきつすぎるという点ですが,これは私の感覚が違うのかもしれませんけれども,例えば1万円の利益はとうてい著しく過大とは言えないのか,1,000万ならば著しく過大だけれども,1万円ならばそうではないのかというと,そういう話ではないんのと思うのです。当該契約の中での相対的な問題であって,ある契約の中でちょっと利益を得過ぎではないか,もうけ過ぎではないかという状態,つまり,過大な利益を得るということは経済活動として通常,容認されていることだろうと思います。ただ,ちょっともうけ過ぎではないかという,そのちょっともうけ過ぎの限度を超えるというのが著しいということであって,契約価格そのものが非常に小さければ,著しいと評価される部分も金額としてはそう高額でなくても,著しいということは当然あり得るだろうと思います。   結局は,合理的な経済活動として許容されている利益の限度を超えているかどうかというところが判断基準なのではないかと思いますし,そうであるとすると,経済界から非常に懸念が示されているということですが,経済活動の中でもうけ過ぎるということは当然許されていることであって,それを規制しようとするルールではない。ただ,経済合理性の範囲を超えるような利益を得ている場合には,その事実れにプラスして契約締結のプロセスの不当性を考慮して,相関的な判断で無効判断をしようというわけです。多くのこれまでの一般的な暴利行為事例では,そういう形でルールが適用されてきたと思いますので,それを明文化しようとしていることではないかと思います。   それから,もう一つだけ申し上げたいと思います。が,乙案についてですが,事務当局の一員としてどっちがいいとか,余り言うべきでもないだろうと思いますけれども,若干の疑問として,これは道垣内幹事が言われたことと同じだと思いますが,乙案では著しく過大な利益を得,又は著しく過大な不利益を与えることを理由に90条が適用されるということで,公序良俗の規定の適用だと位置付けているのですが,元々,暴利行為の明文化の議論が始まったスタート時の問題意識は,公の秩序,善良の風俗から暴利行為のルールは読み取れないではないかというもので,だから明文化しようという議論が始まったと理解しております。したがって,公の秩序,善良の風俗という要件でもって暴利行為のルールが導けるということを前提に,考慮要素を書くということで本当に十分なのかという気がしないでもありません。   ただ,この文言は,前提として,そういう暴利行為ルールを新たに明文化するということを文言には書かないけれども,暴利行為のルールが90条から導けるということを暗黙のうちに示そうとしているということなのかもしれません。そういう意味で,合意を形成するために,明示的には書かないけれども,暴利行為のルールが読み込めるということを暗に示しながら,考慮要素を書くという趣旨かと思いますので,それはそれで一つの在り方かもしれませんけれども,元々のスタートラインの問題意識からすると,私はそれでいいのだろうかという気がいたします。 ○沖野幹事 今の内田委員の御指摘に関してなんですけれども,その前に甲案,乙案のいずれがいいかについては,仕組みの明確さという点で甲案の形の方がよろしいとは思いますけれども,いろいろ,懸念があって乙案の形で何とかせめて手掛かりを置けないかということも,十分首肯できるところではあると思います。   それを前提としたうえで,乙案ですけれども,前回の73の資料で出ました,およそ公序良俗について常に一切の事情を勘案するというような定式化は広すぎるということはその通りだと考えられますから,この類型つまり暴利行為と言われる類型については,このような考慮要素だということを明らかにするのが望ましく,そのためには,今回,資料で出されたような,不当なであるのか,過大なであるのか,ただ,利益を得るだけだとやや弱いのかなと思いますけれども,そういう不当な利益を得,あるいは不当な不利益を与えるというようなタイプのものについては,こういったことが考慮要素になり,その総合判断であるということを示す必要があるのではないかと思います。   そして,今の内田委員の御指摘についてなのですけれども,正確に理解していないのかもしれませんが,乙案でもし90条への言及というのを抜きますと,一体,どの要件の下に無効となることを判断するのかということが全く分からないことになり,むしろ,逆にこれは著しく過大な利益を得,不利益を与えるというものは無効であるんだけれども,それがそのようなものとして無効になるかどうかについては,こういったことも考慮するという形になってくるように思われます。   ただ,それは少し今までの前提としていたところとも違うのかとも思われますし,それから,そういうものだとすると要件について,著しく過大ということと準ずる事情があるかとか,どのような経緯であったかという考慮要素とが,うまく結び付くのかがはっきりしないように思います。確かに暴利行為類型というのは,90条の公序良俗と少し違うのではないかという問題意識はあるとは思います。けれども,乙案の形でいくならば何の判断をすることになるのか,無効をもたらす判断の基準の点の明示がないと,それを90条の規定によりにするのか,公序良俗に反すると判断するのかという形で書きおろすのかは別だと思いますけれども,その言及は要るのではないでしょうか。 ○大村幹事 少し戻りますけれども,松本委員から甲案が採用されたときの反対解釈についての懸念が示されたかと思います。反対解釈の可能性というのは一般論としてはございますので,懸念は十分に理解できるところがございます。ただ,私も申し上げましたし,潮見幹事もおっしゃったかと思いますけれども,現在の判例法に問題があるという認識に我々は立っていないということは,一問一答を含めて,様々な形で書くことにして,そうするという前提で,これで合意できるかということではないかと思います。   それから,松本委員からは90条でできるということは,誰もが疑わないではないかという御発言もありましたけれども,確かに,法律家は90条の一類型として暴利行為というものが存在すると教えられてきますので疑いません。しかし,これも潮見さんがおっしゃったところですけれども,国民一般の観点から見たときに,こういうルールがあるのだということは見える形にした方がよいのではないかと思います。これが全てではなく,原型であって,これを基に判例はこれまでルールを形成してきたし,これからも形成していく。そういうことなのではないかと理解しております。   それと,内田委員から御発言があった最初の点ですけれども,この規定は民法の規定なので,事業者間取引にも適用される。それはおっしゃるとおりですけれども,しかし,もちろん消費者取引にも適用されます。事業者取引であれば,内田委員がおっしゃったように著しく過大な利益ということについて,事業者取引にふさわしい基準というのがあろうかと思いますけれども,消費者取引に適用される場合には,その判断はおのずから違ってくるでしょうから,事業者取引のことを考えなければならないというのには全く賛成でありますけれども,消費者取引が依然として重要な適用対象となる規定であることも御確認いただきたいと思います。 ○松本委員 大村幹事の御発言は法律家としてはうなずけるんですけれども,法律家でない人のためにこういう規定を置いた方がいいのではないかという御意見については,こういう規定を置くと法律家でない人は,ここまでいかないと無効にならないと,逆に考えてしまうという危惧もあると思うんです。ですから,法律家でない人にとって,どういう民法の書き方が一番誤解を与えないのかというのは,大変難しいことだと思っております。更に法律家である裁判官に対しても,民法改正においてこういう条文が新たに入ったということが,どういう影響を与えるか等も考えなければならないかと思います。 ○山本(敬)幹事 先ほどの内田委員の御発言に関係して,意見を述べたいと思います。   まず,現代型の暴利行為が消費者取引について問題とされてきた面があるというのは全くそのとおりですが,暴利行為に関する裁判例を私自身調べてみましたところ,消費者取引に関わるものだけではなく,事業者間取引でも現代型と見るべきものが非常にたくさんあることがわかりました。取り分け,経済的な従属状態の利用に当たるもの,あるいは専門家が知識,経験の不足に当たるものを利用していると見られるケースなど,少なくないケースが問題になっています。そういったものも受け止められるような規定を設けるべきであると,松本委員の御発言を解釈しますと,そうおっしゃっているように思います。   その上で,先ほどから出ている「著しく過大な」という表現についてですけれども,「過大」という表現を使いますと,多いか少ないかというところにスポットライトが当たると思います。しかし,実際の裁判例を見ていますと,そのような利益を取得できる正当な理由がないのに取得しているというところを問題視しているものが多いように思います。もちろん,額としても多いという場合もありますけれども,必ずしもそうではなく,理由もないのに取得している。それがいけないのだという判断だろうと思います。   その点では,「著しく過大な」というのでは現在の判例法を拾えないと先ほど申し上げましたが,正にそのような危惧があります。仮に「著しく」を入れるとしても,「過大」ではなく,「不当」にしないと,現在の判例法の姿は捉えられないと思います。もし,それを「過大」に限定すべきだということをおっしゃるとするならば,それは判例法を変えてしまう可能性があります。そのようなことを本当に書いてよいのですかと,むしろ,問いを投げ掛けたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○福田幹事 まず,甲案についてですけれども,今,何人かの委員の先生からお話しいただきましたように,要件をある意味,固く設定をするということになりますので,これが今までの判例法理と少し基準が違うものになっているのではないかという印象を与えないかどうか,少し気になるところでございます。今,山本幹事からもお話を頂きましたように,恐らく今までの裁判例は利益,不利益が著しく過大かどうかというところについて,やや弱い事案であっても悪性の方が著しければ,相関的に考慮して柔軟に救うべきものは救うということになっていたのかなと思いますけれども,そこが甲案のように要件を設定してしまうことによって,こういった救済へのハードルが少し高くはならないかといった懸念でございます。   それから,乙案ですけれども,こちらは要件判断という枠組みではなくて,考慮要素を列挙するという形式になっておりますので,今,申し上げたような懸念というのは一定程度,後退するのではないかと考えております。ただ,こういった考慮要素型の規定というのも,書きぶりによってはかなり甲案に近くなるということでございまして,今の乙案を見ますと,本文部分の著しく過大な利益をうんぬんというところが,少し要件のように見えなくもないといった点や,あるいは考慮要素としてアとイが挙げられているわけですけれども,これも少し限定的に並べられているような気もいたしまして,やや窮屈な印象を受けるというところもございます。   今後,まだ,新しい事案が出てくる可能性もあるということも考えますと,もう少し幅を持たせる必要はないだろうかということも気になるところでございまして,そういった意味で,岡委員や佐成委員からお話があったような前回の乙案というものの方が,もう少し考慮要素を幅広く取り上げていただいていたのかなという印象も持っております。 ○岡委員 前回の73Bの乙案ですが,松岡先生から全部について考慮することになって窮屈だとのお話しがありました。確かに読み直すとそういう印象も受けるんですが,そうであれば,その他一切の事情を「考慮できるものとする」と書くのはどうでしょうか。そう書くと,90条の公の秩序のこの条文の中で,当事者の利益を守るということを明示したいという立法の趣旨が,はっきり出てくるように思いました。   もう一つ,弁護士会で議論しておりましたときに,配偶者を失った高齢者の人に上等な喪服を2セットも3セットも売る事案が出されました。喪服自体は正当な値段でありますけれども,配偶者を失っている人に喪服を2セットも3セットも売るというのは,90条によって無効にされている事案があるようです。そういう場合に,著しく過大な不利益という言葉で対処できるんだろうか,疑問が残るという意見がありました。それは多分,今,福田さんがおっしゃった問題に通じるのではないかと思います。 ○永野委員 いろいろ,御意見が出ているので少し付け加えになるのかもしれませんけれども,仮に甲案で立法がなされたときの裁判における攻撃防御を考えてみますと,貸金の請求などについて抗弁として甲案で立法されたものが,民法○条,「暴利行為」と主張され,甲案の要件の充足の有無が第一次的な抗弁として問題になり,そこからはみ出してきたものは,結局,民法90条の世界に戻っていくのではないかと思われます。   そうすると,「暴利行為」の概念が甲案の条文に張り付いて,そちらが第一次主張として焦点を浴びた状態で,補完的に外枠のものが追加的に主張される形になります。通常の裁判においては第一次主張,それから,追加的・予備的主張となってくるにつれて,弱くなってくるところがあるものですから,要件設定をした形で条文を設けてしまうと,周辺部分がかなり窮屈な形になっていくことが懸念されます。その辺りを弁護士会の委員の方々,あるいは松本委員なども気にされているのかなとの印象を持ちました。 ○鎌田部会長 それでは,いろいろと御意見を頂戴しましたので,それらを踏まえて更に事務当局において検討を続けさせていただきます。   次に,部会資料78Aの「第1 錯誤」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○脇村関係官 それでは,御説明させていただきます。   78A,「第1 錯誤」でございますが,ここではいわゆる表示の錯誤と動機の錯誤を理由とする取消しが認められる要件について検討しております。まず,1及び2ではいわゆる表示の錯誤と動機の錯誤に共通する問題として,錯誤と意思表示の主観的因果性と錯誤の客観的重要性について取り上げております。   前回の部会資料76Aでは,その錯誤がなかったとすれば表意者は意思表示をせず,かつ,それが取引通念上相当と認められるときと表現する案を提示していましたが,第86回会議では客観的重要性の表記の表現ぶりについて,錯誤に関する規定が遺言等で問題となることを踏まえると,その判断基準は取引通念ではなく,社会通念で表記すべきであるとの意見や,逆に社会通念という用語で判断基準を示すことは消極的であるという意見も出されました。今回の素案では以上の議論等を踏まえつつ,判例法理が主観的因果性に加えて客観的重要性を要求しているのは,その錯誤があれば表意者だけでなく,他の一般的な人も意思表示をしないのが通常であることを要求するためであると考えられることから,端的にその錯誤が意思表示をするか否かの判断に通常影響を及ぼすべきものとする案を提示しています。   次に,2では動機の錯誤を取り上げております。前回の部会資料76Aでは,動機の錯誤との言葉を用いていましたが,第86回会議では動機の錯誤との言葉を用いることについて異論も出たことを踏まえつつ,そもそも,動機の錯誤とは意思表示ではなく,意思表示以外のある事項について錯誤があり,その錯誤がなければ意思表示をしないものとして理解されていたものであることを考慮いたしまして,端的に意思表示ではなく,ある事項の存否又はその内容について錯誤があり,その錯誤がなければ表意者は意思表示をしていなかった場合としております。   次に,2のアでございますが,この点は従前,法律行為の内容又は意思表示の内容として取り上げていたものでございます。前回部会資料76Aにおいては,動機が法律行為の内容になっているときを要件としていましたが,これに対してはその意味内容が明確でないとの異論もありましたし,判例法理において意思表示の内容あるいは法律行為の内容等の用語が用いられているとしましても,法律上,その規律を明文化するためには,その内容をより具体的に検討する必要があると思います。そこで,今回の部会資料では従前の判例等を踏まえつつ,その内容をより具体的に合わすために,表意者が法律行為の効力を当該事項の存否又はその内容に係らしめる意思を表示していたことという要件とすることを提案しております。   また,2のイでございますが,従前の部会資料66B等において動機の錯誤が相手方によって惹起された場合という項目名で取り上げ,議論させていただいたところにつき,具体案を提示するものであります。この点に関して中間試案では,表意者の錯誤が相手方が事実と異なることを表示したために生じたものであるときを要件の一つとすることを提示しておりましたが,そこで検討しようとしていましたのは,その表意者の錯誤が相手方に起因する場合に,その錯誤によって生じるリスクが相手方において負うべきかどうかということでございまして,問題とすべきであるのは,表意者の錯誤と相手方との間の因果性であると思われます。そこで,今回の部会資料では,その錯誤が相手方に起因することを問題としていることを端的に示すため,表意者の錯誤が相手方の行為によって生じたことを要件とすることとし,その錯誤と相手方との因果性が問題となることを強調するものとしております。   ただし,相手方の行為によって表意者の錯誤が生じたというのは,実際上は相手方が表意者に対して,その錯誤が問題となる事項につき,真実とは異なる説明をしたか,あるいは真実とは異なる説明をしたと評価できるような行為があった場合がほとんどであると思いますので,それ以外の場合は余り想定できないように思われます。なお,これまでの実務上,表明保証の違反があった場合は,損害賠償又は過失相殺等を行うことで柔軟な解決を図っていくこと等を踏まえまして,いわゆる表明保証との関係で,このような要件の下で錯誤を理由とする取消しを認めることに対する懸念が示されておりました。しかし,現在においても同様の問題はございますし,表明保証のケースでは,その表明保証がどのような内容であるのかを探求することにより,問題の解決が図られると思われ,そもそも,錯誤の規定が問題となることは余りないのではないかと思います。 ○鎌田部会長 ただいま説明のありました部分につきまして御審議いただきます。御自由に御発言ください。 ○山本(敬)幹事 幾つかあるのですけれども,まず,1点だけ述べさせていただきたいと思います。2のアの書き改めていただいた部分についてです。これに関しては,今の御説明でも,前回出ていた「法律行為の内容になったとき」を明確にするために,こう書き改めたということをおっしゃいましたけれども,私が見ましたところ,これは明確化しているものではなく,むしろ,内容が変わってしまっている可能性があると感じます。その意味で,このような書き改めについて,私は反対したいと思います。   理由は三つあります。一つは,アの書き方ですと,このような意思を表示していたこととなっています。これは,一方当事者の,つまり表意者の意思表示のみを要件としていると見えます。としますと,表意者側の一方的な意思表示のみを認定すれば,錯誤取消しが認められる可能性があると読まれる可能性があります。そうしますと,現在の判例法に比べて,無効ないし取消しが認められる範囲が広がる可能性が出てきます。その意味で,判例法の明確化にならないおそれがあります。   そして,もう一つは,不合意と錯誤の関係が少し分からなくなってしまう可能性があります。といいますのは,表意者が法律行為の効力を当該事項の存否又は内容に係らしめる意思を表示していたことというのは,ここまで書きますと,意思表示だろうと思います。そのような表意者の意思表示に対して,相手方がこの意思表示に同意しない場合には,意思表示が合致していませんので,不合意になるはずです。つまり,法律行為が不成立になるはずです。ここまでの意思を表示しておいて,この重要部分について合致しなければ,不合意になるだろうと思います。   ところが,この素案は,法律行為が成立して,かつ有効であるとした上で,取消しの可能性を認めるという規定になっています。としますと,表意者の意思表示に対して相手方が同意したということが前提になっているのではないか。そうでないと,法律行為は成立しない。とすると,この規定は,表意者の一方的な意思表示のみを規定しているように見えますけれども,ここで取消し可能性を認める以上は,実は相手方がこの意思表示に同意した場合に関する規定と読むしかない。しかし,それは正しく法律行為の内容になった場合のことです。しかし,それならば,このような分かりにくい書き方をするのではなくて,正面からきちんとそのことが分かるように規定すべきではないかと思います。   3点目は,ここそのものではなく,売買のところの瑕疵担保に関する規定では,現在のところ,従来でいう契約責任説の考え方に従って,目的物の性質に関する事柄も契約の内容になることを前提にした規定を定める方向です。つまり,これについては債務不履行に関する一般原則が適用されることを前提とした上で,代金減額請求などの特別な規定を補足的に定めるという方向です。これは,性質に関する事柄も債務の内容になる,つまり契約の内容になるということを正面から認めるものでして,それならば錯誤に関しても法律行為の内容になると言わないと,整合性が取れていないのではないかと思います。   少し長くなりましたが,以上です。 ○鹿野幹事 幾つかあるのですが,とりあえず,今,山本幹事がおっしゃった点に関して申し上げたいと思います。私も,今回の2のアのところで示されている書き換えには,大いに疑問を感じているところでございます。それは,今回の案が表意者の表示に専ら焦点を当てていること,また,ある事項を条件とする旨の表示を要求するかのような文言を採っていることについてであります。一連の判例等を見てみますと,動機の錯誤が法的に顧慮されるのは,その動機とされたことが単に一方当事者の動機にとどまるのではなく,法律行為の内容にまで高められていると評価できるような場合だったのではないか,その場合に初めて,その錯誤につき,さらに因果関係や客観的な重要性という他の要件が満たされる限りにおいて,無効という効果が認められてきたのではないかと思われるのでございます。   確かに判例には表示という言葉を用いてこれを強調するものも多いのですが,そこで用いられる表示という概念自体が,表意者がその動機を相手方に告げたかとか,単にそういう行為の有無を示すものではなくて,かなり規範的な概念として用いられてきたように思いますし,決め手となるのは当該法律行為の内容になっていると評価できるかどうかということだったのではないかと思います。ところが,前回とまた変わって,今回の案は,内容とされるという文言は削られ,「表示」という文言だけが入れられており,それにより,一方の表意者の行為だけに着目すればそれでよいのだというような誤解を与えかねないような表現となっています。そうすると,従来の判例と比較すると,一方で,山本幹事がおっしゃったような意味で,錯誤が認められやすくなるのではないかと思います。  ただ,もう一方では逆に,従来の判例より,錯誤が認められにくいということになるかもしれないとも思っております。というのは,ここには,2のアで,「法律行為の効力を当該事項の存否又はその内容に係らしめる意思」を表示していたことと書かれているからです。確かに,これについては,表示は黙示の表示でもよいのだということ,あるいはその解釈である程度の柔軟性が確保できるのだということは説明されています。従来から判例においては,動機が表示されて法律行為の内容ないし意思表示の内容になっているのかが問題とされてきましたし,その判断においては,もちろん,表意者がどういうことを相手に告げたとか,相手方がどういう対応をとったのかいうことも考慮に入れられてきたのだと思いますが,それ以外に,法律行為の種類とか,契約の場合には契約類型とか,当該契約の目的とか,あるいは対価とか,契約時の一般的な取引観念などが考慮されて,法律行為の内容になるかどうかということが判断されてきたのではないかと思うのです。   3ページのところに,マンションの眺望に関するケースが例として挙げられています。そして確かに,マンション売買においては,眺望はここにいう法律行為の内容にされていないことが一般的でしょうし,そのことを前提にそのような事項については,これを条件とし,あるいはこれを法律行為の効力に係らしめる意思を表意者が示し,そのうえで,相手方がそれを了承して契約をした場合にだけ,法的に顧慮されるような錯誤になるのだというような説明が,比較的妥当しやすいのだろうと思います。けれども,広い意味で動機の錯誤と言われてきたものは,こういう極めて例外的な場合にだけ顧慮されるというものだけでは必ずしもなく,むしろ,両当事者がこういう契約をしたのであれば,その契約の当然の前提としていたと認められるような事項もあるように思われます。その当然の前提とされていたという場合には,ここに書かれているような,それに係らしめる旨の表示などは実際にはむしろ行われないのではないかと思います。たたき台の趣旨としては,その場合には表示があったものとして読み込むということなのかもしれませんが,それは余りにも擬制にすぎるというような気がいたします。以上申し上げたところにより,今回の提案に疑問を感じます。 ○能見委員 この問題に関しては,前から山本敬三幹事とは違った意見を持っているわけですが,私が恐らく一番違和感を持っているのは,確かに法律行為の内容という言葉を使う判例はあるのですけれども,それが本当に契約の内容になるという意味で,法律行為の内容という表現を使っているのだろうかという点に疑問を持っています。もし,動機が本当に法律行為の内容になっているのであれば,すなわち契約の内容になっているのであれば,その法律行為の,つまり,契約の解釈によって解決されるべき問題になると思います。契約の解釈でも解決できるけれども,更に錯誤でも解決するということももちろんあり得ますけれども,法律行為の内容になるということを動機の錯誤の言わば要件にするとなると,単に二つの理論ないし解決方法があって,一つの事実関係ないし場面にどちらも使えるということを超えて,定義上からして両者が重なっておかしいのではないか。定義上からすると契約の解釈の問題となるものを,それを錯誤の問題にしましょうということを動機の錯誤というのは言っているに過ぎないことになるのではないか。そこが一番違和感を感じているところです。   マンションの売買の例で言えば,買主が,このマンションは富士山が見えることを重視して,富士山が見えるマンションとして購入したとしますと,相手方がそれに同意したのであれば,富士山の見えるマンションとして売買契約をしたのであって,実際にはそのマンションから富士山が見えなければ,これは富士山が見えるという条件が満たされていないので契約の効力を主張できない,あるいは売主は代金支払の請求ができないということになりそうです。これは成立した契約の解釈の問題であって,錯誤の問題では恐らくないのだと思うのです。私は別に錯誤の範囲を広げたいと思っているわけではなくて,山本さんと同じように相手方が当然予想できる場合に錯誤無効の主張は限定した方がよいと思っています。むやみに広がるということは適当ではないと思っていますので,そこの基本的な考え方はそれほど違わないつもりですけれども,法律行為の内容になるということを動機の錯誤の要件にするのはおかしい。   考えてみると,錯誤は,動機の錯誤に限らず,ほかの錯誤もそうだと思うんですが,契約の解釈と緊張関係にあります。表示の錯誤の場合も,たとえば100ドルという意図があったけれども,100円と表示してしまった。これは契約を成立させた上で表示の解釈として,表示は客観的には100円だが,当事者の本当の真意に近づけて,その表示を100ドルと解釈するという解決も,状況によっては可能です。そのようなときは,錯誤を使わないで解決できる。内容の錯誤についても同様です。いちいち,例は挙げませんけれども,契約の解釈のレベルで解決することも可能です。すなわちどういう内容の契約が成立したかというレベルで解決することがで可能な場合があります。それが可能な場合には,錯誤で契約を無効とする必要はありません。しかし,契約の解釈によってその契約内容とされたものが当事者の意図と違う場合には,その当事者にとっては契約解釈による解決は不十分だということになり,錯誤で無効を主張するというのが錯誤の機能だと思います。動機の錯誤についても同じように考えるべきだと思います。このように,契約解釈でも解決できる場合があるが,契約会社ではその当事者にとって満足のいく解決とならない場合に,錯誤の意味があるですが,常に解釈で満足のいく契約内容となるとは限りませんでの,そのような時に錯誤が機能すると考えています。常に解釈で解決できるならば,錯誤は不用であることになります。私はそういう意味で,今度の案には賛成という立場でございます。 ○松岡委員 今,能見委員からはどちらかというとこの案に賛成だという御意見が出ましたが,私は山本敬三幹事や鹿野幹事と同じように,表示されているだけでなぜ錯誤取消しが主張できるのか疑問に思います。例えば私が友達の結婚祝いをデパートで買うとします。単に友達の結婚祝いだと言っているだけなら駄目かもしれませんが,のしの表に「御結婚御祝い 松岡」と書いてくださいと頼みました。それによって結婚祝いに使うことが分かりますし,かつ破談になってしまったのに結婚祝いをあげるとけんかを売るようなものですから,買主がそんなつもりが全くないということは通常人でも分かりますよね。その後に破談になったか,あるいは知らなかったけれども既に破談になっていたというときに,動機を表示しただけでそのリスクを売主に転嫁することは大変疑問に思います。 ○大村幹事 私は結論としては山本幹事や鹿野幹事がおっしゃったように,ア,2の案についてはもう少し御検討いただきたいと思います。ただ,錯誤についての考え方の前提については能見委員と同じ考え方に立っております。それは法律行為の内容になるということの意味をどう考えるかということだと思いますけれども,通常,例えば売買ならば目的物と代金がどうなるかということが法律行為の内容となる。そのことについて一定の合意ができたという前提で,そこに錯誤があれば,それは内容の錯誤になりうる。   通常,法律行為の内容の中に取り込まれない事柄であっても,それを取り込むというのは,それが錯誤無効を導きうるものとなるということで,取り込んだ上で何が契約内容であって,当事者の認識がどうだったかということは,その次の問題としてくるのではないかと理解をしております。この辺りについては法律行為論についての考え方によって差が生ずるかもしれませんが,今のように考えると,能見委員の前提に立っても法律行為の内容という文言との関係は,説明できるのではないかということを私は考えております。   その上で,2のアがよろしくないのではないかということなんですけれども,今までに幾つかの指摘がされているかと思いますが,これについて先ほど鹿野幹事の方から,これを条件とするというふうな表現をされたかと思いますけれども,法律行為の効力を当該事項の存否又はその内容に係らしめる意思を表示していると。山本さんからは,これは相手方も同意していなければいけませんよねという御発言がありましたけれども,相手方も同意していると,この書きぶりだと本当に何か条件になっているような感じがするんです。条件になっているのならば,それは条件の問題でしょうと,錯誤の問題ではないでしょうと見えてしまうので,これは書き過ぎなのではないかと思います。 ○中田委員 私も松岡委員と全く同じ例を考えてきていまして興味深かったんですが,贈り物をデパートでなくて結婚祝いの専門店,ブライダルセンターで買ったとすると,状況は変わってくるかもしれないと思います。そうしますと,ここで問題となっているのは錯誤のリスクが表示だけで一方的に相手方に移転することが適当でないとすると,それをどう考えるかということだと思います。   二つの方向が考えられます。第一は,そのリスクの移転を正当化する相手方の引受け,あるいは取引通念を要件とすることによって,表示にどんな効果を付与するかの判断要素を加えるという方向があると思います。それは必ずしも表示だけではなくて,もう少し広いものを対象にしながら,どうすればリスクを相手に移転し得るのかです。そのことを法律行為の内容になっているとこれまで言ってきたのであって,能見委員の御懸念はもっともなんですけれども,多分,別の話をしているのではないかと思います。   それから,第二の方向ですが,錯誤の問題と合意とを2段階に分けることが考えられます。これは多分,能見委員のお考えにも近いかと思うんですけれども,このような方向もあると思います。その中にも2種類あって,一つはリスクの移転についての合意,それが今,大村幹事のおっしゃった条件とかということかもしれませんけれども,それが契約内容になっているかどうか,契約解釈によって判断する。これは当然あり得る話だと思います。   それから,もう一つは,錯誤は錯誤で簡単に成立するとした上で,それと別の合意として,状況によっては表意者が取消権をあらかじめ放棄していると考えるものです。先ほどのブライダルセンターでの契約の場合には,そっちの方向になるのではないかと思います。それは事前の合意によって錯誤の効果をコントロールするという方向でして,これは実はアだけでなくてイとも共通する問題になってくるのではないかと思います。ですから,必ずしも能見委員と山本幹事とが対立しているということでもなくて,法律行為の内容という言葉の理解の仕方なのかなと思いました。 ○山本(敬)幹事 補足をしていただいたのですが,それと同じことになるかどうかは分からないのですけれども,能見委員の御指摘についてだけお答えさせていただきたいと思います。  能見委員のお考えは,学説としては従来から主張されていますし,よく理解できるところです。本当に法律行為の内容になったというのであれば,それは条件というか,保証というか,前提というかは別として,そのような合意で片が付く問題であって,それを錯誤無効とか,錯誤取消しとつなげるのは違和感がある。正にそういう見解が従来からも有力に主張されていたところで,それ自体としてはよく理解できますが,現在の判例法は,そうだとしても,法律行為の内容になったときに錯誤無効を認めるという立場を選択して,それで長年ずっとやってきているわけです。動機の錯誤に関わる事柄についても,この要件のもとで錯誤無効を認めるという立場です。   これがおかしいというのが先ほどの学説でして,このような場合は合意の問題として解釈によって片を付けるべきであり,ここで錯誤無効を認めるのはおかしいという立場です。これは,それ自体としては分かるのですけれども,しかし,現在は,判例法自体がこれを是認し,それを受けてコンセンサスを得られる立法をするという方向で進んできていると思います。そうだとすると,違和感は感じられるのかもしれませんが,法律行為の内容になったときと評価できる場合に,無効ないし取消しを認めるということを前提とした上で,それをどう書くかと考えるべきではないかと思います。としますと,先ほど松岡委員も御指摘いただきましたように,現在の書き方は,判例が前提としているよりも広く錯誤無効ないし取消しが認められる余地を開くものであって,これは適当ではないし,理論的にも正当化できないのではないかと思います。 ○能見委員 私の言葉が舌足らずだったのかもしれませんが,ある事実を前提にして,それが契約の解釈で解決できることもできるし,錯誤のルールを使って動機の錯誤で無効にすることもできる,当事者はどちらを選択してもよいというのは,私も当然の前提として考えています。ちょうど,瑕疵担保と錯誤が両立しえて,どちらを選択してもよいという立場と同じです。もっとも,判例は錯誤無効を優先するという立場だとする見解もありますが,それはともかく,私としては,一定の事実関係に対して2つの制度が適用可能であるときに,当事者が一方を選択できるということでよいと思っています。しかし,問題は,動機の錯誤の定義上,動機が法律行為の内容になったときに動機の錯誤として錯誤の問題になるという言い方をすると,動機の錯誤は常に契約の解釈として解決できることになり,動機の錯誤が制度として独立の意味を持たなくなってしまうのではないか。動機の部分は,相手方が同意して,契約などの内容になるわけですから,常に契約内容に沿って解決ができることになる。そのことをもって,動機の錯誤というのは契約の解釈の問題をただ言い換えているだけではないか,と言ったのです。 ○松本委員 アについて,従来の判例をベースにした内容に場合に比べて限定されているのではないかと,だから,反対だという意見が一方であったわけですが,私はイが存在することが大変重要だと思っているんです。イが存在しないのであれば,イに当たる部分をカバーするためには,曖昧な従来型の表現を残しておかざるを得ないと思うんですが,イという相手方の行為によって動機レベルの錯誤が惹起された場合をきちんと救済するんだということでコンセンサスが取れるのであれば,相手方の働き掛けが一切なしに表意者が勝手に思い込んで,動機レベルでですね,間違った判断をしたという場合に,それほど簡単に救済すべきなのかという疑問が私にはございます。   相手方からの働き掛けがあって誤解に陥ったという場合を救済すべきなのは当然なわけですが,この点,従来,すごく曖昧だったわけです。しかし,勝手に間違った場合について救済されるとすれば,それはここでアに書いてあるのに近いような,一定の条件に近いようなところで合意をされているか,あるいは明示の合意はなくても取引の慣習上,そういうことは当然の前提なんだとされているかとか,そういった能見委員がおっしゃった契約のレベルに近いようなものに取り込まれていて,初めて一方的な動機の錯誤というのが救済されるべきなのではないかなと思っています。   確か英米法は錯誤の救済の範囲が大変狭いと,昔,勉強した記憶がございまして,その点,意思理論に基づく大陸法は錯誤一般としては,一方的な錯誤で無効を導くという点では,元々,救済範囲は広いわけですけれども,動機レベルという取引に至るかなり手前の段階で誤った判断をしているという場合についてまで,一方的に救済する必要というのはかなり限定されているのではないかと思っています。 ○内田委員 動機の錯誤をどう書くかというのは非常に難しい問題で,錯誤については学者の取り分けその分野の専門家の方が御自分の理論を持っておられますので,それと整合的に書くというのは非常に難しいと思います。前回の資料では法律行為の内容になっているときという表現を使っていたんですが,それではコンセンサスが形成できなかったんですね。コンセンサスが形成できればそれでよかったんですが,できなかった。   なぜ,できなかったかというと,私の理解では過去の裁判例を見ますと,最高裁判決で2件,法律行為の内容といったものはありますけれども,それ以外の最高裁判例,そして下級審,そして戦前の大審院まで含めますと,圧倒的に意思表示の内容の方が多いんです。しかも,近年の裁判例はほとんど常に表示されということを言っていると,表示プラス意思表示の内容という表現が使われる裁判例が圧倒的に多くて,問題はなぜそうなのかということを考える必要があるんだろうと思います。実際の裁判をやっておられて,法律行為の内容ということは,言い換えると能見委員がおっしゃったように契約内容ということであるわけですが,その認定が厳しいと,そこまでは言えないという場面で錯誤を適用している裁判例が多いのではないかと思います。   その現在の裁判例,もちろん,そういう裁判例も山本幹事の御論文によれば,それは全て法律行為の内容という概念でもって包摂して説明可能であるという説得的な御論文がありますけれども,しかし,裁判例の実際を条文の中に書き表そうとすると,法律行為の内容とまで書くのは重すぎるということで,表示プラス意思表示の内容というところは,有望な選択肢になるであろうと考えられたわけです。   問題はその次でして,法律行為の内容というか,あるいは意思表示の内容というかはともかくとして,いずれにせよ,これはブラックボックスで,中でどういう判断がなされているかがよく分からない。せっかく改正をして動機の錯誤について明文の規定を置くのであれば,どのような判断がなされているのかということがもう少し分かるように書かないと,条文にはならないであろうと考えられたわけです。   そこで,意思表示の内容になるということがどういう意味なのかということを書き下そうとすると,ある当該事項,事項というのは事実のみならず,法律についての錯誤も動機の錯誤にはありますので,事実及び法律の錯誤ということで,事項という表現を使っていますが,事項の存否,内容に法律行為の効力を係らしめる意思を表示した,これは表示のみではなくて意思を表示し,それが意思表示の内容になったということをここで表現しようとしているのだと思います。つまり,従来,判例が言っていた表示プラス意思表示の内容ということをこの表現で示した。これに相手が同意すれば契約内容になって条件になるわけですが,その同意までは認定し切れない事案で錯誤が適用されてきたのではないかという理解です。   結婚披露宴のお祝いの例を松岡委員が出され,また,中田委員も言及されたわけですけれども,私はその事例は中田委員が正におっしゃったように,ブライダルの商品を売っているお店か,デパートかによって違うのではないかということを言われたわけで,私も正にそうだと思いますが,これは意思表示の内容になったかどうかだけの話ではなくて,むしろ,柱書きの方の重要性,通常の人であれば,その事実の有無によって法律行為をするかどうかの判断に影響が生ずるかどうかという,客観的重要性の方の評価で判断されるのではないか。その際に通常の人というのはどういうお店で買うかが重要ですので,店の状況がどういう店であるか,専門店であるか否かといったことの要素も考慮しながら,重要性の判断がされるということなのではないかと思います。   ということで,現在の案の内容について私が理解しているのは以上ですけれども,これは現在の判例が行っている判断をできるだけ分かるように表現しようとしたものであり,ここから法律行為の内容とか,意思表示の内容という言葉に戻るということは,条文化作業の上ではかなり困難ではないかと思います。 ○岡委員 三つ申し上げたいと思います。   一つ目は松岡先生がおっしゃった結婚祝いの話なんですが,贈り物を決めた時点で結婚の話がもし虚偽だったとすれば,それは重過失でやっただけに過ぎないのではないかと思います。そのときには結婚するというのは事実だったけれども,その後,破談になったというのであれば,それは錯誤の問題ではないと思います。なお実務では,そんな富士山が見える,見えないとか,結婚式の話がどうだ,などの事例はありません。財産分与の譲渡所得税の話が実務での典型例だと思います。教室事例で条文化の議論をするのは相当でないと私は思います。   二番目の論点としまして,法律行為の内容という判例が確かにありますけれども,実務家としては,法律行為の内容というところでは,重要性と主観的因果性があることを前提にした上で,不意打ちにならないだろうなということを考えていると思います。錯誤に陥った人が何らかのサインは当然出していなければいけない,サインを出していないのに錯誤無効を認めることはあり得ない。サインを出している事実を踏まえた上で相手方の事情を見て,これは錯誤無効にしても大丈夫だろうと,公平であると,そういう判断をしているのだろうと思います。その判断を判例に基づいて法律行為の内容になったという言葉で表現しているだけと思います。したがって,条文にするときに法律行為の内容という言葉を使われると,一問一答でしっかり書き込んだとしても,私ども第一東京弁護士会としては不安であると,心配であるということを言い続けております。   三番目の話としまして条文の表現の仕方で,先ほど敬三先生は今よりも広くなるのではないか,表示さえすれば認められるのではないかとおっしゃいましたけれども,全く違う感想を持っております。表示だけさえすれば錯誤無効に直結するという感覚は持っておりませんで,それは通常影響を及ぼすべきというところでチェックしていると思います。その上で,アで言いたいことは最低限のサインを錯誤に陥った人が出しているか,出していないか,そういう観点で見るべきだろうと思います。第一東京弁護士会で議論してきたところでは係らしめるという表現はは狭すぎると。当該事項の存否又はその内容を法律行為の効力の前提とする意思が表示されていたこと,表示していたことではなく表示されていたことという受け身の表現にすれば,大分,しっくりくるなという議論をしてきました。   係らしめるではなく,前提とする意思,それから,表示していたことではなく表示されていたこと,この二つの要件にすればかなり実務家的にはしっくりくると思います。自分が錯誤に陥ったことを最低限,相手に分からせるようなことをしていた,錯誤無効を相手方に押し付けても,リスクを転嫁してもいいような最低限のことはしていた,それを表現することがよいのではないか,そういう観点での表現を考えてまいりました。 ○永野委員 この問題についても何回か発言させていただいていますので,感想を述べさせていただきたいと思います。今回,法文化をするというのに当たっては,判例法の下で実際に通用しているルールをできるだけ分かりやすく記載するということが必要なのではないかと思います。そういう趣旨で,前回,発言をさせていただいたんですが,法律行為の内容というのが非常に狭く解釈されるおそれがあることが懸念されます。私どもが現場で裁判している感覚からすると,古い判例の中に出ているような,表示されて意思表示の内容になったといったような下で裁判実務が動いているのではないか,代理人の方々の主張・立証も行われているのではないかとの感想を持っています。   今回,事務当局の方で法制面での問題なども大変考慮された上で,苦心されて今回の御提案を頂いたのだろうと思います。ただいまの内田先生の御発言の内容は,私どもとしても大いに首肯し得るところでありまして,今回の事務局の方で御提案いただいた案につきまして,部内で意見交換をしたときも,これで今の実務で運用しているところをカバーできているのではないかと,違和感はそれほどないのではないかというふうな意見でありました。そういうことで基本的には今回の御提案は,我々からすると違和感のない御提案を頂いたのではないかと思っています。   それから,表示の問題について実際には黙示の表示などもあって,錯誤による救済の有無を決める際に,表示というものはそれほど機能していないのではないかと,後付けの理由になっているのではないかという御指摘もありますが,私はちょっと違う見方をしています。実務で表示の有無を認定するという場合に,黙示の表示は直接証拠がありませんので,取引が行われた際の客観的な事実を積み上げていって,表示の有無を認定しているのだと思っています。そういう意味では,黙示であっても錯誤による救済をするかどうかという,当事者の利益状況を判断するに当たっての一つの客観的な状況の担保というような形で,実際の訴訟において表示は機能しているのではないかという感想を持っておりますので,付け加えさせていただきたいと思います。 ○大村幹事 岡委員は,幾つかのことをおっしゃいましたが,いずれもその内容には共感できるところがございます。全体を通じて私が感じたのは,例えば言葉で表示されていたこと,していたことではなくてされていたこととした方がよいというようなお話がありましたけれども,それは相手方から見てどう見えるかということを重視されているということだと受け止めました。法律行為の内容となっているかどうかというのは,相手方から見てもそれが当該法律行為の内容にふさわしいものとなっているかどうか,そういうことなのだろうと思います。現在,書かれている2のアは最初から山本さんがおっしゃっているところでもありますけれども,一方的な意思表示に係っているような印象がどうしても否めないところがあるので,少なくともそこを何とか改善していただきたいと思います。 ○潮見幹事 もうほとんどの方がおっしゃられていることと同じことを繰り返すことになりますけれども,私は山本敬三幹事,鹿野幹事,松岡委員がおっしゃられたことに賛成です。というか,むしろ,今回の提案の2のアのような形で規定を設けるぐらいであれば,規定を設けない方がいいのではないか,書くのであれば,端的に,法律行為の内容に錯誤があった場合には取り消すことができるというルールだけを書けばよいのではないかと思います。   先ほど大村幹事がおっしゃったように,一方的な表示で前提事実についてのリスク転嫁ができるというのをどう正当化することができるのか。それを形式的に文言表現することによって,判例法理が的確に表現されたことになるのか。提案されたものでは,一方的な意思を表示したことによって取り消すことができますということを明文に書き込もうとしているというようにも受け取られかねません。果たしてそのような解釈がまかり通ってよいのかというところについて,議論を感じます。そうであればない方がいいし,書くのであれば今の判例法理として判決が使っている言葉をそのままの形で文章に書いた方が,ましではなかろうかと思います。 ○山本(敬)幹事 先ほどの岡委員,そして永野委員からの御発言に対してです。実務の感覚ということをおっしゃるわけですが,判例を実際に調べてみて,今回,参考資料としてもお出ししたのですけれども,余りたくさん調べすぎると,皆さんに御覧いただきにくいのかもしれません。  といういわけで,少しかいつまんで申し上げますと,まず,岡委員がおっしゃった点,つまり法律行為の内容と言っているのは,相手方にとって不意打ちにならないようにという意味合いに過ぎないのではないかという点に対しては,それは明白に違うと思います。どのような動機で,どのような錯誤をしているかということが,取り分けどのような動機を抱いているかということが相手方にとってよく分かるというだけで,錯誤無効を従来認めているわけではないと思います。表現はともかくとして,その認識が誤っていたわけですので,そのときのリスクを相手方も引き受けるというところまでいっていないと,錯誤無効を認めていないのが現在の判例だと思います。その意味では,永野委員が2のアで実務感覚を表しているように見えるとおっしゃっているのは,判例の理解とは違うと思います。   従来の判例を見ていますと,鹿野委員もおっしゃっていましたけれども,ある行為をするときには当然の前提になっているというような事柄,つまり類型的に前提とされている事柄については,当事者が何も言っていなくても,法律行為の内容になるという判断をしているものがよく見られます。また,そうでないような場合については,対価がどうなっているか,あるいは目的が契約内容の中に書かれているか,ある前提の下でどうするかというような事柄が契約の中で合意されている,あるいは約定されているというようなことを手掛かりとして,法律行為の内容となったと判断しているものが非常に多く見られます。そういったものを見ますと,表意者が意思を表示したということだけで,それを捉えられるかというと,私は捉えられないと思います。そして,仮に2のアのようなものがそのまま書かれるとするならば,独り歩きするおそれがあると思います。   その上で,これも最初に申し上げたことで特段の反応がないのですが,改めて言いますと,2のアのような意思表示が行われて,相手方がこの意思表示に同意しない場合は,それは勝手に言っているだけだと無視する場合も含めて,法律行為が不成立になるのではないかと思います。意思表示があったのにそれが合致していないわけですから,不成立になるのではないか。この点については,岡委員は,どうお考えでしょうか。   要するに,これは,そこまで強い意思表示なのです。意思表示の効力を係らしめるというような意味での強い意思表示がされていて,それに相手方が同意しなければ,法律行為が成立しないのではないかと思います。しかし,現在の素案は,成立し,効力を有し,しかし,取消し可能だという前提を採っているということは,相手方が同意している場合が予定されているはずであって,そうでないと,取消し可能性が出てこないと思います。それならば,なぜ意思の表示だけを書くのか。それでは,少なくとも読み手にとって不親切ですし,誤解のおそれが高まるので,そのような立法をわざわざすべきではないと思うわけですが,いかがでしょうか。 ○岡委員 総合的な判断をしているのは全くそのとおりだと思います。財産分与の譲渡所得税の錯誤のときは,それが無効になればもう一回,やり直せばいいだけですから,かなり緩く錯誤無効を認めるのだろうと思います。そのときに譲渡所得税が自分に掛からないということについての表示というのは意思表示とか,それとは違って,税金が掛からないことを前提に私はやっていますと,そういうことが相手に伝わるような行為が最低限ないと錯誤無効にはならないと思います。それで多分,黙示の表示という言葉を使って,錯誤無効を認めたのだろうと思います。   片や,保証行為のときに主債務者が反社勢力ではないと誤信したことが錯誤無効につながるかどうかが議論されておりますが,これは錯誤無効にすると保証が無効になって裸の貸付債権になり,極めて重大な結果をもたらしますので,かなりきつく判断しているだろうと思います。だから,そういう意味で私も表示さえあれば,直ちに無効になると言っているつもりは全くなく,総合判断が真ん中にあるのは承知しています。それを法律行為の内容という言葉で判例は表現しているのだと思います。しかし条文に法律行為の内容というのを持ってきたのでは,今,やっている判断作業が実務につながらないのではないかという心配でございます。そうこう考えると,また,元に戻って,先ほど潮見先生がおっしゃったような判例法どおりの文言ならば,何となるのかなということを考えておりました。 ○鹿野幹事 繰り返しになってしまうのですが,私も,判例等を読む限りにおいては,先ほど実務家の先生方がおっしゃったとおり,一方当事者が自分の動機となっている何らかのことを相手方に示したというような一方当事者の行為だけで,錯誤の前提要件が満たされると解されてきたのではないと思います。一方当事者の行為だけを見て,それが表示されて意思表示の内容あるいは法律行為の内容になったという表現がされてきたとは,到底見えないのでございます。法律行為の種類にもよりますけれども,少なくとも契約の場合には,契約の相手方との関係において,契約に取り込まれたと認められることが重要なのではないか。   先ほど岡委員が前提とする意思が表示されたと言われたのですが,これも表意者が前提とするということを相手に示したということだけでは,そのリスクを相手方に転嫁するには不十分であると思いますし,それは判例を見ても明らかだと思うのです。仮に前提という言い方を採るならば,両当事者において法律行為の前提とされたということであって初めて,法的に顧慮される錯誤になるのだと思います。 ○中井委員 弁護士会として岡委員から発言がありましたけれども,必ずしも弁護士会は一致しているわけではありません。特に大阪を始めとしては,これまでの議論の中では山本敬三先生,潮見先生,鹿野先生の考え方に賛成をしております。ただ,岡さんのバックにいらっしゃる第一東京弁護士会の皆さんの御懸念もそうですし,大阪は法律行為の内容とする考え方に賛成しておりますけれども,なお,不安に思うのは法律行為の内容という言葉の概念の中身について,あたかもそれが契約の内容と同じような響きを持って条文化することに対する危惧でございます。   表意者の方が誤解していることを表示する,しかし表示するだけでは足りない,相手方はその表示を認識し,場合によってはそれで合意のサインを送るのかもしれませんけれども,相手方がそのリスクを取るに足りるだけの当事者間で何らかの前提となるような状態にならなければいけない。ここまでの認識は当然ある。大阪はその表現として,従来,裁判所が使っている法律行為の内容となるという言葉があるものですから,それを明文化することに賛成をしていますが,なお,法律行為の内容という表現があたかも契約の内容,条件とも読めるような定義をすることについては,ややちゅうちょしております。   前回も申し上げたかもしれませんけれども,それなら最高裁が何回か使っている,表示して法律行為の内容になるという表現であれば,これは少なくとも現在の判例の考え方を変えないで,それを明文化したという,これこそ一つの妥協かもしれませんけれども,それで理解が得られないかと考えている次第です。 ○中田委員 どこが意見の対立点か,よく分からなかったんですが,表示だけで一方的に錯誤のリスクが相手方に移転するというのはおかしいというのは,多分,共通していて,その上で今回の事務局案は通常影響を及ぼすべきものであるという,そこにリスクの移転を正当化する事情を含めているのかなと理解いたしました。つまり,通常影響を及ぼすようなものであれば,客観的に認識可能であって相手方も認識可能なのだから,したがって,それを相手方が特に異論を述べないで引き受けた以上は,移転していいのではないかという考えが入っているのではないかと思います。ただ,通常影響を及ぼすべきものという表現で,そこまで一見して理解できるかどうかということに疑義があって,どうしてもアの表現自体に関心が向かうものですから,表示だけで移転するのはおかしいではないかという議論になるのだろうと思います。   他方で,通常影響を及ぼすべきものという表現が消費者契約法4条4項の表現を参考にされたということなんですが,実は消費者契約法4条4項における通常影響を及ぼすべきというものと,ここでのものとはレベルが違っているのだろうと思います。それを平行移動してくると,やや議論が複雑になってしまうと思います。ですので,2項柱書きの通常影響を及ぼすべきものというのを,もう少し錯誤のリスク移転の正当化根拠となし得るようなものとする方向で検討するのがいいのではないかと思います。 ○内田委員 中田委員が言われた通常影響を及ぼすというのは,従来,要素の錯誤の要素と言われていて,という概念を通常人ならば意思表示をしなかった場合と表現していた,その表現をほかの法令の用例を参考にしながら書いたというもので,従来の案と全く変わっていないと思います。その役割についても従来どおりではないかと思います。   もう一つ申し上げたかったのは,先ほど来,一方的な意思表示で相手方にリスクを転嫁するというのはおかしいという御議論があり,それは全くそのとおりだと思うんですが,現在の案はそういう案には別になっていないと思います。意思表示というのは相手方のある意思表示の場合には相手に対してなされるわけで,表示されて意思表示の内容になるということは,相手に対して表示され,相手に対する意思表示の内容になるということですから,当然,相手方からは認識可能になるわけです。   そこで,認識可能性というのを要件に加えれば明確になりますけれども,従来,日本の解釈論はそういう形では,一時期,それが有力になった時期はありますけれども,通説的にはそういう考え方には立たなかった。そこで,そこは明示はしないけれども,しかし,相手に認識可能なように表示され,意思表示の内容になったということを要件とするという表現になっていて,それを意思表示の内容という言葉自体は分かりにくいので,こう書き下したということだと思います。ですから,これは判例の判断基準をそのまま加工としたものであって,それ以上でも以下でもないと思います。法律行為の内容と書くのが判例だと何人かがおっしゃいましたけれども,最高裁判例が二つありますけれども,圧倒的多数は意思表示の内容ですので,判例の内容を書くのであれば,そうなるのではないかと思います。   それからあと,岡委員の方から前提とするという表現の御提案がありまして,あるいは条件という言葉も議論の中に出てきましたけれども,前提というのは有名な概念で,ドイツ民法ができる前にビントシャイトが提起した理論だと思いますけれども,この前提という言葉を使って書こうとすると,その前提概念にまつわるいろいろな理論的な付着物がありますので,ややミスリーディングになりかねないということで,別の表現で係らしめるという表現,これは別に厳しく限定する趣旨ではなくて,その錯誤がなければ,そんな意思表示はしなかった,その錯誤,事実についての誤認が当該意思表示の正に前提であるということを別の表現で書いたということですので,内容的には違ったことを書いているのではないのではないかと思います。 ○山野目幹事 どのような内容でいわゆる動機の錯誤に関する規範の内容を考えるかということについては,恐らくそれほどここにおられる皆さんの間で意見の齟齬があるものでもないのではないかと感じますし,その目指すべき規範の内容の思想の骨格を一言で言えば,山本幹事が繰り返し意見書や意見表明でおっしゃってきたように,法律行為の内容になるというときに,動機の錯誤による取消し可能を考えるということが,比較的広く強い支持を実質的には得ているのではないかと私には見えます。   それと同時に,法文などにおいて表現するときに一方当事者,すなわち,表意者の片面的な表明だけで錯誤取消しができるようなことについて,内田委員のお話のように,今,部会資料で出ている表現がそのようなものでないということは慎重に丁寧に読めば,そうでありますけれども,よくよく注意をしていただきたいという大村幹事をはじめ何人かの方がおっしゃったことも,もっともではないかと感じます。そのような内容理解を踏まえて,どのような規範の法文上の表現をしていくかということに関して悩むときに,一言で申し上げますと,表示という契機を重視して規範の運用に当たってこられた実務,判例というよりも実務ないしその背景にある意識とでもいうべきなのかもしれませんけれども,それに関連して岡委員や永野委員が御注意いただいたことということも,顧みなければならないのではないかと感じます。   これらのことをにらみながら,残されている時間は大変少ないですし,事務当局におかれましては法文の起草に責任を持つ立場におありですから,できることはかなり狭いのではないかと感じますけれども,本日の御議論でこのように出された諸観点をまた引き続き踏まえて,作業していただければ大変有り難いと感じます。 ○松本委員 本日の2のアの案が前回の案に比べて,限定しすぎだから反対だという意見が多いのかと私は思っていたんですが,そうでない意見もあるようなので,つまり,アをどう読むかというところで違いがあるのかなという気がします。すなわち,当該事項の存否又はその内容に係らしめる意思を表示していたという,一方的な表意者の条件設定だけで,それでもう無効にできるとすれば,それは従来の理論の拡張だと。しかし,そういう条件設定に対して相手方が同意をして,すなわち,契約の条件としてきちんと合意された場合にのみ,無効になるんだということであれば,それは逆に限定しすぎじゃないかというところ辺りで,このアの表現をどこまでで読むかによって,右からの批判と左からの批判と両方あり得るのかなという印象を受けております。   例えば法律行為の内容になる,あるいは契約の内容になるという言葉がその辺りを何かほわっと包んでいるので,皆さん,それぞれの評価をして落ち着いているというところかなと思いますが,先ほどの私の1回目の発言で繰り返しましたように,イのタイプの相手方からの行為によって動機レベルの錯誤に陥る場合を救済する必要が私は大変高いと思っています。   したがって,イがきちんと立法化されるのであれば,それ以外のタイプの一方的な表意者の誤解に基づく動機レベルの場合を保護するとすれば,かなりハードルが高くなってもおかしくないのだろうという意味で,アの表現を一方的に自分が条件設定して,相手がうんと言わなくても,それが契約条件になるというようなことは,駄目なのではないかと思います。そこで,相手方が反応を示さない場合に契約が不成立になるというシチュエーションもあるでしょうし,それを暗黙に同意したんだと考えられるシチュエーションもあるでしょう。そこは当事者間の状況がどうかというところに依拠するんでしょうけれども,私はアのタイプはこれを一種の条件とする,あるいは前提とするというような,そういうもう少しかちっとした感じの意思の一致というんでしょうか,契約内容への取込みがある場合を前提にすべきであると思いますが,ただし,イが入らないのであれば,アは曖昧な状況に残しておく必要が高いと思います。 ○山本(敬)幹事 今,最後の方で松本委員が言われた点と関わるのですけれども,先ほどの内田委員の御発言でも,このような意思表示が行われれば,相手方にとっても認識可能な状態になるということですが,それは全くそのとおりなのですけれども,では,その場合に,相手方はその意思表示に同意したとみなされるのでしょうか。何か,それを前提にしておられるかのようにも聞こえました。   これは先ほどの岡委員に対する質問でもあったのですけれども,意思表示が行われたとなると,その意思表示が法律行為との関係でどうなるのかということを考えざるを得ないと思うのですが,そこを曖昧にしままで進むのは,混乱をもたらす可能性があるだろうと思います。今,松本委員が二つの可能性があるとおっしゃいましたけれども,それは全くそのとおりだと思いますが,取消しが問題になるのは相手方が同意した場合だけであるというのが私の理解です。その理解に誤りがあるのかということです。   それから,先ほど,内田委員が,最高裁判例では法律行為の内容というのが2件で,それ以外の圧倒的多数は意思表示という言い方をされているということですけれども,私自身,最高裁判例と下級審判例を見たときに,率直に感じる印象は,理由付けにばらつきがありすぎるということです。法律行為の内容と言ったり,意思表示の内容と言ったりというのはそのとおりですし,表示も何もないところで何とかして錯誤無効を認めようとして,黙示の表示があるとかなり苦しく言っているものも,むしろ非常に多いと思います。   そのような状況がなぜ生まれているかというと,ルールが明確でないからなのだろうと思います。大審院時代からの判例があり,それが何となくぼんやりと理解されてきて,そして,各人の理解に従って使われている状況がある。これは裁判官もそうでしょうし,弁護士もそうなのだろうと思います。その際には,例えば我妻先生の本を始めとして,そこに書かれていることにも影響を受けて,それが実際に使われている状況ではないかと思います。それが多様すぎるばらつきを生んでいるのであって,それを正当な理由に基づいて正確に使われるものへと定式化し直す必要がある。そのときに,この2のアの書き方は,私はまずいと思います。その問題点は,既に何度も指摘されているとおりだと思います。   そして,弁護士会の方々が懸念されていることは,松本委員が先ほどからおっしゃっているとおりでして,本当に心配しないといけない場合は,2のイでカバーされているのだろうと思います。2のイが規定されるのであれば,2のアはこうでないとむしろ平仄が合わないと思います。2のイを定めておきながら,2のアをこのような形で定めるとしますと,現在の判例法よりも広がってしまう危険性が高いと思います。それは正当化できないと思います。 ○大村幹事 松本委員の整理はたいへんよく分かりました。私も狭いか,広いかということで考えると,アはかなり広く読まれてしまうのではないかと感じます。内田委員から,これは相手方のことを考えていない規定ではない,表示されていれば認識可能だということになるではないかという御議論があったかと思います。確かに,その限度では確かに相手方は認識可能ですけれども,学説上,ある時期には有力であった相手方の認識可能性を要件とするという考え方は,今では必ずしも支持されていないのではないかと私は感じます。ほかの方々は違う印象をお持ちかもしれませんけれども,認識可能性が確保されているからいいのだと言われたときに,いやそれでは駄目なのではないか,それとは違う基準が法律行為の内容という表現に託されているのではないかと理解しております。 ○村上委員 法律行為の内容になっているという文言で立法したときに,その言葉が何を意味するのかを,特に一般の方が読み取れるのかどうか,心配があります。どういう事情があれば法律行為の内容になったと言えるのか,どういう事情の下では言えないのか,普通は全然分からないのではないでしょうか。極端なことを言えば,どういう場合に錯誤が認められるのかは,よく分からないけれども,とにかく錯誤を認めるべきときは錯誤を認めますとだけ書かれているというのと同じになりはしないだろうかと懸念しております。 ○能見委員 私は山本幹事ほどきちんと判例を整理・調査したわけではありませんので,ある意味で感想レベルの話なんですが,法律行為の内容という言葉を裁判所が何回か使ったというのは,一つは,動機の錯誤の関しても本来は要素性の問題が当然あるのですが,往々にしてその部分をきちんと分けて判断をしないで,動機の部分の錯誤であるけれどもそれも95条の錯誤として認めるか,認めないかのその1点で争われることが多いので,その要素性ないし重要性を法律行為の内容という言葉に託して判断しているという判例が多いのではないかと思うのです。動機だから本来,意思表示の中核的な部分と比較すると,前提的な部分であったり,周辺的な部分であることが多いわけですが,表意者としては重要視していたものであり,相手方もそれを認識可能であるし,そこで錯誤として取り上げるにあたっては,要素性の判断の点でも基準をクリアして意思表示を無効にしてよいということを一言で表そうというときに,法律行為の内容になるという言い方をしているのではないかという感想を持っております。   ですから,法律行為の内容という先ほどからの議論の繰り返しになりますけれども,その言葉が持っている意味は,契約内容になるという意味でのテクニカルな意味での法律行為の内容とはちょっと違うので,そうだとすると,それをそのまま条文にするというのは適当でない。リスク配分という観点から山本幹事が言われているようなことが別の形でうまく取り込めるようにすればいいのではないかと思いますが,ただ,山本幹事はそれでむしろいいんだと,法律行為の内容になるものだけを,契約の内容になるものだけを動機の錯誤の対象にすべきだという御意見かもしれませんので,そうすると対立点はなかなか解消しないのかなという感じを持ちました。 ○山本(敬)幹事 先ほど申し上げたことの繰り返しになるのですけれども,実際の裁判例を見ていますと,法律行為の内容になったかどうかを判断する際には,もちろん,それがどのような事情なのかということによって,多少,違うところがあります。先ほども申し上げましたように,ある契約をする際には,あるいはある事項について契約する際には,何も言わなくても当然の前提になっていると皆が考えるもの,昨今のマンションの売買ですと,耐震構造を備えているかどうかというのは,そのレベルに達しているのかもしれませんけれども,何も述べなくても,それは当然の契約の前提になっていると評価できるものもあれば,必ずしもそうではないものもあります。   必ずしもそうでないものについては,先ほど申し上げましたように,代金の額がそのような性質を備えたものを前提とした額として設定されているかどうか,あるいは何らかのことを行うことが前提になっているとすると,その場合について当事者がどうするかというようなことが契約内容に書かれていれば,それは契約内容に前提として取り込まれていると解釈ができる。そういったことを実際に個別の事情から拾いながら,当該事項は法律行為の内容になっているという判断をしていると思います。   それが能見委員のおっしゃる意味での契約内容と同じかどうかは,もちろん,次の問題なのかもしれませんけれども,村上委員がおっしゃるように,どう判断するか分からないというのではなく,そのような個別の作業を通じて法律行為の内容を確定していくという,どのような場合であれ,必ずしないといけないことをしているだけではないかと思います。それが曖昧だということになりますと,裁判実務が成り立たなくなるおそれすらあるのではないでしょうか。 ○永野委員 法律行為の内容になったという定式化が,必ずしも最高裁の判例の理解として一般的に通用しているのかという辺りは,先ほど内田委員からも最高裁の判例の中には意思表示の内容をなしているというものが圧倒的に多いのではないかと,私もそういう感じがしております。昭和29年と昭和45年は,いずれも第二小法廷の最判でありますけれども,ここでは意思表示の内容として表示されるという文言を使っておりまして,更に平成元年9月14日の最判,これは確かに法律行為の内容となるといったような一般的な説示を冒頭に設けてはいるんですけれども,この判決も昭和29年と昭和45年の判決を援用しています。更にこの裁判例の判決要旨の中では,法律行為の内容となるという表現を用いておらずに,黙示的に表示されて意思表示の内容をなしたという表現でまとめられていることからすると,法律行為の内容という定式化があるいはその文言自体が,果たして実務家の間で広く,通用しているのかについては,疑問があるのではないかなと思っております。 ○道垣内幹事 私は「法律行為の内容」という言葉に固執するものではございません。そのことを前提にしてなのですが,山本幹事がおっしゃった問題につき,内田委員が御説明になられたときに,どの部分でそれを判断されているのかがよく分からなかったのです。つまり,最初からブライダルの贈り物を贈るという話がございましたけれども,ブライダルの贈り物ですといってデパートで何かを購入するという話と,ブライダル業者で買うという場合もあるという話もありましたし,更にもっと言えば,その人が結婚式場として予約している会館みたいなところで,新郎新婦の新居にお届けしますといったサービスがあり,それによる場合もあるかもしれない。   この三つ目ぐらいになりますと,何とかさんと何とかさんの結婚式のお祝いなのですよといった時点で,すでに破談していた」ということになりますと,それは錯誤になるのだろうと思います。これに対して,私は二番目に出しましたブライダル業者の例においては,錯誤になるとはとても思えないのですが,いずれにせよ,ある意思の表示をしたと,そして,相手方の認識はあるというときに,内田委員は,第1の2におけるどの文言を使って一部は排除できるとお考えになったのかということを是非,お聞かせいただければと思います。ブライダルの贈り物なのだと相手方が表示をすると,何かを売る業者は,既に破談になっていても私は知りませんからねと,破談のリスクを引き受けないと表示をいちいちしなければならないというふうな誠におめでたくない状況を引き起こす感じがします。どこで処理をするというふうにこれはできているのかということについて,お教えいただければと思います。 ○内田委員 個人の意見を言うべきなのか,それとも,事務当局担当者の説明をした方がよいのか,個人の意見としては,元々,御存じの方も多いかと思いますが,この辺の錯誤理論は全く私の理論とは異なりますので,自分の理論とは全然関係のないものをディフェンドしているというのが前提ですけれども,現在の錯誤法では表示の錯誤については一方的に勝手に表示と異なる意思を持っている,ですから,表示と意思が異なっている,意思が欠缺しているというような場面について,要素性でもって絞りをかけているわけです。動機の錯誤も契約のあえて言いますと,前提となっている事項について勝手に誤認をしているという場合について,法律行為の効力に影響を及ぼすかどうかを要素性で絞るということなんだと思います。   ただ,要素性で絞る前に勝手に前提となる事情について誤解をしているというのだけでは,要素の判断のところに上がってこないのであって,飽くまで表示され,意思表示の内容になって相手に完全に認識可能であると,その上で契約が結ばれているという状況があって,初めて要素性の判断にくるんだろうと思います。ブライダルの事例はもしこの条文を前提に解釈論をしろと言われれば,私は要素性のところで絞ると思います。 ○道垣内幹事 要素性のところで絞るというのはよく分かるのですが,現在の95条というのは要素という言葉を使っていますので,いろいろなファクターを入れて話ができて,動機の錯誤の場合には要素というのはこう判断するのですよということは,十分にあり得るのだろうと思います。しかし,要素という言葉も分かりにくいので,錯誤がなければ,その錯誤が意思表示をするか否かの判断に通常影響を及ぼすものであると書き換えてしまったときに,内田委員がおっしゃるような要素のところで処理をすれば,分別が可能であるということになるのかというのが若干気になるのですが。 ○鎌田部会長 それはおっしゃるとおりだと思います。要素性の方にも問題があるし,そこは考慮させてもらうということで,ほかの方の御意見も伺って参ります。 ○潮見幹事 意見というか,むしろ,永野委員の先ほどの御発言の趣旨ですけれども,動機が表示されて意思表示の内容になっているという表現ですが,その中に表意者が動機を表示して意思表示の内容にしたときに,それを相手方がそういうものとして了解しているという評価が読み込まれて,そのような動機が表示されて意思表示の内容になっているということを込めて使っているのか,それとも,相手方の了解をおよそ考慮せず,一方的に,表意者が動機を表示して意思表示の内容にしたということだけを確認できれば,それで足りると考えておられるのでしょうか。   もし,仮に前者のようなことであるのならば,実は動機が表示されて意思表示の内容になっているという表現で,その内容について相手方も了解している,合致しているということが述べられているのではないかという感じもしたものですから,質問をした次第です。 ○永野委員 裁判実務でやるときには,具体的な事案を前提にした解決になっていきますから,ここで一般的にどうかというのはなかなか難しいですけれども,合意まではいかないにしても,基本的には相手方が認識をし,あるいは,認識し得るというような状況でなければ,錯誤を認めるというのは難しいのではないかと思います。一方的に言いっ放しで,それは相手方に到達もしていないと,契約のときにひとり言のようにぶつぶつ下を向いて言っているというのだってありますから,そういった状況を想定しているわけではもちろんありません。そういうお答えですけれども。 ○潮見幹事 認識可能性で足りるという理解ですか。 ○永野委員 契約の成立要件としての合意というレベルまでは要らないのではないか。認識可能性のレベルで常に足りるという訳ではなく,そこを最低ラインとして,契約の中身として取り込むまでのグラデーションの中で事案ごとに判断するということではないか。法律行為の内容となるところを分水嶺とすると,やや窮屈だと思います。 ○山本(敬)幹事 永野委員の先ほどの御発言に関わることなのですけれども,最高裁判例を幾つか挙げられて,法律行為の内容では少し違和感があるということをおっしゃいましたが,昭和29年判決は,建物の売買の例で,同居人の承諾が得られると思っていたけれども,得られなかったというケースで,これは錯誤の否定例です。否定例ですから,何かを否定すれば,それで錯誤無効の主張は否定できるわけで,表示がないといえば,それで終わってしまうわけなのですけれども,同居人の同意を得られるかどうかは,本来は買主の側が負うべきリスクであって,それで契約の効力を左右したいのであれば,相手方の同意を得ないことには,本来,そのリスクを相手方に転嫁できないと説明することができます。しかし,何かを否定すれば,同じ結論を導くことができますので,そう述べただけだとも言えます。   45年判決に関しては,これはむしろおっしゃっているのとは少し違うと思います。決済目的で定期預金を解約したというケースでして,最高裁がどう言っているかといいますと,表示したかどうかに関わりなく,法律行為の要素ではないとして否定したわけです,これは。むしろ法律行為の内容になっていない,つまりリスクを相手方に転嫁できないという理由になっているように思います。表示したかどうかに関わりなくというのは,表示の問題ではないと認識していたのだろうと思います。   そして,平成元年判決では,離婚に伴う財産分与として不動産を譲渡した場合の税金の負担について,表意者の側が相手方に課税されることを気遣う発言をしていたほか,相手方も自分に課税されるものと理解していたことうかがわれることから,自分に課税されないことを当然の前提として,その旨を黙示的には表示していたと判示しています。これは,締結の経緯等からみて,誰が税負担をするかということについて当事者間で共通の了解があったケースではないかと思います。とするならば,正に法律行為の内容になっているとして無効を認めてよいケースに当たるということができます。   その意味では,挙げられている裁判例は,いずれもむしろ法律行為の内容になったときという基準によって適切に理由付けることができるものとして分類することが可能ではないかと思います。表示を要件にしますと,取り分け45年判決は説明がつかなくなってしまうと思います。 ○永野委員 私どもが申し上げたのは,できるだけ今の裁判の実務でやっているものを,概念を変えない形で定式化してはどうかということを申し上げたわけです。そういう意味では,最上級審の裁判例の中で,判決要旨の中で用いられている形式は,むしろ,表示されて意思表示の内容となしているというものの方が多いのではないかという趣旨で申し上げました。   ですから,それを先ほど岡委員,あるいは中井委員の方からの御意見でもありましたけれども,もし,ここで要件の内容についてなかなか合意が難しいのであれば,今の実務運用をそっくりそのまま判例を明文化するということであるならば,表示されて法律行為の内容になったという定式化よりは,むしろ,最上級審で多いのは意思を表示されて意思表示の内容になったということなので,それをそのまま記載するというのも一つの考え方ではないかと,それは前回,私が申し上げたところであります。 ○松本委員 数人分戻りますが,道垣内幹事の御設例,ブライダルのお祝いのケースですけれども,送り先もきちんと指定をして,結婚式が何月何日だから新婚旅行から帰ってきた10日後ぐらいに品物が届くようにということで住所も指定して,売買契約を結んだという場合に,契約締結時点において既に破談になっていたら,いかにも錯誤無効かのようなおっしゃり方だったけれども,私はそんなので錯誤無効を認めるのはおかしいと思うんです。 ○道垣内幹事 そうは言っていません。 ○松本委員 そうですか。それなら私の誤解ですけれども,そういうのはおかしいから,アの表現が不十分だと思うんです。一方の意思表示の内容になっており,相手方がそれを了解したことという点がないと駄目なわけで,今のブライダルのケースであれば,そういう場合はキャンセル可能ですねということを確認して,そうですという特約で処理をすべきものであって……。 ○鎌田部会長 今のブライダルのケースで,それは結構ですね,おめでとうございますと言ったら錯誤無効を主張されてしまうんですか。 ○松本委員 されません。もしも破談になっていれば,この契約は無効ですね,キャンセルできますねということを確認する。あるいは今後,破談になればという場合は,これはまた別の話ですけれども,やはり特約をしない限りは無効になりっこないと思うんです。 ○鎌田部会長 特約の効力で対応可能で,錯誤は問題にならないということですね。 ○松本委員 そうです。そんなことを動機の錯誤でカバーするのはやりすぎであって,相手方に対してリスクを不当に転嫁しているんだと思うんです。ただ,多くの事業者は自主的にそういうキャンセル条件を付けていると思います。それがビジネスです。したがって,アの要件の当該事項の存否又はその内容に係らしめる意思を表示していたことという,表示さえしていればいいというのは広すぎると思いますから,その意思表示を相手方が異論なく了解したこととか,それに対して異論を述べなかったこととか,すなわち,契約の内容というとまた曖昧ですけれども,契約条件としてきちんと取り込まれているということが必要だと思います。 ○山本(敬)幹事 同じようなことを繰り返し言っているだけなのかもしれませんが,先ほどの永野委員の御発言で,これまでの判例の多数の定式が,動機が表示されて意思表示の内容になったときであるならば,それを変えずに規定するのが望ましいのではないかという御意見に対しては,このような定式が好まれてきたのは,伝統的な意思表示理論の影響によるのだろうということが指摘できます。動機から効果意思が形成されて,それが表示意思ないし表示意識を媒介として表示行為に至るという理論を前提とすると,動機が表示されて意思表示の内容になるというような理解がしっくりくる。それで好まれて使われてきた定式ではないかと思います。   しかし,何度も申し上げますように,そして,今,松本委員もおっしゃいましたように,意思表示の内容になったかどうかということが錯誤無効の分水嶺ではないと思います。相手方も了解して,それが法律行為の内容になっているということがあって初めて,無効ないし取消しが認められる。これを適切に表現しないとまずいだろうと思います。   何度も申し上げて恐縮ですが,意思表示の内容になっているのであれば,相手方はそれを承諾しているのか,承諾していないのかということが問題になると思います。承諾していないのであれば不成立,承諾しているのであれば法律行為の内容になる。そのどちらかだと思います。取消しを認めるというのは成立している場合を前提にするわけですから,これは暗黙のうちに,相手方が承諾している場合を想定しているのだろうと思います。ならば,法律行為の内容になったと書かないと,分かりにくい。それを繰り返し申し上げたいと思います。 ○鎌田部会長 幾つかの論点が絡んでいますけれども,大体,意見……。 ○大島委員 2のイについてですけれども,よろしいですか。相手方の行為によって錯誤が生じた場合に,取消しを可能とする規定を置くことには反対です。中小企業の場合,取引先との関係で交渉力が劣位に立たされることが多いため,相手方の行為によって錯誤が生じた場合に,取消しを可能とする規定が置かれると,取引先から交渉過程の言動によって錯誤に陥ったと主張され,取消しを求められる場合が増加することが危惧をされます。   また,従来から申し上げてきたとおり,中小企業は取引先の大企業などから知的財産の侵害の有無や海外規格への適合性などの表明保証も求められます。表明保証を求められた場合でも,その違反について損害賠償によってのみ解決する解除はできないといったM&A取引に見られますような明確な規定を置かない場合がほとんどです。表明保証違反があった場合,過失相殺による損害賠償で柔軟な解決を図っていますが,相手方の行為による錯誤取消しが法文上認められるとなると,表明保証事項について安易に2のイに該当する旨を主張されて,錯誤を理由に取消されてしまうなど,中小企業は一方的に取消しのリスクを負わされることが想定されます。   錯誤取消しについて訴訟が提起された場合には,部会資料に記載のとおり,表意者の属性や調査義務の有無については裁判所が考慮するため,表意者の一方的な主張が認められないことは理解ができます。しかし,錯誤取消しの主張は裁判外で行われるケースの方が多いと考えますので,このような規定を設けることに対しては,中小企業に対する濫用の懸念を拭うことはできません。したがって,2のイのような規定を設けることについては反対でございます。 ○山野目幹事 ただいまの大島委員の御意見は御意見として受け止めて,引き続き議論しなければいけないと感じますとともに,本日,この素案の文章自体は,今日,議論してほしいところを簡潔に提示していただいていると理解しました。本当はアについてもイについても,表意者に重大な過失があるときには阻却されるというルールは,当然に前提にされているものであるということも御認識いただいた上で,共通の了解の上に議論を続けていただければ有り難いと感じます。イのここだけを見て,相手方が何かをやって錯誤に陥ったら取り消せるよということではありません。たしかに,卒然とそう見えなくもありませんけれども,そこのところは附随的なルールは用意されているということも申し上げておきたいと考えます。 ○鎌田部会長 錯誤に関してほかに。 ○佐成委員 アとイですが,アについては内部で議論した限りでは,それほど違和感を表明したメンバーはいなかったと認識しております。イについては,この表現ぶりについてどうかということも含めてですが,表現ぶりについてはそれほど何か抵抗があったわけではないですけれども,依然としてまだ賛成できる状態ではないということであります。これは,元々の由来が,「不当表示」,即ち,消費者契約法上の「不実告知」の一般法化というところから派生してきたこと,こうした来歴があるものですから,まだ,その辺りの違和感といいますか,反対の論調が非常に強いというのが現状でございます。それだけ報告しておきます。 ○潮見幹事 時間もあれですので簡単に申し上げます。というか,大島委員がおっしゃられた表明保証の点についてのみのコメントです。表明保証が問題になるというのは,この規定を設けるかどうかに関係なしに,今でも同じことが問題になるわけですが,現民法下ではなんら問題になっていない。こういう規定を置くことによって表明保証が何か影響を受けるのかといったら,それはないというのは私もここで発言をしておりますし,ほかにも,松岡委員,道垣内幹事は昨年の金融法学会でも結論を同じくする発言をされたと思います。個人的には表明保証したということは当該条項については当該契約の下で解決をするのであるということです。契約を有効とした上で,あとはその条項に従って判断をすると考えて,契約を結んでいるわけですから,錯誤という話が出てくるということはあり得ない。錯誤の要件のところで伝統的な概念表現でいえば,因果性の要件を満たさないから,表明保証については心配してなくよいと断言していいと思います。 ○鹿野幹事 時間的に押しているところ申し訳ありませんが,2点申し上げたいと思います。   まず,4ページのイのところですけれども,ここで,相手方が不実のことを告げた場合でも,当事者の立場によってリスク負担の在り方が違うのではないかというような問題点について触れられています。そして,部会資料では,調査を尽くすべき当事者が調査を尽くさなかったというような場合には,自らの懈怠によって錯誤が生じたのだから,相手方の行為によって錯誤が生じたとは言えないとされ,これを「よって」という因果関係の要件で読み込めば足りるというような趣旨の記載があります。これについて少し疑問を感じました。   表意者側にも調査義務があり,その懈怠があったというような場合であっても,直接的には相手方の行為によって錯誤が生じたということなのではないかと思います。この場合に,相手方の行為に「よって」という因果性に規範的な意味を込めて解釈するということだけで,そのリスク負担の適切性が確保できるのかについては,疑問を覚えます。そのような解釈には,文言的な限界があるのではないかとも感じました。   一方で,重過失要件によって問題がある程度緩和されるとされており,その点についてはそうだとは思います。もっとも,以前にも申し上げましたように,この点については,因果性などの要件で無理に読み込むより,相手方の行為を信頼したことについて,その信頼の正当性を正面から要件とした方が,明確化が図られるのではないかと感じる次第です。ただ,今の段階でこれを戻すのは難しいということでしたら,重過失という消極的な要件の解釈の中で,そのような当事者の立場による取扱いの違い,あるいは表意者が調査義務を負っており調査義務懈怠があったという事情などが読み込まれうるということを,ここで確認をしておく必要があると感じました。   それから,もう1点ですけれども,1ページの1及び2のところで,「意思表示をするか否かの判断に通常影響を及ぼすべきものであるとき」という表現が,今回,使われております。そして,これは消費者契約法の4条4項で用いられている文言をここにも使ったということのようです。しかし,中田委員が先ほど示唆された点に関わるのかもしれませんけれども,これには若干疑問を覚えます。消費者契約法4条4項は,不実告知等による取消しの前提要件として,どういう事項についての不実告知等がここで対象とされるのかということについて限定を設けている規定です。それに対して,ここで問題としているのは錯誤の重要性でして,少し違いがあるのではないかと思います,つまり,その錯誤が当該法律行為にとって重大なものと客観的にも認められるかということがここでは問題となるので,消費者契約法の表現を横滑りさせることが果たしてよいのかについて心配があります。   確かに読み方によっては,前に取り上げられていた,「通常人であっても意思表示をしなかったであろう」という一節と同じ意味だと見ることもできるのかもしれません。ただし,少なくとも私の考えるところによると,ここでは,通常といってもおよそ当該法律行為から離れて通常というわけではなく,当該契約ないし当該法律行為に照らして判断されるべきものであり,そのうえで,その表意者の立場に置かれたら通常人も,当該錯誤がなかったら意思表示をしなかったであろうと認められる,そういう判断なのではないかと思います。つまり,「通常影響を及ぼすべきもの」というこの文言において,法律行為と離れた抽象的な判断がされることになるのではないかにつき,危惧を覚えたという次第でございます ○山本(敬)幹事 2のイについて手短に意見を述べたいと思います。2のイで今回,相手方の行為によってとしていただいたわけですけれども,このような定め方をすることに賛成したいと思います。今日も参考資料で配っていただいている「NBL」の後半の方を御覧いただきますと,裁判例を子細に見れば,このように相手方によって錯誤が引き起こされたと見るべき場合に,錯誤無効を認めたと考えられる裁判例がかなりたくさん存在します。2のアに当たる要件のみでは,こういったケースを拾うことはできない。その意味では,2のイに当たるものを,しかもこのような形で定める必要性があると思います。裁判例の現状を動かさないとするのであれば,2のアのみを定め,2のイに当たるものを書かないということになりますと,判例法が動いてしまうことになると思います。その意味でも,2のイに当たるものは必ず規定する必要があるのではないかと思います。   実際,裁判例を見ますと,理由付けにばらつきがあるということを先ほど申し上げましたけれども,その中で,黙示の表示があるという理由付けが多用されるのがこの類型です。これも非常に妙でして,相手方の行為のために錯誤に陥っているのに,その相手方に対して動機を黙示に表示するというのは,極めて妙な理由付けです。しかし,これは,現在の判例法の定式化によると,そのように言う以外に方法がないために選択されている理由付けだろうと思います。それに対して,2のイのような形で定式化されれば,本来の問題をそれとして取り上げることが可能になりますので,今後の判例法の健全な展開を促すという意味でも,このような規定を置くことは不可欠だと思います。 ○中井委員 2のイについて経済界から,いまだ同意が得られないという御発言がありました。しかし,今,山本敬三幹事からお話がありましたように,多数の判例の中でこのような相手方の行為によって,若しくは相手方が惹起して,表意者が錯誤に陥った事案が現にある,それらが錯誤で救済されている,そういう事実について,詳細に山本敬三先生が分析されているわけですけれども,翻って,この最後の段階になっても,判例が認めていることを可能な限り整理して,それを民法の中に明示していこうと考えて,部会が動いている中で,その方向になかなか御理解が得られないことは,大変,残念に正直思います。   第1読会,第2読解ではそれぞれに論点を出して議論をしたわけです。それぞれがそれぞれの団体の利害についても様々な意見を聴取して,それをこの法制審議会で問題提起して議論をする,そこで論点整理をして様々な利害対立を明らかにしていく,こういう作業は必要不可欠であって,現にそれができてきたわけですけれども,第3読会になって私自身の自戒も込めてですが,弁護士会の中でも特別な利害を有する方々の意見がややもすればどうしても強く出てまいります。強く出てきたものに対して,そこからある意味で推薦を受けた委員としては,これを無視できない立場にならざるを得ない面もございます。しかし,今回,この改正のための審議に何年も費やし,論点を整理し,中間試案という形でまとめ上げ,その後,重要論点について今日も議論しているわけですけれども,なかなか,それぞれの利害から抜け出せずにいるように感じます。この後の消滅時効などの議論についても,そういう論点の一つなのかなと思っております。  何を言いたいのかですけれども,中身の話ではなくて,ここは弁護士会も含めてですが,合意形成に向けて当初の民法改正の理念をもう一度思い浮かべて,国民に分かりやすく,ある法律上の論点について形成されている判例法理などを条文化していく作業を我々は担っているということを,各委員・幹事は自覚しなければならないときではないかと思います。この規定にしても,先ほどの暴利行為についても全く同じように感想を持っていたわけですけれども,今ある判例法理をできるだけ合意ができる形でまとめられるように,努力していくべきではないかと思います。   「錯誤」の2のイの問題については,鹿野幹事から,先ほど松本委員からもその重要性についてのお話がございました,セットが大事なのだと。もちろん,山本敬三幹事も同意見だろうと思います。弁護士会もほぼ全て一致して,同じ認識でおります。これが従来と全く異なる形で,単に研究者ないし一方的な利害を代表するものの意見として,こういう取り上げ方をされているならともかく,決してそうではないと思うものですから,是非,それぞれの利害を代表して来られている委員・幹事の皆さんもそれを踏まえて,残りの2か月の審議に前向きに取り組んでいくべきではないかと思った次第です。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○佐成委員 一言だけですが,中井委員がおっしゃっている総論的な部分について全く異論はないのですけれども,先ほど申し上げたとおり,イについてはまだ現時点でにわかに賛成できないと言っているだけで,まだ,内部では議論をこれから続けていくつもりでありますので,余りそこを悲劇的な発言で言われるのも大変心外にも感じているところであります。むしろ,実務界としては機会主義的な主張がされるという懸念,その辺りがまだどうしても払拭できないということなので,今,そこら辺を議論している最中でございます。最終的にどうなるかは分かりませんけれども,少なくとも現時点では賛成できないというだけで,全く賛成できないような論点ではないと,少なくとも,そう申し上げておきたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかに錯誤関連の御意見がありましたらお出しください。   いろいろな御意見を頂戴しましたけれども,事務当局でもう一度,十分そしゃくして,残る期間は少ないですけれども,何とか落ち着きのいいところへ要綱試案を持っていけるように引き続き検討させていただきます。   それでは,ここで15分間の休憩を取らせていただきます。           (休    憩) ○鎌田部会長 では,再開させていただきます。   部会資料78Aの「第2 消滅時効」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明をしてもらいます。 ○合田関係官 部会資料78A,5ページからの「第2 消滅時効」について御説明いたします。   「1 債権の消滅時効における原則的な時効期間と起算点」では,民法166条1項の「権利を行使することができる時」という起算点と,167条1項の10年の時効期間を維持した上で,「権利を行使することができること及び債務者を知った時」という起算点から5年間の時効期間を新たに設け,いずれかの時効期間が満了したときに消滅時効が完成することとしており,第79回会議で御審議いただきました部会資料69Aでの提案から変更はありません。この考え方に対しては,第79回会議において,主観的起算点の解釈についてなお不明確な点があることなど,幾つかの問題点が指摘されました。そこで,部会資料78Aでは,御指摘を頂いた点を中心に改めて検討を加えております。本日は第79回会議での議論に引き続き,意見の集約に向けて,更に検討を深めるべき事項について御意見を頂ければと思います。   「2 不法行為による損害賠償請求権の消滅時効」については,中間試案からの変更はありません。第79回会議において民法724条前段の時効期間を3年のまま維持するのであれば,債権の原則的な消滅時効における主観的起算点からの時効期間よりも短くなることについての理由を示す必要があるとの御指摘がありましたので,部会資料78Aではこの点について検討を加えております。   「3 生命・身体の侵害による損害賠償請求権の消滅時効」では,人の生命又は身体の侵害による損害賠償請求権の消滅時効について,長期の時効期間とする特則を設けることとし,主観的起算点からの時効期間を5年間,「権利を行使することができる時」からの時効期間を20年間としています。 ○鎌田部会長 ただいま説明のありました部分について御意見をお伺いいたします。 ○大島委員 時効の起算点については客観的起算点を維持するべきであると考えます。今回の部会資料を拝読すると,様々な債権についてどの時点で権利を行使することができることを知ったと判断できるかについて検討されています。このような詳細な解釈を施さなければ時効の起算点を決められないのであれば,国民一般に分かりやすい民法とは言えず,かえって時効の起算点をめぐる争いをいたずらに増やすものと考えます。そこで,改めて中間試案で提案されていた甲案を採用することを検討いただきたいと思います。仮に甲案を採用することが困難であれば,現行法を維持した上で13ページの(5)に記載されているような不都合を生じる部分について,別途手当を講ずるべきであると考えております。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○道垣内幹事 大島委員と逆の発言になるかもしれないのですけれども,消滅時効のところの主観的起算点の具体的な内容として,いろいろ,お書きくださっている点というのは,現在では「権利を行使することができるとき」という文言の解釈として,展開されてきたものだろうと思います。そのときに,それらの判例の努力が全て,今後,主観的起算点の方,(1)の方に移ってしまうのかというと,これは必ずしもそうは言えなくて,なお,ここら辺に書いてあるような事実が生じなければ,(2)自体が起算しないという場合もあると思うのです。したがって,解説をこれだけ書いていただいて,こんなことを言うのは大変恐縮なのですけれども,少なくとも(1)の解釈が具体的にはこうなりますと書いてしまうのは,今後,様々な事案が出てきたときの判例の解釈を妨げる意味を持つという気がいたしますので,判例もいろいろ客観的起算点のような文言のときも,いろいろ,努力をしたということの解説にとどめた方がいいのではないかなと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかの御意見はいかがですか。 ○佐成委員 従前は経団連の方も大島委員とほぼ同じように,債権管理の効率性という見地から客観的起算点を維持すべきだと,そういう主張をしてきたところであります。今回,内部で改めて議論したところ,主観的起算点と客観的起算点が多くの場合,一致するという,そういう説明がありますし,それを前提に提案について理解を示す方も徐々に増えてきていると,そういう状況であります。   ただ,まだ,主観的起算点の導入については抵抗があります。つまり,そもそも,消滅時効制度は時効期間の経過によって法律関係を確定させるという,一種の割り切りの意味合いもありますから,割り切りという意味で言えば,余り長くなることそれ自体が必ずしも好ましいわけではないという見解もあります。ですから,内部では権利がある以上は長い期間,行使できるのは当然だというお立場の方もいる一方で,早く消滅する方が実務界にとっては望ましいというふうな御意見,それは権利者であってもそうなんですけれども,権利者であっても税の関係とかも含めてですけれども,早目に処理ができるというのは非常にメリットであるということを強調される,全く別のお考えの方もいらっしゃって,まだ,議論が十分集約されていない状況ではあります。ただ,冒頭に申したとおり,主観的起算点と客観的起算点が一致するということであれば,こういった提案も認められるのではないかという意見は増えつつあるというところです。   ただ,今回,これに伴って商事時効を統合するという話があります。民法が5年になるわけですからある意味では,それも自然な考え方なんですけれども,これについてはかなりいろいろな意見があります。まず一つは企業間で,つまり商人間の契約において,時効の起算点として主観的起算点を認めるという結果になるわけですが,これによって実務が変容してしまうという指摘があります。つまり,商事時効をこれに統合してしまって主観的起算点を企業間取引にも認めるとすると,現行の客観的起算点だけしか認めない消滅時効制度というものがなくなることになります。しかしながら,例えば売買契約の売主が,契約上,商法第526条の検査通知義務を免除したり,緩和したりするというのは一般的な実務だと思いますし,こうした実務は,江頭憲治郎先生の「商取引法」という教科書にも,大陸法系だと比較的厳格なこういう検査義務を課しているけれども,日本の実務では緩やかに解されているというような話が書いてあります。ところが,商社の方のご意見によりますと,確かに現状ではこういった検査通知義務というのは緩和して運用をしているんだけれども,もし,主観的起算点を入れるようなことになると,事後的に認知されたクレームを徹底的に排除するという方向のプラクティスに限りなく近付くことが予想されるため,実務がかなりその部分では変容するのではないかという指摘をされております。   それから,もう一つは商事時効が適用される契約における安全配慮義務ということです。実務上はこの時効期間については5年という理解で運用しているということです。もちろん,こうした実務の理解が裁判例とかに合致するかどうかは別ですし,学説と合致するかどうか別ですけれども,今現に,5年で処理しているという実務運用があるので,もし,商事時効を統合してしまうということになると,この点についても実務的には大きな変更になるのではないかという懸念の声もあったということでございます。 ○潮見幹事 すみません,佐成さん,最後におっしゃったこと,商事契約での安全配慮義務の時効を5年で処理しているというのは,具体的にどういうケース。 ○佐成委員 その方が言っていたのは,建築請負契約などに関してだったかと思います。それに伴って何か事故が発生したような場合だと言っていたと思います。それで,普通は安全配慮義務は10年だというのが大方の理解かと思うんですけれども,その方は実務では5年というような形で処理しているというような趣旨のことをおっしゃっていました。ですから,もしかすると,そういった面で実務の運用に変更が生じるのではないかと,そういうことをおっしゃっていたということです。 ○潮見幹事 そういうことは聞いたことがないということで。 ○山野目幹事 コンセンサスが得られなければ現行法を維持するということも一つの解決であるという御意見もありましたし,それから,商事短期消滅時効の廃止ということについては慎重に,という御意見も頂いたところでありまして,一つ一つの御意見はそれとしての背景があって,なるほど感ずる部分もあると思います半面において,そういった御意見を踏まえて更につらつら考えたときに,心配になってくる事柄が幾つかございます。   現行法を維持するという解決とおっしゃられるときにも,恐らく1年,2年,3年の短期消滅時効については職業別の短期消滅時効を廃止するという,この部会で形成されたコンセンサスのところは踏まえた上で,その余の部分については現行法を維持するとおっしゃっているのではないかと受け止めます。そういたしますと,1年,2年,3年の時効がなくなって,統一化されていく姿を考えるときに,それ以外の現行法の規律をそのまま維持すると,かなり深刻な不自然さを伴うような結果が生ずる場面が多々あるものでありまして,それを放置して現行法を維持するという解決は,相当,問題を含んだものになるのではないかと感じます。   併せて似たような事柄でありますけれども,商事短期消滅時効を廃止しないで,そのまま置いておくということが考えられるかということを考えたときに,それをそのまま置いておいて,1年,2年,3年の職業別短期消滅時効を廃止しますと,今までも第86回会議で私も発言させていただき,内田委員からもお話があったような信用金庫と銀行の扱いが異なるというような従来に見られた問題があることに加え,債務者になる人の立場から見て従来は,1年,2年,3年のいずれかの債権の債務者になるという立場で,特に商人であるか,非商人であるかの区別について悩むことがなくて済んだというような場面において,しかし,職業別の短期消滅時効が廃止され,しかし,商事短期消滅時効が残るということになりますと,債務者から見て商事なのか,商事でないのかということを識別しなければならない事態というものが,今までどおりあるというよりは,今以上に増えて助長されて,その問題で人々が悩むということになりかねません。   債務者の立場になる人は,必ずしも法律の専門家のサポートを得ることができたり,企業において法務部を持っていたりという人たちばかりではなくているものでありまして,そういう人たちがそういう新たな悩みを抱え込むということを考えますと,現行法を維持して,かつ商事短期消滅時効も置いておきましょうというような解決は,かなり問題をはらんだものになってくるおそれがあります。そういった帰結のことも考えていただきながら,どういうふうな合意形成があってしかるべきなのかということを引き続きお悩みいただければ有り難いと感じます。 ○中井委員 この問題については弁護士会の中でも意見が正直に言って分かれております。昨日も今回の部会資料が主観,客観の二重基準の案をA案として出したことから,これに対して強く反対する方々もいらっしゃいます。また,逆にこの案でよろしいという賛成する方々もいらっしゃいます。その中で昨日以降,大変悩みまして,今日,どういう発言をしようかと。先ほどの私の発言は何もその前触れではありませんが,個人的な意見としても整理をして,申し上げなければいけないと思うに至っております。   方向性としては,私も今回の部会提案の考え方を基本に進めていくということでよろしいのではないかと思うに至りました。しかし,そこに至るまでの経緯もございますから申し上げさせていただきたいのですが,根強い反対の第一は,かつて松本先生がそこがポイントだとおっしゃった記憶があるんですが,CtoCの親族や友達への貸金について現在では弁済期から10年ですが,これが5年になる。これで果たしていいのか。個人事件をたくさん行っている弁護士からの意見としては,5年を過ぎて請求をしてくれという事案は少なからずというか,相当ある。これが短期化することによって権利を失うという事態に至るのは,果たして正義にかなうのかという意見が強くあります。   二つ目は,私がここの席で何度も言っておりますけれども,安全配慮義務や医療事故に伴う損害賠償請求権に関わるもので,現在は客観的起算点から10年ですけれども,これが主観から5年となれば,少なくとも主観がどこかという問題はさておき,10年より短くなる可能性が少なからずある。これも知ってからとはいえ,5年で権利行使できない場面というのは幾らも経験している,損害賠償として成立しているものに対して5年で失うことについては,問題であるという指摘が二つ目です。   三つ目の問題点は,先ほどの道垣内先生の御発言にも関わるかもしれませんが,従来は客観的起算点から10年と言いながら,客観という部分についても相当,主観的事情を考慮してきたのが事実ではないかと思います。それが主観から5年,客観から10年となれば,おのずと客観についての解釈が厳格化するというか,純化するのではないか。鹿野幹事もおっしゃったことであったのかもしれません。それを心配する意見がございます。   四つ目は,主観的起算点を取り入れたときの主観的起算点についての問題で,発生原因事実を知ったことから権利行使ができることを知ったと言われてしまう,そのおそれに対する懸念で,事実を知ったから,もちろん債務者も知るのですが,そうだからといってそう簡単に権利行使ができるわけではない,権利行使ができることを知ったとも評価し難い場面があるではないかと,こういう論点が四つ目でございました。   これらについてどのようの考えるかということです。まず,3点目から先に言いますと,従来の客観的起算点の問題について,かねてこの部会でも確認をしたことがあると思いますけれども,従来の考え方を変えるものではない,この立法においてそこを改正するものではないというような記録になっているかと思いますが,それを確認したいというのが第一です。それが確認されることがまず必要であろうと思います。その確認というのも,ここにいらっしゃる皆さん,法制審の委員・幹事の方々の理解として共通のものであることを確認したい。もちろん,立法ですから出来上がったものについて実務の中でどう使われるかまで決めることはできないとしても,最低限,その確認が必要だと思います。   二つ目は四番目ですけれども,主観の起算点の曖昧さの問題,取り分け,事実を知ったので権利行使ができることを知ったと言われては困るという問題については,部会資料の中では相当詳細に検証していただき,私が例えば証券取引とかについて,ここで発言したときに一定の事実を知ったら,それで行使できることを知ったことにならないですかという発言に対して,中田先生やその他から御批判を得て,それではまだ行使できることを知ったことにはならないという御発言がありました。今回の部会資料でそれらを整理していただいて,少なくとも私の理解するところはここで要約されている,当該事案における債権者の具体的権利行使の可能性を考慮するんだと,つまり,具体的に権利行使可能と評価できるに足りる事実を知る必要があるという記載が幾つかの場面でございます。つまり,単に発生原因を知っただけでは駄目で,個別具体的な当該事情において,権利行使ができることが知ることが必要だという整理がなされています。私はその整理がこれもまた共通の理解になるのであれば,相当程度,問題の解決になるのではないか。確かに10年に至らない場合はあるのですが,そこまで具体的に権利行使可能であることを知って,それから5年間,行使できたわけですから,それでもって5年間何もしなかったとすれば,時効消滅やむなしという考え方も一定の合理性があると考えた次第です。   更に一つ目の問題,親族や友達に貸した金銭の返還は10年が5年になったという問題については,今回の改正に伴って単純に半分になる。このことについてどう解決するかですけれども,これは法改正した後,周知期間があるだろうと思いますけれども,現在は10年と思っているのが一般国民の大多数ですし,日本の国民性から権利行使がそうスムーズにいかないという実態を弁護士の実務としては肌に感じておりますので,これが5年になることについては,きちっとした周知をする以外にないのかと思います。国民に対する周知を是非,この立法がかなったときには徹底していただきたいと思うわけです。   二番目の問題ですが,債務不履行に基づく損害賠償についてどうしても短くなる点について,これが不可避的に生じることはやむを得ないだろうと思います。それは先ほど申し上げたとおりです。ただ,この点について現在,生命・身体に関する損害賠償請求権について,主観的起算点と客観的起算点からの期間について別提案があります。部会資料では,客観的起算点から20年となっているわけですけれども,残念ながら主観的起算点からは一般原則どおり5年にとどめられております。これは大変微妙な問題,困難な問題かもしれませんけれども,なお,私としてはこの主観,客観を取り入れた上で,生命・身体の損害に限っては主観から10年というのをなお検討いただけないか。もう一度,その点についての検討を賜りたいと思う次第です。   この点は不法行為が3年から10年に延びる。これは逆にかなりの債務者側にとっての負担になる可能性があるという御指摘,これもそれなりにうなずけるところですが,結果としては権利の発生について立証ができて,それを生命・身体に関して果たして3年とか5年で消滅することがいいのかという観点から考えたときに,確かに3年から10年に大幅に延びるとはいえ,検討の余地があるのではないかと思う次第です。弁護士会の中でも,この二重基準を取り入れることに賛成する弁護士グループの中に,ここが10年になれば内部的にも説得しやすいといいますか,納得感が得られやすいという意見も強くありますので,その点は私の意見としても申し上げておきたいと思います。 ○鎌田部会長 よろしいですか。ありがとうございました。 ○佐成委員 今,生命・身体に関する特則の部分,3のところについて言及がありましたので,我々の方のコメントもさせていただこうと思います。従来から経団連としては,生命・身体の侵害による損害賠償請求権の消滅時効については,そういった特則を設けること自体に慎重であるべきだという,そういうことを述べてきたところです。ただ,今回,内部でこの提案を議論しましたところ,強い反対意見はなかったということでございます。ですから,今,中井先生がおっしゃられたようにここを10年にしろということになりますと,もしかすると,また,そこが火が吹く可能性もあるというところで,そこら辺は慎重に検討していただきたいなということだけ申し上げたいと思います。 ○高須幹事 中井先生の御指摘を踏まえ,また,今の佐成委員の御指摘も踏まえての発言なんですが,前回以来,東京弁護士会は今回の主観,客観の二元説には,基本的には賛成するという立場で私も発言をさせていただきました。その際に主観,客観という考え方を今回,取り入れることに対する一つのメリットとして,生命・身体における損害賠償請求権の消滅時効の問題が不法行為と債務不履行の両方を含めて,一定の扱いができるのではないかということを重視したという点も説明させていただきました。正に東京弁護士会においてはそういう意見が非常に強くて,私もそれを踏まえた発言をさせていただいたという経緯がございます。   今回の資料を拝見させていただくと,16ページのところで不法行為の方が3年でいいという理由の一つとして昭和49年の判例を引用して,加害者が極めて不安定な立場に置かれるという不法行為責任の性質を考えると,主観については3年というのも一つの合理性があるのではないかとあります。そのこと自体は確かに真正面から否定するつもりもありませんし,一つの考えだと思うのですが,安全配慮義務違反というような先ほど来,出ておりますような特殊な類型においては,加害者のみならず,被害者の方の権利行使の現実的可能性というものについても考えなければならない。被害者は,そう速やかに権利行使できるとは限らない部分がかなりあるのではないか。   ここは東京弁護士会だけではなくて,ほかの弁護士会の中でも,取り分け,労働問題などを取り上げておられる先生方の中から強く,そういう意見が出てきているところでございまして,安全配慮義務違反における,現在,判例法理が到達した10年という取り扱いを,今回の生命・身体における損害賠償請求権での消滅時効のところの資料提案に従って,主観的起算点を5年としたときに,それが後退するようなことがあってはならないのではないか。そのように考えております。   資料では起算点の数え方のところでの解釈で,十分に対応できるという御趣旨やに読める部分があるのですが,必ずしもそれが今後の判例法理として,そう定着するかどうかということについて,まだ,確信を持てずにいるという状況もございまして,主観,客観の二本立てていくということについては,従来どおり,賛成させていただくとともに,3番の生命・身体のところについては客観は20年として,主観については5年という今回の取りまとめ案に対して,もう一度,10年ということを考えていただいたらどうかと,このように考えておる次第でございます。 ○鎌田部会長 ほかに。 ○岡田委員 私もこの生命・身体に関しては,10年にしてほしいと思っています。そこで,これに対してどうしろということではないのですが,11ページですけれども,11ページの(2)のところで高齢者のことが出てきて,高齢者が債権者の場合に関して,こういう形で救済できるよと書いていただいているのですが,高齢者が債務者のときが一番私たちは,今回,時効が長くなることに関して懸念しているところです。   しかも,高齢者で正常な判断ができるのであれば,領収書をきちんと保管しておきなさいで済むのですけれども,判断力がなくなった場合に5年とか,それ以上,領収書等を保管するということや周りの人間がまた後から探すということは不可能に近いことですから,(2)みたいな説明をしていただくのであれば,逆に高齢者が債務者になった場合に関しても,何らか私たちが安心できるような説明がなされたら時効の2年とかが5年になったとしても,諦めが付くような気がいたします。もちろん,消費者契約法で対応していただけるのであれば,なお,いいと思いますが,一番,そこが私たちが気になっているところだということをお伝えしたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかの点はいかがでしょうか。 ○山川幹事 既に御意見があったところですが,生命・身体の侵害による損害賠償請求権のところで,基本的に中井委員,高須幹事の御意見と共通の感想を抱いております。労働契約のお話を取り上げていただいたのは有り難いのですけれども,もちろん,医療契約で死傷事故が生じた場合もありますし,あと,商行為のところはそういう問題を考えてこなかったのですけれども,介護サービスとか,旅客運送の死傷事故というようなことも射程に入ってき得るかなと思われます。こうしたことも含めて時効期間を短期化する事案が生ずることについて,改めて御検討いただければと思っております。   それから,資料の18ページの,仮に主観的起算点の時効期間を10年とした場合の問題点についてですけれども,もしかして私の方で勘違いしているかもしれないのですが,ここに挙げられた事例のように事故発生後,速やかに具体的な説明を行った場合には,現在のように権利行使可能時から10年とした場合でも,主観的起算点から10年とした場合でも,結局,10年に近いといいますか,10年ちょっとの時点で時効期間は満了するように思われまして,もし,違いが生ずるとしたら説明が遅れた場合の方ではないか。例えば事故後,3年で詳細な説明がされたという場合には,権利行使可能時からは10年ですけれども,事故後,3年で説明をしたという場合については,もし,仮に10年とすると13年になる。その辺り,十全な説明をしないということによって,時効期間が延びるということをどう考えるかという問題かなと思ったのですけれども,勘違いかもしれないので,もし,間違っていたら御指摘いただきたいと思います。   もし,これが5年だとすると,3年目で初めて十全な説明をした場合には,権利行使をし得るときからでしたら10年でも,5年とすると3年プラス5年で8年で完成する。これをどう考えるかというようなことになるのかなという感じがいたします。もちろん,損害を知ったときという現在の不法行為の時効の起算点の解釈の一定の法的評価の点も,起算点の解釈で可能であるというような御説明もありますし,また,債務不履行と不法行為は現在でしたら区別されるのですが,統一すべきかどうかという根本的な問題もあるのかもしれませんけれども,とりあえず,方向性としてはこの点は慎重に御判断あるいは御検討いただきたいという,先ほどの中井委員,高須幹事と共通の感想を抱いております。 ○岡委員 3点,申し上げます。   1点目は先ほど中井さんも発言しましたけれども,弁護士会の意見はかなり分かれております。その中でも主観的起算点導入というのに積極的に賛成の方も徐々に増えておりますし,諸外国で主観的起算点導入がこれだけ広がっている中で,日本だけこの改正のときに排除するのはいかがなものかという意見も強くなってきております。他方,余りこの改正議論に参加されていないところの感覚を想像しますと,従来の客観的起算点から商売関係は5年,民事は10年と。これはかなり根強い文化的なものとして,根強く残っているのだろうと思います。その方々から見ると,主観的起算点導入というのは外圧というか,エリートの合理的な考え方に過ぎないとか,立法事実もないのに上から押し付けるのかと,こういう反発があるのも事実だろうと思います。   そういうことを考えますと,先ほど中井さんが言った周知期間,これがかなり大事になるのではないかと思います。単なる議論と論理ではなく,内田先生がおっしゃっていた文化的な事業にもなるわけですので,その権利の長さを変えるのであれば,しっかり説明をして,その上で準備が整った上で導入すると,そういう周知期間を置くということを要綱仮案の中に含められるかどうかはよく分かりませんが,それを大きなファクターとして国民に発信することがいいと思います。直ちに改正するというより,こういう方向で何年かかけて改正すると,そういう工夫もあるのではないかと思いました。   二つ目です。生命・身体に関する安全配慮義務の問題について,今,客観から10年のものが主観から5年に変わるということについて,一国の制度として合理的・統一的なメリットがあるのは分かるけれども,何で自分たちの債権について5年に縮まるんだと,その合理性については納得できないという声が根強くあります。それは先ほど中井さんが言った特定の利害をいつまで固執するんだ,尊重するんだという問題になるのかもしれませんが,しかし,事は生命・身体に関わることですし,安全配慮義務の10年というのは不法行為と構成したときの主観から3年は短すぎるので,苦肉の策として出てきた,定着した実務だろうと思います。   それをどうするかですが,多数説は主観から10年というのを導入してほしいといっています。ただ,いろいろな議論をする中で,一つの解決策としては生命・身体についてだけ今回は変えないという案があると思います。要するに生命・身体に関するものについては,主観から5年を導入しないと,客観から10年だけにすると,不法行為については主観から3年はそのままにすると,これであれば現状を変えるものではないわけですから,佐成さんもなかなか反対できないのではないかと思います。一部分だけでも旧態依然たるものを残して,きれいではないという考え方もあると思いますが,今回の作業は,白紙から新たに作るものではなく,今,あるものを変える作業ですから,不法行為制度を見直すときまではこれでいくと,そういう一種の妥協もあるのではないかという議論をしてまいりました。   三番目に,今の安全配慮義務の主観から5年について疑問を持っている先生の言い方として,部会資料は民法724条の解釈が横滑りするので大丈夫だと言うけれども,724条の文言は損害及び債務者を知ったときで,現在の案は権利行使できることを知ったときで文言が違うので,そう簡単に724条の解釈が生きてくると言われても不安であると言われています。特に退職してから10年後に損害が発生し,それがじん肺みたいに拡大していくような損害の場合に,安全配慮義務ということであれば退職時からどうしても進行してしまうのではないか。そういう疑問から,724条の文言と同じように権利行使できること及び損害及び債務者を知ったときというふうな工夫でもしていただければ,安心感が増えると言われています。それは本当にそうかどうか,議論の余地があるところですが,安全配慮義務を知ったときから5年に変えるときの不安感を一つでもなくするという意味からは,文言を工夫するというのもあり得るように思いました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○山本(敬)幹事 2の「不法行為による損害賠償請求権の消滅時効」で,なぜ一般的な消滅時効よりも実質的に短い期間を定めるのか,その理由を示す必要があるのではないかというのに対して,今回,16ページ以下にその理由に当たるものをお書きいただいています。ここでは,加害者が極めて不安定な立場に置かれるということがその理由として挙げられていますが,これは理由になっていないのではないかと思います。不法行為といっても様々なものがあるわけでして,そのようなものについて一般的にこのように言えるかということはさておくとしましても,実際に加害行為を行って権利侵害を生じさせ,しかも故意・過失がある場合の方が短くなることの説明は,私はつかないのではないかと思います。   契約の場合は,債務者が自ら債務を引き受けたのだから,履行しなければ責任を負うことは覚悟しなければならない。だから,より長く責任を追及されることも覚悟しなければならないと一般論としては言えるかもしれませんが,ただ,消滅時効の一般原則は,別に契約に関する債務の不履行に基づく責任のみに当てはまるものではありません。法定債権債務関係にも適用されるものですし,取り分け,侵害利得に係る不当利得返還請求権についても当てはまるわけです。それについては主観的起算点から5年,しかし,故意・過失が立証できる場合には,主観的起算点はほぼ変わらないだろうと思いますが,そこから3年に短くなるというのは,理由がついていないのではないかと思います。   今回の改正で,消滅時効の一般原則を改正するのに併せて,現在,民法に散らばっている他の消滅時効の期間についても,できる限り筋の通った解決をしようという考慮から,このような提案が行われているわけですけれども,不法行為による損害賠償請求権の消滅時効に関しては,基本的には,現行法がこうなっているので,現在はいじらないというような理解をしておく方がよいのではないかと思います。私自身は,できる限り消滅時効の一般原則に合わせるべきだと考えていますけれども,この時点からその方向でコンセンサスを得るのがなかなか難しいということであれば,724条に合理的な理由があることをことさら強調して,これで固定すると考えるべきではないだろうと思います。   本当は反対したいのですけれども,今のような理解は最低限しておくべきではないかと思います。特に生命・身体の侵害による損害賠償請求権の消滅時効は,長期を20年にするという特則を定めるという意味もありますが,これは債務不履行責任と不法行為責任をこの限りでは統合するという考え方だと思います。それならば,統合するのはこれだけではないだろうと思うわけですけれども,そういった点はさしあたり置くとしまして,いずれにしても,724条の見直しは将来あり得べしということは,ここで確認することができればと思います。 ○潮見幹事 私も同じようなことを申し上げたかったところです。加えて,従前,特別法の消滅時効をどうされるのですかという発言をしております。例えば不法行為でもここの規定以外にも製造物責任法にもありますし,不法行為に限ったわけではなく,ほかにもいろいろな規定がございます。そうしたところを見据えて,全体をどのように持っていくのが今回の改正として望ましいのかという観点から,時間があれば議論をし,体系的に問題のないような規律を設けるのが一番望ましいのではないかと思います。ただ,もはやそういう時期ではないということであるのならば,不法行為の724条に関していうならば,今回の席上配布資料に述べられていることまで解説を書かずに,724条の後段の20年というものが,除斥期間と一般に理解されているけれども,これを消滅時効とする形で改正をすることをと提案すると言うことにいうこととどめておくのが好ましいのではないかという感じがいたします。 ○鹿野幹事 この時期になって申し上げるべきかどうかと迷っていたのですが,私も,2については非常に感じます。一般の債権の消滅時効期間をどうするかということが最初の頃は未だ定まっておらず,この点も申し上げにくかったのですが,今回提案されているように,一般の債権について主観的な起算点から5年としておきながら,不法行為については主観的な起算点から3年と短くするというのは,余りにアンバランスなのではないかと思います。資料の16ページのところに一応の理由は書いてあるのですが,これが果たして合理的な理由として賛同を得られるかについては疑問を感じます。   既に指摘があったように,不法行為による損害賠償請求権は,ここに書いてあるように未知の当事者間において予期しない偶然の事故に基づいて発生するというものばかりではありませんので,ここで書かれた理由が常に妥当するとも思われません。しかも,安全配慮義務については別の角度からいろいろ御指摘がありましたが,安全配慮義務に代表されるように,債務不履行と構成するか,不法行為と構成するか,その両方の可能性がありそうな,あるいは両者が競合するような問題群もあると思われますが,それを不法行為と構成すれば3年と短く,債務不履行構成の方が随分長いということ自体,従来から問題があったのではないかと私自身は感じておりました。ただ,従来は既存の規定を前提として解釈で不都合を回避するということで仕方がない面があったのですが,今,時効について法改正をするときに,このアンバランスを残すということには疑問を感じます。   しかも,従来の規定においては,不法行為の3年の期間については起算点が主観的であるのに対し,一般の債権については,解釈上柔軟性が多少は確保されてきたとはいえ,一般的には客観的な起算点から10年と言われてきたので,全く同じ起算点からカウントする期間の違いということではなく,アンバランスもそれほど目立たなかったと思うのですが,今回,両方とも主観的な起算点を採るものとした場合に,明らかに不法行為の方が期間が短いということでは説明がつかないのではないかと思います。ですから,この段階で変えられる現実的可能性があるのかどうかは分かりませんけれども,一般の債権について5年とするのであれば,こちらについても5年とすべきだと私は思います。 ○中井委員 私もこの主観,客観二重説を今日,賛成しましたので,その立場からすれば,知ってから3年というのを不法行為においても知ってから5年に変えるという考え方に必然的に賛成したいと思うんですが,問題はそのとき,(2)の不法行為のときから20年というものについて敬三先生,鹿野幹事はどのようにお考えなのか,お聞かせいただけないでしょうか。仮にここが逆に同じように客観から10年ということを念頭に置いているとすれば,これまた,一利害団体なのか分かりませんが,弁護士会内部の理解を得るのはかなりハードルが高くなるということを正直,申し上げておく必要があると思ったので,今回の改正なのか,次なのか分かりませんが,教えていただければと思います。 ○山本(敬)幹事 そこは様々な考え方があり得るのではないかと思います。ただ,長期の方の一般原則が10年であるとするならば,それを20年とするのは,不法行為によって権利の侵害を受けたものを保護する必要性が高いという理由から一般原則よりも長くするのであると説明することもできますし,それは合理性もあるのではないかと思います。 ○鹿野幹事 私は直接は聞かれなかったのですけれども,私もそう思いますし,もし,長期の方でなぜ20年なのかというときに,不法行為の被害者保護というところにその理由があるとすれば,短期の方がなぜ短いのかということについては,一層,合理的な説明がつきにくいのではないかという気がしております。 ○深山幹事 今,不法行為の3年,20年については見直しをという議論が出たことも踏まえてなんですけれども,その前の議論で,3の生命・身体の侵害に対する損害賠償請求権について,主観的起算点から10年とする説を推す意見が幾つか出ました。現行法の下で安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権について,違反時から10年で賠償実務が動いているということもありますし,10年という案も十分考えられると思います。取り分け,ここは生命・身体という重要な保護法益に着目した特則であり,そういう観点からの特別な配慮で権利者を保護するということは十分合理性があるのだろうと思います。そういう意味で,原則が主観から5年ですから,同じ5年では重い保護法益を保護したことにならないのではないかと強く感じます。   加えて今の不法行為のところも3年から5年にということに改まり,不法行為一般としても主観から5年ということになると,そこでも生命・身体という重い保護法益とそうではない財産的な損害とが横並びになってしまうということになり,その辺のバランスからいっても,生命・身体の侵害に関しての5年というのは,どうもバランスが悪いような気がますますいたします。   ただ,5年が短いとなったときに10年しかないかというと,そうでもないのかなとは思います。例えば7年,8年という期間も考えられ,何も5の倍数である必要もないのかなという気もします。これは現行法の下での10年の時効期間が短くなるという面があるので,積極的に推したいということではないんですけれども,コンセンサスを得る一つの手段として,そういうバランスの取り方というもあるのかなということを考えています。いずれにしても,もう少しここは議論し,再検討する必要があるのではないかなと考えております。 ○中田委員 先ほどの中井委員の御発言で,まとまる方向でものすごく大きく進展したなと思っておりまして,しかも,4点について御検討された結果,結論を出されたすばらしい御判断だったと思います。その上で,そうするといろいろまた見えてくるんですけれども,例えば7年とか8年とかを出しますと,また,収拾がつかなくなるような気がします。そこで,山本敬三幹事や鹿野幹事のおっしゃった不法行為3年というのはどうだということについては二つの問題がありまして,実質的に適当ではないということと,それから,説明の仕方が適当ではないのというのと2種類があると思うんです。   実質の方について申しますと,生命・身体の侵害についてはより長期化されているわけですので,不法行為で最も問題となる生命・身体については,一応,それで対応できているとしますと,その残りをどう考えるのかというところが論点だと思います。他方で,説明の仕方なんですが,不法行為における消滅時効の短期化の理由だけではなくて,全体として時効の短期化についてどのように説明するのかということが今回の課題として出ているんですけれども,この部会でコンセンサスが得られる最大公約数というのでしょうか,ミニマムの部分はまず書いて,それ以外にも説明の仕方はいろいろあると思うんですが,そこは様々の解釈を封じないという方向でいいのではないかと思います。例えば全体についての時効の短期化の説明が,専ら短期消滅時効の廃止に伴ってアンバランスになるからということだけを出しておられますけれども,恐らく実質的には短期化すべき理由というのは,ほかにもいろいろあると思うんです。それを決して排斥する趣旨ではないんだということを確認できればいいのではないかと思いました。 ○鎌田部会長 3について,主観的起算点から5年という期間を10年にせよという御意見が複数出ているんですけれども,原案がいいという意見は余り出ていないんですが。 ○佐成委員 恐らく10年に修正するとなりますと,先ほども申し上げましたけれども,内部では異論が出ると思われます。今回は5年,10年,20年というところで余り議論はなかったんですけれども,多分,10年になるとしますと相当議論が出て,恐らく中には相当強い反対をされる方もいらっしゃるだろうということが予想されます。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか,消滅時効については。 ○内田委員 質問なんですが,先ほど中田委員から不法行為についても生命・身体の侵害については5年となってそろっていると,そうすると不法行為で残るのは生命・身体侵害以外の不法行為だけが3年で残るということですが,それを3年で積極的に残すべきだという御意見はあるんでしょうか。中田委員ではなくて,中田さんは多分,全部,そろえろという御意見ではないかと思いました。 ○鎌田部会長 多分,そろえられるなら長い方にそろえた方がいいという意見が潜在的には多数で,しかし,この段階になってそこまでやっていいかというちゅうちょがかなり広くおありなんだろうと思うのです。724条が御案内のとおりのことになれば,生命・身体の侵害の場合と同じ内容になって,一つ提案が整理できるということになるんだと思います。3(2)を10年に延ばさなければですけれども。 ○山本(敬)幹事 コンセンサスが得られるのであればということですが,その意味ですけれども,今,出ているのは一般原則を主観的起算点から5年にしておきながら,不法行為については同じような主観的起算点から3年とするのは説明がつかない,整合性がとれないので,合わせるべきであるという指摘です。私は,これは非常に重い指摘だと思って自分でも申し上げています。これを不法行為についても合わせるという意見だけではないと思いますが,仮に5年としますと,現行法に対して不法行為の損害賠償責任の時効期間を長期化するという立場決定でもあります。それはどのようなメッセージを持つかといいますと,権利保護のメッセージなのだろうと思います。   それは,生命・身体の方がより直感的に納得が得られやすいということはありますが,生命・身体外の物損その他の財産的な侵害についても,故意・過失によって他人から権利を侵害された以上は,その権利は保護されなければならない。3年というのが短すぎたのではないか。権利保護のためには5年がより望ましいのである。そうすることによって,一般原則と不法行為とでそごがあるために生じていた様々な問題も副次的に解消することができるようになる。このような形での改正提案になるのではないかと思います。私はそれに強く賛成しますけれども,本当に強い反対が出ないのであれば,今少しこの段階で検討できればと思います。 ○鎌田部会長 かなり多角的な検討を本来はしなければいけない問題だろうと思いますので,十分にそれができるかどうか分かりませんが,事務当局で引き取らせていただいて,更に検討を続けさせていただければと思います。   ほかに消滅時効関係で御発言はございませんか。 ○潮見幹事 先ほど特別法と申し上げましたが,他省庁の主管法令で不法行為に関係するような規定が多々ございます。例えば金商法の20条などというのは一つの典型例ではなかろうかと思います。そういうところについても,もし,体系的に整合性を持たせる一つの考え方にのっとって処理をするということなのであれば,きちんとした目配りをして,関係法令の整備等においても十分に注意をしていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 それでは,部会資料78Aの「第3 保証」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○脇村関係官 御説明させていただきます。   「第3 保証」「1 個人保証の制限」でございますが,個人保証の制限ではまず対象となる保証債務について検討をお願いするものでございます。前回の部会資料76Aでは,事業のために負担した貸金等債務を主たる債務とする保証契約のほかに,貸金等根保証契約を個人保証の制限対象としていましたが,第86回会議において事業と関係がない根保証には比較的少額のものが少なくないこと等を理由として,貸金等根保証契約全体を個人保証の制限対象とすることについては再考を求められたことから,今回は貸金等根保証契約に変えて保証人が保証に基づく根保証契約であって,その主たる債務の範囲に主たる債務者が事業のために負担する貸金等に含まれるものを個人保証の制限の対象とすることを提案しております。   次に,個人保証の制限の例外でございますが,(1)ア及びイは前回の部会資料76Aから特段の変更はしておりません。(1)ウでは主たる債務者が個人事業主である場合を取り上げております。その前半部分では,債務者と共同して事業を行う者を個人保証の制限の例外とする数案を取り上げており,これは第86回会議において主たる債務者が個人事業主である場合における,いわゆる共同事業者を個人保証の制限の例外とすべきであるとの意見があったことを踏まえたものでございます。次にその後半部分では主たる債務差の配偶者(主たる債務者が行う事業に従事している者に限る。)を個人保証の制限の例外として列記する案を取り上げております。これは第86回会議において,主たる債務者が個人事業主である場合における配偶者を保証制限の例外とすべきであるとの意見があったことを踏まえたものであります。   なお,第86回会議では後継者を保証制限の例外とすべきであるとの意見が出されましたが,後継者は理事,取締役,執行役員及びこれらの準ずる者に就任しておらず,共同事業者でもないような場合には,上記に抵触するおそれは事業内容の把握という観点を踏まえつつ,定型的に例外としてくくり出す要件を設定することは極めて困難であることから,後継者が取締役等に就任する前に保証人となるのであれば,素案3に従って公証人に保証意思の確認という手続を要するものとする必要があるように思われます。   更に(2)の求償保証の制限ですが,基本的には前回の部会資料76Aと同様ですが,根保証契約であって,その主たる債務の範囲に主たる債務者が事業のために負担する貸金等債務に含まれるものの,求償債務を主たる債務とする保証についても手当をすることとしております。   続きまして,「主たる債務の履行状況に関する情報提供義務」でございますが,2では主たる債務者が期限の利益を喪失した場合の情報提供義務を取り上げております。このうち(1)は前回の部会資料76B第1,1の本文(1)と同様内容でございますが,3点,違いがございます。まず,76B第1,1の本文(1)では分割の定めがあるケースのみを取り上げていましたが,今回の素案(1)では分割の定めがなくても,期限の利益があるケースも対象としております。これは分割払いのみにかかわらず,期限の利益を喪失した場合には通知義務を課し,保証人が知らない間に遅延損害金が積み重なることは避けるべきであると考えるからでございます。   次に,通知期間の起算点ですが,(1)では通知期間の起算点を主たる債務者がその利益を失ったことを知ったときとし,債権者において主たる債務者がその利益を失ったことを知らない間は通知期間に起算されないこととしております。これは第86回会議で期限の利益を喪失したことは,直ちに知り得ないとの指摘があったことを踏まえたものでございます。更に通知期間ですが,(1)では通知期間を2か月以内とする案をブラケットで付けて提示しております。前回の部会資料76B(1)では通知期間を2週間以内としておりましたが,第86回会議では通知期間について再考を促す意見が出されたこと等を考慮したものでございます。   次に,(2)は通知義務違反の制裁を定めるものであり,その内容は前回の部会資料76B第1,1の説明欄で示しておりました代替案のイメージのとおりでございます。ただし,期限の利益を失わなかったとしても生じていた遅延損害金については,保証債務の履行を請求することは,できるものとすることが相当であると考えますので,その点を明記しております。 ○鎌田部会長 それでは,御発言いただきます。 ○中原委員 保証について二つの意見と一つの質問をさせていただきます。   まず,いわゆる後継者の保証についてです。今回の御提案においては,個人事業において,共同事業者でない後継者が保証人となる場合は,公証人のところに行って保証意思等を口授し,公正証書を作成しなければ,保証契約の効力は生じないという整理をされております。しかし,一般的に個人事業主に対する融資取引で保証人になるのは,当該個人事業主の後継者が多いと思います。例えば個人がアパートを経営するのは,相続対策ということが多いだろうと思いますが,アパート事業を承継する予定の推定相続人というのは,普段は会社勤めを行っていて,将来,相続財産を受け継ぐことが予定されていることから,現在は共同して事業をしていなくても資産状況を知っていたり,アパート経営についてのアドバイスしたり,事業の状況をよく知る立場にあると思います。したがって,このような場合には情義に基づく保証ということはまずないだろうと思います。   また,一般の個人事業主のケースであっても,現状は共同して事業を行ってはいないが,将来,自分は親の商売を引き継ぐということで,会社の運営状況等を見ているというケースも多々あると思います。したがって,実務の観点からは,主たる債務者が個人である場合に,主たる債務者の事業を承継する意思を有する推定相続人というカテゴリーを作り,この場合については公正証書を作成することなく保証を認めることができないかという意見がありました。   それから,二つ目として保証意思の確認主体についてです。部会資料22ページの解説にも記載されていますが,前回,私から弁護士を確認主体にしてはどうかということを提案しましたが,弁護士一般に対して公証活動という役割を付与するのは,現在の法制度との乖離が大きく,今回の法改正のテーマとするには過大であるとの回答がされております。   前回も話題となりましたが,公証人役場が県内に二つしかない県もあり,たいへん利便性を欠くのではないかとの意見がありました。現行法においても会社法33条10項3号には,現物出資財産について定款に記載された価格が相当であることの証明について弁護士等が行えば,検査役の調査は不要であると規定されており,現実に弁護士に特定の役割を与えています。そして,保証意思の確認が現物出資財産の価額評価よりも困難でということはないと思いますので,弁護士を保証意思の確認主体に加えることについて,再検討をお願いしたいと思います。   もう一つ,これは質問ですが,非事業資金のための借り入れ,例えば子どもの学費を借り入れる場合ですが,今回の保証制限の対象にはならないと思います。例えば父親が子どもの学費100万円を借り入れるに際して,配偶者が連帯保証することは問題ないと思います。その場合,銀行は貸出金を主たる債務者の預金口座に入金します。主たる債務者の預金口座から引き出されて,実際に学費の支払いに使われるかどうか,銀行は確認していません。子どもの学費の借り入れ申込みがあったにもかかわらず,その資金が主たる債務者の事業に流用された場合,保証人の保証の効力はどう考えればよいのかという点について,考えをお聞かせください。 ○脇村関係官 まず,一番最後の御質問からお答えさせていただきますけれども,今回のスキームですと保証契約の有効,無効というのは保証契約が成立した段階で確定いたしますので,認定の問題ですけれども,保証契約の成立の段階で,それは事業ではないものに使われる前提で貸し出された,つまり,事業のための貸金ではないということがはっきりしているケースについては,その後,仮に事業に使われたとしても,保証契約の効力が遡ってひっくり返るということはないと考えております。ただ,認定の問題として,その時点で事業のために借りるケースなんだというふうな認定がされた場合については,その時点でそもそも保証契約は無効であったということになりますので,その点については今回の規律によって効力が否定されるというふうになるんだと理解しております。   続きまして,まず,弁護士の件について,是非,皆さんの御意見を伺いたいところでございますが,なかなか,今回のスキームを前提とした場合に,公証人以外が適切にできるかどうかという点については,前回の部会でも疑義が出されていたところでございますので,事務当局としては現時点では公証人を使うということを提案させていただいているというところでございます。   あと,後継者につきましては,委員がおっしゃったとおり,具体的ケースについていえば,公証人を使わなくてもいいケースがあるということ自体は当然否定するつもりはないんですけれども,今回,法律を作るに当たってくくり出したときに,問題になるケースについてだけくくり出すのはなかなか難しいのではないかと。そうすると,こういった後継者については一般的に公証人のところに行っていただくというスキームを使うことによって,結果的に本来であれば使わなくていいケースが含まれるかもしれませんけれども,これによって公証人が真意を確認すべき者について遺漏なくすくい上げたいと考えているところでございます。 ○山野目幹事 2点ございます。   1点目は,配偶者というのが今回の提案で出てきているところについて,事務当局において引き続きウオッチングしてくださいという単なるお願いですが,日常家事債務に関する761条との関係については,どこかで一度,考え方を整理しておかれることがよろしいのではないかと感じます。   それから,2点目ですけれども,公証人に加えて弁護士一般に第三者保証の認証の権限を与えることが考えられよいというお話についての中原委員の問題提起と,その背景にあるお悩みは理解することができます。その上で,今,関係官の方からも委員・幹事の意見を聞きたいというお話ですが,弁護士又は弁護士法人がここで今,提案されている10ページの(3)の業務をするというような姿は,全くあり得ないものではないだろうと考えますとともに,弁護士一般という言葉が気になりますけれども,弁護士の数は御案内のとおり増えてきていて,いろいろなところに弁護士がいます。インハウスの弁護士もいます。   弁護士一般というものは,弁護士の登録をしている人全部という意味を場合によっては含意することになりますけれども,保証を取る金融機関にお勤めの弁護士さんが同じ金融機関の建物のフロアに事務所をお持ちで,保証人になる候補者に,どうぞ,こちらのフロアにおいでくださいと言って,すたすたと行って意思を確認すると,はい,オーケーというふうな姿まで中原委員がまさか想定しておられるとは思いませんですが,その想定しておられないだろうと私の想像が正しければ,多分,弁護士又は弁護士法人なら誰でもいいということにはならず,この改正に係る認証業務という新しい法制を立ち上げなければいけなくて,そのために弁護士法の改正その他の法制の整備を行い,そして,どういう資格,手順を経た弁護士又は弁護士法人がその仕事をしますかという制度を構築しなければいけませんが,それを今,これからすることが可能であると私には思えません。   それから,それは単に法務省の司法法制部がやりましょうと言って,やればできる話であるかというと,弁護士会の方にもお覚悟が要るはずなのであって,ここにいる弁護士会の先生方は別にそういうことを代表しておられる立場はありませんですが,果たして弁護士会にはこういうことをお引受けになって,その制度構築に乗りましょうという意見表明を頂くような御内意があるのかどうか辺りも気になります。そういうことを考えますと,公証人にお願いするということがイメージとしてはしやすいであろうと私としては考えます。   中原委員のお悩みも理解することができるところがあって,一つの県の中に二つしか公証役場がないのは,一体,どうするのだというお話は,なるほど,それはそうだと思いますが,それは考えてみますと保証の話のみではなくて,人々が遺言を作ったり,その他の様々な処分証書を作るときにも,一つの県の中に公証役場が二つしかないということは,別にこの話のみではなくて大変な事態なので,それはそちらを所管している府省がその問題をきちんとケアしていないものであると思います。所管官庁は多分,法務省だと思いますけれども,ですから,公証役場をきちんとせよという議論をするのが正論であって,何か弁護士について新しい制度を構築してくださいという話は,可能ならば私は別に反対する立場にはありませんけれども,それについてはいろいろな心配を抱くという部分がございます。 ○中原委員 インハウスは想定していません。インハウス以外の外部の弁護士あるいは弁護士法人だろうと思います。   それと,先ほど弁護士に保証に関する認証業務を担当してもらうためには,新たな立法措置が必要であるかというようなお話がありましたが,私はよく分かりませんが会社法33条10項3号の立法のときには,新たな立法措置が行われたのでしょうか。 ○鎌田部会長 多分,ないだろうと思います。会社法33条10項3号では税理士や不動産鑑定士でもいいですね。 ○中原委員 であれば,今の制度のままでも弁護士に一定の役割を担わせるということは実際に会社法で行われているのですから,それを民法に導入してもいいような気はします。 ○鎌田部会長 公証力のある事実認証ではない特殊な確認手続というふうに,こちらの方の性格を規定するということになるだろうと思いますが,検討を引き続きしていただくということでお願いします。 ○高須幹事 検討いただければと私も思いますが,今,山野目幹事からも弁護士の覚悟は如何という話が出ましたので,その観点から言わせていただきますと,基本的に弁護士職務は争訟における当事者的な役割,代理人として訴訟,あるいは訴訟外の場面も含めて,基本的にはそういう活動を行うことが主であり,そのほかに周辺業務として必ずしも当事者的立場に立たない,いろいろな法的な業務を行うことがある。それは確かにあり得る。その中の一つとしてここでの公証というか,今回の保証意思の確認業務みたいなものが入る可能性があるということではないか。それはもちろん否定はしないところございますが,実感として持っているのは当事者的な立場を主とする弁護士が,その立場を超えて何らかの客観的な意思の確認等の作業を行う,つまり,公証人に近い仕事をするというには相当のハードルがあって,例えばそういう権限を与えますよと言われれば,誰でもが責任を持ってやれるということでも必ずしもないような気がいたします。   綱紀・懲戒という問題についても,弁護士会が御承知のとおり弁護士自治の範囲で担当しているわけでございますが,これはひとえに弁護士の問題ですけれども,その自覚の欠如によっていろいろな問題が起きているという状況もございますので,そういう点も含めて,つまり,我々弁護士自体の覚悟の状況も含めた上での慎重な御検討をお願いしたいと思います。決して私どもは自分で自分のことを卑下しているわけではなくて,本来,誇りもプライドも持って仕事をやっているわけですけれども,そうは言いながら,この仕事は難しい面があるということも少し御理解いただいた上で,弁護士会とも調整いただいて御検討いただければ有り難いと思います。 ○中井委員 まず,1の「個人保証の制限」の枠組み自体についてはかねてから賛成しているとおりで細かな点になりますが,(1)のウが新たに加わったわけです。これは実務からの共同事業者について含めてほしいという要請について,それについては一定の合理性があるものとして,前回,大阪弁護士会もそういう御提案をした次第です。ただ,債務者の配偶者が単に主たる債務者が行う事業に従事している場合に,なお,このような形で認めるのかどうかについては,先ほど山野目幹事から御指摘がありましたけれども,更に,検討すべきではないかと思う次第です。   それから,(3)の枠組み,公証人に口授する中身について,更にこれを見ていきますと幾つか気づいたところがあります。その一つは主たる債務について保証契約を締結する意思を口授するわけですけれども,この主たる債務の内容,貸付けの内容についてのどこまでのことを口授するのか,若しくは確認するのか。この辺りのことが少し不透明だなと。この文言から事務当局でどの辺のことをお考えになっているのか。弁護士会で議論した中では,主たる債務の内容についてはきちっと金額であるとか,弁済の定めであるとか,その辺りのことについて,それを前提として契約の締結に意思のあることを確認することが(ウ)には当然含まれているという意見と,この文言からはよく分からない,という意見がありましたので教えていただきたい。   それから,根保証についてはこの部会資料でも議論がされておりますけれども,根保証については,本来,避けるべきではないかという考えを持っております。ただ,根保証も含めるという判断をした場合,根保証の中身について一般的に理解が進んでいるかというと必ずしもそうではない。そうすると,ア,イ,ウに並べて仮にこれが貸金等根保証である場合には,元本確定事由が生じた日又は元本確定期日までの間に発生する全ての債務について,極度額の範囲内で履行する責任を負うという根保証の基本的な枠組みについて理解をしていること,若しくは口授すること,こういうことを加えるべきではないかという意見が出ております。この中身について御検討を頂けないかと思うわけです。 ○鎌田部会長 何かありますか,事務当局から説明することは。 ○脇村関係官 まず,配偶者あるいは根保証に関しては,正に先生が御指摘の点は前回も御指摘を頂いているところでございまして,当局としては実務上のニーズの観点から,なかなか,それは難しいのかなと考えているところでございますが,皆様に御検討いただきたいなと思っているところでございます。   併せて先生から口授の内容について御指摘がございまして,正に主たる債務のこの文言だけでどこまで読むのかという点については,先生の御指摘の点はごもっともだと思っているところでございますので,法文に書くのか,書かないのかも含めて,その具体的内容を当局の方でもどういったものを想定しているのかを少し検討させていただいて,また,提示させていただきたいと思っております。 ○岡委員 今の最後の点ですが,昨日の弁護士会の議論で出た心配は,口授の内容として,今,原案に書かれてあるような固定文言を印刷した書面を用意していて,それを読み上げて判子を押すだけと,こういう機械的な作業になるのではないかという心配でございます。したがって,大事なのは保証する金額は200万円ですよとか,主債務者はこの人ですよとか,主たる債務あるいは根保証の個別具体的なものをある程度,織り込まなければいけないと思います。今,おっしゃったのは全く抽象的な固定文言だけではなく,主債務の金額だとか,根保証の極度額だとか,原案はそういうものも盛り込む趣旨であるということでよろしいでしょうか。 ○脇村関係官 先生のおっしゃるとおり,今の文言ですと抽象的でございますので,読み方によっては極端な話ですけれども,主たる債務について意思を有しているのだというだけで済むじゃないかという御懸念だと思うんですけれども,これまでの議論からすると特定の債務について意思を確認すべきではないかというお話だったと思うので,ただ,どこまで確認するのかというのはまた別途,問題になると思いますので,そこは併せて少し検討させていただきたいなというところでございます。 ○鎌田部会長 (3)アの(ア)の内容が具体的な債務と責任の内容になっていないと,一般論を言われても分からないということなんだろうと思うんです。 ○山本(敬)幹事 私も正にその点が気になっていたところですので,岡委員あるいは中井委員の御心配はよく分かります。保証しようとする主たる債務が何であるかということが確定していませんと,何の意思も確認したことにならないと思いますので,主債務者が誰であり,主債務の内容がどのようなものであるかということの確定は,必ず行われなければならないのではないかと思います。   その上で,確認をさせていただきたかったことが一つあるのですが,(3)では,手続としては,保証契約の締結に先立って,このようなものが必要であるということになっています。ですので,保証契約が要式行為であるという点は現行法のまま変えないということなのだろうと思います。としますと,公正証書を作成して,その後に保証契約書を元に締結を行うという段取りになるのではないかと思います。これは,もし逆に保証契約書が先に作成されて締結行為までしたとすると,その後で公正証書を作成しても保証契約の効力は生じない。もう一度,改めて保証契約をし直しなさいということになると見るべきなのでしょうが,それでよろしいのですねという確認です。 ○脇村関係官 基本的に先立ちと書いておりますので,まず,先にやることを想定しています。ただ,実際問題は準備してからやるのでしょうけれども,厳密に言うと,締結した後にやるのではなくて,確認してから締結するという段取りになるというのは間違いないと思っております。 ○山本(敬)幹事 その段取りを誤った場合には,効力を生じないという意味を持つという理解ですね。 ○脇村関係官 そうです。 ○中原委員 例えば緊急融資というケースもありますので,「先立ち」という形で厳格にしますと,対応できない事案もあると思います。仮に,先に保証契約をして,公証役場に行ってもらえなかった場合には,そこで保証契約の効力を否定すればよいのですから,順番を厳密に考えると実務的には緊急融資等の場合に対応できないとの懸念を持ちます。 ○松岡委員 中原委員のおっしゃるのも実務的な要請としては十分理解できるのですけれども,この間,行動経済学を扱っている番組を見ていまして,先行行為があると人間はそれを否定することが非常に難しいというのを,ごく一般的にですが,言っておりました。保証人になるという契約書で,署名も捺印もしてしまって,後から説明をされたら,うんと言わざるを得なくなる心理が働きますので,ここは歯止めとしては順序をしっかり守っていただきたいと希望いたします。 ○道垣内幹事 その話につきまして,行動経済学は分かりませんが,公証人の説明,口授に基づかなければ,保証契約の意思がないことになると思うので,先立つでないといけないのではかと考えますが,それよりも私が発言しようとしているのは,正に脇村関係官がおっしゃった配偶者が主たる債務者が行う事業に従事している場合には公正証書によらなくても保証ができるという点です。その説明が21ページにありまして,最後の一文だけを読むのは卑怯かもしれませんが,情義に基づくという側面が弱い,とされている。しかし,夫婦間というのは一般的には情義性が一番強いとされているのではないかと思います。最もまずい類型だと少なくともイギリスでは考えられており,この21ページの叙述は少なくとも説明にはならないだろうと思います。ある種の個人事業で配偶者も働いているというふうな場合には,しばしば,家庭の財産と会社の財産というものの分別が不十分なことがあるという実態に鑑みて,といった説明ならば,まだ,一応の理由はあるかなと思いますが,それでも反対でありますけれども,情義に基づくという側面が弱いと書かれるとどうかなという気がいたします。 ○潮見幹事 前回ここを議論したときに私は欠席していたので教えてもらいたいんですけれども,配偶者ということを特に強く推す意見というのはそれほど強かったんですか。つまり,「配偶者(主たる債務者が行う事業に従事している者に限る。)」と書かれていて,そうであるのならば,ウの前段だけで前段をどのように解釈適用するかという形で問題を処理すれば,先ほど道垣内さんがおっしゃられたようなことも含めて,うまく収まるのではないかという感じがしたものですから,少しお尋ねした次第です。 ○脇村関係官 まず,共同事業者の概念につきましては,資料にも書かせていただいたと思うんですけれども,固く考えているところでございますので,配偶者が単に従事しているだけではなかなか入らないのではないかということを前提としつつ,具体的なニーズとして先ほど道垣内先生の方から正に御説明いただいたとおりなんですけれども,そういう家庭と経営の財産が分離していないケースについて,そういった保証ニーズがあるのではないかということで,今回,書かせていただいていて,なかなか,共同事業の中で読むには配偶者のケースについて,実務上,想定しているような配偶者がそういう共同事業者まで評価できるケースというのは,あまりないのではないのかなということを念頭に置きつつ,書かせていただいたというところでございます。 ○道垣内幹事 恐らく潮見幹事がおっしゃったのは,仮にそういうふうな財産の分離が不完全であるというふうな場合には,正に共同経営者と認定できるという話ですね。脇村関係官の論理が私がどう考えてもおかしいと思うのは,一方で,共同経営者という概念を広げると保証人が誰でもできて不利になってしまうので,そこは厳格にしましょうと言いながら,他方で,だから,こっちにはオーケーを作りましょうというわけでして,その説明は,共同経営者というのは形式的に判断しなければならないという前半の価値判断と後半の価値判断とが一致していないように思うのです。 ○脇村関係官 私の整理が不十分なのかもしれないんですけれども,基本的には固くいきたいなというのが思いとしてあるんですけれども,他方で,そういう具体的ニーズに何とかこたえたいなというせめぎ合いを表現したというか,そういったところでございます。 ○山本(敬)幹事 私が気になっていましたのは,事業に従事するという概念が一体,何を指しているのかということです。道垣内幹事が言われるように,家庭の財産と会社の財産の分別が不十分になるようなポジションで実際に従事しているという場合がかろうじて正当化できるということは理解できるわけですけれども,単純に仕事の中のごく一部を行っているだけである,例えば配達を手伝っているだけであるとか,あるいは医者の場合に,看護師として働いているだけであるというようなケースがこの従事している者に入ってくると見ますと,本当にそれでよいのかという疑問が出てきます。ほかにより適切な言葉があれば,より限定することが必要ではないかと思いますが,そもそも,情義性という観点からいえば極めて危ないケースであるというのは,私もまったくその通りと思います。そのような目でもう一度,見直す必要があるのではないかと思います。 ○鹿野幹事 繰り返しになるのですが,私も,前回,確か大島委員からでしたか,配偶者をここに入れるべきだという御意見が出されたときに,それは反対だということをはっきり申しましたし,その際,配偶者については,情義性により保証人になることを断れないという危険性があり,そのため配偶者による保証は,日本のみならず,比較法的にも非常に問題が多い類型として捉えられているのではないかという趣旨のことを申し上げました。また,そのときにも,配偶者が共同事業をしているとか,ほかに立てられた類型に当てはまるのであれば,そちらの類型で例外扱いされるということは考えられるだろうけれども,配偶者であるということだけで特別扱いをするのは適切ではないという意見を申し上げたところです。今回は,配偶者であれば直ちに例外扱いになるというのでなく,事業に従事しているという概念によって少し絞りをかけられており,この点は事務局において御苦労されたのだとは存じます。しかしそれでも,「共同して事業を行う者又は主たる債務者の配偶者」とされており,共同事業まではいかない配偶者をある程度,しかも事業に従事という不明確な概念の下で例外として拾い上げる意図が見えるわけでして,なお,これには賛成できません。 ○高須幹事 脇村さんが御苦労されているというところを,みんなで見てあげないといけないと言おうとしただけですので,すみません,それだけです。 ○鎌田部会長 この点については御指摘のあったような問題点もあり,かつまた,実態としては取り込む必要性も一方であるということだと思うので…… ○中原委員 個人事業主の場合,一番問題なのは部会資料にも記載されていますが,配偶者と債務者との経済的結び付きが強い,言い換えると財産が分離できていないことだろうと思います。その他としては,主たる債務者に相続が開始された場合には,配偶者が相続放棄しない限り,主たる債務者の財産が承継されることになるので,一定の責任を負担してもらうのは許容されるのではないかと考えています。 ○鎌田部会長 相続まで持ち出すと債務も相続してもらうので説得力に欠けるように思います。 ○道垣内幹事 配偶者を保証人にしなければならない実務的ニーズがあるというとき,ここに例外として入れなければ,配偶者はおよそ保証人になれないというのならば,それはまずいというのはわかります。しかし,ここでは3の手続を取りましょうというだけですよね。配偶者については3の手続を取らなくてもいいようにするという実務的なニーズがあるとしましても,そこまでニーズをくみ上げてあげなければいけないという判断には私は賛成できません。 ○岡委員 1点だけですが,今の配偶者については消極意見でございます。その背景といいますか,今日も衆議院の附帯決議が配られております。それから,前回,確か参議院の附帯決議が配られたと思います。この部会でこの附帯決議が配られたことの意義を十分考えるべきだと思います。そういう目で見直すと,附帯決議の5番に個人保証に依存しない融資を確立するべく,民法その他の関連する各種の法改正等の場面においても,ガイドラインの趣旨を十分踏まえるよう努めろと,こう書かれています。配偶者について特別枠を設けるのはこの付帯決議に反するのではないかと思います。 ○中田委員 配偶者について銀行のようなきちんとしたところは,従事しているかどうかというのが曖昧なので,危ないから(3)の公証人の方にいくのではないかと思います。そうでなくて,きちんとしていないところはとにかく配偶者の保証を取ってしまうということになってしまいまして,そうすると,かえって問題が大きくなるのではないかとも思います。 ○村松関係官 今,配偶者についていろいろ御指摘いただきまして,御指摘はそういう意味でごもっともな点もあるんですけれども,他方で,先ほども議論がありましたけれども,公証人を使うことによる負担についての御指摘も事務当局として頂いておりまして,そういった意味では,うまい手立てが公証人の方にあれば,こちらの方は厳しくてもいいんだけれども,公証人の方はなかなかほかの代替案はないなというような今のところの検討状況なんですけれども,そういったところを踏まえると,他方で穴をあけざるを得ないのかなというところもあり,今日の御指摘を踏まえて,また,よく検討したいとは思うんですけれども,そういう意味で,事務当局としても非常に悩みの強い部分もあり,今回の案は事業に従事というところで一定の絞りを掛けるところで,今回の改正においてはそういったところで一つラインを引いて,この改正は法改正ですけれども,それとは別に行政上の対応も別途,行われているところもありますので,そこら辺りにも目配りしながら検討を進めたいと思います。 ○道垣内幹事 そういう目配りをした上で反対です。 ○潮見幹事 一言だけです。私も反対です。「又は」以下を削除していただかないと賛成はできません。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか。2の情報提供義務にも特に御異論はないと思ってよろしいでしょうか。このブラケット内の2か月という部分については何か補足的な説明や,この点について意見を伺いたいということは。 ○脇村関係官 債権者の方で通知するとき,2か月以内でいけるということであれば,これでいかせていただきたいなと思っているんですが,その点の実務的な御感覚等をもし今日の段階で頂けるのであれば,是非,頂きたいなと思っております。 ○中原委員 銀行協会でも議論しましたが,ブラケットを2か月とすることについて特に異論はありませんでした。 ○鎌田部会長 よろしければ,保証のBが残ってはいるんですけれども,大変申し訳ありませんが,今日の議論はここまでということにさせていただければと思います。 ○岡委員 今の点について,一応,弁護士会の議論状況をお伝えしたいと思います。期間については,1か月という意見も相応にございました。それから,期限の利益が回復するというのがなくなったのは残念だという意見が予想外に最後の段階でもございましたので,御報告を申し上げます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   最後に,次回の議事日程等について事務当局から説明してもらいます。 ○筒井幹事 本日の議事で積み残しが出ておりますので,次回は来週5月27日の予備日を開催させていただこうと思います。5月27日,火曜日,午後1時から午後6時まで,場所は法務省20階第1会議室,本日と同じ会場でございます。   それから,もう少し先のこともお伝えしておこうと思いますけれども,その後の正規の会議としては,6月3日は事務当局の準備の都合で会議を開催しないことにさせていただきまして,6月10日に次々回を開催することにさせていただこうと思います。この6月10日以降の会議におきましては,7月末を目標とする要綱仮案の取りまとめに向けて,事務当局から原案的なものを御提示することにしたいと考えております。現在のスケジュール感としては,要綱仮案の原案的なものを3分割で御提示しようと考えております。具体的には6月10日にその1,6月24日にその2,それから7月8日にその3を順次提示し,御議論いただきたいと考えております。   この要項仮案の取りまとめに向けた議論につきましては,その資料配付日として先ほど申し上げました日が正規の会議で,その翌週を予備日という形にさせていただこうと考えておりますので,実質的には3分割でご提示したものを2週に分けて御議論いただくということにならざるを得ないと考えております。その後,7月8日に配布した原案その3について,7月8日と7月15日で御議論いただいた後,7月22日と7月29日の会議日を使って当初の原案に修正を加えたものをお諮りしつつ,要綱仮案の決定を目指すということにさせていただこうと思います。7月29日までに決定に至らなかった場合には,順次,8月にずれ込んでいくという会議日程を想定しております。現時点でこのように御案内を差し上げます。よろしく御協力いただきたいと思います。   それから,6月10日の会議のことですが,先ほど要綱仮案の原案その1を御提示するとお伝えいたしましたが,それに加えて,現時点までの議論の状況に鑑みて,いわゆるB型の部会資料を提示して議論を深めていただく必要があると考える論点がありましたときには,それも並行して審議していただくことにしたいと考えております。   それから,6月10日の会議での議題について,事務当局から追加の提案がございます。法定利率に変動制を導入する場合の中間利息控除の利率につきましては,これまでの部会で御議論いただいてきたところですけれども,この点に関しまして日本損害保険協会から,この部会の会議の場で直接,意見を述べたいという御要望が事務当局に寄せられております。この御要望については,この部会の審議を充実させる観点から有意義なことであると思いますので,6月10日の会議には日本損害保険協会の方に参考人として御出席いただき,ヒアリングを実施してはどうかと考えております。この点についてお諮りしたいと思います。 ○鎌田部会長 ただいまの事務当局の提案について御質問,御意見がございましたらお出しください。よろしいですか。   最大の利害関係団体だと思いますし,実務への影響も大きいと思いますので,6月10日の第90回会議において日本損害保険協会の方においでいただいて,ヒアリングを行うこととさせていただきます。   それでは,本日の審議はこれで終了とさせていただきます。   本日も大変御熱心な御議論を賜りまして誠にありがとうございました。 -了-