法制審議会 民法(債権関係)部会 第78回会議 議事録 第1 日 時  平成25年10月8日(火)自 午後1時00分                      至 午後5時48分 第2 場 所  法務省 第1会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会の第78回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   本日は,大島博委員,能見善久委員,福田千恵子幹事が御欠席でございます。   本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局からお願いいたします。 ○筒井幹事 事前送付資料として,部会資料68Aと68Bをお届けいたしました。   また,本日の机上配布資料として,パブリック・コメント関係の意見の概要をまとめた部会資料64-6を配布させていただいております。また,委員等提供資料といたしまして,潮見佳男幹事から部会資料68Aについての御意見と,それから68Bについての御意見をそれぞれ書面で提出していただいております。 ○鎌田部会長 本日は,部会資料68A及びBについて御審議いただく予定です。部会資料のAタイプとBタイプの審議の順序につきましては,今回もAタイプの資料を基本としつつ,その間にBタイプの資料の論点を適宜織り込み,おおむね中間試案における各論点の掲載順に従って議論することとしたいと思います。具体的には,休憩前までに部会資料68Aのうち「第1 履行請求権等」,「第2 債務不履行による損害賠償」について御審議いただき,午後3時頃を目途に適宜休憩を入れることを予定いたしております。休憩後,部会資料68Aの残りの部分及び部会資料68Bについて御審議いただく予定でございます   それでは審議に入ります。   まず,部会資料68A,「第1 履行請求権等」について御審議いただきます。事務当局から説明をしてもらいます。 ○金関係官 説明いたします。   「第1 履行請求権等」の「1 債権の請求力」では,債権者は債務者に対してその債務の履行を請求することができる旨を定めることとしています。中間試案からの変更はありません。   「2 履行の不能(履行請求権の限界事由)」の(1)では,債務の履行が不能であるときは,債権者はその債務の履行を請求することができない旨を定めつつ,その債務が契約によって生じたものであるときは,当該契約の趣旨に照らして不能であるかどうかを判断する旨を定めることとしています。中間試案では,契約によって生じた債務のみを対象として,履行請求権の限界事由があるときは,債権者はその債務の履行を請求することができないとされていましたが,今回の資料では,履行請求権の限界の問題は契約によって生じた債務に限らず問題となる旨の指摘や,履行請求権の限界事由という表現は分かりにくい旨の指摘などを踏まえ,契約によって生じた債務に限らず債務一般の履行が不能である場合に関する規律を定めつつ,契約によって生じた債務については当該契約の趣旨に照らして履行が不能であるかどうかを判断する旨を明記するという方式を採用しました。このような規定方式の選択は,全般的な規定の配置の在り方とも密接に関わりますので,最終的には規定の配置に関する議論を踏まえて,改めて検討する必要があると考えています。(2)では,金銭の給付を目的とする債務については,(1)の規律を適用しないものとしています。これについては,中間試案からの実質的な変更はありません。   「3 履行の強制」では,(1)において,民法第414条第1項本文に関して,債務者が任意に債務の履行をしないときは,債権者は民事執行法の規定に従い,直接強制,代替執行,間接強制その他の方法による履行の強制を裁判所に請求することができる旨を定め,(3)において,民法第414条第2項及び第3項を削除することとしています。(2)は,現在の民法第414条第4項を維持するものです。これらについても,中間試案からの実質的な変更はありません。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま説明のありました部分につきまして御審議いただきます。御自由に御発言ください。 ○潮見幹事 席上配布資料に詳しいことは書きましたので,時間の関係で簡単に申し上げます。第1の「2 履行の不能」のところの(2)ですけれども,「金銭の給付を目的とする債務については適用しない」という規定を置くのはやはりまずいのではないかということです。つまり,金銭債務についても,法律的不能,法令による不能というものがあるわけで,過去にもそれに類する最高裁の判決もございます。そうした中で,(2)のようなものを置くということは,かえってあらぬ誤解を招きかねません。そうであれば,(1)のみで十分ではないかということです。   更に申し上げますと,この(2)は,金銭に不能なしというローマ法の格言から導き出してきたのではないかと思いますが,金銭に不能なしというのは,ローマ法の世界では,損害賠償,日本で言ったら民法419条のレベルで語られていたものであって,履行請求のところでは語られていないのではないでしょうか。そうであれば,ますますその(2)ということをここに置くということについては,慎重を期したほうがいいと思います。 ○大村幹事 先ほどの事務局の御説明の中にあった点についての確認ですけれども,今回,履行請求権の限界事由のところで,契約に基づく債務の場合とその他の債務の場合の双方を含んだ形で契約については括弧書きという形になっていますが,規定の配置の仕方によっては,さらに検討する必要があるというお話がありました。今回の資料を拝見しますと,この手の書き方になっているものがこの後も多数出てきますが,いずれも同じ趣旨であって,契約に基づく場合とそうでない場合につき,現段階ではそれを一つの規定の形で書いてあると理解してよろしいでしょうか。 ○筒井幹事 そのとおりでございます。 ○鎌田部会長 よろしいですか。それでは,ほかの御意見。 ○松岡委員 第1の2の履行不能,1ページから3ページのところです。中間試案にありました「履行費用が著しく過大になったこと」という部分が脱落しております。その理由について,特に御説明がありませんが,これはどう理解したらよろしいか。新提案の(1)の不能という概念の中にこれを含めてしまうという理解か,それとも,そこには含めず,そういうものは履行請求できない場合からは明確に除外するかのどちらでしょうか。おそらく前者ではないかと思います。しかし,これは不能か否かという問題ではなく,中間試案の段階では,履行請求の相当性の例示として位置付けられていました。不能という概念では位置付けにくいのではないかという感触があるのですが,その点はいかがでしょうか。 ○金関係官 まず冒頭の御質問に対するお答えとしては,不能の中に含めるという理解をしております。中間試案では,いわゆる過分の費用を要する場合に関しては,イで規律を設けておりましたが,この規律も本来はウのように契約の趣旨に照らして判断すべきものですので,ウと同じように契約の趣旨に照らして債務の履行を請求することが相当でないかどうかといった定め方をする必要があるとも考えられます。そうしますと,結局,表現が分かりにくいとパブコメで指摘されたところがそのまま妥当してしまうようにも思われますので,今回は伝統的なといいますか,従来用いられてきた履行の不能という概念の中で全てを捉えるという提案をしております。 ○山本(敬)幹事 松岡委員が指摘された,正にその点についてなのですが,以前の部会の折に,中間試案のイに当たる部分について,私自身発言したことがあります。その際には,費用を掛ければ履行できるけれども,その費用の負担を債務者に課すことはできない場合がイで考えられているもので,これを履行が不可能であるという表現で捉えられるかどうかは疑問がある。したがって,不能とは別に明文で定める必要があるというようなことを申し上げたと思います。現在の1ページにある(1)は,正に不能でして,今のように費用を掛ければ履行はできるけれども,そこまでの要求はできないという場合を不能に含めるのは,従来の不能より広げるという意味合いを持ってしまうのではないかという気がします。もちろん不能の意味については解釈の余地があるところでして,今申し上げたようなものも不能に含めてよいという考えはあるかもしれませんけれども,やはり不能というと,どうしても履行が不可能であるというイメージで捉えられる可能性は高いのではないかと思います。そうしますと,この中間試案でイに当たるものが,結局落ちることになって,解釈に委ねられることになる。それは余り適当ではないのではないかと思う次第です。 ○鎌田部会長 この点について関連した御意見があればお出しいただければと思います。 ○金関係官 今の山本敬三幹事の御意見は,不能という言葉を使いつつ,中間試案のイに相当するものをも設けるべきだという御趣旨でしょうか。 ○山本(敬)幹事 不能という表現を(1)で使うべきかどうかといいますと,私自身は避けるほうが望ましいという意見であることは終始一貫しているつもりです。しかし,仮に不能という言葉を(1)で用いるとするならば,それに吸収できないものとして別に定める必要があるのではないかと思います。少し補足しますと,例えば,これとは少し違う文脈ですけれども,修補請求で,修補が不可能であるという意味での不能と,過分の費用を要する場合は,カテゴリーとしても分けられていたのではないかと思います。過分の費用を要する場合に相当するものを拾い出そうとして,イのようなものが考えられたのではないかと思います。その意味でも,不能という言葉を使うのであれば,手当てが必要になるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 実際には境界線はかなり微妙ですよね。我々が昔学生だった頃には,指輪が中禅寺湖に沈んだという例がよく挙げられていたのですけれども,あれもお金を掛ければ拾って来られるけれども,これは不能であるといわれていた。実現のために過分の費用を要する場合を不能に準じた取扱いをするというのは,そういうものよりもうちょっと広げていくべきだという趣旨も山本敬三幹事の御意見の中には入っているんでしょうか。現在履行不能と言われているものよりは広げるべきであるということか,あるいは,それをどう表現するかの問題であるということか,どちらのほうか,教えていただければ。 ○山本(敬)幹事 何度も言いましたように,不能という言葉は避けるべきであるというのが私自身の意見ですけれども,それに対して,もし不能という言葉で一元的に規定を置くとなりますと,不能という概念の解釈が柔軟になっていかざるを得ないのではないかと思います。それが本当に望ましいのかどうかということは,今ここで真剣に検討すべきことではないかと思います。 ○鎌田部会長 分かりました。関連して御意見がありましたら,お出しください。 ○中井委員 今の御意見の交換を聞いていて,やはり思うことは,今回の改正の出発点にもなるのかもしれませんけれども,民法の中身を分かりやすくしましょうということが一つの出発点であったことは間違いなくて,履行が請求できないのはどういう場合かということを第一読会,第二読会で議論してきて,物理的に不能の場合,社会経済的に見て不能な場合,それ以外に取り分け山本敬三幹事からここのイ,中間試案第9の2のイの過大な費用が掛かる場合についても履行請求できない一つの事例ではないか。そういう議論があって,中間試案としたと理解をしています。これについてのパブコメ意見については,私はまだ残念ながら拝見しておりませんけれども,今回,不能という言葉に戻ったわけです。弁護士会の意見でも履行請求権の限界事由という言葉に対しては批判が多くありました。不能のほうが分かりやすい。だから,不能という言葉については,愛着があるからなのか,概念がそれで分かりやすいからなのかはともかくとして,この言葉に対する抵抗感は実は余りありません。しかし,その中身について,これまで審議したこと,そして山本敬三幹事がおっしゃられている,このイのような場面が一体入るのか入らないのかという,松岡委員のような疑問がやはり出てくる。出てきたときに不能という解釈で解決するとなれば,ある意味で従来の議論に戻ってしまう。そう考えると,山本敬三幹事がおっしゃられた,ここで履行請求権の限界という言葉は差し当たり使いますけれども,その中に,このイのような場面を含むということが合意されるのであれば,それを表現される方向で検討するのが筋ではないかという気がいたします。このような事柄は,前回も,そして今回の部会資料で,この後審議される,例えば過失相殺における過失という言葉使いについてもそうだと思いますが,ここで審議して,その内容を明らかにしようと努めた,その表現が稚拙であったり,まだ不十分なところがあったのかもしれませんけれども,批判を受けたところから,そうあっさり元に戻していいのかなという,素朴な問題意識を持っております。 ○鎌田部会長 それでは今の点は引き続き検討させていただきます。 ○筒井幹事 御意見ありがとうございます。十分受け止めて,もう一度検討してみたいと思います。今回,このような案を提示した理由についてもう一度だけ補充しておきます。中間試案におけるイの過分の費用というタイプのものを例示することに関しては,それもまた契約の趣旨に照らして判断すべきものである点が,中間試案では十分に表現できていなかったという問題がありました。これは先ほど関係官の金から御説明したとおりです。そのことに加えて,条文に何らかの例を書くからには,そのコアとなる事項が何であるかを表現する必要がある,それが中間試案におけるウであったわけですけれども,このウの意味が非常に分かりにくいという批判がパブリック・コメントでも寄せられています。つまり,履行請求権の限界事由という言葉に対する批判があるだけでなく,それとともに,ウの内実がよく分からないという問題があり,したがって,イを書くことも現時点では難しいという判断に傾いたわけです。もっとも,本日改めて御指摘を頂いたことを踏まえて,もう一度よく考えてみたいと思います。 ○岡委員 二つ申し上げます。一つは,今の過分な費用のところについては,その契約の趣旨に照らして過分という表現であればまだ理解できるけれども,やはりお金のそろばん勘定だけで履行不能になるというのは,極めて限定された場合にすべきであろうという意見が,実務家で議論していると多くあるところでございます。その観点からいけば,中井さんとちょっとニュアンスが違うかもしれませんが,過分ということは条文には書かずに,条文は不能という言葉のままで,従来の社会通念上不能,あるいは費用を考えて不能というその中身・解釈については,一問一答で明らかにすれば,足りるのではないかという意見を個人的には持っております。   もう1点は,契約の趣旨について,第二読会及び中間試案では,修飾語を付けてありました。部会資料の2ページのところにある,内容,性質,目的,経緯,その他,一切の事情を考慮し,取引通念をも勘案して評価・認定するものであると。この部分の表現について,今回,ブラケットがとれて,条文には表さないという提案がされたと理解しておりますが,この取引通念も勘案して,契約の趣旨を考えるということは,筒井さんがNBLにも書かれましたように,対立していた論点が,この取引通念考慮で合意,コンセンサスに近付いたわけでございます。そういう経緯もありますし,契約の趣旨という言葉だけからは,取引通念考慮,あるいは勘案というのは,やはり出てこないと思います。条文には契約の趣旨という文言だけで,一問一答に書けば大丈夫だという意見もあるんですが,やはりこれだけ大事なところですので,この取引通念をも勘案というのは,是非条文の中に入れるべきであると考えます。中間試案にあったブラケットは条文に残すべきであるという意見を強く持っております。 ○中井委員 ここも審議の経過をやはり大事にしていただきたいと思う点です。現在の条文の中で,契約の目的という言葉,契約の性質という言葉があります。この二つは少なくとも当該契約自体から由来するといいますか,当該契約を締結した,正に目的であり,当該契約の性質が問われているんだろうと思います。そこに契約の趣旨という言葉が新たに加わったときに,その趣旨から想定されるものは,やはり当該契約の目的なり,性質なりを基本として判断されるものと考えるのが素直ではないか。かねて,ここで議論したのは,履行不能なら不能,帰責事由なら帰責事由ということを考えるに当たって,契約で定めた内容,目的,性質だけではなくて,社会通念と最初は使ったかと思いますけれども,一般的な,社会的な規範,そういう外在的な要因も加味して,その契約内容については,例えば履行不能かどうかを考えるべきであると。一時は,弁護士会としては契約の趣旨を,社会通念と並列的に並べて判断をするのが好ましいのではないかという提案さえしたわけです。しかし,その並列については,適切とは言えないというところから,契約の趣旨の中に少なくとも取引通念を取り込んで解釈することによって,一定,ここでの共通の理解が得られたものと思っております。したがって,そういうこれまでの審議の経過と,契約の趣旨のみからは取引通念なりを考慮することが直ちに出てこないことを考えると,この契約の趣旨という言葉を民法に取り込むとすれば,その定義規定といいますか,そこに取引通念,取引観念が含まれることを明らかにするようにすべきであると思います。是非ここは再考願いたいと思います。 ○道垣内幹事 結論として,社会通念という言葉を入れることに特に反対したいというわけではありませんが,現行法において,契約の目的などの言葉においては,社会通念が入っていないという認識については,違うと申し上げたいと思います。社会通念は,契約の解釈の一つの標準とされるということについてはコンセンサスが得られている事項だと思います。そうしますと,社会通念は契約の解釈を通して,契約の目的の解釈に組み入れられるわけでして,明文化しなければ組み入れられないという論理自体には賛同できません。 ○岡崎幹事 日常用語として見たときに,契約の趣旨の中に社会通念なり取引通念が入っているといえるかというと,やはり世間一般の人にとっては,契約の趣旨という文言の中に,社会通念や取引通念を読み取るのは,容易ではないのではないかと思います。そういう意味で岡委員,中井委員の御発言に賛成したいと思います。比較的最近の最高裁の判例にも,履行不能を判定する際の基準として,社会通念に言及しているものがございます。例えば平成9年2月25日第三小法廷判決民集51巻2号398ページは,事案は省略しますけれども,社会通念及び取引観念に照らして履行不能というべきであるという判示をしております。裁判で判断する際の基準として何が用いられているかというと,契約の趣旨ももちろん大きな要素ではあると思いますが,同様に,社会通念,あるいは取引通念も,重要な考慮要素になっていると思います。素案では,契約の趣旨に照らして不能であるというところの前に,「その債務が契約によって生じたものである場合にあっては」という言葉が加えられておりますが,それでは,契約以外の場合にはどういう基準で行くのかということになったときに,何か文言を補おうとすれば,社会通念や取引通念といった言葉を入れざるを得ないのではないかとも思われます。仮にそうだとすると,契約の趣旨という文言だけをここに書いてしまうと,契約の趣旨の中には取引通念のようなものが入らないという誤解を招くのではないかという心配をしています。 ○筒井幹事 御意見ありがとうございます。契約の趣旨という文言をめぐっては,御指摘いただきましたように,これまでの議論の積み重ねがあり,中間試案の取りまとめの際にそれに係る考慮要素などを書くということで,文言的,内容的にまだ詰めなければならないところはあるにしても,この部会,あるいはこの議論に関わってきた多くの方々との間では,おおむねのコンセンサスが形成されつつあったところだと思います。ですから,あとは条文表現の問題であるというところまで来ているのだと思います。今回の案を提示するに当たっては,現在の民法の規定では,こういった抽象的な文言について考慮要素などを説明調に書いてあるものが見当たらないということ,そして,考慮要素や判断基準などを書き込むとしても,どのようなものを挙げ,拾いそれらの相互関係をどのように構造化するのかといった整理の問題としても非常にハードルが高いということで,現時点ではこのような案を御提示したわけでございます。しかし,このままではなお分かりにくいという御指摘があるのは大変よく理解できますので,なお,今日頂いた御意見を踏まえて検討してみたいと考えております。 ○佐成委員 一言だけ,今の「契約の趣旨」ですけれども,やはり経済界,取引界としては,「契約の趣旨」がこれからいろいろな場面で出てくることになると,主観的な形で解釈されてしまうのではないかということが一番懸念されるところです。そうなると取引関係が非常に不安定になるので,そういったところも頭の隅に入れて,引き続き文言等を検討していただきたいということだけ申し上げておきます。 ○鎌田部会長 それでは,今,筒井幹事からお話がありましたように,今日頂戴した意見を踏まえて更に検討を続けてもらうようにいたします。   ほかによろしいでしょうか。よろしければ,次に部会資料68Aの「第2 債務不履行による損害賠償」について御審議いただきます。事務当局から説明をしてもらいます。 ○金関係官 1から8まで一気に説明いたします。   「第2 債務不履行による損害賠償」の「1 債務不履行による損害賠償とその免責事由」では,債務の不履行が債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは債務者は損害賠償の責任を負わない旨を定めつつ,その債務が契約によって生じたものである場合には,当該契約の趣旨に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるかどうかを判断することとしています。   「2 債務の履行に代わる損害賠償の要件」では,填補賠償の請求をすることができる場合として,(1)において履行不能の場合,(2)においていわゆる確定的履行拒絶の場合,(3)において債権者が契約を解除した場合,(4)において債務不履行による解除の要件を満たす場合を定めることとしています。中間試案では,填補賠償の要件に関する規律に加えて,債権者が填補賠償の請求をしたときは本来の履行請求をすることができなくなる旨の規律を設けることとされていましたが,今回の資料では,債権者が填補賠償の請求を選択した場合に債務者も本来の履行をすることができなくなるのかといった点を明確にしないまま規律を設けるのは相当でない旨の指摘などを踏まえ,明文の規定を設けずに引き続き解釈に委ねることとしました。   「3 不確定期限における履行遅滞」では,債務者が不確定期限の到来の事実を知らない場合であっても,債権者が不確定期限の到来後に債務者に対して履行の請求をしたときは,債務者はその履行の請求を受けた時から遅滞の責任を負うこととしています。中間試案では,債務者が不確定期限の到来の事実を知らない場合であっても,債権者が債務者に対して不確定期限の到来したことを通知し,それが債務者に到達したときは,債務者はその到達の時から遅滞の責任を負うこととされていましたが,今回の資料でも,引き続き通説の理解に従うことを前提としつつ,民法第412条第3項の表現等を参照しながら,より適当な表現を用いる趣旨の修正をいたしました。   「4 履行遅滞中の履行不能による損害賠償」では,債務者が履行遅滞の責任を負っている間に履行不能となった場合には,その履行不能の事実自体については債務者に帰責事由がないときであっても,債務者は履行不能による損害賠償の責任を負う旨を定めた上で,債務者が遅滞に陥っていなかったとしてもその損害が生ずべきであったときは,債務者はその損害の賠償責任を負わない旨を定めることとしています。中間試案からの実質的な変更はありません。   「5 代償請求権」では,債務の履行が不能となったのと同一の原因により債務者がその債務の目的物の代償である権利又は利益を取得したときは,債権者はその受けた損害の額の限度で当該権利の移転又は利益の償還を請求することができる旨を定めることとしています。中間試案では,代償請求権の要件として,履行不能による損害賠償について債務者に免責事由があることを必要とし,他方,(注)においてその要件を不要とするという考え方が取り上げられていましたが,今回の資料では,債務者の資力が十分でない場合に債務者からの履行のみに依存せざるを得ないとするのは債権者の保護に欠ける旨の指摘などを踏まえて,中間試案の(注)の考え方を採ることとしました。   「6 損害賠償の範囲」では,まず(1)において,債務の不履行によって通常生ずべき損害が賠償の範囲に含まれる旨を定め,(2)において,(1)の通常生ずべき損害に該当しない損害については,債務者がその債務の不履行の時点において予見すべきであった損害が賠償の範囲に含まれる旨を定め,以上の規律を前提としつつ,債務が契約によって生じたものである場合には,当該契約の趣旨に照らして債務者が予見すべきであった損害かどうかを判断することとしています。中間試案では,契約を締結した後に初めて債務者が予見し又は予見すべきものとなった損害については,債務者がその損害を回避するために当該契約の趣旨に照らして相当と認められる措置を講じたときは,債務者はその損害の賠償責任を負わないこととされていましたが,今回の資料では,債務者がその損害を回避するために契約の趣旨に照らして相当と認められる措置を講じたのであれば,その段階でその損害は債務者が予見すべきであった損害ではなくなるのではないかといった指摘や,債務者がその損害を回避するために契約の趣旨に照らして相当と認められる措置を講じたにもかかわらず,なおその損害を予見すべきであった場合を仮に想定するのであれば,少なくともその場合には損害賠償責任を常に否定すべきであるとは言えないといった指摘があることなどを踏まえ,今回の提案の(2)の解釈や事実認定による適切な解決に委ねることとしました。   「7 過失相殺」では,民法第418条の債務の不履行に関して債権者に過失があったときという文言を,債務の不履行又はこれによる損害の発生若しくは拡大に関して債権者に過失があったときという文言に改めることとしています。中間試案では,損害の発生などを防止するために状況に応じて債権者に求めるのが相当と認められる措置を債権者が講じなかったときに過失相殺が認められるとされていましたが,今回の資料では,その要件では過失相殺が認められる場面が広くなりかねない旨の指摘や,逆に狭くなりかねない旨の指摘があり,また,そもそも要件として不明確である旨の指摘があったことなどを踏まえ,現行法の「過失」という要件を引き続き用いることとしています。また,中間試案では,過失相殺の効果についても,現在の民法第418条の規律を変更し,不法行為における過失相殺に関する民法第722条と規律を合わせることとされていましたが,今回の資料では,部会資料68Aの18ページの最終パラグラフに記載しましたとおり,両者を区別する理由が一応存在するのではないかといったことを前提に,現在の民法第418条の効果を維持することとしています。   「8 賠償額の予定」では,賠償額の予定が,現に生じた損害の額及び当事者が賠償額の予定をした目的に照らして著しく過大であると認められるときは,その賠償額の予定のうち著しく過大であると認められる部分は効力を有しない旨を定めることとしています。中間試案では,賠償額の予定が著しく過大であると認められる場合の効果として,相当な部分を超える部分の履行を請求することができないとされていましたが,今回の資料では,賠償額の予定の一部を無効とする旨を定めるほうが簡明である旨の指摘や,著しく過大である部分と相当な部分を超える部分との関係が不明確である旨の指摘があったことなどを踏まえ,賠償額の予定が著しく過大であると認められる場合にはその著しく過大であると認められる部分が無効となる旨を定めることとしました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。ただいま「第2 債務不履行による損害賠償」につきましては,一括して御説明を頂きましたけれども,まず「1 債務不履行による損害賠償とその免責事由(民法第415条関係)」から「4 履行遅滞中の履行不能による損害賠償」までについて御審議を頂きたいと思います。御自由に御発言ください。 ○松岡委員 7ページから10ページの「債務の履行に代わる損害賠償の要件」について2点申し上げたいと思います。第1点目は,履行拒絶の要件が中間試案から「確定的な意思を表示したとき」と変わっておりまして,客観化・厳格化しているように思われます。履行不能に準じる履行期前の履行拒絶という27ページの2の(4)もやはり「確定的な意思を表示した」と改めていますので,この限りでは平仄が合っているのですが,なぜ変更されたのかについては,必ずしも明確な説明は読み取れません。   一方,解除に関する21ページの第3の1の(3)のところですが,ここでは中間試案の「履行する見込みがないことが明白であるとき」というのをそのまま残しております。残っていたり,消えたりしていて,これで平仄が合っているのかどうか疑問です。もう少し実質的な問題を申し上げますと,本当に確定的な意思の表示というものが不可欠だろうかについて若干の疑問を抱きます。例えば,履行期前に債務者が履行の準備を一切行わないままで行方不明になっている場合です。この場合には,履行しないという意思の表示はないと思われるのですが,履行期には債務の履行が期待できません。それでもなお,履行期を待たないと解除や填補賠償の請求ができないことになっても良いのでしょうか。履行期到来後の解除よりも要件を加重していることになると思うのですが,それはなぜでしょうか。疑問に思います。   今申し上げた第1点目はやや技術的な問題ですが,第2点目が私にはかなり大きな問題だと感じられます。2のところの表題も含めて,中間試案と大きく変わっていると思います。中間試案の整理は,債務の履行に代えて,その不履行による損害の賠償を請求することができるのはどのような場合かという問題の立て方になっておりまして,その場合の損害賠償は,必ずしも填補賠償だけではなく,いわゆる逸失利益の賠償も含まれていたと思われます。ところが,今回の案では「履行に代えて」を僅か1,2文字変えて,「履行に代わる」となっているのですが,それによってすっかり意味が変わってくるように思います。填補賠償の要件とする規律に変えるのであれば,解除の場合を含めるのは妥当ではありません。具体例で申しますと,時価400万円の物を400万で売買する契約があって,履行期に売主が履行しない。目的物は500万円に値上がりしている。仮にこういう場合を考えてみます。通常,填補賠償として考えられているのは,目的物の履行に代わる時価の500万円です。買主がもし解除いたしますと,買主も代金債務を免れますから,損害賠償として取れるのは,100万円の逸失利益だけになります。これは通常,填補賠償とは呼ばないというのが,従来の用語法ではなかったのでしょうか。もしそうだとしますと,この案のように填補賠償を定義する規定に変えるのであれば,むしろ解除していない場合に限定するべきではないのかというのが私の疑問でございます。 ○金関係官 1点目につきましては,解除のところでは,確定的な履行拒絶の場合以外にも一般的に無催告解除を認めるべき場合を拾うものとして,履行を受ける見込みがないことが明白である場合の無催告解除に関する規律を設けておく必要があると考えられるのに対して,填補賠償請求のところでは,確定的な履行拒絶の場合以外に,履行を受ける見込みがないことが明白である場合の填補賠償に関する一般的な規律を設ける必要はないと判断したというのが理由です。その前提として,確定的な表示といっても,黙示のものはあり得ますので,確定的かどうかの解釈の中で処理することができるのではないかとも考えております。もともとこの履行を受ける見込みがないことが明白であるときという要件については,その意味が不明確であるという批判がパブコメなどでも寄せられておりまして,解除のところでは,後ほど議論がされると思いますが,それでもやはり一般的な規定を置いておく必要があると考えられるのに対して,填補賠償ではそこまでの必要はないと考え,一見平仄が合っていないようにも見えますけれども,現在の提案のようになっております。   2点目につきましては,先ほど松岡委員がおっしゃった逸失利益といいますか,そのはみ出している100万円の部分のみの損害賠償も,填補賠償と呼ぶことができることを前提としておりました。ですので,そこがもし根本的な誤りを含むのであれば,再考を要するのかもしれません。今回の資料は,もともと中間試案の第10の1に損害賠償請求ができると書いてあることと,第10の3にも損害賠償請求ができると書いてあることとの関係が不明確ではないか,重複しているのではないかという指摘があったことなどを踏まえ,中間試案の第10の3に相当する部分を填補賠償の要件のみを定めるものに純化させようとする趣旨のものです。 ○潮見幹事 松岡委員がおっしゃった例のケースはいろいろな説明の仕方があろうかと思いますし,また,金さんがおっしゃられたような説明もあり得るのではないかと思います。それよりも,解除の話が出たので,そこをちょっとお尋ねしてよろしいですか。履行拒絶に正に絡むのですが,資料21ページのところにある,1の(3)と,それと2の(4)ですが,2の(4)というのは,履行拒絶を理由とする解除ですよね。これと,1の(3),当事者の一方が,その債務を履行しない場合において,相手方が催告をしても,契約をした目的を達するのに足りる履行を受ける見込みがないことが明らかであるというあたりの関係がちょっと見えにくいので,説明をお願いします。 ○金関係官 中間試案では,いわゆる確定的な履行拒絶を理由とする解除については,履行期前の履行拒絶であれば中間試案の第11の1の(3)が適用され,履行期後の履行拒絶であれば1の(2)のウが適用されると整理しておりました。これに対して,今回の資料では,確定的な履行拒絶については,履行期前のものでも履行期後のものでも,27ページの2の(4)が適用されると整理しております。その関係で,中間試案の第11の1の(2)のウに直接対応する部分,今回の資料の21ページのゴシックの(3)ですけれども,この(3)の中には,確定的な履行拒絶による無催告解除は含まれていないといいますか,この(3)ではなく,27ページのゴシックの(4)のところで確定的な履行拒絶による無催告解除を全てカバーしているという整理をしております。今回の資料の24ページに,今申し上げた対応関係を一覧表にしておりまして,この表の中に履行期後の履行拒絶と履行期前の履行拒絶というのが,上から4番目と上から6番目の欄にありますけれども,いずれも今回の資料の第3の2の(4)で規律することを示しております。 ○潮見幹事 要するに(2)の履行拒絶で,正に確定的な意思を表明したとは言えない程度のものについては,1の(3)の下で判断をする。1の(3)の下の判断の場合には,履行拒絶の意思がどうであったかは度外視して,契約をした目的を達するのに足りる履行を受ける見込みがあるかないか,明らかであるかどうかという,その1点で判断をして,解除の可否,無催告解除の回避を判断するという立て付けだと理解してよろしいわけですね。 ○金関係官 はい,と答えても問題ないかもしれませんが,今の潮見幹事の御指摘は,確定的でない履行拒絶の場合も無催告解除を認める余地があることを前提とされていたと思います。ただ,今回の資料では,その場合に解除が認められるとは必ずしも意識していない面がありまして,黙示でも明示でもいずれでもよいとしても,確定的な履行拒絶があった場合にのみ,履行不能に準じて無催告解除ができるという規律があればむしろそれで足りるのではないかということを少し考えておりました。 ○山野目幹事 7ページの2の(2)につきまして,松岡委員が問題提起をされたことがございましたけれども,それについて,私も松岡委員がおっしゃったことに結論としては同調したいという意見を述べさせていただきます。申し上げたいことは,確定的な意思を表示したということのみで止めるのではなくて,それを例示として更に債務を履行する見込みがないことが明らかであるというような,もう少し包括的な規律表現にしたほうがよいのではないかという意見でございます。その趣旨は,松岡委員がおっしゃったこともごもっともであると感じますが,もう一つ付け加えますと,意思を表示したという文言がここで用いられていますけれども,民法の法文で意思を表示するという表現を用いる場面というものは,民法上の概念整理で言う意思表示の場合に用いることが普通であって,ここは意思表示でしょうか。そのような疑問を読んだときに抱きました。そして,さきほど松岡委員の御指摘に対して金関係官のほうから,いや,意思表示には黙示の意思表示もあるから,それで柔軟にできるとおっしゃられて,ますます意思表示であるかのように受け止める御話になってきていますが,そのような思考操作をしていくということは,甚だ理論的に問題があるのではないか。実務上も曖昧な場面が残るから,見込みがないというものを除くとおっしゃいますが,仮に意思表示だとしても,黙示の意思表示で柔軟にできるとおっしゃると,黙示の意思表示の基礎付け事実の主張立証をめぐって,やはり裁判実務の現場ではいろいろ難しい問題が起こるのであって,それはどちらから行っても同じでありますから,やはりここは意思表示というような表現を用いないで,履行しない旨を確定的に告げたとき,その他履行がされる見込みがないことが明白であるとき,というふうな方向での文言の整理をしていただくことがよろしいのではないかと感じます。 ○鎌田部会長 この点に関連した意見がありましたらお出しください。ほかにはよろしいですか。これまで頂戴した意見を踏まえて,更に事務当局において検討を続けさせていただくということでよろしいですか。   ではほかの点についての御意見をお願いいたします。 ○村上委員 2の(3)について,解除を含めるべきかどうかという問題があるという御指摘がありましたので,その点についてはなお御検討いただければと思いますけれども,仮に解除を残すとした場合に,気になることがあります。(3)では,債権者が解除したときという記載になっていますが,債務者の側が解除をしたときはどうなるのでしょうか。例えば,双方ともに債務不履行があったのだけれども,自分のほうは解除の意思表示をしなかったら,相手側から解除の意思表示をされたという場合に,自分は解除の意思表示をしないけれども,損害賠償の請求はするということが許されないという趣旨なのかどうかという点です。 ○鎌田部会長 今の点について事務当局から説明してください。 ○金関係官 填補賠償を請求したい債権者としては,債務者からの解除の後で自ら解除をして填補賠償の請求をすることができる,その填補賠償の請求に対して,債務者の側が先立って解除をしたから填補賠償の請求は認められないというような抗弁を主張することはできないと考えてはおりますが,ただ,村上委員がおっしゃった点は,事務局としても問題意識として持っております。ここの要件が「債権者が解除したとき」となっておりますのは,一般的な文献や議論の中で,填補賠償の要件としての解除は,債権者からの解除や場合によっては債権者からの債務不履行解除に限定されるという前提で論じられることが多いからですけれども,ただ,本来の考え方としては,填補賠償の根拠は飽くまで債務の不履行,債務の不履行によって損害が生じたことが根拠であって,解除はいわばトリガーみたいなものだと思いますので,その意味では,あらゆる解除,極論すれば合意解除ですら含まれることを前提として規律を設けてよいのではないかとも思っております。その観点から,ここの要件としては,誰が解除したかとか,法定解除か約定解除か合意解除かということは明示せずに,単に「契約が解除されたとき」とだけ書くことで,もしコンセンサスが得られるのであれば,そのようにしたいと考えております。 ○鎌田部会長 今の点は事務当局の説明のようなことでよろしいでしょうか。そういった方向で,検討を続けていただきたいと思います。ほかにはよろしいですか。よろしければ,先ほど説明のありました部分のうち,「5 代償請求権」以降について御審議を頂きます,御自由に御発言ください。 ○安永委員 まず代償請求権ですが,素案の提起を条文化した場合,例えば特別な技能を有する,スキルを持っている労働者が,業務とは全く無関係の交通事故により就労不能となり損害賠償を受けた場合に,使用者は,当該労働者の就労不能により損害を被った範囲で,労働者に対し当該賠償金の償還を請求できる,という解釈がなされるのではないかと懸念を持っております。代償請求権を条文化する際は,このような懸念が払拭できるような規定となるように検討を進めていただきたいと思います。   次に,「6 損害賠償の範囲」ですが,中間試案の際には,損害賠償の範囲を「契約に基づく債務」に限定している点で,安全配慮義務違反など,労働関係上の信義則に基づいて,使用者が負担する債務に関して,労働者保護を薄める懸念があることを,これまで部会等の場で申し上げておりました。この点,今回の素案では損害賠償の範囲を「契約に基づく債務」に限定せずに,債務一般の不履行に関する条項を置くことを提起していただいており,これについて,積極的に賛成したいと思います。 ○道垣内幹事 私も,5の代償請求権について申し上げたいと思います。ただ,その前に安永委員がおっしゃった問題について一言しておきたいと思います。その問題は,会社がその当該労働者に対して損害賠償請求できるかという問題です。その損害賠償請求権が立たなければ,代償請求権に基づいて何かの権利をよこせと労働者に請求することはあり得ないわけです。にもかかわらず,なお懸念があると言われますと,どんな条文についても極端な解釈を呼ぶ懸念があるということになりかねません。したがって,安永委員のおっしゃった問題は,何らかの文言を明記することによって対応すべき問題ではないと思います。   本題に戻りまして,私が申し上げたいのは,中間試案において,代償請求権が認められる場合について,免責事由があるときとなっていたのを,外すことになったというわけでして,その理由なのです。13ページに掲げられておりますところであり,また,金関係官もおっしゃったところでは,債務者にその財産しかないときにはその財産の移転を請求できるようにしたほうがよいのではないかとパブリック・コメントでも述べられているわけですが,その移転請求権には他の債権者との関係で優先権があるのでしょうか。優先権があるのだとするならば,それは「優先権がある」と書かないといけませんし,優先権がないのならば,その財産の移転請求権を金銭的な損害賠償請求権と並べて認めたからといって,問題は改善しないのではないかという気がします。趣旨がよく分からないのですが,お教えいただければと思います。 ○金関係官 優先権があるとまで言われているわけではないように思いますけれども,ただ,このパブコメで頂いた意見の趣旨は,少なくとも競合債権者が誰もいない場合を想定すると,債務者が任意に支払わない場合に,例えば債務者が第三者に持っている損害賠償請求権を債権者の下に移転させて,それを債権者が自ら請求することで,より満足を得やすい状況になるので,その有利な地位を否定する必要はないという意見だと理解しております。 ○道垣内幹事 ということは,その代償請求権は形成権であるという御理解でしょうか。 ○金関係官 はい。今申しました債務者が第三者に対して損害賠償請求権を持っていて,それを債権者の下に移転させるというのは形成権だと理解しております。もちろん既に賠償金が債務者に支払われているような場合はそうではありませんが,ここの文言の「権利の移転又は利益の償還」のうち「権利の移転」というのが,その形成権の場合を示したものだと理解しています。 ○道垣内幹事 競合債権者がない場合に,債権者代位権とか,債権の差押え以外に,当該請求権を直接に帰属させるということを,この場合にだけ認めるという理由はどこにあるのでしょうか。 ○金関係官 本来であれば債権者が受け取るべき目的物の代償と認められるから正当化されるということではないかと思います。 ○道垣内幹事 実際どういう要件の下で代償請求権を認めるかという議論がありますので,いろいろな意見があると思いますが,賛成はできません。 ○潮見幹事 1点だけです。私はこちらの道垣内さんとは反対にこれでいいと思っているんですが,ただ,今,道垣内さんがおっしゃられた部分の説明,パブコメからこれを引用しているこの説明自体が私はおかしいのではないかと思います。むしろ,後で精査していただいたらいいと思いますけれども,高須幹事とか,あるいは山本敬三幹事とか,私とか,この間,帰責事由は要らないということについてはこういう観点から義務を付けたほうがいいのではないか,あるいはそういう理由で帰責事由という要件というものを問題としないという形で説明をしてきたほうの理由のほうが,つまり,債権者の債務者に対する介入の問題だとか,介入の程度の問題だとか,あるいは立証責任の問題だとか,そういうほうを理由に付けたほうがいいのではないかと思います。総じて申し上げましたら,ほかのところにも絡むんですけれども,パブコメの中にも,結論的にはこれでいいかもしれないけれども,この理由で本当にいいのかなという部分も結構あろうかと思いますから,その辺りのところは少し事務局のほうで仕分けをしていただいたほうがいいのではないかと,ついでながら申し上げました。 ○中田委員 私は結論的には道垣内幹事と同じです。損害賠償請求権と代償請求権の並立を認めるというのが今回の御提案ですけれども,4点ほど問題があると思います。   第1点は,既に道垣内幹事が御指摘になられ,潮見幹事も同調されたところですが,資料13ページのパブコメに基づく説明が理由としてはよく理解できないということです。もし優先権を認めるのだとすると,その理由はないと思いますし,そうでないのだとすると,債務者の取得した権利や利益は,債務者の責任財産に含まれるということになって,差押え,債権者代位権の対象となるということで十分ではないかということです。更にそれを超えて,ここまで債権者の権利を拡張すべき立法事実があるということが十分に示されていないと思います。これが第1点の必要性の問題です。   第2点は,二つの請求権を併存させて,債権者に選択を認める場合の問題点が十分に検討されていないのではないかということです。資料13ページには併存させても別に不都合はないという意見が掲載されておりますけれども,この両者を併存させたらどうなるのかということは,これまで十分に検討されていないのではないかと思います。例えば債権者は,損害賠償請求権を行使しないで,いきなり代償請求権を行使してよいのか,一方の請求をすると他方は請求できなくなるのか,損害賠償請求権について過失相殺事由があるときはどうなるのか,一方を譲渡したら他方はどうなるのか,損害賠償請求権が時効消滅したらどうか,債務者が倒産したらどうかなど,様々な問題があると思います。素案はそういった問題はその都度考えればよいというお立場かもしれませんけれども,新たな制度を導入する以上は,やはり十分に検討しておく必要があるのではないかと思います。   第3点は,併存させることの理論的根拠が明確でないということです。債権者に損害賠償請求権があるのに,なぜ重ねて代償請求権を与えるべきかということです。中間試案のように,債権者が填補賠償を請求できない場合に,代償請求権を与えるというのだとしますと,債務者が免責されていながら利益を受けるのはおかしいという公平の観点からの説明ができるだろうと思います。確か潮見幹事はこのようなこともおっしゃっておられたように理解しておりますけれども。   他方で,損害賠償を請求できるのに,どうして更に債務者の財産管理にまで介入することを新たに認めるべきかの根拠が十分に説明されていないような気がします。実際問題としても,債務者である企業が,履行不能を生じさせた取引先に対する請求権を持っているんだけれども,取引関係を考慮して,その行使を差し控えているというときに,その企業の債権者が,いきなり代償請求権を行使するということを認める必要はないように思います。   それから,第4に判例との関係です。パブコメの速報版を拝見しますと,昭和41年の最高裁判決を重視しているようですけれども,これはかなり特殊なケースでありまして,学説の評価も分かれているところです。また,その理由付けについても批判をする学説があります。そもそもこの判決の事案は,債務者に帰責事由のない場合でありまして,損害賠償請求権と代償請求権の並立を積極的に認めたという事案ではないわけです。それで,この判決以後,純粋な代償請求権の判例は出ていないという指摘もあります。そうしますと,50年近く前のこの判決の一般論を広く立法という形で取り込むのは,かなりリスクがあるように思います。それで,今回の御提案のようにすることは,債権者と債務者とのバランスを大きく変えることになりますので,今挙げたような問題を慎重に検討した上で,それでも併存させるべきだというのであれば,その積極的な根拠を示すことが必要になると思います。 ○鎌田部会長 ほかに代償請求権関連の御意見がありましたらお出しください。   事務当局から何かありますか。 ○金関係官 この代償請求権について,現状がどうなっているのかということを問われた場合には,帰責事由の有無を問わずに代償請求権が認められていると,少なくとも一般的には評価,説明されることが多いと思っております。その説明自体が誤りなのか,今も代償請求権は債務者に帰責事由がない場合にしか認められていないということなのか,といったところを中田委員に少し伺いたいと思います。 ○中田委員 認められているかどうかというのは,昭和41年判決が帰責事由がない場合に限らず代償請求権を認めているというのはその通りですが,それが一般的な規律として認められているかということであれば,それはそうではないのではないかと思います。この判決についての評価は様々ですし,それから,代償請求権の在り方についての見解も分かれていると思います。 ○潮見幹事 先ほどの中田委員の御発言に対してですけれども,仮に中田委員のようなお立場をとった場合に,債権者がいきなり代償請求をする場合に何を主張,立証すればいいのか。それに対して抗弁がどういう形で出てくるのか,これだけ教えてください。 ○中田委員 要件事実的な整理というのは,これは規範ができてから考えればいいのではないかと思います。実体的に考えて,免責事由のある場合について代償請求権を認めるという規律とするかどうか,まずそこを決めるべきではないでしょうか。その上で,請求原因が何で,抗弁が何でという整理というのは,その後の問題として考えればいいのではないかと思いますけれども。それが決まらなければ,制度を導入できないというのは何か議論が逆のような感じがいたします。 ○潮見幹事 私は,むしろ要件事実というものをどのように組み立てていくかということは,基本的に当該要件事実の基礎にある規範とかルールというものをどのように捉えていくのかということとは切り離して考えることができないから,そこを踏まえた上で考えないと,後で要件事実についてはどうなるかを説明しようとしたときに,中間試案で書かれているような帰責事由がないということを要件とする考え方がうまく立ち行かなくなるのではないのかなという危惧を従前から持っておりますものですから,ちょっと発言をさせていただいた次第です。 ○中田委員 今ここですぐにお答えできるわけではありませんけれども,それは代償請求権の規定をどこに置くかということにも関係してくると思います。免責事由があって,損害賠償請求ができないというルールがどこかにあって,その一環として代償請求権についての規定を置くという,例えばそういう置き方もあると思います。それを,この代償請求権だけを取り出してみて,ほかとの関係を抜きにして,その要件事実を組み立てようというと,確かにいろいろな問題はあるかもしれませんけれども,まず,その場面を設定して,そこにおける効果として,代償請求権をどう規律するかと考えるということは,十分に成り立ち得るのではないかと思います。 ○鎌田部会長 現行法では,危険負担によって債権が消滅したにもかかわらず,債務者は代償を得られているという,そういう構成になるのではないんですか,帰責事由不存在を要件とする立場でいくと。 ○潮見幹事 その部分が,恐らく従来の議論はいろいろな観点から代償請求権を捉えていたことに関わるわけでして,そこをどう捉えるかによって,考え方が違ってくると思います。恐らくその部分の意見が一致しないということであれば,代償請求権に関する一つの規律をここに設けるということ自体がかなり危ういものになるのではないかという感じがいたします。 ○高須幹事 ここは分科会でも議論したところですので,その議論を繰り返す気はないのですが,やはり一つの請求権の要件を立てるときに,裁判がどうなるか,訴訟においてその要件がどのように展開されることになるかは,我々実務家としては非常に心配になるところなものですから,もう一回ここを御検討いただく際に,実際に想定される裁判の内容みたいなことも少し考えていただいて,御検討いただければ幸いだと思います。 ○道垣内幹事 裁判でどうなるかが大切だと思うのですが,問題の出方はいろいろですよね。つまり代償として金銭債権を取得していて,それが形成権の行使によって移転しているというのならば,そこにおける訴訟というのは,債権者から第三債務者に対する訴訟になるわけですよね。それに対して,ある特定物なら特定物の所有権が,その債権者に移転するということならば,その債務者との間の訴訟になるわけです。整理をすることは大切だと思いますし,その整理によって損害賠償請求権につき免責事由があるときという要件が置けないと判断される可能性があるということもそうかもしれません。ただし,訴訟類型としては多々あるということは前提に検討すべきであろうと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。ほかの問題についても御意見をお出しいただければと思います。 ○潮見幹事 机上配布資料を用意したんですけれども,68のAという部分でございます。その2ページ目のところを御覧になっていただいたらと思います。この間の議論を踏まえて,いろいろ私なりに考えました。勉強もしたつもりです。その上で,中間試案を経た素案を拝見するに当たって,この素案の内容で改正をするのであれば,現在の416条を維持したほうが今後の解釈に混乱を生じさせないのではないかというように,思い至るようになりました。つまり,この素案の内容では,損害賠償の範囲を定めるルールというものを,現在の416条の下でのもの以上に不透明にするのではないかと思ったからです。特に,前からこれは申し上げておりますけれども,(1)と(2)の関係がよく分からない。それから,(1)自体について,通常生ずべき損害ということについて,これは多々異論が,意見があろうかと思いますが,それについて若干気になるところはあれますけれども,それは置くとしても,(1)と(2)の関係がよく分からない。ましてや,(2)のほうですが,中間試案の(2)というのを今回省いた理由,それは金関係官が先ほど御説明になったとおりですけれども,その省いた理由というものが真逆なものです。つまり,一方は,予見すべきだったものについて,債務者がその損害を回避するために当該契約の趣旨に対して相当と認める措置を講じたならば,それは予見すべき損害には当たらないんだという理由で要らないという考え方によるもので,他方は,そうではなくて,既にこういう相当と認められる措置というものを講じたか,講じていないかのいかんにかかわらず,予見すべきであった損害については賠償を認めろというような観点から,中間試案の(2)は要らないという考え方によるものです。このような,両方から不要論が来て,結果的には要らないというところでは共通しているのですが,理由は全く違います。そうした中で,素案の(2)のようなものを置いたことによって,一体どういう事態が生じるのかということを考えたときに,これは解釈上,相当の混乱をもたらすのではないかと少し危惧を感じるようになったものです。もちろん,素案の(1),(2)にまとめるには事務局方の多大な努力があったと思います。いろいろな考え方を尊重しながら,ここのところまで持ってこられたんだと思いますし,それ自体は私はものすごく敬意を表したいところです。しかし,そうすることによって,素案の規定というものが,例えば我妻栄の理解,中井委員の意見もこれだと思いますけれども,そうした理解からは,こうこうこうではないかというような説明をされるかもしれない。ところが,保護範囲論からいっても,もちろん保護範囲論はバラエティがありますけれども,それぞれにおいて,言葉は悪いですけれども,好き勝手な解釈をされる可能性があります。また,(1)と(2)を分けておりますから,(1)が客観的,類型的,典型的な損害であって,(2)のほうはそれを超えるような具体的損害というもので上積みを図るようなものであるとの解釈もあるかもしれません。それにしては,いずれの立場からも,(2)の文言というものが若干引っ掛かるところがあります。そういうことをいろいろ考えていった場合に,果たして本当にこのような素案でいいのか,むしろ現行の規定というものを,そのまま維持した上で,しかし,今回のこの3年間の議論の成果というものを,更に将来にいかしていくという方向で今後につなげていったほうがよいのではないかと思うに至った次第です。これ以上はもう申し上げませんので,私の意見としてお聴き取りいただければと思います。 ○中田委員 私も潮見幹事と同じような懸念を抱きました。1点だけ申しますと,今回「予見すべき」という言葉で,債務者が認識していたとしても負担する必要のない損害という意味を表しているのではないかと思います。ただ,「予見すべき」という表現からは,そうは読みにくいのではないかと思います。「予見すべき」というのは,予見不可能であっても,調査などをして予見すべきであったというように範囲を拡張する方向で用いられることがあるんですけれども,ここでは現に予見していたとしても,予見する必要がなかったと,制限する方向で用いているのではないかと思います。その結果,規範内容が非常に不明確になっていると思います。中間試案では,この問題点は10の6に(2)を置くことで対処しようとしたんですけれども,今回の素案ではその(2)がなくなって,全てを「予見すべき」に盛り込もうとした結果,かえって不明確になったのではないかと思います。 ○大村幹事 このルールの内容がこれでいいかどうかということについては,潮見幹事や中田委員から御指摘がありましたので,それに付け加えることは特にございませんが,前提の理解について確認をさせていただきたいことがあります。先ほどの潮見幹事のペーパーの2行目には,「損害賠償の範囲を定めるルールを」と書いてありますけれども,これまでここで議論してきたのは,契約による債務の不履行の場合の損害賠償の範囲を画するルールをどうするかということで,今回,契約による債務の不履行に限らないという形で御提案されているのは,その他の原因による債務の不履行に基づく損害賠償のルールもここに併せて定める必要があるのではないかという話だと思います。端的に言って,不法行為に基づく損害賠償そのものの話は,ここには入っていないと私は理解しているんですが,それでよろしいのかどうかということを実質に入る前に確認をさせていただきたいと思います。 ○松岡委員 全く同じ疑問を抱きました。この案は,契約に基づく損害賠償のルールだけではなく,債務不履行に関する共通ルールとして維持するという提案ですが,大村幹事が御発言になりましたように,不法行為に基づく損害賠償の範囲については妥当するものではないと考えていいのではないかと思います。不法行為についても,確かに不法行為に基づいて発生する損害賠償債務の更にその不履行というものを観念することはできないわけではありませんが,通常それは不法行為に基づく損害賠償の範囲の中に入れて検討していると思います。しかも,不法行為に基づく損害賠償の範囲については,ここに維持されているように,加害者の予見可能性を要件とするのは妥当でないというのが従来から強く指摘されているところであります。したがって,その点は,引き続き不法行為法の解釈に委ね,将来的な改正検討の対象とするものであって,今回のこの提案はそれを縛るものではないと私は理解しております。こういう理解でよろしいか。もしそうであれば,説明の中に,不法行為に基づく損害賠償の範囲の問題との関係は明確に示していただきたいと思います。 ○金関係官 御質問の点につきましては,現行法の民法416条は,債務の不履行に対する損害賠償に関する規律を定めるものでありまして,不法行為におけるいわゆる加害行為と損害との間の因果関係の問題については,416条の文言には該当しないことを前提として,類推適用が認められるかどうかという議論がされていると思いますけれども,その状況は引き続き維持されることを前提としております。 ○鎌田部会長 大村幹事の…… ○山本(敬)幹事 今の点とは別になりますが,今の点についてであれば。 ○大村幹事 私は特にありません。松岡委員と同じで,もしそうであるならば,誤解を招かないように,その点については,ここで注記されるか,あるいは不法行為についての損害賠償の範囲についても,これまでこの部会で議論したことがあったかと思いますがけれども,どこか場所があるのならば,そちらで明記していただければと思います。ここの議論はその上での議論になるのではないかと思っています。 ○山本(敬)幹事 今,出ているような意見に直ちに行くのかという,その前にもう少し検討しておくべき事柄について発言させていただきます。資料の13ページから14ページ,特に14ページ以下に趣旨の説明が書かれています。特に15ページに第1の考え方と第2の考え方が示されています。これは,私は結論としては,対象は損害で別に構わないと思っていますので,よいのですけれども,この部分の説明も,詳しくは申し上げませんけれども,これではどうもまずいのではないかと思うところがかなりあります。もし必要であれば,後でもちろん申し上げます。少なくとも,前の部会でも申し上げましたけれども,損害をどのようなものとして,どのような抽象度のレベルで捉えるかによって,事情に当たる要素が組み込まれてくると思いますので,結論としてはどちらでも余り変わらないのではないかと前にも申し上げましたし,今もそう思っています。その意味で,この説明はどうかなと思うところがありました。しかし,それは置いておくとしまして,その上で2点申し上げたいと思います。   1点は,予見可能性の基準時を(2)では「不履行の時点」と書いているわけですけれども,この「不履行の時点」の意味は,厳密に言いますと,やはり履行期における不履行の時点ではないかと思います。といいますのは,不履行をした後,債権者側がいろいろな事情を挙げて,このまま不履行が続くと,このような損害が生じる,このような損害が生じるということを言えば言うほど,賠償範囲に入っていくというのは,やはりおかしいのではないかと思われるからです。「不履行の時点」とは,履行期における不履行の時点と考えるのが正確ではないかと思います。それが「不履行の時点」で示されているのであればよいのですが,ただ,説明がそれと整合的かということが気になりました。というのは,中間試案の(2)を削除する際の説明として,「債務者が損害を回避するために当該契約の趣旨に照らして相当と認められる措置を講じたとき」を削除しているわけですけれども,この最後のほうの説明で,そういった措置を講じたのであれば,その段階でその損害は債務者が予見すべき損害ではなくなるという書き方をされています。これは,履行期における不履行よりも後の時点で予見可能性を判断しているように読めます。そうしますと,先ほど私が申し上げた理解とは少し違う理解がここに表れていて,本当にこれでよいのだろうか,予見可能性は規範的評価であるというのはそうかもしれませんけれども,これですと,基準時が後ろのほうまでずれ込んでくるのではないか。それは少し融通無碍にすぎますし,先ほど言いましたように,いろいろな事情が後から出てくれば来るほど賠償範囲に入っていくことにならないのはなぜかという説明が難しくなってくるのではないかと思います。その意味では,少し整合性を欠いているのではないか。そしてそれは,実体ルールとしても,かなり大きな影響を及ぼす可能性がありますので,やはり詰めておかないといけないのではないかと思います。   もう1点は,この説明の中で,違約金の約定について,1,000万円の場合と5億円の場合とで何か違うかもしれないというようなことが書かれています。特に先ほどの第2の考え方をとるべき理由として,5億円である場合については,15ページの(2)の上の段の更にその上,下から3行目ぐらいに,違約金の約定を認識していても,Bがその違約金5億円の支払いを余儀なくされたこと,つまり特別の損害はAが予見すべきであった損害であるとは言い難いことから賠償範囲に含まれないという書き方がされています。結論はともかくとして,違約金の約定を予見していれば,履行しなければ違約金は払わざるを得なくなるわけであって,その意味では,そのような損害が生ずることは予見可能だと言えるだろうと思います。しかし,ここで仮に5億円の支払いを余儀なくされた,ないしは5億円の支払債務を負ったことが賠償すべき損害に当たらないとしますと,その理由はこのような構成にあるのではなくて,債権者にそのような違約金を負担させないというリスクまで契約で本当に引き受けたと言えるのかどうか,言えないのではないかということが基準になっているから,このような結論が導かれているのだろうと思います。そうすると,考え方としては,単純にある損害やある事情を事実として予見できたかどうかが基準ではなくて,やはりそこまでのリスクを債務者が負ったと言えるかどうかが決め手になるということが明確になっていないといけないのではないかと思います。それを規定の上で明確に示せればもちろんよいわけですけれども,少なくともここで書かれている説明は,それとは違うような書き方になっていますので,疑義を呼ぶ可能性は大きいのではないかと思いました。 ○金関係官 予見可能かどうかというのと,予見すべきかどうかというのとでは異なるという前提で,予見すべきかどうかというのは,そこに規範的な判断が入りますので,その観点から,損害を予見すべきかどうかという規範的な判断をするための要件を立てたというのが,今回の提案の趣旨ではあります。山本敬三幹事が最後のほうにおっしゃった点はごもっともである部分が多いのですが,しかしそれを条文上どのように表現するのかというところが問題で,中間試案で言えば(2)で表現するということになるのかもしれませんけれども,果たしてそれが適切な表現になっているのかどうかという点などをいろいろと考慮した結果,今の提案になっております。   もう一つ,前半におっしゃったことですが,履行期が経過すると,もうその段階で「債務不履行の時点」だと思いますけれども,その後に債務不履行になることを想定されていたように聞こえたのは,履行遅滞後に履行不能になるということを想定しておっしゃったのでしょうか。その前提として,履行期の前に履行不能になることもあると思いますが,その際の基準時はどの時点とお考えなのかという点も含め,できれば少し教えていただければと思います。 ○山本(敬)幹事 履行期より前に履行不能になった場合に債務不履行の時点がどこかというのは一つの解釈問題です。それはそれとして議論すべきだろうと思います。原則的な基準はやはり履行期であって,その時点での不履行になるわけですので,その時点での予見可能性が基準になるはずだということは,先ほど申し上げたとおりです。その上で先ほど申し上げたのは,この後ろの中間試案の(2)を外す際の理由として,その後に債務者のほうが損害を軽減する措置をとることができたのにとらなかったとか,とったというような事情は,予見すべき判断の中で考慮することができると書かれているのですが,それは履行期における不履行の時点ではなく,その後の時点での債務者の行動を評価している。それを予見すべきということの中で全て読み込もうとすると,考慮すべき時点が後ろのものも含めて考慮されることになってきて,先ほどの原則的な理解と齟齬を来すのではないかということが申し上げたかったことです。 ○金関係官 御指摘の趣旨を誤解しておりました。失礼しました。パブコメの意見ですので,どういう趣旨か断定できない面はありますけれども,しかし,私どもが理解したところでは,契約締結後,履行期までの間にそういう措置をとったという前提で議論をしていると理解しておりました。 ○山本(敬)幹事 それであれば,私が今申し上げた意味での問題は生じないのかもしれませんが,本当にそれで大丈夫だろうかということです。 ○松本委員 今のところ,かなり議論が錯綜しているようで,頭が混乱してきます。15ページの説明を見ていても,何かよく分からないところがあるんですが,大変難しい説明をして,混乱した議論を引き起こさざるを得なくなる根本的な原因は,契約の趣旨ということを今回の債権法改正では大変強調しながら,損害賠償の範囲についは,契約締結時点以降に予見可能となったものも入れると。しかも債務者のみの予見可能性であるというところが今回の全体の構想と不釣り合いになっているからではないかと思います。契約の趣旨を強調するのであれば,契約締結時点における両当事者の予見可能性を基準にすべきだし,それが山本敬三幹事がおっしゃった,リスクを引き受けたがどうかということと大変整合しているわけです。リスクを引き受けたか,引き受けていないかを,契約の趣旨から判断しようということで,大変分かりやすい説明になるんだけれども,そうでない基準時を持ってきたことから,混乱は避けられない結果になっているのではないかと思います。したがって,もう一度,契約締結時点基準時説というのを検討していただければいいのではないかと思います。 ○佐成委員 今の点,幾つか申し上げようと思っていたんですけれども,まず山本敬三先生がおっしゃっていた15ページのところ,これは私も読んでいて,やはり説明として余り説得的でないように感じました。しかも,仮にも「事情」と「害」とで違いが何かしら生じるということだとしますと,経済界としては別に損害賠償の範囲をいじくるような結果をもたらすというところまでは望んでおりませんので,むしろいささか不本意な結果でございます。元々は「損害」と「事情」とを文言を替えたとしても賠償範囲に影響はないということを前提に,それだったらいいでしょうというようなことで今まで発言してきましたので,微妙な違いが出てくるというのでは,やはり困ります。もっとも,この資料の説明では,最終的な結論は同じになるのだということのようですが,現状と変わるようにも受け取れます。賠償範囲を制限するというのは元々416条の趣旨ですから,賠償範囲が制限されることそれ自体は当たり前だと思うんですけれども,そもそも現状の実務と食い違うこととなるような説明とも受け取れるので,ここは再考していただきたいというのが一つでございます。   それから,私,従来は中間試案で言えば注2の考え方を個人的には主張をしていました。つまり,現行法の文言をできるだけ維持した上でというような主張をしておりました。けれども,今回改めて内部で議論をした中では,今言った賠償範囲の部分について,現状の実務と変わらないということであれば,受け入れられるのではないかというのが経済界の基本的な考え方であります。   それと,もう一つ申し上げたいのは,松本委員がおっしゃった点についてです。確かに,私も,これはごもっともなご意見だなとは感じているところです。これは二読のときにも申し上げましたけれども,本来はやはり契約締結時というのが整合的だろうと思います。つまり,この元々のコモンロー上の法理自体が沿革的には契約締結時ですし,実際,例えば現在のアメリカのリステイトメントを見ましても,やはり契約締結時というのが基準時になっているわけです。しかしながら,それを継受した日本の判例上は,不履行時というのが既に定着しているということで,現在も既にゆがみ現象が起こっているのですから,現状維持を前提とする限りは,解釈的な混乱はある程度やむを得ないのではないかなと思っております。   ですから,あくまできっちりこれを理論的に整理しようとすると,やはりどうしてもいろいろな実務上の不都合が出てくるのではないかなという気はします。そこら辺の理論的な整理については妥協するべきところなのではないかと考えます。いずれにしても,現状の実務は変わらないということであれば,その辺を含めて妥協はあり得るというのが,経済界の感覚でございます。 ○中田委員 今の御意見と松本委員の御意見なんですけれども,契約締結時を基準にして,両当事者の認識を前提とするのか,それとも,不履行時における債務者の認識かというのは,これはもう昔から議論があることでして,それぞれの考え方の長短というのを,十分に議論してきて,それでやっと中間試案のコンセンサスまでたどりついたんだと思うんですね。それをまた議論を一番最初のところに戻してというのは,今のこの段階では余り適切ではなくて,これまでの成果に基づいて,成案を得ていくという努力が必要ではないかと思います。 ○佐成委員 念のために発言します。別に私は議論を蒸し返すつもりは全くないということでございます。一応,念のためでございます。 ○中井委員 今の中田先生の考え方に基本的に同調いたします。その上で,この(2)の後段部分ですが,「債務者が予見すべきであった損害」と,この一語に全てを集約した。そこからいろいろな意見が出ていると思いますけれども,少なくとも中間試案,イですが,この後段は当該不履行から生ずべき結果というところの,べき基準と,予見すべき,予見し,又は予見すべきであったという,ここでのべき基準と二つを取り入れていたわけです。先ほどの山本敬三幹事のお話とつながると思うんですけれども,「予見すべき」だけであった場合に,不履行から生ずべき部分もここでは「予見すべき」の中に読み込んでしまっているところがより複雑にしているのではないか。不履行から本来的に生ずべき結果,生ずべき損害というまず規範的なくくりがあって,そこに次に,「予見すべき」というもう一つ制約が掛かる。ここは生ずべき結果であったら,予見しているものと,予見していなかったけれども,予見すべきものと,やはりそういう掛かりになるので,中間試案の,契約の趣旨というところを飛ばせば,「当該不履行から生ずべき結果として,債務者が予見し,又は予見すべきであった損害」というのが先ほどの山本敬三幹事の基準時とかを別にすれば,整合した整理ができるのではないかと思っているところです。これは前回のこの中間試案を作るときの部会の審議でも申し上げたことですけれども,仮に契約の趣旨をいかすとすれば,その両方に掛けるべきであると。つまり,中間試案は後段にのみしか掛かっていませんけれども,今の考え方をとれば,「契約の趣旨に照らして当該不履行から生ずべき結果として債務者が予見し,又は予見すべきであった損害」とするのが素直ではないかと,そのときにも発言した記憶がありますが,そのことをもう一度ここでも申し上げておきたいと思います。 ○潮見幹事 中井委員は山本敬三幹事と同じような趣旨だとおっしゃられたものですから,前に一度同じようなことを聞いた記憶があるんですが,仮にそのようなお考えをとる場合には,アなんですけれども,ここは契約の趣旨だとか何かそういうものは掛かってこないんですか。それから,ついでにこれはそのようにお考えになるのであれば,中間試案の(2)自体は要らないというおつもりで御発言なされたのでしょうか。むしろ,契約の趣旨に照らし,かつ,契約締結時の予見のみならず,契約締結後の予見等を問題にするのであれば,契約締結後に生じた事柄について,それがその当該契約の下でのリスク分配という観点から捉えたときに,どのように評価されるのかを考える上で,(2)のような考慮が必要なのではないか,単にそれは予見ということでは説明し尽くせないのではないでしょうか。 ○中井委員 ここは私もどの立場でしゃべるかによって変わってきてしまうところですが,まず二つ目の問題からすれば,この中間試案について,(1)イの部分で不履行時,かつ,債務者の予見を入れたことによって,損害賠償の範囲が拡大する,その問題に対応するものとして,中間試案における(2)の規律を導入することに,私も賛成でした。だから,現段階でも先ほどのイの表現ぶりを変えたとしても,(2)が残るという考え方でよろしいかと思っております。   次に素案の(1),中間試案でいえばアの通常生ずべき損害については,私の立場としては言わざるを得ないんですけれども,一つは弁護士会的に申し上げれば,通常生ずべき損害は是非残してくれと。これは(2)と論理的に包摂されるという理解と,(2)と別基準で立っているという両方があり得るのかもしれませんけれども,従来から理解されている通常生ずべき損害として,特段予見可能性の判断をするまでもなく当然に発生する損害として,残すべきであるという考え方がなお弁護士会に強くありますので,それを維持した発言を繰り返しています。ただ,本来的には中間試案でイの考え方をとれば,つまり予見可能性ルールをとれば,アは要らないのではないかという考え方に,例えば大阪弁護士会とかは賛成しています。 ○松本委員 私は議論を振り出しに戻すからけしからんと言われている立場なんですけれども,ただ,中間試案の(2)を読んでおりまして,契約締結後に債権者から告げられた特殊な事情があって,したがって,債務不履行の場合に損害賠償額が当初考えていた以上に膨らむという可能性が生じてきている場合について,14ページのほうですが,債務者がその損害を回避するために当該契約の趣旨に照らして相当と認められる措置を講じたときはという書き方がしてあるのを読むと,当該契約の趣旨というのは,正に契約締結の時点における当事者が,どういう意図でこの契約を締結したのかというのが,やはり一番中心になるわけですね。それに社会通念だとかそれまでの事情とか,客観的議論も入ってくるでしょうけれども,基本は当事者がどういうことを想定して契約を締結したかということだとすると,これは結局契約締結時点における当事者の予想とか予見とか合意とかを基準にして考えているということに結果的にはなるのではないかと。したがって,ここに関しては契約締結時基準説に近いから,私はこれでもいいのではないかなと見ていました。今回の素案の(2)の契約上の債務の場合,括弧内の当該契約の趣旨に照らして債務者が予見すべきであった損害,これも契約締結時点における契約の趣旨に照らしてどうだという読み方をすれば,契約締結時基準説にかなり近くなるのではないかなと。そういう読み方をすればいいのではないかと考えている次第です。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか。損害賠償の範囲以外の点についても御意見がありましたら。 ○山本(敬)幹事 少し形式的なことなので,最後に述べさせていただこうと思いました。損害賠償の範囲で,(1)と(2)の関係について,いろいろ議論があったところですけれども,この部会資料の説明の中では,(2)の中に理論的には少なくとも(1)も含まれるという理解が示されています。ただ,それでも(1)を定める必要があるという意見があるので,(1)を定めているということですが,これを仮に前提にするとしましても,このように(1)と(2)を並べる書き方でよいのかということは,なお検討の余地があると思いました。特に(2)の冒頭にわざわざ「上記(1)に該当しない損害であって」と書くのが後ろの説明と整合的かというと,どうだろうかとも思います。仮に書くとしても,資料の説明に従って書くとするならば,「その不履行によって通常生ずべき損害その他その不履行の時点において債務者が予見すべきであった損害」というように続けるのが趣旨に即した書き方かと思いますが,これはいかがでしょうか。もちろん,そもそもこのような書き方が適当なのかどうかという潮見幹事の指摘されるような問題があることは踏まえた上ですが,この説明を前提にするのであれば,今のようなものが整合的ではないかと思います。 ○金関係官 中間試案では,アの通常損害を受けて,イで「その他」としていたところではありますが,正にこの表現について批判があるということだと思います。今回の部会資料でも,中間試案と同様に,(1)の通常損害は(2)の損害に包摂されるという前提で捉えてはおりますので,そのように説明はしていますけれども,しかしそうではない考え方もあり,そういう考え方をも踏まえますと,「その他」という文言を入れるのは適当ではないと考えております。(2)の「上記(1)に該当しない損害であって」という表現について少し説明いたしますと,(1)の通常生ずべき損害は,(2)の損害のように不履行の時点において予見すべきであったかどうかを検討するまでもなく,当然に予見すべきであった損害に当たると思いますので,そのような観点から,(2)では,そういうわざわざ検討するまでもなく当然に予見すべきであった損害に当たるものを除いたもののみを対象として,予見すべきであった損害かどうかを判断することになるという整理をしております。 ○山本(敬)幹事 こういった議論の経緯を見ずに,この(1)と(2)だけを見ますと,(2)で「上記(1)に該当しない損害であって」とありますので,(1)と(2)は質的に異なるものであると理解するのが自然ではないかと思います。しかし,後ろの説明を見れば,むしろそうでない説明が出てくるとなりますと,やはり「上記(1)に該当しない損害であって」とわざわざ書くこと自体が本当に適当なのかどうかという疑問の余地が残るように思います。したがって,一文で書くかどうかは技術的な問題かもしれませんが,少なくとも「上記(1)に該当しない損害であって」とわざわざ書いている点については,今申し上げたような理解の可能性を生むこともよく踏まえて検討し直す必要があるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 その点は十分検討してもらいます。 ○中井委員 先ほど申し上げるべきだったんですが,中間試案の(1)のイの後段は,「不履行から生ずべき結果」と「予見すべき」となっていたのを,今回素案では「予見すべき」にまとめた理由が,後ろの説明からも読み取れなかったのですが,この機会に,質問させていただけないでしょうか。 ○金関係官 日本語の文法としてと言ってよいのか分かりませんけれども,「生ずべき」と書いた場合の「べき」は,特に何か規範的な意味があるわけではなく,生ずるであろう損害という程度の意味しかないのではないかと思います。典型的には人の行動に「べき」と付ける場合,例えば「予見すべき」と書いた場合の「べき」は規範的な意味での「べき」であるけれども,といった整理が通常の日本語の辞書などではされているように思います。そうすると,「生ずべき」の「べき」というのは,特に規範的な意味での機能はないのではないかという問題意識が一つの理由だと思います。もう一つには,「予見すべき」という規範的な判断をする要件を設けることに加えて,二重に「べき」を使う必要はなのではないかという点もあるかと思います。 ○潮見幹事 今の金関係官の説明は,私はよく分かりませんでした。むしろ,ここに「べき」というのが2箇所現れているということ自体に意味があるものとして,私は少なくとも受けておりました。つまり,不履行から生ずべき結果という形で,正に不履行と結果の間の関連付けのところでの規範的評価と,それから債務者の主観面での予見という観点からの,どういうことを予見すべきかという規範的評価とは,若干ずれているのではないかという感じがいたしますし,中間試案で書かれているような,不履行から生ずべき結果という部分はできれば残しておいたほうがいいのではないかと思うところです。 ○内田委員 中身の話ではなくて,純粋に言葉の話ですが,やはり「生ずべき」の「べき」に規範性を織り込むのは,日本語の文法としては無理だと思います。「桜は散るべき運命にある」という「べき」と同じで,蓋然性の高さを表現しているだけですので,そこに何か「予見すべき」と同じ意味での規範性を読み込むのは日本語としては無理ではないかと思います。 ○山野目幹事 この議論が始まる際に,潮見幹事のほうから素案の6(1),(2)で示されている提案には,多くの解釈上の疑義を生むおそれがあって,現行法の文言を維持するほうがまだよいという御発言を頂いていたところでありますけれども,本日の部会の審議を顧みても,かなり法文に近い形で素案の洗練が進んでいると感じますとともに,このまま法文になったときの解釈上の混乱というものは,やはり深刻なものがあるのではないかと感じます。潮見幹事のようにおっしゃるのも一つの行き方,評価であるかもしれないと感じますとともに,もしこの素案をたたき台にして,今後の検討を続けられるものとすれば,少なくとも私の感ずるところ3点を申し上げたいと考えますけれども,1点目は,(1)の冒頭の上記(1)に該当しない損害であって,という文言は,恐らく有害無益であって,これを置くことによって,様々な疑義とか立場の分岐を助長するおそれがあると感じます。入れるとすれば,「その他」であると考えますが,それも金関係官のお話ですと,一定の立場を示唆するというお話でもありました。何も入れないという解決もあるであろうと考えます。(2)のところを,「損害であって」までを削って,「その不履行の時点において」から始めるということはあり得るのではないでしょうか。   それから2点目ですが,(2)の括弧の中は,やはり予見すべきであった,という文言に余りにも大きな負荷を課していて,それでその規範としての意味内容を伝達としたと言い切ることには難しさがあると感じます。これはやはり中間試案の(1)イの文言を基本にした,もう少し書き込んだ形のものを御工夫いただく必要があると感じます。そうでないと,松本委員から御指摘があったとおり,(2)の括弧の外の「不履行の時点において」というものと,括弧の中の「契約の趣旨に照らして」との関係について,種々の理解の分岐を生むおそれがあると感じます。   それから,3点目でございますが,やはり中間試案の(2)のこの相当な措置を講じてうんぬんという規律に相当するものは,復活を御検討いただけないものかと感じます。パブリック・コメントで出された意見は,既に御指摘がありましたけれども,やはり批判としておかしいと考えますから,その点も御検討いただければ有り難いと感じます。 ○道垣内幹事 私は潮見幹事と違って金関係官の説明は全くそのとおりだと思うのですが,中井委員の質問に対する答えになっていなかったのではないかということのほうが気になります。つまり,私の理解では,中井委員は,予見し又は予見すべきものであったというのを,予見すべきというだけにしたところについては,きちんと説明を書く必要があるのではないか,説明では不十分ではないかということをおっしゃったのかなと。 ○中井委員 「生ずべき」のほうも申し上げていますので。 ○道垣内幹事 両方ですか。両方おっしゃっているということですが,「予見し,又は予見すべきであった」というのを「予見すべき」であったということだけにしたということについては,この場では皆さん正当な理解をしていますが,かなり難しい話なので,もう少し丁寧に,現実に予見したからといって,債権者が後発的に事情を説明すれば債務者は予見したことになるところ,それが全部損害賠償の対象になるのはおかしいのだといった話を少し書く必要があるのかなという気がいたしました。 ○金関係官 ありがとうございます。中間試案の表現ですと,生ずべき結果として予見した損害は全て賠償の範囲に含まれることになりますけれども,仮に「生ずべき」の「べき」には規範性が込められていないとしますと,損害が生ずるであろうことを予見したというだけで全て賠償の範囲に含まれることになりかねないという問題意識から,今回の資料では,「予見すべき」損害かどうかという規範的な判断に一本化するのがよいという判断をしたところです。 ○鹿野幹事 繰り返しになりますけれども,結論から言いますと,少し前に山野目幹事がおっしゃった3点,及びそれ以前に出された同趣旨の発言に基本的に賛成です。中間試案のほうが明確であり,中間試案から変更された点については,予見すべきという文言に負担をかけすぎて混乱を招くことも含め,問題があるのではないかと考えております。特に中間試案の(2)を削除することには,問題があると思います。   私の理解では,中間試案においては,契約の趣旨により債務者がどこまでの損害を引き受けるべきこととされていたのかを基準とする考え方が,基礎に置かれていたのだと思います。確かに中間試案では,不履行の時に予見すべきであったということが(1)のイには出てくるのですけれども,(2)まで併せて見ると,基本的には,契約の時点において予見しまたは予見すべきであった損害がまず賠償の範囲に含まれること,ただ,契約締結時には予見せずかつ予見可能性もなかったものでも,契約締結後,履行期までの間に予見し得るものとなった損害があれば,債務者は契約の趣旨に従って何らかの回避措置をとることが求められ得るのであり,その回避措置をとれば回避できたのに債務者がそれをせず損害が生じたのであれば,その損害も賠償の範囲に含まれるべきであること,そういう考え方が中間試案ではとられていたのではないかと思っておりました。   文章表現としては,原則と例外が逆で裏から書かれているような形となっており,これは条文になれば立証責任などにも関わってくるのかもしれませんけれども,基本的な考え方は,今申したようなことだと理解していたわけです。ところが,この中間試案で特に(2)を削って,現在の素案のような形にしてしまうと,その基本的な点が随分違う様相を呈することになるのではないかと思います。解釈に委ねるにはあまりに大きな点ですし,むしろ外見上は中間試案までの議論とは随分異なる理解を導きそうであり,問題だと感じます。 ○中井委員 先ほどの「生ずべき」という「べき」が何ら規範的言葉ではないと仮にすればですけれども,適切な言葉を考えて定めてほしいということを申し上げておきたい。つまり,不履行から生ずる損害の範囲について,やはりまず規範的に考える。そこがここでの「生ずべき」の「べき」で表したかったわけです。仮に「生ずべき」という言葉からそういう規範的なものが導けないとすれば,他の言葉で是非代用することを考えてほしい。ただ,中間試案で「べき」と出ていましたから,それで足りるなら,その言葉を使うことでいいのではないか。その上で,「予見すべき」というのは,更に掛かってきて,それは債務者の主観ですから,場合によっては属性や取引経過によって,その範囲というのは,またこれは規範的に定まっていくんだろうと。そういう意味で「生ずべき結果」と「予見すべき」というのは二重にあっていい。「予見すべき結果」であったら,債務者は知っているだけで損害賠償の範囲内に入らない場面があるということになり,「知り」が残ることに,私としては違和感はないんです。何となれば,「生ずべき」のところで制約が掛かっているからと,こういう理解をしていたのです。中間試案のイの理解もそうだったのではないかと思っていたものですから,念のため申し上げました。 ○道垣内幹事 6における現在の素案のままだといろいろな解釈論上の問題点が噴出するので,そうならば現行法のほうがいいという意見まで出ているわけですけれども,しかし,現行法の「予見し,又は予見すること」ができたときに,その賠償を請求することができるというところの解釈においても,その債務者が口頭で何か付け加えればどんどん膨らんでいくというわけではなくて,そこには規範性を入れなければなりませんし,それとともに,ではそういうことが分かっていたのだが,債務者はあえて債務を履行しなかった場合にはどうなるのか等,様々な難しい解釈問題を現行416条自体が持っていたわけですよね。素案における「すべき」と「予見すべき」という言葉だけで,それらの問題が全部解決できているかというと,できていないかもしれませんが,解決できていないことは現行法でもそうなのであって,現行法どおりであれば,今までと同じことができるけれども,この素案にすると,急に解釈論上の問題点が増えるというわけではありません。私は「予見し」という,あたかも現実的な予見というものがあれば賠償の範囲に入ると読める現行法よりも,素案のほうが優れていると思います。少し旗色が悪いようなので,一言申し上げておきます。 ○松本委員 中井委員にもう少し明らかにしていただきたい点がございます。それは「生ずべき」というところで一段階目の規範的な縛りを掛けているんだから,二段階目の「予見すべき」という縛りはあってもなくてもいいというか,そこは緩くてもいいという趣旨に読めるわけなので,お聞きしたいんですけれども,第一段階目の縛りの規範性というのは,一体どこから出てくるのか,契約の趣旨から縛るのではないでしょうかということなんです。もしそうであれば,一段階目の「生ずべき」を規範的だと言うのであれば,それと二段階目の「予見すべき」という形での縛りと,契約の趣旨から「予見すべき」,契約の趣旨から「生ずべき」ということであれば,ほとんど重なると思えるわけです。もっとも,一段階目の「生ずべき」の規範性を契約の趣旨以外の何かから読むのであれば,それは違う規範的限定なんだということになるかもしれないですが。 ○中井委員 先ほど私がこの中間試案のイを読み替えたように,「生ずべき」のところも契約の趣旨に基づいて,規範的に考えるし,予見すべきところも契約の趣旨に基づき規範的に考えると申し上げていますので,それで結論として同じになるのか,ですけれども。損害の範囲については,ある意味で客観的に,先ほど1,000万の違約金か,5億の違約金か,5億の違約金なんて通常は考えられないというところで,前者で既に縛りが掛かると理解をしています。後半の「債務者の予見すべき」というのは,それは債務者が主観的に,ですから,場合によっては置かれた立場によって予見すべきであったかどうかというところでわかれる。それで,結論として,全くその範囲が一緒になるのかということが問いかけなのかもしれませんが。 ○松本委員 それは正に中井委員や弁護士会が主張されている契約の趣旨の中に,社会通念を入れるんだということであれば,一緒にならなければおかしいと思うんですね。 ○鎌田部会長 何か視点がずれているのかなという気がしなくもなくて,中井委員のお考えでは,あえて言えば古典的に416条の予見の対象は事情であって,その事情を予見すべきであったかどうかというところで第一段の規範的な評価があり,その事情から通常生じる損害かどうかという部分でもう一段規範的な評価が入ってくる。その二段階構成には中間試案のイの表現のほうが合うということなんだろうと思うんですけれども,中間試案の段階でもそうだったんですけれども,ここでは損害一本が予見の対象になっているので,「予見すべき」の中にそれら全てを盛り込んでいく。予見していても,予見すべきでなければ損害賠償の対象にならないというふうなものも全部,今回は「予見すべき」,この中に盛り込んできたというので,そこの構造の違いが少し気になるというところかもしれませんが,中身的にはそれほど理解は違っていないように思いますので,今日出た御意見も踏まえて,更に事務当局で検討を続けさせていただくということでよろしいでしょうか。 ○山本(敬)幹事 今のでよろしいのではないかと思いますが,少し理論的にいいますと,やはり不履行と損害の間に,学説でいう事実的な因果関係がなければそもそも賠償範囲には入らない。そのような意味での事実的な因果関係が「生ずべき」の部分に入っているのかもしれないと理解しました。もちろん事実的因果関係といっても,それはやはり法的な因果関係であって,そこに評価の余地があるかどうかは,学説上も議論のあるところでして,それは次の問題かもしれませんが,いずれにせよ,今言った意味での事実的な因果関係がおよそなければ,予見の有無の判断にはいかないという意味では,そこに一つ審査の個所があるように思います。 ○金関係官 事実的因果関係については,今回の資料では,1行目の「その不履行によって生じた損害」というところで表現しているという趣旨ではあります。 ○鎌田部会長 ということで,ここで休憩に入らせていただいてよろしいでしょうか。15分の休憩を取らせていただいて,3時25分再開とさせていただきます。          (休     憩) ○鎌田部会長 それでは再開いたします。先ほど説明のありました部分のうち,「7 過失相殺」,「8 賠償額の予定等」につきまして,御意見がありましたらお出しください。 ○深山幹事 「7 過失相殺」についてですけれども,前段の要件を拡大しているところは,これは中間試案と変わらないところですし,それについてはこのような形でよろしいと思っているんですが,後段の効果について,中間試案では損害賠償の額を定めることができるものとするとされていたところが,今回の素案では,損害賠償の責任及びその額を定めるものとすると変更されております。ここは,2点,中間試案から変更になっているわけですが,1点目の責任を加えた点については,資料の18ページの中程以下に記載されている,特約等で無過失責任が約束されているような場合でも過失相殺によって責任を全て否定する場合があり得るという指摘のとおりだと思いますので,責任を加えることは妥当な変更だろうと思います。しかし,中間試案において「できるものとする」という過失相殺を任意的な規律とされていたところを,今回「定めるものとする」と必要的に相殺すると変更した点については,この資料の説明も余り説得的と思えませんし,翻って考えてみるに,妥当でもないのではないかと思います。もちろん現行法どおりといえば現行法どおりですけれども,過失相殺が問題になる場面というのは,当然いろいろな場面があって,債権者の過失ないし落ち度と,債務者の過失ないし落ち度を事案ごとに相対的に比べるわけですから,例えば債務者のほうの落ち度が軽いものであっても,債権者のほうの落ち度も軽い場合には,五分五分の過失割合ということもあるし,そうではなくて,重大な過失が双方にある場合で五分五分の過失割合となる場合など,いろいろあるわけです。しかるに,この提案では,債権者側に過失が僅かでもあれば必ず過失相殺をしなければならないという規律になってしまうわけですが,それは妥当ではないのではないかと思います。債務者の過失が極めて重いという場合,典型的には不法行為に近いような債務不履行があったときに,若干債権者のほうにも落ち度があるからといって,必ずそれを斟酌して賠償額を調整しなければならないのかというと,そんなことはすべきでない場面というのもあり得るんだろうと思います。現行法のルールの下でもあり得ることで,現行の実務では,そういう場合には過失がないと認定することによって,過失相殺をしないという妥当な結論に導いているんだろうと思います。しかし改めて規律を作るにあたって,中間試案で任意的なルールが提案されたにもかかわらず,最終的に必要的に相殺するということになると,従来以上に債権者に過失があれば必要的に過失相殺をするという実務運用になる懸念があるという気がいたしますので,ここは「損害賠償の責任及びその額を定めることができるものとする」という規律にすべきではないかと考える次第です。 ○加納関係官 私ども,先ほどの深山幹事の御意見と基本的には同じでございますが,更に付け加えますと,中間試案では,この損害額の定め方として,状況に応じて,債権者に求めるのが相当と認められる措置うんぬんというのがありまして,私どもとしては,こういうのでよいのではないかと思っておったのですけれども,今回の御提案は,債権者の過失というのを現行の規定を維持するというような御提案かと思いますが,現行の規定ぶりを維持するのであれば,考慮要素を規定するなどして,できるだけ分かりやすくしていくのがよいのではないか,更に,その中に書き込むべき要素として,先ほど深山幹事がおっしゃったように,債務者の落ち度と,債権者の落ち度と比較考慮するといいますか,そういった観点を書き込むと,なお,よいのではないかと思います。その書き方が非常に難しいということもあったのではないかと推測するわけなんですけれども,やはり既に議論されたところだと思いますけれども,「契約の趣旨に照らし」というのが今回重要な概念として入ってきていると思いますが,その「契約の趣旨に照らし」というところにつきましては,中間試案の括弧書きであったように,契約の目的でありますとか,契約の締結に足る事情とか,そういうのを書いていくのがよいのではないかというふうな意見を私どもも持っております。それを前提として,そういった契約の趣旨,あるいは信義則に照らすというような形で書き込むと。更に,先ほど申し上げたような落ち度の比較といいますか,落ち度を考慮してというような形で書けば,なおよいと思っておりますので,そういうように申し上げます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。ほかに過失相殺関連の御意見は。 ○岡委員 私も,効果の点で,深山さんと同じく「できるものとする」という中間試案の考え方のほうがいいという意見でございます。理由について,深山さんに1点だけ補足しますと,このパブコメの結果の速報版を見ても,その「できるものとする」ということについて,ほとんど賛成の意見が多いようで,元に戻せ,現行法に戻せという意見は見当たらないように思います。パブコメ全部を見ていませんから,分かりませんが,パブコメを尊重するという観点からも,中間試案の考え方の方が相当と考えます。 ○鎌田部会長 ほかに過失相殺関係の御意見ありますか。   では,損害賠償の予定についての御意見があればお伺いします。 ○野村委員 中間試案で,注の1に「1項後段を維持する」という考え方が書かれておりまして,パブコメでも支持する意見がかなり多いようです。しかし,今回の案では後段を削除するということになっています。その理由は,誤解が生じないようにということが説明として書かれています。しかし,個人的には,後段を残した上で,裁判所が変更できるというほうがいいのではないかと思います。ただ,確かに,少し複雑すぎて,そのような条文を書くことは難しいのかなとは思います。そこがうまくクリアになるようであれば,一応原則は裁判所は変更できないという規定を残したほうがいいのではないかと思います。 ○佐成委員 二読のときには今,野村委員がおっしゃったように,私も基本的には現状を維持したほうがいいのではないかという意見を述べたんですけれども,その後,パブコメを経て,内部で今,改めて議論をしておりまして,やはり少なくとも今回のこの提案自体には直ちには賛成できないということです。パブコメにおいても,この中間試案における(2)については反対を表明しておりましたけれども,それでは,この今回の提案についてはどうかということですが,ここには「著しく過大であると認められるとき」という文言を入れてあるわけです。けれども,これだと,少なくとも公助良俗違反よりは広い要件立てのような印象を受けるわけです。つまり,公助良俗違反による無効は現行法でも認められているのですから,公助良俗違反で無効になるというところまでは,これは現状どおりだと思います。けれども,ここでは,この文言を入れることによって,現状よりも当事者が合意した賠償額の予定の範囲が否定される方向がかなり広くなってしまうのではないかという問題点がまず指摘できます。それから,従来から指摘されているとおり,現実に賠償額の予定という条項は,その契約における実損を計算する煩雑さとか,手間とか,そういったものを考慮して,そもそも後から実損を計算しないためにやっているという点。それからまた,当該契約の履行をある程度強制したいという当事者間の事情とか,思惑とか,そういう要素を踏まえて予定しているという点。これらの点を含めて,当事者間のいろいろな要素や事情を裁判所が後から本当に適切に判断できるのかという問題点が指摘できます。しかも,この提案の表現ぶりだと,当事者の賠償額を予定した目的というものを,文の流れとしては分かりますし,この趣旨も分かるんですけれども,この条文の字面だけから見ますと,裁判所のほうが,当事者自身よりも,自分達が予定した目的のことをよりよく知っていると言わんばかりではないかとも受け取られかねず,あらぬ誤解を受ける可能性すらあります。少なくとも,そういう印象も受けるということで,現在,内部で議論しましたけれども,これについては非常に強い反対意見が出ております。 ○鎌田部会長 ほかに意見はありますか。 ○岡委員 では,2点発言させていただきます。   1点は,その他の事情をとってあり,理由もここに書かれておるんですが,やはり実務の感覚からいきますと,その他の事情というのも考慮して,総合考慮する場合が多いですので,これは残すのが相当ではないかという意見がございました。判断要素が定型化されていて,民法90条との独自性を出すために,その他の事情をとったと書かれておるんですが,だからといって,その判断要素を特に限定する必要もないのではないかという意見でございます。   それからもう一つは,こういう一部無効があるのは分かるんですが,かなりひどい場合には,全部無効の場合もあり得るところだと思います。それを否定する趣旨ではないと思うんですが,ぱっと読むと,その著しく過大な場合に,一部無効しかないと読まれかねない表現でございまして,弁護士の一部にはそれを心配する者がございます。全部無効もあり得るというのを,条文が無理だとすると,一問一答などに,それを否定するものではないということを明記していただきたいと思います。 ○岡崎幹事 私も岡委員の御発言の1点目と同趣旨の意見を持っております。賠償額の予定をした当事者の意思表示に瑕疵がない通常のケースを念頭に置きますと,当事者は,債務不履行の可能性ですとか,損害の見込みなどを前提にして,契約の履行確保,損害の填補ですとか,あるいは損害を一定の範囲内に限定したいという逆方向の考慮もあろうかと思いますが,そのような考慮をした上で,賠償額の予定をしているのではないかと思います。   今回提案されている現に生じた損害の額及び当事者の賠償額の予定をした目的に照らして著しく過大かどうかという基準にした場合に,損害の額に関しては,一定の客観性があるわけですけれども,先ほど佐成委員がおっしゃったように,当事者は,損害額を事細かに後に主張,立証しなくていいようにするために,このような賠償額の予定をしているにもかかわらず,賠償額の予定が過大でないというために,現に生じた損害額を主張・立証しなければならないとすると,賠償額の予定をした趣旨が損なわれるという問題を指摘できるかと思います。また,当事者が賠償額の予定をした目的に照らしてという部分については,先ほど申し上げたように,当事者は,賠償額の予定をするときに,いろいろなことを考慮しているのであって,賠償額の予定をした目的が賠償額の予定を制約する要素になるのかというと,なかなかなりにくいのではないかと思います。当事者が賠償額の予定をした目的を達成できるような賠償額が予定されていることが多いわけですから,それを制約しようと思うのであれば,別の視点を取り入れなければならないと思います。その別の角度の視点としては,当事者の合意に内在する要素ではない,外的な基準が入ってくるのではないかと思われまして,そういう意味で,先ほど岡委員がおっしゃったような,その他の事情という文言,または,これに類するような,考慮要素が合意の目的だけに制約されないような,もう少し広い概念が要るのではないかと思われます。   翻って考えてみますと,仮にそうだとすると,結局のところ,民法90条でいわれている考慮要素とどこが変わるんだろうかということが次に問題になってきます。契約の内的要素と外的要素の両方を考慮して,総合的に考えて,賠償額の予定の効力を限定していくのだとすると,これは民法90条そのものとほとんど変わらないのではないかと思われます。そういう意味で,この規定を設ける独自の意味があるのかどうかというところは検討を要するのではないかと思われます。それと,今まで申し上げたこととは若干別のことになるかもしれませんけれども,今回のこの提案が,民法90条と比べて,賠償額の予定を制約する範囲を広げることを目的としているのか,それとも,従前の民法90条による制限と結論においては余り変わりはなく,単に規律内容を分かりやすくするという目的のものであるのか,この辺りについてコンセンサスを得ておく必要があると思っております。 ○大村幹事 岡委員と岡崎幹事から御指摘があった点は,ごもっともだと思って伺っておりました。これは90条との関係をどう位置付けるのかということにですけれども,これは事務局のほうから御説明いただいたほうがいいのかもしれませんが,御説明を読む限りでは,ここに挙げられているような要素を考慮に入れただけで著しく過大であると認められる。その場合について,過大と認められる部分のみを一部無効とするという規範を取り出そうという御趣旨なのではないと思って伺いました。先ほど,これにより無効になるものが広くなるのか,狭くなるのかというお話がありましたけれども,依然として90条から派生するという形で置かれることになる暴利行為の規律で対応するということになるものが残ると理解しております。事務局もそういう御理解ではないかと思っております。 ○筒井幹事 ただ今,大村先生が整理して説明してくださったとおりに考えておりました。 ○岡田委員 現状はこの損害賠償の予定というのは裁判所も増減できないということで,消費者にとっては結局は事業者のほうで決められたとおり,それを不服として裁判を起こしても,裁判所でも増減できないというのがすごくプレッシャーというか一方的としか思えません。だから,今回こういう案が出てきた。しかも,効力を有しないという形に対しては大変前進だと思います。そうは言いながらも,この過大というについてですが,どの程度であれば過大なのかというところが明確ではないものですから,今,大村先生のお話を聞いていて,そういう形での取りまとめであれば,今よりもずっといいし,我々にとっては有り難いと思います。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいですか。 ○村上委員 やはりこういう条文ができますと,予定した賠償額が過大かどうかが訴訟上問題になったときは,基本的にはこの後段を基準に考えることになるだろうと思います。この後段では処理できないけれども,それとは別に公序良俗違反で,ということも理論上はあり得ることでしょうが,そちらのルートがそう簡単に使えるかどうかは疑問です。そうだとすると,考慮要素として,ここに書いてあるものだけで本当にいいのでしょうか。恐らく裁判官は,これ以外のことも考えて判断するのが普通だと思いますので,考慮要素がこれだけに絞られるというのはいかがなものかという気持ちを強く持ちます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。次に部会資料68Aの「第3 契約の解除」について御審議いただきます。事務当局から説明をしてもらいます。 ○金関係官 説明いたします。   「第3 契約の解除」の「1 履行遅滞等による解除の要件」の(1)では,民法第541条にただし書を加え,催告期間の経過時までに履行された部分のみであっても,相手方が契約をした目的を達することができるときは催告解除が認められない旨を定めるとともに,解除の要件として債務者の帰責事由を不要とすることとしています。中間試案からの実質的な変更はありませんが,これに対しては,債権者が契約をした目的を達することができる場合であっても,催告解除を認めるべき場合があるという指摘がされています。ただ,契約をした目的を達することができるかどうかの認定・判断は事案に応じて柔軟にされ得ることなどを踏まえ,今回の資料でも,契約をした目的を達することができるかどうかで決するという要件を採用しています。(2)では,現在の民法第542条の規律を維持することとしております。中間試案からの実質的な変更はありません。(3)では,催告をしても契約をした目的を達するのに足りる履行を受ける見込みがないことが明らかであるときは,無催告解除をすることができる旨を定めることとしています。これも中間試案からの実質的な変更はありません。ただ,中間試案では,第11の1(2)のウの無催告解除に関する一般的な規律の中で,履行の一部の不能による契約の全部の無催告解除や,履行期後の確定的履行拒絶による無催告解除をも規律することとされていましたが,今回の資料では,27ページの2の(2)において,一部不能による全部解除について規律し,同じく27ページの2の(4)において,確定的履行拒絶による無催告解除について規律することとしています。改正の内容をより明確にする趣旨です。これについては,先ほども紹介いたしましたが,中間試案と今回の資料との関係を示す対照表を部会資料68Aの24ページに掲載しましたので,御参照いただければと思います。(4)では,債務の不履行が債権者の責めに帰すべき事由によるものであるときは,債権者は解除をすることができないこととしています。中間試案の第12の2(1)の規律をこの箇所に移したこと以外に,実質的な変更はありません。   「2 履行不能による解除の要件」では,(1)において,履行の全部の不能により契約の全部を解除する場合と履行の一部の不能により契約の一部を解除する場合について規律し,(2)において,履行の一部の不能により契約の全部を解除する場合について規律し,それとともに,それぞれ現在の民法第543条ただし書に相当する部分を削除することによって,解除の要件としての債務者の帰責事由を不要としています。中間試案からの実質的な変更はありません。(3)では,債務の不履行が債権者の責めに帰すべき事由によるものであるときは,債権者は解除をすることができないこととしています。これも中間試案の第12の2(1)の規律をこの箇所に移したこと以外に実質的な変更はありません。(4)では,債務者がその債務の履行をしない旨の確定的な意思を表示したときは,(1)から(3)までを準用することとしています。これも,その規律自体については中間試案からの実質的な変更はありません。中間試案では第11の1(2)ウ及び(3)から導かれていた規律です。   「3 契約の解除」の効果では,(3)において,金銭以外の物を返還するときはその受領のとき以後に生じた果実を返還しなければならないこととし,また,(1),(2)及び(4)において,現在の民法第545条第1項から第3項までの規律を維持することとしています。中間試案では,このほかにも,中間試案第11の3の(1),(4)後段,(5)の提案がされていましたが,今回の資料では,前々回御審議いただきました当事者の一方が取消権を行使した場合に関する原状回復義務,これについての規律と平仄を合わせる観点から,それらについては解釈に委ねることとしています。   「4 解除権の消滅」では,民法第548条第1項にただし書を加えて,解除権者が解除権を行使することができることを知らなかったときは,解除権は消滅しないこととしています。中間試案では,民法第548条を削除することとされていましたが,今回の資料では,例えば解除権を有する者がその解除原因を認識しながら目的物を滅失・損傷させたり,加工等をしたりした場合には,取消権に関する法定追認と類似の状況にあるから,解除権の行使を認める必要はない旨の指摘があることなどを踏まえ,民法第548条は維持した上で,解除権者が解除権を行使することができることを知らなかったときは解除権は消滅しない旨を定めることとしています。また,中間試案では,危険負担の制度を廃止することを前提に民法第547条に一定の修正を加えることとされていましたが,これについては,危険負担に関する議論を踏まえ,改めて検討したいと考えています。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。ただいま説明のありました部分について,御審議を頂きます。御自由に御発言ください。 ○安永委員 1と2に関連をして申し上げたいと思います。履行遅滞等や履行不能による解除の要件について,債務者の帰責事由を問題にせず,双方の責めに帰すべきでない事由による債務不履行の場合でも,債権者は契約を解除できるとすることが提案されております。しかし,この提案を労務供給の現場に当てはめてみますと,例えば労働契約法の適用対象者とは認められない,請負的就業者などが自然災害や交通機関のトラブルなどによって,一時的に労務の履行不能に陥った場合も,相手方である債権者は解除ができることとなり,就労者の保護水準が大きく後退することとなるのではないかと思います。   そこで,履行不能や履行遅滞等による解除の要件については,中間試案の(注)で述べられているように,現状を維持して,双方の責めに帰すべきではない事由による債務不履行の場合の債権者の解除権は認めないこととするか,別途継続的契約に関する解除権の制限を民法の条文上に定めていただきたいと思います。 ○松岡委員 1の履行遅滞等による解除の要件,20ページから27ページのところです。中身にそれほど異論があるわけではありませんが,表現上,両方とも少し問題があるのではないかと感じています。まず,本文のほうですが,期間の経過だけで解除権が発生して,履行は抗弁事由だというのは,確かに要件事実の整理としては正しいのだと思いますが,要件事実を熟知している者でないと分かりません。中間試案の表現に疑義があるという御指摘はそのとおりかもしれませんが,一部履行では足りないということを示すとすれば,例えば,「その期間内に,その全部の履行がされないときは」というような表現をとることも考えられます。とにかく催告期間内に履行がないことは,立証責任の問題とは別に,実体法上明記するべきではないかというのが1点目です。   それから,2点目はただし書について,表現の揚げ足取りめいた指摘で申し訳ないのですが,ただし書で「その期間の経過時までに履行された部分のみであっても相手方が契約をした目的を達することができるときは」とされていますが,これは日本語としてよく分からず,一部の履行だけで契約の趣旨に従った履行であると評価されるかのような誤解を招きかねません。説明文はそういうようなものにはなっておらず,この場合には解除はできないけれども,履行強制や損害賠償によって解決すればよいという趣旨のことが書かれています。   一方,中間試案の表現も「その期間が経過したときの不履行が」という表現がよく分からない回りくどいものになっております。例えば,「ただし,不履行があっても,契約をした目的をなお達成することができるときはこの限りではない」というくらいの表現にして,説明文にあるように,履行強制,損害賠償によって解決できる場合は解除できないという趣旨をより明確にしてはどうかと思います。 ○佐成委員 1の(1)のただし書ですけれども,これについては,我々の内部ではこのただし書そのものを設けることに反対をしているわけなんですけれども,それはひとまず置いて,この文言自体について,やはり問題があるのではないかということも,内部の議論で意見としてございましたので,御紹介します。   「契約をした目的を達することができるときは」というのは,これで解除の可否を切り分けるということだと思うんですけれども,契約をした目的を達することができない場合について,解除ができるというのは,これは当然だと思うわけです。けれども,契約をした目的を達することができるときには,解除ができないと,直ちに言い切ってしまって,実務上も本当によいのだろうかという,そういったような疑問であります。それで,「契約をした目的を達する」というこの言葉自体は現行法にも使われているということで,なじみもありますし,最初はいいのかなとは思ったわけなんですけれども,実際,これが現行法上どういうふうに使われているのかというところを,例えば請負だとか,売買とか,瑕疵担保のところの注釈なんかを見ても,目的を達するとはどういうことなのかといった辺りについては余り明確には書いていません。にもかかわらず,契約をした目的を達することができるときには解除ができないとしてしまうというのは,かなり乱暴な感じがしますし,そもそも解除ができる範囲が現状よりも狭まるのではないかといったような懸念が内部で表明されておりました。少なくともここら辺については明確にしていただかないと,元々このただし書を設けること自体に反対をしているわけなんですけれども,この条文自体にも賛同できないということになりかねないということでございます。 ○永野委員 今の御発言に関連しますけれども,付随義務の違反について,部会資料の中で引用されている,昭和36年の最高裁判決は,当事者が契約をなした主たる目的の達成に必須的でない付随義務の不履行は特段の事情が存しない限り解除原因とならないと判示しているわけで,これなどを参考にして,この1項(1)ただし書の部分を御提案されているんだろうと思いますけれども,他方で部会資料には引用されていませんが,昭和43年2月23日の最高裁の判決がありまして,事案は省略しますけれども,この判決は,外形上は契約の付随的な約款にすぎず,契約締結の目的に不可欠なものでなくても,当該約款の不履行が契約締結の目的の達成に重大な影響を与える場合には,当該約款の債務は契約の要素たる債務に入り,その不履行を理由として契約を解除できると判示しております。そうすると,ここの(1)のただし書の部分で,解除できないとされている契約をした目的を達することができるときと,それの補集合といいましょうか,その裏側の解除が許される場合は,契約した目的を達成できないときと読むことになりますが,ここには,昭和43年の最判がいう契約締結の目的の達成に重大な影響を与える場合が含まれないことになってしまって,判例が認めるよりも解除できる場面が狭くなるのではないかという懸念を持っております。   それともう一つ,この(1)の部分は部会の資料が昭和14年の大審院の判例を引用しておられますので,主たる給付義務の一部が不履行の場合にも契約の解除ができないことがあるという前提で作られているんだろうと思いますが,この大審院の昭和14年の判決は,契約の目的の達成の可否には全然言及しておらず,賃料の一部未払いの事件でありますけれども,債務者の対応と,それからやはり履行されなかった部分の軽微性といったところを念頭に置いて,解除を認めないという結論を導いているようであります。主たる給付の一部不履行の場面について,解除を制限している最上級審の判決は,これ以外にはちょっと見当たらなかったのですけれども,実務的には,これは解除権の濫用のような形で従前扱っていたのだろうと思います。素案は,付随義務の不履行と主たる給付義務の一部不履行という二つの場面を取り込んで,このただし書を設けているわけですが,契約をした目的を達成することができるかどうかという現在提案されている文言が,今の判例の下での実務の運用をうまく書き表せているかどうかという点については,若干懸念が残るので,この辺りについてもう少し工夫をしていただく必要があるのではないかという意見を持っております。 ○金関係官 ありがとうございます。御趣旨は十分に理解しておりますが,一応この資料の説明をさせていただきます。御指摘の昭和43年の判例において,目的の達成に重大な影響を与える場合にも解除をすることができるという判断がされていることについては,今回のただし書でそれと異なる結論を導こうとしているわけではありません。契約をした目的を達することができるかどうかというのは,事案ごとに柔軟な判断がされる,そういう柔軟な認定・判断や解釈を可能とする要件であると理解しておりますので,その解釈や認定・判断を通じて適切な事案の解決を図ることができる,結果としては昭和43年判例と同様の結論を導くことができるのではないかというのが,この資料の前提です。昭和43年判例も,その説示を見ますと,客観的に見れば付随的債務だけれども,その契約の目的の達成に重大な影響を与えることから,結論としては要素たる債務に入るとしていますし,調査官解説などを見ても,客観的に見れば付随的債務だけれども,当事者の合理的意思などに鑑みれば,その債務が非常に重要視されていたり,契約締結の目的が正にそこにあると評価できたり,あるいは,その付随的な債務が履行されないのであればそもそもそういう契約を締結しなかったと評価できる事案であるといった趣旨の解説もされているところです。そのような観点から言えば,結局は,契約をした目的を達することができるかどうかという要件の中で,契約をした目的の達成に重大な影響を与える場合の解除についても,適切な対応をすることができるのではないかという理解をしております。   逆に,そのような重大な影響がある場合に解除ができるということを,明示的に要件として条文に書き表すとなると,それはそれでなかなか難しい面があるのではないかと思っております。また,先ほど出ました軽微な不履行とか付随的な債務の不履行とか,こういった表現で条文を書くとなると,例えばよく言われるところでは,ねじ1本の不履行でも事案によっては契約の目的を達することができない場合があるという指摘などがされているところで,軽微な不履行とだけ書くと要件として十分ではないかもしれないといった問題もあり得ます。これらのことをいろいろと考慮して,契約をした目的を達することができるかどうかで解除の可否を判断するということを提案しております。   ついでに,先ほど松岡委員がおっしゃったところの1点目ですが,一定期間が経過したことにより解除権が発生するかのような表現をするのは適当でないというのは,現行法でも542条は定期行為の履行期を経過したことを要件に解除権が発生すると表現していますので,その542条を参考にしながら修正をすることにも一応の合理性があるのではないかと少し思いました。もちろん,引き続き検討したいと思っております。 ○中井委員 同じく(1)のこのただし書の表現については,私はかねてから,この「契約をした目的を達することができる」という表現について,疑問を持っています。これは永野委員,佐成委員の意見と基本的に同じと理解していただければと思います。重ねてになりますけれども,現行法で使われているのは,確かに請負のところや売買のところ,それから定期行為のところで,契約をした目的を達することができる,できない基準があるんですが,いずれも契約をした目的を達することができないから,解除できるという方向で使われている。この後の(2),(3)も契約をした目的を達することができないときに解除できる。この規範は全く違和感なく受け入れることができる。この解除できる場合の「契約をした目的を達することができない」という場面ですけれども,これを柔軟に解することができるのでしょうか。これは当該契約の目的を達することができないからこそ,債権者にその契約に拘束させるのが不適当だから,解除権を与えているんであって,これを柔軟に解して,解除できる範囲を広げたり,狭めたりすることは,できないと思うんです。だから,解除できる場面は,正に契約をした目的を達することができないからであると。ではその反対,契約の目的を達することができるときは,常に解除できないのかというと,その論理は成り立たないのではないかと思うわけです。契約の目的をたとえ達することができる場合であっても,その債務不履行の対応がけしからんとか,債務者の帰責性が大きいとか,信義に反するであるとか,そういう場合にはやはり,それから先ほどの永野委員のおっしゃられた判例であれば,付随的な義務であっても,重大な影響を及ぼすような場面では,やはり契約の解除ができるのではないか。とすると,ここの場面で「契約をした目的」という言葉でよいのか,また,それで解除できない場合を適切に切り分けることができるのか疑問を持つものです。   それなら,対案ですけれども,ほかのところでは契約の趣旨ということで対応しているわけです。ところが,ここは契約の目的に絞っているわけですけれども,「契約の趣旨に照らして軽微であるときには解除できない」という考え方,つまり,契約の趣旨との関係で解除できるかできないかが実は最終的に判断されているのではないか,それを要素の債務に当たるかどうかというのが,裁判上の言葉であったり,契約目的という言葉であったりするのかもしれませんけれども,契約の趣旨という言葉,概念を用いるなら,この場面でも使えないか,そういう意味では代案として,「その期間を経過したときの不履行が契約の趣旨に照らして軽微なときはこの限りではない,解除できない」,この軽微が,何か一方的に量的なものだという決め付けがどうもあるようですけれども,何も量的に軽微,質的にも少ない,付随的義務違反も含めて軽微という,ある意味では包括的な概念として取り込むことは十分できるだろうと。これは場合によっては,「要素たる債務ではない」,かつての議論では「重大な債務ではない」でしょうか。そういう議論に相通じるのかもしれませんけれども,それを端的に「契約の趣旨に照らして,軽微なとき」というような表現で十分カバーできるのではないか,むしろそのほうが,金関係官がおっしゃる,柔軟な解決ができるのではないかと感じる次第です。 ○中田委員 重大な不履行か,契約目的達成不能かというのは,従来から議論がありまして,それで中間試案では,一応ここに書かれたような形で取りまとめがされたわけですけれども,今回,それを更に明確化しようとされて,素案が出されているんですが,かえって分かりにくくなった部分があるのではないかと思っております。それは中間試案の(1)のただし書と今回の素案の(1)のただし書の「目的を達することができる」とするか,「妨げるものではない」とするかという違いもあるんですが,もう一つ,今回の素案では,「相手方が」という,主体を入れているという部分がどうかなと思いました。もちろんこれは規範内容を明確化しようという意図によることはよく理解しているんですけれども,逆に不明確になっているのではないか。   つまり,契約の目的というのはいろいろなレベルがあって,主観的なものから客観的なものまで,あるいは個別具体的なものから,定型的,抽象的なものまであるのですけれども,ここでは「相手方が契約をした目的」と書くことによって,比較的,主観的な目的に近付けて理解されてしまうという恐れがあるように思います。それはもちろん単なる主観的意図であってよいわけではなくて,その契約に取り込まれた目的,あるいは何らかの意味で客観的に判断される目的だろうとは思うんですけれども,ただ,この規定ぶりだけを見ますと,主観的,個別的判断のように読めてしまいます。それが今日,何人かの委員,幹事から出ている御懸念にも結び付くのではないかと思います。   それから,金銭債権の場合に,例えば9割入金があれば,債権者は差し当たっての目的は達成できるというときに,1割の入金がないのに解除できないというのは,やはり変な感じがするんですが,それはやはり債権者の主観的目的というのは,その契約における目的といいますか,あるいは重大性といいますかというのが入っているんだと思います。それで,中間試案の段階の表現では,重大性というものも取り込めるようなニュアンスがまだ残っていたと思うんですが,今回のは純化しようとされた結果,かえって難しくなったのかなという印象を持ちました。 ○山野目幹事 契約解除について,4点ございます。   1点目は,第3の1の履行遅滞等による解除の要件という,この見出しですけれども,このまま法文にすることについては問題があると考えます。現行法の541条の見出しにも問題が既にあるんだと思いますが,今回はこの1の(3)が入ったことによって,541条に相当する規律はその性質を大きく変えることになると考えます。見出しのことをこの部会の場で余り精力を割いて議論することがいいのかどうか分かりませんけれども,放っておくとこのままになる可能性があります。潮見幹事から意見書面が出ておりますから,これ以上るる申し上げませんけれども,ここのところは履行遅滞等と限るような文言にするのは適当でないということを申し上げます。   それから,(1)のその期間を経過したときは,ということについて,松岡委員から御指摘があったことについての金関係官のお答えが少し私,理解しにくかったのですが,定期行為についての現行の規定はきちんと「履行しないで」と書いてありますから,ここのところはやはり読み手は法科大学院を修了したり,司法修習に行って,訴訟上の攻撃防御を理解したりしている人たちのみが読むものではなく,国民が読むということを意識して,現行法と同じような「履行がないときは」と書いていただくほうがよろしいと感じます。   3点目ですけれども,(1)のただし書のところは,中田委員がおっしゃったように,相手方は,ということを明示することの問題性と,それから達するということのみ書いてしまわないで,やはり中間試案のように達することを妨げるといったような文言にしていただいたほうが,今日のそれぞれの御指摘に即応していく所以ではないかと感じます。   4点目ですけれども,2の履行不能解除ですが,これは金関係官から御紹介があったとおり,債務者の帰責事由の有無にかかわらず,この解除ができるという改正提案であると受け止めました。そうしますと,ここでの提案自体には反対ではありませんけれども,不自然に重複する制度や規律がほかに設けられるということは,非常に困ると感じます。我が国の法制執務は,重複する機能を持つ制度とか規律を設けないようにするという精密な精査の上に成り立ってきているものでありまして,今般の見直しもそういう汚点を残してはならないと感じます。後で68Bとの関係で強く申し上げたいことがございますから,この2との関係でまずその点を差し当たり指摘させていただきたいと考えます。 ○潮見幹事 山野目幹事がおっしゃったところともかぶるところは省略いたします。同意見であるということを申し上げます。その上でですが,先ほどの永野委員,それから佐成委員,中井委員の発言の方向で仮に考えるのであれば,先ほどの私の68Aのメモにも少し書いたところにも関わりますけれども,契約目的達成不能を理由とする解除と,催告解除という二本立てで枠組みを組んだほうが明確ではないかという印象を受けます。この整理ですと,両方にまたがっているんですけれども,例えば「第3 契約の解除」の1の(1)のみを切り離して,催告解除の規定として考える。そのただし書を要求するかどうかについては,多々御意見があろうと思いますから,それについては最終的に文面も含めてここで検討をする。場合によればただし書が削除されるということもあり得る。その催告解除についてどのような形で正当化するかということに関しては,これは御案内のとおりいろいろな意見がございますから,いろいろな考え方があるということを含んだ上で判断する。その1の(2)以下の部分は,次の履行不能も含めて,これは契約目的達成不能を理由とする解除についての様々な類型を挙げているものですから,そのような観点から問題を整理していけばいい。そのほうが分かりやすいし,今回の解除制度というものをどのように捉えているのかということに対する,この部会からのメッセージを発することもできるのではないかと思った次第です。 ○山本(敬)幹事 申し上げたかったことをほぼ全て潮見幹事がおっしゃってくださいましたが,そのような賛成の意見があるということを少し述べておきたいと思います。   これまで解除の要件については,ずっと議論があったところですけれども,整理の仕方としては,今,潮見幹事がおっしゃいましたように,契約目的達成不能を理由とする解除がこの(2)(3)で示され,そして後でも申し上げたかったことですけれども,次の履行不能で書かれていることもその一つの類型だと思いますので,これらはひとまとめにすべきだろうと思います。   催告解除については,確かに議論があるところで,特に弁護士会のほうからは,これがやはり重要なのだという御指摘があったところですので,もうこの段階では,これを独立の規定として設けることを前提にするべきなのだろうと思いますけれども,その上で,ただし書で,先ほどから出ていますように,また「契約目的を達成することができる」と書きますと,先ほどの目的達成不能を理由とする解除との関係が分かりにくくなりますし,混乱の元になりそうです。これをどう定めるかということはもちろん問題ですけれども,方向としては,先ほど御示唆ありましたように,契約の趣旨に照らして軽微なというか,ささいなというかは別として,そのような形で抗弁事由を書き込み,要するに主たる債務に当たらないような債務の不履行については,催告をしても解除できないということが明確に伝わるようにすべきではないかと思います。その場合には,原則に戻って,契約目的達成不能による解除を考えることになると思います。   その上で1点だけ,これも既に言われていることですけれども,指摘しておきたいと思います。と言いますのは,催告解除について,催告をし,その期間を経過したときはという書き方は絶対に避けるべきだろうと思います。やはり「履行がないときは」と書くべきだろうと思います。この点については,ご承知のとおり,要件事実に関連して,実務で説かれている考え方に対して,学説では,履行しないからこそ解除が認められると主張されていて,非常に大きな対立があるところです。それをこのような形で書きますと,一方をオーソライズすることになります。しかも,債務不履行に基づく損害賠償請求のほうは「履行がないとき」と書きながら,解除でこう書くというのは,平仄も合っていません。解釈の余地が残ることになるのかもしれませんが,少なくともここは現行法のまま書くべきだろうと思います。 ○松本委員 1の(1),一番議論になるところで,私は,重大か軽微かという,重大な契約違反による不履行,契約違反の場合の解除という考え方よりは,目的を中心に考えるほうがいいということは以前から主張してまいりました。それで,中井委員が,ここだけ契約の趣旨が入っていないのはおかしいではないかとおっしゃって,そのとおりだと思うんですが,そこで出てきた提案が,契約の趣旨から見て,重大な違反か軽微な違反かというところになるのは,第1ステージにおける当初の案に戻った感じがいたします。契約の目的そのものが,契約の趣旨から決まるはずなので,むしろ契約の趣旨は,契約の目的を引き出すものとして置くとすれば,契約の趣旨から見て,ここの部分をきちんとやってもらえないのであれば,この契約をした意味がないんだということであれば,それは目的を達成できないということになるわけで,当事者の意図を離れて,目的の達成を考えるというのはおかしいのだろうと思います。そう考えれば,契約の目的の前に,契約の趣旨から導かれる契約の目的という表現にするということで,中井委員のおっしゃっていた趣旨は入ってくるのではないかなと思います。 ○村上委員 (1)のただし書について,解除できない場合があり得るということ自体は,全く異論のないところだとは思うのですけれども,それをどう表現するのか,うまく表現できるのかが最大の問題なのだろうと思います。少なくとも,ここの御提案では,これまで判例が形成してきた内容をきちんと正確に表現しているとは言い難いわけでして,では,どう表現すればよいかというと,先ほど金関係官もなかなかうまく書けないとおっしゃっていたかと思いますし,おそらくそれは,全員の共通の認識なのだろうと思います。うまく書けるのなら,書けばいいと思いますが,どうしても正確に書けないときに,無理に書きますと,判例法理を歪めることになりかねないということを考えますと,ただし書は何も書かないで,後は解釈に委ねるというのも,一つの選択肢としてあり得るのではないでしょうか。   あと,(1)の本文で,「相当の期間を定めてその履行の催告をし」というところですが,催告する際に相当の期間を定める必要はないというのは,判例法理で固まっているところですので,「催告をして相当期間が経過したときは」と書いてもいいのではないでしょうか。そうすることについて,何か支障があるのであれば別ですが。 ○金関係官 後半の御指摘についてですけれども,一つには,民法を含むあらゆる法令の中で,相当の期間を定めて催告をするという内容の規定があるところを全て改めてよいのか,つまり「相当の期間を定めて催告」と書かれてある規定は,全て民法541条と同様の解釈がされているのかというのが,必ずしもはっきりしていないという点が挙げられると思います。例えば民法の条文ですと,本日のテーマに関係のあるところに限定しましても,民法408条の相当の期間,選択権の移転の前提として相当の期間を定めて催告をするという規定や,民法547条の解除権の消滅の前提として「相当の期間を定めて,確答すべき旨の催告をする」という規定,また本日のテーマと直接の関係はないかもしれませんが,危険負担に関する部会資料68Bで挙げております民法1027条にも,「相当の期間を定めて,履行の催告」という部分があります。ほかにも,民法の中に幾つかありますし,その他の法令の中にもあります。それらの規定を一つ一つ検討して,ここは民法541条と同様の解釈がされているから改正すべきであるといった判断ができるほどには,まだ議論が十分に固まっていないのではないかと思っております。もう一つには,民法541条に関する判例法理はもちろん村上委員がおっしゃったとおりですけれども,とはいえ,条文上も相当の期間を定めなくてもよいと明示するような規定ぶりとしてよいのかというところを少し不安に思っております。相当の期間を定めなくてよいことをあえて明示するのが妥当かどうかという点です。   ついでに,先ほど催告期間を経過したというだけで解除権が発生するというところの議論の中で,民法542条との関係を申しましたが,山野目幹事から指摘していただいたとおりだと思いますので,申し訳ありませんでした。 ○中井委員 先ほどの潮見幹事のメモ,きちっと読めてはいませんけれども,その後,山本敬三幹事からもその点,御指摘があったので,私もこの今回の整理,1の整理と2の整理が非常に分かりにくくなったと思っています。むしろ中間試案における第11の1の整理のほうが分かりやすい。中間試案第11の1を二つに分けるとすれば,弁護士会が従来から言っているように,一つは催告解除という制度,もう一つは催告しても意味がない,無催告解除という制度という形の二本立てと基本的には考えているわけです。その催告しても意味がないという実質が,この契約目的達成不能によって解除できる場合と実質的には一致する。それで,そのような構成で並べたほうが論理的だし,分かりやすいのではないか。恐らく現行法の履行遅滞と履行不能というこの条文の区別を意識されて中間試案を構成し直したように思われますけれども,分かりにくいと思います。取り分け1の(3)の位置付けが読んでいて分からない。これを中間試案では,(2)の催告しても意味がない場合,無催告解除の例として,イの不能の次に掲げていたわけですけれども,この掲げ方と表現ぶりがいいかどうかはともかくとして,イ,ウとその次の(3)が,一つのまとまりとして,催告しても意味がない場合,逆に言えばそれは契約目的不達成だから解除できる場合として整理する。潮見先生の考え方を誤解しているのかもしれませんけれども,そういう整理というのは十分検討に値するのではないか。   その上で私の先ほどの発言について,松本委員が御指摘になったところですけれども,私はこの素案1の(2),(3),それから,従来の請負とか売買で契約目的を達成できないときに解除できるという,この考え方は維持すべきであると。ここにあえて契約の趣旨をという,もうワンクッションを入れる必要はなくて,正に契約の目的を達成できないときには解除できるんだと,しかし,その逆は真ならずということを申し上げたくて,(1)について,契約目的概念を持ってくると混乱すると,私は思っています。山本敬三先生も先ほどおっしゃられたのが,同じ趣旨なのかはにわかには理解できなかったんですけれども,恐らく同じ考えではないかと。だとしたときの(1)のただし書については,別の言葉で表現するのが適切という考えから,先ほどは,「契約の趣旨に照らして軽微なとき」ということを申し上げました。重ねてになりますけれども。 ○高須幹事 この催告解除のところはずっと議論してきて,ずっと難しいままここに至っているというのが実感でございます。今のお話を聞いていても,結局,徹頭徹尾,裁判規範として役に立つ規定を作ろうとするのか,あるいはそういう意味ではなくて,先ほど法科大学院を出た学生に分かるためのものか,そうでない人にも分かる規定にするのかというような表現もあったと思うんですが,広くこれを読む人,一般の人にとって分かりやすいもので足りるとするか,こういう場合には催告解除ができるんだということが最低限,一般の人に分かるような規定を置くのか,そもそもの出発点に二通りあるのではないかと思います。「相当期間を定めての催告」と書くか,書かないかとか,「期間を経過したときは」にするのか,やはり「履行がないときは」と書くのかとか,「ただし書を設けるべきかどうか」とかというところは全部それに関係するのではないかと思います。   徹頭徹尾,裁判規範としての条項を意識するということであれば,この文言は相当練り込まないとならないという気はしますが,これまでの議論の状況,そして,今日の議論を聞いているとやはり,今回の改正で目指しているのはそこまでのものではないように思います。裁判規範に限らず,やはりこれは国民にこういう制度で解除ができるんだということを分かってもらう規定なんだということであれば,そこはやはり,分かりやすさを重視した表現を設けるべきことになる。そのときに,その文言の一字一字の表現について,厳密にこうでなければならないと考えなければならないとすると,恐らく合意形成はできないのではないかと思います。したがって,ここではやはり分かりやすさを重視した規定のあり方を考えなければならない。そのときにただし書を設けないというのは,我々のような裁判に関わっている人間は例外的に幾ら催告解除してもできない場合があるということは分かっているわけだけれども,それは普通の人には分からないかもしれないというところが正に今回,こういう条文を置こうかという趣旨ではないかと思いますので,このただし書はやはり設けるべきではないか。そのときにその言葉が裁判規範を正確に表現できているかどうかということに余りこだわると,恐らく合意形成ができないと思いますので,そこはもう今回の条文はそういう前提で作っているということが分かるような何か説明をきちんとするなりして,ただし書を設けるという方向がよろしいのではないかと思いました。 ○山本(敬)幹事 これは前からも指摘はさせていただいていた問題だと思いますが,(1)で催告解除を認める規定で,それが否定されるのはどのような場合かということについて述べておきたいと思います。   これは二つ考えられます。一つは,先ほども言いましたように,付随的義務のように,債務自体は軽微なものである場合に,催告をして,履行がなければ解除できるのはおかしい。それを否定するという趣旨が,この(1)のただし書に入っていることは争いがないだろうと思います。もう一つが,これは比較法的にも議論のあるところですけれども,不完全履行がある場合に,その不完全履行について,催告をして,追完がなされないので,解除を認めるかという点です。これは確認ですけれども,恐らく中間試案も,そしてこの素案の(1)も,不完全履行がある場合に,その追完の催告をしたけれども,追完がされないというだけでは解除は認めないという立場をとっていると理解してよいのでしょうか。恐らくそうなのだろうと思ったのですけれども,本当にそうなのかということを確認させていただいた上で,不完全履行については,基本的には(3)で契約をした目的を達することができない場合に,解除を認める。これは瑕疵担保に関する現行法と同じことですけれども,そうだとして,つまり,不完全履行の場合に催告をすれば,解除できるということは認めないとしたときに,それをどう表現するかというのが次の問題です。例えば,CISG,国際物品売買契約条約などでは,そもそも催告解除は引渡債務の不履行に限定していて,不完全履行を含めないというようなことが明示されていたのではないかと思います。   要するに,(1)の本文の要件レベルで限定を掛けるのか,それとも,ただし書のレベルで限定を掛けるのか,どちらの方法もあり得ると思うのですけれども,この素案の(1)は,恐らく,ただし書で今の不完全履行に当たるものについて単純な催告解除は否定するということが示されているように思います。もしそうだとするならば,先ほどから申し上げているように,(1)のただし書を見直すとすれば,それをどう表現すればよいかということを更に詰める必要が出てくるように思いました。少しややこしいことで申し訳ありませんが,まず,不完全履行がある場合に,催告をすればそれで解除できるとは考えていないのかどうかということの確認をお願いできればと思います。 ○金関係官 御質問の趣旨を正確に理解していない可能性がありますけれども,不完全履行がされてその時点では契約をした目的が達成できず,催告をしてその催告期間が経過した時点でもまだ不完全履行の状態であるために契約をした目的が達成できないのであれば,催告解除は認められるという立場,あともう少し待てば追完がされて契約をした目的が達成できることもあり得るというような場合であっても,催告解除は認められるというのが中間試案の立場だと理解しておりますけれども…… ○山本(敬)幹事 もう答えはほぼ出ているのだろうと思いますが,要するに「債務の履行がされないとき」には不完全な履行も含まれる。したがって,追完を催告として求める。しかし,履行期間内に追完が行われなかった。この場合に,解除を認めるという立場はあり得る立場ですが,そうではなくて,やはり契約をした目的を達することができないときに初めて不完全履行の場合も解除を認めるのであって,単に催告しただけでは駄目である。催告解除をこの場合には認めないというのが先ほど申し上げたCISGの立場だと思うのですが,それと同じ立場がここでもとられていると見てよいのか。私はそう理解したけれども,本当にその理解でいいのですねという確認です。 ○金関係官 失礼しました。そのように理解しております。 ○山本(敬)幹事 仮にそうだとしますと,先ほども申し上げましたように,ただし書を見直す際に,軽微な債務の不履行のことだけを考えていては駄目で,不完全履行の場合に,不完全履行があり,催告すれば,それだけで解除できるとはならないような文言を選ぶ必要が出てくる。不完全履行については,現在の素案ですと,(3)の契約目的不達成が更に付け加わって初めて解除できるというように仕組みを作っていく必要があるということになるのだろう。その意味では,今後詰めていく課題の一つが少なくともそこにあると思いました。 ○鎌田部会長 ほかによろしいですか。 ○佐成委員 本質的な議論ではなくて,文言だけの話なんですけれども,ここで,「契約目的不達成」という言葉が,現行法にもありますから,仮にこれを使うということだとしますと,これはあくまで「目的不達成(l’impossibilité d’atteindre le but)」という,一連の言い回しとして,沿革上は概念されていると思われるのに,「契約の目的」と「達成しない」とに単純に切り離して,要するに「契約目的」とか,「契約した目的」とか,それだけをまた独立の概念として解釈する余地を残すようなことは,条文の成り立ちからして好ましくないのではないかと感じております。加えて,「契約の趣旨」という言葉も,今度,新たに入れるということになりましょうから,そうすると,「契約の趣旨」とどう違うのかとか,無用の混乱を生じます。恐らく「契約目的不達成」という,ここの部分についてはもう既に定着した実務がありますでしょうし,そういう定着した解釈論がなされているのではないかと思うので,そこをいたずらにいじくるのは適切ではないと思います。ですから,くれぐれもそこを「契約目的」というところで単純に切ってしまうというような扱いにならないよう,十分ご留意いただきたいと思います。本筋の議論とは別ですけれども,ちょっと気になるところだということだけ念のため指摘したいと思います。 ○岡委員 簡単に三つだけ。最初に山本敬三先生に質問なんですが,不完全履行が催告後も治癒されない場合でも,一定の場合には解除を許さない,その表現として,中井さんが言った「契約の趣旨に照らして,軽微な不履行」では表現できないのでしょうか。契約の趣旨に照らして軽微な不履行,と続けると,実務家としては,それでかなり包摂されるような印象を持っておるので,その質問をさせていただきます。   二つ目には,契約をした目的を達することができるという文章を,(1)のただし書として残すとしても,やはり軽微な不履行という例示をしないと,この目的を達成という言葉だけでは,国民及び実務家に分かりにくいのではないかと思います。目的という言葉が残るのであれば例示を付けるべきだという意見が強うございました。   それから最後に,弁護士会で議論したときも,中田先生がおっしゃった,この「相手方が」を,契約をした目的の前に置くのは非常に違和感があります。契約をした目的の前に「相手方が」というのがくっ付くと,その人の主観的な目的に,どうしても引きずられると思います。それよりは中間試案のように,契約をした目的の達成を妨げるものではないという表現の方がいいとの意見が弁護士会でもございました。 ○山本(敬)幹事 「軽微な不履行」ということで,「軽微な債務」の不履行と軽微な「不完全履行」の両方がカバーできるとするならば,それで催告解除が認められないということが表せるのではないかという御指摘だったのではないかと思います。それでコンセンサスが得られるのであれば,この場ではよいのかもしれませんが,そうしましたときに,多少気になるのは,軽微な不履行と契約目的を達成できない不履行との関係を解釈上どう理解すればよいかという問題が生じるのではないかと思います。   「軽微な」「債務」かどうかは,契約目的が達成できない不履行とは一応別に考えることができます。つまり,給付義務としての引渡債務の不履行は,少なくとも軽微な債務の不履行ではないでしょう。それに対して,それ以外の付随的な義務は,軽微な債務である場合があり得て,その場合の不履行は,催告解除が認められない。こう判断することが可能ですが,「不履行」に「軽微な」を掛けてきますと,先ほど申し上げましたように,契約目的が達成できないというのと「軽微な」との関係について,解釈上議論の余地が出てきます。それでもよいと割り切るのであれば,立法としてはあり得ると思いますが,そこはもう少し詰めないといけないのではないかと思うところです。 ○岡崎幹事 1の(4)と2の(3)の関係ですけれども,債権者と債務者の双方に帰責事由がある場合があり得るのではないかという気がします。これは第2ステージの中間試案のたたき台の審議の際にも一度話題に上がり,その際には,いわば二者択一といいますか,帰責事由は,債権者か債務者のどちらかにあるものだという事務当局からの御説明があったと記憶していますけれども,やはり双方に責めに帰すべき事由があるという事態も,実際にはあり得るのではないかという気がしております。今問題になっている局面を対象とした事案ではないのですけれども,例えば東京地裁の平成14年3月29日,判例時報の1,795号119ページという判決がございまして,この判決は,弁護士の報酬請求権がどういう場合に発生するかについて,当時の規約上は,依頼者の責めに帰すべき事由によって,弁護士を解任した場合には,報酬が発生するというようなことが書かれていたわけですけれども,このケースにおいては,弁護士と依頼者の双方に責めに帰すべき事由があるという認定をして,一定の結論を導いています。このように,世の中には双方に責めに帰すべき事由が存在する場合もあり得るのではないかと思いまして,発言をさせていただきました。 ○金関係官 双方に帰責事由があるという判断の前提としてそこにいう帰責事由が伝統的な過失のことを想定しているかもしれないとも少し感じましたが,それは別として,帰責事由というのは,当該不履行の結果をどちらに帰責すべきか,当該不履行のリスクをどちらが負担すべきかという問題であることから,債権者にあるか,債務者にあるか,どちらにもないかのいずれかに収れんするのではないかということを考えております。債権者にも債務者にも同程度の落ち度があるような事案では,債権者にも債務者にも帰責事由がないという判断が場合によってはあり得るという前提です。ただ,一旦その立場を置いて,仮に双方に帰責事由があるという場合を想定することができるのであれば,今回の規律では,21ページの(4)の相手方に帰責事由があり,また,27ページの(3)の債権者に帰責事由があるということになって,解除はできないことになると言わざるを得ないのではないかと思います。むしろ,それで不当な結論が出るというのであれば,それはやはり最初に申しましたとおり,帰責事由の捉え方や判断の仕方に問題があるということではないかと理解しておりまして,そのような観点から,相手方や債権者に帰責事由がある以上は解除できないという規律を設けることには,合理性があるのではないかと考えております。 ○岡崎幹事 そういたしますと,現行の規律では,債権者と債務者の双方に帰責事由がある場合には,債務者に帰責事由があるので,解除ができるということになると思うのですが,素案によりますと,今後は債権者に帰責事由があるので,解除できないということになって,結論が変わるという理解をしてよろしいのでしょうか。 ○金関係官 今回の提案は,債務者に帰責事由がなくても解除することができることを前提としておりますが,今の岡崎幹事の御質問は,現在のように債務者に帰責事由がなければ解除できないことを前提とされているようにも思ったのですが…… ○鎌田部会長 結論的には現在解除できるものが解除できなくなるという,こういうことでよろしいですか。 ○金関係官 いえ,債務者に帰責事由があり,かつ,債権者にも帰責事由があるという場合を仮に想定することができるとして,その場合に必ず解除できるというのが現行法の規律なのかという点は…… ○岡崎幹事 すみません,もう一度整理して,質問させていただきたいと思いますけれども,債権者と債務者の双方に帰責事由がある場合がそもそもあり得るかについては,確かに議論の余地があるのかもしれませんけれども,あるのではないかというのが,私の先ほどの質問の趣旨で,仮に双方に帰責事由がある場合を想定できるとすると,現行法の規律によれば,債務者に帰責事由があるということになりますから,解除ができるということになると思います。   それに対して,この素案の規律によりますと,債権者にも帰責事由があるということになりますので,解除できないということになるのではないかと思われます。そうすると,現行の規律と今回の素案の規律とで,結論が異なるのではないかという質問です。 ○金関係官 現行法において双方に帰責事由がある場合に必ず解除ができるという結論が正しいのであれば,現行法と結論が異なることになるのかもしれませんけれども,それ自体に議論があり得るのだとは思います。また,やはりそもそもそれ以前に,帰責事由が双方にあるという状態を想定するのが正しいのかという問題意識を持っていることは,先ほど申し上げたとおりです。不十分ですが差し当たりのお答えとしては以上です。 ○潮見幹事 むしろ,岡崎幹事が前提にしているような枠組みで解除というものを考えないようにしようというのが,今回の中間試案,あるいはそれ以前の私的グループの試案,今回の素案ではなかろうかと思います。金関係官がおっしゃられた点には,半分賛成で半分はどうかなというところがあるんですけれども,基本的に今回の素案や中間試案でお示しになられている方向というのは,当事者の帰責事由というのをまず度外視して,債務不履行の客観的な対応を捉えて,もちろん催告の場合は催告,それから,相当期間経過不応答という,それを踏まえてですけれども,そういう客観的な事態を踏まえて考えた場合に,それが解除に値するか,つまり,債権者を契約の拘束力から解放するに値するのかどうかという観点から,解除の可否を考えてみようというものです。そのところでは,帰責事由という言葉は債務者にしても,債権者にしても,一切出てきません。それで,そういう場面を原則にした上で,なおかつ,債権者にそうした客観的な事態があるにもかかわらず,解除権を行使させるのが相当ではないような場合があるのではないかということを示すために,(4)というものがあって,しかもそこに,いいかどうか知りませんが,契約の趣旨に照らして,相手方,つまり債権者の責めに帰すべき事由というものを入れているという建付けです。つまり,それは契約の趣旨に照らした形で債権者に解除権を与えるにふさわしいような状況があるかどうかというものを判断していきましょうという枠組みではないでしょうか。そうであれば,そのときに債務者側の行為態様をその中に組み込んだ形で,双方に,正に従来の言い方をすれば,帰責事由があるような場合もこの(4)に当たるかどうか,その1点で判断をするという捉え方ではないのでしょうか。 ○岡崎幹事 そうすると,質問自体が失当なのかもしれませんけれども,従前解除できたものが,解除できなくなる場合もあるのかという質問に対しては,イエスという理解でいいのですか。 ○潮見幹事 従前解除ができた場合ということについてのイメージが,私はまだ頭の中にちょっと入り切れていないんです。 ○金関係官 従前の解除ができた場合として岡崎幹事が前提にされているのは,債務者にも帰責事由があり,債権者にも帰責事由があるときは,必ず解除ができるということだと思いますけれども,それ自体が必ずしも自明のことではないかもしれないとも思いますけれども。 ○岡崎幹事 帰責事由の解釈がある程度いろいろあり得るというのは,理解はできますけれども,裁判実務において,従前,債務者に帰責事由がある場合に,解除できないと判断されたことはないと思います。金関係官がおっしゃっているのは,帰責事由の内実のことであるというのは理解できるのですけれども,債務者に帰責事由があるというのであれば,解除できるといわざるを得ないのではないかと思います。 ○鎌田部会長 その点を更に検討させていただきます。   ほかに。 ○潮見幹事 派生的なことですけれども,68のAの最後のところにも少し書いたことですが,今,岡崎幹事からも話が出ていた,契約解除の,第3の2の(3)のほうでしょうか。従来これは民法の536条2項に対応する場合ではなかったかと思いますけれども,536条の2項には,現在の規定だと後段があり,償還請求の規定があります。そのようなものをここの(3)のところに設けなくていいのか,少し気になりました。 ○金関係官 そこは,民法536条1項を削除するかどうかの議論の結果として,536条全体がそのまま残る可能性がありますので,その部分は何といいますか…… ○潮見幹事 あけていると。 ○金関係官 はい。 ○潮見幹事 分かりました。あけているということですね。 ○岡委員 潮見先生にお伺いしたいんですが,たとえばシステム開発の委託を受けて,最後うまくできなかった場合の訴訟のやり方として,今までは受託,システムを作っているほうが,私は一生懸命やったんだと,私に責任はないと,こんなに真面目にやりましたと,だから,帰責事由はないんですと,こう言って争っていたと思います。ところがこの素案になると,そういう争い方ではなく,債権者,あなたが要件定義をしっかりしなかったから,システム開発ができなかった,あなたのせいですよ,債権者の責に帰すべき事由による不履行ですよと,こういう争い方にイメージとしてはなるんでしょうか。 ○道垣内幹事 債権者がすべきことをしなかったのだと,(4)に基づいて主張して,解除を妨げるのか,それとも,与えられた状況の下で一生懸命やるというのが債務であって,そもそも債務不履行がないというのかということは,双方あり得るわけであって,岡委員がおっしゃったような問題が,(4)ができることによって,現行法と異なった形の訴訟形態をもたらすのかというと,必然的にそうなるわけではないと思います。 ○村上委員 実際に訴訟の審理しておりますと,どっちもどっちというか,どちらにも問題があったのではないかというケースは,それなりにあります。注文したほうにもまずいところがあったし,開発業者のほうにもまずいところがあった,だから,双方ともに責めに帰すべき事由があるケースというのは,ごく普通にあることだと思います。 ○潮見幹事 (4)のところの契約の趣旨に照らして,相手方の責めに帰すべき事由,債権者の責めに帰すべき事由というものの中身をどういうふうに捉えていくのかということを明らかにするという観点から補足説明を加えていただくということで,対応していただければと思います。 ○道垣内幹事 岡崎幹事の御発言から始まって,みなさんの間に,実質論にほとんど差異がないような気がするのですね。何が問題になっているかというと,結局,現行法の少なくとも解釈等においては,債務者の責めに帰すべき事由というのが解除の要件になっていた。しかるに,それと同じ言葉,つまり,責めに帰すべき事由という同じ言葉を用いて,債権者の責めに帰すべき事由のときには解除ができないという素案になっている。しかし,ここの責めに帰すべき事由というのは,潮見幹事がおっしゃるように,様々な両当事者の事情を勘案して,これで解除を認めるというのはないのではないというような評価的な概念である。にもかかわらず,債務者の帰責事由というところから債権者の帰責事由に,同じ概念を用いて規定しようとしているので,逆になったのだというようなイメージを与える。ここに問題があって,ではどういう言葉を使うんだと言われそうなんですけれども,責めに帰すべき事由という言葉ではない言葉を,何とか探す必要があるのではないかなという気がしました。 ○鎌田部会長 同時にこれは現行法の536条2項を意識した規定でもあるわけなので,536条をどうするかということとも関連するんだと思います。ということで次に進ませていただけると大変助かるんですけれども,68Aの「第4 危険負担」と68Bの「第1 民法第536条第1項の削除の是非」について御審議を頂きたいと思います。 ○中田委員 すみません,解除のところで,4の解除権の消滅についてなんですが,31ページで548条1項の規律を改めるということで,中間試案とは変えまして,解除権者が知らなかったときを除くという規律に変更するということだと思います。また,548条2項は維持するという,中間試案とは違う規律になっていると思うんです。この問題が発生しますのは,目的物に瑕疵がある場合と,一部のみが履行されて,残部の履行が遅滞している場合とがあると思うんですけれども,瑕疵がある場合については,この規範は理解できるんですけれども,一部のみが履行されたというときに,解除権者の認識を基準とすることは不安定になるのではないかと思いました。それも含めて考えると,解除権者の行為による滅失について,解除権者の知,不知で変わるのは,かえって不安定になる可能性があるのではないかということです。今回の案は,現行法をベースにしながら,中間試案の考え方を少し取り入れようとされたものだと思いますけれども,かえって新たな問題も含まれているのではないか,更に検討する必要があるのではないかということです。 ○鎌田部会長 検討の方向性については何か御示唆はありますか。 ○中田委員 中間試案で一度到達しましたので,これで更にまた新たな提案が出てくるということがまだ十分理解が来ておりません。 ○松岡委員 補足的な意見を申し上げたいと思います。548条の削除を取り止めることに,なお懸念を持ちます。その前の3の解除の効果のところは,現行法の規定とほとんど変わらない形にして,価額償還義務を明示しないことになっています。548条不要削除論は,その価額償還義務があるから548条は要らないという理屈もあったのですが,ここで548条を維持して,かつ,545条や取消しの効果の個所で,かなり簡素な現行法とほとんど変わらない内容の規律を維持することになりますと,従来から価額償還義務があるのかどうかについて解釈論上相当争いがあった不安定な状態が相変わらず残ることになります。これは残念だと言わざるを得ません。再考の余地はないのでしょうか。 ○金関係官 取消しや無効のところでは,現行法に存在しない「原状に復させる義務を負う」という規律を新設して,その規律の中で価額償還義務があることを読み込むという整理をしております。その関係で,解除については,既に現行法の545条1項に「原状に復させる義務を負う」という規律がありますので,この文言のところで,価額償還義務についての規律が示されているという趣旨ではあります。   548条1項については,中間試案では削除することとされていますけれども,パブコメの意見やいろいろな意見を踏まえますと,ここは全て削除するとかえって問題があるという指摘があり,それは結局,お金で全て解決できるわけではないということなのだろうと思います。価額償還をするからどのような場合でも解除してもよいとは必ずしも言えないという指摘がありますし,また,起草者の説明などを見ても,お金で全て解決できるわけではないことを想定して規定を設けたということのようです。そのような観点から,今回はこういう提案をしておりますが,もちろん引き続き検討したいと思っております。 ○岡田委員 解除のところで取り上げなかったところとして,43ページの中間試案での複数契約ですが,しつこいようですが,やはり言わせていただきたいと思います。消費者契約の場合は複数当事者の複数契約が当たり前みたいで,今や3社どころから,5社とか6社とかいうのがあります。でも,複数当事者の複数契約はどうも今までの議論からすると,通りそうにない。でも,同一当事者の複数契約は通るのかなと思っていたのですが,これも取り上げないということになると,消費者契約法の5条がより進展してほしいと思っている立場からすると,せめて同一当事者の複数契約ぐらいは検討していただけないかと思いますので,すみませんがお願いできないでしょうか。 ○高須幹事 本来は最後のところ,取り上げなかった論点のところで指摘したいと思ったのですが,今,岡田委員から出ましたので,引き続きということで発言させていただきます。弁護士会の中でもやはり有力な意見として,この中間試案の第11の2で指摘された複数契約の解除について,今,御指摘があったように,せめて同一当事者間で残すべきではないかという意見が主張されています。平成8年の判決以降,たくさん判例が出ているわけではないという御指摘などもいただいておりますけれども,今,御指摘があったように,平成8年判決は実務上かなり重要な一つの契機になった判例であり,言わば消費者取引その他,一定の部分においては指針となっているような判例であるということを考えますと,今回明文化する価値があるのではないか。要件を適切に切り出すのが難しいというところではあるという御指摘ですが,判例の表現にのっとって,今回一応中間試案で示された,密接に関連付けられているということと,契約目的が全体として達成できないときという規律を設け,この規律の解釈の中に一定の要件を今後導いていくことは可能だと思いますので,そういう意味では,この中間試案でここまで達成したという内容を実現するということは,ここの部分について大事ではないか,そういう意見が弁護士会の中にも根強くあるということを併せて指摘させていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ほかに複数契約の解除に関連して御意見はありますか。   ほかに解除関係についてよろしければ68Aの「第4 危険負担」と68Bの「第1 民法第536条第1項の削除の是非」について御審議いただきます。   事務局当局から説明をお願いします。 ○金関係官 説明いたします。   68Aの「第4 危険負担」では,民法第534条及び第535条を削除することとしています。これについては中間試案からの変更はありません。他方,中間試案では,民法第536条第1項も削除することとされていましたが,今回の資料では,部会資料68Bにおいて,民法第536条第1項の削除の是非という論点を取り上げることとしていますので,部会資料68Bについて説明いたします。   部会資料68Bでは,パブリック・コメントの手続に寄せられた意見などを踏まえ,民法第536条第1項を削除するという中間試案の考え方に対する批判的な意見を整理しています。68Bの2ページの2の①から⑦までと,⑦を敷衍した3ページの3がこれに当たります。これらの批判的な御意見も踏まえ,民法第536条第1項を削除するという考え方の是非について,御審議を頂ければと思います。 ○山野目幹事 履行不能を理由とする解除が審議された際にも申し上げましたけれども,今般,債務者の責めに帰すべき事由の有無にかかわらず,履行不能による解除を認めるという趣旨の新しい規律の導入の提案があって,そこまでについてはこの部会の委員,幹事の間で,おおむね中間試案も踏まえ,コンセンサスが形成されていると考えます。その上で,そうであるとしますと,それと不自然に重複するような制度や規律を設けるということはおかしいものでありまして,そのようなことは少なくとも我が国の洗練された法制執務では今まではしてこなかったものではないかと考えております。民法536条1項の規定を無傷でこのまま置くということは,そのような観点から言うと,考え難いことでありまして,今般の部会資料68Bも事務当局におかれましては,飽くまでも客観的な論点整理ということで,パブリック・コメントで出された意見を踏まえて,このような整理をしていただいたものと感じますとともに,資料68Bは,どうしても読む者に536条1項を無傷でこのまま置いておくという議論になっても,やむを得ないのではないかという気持ちを抱かせるものに結果としてなっていると感じます。お書きになった意図はそうではないかもしれませんけれども,取り分け今御示唆があったような第1,2の①から⑦まで論点の提起を頂いておりますが,少なくとも②から⑤は危険負担の制度を存置することの積極的な理由の説明にはなっていないものでありまして,置いても害はないでしょうという言い方のものですけれども,当然に,つまり自動的に反対給付の権利が消滅するという制度を存置しておきながら,解除によってそれを消滅させるという制度を併せて入れるということは,どう考えても読み手にとって親切で平明な理解を与える民法の規律であるとは考えられないものでありまして,これについてはやはり536条の見直しは避けられないという方向を基本指針として,今後の要綱仮案に向けての調査審議を進めていただくことが相当であると考えます。 ○鎌田部会長 ほかに御意見は。 ○佐成委員 今の点,536条1項の削除に関してですけれども,これも改めて内部で議論しましたけれども,やはりこれはパブリック・コメントでも意見を出しておりますとおり,削除には反対というのが多数であったということです。そうした議論の中でも,従来からいろいろ削除に反対する理由として述べられてきたことは繰り返しませんが,新たに出てきた指摘としては,実務上,履行不能に相当するような事案では,解除の意思表示がそれほど必須的に行われているとは言えないという指摘でありまして,複数の企業の方が言われておりました。それはおそらく,536条1項が現状そういう機能を果たしていたのではないかということであります。だからこそ,それが紛争となって明示的に裁判に表れるというようなことはなくて,実務的にはそういう536条1項を当然の前提とする解決が広くなされたのではないか。そういう指摘も複数の企業でなされていました。ですから,そういう意味も含めて,536条1項の削除についてはまだ慎重意見が強いというのが現状でございます。 ○安永委員 民法536条1項を削除した場合,例えば交通機関途絶や自然災害など,労働者と使用者の双方の責めに帰することができないような事由で欠勤をした場合の賃金控除のケースなどにおいて,問題が生じるのではないかと思っております。現行民法の下では,当事者双方の責めに帰すことができない事由によって,労務を供給することができなかった場合には,その分については報酬請求権が生じませんが,その法的根拠は536条1項にあると言われております。このことからすれば,536条1項を削除した場合には,交通機関途絶等で欠勤したケースにおいて,使用者は契約解除の意思表示をしなければ報酬支払義務を免れないという解釈がなされることも考えられ,解除を誘発するなど,継続的契約である労働契約の不安定化を招くというようなことが危惧されます。   部会資料68Bの2ページ⑥のパブコメ意見にもあるように,継続的な契約について,契約自体の効力は引き続き維持する必要があるときは,契約の解除ではなく,民法第536条第1項による消滅を主張するほうが合理的である場合もあると考えます。 ○潮見幹事 今の安永委員の御発言ですけれども,労働契約の報酬請求権がどうなるかということについては,中間試案も含めて,労働契約のところに特別の規律を設けようではないかという案も出ておりましたから,そちらのほうで対応したらいいのではないでしょうか。それから,継続的契約については,まだ継続的契約の解除に関するルールというものをどうするかということで考えればいいのではないかと思います。それは前置きです。   ここからが本題です。1枚ものの席上配布資料を用意させていただきましたが,解除と536条1項の規律を併存させるということに対しては,説明が理論的にはできないのではないかというように思っているところです。先ほどの佐成委員の発言にもございましたが,そのような理解であれば,どうしてその場合を履行不能で,あるいは危険負担で一本化しないのかと思います。解除制度をその場合には認めないという態度決定もできるはずなんです。これによって,理論的矛盾は回避されるかもしれません。ドイツで債権法の現代化がされようとしたときの,ある一定時期にそのような方向も模索されたわけで,理論的に説明しようとしたら,それで十分ではないのかと思います。解除がされないということであったら,履行不能の当然消滅構成で十分ではないか。ただ,そういうところまで腹を決めることができますかという問題に尽きようかと思います。   しかし,そうではなく,やはり履行不能で解除を認めてやろう,その一方で,当然消滅という危険負担構成も認めてくださいというのは,理論的には説明がなっていないのではないかと思います。少なくともパブコメで上げられたという形で事務局が整理されている①から⑦,そこまでのところにおいて,理論的な部分で説明が付くものは一つもありません。一見すると,③制度間競合みたいな形で書いている部分については,だまされそうな感じはするんですけれども,ここの場面とは全く違うことを持ち出しておられます。   それで,残るとすると,結局は理論的なおかしさというところには目をつぶって,やはり通常の実務はこうであるという②の意見しか残らないのではないでしょうか。しかし,それでもなお,併存構成をとりますか。法制審の部会として理論的なおかしさにもかかわらず,②だけを論拠としますかというのが,ここでの重要な態度決定になるのではないかと思います。先ほど安永委員のところに少し言及しましたけれども,なお,やはり解除という構成ではまずいという部分については,各論的に対応するような方策が既に提案として出されているわけですから,それ以上に何か一般的な制度のレベルで危険負担制度も入れ,かつ,解除と両方を併存させるという構成をとるということには,私自身は少なくとも賛成はできません。 ○山本(敬)幹事 潮見幹事が先ほど御指摘されたうちの,特に部会資料でいいますと③についてです。制度間競合と言われた点ですが,正に二つの場合は異なるものでして,このことはすでに以前の部会でも出ていたと思います。   まず,異なる要件を定めた規範が複数ある場合に,ある事案が複数の要件の全部を満たしているときは,それぞれの規範を満たしているわけですから,それぞれの効果は認めてもよい。それが二重効で言われていた問題です。それはやはり規範が違うわけです。   それに対して,ここで問題になっているのは,履行不能という要件はどちらも一緒である。解除については,更に解除の意思表示が付け加わっているだけであって,一方の要件が他方を完全に包摂しているわけです。この場合は,規範を複数認める必要はない。それが,先ほどから理論的に説明が付かないと言われている事柄でして,この二つは全く異なります。   後者の場合は,そもそも一方の規範を認めるのであれば,他方の規範は無用のもののはずである。それを二つ定めるというのはおかしいのではないか。確かに潮見幹事も御指摘されたように,解除で一本化するという方法もありますが,危険負担で一本化するという方法も理論的にも考えられますし,実際にも提案されたことのあるものですけれども,それはやはり問題ではないかというので,解除一元化がずっと主張されていたところです。この点はやはり忘れてはいけない重要なポイントだと思います。   その上で,部会資料には大変御苦労されて,いろいろな問題点を指摘されていますが,取り分け最後の⑦について述べておきたいと思います。ここでは,解除権の行使が制限される場合について,特に解除権の不可分性から解除が制限される場合があるという指摘がありますが,これは別に履行不能解除の場合だけに問題となる事柄ではなくて,催告解除が問題になる場合でも,例えば解除権者が複数いる場合に,一方が連絡が付かないなどという場面でも起こることでして,別に履行不能解除,つまり危険負担との関係が問題になる場面だけではなく,解除一般について問題になることです。これを本当に解決すべきだとするならば,このような場合でも解除を可能にするような手続に関するルールを整備する必要がある。それが難しいのであれば,これはやはり解釈論に委ねられるだけであって,この問題があるために危険負担制度を存置すべきであるというのは,違うのではないかと思います。ですから,これもやはり理由になっていないと言わざるを得ません。私からは以上のとおりです。 ○松本委員 第2ステージの最後のほうで述べたことの繰り返しになるんですが,今,山本敬三幹事がおっしゃった,要件が同じでかつ効果が同じで,間に解除の意思表示が入るか,入らないかだけの違いの制度がもう一組あるんですね。今回新設される7ページの2の(4)という,債務不履行の際の填補賠償の請求については,催告をして債務者が履行しなければ,解除して填補賠償を請求してもいいし,解除せずに填補賠償を請求してもどっちでもいいと。つまり,要件が完全に重複していて,債務不履行という状況があって,そして目指す効果は填補賠償の請求と全く同じである。にもかかわらず,解除してもいいし,しなくてもいいということになって,今の危険負担と解除の重複と全く同じなんですね。そこで,なぜ解除しないで填補賠償の請求を認める現実的ニーズがあるのかということの説明としては,継続的供給契約の場合において,ある一回の給付が不履行になった場合に解除するということだと,取引関係全体を清算することになるから,それはしたくない。当該回の給付で実現されるべき損害について全額の賠償を取りたいと。あとは契約を続けたい場合があるんだと。だから,こういう現実のニーズがあって,判例も認めているんだという説明がされているわけです。そうであれば,解除の場合もやはり継続的契約で,今,労働契約の場合は若干特殊性があると思いますけれども,この填補賠償の請求で言われているような継続的な供給契約の場合であれば,全く同じニーズはあるわけで,解除しなければならないということになると,取引関係を終えてしまおうということになるので,それはしたくないという当事者がいるとすれば,当該回の対価的な給付の部分についてのみ消滅させるという制度は,現実的なニーズがあるのではないかと思うんです。一方においては,この新たな条文の新設を主張して,他方においては,既存の制度の消滅を主張するというのは,一貫しないと思います。 ○鎌田部会長 ほかの御意見。 ○岡田委員 消費者からしますと,相手方に債務不履行がある場合は解除できるというのは分かっています。ところが,相手に責めに帰すべき事由がない,双方にない場合に解除できるという,そういう発想までいかないと思うものですから,その意味で536条1項というのは,重要な役割をしていると考えます。もし,今の意見を聞いていて,これを削除するということであれば,必ず双方に責めに帰すべき理由がない場合も解除できるというのが明確に読み取れるような,そういう形にしていただきたいと思います。 ○高須幹事 弁護士会は従前から,536条1項を存続すべきだという意見が強かった。つまり,やはり解除しないと契約関係は終了しないとはっきり決めてしまうことに何となく危惧を感じてきたということです。ただ,今日の議論,お話を聞いていて分かってきたのは,その何となくということで,ここの議論をするのは余りいいことではないんだろうということです。今までそうしていましたからということだけでは,必ずしも説得力があるわけではないということは,今,厳しいお言葉を頂いて,私なりには分かってきたような気はするんです。   ただ一方で,安永委員や松本委員から出ているように,解除しないで問題を解決したい場合がある。取り分け継続的契約のような場面で,一定の行為については,契約そのものの解除はしないけれども,約束は守らなくてもよいようにしたいという場面があってもいいのではないかと。だとすると,そこにやはり536条1項の存在価値みたいなものがあるとすれば,それに見合うような形で536条1項を最低限残すということは考えられないのだろうかと。つまり,終了という事柄を常に意識すると,何か二つの終了方法があって,それがどっちもあるというのはどうしたって理論的に一貫しませんよねという御批判を受けるんだと思うんですが,必ずしも終了という構成にこだわらずに,先ほどの安永委員のお話のときも,要するに企業側は,そういうときは給料を払いませんよということさえ言えるならば,解除なんていうところまでいかないだろうと。ご指摘されたケースは解除と言われたら,解雇権の濫用だと弁護士は絶対立ち上がるところなんですが,そんな無用なトラブルを起こすとか,そんな心配を労働者にかけたくないというのが安永委員の御指摘だったと思うんですが,そういう意味であれば,必ずしも終了とは言わなくても,要は履行しなくてもいいというような何らかの規定を残すということはできないのだろうかということを考えております。今まで散々議論していたのに,残す,残さないみたいな形を変えた形での議論をして申し訳ないのですが,そのようなことを考えています。ただ,今回,このような意見を申し上げるにはそれなりの根拠がありまして,パブリック・コメントの一覧を見ていただくと,64ページと65ページのところに賛成と反対が出ておりまして,賛成には大阪弁護士会,反対には一弁,二弁,日弁連と,こういうふうになっていて,それでは東弁はどうなっていますかということなのですが,東弁は実は今年の5月30日付けで出させていただいた意見書で,536条1項の削除については反対するが,この規定は危険負担制度,履行拒絶権として構成するのが妥当であるという,結局,どっちなんだみたいな意見ですので,私自身もどう言っていいか分からないで,ずっと悩んでいたんですが,今日のお話を聞いていると,いわゆる終了原因としては,解除しなければ終了しませんよと。これで例えば一元化するとした上で,ただ,解除が好ましくないときには解除せずに,特定の事象に対しては,もう履行しなくていいという根拠を与えるというような何か考え方があってもいいのではないか。東弁はそこまで考えていますということです。ちょっと急に態度を変えるようで申し訳ないんですが,ちょっとそんなのも一つあってもいいのではないかと思った次第でございます。 ○山川幹事 労働契約のお話が先ほど来,若干出ておりますけれども,労働契約に関しては,既に何度か出ておりますが,労務の提供ないし労働義務の履行があって,初めて具体的な賃金債権が発生するということですので,双方の帰責事由なく労務の提供ないし労働義務の履行ができなかった場合は,元々賃金債権が発生しないので,それを免れるために契約を解除するという必要自体がない,逆に言えば,そういう場合の解雇は,先ほどお話の出た解雇権の濫用になるということで,そちらについてはそれほど懸念する必要は,事実上のことはともかく,法的にはないと思います。ただ,このような形で継続的契約について問題が指摘されるとしますと,例えば売買契約の場合は,代金債権は契約の締結に伴って発生するということだと思いますので,門外漢で,かつ定見もないのに余計なことを言うのかもしれませんが,継続的契約については,具体的にこういう手当てが可能であるということまで詰めておいたほうがいいのかなと思います。一部不能のような,あるいは逆に一部解除のような構成があり得るのかとか,ちょっと考えたりもしましたけれども,それは申しません。いずれにしても,⑥でしたでしょうか,それについては,やはり具体的な手当ても考えた上でという結論にしたほうがいいのではないかと,門外漢ながら申し上げさせていただきます。 ○松岡委員 第1ラウンドか第2ラウンドで申し上げたかどうかはっきりしませんので,あえて申し上げます。危険負担を全廃しますと継続的契約について問題が生じないかというご指摘はもっともで,賃貸借契約等について,危険負担に相当するような規定は既にあり,かつ,労働契約についても,今の山川幹事の意見を踏まえて,特則を設けることは十分あり得る話で,その必要もあると思います。問題は,この536条が契約の総則の規定で,あらゆる契約に全て妥当するということです。既に二・三人の方から,かなり厳しい御発言がありましたように,一回だけ給付をする債権債務が発生し,それが履行不能になるような場合については,やはり解除と危険負担の規定を重複して置くことは,理論的にほとんど説明不能だと思います。 ○山野目幹事 先ほど発言した際に,536条1項を無傷で現行法のまま残すという解決はあり得ないのではないかということを申し上げました。そのような言い方をしたということを,繰り返し強調させていただきます。高須幹事が,この危険負担の536条1項の問題については,今まで無傷で残そうという議論と,削除せよという意見とが対立しているかのような印象を与える議論が続いてきていたけれども,そこについて自分は更に考え込んでみたいという,大変熱意あふれる御発言をなさったことを踏まえて,感じていることを申し上げれば,弁護士会の先生方の意見というものが何かまとまって存在するものではないと思いますが,繰り返し弁護士の委員,幹事の先生や,あるいは背景に擁しておられる弁護士会の先生方の御意見を伺っていると,危険負担の制度をこのまま残せという御議論というか,そういう言い方がされるときがある一方で,例えば第39回会議の中井委員の御発言ですが,ある日突然に履行請求がされるということは,これは反対給付の履行請求が来たらということですが,それは履行拒絶できるという形で危険負担制度の実質を残すという履行拒絶説でいくということもあり得るのではないかとおっしゃっています。536条1項をそのまま残して危険負担制度を存置するという考え方と,ここでおっしゃっている危険負担制度の実質を残すということとは同じではないはずでありまして,ここのところはもう少し細密に議論を進めていく必要があるのではないかということも,高須幹事のお話を伺っていながら感じた次第であります。 ○松本委員 松岡委員の指摘の契約総則としてのルールにすると広すぎるのではないかという御指摘は,7ページの填補賠償のところでも全く同じ話になるので,私は論理一貫的な草案にしていただきたいと強く思います。一方だけ緩めて,一方だけ廃止するという一貫しない立場は原案としておかしいと思いますから,原案を出す場合は一貫した論理でやっていただきたいと,その上で批判があれば批判をすればいいと思います。 ○岡崎幹事 危険負担に関して,現行法上,問題点は特段生じていなくて,今回,解除の考え方を少し改めることに伴って生じてきている問題かと理解しております。そうはいっても,それでは解除と危険負担を並立させることによって,具体的な実務の世界で何か重大な問題が生ずるのかについては,先ほど来御指摘いただいている理論的な問題は理解できますけれども,これとは別によく考えておく必要があると思います。先ほど少し話題に出ましたドイツ民法では,元々今の中間試案と同じような提案,すなわち,解除で一元化するという原案だったものが,その後の審議の過程で危険負担と解除を併存させるというものに変わったという理解をしているのですけれども,それではなぜ変わったかというと,先ほど出ましたように,継続的な債権関係で反対給付義務の消滅を認めないことになると,いろいろ問題が生ずるのではないかという議論があったからであるという紹介がされております。現行のドイツ民法について,改正の後の施行状況を見ても,債権者に危険負担の主張と,解除の主張の選択権を与えたことによって何らかの問題が生じているかというと,特に問題は生じていないという紹介がされています。そうすると,我が国で解除と危険負担を併存させることによって,実務的にどのような問題が生ずるのかというところについてもよく考えておく必要があると思います。 ○潮見幹事 多くは申し上げません。ドイツ法の改正の過程については,今,岡崎さんがおっしゃられた点については,私も『契約法理の現代化』に収録したちょっとした論文を書いておりますし,ご覧いただき,どこの時点で最終的に併存という形になったのか,なぜそうなったのかを理解していただいて,考えていただければと思います。   それともう一つですが,実務的にどのような問題が生ずるのかというところはよく考えておく必要があるというのは,私はよく分かります。通常の実務という,このパブコメで書かれているのも,恐らく同じ線上にあるんだと思います。そのときに実務がうまくいけば,それに越したことはないのですが,他方で,こうした制度を21世紀も10年を過ぎた時代に改正日本民法典が作ったということが,たとえば,民法の理論を学ぶ次代を担う学生,司法研修所で教育を受ける者に対して,どういう意味を持つのか,理論的にはおかしいけれども,それが実務の実態に合うから併存させているのだという説明をされるおつもりなのか,その辺りも含めて考えていただきたいと思います。   それから,日本民法典は,今,世界のいろいろなところからその改正に注目がされておりますし,これから先,この日本の民法の改正された結果がほかの世界にいろいろ広がって,あるいは私たちも発信をしなければいけないというような状況です。場合によったら,そういう法律ということを前提にした上での交渉もしなければいけない状況もあります。そのような中で,今,岡崎幹事がおっしゃられたような構成をとった場合に,その面で支障はないのかというところまで,慎重に見極めて判断をしたほうがいいと思いました。 ○佐成委員 実務界の話を先ほどしまして,学者の皆様方から御批判を頂いておりまして,その御批判そのものについては十分理解しておりますつもりです。ただ,実務界でまたこれらの御批判を持ち帰ったとしても,最後まで多分反対というのは残るということになると思います。ですから,今日結論は出ないと思いますけれども,この論点というのはかなり最後まで残るのではないかなという気がします。ですから,先ほど高須幹事が御提案されたような方向性を探るというのが一つ,新たな提案ということであり得るとは思うんですけれども,完全に削除してしまうというのは,現時点での私の感触ではちょっと厳しいかなと感じております。 ○潮見幹事 1点だけ。履行不能のときに解除は認めるべきではなく,解除制度によらずに危険負担で1本に処理をしようというのでは駄目ですか。駄目ならば,その理由を教えていただければと思います。 ○佐成委員 駄目とかそういうことではないんですけれども,そこまでどうしても理論的にどっちかに一貫しろと言われると,実務界からはやはり現状を維持してほしいという応答になるのではないかと思います。ですから,そこまで言われると,当初の議論まで蒸し返しになってしまう危険性もあるんです。要するに,解除では帰責事由をなくすという提案をして,この部会資料にもこの提案の取り扱いについては十分慎重に書かれております。つまり,これには,あくまでコンセンサスが得られたならばという慎重な書き方がされているわけです。ここを私,蒸し返すつもりは全くないんですけれども,そこまで波及する可能性があるかなとも危惧しております。そこは最終的には何らかの妥協が必要だろうという感じもしますが,少なくとも536条を丸々削除するという方向で妥協するというのは,かなり現状では厳しい感じを抱いているということでございます。ですから,理論的にどっちかに一元化しろと言われても,そもそもの出発点で必ずしもここを改正して欲しいという実務的なニーズが果たして本当にあるのかというのが,私自身よく分からないところがありまして,ですから,もしそこで行き詰まってしまうと,そもそもの出発点まで蒸し返しになる危険性もはらんでいるというところだけちょっと申し上げておきたいと思います。 ○永野委員 何か理論と実務というような対立のさせ方をされて,この法律を運用している実務家の今までのやり方を取り上げる形での問いかけがありましたけれども,民法を利用しているのは国民でありまして,今回のパブコメの中でも,危険負担を存置してほしいというのは,実務界が言っているというより,国民の声で出てきているというところがあるのだろうと思います。今までは両方が並置された形であったわけですが,解除の仕組みが変わったので,そのこととの理論的な整合性がどうかということが問題にされていますけれども,国民の側にあった,請求された場合に解除の意思表示をするまでもなく,請求を拒めるということで今まで守られてきた利益をどのようにくみ上げていったらいいのか,そういう辺りはやはり軽々に無視できないのではないかと思います。 ○深山幹事 私も永野さんの意見と同じような感想を持っております。実務対理論というような対立構造になっているというのは御指摘のとおりであり,その理論面を懸念される研究者の方々が恐らく問題にするのは,潮見先生の御指摘にもあるように,履行不能という要件で,反対債権の消滅という同じ効果を導く制度が二重にあるのはおかしいということだろうと思います。それはなるほどそうだという気がするんですが,先ほど高須さんが発言された,東弁の意見である履行拒絶権という構成は,これは反対債権の消滅は認めないで,ただ履行されたときに拒める,あるいは債務不履行の責任を負わない,遅滞の責任を負わないというようなことであり,先ほど高須さんが割と遠慮した言い方をしていましたけれども,理論と実務ニーズをうまく調和させた提案だろうと思います。これは理論的に見ると,効果が違うということになります。要件は一緒でしょうけれども,効果については,従来の危険負担は反対債権の消滅ですけれども,履行拒絶という抗弁を出せるというのは,債権は消滅させないわけですから,効果が違うという説明ができます。それを危険負担の変容と言うかどうか,これは言い方の問題ですけれども,私の考え方は従来の危険負担という制度とは別物だと思います。どちらかというと,資料にも紹介のある同時履行の抗弁権に近い抗弁として,一方の債権が履行不能になっているときに反対債権について請求を迫られない,迫られたとしても,それを当然に拒めるという規律であり,それはもう別の制度なんだろうと思います。解除のほうを大胆に要件を変えたわけですから,それに伴って,危険負担に代わる抗弁の制度を設けるということもあっていいし,これが認められれば,理論的な面で,理論上あり得ないという批判を浴びることにもならないのではないかという気がいたします。是非そういう方向で検討されるのが望ましいと思います。 ○鎌田部会長 ほかに御意見は。 ○岡委員 履行拒絶権構成にまだ賛成するとは決めかねておるんですが,是非,潮見先生,山本敬三先生がどうお考えなのか聞かせていただければありがたいです。 ○潮見幹事 その説かれる履行拒絶権構成がどういう枠組みかきちんと出していただきたいところです。抽象的に答えろといっても,答えるのはちょっと難しいです。 ○鎌田部会長 あとは併存。536条存続論者の中で,特則としてこちらのほうが優先適用されて,解除の余地はないという,こういう主張を積極的にされる方は今のところいらっしゃらないということですね。ほぼ御意見が出尽くしたと思ってよろしいでしょうか。   次に進みたいところではあるんですけれども,ただいま5時45分をすぎているところですので,残りの部分は,これは予備日をそのためだけに開くのではなくて,次回に回すという処理にさせていただければと思います。そういうことでよろしいですね。それでは,本日の審議をこの程度にさせていただいて,次回の議事日程等について,事務当局から説明をしてもらいます。 ○筒井幹事 次回の議事ですけれども,部会長から御紹介がありましたように,当初,本日の会議で取り扱う目標としておりましたのは危険負担まででございまして,資料作成の都合上,その後の受領遅滞と債権の目的の一部についても,本日,部会資料を提示いたしましたけれども,危険負担まで終えることができたということで,予備日は開催しないことにさせていただきたいと思います。その上で,次回会議で,受領遅滞から審議を始めるか,次回会議用に新たに用意するものから審議を始めるかについては,また別途,御連絡を差し上げることにさせていただければと思います。いずれにいたしましても,次回会議は,予備日には開催せず,正規の会議として予定していた10月29日火曜日に開催したいと思います。時間は午後1時から午後6時まで,場所は法務省20階第1会議室,本日と同じです。次回の新たな議題として想定しておりますものは,消滅時効,相殺,更改,免除,賃貸借です。これらの資料につきまして,通常どおり会議前に部会資料をお届けするように準備したいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。 ○鎌田部会長 それでは,本日の審議はこれで終了といたします。本日も熱心な御議論を賜りまして,ありがとうございました。 -了-