法制審議会 特別養子制度部会 第6回会議 議事録 第1 日 時  平成30年10月23日(火)   自 午後 1時31分                          至 午後 5時31分 第2 場 所  東京地方検察庁総務部会議室 第3 議 題  参考人ヒアリング 第4 議 事 (次のとおり) 議        事 ○窪田部会長代理 それでは,予定した時刻になりましたので,法制審議会特別養子制度部会の第6回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中,御出席を頂きまして,誠にありがとうございます。   大村部会長は御都合により御欠席でございますので,部会長代理の私が司会進行を務めさせていただきます。   本日は,事前に御案内の予定どおりヒアリングを行いたいと思います。   初めに,実際に養親として養子縁組をされた日昔美奈子様からお話を伺うことにしたいと思います。   念のため申し上げますと,日昔様からは本日の会議においても,また議事録上も実名を明らかにすることについて事前に御了解を頂いております。   なお,日昔様からのヒアリングは,御希望により山口幹事との一問一答の形で行うということにさせていただきたいと思います。   それでは,山口幹事から御質問をしてください。 ○山口幹事 では,日昔さんに私の方から御質問いたしますので,お答えいただくという形で進めていきたいと思います。   事前に私の方からお聞きした内容を問いと答えの形に直しておりますので,順番に答えていただければと思います。   まず最初に,現在,日昔さんと御主人は50歳代で,お嬢さんが10歳代の後半ということですね。 ○日昔参考人 はい,そうです。主人が57歳で私が59歳,娘が17歳7か月です。 ○山口幹事 お嬢さんは,普通養子縁組をされた養女さんということですね。 ○日昔参考人 そうです。 ○山口幹事 お嬢さんの実の親御さんの住所とか氏名というのは分かっていないということでしょうか。 ○日昔参考人 はい。娘は捨て子ですので,遺棄されていた場所と日時,そのときにくるまれていたコートが多分実母のものだと思うんですけれども,その程度のことしか分かっておりません。 ○山口幹事 日昔さんがお嬢さんに初めてお会いになったときというのは,お嬢さんは何歳でしたか。 ○日昔参考人 7歳と3か月です。 ○山口幹事 本日の会議に先立って一度お会いしたときに,私の方から,特別養子制度の見直しを今やっているわけなんですが,その特別養子縁組というのは,普通養子縁組と違ってお子さんと実の親御さんとの親子関係が終了するものなんですと,そういうふうな御説明を差し上げたかと思います。   日昔さん御夫婦は,このような,お子さんと実の親御さんとの関係が終了するという特別養子縁組を希望されていたということはないんでしょうか。 ○日昔参考人 当初,私どももお話を聞いて特別養子縁組に適用するような年齢の子を希望したんですけれども,もうそのとき既に私たち40歳を過ぎておりましたので,それは家庭養護促進協会からも子ども相談センターからも,この養子縁組制度というのは,子どもが欲しい夫婦のための制度ではなく,親が必要な子どものための制度だということを再三聞かされておりましたので,年齢的に特別養子縁組を結べる子どもは無理だと思いまして娘に申込みをしました。 ○山口幹事 それは余り小さいお子さんですと,年齢差が空きすぎるからということなんでしょうか。 ○日昔参考人 そういうことですね。一応,子どもと親の年齢差が40歳までというふうに聞きましたので,その年齢を考えて,今の娘の年齢の子を選びました。 ○山口幹事 今,家庭養護促進協会というふうにおっしゃいましたけれども,民間の団体で養子縁組のあっせんとかをされている,そういう団体ですよね。 ○日昔参考人 はい。 ○山口幹事 そういう団体とかの内部的なルールとして40歳差までというような,そういうふうになっていたんでしょうか。 ○日昔参考人 その当時はそういうふうに聞きました。そして,また,一番最初は子ども相談センターに問い合わせをしたんですけれども,そのときもやはり年齢を聞かれて,40歳を超えていますというと,最初はもうちょっとそれは無理ですねというようなお答えが返ってきたんですけれども,ちょっと上の方が出ていらして,いやいや,一度だけでもお話を聞きに来てくださいみたいなことで,そこからの何とか御縁で,40ぎりぎりでも何とかちょっと,年齢が高い子であれば可能ではないかというふうにお話が進みました。 ○山口幹事 子どもセンターで,最初それは無理ですねというふうに言われたということなんですが,それは特別養子縁組,普通養子縁組,いずれにしても無理ですねと,そういうようなことだったんでしょうか。 ○日昔参考人 そのときは,まだ特別養子縁組,普通養子縁組の話が出ていない,まだ勉強する前で,とにかく子どもが欲しいんです,養子が欲しいんですということを相談に行ったら,そういうふうに,まず年齢が40歳を超えていると,もう駄目だというふうに言われました。 ○山口幹事 ありがとうございます。   先ほどのお話ですと,お嬢さんと初めてお会いになったときに,もうお嬢さんは7歳になっていたということで,そうしますと,お嬢さんは日昔さんと血のつながりがないということは御存じということでしょうか。 ○日昔参考人 はい,もちろん知っております。 ○山口幹事 初めてお嬢さんにお会いになったときの印象といいますか,どんなお子さんでしたでしょうか。 ○日昔参考人 実は2度,乳児院のときと,それから幼稚園,5歳程度のときと,2回引取りに失敗をしておりまして,「愛の手」という毎日新聞の,この子の親を探していますという記事が毎週日曜版に出る,それに6回も掲載されているにもかかわらず,なぜか難しい子でして,なかなか,2度失敗している難しい子なので,とにかくもうあなたが最初で最後,もうとにかく最後のチャンスぐらいだろうから,慎重に慎重に関係を作ってくださいというふうに言われました。 ○山口幹事 なかなかお答えしにくいかもしれないんですが,お嬢さんはどういうところが難しいお子さんだったのでしょうか。 ○日昔参考人 とにかく初めての場面にものすごく緊張するんですね。ですから,何かこの日に何々をしますということも,施設の先生方が繰り返し,繰り返し,何々ちゃん,この日には誰々さんが来てどこへ行くねとか何々するねということを何度も何度も声掛けをしていても,もう当日になったらがちんこに緊張して,例えば面会するにしても出てこない,ほかの子は寄ってくるけれども,なぜかうちの子だけは来ない。もう本当に施設の先生方も,非常に難しい子だから,とにかく本人が嫌がっている間は無理をしないで,ゆっくりとゆっくりと関係を作ってくださいというふうには言われました。 ○山口幹事 7歳で初めてお会いになられて,最終的に普通養子縁組をされたのは,お嬢さんが何歳のときだったんでしょうか。 ○日昔参考人 9歳3か月です。 ○山口幹事 そうしますと,結構時間がかかったのかなというふうにも思うんですが,それはどういう事情で,それぐらい時間がかかったんでしょうか。 ○日昔参考人 まず,施設から自宅へ引き取るまで8か月かかりまして,それは先ほど申し上げたような理由で非常に難しい子なので,少しずつ丁寧に関係を築いてくれということで,もう実習自体も,子どもの様子を見ながら本当に手探りなんですね。次はどうしましょう,じゃ,こういうふうにやってみましょうとか,何々やってみましょうというような感じで,本当にもう一つ一つ手探りで,何とか関係を築いていったというような難しい子で,引き取ってからは引き取ってからで,名字が変わるのを嫌がったんですね。そうすると,やはりまだ名字を,家には引き取ったものの名字を変えるのを嫌がっている間は,やはりちょっとなかなか家庭裁判所も養子縁組を認めてくれないだろうということで,それから家に引き取ってからも,結局1年4か月ほどかかったんですかね,ゆっくり本人が日昔になってもいいというようになって,やっと縁組の申立てをしました。 ○山口幹事 7歳で初めて会われたということは,小学校に行っておられたということですかね。 ○日昔参考人 そうです,はい。 ○山口幹事 そうすると,お嬢さんからしたら,小学校では別の名字を使っていて,そこで学校の中でも名字を変えないといけないというのが,一つ,ハードルだったということなんでしょうか。 ○日昔参考人 そうですね。引き取ってから通い出した小学校も,日昔で行くのは嫌だ,もうとにかく実名でいいと。学校の先生に相談しまして,じゃ,もういいやん,別に今までの名前で行ったらいいやんというふうに,先生もすごく柔軟に対応してくださって,それで行かせました。 ○山口幹事 養子縁組をされてから,お嬢さんを育てていかれる上で,養子ならではの御苦労としてどのようなものがありましたでしょう。例えば,私ども,これまで伺っている話では,試し行動というのがあるというふうに伺ったりしたことがあるんですが,お嬢さんの場合,何かそういう,あれはそうかなみたいなのはありますでしょうか。 ○日昔参考人 そうですね,やはり一番きつかったのは抱っことおんぶですかね。もう抱っこ,抱っこ,とにかくどこへ行くにも抱っこしてほしいというのが一つで,最初,私たち,養子の申込みに行くときに,岩﨑先生から10キロの米袋を抱っこしなければいけないと聞いていたのが,何の何の,35キロになるまで抱っこさせられまして,私,割と長い間花屋をやっていましたものですから,結構まあまあ,この年齢の割には割と体力があるほうだったと思いますので,本人が抱っこという間はとにかく抱っこはしましたね。 ○山口幹事 35キロですか。それは,年齢にしたら幾つぐらいまでそういう抱っこしてみたいなのがあったんでしょうか。 ○日昔参考人 小学校4年,5年……,とにかく4,5年ぐらいまでありましたね。 ○山口幹事 あと何か私が聞いた話では,試し行動の例として,すごく床をばあっと汚してしまったりですとか,そういうことも聞いたことがあるんですが,そういうことは特になかったでしょうか。 ○日昔参考人 引き出しを片っ端からあけて,中の衣類をぶわっと出して散らかす,そんなことはやりましたね。うちもいろいろそういう試し行動については事前に伺っていたんですけれども,過食は余りなかったんですが,散らかしたりしたり,あとお父さんをとにかく蹴る,叩く,かみ付く。かみ付くのは私もよくやられましたけれども,とにかく大きい子でしたから,またその蹴ったりするのもなかなか半端ない力でお父さんもやられていましたね。 ○山口幹事 ちょっとまた難しい質問になるんですが,現時点で日昔さんから御覧になって,お嬢さんとはもう実の親子と同様の関係になっているというふうにお感じでしょうか,それともやはりまだ養子かなという感じなんでしょうか。 ○日昔参考人 いえ,もう間違いなく親子関係ではあります。ただ,養子ということで,最近感じるんですけれども,逆にちょっと間を置いて見られるのが,これはいいポイントなのかなという。例えば,ちょっと学習が非常に苦手な子なんですけれども,こんなこと言っていいのかな……。 ○山口幹事 いや,どうぞ。私は事前に伺っていますが。学習が苦手で。 ○日昔参考人 この子は私の遺伝子引いていないものなとか,ふと思うと,逆に腹が立つのが抜けるところがあるんですよ。これがもし本当に血のつながった子だったら,何でこんなことできないのっていうことで,逆に怒り散らかしてしまうようなことが多分あるのではないかなと思うんですけれども,何かふうっと,何でこんなに頑張っているのに勉強,テストの成績が伸びないんだろうと思っても,ああ,そうやん,この子,血がつながってへんやんと思ったら,逆に,まあいいかと思えるんですね。これはおかしいかなって自分で思うんですけれども,実際思うところなんです。 ○山口幹事 なるほど。そんなふうに,そういうときには血がつながっていないからしようがないと思えるにしても,基本的には実のお子さんというふうにお感じだというふうなお話ですけれども,そういうふうに感じられるようになったのというのは,お嬢さんが幾つぐらいになってからでしょう。7歳で初めて会われて,9歳で養子縁組されて,その後どのぐらい掛かりましたでしょうか。 ○日昔参考人 やはり試し行動が終わりかなと思い掛けたぐらいですかね。やはりだから小学校の4年生,5年生,それぐらいだと思います。 ○山口幹事 そうしますと,やはり1,2年は掛かったかなという感じでしょうか。 ○日昔参考人 そうですかね。 ○山口幹事 小学校5年生ぐらいということですが,御主人もそのころにお嬢さんとの間では実の親子みたいな雰囲気になっていたんでしょうか,それとも御主人はちょっとタイミングがまた違っていたのか,その辺りいかがでしょうか。 ○日昔参考人 男の人はやはりお仕事で,なかなか接する時間がもう本当に短いので,なかなか本当のお父さんになじむというのは難しかったですけれども,でも,やはり気が付いたら何か,5年生ぐらいになったら普通に接するようになっていましたかね。 ○山口幹事 1,2年かかったということですけれども,しかし,1,2年かかって実の親子と同じような関係になれたというお話でしたけれども,そういうふうになれたのはどうしてだと思いますか。 ○日昔参考人 やはり施設実習が8か月と長かったのと,引き取ってからは,とにかく試し行動を受け入れてくださいと,そして危険だと思うこと以外は何でも好きなように,本人が望むようにしてやってくださいと言われましたので,そういったいろいろな,物質的にも精神的にも,やはり抱っこしたりとかそういうこともですけれども,そういったことをできるだけやはり受け入れたからこそ,大きい子でも1年半,それぐらいで収まったのかなと思いますね。 ○山口幹事 お嬢さんの方も,日昔さん御夫婦とは血のつながりがないということが分かっていたわけですので,そういう意味でより一層難しかったのかなというふうにも思うんですが,もしお嬢さんがそういうことを知らなかったらまた違うのになとか,そういうことはお感じになったことはありませんでしたでしょうか。 ○日昔参考人 やはりもっと本当に年齢の小さい子であれば,よりもっと早く,そんな8か月も実習の期間もかけずに関係が築けたのかなと思いますけれども,何せ申込みをした時点で6歳8か月になってましたので,本当に大きい子でしたので,なかなかやはり時間がかかったのだと思います。 ○山口幹事 またちょっと違う観点でお聞きしたいんですが,お嬢さんの実の親御さんというのは,住所も名前も今は分からないということかと思うんですが,そうはいっても,今もどこかにいらっしゃる可能性はあるわけでして,その方が突然現れて,やはり自分の子どもを返してほしいと,そういうふうに言われるのではないかとか,そういう御心配というのはないのでしょうか。 ○日昔参考人 先ほども申し上げましたように,うちの子は捨て子ですので,ただ,本当にすごく偶然なんですけれども,うちの家から近いところで捨てられていたんですね。そして乳児院に引き取られて,また3歳からは児童養護施設へ行ってというような経緯があって,将来,あの子が実の親のことが知りたいと,何か手掛かりがないものかといったときには,できるだけその努力はするものの,全く本当に捨てられていた日時と場所と,そのくるまれていたコートしか手掛かりがないものですから,逆に実の親御さんが探し出して返してくれと言ってくるような心配というのは,今ほぼ皆無なんですけれども。 ○山口幹事 私からの最後の質問になりますけれども,現時点で日昔さんが,お嬢さんが養子であること,そうであるがゆえに何か御心配というのはありますでしょうか。 ○日昔参考人 やはり年齢的に結婚をするような年齢になったときに,やはり養子であるということがハンデにならないかなということは,主人も私もやはり心配はしているんですね。そんなことを気にしないで,当人同士がよくても,ただやはり相手の方の親御さんが,そんな養子で,どこの馬の骨か分からないような子と結婚なんか駄目だというふうに反対される可能性もないわけじゃないですから,どういう方とどういう御縁になるかは分かりませんけれども,そこら辺のところは主人も私もやはり心配はしていますね。 ○山口幹事 ありがとうございました。   そうしましたら,私の方からの質問は以上で終わりというふうにさせていただきます。 ○窪田部会長代理 日昔さん,どうも本当にありがとうございました。   それでは,ただいまお話を頂いたことについて,皆様から何か御質問等ありますでしょうか。 ○山口幹事 では,私の方から更に補足してお伺いします。   ちょっと聞き漏らした点もあるのですが,今何か御心配はないのかという最後の質問に関連してですけれども,戸籍の問題について何か引っ掛かるところがおありというふうに伺ったんですが,その辺り,お話しいただいてもよろしいでしょうか。 ○日昔参考人 そうですね。実は最近住民票を,本籍地を変えたんですね。そのときに初めてちょっと謄本をとったとき,主人と私と子どもの謄本をとったときに,実は養子縁組を申し立てるに当たっての,捨て子ですので実親が分かりませんので,家庭裁判所に申し立てているときに,代諾人という,代わりに申立てをする人が必要で,それが家庭養護促進協会の今日いらっしゃっている岩﨑先生なんですけれども,岩﨑先生のお名前で出していただいたんです。それがまだ戸籍に記録されているんですね。これは何なんだろう,申し立てたときに消えないものなんだろうかと。いわゆる法律上,そういうのはもう残るのはしようがないことなんですよね。何かそういうことも,やはり普通養子縁組だと戸籍に記載されるようなことも,一体これは何だみたいなことを何かの折に説明をしないといけないのかなというようなことは,やはり普通養子縁組だとちょっと面倒くさいといえば面倒くさい事柄なのかなと。   特別養子縁組にしても,実の親との関係は切れても,法律のプロが御覧になれば,何かその番号があるんですね,特別養子縁組をしたと分かる。それがあるから,プロが見れば分かるんだというのはこの間のお話でもお伺いしたんですけれども,そういうことも,それがどうだというのではないんですけれども,何かの折で,何かのことで,これは一体何なんだみたいなことが,結婚とかそういったときにいちいち説明をしなければいけないのは面倒くさいことかなとは思いますけれども。 ○山口幹事 ありがとうございます。 ○窪田部会長代理 ほかの方,いかがでしょうか。 ○藤林委員 幾つか教えていただきたいんですけれども,まず,この子どもさんが捨て子というか,棄児ということですけれども,御本人さんはそういう事情というのはどのように知らされているのか,又は知らされていらっしゃらないのか,その辺についてお教えいただきたいんですけれども。 ○日昔参考人 知らせています。子ども相談センターの方で,そのとき捨てられていたときにくるまれていたコートやタオル類を保管してくれていたんですね。それを見せまして,あなた,こんなんにくるまれて捨てられていたんよという話を,しかもうちからめちゃくちゃ近いところで捨てられていたのよというような話は,もう本人には伝えております。それはもう大分大きくなってからですけれども,中学生になってからかな。   だから,非常に結果的に我が家とは縁があったんやなと。乳児院を経て児童養護施設を経て,結局うちに来たのは6歳8か月と年をいって年齢が高くなってしまったけれども,うちに来るべくして来るんやったんやなという話,御縁があったんやなというのは本人ともしています。 ○藤林委員 私の立場をちょっと言っておきますけれども,私は福岡市の児童相談所長でございますので,何となく雰囲気はよく分かるんですけれども,そういう告知というか,お話をされたとき,そのときであるとか,またそれから先,ちょうど思春期年齢のときに,子ども本人さんがそのことで何かとてもショックを受けたり,反抗期のときに,何かそういう自分の生い立ちのことについて,養親さんに何かいろいろな不満とか怒りをぶつけたりとか,そういうことというのはなかったでしょうか。 ○日昔参考人 やはりしっかり試し行動を受け止めたのと,それからもうできるだけ本当に大事に育てた,それのお陰だと思うんですけれども,普通,やはり中学,高校生で荒れたりする子どもたくさんいますよね。そういうことがほぼなかったんですよね。本人は学校へ行って日々の生活を一生懸命過ごしていくのに必死だったからかもしれないですけれども,なぜ私はこんな生い立ちで,ここへ来ることになったんだろうとか,そんなこと一言も言ったこともないんですよ。もう本当に,ここは私の家って,こう思っていますから,本当に特別そういうことはなかったです。 ○藤林委員 次の質問ですけれども,御本人さんは,自分の戸籍謄本を見られたことってございますでしょうか。又は,もし見られたことがあるのであれば,そのときに何か感想とかがもしありましたらお教えいただきたいんですけれども。 ○日昔参考人 あの子自体の抄本は,実はパスポートを2度作っていますのでとっています。そのときには,岩﨑先生の代諾人の名前の記載がなかったんです。なので,本人も,あ,これかみたいな感じで,別に特にどういうことはなかったんですけれども,本籍地を移すときに戸籍をとったら,そこに記載があるのを私たちも初めて気が付いて,これは一体どういうことなんだろうということになったんですけれども,本人はそれはまだ見せていません。 ○藤林委員 私は戸籍は余り詳しくないものなんですけれども,本人の戸籍の中には,自分の実父母の欄が多分空欄になっているのと,それと養親さんとの続柄が養子というふうに書かれていると思うんですけれども。 ○日昔参考人 そうです,養父母です。 ○藤林委員 ですよね。そのことについて,御本人さんは何か感想というか,空欄であること,又は子ではなくて養子であるということについて,何か御感想とかございますでしょうか。 ○日昔参考人 そのことについては,戸籍を見せて,ここな,あんたは捨て子やったから,ほら,実父母の名前,空欄やろと,それで成立申し立てるときに必要やったから,ここに岩﨑先生の名前があんねんというのは見せたことがないんですね。なので,これから先,何かの折にそういうことを説明することになったときには,何でやねんという話をすることになるかもしれません。 ○藤林委員 ということは,まだそこは見られていないということですよね。 ○日昔参考人 そうです。 ○藤林委員 分かりました。   私の質問はここまで,以上でございます。 ○窪田部会長代理 それでは,ほかの方から御質問等ありますでしょうか。 ○床谷委員 床谷といいます。   先ほどの御説明の中に,最初のときに名前を変えるのに非常にこだわりがあって,しばらくは使っていなかったということをお聞きしたんですけれども,偶然自分の家の近くで見付かった子であって,それで名前にこだわりがあると,その辺の,そういう名前の人を養親さん自身が気になるとか,あるいは周りにいる人が実親だろうかというふうな形で気になるとか,お子さん自身にそういうふうな話をするとか,将来的に,まだ分からないけれども,実親が分かるとすれば会わせたほうがいいというふうにお考えなのかどうか,ちょっとその辺のことをお願いします。 ○日昔参考人 うちの娘は,保護されたときにA市でしたので,A市長が代理で名前を付けたんです。なので,その名前の名字の人が気になるとか,そういうことは全くないわけなんです,もう全く縁もゆかりもない名前ですので。   名前を変えるのにこだわったというのは,恐らくやはり年齢の高い子でしたので,それまで私はこの名前で生きてきたという,何かあの子の中での心の,どう言ったらいいんでしょう,支えであるとか,その名前に対する思いが多分あったんだと思うんですね。なので,しばらくはやはり名字を変えるのは嫌がりましたね。 ○窪田部会長代理 今,床谷委員からはもう一つご質問がありました。将来,仮に実親がどこにおられるかとかということが分かったりした場合に,その実親と会わせるかどうかといったことについてですが,これは仮定の質問ですので答えにくいかもしれませんが,何かお感じになるところがあったらお話しいただければと思います。 ○日昔参考人 子どもと話をしておりますことなんですけれども,実際のお母さんが分かればどう,会いたいみたいなことを何度か質問をしたことがあるんですけれども,本人は「ええ,別に全然要らんわ」とか言っているんです,今はですよ。「そうなん,でも,お母さんは,もしもあなたを生んだ人がどこかでいると分かったら,お母さんは会いたいわ。」という話をしているんですね。   それは何でかというと,この言い方もおかしい,変かなと思うんですけれども,よくぞこの子を殺さないで捨ててくれたと,言ってみたら,多分,おなかの中で子どもをおろす手立てのない時期になってしまって,産んだものの,仕方なく捨てられたということは想像されるんですけれども,言ってしまえば,殺してしまうこともできたわけですよね,実親にすれば。それが殺さずに,何とかこの子をどこかで,どなたか拾ってくださいと思って捨てられたかどうか分かりませんけれども,捨ててくれたお陰で,私たちは親子になれたわけですから,もしも,万が一,本当の親に会えるものであれば,本当によく殺さないで,この子を捨ててくださいましたと,私はお礼を言いたいと思っているんですけれども。 ○窪田部会長代理 ありがとうございました。   ほかも自由に御質問をどうぞ。 ○棚村委員 先ほどちょっと正確に聞いていたかどうか分からないので,ちょっと確認をさせていただきたいんですが,引き取られたのは7歳3か月ぐらいのときですか,施設から引き取られたのが。 ○日昔参考人 いえ,施設で初めて会ったのか。 ○棚村委員 それが7歳ころですか。 ○日昔参考人 はい。掲載されたのが6歳8か月で,そこから申込みをしまして。 ○棚村委員 会ったのが7歳3か月。 ○日昔参考人 7歳3か月です。 ○棚村委員 それで引き取るのに8か月ぐらいかかって,普通養子縁組ができたのは9歳3か月ということでよろしいですか。 ○日昔参考人 はい。 ○棚村委員 そうすると,その当時,7歳3か月のころ施設で会ったときに,特別養子縁組というのがあるのは御存じでしたか。 ○日昔参考人 知っていました。 ○棚村委員 そうすると,特別養子縁組というのは,やはりかなり小さい年齢,6歳未満が原則だということも知っておられたということですか。 ○日昔参考人 そうですね,はい。 ○棚村委員 それで,ある意味では特別養子という手段もあったのですけれども,もう年齢が超えていたので断念をしたというような経緯でしょうか。 ○日昔参考人 そうですね。もうその当時は私たちが聞かされていたのは,もうとにかく6歳まででないと駄目なんだということでしたので,もう頭から普通養子縁組しか頭になったんですけれども,今思えば,もしあの当時に特別養子縁組制度の年齢がもう少し高ければ,うちの子も特別養子縁組で縁組が成立できたのかなと思うと,それは非常に残念な思いはありますね。 ○棚村委員 微妙な年齢なので,いろいろな事情でお子さんと早くなじもうとか,それからいろいろな問題を抱えていることを乗り越えていこうというときには,やはり少し時間がかかって,6歳未満の年齢までだとかというのが,かなり制度としては利用しづらかったということを,振り返るとお感じになるということでしょうか。 ○日昔参考人 そうですね,はい。 ○棚村委員 分かりました。ありがとうございます。   それから,普通養子縁組になりまして,戸籍のこととかいろいろあったと思うのですけれども,この普通養子縁組で親子として,中身の問題はともかくとして,法的には法律上親子関係になったんだということで,この普通養子縁組を是非手続したいというふうにお考えになったんでしょうか。 ○日昔参考人 そうです,はい。 ○棚村委員 この当時ですけれども,娘さんの方には,普通養子縁組という形で法律的にも,今一緒に暮らして親子になろうとしているのですけれども,法律的にも親子になるので,あなたもそういうことでいいというふうな形で,何らかの形で相談をされたり,説明をしたり,話し合われたということはございましたでしょうか。 ○日昔参考人 はい,それは説明しました。縁組を結んだほうが,あなたの権利も法律的に守られるし,私たちがよりきちんとした親子になるんですよという説明をしました。 ○棚村委員 そのときのお話を詳しくお聞きしたいのですけれども,どんなタイミングで,どんなふうな状況,例えばお父様というか,御主人と御一緒で,かつどなたかに,どんな説明をすればいいかということ,例えば岩﨑先生とか,何かアドバイスを受けるとか,そんなようなことがあって準備をされてお話をされたんでしょうか。それとも,そうではなくて,御夫婦でお話をしていて,いつかこういうタイミングで,こういうふうにやりましょうというようなことを御相談されてやったのか。つまり,専門家の何らかのアドバイスとか,そういうものを聞きながら,娘さんに対してそういうお話をする機会を持ったのでしょうか。その辺りをちょっと教えてください。 ○日昔参考人 家庭養護促進協会に,もうずっと担当してくださっている私たちの担当者がいるんですね。その担当の方と,それから子ども相談センターのうちの担当の方とがいらっしゃって,一緒にそれは説明をしました。 ○棚村委員 立ち会っていただいてということですか。 ○日昔参考人 はい。 ○棚村委員 そうすると,お子さんなんかも割合と素直にというと,耳を傾けてくださって,話を聞いて納得をしてくださったということでしょうか。 ○日昔参考人 そういうことですね,はい。 ○棚村委員 私もいろいろな場面でこういうお話を聞くと,前に養子と里親を考える会というところで調査をしたときも,半分以上の養親さんが知らせたくないとか,それからやはりいろいろな差別とか偏見にさらされることもあるので言いたくないとか,そういうお気持ちの方が多かったんです。これは90年代の終わりぐらいですけれども。それで,最近は少し変わってきていると思いますが,この時期ですか,振り返ってみると,そのころオープンに話をしようというような,岩﨑先生のところは割合とそういう方針でやっていたんですけれども,養親さんの方で,それを受け入れられている方がちょうど少なかったかもしれず,それからなかなかどう伝えていいか,どれくらいの年齢の子どもにどんな言葉で,どんなふうに伝えたらいいかというのは,先ほど藤林先生のお聞きになったように,どういう経緯で自分のところに来たんだろうかという話も,割合とすごく重い話もあったりするし,それからお子さん自身が理解できるかという問題もあったりして,私たちが養子と里親を考える会のところで調査をさせてもらったりしたときも,結構皆さん悩んでおられまして,むしろ言わないほうがいいと考える方が少なくありませんでした。言ってしまったら余計に親子の関係や本人が傷付くのではないかという,すごく心配されたりする方も多かったのですが,そういうことは余り日昔さんの場合はなかったという感じでよろしいのでしょうか。うまくいったということで。 ○日昔参考人 うちの子の場合は,先ほども申し上げましたように,要するに姓を変えるのにまずこだわったということがありまして,日昔になるのを納得しない間は,やはり縁組は結べないだろうということを担当者とみんなで話をしたんですね。なので,縁組を結ぶということは名前も変わるんよと,そのことについてはどう思う,ずっとお父さんとお母さんと一緒におりたいやろう,そのためには縁組を結んだほうが,あなたにとっても得なのよというようなことはやはり話をして,それで分かったと,名前を変えてもいいと,日昔になるというので,だから全て本人が納得をした上で縁組の申立てをしましたので,言わないがいいかなとか,そういうことを悩んだことはないです。 ○棚村委員 ありがとうございました。 ○窪田部会長代理 どうもありがとうございました。 ○浜田幹事 浜田です。今日はありがとうございます。   ちょっとお伺いをしたいのが,お話の中で,実の親子だと同様と感じていらっしゃいますかという御質問に対して,間違いなく親子関係だと思っているという御回答だったかと思います。   それで,ちょっとややこしいことを言いますけれども,親子関係だというときに,そこの親子関係であることの中にはいろいろな要素があると思うんですよね。一緒に暮らしていることだとか,名前のことであるとか,戸籍のこととか。その中で,日昔さんが一番重要だと思われること,これがあるから私たちは親子なんだというふうに言えるもの,一番重要なものを挙げていただくことはできますでしょうか。 ○日昔参考人 一番重要なのは,それはやはり暮らしていくことですね。日々,毎日接して親子として暮らしていることがやはり一番重要じゃないでしょうか。 ○浜田幹事 ありがとうございます。   ほかに,今,私,名字の話とか戸籍の話,縁組をしているかどうかというふうなことも要素になってくると思いながらお伺いをしているんですけれども,今のと逆で,これは実は本質的なところではない,あればあったけれども,ないならないでいいというふうなことって何かありますか。 ○日昔参考人 名前にしても何にしても,これはどう…… ○窪田部会長代理 もし答えにくいようであれば,無理にお答えいただく必要はないと思います。特に思い付くことはないということであれば,もうそれで十分だろうと思います。 ○浜田幹事 ありがとうございます。 ○窪田部会長代理 すいません,私の方からも一つお伺いさせていただきたいと思うのですが,日昔さんの場合,お嬢さんの年齢がもう既に7歳を超えていたということもあって,今の仕組みだと,特別養子については選択の余地がなかった,それで普通養子縁組をしたということでした。けれども,もし年齢の幅がもう少し緩やかであれば,特別養子を使えたらよかったなというお話は先ほどして頂きました。やはり特別養子を使えたらよかったなと思う部分,特にこんな点で特別養子だったらよかったのにという部分はありますでしょうか。 ○日昔参考人 実親さんとの縁が切れるというところは,申し上げましたように,うちの子は捨て子ですので,本当にもう実親が見付かる可能性というのは限りなくないんですけれども,だけれども,戸籍の上で父,母となると,それがやはり養母,養父となる普通養子縁組と特別養子縁組は,それが何かの場面で問題になるような,ここが引っ掛かるみたいな場面が出てきたときは,やはり特別養子であったらよかったのにな,父,母だったのになというようなことはありますね。 ○窪田部会長代理 ありがとうございました。   ほかに,皆さんから何か御質問等ありますでしょうか。 ○山根委員 本日はヒアリングに御協力,大変ありがとうございました。   すばらしい親子関係が築かれたと思って感激しておりますけれども,当初は大変難しい子で御苦労もあったということで,その時点で既に2回,引取りにも失敗していたというようなお話だったんですが,そういううまくいかずに失敗になるケースというのは,やはり幼児ではなくて年齢が上がると,そういう難しいケースが出てくるというようなことがありますでしょうか。 ○日昔参考人 そうですね。できるだけやはり小さいお子さんの方が,やはり関係は築きやすかったんだと思います。2度失敗しているというのも,私は具体的になぜ失敗したかというのを,幼稚園のときのお話を聞いたんですけれども,縁組を希望されている方が,やはりその方も時間を掛けて来てくださいと言われて,言っていたにも関わらず,ある場面で結局大人の方がそれに付き合えなくなって失敗しちゃったんですね。   具体的には何で失敗だったかというと,何か家に連れていかれて,その家に犬がいたと,犬がすごく怖かったんだそうなんです,娘に聞くと。「ねえねえ,幼稚園のときに来ていた人が来なくなったのって何でだと思う」,「ええ,何かな,家に行ったら犬がおって怖かってん」,とにかく,要するにそれも新しい場面ですよね。新しい場面にちょっとずつ,大人たちにしたらステップアップしていきたいんだけれども,子どもにしたら,今度は私,どこへ連れていかれるの,どこへ行くの,もうそういうようなことが非常に怖くて,次にその方たちが来られたときには,もう出てこなかったらしいんですよ。また何かどこか怖いところへ連れていかれるのかというようなことで。結局その申込みをされていた方たちも,何か月か通ったにも関わらず,もう大人の方が,やはり駄目かと断念したという経緯があったんですね。赤ちゃんのときのことはちょっと私は聞いていないんですけれども,女の子って割と養子も人気があるんだそうですね,男の子より。申込みが多いそうなんです。にもかかわらず,しかも6回も7回も「愛の手」に載ったにもかかわらず縁がなかったというのは,先ほども申し上げましたように,うちが行くのを待っていたのかなと,そういうふうには思います。 ○窪田部会長代理 ありがとうございました。   よろしいでしょうか。 ○藤林委員 もう1点,お聞かせいただきたいと思ったんですけれども,9歳3か月で養子縁組を組まれて,そのときに,それまで里親委託で里親として養育していらっしゃった。その日から養親としてまた養育していかれるわけですけれども,養子縁組を組むことによって,御自身の気持ちの変化とか,そういうのって何かありましたでしょうか。それとも,それはもう全然関係ないということなんでしょうか。 ○日昔参考人 縁組が成立したときには特に,もういざ正式な親なんだから頑張らないととか,そういう思いはなかったですね。それよりは,やはり長く施設に通って,いざ家に引き取るときに,やはり何かこう背筋が伸びる思いというか,この子をしっかり守っていかないといけないのは,もう私たちだけやというような思いで,もう本当にそのときは,本当にもう背筋が伸びる思いでした。 ○窪田部会長代理 ほか,いかがでしょう。 ○水野(紀)委員 どうもありがとうございました。大変感動的なお話を伺ったと思います。   岩﨑先生からいろいろとサポートを受けられたということですが,そういうサポートなしにということですと,やはりお嬢様をここまで育てられることは無理だったと実感なさいますか。 ○日昔参考人 そうですね。それはやはりもうサポートがなければ,恐らくはやってこれなかったかなと思いますね。もうそろそろ,高校を来年卒業しますので,もう終わりにしないとと思っているんですけれども,実はメールで,今日は何時に起きて,何時に学校に行って,どんなことをしたと,何を食べたと,それからこんなことを言ったと記録しておかなければと思うことは,できるだけ記録をして家庭養護促進協会に送っているんですよ。事実だけ,もうこんなことして大変だったのよとか,何でこんなことするんですかとか,そういうことじゃなくて,ただただ事実,今日はこんなこと言いましたと,テストの点を何点取りました。それを送って,これは大変やったなと思ったときには連絡をくださって,どうですかみたいなことを言ってきてくださるんですけれども,それ以外,こんなに甘やかして,映画ばかり連れていってるんちゃうのみたいなことを,そんなことも,全て事実のみ記録して送っているんです。私は逆にそれをそんなふうにして送ることによって,自分自身がちょっと心の中で,今日はしんどかったけれども,まあまあ,1日終わって寝てくれたわ,やれやれとか書いて送るんですけれども,そうすることによって私の気持ちが非常に楽になるというか,送られるほうは迷惑だと思うんですけれどもね,先生。 ○岩﨑委員 5~6㎝の厚さです。うちの職員が一番小さな文字に変えて,行間も詰めて,日昔さんははきちんと読みやすいように送ってくださるんですけれども,それを保存しておきたいものですから,小さい字にして行間もつめているんだけれども,それで5~6㎝ぐらいの分厚さ。もう2冊目になっていますので,それをたすと10㎝ぐらいなんです。 ○日昔参考人 申し訳ございません。 ○岩﨑委員 いえ,私たちにとって,とても大事なデータなんですね。何をしたかという事実だけですので,その中に何が変化していっているかが,私たちの方が読み取れるわけです。もちろん多分日昔さんはお書きになることで,きっと気持ちが少し,1日中いらいらなさっておられたこともあるんでしょうけれども,書いてみると,まあ,こういうことかと思われたんだろうと思います。余りこうだから嫌だとか,こうだからしんどいとかという訴え方をなさる方じゃなくて,私たちもどうですかって聞くと,「まあ,何とかやっていますわ」なんですけれども,でも,きちんと名前も確かに日昔を学校で名乗るまでには,1年以上かかったんですけれども,プールはさっさと日昔で行って,カードを作ってもらっているんです。   だから,子どもの中できちんと日昔の名前になることと,自分の本名をもう名乗らなくていいということの間に,彼女なりの思惑があって,自分の中で何か決めていたんでしょうね。だから,お母ちゃんだということの認識はかなり早くあるんですけれども,この家の子どもとして位置付けるに対して,彼女が何かもうちょっと満ちるものを待っていたんだろうなって思います。それも,「プールは日昔と呼ばれても『はい』と返事するし,カードにも書いてくれるんだけれども,学校がね」って,おっしゃるだけなんですけれども,そう,「学校はまだあかんか」というように私たちも答えながら,過ごしてきたわけです。 ○水野(紀)委員 制度的な質問ですので,岩﨑委員にお伺いしたほうがいいのかもしれません。里親である期間内は,里親のサポートは,制度的に組まれているかと思うのですが,養子縁組を結んでからは里親手当もなくなり,児童相談所のもとでの措置ではなくなってしまいますよね。それでもその後もずっと支援し続けるというのは,岩﨑委員の所属組織がたまたまそういうふうにやっていらっしゃるのでしょうか。つまり私の理解ですと,里親のときには制度的なサポートが児相との関係であるけれども,養親になったときの制度的なサポートは失われると考えていたのですが,その理解で間違いないのでしょうか。 ○岩﨑委員 個々の先生方にもよるんです。児童相談所の先生方は確かに部署を替わりますから,私のことをずっと知ってくれていた先生がいなくなって,それで若い人がなったとか,知らない人がなった。そうすると,里親からすると,何となく相談に行きにくいわというものは残るんです。協会は,確かにうちも辞めたり,入ってきたりはするんですけれども,私がずっといるということもありますけれども,大体職員が,今も25年とか15年とかという,そういう長さでいますので,誰かなりがその子のことを知っているので,協会ならつながっているという安心感を養親さんの方がお持ちくださるんだと思います。   それから,協会がいてくれれば,何かあれば相談ができるというのがありますので,運動会にもお越しになりますし,子どもさんも毎年キャンプに来てくれますと,私たちも1年生で来たキャンプ,2年生で来たキャンプ,4年生になった,今年はもう高校生として参加してくれて,リーダー格みたいなことになっているというようにその子どもの成長を追えている養子達が何人かいますので,そういうものは別にフォローだとは思っていませんけれども,協会の行事に参加してくれることで,私たちとごく自然になじんでいて,問題があればお母さんやお父さんからはもちろんですけれども,子どもが私たちの方に相談に来てくれるのがもう普通のことになっています。この間なんか,中学生の女の子が「プチ家出すんねん」って電話がかかってきて,「どこ行くの?」と問うたら,「おばあちゃんのところでも行こうかなと思うてんねんけど」と言うので,「取りあえず協会に来るか?」って言ったら,「はい,協会に行きます」と言ってやってきました。職員全員で子どもの言い分を聞いてやるとかなり落ち着いたので,「帰るか?」と訊きますと,「今夜は帰りたくない」と言いますので,担当職員と一緒に事務所の近くにある私のマンションに一晩泊めて,翌日職員と帰らせたりというようなこともやります。必要なことで我々にできることであれば何でもしようと思っています。   ただ,どうしても閉じられて,いらっしゃらない方をこじ開けて行こうというのは基本的には思っていません。いつでもお越しいただけるような情報を養親さんたちに発信をしておくだけのことで,私は十分ではないかなと思っているんですけれども。 ○水野(紀)委員 協会がつながっていらっしゃると安心なのですが,でも,里親さんないし養親さんの全てが協会を経由しておられるわけではありません。そういう養親さんには,協会のようなサポートはないという状況なのでしょうか。 ○岩﨑委員 いろいろ,精神科医に行っていらっしゃる方もいますし,東京には,一応,相談に乗ってくれる団体もありますし,それから新聞を見て,私,全国の子どもたちの何人かを面倒見ています。私のところへ,わざわざ大阪までいらしてくださるならお話聞きますよということで,私が委託したのではないので。背景が分からないのが一番困るんですけれども,今こじれている親子関係についてはアドバイスができますので,そうしているケースも何ケースかはありますので,どこかなりに引っ掛かってくださればというふうには思いますが。孤立している方もいらっしゃいます。特に子どもが養子なのは自分の周りに一人もいなくて,自分だけが特殊な子どもなんだと思っているのはちょっとかわいそうで,やはり協会に来ている子どもたちというのはみんな仲間だと,みんな一緒やと思っていますから,そういう意味の安心感みたいなものはちょっとあるような気がします。 ○窪田部会長代理 よろしいでしょうか。   ほかに何かありますでしょうか。 ○木村幹事 木村と申します。今日はありがとうございました。1点お伺いしたいのですけれども,娘さんは乳児院のときと幼稚園のときの引取りにはうまくいかずに,9歳になって養子としてお迎えになられたとのことで,娘さんは幼稚園のときにうまくいかなかったことを覚えておられるんですね。 ○日昔参考人 覚えています,もちろん覚えています。 ○木村幹事 娘さんご自身は,かつて幼いときにうまくいかなかったという経験を踏まえた上で,その後9歳という年齢で養子になったということについて,どういうお気持ちだったのか,そのあたりのことをお聞きになる機会はございましたでしょうか。 ○日昔参考人 本人は縁組をしたからどうっていう,そういうことは特にないんだと思うんですけれども。やはり失敗した経験がより難しい,緊張をする子になってしまったのかも分かりませんし,施設の先生方も,あの子は難しい子や,僕らでも仲よくなるのに1年かかってんとかおっしゃっているような子でしたので,縁組をした時点で本人はどう思っていたかとか,そういうことはちょっと聞いたことはないんですけれども,それまで結局長くかかった分,よりしっかり親子になれたのかなとは思いますけれども。 ○窪田部会長代理 よろしいですか。 ○久保野幹事 久保野と申します。今日は本当にお話どうもありがとうございました。   年齢差についてちょっとお伺いしたいんですけれども,といいますのは,始めのところのお話で,40歳という一つの目安が提示されたり,御自身でもお考えになったというお話がありまして,実際,今娘さんをお育てになって,年齢差について何か感じることとかがおありかというのがまず一つお伺いしたいことです。   もう一つが,当時もし40歳というような目安というものが示されなければ,養子縁組をなさったころのゼロ歳のお子さんと養子縁組をした可能性があったかも知れないとは思うんですけれども,そのようなことを想定してみて,40歳という基準について,基準としてはある程度もっともだというような感じをお持ちか,いや,今振り返ると,そんな40歳というようなことにはこだわらなくてよかったのではないかとか,例えばお考えになるかといった辺りのことについて,お願いできますでしょうか。 ○日昔参考人 私たちの場合ですけれども,やはり40歳の年齢ぎりぎりの子であってよかったなとは思います。というのは,うちの主人が普通のサラリーマンですので,定年を迎える年齢もあるわけですから,本当にもう具体的に定年までにきちんと娘を大学まで卒業させて,働いて何とか生計をやっていけるであろうという,目前にやはりそういう問題がありますので,やはりきちっと申込みをする時点で,必ずこの子が成人するまでは親が保障して育てていける年齢差というものは,絶対やはり必要だと思います。うちもやはり本当に何とか奨学金をもらわないで大学を何とか出せるかなみたいな計算を,もう本当に目前にしているところですので,やはり年齢差というのは大事なことだと思います。 ○久保野幹事 ありがとうございました。 ○窪田部会長代理 よろしいでしょうか。   それでは,日昔さんからのヒアリングは以上ということにさせていただきたいと思います。   いといろと大変に貴重なお話を伺わせていただくことができたと思います。心から御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。   本日ですが,参考人としてもうお一方,御講演をして頂く用意をしておりますが,それまで少し,まだ時間がございます。   藤林委員からは,養子として縁組をされた方のメッセージの代読があるというふうに事前に伺っております。ここで藤林委員からメッセージの代読をしていただき,少し時間の余裕もあると思いますので,藤林委員との間で質疑応答をさせていただければと思います。   どうぞよろしくお願いいたします。 ○藤林委員 この審議会の何回か前のときに,子どもさん御本人さんに聞いてみようというふうなことをお話ししたと思うんですけれども,実際それがかないましたので,代弁というか,お話をしたいと思います。   私は先日,特別養子縁組を希望しながらも,それがかなわなかった方のお話を聞いてまいりました。2時間にわたりお話をしていただいたことを,私は法制審議会で伝えることを約束いたしました。また,今から読み上げる文章は,本人とその支援者,養親の方に読んでいただき,事実であることの確認を得ております。   お話しいただいたのは20代の女性,Aさんです。Aさんは,6歳のときに一時保護され,半年以上の保護期間を経て7歳から里親に委託されました。里親の委託期間は成人するまでではなく,母親が引き取ることができるようになるまでという説明が里親にも子どもにもなされました。   Aさんは,里親さんには早い段階からなじみ,里親も本人もこの家庭にずっといたいと思うようになりました。また,いつとはなく,15歳になったら養子になれるということを子ども自身も知るようになっていました。一方で里親は,いつか母親が社会に出てきたときに,子どもを引き取ると言い出すのではないかという不安を抱えていました。そしてAさんは,自分がいつか母親の元に引き取られることについて,里親が心を痛めていることを知っていました。   本人が中学1年のときに,母親は刑務所から出てきたという知らせを受け,周囲の勧めに従って,Aさんは母親に会いに行くこととなりました。面会場所は,いつも通い慣れている児童相談所です。里親の車で児童相談所に着く直前に彼女のとった行動は,誰もが予想しないものでした。いつも中学校の制服で児童相談所に来ていたのが,今回は誰にも言わず,私服をかばんに入れていたのでした。車の中で制服から私服に着替えて,Aさんは母親と面会しました。面会後,なぜ私服に着替えたのか尋ねたところ,制服を着ていると,母親がどこの中学校に通学しているのかが分かり,突然やってくるのではないのかという不安があることを私に語ってくれました。   このときになって,Aさんが保護された事情が短い言葉で伝わってきました。Aさんの母親は,Aさんの妹を虐待死させ逮捕され,実刑判決を受け収監されていたのでした。しかも,Aさんはその現場にいたのでした。多くを語らないAさんですが,母親が突然やってくることに対する不安が伝わってきます。   Aさんは15歳になって,養子になれることを待ち望んでいましたが,その前に母親は亡くなりました。Aさんが望んだのは,普通養子ではなく特別養子でした。普通養子の場合,どこに暮らしているかを母親が知ることになり,いつ突然会いに来るか分からないという不安は消失しているはずですが,母親が亡くなった後も,普通養子ではなく特別養子を希望する理由を尋ねました。そうしたところ,理由は二つでした。   一つは,戸籍上の記載でした。普通養子では,母親の姓名がずっと残り続けます。住民票を取るたびに母親の名前を見ることが耐えられないということでした。   もう一つの理由は,養親との続柄が養子という記載です。以前から里親であることを隠し続けてきた本人にとっては,養子という記載のために将来にわたって周囲から理解されない不安を抱えるよりは,戸籍上,子であることを望むのでした。 ○窪田部会長代理 どうもありがとうございました。   それでは,今,藤林委員から代読していただきました内容について,委員の方から御質問等ございましたら,可能な範囲で藤林委員との間で質疑をしていただければと思います。いかがでしょうか。 ○山口幹事 すいません,僭越ですが。   ちょっと細かい話,なかなかお答えにくいかもしれないんですが,6歳で一時保護で,7歳で里親さんに引き取られたということかと思うんですが,通学している小学校は変わったということなんでしょうか。それで,自分が養子であることを,養子といいますか--養子ということを周囲に知られたくなかったというのはどういうことなのかなというのが,いまいちよく分からなかったんですが。 ○藤林委員 この発言の中にあるように,里親であるということを隠し通してきたという。要するに,養育里親として長く養親家庭さんで暮らしてきたわけですけれども,里子であるということを隠し続けてきた事情があるわけなんです。その事情は言えないんですけれども,そういうことがあったので,また養子という身分のために,また何かいろいろなことがあるのではないかというふうな不安をその後も抱いていらっしゃるというふうなことでした。 ○山口幹事 そうしますと,里子であるということも周囲には知られていなかったということなんでしょうか。 ○藤林委員 と,私は理解しました。 ○山口幹事 ありがとうございます。 ○床谷委員 すいません,聞き逃してしまったんですけれども,現在は養子縁組は成立しているんですか。 ○藤林委員 そうです。 ○床谷委員 それは何歳のときに。先ほど15歳でできるというのを心待ちにしている間に,実母が亡くなったという。それでその後,どういう経緯かは分かりませんけれども,いつぐらいの御本人の判断で養子縁組をされたかと。実母が亡くなったときに,例えば相続問題とかそういうことに,トラブルに巻き込まれたとかそういうようなこと,何かきっかけのようなものがありますか。 ○藤林委員 なるたけ今回のこの内容は,御本人さんのプライバシーに関係することですので,ここに語られたこと以上は,聞いているんですけれども,ちょっと伝えられないということがありまして,何歳で養子縁組になったのかとかということについては,ちょっと公の場ですので控えさせていただきたいと思います。 ○窪田部会長代理 それでは,いかがでしょう。 ○浜田幹事 ありがとうございます。   確認ですけれども,実の親御さんはもう亡くなられたということであると,よく語られるような,実親がある日来てしまうとか,そういう危険はなくなったわけですよね。ただ,最後のところにあったように,それでもやはり特別養子縁組がいいのである,何となれば,例えば住民票を取るところとか戸籍の記載とか。だから,どちらかというと気持ちの区切りといいますか,Aさん本人にとっての気持ちの問題,気持ちの整理が,その方がしやすいというふうに理解したらいいのでしょうか。   要するに,実親からのコンタクトという危険はもう完全に去った中で,なお特別養子を望まれるというのは,一言で言うと何なのかというところを教えていただければと思ったんですが。 ○藤林委員 ここから先は私の解釈です。御本人さんにそのことについては十分には確認しておりませんけれども,気持ちの問題というよりは,トラウマ記憶と捉えていいのかなと思いますけれども,そういうもう少し深いレベルでの問題があるんだろうなというふうに私は解釈しております。 ○久保野幹事 貴重なお話をありがとうございました。   それで御質問は,話のケースの内容そのものというよりは,藤林委員のこのケースに対する評価といったようなものを,もしよろしければ伺いたいと思ったんですけれども,と申しますのは,6歳のときに一時保護がされて,初めて児童福祉法上の保護に入ったというので,正に今議論しているような大事な事案かなと思うからです。先ほど御紹介いただいたような,どうして一時保護に至ったかということについての事情があるこのケースでは,里親に委託した時に,実親が引き取れるようになるまでというお話として里親委託がされたと,先ほどお話ありましたが,このような委託の仕方が適切だったのかという問題がありそうな気がして聞いておりました。   藤林先生のお考えであれば,例えばこのような背景であれば,直ちに特別養子を検討すべきだったとお考えになるかどうかというようなことと,仮に直ちにかはともかく,もう少し早い段階で特別養子を考えるべき事案だったのではないかとお考えになると仮定した場合に,この方について期待される,特別養子縁組が実現しそうな時間的なタイミングといいますか,そのようなものについて感触でも結構ですので,教えていただけるとありがたいと思います。 ○藤林委員 一般的な私の考え方になりますけれども,このような体験をした子どもさんが実親さんの元に再統合というのは,多分不適切と思いますし,子どもの利益という観点からも,それは避けなければならない。やはり子ども時代,又は大人になってからの事を考えた場合に,今,特別養子縁組が一番適切と思います。   実は,この会議で言ったかどうか覚えていないんですけれども,アメリカの,これは法律になっているかどうか,その原文に当たっていないので確実ではないのですけれども,アメリカで長くソーシャルワーカーをされた方の話によると,アメリカで家族再統合不能ケースに10個ぐらいの類型がありまして,その一つの類型がこのような虐待死亡ケースというふうに言われております。   それで,どれぐらいのタイミングで里親委託から養子縁組になるのかという御質問かなと思うのですけれども,これはやはりある程度の時間,それこそ養親になろうとする方の,先ほどの話にもありましたように覚悟というか,やはりそれが十分成熟するまでの時間は必要かなと思います。 ○水野(紀)委員 里親であること自体を隠しておられたと伺いましたけれども,里親だったときには,実名も違うでしょうし,養子よりもはるかにプライバシーが明らかになる状態だったろうと思います。一般養子縁組では戸籍上の養親との続柄記載というプライバシーが明らかになることを気にされるということで特別養子の利用が課題になっているわけですが,戸籍を閲覧すれば,特別養子であることもわかります。お気持ちとしてトラウマ記憶などがあって,戸籍上の実親名記載や養親との続柄を隠したいと思われるという,その御説明は分かるのですけれども,お気持ちのレベルと現実の実態レベルとが整理できていないように思います。一般養子ではなく特別養子になることで現実にどこまでプライバシーが守られるのか,はっきり認識されないまま,イメージが先行していないでしょうか。また実際には里親であることを隠して暮らせるということでしたら,養子であることも隠して暮らすことはなおさら楽ではないかと思うのですが。 ○藤林委員 自分がこの里親家庭に委託された子どもであるということを周囲の人に言わずに暮らし,学校に通う。また,普通養子というか,養子であるということを誰にも語らずに生活するということは実際はされているわけですし,そのことは日常的に行われているわけですけれども,でも,可能であれば子でありたいという願いがあるというのは事実かなと思います。   ちょっと付け加えますと,この方のお話を伺って,この審議会で言いましたけれども,やはりこの方のお母さんは,もう早くに亡くなられたわけですけれども,ずっと存命でいらっしゃれば,この方の生活圏にいつでもアクセスできるという,この問題というのはやはり普通養子ではなかなか解決できない問題ではないかなと思いますし,子ども時代だけでなくて大人になった後も,実親さんとの関わりとか接触から守るということはとても重要なことだなというふうに私は思いました。 ○水野(紀)委員 前々回の会議で,戸籍が実際にはどういうふうに扱われていて,どういうアクセスが可能なのか,当事者にとってどういう手段によって親子が相互にアクセスが可能なのか,御教示いただきたいとお願いいたしました。今日の議論を伺っていても,やはり議論の前提として,それらを明らかにしておいて議論をしたいと思います。そして,仮に今回の改正では難しいにしても,もし戸籍の扱いを変えることによって改善されることがあったら,今後はそれも考えたいと思いますから。それから,実際に実害をもたらす困った実親がアクセスしてくる問題は,親子関係が法的に切れているかどうかに関わらないこともあります。それこそ離婚後も付きまとうストーカー的な,暴力的な元配偶者もいるわけですから,そういうときの被害者保護の問題も,また別の問題として,これはこれで考えなくてはならないことのように思います。 ○窪田部会長代理 ありがとうございました。   今の戸籍の問題に関しては,先ほどの日昔参考人からの御意見の中にも出てきた点ですので,少なくとも現状どうなっているのかという点については,できるだけ委員全員が前提となる状況について,特別養子だけではなくて普通養子縁組も含めてだろうと思いますが,共有しておいたほうがいいと思いますので,それについてちょっと事務方の方で御準備を頂けますでしょうか。   それでは,藤林委員との質疑応答については以上ということにさせていただきたいと思います。藤林委員におかれましては,貴重なお話を伺わせていただき,誠にありがとうございました。   この後,休憩を挟んでから東京大学大学院教育学研究科の遠藤利彦教授からお話を伺うことにしたいと思います。   それでは,後ろの時計で3時15分から再開ということにさせていただきたいと思います。   日昔参考人,どうもありがとうございました。藤林委員もどうもありがとうございました。           (休     憩) ○窪田部会長代理 それでは,時間になりましたので,法制審議会を再開させていただきたいと思います。   先ほど御案内させていただきましたとおり,後半は遠藤教授に御講演を頂きたいと思います。   遠藤利彦教授は,東京大学大学院教育学研究科で,教育心理学コースにおいて発達心理学,感情心理学を御担当されておられます。なお,遠藤教授には,パワーポイントをスクリーンに映しながら御講演を頂く予定ですが,照明の配置の関係で,少し見にくいかもしれませんが,スクリーンはあの位置にならざるを得ないということです。 ○岩﨑委員 大丈夫です。 ○窪田部会長代理 お席から御覧になりにくいようでしたら,恐縮ですが,適宜椅子を移動させていただき,御講演をお聞きいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。   それでは,遠藤先生,お願いいたします。 ○遠藤参考人 皆さん,こんにちは。遠藤と申します。本日はこのような機会を頂きまして,誠にありがとうございます。   私の方から今日,特別養子制度ということに関して,非常に難しい問題だと受け止めておりまして,心理学という立場から,それに関してどういうことが言えるか,いろいろと考えてはみたんですが,なかなか結論が出ないままこの場にいるという状況でございます。   ちょっと,私,どんな仕事をさせていただいているかということを,簡単に最初自己紹介させていただきながら,お話をさせていただきたいと思います。   私,現在東大の教育学研究科というところに所属しておりますが,2014年に日本学術会議のマスタープランですね,大型重点研究計画というところに採択されたことを受けまして,3年ほど前に東大の方に発達保育実践政策学センターという,こういうセンターを立ち上げさせていただきました。そういう中で,子どもの発達の研究,科学的な研究,それを子育てとか保育とか幼児教育の実践に,あるいはそれに絡む政策というところに,何とかつなげていくことはできないかというようなことを模索しつつ,今までいろいろな調査をさせてきていただいているという人間でございます。   ただ,保育,幼児教育は元々の専門ではございませんで,先ほど御紹介を頂きましたけれども,子どもの発達心理学というのが専門でございます。特に親子関係とか家族関係の下で,子どもがどんなふうな心の育ちというものを遂げていくかということが,元々の研究テーマでございまして,今まで細々といろいろな調査をやってきているという人間でございます。そういう研究をやってきているということで,今まで特に乳児院や,あるいは児童養護施設というところの仕事を,様々な形で関わらせていただいております。特に現在取り組んでおりますのは,これは,子どもの虹情報研修センター,別名日本虐待・思春期問題研修センター,横浜の戸塚にございますけれども,虐待に絡むようなお仕事をされている方々を研修するという全国的な組織でございますけれども,現実的には,そこのセンターの課題研究というところで,特にこれは,全国の乳児福祉協議会の委託を受けてということになっているんですけれども,乳児院養育の可能性と課題を探るということで,乳児院の中で子どもたちが今どんなふうな育ちというものをしているのかということの実態調査ということを,今展開しつつあるという状況でございます。   最初にちょっと,この乳児院の実態というようなことで申し上げますと,これは,実際のデータに基づく数値なんですが,現在,乳児院に入所してくるお子さんというのは,6割,60%のお子さんが心身に何らかのリスク,問題,障害,疾患などを抱えているということが分かっております。逆に言えば,健康な状態で乳児院に入所してくるお子さんは,4割程度ということでございます。そして,35%のお子さんが虐待を受けているというようなこと,こういったことが分かっております。基本的には,非常に難しい問題を元々持って入所してきているお子さんが非常に多いということ,そして,そうしたお子さんが乳児院の中でいろいろなケアを受けて,そして育っていく。そして,退所していくわけです。そして,その後,元の家庭に戻ったり,あるいは児童養護施設の方に移っていったりと,様々にその後いろいろな発達の経路をたどっていくということになります。   ただ,今までよく指摘されてきたのは,乳児院を出たお子さんの発達にはやはり遅れが目立つとか,あるいはゆがみが目立つということで,そういう中で,乳児院で育っているお子さん,やはり発達的に問題があって,要するに,それは乳児院のケアというところに本質的な欠陥,問題があるんだろうと,割合考えられがちなんですね。ただ,これは,退所するときのお子さん,やはり標準的なお子さんと比べたときには,その発達がもちろん遅れていたり,ゆがんだりしていることはあります。ただ,先ほど申し上げたように,入所の段階で既に相当な心身のリスクを抱えているお子さんです。そういう難しい問題を持ったお子さんに対して,乳児院では実は様々な専門的なケアというのが施されるわけです。そういう意味では,その難しい問題を元々持ったお子さんたちが乳児院にいる間に,それなりにケアを受けて,発達的に問題を修復したり,あるいは発達的にある程度キャッチアップですね,標準にある程度追いついたりというようなことが,現実的にはあるわけですね。要するに,乳児院のケアが子どもたちの発達を促したり,支えたりしているところがあるんですが,ただ,世間一般では,退所の段階でそのお子さんたちの発達が,標準の子どもからするとかなり遅れている,そしてゆがんでいる,だから乳児院のケアがまずいんだ,そういうようなことが比較的言われがちですね。   そういうふうな中で,それこそ,だったら乳児院ではなくて,家庭的な養護,早い段階からやはり里親さんとか,あるいはその養子縁組という形で新しい親のもとに子どもを託すということが適切なんだ,要するに,世界的に今,施設養護から家庭的な養護へと移り変わってきていて,日本ももちろんその流れに乗っているわけです。   私自身,それに対して特に異を唱える者では全くないんですけれども,ただ,先ほど申し上げたように,これだけのリスクを持ったお子さんを,全く専門性のない親御さんがすぐ引き取って,そのお子さんに対して適切なケアができるかというと,非常にそれが困難であります。そういう意味からすると,乳児院というところである程度専門的なケア,あるいは児童養護施設のようなところで専門的なケアを受けて,ある程度心の修復ということがなされた段階で,里親さんや養子縁組というようなことになっていくということの方が,結果的に,親にとっても子どもにとっても幸福なところがあるんだろう,そういうようなことを考えまして,乳児院の中では,こんなケアのもとで,こんな心の育ち,あるいは体の育ちというのをしているんだ,その実態というものを把握する必要があるということで,今全国規模でいろいろな調査,こういう全国の乳児院をフィールドにして調査をさせていただいている,そんなことをさせていただいている人間でございます。   それで,もう最初にちょっと,この特別養子縁組,先ほど申し上げたように,いろいろと考えてはみたんですが,結局結論は出ないということなんですが,少し思ったこと,もう最初に結論というところをお話をさせていただければと思うんですが,いろいろな資料を見させていただきまして,そこで少し気になった言葉があったなと。それは何かというと,この「実質的な親子関係」という言葉が,一つはキーワードになっているような気がいたしました。基本的に,子どもの育ちというところにおいて,この特別養子制度ということによって,その「実質的な親子関係」というのが実現し,その「実質的な親子関係」の中で,子どもというのは健康な心の育ち,あるいは身体の育ちをしていく,そういうような前提があるような気がいたしました。   ただ,そもそも「実質的な親子関係」というのは何なんだろうかということを,実は心理学的に考えますと,非常にそこがよく分からないなという気がいたしました。更に言うと,これまでの養子制度ということに,特別養子制度ということになると,これまで6歳までなら「実質的な親子関係」形成が可能という判断ということで,この6歳という年齢というところが一つ基準になってきたわけですけれども,6歳までなら「実質的な親子関係」の形成が可能という,そこの根拠,論拠というのは一体何なんだろうかという,7歳,8歳,10歳だと不可能ということは,どういうふうな根拠に基づいてなされてきたのかなということを考えたときに,心理学的に言うと,その根拠というのが見えないというのが,率直な印象としてございました。そういう意味からすると,この「実質的な親子関係」が何を意味するかというのは,いまだにちょっと私自身が分からないところもあるんですが,実際,「実質的な親子関係」,あるいはもう親子関係そのものが,時に子どもの健全な心身発達やwell-beingですね,これを阻害する危険性がある一方で,実は「実質的な親子関係」でなくても,子どもの心身発達や将来展望に資する有益な関係になり得るのではないかという気がいたしております。もっと言うと,親という存在でなくても,子どもというのは,実は,ここにあります安心基地とか安全な避難所となり得る大人というのが,物理的な環境の中でしっかりと存在している状況においては,基本的には健康に育っていくということがあるんではないか。   具体的に申し上げますと,例えば,14歳,15歳になって,そして,仮にその上限が引き上げられまして,そこで特別養子縁組がかなった。でも,そのお子さんというのは,法的にはもちろん,引き取ってくださった大人の人が親ということになるんですが,子ども自身が,その大人の人を親と認識できるかというと,なかなか親とは認識できない,しかし,親と認識できないということが,その子どもの発達にマイナスに作用するかというと,それは,実はそうは言えないのではないか。もっと言うと,特に親という認識がなくても,その子どもにとってそれこそ,後ほど申し上げますが,この安心の基地であったり安全な避難所となり得る存在であれば,基本的にその子どもの育ちというのは保障されるということがあるんではないかなという,そんな気がしております。   というようなことと,もう一つは,やはり何歳までなら可能かということの問いが,やはり非常に答えにくいという気がいたしました。それは何でかというと,こういう心理学に携わっている人間からすると,人間の発達には,当たり前のことですが,標準的な要素と個別的な要素というのがございます。標準的な要素,一般的に,子どもというのは何歳ぐらいでどんなことができるようになるか,これが,言ってみれば標準的な要素です。しかし,当然一人一人の子どもには個人差,ばらつきがあるということ,それが個別的な要素ということになるわけです。平均的に期待される環境の中で,標準的な発達,一般の子どもたちがたどるであろう発達のプロセスを想定した場合,むろんそれぞれの発達期に特異な困難性は伴う。もっと言うと,それぞれの発達期,例えば児童期とか思春期,青年期とか乳児期,幼児期,それぞれにやはり特徴があるわけです,特異性というものがあります。その特異性から見たときに,例えば,養子縁組ということを考えたときに,それぞれの時期に固有のメリットとデメリットがあるという,そういうことが言えるのかなという気がします。要するに,そういう特異な困難性は伴うんだけれども,基本的には,原理的には何歳でも可能というのが,個人的な見解であります。   しかし,要するに,標準的な発達を想定した場合には,原理的に何歳でも可能。しかし,実質的に制度の対象たる子どもの発達というのは,多くの場合,標準から逸脱しているケースが多いわけです。先ほど申し上げたように,例えば,現在の乳児院の先ほどの調査でいうと,6割のお子さんが心身に何らかのリスクを抱えております,35%のお子さんが被虐待の経験を持っているということがあるわけです。そういうことを考えたときに,実は,一般のお子さんの標準的な発達から逸脱しているお子さんというのが,現実的に乳児院から,場合によっては児童養護施設,この中で育っていくとなったときに,標準的な発達というところに,なかなかかなわないお子さんたちの方がむしろ多いということが想定されるということです。そういう意味からすると,この発達の個別性というのを,どこまでやはり考慮することができるのかという辺りが,一つのポイントになってくるかなという気がします。   要するに,標準的な発達ライン,何歳ぐらいに何ができるようになるか,心理学には様々な考え方がございます。ちょっと皆さんのお手元の資料にはないんですが,例えば,エリック・エリクソンという人なんかは,これは古典的な理論なんですが,人生を八つのステージに分けて,今は九つのステージに分けることの方が一般的になってきているんですが,八つのステージに分けて,それぞれにやはり固有の課題とか,それぞれの時期にどんな心の力というものが獲得されるかというような理論的な仮定というのがなされていたりするわけです。赤ちゃんの段階においては,この人を信じたり,あるいは人が信じられないというようなこと,これが問題になってくるとか,あるいは幼児期の前期だとすると,これは,どちらかというと,いわゆる身辺自立ということで,自分自身の要するに身体というところをどれぐらい,例えば,排泄なども含めてしっかりとコントロールできるようになるかということ,そういう自律性の獲得みたいなものが課題になったり,あるいは,この幼児期の後期,4歳,5歳になると,例えば自発性とか,あるいは,それが今度は悪い,ネガティブな側面だと罪悪感,こういうものが課題になっていったり,あるいは児童期になると,勤勉性というようなものが課題になっていったりとか,あるいは思春期,青年期になると,要するに,自分とは何者であるかというようなアイデンティティーの確立とか,そういったものが課題になる,こういった理論的な仮定というのは,標準的な発達に関して,今までもいろいろな形でなされてきたということがあるわけです。   ここにちょっと小さい文字で書いてあるのは,乳児期であれば,先ほど申し上げたように,自分自身がどれぐらいいろいろな他者から,要するに愛してもらえるのか,あるいは人が信じられるのかという,自分自身が怖くて不安なときに,後ほど申し上げますが,要するに,どれぐらいしっかりとくっついて安心感に浸ることができるか,それを一般的にアタッチメントという言葉で呼んだりするんですが,そのアタッチメントの経験の蓄積を通して,子どもというのは,要するに自分というのは無条件的に人から受け入れてもらえる,愛してもらえる,逆に,そういうことをしてもらえていないお子さんというのは,自分というのは愛してはもらえない,愛してもらえるだけの価値がないというような,そういう感覚というのを,乳児期の段階で心の奥底に固めてしまったりするという場合があります。   一方で,要するに無条件的に人が信じられるという,その確信というのを身に付けることができる子どもがいる一方で,要するに,人って信じられない,ぎゃーって泣いても何にも応えてくれないのが人だというふうな思い込みというのを固めてしまうようなお子さんもいたりするわけです。ただ,標準的な発達を考えると,多くの子どもたちというのは,ぎゃーっと泣けば,基本的には抱っこされて慰めてもらって,そういう中で,要するに,素朴に人を信じたり,自分が愛されるという感覚というのを身に付けていくことができたりするわけです。   そういうふうな発達の上に,今度は自分というものに対する意識,自己意識というようなものが芽生えてきたり,自分はいい子なのか悪いのか,自己評価が芽生えてきたり,あるいは,自分の心というのをどれぐらいしっかりコントロールできるか,あるいは心の理論,これは幼児期の辺りの話なんですが,要するに,他者の心というようなものを,どれぐらいしっかりと理解できるか,あるいは自分自身の心の中で何が起きているか,そういったことをしっかりと把握できるか,そういうのを,心理学では心の理論というような言葉でいったりするんですが,そういうもの,あるいは自伝的な記憶,自分自身が今までどんなふうな歴史をたどって生きてきたか,要するに,自分の過去についてどういうふうなことを思い出して,どういう物語が構成できるかということですね。一般的には,3歳より前の子どもというのは,自分の具体的なエピソードというようなことを,なかなかやはり想起して自分の物語というのが作れない。しかし,3歳よりも後になると,要するに,自分に関するいろいろな物語というようなことを構成できるようになる,いろいろなことが言われているわけです。   さらに,児童期ぐらいになると,要するに,自分自身の可能性というのをどんどん高めていこうというような動機付け,勤勉性が生まれたり,あるいはメタ認知,自分の心の中で,今何が起きているかというようなことを,それを客観的に把握するような能力であったりとか,あるいは抽象的な認知能力であったりとか,あるいは,それこそ思春期ぐらいになるとアイデンティティーですね,先ほど申し上げたように,自分とは何者なのか,これからどう生きていけばいいか,そういう認識が高まってくるというようなことが言えるわけです。更に言うと,この時間的な展望,私はこれから将来どういうふうに生きていくべきなのかという,自分自身の将来展望ということに対して意識が強く向き始めます。要するに,自分にとって,どういうふうな人生というものがより適切なのかということですね。   よく異時点間の選択のジレンマ,今をとるか,あるいはこれから先の将来をとるか,今が嫌でも,その将来を考えると,その将来いいことの方にむしろ選択をしたほうがいい,そういうふうなことが,要するに積極的にできるようになっていくような段階というのが,またこの思春期とかになってきたりするわけです。そうなってくると,実は,それぞれの時期に子どもの心の中に成り立ってくるものがあります。そういうふうなことで言うと,結局それぞれの時期にどういうふうな心の力をその子どもが身に付けて,あるいはどういう心の制約ですね,その段階ではどういうことがまだできないのか,そういうようなことによって,実は養子縁組ということの難しさもあれば,それを逆に容易にするところもあるということですね。   例えば,今までは6歳というようなことが一つ基準になっていたんだと思いますが,これが児童期であったりとか,あるいは思春期とか青年期前期ということになると,例えば,先ほど申し上げたように,こういう時間的な展望みたいなものを,時間的な展望,これから私はどういうふうに生きていけばいいか,ライフ・プランニングのようなものが基本的に可能になってくるということがあります。そうすると,要するに,心情的には自分の親,実の親と別れるのは嫌だ,あるいは,ある意味親に対する忠誠心というようなものが強く残っている,しかし,自分がこれから大人になって,更にその先,一生どういうふうにたどっていけばいいかというところの時間的な展望というようなものが成り立ってくると,先ほど申し上げたように,異時点間の選択のジレンマ,今嫌だというような気持ちを抑えて,もっと言うと,未来というところのよりよいものを選択できるという,これは,要するに一定の認知能力が備わっている子どもであれば,そういった選択ももちろん可能だということになってきます。そのときに,先ほど申し上げたように,実は主観的な意味では親という認識ということがなかなかできなくても,それを可能にしてくれる,未来の幸せを可能にしてくれる大人の人が自分自身の,先ほど申し上げたように安心の基地,後で申し上げますけれども,あるいは安全な避難所となり得る存在であれば,もしかしたら子どもというのはそちらの方に賭けるというような選択ということもできるようにはなってくる。そういう意味では,思春期,青年期にも,要するに,ある意味,養子縁組というところにプラスに働くような要素というのも,存在すると考えることもできるのかなという気がします。   ただ,これは,飽くまでも標準的な発達ラインということを想定した場合の話です。ただ,先ほど申し上げたように,多くのお子さん,養子として引き取られるお子さんというのは,過去に必ずしもやはり恵まれた家庭ではないところで育っている場合が圧倒的に多いわけです。その中には,早くから虐待を受けて,あるいは心身に様々なリスクを追ってしまったお子さんが多いということですね。そうなってくると,個別的な発達ライン,例えば,遺伝的に生まれた段階である種の身体的な脆弱性というもの,あるいは疾患,障害を持っていたりする,あるいは生育歴というようなことを,それこそ虐待,マルトリートメント,不適切な養育などにさらされた,あるいは親との分離にさらされた,親の精神疾患にさらされたというような,様々な生育歴に由来して,発達の遅滞や歪曲,あるいはその後,乳児院や児童養護施設の中でしっかりとしたケアを受ける中で,もしかしたら,そうしたハンディキャップをある程度修復できるというようなこともあるかしもれません。要するに,それぞれのケースによって,ここの事情というのは,正に千差万別ということがあるわけです。   当然,恐らく法的な判断ということになると,一人一人の個別のケースということを考えるということは,これは土台無理な話だと思います。当然のことながら,ある程度標準的な要素ということを根拠にしながら,判断していかなければいけないところが多いのかなという気はしています。ただ,先ほど申し上げたように,恐らく実質的に養子となり得る子どもというのは何らかの,少なくとも過去にはそういったリスクを抱えている子どもが,どちらかというとマジョリティーであるということですね。リスクを抱えているお子さんがマジョリティーなので,そうすると,標準的なそういうリスクを持っていないお子さんを想定して,そうした法的な判断をするということだけで,果たして事足りるんだろうかということ,ちょっと心理学の観点からいうと,そこのところがどうなのかなということ,私自身,そこを結論はできないところなんですけれども,考えたりします。   そういう意味からすると,ちょっと皆様のお手元の資料にはないんですが,結局,考えるとこういうことなのかなと。私自身の,これはもう本当に私見です。上限の引上げの法改正がなされる場合には,私自身は,なされるということに対して,決してそれに反対の意を持っている人間ではなくて,そういうこともあり得るなということを考えております。上限の引上げ,法改正がなされる場合には,ただし,それと同時並行的に,その親子を持続的に真に社会的にサポートする公的な体制も併せて構築される必要があるということを,恐らく年齢の,要するに設定ということに関しては,ある程度標準的な発達ということを想定して,多分していく必要があると思います。   ただ,先ほども申し上げたように,多くのお子さんが何らかのやはり心身リスクを過去に抱えている,あるいは現在も抱えている可能性があるということ,そうすると,その個別性ということに対する配慮ということを,やはりどこかでしていかないといけないということですね。ですから,法改正は標準的な発達を想定して,それを根拠にした形でなされるということ,これは,そうせざるを得ないところがある。しかし,そういった法改正がなされた場合には,それぞれの個別のケースというのを,どうやって真に社会的にサポートしていくべきなのか,いわゆるそれを可能にするような,要するに公的な体制ということが,併せてやはり構築される必要があるんだろうなということですね。要するに,この養子縁組がかなった段階で,その子どものケアというのを,その親御さんだけに全て任せてしまう,言ってしまえば,そこに閉じてしまった状況というのは,実は,もしかすると,そのお子さんが抱えている問題の種類とか事情の複雑さからすると,その引き取った親御さんにとっても子どもにとっても,もしかしたら必ずしも幸福な状態をもたらすとは限らないかもしれません。そういう意味からすると,要するに,任せっきりということではなくて,もちろんあれなんですが,その養親の方を中核にしたアロケアですね,アロケアというのは,親以外の様々な他者によるケアということですね。   これは,最近の心理学であったり,あるいは福祉という領域でもそうなんですが,要するにアロケア,アロペアレンティングということ,その重要性というようなものが,声高に叫ばれるようになってきています。それは,実は,元々は生物学とか人類学の中での議論から起こってきたことですが,人という生物種というのは,基本的には,元々は集団共同型の子育てであって,決して親だけによって養育されていた存在ではないという,これが生物学,人類学のある種の常識になってきています。要するに,人間の子どもというのは,様々な他者のケアということを受け入れて,成長,発達していく,これが一般的だった。逆に言うと,親だけによって子どもの養育が担われなければいけないというのは極めて,歴史の中でいうと,非常に短い期間の,実は非常に例外的な考え方であるというようなことが,今では,我々の世界では少なくともそういうふうなことが常識になってきています。そういう意味からすると,本来の人という生物種を考えたときに,やはりこのアロケアということ自体が非常に重要なんだけれども,そのアロケアのシステムということをやはり作っていくということが,やはり同時に検討されていく必要があるのではないかということを,法的な改正ですね,引上げがなされた場合には,できれば,その個別性に合わせたケアということに関する何らかのサポートのシステムというようなもの,これがやはり整備される必要があるんだろうなというような気がしております。   そんなことを,まずもう結論として述べさせていただきたいと思います。   それで,ここから後は,どれぐらいの,要するに関係というものですね,子どもの発達において,関係というものが重要であるかというようなこと,そしてまた,不適切な養育を受けたお子さんというのが,どういう心の問題というのを抱えている可能性が高いのかというような話をさせていただきたいと思います。   それで,ちょっとここで胎児期の話をするというのは何かなという気がするんですけれども,先ほど乳児院に入ってくるお子さんの6割というのが,何らかの心身リスクを抱えている場合が多い,あるいは35%のお子さんが被虐待の歴史を持っているというようなお話をしました。実は,こういった心身リスクというのは,たどっていくと,実は,この胎児期というところに根っこがある場合というのが少なくはないということ,そんなところをちょっとだけ理解していただければと思います。   最近,心理学,発達心理学や,あるいは医学,小児科学というようなところ,ベビーサイエンスというところでは,こういうことが言われています。生涯発達において,胎児期は極めて重要であるということです。生涯,人の一生涯の発達あるいは健康,幸せというところに,胎児期という中での経験というものが,実は非常に重要だ。この場合の経験というのは,どちらかというと,ケミカルな経験ですね。お母さんのおなかの中での化学的な経験というようなことになります。   ここにちょっとDOHaD仮説というのがあります。これは,デベロップメンタル・オリジン・オブ・ヘルス・アンド・ディジーズという,健康と病気の発達起源説と一般的に言われる考え方だったりするんですが,これ,日本語ではよく,この成人疾病胎児期起源説というふうな言葉で言われることが多いような気がします。   この考え方というのは,元々は1944年,オランダがそれこそドイツと敵対しているという状況で,ドイツ軍からの食料調達というものの経路を分断されてしまう,そういう中で,オランダが飢餓に陥るわけですね。飢餓の冬って,一般的に言われる状態であります。その飢餓の冬の中で,妊娠していた女性の方ですね,その妊婦さんだった人が子どもを出産するわけです。要するに,飢餓の中で妊娠しているということは,食べるものがないということなので,その胎児にも栄養が行き渡らないということがあります。しかし,その翌年には第2次世界大戦が終わるというんですね。そうすると,オランダには普通に食料が入っていくということになります。そうすると,普通にお母さんは物を食べるということ,生まれた子どもというのは,要するに,お母さんが普通に物を食べて,おっぱいも普通に出るという状況の中で,おっぱいを普通に飲んで,普通に成長していくことができる,あるいは,そのおっぱいを卒業すれば,普通にいろいろな御飯を食べて,栄養を取って大きくなっていく。特に,飢餓の冬を乗り切ったお母さんから生まれた子どもであったとしても,要するに,第2次世界大戦が終わっているので,実はその後の成長というところにおいて,栄養に困るというとはないわけです。普通におっぱいを飲み,普通に物を食べることができる。   ただし,そのお子さんたちは,別に過剰に大食いするわけではない。しかし,そのお子さんたちがその後大人になってから,要するに成人病に罹患するという確率が極めて高いということが明らかになってくるわけです。要するに,糖尿病になったりとか,心臓,血管系の病気になったり,あるいは肥満になったり,あるいは精神疾患のリスクも非常に高いということ,あるいは性自認,自分が男か女かというような認識であったり,性的指向性,男性が好きか,女性が好きかというところが,標準サンプルからすると,その比率がかなり大きく異なるというようなことが,いろいろと明らかになってきたということがございました。   そういう中で,実は妊娠期,その飢餓の状態にあった妊婦さん,子どもに栄養が行き渡らない,何が起きるかというと,その中で,子どもたちというのはいわゆる倹約型代謝というメカニズムを身に付けてしまいます。倹約型ですね。要するに,少ない栄養でも,体を維持し,そして成長させることができるメカニズムというのを身に付けてしまうわけです。要するに,少ない栄養で済んでしまう。でも,その少ない栄養で済んでしまう,その体質を持った子どもが,生まれてみると普通に物を食べることができる,別に大食いしているわけではない,ごくごく標準的な食事をしているんだけれども,その標準的な量の食事が倹約型代謝のメカニズムを身に付けてしまった子どもには,栄養の過剰摂取になってしまう。そして,結果的にそれが成人病になってしまうということですね。要するに,こういうふうな中で,この成人疾病,胎児期起源説というようなことが提唱されたんですけれども,要は,結局胎内環境の中での栄養であったりとか,あるいはホルモンシャワーですね,要するに,胎児が健常に生活,成長していくためには,しかるべきタイミングでしかるべき量のホルモン,例えば,テストステロンというようなホルモンシャワーというようなものは,要するに,男児の脳の発達とか身体の発達というところには,極めて重要だったりするというようなことが知られていますが,そのホルモンシャワー,それからテラトゲン,これは催奇形の物質のことで,一般的にはそれこそアルコールとかニコチンとか,胎児の成長とかに有毒に働く物質がテラトゲンということになります。そういうのが,要するに,お母さんの胎内の中にあるということであります。   これ,何を申し上げたいかというと,別にこういう化学的な理科系の話ということではなくて,結局のところ,これは,先ほどの話は飢餓という,戦争という特殊な環境の話なんですけれども,実は,その妊婦さん,お母さんが一般的にどれぐらい規則正しい生活を送っているか,あるいは心理的にどれぐらいストレスというようなものが少ない状況の中で生活ができているか,結局胎内環境の健全さというのは,そのお母さん,妊婦さんの心理的な健康とか生活習慣ということの安定性というところに非常に大きく関わってきます。そして,実は,要するにこの胎内環境が不健康になるというふうな場合というのは,逆に言うと,この生活習慣の乱れであったりとか,非常に強いストレスにさらされているという場合というのが想定されるわけです。   中には,それこそ妊娠したというふうな中で,全然おなかの中の子どもに対しては気持ちを向けずに,あえて危険な生活ということを繰り返していく,そういうことを時々胎児虐待という言葉で言ったりするんですけれども,そういう中で,子どもが生まれてくると,実は,低栄養であったりとか,しかるべきタイミングでホルモンシャワーというようなものがなかなかうまく子どもに作用しない,あるいはアルコール,ニコチンのようなものが摂取されて,それが胎児の成長,発達にマイナスに作用してしまうということがあるわけです。そうなってくると,その子どもたちは,それこそハイリスク,例えば低出生体重,日本では2500グラム未満で生まれてくるお子さんを低出生体重と言っています。ちょっとこれ,小さくて見えないんですけれども,この右肩下がりの線が,どれぐらい新生児の体重が今減ってきているかということを意味しています。   今は3000グラム弱ぐらいになってきています,日本のお子さんの新生児の体重ですね。かつては3200グラムぐらいありました。最近はちょっと横ばい傾向なんですけれども,これが意味するところというのは,全般的に体重が軽くなってきたということもあるんですけれども,それ以上に,実は低出生体重のお子さんの比率が非常に高まってきているというようなことがあるわけです。2500グラムというのは通常の低出生体重で,それほどリスクはないんですけれども,これが極低出生体重,1500グラム未満であったり,あるいは超低出生体重,1000グラム未満,今ではNICUというところが,非常に日本は技術的にすばらしい形で発展してきておりますので,1000グラム弱ぐらいで生まれてきたお子さんでも,命をつなぐということはできていきます。ただ,やはり低出生体重というのは,様々なリスクを持っているということが考えられるということであります。   そして,実は元々の,生まれた段階で,そういう意味でハイリスクのお子さんなんですけれども,そのハイリスクのお子さんが,出生後,2次的,3次的にさらなるリスクに巻き込まれやすいということも,これも実は心理学的には検証されています。どういうことかというと,実はこのハイリスク児というお子さんたちというのは,ちょっとここにジョイントネスなんていう言葉がありますが,これ,ちょっと心理学の特殊な言葉なんですけれども,通常の子どもというのは,それこそ近くに大人がいると大体,人の子どもってどういう刺激が好きかというと,基本的には人が発する刺激が一番好きなんですね,標準的な意味では。要するに,近くに人の顔があれば,人の顔の方をごく自然に見るようになる,人の声が聞こえれば,その声のする方に注意を向けるわけです。要するに,人という存在が最も赤ちゃんが好む刺激になります。ということは,人が近くにいれば,人の方に視線を向けるわけですね。視線を向けます。そうして,赤ちゃんは,そこであーとかうーとか,いろいろな発声をします。あるいは,にこっというふうな表情を向けたり,あるいはぎゃーっていうような泣き声を上げたりするわけです。そうすると,大人の側は,ただでさえかわいい赤ちゃんに見つめられて,そして,いろいろな感情を寄せられるわけですね。   そして,赤ちゃんという存在は基本的に,生後すぐの段階からシンクロする傾向を強く持っている。シンクロというのは同調傾向です。要するに,大人が働き掛けると,それにリズムよく,タイミングよく応答するという傾向ですね。その大人の声とかに,実は自分の体ということの,その動きというのを合わせたり,あるいは,大人の声掛けに対して,やはりタイミングよく体の一部を動かしたり,あるいは発声をしたりという,正にシンクロするというようなことが言われているわけですけれども,ただでさえかわいい赤ちゃんが自分の方をじっと見てきて,そこでにこっとか,ぎゃーって泣いて,更に何か働き掛けると,実際にまた応答してくるという,そういうふうな関わりが,実は大人にとっては極めて,言ってみれば,一般的な言葉で言うと,かわいらしいわけです。すごくかわいらしいから,通常,子どもに釘付けになってしまう。ジョイントしてしまうというのは,そういう状態なんですね。感情的に,いつの間にかつながってしまう。子どもは子どもで,大人の方に,要するにどんどん注意を向けてくる,大人も,子どもにあっという間に釘付けになってしまうという,そういうのがジョイントネスということなんですが,実は,ハイリスクで生まれてくるお子さんというのは,ちょっとこの幼児図式っていう言葉があるんですが,幼児図式というのは,元々赤ちゃんっぽい特徴のことを,幼児図式って心理学では一般的に言っています。   例えば,おでこが大きくて,あごが小さくて,目の位置というのは,例えば,普通の子どもに比べると,下の方にあったりします。そして,目の縦幅が割合大きくて,そして,目が黒目がちである。そして,手足が短いですね。体が丸みを帯びていて,ずんぐりむっくりしていて,動きはぎこちない,そういう一連の特徴のことを幼児図式といって,これが,要するに,我々人という生物種においては,無条件的にかわいいというふうな感情をかき立てるというようなことが,これは実証的に明らかにされているものです。多くの赤ちゃんというのは,こういう幼児図式というのをふんだんに持って生まれてくるわけです。そういうただでさえかわいい赤ちゃんというのが,我々の注意というのを釘付けにしていくんですね。   ただ,実は低出生体重とか,あるいは早期産で生まれてくるお子さんというのは,この幼児図式というのが,実は早く生まれてくれば,もっともっと赤ちゃんぽいかというとそうではなくて,実は幼児図式というのが非常に乏しいということが知られていたりします。それから,社会的な定位性,近くに人がいても,人の方に注意を向けるという傾向が非常に弱いということが知られています。そして,また,我々がいろいろな働き掛けをしても,なかなかそれに反応しないということが知られていて,さらには,いわゆるあーとかうーとか,あるいはにこっとしたり,ぎゃーって泣いたりっていう感情の表出自体が弱い,そして,泣いたときには,実は低出生体重のお子さん,特に極低出生体重,あるいは超低出生体重児のお子さんのその泣き声というところが,要するに,我々大人にとっては非常に不快な音声であるということも,これも科学的に検証されているんですけれども,そういうことが知られています。   何を申し上げたいかというと,こういうふうな,普通のお子さんであれば,普通に見たり,声を寄せたりしてくるというようなことがある中で,こういうお子さんたちというのは,要するに,人が近くにいても人に関心を寄せないんですね。そしてまた,働き掛けても反応をしてくれないということがあるわけです。そうすると,親側からすると,一生懸命関わっているんだけれども,反応が得られないですね。それこそ,反応が得られない,そして分かりにくい,何考えているか分からない,自分がやっていることがどう伝わっているか分からない,実はそういうふうな気持ちになってくるわけです。特に感情的な反応が得られないというのは,実は,養育者にとっては,我々が何か働き掛けをしたときに,何らかの反応が返ってくるのが,言ってみれば,やったかいがあるという感覚につながるわけです。しかし,かいがいしくいろいろなケアをしているんだけれども,子どもが反応を見せない,特ににこっていう微笑反応を見せないんですね。ポジティブな感情表出が非常に乏しいというようなことは,実は,これは,言い換えると,社会的な報酬ということが得られないということです。すごく一生懸命育児,ケアをやっているんだけれども,しかし,全然反応が得られない,特ににこっともしてくれない。実は,そういうふうな状況に長くさらされていくと,どんどん養育に対して動機付けを低下させていくということが,一般的にありがちだということが知られていて,実はこういう中で,不適切な養育,マルトリートメントというのが起こってしまうということですね。   これは,海外のいろいろな研究によればということですが,低出生体重を中心としたハイリスクのお子さんたちというのは,要するに,標準的なお子さんたちに比べると,一つの論文では,6倍そのマルトリートメントにさらされる。多く見積もっている論文になりますと,10倍以上の確率で虐待,ネグレクトにさらされてしまうという危険性があったりするということですね。要するに,ただでさえ,生まれた段階でリスクを持っているお子さんが,こういう事情の中で,養育者との関係性が徐々に希薄化していく中で,2次的,3次的にそれこそマルトリートメントなんかにさらされる中で,いろいろな問題というのを二重,三重に抱えていくという状況があるということですね。そういうことが,実は知られているというようなこと,そういうことを少し,そういうお子さんたちが,結果的には,養育放棄されて,乳児院などに入所して来ざるを得ないという場合があるということですね,そんなことを少し考えていただけるといいかなという気はします。   この辺の話というのはあれなんですけれども,実は,お母さんのおなかの中にいる段階で,まだ全然お母さんは自分の子どもを見ていない,自分の子どもを見ていないんだけれども,そのおなかの中にいる子どもに対して,どんな子どもかなという,いろいろなイメージを形成して,その子どもに関していろいろなことを語るわけですね。お母さんに語らせてみるわけです,どんな子どもかっていうのですね。そして,お母さんが自分の見たこともないおなかの中の子どもをどう語るか,その語り方の特徴というようなことを,心理学でこういう特定のコーディングシステムに従って分類したりすると,ここに安定型,非関与型とか歪曲型とあったりするんですが,安定型というのは,要するに,子どもに対しての描写が豊かで鮮明で,柔軟で,一貫した語りがあって,ポジティブな側面のみならず,ネガティブな側面に関してもバランスよくオープンに言及ができて,情緒的な関与が高くて,受容を示す,喜び,自信などのポジティブな感情が強い。別に子どもを見ているわけではないんだけれども,まだ見ない子どもに関して,こういう語りができるお母さん。それから,非関与,全然子どもに対して情緒的な関与っていうのが見られないとか,子どもからの心理的な距離が強い,余り多くを語らず,語りは最小限で,子どもに対して冷ややか,拒絶的,感情を抑制されている。歪曲型は,子どもについては多くを語るが,話にまとまりがなく一貫性に欠ける,子どもに対して激しく混乱していたり,圧倒されていたりする,ネガティブな感情表現が激しい。   こういったふうに分類をしたりすると,では,そのお母さんが,実際に子どもを産んでから,その子どもに対してどう関わりをするか,これは,子どもが生後2か月の段階の敏感性,子どものシグナルや欲求をどれぐらい的確に読み取って,きちんと応答できるかということが敏感性なんですが,この一番,要するに,左側が安定型という先ほどの,一番一般的に,標準的に普通のお母さんって考えていただいても結構なんですが,その敏感性が2か月の段階で高い,あるいはポジティブトーン,これは,要するに子どもに対してにこやかに語りかけるとか,表情を見せると,これはやはり高いですね。こういうことが,6か月に関しても言えて,結局,そして18か月のときのアタッチメントの安定性。アタッチメントの安定性というのは,子どもの健康な発達の中での最も,一番の指標だったりするんですけれども,1歳半の要するに子どものこういったアタッチメントの発達,最も,やはりこの得点が高くなっているということは,要するに健康な発達が遂げられているということですね。   何を申し上げたいかというと,もう妊娠期の段階から,その子どもに対するイメージというところで,その後どういうふうに親が子どもに対して関わり,そして子ども自身がどう発達していくかというようなことが,ある程度予測できてしまうということですね。そういう意味からすると,関係性の根っこというのはかなり早い段階にあるということ,ちょっとそれを知っていただきたいということであります。   そして,生まれてきてからというところでいうと,このアタッチメントというのが,やはり非常に重要になってきます。そして,ちょっと,特に養子とかということに関して言うと,この剥奪研究ということに関して,少し知っていただいてもいいかなということでお話をさせていただこうかと思いますけれども,剥奪研究というのは何かというと,普通だったら経験できて当たり前のことが奪われてしまったときに,子どもってどうなってしまうかということが,剥奪研究ということになります。普通だったら経験できて当たり前のことが,経験できなくなってしまったときに,それがどれぐらいのダメージを子どもに対して及ぼすかということですね。言い換えると,恵まれない環境の中で育った子どもというのが,その後どうなっていくかということに関わる研究ということになります。   この研究の歴史というのは,もう1世紀以上あります。100年前から,恵まれない環境で育ったお子さんたち,劣悪な,例えば施設というところで育ったお子さんたちですね,かなり早くから,そのお子さんたちの発達にはいろいろな遅れ,歪曲,あるいは子どもたちの問題行動,あるいは乳児死亡率が極めて高い,そういうことが知られていたわけです。何で劣悪な環境の中で育つということが,子どもの発達を大きくゆがませてしまうか,それに対する関心というのは,昔から非常に強くあって,様々な研究がなされてきたということがあります。でも,1世紀以上の歴史がある研究なんですが,21世紀になっても,そういう研究というのは,今なお続けられています。   それこそ,21世紀に入って,現代科学の粋を集めてなされた剥奪研究の一つに,これは4年ほど前に出版された本なんですが,「ルーマニアの捨てられた子どもたち」というタイトルになっています。捨てられたお子さんたちなので,施設というところで生活をしているんですけれども,これはBEIPという研究の中間成果をまとめています。BEIPというのは,ブカレスト・アーリー・インターベンション・プロジェクトという,これは,この施設,ルーマニアの施設で育っている子どもたちの発達に,やはりかなりいろいろな問題が認められるという中で,国際的な研究チームというのが立ち上がって,なぜその施設で育つということが子どもの発達にそうした傷を与えてしまうか,あるいは,どうやったらそういう子どもたちの発達をうまく改善させることができるか,そういうふうなかなり大型のプロジェクトの研究であります。その中間成果をまとめた本ということになるわけです。   ルーマニアというところは,1989年にルーマニア革命がありまして,そこで,御存じのようにチャウシェスク政権が崩壊したわけです。チャウシェスク政権時代の施設というのは,極めて劣悪だったということが歴史的には知られています。御存じのように,チャウシェスク政権というのは矛盾した政策をとっていて,要するに,国が貧しい,国民一人一人が貧困にあえいでいる中で,人口増加政策ということです。子どもをたくさん産めば表彰する,逆に中絶なんかをすると罰するという。そういう中で,子どもの数はどんどん増えていく。しかし,家庭が貧しいということは,子どもを育てることができないということなので,大量の捨て子が発生してしまって,その捨て子たちは,基本的には施設というところで育つことになる。その施設が十分な条件を備えていればいいんですが,チャウシェスク政権時代の施設というのは極めて劣悪で,ろくに栄養をもらうこともできないということですね。赤ちゃんであれば,ミルクというようなことさえも十分に与えてもらえないことがある。時に,恐ろしいことに,そのミルクの代用に,大人の血液が注射されるということもあったというようなことも知られているというんですね。   そういうチャウシェスク政権時代の実は施設で育ったお子さんというのが,心理学とか教育学の中では非常に有名なんですね。実は,その当時の施設で育っていたお子さんというのは,余りにもやはり悲惨な状況で育っている。それに対して,やはりチャウシェスク政権が崩壊した段階で,全世界にニュースなどを通して,その子どもたちの悲惨な状況が知らされる。そうすると,イギリスとかカナダとか,あるいはアメリカの心ある人たちが,そのお子さんたちを国際養子縁組という形で引き取って育てるということが,非常にたくさん行われることになります。そうやって引き取られたお子さんというのは,今は30ぐらいになっていますね。   そのお子さんたちがどうなっているかという研究も,実は今なお続けられています。続けられているんですが,ただ,この本に描かれている子どもたちというのは,ルーマニアのチャウシェスク政権時代の施設ではなくて,今のルーマニア政府の下で運営されている施設で育っているお子さんたちです。21世紀になってから生まれた子どもたちで,施設で育っている。2000年に余りにも国際養子縁組が増えたということで,現ルーマニア政権というのは,原則国際養子縁組というのを禁止するんですね。そういうふうな中で,国内で恵まれないお子さんたちを養育する必要が,再び強まってくる。そういう中で,こういった施設というところを,やはりきちんとチャウシェスク政権時代の過ちを繰り返してはいけない。ですから,新しいルーマニア政府というのは,環境条件の改善に努めるわけですね。環境条件の改善に努めます。ですから,この子どもたちは,実際のところ,物理的な環境という観点でいうと,かなりきれいな衛生条件が整ったところで生活ができています。栄養もしっかり管理されていて,成長するのに十分な栄養を摂取することもできます。もちろん,暖かい毛布で眠ることができる。遊ぼうと思えばおもちゃもあれば,読もうと思えば絵本もあるという状況ですね。少なくとも,生きていく上で必要不可欠な欲求,食べたいとか飲みたいとか,暖まりたい,眠りたい,その生理的な欲求に関していうと,十分にそれを満たしてもらえる条件下にいるお子さんですね。   しかし,そうでありながら,この子どもたちの発達には非常に,著しい遅れとゆがみが認められる。なぜそうなってしまうか,何が足りないかというと,結局人の手による温かいケアというところが,要するに不足しているわけです。物理的な環境というところにはある程度恵まれていても,人的な環境というところが圧倒的に不足しているということですね。そもそも子どもの数に対して,そのケアをする大人の人が非常に少ない。最悪の条件の施設になると,20人ぐらいの赤ちゃんに対して,そのケアをする大人の人というのはたった1人だったりします。1人の大人が20人の赤ちゃんを前にして何ができるかということですね。日本のゼロ歳児保育というのは,3人の赤ちゃんに対して1人の保育士さん。それでも,細心の注意を払って,非常に高負担な仕事になります。それと比較したときに,20人の赤ちゃんにたった1人の大人の人で何ができるかというと,そこで行われることは非常に不自然な養育,保育ということに,もうならざるを得ないわけです。   全てが一斉です。御飯を食べさせるとき,みんな一緒,これは分かりますね。でも,シャワーを浴びさせる,お風呂に入れる,これはかなり危険です。一番やはり驚くのは排泄です。うんち,おしっこですね。みんなしたいタイミングが違うはずなんですが,基本的に,おまるを一列に並べて,そのおまるの上に一斉に子どもたちを座らせて,強制的に用を足させようとします。逆に言うと,この子どもたちは,一人一人の個別の欲求,あれしたい,これしたい,これ嫌だ,これをことごとく無視されます。ちっちゃい子どもですと,当然ですが,容易に怖がります。容易に不安がります。ぎゃーって泣いても,基本的には,この子どもたちはほとんどそれを誰かに聞いてもらって,抱っこされて慰めてもらうということをしてもらえないわけです。泣き声を上げても,放っておかれてしまうということですね。   実は,この子どもたちにとって,要するに,決定的に何が足りないか,何が最も申告な剥奪かというと,このアタッチメントの剥奪ということになります。アタッチメント,アタッチすること,日本語では愛着という言葉で呼ばれることの方が多いかもしれません。ただ,最近は,もう英語をそのまま片仮名に置き換えてアタッチメントと言うことの方が多くなってきているかもしれません。アタッチメント,意味はアタッチすること,くっつくということです。ただし,これ,誰かれ構わず,いつところ構わずくっつくのがアタッチメントではなくて,基本,怖くて不安なときに,特定の信頼できる大人の人にくっついて,もう大丈夫だって安心感に浸ること,これがアタッチメントです。要するに,通常の環境の中で育っている子どもであれば,多かれ少なかれ経験できて当たり前のもの,これがアタッチメントですね。そのアタッチメントが経験できなくなってしまうと,心のみならず体も含めて,その発達に非常に甚大な遅れとゆがみというのが生じてしまう。   これは,要するに,この21世紀になって行われた本当に現代科学の粋を集めた研究ですね。いろいろな測定がされています。脳の中でどんなことが起きてしまっているのか,あるいは,細胞一つ一つのミクロなレベルでどんなことが起きているのか,そんなことも含めて検証がなされているんですけれども,そういう現代科学の粋を集めた研究の中でも,やはり確認されることは,このアタッチメントというようなものが経験できないときに,実は心と体,両面にやはり深刻なダメージが及んでしまう。普通に食べて,飲めて,暖かい毛布で眠れて,生理的な欲求を満たしてもらえている子どもであったとしても,育たない,発達しないというようなことが分かってきているということがあるわけです。   そして,もう一つ申し上げると,この研究というのは,実は,ただそういった発達がなぜ遅れるか,ゆがむかということだけではなくて,どうやったら,その子どもの発達を改善させることができるかというのを,同時に研究をしているわけですね。同時に研究をしています。ですから,一部の子どもたちは,途中から里親さんの元に託されます。里親さんの元に託されて,普通の家庭的な環境の中で育つことができるようになります。ただ,この研究は非常に徹底しておりまして,施設に残る子どもと,そして里親さんに託す子どもというのを,ランダム割当をします。これは,通常あり得ない話ですね。基本的には,やはり里親さんの方がそのお子さんを選んで,引き取って養育をする,これが一般的です。   ただ,そうなってくると,今までも実は,途中から里親さんとか養子として引き取られたお子さんとそのまま施設に残ったお子さんで,その後の発達がどれぐらい違いがあるかという研究はたくさん今まで行われてきています。当然,途中から里親さんに託されたり,養子に出されたお子さんの発達の方が優れるということが,実際に検証されているわけです。ただ,そのときにずっと言われ続けてきたのは,結局,引き取られた段階ですね,その一番のスタートラインにおいて,結局引き取られたお子さんの発達というのが,より好ましい状態にあったということですね。要するに,当然ですが,体が大きくて丈夫そうだから,きっとこの子どもはこの後健康に育つだろうなという,そういう気持ちで引き取ったり,あるいは,笑顔がかわいらしいから,これから一緒に生活したら楽しいだろうな,そういった,もちろん里親さんや養親の方の気持ちというところで,そのお子さんたちがやはり引き取られるということになるわけです。そうすると,実は,ベースラインとして,施設に残るお子さんと,里親さん,あるいは養親の元に移っていくお子さんというのは,スタートラインですごくもう発達的に大きな違いがある。違いがある中で,その後比較をしても,結局初期の違いがそのままずっと後になっても続いているだけということが,ずっとそうした研究の中では指摘されてきたので,そういう中で,この研究というのは,そこの部分を徹底して,もちろん里親さんに了解を得た上でランダム割当をするわけです。どの子どもが結局自分の元に来るかって分からない状況で,そのお子さんたちを受け入れるということです。要するに,里親さんの元に移るお子さんも施設に残るお子さんも,基本的にスタートラインは同じです。同じところから出発して,その後,里親さんに引き取られた場合に,どれぐらい発達的に伸びがあるか,そんな検証をしていたりします。   そうすると,実は,やはり,もちろん里親さんに託されたお子さんの方の発達は優れる傾向があります。ただ,これ,時期に関係します。どれぐらいの時期に里親さんの元に託された場合に,その発達の回復というのがより大きいか。実はそういうふうな中で,この研究の中で分かってきたことというのは,一つ,やはり2歳よりも前の段階で里親さんの元に移された場合においては,その発達の回復,改善というのは非常に大きい。しかし,2歳を超えて,更に年齢が高くなってからということになると,徐々にやはりその伸び幅,伸びしろというのがどんどん小さくなっていくというようなことも,こういう研究の中で指摘されていたりするということがあります。   実は,こういうふうな研究知見というのが,やはり,それこそこういうふうな施設というところで育つというのが子どもの発達によくないんだという,だから,家庭的な養護の方がいいなという,だから,乳児院よりも里親さんの方がいいなということの論拠にされてしまうということがあるんですが,ちょっと一つだけ申し上げておくと,日本の施設というのは,こんな施設は絶対あり得ないわけで,日本の施設というのは,むしろ家庭でいろいろなやはり心の問題,身体的な問題を持ったお子さんをケアするところとして機能しているのが,乳児院です。日本の乳児院なので,そこは,間違えていただきたくないという気がします。このお子さんたちも,早い段階から家庭の中で育っていないお子さんですね。本当に劣悪な,それこそ,ぎゃーって泣いても放っておかれてしまうようなお子さんって,極めて例外的に劣悪な環境の中で育ったお子さんの場合に,では,どれぐらいのタイミングで家庭的な環境の中に移ることができたら,その後の発達というのが比較的健康な形で回復していくか。それは,もしかしたら2歳というのが一つの目安になるかなというようなことを結論しているということですね。ちょっと日本の乳児院と同列に並べて考えることだけは,そこだけはやめていただきたいなと思ったりします。   実は,そういって里親さんの元に託されると,概して,特に早い段階で里親さんの元に移されたお子さんたちの発達の伸びしろというのは大きいんですけれども,ただ,全てがうまくいくかというと,そうでもないということもやはり分かってきています。   実は,言葉の発達,実は里親さんの元に移されると,それまで全然言葉を一言もしゃべれなかった子どもが,あっという間にしゃべれるようになったりします。おしゃべりの発達とかということに関して言うと,実はすごく,そこには好影響が出たりします。あとは,身体的な健康とか身体的な成長ということに関しても,里親さんの元に託されると,ぐっとそれが伸びたりするわけです。そういうふうに発達的に大きく改善される側面がある一方で,実は,なかなかやはりその改善というのが認められずに,比較的長くダメージが残ってしまうという心の領域もあるということも,また分かってきたということがあります。   それが,ちょっとここに書いた,自己と社会性と書かせていただいたものです。ここへのダメージというのは,特に心身発達の中でも,実は大きい,深い,根深いというようなことが分かってきたということです。自己と社会性って何かということなんですが,自己に関わる心の力というのは,言ってみれば,自分を大切にして自分を高めていくための力と考えてください。言葉の中に自というのが入っているのが大体自己に関わる心の力で,自尊心とか自己肯定感とか自制心とか,グリットというのは自制心の一種,自分をコントロールするということの延長線上で,意欲を持って粘り強く頑張るという力がグリットと言われたりするんですが,あとは,自律性とか自立心,こういったものが,言ってみれば自己に関わる心の力の代表です。   社会性というのは,言ってみれば,集団の中に溶け込んで,人との関係を作って維持していくための力ですね。平たく言うと,人とうまくやっていくための力ということになります。でも,人とうまくやっていくためには,人の心が理解できるという必要があるという,心の理解能力や,あるいは,誰かが困っていたら,かわいそう,助けてあげなければ,共感性,思いやり,あるいは集団の中で生活をしていくためには,助け合って強調するということ,何がよくて,何が悪いかがきちんと判断できる道徳性,あるいはルールや決まりということを理解して遵守できる規範意識,こういったものが社会性に関わる心の力ということになるんですが,実は,いろいろな側面にダメージを受けるんだけれども,特にやはり深刻なダメージというのが,この自己と社会性というところに生じるというようなことも分かってきたということであります。   これは,結局何なんだろうか。要するに,そういう剥奪にさらされた子どもが,途中から里親さんの元に移されても,時に,この自己と社会性というところの発達というのは,比較的やはり難しいものとして,もちろん改善されていくんですけれども,なかなかここで,ここの自己と社会性というところに受けた傷というのが,比較的それをうまくその後回復させたり,改善させていくというふうなところには時間がかかって,いろいろな配慮が必要になるということが知られているということがあります。何でかというと,結局自己と社会性の根っこにあるものって何なのかというと,結局この自尊心とか自己肯定感,一般的には自分の力に自信が持てるとか,自分を肯定的にきちんと感じて自分が好きでいられるというようなことが,自尊心とか自己肯定感と呼ばれるものだったりするわけです。   でも,実は,心理学の中では,自尊心とか自己肯定感の究極の根っこ,根底部分にあるものは何かというと,素朴に自分って人から愛してもらえる感覚だと言われています。それこそ,ぎゃーって泣いても,人は決して自分を見捨てたりしないで無条件的に受け入れてくれる,どんなに激しく泣きわめいても見捨てられずに,きちんと受け入れてもらえる,愛してもらえるということは,それだけ人にとって自分が大切な存在なんだ。要するに,子どもが自分の価値というようなものを感じるのは,どんな状態であっても自分が受け入れられるという。ぎゃーって泣きわめいても,決して見捨てられない,こういう中で,人にとって自分って大切だ,自分って価値がある,これが,実は自尊心とか自己肯定感の究極の根っこって,よく言われるわけです。   社会性の根っこというのは,これは当たり前といえば当たり前ですね。要するに,人とうまくやっていくための大前提というのは,基本的には人が信じられるということです。素朴に人が信じられるということです。でも,考えてみると,このお子さんたち,怖くて不安でぎゃーって声を上げても,誰にも応えてもらえない,ちっちゃい子どもが,赤ちゃんがぎゃーって泣くっていうのは,助けてと言っているのと一緒なわけです。助けて,助けて,助けてと,何回泣き叫んでも誰も助けてくれない。そういう中で,助けてと言っても助けてなんかもらえないのが自分なんだ,助けてもらえないということは自分に価値がない,愛してはもらえない,自分には価値がないという絶望感,あるいは,助けてって言っても,助けてなんかくれないのが人なんだ,人に対する不信感,これが,実は幼少期の段階で,この子どもたちの心の根っこに固まってしまうんですね。   実は,先ほどちょっと標準的な発達というところの一番最初に,基本的な信頼という言葉を書かせていただきましたが,あれが正にそれですね。要するに,怖くて不安なときにくっつけるという,そして,安心感に浸れるというごく当たり前の経験の中で,自分自身が愛してもらえる,そして人って信じていいんだ。実は,これが人間の発達の要するに一番の土台になるというようなことが,一般的には言われているんですけれども,こういった劣悪な環境の中で人生を出発させた子どもたちというのは,その土台形成に失敗してしまうというようなことが知られているわけですね。   そんなことが実は言われてきていて,今,世界のいろいろな教育に関わる議論の中で,この自己と社会性という心の力というのを,特に乳幼児期の中で身に付けておくということの重要性というのが非常に強調されてきています。この自己と社会性というのは,言い換えると,いわゆる非認知という言葉で言われるものです。実は,非認知という言葉は,御存じかもしれませんが,2000年にノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘックマンという人が最初に使ったということ。ヘックマンという人,御存じかもしれませんが,教育経済学の大家であります。この人の研究テーマというのは,人生のどの時期の教育にお金をつぎ込む,費やせば,一番効果が大きいか。もちろん,この場合の費やす,つぎ込むというのは,一家庭当たりで,そのお父さん,お母さんがその子どもにというだけではなくて,いわゆる国とか自治体というのが公的な資金というのをどれぐらいやはり投入するか,それを含めた話であります。   結論から申し上げると,この人の主張というのは,就学前,義務教育前,乳幼児期の子どもの教育に投資をするということが,際立って効果が大きいということ,これをいろいろなデータに基づきながら,いろいろな解析に基づきながら結論をしていったということがあります。そして,さらには,結局乳幼児期の教育がなぜ重要かというと,要するに,その後の大人になってからのその人たちのwell-being,心と体の健康であったり,あるいは経済的な安定性ですね,所得,こういったものというのが,いわゆる幼少期の認知能力,頭のよさ,頭のできという力を身に付けることよりも,先ほど申し上げた非認知,自己と社会性という力を身に付けるということによって成り立っている,これも,もちろんいろいろな実証的な知見というものの裏付けがあってなされているんですけれども,実はその自己と社会性というのは,こういったものが今非常に注目されているんですね。   そして,実は,この自己と社会性ということの根っこというのが,結局何によって子どもの中に身に付くかというと,実はこのアタッチメントを通して身に付くというようなことも,今検証されてきているということがあります。この辺はちょっとあれなんですが,要するに,乳幼児期が重要だ,結局土台として非常に重要だ,土台形成,そして,土台は土台でも非認知,認知的な能力,頭のよさ,頭の出来というのを早くから身に付けるよりも,自己と社会性というほうの土台を身に付けておくということが,結果的にwell-beingであったりとか,あるいは学力ですね,その後の小学校以降の学力とかに関しても,実は相当な影響力を持っているなんていうことが,実際明らかになっていたりします。特に,こういうようなこというのは,OECDがこの重要性を非常に今声高に叫んでいるということがあったりします。   ちょっとそんなところはあるんですが,それで,アタッチメントですね。もう申し上げたんですが,アタッチメント,子どもは容易に怖がって不安がります。泣きながら身近な誰かにくっついて安心感に浸ろうとする,ごく当たり前のことです。このごく当たり前のことが,どれぐらいやはり確実に安定して経験できているかということが,どうも生涯にわたる心身の健康の発達の鍵になるというようなことが,分かってきているということなんですね。   結局,アタッチメント,怖くて不安なときにくっついて安心感に浸る,特定の誰かにきちんとくっついて,もう大丈夫だという。幼少期の段階でしっかりとくっつくという体験ができている子どもほど,くっつくことがきちんと体験できている子どもほど,実は,ここにちょっと見通しという言葉を書きましたけれども,これは何かというと,何かあったらそこに行けばいい,何かあったら,あの人めがけてギャーッと泣けば,あの人はすぐ自分のところに飛んできて,絶対に自分のことを助けてくれるはず,守ってくれるはず,そういう見通しですね。幼少期の段階で,怖くて不安なときにくっつくことができて,そして安心感に浸るという経験ができている子どもは,この見通しという感覚を非常に確かな形で身に付けることができるようになると,一般的に言われています。   そして,一たびこの見通しという感覚が子どもの中に成り立つと,子どもはその見通しに支えられて,どんどんいろいろなものにチャレンジできる,一般的には探索,エクスプロレーションができるようになるということですね。要するに,戻っていく拠点というのができると,その拠点というものを支えにして,子どもというのはいろいろなものにチャレンジする,自分の可能性の幅を広げていくことができる。特にちっちゃい子どもというのは好奇心の塊です。あれやりたい,これやりたい,あっちにも行きたい,こっちでもこれやりたい,正に好奇心の塊ですが,一方で,ちっちゃい子どもというのは,恐怖,不安の塊でもあります,でも怖い,不安,行けない。   結局,幼い子どもというのは,その好奇心と恐怖,不安の間を絶えず揺れ動いているということになります。ただ,子どもが成長するには,その恐怖,不安に打ち勝っていくということが必要になるわけですけれども,その恐怖,不安に打ち勝つときに一番重要なのが,この見通しという感覚になるわけですね。それこそ子どもというのは,昨日まではそこまでしか行ったことがない,その先すごく気になるけど,暗いし,何がいるか分かんない,もしかしたらお化けがいるかもしれない,お化けがいたらどうしよう,怖くて行けない。でも,行って何があるか確かめてみたい,好奇心と恐怖,不安というところに,いつも引き裂かれてある。しかし,あるとき,お化け怖い,お化け怖いけれども,お化けいたらいたで,そのときにぎゃーって泣けば,絶対お母さん,お父さん,自分のところに飛んできてくれるはず,だったら,今日行っちゃおうかな,行っちゃえ,行っちゃうということで,一歩踏み出す。こういう形で,子どもってどんどんどんどんと自分の探索の幅を広げていくという。   これが,実は子どもの自律性とか自発性の発達だって,よく言われたりするんですね。言い換えると,どんどん1人でいられるようになるんですね。どんどん1人でいられるようになる。これ,よくアタッチメントの逆説,幼少期の段階で怖くて不安なときに,きちんとくっつくということが経験できていた子どもほど,結果的に,余り人にべたべたくっつかずに,人に依存せずに,どんどん1人でいられるようになる。くっつくということが体験できていた子どもが,結果的にはどんどん自律性というものを,これを獲得していくという。時々,我々大人というのは頭だけで考えて,この子どもには早く自立してほしい,独立して何でも1人でできるようになってほしい,だったら,赤ちゃんの段階から,少々泣いていても放っておくぐらいが,子どもをたくましくするにはいいのではないか,そんなふうに考えてしまったりすることがあるわけですけれども,現実にそんなことをやったら,子どもというのはむしろくっつくということに執着をします。要するに,拒絶すれば拒絶するほどくっつくことに執着して,実は自律性という感覚を身に付けるということには至らないんですね。そういうことで,このアタッチメントいうのは,自律性の発達というところに非常に重要な役割を果たすと言われるわけです。   こうしたことを,よく安心感のCircle of Securityというようなものになぞらえて考えることがあるんですけれども,要するに,この二つの手の平というのが,言ってみれば,子どもにとって信頼できる大人の人ということになるわけです。信頼できる大人の人,その信頼できる大人の人を,子どもは,一つは安心の基地にする。要するに,自分が何かの冒険や探索に出かけていくときの基地や拠点にする。しかし,時々やはり何かにつまずいて痛いとか,夢中になって遊んでいたら真っ暗になっちゃった,怖いとか,知らない人が突然出てきた,びっくりした,怖い,一たび怖くなって不安になると,動きのベクトルを反転させて,あそこに行けば絶対大丈夫という,この安全な,今度は同じ人が避難所の役割を果たします。その避難所目がけて駆け込んでいく,そして,ここで慰められて,要するに感情を立て直す,そして元気という燃料補給を受けて再び出ていく。そして,また怖くなって,また戻る。言ってみれば,子どもの日常生活というのは,この輪っかの上をひたすらぐるぐるぐるぐると回り続けるようなものだ。非常に当たり前のことです。当たり前のことを図にしたにすぎないものです。ただ,結局この輪っかがどれぐらい,要するに,円滑にスムーズに自然に回っているかということが,実は子どもの心身発達の鍵なんだというようなことですね。そういうことが,実は科学的に検証されてきているということがあります。   そして,実は子どもが成長するって何かというと,言ってみれば,この輪っかが徐々に膨らんでいくこと,大きくなっていくこと,拡張していくことです。ゼロ歳,1歳の輪っかは非常にちっちゃいわけです。すぐ怖くなって,お母さんの膝の上に乗っかろうとする。これが,2歳,3歳,4歳,5歳,小学生,中学生,どんどん広がっていくというのが,子どもの成長,発達です。実は,この輪っかが広がっていくというのは,言い換えると,どんどん1人でいられる時間が長くなる。1人でいられる力,能力がどんどん拡張して,1人でいられる時間が長くなる。言い換えると,自律性がどんどんどんどんと高まっていくということを意味します。   輪っかが広がっていくというのは,別の見方をすると,現実的な意味で,この基地や避難所に,物理的な意味で戻る必要がなくなるということを意味しますね。物理的な意味では,ここに戻る必要がなくなる,しかし,この基地や避難所が,物理的な意味でそれほど戻る必要がなくなったからといって,本当に,いわゆる見通しという中からなくなってしまっていいかというと,それは絶対あり得ないわけです。これ,実はアタッチメントという考え方は,子ども限定の考え方ではなくて,これは,元々生涯発達の理論として提唱されています。人間というのは,何歳になってもこの基地,避難所というようなことを必要とする,そして,現実的には,その基地や避難所ということを一つの拠点にして,私たちというのは,この輪っかの上を実は回り続けているようなものだ。   大人の場合は,子どもと違って,物理的な意味で弱ったとき,落ち込んだとき,誰かに身体的にくっついて安心感に浸るということは,基本的には余りないわけですね。ただ,要するに,私たちの見通しの中でも,何かあったときに,さすがにあの人だったら,自分のことを助けてくれるのではないか,さすがにあの人ぐらいは見捨てずにいてくれるのではないか,そういうふうな中で,私たちというのは,現実的にその人に物理的に別にくっついて話をしなくても,実はそういうふうな支えがあるというふうな中で,健康な生活ができているということが,よく指摘されたりします。   現実的に,要するに,私たちが生涯経験し得るライフイベントですね。標準的な意味で,私たちが経験し得るライフイベントの中で,最もストレスフルなライフイベントは何かというと,これは,配偶者に先立たれるということが,我々が経験し得るライフイベントの中で最もストレスの度が高いというようなことが,これは心理学の一つの常識になっています。心理学だけではなくて,これは,医学の中でも常識であります。それは,実際やはり配偶者を失ったときの,その直後の6か月というのは,心理的に落ち込むというだけではなくて,身体的にも病気になって,そして現実的に死に至ってしまうリスクが非常に高まるということが検証されているということです。それは何をここで言いたいかというと,結局,大人になっても,いて当たり前の人というのがいなくなったときに,この基地,避難所というのがなくなってしまったときに,見通しから消えてしまったときに,非常に脆弱だということを意味しているということであります。   だから,逆に言うと,それぞれの時期に,実はこの基地,避難所ということが確保されていると,実は,人間というのは意外に,割にレジリエントでたくましく生活ができるということをも意味するわけです。そんな考え方だということを,少し押さえておいていただけるといいかなという気がします。   結局,アタッチメントという中で,子どもって,要するに感情の調節,立て直しをしてもらいます。怖くて不安なときにくっついて,そして,感情を立て直してもらえるという中で,言ってみれば,先ほど申し上げた人って信じられる,そして自分って愛してもらえる,そして,1人でいられる力,自律性とか,あるいはいろいろなものにチャレンジができるという心のたくましさ,こういうものを身に付けていくことができる。でも,一方で,アタッチメントというのは,それだけの働きではなくて,怖くて不安なときに,我々大人というのは,ただ子どもの感情を立て直すだけではなくて,調律や映し出しをするともよく言われています。調律って何かというと,正にピアノの弦の調律と一緒で,同調,共感するということであります。調子を合わせていくということであります。要する,子どもが何かにつまずいてすごく痛そうな表情をしている,そしてぎゃーって泣いて,自分に駆け込んできたときに,我々はその痛そうな表情を見た瞬間,思わず自分自身が瞬時痛そうな表情になってしまう。特に親という存在が,自分の子どもが本当に痛そうな表情をしたら,やはり痛そうな表情に瞬間的になってしまうということがあるかと思います。こういうのが,言ってみれば調律です。でも,大人が痛そうな表情になっちゃうということは,要するに,大人が鏡になって,子どもの痛そうな表情を映し出してあげているということを意味しています。   こういうこと,実は日常の中では頻繁に生じているわけですね。調律して映し出すということが,頻繁に生じています。実は,表情だけで映し出すわけではなくて,言葉を通して映し出すということもするわけですね。痛そうな表情になってしまうと同時に,我々大人は,ああ,痛かったねという言葉も発している。1人で何か部屋の隅でしくしく泣いていると,寂しかったと言ったりする。ぐったり疲れている子どもの様子を見たときには,だるいのという言葉掛けをしたりするわけですね。要するに,言葉を通して映し出すということも,思わず私たちはしているわけです。これは,言い換えると何かというと,子どもの心や体の中で起きていることに,一番ふさわしい言葉,ラベルというのをジャストタイミングで張ってあげているということの一種なんですね。要するに,自分の心や体の中で起きていることを,絶妙なタイミングでそれにふさわしい言葉を,子どもは張ってもらうわけですね。張ってもらうということが,実は,これが心の理解能力というところに極めて重要な働きをするとい,ごく当たり前のことなんですが,その中で,子どもって,いわゆる心の理解の力であったり,共感,思いやりとか,こういう力というのは,実はこの調律,映し出しという中で身に付くというようなことが言われているということを,ちょっとその辺りを知っていただけるといいかなという気がします。   言ってみれば,結局ここに書いたようなものというのが,先ほどの自己と社会性とか,非認知と呼ばれる自己と社会性の一番ど真ん中にあるような心の要素というのが,言ってみればこういうアタッチメントの何気ない大人からの働き掛けの中で,子どもの中にもたらされるという,そういうことであります。だから,逆に言うと,このアタッチメントが十分経験できないということが,要するに,子どもの発達には非常に大きいダメージになっていくということでもあります。   ちなみに,アタッチメントというのは,心の発達だけではなく,脳とか身体,ここは,実は最近最も研究が進んでいる分野でありますね。基本的に,アタッチメント,何で身体への影響も強いかというと,基本的に怖いという感情,怖くて不安なときのくっつきがアタッチメントというであるとすると,恐怖という感情は何かというと,恐怖という感情にとらわれると,私たちは一気に心拍数が上がります。心拍数が上がる,心臓がドキドキ,バクバクするということなわけですよね。要するに,これって何かというと,心臓がフル稼働して,そして大量の血液というのが血管に押し出され,そして体の隅々まで血液が行き渡る中で,とっさに私たちは筋肉を動かして逃げることができる。言ってみれば,恐怖という感情は,逃げるための身体的な緊急反応なわけです。ちなみに,怒りというのは,戦うための身体の緊急反応と言われていたりするわけです。緊急反応というのは,それだけ体のあちこちに負荷が掛かっているんですね。心臓や血管とか内蔵とか,そういったところに極めて大きい負担が掛かっています。ということは,頻繁に恐怖という感情を経験して,それが効率よく元どおりにされないと,体のあちこちに負担が掛かりすぎるという中で,確実に体の働きがむしばまれていきます。そして,我々の健康が損なわれていく,そして病気になるということがあります。   大人でも,これは普通に生じ得ることなわけですが,子どもの場合はもっとたちが悪くて,子どもの体というのは,要するに,形成途上です。これから作っていかなければいけないというふうな状態で,そういうふうな経験というものをしてしまうと,育つところが育たない。その典型が,それこそ虐待を受けたお子さんということになります。虐待を受けたお子さんというのは,人一倍打たれたり,蹴られたりして,恐怖という感情を経験しています。ということは,人一倍,緊急反応が頻繁に子どもの体に起きています。しかし,あの子どもたちは,その恐怖や崩れた身体状態,緊急反応を誰かの手によって癒やしてもらえるかというと,癒やしてもらえないまま放っておかれることが多いわけです。人一倍緊急反応が起きていながら,それを元どおりにしてもらえないという中で,実は,正に育つはずのところが育たないということが生じてくるということですね。   よく虐待を受けたお子さんというのは,心に傷を受ける。そして,その心の傷のことをトラウマと言ったりするわけです。しかし,最近は,その心の傷だけではなくて,このhidden traumaという,hidden,要するに隠れたトラウマ,体の表面からは見られない,体の内部に抱え込んでしまう発達不全です。いろいろな,要するに,身体のメカニズム,脳の回路,こういったところの発達不全というのが生じてしまうというようなことが,実際に明らかになってきていたりするということがあるわけです。   例えばということで,ここではもう時間がないのであれなのですが,HPAアクシスと呼ばれる脳の回路があります。これは,我々のストレス制御とか健康というところに非常に深く関わっているような回路です。実は,虐待を受けたお子さんというのは,その健康やストレス制御のメカニズムというところに,実は発達の問題を抱えていることが多いということですね。これが,生理的なリズムの不規則性であったり,あるいは免疫系の弱さというところにつながっているなんていうことが,今実証的に示されているということがあります。そして,現実的に,こういう実証研究もあります。   12か月,18か月の段階のアタッチメントというのが,その後,30年の時を隔てて,32歳になったときの身体的な健康とどれぐらいの関連性を持っているかということですね。実は,12か月,18か月の段階でアタッチメントが不安定だった人,怖くて不安なときに,容易にくっつくことができない,ぎゃーって泣いたりすると,うるさいからあっちへ行ってと言われて,なかなか思うようにくっついて安心感に浸るということができないようなお子さん,こういうお子さんを一般的に不安定群と言いますが,そういった不安定群というのは,普通にくっついて,そして安心感に浸って,普通に安心感の輪が回っていた子どもの安定群,その12か月,18か月の段階でアタッチメントが不安定群は,安定群の4倍多く,32歳の段階でいろいろな身体症状を訴えているというような,縦断研究の結果というのが,5年ほど前に報告されていたりするということがあります。   これが,アタッチメントの一般的な話なんですが,ちょっと知っていただきたいことというのは,先ほどの個別性というところに関わる話ということで,実は,このくっつき方というところですね。アタッチメント,怖くて不安なときに,くっついて安心感に浸る,一般的には多くの子どもが経験できているものです。しかし,全ての子どもが容易にそれが可能になっているというわけではないわけです。これが,やはりなかなかうまく経験できないお子さんもいるということですね。怖くて不安なときに,誰かにくっついて安心感に浸りたいと思うのは,人間共通の傾向です。しかし,アタッチメントには,必ず相手が必要です。相手がいて,初めて成り立つのがアタッチメントです。要するに,1人の人間がどんなにくっつきたくても,相手が嫌だよといって自分のことを受け入れてくれなければ成り立たないのも,アタッチメントです。我々大人であれば,あの人にくっつきたい,だけど,あの人は嫌だっていって私のことを受け入れてくれない,でも,あっちに,くっついてもいいよって言ってくれる人がいる,だったら,人を変えて,あの人にくっつこうかな,くっついて安心感に浸ろう,大人であれば,そういう選択ができる。   しかし,ちっちゃい子どもにそれができるかというと,子どもは親を選べません。親を選べないということは,ぎゃーって泣いたときに,嫌だよと自分を受け入れてくれない親であったとしても,その親の元でしか子どもは生きていけないんですね。ということは,子どもという存在は,親が自分に対してどう応じてくれるかということに合わせて,最低限でも安心感が維持できるように,実は行動を調整し始めるんですね。くっつき方を調整する中で,かろうじて安心感が得られるように,子どもというのは振る舞い始めます。振る舞い始めて,結果的にそこに,要するに,このアタッチメントの個人差というのが生み出されるということがあります。心理学ではこういうのを,三つとか四つのタイプ,四つのタイプなんですが,ちょっと四つのタイプは,後で四つ目はお話ししますが,ここにちょっと,回避とか安定とかアンビヴァレントってありますね。回避,安定,アンビヴァレントという言葉があるんですが,ちょっとこの回避,安定,アンビヴァレントというのが何を意味するかということですね。   実は,安定というのは何かというと,先ほどの安心感の輪というのを,ちょっともう一回見ていただきたいと思うんですが,この安心感の環。安定タイプというのは,言ってみれば,この輪っかがごくスムーズに回っているタイプと考えてください。これがごくスムーズに回っているタイプが,安定タイプと考えてください。   それに対して,先ほどの回避って書いた部分ですね,回避型って書いたこのお子さん,どういう反応を示すお子さんかというと,ちょうどこの輪っかでいうと,これぐらいの位置で止まってしまう子どもがいます。要するに,これぐらいの位置で止まって,もう泣かない,もう近付こうとしないという子どもがいます。これぐらいの位置というのは,実は怖いんです。怖くて不安なんです。怖くて不安なのに,なぜかくっつこうとしないんですね。怖くて不安だったら,ここに駆け込んで安心感に浸ればいいのに,この子どもたちは,もうここで止まってしまって,もう泣かない,近付こうとしない。怖いはずなのに,近付こうとしない,泣こうとしない。何でか。ここに距離が空いてしまうから,避けているようで,要するに回避型というわけです。この子どもたちは,日常どんな養育を受けているかというと,言ってみれば,この子どもたちというのは,時々ぎゃーって泣きながら,ここに駆け込もうとすると,それこそ,うるさいからあっち行ってよと遠ざけられたり,泣く子嫌いだから,お母さん2階へ行っちゃうと,もっと遠くへ行かれたりする。要するに,怖くて不安なときに,泣いて近付こうとすればするほど遠ざけられたり,もっと遠くへ行かれたりするぐらいだったら,泣かずに近付こうとしなければ,見えるところにいてもらえる,まだそちらの方がましなんです。遠ざけられたり,もっと遠くへ行かれるよりは,くっつけないけれども,見えるところにいてもらえたほうが,まだこの子どもたちは安心感に浸れるので,そこで,この子どもたちはもう泣かない,近付こうとしない。結果的に,でも,この子どもたちの輪っかはうまく回らないということになります。   それに対して,先ほどのアンビヴァレント型と呼ばれるお子さんって,どういうふうなお子さんかというと,このお子さん,アンビヴァレントですね。これは,うれしいはずなのに怒っているというニュアンスを持った言葉ですね。この子どもたちって,言ってみれば,この輪っかでいうと,1回ここにくっつくことができると,ここにずっととどまって,ずっとぐずって,ずっと怒って,ここからなかなか出ていくことができない子ども,これがアンビヴァレント型の子どもです。1回くっつくと,そこにずっととどまって,ずっとぐずった状態を続けるんですね。ずっと怒った状態を続ける,そして,ここから出ていけない,結果的にうまく輪っかが回らなくなってしまう。ここに戻ることができた。物理的な意味ではもう抱っこされている状態ですから,身体的には安全です。安全なはずなのに,基本的にこの子どもたちはここから出ていけない。何でなんだろうか。この子どもたちというのは,日常的な養育の中で,怖くて不安なときに戻っていると,あれ,いるはずのお母さんがいない,どこ行っちゃったの,また戻ってみたら,またいない,えっ,どこどこ。また戻ってみたら,ようやくいた,いてくれた。いたり,いなかったり,気まぐれな養育にさらされている。子どもの側からすると,いつどんなふうにすれば,自分がくっついて安心感に浸れるか,その見通しが成り立たない。いつふらっといなくなるか分からない,だったら,自分の方からくっついて回れ。だから,この子どもたちは,日常しがみつきと後追いが非常に激しくなります。そして,現実的に抱っこされながらも不安ということはどういうことか。物理的に安全な状態にたあるはずなのに,不安で仕方がない。結局,抱っこされながらも,またお母さん,どっか行ってしまうのではないの,自分はまた置いていかれるのではないの,そういう不安の中で,物理的には安全であるにもかかわらず,この子どもたちはずっとくっついて,なかなかここから出ていけない,こういうふうなタイプというのがあったりします。   実はこういうふうな,どういうふうな親子関係を持ってきたかというのが,先ほどの個別性というところに深く関わってくるということですね。でも,それ以上に多分,回避,アンビヴァレントというのは,それなりの割合,一般の子どもさんの中にも実はいるんです。実は,むしろ,そういった乳児院であったり児童養護施設というふうな中で育つお子さんの中に比較的多いのは,ここにある第4番目の無秩序・無方向型というタイプのお子さんということになります。というのは,先ほど申し上げたように,先ほど乳児院では,35%のお子さんが被虐待の歴史を持っているということ,実は,児童養護施設ですと,もう少しそのパーセンテージは高くなってしまいます。結局,この無秩序・無方向型というのは,そういう不適正な養育にさらされたお子さんに非常に多いということが,知られているものであります。どういうことなのかというと,養育者にくっつきたいのか,離れたいのかよく分からない,どっちつかずの行動を示す,フリーズしてしまう。フリーズする,固まってしまう,ぼーっとしてしまう,うつろになってしまう,近付いていこうとしたと思ったら,すぐ床に突っ伏して,もうそこから顔を上げないとかですね,結構矛盾した行動を示すということが知られています。   よくこの無秩序・無方向型というのは,特にこういう虐待とか親の抑鬱とかにさらされているお子さん,特に虐待の中で,この無秩序・無方向型のお子さんが占める割合は80%以上ということが検証されています。よく虐待というのは,こういうふうに言われることがあります。子どもにとって解決不可能なパラドクスという。解決不可能なパラドクス,意味するところは何かというと,基本的に,親という存在は,子どもが怖くて不安なときに,身を寄せる存在です。怖くて不安なときに戻っていくところ,そこが親であります。しかし,その戻っていくところが,時々自分を一番怖がらせるところになってしまう,これが逆説です。怖いときに身を寄せるところが,一番自分に恐怖を与えるところになってしまう。では,自分が怖くて不安なときに身を寄せるところが,一番の恐怖の源泉になったときに,子どもってどこに逃げればいいかって,逃げようがないんです。逃げようがないんで,フリーズするんですね。これは,飽くまでも12か月とかそれぐらいの段階のお子さんなんですけれども,乳児期の場合はこういうフリーズするということが生じてしまうんですね。こういったお子さんということですね。   よく養育者自身が何か精神的に不安定になると,その養育者が精神的に不安定になっている様子というのは,子どもからするとすごく怖い状態なんですね。そこで,やはり子どもというのが,正に解決不可能なパラドクスというところに陥ってしまうというようなことが言われています。そして,ちょっと知っていただきたいのは,この無秩序・無方向型というのは,その後,幼児期,児童期となっていくと,実はこのcontrollingという,日本語では統制タイプというものに変わっていくということが知られているんですね,統制型。要するに,子どもが大きくなっていくと,ちっちゃい赤ちゃんの段階では何もしようがなくなってフリーズするんですけれども,子どもが大きくなっていくと,徐々に分かり始めるわけです。どういうときに危ないかって,分かり始めるわけです。親の状態がどんなふうになってくると,自分に手が飛んでくる,足が出る,分かり始めるわけですね。そうすると,子どもというのは,できれば自分がvictim,親のえじきに,犠牲になりたくないわけですね。だから,親にできるだけ主導権を与えない。要するに,親に全部身を委ねていると,何されるか分からない。何されるか分からないから,ちょっとこういうところ危ないな,この様子,こういう言葉が出てきたということは,ちょっと危ないなと,要するに子どもが分かり始める,その兆候を捉えて,実はコントロールしようとするわけです。自分の方からvictimにならないためにコントロールする,要するに,主導権を与えないという,こういうのを,虐待の研究の領域では,役割逆転と言います。   これ,二つのタイプがあって,controlling/caregiving,要するに,どんどんどんどんと精神が不安定になって,どんどんどんどんとそれこそ抑鬱的になって,もう元気がなくなってくるということに対しては,子どもの方がむしろ世話を焼くという,気遣いを見せるという,controlling/caregivingというタイプ,そういうふうな行動に出る場合と,もう一つはpunitiveですね。どんどん生活が乱れてぐちゃぐちゃになっていくという親を叱り付けるという,懲罰するということでコントロールするという場合もあります。要するに,親に全部委ねていると,何されるか分からない。だったら,自分の方が兆候を捉えて,親の精神状態が崩れないようにと気遣いを見せるんですね。この役割の逆転,実は,この役割の逆転というのが,一つやはり非常に厄介です。厄介というのは,子ども自身が,例えば虐待にさらされているときに痛い目にあって,それはすごく嫌なことですよね。しかし,結局役割の逆転というのは,言ってみれば,子どもが親に対して気遣いを見せるという,あるいは親の方に,親が本来子どもの方に対して気遣いを見せるところで,子どもの方がむしろ気遣いを見せる。要するに,親からとんでもないことをされながら,実はその関係が切れないというときに,実はそういう役割に仕立て上げられてしまっているんですね。親にとっては,逆に言うと,なくてはならない存在にさせられてしまっているという状況があるわけです。だから,本当は,頭で考えると,その痛い思いをさせられるのは嫌だ,一刻も早く離れたい,しかし,一方で,自分がいないともう,親はもしかしたら生きていけないかもしれない。逆に言うと,そんなことは実際ないんですけれども,子どもはそういうふうな思い込みを持たされるということがある。さらには,先ほど申し上げたように,解決不可能なパラドクスという,結局,どんな親であっても,実は,子どもからすると,一般的に怖くて不安なときに,唯一身を寄せることができる存在でもあるんですね。自分に痛みを与える存在だけれども,自分が怖くて不安なときに,誰に身を寄せることができるかというと,結局唯一身を寄せることができるのは,その親でしかないと。この辺が厄介なわけです。非常に厄介だということです。   こういうふうな思い込みを持たされたということが,実は後々,児童期とかあるいは思春期とかになって,要するに,頭でこの状況が自分にとってすごく悪い,だけど,なかなかやはり親というところから離れるということに対する心理的な抵抗,そういうようなものにつながっていく場合もあるということですね。そんなことを考えていただけるといいかなという気がします。   あと,もっとこれが激しくなると,このアタッチメント障害というようなものに発展する場合があるということも知られています。これは,もう本当に幼児期の段階で,非常に劣悪な状態の中で育っている子どもが,反応性アタッチメント障害というのは,一言で言うと,くっつかない障害です。もう不信感が余りにも強くて,怖くて不安でも,全然誰にもくっつこうとしない。あるいは,誰かが慰めてあげようと思って近付いても,それを受け入れないというのが,この反応性のアタッチメント障害。   一方で,実は,この脱抑制型の社交障害あるいは対人交流障害というのは,これはくっつきまくる障害です。誰かれ構わずくっつくという障害です。無差別的社交性って,時々言われたりします。実は,先ほどルーマニアの施設のお子さんの話をしましたけれども,あのお子さんたちが,実は正にこの反応性のアタッチメント障害であったりとか,この脱抑制型の対人交流障害,社交障害,無差別的社交性の特徴を見せます。人懐っこい,人懐っこいということは悪いことではないのではないかと思うかもしれません。実は,でもここが問題なんですね。   実は,先ほど,ルーマニアの施設のお子さんの話をさせていただくときに,あのお子さんたちは,現ルーマニア政権下の施設という話をしたんですが,チャウシェスク政権時代,1989年に崩壊したチャウシェスク政権時代のその施設で育った子どもたちが,要するに,国際養子縁組で今,いろいろな人たちに引き取られて30ぐらいになっているという話をしました。もちろん立派になったお子さんたちもいます。しかし,大体2割から3割に,どういう対人関係の特徴が認められるかというと,実はこの脱抑制型の社交障害というのが長く残ってしまっているというケースがあるということですね。   人懐っこいということは悪いことではないのではないかという。でも,実はこの人懐っこさというのは,知らない人に対する人懐っこさです。知らない人にこそくっつこうとします。あそこに誰かおいしいものをくれそうな人がいる,だったら,くっついてもらっちゃえ,もらった,ああ,おいしかった。その段階で,物をくれた人は用済みになって,また,あそこに気持ちのいいことをしてくれそうな人がいる,だったら,くっついてもらっちゃえ,もらった,ああ気持ちよかったで,またその人は用済みになって,また別の人,こういうふうなことが繰り返されていくというのが,無差別的社交性です。逆に言うと,特定の人との間に,信頼に満ちた持続的な関係ということを作ることができないという,そういう特徴というのを長く引きずっている場合があるという。そこにあるのは,先ほど申し上げた,実はやはり,人に対する不信感と自分が結局は人からは受け入れてもらえない,愛してもらえないという感覚ですね。これが,実は大人になっても,やはり心の根っこという中に根深く残存しているという可能性が高い,そういうようなことも,実は知られているということを,少し考えてください。   ただ,これは,先ほど申し上げたように,相当劣悪な環境の中で生じるものだということも,一方で言われています。この脱抑制型とか,あるいは反応性のアタッチメント障害ですね。先ほどの,それこそルーマニアの施設ということなんですが,のような劣悪さということなんですが,実は,ちょっとそれだけだと,子どものネガティブな親との関係性ということは説明し切れないということで,要するに,別の研究者ですね,これ,実は先ほどのルーマニアの研究に関わっている児童精神科医なんかが,別の枠組みというのを作り上げています。   実は,このAのノーアタッチメント,非愛着というのは,先ほどのこれが,これとこれです。反応性のアタッチメント障害と無差別的社交性ですね。これが,いわゆるアタッチメント障害なんです。あと,一時的な愛着行動の崩れというのは,これ,例えば,どんなお子さんでも,事故で一遍に両親を失ったりすると,当然その行動が乱れたりする,そういうのがここのCなんですが,重要なのもこのCです。   通常の家庭環境の中にいても,子どもというのは,やはりかなり問題のある養育にさらされると,特異な行動を示す場合があるということですね。それが,ここに書いてあるような向こう見ず。これ,英語ではセルフエンデンジャメントと言います。デンジャーですね,危険の中に自ら飛び込んでいくというような行動です。それが何で親子関係とか関係の障害なのというかもしれませんけれども,要するに,子どもが怪我をしようとしているところで止めない大人はいないんです。要するに,自分の身を危険にさらしてまで,ほかの人の注意を自分に引きつけようとする。これが,セルフエンデンジャメント,向こう見ず型ですね。   これは,要するに自分の体を傷付けるという自傷の場合もありますけれども,要するに,他者に対する暴力という場合もあります。実は,これが,年齢が多くなると,これが非行であったりとか,そういうこともあります。あるいは薬物の使用というようなこともあります。言ってみれば,これ,セルフエンデンジャメントというのは,言い換えると,よく言われているところの試し行動みたいなところにつながることです。どこまでやっても,この人はきちんと自分のことを受け止めてくれるかということですね。正に,自分の体を傷付ける,そういう場合に,人は自分のことをケアしてくれるのか,あるいは,どんな激しく暴力を振るっても,決して昔自分の親が自分に対して暴力を振るったように,この人は暴力を振るわないでいくれるのか,どんどんどんどんと試し行動をエスカレートさせていくわけですね。それでも,自分のことを見捨てないのか,要するに,無条件的に受け入れてくれるのかということの試しというのをやるわけです,このセルフエンデンジャメント。これが,実は厄介です。   乳幼児期の試し行動は,まだ大人で制止できます。これが,でも,児童期,思春期,青年期となると,この試し行動というのは,大人では制止がなかなかできないという場合もやはり出てきます。そういう事態ということを,一つはやはり想定しておく必要があるということですね。そういうこともあったりします。   ほかにも,実はこういうものがあります。探索抑制というのは,逆にすごく体が大きいはずなのに,ずっと,むしろ自分よりも体の小さい親の元にべったりと身を寄せ続けて,そこから離れられないという障害です。過剰応諾,いつも,要するに大人の顔色を伺ってびくびくしているというような場合がこれですね。役割の逆転というのは,先ほど申し上げたような,むしろ子どもの方が気遣いを見せる。要するに,これは,別の言い方をすると,子どもが気遣いをするように親がコントロールしている,そういうふうに言ってもいいかもしれません。いろいろな場合があります。   場合によって,この探索の抑制というような場合というのは,それほど子どもに対して,虐待とかそういうことをしているわけではないんだけれども,要するに,親自身の見捨てられ不安というのが,そこに絡む場合というのがあります。要するに,自分自身,子どもがいなくなると見捨てられてしまう,だから,子どもを自分のところに執拗に置いておこうとするわけです。子どもがちょっとでも自立しようとしたりすると,それを引き止めようとするという,感情的なにかわでくっつけて,なかなか子どもというのが成長とか発達とか自律性というようなものを身に付けられない,やはりそういうゆがんだ絆というのも,これもまた後々,その新しい関係性,養子縁組なんていうことを考えたときに,厄介になってくる場合もあったりします。   過剰応諾というのは,これは,虐待までには至らないんですけれども,言ってみれば,このお子さんたちは,厳しい懲罰というところにさらされているんですね。あるいは,親による愛情撤退ですね。愛情撤退というのは,これは無条件の反対なわけですね。何か親が気にいることをしたときだけは,きちんと受け入れて愛してもらえるけれども,それ以外は全否定,捨てるぞ,置いていくぞ,知らない,そういう極端な養育にさらされているお子さんというのは,どうしても,大人の顔色という,もうびくびくしてしまうというようなことがあったりするということですね。そういうようなことがあります。   実は,どちらかというと,特にここまでの反応性アタッチメント障害とか,あるいは,この脱抑制型というような,そこまでのアタッチメント障害というものを現実的に診断で受けるようなお子さんというのは,実はそれほど多くはないんですね。むしろ,どちらかというと,ここの部分ですね,セルフエンデンジャメントという,要するに,自分で危険を冒して,それこそ試すというような行動であったりとか,あるいは探索抑制ということですね。自分が離れていくということに罪悪感を持ってしまう,罪悪感を持たされてしまうという言い方をしてもいいかもしれません。この自立しようとすると,すごく悪いって罪悪感を持たされてしまうというような場合ですね。そして,過剰応諾,要するに,親の言葉というところにすごくびくついて,何かをしないと受け入れてもらえないというふうな気持ちで居続けるという,要するに,何してもきちんと受け入れてもらえるというような気持ちになかなかなれないという,そういうようなことであったりとか,むしろこの役割の逆転,虐待なんかの場合は,この役割の逆転というのもすごく多いなんていうふうに言われることがあったりするんですけれども,こういった,要するに個別性ですね。そのお子さんたちが,それぞれの生育環境の中でどういうアタッチメントを形成してきているか,どういうつまずきを持ってきているのかというところを,配慮しなければいけないということがあります。   これは,不適切な養育という,もう少し詳細にわたってまとめたところなんですが,御存じかもしれません。虐待を受けたお子さん,例えば,こういう意識とか記憶というところでいうと,よく否認という,虐待を受けたお子さんというのは,not-me,要するに,体にあざがあったとしても,ぶたれていないよ,蹴られていないよ,そういうふうに言う。でも,別にそれって,そんなふうに親から殴られたよなんて言うと,もっと激しく殴られるということを恐れてそう言わないかというと,そうではなくて,そんなひどいことをされているのは自分ではないよと,自分ではないことにしてしまう,not-meですね。それほどひどいことされているの,自分であるはずはないという気持ちになってしまうわけです。特に性的な虐待なんかにさらされている場合は,このnot-me,自分を切り離してしまうという。これが,時に,本当に極端になると,いわゆる多重人格障害,乖離性の人格障害となったりするわけです。そこまでいかなくても,乖離性の意識障害とか乖離性の記憶障害,そういうものになったりします。   否認しながら,いや,そんなことされていないよとされながら,侵入的想起,フラッシュバック,要するに,トラウマティックな出来事というのが,突発的に記憶の中に侵入してきて,そこでパニックに陥るということがあるということですね。   あと,この対人関係のゆがみ,これは,対人関係の問題というところをまとめたものです。やはり,被虐待のお子さんというのは,この対人関係のゆがみトラブルということを抱えることがあります。特に他者理解とか共感性というところに問題を持ったり,それから,一番怖いのは,この関係性の再演というところですね。関係性の再演というのが,言ってみれば,一番怖いのがこの再被害化ということです。親以外の人からも,要するに,暴力を受けてしまうという状況を呼び込んでしまうということですね,再被害化ということです,関係性を繰り返してしまう。これは実は,言ってみれば試し行動というふうな観点から考えることはできます。要するに,怒らせて,怒らせて,怒らせて,どんなに怒らせても自分に手を上げないか。そこで,やはり余りにも行動がエスカレートすると,強く制止しなければいけないという状況の中で,時にちょっと,やはり手を上げてしまったりするというふうな中で,でも,子どもからすると,それというのは,やはりこの人だって親と同じように自分を蹴ったり殴ったりしたという。要するに,こういうのを自己確証プロセスという言葉で言ったりします。一旦自分はこういう人間,こうされる人間というふうな思い込みを固めてしまうと,それがすごく悪しき思い込みであったとしても,その悪しき思い込みがもっと強まるような行動に出てしまうという,要するに,自分は蹴られたり,ぶたれたり,基本的に人から嫌われる存在と思い込むと,もっとそういう思い込みが強まる方向に,時に行動をとってしまうというようなこと,こういうのを自己確証プロセスと言ったりしますが,虐待を受けているお子さんの中には,そういう問題を抱えているお子さんというのもいるんだということですね。   特に,やはりこの対人関係というところの問題というのが,比較的大きいと言われています。実は,これは,もうお話終わらせていただきますが,よく虐待を受けたお子さんというのは,社会的な情報処理というところにかなりのバイアスを持っているということが知られています。これは,実験的に示されていることですが,人が示すいろいろな表情の中で,虐待を受けたお子さんというのは,人の怒りの表情というところに関しては,非常に敏感であるということ,過敏であるということですね。   一方で,人が示す悲しみとか苦しみということに関していうと,相対的に鈍感であったりとか,あるいは悲しんでいたり,苦しんでいたりすると,自分の方が混乱してしまって,要するに,その悲しんでいる人,泣いている人をもっと悲しませたり,あるいは泣かせたりしてしまうというような行動も多いというようなことも知られています。そして,真顔,特定の表情が浮かんでいない真顔というのを,怒っていると,怒りと誤認識しやすいということも知られています。怒りに敏感,そして真顔を怒りと誤って認識しやすいということは,何を意味するかというと,悪意のないところに悪意を読み取ってしまうという傾向を持っているということであります。要するに,どんな人が優しい気持ちを持って近付いても,子どもの方は,その優しい気持ちというようなものを読み取るどころか,それとは反対に,自分をもしかしたら殴りに近付いてきたのではないか,例えば,そんなふうな悪意というようなもの,こういうのを感じ取ってしまう。要するに,1回悪意を感じ取れば,子どもの方がはねつけます。あるいは,そんな悪意を持った人とは関わりたくないということで,その人の元から撤退します。結果的に,そこでやはり対人関係のトラブルみたいなものが生じやすいなんていうことが知られているということですね。   あと,もう一つだけ言うと,実は虐待を受けているお子さんというのは,先ほどの調律とか映し出しもしてもらっていないわけです。怖くて不安なときに,それを共感してもらっているか,あるいは,怖いの,寂しかった,痛かったねみたいな,ああいう映し出しもしてもらっていることが少ない。そういう中で,あのお子さんたちは,実は心の理解能力というところが相対的に弱いということも知られています。自分の特に心の状態,体の状態の,これの自覚というところが弱い,それを言語化するところが弱いということも知られているんですね。要するに,映し出してもらっていないので,自分の心の中で何が起きているかということを,なかなか自覚できない。要するに,ぶたれたり,蹴られたりしていて,実は人一倍つらい状態にあるはずですよね。つらい状態にあるにもかかわらず,自分でつらいって自覚ができない。つらいって自覚ができないと,つらいっていう言葉に出せないんですね。つらいって自覚ができると,何とかしなければと,そこから逃れるための行動を起こすこともできる,つらいと言えば,人から助けを引き出すこともできる,だけど,自分で気が付かない。ということは,つらい状態にありながら,ずっとつらい状態の中に身を置き続けてしまう。置き続けてしまう中で,二重,三重にどんどん傷付いていくという,この悪循環というのもあるということですね。   ちょっと時間,もうここで終わりたいと思いますけれども,申し上げたいことというのは,今日,後半のところで申し上げたことは,かなり極端なことではあります。ただし,やはり一般のサンプル,標準,定型のお子さんたちと比べたときには,先ほど乳児院には35%のお子さんがやはり虐待の歴史を持って入ってくるよ,あるいは,6割の子どもが何らかの心身リスクを抱えて入ってくるよということを考えたときに,やはりそれぞれの子どもの固有の生育歴に由来した難しさというものが,多く伴っている場合があるということですね。   ですから,最初の結論で私,申し上げたように,標準的な発達という観点からいうと,実は,年齢の引上げというのは十分に,これはあり得る話だと思っています。要するに,例えば,それこそ乳児院,児童養護施設という中でしっかりとケアを受ける中で,ある意味,心の健康というものが十分に回復,改善されているお子さんにとっては,それこそ認知能力というようなものの中で,時間的な展望,将来的な展望ができる中で,必ずしも本当の親という認識が生じなくても,自分にとっての安心の基地であったり,安全の基地になってくれる人,これは,要するに経済的なものも含めてです。自分自身のそれこそよりどころになってくれるという人がいる,その人が自分の将来というようなものを切り開いてくれるというふうな認知がしっかりと成り立っているという状況においては,これはすごくハッピーなことかもしれません。   ただ,一方で,こういう個別のケースというところで,それぞれの難しさというものがあるときには,やはり先ほど申し上げたように,それを,要するに個別にケアする体制というのが,どこかで多分作られていかないといけないということですね。その引上げ,法的な体制がなされたときには,それと同時に,できれば,新しくできた親子関係ということを真に社会的にサポートするような,そのシステムというような,アロケアシステムというようなものも,同時に多分整備していただく必要があるのかなというようなこと,それをちょっと結論として,私自身の考えとしてお話しさせていただければと思います。   ちょっと時間,随分超過してしまいましたけれども,私の話はここまでとさせていただきたいと思います。 ○窪田部会長代理 ありがとうございました。   ただいまの遠藤先生からのお話ですが,非常に詳しくお話を頂いたということもございますし,また,遠藤先生におかれましては,アタッチメントに関しては御著書もございますので,その点については,皆さんの方でもまた勉強していただくとして,時間が限られておりますが,今この場で御質問を是非しておきたいという点がありましたらお願いいたします。 ○磯谷委員 磯谷と申します。本日はどうもありがとうございます。   もう本当に手短で結構ですけれども,2点だけ,率直な御感想を頂ければと思います。   1点は,特別養子縁組というのは,実親子関係を切断して,そして新しい親子関係を形成するというところに特徴があるんですけれども,私どもの議論の中で,それを子どもに選択をさせるということが,子どもの心理にとってどういう影響があるのかと懸念する声がございます。   一つは,子どもに決定権を持たせるのかというふうなところと,決定権は持たせるわけではないんだけれども,子どもの意見を聞くということについて,心理学的にどうなんだろうか,この点についてのお考えを,一つお聞かせいただければと思います。   申し訳ありません,もう1点なんですけれども,特別養子縁組がうまくいく要素として,養親とそれから実親との関係性について,何か先生のお考え方があれば,それも端的にお聞かせいただければと思います。 ○遠藤参考人 子どもの意思をどういうふうに,やはり尊重するかということですね。これは,やはり年齢というところに一つかかってくるというところがあると思います。   一つはやはり,先ほど申し上げたように,認知的な能力というのがどれぐらい子どもの中にしっかりと備わっているのかということですね。一般的な,それこそ標準的な発達ということを考えますと,少なくとも児童期の中期,後期という辺りにおいては,かなりの認知的な能力というようなものが,子どもの中に備わってきます。特に思春期というぐらいになってきて,青年期の前期,中学生ぐらいになってくると,もっとやはり抽象的な思考というようなこともできて,それこそif-then,何々ならばという仮定法というところが,十分に頭の中でいろいろなシミュレーションができるわけです。そうすると,自分にとって,どうすることがいいかというようなことをシミュレーションがある程度できるんですね。そうすると,そのシミュレーションというようなことに基づいて,やはりその子どもが自分なりの考えというようなことを持って,自分でその考え方に従った行動をしたいと思う場合もあると思います。   でも,そういうことがあることが,一方でなかなか,やはりそういった認知能力というのが備わっていないようなお子さんもあるということですね。そういうことからすると…… ○窪田部会長代理 多分,磯谷委員からの御質問の趣旨というのは,成熟して認知能力があるかどうかというよりは,ある人と親子関係を形成するという意思,これを尊重するというのは構わないんだけれども,特別養子において,実親との関係を切断するということの意思決定を求めるということがどうなのかということだったと思います。 ○遠藤参考人 分かりました。   実親との,これも先ほど申し上げたんですけれども,要するに,その関係性ということでいうと,先ほど役割の逆転であったりとか,あるいは探索抑制とかというふうな,それぞれのケースのやはり特殊な事情があるというお話をさせていただいたかと思います。そういう中で,子どもが,要するに親から離れるということに,時々罪悪感というようなものを持ってしまう場合があるということですね。   現実的に多分,それこそ客観的に考えたときに,親という存在が自分にとってどれぐらい必要かというような,要するにそういう認識というようなことを働かせたときには,もう,もしかしたら親との関係を切るというようなことに関して,実はそれをよしとするようなことを思うことができても,実は心情的に罪悪感を,自分がいなくなってしまうことによって,要するに,自分のメリットというよりは,親にとっての不都合というようなところで罪悪感というものを考えてしまっていて,その罪悪感,本当は抱かなくていいはずの罪悪感というものを持ったときにどういうふうに,要するに,周りの大人がそれについてのフォローをしてあげるかというところが,多分ポイントになってくるのかなという気はします。   罪悪感を持ちがちの子どもにどういうふうに,要するに,それは,実は非常に不条理な感情であるというというふうなこと,それを子どもに理解させるということができるかどうかというのが,一つのポイントになるかと思います。   もう一点が,何でしたか。 ○磯谷委員 すみません。もう一点は,特別養子がうまくいくコツといいますか,ポイントとして,養親と実親との関係性についてはどうあるべきかというようなことが,もしあればと思いました。 ○遠藤参考人 これも,それまでの,要するにお子さんの生育歴というところに由来すると思います。一番やはり厄介なのは,幼い段階でもう乳児院に入って,そして,そのまま児童養護施設の中で長く生活をしていたお子さんが,そのまま,要するにその後養子縁組という形になった場合というのは,基本的に実親との関係性というのは切れていても,子どもにとっても何の違和感もないと思います。   やはり問題になるのは,乳児院に入って,一旦実親の元に戻って,またその後児童養護施設に戻って,また,要するに,親の生活状況の改善みたいな下で戻ってという,そこを頻繁に繰り返しているお子さんということになると,なかなかやはりそういったお子さんにとって,要するに,実親との関係性というのは,先ほど申し上げた,ある種の特別な感情というか,時にそこに親を見捨ててしまうという罪悪感なども働いてしまうということがあったりしますので,そういうふうな中で,実親の方がきちんと了解してくれるのであれば,完璧に切るということではないというふうな安心感を子どもに与えた上で,要するに,実親とある意味,養親というのが頻繁に交流を持つというような意味ではなくて,その中での了解というふうな中で,子どもというのが完全に切れるということではないという安心感の下で,養親の元に安心して身を寄せるというようなこともできるのかなと,個人的には思ったりします。 ○窪田部会長代理 よろしいでしょうか。   それでは,遠藤先生,本当にどうも,長い時間ありがとうございました。心から御礼申し上げます。   それでは,今後の予定について,事務当局から御説明お願いいたします。 ○山口幹事 次回の会議の日時は,11月27日火曜日の午後1時30分からです。会議の場所は,この隣の建物の20階の会議室ということになります。   前回の部会で取りまとめられました中間試案につきましては,10月12日からパブリックコメントを募集しておりますが,11月11日にその募集期間が終わります。既に複数の御意見を頂いているところですけれども,次回の会議では,その結果の取りまとめをお示しし,その後,要綱案の取りまとめに向けて御議論をお願いできればと考えております。   以上でございます。 ○窪田部会長代理 では,よろしくお願いいたします。   それでは,本日の法制審議会は,以上とさせていただきたいと思います。   お忙しい中,大変に勉強になるお話を伺うことができたと思います。どうもお疲れさまでした。 -了-