裁判員制度の施行状況等に関する検討会(第6回)議事録 第1 日 時   令和元年7月25日(木)午後2時58分から午後5時07分まで 第2 場 所   東京地方検察庁刑事部会議室 第3 出席者    (委 員)大澤裕,大沢陽一郎,小木曽綾,島田一,菅野亮,武石恵美子,田中勝也,堀江慎司,山根香織,横田希代子,和氣みち子(敬称略)    (事務局)保坂和人大臣官房審議官,大原義宏刑事局刑事課長,羽柴愛砂刑事局参事官兼企画調査室長,河原雄介刑事局刑事法制企画官    (その他)戸苅左近最高裁判所事務総局刑事局第二課長 第4 議 題 1 裁判員裁判関係者からのヒアリング 2 その他 第5 配付資料   ・合間利氏説明資料 第6 議 事 ○河原刑事法制企画官 予定の時刻となりましたので,ただ今から裁判員制度の施行状況等に関する検討会の第6回会合を開催いたします。 ○大澤座長 本日は,皆様御多用中のところお集まりいただき,ありがとうございます。   まず,議事に入る前に,事務当局の異動がございましたので,御紹介をお願いいたします。 ○河原刑事法制企画官 事務当局のうち,東山刑事法制管理官の後任として吉田雅之刑事法制管理官が着任いたしましたが,本日は所用のため欠席いたしております。   また,是木刑事局参事官兼企画調査室長の後任として羽柴愛砂刑事局参事官兼企画調査室長が着任いたしました。 ○羽柴刑事局参事官兼企画調査室長 刑事局参事官兼企画調査室長の羽柴でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 ○大澤座長 よろしくお願いします。   田中委員も前回の会議で交代につきましては御紹介いたしましたが,本日初めての御出席ですので,自己紹介をお願いいたします。 ○田中委員 警察庁刑事局審議官の田中でございます。これまで出席いたしておりました刑事企画課長の猪原が先般の異動で転出をいたしましたので,現在事務取扱をいたしております。どうぞよろしくお願いいたします。 ○大澤座長 よろしくお願いいたします。   それでは,事務当局から本日の資料について説明をお願いいたします。 ○河原刑事法制企画官 本日お配りしている資料は,議事次第,「合間利氏説明資料」です。 ○大澤座長 それでは,議事に入りたいと思います。   本日は,前回会合で皆様にお諮りしたとおり,引き続き裁判員裁判関係者からのヒアリングを実施したいと考えております。   委員の皆様には事前に事務当局からお伝えいたしましたが,本日は犯罪被害者御遺族岩瀬正史さん・裕見子さん御夫妻,公益社団法人被害者支援都民センター佐藤真奈美さん,犯罪被害者御遺族鈴木希実さん,弁護士髙橋正人さん及び弁護士合間利さんの6名にお越しいただき,お話を伺う予定としております。   手順といたしましては,まず岩瀬さん御夫妻とその御支援をされた佐藤さんのお話を伺い,その後,質疑応答,次に,鈴木さんとその御支援をされた髙橋さんのお話を伺い,その後,質疑応答,そして,最後に合間さんのお話を伺い,質疑応答を行うという手順で進めたいと思います。   それでは,最初に岩瀬正史さん・裕見子さん御夫妻及び佐藤さんからのヒアリングを行いたいと思います。   御説明と質疑応答を含めておおむね30分から40分程度を予定しております。   岩瀬さん御夫妻からのヒアリングに先立ちまして,委員の皆様に一つお諮りしたいことがございます。この度,岩瀬さん御夫妻に対し,本検討会への御出席をお願いする過程において,岩瀬さん御夫妻の事件の裁判員裁判の裁判長を務められたのが島田委員であることが判明いたしました。私といたしましては,裁判当事者だった島田委員と事件被害者たる岩瀬さん御夫妻が同席した形では,忌憚のない御意見の聴取や率直な意見交換に支障を来すおそれが否定できないと考えるところです。   そこで,誠に恐縮ではございますが,島田委員には,岩瀬さん御夫妻のヒアリングの間に限って御退室いただくのがよろしいかと考えておりますが,島田委員始め各委員の皆様におかれましても,そのような進行とさせていただくということでよろしいでしょうか。 (一同了承)   ありがとうございます。それでは,そのような進行とさせていただきます。   誠に恐れ入りますが,島田委員におかれましては御退室をお願いいたします。 ○島田委員 承知いたしました。 (島田委員 退室) (岩瀬正史氏,岩瀬裕見子氏,佐藤真奈美氏 入室) ○大澤座長 岩瀬正史さん,裕見子さん,そして佐藤さんにおかれましては,お忙しいところ,当検討会にお越しくださいまして,誠にありがとうございます。検討会一同を代表いたしまして,心より御礼を申し上げます。   着席させていただきます。   本日は,岩瀬正史さん,裕見子さん,そして佐藤さんが実際に裁判員裁判に関与された御経験を踏まえて,お話を伺いたいと存じます。   どうぞよろしくお願いいたします。 ○岩瀬裕見子氏 岩瀬でございます。今日はこのような機会を頂きまして,ありがとうございます。頂いていた質問に対して,私が読み上げ,私と主人の意見をお話ししたいと思います。   まず,裁判員裁判で審理されることを知ったときの心境という質問でございますが,私は,裁判員裁判になると検察官から聞いていたので,特に何も思いはしませんでした。 ○岩瀬正史氏 岩瀬でございます。よろしくお願いします。   裁判官の出す判決に対しては,私としては今までは心証として余りまともな判決が出た記憶がなかったものですから,今回裁判員裁判で審理されるということで,一般の方の感情や思いが審理に反映されると思い,少し安心いたしました。 ○岩瀬裕見子氏 被害者特定事項等の個人情報が裁判員に知られることに対する不安の有無という質問に対しては,嫌でも拒否権などはないし,諦めるしかないと思いました。 ○岩瀬正史氏 私ども,実際にそこに参加できるものではありませんので,内容につきましては正直不安の方が大きかったと思います。   幸い,担当していただいた検察官の2名の方たちは,打合せの段階から信頼できましたので,全て任せても安心だとは思いましたけれども,それでも弁護人たちの抗議に対しては不安しかありませんでした。特に犯人の精神鑑定については,どのような判断がされるのかがとても心配が大きかったです。 ○岩瀬裕見子氏 次の,公判前整理手続が行われている間の心境ということですが,とにかく時間が長く掛かりました。   内容については,情報提供いただけたと思いますが,精神鑑定のやり直しや鑑定書の提出が遅れたために,裁判が長い期間延期になりました。そのときの落胆はとてもひどく,信頼していた検察官の方の異動があったことにもとてもショックを受けました。   次の質問の,裁判員裁判における検察官による冒頭陳述,論告,弁護人による冒頭陳述,弁論,判決の分かりやすさ,説得力等に対する感想という質問でございますが,検察官の冒頭陳述や論告については,休廷中などにも細かく説明を受けていたので,分かりやすかったし,誠意を感じました。   弁護人に対しては,殺してやりたいと思えるほどの憎悪の気持ちが湧きましたし,今もそう思っています。   判決に関しては,公平性とは何かと思いますし,いつになっても永山基準を持ち出されるんだと思いました。 ○岩瀬正史氏 先にも申し上げましたが,検察官のお二人にはとても頑張っていただけたと思います。最終的には,私たちの意向とは違う求刑になりましたので,それに対しては不満はありますけれども,求刑に関して,求刑の順序や手順に関しては,私は検察庁の方の問題だと思っております。   審理中も,常に私たちの意思を尊重していただきましたので,私たちが知らない証拠なども出てまいりましたが,それを提示する際には必ず確認をしてくれ,私たちが傷付かないように気配りをしていただきました。   弁護人に対しては,本当に憤りしか感じておりません。審理中にも,供述調書と真逆の告白をする被告人も,これをさせているのは弁護人たちによる私たちに対する暴力だと思います。弁護人による,殺された私の娘に落ち度があったような発言,犯行内容についても,奪われた金額や娘がされた卑劣な行為をとんでもなく軽視した発言,犯人はもちろん,弁護人も殺してやりたいと思いました。   そして,それをいさめることなく粛々と進める裁判官にも,同様の感情を持ちました。   判決に対しては,全く納得しておりません。どの裁判官も,判決文の中で必ず使う言葉,「他の事件との公平性」「残虐性があるとは言えない」「計画性があったとは認められない」,こんなものは,被害者である我々には何も関係がありません。事件に遭ってしまった被害者や被害者遺族にとって,唯一無二の大変大きな出来事なのです。大切な人が理不尽で身勝手な犯人に殺された,これ以上悲しいことがありますでしょうか。ほかの事件と比べる必要があるのでしょうか。人が殺される。これ以上に残虐なこととは何でしょうか。計画性があろうがなかろうが,例えば皆さんの大切な人が殺されたとして,飲酒運転や危険ドラッグを使ったドライバーによって交通事故死した,それを仕方がないと思われますか。判決を出す人たちは,そんな言葉で被害者や被害者遺族を悲しみのどん底に落としていることを理解するべきだと思います。 ○岩瀬裕見子氏 証人尋問,被告人質問等における裁判員の質問に対する感想ということですが,裁判の中では,同じ人ばかりが質問をしていた印象があります。他の人は,聞きたいと思うようなことがないのかなと思いました。 ○岩瀬正史氏 先ほどもお話ししましたが,私たちの審理については,犯人は本当にいい加減な発言とうそを繰り返しておりました。恐らく手元にあったであろう供述調書とはまるで真逆な発言などがあり,本当につらく苦しい思いをしました。   ただ,審理中に私たち参加人が感情をあらわにすることはできませんので,とても苦しく,つらい時間でした。   ですので,裁判員の方たちにはもっと積極的に犯人に対して思ったことを質問でぶつけていただきたかったと思います。どこまでの内容のものが裁判員の方に対して示されていたのかは分かりませんけれども,捜査段階での供述内容と実際の審理での発言との内容のかい離について,犯人に対してもっとしっかりと質問をしていただきたかったと思います。 ○岩瀬裕見子氏 裁判員裁判で取り調べられた,あるいは取り調べられなかった証拠,例えば遺体の写真や生前の写真などについての感想ということですが,娘の件でいえば,検察官は切り裂かれた制服を裁判の証拠にすると言っていましたが,公判前整理手続で裁判官により刺激が強いと却下されました。裁判官が勝手に却下するのではなく,遺体の写真なども含め,こちら側の意見をもっと聞いてほしかったと思います。 ○岩瀬正史氏 証拠の中にあった犯人が撮っていたという犯行後の娘の写真など,家族の間でも見るか見ないか意見が分かれた部分はございました。私たちが見た方がよいもの,見ない方がよかったもの,これはいまだに何が正しかったかは分かりません。しかし,裁判には必要なものですので,裁判官や裁判員の方々に見ていただくのはとても大切なことだと思っております。娘の写真を見ていただくことで,実際本当に人が亡くなっているんだということがちゃんと伝わるのだろうと思います。 ○岩瀬裕見子氏 裁判員の前で意見陳述した際の感想ということですが,死刑は厳しいと弁護士さんから裁判前に言われていました。だからこそ,裁判員の方には職業裁判官が陥りやすい欠点を市民の目で正しく判断して,一般市民の健全な良識を反映させてほしいと訴えました。けれど,裁判後の記者会見で,自分の思っていた認識との差を埋めるのが大変だったと裁判員の方が言っていたので,結局は市民感覚は反映されないのだと思いました。 ○岩瀬正史氏 意見陳述の際,犯人の刑を重くするために,犯人がどんなひどいことを私たちの大切な娘にしたのか,絶対に死刑にしなければならない,これだけを考えて臨んでいたつもりです。誰に向かって何を伝えれば,私たちの希望がかなうのか。ですが,余りにも直情的な攻撃的な言葉を使ってしまうと,裁判官や裁判員の方々の心証が悪くなるのではないか。思ったことを全て伝えるということは非常に難しいと思いました。うちの娘がどんなに優しく,自分のことよりも人のことを優先してしまうような性格であったか,そしてその優しさにつけ込んだ犯人を絶対許せなかったのですが,そこをしっかり伝えたかったと思いますが,うまく伝わったかどうかはいまだに分かっておりません。 ○岩瀬裕見子氏 裁判員裁判で審理されたことでよかったと思ったこと,逆によくないと思ったこと,改善点などという質問に対しては,よかったこととしては,検察官の質問を裁判官に却下されたとき,こちらとしてはとても聞いてほしい質問だったので,裁判員の一人の方がよい質問をしてくれて,とても有り難いと思いました。   よくないこととは思いませんが,質問をする人としない人が明らかに分かれていたので,その点は全員の方に質問を一つでもしていただきたかったなと思います。 ○岩瀬正史氏 今の質問の中でよくないと思ったことは,私はありませんでした。それよりも,従来の裁判官だけの判断で判決が出る裁判の方が,今の時代にはそぐわないと思います。   しかし,現状の裁判員裁判の方式には問題が多いと感じています。裁判員は素人ですから,やはりプロである裁判官がリードをする。これは仕方がないことだと思いますが,それでは今までの裁判と何ら変わりはありません。このような事件のケースは今までこのぐらいの量刑でした,だから今回はこうなんです,恐らくこのようなやり取りがあるのではないかと思われます。裁判官がリードし過ぎるような形では駄目だと思います。一般人が直情的に感じたものを反映させるための裁判員裁判という制度だと思われます。   例えば,裁判員全員が死刑だと判断しても,3人いる裁判官のうち1人でもそれに同調しなければ,その判断が認められないなどは,何のための裁判員裁判の制度なのだと言われても仕方がないと思います。 ○岩瀬裕見子氏 裁判員裁判と裁判官裁判の両方を見た感想ということですが,私はとにかく裁判をたくさん傍聴しました。そんな中で,裁判を傍聴して共通に感じたことは,弁護人の荒唐無稽な弁護と量刑相場だと感じる判決,裁判員裁判だからこそということは,私が見た限りではありませんでした。結局はこんな判決かと思うことばかりが続きました。弁護人のとんでもない弁論をただすこともしないから,厳罰化につながらないのかもしれない,そんなふうな気持ちになりました。 ○岩瀬正史氏 妻は,事件以降,娘の裁判に向けてできる限り裁判を傍聴しようと足を運んでくれました。そして,裁判についてものすごく勉強して,見ているこちらが体を壊さないかと心配になるほど一生懸命でした。この質問に関しては,今の妻の話をしっかり聞いていただければと思います。   その中でも,私が傍聴した裁判が何件かありまして,これは私たちの裁判を担当した裁判官のうちの一人が担当した裁判でした。覚せい剤所持と使用の男性の裁判,その後,立て続けにわいせつ行為をした男性の裁判,判決を聞いて,正直言うとがっかりしました。私の中の裁判官の判決の言渡しのイメージは,被告人に対して二度と罪を犯さぬよう,しっかりした判決を出すものだとばかり思っていましたが,その2件に関しては,へらへらしながらぼそぼそと説法を説くだけ。わいせつ事件などは,4度も同様の罪を犯したその被告人に対しても執行猶予を出すなど,ほかの傍聴した人たちも驚いて帰っているような状況です。   覚せい剤は素人が考えても簡単にやめられるとは思いません。「やめられますか」,「はい,やめます」,「では,あなたのその言葉を信じます。今いる御家族の方は監視をお願いします」で執行猶予です。こんな簡単なことでいいのでしょうか。   もう一人の被告人は,何度も繰り返してわいせつ行為をしていたのです。つらく悲しい思いをしている女性が何人もいたのです。犯人に対して「やめられますか」,「はい,やめる努力をします」,「では執行猶予です」こんな程度のやり取りが正しいと思われますか。再犯したら誰が責任をとるのでしょうか。   罪に大きいも小さいもないと思いますが,やはり裁判官だけの審理には第三者の目が必ず必要だと感じております。 ○岩瀬裕見子氏 今後の裁判員裁判の在り方についての意見という最後の質問ですが,大変失礼な言い方があるかとは思いますが,結局は判例主義のデータベースや裁判官に導かれる出来レースと思えるような裁判が続くのであれば,私たちはAIにでも判断された方がまだ諦めがついたと思います。市民感覚が反映されないのなら,裁判員制度をやめて,裁判員に掛かる莫大な税金を被害者の救済や遺族の救済に使ってほしいと思います。   皆さんは御存じと思いますが,裁判に出席する被害者や遺族の日当は驚くほど少ないと感じます。今後も裁判員制度が続くのなら,協力が可能だという被害者や遺族が1名でも裁判員裁判に参加できるようになればよいと私は思っています。 ○岩瀬正史氏 私は,裁判員裁判で審理をしていただいただけで,裁判員裁判を体験したわけではありませんので,在り方の見方が違うかもしれませんが,私たちの立場から言わせていただけるならば,判決には裁判官の考え方,過去の判決や量刑相場など,一般人の思いとかけ離れたことが大変多いと感じております。   感情的なものだけで判決を決めるのはもちろん危険で,そのための量刑相場や過去の判例を引き合いに出すのは当然だと思います。しかし,一番問題であるのは,永山基準という大昔の判例を引き合いに出して,1人殺しただけでは死刑にならないなどというばかげた判例などは本当に不必要だと思っております。今の時代,凶悪な犯罪が増え,今までには考えられないような悲惨な事件も発生しています。だからこそ,裁判員裁判という制度ができたのではないのでしょうか。過去の判例にとらわれて司法が足踏み状態では何の意味もありません。司法だけが被害者や被害者遺族を救えるということをしっかり考えていただきたいと願っております。   以上です。 ○佐藤真奈美氏 被害者支援都民センターの佐藤と申します。本日はありがとうございます。   私どもは,被害者の支援活動の一環といたしまして,刑事手続にまつわる心理的サポートを行っております。裁判につきましては,被害者が証言をされる際には証人テストのときから証言のとき,被害者参加される際にはその法廷内,あるいは傍聴の付添い,被害者に代わって傍聴するなど,そういった形で裁判には関わっております。   私に頂いた質問事項といたしましては,裁判員裁判が行われるようになってよかったと思う点,それから問題点,改善点,要望事項等ということでしたので,被害者を支援する立場から,被害者にとっての裁判員裁判のメリット・デメリットということでお話をさせていただければと思います。   まずは,メリットというふうに思える点ですけれども,やはり被害者参加をされたりですとか,傍聴されているときにも,非常にその裁判自体が分かりやすくなったということは言えるかと思います。内容もそうですし,言葉一つ一つ,非常に分かりやすく,何がそこで行われているのかが,以前の裁判員裁判でない裁判に比べると格段に分かりやすくなっているという点があるかと思います。   もう一つが,初公判から判決までの期間が短いということです。一般の裁判で,次回の期日に行かなければその次の期日が分からない,公判が始まってから一体その判決までどれくらいの期間が掛かるのか,日常生活を送られながらもその間非常に不安定な状態で,被害者の方は過ごされるということがありますので,これが非常に短く,一気に終わるという点,それから,期日についての見通しが立つという点ですね,そういった点がメリットかと思います。   それから一般の人に,裁判員としてそこにいらっしゃる一般の方に,被害者の置かれる実情を知っていただけるということがあるかと思います。証人尋問に立たれて,質問にお答えになっている内容であるとか,意見陳述で述べられることであるとか,それから被害者参加されているその方々の様子を御覧になることでも,非常に被害者の置かれる実情というものが伝わってくるところがあるかと思いますし,そういったことがやはり多少量刑の重さであったりといったことにつながっているのかなというふうに感じているところです。   それから,やはり裁判員の様子を実際にその被害者の方が御覧になることで,真剣に話を聞いている様子であったり,時には涙を拭かれている様子であったりですとか,あとは被害者の心情に沿った質問が出たりということで,その被害者のことを非常に理解してくれている,一般の人はこのように理解してくれているのだということが,実感として伝わるといったことで,非常に力を得るといったことがあるかと思います。   デメリットですけれども,やはり一般の方がその事件を裁くということに関して,不安を覚えられるということはあるかと思います。その事件の内容を一般の方に知られてしまうという不安もありますし,裁判をするということを職業にしていない人たちにとって,自分の話したことであるとか,被告人の話している,被害者からしてみると荒唐無稽な主張がどう映るだろうか,そういったことを非常に気にされたり,心配される方がいらっしゃるかと思います。   あとは,それから裁判員の男女比ですとか年齢層,そういったことで,例えば性被害に遭われた方であれば,男性が多い場合に,自分の被害の実情を分かってもらえるだろうかといったことで不安に思われることがあるかと思います。ただ,これは実際に裁判員の様子を御覧になって,気持ちが変化するということも多くあるかと思います。   それから,裁判まで非常に時間が掛かるといったことですね。公判前整理手続には被害者は基本的には関われないということもありまして,主体的にその裁判に関わるという状態でない期間を,どうなっているのだろうという非常に不安な状態で過ごされるといったことがあるかと思います。裁判に備えなければいけないけれども,何をしていいか分からない。そういった状態ですね,そういった期間が長いといったことがあるかと思います。   それから,やはり裁判員裁判が連日長時間にわたって行われるということで,被害者参加をされたい被害者の方々にとっては,非常に精神的・身体的負担が大きいかと思います。連日,夜も眠れない,御飯もなかなか口にできないといった状態で参加されるといった方の姿も私たち拝見しておりますし,また,場合によっては学校であるとか職場の仕事の融通がきかないといったことで,連日参加したいけれどもなかなかそれが難しいといったこともお聞きしているところです。   それから,意見陳述をされたいといった場合,被告人が何を言っているか,被告人質問を聞いてからその内容を,自分の心情をつけ加えたいといった場合に,非常に日程的な厳しさがあるかと思います。また,意見陳述の時間自体が,タイトにスケジューリングをされている裁判員裁判の中では時間が制限されたりですとか,そういったことがあるかと思います。   それから,やはり証人尋問であるとか意見陳述される際に,その目の前にたくさんの人々が並んでいるという人数的な圧迫感であるとか,若干の恐怖を覚えられるといったこともお話しされている方々がいらっしゃいます。   それから,基本的に被告人が起訴事実を認めていて,実際に証人としての出廷が必ずしも必要がないといった場合であっても,その裁判員に対する分かりやすさであるとかアピールのために証人の出廷を求められるといった,そういった被害者の方の姿を見ていることもありました。   あとは,弁護人が,被告人を弁護する上で,裁判員への分かりやすさであるとかアピールのために,これは仕方のないことかもしれませんけれども,被告人を「さん」付けで呼んだりですとか,殊更なアピールを行うといったことの延長線上にあるのかどうかちょっと分からないのですが,中には,被害者の尊厳を殊更に傷付けるような弁論ですね,事件とはあまり関係のないような私生活のことから被害者の人格的なことを取り上げたりですとか,あるいは助けを求められなかったり逃げられなかったりといったことを,被害者の心理としては自然ではないといったような主張ですね。むしろ,それは被害者の心理というものを本当に勉強されていれば,被害者の心理として逃げることができなかったというようなことは了解していただけることだと思うのですが,弁護人の方にも被害者保護ですとか被害者支援の観点からのそういった理解といったものも,支援者側としては求めたいところです。   裁判員裁判ですと,やはり裁判員という方がいらっしゃいますので,裁判所としても裁判員の方にいろいろ配慮が必要だということは重々分かってはいるのですが,やはり被害者側になされている配慮を裁判員に対してなされている配慮と比較をしてしまうと,やはり足りないところがあるかなというふうには感じています。   例えば,裁判期間中の託児施設の利用であるとか,そういったことですね。それから,先ほど岩瀬さんの話にも出ておりましたけれども,御家族を亡くされた御遺族であれば,御遺体の写真を今は絵で示しているということがあるかと思いますけれども,やはり写真を見てほしいというようなお声は度々お聞きしているところです。   今,私からお伝えする支援者側の話としては以上になります。ありがとうございました。 ○大澤座長 ありがとうございました。   ただ今のお三方からの御説明について,何か質問等ございますでしょうか。  ○堀江委員 お話をお聞かせいただきましてありがとうございました。   佐藤さんのお話の中で,裁判員制度のメリットとして,初公判から判決までが短いということをおっしゃられたかと思うのですけれども,他方で,公判前整理手続が長いのとも相まってということになりましょうが,始まるまでにかなり長く待たされて,始まってからはあっという間に終わるといったような,逆の何か不満のようなものを,被害者の方々から聞かれるということはないでしょうか。また,その点に関して,岩瀬さん御夫妻にお尋ねしたいのですが,お嬢さんが被害者となられた事件の公判審理の期間と公判前整理手続の期間は具体的にどれくらいだったのか,それから,今申し上げた,裁判員制度では一般的に公判審理の期間が従来よりも短く終わるということに関して,何かお感じになられたことはございませんでしょうか。 ○佐藤真奈美氏 まず佐藤の方から御質問に答えさせていただきたいと思いますが,やはり公判前の期間がかなり長くて,またさらに,一旦その期日が決まっても,また更に待たされるというような,いつ始まるか分からないというような不安な状態に置かれるということでは,先ほども申しましたけれども,不安な時期を過ごされる期間が長いということはあるかと思うのですが,始まってから終わるまでがあっという間で,あっけなく終わってしまったというような御感想をお聞きしたことは余りなくて,短いとはいえ,その期間はやはりかなり大変な思いをして過ごされていらっしゃいますので,その裁判期間としての大変さを感じられている期間が短くて済むという点では,メリットというふうに言えるかと思うのですが,その大変さ自体は,やっぱり変わらないというふうには思っております。 ○岩瀬裕見子氏 期間についてですが,最初,検察庁に行ったときに,1年以内ぐらいで裁判員裁判になるだろうというお話を頂いていましたけれども,実際には,裁判の日程が決まってから,要は鑑定書の,精神鑑定の書類が提出にならなかったということで,それから半年以上待たされることになりました。公判が決まっていた裁判が更にまた延期されたことにとても落胆しました。   裁判期間については短く,佐藤さんは短くは感じないとおっしゃいましたけれども,私たちの場合は判決を含めて5日間でしたが,もう少ししっかり事件のことについて,裁判ではいろんな証拠があったので,もっと審理してほしいと思いました。あと一日でも長く審理していただいて,もっと判決を考えていただきたいと思いましたので,裁判自体は大変でしたが,私には少し短いと感じました。 ○岩瀬正史氏 裁判に至るまでに精神鑑定ですね,裁判所の方から出たものに弁護人の方から不服申立てがあって,再度別の精神鑑定をするということになったので,延びてしまったということ,それに関しては全く納得していませんが,裁判の日程に関しては,やはり,犯人が本当にうそばかりついていましたので,うちの場合は,もっともっと深く掘り下げて,しっかり判決まで時間をもっととってもよかったかなと思います。ですから,短過ぎたような気も私はしています。 ○菅野委員 まず,佐藤さんにお伺いできればと思います。裁判員裁判は連日的に集中して,1週間,2週間と行われているので,そこに参加する被害者の負担はかなり重いのではないかと思うのです。他方で,裁判員裁判ではない否認事件ですと,1か月おきに例えば1年間続く事件などもあり,そちらもやはり期間という意味ではすごく被害者への負担が重そうに見えるのです。感想で構わないのですが,どちらがどういう意味で負担が大きいとか,あるいは差があるとか,五月雨式に長く続く裁判への参加と,1週間あるいは2週間でやる裁判と,参加する被害者に,どういう負担があるかという点をお聞かせいただければと思いました。 ○佐藤真奈美氏 おっしゃるとおり,両方とも負担はありまして,ぎゅっと集中的に行われる分,何とかその期間を乗り越えるという意味では,短い期間で終えることができるというところはあるのですが,やはり連日,長期間の大変さというのがありますし,単独で長い間そのことを裁判に関わらざるを得ないという場合には,やはりその期間,裁判が行われていない期間もずっとそのことが気に掛かりつつ生活をしなければいけないという大変さがありまして,やはり判決が出るまではずっとそういった状態で生活をしなければいけない,そういった大変さがあるかと思います。   あと一つは,トラウマの症状であるとか,そういった心理的な症状の出ている方に対しては,専門的な心理療法のプログラムなども提供させていただいているのですが,やはり裁判期間中はなかなかそのプログラムを導入することができませんので,裁判の終了を待ってというようなことが多いのですけれども,そうすると,裁判員裁判である程度短期間で終わってしまうと,その後すぐに導入につなげるということができるのですが,その期間が長くなりますと,その見通しもなかなか立てられず,その治療をいつ行っていくかという判断がなかなか難しくなったり,御本人の症状が続いている期間も長くなってしまうということがあるかと思います。 ○菅野委員 ありがとうございました。   岩瀬さんの御主人から,先ほど裁判の前の不安なことの一つとして,弁護人の抗議には少し不安しかなかったというようなお話がありました。差し支えない範囲で教えていただけるのであれば,どのような弁護人の言い方があって,どのような不安を感じられたのかというところを少し教えていただけないでしょうか。 ○岩瀬正史氏 基本的に,内容的には私も入ってくるものはないので,どんなことを言われたかは分かりませんけれども,先ほどお話しした精神鑑定について,納得がいかないと。ですから,自分の方でももう一回精神科を通ってもう一回鑑定をするというような内容のものを出されたとき,いろんな判決を見ていると,やっぱり精神鑑定による結果ってかなりファクターは多いと思うんですよ,判決に対しては。そこで,裁判所の方でつけた精神鑑定に不服を出してくるというところで,それをまた認めてしまうというところは,やっぱり不安でしかなかったですね。 ○菅野委員 その精神鑑定のやり取りに関するところにすごく不安を感じられたということなんでしょうか。 ○岩瀬正史氏 そうですね,はい。 ○岩瀬裕見子氏 すみません,あとは,公判前整理手続で弁護人に言われて一番私たちが嫌だったことは,娘は死後強姦をされました。そのことについて,死後の強姦は強姦じゃなくて死体損壊じゃないのかということを,公判前整理手続で弁護人が言ったと検察官の方から聞きました。そのことに関しては,もう一人の娘も証人尋問のときにとても嫌だったということを伝えたんですけれども,弁護人はそんなことを言っていないと法廷で言われました。公判前整理手続で私が一番嫌だったのは,そこの部分でした。主人は精神鑑定と言いましたけれども,私はそこの部分を検察官の方から聞いたときに,同じ女性として信じられないし,こんなことを言う弁護士がいるんだなと,裁判が始まる前から憤りを感じていました。 ○菅野委員 分かりました。そうすると,公判前の段階でのやり取りを検察官からお聞きした際に,弁護人はこういうことを御主張しているようですよ,という話を,恐らく直接弁護人とやり取りする機会ってないかと思うので,検察官からお聞きになって,そこにすごく納得いかない思い,嫌な思いがあったということでしょうか。 ○岩瀬裕見子氏 そうですね。検察官を通して,私たちの弁護士さんを通じて,こういう主張が向こうの弁護人からあったようだということを聞いて,裁判が始まる前に,こういうことを言う弁護人なんだなという気持ちもありましたので,もう裁判が始まる前から,やっぱり弁護人に対しては本当に憎悪の気持ちしかなかったです。 ○菅野委員 実際,裁判が始まってからは,弁護人からそのような主張はされていなかったということになるんでしょうか。 ○岩瀬裕見子氏 実際に死体損壊ではないかという主張はありませんでしたけれども,強姦は飽くまでも未遂と言い張りました。 ○菅野委員 では,公判前整理手続での弁護人の発言について聞いていたことと公判での主張自体は少し違ったイメージも受けたわけですね。 ○岩瀬裕見子氏 そうですね。 ○和氣委員 勇気を持ってこの席に来ていただいたこと,感謝申し上げたいと思います。   私も栃木の被害者支援センターの方で支援をさせていただいている中で,やはり公判前整理手続の期間が非常に長くて,何をしているのかよく分からないという被害者の声をたくさん聞いております。その中で,やはり進捗状況は検察官の方々からところどころでお話を聞きたいなと思っているのですけれども,岩瀬さんの場合はいかがだったんでしょうか。 ○岩瀬裕見子氏 弁護士さんを通じて定期的には,公判前整理手続が行われたときには,連絡を頂いていたので,皆さんが感じているほどの不安は感じなかったかとは思うのですが,とにかく期日が長い。審理がいつされるのかという次の日程も分かりませんでしたし,そういった面での期間が長期化している部分は,やはり不安でしたし,何とか裁判までは気力を振り絞って,絶対に死刑判決を出すんだという気持ちでおりましたけれども,やはり体調の不安もありましたし,家族の心配,もう一人娘がおりますので,娘の心のケア等がとてもやはり負担に感じましたし,裁判が延期になったときの娘の心の負担を考えると,家族の中でもしかしたらおかしくなってしまう人が出てしまったらどうしようという不安はものすごくありました。 ○岩瀬正史氏 妻からも先ほど何度も話にありましたが,余りにも手続が長くて,もちろん弁護人側からの延期もありましたので,お願いした検察官の方,最初に信頼してお願いした方が異動になってしまうというのもありましたので,そういう意味では,不安の中にまた更に,また1から,ゼロからやり直さなきゃいけないというところが出てきたので,そこはとても不安だと思います。 ○和氣委員 そうですね。私も自分の裁判のときに検事さんが交代するということがあって,非常にそこは同じ思いをいたしました。ありがとうございました。 ○大澤座長 岩瀬正史さん・裕見子さん,そして佐藤さん,本日はお忙しいところ,非常に有益なお話をいただきまして,本当にありがとうございました。 (岩瀬正史氏,岩瀬裕見子氏,佐藤真奈美氏 退室) (島田委員 入室) ○大澤座長 続きまして,鈴木希実さん,髙橋正人さんからヒアリングを行いたいと思います。   御説明と質疑応答を含めておおむね30分から40分程度を予定しております。   ここで,事務当局からヒアリングで使用される資料について説明がございますので,お願いをいたします。 ○河原刑事法制企画官 ヒアリングでお話しいただく髙橋弁護士から,いわゆる刺激証拠の話をするに当たり,御遺体の写真と実際の裁判で採用されたイラスト等を比較するため,是非とも写真とイラスト等をお配りした上で話をしたい旨の申出がございました。   たっての御希望でございますので,これからお配りいたしますが,鈴木さん及び髙橋弁護士のヒアリング終了後には回収させていただきます。   なお,御遺体の写真は,自動車事故に遭われた被害者の顔,切断された身体の一部等が写った白黒写真とカラー写真でございます。髙橋弁護士の説明を伺うに当たって,そのような写真を見ても差し支えないとお考えの場合には御覧いただければと思います。 (鈴木希実氏,髙橋正人弁護士 入室) ○大澤座長 鈴木さん,そして髙橋弁護士におかれましては,本日はお忙しい中,当検討会にお越しくださいまして,誠にありがとうございます。検討会一同を代表いたしまして,心より御礼を申し上げます。   着席させていただきます。   本日は,鈴木さん,髙橋弁護士が実際に裁判員裁判に関与された御経験を踏まえて,お話をお伺いしたいと存じます。   それでは,よろしくお願いいたします。 ○鈴木希実氏 私は,平成26年5月27日午後10時7分,千葉県印旛郡で発生した交通犯罪の被害者遺族です。被害に遭ったのは,私の息子の鈴木翔哉です。当時21歳で,身長188センチ,体重160キロの柔道の選手でした。大学4年生でしたから,千葉県警への就職の話も具体的に進んでいました。   犯人はタイ人で,制限速度50キロのところを判決で認定された速度は時速120キロ,起訴状によると182キロの猛スピードで,片側1車線の道路を暴走していました。しかも,酒も飲んでいました。犯人は,事件現場の数百メートル手前で第1の物損事故を起こして当て逃げをし,その被害車両に追いかけられて猛スピードで逃げているときに,翔哉の運転する原動機付自転車と正面衝突しました。   翔哉は160キロの体重でしたが,体は上半身で真っ二つに切断され,左下肢も1か所切断され,約100メートルも飛ばされました。   検察官は,制御困難な高速度で自動車を走行させたとして危険運転致死罪で起訴しましたが,裁判官は過失運転致死罪に罪を下げてしまい,懲役6年の実刑判決にしかなりませんでした。   私たちは,家族で相談し,みんなで被害者参加制度を利用しました。当初,依頼した弁護士の先生だけに被告人質問などをお願いするつもりでしたが,加害者に直接質問してみたらとの言葉で,私たちは自分たちで質問することを決心しました。それぞれ時間のない中で一生懸命質問事項を考え,私と二男,私の母とで質問をしました。   被害者参加制度はとてもよい制度だと思いました。このときしか直接加害者とやり取りすることができないからです。   意見陳述は私と二男がしました。私は,小さいころの翔哉から事故の日までのことを一生懸命思い出し,書きました。悲しくつらい作業でした。それは二男も同じでした。でも,翔哉のためなら何でもやろうと思っていたので,今現在もやってよかったと思います。裁判員の皆さんも涙しながら真剣に耳を傾けてくださいました。そのことにはとても感謝しています。   ところが,実際の裁判での争点は,EDRという今まで素人が一度も聞いたことがないような,加害車両に備え付けられた装置の信用性だけが争われました。これは,衝突5秒前から加害車両の速度,エンジンの回転数,アクセルとブレーキのオン・オフを1秒単位で計測し,記録に残すものです。飛行機でいえばフライトレコーダーのような働きをするものです。20代から30代の若い女性の裁判員が4人もおりました。法廷では,難しい理科系の大学で使うような難しい専門用語が飛び交い,女性の裁判員にはほとんど理解されていなかったようでした。検事さんも,車の運転をしない人でしたので,難しい内容だったと思います。   果たして,このような難しい自動車工学の用語だけが争点となっているような事件を,素人の裁判員に行わせること自体,無理なことではなかったでしょうか。もっと分かりやすいやり方がなかったのかと今でも悔やまれます。   そして,一番残念だったのが,翔哉の最後の写真を見ていただけなかったことです。裁判員の心に傷が残るというのがその理由だったそうです。しかし,あの悲惨な姿を見れば,裁判長の120キロ程度という言葉は出てこないと思います。仮に裁判員が見ないとしても,どうしてせめて裁判官だけでもいいですから,見ないのでしょうか。とても甘い裁判だと思いました。亡くなった姿は,翔哉の最後のメッセージです。それを見なくて,正しい裁きができるのでしょうか。難しい理科系の大学を出た人しか分からないような専門用語だけを殊更に並べ立て,素人の裁判員には一番分かりやすい遺体の写真を一切見せないで裁判をするというのは,私たち遺族には全く理解できません。   裁判員の方の中には,見てもいいと言ってくださる方もいたと思います。それを,公判前整理手続の段階でシャットアウトしてしまい,裁判員にそのような写真があること自体知らせないというのは,納得できません。今日は,髙橋先生にお願いして写真を持ってきていただきましたので,後で先生からお見せしたいと思います。   次に,評議のことについて述べます。   裁判官が裁判員の自由な判断を封じるような方法で判例を示しているのであれば,そのような方法はやめていただきたいです。もし私が裁判員で,危険運転と思っていても,裁判官に判例では危険運転にはなりません,量刑も大体これくらいですと言われれば,素人の私はそうなんだとそれに従ってしまいます。でも,一つとして同じ事故はありません。なぜ法律家の常識や感覚だけにこだわり,壁を乗り越えられないのでしょうか。裁判官3人のうち1人でも危険運転だと言えば危険運転致死罪になる可能性があり,仮に裁判員全員が危険運転と言っても,裁判官3人が過失運転と言えば過失運転になってしまうというのでは,裁判員裁判の意味がありません。   この裁判の仕組みを知ったときに,裁判員の判断の重みがとても軽いことに驚きました。形だけの裁判員で,結局は裁判官の判断で決まる仕組みを目の当たりにし,中途半端な形で終わってしまった物足りなさしか残りませんでした。   裁判員裁判のよさを実感できなかったことが今でも私たちを苦しめています。このような裁判員裁判でしたら,やめてしまった方がいいと思います。裁判員の方の貴重なお時間を頂いて,4日間拘束される一般の方に本当に申し訳ないです。   もう一度繰り返します。事件に関する全てを証拠として採用していただきたいです。翔哉の裁判では,私たちが求めた証拠を全て弁護人が不同意としました。被告人にとって都合のよい証拠しか採用されなかった悔しさ。実際には,生きている加害者優先の罪をどれだけ軽くするための裁判だったとしか思えませんでした。私の大切な翔哉の命を奪ったあの悲惨な事故は,加害者が飲酒運転の末に当て逃げをし,それを隠ぺいするために起こした行動が根源なのです。しかし,その点はさらりと流され,EDRという専門用語だけが独り歩きをし,どれだけ悲惨な事件であったか最もよく分かる遺体の写真すら,裁判官は公判が始まる前にシャットアウトしてしまったのです。実際に裁判で使われたのは,カルテのような人の形をしたものに損傷したところが赤い斜線で表しているだけのものでした。どうしてこんな偏った裁判を被害者が,国民が信用できますか。飲酒運転,第1事故からの逃走,スピード違反,悲惨な姿で死んでいった翔哉の姿,全てを見てもらって,公平な裁判をしてほしかったです。   以上です。 ○髙橋弁護士 次に私の方から説明させていただきます。   この事件に私は最初からずっと,捜査段階から関わっていました。公判前整理手続の段階の裁判官とのやり取りも,検察官から聞いております。要するに,制御困難な高速度かどうか,それが争点だったわけであります。ところが,裁判官は,時速120キロメートルだったら制御困難ではない,検察官が主張している時速149から186キロメートルであれば制御困難であるということを,公判前整理手続の段階から言っていまして,そこだけを争点にしてしまいました。   実際の現場は,緩い右カーブでした。しかも,逆バンクでした。本人は酒を飲んでいて,追いかけられていました。こういう精神状態のときに,どれだけ危険で制御が難しいかについて様々な証拠がありました。スタントマンからもいろんな供述調書もとっていました。しかし,これらはことごとく却下されてしまいました。しかも,御遺体のすさまじい損傷状況を示す写真も全て却下。結局,何を証拠にしたかといったら,鑑定人の尋問だけなのです。   その結果,判決では被告人の言い分どおりの時速120キロメートルが認定され,検察官の主張は通りませんでした。過失運転致死罪に認定落ちしました。裁判で難しい理系の専門用語だけ飛び交い,裁判員にとっては何を言っているかさっぱり分からない状態でした。女性の裁判員はみんな髪の毛が長かったですけれども,下に俯いて髪の毛でカーテンを閉めているような感じでした。一体これが本当に証拠に基づく裁判なのかと,私は非常に疑問に思いました。これも,結局は裁判員に対する配慮という,そういうことから御遺体の写真も裁判員の目には一切,触れられませんでした。   御遺体の写真の証拠採用については,以前,最高裁がこう言っています。被害者参加制度の3年後見直しが「平成19年改正刑事訴訟法等に関する意見交換会」という形で法務省主導で開かれました。その第11回会合で,最高裁事務総局刑事局の第一課長がこう言っております。   これまでは,専ら裁判員の負担という点から議論されているように思われますけれども,裁判所の中では,精神的負担ということよりは,まずはそういう証拠が正に何を立証しようとしているのかという,立証命題との関係で,まずはその写真の必要性ということを十分精査しようというような議論がされております。   遺体写真というものが,例えば犯罪の行為態様を表すというようなことがあり得るかどうか,あるいは死亡の事実というものを表すために,遺体の写真がよいのか,あるいは死体検案書なり,あるいは戸籍における死亡の事実の記載ということがいいのか,それぞれの立証の命題ごとに,どういう証拠が一番良いのかということを裁判所では議論している。裁判員の負担を考えて必要な証拠を見ていないということではございませんと言っている。   ところが,実際には東京地裁,大阪地裁などの大規模庁では,御遺体の写真はことごとく証拠採用されていません。100%却下です。確かに,地方に行けば裁判体によっては採用しているところもあるとは聞いています。でも,大規模庁はほとんど全部却下です。ですから,検察官はもう最初から諦めていて,証拠調べ請求をすること自体を諦めてしまっています。もちろん,これは感情的な裁判をやってくれと言っているわけではありません。飽くまでも立証事項との関係で必要だと言っているのです。立証事項は大きく分けて二つあります。行為態様と結果の重大性です。   行為態様を考えたときに,なぜ御遺体の写真が必要かといえば,行為態様というのはどれだけ残虐性があったか,あるいは執拗性があったかということを端的に示すものだからです。最高裁の判例の死刑選択の中の検討すべき事項としては,殺害手段方法の執拗性・残虐性を挙げています。こうしたときに,御遺体の写真を見れば,何回くらい殴られたかという,その回数だけじゃなくて,どのくらいの強さで殴られたのか,あるいはどのくらいしつこく,めった打ちにされたのかということが一目瞭然で分かるわけです。   もちろん,裁判官であれば私はイラストでも分かると思います。皆さん,お手元にあるイラストをご覧になってください。このイラストだけ見られたときに,例えば私であればすぐにどんなに悲惨な状態であるかは分かります。右側の上半身が完全に欠損している。これはかなりひどい結果だろうなと分かる。なぜ分かるかといったら,私は御遺体の写真をほかの事件でたくさん見ているからです。裁判官もそうです。たくさん見ているから,イラストだけ見て想像がつくのです。でも,裁判員はどうでしょう。裁判員になるようなほとんどの方は,御遺体の写真を一度も見たことがないはずです。そういう人が,このイラストだけを見て,どれだけ悲惨な状態であるかは,なかなかイメージがつかないはずです。   実際にカラーの方を見ていただくと,完全に右の上半身が欠損しています。こういった行為態様の残虐性というか執拗性,あるいは,結果について,どれだけむごたらしい結果になったかというのは,量刑を決めるときに非常に重要なことです。もちろん,きれいな御遺体だって結果は重大です,死亡しているわけですから。しかし,むごたらしい御遺体であれば,より重大な結果のはずです。この重大な結果を一番端的にあらわすのは,写真のはずです。写真というのは,機械的,客観的に再生していますから,作為は全く入りません。言ってみれば,一目瞭然の証拠だと思います。行為態様の残虐性とか執拗性,あるいはむごたらしい結果を端的に示しています。   こういったものは,裁判官であればイラストだけ見れば分かるとしても,素人はイラストを見ただけじゃ想像すらつかないはずです。こういう写真を一切排除した裁判をして,果たしてこれが本当に証拠に基づく裁判なのかと,私はとても疑問に思っております。もしそんなに裁判員の御負担が大変だというのであれば,私は裁判員制度はやめた方がいいと思っております。実際,刑事裁判の一番の大きな大原則は,真実の発見です。真実の発見をないがしろにしない範囲内で裁判員の負担を考えるべきではないでしょうか。ところが,今の裁判は,裁判員の負担が最初に来ていて,真実の発見は二の次になっています。そういう運用が大規模庁の,ここ数年の実態です。   私は,かつてこういう話も聞いたことがあります。最近は,刺激証拠という言葉自体が独り歩きしてしまい,性犯罪の裁判員裁判で,性被害を受けた被害者自身の尋問自体を制限した,そういう例がありました。被害者の証言も,刺激証拠だというのです。じゃ一体何を証拠に基づいて裁判するのだと私は言いたくなります。このようなことであれば,裁判員制度自体は廃止すべきではないでしょうか。確かに裁判員から見れば御負担かもしれません。しかし,それはやり方次第でなんとかなるはずです。例えば,裁判員を選任するときに,この事件は殺人事件だから,御遺体の写真を見る可能性があります,それでもいいですかと聞いて,それで選任すれば私はいいと思っています。   実は,こういうことがありました。今年の5月に16年間勤めていた私の事務員が退職しまして,新しい事務員を雇うことにしました。雑誌で応募しましたら,140人の応募がありました。私は30人を面接しました。その面接のときに一番最初にこう言いました。私の事務所では被害者問題を扱いますから,御遺体の写真を見ますよと。これでもよければ今から面接をしたいと思いますと言いましたら,30人中2人はその場で面接を辞退されました。   こういうふうに,実際には見たくない人,耐えられない人もいます。でも,それは選任段階でオミットすればいいことです。そして,実際に御遺体の写真を見せるときにも,突然見せるのではなくて,こういうふうに小さく縮小して白黒写真から見せれば良いのです。この段階でこれ以上見たくないというのであれば,カラーの方は見せないようにすれば良いのです。白黒だけ見せれば,これは一応証拠は見たことになりますから。こういう努力や工夫もしないで,公判前整理手続の段階から一律に駄目だと言って却下してしまう。これが今の大規模庁の扱いです。このような著しく片寄った訴訟指揮が今後も続くようであれば,裁判員制度自体を廃止すべきです。これが第1点目に言いたいことです。   第2点目であります。裁判員裁判で現在もう一つ問題となっているのは,死刑判決であります。   千葉の荻野さんの事件,あと南青山の事件,あと長野の事件,三つ死刑判決が第一審で裁判員裁判で出ました。控訴審で全てそれが無期懲役に覆されました。その控訴審は全て同じ裁判官です。同じ時期に控訴して,同じ裁判官に当たった。東京高裁は10部あります。機械的に配点しているのであれば,10分の1掛ける10分の1掛ける10分の1ですから,確率的には1000分の1しかあり得ません。でも,なぜかその裁判官にわざと集中しました。そして,全て一括して無期懲役になった。最高裁でも無期懲役が維持されました。とても作為的なものを感じました。   私は,第一審の裁判官や裁判員がどれだけ苦労してその死刑判決を下したかというのは,千葉の事件では傍聴していましたから,目の当たりにしていました。一生懸命いろいろな証拠を見たり,あるいはつらい御遺族の証言を聞いたりして,それでもやむを得ず死刑判決を下しているのに,たった3人の裁判官が,しかも同じ裁判官が高裁で書類だけ見て,はいこれは無期に減軽しますというのです。こんな裁判員の判断を簡単に覆すのであれば,一体何のための裁判員裁判なのか,非常に疑問が残ります。   よく新聞記事ではこう書いてあります。死刑判決ですから,他の被告人との公平性を考えなきゃいけないと。しかし,公平性を考えなければならないのは,死刑判決だけではありません。無期懲役だって,ほかの有期懲役判決だって,公平性を考えないといけない。私たちが裁判員裁判を作ったというのは,飽くまでも職業的裁判官の量刑感覚が少しずれているのではないか,もう少し一般市民の感覚を入れた方がいいのではないかということにその趣旨がありました。   死刑判決以外では,例えば性犯罪では量刑が重たくなっています。同じ殺人でも,親族間犯罪ではかえって刑が軽くなっています。こうやって裁判員が一つの量刑相場を作っているわけです。せっかく市民が量刑相場を作っているのに,死刑判決だけは裁判員に量刑相場を作らせないというのはおかしいのではないでしょうか。   死刑判決に関しては結局職業的裁判官が作った量刑相場しかありません。それに従うのであれば,裁判員裁判をやる意味がありません。それこそAIにやらせれば良いです。せっかく裁判員裁判を作って,死刑判決を出しても,今まで5件も破棄されてしまいました。この前の幼児の殺人事件もそうでした。せっかく裁判員が死刑判決の量刑相場を作り始めているのに,それをことごとく高裁と最高裁が蹴ってしまう。こんなことであれば裁判員裁判は要らないです。   私は,別に裁判員裁判にこだわる必要はないと思っています。普通の職業的裁判に戻しても良いのではないでしょうか。もし裁判員裁判を今後も維持するというのであれば,きちんと全ての証拠を見せて,なおかつ裁判員が作る量刑相場に敬意を示してほしいと私は思います。 ○大澤座長 ありがとうございました。   それでは,ただ今のお二方の御説明について,質問等ございますでしょうか。 ○小木曽委員 これは,今お話しになったことへの直接の質問というよりは,大規模庁の取扱いについて,事実確認といいますか,裁判所の側ではどのように考えておられるのかということを伺いたいと思います。 ○島田委員 東京地裁では,刺激的な証拠が請求された場合に,要証事実との関係で必要性があるかどうか,それをよく当事者と吟味した上で判断します。それから,髙橋弁護士から御指摘のありましたとおり,仮に刺激的な証拠を採用した場合には,裁判員選任手続のときに事前に候補者の方に対してこういう証拠を取り調べる予定になっていますと伝え,それについて不安がある方は当日の質問票に付記してもらっています。その上で個別質問を行って,採用している刺激的な証拠の概要を御説明し,それでも精神的に耐えることができないということであれば,その話を聞いて,辞退を認めるかどうかの判断をするという形をとっております。   また,実際に法廷でその刺激的な証拠を調べるときには,その直前に,裁判員の皆さんに対してこれから御遺体の写真を調べることになりますという,事前の告知をした上で証拠調べに入るというようなことについて,裁判官の間で共通の認識を持った上で,それぞれが具体的な事件に応じて判断をしているということでございます。 ○横田委員 今の点について,検察官の立場から補足をさせていただきたいと思います。   最近,私自身が大規模庁で公判に立っているというわけではないので,伝聞にはなってしまいますけれども,最近では,遺体の証拠が証拠として提出できるということは,まずない,と聞いております。血のついた凶器も現物が証拠として採用されないことの方が多く,写真でしか採用されないことが多いとのことです。   裁判官は,検察官がそういう証拠が立証に必要なのであれば,それを検察官においてきちんと主張してほしいと,それで裁判官がなるほど必要だねということで納得すれば採用します,とはおっしゃっていて,証拠が採用されないのは,検察官の説明不足で,検察官に責任があるかのように思われている節があるのかもしれません。けれども,検察官の立場としては,判断者は,加工のないありのままの事実をきちんと見るべきだ,という考えが根底にあります。要するに,百聞は一見に如かず,ということです。けれども,裁判官は,証拠は必要があるときしか見なくていいというスタンスのようで,そんな証拠はそもそも見なくてもいいという考えの方に,「見た方がいいですよ。」と説得するのはとても難しいことです。今,検察官が現場において,証拠を出すことができずに,いろいろと苦境に陥っておりますけれども,その原因はそういうところにあるのではないかと思っております。   それから,先ほど髙橋先生が,裁判官は写真を見なくともイラストだけ見れば分かるとおっしゃいましたが,最近の左陪席,一番若い裁判官ですけれども,裁判員裁判事件以外で,死傷事件を御覧になることはほとんどないと思いますので,遺体の写真はほとんど御覧になっていないと思いますし,最近では,裁判官裁判でも,必要がなければ遺体の写真は採用しないと公言される裁判官がおられるとも聞いております。したがって,遺体の写真を見る必要がない,という考え方は,裁判員裁判に特有なことではないとお考えの裁判官も最近は多いのかな,と思っております。 ○和氣委員 まず髙橋弁護士,鈴木さん,この場に来ていただいてありがとうございました。  私も交通犯罪被害者です。当時の法律はどんな悪質な交通事故でも業務上過失でしか裁かれなかった時代でした。そういう中で,自分なりに裁判記録などを取り寄せて事実を確認したいとの思いがあり,裁判記録を取り寄せました。被害者も裁判記録を見ないうちは,どんなに悲惨な状況だったのか,遺体だけしか見ていないので,分からない部分がありました。裁判記録での写真は大量の血のついた運転席の状況があり,それを見た途端,やはり背筋がぞっとして鳥肌がたったことを思い出されますが,それを見たからこそ娘のために業務上過失から厳罰化を求めて署名活動に参加し,危険運転致死傷罪という法改正をさせていただきました。被害者であっても写真を見た場合と見ない場合とでは随分感覚が変わるなと感じました。裁判員の方や裁判官の方も,画像や写真で事実をよく見て判決を下していただきたいと私も感じておりました。ありがとうございました。 ○菅野委員 髙橋先生に1点,お聞きしたいと思います。遺体の写真の立証趣旨が,危険運転の成否に係る立証趣旨で請求されていたものなのか,量刑に関する証拠として請求されたのか,あるいは両方だったのか,お聞きしたいです。特に先ほどお話を聞いていた中では,裁判所の整理した争点が被告人運転車両の速度が時速120キロメートルぐらいなのか,それとももっと高速度だったのかによって危険運転が成立するかどうかという争点整理になってしまったというお話があったので,その関係で位置付けられた証拠として請求されていたのかどうか,先生がもし御存じでしたら教えていただければと思いました。 ○髙橋弁護士 行為態様と結果の重大性,両方だと思います。量刑もそうだし,事実認定でも,両方で御遺体の写真は請求されておりました。というのは,実はEDRが争点でしたが,EDRというのは129キロが針が振れるリミッターです。それ以上は針が振り切れてしまいます。ですから,それ以上,どのくらい速度が出ていたかは,EDRでは,エンジンの回転数から速度を逆算する方法が採られました。しかし,その計算方法も,実際にはかなり鑑定に幅があって,十分に立証できませんでした。   だからこそ,様々なスタントマンの供述調書とか,あるいは御遺体の写真とか,こういう状況証拠も照らし合わせて,検察官は総合的に立証しようと試みたのです。ところが裁判官がそれをことごとく排除してしまい,EDRだけに絞って事実認定をしようとしたのです。 ○菅野委員 通常,鑑定人には客観的な資料というのを提供した上で鑑定が行われるケースも多いかと思いますが,その工学鑑定においては,基礎資料は鑑定人に提供されず,鑑定の前提にはなっていなかったんでしょうか。 ○髙橋弁護士 なっていないです。EDRだけです。 ○菅野委員 では,その点に関する鑑定だったんですね。 ○髙橋弁護士 もちろん残っている痕跡とか,道路上の擦過痕とか,擦過痕の長さとか,それも一応は前提資料にはなっていましたけれども,メインはEDRだけでした。 ○堀江委員 髙橋さんに質問ですけれども,先ほどのお話で,性犯罪の被害に遭われた方の証人尋問が刺激証拠という理由で制限されたとおっしゃいました。その刺激が強いという理由がどういうことなのかが,よく分からなかったのですけれども,被害者の方が法廷に来られて事実認定者が対面すること自体が刺激が強いということなのか,それとも予定される証言の内容が刺激が強いということなのか,あるいはそのほかの理由なのか,その点について教えていただきたいと思います。 ○髙橋弁護士 後者です。つまり,証言の内容です。内容が強姦事件ですから,赤裸々にそのときの状況を話さないといけないわけです。これが刺激証拠だというわけです。 ○大沢委員 鈴木さんにお伺いしたいんですけれども,今回の裁判で,もう少し被害者に対して,被害者御遺族に対してこういったような配慮を,例えば裁判所なりでそういったものが裁判のときにしてほしかったというような,何かそういったことがもしお感じになったことがおありになったら,ちょっと教えていただきたいんですけれども。 ○鈴木希実氏 そうですね。加害者は,申し訳ありませんでした,もう僕が死ねばよかったですということを何度も何度も言っていました。それは,裁判官の方を向いて言っていました。私たちの方は一切見ませんでした。せめて,そこで裁判官が,僕たちの方ではなく被害者の方の方に向いて言ってみたらどうですかということを一言でも言っていただけたらよかったのかなというふうに感じます。 ○島田委員 髙橋弁護士にお伺いしたいんですけれども,この一審の懲役6年の判決に対して,控訴はどうなったんでしょうか。 ○髙橋弁護士 控訴は断念しました。実は,そのEDRについて反証ができない,自信がないということが検察官の理由でした。   科学の証拠というのは,ちょっと違っただけで結論が大きく変わってきます。ですから,科学の証拠だけでなくて,いろいろな証拠を総合的に評価しなくては真実は見えてこないと私は思っています。その総合的な評価の一つとして,検察官がやろうとしたのが,御遺体の損傷状況でした。ところが,それも却下されてしまう。スタントマンの供述調書も却下されてしまう。つまり,裁判官に手足をもぎ取られて検察官は立証を尽くさなければならなかったのです。これじゃもう証拠に基づかない裁判と変わりがありません。 ○大澤座長 よろしいでしょうか。   それでは,鈴木さん,髙橋弁護士,本日はお忙しいところ,非常に有益なお話を頂戴いたしまして,誠にありがとうございました。 ○河原刑事法制企画官 髙橋弁護士の説明資料につきましては,回収させていただきますので,係の者にお渡しいただきますようお願いいたします。 (鈴木希実氏,髙橋正人弁護士 退室) (合間利弁護士 入室) ○大澤座長 それでは,続きまして,合間利さんからヒアリングを行いたいと思います。   御説明と質疑を含めておおむね30分から40分程度を予定しております。   合間弁護士におかれましては,お忙しい中,当検討会にお越しくださいまして,誠にありがとうございます。検討会一同を代表しまして,心より御礼を申し上げます。   着席させていただきます。   本日は,合間弁護士が実際に裁判員裁判に関与された御経験を踏まえて,お話を伺いたいと思います。   それでは,どうかよろしくお願いいたします。 ○合間弁護士 弁護士の合間と申します。千葉で弁護士をしております。この機会を与えていただいたことを感謝いたします。   私の方から,被害者支援をしている一弁護士の立場から,お話をさせていただければと思います。   座ってお話しさせていただきます。   私は弁護士で,修習期は55期になります。弁護士として17年目になりました。弁護士になった1年目から被害者支援に携わってきました。地元の千葉なんですけれども,犯罪被害に関する委員会というものがございまして,そこに所属をしています。また,日本弁護士連合会では,犯罪被害者支援委員会というものがありまして,その事務局長をしています。肩書めいたものではあるんですけれども,今日は一弁護士として,一実務家として,裁判員裁判と被害者についてお話しさせていただければと思います。   お手元に簡単なペーパーがあるので,この順に沿ってお話しさせていただければというふうに思います。   まず,裁判員制度の導入前の様子ですけれども,私が弁護士になって最初に担当した事件,これは共犯者数名による殺人事件の被害者御遺族,御両親の支援活動でした。非常に重大な,深刻な事件でしたが,もちろん当時は裁判員裁判はなく,心情に関する意見陳述という制度はありましたが,被害者参加はありませんでした。   当時のことを思い出しますと,刑事裁判に被害者が関わろうとすれば,証人となるか意見陳述を行う以外は傍聴席で手続を,進行をじっと見守るしかありませんでした。当時,今では少し違うのかもしれませんけれども,傍聴席にいると法廷の声はよく聞き取れなくて,もう本当に耳を澄ますしかない感じ。証拠を何かやり取りしているのですが,手元のところでごちゃごちゃしていてよく分からない。本当にそんな状態でした。それに比べれば,現在の裁判というのは本当に様変わりしたんだなというふうには感じています。   次に,現状,裁判員裁判や被害者関与はどのようになっているのかということについてお話しさせていただければと思います。   まず,分かりやすさという点ですけれども,御案内のとおり,裁判員裁判は,直接主義というのか,公判期日での立証活動を中心にして,法曹三者が工夫というか試行錯誤をして裁判員の方にも理解してもらえるような分かりやすい訴訟活動というのが心掛けられています。   そして,裁判員に分かるということは,被害者にも分かるということになります。先ほど申し上げましたとおり,裁判員裁判の施行以前は,何が行われているのか,法廷を見ているだけでは弁護士である私ですらとてももどかしい思いを持って見ていました。公判期日の後,検察官から実際に行われた,今日はこんなことをやったんだよというような説明というのはもちろん受けるのですが,そのとき分かるわけではないですし,完全に理解できるわけでもありません。ましてや,被害者御自身が相当なストレスというか,もどかしさを感じていたというのは,その前の現状としてはあったと思います。そのもどかしさというものが,裁判員裁判では随分解消されたかなというふうには思っています。   もちろん裁判員裁判でも,鑑定人などの専門家証人が出る場合では,専門用語が出てきたりして,見るだけでは分からないということも当然あるとは思います。その場合も,参加弁護士として事前にそのような専門的な質問が行われる,尋問が行われるということは分かるので,どのようなことが行われるのか,又は行われたのか,事前事後に被害者に説明をしてフォローするようにはしています。それが可能な状態にあるのかなというふうに思っています。   ですので,公判廷での活動が分かりやすくなったこと,つまり法廷で何が行われているかについて被害者がより知ることができるようになったこと,このことについては,裁判員裁判による良い側面だというふうに私は感じています。   次に,被害感情への向き合い方です。   裁判員裁判と被害者参加制度導入当初,裁判員が被害者に同情し感情移入するなどして,被害感情に流されてしまって感情的な裁判というか,劇場化というか,そういったことに陥ってしまうのではないかという懸念が示されたことがあったと思います。確かに,心情に関する意見陳述,特に被害者御本人や御遺族が御自身で陳述をされる場合,裁判員はとても一生懸命聞いてくれています。本当に真剣に聞いてくれているんだなというのはよく分かります。そのとき,被害者御自身が涙ぐむ場合も,声を詰まらせる場合も多いですし,裁判員の方でも涙をこらえている場合はあると思います。そういう方もいらっしゃいます。   だからといって,少なくとも私の経験では,裁判員は被害者の方の気持ちに寄り添おうとしていただいているというのは感じますし,そのことは,被害者側としても非常にうれしいことなんですけれども,法廷が感情に流されてしまったというふうには感じていません。   そもそも,被害者の気持ちを伝えるのは,弁論終結の前に行われる心情に関する意見陳述がほとんど唯一の機会です。それまで,裁判員はもちろん被害者の存在を意識はされていると思いますが,飽くまで証人や被告人,法廷の真ん中に集中をしています。行為責任という考え方が強く打ち出されているということもあるとは思うのですけれども,公判全体を見渡せば,裁判員が被害感情に流されてしまったということにはなっていないと思います。ただ,それは被害感情を軽視しているというふうに感じているわけではありません。裁判という枠組みの中で被害感情に冷静にきちんと向き合ってくれているというふうに私は理解しています。   量刑の影響についてですけれども,被害感情の場合と関連しますけれども,裁判員の方が被害者に影響を受けて判決が適正な範囲を超えて厳罰化するようなことがあるのではないかといった懸念も示されていたやに記憶しています。例えばですけれども,性犯罪が厳罰化したというようなことを言われることもあると思いますけれども,性犯罪自体は,そもそも被害者の方が被害者参加とか意見陳述をしない場合も多くあります。性犯罪の厳罰化と被害者参加や意見陳述はリンクしないのではないかなというふうに考えています。もし性犯罪が重罰化しているという評価があるとすれば,それはまさに一般の裁判員の方の意思であるというふうに私は理解しています。   そのほか,一般的にいって,被害感情により厳罰化しているという実態は,私自身はないのではないかと感じています。少なくともそこに何らかの関係があるとは感じていません。   そういった現状で,そもそも被害者がなぜ裁判員裁判,刑事手続に関与していくのかということについて,まず御理解いただければと思うのですが,被害者は,ただ加害者への厳しい処罰を求めるためだけに被害者参加をして裁判で意見陳述をするわけではありません。むしろ,まずある気持ちとしては,何が起きたのか,なぜそれが起きたのかを知りたいということにあるというふうに私は感じています。被害者は,事件の当事者ではありますけれども,一体どういうことがあって,なぜそれが行われたかというのは,基本的に分からないのです。その分からなかったことが,裁判に参加することで,初めてようやく事件の全体像が理解をすることができる。そういう意味で参加をしたいということがあります。   また,伝えたいという気持ちもあると思います。被害者の気持ちは,例えば証拠の供述調書で被害感情というのが出ているかもしれませんけれども,それはほとんどが事件直後のものであったりして,被害や事件にそのまま向き合ったその結果でない場合も多いですし,事件直後なので満足に話せないといったこともあります。もちろん,検察官から聞かれた形で答えるという場合もあります。ですから,本当の自分の素直な気持ちを知った上で判決が下されてほしいというのは,被害者の素直な気持ちだと思います。ですから,意見陳述などをするということですね。   ですので,私が支援させていただいたほとんどの方が,心情に関する意見陳述,準備はとても大変なんですけれども,それをやってよかったという感想を持たれる方が多いです。   またもう一つ,特に御遺族の場合かもしれませんが,できることはやってあげたいという気持ちで参加する方も多いです。裁判員裁判は連日開廷ですし,そこに出席して,実態として何が行われたかという事件に向き合うということは,とてもストレスが掛かることではあります。一日一日,とても疲労して帰られるということが多いと思いますけれども,それでも,亡くなられた方のためになるようなことは全て行っておきたいと,それで報告をしたいという覚悟を持って参加するという側面もあります。被害者はさまざまな思いを持って裁判に臨んでいるということは,理解していただければなと思います。   もちろん,こういった知りたい,伝えたい,できることはやりたいという気持ちとあわせて,多くの被害者は,加害者に対する厳しい処罰というのも求めています。それはもちろん当然のことだと思います。ですので,私はよく被害者の方から被害者参加したら加害者の刑は重くなりますかということを聞かれます。でも私は,はいとはそこでは答えられません。現実は違うからです。峻烈な被害感情を法廷でぶつけたからといって,必ず刑が重くなるわけではもちろんありません。   裁判員裁判の事例ではないですが,私自身が経験した事例として,余りにも峻烈な処罰感情を法廷でぶつけたが故に,かえって裁判所が引いてしまったという事例を経験したことがあります。あのときどうすればよかったのか,私はいまだによく考えます。どうしていいのか,正解は分からないんですけれども,ですから被害者が加害者の厳しい処罰という結果だけに執着しないように,一体刑事手続で何ができるのか,できる限りコミュニケーションをとって話し合いながら活動していくということを努めています。難しいですし,何が正解か分からない。被害者の方とお話をしながらやっていくということではあるのですけれども,ただ,被害者が思う厳罰というものが結果として果たせなかったときに,本人が更につらい思いをするということはやはり避けたいというふうに思っています。そのために,ただ厳罰を求めるだけじゃなくて,法廷で被害者が少しでも納得できるような気持ちの表し方であったり,裁判員裁判の使い方を工夫していきたいというふうに思いながらやっています。   まとめですけれども,それがよいか悪いかはともかくとして,今の法制度の下では,裁判員裁判に被害者が参加したり意見陳述したりすることで,裁判に混乱を生じさせる事態にはなっていないというふうに私は考えています。もしかしたら,混乱が生じているという現状の方が,被害者の意思が裁判に反映されている結果という評価もあるのかもしれませんけれども,私は,被害者が今の法体制を前提として適切に行動していることで,その立ち位置を確保しているんではないかなという見方もできるんじゃないかというふうに思っています。   だからこそ,裁判員裁判の審理計画の策定においても,被害者側の活動のための時間はおおむね確保していただいていますし,裁判所での控室の確保など,きちんとした配慮もしてもらっていると思っています。   もちろん,罪体に関する証人尋問を参加弁護士としてしたいですし,生前写真の取扱いなどいろいろ言いたい意見もあるんですけれども,被害者が現状,当事者ではないとして刑事手続から排除されるのではなくて,被害者の知りたい,伝えたいという気持ちに対して,現状の制度の下で可能な範囲で対応してもらっている場合が多いというふうに思っています。その点は,前向きに捉えていいのではないかというふうに私は思っています。   ただ,課題ももちろんあります。その中で,きょうは二つ挙げさせてください。もちろんこれに尽きるものではないと思いますけれども,この2点が大きなところかなというふうに私は思っているからです。   まず,公判前整理手続についてです。その第1点は,期間が長いということです。起訴から1年以上掛かることはまれではありません。私が経験した事案では,最終起訴から2年半以上待たされた例もありました。その間,被害者はただ待つしかありません。事件に一つの区切りをつけることもできずにいるという,こういう状態はやはりつらいです。   そして,なぜ長くなっているか,その必要性があるのか,いま一つ判然としないこともありますし,被告人のせいではないかといった余計な疑念が被害者の方に生じてしまうこともあります。もちろん,被害者参加弁護士として検察庁との連絡を密にとって,公判前の情報収集に努め,それを被害者にフィードバックする,それによってそのような事態が生じることを防げるということが筋だとは思います。ただ,手続内でのやり取りや雰囲気は,正直そういった形では分からないですし,検察官の個性で情報量が左右されてしまうということも実際のところあります。   また,もちろん公判前整理手続が短くなることにこしたことはないんですが,私自身も,裁判員裁判で弁護人を務めたこともありますので,やはりある程度の期間というのはどうしても必要になってしまう場合も生じていると思います。長くなってしまう理由があるということも分からないではありません。ですから,せめてこの公判前整理手続で裁判までの期間が長くなってしまっている理由を実感したいというのが,参加弁護士としての率直な希望です。   また,2点目として,公判前整理手続の結果,被害者にとっては必要以上に争点が絞られてしまっているということについて,問題を感じています。というのも,被害者参加はその訴因の範囲で具体的に参加できるはずですが,例えば動機や犯行経緯について法廷で被害者が疑問に感じていたとしても,公判前整理手続の訴因整理の結果から外れたそれが疑問であった場合,審理の対象から事実上外されてしまっています。これはかなり窮屈ですし,被害者の知りたいという希望に反してしまいます。   ですから,そのように争点が絞り込まれてしまう前に,検察官と十分協議をする必要がありますし,そのためには,争点の絞り込みの少なくとも具体的な経緯を把握したいというふうに思います。このためにも,何とか公判前整理手続に関与したいというのがやはり第2の率直な希望です。   ただ,当事者でない以上,公判前整理手続に直接関与するということが難しいというのも分かります。分かりますと言っちゃいけないのかもしれませんけれども,それが現実かなと思います。私自身,繰り返しになりますけれども,裁判員裁判で弁護人をして,被害者の方がいる場合も経験しています。その立場からすると,公判前整理手続で被害者側の方がその場にいるとなると,実際大きな抵抗を感じるというのは分かりますし,未確定な議論が被害者側に伝わるリスクというのはやはり考えざるを得ないということはあります。   ただ,弁護人としても,被害者の方がいようがいまいが,言い方は悪いですけれども,主張すべきことは主張せざるを得ないですから,どこかで腹をくくる必要はあります。また,未確定な議論であれば,それを明示することで,被害者参加弁護士が慎重に扱うことで解決することもできるのではないかなと思います。   そこで,全くの個人的な考えなのですが,裁判員裁判では,正式な公判前整理手続ではなくて,事実上の打合せ期日を設けられていることがとても多いというふうに私は認識しています。この期日を活用して,一定期間ごとに被害者参加弁護士も出席する期日を設定できないかということを検討していただきたいと思います。正式な公判前整理手続に出席するということよりは柔軟に対応できるのではないかなと思いますので,御検討いただければと思います。   また,裁判日程がなかなか決まらないということも実態としてあります。やはり決まらないと落ちつかないものです。もちろん検察官を通じて日程調整をしているのですが,やはり融通をきかせたり微調整を行ったりすることは難しいです。せめて公判前整理手続による審理計画の策定の場面では,その正式な手続でなくてもいいんですけれども,参加弁護士を同席させていただきたいというふうに思います。実務上行われている実例もありますし,私も経験しています。これも裁判体次第ということになるのかもしれませんけれども,やはり運用なり制度として明確化していただきたいというふうに思います。   あと,いわゆる刺激証拠についてです。これまでも議論は出ていたのかもしれませんけれども,裁判員裁判においては,遺体の写真や傷口の写真,凶器,犯行時の撮影した動画や録音など,一般にいわゆる刺激証拠と言われている証拠の取扱いについて,写真の抜粋やイラスト化などが行われているという現状があります。   裁判員裁判の導入当初は,むしろ調べられる証拠を被害者に見せないようにという形で配慮していたことからすると,随分変わったなというふうに思っています。そもそも刺激証拠という,今そういう議論の立て方をされていますけれども,刺激という言葉自体ちょっと違和感はあるのですけれども,一般に言われているので使いますけれども,裁判所の方に聞くと,証拠採用の必要性の基準は変わっていないというふうに言われるのかもしれませんが,明らかに必要以上にイラスト化しているというふうに私は認識しています。人の死がイラスト化されていることの違和感はどうしてもぬぐえません。   最近私が経験した事件では,死因に争いがなかったことから,犯行現場で発見されたときの被害者の方の写真があるんですけれども,本来証拠はもちろん写真で写されていて,別に何か血が流れているとかそういうわけではないんですけれども,その御遺体が結局証拠では一筆書きの線,よく刑事ドラマでこう,道路に白墨で書かれているような線があると思うんですけれども,あれだけでした,遺体が出てきたのは。やはり,争いがないからといって,そのような証拠だけで人が死んだ,殺されたことに対する罪を判断していいのかというのは,素朴に疑問に感じます。   そこで,被害者の信頼,納得がそのような裁判で得られるのでしょうか。確かに,裁判員に過度に心理的な負担を与えるような証拠,いたずらに感情をかき乱すような証拠は適正な判断の妨げになるとは思います。ただ,事案の実態から余りにも遊離したまま裁判が行われていても,被害者はその判決に到底納得できません。たとえ争いがなかったとしても,凶器も,御遺体も,傷口も何も見ずに,適正な事実認定,量刑判断をしたと言えるのか。裁判手続を信頼し尊重しているからこそ,被害者はその枠組みの中でできる限りのことをし,その結果を受けとめようとしています。証拠をちゃんと見て判断しなければ,その信頼は揺らぎますし,その結果に納得することもできなくなってしまいます。   誤解していただきたくないのは,証拠をちゃんと見るというのは,悲惨な状態を見て量刑を重くしてほしいというふうに言っているわけではないんです。実際にどういうことが行われていたかという実態に触れて判断をしてほしいんです。その結果でないと,被害者として,どんな結果であれ受けとめる前提を欠いてしまうというふうに私は思います。そのことを理解していただければと思います。   また,被害者と限らないと思うんですけれども,刺激証拠の問題は,国民の司法に対する信頼を阻害しかねない問題ではないかとも思っています。事案に争いがある場合はもちろん,争いがない場合であっても,発見時の遺体写真とか凶器の性状などは,裁判員が事案の実態を把握するために必要性が極めて高いと思います。それにもかかわらず,これをイラスト化したり,言語化したり,例えばドライブレコーダーの映像を言語化したり,そういったことによって,裁判官や裁判員からそういったものを遠ざけるということは,本当に適正な事実認定,量刑判断につながるのでしょうか。   もう少し言えば,イラスト化した,そういった証拠しか見たことがない裁判官,今の左陪席の方はそういう方になっているというふうに私は思います。その方がいずれ裁判長になったときに,その判断する判決を国民が信頼をするのでしょうか。裁判員の心情を保護するということはもちろん大事だとは思うんですが,もっと大事なことを忘れていないのかというふうに私は感じています。危惧しています。   被害者にとって,刑事裁判は一つの区切りとなるものです。その刑事裁判への信頼を傷つけないでほしいと思っています。   まとめです。最後に,被害者は,裁判員による裁判を基本的に信頼している,正確には信頼しようとしています。ですから,私が驚くほど,被告人だけでなく,訴訟当事者の動きや発言,一挙手一投足を見ています。その期待に私としては何とか応えていきたいと思います。現状は被害者が裁判に集中するだけの配慮は受けていますし,一定程度の活動は行うことができていると思います。もちろん完全な満足を得るものではありませんし,完全な満足を求めるのも無理だと思います。ただ,結果があればもちろん一番いいんですけれども,せめて裁判の手続や内容について,納得できるものであってほしい。   被害者に余計な心理的な負担,心労を増やしたくありません。裁判の手続や内容について納得できるものであれば,事件の実態にも被害者の気持ちにも適正に向き合っているものであれば,被害者は刑事裁判を一つの区切りとすることができるはずです。納得しなかったとしても,一区切りをつけるだけで,どれだけ被害者の負担を減らすことができるのかというふうに思います。そこに禍根を残さないために,これまでどおりの円滑な運用は必須だと思いますし,課題として挙げさせていただいた点については検討していただきたいというふうに思います。   私の方からは以上です。ありがとうございました。 ○大澤座長 ありがとうございました。   それでは,ただ今の御説明について質問等ございますでしょうか。 ○小木曽委員 公判前整理手続についてですが,それが長期化するということと,一方で,被害者参加弁護士が事実上の打合せ期日に参加するとか審理計画の策定に関与を望んでおられるということとの関係での質問です。仮に被害者参加弁護士がこうした手続に関与されると,手続がより長期化するということはないのかということが1点と,もしそれが長期化の原因になったとしても,公判前整理手続で何が行われているかが分かるから,その方がメリットがあるということなのか,その2点をお願いします。 ○合間弁護士 参加をしても,必ずしも長期化にはならないと思います。私が申し上げているのは,公判前整理手続の具体的な争点整理活動とか,そういうことをするわけではなくて,実際何が行われているかということについて確認をするということなので,例えばですけれども,実際に行われている打合せ期日の最後の部分に参加をするとか,そういった形で対応できると思うので,もちろん日程調整の問題というレベルでの話はあるかもしれませんけれども,そこについて何か長期化するということは,私自身はあまり想定はしていません。 ○菅野委員 被害者が刑事手続に関与する理由として,いろいろ知りたいとかというところがあるというところはよく分かりました。公判前整理手続で,弁護人は証拠の開示を受けることができます。合間さんも多分弁護人だったら類型証拠とか主張関連証拠開示とか任意開示とか,たくさんの証拠開示を受けておられると思うんですけれども,被害者を支援している立場では,どこまでの証拠を見ることが許されているんですか。 ○合間弁護士 検察官によると思います。それから,その事件の内容等によるので,ここは被害者に,少なくとも公判で請求証拠については見せていただいていますけれども,それ以上の類型証拠であったり主張関連証拠だったりということになると,その事案や検察官の対応によってまちまちです。あと,弁護側の弁号証については,やはり弁護側の了承を得てからというふうに言われることは多い気はします。アクセスの程度というのは,逆に運用に任されている分まちまちな気はします。 ○菅野委員 なるほど。そうすると,証拠の一覧表も,現状だと被害者側には当然には開示されないわけですか。 ○合間弁護士 そこも含めて多分人によるんだと思うんですけれども,もちろん私も,見せてもらったこともありますし,ここはまだこれがどうなるか分からないので,ちょっとお見せできませんという場合もありますし。 ○大沢委員 先ほど,最後で刺激証拠のお話があったんですけれども,犯罪被害者支援の立場で関わられているというケースと,それから弁護人としての被告人を弁護する立場としての御経験もあると思うんですけれども,やはり両方の立場で見ても,要するにこの刺激証拠というのが過度にイラスト化されているとか,そういうふうに感じるということなんでしょうか。そこのところちょっと伺いたかったんですけれども。 ○合間弁護士 そうですね,私はそう感じています。ちょっと2点目で申し上げたとおり,本当にこのまま刑事裁判がこういう形で進んでしまっていいのかというのは,ちょっと本当に心配しているんです。こういう言い方は語弊があるのかもしれませんけれども,最初に開示証拠で確認した後に,実際の裁判で取り調べられている証拠を見ると,何か証拠が絵本になっちゃったような感じがすることもあるんですよ。それで本当に判断して大丈夫なのかなという。もちろん全部が全部ということではないし,分かりやすくする必要があるということも分かるんですけれども,何かそういった危惧というか,いうのは私自身は感じています。 ○島田委員 合間先生からも御指摘いただきましたし,ほかの方からも御指摘を頂いているところなので,説明をさせていただきますが,若い左陪席裁判官が御遺体の写真を見たことがないという御指摘をよく受けるんですけれども,そうではなくて,若い裁判官は令状審査を担当することが多く,逮捕状の請求であるとか勾留の請求であるとか,鑑定処分許可状の請求であるとか,そういった審査の段階で御遺体の写真を見ることは多数ございます。ですので,法廷で審理の中で見ることは確かに今,裁判員裁判で比較的少ないかもしれませんけれども,実際の御遺体の写真を見るということは多々あるということを御指摘させていただきます。   それとあと,御遺体の写真について,先ほども申し上げたとおりで,要証事実,事実認定の関係で必要性があるという場合には,採用していますが,量刑事情の関係で請求されているときに,裁判所として本当に必要なのかということを考えるんですけれども,当事者の立場,検察官あるいは弁護人はどのようにお考えなのか,少し伺ってみたいと思います。 ○菅野委員 私自身は裁判員裁判も普通の裁判も,刑事弁護人として20年ぐらい活動してきました。今は,以前と比べると遺体の写真はそのまま証拠にならない,そのような運用は肌で感じているところです。   裁判員裁判が始まるときに,陪審裁判や参審裁判とかいろいろと見てきて,市民がジャッジするときに,過度に感情をかき立てられるような証拠,これは別に刺激証拠と今言われているものとイコールではないですが,そういった証拠については,証拠の許容性を議論しなければならない。あるいは,前科とか前歴,こういった証拠もどういう位置付けの証拠なのか,慎重に議論した上で,事実認定をしなければいけない。そういう流れがあったことは,私としては健全な方向だと考えています。何でもかんでも裁判所で一旦証拠として採用して,裁判官証拠の信用性を判断するより,証拠の許容性の議論を厳密にしようという話はとても有益な示唆であったと思われます。もう一つ,量刑理論の検討が深まるにしたがって,例えば,遺体写真が立証する事実は何か,その事実が量刑事情としてどれだけの重みを持つのか,あるいは,持たないのかという議論をするようになったことも健全な部分と考えています。   私の考えに,合間さんには反対されると思います。被害者の遺族からすれば,死という生の事実,あるいは遺体の状況は,それ自体裁判員にも見てほしいという議論ももちろんあるとは思います。しかし,私は,量刑事情として意味がないのであれば,遺体写真は,裁判で証拠として採用すべきではないと考えています。例えば,遺体の発見されない事件を私自身担当したことがあります。遺族が出てこない,被害者がホームレスであった事件を担当したこともあります。遺体の写真や生前写真がない事件もあるわけです。しかし,別に写真がないから刑が軽くなったり,写真があるから刑が重くなるということではいけないはずです。遺体写真や生前写真があったときに,量刑事情としてどういう意味を持つかということを考えると,私は,ないと考えています。   遺体写真等の採用が慎重になされている現状に,私は,違和感はありません。裁判所が考えているアプローチとは違うかもしれませんけれども,弁護人として,遺体写真や生前写真は,それを証拠に採用しなければ,量刑判断ができないというような重みを持つ証拠ではないと感じています。 ○横田委員 遺体の写真が量刑にどう影響するのかという点については,事案にも拠りますし,事件を担当する検察官によって判断が異なるところだと思いますので,私がここでこうだと申し上げるのは控えたいと思いますが,今,検察官が持っている問題意識というのは,刺激証拠の定義が明確にされないまま,刺激証拠と呼ばれるものの範囲がどんどん広がっていて,ちょっとしたことで,裁判官が,「あっ,これだと,裁判員の人が訴えてくるかもしれない。」とお考えなのかどうかは分かりませんが,刺激証拠の範囲が限度なく広がっているところが非常に問題だというものです。   また,凄惨さであるとか,御遺体そのものの写真を見る必要がという場合は全てではないと思います。しかし,どうしても見ていただかないといけないという場合も,それはあるだろう,と思っております。 ○大澤座長 合間さんのヒアリングですから,合間さん,何かお話があれば。 ○合間弁護士 先ほど話させていただいた内容のとおりですので,お時間もないと思いますので,重複は。 ○山根委員 もう大分お答えのようなものもいただいたんですけれども,このいわゆる刺激証拠というものが,真実を理解するために必要な場合は,過度の抽象化は避けるべきということは理解するんですけれども,やはり見せ方とか工夫は要るのではないかというふうに思っています。心配なのは,心理的な負担を恐れて辞退する人が増えてしまうのではないかと,そういうことも思いますので,理解を得るための工夫というか,見直しを議論する必要があるのかなというふうに思いました。 ○横田委員 さっき先生が生前写真の取扱いということをちょっと言及されたんですが,これは例えば傍聴席に持ち込むとかそういうお話なんでしょうか。それとも,生前写真を証拠として採用されないという,そういうお話なんでしょうか。 ○合間弁護士 本当に場合が広いので,傍聴席で遺影を掲げるという意味ではなくて,例えば心情に関する意見陳述のときに添付したりとか,被害者の被害感情の証人尋問のときに示すということがあったと思います。それが現状なかなかやらない方向になってきているかなという感覚はあって,それは菅野先生に言わせると,またそれは必要なものかどうかということになってくるとは思うんですけれども,そのあたりのところで,現状の運用がどうかという疑念が出る場合がないわけではないので,少し申し上げたということです。 ○大澤座長 合間さん,本日はお忙しいところ,非常に有益なお話を頂きまして,本当にありがとうございました。 (合間利弁護士 退室) ○大澤座長 本日予定したヒアリングは以上でございます。   最後に,次回以降の進行について確認をいたします。   次回会合においても,引き続き,裁判員裁判関係者からのヒアリングを実施したいと思います。具体的な人選や実施方法については,現在検討中でございますので,後ほど速やかに事務当局を通じて委員の皆様にお知らせすることとさせていただきたいと思います。   本日予定した議事は以上でございますが,この際,何か御発言がある方はいらっしゃいますでしょうか。では,最後に,事務当局から次回以降の日程について確認をお願いいたします。 ○河原刑事法制企画官 次回会合の日時,場所につきましては,現在調整中でございますので,追って御案内を申し上げます。 ○大澤座長 本日の会議の議事につきまして,第三者の名誉,プライバシー等の保護のために公開に適さない部分が今後精査した場合に出てきたとしますと,議事録に記載せず非公表としたいと思います。具体的に非公表とする部分等については,座長に御一任をいただきたいと存じますが,よろしいでしょうか。それ以外につきましては,発言者名を明らかにした議事録を公表することとさせていただきたいと思います。そのような取扱いでよろしいでしょうか。 (一同了承)   それでは,そのような取扱いとさせていただきます。   それでは,本日はこれにて閉会といたします。   どうもありがとうございました。 -了-