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企画展示

企画展示「前近代の『司法資料』」について


展示風景
 近年行った企画展示では,明治時代に司法の世界で活躍した人物にスポットを当て,その人物の経歴及び功績を振り返るものが多かったのですが,今回は視点を変え,法務図書館が所蔵している「司法資料」を主役とした展示構成となっています。
 法務図書館では,法務省の前身たる司法省から引き継いだ法律学,司法制度に関する古今の名著や貴重史料を大切に保管しています。こうした資料はもともと,司法省の業務に資するために収集されたものと考えられます。
 明治時代,司法の近代化を急いだ日本は,西洋法を主な手本として立法作業を行いましたが,明治以前(前近代)における日本の法制において古典籍が重要な役割を果たしてきたことに鑑みて,司法省は前近代の自国の法制に関する資料の収集を放棄することはありませんでした。今日に伝わる貴重書の中には,司法省の文字が記された罫紙に筆写された,つまり司法省によって作られた写本が多く存在します。これらは日本の法伝統を後世に伝える目的で収集されたものです。
 前近代に優れた法伝統を持っていた日本だからこそ,明治時代,堰を切ったように流入した西洋法を見事に理解し,かみくだき,近代日本法を作り上げることができたのです。

 今回,法務史料展示室において,法務図書館が所蔵している司法資料を一般公開し,多くの方々に貴重な史料の現物を御覧いただくとともに,日本における司法の歴史を読み取っていただけたらと思い,今回の展示を企画しました。
 また,今回の企画展示で取り上げている史料の多くは,法務省の前身である司法省によって作製された写本です。これら写本上の美しい文字を見るにつけ,パソコン入力に慣れてしまった身には尊敬の念を禁じ得ません。日本の法伝統を後世に伝えようと,苦労して写本を作った先人の思いに触れていただくためにも,是非,法務史料展示室に足をお運びいただき,展示史料を御覧いただければと思います。

 

企画展示史料の御紹介

『大宝律 名例、賊盗』


『大宝律 名例、賊盗』

 この史料は「大宝律」(大宝元年(701)に完成した「大宝律令」のうち,現在の刑法にあたる「律」の部分)の名が付されていますが,内容は表題とは異なり,実際には天平宝字元年(757)に施行された「養老律」が記されています。江戸時代,国学者らが律令を研究する中で,現存する律令は「大宝律令」であるとの解釈が広がり,明治時代に司法省が本簿冊を写した頃にも,官吏たちにそうした共通理解があったためと考えられます。 

『令集解』


『令集解』
 この史料は,惟宗直本が編纂した「養老令」(養老律と同じく,天平宝字元年(757)施行)の私的な注釈書を写したものです。
 明治政府が明治2年(1869)に制定した「職員令」が,名称も内容も「養老令」の影響を受けているように,明治政府には当初,古代にならおうとの意識がありました。また,その後も用いられる官制上の語句も「太政官」や「大蔵省」など律令に由来するものが少なくありません。
 展示箇所の右頁には,「太政官」の文字が見られます。

『建武式目 完』


『建武式目 完』
 室町幕府は,建武3年(1336)に「建武式目」を発布しました。この「建武式目」はあくまでも室町幕府の施政方針を示したものに過ぎず,鎌倉時代に制定された「御成敗式目」が,室町時代にも基本法として生きていました。
 「建武式目」の発布後,社会変化に対応するため「追加」が制定され,それらは後に「建武以来追加」という法令集にまとめられました。
 今回展示している『建武式目 完』は,「建武式目」と「建武以来追加」を合わせた史料で,明治初期に司法省において筆写されたものです。室町幕府法研究を進めるために内容が重要であることはもちろんですが,そもそもこの形態(「建武式目」と「建武以来追加」を合わせて写すという形態)をとること自体が珍しく,司法省における前近代法の収集の仕方・経緯について検討していく上でも貴重な史料です。

『板倉政要』


『板倉政要』
 江戸時代,朝廷と幕府の関係を調えるという重要課題の実現のため,京都所司代という役職が設けられました。その職務は,京都の護衛,禁中・公家の監察や連絡,京都町奉行などの統括,京都周辺8か国の幕府領の訴訟処理,西国大名の監察などで,現在でいうところの行政から司法にわたる幅広いものでした。
 『板倉政要』には,江戸初期に父子で京都所司代となった板倉勝重と板倉重宗の活動が記されています。彼らが在職中に行った施政や,裁定を下した事件などを豊富に収めており,特に裁判説話には彼らが自ら裁きを取り仕切っていた様子が示されています。とりわけ重宗については,出勤すると愛宕の神に拝して私心を取り除いたこと,障子を隔てて茶を挽きながら訴訟を聞き,目に見えるもののみに囚われない公平な判断を心掛けていたことが伝わっており,能吏として謳われた所以がうかがわれます。

『三奉行取計』


『三奉行取計』
 江戸初期の刑事裁判では,その法源は裁判を担当する諸機関・役人の常識にあるとされ,刑法典や判例集を編纂することは,むしろ裁判担当者の判断を鈍らすとの理由で許されなかったと伝えられています。しかし,寛永期(1624~1644)には『御仕置裁許帳』と呼ばれる判例集が町奉行所の牢帳をもとに編集されており,裁判上拠るべき法を判例に求める体系が整備されていきました。
 今回展示している『三奉行取計』は,江戸後期における評定所の決定集です。「三奉行」とは,江戸幕府の寺社奉行,勘定奉行,町奉行の総称であり,『三奉行取計』は,その三奉行への「達」(名宛人を役人等に限定した重要法源)を集めたもので,「取計」とは,公式には部外秘であることを意味します。
 幕府の建前からすれば,法令集には拘泥しないことが望ましいとされていましたが,実際の裁判では先例を固守する傾向が見られ,人よりも法の支配する裁判が事実上行われていたとも分析することができるかもしれません。
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