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愛媛県人権啓発活動ネットワーク協議会
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感謝

愛媛県立松山聾学校 中学部3年 松澤 和希

僕は、三歳の時、聴覚障害があると言われました。けれども、その時は、聴覚障害という事は全く気にしていませんでした。なぜなら、家の近くの知り合いも、僕に優しくしてくれていたからです。

幼稚園に入園する歳になり、僕は松山聾学校幼稚部に入りました。毎週金曜日には、近くの幼稚園へ交流をしに行っていました。その幼稚園のイベントにも参加できて、とても楽しかったのを覚えています。ある日、まるで僕がよそ者のような扱いをされ、イベントに参加できず、教室の中で一人だけ残されたことがありました。その時の僕は、聴覚障害を持っているから、だめだったのかと思っていました。でも、幼稚園にいた、他の先生が僕に、「聞こえなくても、友達がいたら、楽しくなれるよ。」と励ましてくれました。そのおかげで、友達も作れるようになりました。

小学生になり、聴覚障害の事を勉強し始めました。その時に、自分の右耳の近くに、手術のあとがあるのが分かりました。それでも、その時は、全然気にしませんでした。みんなも知っているから、見えてもいいやと思っていました。でも、小学校六年生になると、それが恥ずかしくなって、あとが見えないように、髪を長くしました。今も、見えないように、長くしています。

僕は、小学校四年生からサッカーを始めました。当然、周りは健聴者だけです。

監督やコーチは、僕が聴覚障害を持っていると分かっていたから、身ぶりや大声で指示をしてくれました。しかし、部員は、それが嫌いかのように、僕と全然話をしてくれず、無視するようになり、いろいろと苦しみました。その時は、もう辞めたい、一人で生きたいという気持ちでいっぱいでした。でも、それは、コミュニケーションの力が足りないからだと分かったのは、六年生の夏ごろでした。それからは、健聴者とスムーズに話せるように、たくさん練習しました。学校の先生や、地元の人々など、たくさんの健聴者と触れ合う時間を作りました。そのおかげで、口話でも少しずつ話せるようになりました。相手が早口でも理解できるようになり、たくさん会話できるようになってきました。

しかし、まだ不安が残っていました。それは、自分が言っている事が、相手にきちんと伝わっているかということです。この不安はずっと消えないままでした。聴覚障害の人とは手話で話すことができますが、健聴者はほとんどの人が手話は分からないので、自分の口話を聞き取ってくれているかとても心配していました。

中学生になっても、サッカーは続けていました。新しいチームに入ったので、再び、コミュニケーションに苦しんでいました。でも、そのチームの人達は、すごく優しい人ばかりで、身ぶりなどで、話すことができました。

以前の自分は、聴覚障害が嫌いで、心が折れてしまって、死んだらいいのかな、こんな僕はと思った事もありました。

でも、周りの人達が、僕に仲良くしてくれたり、コミュニケーションを取ることが難しくて、伝わらない時も、友達が、いろいろと手段を変えて、話してくれるので、今は、楽しく過ごせるようになりました。

小学生の時の苦しい偏見やコミュニケーションの難しさは、嫌なので、僕は、聞こえないということをみんなに伝えて、障害があっても同じ人間だということを分かってもらいたいと思います。やはり、障害を持っているという理由だけで、変な目で見たり、無視などをするのはよくないと思います。人間は、誰でも障害を持っていると思います。目に見えるものは、気付くことができますが、目に見えないから気付いていないだけなのだと思います。このことに気付くことができたら、差別はなくなるのではないでしょうか。そして、障害を隠すのではなく、きちんと相手に伝え、理解し合うことができれば、障害に関係なく共に生きていくことができると思っています。

僕は、たくさんの人々に感謝しています。今まで支えてくれたからこそ、今の自分があると感じるからです。だから、少しでも恩返しをするために、なにより自分のために、何事にもチャレンジしたいと考えています。そして、多くの人と積極的に関わって、自分らしく生きていきます。

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