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愛媛県人権啓発活動ネットワーク協議会
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架け橋

松山市立南中学校 3年 井門 珠栄

近年、韓流ブームと言われ、韓国ドラマ、映画、音楽などが大流行しています。それにともない、韓国に旅行に行く人、韓国の食べ物やファッションに興味を持つ人も増えてきました。ケイポップの話題は、私の周りの友人たちの会話の中にもよくのぼってきます。私の母は韓国人であり、私自身も、二年間韓国の学校に通ったことがあるので、韓国語が話せる私に、「この歌詞の意味は」とか、「正しい発音は」などと聞かれることもよくあります。その時、とても楽しい会話が弾みます。逆に、韓国では日本のアニメやドラマが毎日のように、テレビで放映されています。このように、特に若い世代では、日本と韓国、互いの文化に興味を持ち、良い関係を築いているように思えます。しかし、それが、表面的で危ういものであることを知ってほしいと思います。

一九一〇年、日本は武力を背景とした植民地政策を押し進め、以後、一九四五年まで、植民地支配は続きました。植民地時代の韓国では、朝鮮史を教えるのが禁止され、日本史や日本語が教えられました。また、皇民化の名のもと韓国名を日本名に変えさせられました。母国語と自分の名前を奪われたのです。それ以外にも、韓国の文化を侮辱され、否定されたと聞きました。

私の曽祖父は、植民地時代、福岡の強制労働所にいました。重い荷物を運ぶなど、日本人がやりたくない仕事を無理矢理させられていたそうです。妻と子どもを母国に残し、辛く悲しい日々を送りました。曽祖母は、一家の労働力を奪われ、いつ帰ってくるか分からない夫を思いながら、苦しい生活に耐え、子どもを必死で育てました。その間にも、日本人は、戦争に必要だからと言って、家にあったわずかな鉄製の日用品を勝手に持って行ったり、お腹が空いているのに、米を奪っていったりしました。飢えて亡くなる人も多くいました。また、近所には、神風特攻隊に入れられ、自爆した人もいたそうです。

戦争が終わり、植民地から解放された後も、日本人の韓国の人々に対する優位の意識は変わりませんでした。在日と呼ばれる人々は、町の中に住居を持つことを許されず、町から少し離れたところに住みました。大人の中には、子どもに、在日の子どもとは仲良くするなと教える人までいて、ひどいいじめが横行したそうです。それは、想像できないほどのものでした。それでも、自分の国籍を捨てず、在日として生きてきたのは自分の国に誇りを持っていたからだと思います。

私が韓国の学校に通っていた二年の間、忘れられない出来事がありました。

授業中、日本に関する話が出ると決まって、わざと私の方を見て、嫌な顔をしてくる人がいました。私自身、植民地時代に日本人がどれだけひどいことをしてきたかを、いろいろな場面で、いろいろな人から聞きました。私の父が日本人であることを白い目で責めていたのでしょう。私は親しくなった友人たちに、多くの日本人が植民地時代、韓国で行っていたことを知らなかったこと、一部の人が行っていたことではあるが、そのことを知って反省をしている人たちが確実にいるということを伝えました。また、日本人の父はたいへん優しい人であることなどをたびたび話しました。仲良くなった友達は多く、お互いを尊重して学校生活を楽しく過ごすことができました。

そして、ある歴史の授業でした。植民地時代の話になった時、何人かが一斉に私を振り返って見ました。その時、突然、私の友達が「過去の事実かも知れないけど、井門ちゃんには責任ないでしょう。井門ちゃんは、思いやりのある人だよ。」と立ち上がって言ってくれたのです。私を通して、日本人を認めてくれたようでとてもうれしかったです。

国が違っても、文化が違っても、どちらが強者でも、弱者でもありません。尊重されるべき、一人一人の人間がいるだけだと思います。相手を理解し、認め合って生きていこうとするとき、過去のことを無視したり、隠したりするのは、相手をかえって怒らせる行為です。だから私は、植民地時代の悲劇に真剣に向きあってもっと知りたいと思います。それと同時に、韓国と日本は、日本列島と朝鮮半島の距離の近さから、古代からの歴史上のつながりは深いものがありました。歴史の悲劇をしっかり学びつつも、それにとらわれすぎて、両国の交流による光の部分を忘れてはいけないと思います。私は、日本人と韓国人の親から生まれました。父と母、私は二人を尊敬して育ちました。だから、私は二つの国の架け橋。今後、日本と韓国が平和に協調していける関係を築いていけるためには、問題は多くあります。でも、若い私たちが、互いの人権を尊重する気持ちを磨いていき、差別のない共生社会を実現させていきます。

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