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愛媛県人権啓発活動ネットワーク協議会
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いじめは身近にひそんでいる

東温市立重信中学校 1年 露口 華奈子

最近ニュースで、いじめについてよく耳にします。その内容は、いじめが原因での自殺などです。私は、誰かの軽い気持ちで始まったいじめで、一つの尊い命が失われてしまうのは、すごくおかしいし、あってはならないことだと思います。そして、そのいじめが身近で起こらないように、自分は「いけないことはいけない」と言えるようでありたいと思っています。正しい道を進んでいきたいと考えています。

しかし、以前の私は、「いじめ」とはどうせテレビや本の中だけにあるもので、自分には全く関係ないと思っていました。実際周りにいじめなどなく、穏やかに、のんびりと過ごしていました。ところが、ある時、いじめについて深く考えさせられる出来事が起こりました。

小学校六年生の終わり、もうすぐ卒業という時期に、クラスのある男子が独りぼっちでいました。その時は、「どうせ、ケンカだろう。」と思い、気にしていませんでしたが、その子は毎日一人でいるようになりました。あげくの果てには、クラスの男子のリーダー格の子が仲間を引き連れて、机をけったり倒したり、悪口を言ったりするようになりました。今思うと、それはたぶんいじめだったんだと思います。最初のころ、だいたいの人は見て見ぬふりをしていました。しかし、どんどんいじめている側の味方が増えていってしまいました。気づいたときには、いじめに加わっていないのは私を含め、クラス二十九人中六人だけになっていました。

そうしたある日、いじめられている子が、学校を休みました。私はその日も知らないふりをしていようと思っていましたが、友達が突然、「お見舞いに行こう。」と言い出しました。私はその友達が大好きだったので、しょうがなく行くことにしました。だから、別にかける言葉なんてありませんでした。その子の家にあがらせてもらうと、その子はすごくしんどそうで、とても胸が痛くなりました。

そして、いろいろ話しているうちに、私は、その子と友達の強さを痛感しました。まず、お見舞いに誘ってくれた友達は、「何もできなくてごめんね。」と、涙ぐんで言っていました。私が思いつきもしなかった言葉です。友達が謝ったときには、内心、「謝らなくてもいいのに。」と思いましたが、友達の悲しそうな姿を見て、私はとても心を動かされました。いきなり謝られたその子は、とまどったような、けれど少し嬉しそうな顔をして、「いじめは神様が与えてくれた試練だ。」と言ったのです。しかし、そう言いながらも、とても辛そうなその子を見て私は、「絶対にこの子の助けになりたい。」と思いました。それは友達も同じだったらしく、次の日から私たちはいじめに立ち向かうと決めました。

結局私や友達ができたのは、励ましたり、倒された机を直すことくらいでしたが、日が経つにつれて明るさを取り戻していくその子を見て、とても嬉しくなりました。そして、やがていじめはなくなりました。

私はこの出来事で、少しでもいじめられている子の役に立てたのが嬉しかったです。けれど、お見舞いに誘ってくれた友達がいなければ、何もできていなかったと思います。私は、最初に見て見ぬふりを続けていた自分の弱さと、友達が一緒じゃないと正しいことができなかった勇気のなさをとても悔やんでいます。しかし、最終的に正しい道を選ぶことができたことは自信となっています。また、いじめはなぜ起こるか、深く考えさせられる機会となりました。

いじめている側に何か事情があったとしても、いじめられている側は、自殺する人もいるほど苦しんでいるのです。私は、多くの人人に、いじめは人の命を奪うことにもなるというのをしっかり理解してもらい、もう一度深く、いじめについて考えてもらいたいです。

最後に、私は今後また、クラスや部活内で差別や悪口、暴力など、いじめにつながるようなことが起こり、何らかの関係でいじめに関わってしまうことになったら、自分の弱さをはね返し、正しい道を突き進みたいです。たとえ仲の良い友達が加害者側になったとしても、私は自分の信じる道を進むだけです。それに、以前のような一人では何もできない自分にはなりたくないので、もしいじめがあった場合は、いじめられている子の助けになりたいです。今後は、かげ口などがあれば注意したり、独りぼっちの子がいたら声をかけたりと、「いじめをさせない雰囲気づくり」も心がけていきたいと思っています。

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