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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「障害」

福島市立清水中学校一年 半野 悠

ある日の出来事だった。その日は、私と友達が二人で町へ出かけた時で、楽しく町をぶらついて遊んだ後、帰りの電車に乗る前だった。

キップを買い、ホームへ歩いていると、電車を待っている人達の視線が、一点に集まっていることに気付いた。何げなくそっちの方に目を向けてみると、何やら一人の男の人が立っていた。その人は懸命に何かを伝えようとしているのだが、みんな、見て見ぬふり。その男の人は、耳に障害があるみたいで、手話と、カタコトの言葉で話しかけている。話しかけられた人も、
「分からない。」
とだけ言って、はなれて行ってしまうのだ。そんなやりとりを見ていて、こんな時にあの人が話したい事を理解できればなぁ、と思い、はがゆさでいっぱいになった。そう考えているうちに電車が来て、その事が引っかかったまま、その時は帰った。

その事があってから、私は「障害を持つ人」のことを、考えるようになった。

まず、「障害を持った人」は、会社などのようなきちんとした仕事を持てているのだろうか。障害者だからと言って、障害を理由にことわられてはないだろうか。

次に、車いすなどの人は、設備などがととのっていない所で、こまってはいないだろうか。また、差別などを受けていないだろうか。

最後に一番心配なのが、障害が原因で、ふさぎこんだ日々を送っている人がいるのではないか、ということである。その人のまわりには、やさしい人がいるのだろうか。

それから、何日かたった日、電車に乗っていると、近くに脳に障害を持った人がすわっていた。その人は、ずーっと笑顔でいた。隣にすわっている人は、だんだんにはなれていく。そのこうけいを見て、私はムッとしてしまった。何がそんなにいやなんだ、と一人でおこっていた。

やがて、人がたくさん入って来て、障害を持った人の隣にも、人がすわった。すると、障害を持った人は、いきなり立ち上がった。えっどうしたんだろう、と思いながら見ていると、
「どうぞ」
と、ゆっくりな口調で、近くにいたお母さんと男の子の親子に、席をゆずっていた。すると、その男の子はおびえたように、お母さんの後ろにかくれてしまった。
「あ、ありがとうございます。」
お母さんはお礼をすると、後ろにいた子供に
「ほら、お礼を言いなさい。」
と、話しかけていた。男の子も、もじもじしながら
「ありがとう」
と、ぽつりと答えた。障害者の人はずーっと笑顔だった。その光景に、思わず私も笑顔になってしまった。心の中がポカポカ温かい。なんて優しい人だろうと思った。

私もそうだけれど、どこかに障害がある人を見る目は、やっぱりちがう。こういうのは差別で、いけないことだ、と思っても、どうしてもかわいそうという目で見てしまう。

だけれど、障害を持ってしまった事はかわいそうでも、障害を持っている人自身は、ごく普通の人なのだ。もしかすると、普通の人よりも強いかもしれない。障害を持ちながらも、一生懸命障害と向き合って生きている、そこが強いと思う。

お母さんが、こんな事を言ったのを覚えている。
「人にいろいろな災難や悪いことが起こるのは、その人がきっと乗りこえられるから、起こるんだよね、きっと。」
そう考えると、障害を持つ人たちは、障害をこえることができるくらい、強い人たちなのだ。これは、『試練』 だと思う。障害のある人たちに必要なのは、あわれんだ心とか、そういうものではなく、ちゃんとした設備と、優しい、親切な心だと思う。

私たちが、障害を持った人たちにできる事は、まず、親切な心だ。車いすとかで、通れなくて苦労している時に、
「だいじょうぶですか。手伝いますよ。」
くらいの親切な心が必要だと思う。あと、そこまで言い出せる勇気も必要だなぁー、とつくづく思う。

障害を持った人が何も心配せずに生活するためには、こういった心がけが一番だなぁ、と思った。

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