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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「姉のカレンダー」

小野町立浮金中学校三年 矢内 賢一

満開の花が咲く野原の絵、夕焼けであかね色に染まった空の絵、心温まる雪景色の絵が描かれており、どの絵も見る人の心を和やかにするという、不思議な魅力をもっています。それは、このカレンダーの絵に、その絵を描いた人の真剣に生きる心と絵を見てくれる人達への熱い思いがこめられているからだと思います。

このカレンダーは、私の姉が通っている高校で募集していた「身体障害者の方達が描かれた絵葉書とカレンダーを注文してください。」というものを見て「素朴で温かい雰囲気の絵にひかれて買ってみた。」と話していました。絵の下に、描いている人の姿が写真で添えられていました。手が不自由で使えないために、口に筆をくわえて色を塗っている人、足の指と指の間に筆をはさんで描いている人など、懸命に絵を描いている姿に僕は胸を打たれました。一枚の絵を仕上げるのにどれだけの時間がかかったことでしょう。おそらく何日も何日もかかったことでしょう。手を自由自在に使って描く人の何倍もの時間をかけて、精一杯描き上げた作品なのです。私はすごいなぁと感激しました。しかし、購入してしばらくたつと、そのカレンダーを描いた人の苦労を思うこともなくなり、月が変わって何日かしてから次の月の絵に変わっていました。

ある日のことです。姉の机の上に手紙がありました。それは、姉が買った絵葉書やカレンダーの絵を描いた人達からのお礼の手紙でした。中にはまだ小さい子供達もいました。どの方からも、まっすぐに生きようとする心と絵に対する情熱が伝わってきて、私はそのすばらしい生き方に圧倒されてしまいました。

「はじめは苦労しました。何度もくじけました。しかし、心まで障害者になったわけではありません。今では毎日、みなさんが買ってくれるように、精一杯絵を描いています。」一人の青年からの手紙を読んだ時、私ははっとしました。今までの自分が何か間違った考え方をもっていたように思えてきたのです。私は障害者の方達に対して、かわいそうだという気持ち、安易な同情の気持ちをもつことが多かったことに気づきました。姉がカレンダーを買い求める時も、友達とこんな話をしていたことを聞きました。
「かわいそうだよね。大変だろうね。」
思いやりというより、やはり同情の心から言ってしまった言葉だったのでしょう。心のどこかで、障害者の方達を差別していたのではないかと思います。

体に不自由なところがあるということは、重い荷を背負って生きていくのと同じで、誰よりも本人にとってつらく悲しいことだと思います。私もケガで片目をしばらくの間使えない苦しさを、中学二年生の時に経験しました。使えない状態が一生続くというのは、健康な人には計り知れない苦しみだと思います。ほんの二週間の間だけでも、私にはひどくつらいものでした。確かに、体に障害があるということは健康な体と比べると、悲しく不幸なことだと思います。しかし、それだけで障害者の方達に対して、かわいそうな人達という同情の目を向けているように思うのです。果して、それでよいのでしょうか。

人の幸、不幸は他人が決めることではないと思います。自分自身で自分の生活や人生を振り返って判断することだと思います。障害者だから不幸だと考えるのは許されないことです。「心まで障害者になったわけではありません。」という青年の声が聞こえてきます。心が歪んでいること、人を恨んだりすること、人を妬んだりすること、卑屈になって生きていくこと、そうした貧しい心ほど悲しいものはないということを、青年は私達に訴えているのだと思います。

私は大切なことを青年の手紙によって、教えてもらったような気がします。苦難を乗り越えて生きること、ひたむきに絵を描くこと、明るく健康な心をもつこと、人々に喜んでもらえるように努力をすること、そして、次回も頑張るという意欲、青年の手紙の中には、そんな彼の「僕は人間としてこう生きてるんだ。」という叫びであふれていました。私もそんな力強く生きる青年の生き方に近づきたいと思います。

家に帰り、姉の部屋のカレンダーの絵を一枚一枚見つめました。今まで感じ得なかったほど強く、画家の絵にかける熱い情熱と、懸命に生きるひたむきな心が伝わってきました。心が和やかになり、私も爽やかな心でまっすぐに生きていこうと勇気づけられました。私の心の中にもう同情の気持ちはありません。尊敬の思いで障害者の方達の絵を眺めています。

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