本文へジャンプメニューへジャンプ
福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
ここからメニューです

ホーム > 主な活動 > 全国中学生作文コンテスト > 平成12年度全国中学生作文コンテスト福島県大会入賞作品 >

ここから本文です

| 前の作品へ | 一覧 | 次の作品へ |

優秀賞 「障害者との共存について」

白河市立白河中央中学校二年 三森 春香

最近、毎日のようにテレビや新聞で、体が不自由な人のことを取り上げていることが多い。

例えば、最近施行された介護保健の話や、ボランティア、また、愛は地球を救う二十四時間テレビ等々、たくさん目にする。

しかし、どのくらいの人がそれについて興味をもっているのだろう。ただその時だけ障害者のことを理解しているふりをしている人が多いのが現状ではないだろうか。なぜなら、その時だけ障害者に同情の目を向けたり、必要としない手を差しのべたりしているように思えるからだ。一体どれくらい障害者の気持ちを理解して、行動しているのだろう。障害者の毎日の気持ちを考えたことがあるのだろうか。

実は、私の弟は障害をもっている。車イスを使わなくては生活ができない。まだ小学六年生だが、弟なりに自分の考えをもって生活している。私は一緒に生活していて、ただ優しい手を差しのべるだけが、弟にとっていいとは思えない。

私が、一歳七ヶ月の時に弟は未熟児で生まれてきた。千七百グラムしか体重がなく、生まれてすぐ保育器に入った。しかし、肺が未熟だったので、脳に酸素が行き渡らず障害をもってしまった。赤ちゃんが何をしなくても覚えていく寝返りやお座りも、訓練をしなければいけなかった。しかし、週に何度も訓練を受けに病院に通っても、どんなに努力をしても、弟は普通の赤ちゃんには追いつけなかった。三歳からは、片道一時間かけて母と弟は、郡山の養育センターへ通った。毎日の訓練、そして手術。弟は今、車イスの生活を送っている。学校も私と同じ所には通えない。車イスの子供が生活できる学校ではないからだ。仕方なく郡山の養護学校に通うことになった。毎日二時間かけて登下校している。毎日、母と通うのがあたり前になっている。学校の授業では、自分の足である車イスの操作の仕方やスプーンの持ち方、鉛筆の持ち方など私達ならあたり前にできることを、一つ一つ最初から訓練をしている。文字や数字などすぐ覚えられることも、人の何倍も繰り返さないと覚えられない。

障害は、私の弟のように生まれてすぐに障害をもつ人、生まれながらに障害をもってしまった人、というように一人一人の障害は違う。

私は弟のことを小さい頃からずっと見ているので、弟のやりたいこと、人にして欲しいことなど、理解できているつもりである。もし、他の人が弟のためにボランティアをしてくれたとしたら、どのくらい弟のことを理解して接してくれているのか不安になるだろう。そして弟は、その人に本当に自分のしたい事をわかってもらえるのだろうか。好奇心や自己満足だけで障害者に接している人が、どのくらい本当の彼らの気持ちをくみとれるのか。また、障害者自身もボランティアの人に対して心から感謝する気持ちをもつことができるのか。私は、疑問に思う。

身障者を集めた国体パラリンピック。これに出場するごく一部の障害者に何年か一度だけスポットがあたることがある。この時だけ、障害者も頑張っているように報道される。そして、ボランティアの人が大勢集まる。

しかし、ここに出場している人達と同じような努力、いやそれ以上の努力をしても認められない人はたくさんいるのだ。国体に出場できる障害者の努力は素晴しいと思う。しかし、出場できないたくさんの障害者だっているのだ。その人達こそ、本当にボランティアの手を借りなくては生きていけないのだ。そのことをもっとたくさんの人に気づいてほしい。

もしこの気持ちがあれば、私の心も傷つくことはなくなるだろう。

私の周りには、何か失敗した友達をバカにする意味で、

「おまえ身障じゃねぇ。」

と、言う人がいる。私は、この人達の頭や心の中を見てみたい。確かに今は、健康だろう。それに、まだ中学生なのでいろいろな人に接する機会が少ない。だから平気でこんなことが言えてしまうのだろう。

どんな人も、一人一人自分の考えをもっている。そして、世の中にはいろいろな人種がいるように、いろいろな障害をもつ人がある。私は、障害者を温かく見守り、自分達より努力している姿を見てほしいと思う。そうすればきっと、障害者をバカにしたり、暴言をはくことも無くなるだろう。障害者は別の人種ではない。私達と共に生活をして、互いに理解し合わなくていけないのだ。私は、弟からもっとたくさんのことを学び、人の気持ちのわかる人間になりたいと思う。

このページの先頭へ