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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「私の姉」

滝根町立滝根中学校三年 樽井 那奈

私は、 障害者をバカにする人がとても許せない。 なぜなら、 今まで幾度となく障害者を差別する態度を目の当たりにし、 怒りを覚え悲しい気持ちを味わってきたからだ。

私の姉は、 一歳三ヵ月で脳こうそくに倒れその後遺症で、 身体障害者・精神障害者、 そして知的障害者という、 あらゆる 「障害者」 として生きていかなければならぬ運命を背負ってしまったのだ。 私の母はよく、 「姉が幼かった時、 どんなに大変だったか」 といいながら話してくれる。 例えば姉がカゼをひいた時、 母は一日中姉の看病で寝れなかったそうだ。 もちろん母の苦労は、 私も充分に知っている。 だから、 母に甘えたい時もぐっとこらえていた切ない記憶もある。

しかし、 その苦労を知っている私さえ、 姉をバカにし、 嫌っていた。 その理由は、 姉と一緒にいるとバカにされ、 笑われるのが嫌だからだ。 今までに何度も 「あの人、 おかしくない?」 と、 姉を見て言う人や、 指をさして陰でくすくす笑う人がいて、 私は姉と一緒にいると恥ずかしくて、 自分がみじめな気持ちになり、 とても嫌だった。 私の同級生からも 「おかしいよね」 と言われたこともあり、 私は姉のせいで、 友達にも周囲の人にもバカにされ、 「姉なんかいなければいいのに」 と思ったことが何回もある。

今思うと、 何てバカなことを考えていたのだろう。 本当にかわいそうなのは、 姉なのに。 障害をもっているから好きなこともできず、 楽しみにしていた中学校三年の修学旅行にも行けず、 人にもバカにされて本当につらかったろうに。 私は学校へ行き、 たくさんの友達と楽しく走り回ったり、 将来について夢を語ったりすることもできる。 それなのに姉に対し優しい気持ちで接してあげられない自分が情けなくなってくる。

そのうちに姉は、 家族ともあまりしゃべらなくなり、 部屋にずっとこもってしまうようになった。

そんな姉を見て、 母は修学旅行のかわりに家族全員でディズニーランドに行こうと言ってくれた。 その時の姉の表現はとても生き生きとしていて、 楽しそうだったことを覚えている。 いつも部屋にいる時の姉とは、 まったく別人に見え、 私は少しだけ安心することができた。

姉は小学校、 中学校の特殊学級を卒業後、 児童施設で三年間を過ごし、 自分で洗濯や、 身の回りのことができるようになった。 今でこそ自分でいろんなことができる姉だが、 不自由な体を一生懸命に動かし、 ここまでできるようになるには、 相当苦労しただろう。 十八歳の時に家に帰ってきて、 約一年間は家の、 内職を手伝っていた。

今は須賀川にある成人の障害者のための施設で、 週休二回制の 「おかしの箱作り」 といった仕事をしている。 幼い頃から、 重い障害と共に生きて、 何をするにも人の手を必要とした姉が、 今は自分自身の手で仕事をしているのだ。 それだけではなく将来、 一人暮らしをして自立してがんばっていきたいとも話している。 頼もしい限りだ。 私は、 そんなふうにがんばっている姉の力になりたい。 そして、 一時でも姉を 「いなくなればいい」 と思った自分を恥ずかしく思い、 その考えを改めていこうと思う。 あの時私が思ったことは、 姉だけでなく、 障害者全員に対しての侮辱に違いないから。 そう、 怒りを覚えた私の同級生たちと変わらないから。

現在、 「バリアフリー」 などの言葉をよく耳にするようになり、 ボランティア活動なども、 テレビを通して盛んに行われるようになった。

しかし、 障害者に対する見方・考え方は、 本音ではまだきっと差別的なものがあるように思う。 姉を見る時、 本人や側にいる私たち家族と目が合うと、 気まずそうに視線をそらす、 あの 「見てはいけないけれど見てしまう」 という好奇心のまなざし。 きっとそれが健常者の本音。 姉の場合、 命があるだけでも感謝しなければならない。 こんなに大変なハンディを背負う人に対して、 人というのはなんてひどい言葉を平気で言えるのだろうか。 障害者は必死に生きている。 その障害者の 「生きる権利」 を傷つける人間は、 絶対に許せない。 私は、 あの時姉を侮辱した人達に対し、 いつまでも怒りがおさまらない毎日だ。

だからこそ、 私がそうであったように、 もっと障害者とその家族の人達のためにも、 一人の生きる人間として温かく接していってほしい。 障害者も一人の人間なのだという観念を持って、 手を差しのべてほしい。 表面だけのボランティア精神ではなく、 本当の 「バリアフリー」 の社会になるよう、 私は強く願っている。

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