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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「祖父と人権」

石川町立石川中学校二年 酒井 夏美

私の祖父は、 障害者です。 六年前、 突然脳内出血で倒れ、 全身の右半分が動かせない体になってしまいました。 これは、 身体障害者二級にあたり、 かなり重い障害です。 祖父がそのような体になってしまったことで、 私達家族も最初はとまどいや不安がありました。 でも、 この問題は私にとって 「身体障害者の人権」 について深く考えるきっかけを与えてくれました。

祖父が障害を持ってからまず変わったのは、 家でした。 以前の家は、 段差やせまい入口などがたくさんあり、 障害者には住みにくいということで、 三年前バリアフリーの家に建てかえました。 バリアフリーの家は、 車いすが自由に行き来できるスペースがあり、 段差が一つもありません。 トイレや浴室の中まで車いすで入れるのです。 さらに、 あらゆる所に手すりがあり、 家中のすべてが障害者である祖父のことを考慮した作りになっています。 そのため、 祖父は、 家の中では障害者である不自由さをあまり感じずにすんだようです。

ところが、 一歩家から外へ出ると、 歩道は道路の片側だけにしかなく、 いたる所段差だらけです。 これでは、 障害者にとって住みやすい地域とは言えないと思います。 祖父は毎日、 リハビリのため足をひきずりながらいますが、 段差だらけのせまい歩道を足をひきずって歩っていたら、 それこそ危険だらけです。 ある時、 祖父は、
「死ぬとこだった。 死ぬとこだったぞぉ。」
と言いながらびしょぬれになって帰ってきたことがありました。 わけを聞くと、 せまい歩道を歩いている時、 あやまってわきの側溝に落ちてしまったのです。 なぜ、 もっと歩道は広くないのか。 なぜ、 側溝にふたをしていないのか。 私は今まで何度もその道を通っていますが、 そんなことを考えさせられたのは初めてでした。 障害者の人権という視点から考えれば、 私達が住む社会は、 障害者にとってなんと住みにくい環境なのかと思います。 障害者も、 社会の一員として地域の中で共に生活できるような町づくりをすることが、 障害者の人権を守るために必要なことだと私は思います。

そして、 この人権を守るために必要なのは、 まわりの環境を整えることだけではないと思います。 一番大切なことは、 障害者に対する偏見や差別をなくすことです。 例えば、 道ですれちがう時にじろじろと見たり、 指をさしてコソコソと話したりしない。 障害者だって、 心は普通の健常者と変わりないのです。 障害者の多くは、 そういう偏見の目に敏感です。 祖父もそうでした。 祖父は昔、 地区の区長をしていて、 いろいろな話し合いには必ず参加し、 いつもどこかへ出かけてはお酒を飲んでくるような社交的な性格でした。 友人もたくさんいました。 しかし、 障害を持ってからは、 自分の体や言葉を気にするようになり、 地区の集まりにも顔を見せなくなってしまいました。 それはやはり、 自分への偏見の目を恐れていたからだと思います。 そのうち一日のほとんどを自分の家で過ごし、 外へ出るのは近所の散歩ぐらいになってしまっていました。 祖父のように、 障害を持っていることで自分の殻に閉じこもってしまう人はたくさんいると聞きます。 ほんのちょっとの差別や偏見によって、 多くの障害者が自ら 「生きる」 という権利を阻害されているのです。

しかし今、 祖父は雨の日も風の日も、 そして雪の日も、 家の近所を一キロメートルぐらい毎日散歩しています。 夏は真っ黒に日焼けして、 坊主頭の祖父はまるで高校球児のように見えます。 アメリカでは、 障害者のことを 「フィジカルチャレンジャー」 というそうですが、 「挑戦」 という言葉は今の祖父にぴったりです。 家族も、 最初はみんなで祖父を守っていこうと思っていましたが、 今では祖父のがんばりに家族が励まされています。

私は、 祖父が身体障害者になったことで、 様々なことを学びました。 そして同時に、 障害者の人権を守るためには、 地域の環境や施設を整えるだけでなく偏見や差別をなくし、 障害者自身が心の壁を乗り越えていけるような温かい雰囲気を社会の中に作ることが大切だと思います。 その温かい雰囲気を作るためにはどうすればいいのか。 まだ自分の中で答えは出ていませんが、 私が今の祖父と本当にむき合えるようになった時、 その答えが出るような気がしています。

半そで短パン、 麦わら帽子をかぶった日に焼けた祖父は、 今日も歩き続けています。 そのたどたどしい歩みの先に、 私達一人一人の手で新しい道を作りたいと、 私は思います。

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