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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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福島民友新聞社賞 「言葉について思うこと」

郡山市立郡山第五中学校一年 佐久間 愛

今、 私達のまわりにはたくさんの言葉がある。 言葉とは自分の気持ちを相手に伝えるために欠かせないものだ。

私達が住む日本では 『日本語』 が話されている。 私は日本語が大好きである。 しかし、 最近 『言葉』 というものが気になってきた。 中でも、 私がどうしても許せないのは 『人を傷つける言葉』 である。

みなさんは 『しんしょう』 という言葉を知っているだろうか。 『しんしょう』 というのは身体障害者の略である。 私が、 この言葉を知ったのは小学校高学年の時だ。 私のクラスに 「しんしょう、 しんしょう」 とばかにされている男の子がいた。 でも、 その子は決して泣かなかった。 ただ 「うるせーよ」 といって苦笑いをしていた。 私はその笑顔をみるたびに胸が痛んだ。 でも、 私には 「やめなよ」 と言って止めにはいる勇気はなかった。

そして今年の春、 私は中学生になった。 私は家庭の事情でみんなとはちがう中学校にいくことになった。 私が一番不安だったのは 『歯並び』 のことだ。 歯並びが悪いことで、 みんなにからかわれはしないかと心配だった。 そして、 中学校でも 『出っ歯』 といわれてしまった。 私はその時、 泣きそうになった。

また、 こんなこともあった。 ある男の子が 「帰れ、 帰れ」 と言われていた。 私はかわいそうに思い、 がまんできず、 許せなかった男の子をけり、 「やめなさいよ」 といってしまった。 何がなんだか分からなくなって、 私はその後泣いてしまった。

そして、 私にとって悲しいことがもう一つおこった。 それは、 ある日A君がB君に 『しんしょう』 といったことである。 その時私は、 小学校の時に 「しんしょう」 と言われ、 苦笑いをしていた男の子を思い出し、 胸がズキンとした。 私は、 この言葉が、 また新しく来た学校でも聞かれたことが何よりも悲しくてたまらなかった。 そして、 その言葉が今でもなくなっていないことがくやしくて悲しかった。

でも、 『言葉』 にはいいところもあると思う。 とても嬉しいことがあった。 私がなれない中学校生活に疲れていた時、 クラスメイトが 「このごろ元気ないけどどうしたの。」 と話しかけてくれた。 私は、 いつも私のことを気にかけてくれる人がいるんだと思うと、 とても嬉しかった。

私達が生きていく上で 『相手を認めてあげること』 は大切だと思う。 誰でもできないことや弱いところがあるものだ。 それを周りの人がおぎなってあげることって、 私は大事なことだと思う。 できないことを周りが責めても、 その人にとっても、 周りの人にとってもプラスになることは何もない。 私が小学校四年生の時の担任の先生はよく 『一人はみんなのために、 みんなは一人のために』 ということをよく言っていた。 この時、 私にはまだその意味がよく理解できなかった。 でも今、 そのことが分かるようになってきた。

私にはかわいそうな友達がいる。 その友達はみんなから、 『気持ち悪い』 などと言われている。 でも、 私はそうではないと思う。 私もその子のことをよく知らない時は、 みんなと同じように、 その子を傷つけていた。 でも、 話しかけてみると全然違っていた。 私が元気がない時は、 すぐ気づいてくれ、 励ましてくれた。 すごく優しくて、 思いやりのある子だったのだ。 その子は、 今もみんなから悪口を言われている。 決して泣かない。 けれど、 とてもその子は傷ついていると思う。 私は 『弱い人ほど強いふり』 をしていることが分かる。 私がそうだからである。 嫌なことを言われて傷つかない人はいない。 けれど、 強いふりをしているのである。

たった一言の言葉で、 相手がすごく傷つくかもしれないし、 すごく元気になるかもしれない。 『言葉』 って大切だと思う。 すごくいいものだと思う。

私は、 これからも 『言葉』 を大切にし、 自分の気持ちを素直に伝えていきたい。 また、 『言葉』 を通して、 あたたかい心と心のつながりを大切にしていきたい。

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