本文へジャンプメニューへジャンプ
福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
ここからメニューです

ホーム > 主な活動 > 全国中学生作文コンテスト > 平成14年度全国中学生作文コンテスト福島県大会入賞作品 >

ここから本文です

| 前の作品へ | 一覧 | 次の作品へ |

福島民報社賞 「親と子供 人と人」

須賀川市立西袋中学校三年 御代田 亜弥

「今日午前、幼児を虐待死させたとしてその母親が逮捕されました。」

テレビから流れる残酷なニュースをみて、
「またか…」 と私は呟いた。

近年では幼児虐待で大人が逮捕されるということはすでに日常茶飯事である。犯人のほとんどが父親、母親で、「育児につかれた。」 「自分になつかなかった。」 「躾でなぐったら死んだ。」 などという極めて自己中心的な理由によるものである。

何故そんな理由で、あの子たちは虐待されなければいけなかったのか。何故そんな理由で、あの子たちは命を奪われなくてはいけなかったのか?

「最近は、若い親が増えている」 と大人は言う。確かにそうなのだ。若ければ十代の親だっている。現に私のいとこも、19歳で子供を産み、現在21歳で二児の母親である。

私は、若くして親になるのが悪いなどとは決して言うつもりはない。

私のいとこは、責任をもって子供を育てようとしている。母親にも手伝ってもらって、毎日育児に一生懸命だ。

こんな言い方をすると、いかにもその人が偉そうに聞こえるが、そんなことはない。親が子供を育てるということは、昔からしてきた人間の自然な営みなのである。何歳であっても、責任をもって子供を育てることができるのなら、その人は立派な親なのである。

しかし、最近はその当たり前のことができなくなっている傾向にある。子供をほったらかしにして遊びに行ったり、思い通りにならないから殴ったり蹴ったり、やりすぎれば殺してしまったり。そんな、人間として根本的にやってはいけない行為を、自分の血を分けた、かけがえのない子供にするなんておかしい。どうにかしている。

けれど、虐待を注意すると、一部の人はこう言うのだ。
「私の子供なんだから、私の自由でしょ。」

そもそも、その考え自体が間違っているのだ。子供を所有物として見てしまっている。

低年齢な親には、経験が少なすぎるのではないだろうか。これから社会に出て、学校では学べなかった社会ルールを学び、自分を抑制することを覚え、人を尊重することを覚えて一人の大人へと成長する大事な時期なのかもしれない。低年齢で親になれるのは、そんな社会的ルールを身につけている、ほんの一握りの人だけなのだから。

子供は確かに、親なしでは生きていけない。成人するまでは、親の保護のもとに生きていく。しかし、どんなに小さな子供だって 「自分の所有物」 ではなく、人格をもった一人の人間なのである。この世に生を受けた瞬間から、たった一人の、平等に扱われるべきかけがえのない存在なのだ。

そのことを、まず知るべきである。一人の人間をののしり、ストレスのはけ口にし、人生を終わらせられるほど、親は偉い存在ではないということ。そしてそれは、社会的にも人間的にも許されない行為であるということを。

子供を産むだけでは、本当の意味での親にはなれない。

その言葉をみんなの、そして自分自身の心に深くとどめておきたい。子供にだって、生まれながらにして一人の人間として生きていく権利があるということを。

それが、純粋無垢な、無実の幼い子供を暴力から救う方法であり、命を守るすべなのである。つまり、子供は自分を守るすべや力を兼ね備えていないため、人権に守られなくては生きていけないということなのだ。

全ての父親母親が、子供を、一人の人間として尊重できるようになってほしい。今、親である人、そして、これから親になっていく人、その全ての人に、子供を人格を持った一人の人間として認められるようになってほしいと思う。それは親として当然の決まりであると同時に、人間としての責務でもあるのだから。

私は、子供を 「かけがえのないたった一人の人間」 として見つめ、守り、育てることのできる母親になりたいと、心に強く思う。

このページの先頭へ