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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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福島民友新聞社賞 「人の権利の意味とは」

古殿町立古殿中学校二年 藁谷 華織

人としての権利は、この地球に生まれた人すべてが持っているものです。しかし、すべての人が自分の権利、相手の権利の意味を理解しているとは言いきれないのではないでしょうか。

今、世の中にはたくさんの問題があると思います。虐待、いじめ、殺人。これらの事は人の人権はおろか、命までをも奪ってしまいます。この中でも、私自身中学生にとても身近に起こる 「いじめ」。いじめは、大勢の人を傷つける最も許しがたいものです。いじめを受ける対象となった人達の気持ちといったら、言葉にならない程の悲しくてつらいことだろうと思います。言葉で人をののしるような精神的な暴力のいじめ、殴る、蹴るなどの肉体的な暴力のいじめ、その人の存在をなくすかのような無視し続けるいじめ。どれもみんな、痛いです。そして悲しいです。人を、人の心そして命を 「死」 まで追いやってしまうようなことを、私達はしてよいのでしょうか。そんな権利は誰にもありません。自分の命や夢の権利は、他の誰でもない、自分自身のものなのです。

しかし、世界中にはいじめ、そしてそれ以外のさまざまな問題で苦しんでいる人達がたくさんいるのです。特に外国の子ども達は、厳しい現実の中を毎日必死で生きています。前にテレビで見た外国の子ども達は、路上で大人のくつみがきをしていました。その子達は 「ストリートチルドレン」 と呼ばれる子ども達で、路上で生活をし、毎日くつみがきや車のガラスふきをしてお金を稼いでいます。その子達の年齢は、7歳から17歳と聞いて言葉を失いました。7歳だなんて…。どうしてこんなに幼い子までもが親元を離れて、働かなければならないのでしょう。その理由はさらに厳しいものでした。一つは、家が貧しいために、子どもも働かないと生きていけないから。二つめは、子どもを育てていけない親が子どもを見捨てるからです。私は正直、とても残酷だと思いました。危険がたくさんある路上で、誰も守ってくれる人がいないたった一人の子ども達は、毎日をただ生きるために必死になって暮らしています。ストリートチルドレンは、世界で数えきれない程存在します。そんな子達にも、人としての権利があります。ストリートチルドレンの人権を守る活動は今、人々に伝わっています。けれど人の権利とは何なのでしょう。これらの子ども達は、心の底から笑ったり、喜んだりしたことがあるのでしょうか。お母さんの愛情を知っているのでしょうか。こういうことが普通にできて当たり前、お母さんから愛される権利があるのに、この子達は私達にとってごく普通の暮らしができないでいるのです。

権利とは何であるのか、何であるべきなのか、私は考えてみました。人は生まれたときから人権を持っています。人として生きるために 「人としての権利が与えられるのです。人が精一杯生きるために権利があるのです。「生きる」 ことは人それぞれです。自分の夢に向かって前進する人、いろいろな人と出会い、そして助け合って成長する人…。すべての人が、夢を持って生きられますよ、という大きな権利があるのです。それと平行して、「すべての人が幸せになれる」 というのが、権利の意味のすべてではないかと思います。幸せの感じ方は小さいかもしれない、感じとれないかもしれない。けれど、だれもがみんな幸せだと感じることができる。幸せになるための道は、自ら見つけだすものだけど、だれだってその権利はすでに持っているのです。人としての権利とはそういうことだと思うと同時に、そうであるべきだと私は思います。

人の 「生きる権利」 を奪うことは、今日もこの一瞬も必死で生きている人達に対して、裏切りの他、何もありません。今、これから夢へ向かって一歩前へ進んで行くんだという人を、これ以上失くすのはとても残念すぎます。人の権利の意味が、もっともっと世の中の人々に伝わったならば、世界は明るい気がしませんか。私には、とてもきれいで明るい未来が見えます。人々が自分以外の人々に優しい心を向ければ 「人としての権利」 が少しずつでも分かり合えるのではないでしょうか。

そして今、つらい立場にいる人達に、
「生きる権利と幸せになる権利は、もう自分の中にあるんだよ。」
と、言ってあげたいです。

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