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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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福島民友新聞社賞 「男性から教えられたこと」

都路村立都路第一中学校三年 吉田 彩乃

私が、村の診療所で本を読みながら母の帰りを待っていた時でした。十分ぐらいたった時に、四十代ぐらいの男性が点滴をしながら階段を降りてきました。その時まで私は、まだ目の不自由な人だとは分からず本を読み続けていました。すると、突然その男性は私に向かって「自分は目が見えないからジュースを買って欲しい。」と頼んできました。私は、そこで初めて目の不自由な人だったんだと気づくと同時に、私がそこにいたことをどうやって分かったんだろうと不思議に思いました。

私は内心戸惑いながらも、ジュースを買ってあげようと椅子から立ち上がりました。どんなジュースが欲しいのか、どういうふうに接したらいいのかなどいろいろ頭の中で悩みながらも、どんなジュースがあるのかを詳しく説明しました。そして私は、男性が欲しいと言ったジュースを取り出して手渡しました。男性は、「ありがとうございました。」とていねいにお礼を言って階段を上っていきました。

私はお礼を言われてとてもうれしく思い、自分の行為に満足していました。そしてその一方で、男性のことを目が見えなくてかわいそうだなと思う気持ちがありました。しかし、本当にその男性はかわいそうな人なのだろうか、と私は思います。

私はよく兄と比較されます。私が自分なりに一生懸命勉強して、テストで満足できる点数を取った時でも、家族に「お兄ちゃんはもっと頭よかったのに」と言われたことがあります。私はそう言われてとても嫌でした。一生懸命勉強して自分でも満足しているのにどうして兄と比べる必要があるのでしょうか。確かに兄は勉強ができてスポーツも得意です。だけど私は兄と同じではありません。兄ができることは、私もできるとは限らないのです。人はだれだってできることとできないことがたくさんあるはずです。そして人はみんな、だれもが完璧ではないはずです。だから人はお互いに支え合い、助け合って共に生きていく存在なのだと思います。お互いの違いやできること、できないことに目を向け、その違いを安易に評価してしまうことが実は私たちの身の回りにはとても多いのではないかと思います。

家族に兄と比べられ、できなかったという結果だけを評価されて嫌な思いをこれまで何度かしたことのある私。しかし立場が違えば、今度は自分だって目が見えない男性をかわいそうだと思い、心のどこかで目が見えない男性と目が見える自分とを比較して見下したような気持ちを抱いている私でした。確かに、障害のある方には日常生活を送る上でできないことがいろいろあるかもしれません。しかし、そのことでかわいそうだと同情されたり、見下されたりするのは心外なのではないでしょうか。障害のある方だってさまざまな努力をしているし、自分なりに満足した生き方をしている方が多いと思います。しかし、その努力や生きる姿勢などに目を向けず、安易に外見や能力だけで人を判断してしまうことが多いのが現状ではないでしょうか。

目の見えない男性は中学生の私に丁寧にお礼を言ってくれました。その態度や言葉に私は心が温まり、うれしく思いました。目が見えなくても私と話している中で、きっと私のことを中学生ぐらいの子どもだと感じたことでしょう。しかし男性は私を子どもあつかいするわけでもなく、一人の人間として最後まで丁寧な態度で接してくれました。目が不自由という不便さはあるかもしれませんが、その男性には私のように、人を見下す態度がなかったのです。そういう姿から私は人としてどうあるべきかということを教えられたような気がします。そして障害があるなしにかかわらず、同じ一人の人間として人を見ることの大切さなどを学びました。

私の目は何不自由なく物事を見ることができますが、でも人として生きる姿勢や人柄などの内面を見ることができない目だったような気がします。外見に表われた姿、格好で人を判断するのではなく、私はその人の生きる姿勢や考え方、人柄などをしっかり見ることのできる目をこれから養いたいと思います。

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