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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「共に生きたい」

郡山ザベリオ学園中学校一年 橋本 薫子

みなさんは、休みの日などにショッピングセンターに行ったとき、車イスの人を見かけることがあるだろう。それは今では、特に珍しい光景ではないと思う。

でも、母は、「十年前には、ほとんど街で車イスの人をみかけることはなかったように思う。」と言う。

ではなぜ、この十年で外出がふえてきたのだろうか。

それは、いたる所にバリアーフリーが広がってきたためだといえるだろう。車イス専用のトイレや、エレベーターの低いボタン、そして、段差の所のスロープ。そのどれもが、今ではごくあたり前の設備となって、車イスを使う人やそれを介助する人を大きく助けている。その他、盲人のための音の出る信号機や点字の歩道も、よく見かけられており、また、聾唖(ろうあ)者のための手話もずい分と、とり上げられるようになった。

このように、身体障害者に対する社会的設備はどんどん広がって、住みやすい環境になってきていると思う。

では、目に見えにくい障害--知的障害者に対してはどうだろうか。

私は、小一の時から、母のボランティア活動の関係で、「あすなろ作業所」という所に通うようになった。「あすなろ作業所」とは、知的障害者とその他のハンデを併せもつ十人が活動している所で、私は学校の休みを利用して、お手伝いをするようになったのである。

初めて作業所に行ったときはおどろいた。というのも、私が七才、彼らが二〇才代というのに、私よりも幼い言動をしていたからだ。例えば私が
「兄弟はいるの。」
とたずねると、困った顔をして、
「うーん。わかんない。」
という。

でも会話をしている中で、弟が二人いるということがわかってくる。「弟」がいることはわかっていても、「兄弟」といわれると、わからなくなってしまうのだ。

そんな作業所で、私がみんなと一緒に簡単な仕事を手伝ったり、おしゃべりしたりするようになると、みんなが私を歓迎してくれて、どんどん仲良くなっていった。

郡山市内だけでも、このような作業所は、四十以上もあって、年に一度、みんなが集まり、「ふれあいピック」という運動会が開かれる。

普段、あすなろで慣れているはずの私でも、様々な障害を持つたくさんの人達を見ると、なんとなく心が萎縮してしまうのである。

そこへ、ボランティアをしているお母さんにつれられて、八才位の女の子がやってきた。応援席にも近寄らないその子を見て、私は声をかけた。
「こっちにきて、一緒に応援しようよ。」
ところがその子は返事もせず、お母さんのうしろからはなれようとはしない。

せっかくさそってあげたのに、と私は不快な気持ちになった。その子は今にも泣きだしそうな顔でお母さんに
「帰ろうよ。もう帰りたい。」
と訴えている。

だったらはじめからこなければいいのに。

不服そうな私に気付いた母が
「こんな所は初めてで、とまどっているんじゃない。」
と声をかけてきた。

その時私は、はっと気がついた。

はじめてあすなろに行ったとき、私もおびえそうになったこと、今もたくさんの障害者を見て少しこわいと思ったこと--。

そうか、あの子は怯えているんだ。

そしてその気持ちは小一の時の私と同じ。

私はこの六年であすなろのみんなと友達になり、それぞれのハンデを理解することができた。でも今日はじめてあった人達に、話しかけることはできない。

身近に知障の人がいなければ、あの子のような反応は当然なのかもしれない。でも彼らは、知障はもっていても、とてもおだやかでやさしい心をもち、みんなと友達になりたいと願っているのだ。少しずつ、知障をもつ人に声をかけ、まずは「知りあい」になり、つぎに「友達」になっていってほしい。そして彼らをさけることなく、いっしょに生きていくようになってほしい。

身体障害者には介助の手が、知的障害者には理解が必要なのだ。その手をさしのべる勇気を私たちは持ちたいと思う。

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