本文へジャンプメニューへジャンプ
福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
ここからメニューです

ホーム > 主な活動 > 全国中学生作文コンテスト > 平成17年度全国中学生作文コンテスト福島県大会入賞作品 >

ここから本文です

| 前の作品へ | 一覧 | 次の作品へ |

優秀賞 「私の祖父」

二本松市立小浜中学校三年 安斎 奈津美

私には、今年で八十五歳になる祖父がいる。八十五歳と聞いて、世間の人は何を思い浮かべるであろうか。寝たきりの姿だろうか。それとも弱々しく杖をついて歩く姿だろうか。もしそう思った人がいるならば、残念ながら私の家でそれは当てはまらない。

私が生まれた時、祖父は七十歳だった。しかし祖父は、仕事で忙しい母の代わりに、祖母と二人で私を背負ったり、あやしたりしながら私を育ててくれた。

祖父は私にとって第二の父親と呼ぶにふさわしいであろう。

先程、祖父が仕事で忙しい母の代わりに面倒を見てくれたと言ったが、これは母が無理矢理押し付けたのではない。祖父は進んで私の面倒を見てくれたのだ。

今でもそれは変わっていない。祖父は、いつも祖母と互いの意見を言い合いながら野菜を作っている。これも、私達家族が作って欲しいとお願いしたのではなく、二人が趣味の一つでやっているのである。そのため、私達家族は、絶対に二人の野菜作りには口をはさまない。二人が互いの意見を言い合っている光景を横に、二人が作った野菜を食べながら見ているだけだ。

このような話をしていると、祖父のことを元気が良い普通のおじいちゃんと思う人もいるかもしれない。

確かに祖父はとても元気で、健康である。「耳」を除いては…。

祖父は若い時に耳に水が入り、それ以来耳が聞こえにくくなってしまった。いや、聞こえにくいと言うよりは、聞こえないに近いらしい。つまり私の祖父は、耳に障害がある「障害者」なのである。

だからと言って、私はそんなに祖父が障害者だと意識したことはない。私が生まれた時には、祖父の耳は既にほとんど聞こえない状態だった。だから、そのことを当たり前のことのように受け止め、「どうしておじいちゃんは耳が聞こえないの?」と疑問を抱くこともなかった。それに何より私が祖父を障害者だと思わないのは、祖父が健常者と何ら変わりのない生活を送っていたからである。耳が聞こえなくても、口の動きや身振り手振りで私達の言うことは理解できた。また、祖父は生まれつき耳が聞こえなかったわけではないので、自分から話すことにも問題はなかった。それどころか、祖父は近所の人達とゲートボールを楽しんだり、町までバイクで買い物に出かけたりしている。

近所の人達は、祖父の耳が聞こえないことを知っている。しかし、みんな普通に話しかけてきてくれるし、祖父もそれに笑顔で答えている。

何年か前、私の家におじさんが泊まりに来た。その時、おじさんの息子と私の祖父がお風呂に入っていたのだが、こんな質問をしてきたという。

「お風呂から二人の笑い声が聞こえるんだけど、耳の聞こえないおじいちゃんと一体どうやって話をしているの?」と。

私は、祖父は自分に障害があることを全く気にしていないのだと思っていた。しかし、この間、母がこんなことを話してくれた。それは、祖父が自分に障害があることで引け目を感じているということだった。私は正直、この話を聞いて驚いた。祖父がそんなことを考えているなんて思ってもみなかった。どういうことかと再び私は母の話に耳を傾けた。祖父は自分の耳が聞こえないことで、周りに迷惑をかけていると思っているのだという。自分の耳が聞こえないばかりに何回も聞き返してしまう祖父。それに答える周りの人々。そんなことが繰り返されていると、周りの人々が自分のせいで気の毒な思いをしている、というふうに思ってしまうらしい。実はこの間まで祖父は入院していた。幸いすぐに退院できたのだが、祖父はきっと肩身が狭い思いをしていたに違いない。

我が家では普通に生活をしている祖父が、こんなふうに考えてしまうということは、やはり社会では「障害者」というだけで健常者と違って見られているということだ。

なぜ人は、そんなふうに「障害」をとらえてしまうのか。そもそも「障害」とは何なのか。その答えは、まだ見つかっていない。それに私自身、正直なところ障害を持った人を見ると、何か他の人と違うと感じてしまうのだ。だから、早く大人になりたいと思う。早く大人になって、障害を持った人達の立場に立って物事を考えられる、大きな心を持ちたいと思っている。でも、私だけが変わっても仕方がない。世の中が変わらなければ意味がないのだ。「差別の目」がない世の中に…。

今日も私の家は、家族全員の笑い声であふれている。

このページの先頭へ