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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「Tさんから教えられたこと」

南相馬市立鹿島中学校二年 山野辺 春香

「人権」というと私にはいつも思い出すことがあります。それは今から二年前、私が小学生のころの話です。

ある日、学校から帰ると、玄関の上がり口に白い杖が立てかけてあるのが目に入りました。Tさんのものです。Tさんは私の家の昔から親しくしている人で、もう八十を過ぎるのですが、一人で歩いてやって来るとても元気な人です。

けれども、Tさんは視力が弱く、二メートルも離れると全く見えなくなってしまうという障害をもっていました。ちょっと見ると、目が悪いなどという感じはしないのですが、話す時に相手と目線が全然あっていなかったり、ものを見る時にものと自分の目がくっつくのではないかと思うくらい近づけて見たり、食べているお茶菓子がぽろぽろこぼれてもよく分からなかったりするのです。私の家族は、そんなTさんのことを「Tちゃん、Tちゃん」と呼んで慕っていましたが、私はTさんのするしぐさに何となく違和感を覚え、Tさんを苦手に思っていました。今日のようにTさんが遊びに来ていてもあいさつを交わす程度で、Tさんとはほとんど話らしい話もしたことがありませんでした。

ところがその日は、私がいつものように、
「こんにちは。」
とあいさつすると、Tさんはなぜか私に
「春香ちゃん、帰ってきたのか。学校は楽しいかい。」
と聞いてきたのです。私は予想しなかった展開に驚きながらも、当然という感じで
「楽しいよ。」
と答えると、Tさんは昔を懐かしむように、
「いいなあ。」
と言って話し始めました。

Tさんの目が悪いのは生まれつきで、学校へ行って勉強をしても、黒板の字が見えず、同級生の顔もよく分からなかったそうだ。休み時間は声をかけてくれる友達もなく、みんなが外で元気に遊んでいる時も教室の片隅にじっとしていたのでちっとも楽しくなかったという。そればかりか目のことで心ないことを言われたり、いじめを受けたこともあった。いつも独りぼっちだったTさんはとうとう学校へいかなくなってしまったそうだ。
「みんなと一回でいいからいっしょに楽しく遊びたい、この目さえ見えてくれたら、と何度思ったかわからない。だけど…。」

こんなふうに過ごした幼い頃をTさんは後悔したそうだ。目が悪いといっても全く見えない訳じゃない。神様からもらったのはほんのわずかな視力だけれど、その視力でできることがあるのではないか、と考えたのだそうだ。そして、働ける年頃になると、田植えの手伝い、草むしり、日雇いの仕事…と自分ができそうなことは進んで何でもしたそうだ。
「はじめは町を歩くと溝に落ちたり、道に迷ったり大変だったよ。でも、そのたびに声をかけると誰かが助けてくれた。精一杯仕事をするうちに友達もたくさんできたよ。今ではみんなの方から声をかけてくれる。本当にありがたいことだよ。」

感慨深げに話すTさんの前で、私は何も言葉が出ませんでした。Tさんに対して抱いていた自分の気持ちやとっていた態度をただただ恥ずかしく思うばかりでした。

目が悪いというハンデを負って生まれたためにいろいろとつらい思いをしたこともあったけれど、Tさんはそれをバネに自分で自分の道を切り開き、立派に生きてきたのです。そのために自分に与えられた力で精一杯がんばり、そんな自分を支えてくれている人たちへの感謝の気持ちも忘れていないTさん。Tさんの話を聞いていると、Tさんの心の中は、とても豊かで広いものだと感じました。なのに私はTさんのことを障害者として、特別な目で見、外見やしぐさを自分たちに比べて劣っていると思い、接することを拒んでいたのです。私は心の中でTさんに謝り、これからは自分と同じ人間としてごくあたり前に接していこうと思いました。

しかし、それは決してかなわない願いとなってしまいました。その日からしばらくしてTさんは亡くなったのです。

あれから二年がたちます。Tさんへ伝えられなかった思いは私の心の中にずっと残っています。そして今では、障害のあるなしにかかわらず、どんな人も一人の大切な人間として見ていかねばならないと思うようになりました。

時々、なぜあの時Tさんは私にあのような話をしてくれたのかと考えることがあります。もしかしたらTさんは私がTさんに対して抱いていた気持ちを見抜いていて、人間として生きていくために大切なことを教えてくれたのかも知れません。

「Tさん、どうもありがとう。」

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