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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「言葉のもつ重み」

矢吹町立矢吹中学校三年 戸倉 毅

現在の日本はますます高齢化が進み社会問題にまで発展することと思います。まして、老人に対する虐待や、差別などの事件も増えつつあるのが現状です。

僕がこの問題を取り上げようと思ったのは、祖父に対して僕が発した何気ない言葉が、余りにも祖父の心を傷つけてしまったということのお詫びの気持ちがあったからです。

僕の祖父は家庭の都合で叔父の家に養子として入り、奴隷のように働かされ、農業一筋に約六十年間尽くしてきたことを、母や親戚の人や周りの人達から聞かされてきました。実際の祖父の手は分厚く、指や関節は太く働くものの証のような立派な手をしています。祖父の生きがいはうまいと認められる米や、野菜を作ることでした。

そんなある日祖父に異変が起きたのです。祖母が亡くなって八十一日目のことでした。畑で草をむしっていた祖父は倒れてしまったのです。
「じいちゃん、しっかりして…。どうしたの。動けないの。待っててねお母さん呼んで来るからね。」
と言って僕は母を呼んだり、救急車を呼んだりしました。大変な一日だったことを鮮明に覚えています。祖父は脳内出血で発見が早かったことが幸いし命だけは助かりました。しかし、その一年ほど前に心臓弁膜症で弁を交換する大手術をしていたので緊急の手術が不可能であったためにその後遺症として痴呆が残ることを医師から宣告されました。その時にはどうしようもないほど大きな衝撃を受けました。自分の身近で大切な家族のぼけが始まるということが、どんなに悲しく淋しいことなのか想像したことがなかったからです。祖父は父のいない僕にとって父親と同じような存在でした。僕は十五年の間に祖父から働くことの楽しさや喜び、また厳しさや辛さなど多くのことを学びました。多くのことを教えてくれる祖父は僕の尊敬できる人でした。ある時僕は祖父に、
「じいちゃん誰だか分かる。」
と聞いてみました。祖父は、
「分かるわい。史倫だっぺい。」
と言ったのです。史倫とは伯父さんの息子の名前です。祖父の中で、僕という存在が薄れていってしまう。あれほど可愛いがってくれた祖父が僕を忘れていってしまう。淋しさと悲しみにおしつぶされそうになってしまいました。忘れられたくはないという思いで、僕は何度も祖父に名前の確認をしました。何度聞いても答えは同じです。そんな祖父に対していらだち僕は
「そんな馬鹿に構わないで帰ろう。」
と母に言ってしまったのです。小さい時から尊敬してきた祖父に対して何ということを言ってしまったのだろう。人として最低の言葉を自分は今発してしまったんだと直ぐ我に返り反省しました。祖父は僕の言った言葉をどう受け止めたのでしょうか。少し悲しそうな顔をした祖父のことを今でも忘れることができません。
「じいちゃんごめんね。」
と心から謝りましたが、その気持ちが祖父には伝わったのだろうかと不安にもなりました。その時、僕は言葉の怖さを初めて知ったのです。言葉は相手の心を傷つけるものだし、発した自分の中にも後悔という気持ちを残すものだと気がついたのです。文字なら消しゴムで消すことができるのに、言葉はどうしても消すことができないのです。考えて話さなければいけないことをその時実感しました。それからというもの僕は祖父に対して優しく話しかけるように心掛けています。今僕は祖父にとって僕が誰かは問題にならなくなりました。祖父が喜んでくれるのなら十分だと思うようになったのです。

今、祖父は地元にできた老人ホームに入居しています。見舞いに行ったとき僕は祖父だけでなく施設にいる多くの人達の話し相手になったりしています。どんなに立派な施設でもやはり自分の家に帰りたいと泣くお年寄りの人もいます。とても辛いことです。僕達も必ず祖父達と同じ高齢になる時がくるのです。だからこそ今この時、僕は祖父にはもちろん多くの老人の方達にも優しく接していこうと思います。そして温かく見守っていきたいと思います。家族の和を壊さないためにも発する言葉を大切にしながら互いを思いやって大切にしていきたいと思います。

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