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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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福島民友新聞社賞 「強い心」

喜多方市立第一中学校三年 長沢 美加

「お前は弱いからいじめられるんだ。」

小学校の時私の友達がいじめにあったが、その時、いじめた人の言い分がこれだった。私はこの言葉は大きな間違いだと思う。決していじめられる人が弱いのではなく、いじめる人が弱いのだ。いじめる人は、自分一人では不安だから、集団で一人のことを傷つける。また、面と向かわず陰に隠れていじわるなどをする。そこがいじめる人の心の弱さなんだと思う。

小学校一年の時のことである。私の友達のいじめは、昨日まで笑って仲良くしていた友達に無視されることから始まった。物を隠され、教科書に落書きされたりした。その友達は先生に相談したが、返ってきた言葉がこうだ。

「本当にその子たちがやったとは限らないんじゃないのか。それに、いじめられるのは、お前に原因があるからじゃないのか。」

だった。友達を思いやる言葉は一つもなかった。その時、私たちは、誰がやったか知っていたのだから先生に言っていじめをやめさせることはできた。だが、そうすれば次は自分がやられるのではないかと怖れ、みんな見て見ぬふりをした。その友達は学校へ来られなくなり、その半年後転校してしまった。どうしてあの時、私は助けられなかったのか。

「一年生で小さかったんだから、助けられなくても、しょうがないよ。」

三年生の時の担任の先生はそう慰めてくれた。でも友達は無視される苦しみを小さい体で受けとめて、いじめと向き合っていたのだ。いじめているほうも、いじめられているほうも同級生だったのだから私にだって助けることはできただろう。それなのにそうしなかった。自分の弱さ・情けなさを後悔とともに思い出す。彼は私たちを思い出す時、どんな思いで思い返すのだろう。間接的にではあるが、私もいじめに関わっていたことを否定できない。いつか謝りたいと思っても彼はもう遠い所に行ってしまった。

それから六年が経った中学一年の時。私はまた友達のいじめに出会った。だが、もう前の私とは違っていた。そして先生も友達のことを良く考えてくれる、すばらしい先生達であった。嫌がらせをしている人をつきとめるため朝早くから夜遅くまで、頑張ってくれた。その先生は、いじめた人のことまで気遣ってあげていた。嫌がらせの理由を聞いてみると

「自分が教室に入れないから、彼女も以前のように学校に来られなくなればいいと思ってやった。」

だった。それを聞いた私は、

「自分のことしか考えていない。」

と憤慨したが思い返せばそれは、六年前の自分自身の姿でもあったのだ。

「もう、六年前のように友達を傷つけずっと後悔したくない。」

そう思い私は彼女の話を聞いて励ました。もちろん私一人だけの励ましだけでは、彼女は立ち直れなかったかもしれない。しかし、彼女の周囲には部活の友達、先輩、クラスの友達など何人もの人が助けようと集まっていた。毎日少しずつではあったが彼女は元気になっていった。そして今、彼女は元気に学校に通っている。あれから何回か物を隠されたが彼女の心は強く、もうくじけなかった。また、嫌がらせをした人も、もうしなくなった。

「美加たちまわりの人が助けてくれなかったら私は今、学校にいなかった。あなたたちがいたから私は強くなれた。本当にありがとう。」

彼女に言われたこの言葉。自分の小さな力でも友達が立ち直れたことに私はうれしかった。そして私は思った。

「強くなったのは私もだよ。私の心も強くなることができたよ。ありがとう。」

と。そして六年前の自分に後悔した。友達を助けることは簡単なことだった。

「いじめ」

いじめを防ぐために大切なことは、『私たち「一人一人がかけがえのない大切な人」だということを忘れてはいけない』ということだと思う。そして、もし、いじめがおきてしまったら、「どうやって早く解決させるか。」を考えるのが大切だ。いじめた人の気持ちも、分かってあげなければ、本当の意味での解決にはならないと思う。いじめる側いじめられる側、両方の気持ちを理解することが大切だと思う。そして周囲の人も見て見ぬふりをするのではなく自分たちの問題ととらえる必要があると思う。そして一人一人が、「助けよう」という気持ちを持つことが大切だと思う。そんな勇気のある人は次にいじめられたりしないし、その勇気は周囲にも広がっていくと思う。私は同じ後悔をしたくないから、友達のため自分のために勇気を持って生きていきたい。さあ、勇気を持って。

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