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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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優秀賞 「身近な人権と私」

須賀川市立第三中学校三年 熊田 麻里

今年、私の出席番号は三十六番から十二番に変わりました。そうです。今年度から私の学校の生徒名簿が男女混合になったのです。これは、我が国の男女共同参画社会基本法に基づく、私の住んでいる市の計画なのだそうです。しかし、このようなことで、本当に男女が平等になっていくのか、疑問に思い、考えてみました。

私が「男女平等参画社会」という言葉を初めて耳にしたのは、今年、三年生になってからでした。社会の公民の授業で、様々な人種について教わりました。人権とはどういうものなのかを知ると同時に、人権というものの大切さを学びました。

その中でも私は、自分の出席番号が変わったことなどから、この「男女平等」という言葉に着目し、自分の周りを見てみました。

まず、学校生活を見てみると、多少の男女の違いはしかたがないのですが、やはり、完全に平等ではないと思いました。出席番号が男女混合になったって、席はそのままの順ではなく、男の番号が早い順、女の番号が早い順から隣同士になり、必ず男女でペアになるようになっていました。もちろん、端の人からの番号もそろっていなく、ただ紛らわしいだけだと思いました。

さらに、これは私達生徒の考え方の問題だと思うのですが、部活動においても、いろいろ考えられると思います。私の学校では、野球部に女子が入っていたり、女子ばかりの文化部に男子が入ったりしていますが、それは数人でしかありません。やはり、固定観念をもっていたり、抵抗があるのかと考えてしまいます。周りの目を全く気にしない人などは、そう簡単にはいません。

また、家庭内でも、母は、「そういう男の子みたいな言葉遣いはやめなさい」とよく言っていました。私はこの言葉に、「男なら使ってもいいのか」「それなら男に生まれればよかった」と何度思ったことでしょう。その時私は、母の言っていることは正しくないと思いました。男らしさ、女らしさ、これらは、大切にしていかなければならないと思いますが、もっともっと個性を尊重し、その人にしかない自分らしさを磨いていったほうがいいと思います。

昔と比べれば、社会は時代と共に変化し、男女差別もかなり少なくなったと思います。しかし、このような不平等が、私達の周りにはまだまだたくさんあるのではないかと思います。

しかし、社会におけるすべてのものを完全に平等にすることは、はっきり言って不可能だと思います。男女には、体力の差がありますし、もちろん、考え方の違いもあるでしょう。男も女も、ひとまとめにしてしまえば、それぞれただ一人の人間でしかありませんが、かなり性質の異なるものだと思います。性質の異なるからこそ、対として扱われることも少なくないのだと思います。

では、私達は、一体どうすればよいのでしょう。私達には、何ができるのでしょうか。「男女共同参画社会の実現」に向けて、国や地域、その他様々な所では色々な取り組みが行われています。私達にできることは、そのような事をもっと積極的に理解することだと思います。その活動が、何のために行われているのか、誰のために行われているのかを考え、それに少しでも協力できそうなことがあれば、どんな些細なことでも行っていくことが大切だと思います。

また、別の理解も必要だと思います。男女共に互いの良さを認め合い、そのうえで、同じ社会で共に生きていくために何が必要かを、一人一人がよく考えるべきだと思います。そして、「あってもよい違い」「あってはならない違い」をしっかりと見極めて、その「あってはならない違い」をできるだけなくす努力がこれからの私達には必要だと考えます。

完全に平等になれない様々なものには、理解に理解を重ねていくことが重要だと思います。これは、男女の差別に限らず、身体障害者への差別問題や外国人に対する差別問題においても大切なことだと思います。理解こそが、私達の人権を守ることへの第一歩だと私は信じています。

様々な人が生きているこの世界。同じ人間は誰一人といなく、一人一人が自分らしさや個性の他に、「人権」というものを持っています。その権利が奪われないように、その権利を守るために、私は一人の人間として身近にある人権への理解を強め、積み重ねていきたいと思います。

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