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福島県人権啓発活動ネットワーク協議会
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最優秀賞 「ぼくは10円」

須賀川市立第二中学校 二年 永山 貴啓

弟の背中に紙切れがくっついていた。ぼくはそれを見て笑った。その時、はっとした。あの時のみんなもただそんな軽い気持ちで笑っただけだったのかもしれないと思った。

それは、ぼくが小学生の時だった。休み時間に教室でクラスのみんながぼくをみて笑っている。ぼくの背中に紙が貼ってあった。その紙には、「10円」と大きく書いてあった。ぼくは黙ってその紙を剥がし、丸めてゴミ箱に捨てた。顔がはずかしさで赤くなっていくのが分かったが何事もないようなふりをした。くやしかった。紙を貼った人たちはもちろんだが、それを見て笑ったクラスのみんなが敵に思えた。

次の日の朝、ぼくは初めて学校へ行きたくないと思った。しかし、家族に心配をかけたくないと思い学校へ行った。クラスでは何もなかったかのようだったが、ぼくの心は晴れ晴れしなかった。こんな気持ちがずっと続いていくかのように思った。先生や家族にも、はずかしい気がして話す気持ちにならなかった。

何日かたったある日、思いきって夕食の支度をしている母に学校であった貼り紙のことを話した。母は、ぼくの顔をみて笑った。そして、

「10円の値段がつくなんてすごいよ。これからプレミアムがついて、どんどん値段が上がっていくかもしれないしね。」
と言った。ぼくは、あっけにとられた。期待していた言葉とは違っていた。一緒に母も怒ってくれると思っていたのだ。それから、母は帰ってきた父に、
「貴啓は、10円なんだって。」
といきさつを話した。それを聞いた父も、大笑いで、

「なんだ10円か。もっと高くてもいいのにな。父ちゃんなんか、値段なんかつかないぞ。むしろ金を払って引き取ってもらうほうだな。リサイクルもできないぞ。」
なんて言っている。ぼくは、こんなのんきな両親をみて、今まで自分が悩んでいたことがなんて小さなことなんだろうかと、ばからしく思えてきた。

それからのぼくは、学校で何事もなかったかのように楽しく過ごすことができた。そんな事があった事も忘れていたある日、母が、
「あの時は悔しかったよね。人に値段をつけるなんて最低ね。」
と言った。今思うと本当は、母も悔しかったのかもしれない。でも、一緒に悩んでいてはいけないと思い、笑ってぼくを勇気づけてくれたのかもしれない。あの時、「かわいそう。」などと言われていたら、ぼくの性格から考えて、もっと落ちこんでいたかもしれない。笑い飛ばしてくれたおかけで気楽になったのだ。両親に打ち明けられたことは良かったのかもしれない。くよくよしても何も解決しない。一歩を踏み出す為には、自分の心の弱さをみせるようではずかしいかもしれないが、まわりの人の力を借りることも必要だと思う。その時のぼくにとっては家族だった。

母からこんな話を聞いたことがある。小学生の頃母は、一人の男の子から、

「目がでっかい。おっこちそうだ。」
と、からかわれていたらしい。そのことが大人になるまで気になっていた。しかし、同級会があった時、母がその男の子に、

「目が大きいってずい分からかわれたね。」
と言ったそうだ。そしたら、その男の子は、

「おれはすごく目が小さくて、うらやましかったんだ。ごめん。」 と言ったそうだ。その時一緒に撮った写真をみせてもらった。そこに写っている男の人の目は本当に細かった。母は、

「大人になってからだったら何でもないことも子供の頃は大きく考えてしまうのね。だから、その時つらくても、もう少し、もう少しって待ってみることも必要かもね。」
と言った。子供の頃の母にとってはつらい思い出だったかもしれないが、今の母には、笑って話せる思い出になっているようだ。

今、中学二年生になって思うことがある。毎日の生活の中でちょっとした言葉や行動で人を傷つけてしまうことがあると思う。自分が気づかないうちに傷つけている場合もあると思う。相手がいやだと思ったら、「いじめ」になってしまう可能性もあるかもしれない。そういうことを考え、相手を思いやる気持ちをもっていかなくてはならないと思う。

反対に、心が傷つけられた人や、いじめにあっている人は、はずかしいとか、心配をかけたくないと思っていても、誰かに相談してほしい。自分が思っているよりも意外と簡単に解決してしまうかもしれないし、そうでなくても少しは気持ちが軽くなるかもしれない。今は、闇がずっと続くような感じがするかもしれないけれど、闇から必ず抜け出させる日が来る。そのために一歩踏み出してみよう。

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