活動報告
平成24年度活動報告
群馬県人権啓発活動ネットワーク協議会の活動報告
平成24年度ダイヤモンドペガサス人権スペシャルマッチ
ぼくたちの人権宣言 フェアプレーがかっこいい
いじめ しない させない 見逃さない
9月15日(土曜)前橋総合運動公園市民球場において、群馬ダイヤモンドペガサス人権スペシャルマッチが開催されました。
球場には、横断幕を掲げ、場内アナウンスによる啓発メッセージのほか、人権イメージキャラクター人KENまもる君による始球式、試合5回終了後には地元中学校野球部員による人権宣言が行われました。
また、会場にいらした方に、アンケートの協力を依頼したり、啓発物品の配付を行いました。

ボーイズリーグ少年による「人権宣言」

人権イメージキャラクター人KENまもる君
による始球式
うまく投げることができました。

人権イメージキャラクター人KENまもる君や
人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃんはたくさんの子に囲まれました。

感謝状の贈呈。「人権宣言」立派でした。


ちゃんと握手できたかな。
猛暑の中、たくさんの人の協力により無事試合を終了する事ができました。
男女共同参画フェスティバル(主催:群馬県女性団体連絡協議会)
6月9日に群馬県ぐんま男女共同参画センターで開催された男女共同参画フェスティバルに参加しました。女性の人権に関係のある啓発パネルを展示し、5種類の啓発冊子とリーフレットを備え付けました。来場者にはその啓発冊子などと一緒に人権イメージキャラクター「人KENまもる君」や「人KENあゆみちゃん」のキーホルダーを配布しました。
来場者の方々一人一人と会話をし、啓発物を手渡すなど充実した啓発活動ができました。
人権イメージキャラクター「人KENあゆみちゃん」も登場し、会場を盛り上げました。
平成23年度活動報告
第31回全国中学生人権作文コンテスト群馬県大会審査結果
平成23年10月18日(火曜)、前橋地方法務局において第31回全国中学生人権作文コンテスト群馬県大会の審査会が行われ、21編の優秀作品が選ばれました。
| 賞名 | 題名 | 氏名 | 学校名 | 学年 |
|---|---|---|---|---|
| 前橋地方法務局長賞 (中央大会推薦作品) | 踏み出すその第一歩 | 玲子 | 群馬大学教育学部附属中学校 | 3年 |
| 群馬県人権擁護委員連合会長賞 (中央大会推薦作品) | 人権を守るために | 安中市立松井田南中学校 | 3年 | |
| 群馬県教育委員会教育長賞 | やさしい笑顔 | 中之条町立六合中学校 | 3年 | |
| 上毛新聞社長賞 | ひいおばあちゃん | 原 志乃 | 川場村立川場中学校 | 1年 |
| 上毛新聞社編集局長賞 | ひめゆりの塔から | 群馬大学教育学部附属中学校 | 3年 | |
| NHK前橋放送局長賞 | 「見ためじゃなくその人を」 | 智美 | みどり市立大間々中学校 | 2年 |
| 群馬テレビ賞 | いじめを減らそう | 太田市立西中学校 | 3年 | |
| エフエム群馬賞 | 障害と個性 | 中之条町立中之条中学校 | 1年 | |
| 奨励賞 | 児童虐待について | 伊勢崎市立あずま中学校 | 3年 | |
| ルールが守られる社会でありたい | 伊勢崎市立殖蓮中学校 | 2年 | ||
| だれもが笑顔に | 伊勢崎市立第二中学校 | 3年 | ||
| 心の中での差別 | 太田市立生品中学校 | 3年 | ||
| 生活からの人権 | 太田市立城東中学校 | 3年 | ||
| 高齢化社会 | 下仁田町立下仁田中学校 | 3年 | ||
| ユニバーサルデザインと思いやり | 高崎市立群馬中央中学校 | 3年 | ||
| 今できること | 智史 | 高崎市立群馬南中学校 | 3年 | |
| 私の考える人権 | 玉村町立南中学校 | 2年 | ||
| 壁のない社会 | 玉村町立南中学校 | 3年 | ||
| 障害のある人への思いやりと理解 | 沼田市立沼田南中学校 | 1年 | ||
| 認知症を通して学んだこと | 藤岡市立東中学校 | 1年 | ||
| 無意識がつくる距離 | 前橋市立芳賀中学校 | 3年 |
応募してくれた中学生の皆さん、並びに先生はじめ関係者の皆様、ご協力誠にありがとうございました。
また、前橋地方法務局長賞と群馬県人権擁護委員連合会長賞の2編を中央大会へ推薦し、宮
玲子さんは法務省人権擁護局長賞、山下絵里香さんは奨励賞を受賞しました。
◆前橋地方法務局長賞(中央大会:法務省人権擁護局長賞)
踏み出すその第一歩 群馬大学教育学部附属中学校 3年 宮
玲子
どうして。どうして私を見るの。
そんな目で、私を見ないで…。
私が歩いていると、すれ違う人々が私のことをじっと見る。視線の先は私の顔ではない。洋服でも、鞄でもない。私の、足である。
意識し始めたのは、いつ頃だっただろうか。自分が他の人と違うことを。
私は生まれつきで足が悪い。はじめは歩けるかどうか心配されていたらしいが、訓練をしてくださった先生や家族のおかげで、私は今、自由に歩いたり走ったりすることができている。
私が幼稚園生だった時、
「足が内側向いててかわいいね。」
と、友達に言われた。その時私は、まだ自分の足についてあまり気にしていなかった。だからその言葉も、気にならなかった。
小学校に入ると、だんだんと自分が他の人と違うのだという事が分かってきた。上履きは、私だけ運動靴を履いていたため、
「どうしてそんな靴を履いているの?」
と言われることがよくあった。また、私の歩き方を見て、
「どうしてそういう歩き方をするの?」
と言われることもあった。それを言われた時、自分は歩き方が人とは違うという事を自覚した。そして、そのような事を言われる度に、『私は他の人とは違う』という事を思い知らされた。おそらくこの頃から、『他の人と違う』ことを私は意識するようになったのだろう。
遠足などは、皆とずっと一緒に行動できず、私だけ少しバスに乗ったり、違う道を歩いたりした。体育の時間は、なかなか皆と同じように走ったり跳んだりすることができなかった。歩いている私の足を見られる度、「足が悪い自分」に引き戻された。いつでも「足が悪い」という事実が、私につきまとっていた。
「どうして私だけ、こんな思いをしなくてはいけないのだろう。」
『自分は人と違う』『自分は人より劣っている』という自己嫌悪は、日に日に強くなるばかりだった。
中学生になると総合の授業が始まり、二年生ではボランティアについて学んだ。
私は、障害者が働いている食堂でボランティアをさせていただいた。行く前は「どんな雰囲気なのだろう」と少し不安だったが、食堂へ着くと、その不安はすぐなくなった。そこで働く人々が、笑顔で迎えてくれたからだ。
彼らの仕事ぶりは、「障害者」という事を感じさせなかった。私たちにアドバイスをしてくれたり、休憩時間には笑いながらおしゃべりをしたりもした。彼らと過ごす時間は楽しくて、あっという間に時が過ぎた。
学校へ帰ると、ボランティアを通して学んだ事をまとめる、新聞作りの時間が待っていた。その時に、先生がこう言った。
「障害者のことを『障害を持った人』というのは間違いです。『持つ』というのはその人の意志で行う行為ですが、障害者は障害を持ちたくて持っているのではありません。自然とそこにあるものなのですから、『障害がある人』と言うようにしましょう。」
まるで、頭を何かで打たれたような衝撃だった。
その人に自然とあるもの。つまり障害とは、その人の個性だったのだ。
私は今まで『自分は他の人と違う』とばかり思ってきた。しかし、人間に違いがあるのは当たり前だ。背が高い、絵が上手いなどのように、それぞれ個性があるのも当たり前。そして私の個性の一つに、「足が悪い」というものがあっただけなのだ。
皆と同じ空間にいても、私だけ違う目で見られているような気がしていたのは、私自身が皆との間に壁を作ってしまっていたからなのではないだろうか。
ボランティアをさせていただいた食堂の人々から、『障害者』ということを感じなかったのは、彼らがその個性を受け止めた上で、自分に出来ることを精一杯、堂々とやっていたからだと思う。
だから私も、自分の「個性」を受け止めて、堂々と生きていきたい。そしてむしろ、大切な事を気付かせてくれた自分の「個性」を誇りに思いたい。その上で自分に出来る事を精一杯やっていれば、きっと周りの人も理解してくれるだろう。
世間に目を向けてみると、障害者は就職、就学、いじめ等、様々な場面で差別されている。それは、まだ多くの人々が障害は個性だ、ととらえていないからだ。個性を尊重し合いながら暮らしていけば、この世の中から差別というものは絶対になくなっていくだろう。
障害者自身も、周りの人々も、障害を「個性」ととらえる事が、差別がなくなることへの第一歩なのだ。
◆群馬県人権擁護委員連合会長賞(中央大会:奨励賞)
人権を守るために 安中市立松井田南中学校 3年 山下絵里香
「ねぇ、例えば、ここにジュースがあったとして、これには、毒が入っているけど、すぐに死んだり、病気になる程の量じゃないから大丈夫だよ。って言われたら絵里ちゃんどうする?」
先日、久しぶりに会った茨城に住む叔母に、こう聞かれました。私は、唐突な質問に戸惑いながらも、
「毒が少しでも入っているなら絶対飲まないよ。当たり前じゃん。」
と答えました。のどが渇いていても我慢するとか、とにかく毒の入った飲み物を飲まなくてすむように、最大限の努力をすると思ったからです。
「やっぱり、それが普通だよねぇ。」
叔母は、ため息をついて茨城の現状を話してくれました。
叔母の家は、震災で家は傾き、ボロボロの状態で、福島原発からは約百キロメートル、東海第二原発からは数十キロメートルということもあって、放射線への不安もとても深刻な様です。でも、叔母の話によると、どんなに不安に思っていても、それを表現しにくい雰囲気が、現地にはあるのだそうです。本心はわからないけれど、そんなの気にしたって仕方ないから、気にせずいつもと同じように過ごせばいいと言う人が多いのだそうです。逆に違う地域に避難したり、子供をプールに入れることをためらったりしている人は、気にしすぎだとか、子供が何もさせてもらえずにかわいそうだとか、陰で言われてしまうのだそうです。ああ、そうか、叔母は、放射線のことをジュースの中の毒に置き換えて私に質問したんだ…と思いました。確かに、福島原発から漏れている放射線は、群馬でも野菜が出荷停止になったほどだし、全く他人事ではありません。私はドキッとしました。自分達は、少しのんきに構えすぎてるんじゃないかと思ったのです。地震直後は、私も怖くてたまらなかったけれど、正直今は、目には見えないものだし、何となく大丈夫なんだろうという空気が周りにあり、それに流されてしまっている気がします。叔母は言いました。
「普段は平気なふりして過ごしているけど、正直に言えばね、原発は怖くてたまらない。できることなら、日本中のすべての原発はストップしてほしい。こんな国民全体の人権を奪うような事故が起きる発電所、一つだって存在するべきじゃないと思うの。だけど、それを堂々と表現する勇気はないんだよね。なんだかんだ言って人まかせなの。情けないことに…。」
心のどこかで、誰か原発を廃止にするよう動いてくれないかな…とか、反対運動がもっと盛り上がればいいのに、とか自分は動く勇気がないのに、周りにばかり期待してしまう自分が許せないというのです。ああ、それって分かるな…。私は、ついこの間見た、ある光景を思い出していました。
あるスーパーの駐車場で、私が車の中で母の買い物が終わるのを待っていた時のことです。少し離れた場所で、突然若い女性が倒れたのです。周りには遠巻きに何人か大人の人が見ていたけれど、何故か、誰もすぐに近寄ろうとはしていませんでした。私も
「あっ、どうしたんだろう。大丈夫かな?」と思ったけれど、車から降りてかけ寄る勇気がありませんでした。何だかとても怖くなってしまったのです。私が行ったって、何の役にも立てない。誰かお願い、早く助けてあげて…心の中で、そう叫んでいました。
叔母の話を聞いて、私は思いました。私も一緒だ。情けない人間だって。どうして、あの時、すぐに車から降りて声をかけられなかったのか、ずっと後悔していました。たぶんあの時の私に足りなかったのは、自分から一歩を踏み出す勇気と、その勇気を支える自信だったと思います。どうしたら助けられるのか、私に知識があったら、きっと動き出す勇気になった気がします。
叔母の話を聞くまで、私は安心して生活するという自分達の人権が侵されつつあることに気づいてもいませんでした。自分達の人権を守るため、踏み出すためには、確かな知識と勇気が必要なのだと改めて思いました。
「全国の人達が、みんなで頑張ろう、と応援してくれる一方で、震災時、福島原発の近くに住んでいた人とは、自分の子供を結婚させたくない、などと話す人もいるのが現実。新しい人権問題が次々と生まれつつあるんだよ。」
と叔母は、厳しい表情で話していました。
私達みんなの人権を守るため、今こそ私達は自分なりに学び、よく考えるべきなんじゃないか、きちんと判断して、それを自信をもって表現できる大人にならなくちゃいけないと、私は強く感じました。
◆群馬県教育委員会教育長賞
やさしい笑顔 中之条町立六合中学校 3年 山口 葵
あなたは将棋をやったことがありますか。八十一マスに区切られた台の上で二十個の駒を使い、相手の王をとる遊びです。日本各地で将棋の大会も開催されています。将棋好きの人ならば、だれでも参加できるこの大会で、参加を拒否された人がいました。ハンセン病元患者の方です。
六合中学校では、人権学習でハンセン病元患者の方の人権について学んでいます。学んでいく中で、昨年、ハンセン病元患者の方と交流する機会がありました。
私たちが交流した方は比較的障害度の高い方でした。その方はとても将棋が得意でした。でも、「ハンセン病元患者だから」という理由で将棋の大会に参加することができなかったのです。今でもハンセン病に対する差別が続いているという現実に、私は怒りと悲しみを覚えました。
一人の人間として、大会への参加が認められなかったのです。こんなことが今の世の中にあっていいのでしょうか。この地球で、日本も差別や偏見が絶えない国であることを感じました。差別を受けていない人、差別をしている側にいる人は、
「この国は平和だ。」
と思っているかもしれません。私もその中の一人でした。ですが、今、
「私が世の中のことを知らなかっただけなんだ。」
と、思い知らされました。
ハンセン病は、感染する確率はとても低く、今現在、新しい患者は全国でほんの数名しかいません。それなのに、元患者さんはなぜ将棋大会への参加を拒否されてしまったのでしょうか。それは、病気の後遺症で手や顔が変形してしまったり、視力や手足の指を失ってしまったりしたからです。戦後に開発されたプロミンという薬によって、今では後遺症も軽くすみ、確実に治る病気なのです。ですが、国の間違った政策は患者を強制的に隔離し、人々に「ハンセン病は恐ろしい病気」という考えを植え付けてしまったのです。
私は、人権学習でハンセン病について学ぶのは、昔からひどい差別や偏見を受けてきた病気だからだと思っていました。しかし、元患者さんのお話を聞いて、ハンセン病になったことで差別を受けてきた人のこと、ハンセン病のことを深く理解し、差別について私たちができることを見つけ、実行するために学んでいるんだ。そう思いました。
「できることをやる」というのはそんなに簡単な話ではないかもしれません。でも、交流の中で、
「私たちにもできることがある。」
と思えたのは元患者さんの笑顔を見たときでした。差別や偏見、強制隔離などひどいことをたくさんされてきて、人に心を開くことができないほど心に深い傷があるはずなのに、元患者さんは私たちに対して笑顔を向けてくれたのです。それは、とても優しい笑顔でした。その笑顔を見て私は、少しずつ、少しずつでもいいから、ハンセン病についての正しい知識と、大きな誤解によって苦しめられた人がいたことを、みんなに知ってもらえるように、一人また一人と話していこうと思いました。
ハンセン病。その言葉をきいてあなたは何を思いますか。「恐ろしい病気」、それとも「大きな誤解で差別をされてきた病気」ですか。私はみんなに正しい知識を知ってもらう必要のある病気だと思います。今、完全には差別や偏見が無くなってはいないこの日本で、生きているすべての人が笑顔で、やりたいことをやれるような国にすること。それが日本の社会の、私たちが一番にやるべきことだと思います。生きている中で悲しい思いをしなくてはならない人などいないのです。いてはならないのです。やりたいことをやらせてもらえない人がいてはならないのです。
誰もが持っているもの。命、感情、そして笑顔。けれど、今もこの世界で一つの笑顔が消えていってしまっているかもしれません。それを防ぐためにも差別や偏見について、しっかりと考えていく必要があります。そのことを私はハンセン病元患者さんの笑顔に教えられました。私はハンセン病によって苦しめられた人たちのことをたくさんの人に深く理解してもらい、悲しい思いをしている人がいなくなり、やりたいことができる社会を作っていきたいです。そして、あのやさしい笑顔を少しずつ増やしていきたいと思います。
第31回全国中学生人権作文コンテスト 入賞作文(一部)の紹介
第31回全国中学生人権作文コンテスト群馬県大会表彰式
平成23年12月7日(水曜)、前橋市民文化会館大胡分館(大胡シャンテ)において、第31回全国中学生人権作文コンテスト群馬県大会表彰式を行いました。
当日は、前橋市立大胡中学校の1年生、2年生生徒全員を招待し、中学校の人権教室として表彰式を行いました。
表彰式では、優秀作品の朗読が行われ、前橋地方法務局長賞の宮
玲子さん、群馬県人権擁護委員連合会長賞の山下絵里香さん、群馬県教育委員会教育長賞の山口葵さん、そして前橋人権擁護委員協議会長賞を受賞した前橋市立大胡中学校3年狩野裕子さんの4名が受賞作品の朗読をしました。





原 志乃