第31回 中学生人権作文コンテスト茨城県大会最優秀賞作文
たくさんの人に支えられて
桜川市立大和中学校
一年 藤田 涼花
皆さんは、補聴器を知っていますか? 読んで字のごとく聴こえを補う道具です。耳の聴こえない人達にとっては必要な物なのです。そして、先天性感音難聴の私も毎日の生活の中で必要な道具の1つです。
しかし、補聴器をつければ全ての音や会話が聞こえるようになるわけではありません。技術の進歩で昔よりはとても機能がよくなったそうですが、思うようにならない事もたくさんあります。
例えば、グループでの話し合いなどでは、数名の人たちが同時に話し出すと、だれが何を言っているのか全く聞き取る事ができなくなって、とても困ってしまいます。そんな時、
「もっとゆっくり話して。」
と私も言えば良いのですが、勇気がなくて言えません。
私が補聴器をつけたのは、幼ち園に通っているときです。私の言葉の発音がおかしい事、言葉を間違えて覚えている事を不安に思った母が、大学病院へ連れて行ってくれたそうです。検査した先生から、
「難聴があります。」
と言われた母は、その日から私をどう育てていけば、良いのか、とても悩んだそうです。
私は補聴器をつけることになりました。初めて補聴器を耳にかけると、今まで聞いたことのないたくさんの音が耳に入ってきました。びっくりした私はずっと泣いていた記憶があります。補聴器をかけてからは毎日、絵日記を書いて言葉を覚えたり、発音の訓練をしたりしました。母がとても厳しかったので、いやな時間でした。
買い物に行くと周りの人が私の耳をじっと見たり、ひそひそ話をしたりしました。私は、さびしいような辛いような気持ちになり、それは、今も時々感じています。
小学校に入学すると、全校集会があり、1年生の自己紹介コーナーがありました。私はさ行の発音がとても苦手で、自分の名前を、
「藤田ちゃずか。」
と言ってしまいました。何人かが笑いました。すると先生が、
「一生けん命やっているのだから、笑ってはいけません。」
と注意してくれました。それからは、私がさ行をうまく言えなくても、笑う人はいなくなりました。
私には3つ年上の姉がいます。私が小学校に入学したとき、姉は4年生でした。全校集会の後、何人かの友達から、
「妹って話せないの?」
「妹って病気?」「耳が聞こえないの?」
などと質問されたそうです。姉は、
「妹は生まれつき耳の聞こえが悪いから補聴器をつけているんだよ。妹にとって補聴器は、命を守ってくれる大切な物なんだよ。」
と分かりやすく説明してくれたそうです。命を守っているというのは大げさではなく、私は低い音が聞き取れないので、補聴器をつけていないと、後ろから車が近づいてきてもわからないのです。
姉がきちんと説明してくれたおかげで、姉の友達とも仲良く遊べるようになりました。
体育の時間には、こんなことがありました。私の耳から補聴器がはずれ、中の電池が落ちてどこかへいってしまったのです。大切な物だからと、運動場を一緒に探してくれた友達がいました。私はとてもうれしかったです。
また、私のためにクラス全員が補聴器をつける体験をしてくれました。クラスの友達は、
「すごく音が大きくてびっくりしたよ。」
と話してくれました。
私は、この4月に大和中学校に入学しました。私は運動も勉強も自信がありません。落ち込むこともあります。そんな時、姉は私が落ち込んでいることにすぐ気付き、手紙を書いてくれます。その手紙には、勉強が苦手だって、運動が苦手だって、私の妹だよ。大好きだよ・・・と書いてありました。姉は私を元気にしてくれます。私を支えてくれます。私は、そんな姉が大好きです。
姉は将来、障害のある人達の役に立つ仕事に就くのが夢だそうです。そのために今、福祉関係の大学に進学することを目標にがんばっています。
私は、たくさんの友達、学校の先生、病院の先生、そして家族に支えられて生きています。これからは支えてもらうばかりでなく、困っている人がいたら、少しでもその人を理解し、支え、守ってあげられる自分になりたいと思っています。
眩しい笑顔
つくば市立豊里中学校
二年 小林 直美
「あ〜あ、行きたくないなぁ・・・」
思わず口をついて出てしまった一言。玄関で自転車にかばんをつけているときにうっかり口を滑らせてしまったのだ。
「どうしたんだが?大丈夫なのか?」
心配そうにのぞき込む祖母の顔を見て、
(こんなはずじゃなかったのになぁ。)
と私は思った。
それはささいな出来事だった。何気なく友達からあだ名をつけられ、そのあだ名で呼ばれ出して悲劇は起こった。最初は本当に愛称だったのだ。ふざけて呼び合うようなものだったはずだ。しかし、いつからかそこに、『侮蔑』のようなものが含まれているような気がした。
不思議なもので、そうなると一気にほんのちょっとしたことが私の心をかき乱すようになってくる。いろんなことが気になって気になって仕方なくなってくる。冗談で言っていると頭ではわかっているのに心が言うことをきかなくなる。
私はいじめられているとは思っていなかった。なぜなら、私も同じようなことをした覚えがあったからだ。私もふざけ半分だった。困ったり本気になって言い返したりしている姿を少し楽しんでいるような嫌な私もいたように今では思う。今になってその頃のことを振り返ると、自分自身を責めるような気持ちが湧いてきて辛くて仕方なくなる。なぜあのとき、自分を見つめられなかったのだろう。なぜ自分を止めることができなかったのだろう・・・と後悔することが多い。思い出しただけでなんだか暗い気分になってくる。
私達は本来誰でも、明るく元気で楽しい学校生活を送る権利を持っているはずである。友達との悪ふざけやからかい合いも日常的にあるだろう。しかし、そこに『悪意』や『侮蔑』などの思いが含まれた瞬間、辛い悲しみに包まれる人間がいることを私はきちんと理解していなかったのである。友達を面白半分にからかったりする行動はこういった結果を生むことに気づいていなかったのだ。
「何があったんだ?話してごらん。」
祖母から何度も聞かれたが、私は何も話さなかった。いや、話せなかったのだ。なぜなら、自分が辛い立場にあることを話すと、自分がしてきたことも見透かされてしまうような気がしたからだ。
「ううん、大丈夫。」
そう答えて登校するのが精一杯だった。自転車に乗りながら涙がこぼれていたのをよく覚えている。友達の家に行くまでに涙が止まらなかったらどうしようと心配していたから。
その日の夜、父から諭された。そのきっかけも、イライラして母に当たるような言葉を口にしたからだった。
(何かおかしい。)
父はそう感じたらしく、穏やかな口調で、かと言って言い逃れは許さないよという強い思いがこもった言葉を私に投げかけて来た。
「そんな言葉を口にするお前だったか?何があった・・・?話してみな。」
もう私の思いは止まらなかった。どんなことがあったのか。今、何に苦しんでいるのかを一気に話したような気がする。何だか話さずにはいられなかった。過去に自分がしてしまったことも。私は楽になりたかった。思い出すだけで苦しくなる過去の出来事から解放されたかったのかもしれない。
「うん、うん。」
とただ話を聞いてくれた父。私が話していくぶんすっきりしている様子を見て、
「辛い思いをしていたんだな。気がつかなくてごめんな。」
と声をかけてくれた。一気に涙がこぼれだした。そう、辛かったのだ。今からかわれている自分も、そして過去にからかっていた自分も。自分一人の力ではどうすることもできないくらい苦しんでいたのだ。それを誰かにわかってもらえたことがうれしかった。
父には叱られなかった。でも、無言で怒られているような気がして、怖くて仕方なかった。父に軽蔑されてしまうかもしれないというような恐怖も覚えていたような気がする。
私達が生まれながらに有している人権を脅かす行動はこんな恐怖感を生むのだ。それほど人権というものは大切なものなのだということが身に染みてわかったような気がする。
「どうしなきゃならないかはわかるよな?」
父のその一言が私の背中をぐっと強く押してくれた。私はその日、かつてからかっていた友達に
「あのときはごめんね。」
と謝ったのだ。友達の一言がまた胸に突き刺さった。
「ありがとう。待ってた。きっと直美なら気づいてくれると信じてた。」
友達の笑顔が眩しく、輝いて見えた。
