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平成17年度人権作品(作文・書道)

平成18年度に実施された各コンテストの優秀作品をご紹介いたします。

中学生人権作文コンテスト

【 盛岡地方法務局長賞 】

「自分らしさを活かす」

遠野市立上郷中学校一年佐藤 竜也

私には、障害がある兄がいます。知的障害があるためうまく話ができません。兄にとって、考えていることを相手に伝えるのは、とても難しいことなのです。誰かが軽く触れただけでたたかれたと感じて、けんかになることがあります。私たちがたいして気にもとめない事に、強いこだわりを持つこともあります。自分の要求が受け入れられないとパニックを起こしてしまうこともあります。

もし意思の疎通のできない人がいたら、みなさんはどう思いますか。

私は、兄のことをなかなか好きになれませんでした。時には恥ずかしいと思うことさえありました。「どうして、私の兄は、障害者なんだろう」と。

しかし、母は違いました。

「お兄ちゃんは、障害を持ちたくて持ったんじゃない。それにあの子は、自分のできることをがんばっている。それにお兄ちゃんに合った接し方をしてあげないと、パニックになってしまう。その人に合った接し方が必要なんだよ」と。

私はこの時、障害があろうとなかろうと、人間はみな同じだということ、そして、その人のことを思いやって接することの必要性を学びました。それからは、兄のことをよく観察してみようと思うようになりました。

兄には、たくさんの良さがあります。兄は覚えたことは絶対に忘れず、真面目に取り組むことができます。また、母や祖母が洗っておいた茶碗を片づけたり、毎日欠かさず畑の手伝いをしたりと文句を言わずに働いているのです。幼い頃からゲームやパソコンが得意で私が負けてしまうこともあるほどです。

兄の通う教室には、話ができないだけでなく、体も思うように動かせない人もいます。車イスに乗っていたり、移動するのに大人に抱きかかえられたりしているのです。それでも、みんな、自分のできることを見つけ、一所懸命取り組んでいます。その一つが五年前から、釜石の市民文化会館で行われている、「ウエルカムコンサート」という障害のある人たちの発表会です。ひとりひとりが主役になって、踊りや演奏などを披露するのです。

初めて、そういう人達を見たとき、私は最初、見た目の違いにばかりとらわれていました。しかし、よく見ていると、私たちとなにも変わらないことが分かりました。先生が明るく声をかけると、笑ったり、手足を少し動かして反応したりするのです。このコンサートは、年々観客が増えているのだそうです。また、観客が一様に「心が温かくなった」とか「生きる大切さを実感した」という感想を持っていることにも驚かずにはいられません。それは、おそらく、どうにかして、自分の気持ちを表現しようとしている彼らの純粋さが観る人の胸を打つからなのでしょう。

私ははっとしました。「今まで私は、自分の気持ちをこんなふうに素直に表現していただろうか。また、仲間のことをどうにかして理解しようと努めていたのか」と。それまでの私は、少し、自分の気にくわないことがあると文句を言ったり、自分の考えと合わない友達のことをばかにしたりするところがありました。そればかりか決めつけた見方ばかりして、相手の気持ちを分かってあげようとしていなかった自分に気づきました。

それからの私は仲間に対して何ができるだろうと真剣に考えるようになりました。そして、まず何でもいいから声をかけてあげるようにしました。相手の立場になって考える、ということに慣れていなかった私にとって、これは本当に難しいことでした。しかし、友達が、私の励ましやなぐさめの言葉によって元気になるのを見て、私自身が喜びで満たされていくのを感じました。それと同時に、今までは、よく分からなかった仲間の行動でも何か気持ちを表現するための意味のある行動だということが少しずつ分かってきました。

障害の有無に関わらず、人間として、自分の感情を自分らしく表現したいという思いは同じです。それに、何かに懸命に打ち込む姿に感動を覚えるのも、障害の有無は関係ありません。だから少しでも障害があるというだけで、嫌なものでも見るような目つきをされるのは、明らかに差別だと私は思います。障害が何ひとつない人と比べたら、辛いだろう、かわいそうと思うのは間違いです。障害イコール不幸ではないのです。これからも私は、兄の姿を通して、その奥にある人間の「良さ」に目を向けていこうと思うのです。

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【 岩手県人権擁護委員連合会長賞 】

「おばあちゃんの車いす」

花巻市立西南中学校一年佐藤 佳奈子

「なんだ。歩けないんだ。ダサイな。」

小学校二年生くらいの男の子の言葉でした。

私が、保育園の年長組のころだったと思います。両親と兄と盛岡から遊びに来ていたおばあちゃんといっしょに温泉に出かけた時の出来事でした。私はまだ小さかったけれど、あの日のおばあちゃんの悲しそうな顔と、男の子の言葉をはっきりと覚えています。あの時、おばあちゃんの心がどれだけ傷ついたかと思うと、本当に許せない気持ちになってしまいます。

おばあちゃんは病気で思うように歩けないので、車いすを使っています。若いころは、陸上の選手でもあり、足には自信があったと思います。でも、今は、家族みんなが助けてあげながら、一台の車いすがおばあちゃんの大切な足となって生活しています。いつも笑顔のおばあちゃんが、大好きな温泉に入ってますますうれしい気分でいた時、すれちがった男の子がニヤニヤしながら、

「なんだ。歩けないんだ。ダサイな。」と言ったのです。そばには、その子のお母さんらしき人もいましたが、自分の子どもに注意するでもなく、二人で通り過ぎていきました。私は、すごくショックでした。おばあちゃんも、私達家族もすごくびっくりしました。どうして、こんな言葉が出てくるのかと思いました。父は、その親子にかけ寄って話しをしました。

「おばあちゃんがひどく悲しんでると思うよ。おばあちゃんだって本当は君のように元気いっぱいに歩きたいんだよ。でも、どうしても病気で歩けないんだよ。おばあちゃんに一言ごめんなさいって言えるかなあ。」

残念なことに、

「ごめんなさい。」の一言が聞けませんでした。信じられないことに、その子のお母さんは、自分の子どもに教えるという様子もなく、二人で急いで行ってしまったのです。どうしてこんなにひどいことを言ったのに、気づいてくれないんだろう。

「どうして。どうして。」と心の中でさけび続けました。相手の人がいやな気持ちになってしまうようなことは、絶対に言ってはいけないということが、保育園児だった私にも分かりました。いつかきっとあの男の子にも気づくときがあると思いたいです。

小学校高学年のころになると、私は、おじさんや、お父さんに教えてもらいながら、一人でも車いすを上手に押してあげれるようになりました。車いすに自分も座ってみる体験を通して、一番大切なのは、乗っている人の気持ちになって考え、声をかけながらやさしく押してあげることだと分かりました。そういう気持ちを忘れずおばあちゃんの車いすを押してあげていると、

「安心して座っていられるよ。ありがとう。」と言ってくれます。そんな時、「ああ、良かった。」と思えるのです。

おばあちゃんは決して人の悪口を言いません。聞いたことがありません。いろいろな出来事があったたびに「ありがとう」と手を合わせながら生活しているおばあちゃんを、いつも見習いたいと思っています。私も、人の悪い所を見るのではなく、良い所を見つけていこうとする気持ちを持ち続けたいと思います。そして、相手の気持ちを考えて行動できる人になりたいと思います。おばあちゃんの車いすから、本当の心のやさしさを教えてもらった気がします。

だれにだっていつ何が起こるか分かりません。突然、交通事故で足に大ケガをし、車いすが必要になるかもしれませんし、スポーツをしている最中に、予想もしなかった出来事が起こって、まったく手足が動かなくなり、車いすなしでは生活できなくなってしまうことがあるかもしれません。もし、自分がそういう状況にあったら、どんな思いで障害と向き合っていかなければならないだろうかという事を一人ひとりがよく考えてみることが必要だと思います。そうすることによって、人の気持ちも良く見えてきて、思いやりの心を持って、接することができると思います。

目の不自由な方が困っていたら「何かお手伝いできることがありますか。」と恥ずかしがらずにやさしい声をかけたり、スーパーなどで車いすで買い物をしている方には、自然に道をゆずってあげたりできるようになると思います。また、相手が傷つくようなことは絶対に言わないと思います。

中学生になった今、私に出来ることがもっとあると思います。おばあちゃんがこれからも、毎日が楽しく、もっと長生きできるよう力になりたいと思っています。

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小学生人権書道コンテスト

【最優秀賞】

最優秀作品1
遠野市立遠野小学校 6年 佐々木 悠江
最優秀作品2
遠野市立遠野小学校 5年 佐藤 朱音

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