本文へジャンプメニューへジャンプ
熊本県人権啓発活動ネットワーク協議会
ここからメニューです

ホーム > これまでの活動 > 平成20年度全国中学生人権作文コンテスト熊本県大会 >

ここから本文です

「快適な生活を送るために」

最優秀賞(熊本県人権擁護委員連合会長賞)

天草市立河浦中学校3年 横田萌見

世の中色んな物であふれ、便利で快適な生活ができるようになったと大人の人は、みんな言う。しかし、私はそうは思わない。私には不便だと感じる事が多々ある。なぜなら、私は普段車いすで生活しているからだ。

ある日、私が家族と買い物に行った時、車いすマークの駐車場に車を止めようとしたら満車になっていた。しかし、よく見ると車いすマークの青いステッカーが貼っていない健常者と思われる人の車が多く止まっていた。しばらく待っていると、やはり買い物を終えた人が満足そうに店を出て行った。私達は、頭にきながらも車を止めた。駐車場のアナウンスでも、車いすとお年寄りの専用駐車場と言っているのに、どうして平気な顔して止める事ができるのだろう。少しの思いやりで助かる人は、たくさんいる事を健常者の人に分かってほしいと思った。

私のように車いすに乗っていると、できる事とできない事がある。小学生の頃は私自身できない事があると、人に頼んで手伝ってもらう事が多かった。しかし、自分でもできる事なのに、頼んだ以上の事をしてもらう事もあった。手伝ってもらう事は嬉しいのに、つい少しのプライドで、「それはできるよ。」と強い口調で断ってしまうことがあった。素直に「ありがとう。」と、言えない自分がもどかしかった。次第に、みんなは私をさけるようになり、それっきり手伝ってくれなくなった。そして、小学校五年生の時、とてもショックな事を言われてしまった。困っている時に素通りされたので、「どうして手伝ってくれないの。」と、聞くと「萌見さん、できるって言うし、それに私達萌見さんの召し使いじゃないし。」と言われた。私は、泣いた。自分は、そんなつもりじゃないのにそんな風に思われていたなんて、想像した事もなかった。私はこの出来事をきっかけに、自分の言葉を見直してみた。なぜ手伝ってくれなくなったのか考えてみると、私の断り方に原因があった。私は、断る時に「自分はできる。」という事だけしか伝えず、言葉の最後に「ありがとう。」や困った時に「手伝って。」と言うのを忘れていた。これでは、みんなが「召し使い」や手伝わなくてもいい、と思っても、無理はないと反省した。また、みんなに感謝している事を伝えなくてはいけないことに気がついた。

私は、小さい頃から障害者と思われる事が嫌で負けず嫌いで、強気な所がある。だから素直に「ごめんね。」とか、「ありがとう。」と言えないことがある。でも、自分の行動や言葉で誤解されるのは悲しい。中学生になった今でも、自分の言葉や行動は正しかったのか不安になるけど、あの時の経験を生かしてクラスのみんなに素直に「ありがとう。」と言うように心がけている。今は、クラスのみんなに自分の気持ちをきちんと伝えることで、困っている時に手伝ってくれる人が、増えた。私はとても嬉しい。これまでのことから、自分の気持ちを言葉で伝えることの難しさを知ることができた。しかし、自分の言葉次第で周りの人達の気持ちを変えることが出来ることも知ることができた。今はもっと、クラスのみんなと仲良くなって、自分が助けてもらうばかりでなく、私もクラスの一員として誰かを助けられる存在になりたいと思っている。

これまで私が感じてきた、「障害者だから」「健常者だから」という心の壁は、日常の何気ない言葉のやりとりで、高くも低くもなる。私は、「障害」も一つの個性だと思っている。そして、障害のある人はもちろん、そうでない人も悩みはある。だから、困った時は、お互いがお互いをカバーして助けあっていくことがお互いを理解することにつながってくると思う。

私にとって、今はまだ、快適で便利な生活ではないけれど、これからも、私自身が「ありがとう。」や「ごめんね。」という言葉の発信者になることで、「心はいつも快適」といえるような日々にしていきたい。そして、私自身も、周りの人達にとって、ステキで快適な人になりたいと思う。

このページの先頭へ