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「ぼくの生きるみち」
特別賞(熊本県教育委員会賞)
熊本県立松橋養護学校中学部3年 大家拓郎
ぼくは平せい6年1月31日に生まれました。早産だったそうです。びょういんの先生から3日しかもたないと言われたそうです。でも父は直かんで「しなない。」と思ったそうです。おかげで今は元気に生きています。
ようちえんは玉名だい二保育しょに行きました。しかし年長の時こかんせつの手じゅつで松ばせ東ようご学校のようち部に行きました。りょう育センターに入いんしました。こわかったし、家をはなれてさびしくてたくさんなきました。今もその時のことはよくおぼえています。
小学校は地元の玉名町小のひまわり学級に行きました。S先生と5年間一しょに勉強しました。
わすれものをするとぼくの大きらいなおにのかっこうとおめんで出てきて心ぞうがとまりそうでいやでした。
ふつうのクラスのひとから
「なんでしょうがいもっとっとや。」
と4回ほど言われました。自分でもわからなくてつらかったです。また、
「中学校はふつうの学校にはいけんだろう。」
とさべつされました。ぼくは一人でなやみました。そんな時、一人の友だちがはなしあい手になってくれました。休みじかん一しょにあそんだり、ぼくの車いすをおしてくれました。やさしくてたよりになるそんざいでした。そつぎょうしきにわかれるのがつらくてぼくはないてしましました。
中学校は玉名中に行きたいとつよく思っていました。しかし玉名中はスロープがなくてかいだんばかりでした。りょうしんは、ぼくを自立させる目てきで松ばせようご学校の中学部をすすめてくれました。それは玉中に行ってもとう下校を車でそうげいにたよってばかりで自立できないと思ったからです。でもぼくはいやでした。なぜかというといぜんようご学校に行った時に話すことができなくてこわいと思いこみをしていたからです。家をはなれてきしゅく舎にはいるのもいやでした。
でも小学校も舎もすぐになれました。こわいとところではありませんでした。友だちがすぐにできました。高等部の先ぱいはぼくを気づかってくれました。学校のこと、家のこと、将来のこと、なやみが共通してるのでいろいろ話ができました。今は松ばせに来てよかったと思っています。
ぼくはようご学校のことをみんなに知ってほしいと思います。ぼくもここに来るまではようご学校はこわいところだとかっ手に思いこみをしていました。
でもじっさい来てみて自分はかわりました。やさしくて、あたたかくて、楽しいところでした。聞いただけでは分からないと思います。ぜひ交流して、ふれあい、話し体けんしてほしいと思います。 ぼくは自分の障がいのことを小学校に入って母から聞きました。自分は障がいもって生まれて来たくはなかったけど、障がいがあったからこを体けんできたことや出会えた人がたくさんいます。今は障がいがある自分はこのままでいいと思っています。
ようご学校には障がいのていどはちがっても同じ障がいをもっていてがんばっている先ぱいがたくさんいます。しゅうしょくして自立している先ぱいも見てきました。ぼくもそんなつよくてやさしい人になりたいです。
10月に2回目の手じゅつがまっています。また試練です。ぼくはまけません。