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熊本県人権啓発活動ネットワーク協議会
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「ありがとうを伝えたい人」

特別賞(NHK熊本放送局賞)

山鹿市立鹿本中学校3年 富田亜希

「人権委員長をお願いしたいんだけど…。」去年の十月、委員会の委員長・副委員長の引き継ぎが行われた。そこで私は人権委員長をするように頼まれたのだ。

「あぁ…。えっと…。」
私は返事をためらってしまった。確かに委員長はやりがいがあると思うし、周りをまとめるのも苦手ではない。それなのになぜ、委員長になってほしいという依頼を引き受けようとしないのか。それは、私自身いじめを受けた事があるからである。

今から七年前、私は小学二年生だった。普通に学校にも行っていたし、友達も大好きだった。でも、いつからだろう。周りから私に向けられる目が急に冷たくなったのだ。

いつも一人だった。誰も助けてくれなかった。本当に、本当に苦しかった。そんな私を助けてくれたのは、当時の担任の先生だった。私が寂しそうにしていると、
「一緒に絵を描こうか。」
と、優しい笑顔で私を励ましてくれた。私はその先生のおかげで本当の自分の気持ちを、クラスのみんなに伝えることが出来た。涙でくしゃくしゃになって、まともに話が出来なかった私の肩をずっと支えてくれていた。

その先生は私が四年生になったと同時に他の学校へ異動された。大切な人に出会って、大切な人と別れて、私は色々な経験をしながら強くなっていった。

無事に中学校にあがった私は、そこでも素晴らしい先生に出会った。その先生は、船津先生といい、学校に来れない人に勉強を教えたり、話を聞いたりする先生だった。最初は何のつながりもなく、先生とはあいさつ程度しかした事がなかった。先生と私が関わりを持てたのは、そう、去年の十月、私が人権委員長になってほしいという依頼を受けてからだった。
「富田さん、人権委員長になるの?」
「いや、まだ決めてないんですけど…。」
私は、そっけない返事をした。
「そっか。」
あの時の先生の悲しそうな顔が今も忘れられない。

結局、私は断る理由も見つからず、人権委員長を引き受けてしまった。その夜、少しだけ後悔した。私なんかが人権委員長をしてもいいのか。もっと向いてる人がいるはずだ。ずっとそう思っていた。

そんなある日、人権委員担当の先生から、「人権作文を書いて、生徒集会の時に読んでほしい。」
と言われた。何を書こうか考えた。「いじめをやめましょう。」では、ありきたりすぎるし。その時浮かんできたのは過去の、いじめられている自分だった。よし、自分の過去を題材にしよう。私は決心した。

生徒集会の朝、原稿を何度も読み返し、本番を待った。そして私はいつのまにか全校生徒の前に立っていた。手足が震えていた事と涙が出そうになった事だけを憶えている。緊張という壁を乗り越えられた。安心した。私の心はみんなに届いただろうか。

下校の時間になり、私は帰る準備をしていた。すると船津先生が私の所にやって来た。
「はい。これ、家に帰ってから読んで。」
渡されたのは一通の手紙。
「ありがとうございます。」
何のつながりもなかった先生から急に手紙を渡されて正直驚いたが、家に帰って早速読んだ。書かれていた内容は、今日の生徒集会のことだった。
「よく頑張ったね。あなたから目が離せませんでした。」
きれいな字で書かれた手紙。うれし涙がこぼれたいた。ふうとうの中を見ると、もう一つ紙が入っていた。そこには先生が抱えている障がいについて書いてあった。障がいを持っていてもこんなに明るく生きているのは、周りの人の支えがあるからだそうだ。私は自然と船津先生に心を開き、手紙のやりとりをする程仲良くなっていた。先生からもらった手紙は今でも大事にとってある。

船津先生は、私の小学校の時の先生と同様に、中学三年生になった今年、他の学校へ異動された。私は、船津先生に出会って、さらに強くなれた。何度お礼を言っても足りない位感謝している。

夏休みが終わって、十月になれば、また委員長・副委員長の引き継ぎが行われる。次はどんな人が人権委員長になるのだろうか。私は引き継ぎが行われるまで一生懸命責任をもってやりとげたい。そして、次の人権委員長の人に胸をはって
「人権委員長はやりがいがある。」
と言える人になりたい。

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