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オホーツク地域人権啓発活動ネットワーク協議会
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全国中学生人権作文コンテスト

全国の中学生を対象とした人権作文コンテストは,次代を担う中学生が人権問題についての作文を書くことによって,人権尊重の重要性,必要性についての理解を深めるとともに,豊かな人権感覚を身につけることを目的として,実施しています。

平成28年度は,第36回目のコンテストとなります。

優秀賞(釧路人権擁護委員連合会長賞)
特別賞(北海道教育委員会教育長賞)
奨励賞(1/5)
奨励賞(2/5)
奨励賞(3/5)
奨励賞(4/5)
奨励賞(5/5)

優秀賞(釧路人権擁護委員連合会長賞)

『もちつもたれつ』

小清水町立小清水中学校 3年 荒木七笑

私の家は自営業を営んでいる。夏は特に忙しく,私も手伝ったりはしているのだが,それでも回らないことの方が多い。

そんな時,「WWOOF」というシステムでさまざまな人達に手伝ってもらう。WWOOFとは,食事・宿泊場所と力を交換するしくみで,この関係にお金のやりとりはない。私の家に来るウーファー(WWOOF体験をする人)さんは,短くて2週間,長くて3か月ほど滞在する。日本人の人も来てくれるが,外国から来てくれる人が多く,私は毎年さまざまな言語・文化・価値観に触れ,とても貴重な体験ができている。

WWOOFの役割の中に「日本と外国とのつながり深化」というものがある。つながりを深めるためには,自分の考えや今までの経験にとらわれず,相手の価値観を尊重することが重要だと思う。我が家に来てくれる外国人のウーファーさん達は,誰でも日本という国やその文化を知ろうとし,そして自分の国の文化を私達に伝えようとしてくれる。自分が今までそうでなかったからといって,偏った考え方で物事をとらえるのではなく,いつでも違う価値観を理解しようという姿勢で何事にも取り組んでくれる。一緒に夜ごはんを食べ,一緒にドライブしたりする中で見えてきたのは,差別やいじめなど相手を傷つけることで失われる人権ではなく,お互いに尊重し合い感謝し合い受け入れようとすることで学べる人権だった。

例えば,ウーファーさんは必ず自ら箸を使ってごはんを食べる。フォークとナイフしか使わないような国から来た人でもだ。うどんのような,箸でつかむのが難しいもののときも,「フォークいる?」とたずねても「いらない」と返ってくるのだ。それは単に意地を張っているわけではないだろう。日本の文化に触れ,滞在を最大限に楽しもうとする姿は素晴らしいといつも感じる。私が外国にウーファーとして訪れたとして,そのように楽しめるかというと正直自信はない。

また,多くのウーファーさんは,自分の国の料理を私達にふるまってくれる。住む場所が違えば料理の材料も違う。日本の食材で工夫をこらしてつくってくれるごはんは,いつも目をみはるほどおいしい。それは感謝の気持ち,自分の国の文化を伝えようとする気持ちなど,色々な気持ちがこもっているからだと思う。

私達ホスト(ウーファーを受け入れる側)もウーファーも,お互いにお互いを感謝し,尊重し合わないとトラブルがたくさん起きてしまうと思う。ホストはウーファーがいないと仕事がまわらない。ウーファーはホストのおかげで食事・宿泊場所に困ることはない。そのようなもちつもたれつの関係を私達はもっと大切にしてしていくべきだと思う。「あの人がいるおかげで」「あの人がいなかったら」そんなことをみんなが少しでも考えれば,一人一人の関係をよりよいものになると思う。

今,あなたの身近にいる人を思い浮かべてほしい。ちょっと苦手な人でもいい。そして想像するんだ。あの子がいなければできなかったこと,あの子のおかげでできていること,考えてみれば,自分1人だけではできないことの方が圧倒的に多いだろう。そのことに対する感謝を,忘れないこと。ウーファーさんの料理のように,それを形にすることは,恥ずかしくてなかなかないと思う。

でも,そのことを意識すれば,人権問題なんてなくなると思うし,自分の成長につながるはずだ。

今年も色々なウーファーさんが来た。きっと来年も来てもらうだろう。英語を教えてもらったり,折り紙を一緒にやったり,その一つ一つを大切にして,他人との「つながり」を深めていきながら成長したいと思う。

特別賞(北海道教育委員会教育長賞)

『障がいと社会』

網走市立第二中学校 3年 折笠元紀

僕は注意欠陥・多動性障害,通称ADHDと幼稚園の年中の頃,医師から診断された。というのは,段差も何もない所でつまづいてみたり,階段を踏み外したりしていたそうだ。

僕が小学校に上がる頃,僕の父と母は僕を特別支援学級に入れるかどうか迷ったそうだ。しかし,父と母は僕を普通学級での学校生活を送らせることを決断した。そのかわり,担任の先生にはADHDのことを話して,対処してもらった。

小三になる頃には症状はまだ少し出るが,すっかり良くなったのである。しかし,やはりまだ少し残っていて,小五の時に,不注意で足の小指の骨にヒビが入ってしまった。

このようなことから,障がいは回復することもあるが,完全に回復はしにくいのだと分かった。

僕の友達も小さい頃にADHDと診断されたらしい。恐らく,僕のようにある程度は回復しているだろう。しかし,夏休み前日に,給食時間にその友達がおかわりしに行ったときに,他のクラスメイトにぶつかって給食をこぼしてしまった。その時,担任の先生が,「彼は普段から不注意が多いから助けるな。」というようなことを言っていた。僕は心の中で,まだ彼はそういう障がいを持っているから,もう少し優しい言い方はできないのかと思った。それと同時に,なんで同じ障がいを持つ自分は助けないのか,なんでみんなは理解してあげることができないのかと思った。自分が助けられないのは自分が悪いが,周りが理解できないのは仕方ない。そのような知識を備えていないのだから。わざわざ,自らインターネットを使って調べる人などそういないだろう。なので,僕は道徳の授業にこのような障がいがあることを先生にも紹介してほしいなと思った。僕のクラスだけではなく,日本全国どこに行っても,誰もが知っている知識にしてほしい。僕の友達が自分のクラスにいる発達障がいを持つ人のことを,「ガイジ」と言って馬鹿にしていたのを聞いたことがある。そういう人に,障がいの大変さや辛さなどを教えてあげたい。

僕の母は僕がこういう障がいを持っていたからかどうかは分からないが,特別支援学級の児童を担当している支援員を仕事としている。ほぼ毎日のように,大変そうだとうかがえる話をするのだ。母が取り組んできた児童には自閉症やアスペルガー症候群などの障がいをもつ児童がいたそうだ。しかし,母が彼らのことを貶すような発言をしたのを僕は未だに聞いたことがない。それはなぜか。答えは簡単だ。そのような障がいをきちんと理解しているからだ。

以前,友達の家に行ったときにクラスにいる発達障がいをもつ生徒を友達の親が貶す発言をしていた。確かに,人間考え方様々だ。しかし,親がそう思っていると,受動的に子供に同じ考え方が移ってしまう。親の影響を受けない子供もいるだろうが,ほとんどは前者である。

そのようなことから,きちんと義務教育の中に,障がいに関する詳しい内容の授業を取り入れるべきだと思った。親が貶すようなことを言えば,「それは間違っている。」と言える子供を学校で作るべきだと思った。

僕のクラスには先程の障がいを持つ生徒がいる。彼とは小学1年生から中学3年生の今現在も同じ学年だ。無論,小1,2の頃は何が何だか分からなかったが,小3ぐらいになると偏見をもつようになった。「なにかおかしい。」そう思っていた。支援員である母に聞くと,「何もおかしくないよ。」と言われた。その頃は,「おかしいじゃん。」と思っていたが,今となっては何もおかしいとは思わなくなった。なぜなら,彼は同じ人間であり,同じ学校に行き,授業を受け,同じ教室で給食を食べて,同じ教室を掃除して,同じ町にある家に帰る。ただ彼が少し障がいを持っているだけでなんら変わりない。恐らく,母の影響だとは思うが,僕のクラスにいる障がいを持った生徒の捉え方である。

しかし,クラスメイトの全員が彼のことを理解していないわけではないだろう。今までに,体育祭や学校祭などの行事ではみんなしっかりと配慮して,失敗しても責めないという風だったからである。しかし,やはりそうではない人もいるので,先程のことを実行してもらいたい。

僕の町には来年の4月から日本体育大学付属高等支援学校が開校する。大曲という地区にそれができるのだが,大曲から僕の学校に生徒がたくさん登下校している。その支援学校には全国からたくさんの体の障がいをもった人々が訪れるだろう。ということは必ず,生徒たちのその学校に通う人々への理解と配慮が必要だ。なので,網走市の小中高校を中心として,網走市市民や他の北見市などの町で,その学習が必要だ。子供だけではなく,大人もそのような障がいを理解してもらいたい。

奨励賞(1/5)

『私の目』

北見市立光西中学校 3年 上島風花

私の目は,元々内斜視であった。それは本当に小さい頃からで,母と手を繋いで出かけるようになる歳には,すでにメガネをかけていたと聞く。そのせいで外を歩く度に「まだ小さいのにかわいそうに。」「ひどい。」などという声を投げられてばかり。それを聞いて母は反論してくれていたそうだ。

私はその話しを聞いた時,なぜ自分がメガネをかけているのかわかり安心した反面,小さい頃から   私はそう思われていたのかと,胸の奥がムカムカしたのを覚えている。

ある日,誰かが

「風花,メガネかけてるからメガネ猿だな。」と言った。幸い,こう言ったのは一人だけで周りに広まることはなかったが,私はひどく傷ついた。ああ,メガネをかけているからこう言われるのか。そう思った。

それから,メガネをかけるのを嫌がる日々が続いた.内面ではメガネをかけなければ視力をよくならないとわかっていても,またからかわれると思うと体が拒否していた。しかし,流石に母に怒られるのも嫌なので,しぶしぶとかけていた。これもまた幸いにこれっきりからかわれることもなかったが,それでも心はモヤモヤしたままであった。

ある日,私は母に聞いたことがある。

「なんで私はずっとメガネをかけていなきゃいけないの?私もみんなみたいにコンタクトをつけてみたいなぁ。」

軽い気持ちでいってみた。丁度その時期学校でコンタクトにしてる人が増え,なんとなく自分もしてみたい,という気持ちであった。

母は,

「風花は,目が外側に寄っちゃう病気で,メガネをかけて矯正しなきゃいけないんだよ。だから,残念だけどコンタクトはつけられないんだ。」といった。なんとなく答えはわかっていたが少しショックだった。しかし続けて「風花,メガネ似合ってるよ。」と母は言ってくれた。お世辞だったのかもしれないが,私はその一言でメガネも悪くないかもしれないと思った。少しだけ,モヤモヤが晴れた気がした。

今は,軽い悪口なんて気にする程じゃないと思っている。小さいころ言われた,かわいそうなども,勝手に言わせておけばいい。とさえ思うようになった。

しかし,だからと言って障害のある人をはずかしめるようなことを言っていいと言うことではない。むしろ,当たり前のように,普通の人と同じように接してほしいと思う。そう思うのは,私がそういう体験をしたからだろう。

「かわいそう」と同情心をいだくのではなく,そっと,手をさしのべるように

「なにかあったら言ってね。」

と言ってくれると,いい。いつか,こういうことが当たり前になる世界になればいいなと思う。

奨励賞(2/5)

『障害を身近に感じてみて』

網走市立第一中学校 1年 石恭花

みんなは障害についてどう思っているのだろう。また,障害をもっている人を見かけたら,どうするのだろう。

私は,どうしても障害をもっている人を見かけると,普通とはちょっと違うのかなという目で見てしまうことがある。その人には,何の罪もないのに,やっぱりそういう目で見てしまうという人は多いと思う。

私はこの前,町で障害をもっている人を見かけた。そのときは,友達と一緒だったが,やっぱりみんなどうしても,「あっ…。」という目でじっと見ていた。そのとき,見られている人はどう思っているのだろう。私はきっと,苦しかったり,悲しかったり,辛い思いをしているにちがいないと思った。

でも,どうしたら私も含め,みんながそういう人たちへの意識が変わるのか。私にはまだ分からない。

私には,身近に耳が聞こえづらい祖父がいる。完全に聞こえないわけではないと思うけれど,声が届かないことも少なくはない。私が話しかけるときは,必ず肩を叩いてから話すようにしたり,話しているときは口がよく見えるように,前を見て,顔を見ながら,話すようにしている。それでも,うまく伝わらないときは,ジェスチャーを使ったりして体で表現している。

けれど,会話が続かないこともあって,本当はもっと色々なことを聞きたいのかなと思うと,少し可哀想だなと思うこともあった。

でも,祖父を障害者として見たことは,今まで一度もない。小さい頃から,一緒に遊んでもらったりしているからか,祖父は祖父だと思っていた。

ほんの少しの毎日の気遣いが,こう思うことにつながったのかなと思った。

そして,もう一つ凄いなと思ったのは,いつも祖父のとなりにいる祖母。 祖父が耳のことで困っていることがあったらいつも祖父の耳の一部になって,祖母が助けてくれた。

やっぱり,障害をもっている人の助けをしているのは家族だけではなくて,地域の中にもたくさんいることを,私は今まで学校で学んできた。私が障害をもっている人の立場で考えてみて大事だなと思ったのは,視覚障害者の助けとなる視覚障害者誘導用ブロック。目が見えない人にとっては,歩くために絶対に大事だなと思う。けれど,最近その視覚障害者誘導用ブロックにきづかず,自転車を置いてしまう人がいる。わざとじゃなくても,目が見えない人はそのせいで,進めなくなってしまったり,けがをしてしまったりするかもしれない。

障害をもっていない人にとっては,全然意識しないことかもしれないけれど,障害がある人にとっては,すごく迷惑だなと思うから,障害をもっている人の立場になって考えるのも大事なことだと思った。

私は今まで,障害をもっている人のことを可哀想だと思っていた。私たちが出来ることも,障害をもっている人は出来ないかもしれない。確かにそうかもしれないけど,障害をもっていたからこそ,何か学べたこともあったかもしれないし,実際私も,祖父から学ぶべきことはたくさんあることが分かった。

でも,その分,助けが必要なのも改めて分かった。まだ,ばあちゃんのようには,うまくサポートできないかもしれない。けれど,これからどんどん出来ることは増えていくと思うから,自分が今,出来ることを探して,積極的にこれからは,祖父だけではなくて,地域の人も助けられたら,そういう人たちへの意識も変わるし,その人の助けにもなっていくと思っている。

奨励賞(3/5)

『お互いを思いやる気持ち』

網走市立第二中学校 3年 伊藤憂奈

私は,幼稚園の時から母に朝送り出される時,「みんなと仲良くね。」と言われていました。そして小学校になると,「人の気持ちを考えるように。」「困った人がいたら大丈夫?と声を掛けるように」と言われていました。中学生になると,「人の気持ちを考えるように。」と常に言われています。

母は私に思いやりの気持ちを持つように言ってくれているんだと思います。

今,私は中学3年です。周りにはお年寄りや障害を持った人達もいます。

特に障害者の方に対して,偏見を持ったことや特別な目で見たことは一度もないつもりです。障害者の方は,なりたくて障害者になった訳ではないと思うからです。しかし障害者の方にとって,今の社会が暮らしやすい環境だとは思えません。

まだまだ偏見や差別があるように私は感じます。

例えば,食事をする場所も限られてしまうと思います。車椅子の方ならバリアフリーになっていないお店なら一人で食事に行くのは難しいと思います。トイレも障害者用トイレがある所も限られてしまいます。

ですが一番は偏見の目だと思います。私達は気づかない内に偏見や差別をしてしまっているかもしれません。障害者の方だからと特別な思いで接してしまっている時があるかもしれません。同じ人間として,困った時お互いを助け合いながら,そして特別視することなく暮らしていける社会になっていけたらいいと思います。障害者だから,健常者だから,という思いを持たない関係を築けたら暮らしやすい社会になると思います。私もそういう気持ちでこれからも障害者の方と接していけるようにしたいと思います。

もし私が障害者で産まれていたなら,何が辛いか考えてみました。それは友達を作れなかったり,楽しさを分かち合えなかったり,「障害者だから」という一言で片づけられてしまったりすると辛いと思います。辛くなる気持ちは健常者も障害者も同じだと思います。全てを理解することは健常者同士でも,障害者同士でも難しいと思います。ですが沢山対話することや,理解しようとする気持ちが大事だと私は思います。これから生きていく中で障害者の方と知り合うことや,友達になることもあると思います。偏見や差別の目を持たないように仲良くしていけたらいいと思います。理想と現実は違いますが,少しでも理想に近づけば障害者の方も住みやすくなると思います。一人一人が思いやりを持ち,自分さえよければいいという自己中心的な考えを無くせばみんなが暮らしやすい,思いやりを持った社会になると思います。

母に小さい時から,言われていたことを忘れずにいたいと思います。母が言った通り,困った人がいたら迷わず声を掛けられるような人になりたいと思います。

人を傷つける言葉や,人の気持ちを考えない自分勝手な行動を取らないように心がけたいと思います。きっとそうすることで大人になった時もいい人間関係が出来ると思います。

私は今まで何度も傷ついたことがあります。嫌がらせをされたり,たたかれたり,悪口を言われたりもしました。その時はとても悲しく,辛かったです。学校にも行きたくなくなりました。ですが私の何が悪かったのか今だに分かりません。今思うと,そういう経験をしたから人の辛さも分かるようになりました。

そして人の気持ちも考えられるようになりました。母には「辛かったけど,いい経験になったね。」と言われました。私は友達に対して自分がされたことは絶対にしたくはありません。辛い経験でしたが思いやりの心を持てるきっかけになりました。これからも,この経験を忘れず,周りの人を傷つけないようにして生きていきたいと思います。

そして大人になった時健常者も障害者も暮らしやすい明るい社会になっていてほしいです。

奨励賞(4/5)

『子どもの世界』

美幌町立美幌北中学校 1年 藤本もえ

「相手の気持ちを考えなさい」,この言葉,一度は言われたことがありませんか。大人の人はよく言いますが,幼い子どもなどではなかなか理解するのは難しいことなのではないでしょうか。

相手の気持ちを考えるというのは学校などの集団生活をする場でもとても大切なことです。私もその時相手のことを考えずに感情にまかせて言ってしまった言葉に後悔したことが何度もあります。最近はニュースでいじめのことをよく目にしますが,それも相手のことを考えずに言ってしまった言葉や行動から起きてしまったことなのではないでしょうか。

私達が日頃使っている言葉というものは,自分の意思を伝えるのにとても便利なものですが,時に人を傷つける刃となってしまうこともあります。その言葉の刃で心に深く刻まれた傷は,一生癒えない傷になるかもしれません。自分が相手のことを考えずに言った一言で相手の心に深い傷を負わせてしまうのはとても悲しいことです。しかし,この世界に私達人間がいる限り,いじめなどで起きる悲しい出来事をなくすことは不可能に近いでしょう。

しかし減らすことはできます。それは他の誰かではなく自分が,自分で相手の気持ちになり,傷ついてしまった人にはその人の立場になり,心の傷を少しでも癒やせるように励ましともに成長していくこと。それができれば少しずつでも悲しいできごとを減らせるのではないでしょうか。私も傷ついてしまった友達を励ましていたとき,心の傷の深さを知りました。

相手の気持ちを考えるというのもとても大切なことですが,いじめの原因はそれだけではありません。最近はインターネットなどの普及で子どもと親のコミュニケーションが減っているということも問題なのではないでしょうか。コミュニケーションというのは教科書では学べませんから,自分の経験で身に付けるしかありません。これが上手くできないと良い人間関係も築けません。ですから,幼い時から親は子どもとのコミュニケーションを大切にし,良い人間関係を築くためのお手本を見せる必要があるのではないでしょうか。

さて,いじめというのはいじめている人が百パーセント悪いのでしょうか。確かに自分の身勝手な理由で起きてしまういじめもありますが,背景に虐待など家庭の問題がある場合もあります。虐待などで家庭内の人間関係が悪いと「自分は人から認められている」「自分の話を聞いてくれる人がいる」という自己肯定感が低くなりがちです。それはそのまま人間関係への不安へとつながり,結果として,家族以外の人との人間関係を築く際にも不安感が残ってしまうのです。もしいじめの問題が起きたとき,もしかすると根本的な問題は家庭内の人間関係にあるのかもしれない,ということを親は頭に置き,自分の子育てを振り返ることが大切なのではないでしょうか。

今まで色々な話しをしましたが大人は「学校の人間関係なんて,職場の人間関係に比べればどうってことないだろう」そんな風に思っていませんか。もちろん,大人も子どもも大変ですが,大人には子どもにはない自由があるのです。一方,私達子どもの狭い世界には,ほとんど逃げ道というものは存在しません。もしかすると,逃げ道が欲しいがために自分の思い通りにしようと,いじめが起きてしまうのかもしれません。

しかし,学校での人間関係には期限がありますから,その分,楽なのでは,という考え方もできますが,行動範囲が限られている子どもにとってはその,ほんの数年は永遠のように長く感じてしまうのです。

大人の皆さん,お願いです。子どもが学校での人間関係で悩んでいたら,どうか,「大人に比べたら」なんて笑って流さないでください。子どもの世界はある意味では大人の世界よりシビアなのですから。

奨励賞(5/5)

『ダウン症児の姉が手紙を読んで』

小清水町立小清水中学校 3年 西川美羽

ダウン症の君の輝く笑顔はとってもすばらしい。いつもありがとう。がんばる君をいつも応援しています。

相模原障害者施設殺傷事件。2016年7月26日に神奈川県相模原市の障害者福祉施設で発生した刃物による殺傷事件は,27人の負傷者と第二次世界大戦後の日本において発生した殺人事件としては最も多い19人の犠牲者をだした事件です。そんな悲しい事件をダウン症児の姉として考えたいと思います。

まず,事件についてですが,発生した日時,場所,死者数,負傷者数は冒頭に書いた通りです。事件後,警察署に男が「私がやりました。」と出頭し,緊急逮捕されました。被疑者の男はハンマーで入居者居住棟1階の窓ガラスを割って施設内に侵入し,刃物を刺す,切りつけるなどの行為を行いました。死因は刺されたことによる失血死,失血性ショックで,腹や胸を刺されたことが致命傷となった方もいます。また,意識不明となっていた4人が入院している病院は4人全員の意識が回復したことを発表しました。被害者の名前について警察は「施設にはさまざまな障害を抱えた方が入居しており,被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っている」として,公表しない方針を明らかにしています。夜中の2時から3時頃の出来事だったということで,寝ているところをおそわれたと考えると,本当に恐ろしくて,悲しい事件だと思います。

被疑者については,元施設職員の26歳の男性で,2012年12月から2016年2月まで勤務していました。逮捕後の取り調べでは容疑を認めた上で「施設をやめさせられて恨んでいた。」と話したそうです。被疑者は2012年8月,「明るく意欲があり,伸びしろがある」という判断で採用されました。しかし勤務態度は入居者への暴言を繰り返すなど問題が多々あり,何度も指導や面接を受けていました。刺青を入れたり,業務外の問題行動も散見されていました。友人に時折障害者に対して否定的な発言もあったそうです。また,事件前の2月半ばに,衆議院議長に宛てた手紙を職員に手渡しており,手紙の一部には犯行予告とも取れる文言がありました。同じ頃に同施設職員に対し,重度の障害者について安楽死を容認する発言があり,精神保健指定医の診断により入院しました。その際の尿検査で大麻の陽性反応が見られ,3月,医師の診断で被疑者は退院しました。このように,危険な言動が多々見られていました。

たくさん気になる部分がある中で,私が注目したのは,衆議院議長に宛てた手紙です。先程書いた犯行予告他,「障害者は不幸を作ることしかできない」「重複障害者の生活が困難な場合,保護者の同意を得て安楽死できる世界」という内容が書かれていました。私はこの手紙を読んで,涙があふれてしまいました。障害者は不幸を作ることしかできない。本当にそうでしょうか。私にはダウン症の弟がいるため,他の障害者とふれ合う機会もありました。その体験を通じて思ったのは,障害に気を取られず,明るく,一生懸命生きているということです。一生懸命な姿,裏表のないまっすぐな笑顔は,私達にも,良い方向の心の変化を与えます。また,どんなに小さなことでも,できることが増えたときは心から嬉び合え,生きることのすばらしさを実感できます。たしかに,未来のわからない障害者の支援は大変だと思うときや,心が折れそうになるときもあるかもしれません。しかし,冷静に障害者一人一人を見ると,小さな変化や新しい発見に気がつけるかもしれません。そのとき,大変なことばかりじゃないと実感できるはずです。障害者も一人の人間です。人権もあります。偶然,何らかの障害とよばれるものを持って産まれてきただけです。同情はいりません。ただ,がんばっている障害者,困っている障害者には声をかけ,協力してあげて下さい。被疑者のような「障害者はいらない」という考え方の人が少なからずいることはわかっています。障害者に会ったときには,障害に対する先入観を持たず,一人の人として接して下さい。一つの物ではありません。障害を理解した上でどう接するべきか考えて下さい。絶対に周りからの目が障害になるようなことはあってはいけません。障害者は私達に「生きる」ということを考えさせてくれます。

最後に,ダウン症の弟がいてくれることが本当に幸せです。これからも輝く笑顔を見せて下さい。

家族や友達など,自分と関わる全ての人々の人権を守るために大切なことは何か,作文を通して一緒に考えてみませんか?


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釧路地方法務局北見支局  〒090-0017 北見市高砂町14番14号
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