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第24回全国中学生人権作文コンテスト三重県大会入賞作品

津地方法務局長賞

『父の生き様から学ぶ』
四日市市内部中学校 3年 平井 良太

障害者を差別してはいけないと,総合学習の時間に改めて感じました。今,僕達の中学校では,福祉に関する勉強をしています。その時の,アイマスクをしての歩行,車いすの操作はどちらもすごく大変な体験でした。こんな大変な生活を抱えて,めげずに一生懸命生きている障害者の人達を差別するのは,人間として恥ずかしい事だとつくづく思いました。障害者の人達と僕達の体には,たしかに違う所があります。しかし,誰もが好きでそうなったんでしょうか。絶対に違います。そのような事も考えてあげてほしいです。そして,いつか自分も障害者になるかもしれないという事を忘れてほしくありません。

僕の父は,目が不自由な障害者です。その父が,総合学習の時間に目が不自由な人の生活の様子を話しに,学校に来ることになりました。最初父は,先生の依頼を断りました。そして僕に行ってほしいか,行ってほしくないかを質問しました。僕の気持ちの中で微妙な不安と喜びがわきました。父はきっと「俺が行っても恥ずかしくないか,胸を張って友達に俺を紹介できるか」を僕に確かめたのだと思います。僕は少し考えて
「来てもいいよ。」
と,答えました。

総合学習の日が来ました。朝の会が終わった時,突然
「M先生,M先生,至急職員室まで。」
と放送が入りました。あ,きっと父が来たのだ。来てもいいよと言ったけど,やっぱり不安はあります。

父が先生に肩を貸してもらって教室に入って来ました。教室で父は自分の体験を明るく話していました。障害者は暗いというイメージがあったのに、みんなに明るく接する父を見て,みんなはどう思ったことでしょう。辛い生活をしているのに笑う父に驚いたに違いありません。父は僕の友達の障害者へのイメージを,今までとは違う良い方向へ変えてくれたと思います。父が帰った後,クラスの子に
「お前のお父さんいい人やな,おもしろい人やな。」
と,言われて僕の不安は喜びに変わりました。クラスのみんなありがとう。

父が来た総合の時間のように,他の場でも障害者と接する機会があれば,みんなお互いに分かり合え,父以外の障害者の人達とも父の場合と同様に素直に接し,抵抗なく手助けができるようになれると思います。差別なんて絶対なくなっていくと思います。父もそれを望んでいるはずです。

そして,父が来たその日から僕は,父を見る目が変わっているのに気がつきました。今までは父が話す言葉に適当に返事していた事もあります。その日から僕は父が話すと,一生懸命耳を傾けるようになっていました。それは目が見えない父への同情ではなく,総合の時間に学校に来てくれた感謝,目が見えないというハンディを背負いながら,僕を育ててくれた感謝からだと思います。また,父の行動をよく観察するようになりました。父は僕達と比べて聴覚や嗅覚が良い。手足の感覚が鋭い。というよりも目が見えない分,他の感覚の集中力が強いのだと思います。こうして父は父なりに全力で毎日を生きていたのです。目の障害だけでなく,耳や手足が不自由な人達も父のように頑張っているはずです。

このような人達を差別するのはもっとも恥ずかしい行為だと僕は思います。人を差別する人間にこそ心の障害があるのではないでしょうか。決してそんな人間に僕は,なりたくありません。

差別するのではなく逆に介助してあげられるような心を養い,父の子供として恥ずかしくない人間に成長していきたいと思います。みんなも,このような事を考えてくれたらありがたいものです。個人一人一人の,ちょっとした心から差別のない明るい平和な社会に変わっていくと思います。いいえ変わっていくに違いありません。それこそが人権を尊重する我が国,日本の最も大切なモットーではないでしょうか。

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三重県人権擁護委員連合会長賞

『優しき心』
三雲町・松阪市学校組合立三雲中学校 2年 中村 勇斗

僕がまだ小学生だった,ある日の出来事です。僕は鈴鹿の祖母の家に遊びに行っていました。祖母が作ってくれた昼食を,みんなで食べようとしたその時,玄関のチャイムが鳴ったのです。そこには,薄汚れた身なりをし,髪もボサボサで,見た目に,何日もお風呂に入っていないだろう,五・六十才ぐらいの男性が立っていました。応対に出た祖母に,その男性は,
「ご飯をめぐんでください。」
と,お弁当箱を差し出しました。祖母は,何ひとつためらう事なく,そのお弁当箱を受け取り,
「ちょっと待ってて下さいね。」
とひとこと言うと,台所へ行き,汚れたお弁当箱をきれいに洗い,そこへ,今炊けたばかりのご飯を(これでもか)と言わんばかりにギュッと詰めたのです。その上,別の容器を出してきて,今から僕達が食べようとした,おかずまでも,いっぱい詰めたのです。そして,男性の首にかかっていた,汚いタオルを見て,かわいそうに思ったのか,新しいタオルを四・五本出してきて,お弁当と一緒にその男性に手渡しました。
「こんなにたくさんいただいていいのですか。」
という男性に対し,祖母は,
「今日だけでもお腹いっぱい食べて下さいね。」
と満面の笑顔で答えていました。男性は,祖母に,何度も何度も頭を下げて,どこかへ行ってしまいました。
「おばあちゃん,ご飯は?」
「今から,すぐ作ってあげるから。」
「何であんな知らん人にご飯やるの?」
「お腹すかしとるでかわいそうやろ!?」
「僕だってお腹すいとるやん?!」
「あんた達は,いつでも,好きなだけおいしいものが,食べれるやろ?」
と,祖母は,今あった出来事が,特別な事ではなく,あたり前だと言わんばかりに,僕達の昼食を作り出したのです。その時は,まだ祖母の行動が理解できず(おばあちゃんはおかしい!!)と思ってしまった僕ですが,今あの時の出来事を思い出すと(おばあちゃんはすごい人だ!!)と思います。

人の不幸は,見て見ぬふりをする。それどころか,人の不幸を喜び,平気で人の心を傷つけ,もてあそぶ人が多い世の中で,祖母の行動は,誰にもまねのできないすばらしい事だと思います。いつでも誰にでも同じ様に優しく接する事のすばらしさを,祖母から教わった様に思います。その祖母は三年前に他界してしまいましたが,祖母の笑顔,優しさは,いつまでも忘れる事はないでしょう。

僕は,小さい頃から,習い事の為,週に一度大阪へ通っていました。難波駅の構内でいつも見かける光景は,新聞紙やダンボールをひいて,横たわっているたくさんの人達,時には,ゴミ箱をのぞき込み,何かを一生懸命探しています。まだ小さかった僕にとって,その光景は,不思議な世界の出来事でした。

「汚い」「変な人達」「かわいそうな人」,僕は,そんな感情でその人達を見ていました。その前を行きかう,数えきれない程の人達もまた,誰ひとりとして,いわゆる「ホームレス」といわれる人達を気にとめる者はいませんでした。かかわりたくない,関係ない,というのが心情なのでしょう。

ある日の事,たくさんの人だかりがありました。中をのぞくと,ひとりのホームレスの人が地べたに座り込み,その前には,母犬と母犬のおっぱいに吸いつく,数匹の子犬がいました。そしてダンボールにこう書いてありました。
『私には,この子犬達を幸せにする事は出来ません。どなたか温かい家庭で育ててあげて下さい・・・』と。

その男性は一言も発する事はありませんでしたが,その字は,ものすごく達筆で,その字からは何か温かみを感じました。自分には子犬を育てるのには限度があり,食べ物も満足に与える事ができない。だから温かい家庭で幸せに育ててあげてほしいという優しさがうかがえました。その時,身なり,思い込みから,「汚い人」「変な人」だと思っていた自分が恥ずかしくなりました。今,社会問題となってしまった「ホームレス」の人達ですが,子犬一匹にさえも,優しい気持ちで接しているのです。テレビ,ニュース等で,心無い者によるホームレスの人達に対する暴行,時には,殺人事件が報じられていますが,絶対にあってはならない事です。そして僕もまた,見た目で人を差別したり,傷つけたりしては絶対にいけないと改めて思いました。

普通に生活ができる事,温かい布団で寝れる事,温かいご飯が食べれる事,僕にとってあたり前に思っていた事でさえも,幸せな事であり,感謝しなければいけません。そして祖母が教えてくれた”優しさ”街で見かけたホームレスの人の”優しさ”のように,僕も”優しさ”を持った人間になりたいです。

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