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全国中学生人権作文コンテスト新潟県大会

新潟地方法務局と新潟県人権擁護委員連合会では,昭和47年から中学生を対象に人権作文コンテストを実施してきました。

平成30年度は県内186校から12,907編の作文が応募されました。
数次の審査を経て入賞作文が選ばれました。(審査結果)

平成30年度「全国中学生作文コンテスト」新潟県大会の入賞作品のうち,新潟地方法務局長賞を受賞した南魚沼市立八海中学校2年せき 春花はるかさんの作文『「Xジェンダー」への理解』と新潟県人権擁護委員連合会会長賞を受賞した新潟市立山の下中学校1年植木うえき 遥斗はるとさんの作文『輝ける場所』の2編を中央大会に推薦しました。

中央大会の審査の結果,お二人の作文は法務省人権擁護局長賞を受賞しました。

平成30年12月1日(土),新潟市市民プラザで新潟県大会の表彰式が行われ,新潟県大会の入賞者の表彰が行われました。

新潟県人権作文コンテスト,受賞者と審査員
新潟県人権作文コンテスト,受賞者と審査員

新潟県人権作文コンテスト,表彰式
新潟県人権作文コンテスト,表彰式

人権講演会

表彰式終了後,新潟県人権啓発活動ネットワーク協議会主催の人権映画の上映がありました。

 

応募総数 県内186校  12,907編

平成30年度「全国中学生人権作文コンテスト」新潟県大会審査結果
学校名 学年 氏名 題名
新潟地方法務局長賞 みなみうおぬましりつはっかいちゅうがっこう 2年 せきはるか 「Xジェンダー」への理解
南魚沼市立八海中学校 関春花
新潟県人権擁護委員連合会会長賞にいがたしりつやまのしたちゅうがっこう 1年 うえきはると 輝ける場所
新潟市立山の下中学校 植木遥斗
新潟県教育委員会教育長賞みつけしりつにしちゅうがっこう 1年 やまむらあかり 私にできること
見附市立西中学校 山村あかり
新潟日報社賞 みょうこうしりつみょうこうこうげんちゅうがっこう 3年 たけうちりん 「人権」がなかった時代
妙高市立妙高高原中学校 竹内凜
NHK新潟放送局長賞にいがたけんりつごせんとくべつしえんがっこう 3年 やまざきあおい 私の居場所
新潟県立五泉特別支援学校 山崎葵
アルビレックス新潟賞 しばたしりつほんまるちゅうがっこう 3年 さいとうゆり 私のまわりの人権
新発田市立本丸中学校 斎藤佑里
優秀賞 ながおかしりつあきばちゅうがっこう 2年 かねがきことね 人権と障がい
長岡市立秋葉中学校 金垣琴音
優秀賞 じょうえつしりつやちほちゅうがっこう 3年 たけだりんか 人を認め大切にする心
上越市立八千浦中学校 竹田琳香
優秀賞 しばたしりつかわひがしちゅうがっこう 2年 いのうえひの 一人一人がもっている人権
新発田市立川東中学校 井上陽乃
優秀賞 にいがたけんりつかしわざきしょうようちゅうとうきょういくがっこう 3年 たかのねね 最大の罪とは
新潟県立柏崎翔洋中等教育学校 燒寧々
優良賞 にいがただいがくきょういくがくぶふぞくにいがたちゅうがっこう 3年 はせがわちひろ 可能性のままで終わらせないために
新潟大学教育学部附属新潟中学校 長谷川千紘
優良賞 にいがたしりつひがしいしやまちゅうがっこう 3年 ながまつゆう 小さな命にも人権を
新潟市立東石山中学校 永松優羽
優良賞 にいがたしりついからしちゅうがっこう 3年 たくらまなえ 知って
新潟市立五十嵐中学校 田倉愛永
優良賞 にいがたしりつこしんちゅうがっこう 3年 あだちさき 生まれつき
新潟市立小新中学校 安達紗姫
優良賞 にいがたしりつまつはまちゅうがっこう 3年 なかはらたいち 障害がある人と僕
新潟市立松浜中学校 中原大智
優良賞 あがちょうりつみかわちゅうがっこう 3年 ながみねるい 過去の体験を未来につなぐ
阿賀町立三川中学校 長 峰  類
優良賞 にいがたしりつこあいちゅうがっこう 3年 かとうりん 「生きてるだけで百点満点」
新潟市立小合中学校 加 藤  凜
優良賞 にいがたしりつにいつだいごちゅうがっこう 3年 つちださき 「私のお姉ちゃん」
新潟市立新津第五中学校 土田 咲希
優良賞 あがのしりつすいばらちゅうがっこう 2年 こやまみゆ 広まるいじめ
阿賀野市立水原中学校 小山 心結
優良賞 ごせんしりつむらまつさくらちゅうがっこう 1年 ふじきまこ いじめは絶対に許されないこと
五泉市立村松桜中学校 藤木 真子
優良賞 かもしりつあおいちゅうがっこう 2年 くわばらしゅんすけ 理解してあげることが大事
加茂市立葵中学校 桑原俊輔
優良賞 かもしりつななたにちゅうがっこう 1年 せきねこころ 先生と出会えて
加茂市立七谷中学校 関根こころ
優良賞 さんじょうしりつだいよんちゅうがっこう 2年 むぎくらあゆむ 誰に対しても思いやりの心を
三条市立第四中学校 麦倉歩夢
優良賞 さんじょうしりつだいさんちゅうがっこう 3年 はせがわおとや 生きてきた人生,これからの人生
三条市立第三中学校 長谷川響也
優良賞 しばたしりつななはちゅうがっこう 2年 いちかわいく 出目金じゃない
新発田市立七葉中学校 市川生玖
優良賞 むらかみしりつひらばやしちゅうがっこう 2年 さとう くるみ 障がいは「害」ではない
村上市立平林中学校 佐藤 来望
優良賞 むらかみしりつひらばやしちゅうがっこう 3年 こいけ みつき 母が教えてくれたこと
村上市立平林中学校 小池 星輝
優良賞 あわしまうらそんりつあわしまうらちゅうがっこう 3年 おおひら かの いじめをなくすために
粟島浦村立粟島浦中学校 大平 華乃
優良賞 ながおかしりつおおじまちゅうがっこう 3年 じんぼあかり 「忘れ」に寄り添う
長岡市立大島中学校 神保明莉
優良賞 みつけしりつにしちゅうがっこう 3年 ひきあやな 直接会ってみて分かったこと
見附市立西中学校 比企彩菜
優良賞 とおかまちしりつまつだいちゅうがっこう 2年 ながい さくら 自分の鏡
十日町市立松代中学校 永井 さくら
優良賞 にいがたけんりつつなんちゅうとうきょういくがっこう 2年 えむら あやか 自分が「障がい」をもって生まれても
新潟県立津南中等教育学校 江村 彩佳
優良賞 とおかまちしりつなかじょうちゅうがっこう 2年 うめざわ りん ひいおばあちゃんのドロボーあつかい
十日町市立中条中学校 梅澤 りん
優良賞 かしわざきしりつだいにちゅうがっこう 3年 こばやしあいな 人権を守るために
柏崎市立第二中学校 小林愛奈
優良賞 にいがたけんりつかしわざきしょうようちゅうとうきょういくがっこう 3年 みやたはづき 言葉の力
新潟県立柏崎翔洋中等教育学校 宮田はづき
優良賞 うおぬましりつゆのたにちゅうがっこう 3年 あんべ みゆ 様々な事を経験して
魚沼市立湯之谷中学校 安部 美結
優良賞 みなみうおぬましりつむいかまちちゅうがっこう 3年 さくらい みなみ 人権と「いじめ」
南魚沼市立六日町中学校 櫻井 美波
優良賞 じょうえつしりつやすづかちゅうがっこう 2年 よこおあや 私のおじいちゃん
上越市立安塚中学校 横尾純
優良賞 いといがわしりついといがわひがしちゅうがっこう 2年 まえだ あいか なりたい自分を目指して
糸魚川市立糸魚川東中学校 前田 あい華
優良賞 いといがわしりつおうみちゅうがっこう 1年 いとう あこ 友達関係
糸魚川市立青海中学校 伊藤 愛湖
優良賞 いといがわしりついといがわひがしちゅうがっこう 2年 ひぐち くうり 意見を伝える
糸魚川市立糸魚川東中学校 樋口 空李
優良賞 さどしりつりょうつちゅうがっこう 3年 やた ゆきな  いじめのない世界
佐渡市立両津中学校 矢田 佑希奈
優良賞 さどしりつあいかわちゅうがっこう 2年 ふなき りお  人権について考える
佐渡市立相川中学校 舟木 莉音
優良賞 さどしりつりょうつちゅうがっこう 3年 いしかわ しの 私にとっての人権
佐渡市立両津中学校 石川 史乃

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新潟地方法務局長賞

写真

『Xジェンダー』への理解

南魚沼市立みなみうおぬましりつ八海中学校はっかいちゅうがっこう
      
二年 せき 春花はるか

私は、自分のことを男と女の中間・・・いわゆる中性であると認識しています。その意味は、自分でもよく分かりません。でも、そう思っているのです。

昔からそういうジェンダー・アイデンティティを持っていたわけではありません。小さい頃は普通の女の子として過ごしていたつもりですし、違和感に気づいたのは最近のことです。

私は、小学校中学年くらいの時、自分の一人称に強い違和感を持ちました。当時、私は自分のことを名前で呼んでいました。それが、急に気持ち悪くなってきたのです。そして、私は、「俺」という一人称を使うようになりました。みんな最初は「あれ?」という顔をしていましたが、すぐに慣れてくれました。

その後、一年一年経つごとに私は変わっていきました。スカートをはくことや、体の変化に嫌悪感を覚えました。まるで、自分が男の人になりたがっているような感じだけど、別に完全に男の人になりたいわけではなくて、でも、女でいるのも嫌で・・・。どちらかというと男になりたいような、なりたくないような・・・。知識がないあの頃の私には、自分の考えていることが分かりませんでした。しかし、その少し後、小学校高学年になった頃、その考えが理解されない、ということが分かりました。

ある日、掃除の班で一緒になった下学年の女の子に、「どうして女なのに「俺」って言うの?変だよ」と言われました。ショックでした。自分でもよく分からないのに質問されて、挙げ句の果てには変だと言われて。でも、その子に悪気はなかったはずなので、「うーん、なんとなくしっくりくるから」と答えました。

それからも、人から「女なのになんで?」と言われることが何度かありました。親からも「女の子らしくしろ」と言われることがありました。「女でいたくないからやってるんだよ」と言いたかったけれど、ぐっとこらえてきました。

先月、ばっさりと髪を切りました。今まで耐えられると思っていたロングヘアーさえも気持ち悪くなってしまったからです。親には「長いと暑いから」とウソをつきました。親には、自分の性自認についてカミングアウトできていません。言って信じてもらえるかどうか、心配だったからです。短くなった髪の毛を見て、私は幸せな気分になりました。これで、自分は男でも女でもあり、どちらでもない。短い間でしたが、自分が求めているものに近づけたという幸福感に、私は包まれていました。しかし、それさえも否定されました。

髪を切って少し経った頃のことです。私は髪が伸びるのが早く、短くなった髪の毛がかなり伸びてきていました。私は、「また伸びてきたから切るんだ」と友達に言いました。すると、友達から予想外の反応が返ってきました。「もうそれ以上切らない方がいいよ。短すぎるのは変だよ」。傷つきました。何も打ち明けていなかったので、理解してもらえないのは当たり前ですが、それがとても辛かったです。だからといって、男と女の中間でいたいという自分でもよく分からないような気持ちを人に打ち明けるのも、怖かったのです。

その後、私は、インターネットで、自分の状態について調べてみました。そして、男と女という二つの性別以外の性自認を持つ人は『Xジェンダー』と呼ばれていることを知りました。日本ではあまり知られていないので、理解されにくいそうです。なかなか人に理解してもらえなくて、辛かった、という体験談もいくつか目にしました。LGBTへの理解が広まりつつある中ですが、『Xジェンダー』については、言葉自体を知らない人が多いのです。だから、男と女以外の性自認があることを否定し、二つのうちどちらかの性別に属することを強制させられることがあるのです。プリントの性別の解答欄には、男と女しかないので、どちらかに○をつけるしかありません。もし、どちらにも○をつけずその中間に○をつけたとしたら、見た人は「真面目にやれ」と言うでしょう。「変な奴だな」と感じるでしょう。私は、それがなくなってほしいと思っています。どんな性自認を持っていようが、それがその人が思う「自分」なら、それでいいのです。否定する必要などないのです。これから先、そう遠くない未来、『Xジェンダー』に対する理解が広まることを祈ります。 

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新潟県人権擁護委員連合会長賞

写真

輝ける場所

新潟市立にいがたしりつ山の下中学校やまのしたちゅうがっこう
        
一年 植木うえき 遥斗はると

私は足にマヒがあり、感覚がなくなったり、みんなのようにうまく走ることやしゃがむこと、長時間歩いたりすることができません。突然痛みやしびれなどが起こることもあります。ハンデはあるけれど、みんなと同じように日常生活を送ることが出来ています。それは、家族や友人、学校の先生方など、私に関わってくれている全ての人たちが私をサポートしてくれているからです。

しかし、残念なことに障がいがあることに対し「可哀想」と言われたり、心無い言葉を浴びせられることもあります。その中で一番つらいことは、できることを出来ないと決めつけられ、他の子と同じように扱ってもらえないことです。

小学生の頃、障がいがあることで、私は地域の野球クラブに「体力的な問題」「怪我をされても困る」「何かあったら責任が取れない」と、何チームも断られました。なぜ障がいがあるというだけで、みんなについて行けないと勝手に決めつけるのか。どうして私から出来ることを奪うのか。スポーツをする上で、怪我をするかもしれないリスクは障がいがあってもなくても同じではないのか。私はその時初めて障がい者としてのレッテルを貼られた気がしました。ただただ悔しかった。

やってダメなら仕方がない。でも、やる前からダメだと決めつけられるのは違うと思います。私はそのことを誰にも相談できずにいました。考えれば考えるほど、モヤモヤした気持ちが大きくなり、苦しくてたまりませんでした。

ある日曜日、母に連れられて何も知らされずに、ある野球チームを見学させてもらいました。そこは、障がい者野球チームでした。私はその練習風景を見て衝撃を受けました。なぜなら、障がいがある人にとって野球なんて夢のまた夢だと思っていたのに、健常者と同じように、いや、それ以上にみんなが生き生きしていたからです。

迫力のある投球と勢いのある打撃に圧倒され、そこにいた選手全員が障がいをもっているとは思わせない程、明るく前向きで驚きました。大げさかもしれないけれど、今まで野球クラブに入れなかったのは、この「障がい者野球チーム」と出会うためだったのかも知れないと、運命的なものを感じました。その時に、監督から言われた「出来ないことをやれとは言わない。出来ることを精一杯、とにかく楽しくやろう。」という言葉で、私のモヤモヤした気持ちは一気に晴れました。

私はすぐに障がい者野球チームに入会を申し込みました。障がいを障がいと思わせない程、懸命に練習し、仲間を思いやり、助け合い、励まし合いながらチームが一丸となってプレーをしている。その姿は、私には輝いて見えました。このチームに出会えたことで、ただ野球をやりたいというだけではなく、「この人達のように相手を思いやれる人になりたい」と、目標を持つことができたのです。

自分の願いが叶い、少し冷静に考えてみると、もしかしたら私を入会させてくれなかった野球クラブの監督たちは、私がみんなについていけなくなって野球が嫌いになってしまうかもしれないと、私のために先の事を考えて苦渋の選択で断ってくれていたのかもしれない。と、その時初めて相手の立場になって考えることができたのです。

当たり前のことですが、障がい者も健常者も同じ心を持った人間です。出きないことをサポートしてもらっている身で、こんな事を言うのも失礼だと思います。ですが、どうしても伝えたい事があります。それは、「時間がかかっても自分で出来ることは自分でやらせて欲しい。」ということ、「障がいがあってもみんなと同じように扱って欲しい。」ということです。出来ない事が増えてしまうことは、私たちにとって、とてもつらいことなのです。

本当は、その場ではっきりとその事実を伝えたい。でも、親切心でやってくれていることに対して、なかなかやめて欲しいとは伝えられない。それをどう伝えるか、それは私のこれからの課題です。それと、障がいがあるということは決して「可哀想」なことではないのです。誰にでも得意、不得意があると思います。私たちは、不得意な事が少し多いだけです。人には輝ける場所がどこかに必ずあると思います。

二〇二〇年に向けて、パラリンピックを起点に障がい者の活躍が注目されていますが、陽の当たる部分にだけ目を向けるのではなく、もっと身近なハンデを持つ人たちの言葉にも耳を傾けて欲しいです。一人でも多くの人が輝ける場所を見つけられるようになりますように。

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