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ホーム > 各種行事 > 第56回(平成20年度)中学生人権作文コンテスト結果 >

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産經新聞社賞「思いやりのバリアフリー」

同志社香里中学校 二年 加藤 慶治

今年の三月にお母さんが左足の骨を折りました。道路の端の溝に落ちて、足首の関節二カ所を骨折したそうです。辛い手術でプレートとねじで固定してもらいましたが、しばらく入院していました。その時は、「痛そうだなあ。動けなくてかわいそうだな。」と思うだけでしたが、退院して家に帰ってきてからが大変でした。まず、病院から家まで戻ってくるのも一苦労です。松葉杖で両手がふさがっているので、荷物が全く持てないためぼくが代わりに運びました。段差は危ないため、お父さんが後ろからお母さんを支えていました。お母さんは松葉杖で歩くだけでも痛そうにしていました。家の中でも、キャスター付きのいすを使っていました。トイレにいくのも、布団からいすの所まで這っていき、手をいすにかけて立ち上がり、座ってから移動しなければいけません。お風呂も介助がなくては入れません。

ぼくは今まで障害者の人を見たことはありましたが、こんなに不自由だとは思っていませんでした。両足があって動けることは特別なことではなく、普通なこととしか感じていませんでした。

ぼくは通学に電車とバスに乗っています。その時、杖をついた人や車椅子の人、目の不自由な人を見かけます。お母さんの大変な生活を見るまで、こんなに障害があるということの重さがわかっていませんでした。身体の不自由な人は杖や車椅子が自分の身体の代わりだけれど、それは「代わり」であって不自由ということに変わりがないこと、そして自分の足のように自由に動かせるものではないのです。

お母さんはご飯をつくる時も片足で立っているためしんどそうでした。「これで両足とも使えなかったり、手も動かせなかったりしたらどうやって生活したらいいのかしら。」と言っていました。ぼくも見ていてそう感じました。腰が曲がって杖をついていたおばあさんはどういう毎日を過ごしているのだろうかと心配になりました。身体に障害がある人は生活をするだけでも、大変な苦労があるのだとわかりました。

今、世の中ではバリアフリーという言葉がよく使われています。障害のある人が暮らしやすい社会に向けて、道路や乗り物、建物の中も整備されている所が増えてきています。駅のホームでもエレベーターが設置され、バスもノンステップバスといって階段がなく段差のない仕様のものが運行されています。そのバスは車いすの人も乗車できるようになっています。少し前まではこのように設備が整っていなかったため、障害者の人が外出しても移動する手段が少なかったり危険が多かったりと、制限されることもたくさんあったと思います。安心して外に出ることができないということは社会参加もできないということにもなってしまいます。これは社会全体の大きな問題だと思います。さらに、駅の周辺がせっかくバリアフリーに整備されているのに、それが使えなくなっている問題もあります。たとえば、駅の構内に点字ブロックが敷かれているのに、その場所に自転車が置かれている時があります。それでは目の不自由な人は安全に歩くことができません。また、電車の優先座席もきちんとマナーが守られていません。これには世の中の人々の協力が不可欠です。自分が逆の立場だったらと、考えなければいけないと思います。

でも、うれしい心遣いもありました。ぼくがお母さんの車椅子を押して、ファーストフードのコーヒー店に入った時のことでした。お客さんが多く行列ができていたため、車椅子では迷惑になると思い帰ろうとしていたら、お店の人がメニューを持って、「ご注文はお決まりでいらっしゃいますか。」と声をかけてくれたのです。お母さんもあきらめていたところだったので、とても喜んでいました。

ぼくは、「そうだ。」と思いました。身体の不自由な人は、色々なことをするにも迷惑になると思い我慢して生活を送っているのではないかと。街の整備も必要だけど、まわりの人の心遣いが一番大切なのではないかと感じました。困っている人がいたら、「何かできることはありますか。」と声をかけてみる。ひょっとして何も手伝えないかもしれない。でも、その気持ちが障害者の人の心に届いて、少しでも支えになるのではないかと思いました。その思いやりの気持ちを、ぼく達が持つことが大切なんだと思います。

困っている人がいれば声をかける。一人では無理ならば、またもう一人に声をかけ一緒に手伝う。そうしてみんなで声をかけ合うことができる。「思いやりのバリアフリー」も、社会全体に進めていくことが必要ではないかと思いました。ぼくも、これから勇気をだして声をかけていきたいと思います。

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