本文へジャンプメニューへジャンプ
大阪人権啓発活動ネットワーク協議会
ここからメニューです
ホーム
大阪人権啓発活動ネットワーク協議会
活動紹介
トピックス
各種行事
人権相談所等のお知らせ
人権関係広報資料
ハンセン病の正しい理解のために
リンク
地域ネットワーク協議会
人権啓発活動大阪地域ネットワーク協議会
人権啓発活動東大阪地域ネットワーク協議会
人権啓発活動堺・南大阪地域ネットワーク協議会
人権啓発活動泉州地域ネットワーク協議会

ホーム > 各種行事 > 第57回(平成21年度)中学生人権作文コンテスト結果 >

ここから本文です

優秀賞「本質を理解することの重要さ」

高槻中学校 三年 西村 徳馬

全盲のピアニスト、辻井伸行さんがアメリカで開催された国際的なピアノコンクールで優勝したのは記憶に新しい。その話題は日本中を感動させた。

先日行った祖父母の家でもその話題が上り、祖母も「感動して涙がでた」「徳馬は感動してへんのか」としきりに言っていた。

しかし、僕には違和感があった。

たしかに全盲であるという「ハンディキャップ」を持った辻井さんが優勝したのは、とてもすばらしいことだと思う。音楽を愛する人々はその音色に心から感動したことだろう。辻井さんの努力には並々ならないものがあったはずで、僕には到底できない。

だが、祖母が感動したのは、本当に「日本人が国際的なピアノコンクールで優勝した」からであろうか。辻井さんが全盲だからではないだろうか。「目が見えないのにすごい」、「健常な人でも難しいことを障害という困難を背負いながら成し遂げた」からではないのだろうか。

それは僕には何か違うように感じる。

辻井さん本人もどこかで言っていたように思うが、全盲であろうがなかろうが、自らの腕で、自らの指で奏でるピアノそのものがすばらしいのであって、全盲だからすばらしいというわけではない。全盲であろうがなかろうが、辻井伸行さんは辻井伸行さんなのだ。小さい頃から音楽が好きで、ピアノが好きで、純粋にピアノが上手くなりたくて一生懸命練習したのだと思う。たまたま全盲だっただけだ。コンクールで優勝した彼は、「全盲のピアニスト、辻井伸行」ではなく、「ピアニスト、辻井伸行」さんなんだと僕は思う。

僕たちは、とかく目に見える情報だけに頼って物事を判断してしまう傾向がある。

僕の母は昨年大きな手術をした。退院後は、重いものを持ったり腕を上にあげたりするのが困難で、振動や圧迫に弱く、徐々に慣らすよう、がんばって仕事や家事もなんとかこなしていた。そんな母が術後一ヶ月半がたった時、初めて一人でバスに乗って外出した。始発停留所からバスに乗り込んだ母は空いた座席に座った。バスはだんだん乗客が増えつつあり、車内には立っている人もいた。途中の停留所から四人組の中年の女性が乗ってきて、母の席の付近に来た。そのうち二人は空いた席に座ったそうだが、あとの二人が母の前に立った。そして「若いんだから立ったら。」と母に言ったそうだ。母はびっくりして席を譲った。中年のうちの一人は「悪いわねぇ。」と言ったそうだが、もう一人が「いいのよ、この人若いから。若い人は元気やから立てばいい。」と言ったそうだ。その後自宅付近のバス停までそのバスの中で立って帰ってきた母はつらそうに家に着いた。つり革を持つため、力の入らない腕をあげてもつらく、持ち手をつかんでも体を支えられない。バスは混んでいて人が多く、手術部位にも容赦なく乗客が覆いかぶさり痛みが走る。バスが揺れる度に苦痛を感じ、こけないように支えようとするとまた痛みが走る、という状態だったそうだ。帰宅した母は、冬なのに大汗をかいていた。急ブレーキでよろけたおばあさんを、背中で必死に支えてあげたときは、失神しそうになったと言っていた。

たしかに、母は外から見ただけでは、そういう苦痛を背負っているようには見えない。年齢も、その中年女性四人組よりも若かっただろう。しかし、実際には「ハンディキャップ」を持っていたのだ。

結局のところ、「見た目」なのだと思う。母の胸部や背中に手術直後の大きな傷があることなど、服を着てしまえばまったく分からない。それがなければ母は、普通の、どこにでもいそうなおばさんだろう。

全盲のピアニスト、辻井さんの「見た目」と「情報」によって感動した人々がいた。また、健康そうな「見た目」を持った母に、席を立つように言った人がいた。

その根底にあるものは、異質なものとは僕は思わない。僕たち、社会に生きる人間にとって本当に必要なものは「見た目」や「情報」にまどわされることなく、そのものの本質を見て理解することではないだろうか。

障害を持って生きる人たちは、自分達が障害者だから、とひとくくりにされることを本当に望んでいるのだろうか。見た目だけでは分からないような障害を抱えた人達を支え合う社会にするにはどうすればよいのだろうか。

僕はこの二つのことについて、これからしっかり考えていこうと思った。

このページの先頭へ