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ホーム > 各種行事 > 第56回(平成20年度)中学生人権作文コンテスト結果 >

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優秀賞 ハンセン病について

大阪桐蔭中学校 1年 江本 美結

私がこの問題をとりあげようと思ったきっかけは私がハンセン病について全くと言っていいほど知らなかったからです。今までにニュースでハンセン病、差別、訴訟、隔離などの言葉を耳にしていたにもかかわらず実際に患者が身近にいるわけでもなかったため、むしろ知ろうともしませんでした。そして今回ハンセン病について調べていくうちに、現代の日本で本当にこのような不当な差別や人権侵害があったのかと驚き、ショックを受けました。  いちばん矛盾に感じたのは欧米では通院治療があたりまえであった一九五〇年代に、日本ではまだ強制隔離、強制消毒、外出禁止などの措置がとられていたことです。(一九五三年に改定されたらい予防法において)

神経がまひしたり、筋肉が弛緩したり、髪の毛が抜けたり、皮膚がただれたり(これについてはインターネットで検索し実際の写真を見て、大変ショックを受けました。)身体的苦痛が想像を絶するものであった上に、社会の偏見や差別と闘わなければならなかった患者の方たちの苦しみを思うと胸がしめつけられました。一八七三年にノルウェーの医師ハンセンが病原菌を発見し遺伝病でないことがわかっていたにも関わらず、家族までもが不当に差別され続けていました。一九〇七年に最初にらい予防法が制定された時から国は感染力の弱さを知っており、終身隔離が必要ないこともわかっていたにも関らず、その後何十年にもわたり患者を隔離し苦しめてきました。

「療養所」という名ばかりの強制隔離施設での劣悪な栄養状態と過酷な強制労働を強いられた結果、二十二名もの患者の方が死亡するという悲しく許しがたい事実もありました。

また私にとってショックだったのは施設内で結婚する場合は断種・堕胎が条件とされていたことです。それは実に一九九二年まで続いたということです。一八〇〇年代に遺伝病ではないということが発見されていたのにです。「念のため」「一応」とでも言うのでしょうか。このような人権侵害が許されるのでしょうか。

年代を追ってこの問題を整理し、病気の発見や医学の進歩と法律の制定から廃止までの流れを考えた時、私の中での疑問や憤りはどんどん増していきました。

収容される際、家族に対する差別を恐れて故郷では亡くなったことにしてあったり、家族とは二度と会わないことを約束したりした患者の方も多かったようです。

もし私がハンセン病患者だったら・・・。ある日突然連れ去られ、隔離され、家族と会うこともできず、学ぶ機会も失われ、体の痛みは増していくなかで、通常の精神状態を保つことができるのでしょうか。自分が自分でなくなってしまう、世界中の人を信じることができなくなってしまうのではないでしょうか。私なら生きていくことさえできないかもしれません。同じ人間なのにどうして・・・。患者の方々は本当につらかっただろうと、苦しかっただろうと思います。

今自分がくらしている日本でおこったこのような重大な歴史的事実を今まで自分が全くと言っていいほど知らなかったことを、恥ずかしく思い、ハンセン病患者の方々に大変申し訳ない思いでいっぱいです。

私は無知であるということは、本当にこわいことだと思います。ハンセン病について調べ始め、この病気が遺伝病ではなく感染病であるとわかった時、私は正直少しこわいと思ってしまいました。しかし感染力、発病力は極めて微弱で、乳幼児のときの感染以外はほとんど発病の危険性はないことを知りました。また、日常的に患者と接している医者や看護師に発病例がないことからも、その伝染性、病原性の弱さは明らかであり、プロミンという特効薬の開発以後、ハンセン病は、科学治療法による通院で治る「可治」の病であるということも知ることができました。

差別や偏見をなくすには、それから目を背けるのではなく、事実を受けとめ、しっかりした知識のもとで学び、理解することが必要であると思います。国は、もっとハンセン病について教育の場で、私たち子供たちに、教えるべきであると思います。そしてそれはすべての人権問題や差別問題に共通して言えることだと思います。

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